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井上聡

井上 聡(いのうえ さとし、1976年2月2日 - )は、吉本興業所属のお笑い芸人。お笑いコンビ「次長課長」の主にツッコミ担当。大阪NSC13期生。血液型B型。ファンからのあだ名は「さっとん」(番組内でたまに相方からも呼ばれている)


【プロフィール】
熊本県玉名市生まれ、岡山県岡山市育ち。(現在実家があるのは福岡県久留米市)。 1994年に河本準一とお笑いコンビ「次長課長」結成。デビュー当時はボケ担当であったが、現在はツッコミ担当。しかし、トークや一部のネタではボケを担当することがある。


【人物】
■井上について、コンビの相方である河本準一は、隣にいても気にならない存在である妻のようであり、夫(河本)がやんちゃするのを抑える役割に喩えて井上を評する。一方井上は、河本との関係について、次長課長の役割分担は河本がボケで、井上自身は河本の友達であると述べている。相方との仲はよい。

■お酒に関しては、相方である河本準一とは対照的に一滴も飲めない。


【芸風】
芸については、芸人であるケンドーコバヤシと師弟関係にある。井上が大阪で活躍していた時期、相方河本準一が椎間板ヘルニアで入院した際に、代わりにコバヤシとコンビを組み、学園祭を廻ったことがある。また、映画「日常」では、2人で仮面ドライバーというユニットを組んでいる。

《テレビ番組における実績》
■2005年9月、テレビ朝日虎の門のいとうせいこうナイト「第4回紹介王」にて、決勝でますだおかだ・岡田圭右を破り優勝。(ちなみに井上は、ますだおかだ・岡田圭右率いる「岡田会」のメンバーに所属している。)

■2005年9月10日放送、「やりすぎコージー」の新作ギャグ対決で初代キングオブギャガーに輝き、優勝を果たす。

■ダイナマイト関西2006年8月の大会では、後楽園で行われた決勝大会に進出。

■2006年大晦日にルミネtheよしもとで行われた大喜利大会ではバッファロー吾郎の竹若元博と同率で優勝。「お笑い」の中で最も得意とするジャンルは大喜利。


【ルックス】
■2001年度、吉本男前ランキング3位。

■2002年度、吉本男前ランキング4位。

■2003年度、吉本男前ランキング4位。

■2004年度、吉本男前ランキング3位。

■2005年度、吉本男前ランキング3位。

■2006年度、吉本男前ランキング1位。

■2007年度、吉本男前ランキング1位。

■2006年 マンスリーよしもと「ルミネtheよしもとのお客さんに聞きました〜抱かれたいヨシモト芸人〜」1位。

■2007年 マンスリーよしもと「ルミネtheよしもと/ヨシモト∞ホールのお客さんに聞きました〜抱かれたいヨシモト芸人〜」1位。

■2006年 お笑いポポロ「好きな芸人大賞」1位。「抱かれたい芸人ランキング」1位。

■2006年 オリコン調査「恋人にしたい芸人」ランキング 総合1位。

■2006年6月21日放送、『ザ・チーター』「男前だと思う芸人ベスト10」第1位


【趣味・特技】
《アニメ・ゲーム》
アニメ、とくに少年向けのアニメやゲーム系を趣味とし、フィギュアは2005年の時点で約2000体所有し、ドラゴンボールを特に好む。機動戦士ガンダムも好み、最初から最後まで見終えるとまた最初から最後までのいう繰り返し観覧も進める。また、ゲームについては、コンピュータRPGを好むほか、パチスロ・パチンコが得意である。ダイナマイト関西でのキャッチフレーズは「美形アキバ系」である。PSP青年向けゲームモンスターハンターのプレイ時間500時間を越える記録をもつ。


《スポーツ》
小学校から野球を行い、スポーツ推薦で高校に入学し、体育コースに在籍していた。小学校時代もソフトボールの全国大会に出場した実力の持ち主である。長年野球をしていたため、右手を右肩に付けることができない。本人曰く「この野球肘が唯一のコンプレックス」であるとする。握力は60近くあり、走力は100mを12秒台である。


《芸術》
楽譜が読めないため、耳を頼りに音感のみでピアノを覚えた。東京に来て、間もない頃友達がいなかったので、一週間何も食べず弾き続けた。また当時持っていたピアノでは鍵盤が足りず、足りない部分は想像力でカバーしていた。ギターも弾くことが出来る。日常という映画で、ケンドウコバヤシと共に、歌っている。 2006年に相方河本準一とJKとしてCDデビューを果たす。ケロロ軍曹の主題歌でハモリを河本、メロディを井上が担当する。CDの中には「この僕が」というソロ曲も挿入されている。

(出典:Wikipedia)

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河本準一

河本 準一(こうもと じゅんいち、1975年4月7日 - )は、吉本興業所属のお笑い芸人、作家、俳優。お笑いコンビ「次長課長」の主にボケ担当。(デビュー当時はツッコミ担当。しかし、相方井上聡が天然過ぎる為、今でもトークや一部のネタではツッコミを担当。)ファンから呼ばれているあだ名は「準ちゃん」。最近ではドラマへの出演もある。大阪NSC13期生。血液型AB型。


【プロフィール】
■生まれは愛知県名古屋市であるが、幼少期に岡山県津山市に、更にその後岡山市に転居していることから岡山県出身としている。

■1994年に井上、山下正人とトリオ「次長課長社長」を結成。だが、1年程で「社長」にあたる山下が脱退した為、コンビ「次長課長」に変更。

■本名は「こうもと」なのにもかかわらず、よく「かわもと」と間違えられる(同じくお笑い芸人のベイブルースに、河本(かわもと)が居たが彼とは血縁関係はない)。この苗字は関西から山陽地方に見られるものであり、「こうもと」は兵庫県播磨地方より岡山にかけて多い苗字である。

■デビュー当初はパーマをあてたりもしてよく見れば男前系だったが、今では10kg以上も太り、昔の面影はない。

■岡山から大阪に出てきた当時は何度も岡山に帰ることも考えたが、相方井上の存在が踏みとどまらせた。「自分がこの世界に引きずり込んで、あいつの人生を狂わしたのに、自分が帰ったらあいつはどうなる」と発言。

■2003年3月に、元大阪パフォーマンスドールの重元直美と結婚し、一児の父である。

■めちゃイケの恋のかま騒ぎのコーナーであだ名として屯田兵と言われていた。

■ダイナマイト関西でのキャッチフレーズは「お笑い慶応ボーイ」。


【特技・芸】
■ジャッキー・チェンの映画(ドランクモンキー 酔拳)の脇役のセリフ「お前に食わせるタンメンは無ぇ!」(実際に映画の中でそのセリフがあったわけではなく河本も最初はセリフなしでやっていたが、番組内でアドリブ的にこのセリフを加えてやったところウケが良かったのでその後も続けた。)を筆頭に、個性的な声と顔を生かしたマニアックな物真似が得意。とんねるずのみなさんのおかげでした「第2回細かすぎて伝わらないものまね王決定戦」(2004年放送)で準優勝。

■ものまねネタがきっかけでドラマ「タイガー&ドラゴン」に中国人留学生の役で出演した。(当初は出オチ的な役柄として起用されたが、好評だったため準レギュラーとなった)「タイガー&ドラゴン」の脚本を手がけた宮藤官九郎は初め劇団ひとりのつもりで脚本を書いていたが、ドラマプロデューサーの強い推薦で河本になったという話もある。

■またタンバリン芸も得意とする。下積み時代の19歳の頃、ホストクラブで働いていたことがあり、タンバリン芸はここで身につけた。ちなみにその店で3であったと力説するも、その店には4人しかホストがいなかったとのこと。

■音痴キャラ役でauのCMに出演したが,歌のレベルはかなり高い。以前の「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」(第2回)では3回戦で負けはしたものの、意外な歌声を見せた。審査員だった矢口真里は鳥肌が立ったとコメントした。(ちなみに彼はモーニング娘。が好きで、特に矢口の大ファン)その後、第3回大会で優勝した。

■歌のうまさは若手芸人の中でも随一と言われているらしく、2006年5月には相方と共にJKとして歌手デビューを果たした(オリコン初登場20位)。

■R-1ぐらんぷりに「河本センス準一」という名前で出場したことがある。一時期はピンでやったほうがいいと言われていたことがある程、確かな実力を持つ。

■コントのネタ作り等では井上が主導権を握り、河本は井上聡を尊敬している。その関係性を、河本自身は「三蔵法師(井上)の手の平の上で走り回っている孫悟空(河本)ですよ」と、表現している(正確には悟空を手のひらの上で操っているのは釈迦如来)。関係性としては、河本にとって井上は「隣にいても気にならない存在、彼女を通り越して、嫁」「旦那がやんちゃするのを抑える嫁が井上で、カカア天下。」とも。

■井上をこの世界に誘ったのは河本。東京行きを決めたのも河本。2005年10月31日放送の『めざましテレビ』の広人苑IIでは「ネタ作りの主導権は井上、人生の主導権は河本」と語る。ライブ等のコントでは、河本イチ押しのネタをひとつ入れるが、たいがいすべってしまうらしい。

■「ガキの使い」の「七変化」で、桂きん枝など得意のものまねをいかし、63000円(現1位)と好成績を残す。また、桂きん枝本人も登場し、爆笑を誘った。ちなみに松本人志は7回すべて払った。代表作である「タンメン」はあまり受けなかった。(松本のみ罰金)

■ものまねのレパートリーには井上ひさしがあるがこれは自身が出っ歯であるから出来る事である。(※ 井上は出っ歯がトレードマーク)また、コントでは永六輔の名を使うケースがあるが自身が所属する吉本興業では先輩芸人はもちろん、首脳ですらも苦手とする永をレパートリーに使う事は所属という点で勇気のある人物といえる。ちなみに同様の所属芸人はガレッジセールのゴリがいるが本土出身では自身が唯一である。


【交友関係】
■中川家の中川家礼二と仲がよく、よく飲みに行く。又、楽屋で次長課長と中川家が一緒になると、楽屋コントが始まる。(大体が礼二か河本が始める。剛と相方の井上はバーの客などの脇役をする。)

■ダウンタウンやくりぃむしちゅーなど、この他にも名だたる先輩芸人とも交流がある。また、品川庄司の品川やフットボールアワーの後藤を筆頭とする後輩も、ものすごい数がいる。(本人いわく二、三百人)

■人志松本のすべらない話では、「実姉がレズ」と言う話題で笑いを取った。番組の3回目で「姉レズ」の話題は封印したが、6回目の総集編でまた「姉がレズ」だということを話してしまう。

■小学校の同級生であるオダギリジョーとは家が近かったため仲良くなり、当時サッカーなどをして一緒に遊んでいた。しかし、オダギリが引越してからは交流がなく、ラジオで連絡が欲しいと募ったこともあった。オダギリジョー側もずっと関わらないスタンスでいたのだが、今では10日に1回メールをする仲らしい。ちなみに当時の河本のあだ名は河本のモトをとって「もっち」だった。

■SMAPの香取やインリン、爆笑問題の太田、工藤夕貴など芸能界でも河本の「タンメン」ファンは多い。


【ものまね】
■「ジャッキー・チェンの映画(ドランクモンキー 酔拳)に出てくる定食屋の店員」

■「お前に食わせるタンメンは無ぇ!」、 「そうは酢豚の天津丼だ!!」というフレーズでおなじみ。

■「戦争終結直後のラジオから流れてくるレポーターの声」

■サモ・ハン・キンポー

■「なかなか帰らない客にうんざりするバーのママ」

■「築地市場のマグロのセリのおじさん」

■「水木しげるの漫画に出てくるサラリーマン」

■「アリを食うオランウータン」

■「早朝のラジオの曲紹介」

■「居酒屋の店員」

■「電池の切れかけたラジオ」

■「罠に引っかかったイノシシ」

■「セルジオ越後」

■「ガンガン前に出てくる若手芸人の挨拶」

■「桂きん枝」

■「現場のリポーターについてくるディレクター」

■「スーパーマリオブラザーズをプレイ中に誰かがコンセントを引っ張った時」

など多数。


【エピソード】
■小学校から9年間サッカーをやっており、高校時代は国体の岡山県選抜メンバーに選ばれた。ちなみに、2年でキャプテンになった。

■高校2年秋に素人名人会という番組で敢闘賞を貰い吉本興業入りを決意。吉本興業の前はJリーガーになるのが夢だったがオファーは無かった。

■スポーツ万能。バク転もできる。よみうりテレビ番組土曜ドカンッ!でもその運動神経が目立っており、彼単独の体操のコーナーもあった。

■ヘルニア持ち。

■愛煙家であり、1日に煙草を2、3箱は吸う。

■ジェットコースターなどの絶叫系が大の苦手。

■名古屋→岡山→大阪→東京と、9年周期で移り住んでいる。

■母親の再婚により、父親が5人いる(内、実際に結婚したのは2人である)。

■奥さんにバレないように、アダルトビデオのタイトルを別なものにしてカバーしている。(例えば、フランダースの犬や北の国からなど)また「ダウンタウンDX」としたビデオを井上にも「これ見てみろ」と貸していた。

■小学生の頃、クラス内で「河本王国」を作り上げた。

■当時の河本は「小柄」「色が黒い」「足が速い」と三拍子揃っており、それがクラスでの人気につながっていたらしい。

■しかし、河本のクラスにオダギリジョーが転校してくると、一週間で「河本王国」は崩壊した。

■何回か相方井上を見て勃起したことがあるらしい(壁に手をついてシャワーを浴びているところを見た時など)。また井上にずっと「ちょっとだけでいいから肛門を押させてくれ」と言いつづけているらしい。

■矢口真里(モー娘。時代)のテレフォンカードを何千枚単位で集めていた。

■若手の頃、レギュラー松本康太とストリーク吉本峰之との3人で大阪のアパートに同居していた。その部屋には河本が持っていたエロビデオがたくさんあったが、河本はTSUTAYAで借りたそれらのビデオを返さずに東京に出て行ってしまった。(結局買い取るという形で解決したらしい)

■東京へ進出する際、松本の貯金箱の中身を全て持って行った。さらに硬貨の代わりにメダルを入れていたため、松本はしばらく気づかなかったという。

■河本著書の本「一人二役」は、相方の井上には不評である。(ギャラに差が出る為、世間の人達に買わないで欲しいらしい)

■チュートリアル徳井はライブで「奴の本は買わないでください」と客に呼びかけていた。

■『史上最強の人間ドックザ・快傑ドクター4!芸能人の寿命ぜーんぶ大宣告SP』(2005年12月23日放送)で余命12年と言われた。その理由となるべき原因は、過度の酒、煙草、暴飲暴食であるとされる。ちなみに好物はカツ丼。

■恋愛対象は、19〜57歳。

(出典:Wikipedia)

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次長課長

次長課長(じちょうかちょう)は、東京吉本興業所属のお笑いコンビである。略称次課長(じかちょう)。2人とも大阪NSC(吉本総合芸能学院)13期生。1994年4月結成。当初はトリオだったため、グループ名は「次長課長社長」であった。コンビ名の由来は2人がバイトしていた居酒屋で、社員だった次長さんと課長さんにお金をもらい、励まされたから。


【メンバー】
■河本準一(こうもと じゅんいち 1975年4月7日 - )
ボケ(トーク、一部のネタではツッコミ担当)。岡山県岡山市奉還町出身(生まれは愛知県名古屋市緑区有松町)。市立京山中学校、岡山県立東岡山工業高等学校卒業。身長162cm、血液型AB型。

■井上聡(いのうえ さとし 1976年2月2日 - )
ツッコミ(トーク、一部のネタではボケ担当)。岡山県岡山市奉還町出身(生まれは熊本県玉名市)。市立京山中学校、岡山学芸館高等学校(現・森教育学園岡山学芸館高校)卒業。身長175cm、血液型B型。


【経歴・概要】
《中学・高校時代》
■岡山市立京山中学時代に、野球部で知り合う。遅れて入部した河本が初めて練習に参加した日に、監督が部員にキャッチボールをするよう言ったにも関わらず、1人だけバットを持ってフルスイングしていた井上に話しかけ、一緒にキャッチボールをしたのが2人の出会いである。それからは毎日のように一緒に遊ぶ仲になる。

■2人はこの中学1年のときに出会って以来、今まで一回もケンカをしたことがない。

■幼馴染ということもあり、徹子の部屋では「二人は仲がいい」と評された。

■高校はそれぞれ違う高校に進学したため一時期疎遠となったが、高校2年生の時に河本が井上宅に遊びに行き再会。再び交流が深まる。

■河本は小学校から9年間サッカーをやっており、高校時代はチームのキャプテンを務め、国体の岡山県選抜メンバーにも選ばれた。夢はJリーガーだったが、高校2年秋に素人名人会という番組で敢闘賞を貰い吉本興業入りを決意。選抜に選ばれるほどの実力の持ち主だったが、Jリーグからのオファーは全く無かった。

■高校卒業後、井上は親戚が営んでいたガラスサッシの枠を作る会社に就職が決まりかけていた。しかし河本から「吉本に入ろう!ジャッキー・チェンに会えるで!!」と誘われ、そのまま現在に至る。井上を誘った理由は「友達の中で、井上が1番おもしろかったから」。


《大阪時代》
■2人はNSCに入学するため、18歳で地元岡山から大阪へ。

■NSCの面接試験の際に、河本は笑いに対する想いを熱く語って合格したが、井上は指されずに何も発言しなかったにもかかわらず受かってしまった。(NSCは黙って話を聞いていれば合格できるらしい。陣内智則談)

■1994年4月結成。NSC在学中は河本準一・井上聡・山下正人のトリオで「次長課長社長」だったが、わずか1年程で社長の山下が「岡山に帰ります」という置き手紙を残して居なくなってしまい、脱退してコンビとなった。

■社長(山下)は現在、東京の新宿で美容師をしている(実際に「カミングダウト」2005年3月22日放送分の中で判明)。そのため、2人は山下に髪を切ってもらいたいのだが、料金はきちんと取ると言われているので頼んでいない。しかし今でも交流は続いており、笑っていいとも!のテレフォンショッキングに初登場したときには電報を送ってくれたり、時々ルミネtheよしもとにネタを見に来るなど、誰よりも次長課長を応援している。

■NSCの同期には同事務所の野性爆弾、ブラックマヨネーズ、徳井義実(チュートリアル)、増田裕之(ルート33)、現在は俳優の三浦誠巳がいる。また吉本外に移籍した者では藤井宏和(飛石連休)、くわばたりえ(クワバタオハラ)、超新塾、諸岡立身、チャンス大城らがいる。この世代は「花の13期生」とも呼ばれる。

■ほぼ同期にはシャンプーハット、タカアンドトシなどがいる。また、半年後輩にはガレッジセール、フットボールアワー、1年先輩にはロンドンブーツ1号2号、DonDokoDon、ペナルティなどがいる。年齢が上である品川庄司(品川は3歳上で庄司は同学年)は1年後輩にあたる。

■河本は19歳の時、ホストの経験をした事がある。度々披露しているタンバリン芸は、このホスト時代に覚えたものである。また、働いていたホストクラブでNO.3だったと言い張っているが、実はその店にはホストが4人しかいなかった。

■1995年、心斎橋筋2丁目劇場よりデビュー。2丁目劇場閉鎖後は、1999年オープンしたbaseよしもとの主力メンバーとして活躍。単独ライブのタイトルに東京23区の区名をつけ、全23回開催。2002年9月23日の「中央次課長」をもって、本人達の意向によりbaseよしもとを卒業。

■卒業ライブでは407人というbaseよしもと観客動員記録を作る。(この記録は未だに破られていない。)ちなみにbaseよしもとの座席数は233席。

■東京23区ライブシリーズには、フットボールアワー、ストリーク、レギュラー(7区目〜)らが毎回出演していた。

■レギュラーの「気絶」ネタは次長課長が考えたものであり、松本康太は井上の家に半年間、河本の家に1年間居候していたことがある。

■河本が椎間板ヘルニアで入院した際、井上は師弟関係にあるケンドーコバヤシとコンビを組み、一緒に学園祭などの仕事を行っていた。ツッコミなしでボケにボケを重ねる形のネタを披露し、非常にウケて好評だったらしい。

■しかし、河本が退院した直後に行われた次長課長単独の復帰ライブはだだスベり。劇場の三階にある本屋のレジの「チーン」という音が聞こえるほどのスベりようで、劇場の伝説になっている。

■当初は井上がボケ・河本がツッコミだったが入れ替わった。舞台やネタ番組ではコントが主だが漫才をやることもある。さらにごく一部のネタでは今も井上がボケを行うネタがある。(井上がボケて河本にモノマネを振り、河本がモノマネを披露してからノリツッコミするもの)

■チャイルドマシーン(解散)が東京に行く際、カラオケで号泣しながら(シャ乱Qの上京物語)歌って彼らを送った。

■2001年に一度だけ、第1回M-1グランプリに出場したことがある。(2回戦敗退)


《東京進出後》
■2002年10月、東京進出。ルミネtheよしもとの舞台などに出演。

■東京ではしばらく芽が出なかったが、2004年頃からマニアックなものまねが注目され始めた。舞台やネタ番組ではロングコントも披露するが、その際も河本がマニアックなものまねや特異なキャラを使ってボケることが多い。

■2003年秋から、TBSの深夜番組「U-CDTV」でネタ見せのコーナー「お笑いCDTV」ライブが始まり、次長課長だけが毎月必ず出演。東京では珍しく、いくつかの代表的なネタが完全放送された。この番組をきっかけとして、次長課長が、東京のテレビ関係者に認知されはじめたらしい。(この時、マニアックモノマネの「Vシネマ」(当時のタイトルは「ヤクザのセックス」)なども完全に放送された。)TBSに関しては、「お笑いCDTV」終了後、同じスタッフが始めた「Goro's Bar」での東京初レギュラー出演につながり、さらに、「うたばん」出演や単独冠番組「次長課長のヨイショ!」などへとつながった

■マニアックなモノマネは、大阪時代、楽屋で中川家と一緒だったとき「こんな人おるな」という細かいモノマネを競い合ったことから生まれたもので、いわば中川家と共同開発したネタである。今でも中川家と同じ楽屋のときは、楽屋内4人で即興コントをすることが多い。

■河本のキャラで特に代表的なのは「とんねるずのみなさんのおかげでした」に出た際にジャッキー・チェンの映画に出てくる脇役の真似で「お前(オメェ)に食わせるタンメンはねぇ!」がよく知られている(初めて出た時は「お前に“食べさす”タンメンはねぇ!」であったが)。ちなみにこのフレーズは河本がアドリブで考えたもので、本当は「そうは酢豚の天津丼だ!」だった。

■伊東家の食卓に出演した時に相方・井上にしたタンメンは、井上に対する初めてのタンメンだった。

■あくまでコンビ名なのでどちらが次長でどちらが課長というわけではない。だが、ごくまれにバラエティ番組で「次長 河本」「課長 井上」という設定になることもある(タモリ倶楽部に出演した際には「吉本工業 Yoshimoto Industry」という名刺を出したことがある)。

■「めちゃイケ」内のコーナー『恋のかま騒ぎ』では次長子が河本、課長子が井上という設定である。

■ズバリ言うわよ!(2005年3月8日放送)で細木数子に「このコンビ名だと井上が貧乏になる」と指摘され、本気で改名をするか迷ったがとりあえず改名は拒否した。その後、逆に大ブレークが続いている。

■コントのネタ作り以外は、相方である井上をこの世界に誘ったのは河本。東京行きを決めたのも河本。ゆえに2005年10月31日放送の『めざましテレビ』の広人苑IIでは「ネタ作りの主導権は井上、人生の主導権は河本」と語る。

■2005年以前、TBS系列『さんまのSUPERからくりTV』の前説を担当していた。2005年12月18日、同番組にゲストとして初出演。長年続いている長寿番組だが、前説を行っていた芸人がゲストとして出演するのは初めてであった。

■井上は「マンスリーよしもと」が毎年恒例に行っている吉本男前ランキングで2006年度、2位に倍以上の得票差をつけてダントツの1位に輝いた(ルミネtheよしもとのお客さんに聞いた「抱かれたい芸人ランキング」でも初の1位を獲得。また「子供にしたい芸人」では7位)。河本は「吉本ブサイクランキング」の8位、「お父さんになってほしい芸人」3位にランクイン。

■2006年3月28日に放送された「祝!ズバリ言うわよ!細木数子誕生祭!2週連続2時間スペシャル第1夜!!」にて、井上が芸能界に入るきっかけとなった人物であり、河本も大ファンのジャッキー・チェンとの共演を果たした。井上は『プロジェクトA』のワンシーン「テーブルの上で歌う人のまね」、河本は「オメェに食わせるタンメンはねぇ!」をそれぞれジャッキー本人の前で披露した。

■「晴れる道 〜宇宙人(オメェら)に合わせる顔がねぇ!〜」でCDデビュー(2006年5月31日発売、R and C)。JK名義で出しており、テレビ東京系アニメ『ケロロ軍曹』の4代目オープニングテーマとして2006年4月〜9月に放送された。作詞も手がけており、プロデュースは小室哲哉である。

■大阪時代は必死で覚えた岡山訛りの関西弁で話していたが、東京進出後は標準語を使う事が多い。

■河本は井上に今年の誕生日プレゼントをあげるために、後輩等から「井上の今一番欲しいもの」を必死にリサーチしていた。そして楽屋で二人きりになった後、「じゃーん!」と盛り上げてからプレゼントをあげたらしい。ちなみに中身は「ゼルダの伝説」。(2007年4月10日のヤンピース!より)

■しかし当の井上は河本の誕生日に何もあげなかったらしく、「おめでとうくらい言ってくれても・・・・」と本人は嘆いていた。

■最近は河本はメタボリック症候群、井上はおバカキャラ(たまにド天然)としていじられることが多い。

(出典:Wikipedia)

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庄司智春

庄司智春(しょうじ ともはる、1976年1月1日 - )は、吉本興業所属のお笑い芸人。品川庄司のツッコミ担当であり、すぐ脱ぎたがる方。立ち位置は向かって右。相方は品川祐。身長176.2cm。東京都大田区蒲田出身。私立東京実業高等学校卒業。東京NSC第1期生。同期である品川祐と1995年にコンビ結成。


【人物・性格】
■ツッコミの技量は「勢いだけ」と批判される一方で、的確な間を計りキッパリとツッコミを入れる声には評価が高い。またココリコミラクルタイプや単独ライブでのコントなどでは自然で表情豊かな演技力を見せる。

■NSCに入る前はヤナセのサラリーマン。退社後は羽田空港で飛行機の清掃のアルバイトをしていたことがある。

■好きな服のブランドはBAL(旧balance wear design)。

■ヴィンテージジーンズなどの古着が好き。女性のファッションにも興味があり、付き合っている彼女のファッションセンスに我慢できずに庄司が彼女のトータルコーディネイトを行なったことがある。

■タンクトップを70枚以上所有している。

■世界で一番好きな食べ物はカレー。ただし辛い食べ物は嫌いなので辛口は食べられない。

■苦手なものはレーズンと酒(コロナ以外ほとんど呑めない)。

■東京生まれの東京育ちだが大の阪神ファンである。

■長渕剛を敬愛するが故にギターとハーモニカをマスター。その腕前はなかなかのものであり、2006年のコントライブで披露している。

■漫才やコントではツッコミ担当だが性格はやや天然ボケで、バラエティではボケ担当の相方にツッコまれる(又は呆れられる)場面もしばしば見受けられる。

■ネプリーグでは、歌詞の穴埋め問題で出題時に流された歌につられて答えの部分まで歌ってしまった事がある(別の問題に差し替えられた)。


【筋肉質】
■東京実業高等学校時代に野球と水泳をやっていたことから筋肉質だが、童顔のために顔とのバランスが合わないその身体はコンプレックスだった。

■自分の筋肉を鏡で見ながら「あー、コンプレックスだわ」とぼやき、品川が「本当にコンプレックスならそんなことするか?」と嫉妬したエピソードがある。

■駆け出しの頃「芸人のくせに筋肉質だと脱いだ時面白くない」「痛がったり熱がったりしてもウケない」と己の肉体を呪っていたが、相方の品川が「庄司の肉体を活かす」「むしろ筋肉質だからこそ面白い」と逆転の発想によるアドバイスを行い、現在のスタイルと人気を確立させた。

■「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の「ハイテンション ザ・ベストテン」では「平成のパピプペポ」で肉体美を披露し、遠藤章造の「ホホホイ」以来の傑作と評価された。以後度々ガキの使いでは平成のパピプペポを披露しており、「お笑い好きの引き篭もりを部屋から出す」という企画で「ホホホイ」と競演した。

■脱ぎ癖が発展して下ネタに走ることが稀にあるが、「庄司の下半身はいやらしくない」とは本人に加え品川も認めるところである(曰く「ギリシャ彫刻みたい」)。

■腕相撲が苦手でリンカーンや笑っていいとも!で山口智充、品川と腕相撲をした際は秒殺された。

■2006年7月のコントライブを前に約1ヶ月で10kg以上もの減量に成功。理由はそのコントの役作りの為、あるいは10月のスポーツマンNo.1決定戦出場の為といわれている。

■「クイズ!ヘキサゴンII」2006年8月30日放送分で「もし明日から自分の肉体がアンガールズの山根良顕になったら何円で納得できますか?」と言う質問に「1億円貰わないと納得できない」と答えていた。それだけ本人の筋肉を大事にしている結果とも取れる。

■社交ダンス番組「シャル・ウィ・ダンス?〜オールスター社交ダンス選手権〜」第1戦ではパートナー無視でダンス中に筋肉を露出したり肝心のステップはおぼつかない足取りで観客は爆笑、審査員には酷評され、出演者の南原清隆などには「お笑い要員」と言われてしまった。「これは笑わせているんじゃなくて、笑われている」と悔しがった。

■真剣に特訓を積んだ決勝戦のダンスは審査員にもおおむね好評で、審査員得点は5組中2位。最終的な総合成績は3位と健闘した。

■SPA!2006年男性読者が選ぶタレントランキング「男性が理想に思う体型」部門にて、新庄剛志に次いで二位にランクインした。

■ビリーズブートキャンプにはまっている。


【家族】
■実家は、スチュワーデスが物を取るときに使う台のバネを作る町工場を経営。

■長らく漫才等でも「ここ笑うところじゃないですよ!」とネタにしてきたが、実際は実家で「スチュワーデスが物を取るときに使う台」の設計図を見た事があるだけである。(更に「バネ」は笑いをとるために品川が加えた捏造であることをアンタッチャブルのラジオで暴露した。)

■今は、副業としてスナックを経営している。

■実家に住んでいた頃は屋上の上に設置されていたプレハブ小屋を自室としていた。

■しかし番組企画で違法建築だったという事が発覚し(そのせいで雨漏りなどが起きていた上、屋上の床が沈んできていることが発覚した)、思い出諸ともプレハブ小屋は破壊された。

■両親は自身初めての冠番組「品庄内閣」(TBS)に度々登場し、素晴らしいキャラクターを発揮した。

■「笑っていいとも!増刊号」でも実家ロケなどで家族が何回か登場。05年11月23日の放送で父親が「ちょい不良コンテスト」に出て優勝した。推薦者は母親。

(出典:Wikipedia)

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品川祐

品川祐(しながわ ひろし、本名:片岡祐 、1972年4月26日 - )は、吉本興業所属のお笑い芸人。品川庄司の短髪(坊主のときもある)の方。ボケ担当。立ち位置は向かって左。相方は庄司智春。173.6cm(「ぷっ」すまで測定)。A型。


【家系】
母親は、美容家で国際魅力学会会長のマダム路子(品川路子)。父親は、山野グループの株式会社ヤマノ代表取締役社長山野凱章(2007年3月10日死去、享年68歳)。祖母は、山野愛子。美容家山野愛子ジェーンは従姉。まだ幼いころに両親が離婚し、母親に引き取られたために父とちゃんと会ったのは高校入学時。その後もほとんど会う事は無かった。しかし、山野凱章は品川に内緒で舞台を見に来るなどしていた。長姉はヘアスタイリスト。次姉はシナリオライター・エッセイスト。兄は映像プロデューサー。祐は次男で末っ子。

2007年3月、母のマダム路子が俳優の片岡五郎と再婚。実際は祐が中学生時代から片岡が父親がわりであったとブログで公表している。


【プロフィール】
■東京都渋谷区出身。

■渋谷区出身とあるが、サイト等によっては大田区出身となっている。

■子供時代は渋谷区で国語が2位である程頭が良かった。

■志学館中学校(現志学館中等部)在学中、不良漫画に憧れ公立である狛江市立第三中学校に転学。東京都立足立西高等学校中退。

■高校時代はグレて非行に走った、とテレビ番組で暴露している。

■番組中で「姉の腹部を蹴る」「何回も警察の少年課に世話になった」などの逸話を披露した。

■高校中退後、フリーターとなる。

■東京都生まれの東京都育ちだが、長いフリーター時代に広島に1年間住む。この1年は「空白の1年」と呼ばれ謎が多いとされる。

■その後、23歳で東京吉本総合芸能学院(東京NSC)に入る。同校第1期生である。同期の庄司智春と1995年にコンビ結成。

■NSC時代、庄司とコンビを組む前は「ツープラトン」というコンビを組んでいた。

■カラオケパブの司会をやっていたことがある。

■アルバイトで東京都庁の床を張り替えたことがある。


【特徴】
■ボケの特徴は、多彩な人格を演じ分ける点と、同じ台詞をとにかくしつこく繰り返す「ウザさ」である。

■「島田検定SUPER!!」にて、PQ(創造性)指数で全問正解で最高得点を獲得するほど知恵がある。

■知恵だけでなく雑学なども熱心に勉強しているためクイズ番組に出演する機会も多いが、披露した薀蓄を伊集院光に訂正されることもあり、知識のほうは案外浅学と思われる。

■1$=365円←360円

■森(自然)、林(天然)←人工 など

■芸人の世界に足を踏み入れたのが23歳と遅かったため、自分より年下の先輩が多い(陣内智則・たむらけんじ・田村淳・次長課長など)。

■インパルス・山里亮太(南海キャンディーズ)・家城啓之(カリカ)など、交友関係は派閥に関係なく幅広い。

■美少年好きでSMAPのコンサートに一人で行ったりしている(といってもこれはネタの一つであり、真意は不明)

■レギュラーや準レギュラーなど、常連として出演しているほとんどの番組で、SMAPのコンサートの木村のパートで雨が降った時のエピソードを披露し、オンエアされている。

■かなり几帳面で、何でも自分でやらないと気がすまない性格。

■相方の庄司以上に長く連れ添っている妻がいるが、炊事掃除洗濯などほぼ全ての家事は品川が行っているという。

■とても涙もろい。M-1グランプリ決勝進出の知らせを今田耕司に電話で伝えた際、今田の温かい言葉に感動し「ありがとうございます」と言いながら大号泣した。

■ダウンタウン松本人志に認められる程のドM。

■「ガキの使い」の人気企画「七変化」に自ら名乗りをあげた。最初の3つ目までは良い調子だったが(その時点で11000円)、結果は12000円と不本意な成績に終わった。品川は「4つ目が終わったあたりから心が折れてました」とコメント。

■「リンカーン」でプライベートを探るドッキリの企画において、素の性格の悪さが露呈した。

■仕掛け人のタクシー運転手に終始無愛想な態度をとり、「品川さんですよね?」と聞かれて「(自分よりも後輩である)レギュラーの西川です」と平然と嘘で返し、「持ちネタやってください」と頼まれるとあるある探検隊を披露。更にガムパッチンやオナラの悪戯をされた時にも運転手を睨みつけたりした。

■マネージャーに「ピンで映画『少林サッカー』に出演するか、コンビで深夜の冠番組を持つか、どちらにする?」と迫られた際、「映画でしょ」と即答した。更に「冠番組のオファーがあったことは庄司は知らないほうが幸せ」「庄司が冠やりたいとか言って映画がなくなるのはやめてね」と笑顔で念を押した。

■ロンドンハーツの格付けコーナーで、キャバ嬢から「カモにできそうな芸人」のアンケートを取ったところ、品川は最も「カモにできなそうな芸人」であった。理由は「奥さんを大事にしてそうだから」や、「口が達者なので逆にカモられそう」というものであった。

■「品川です!」と言いながら右目の前に右手で作った横向きのVサイン(掌側を相手にむける)をあてるポーズをツカミのギャグにしている。一時期封印していたが、最近復活した。

■山手線の品川駅に到着するアナウンス「次は品川、品川です」の「品川です」にあわせてその物まねをした人がいることをテツandトモは「なんでだろう」のネタにした。

■相方の庄司が筋肉キャラを確立してから自分もジムに通い始め、最近は引き締まった体型に(以前は自分のたるんだ身体と庄司の身体のコントラストで笑いをとっていた)。

■SPA!2006年男性読者が選ぶタレントランキングで、「意外と頭が良さそうなタレント」に5位、「インターネット(での評価)を気にしていそうなタレント」で1位にランクインしているという。

■後者は、爆笑問題の検索ちゃんで暴露した、後輩芸人に「品川って面白いよね」と2ちゃんねるに書き込ませていたエピソードの影響が大きい。現在はむしろ自分の悪口を見て傷付くことを恐れ、一切見ないようにしている。


■土田晃之とは普段から仲が良いのか雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!等でなぜか同氏と共演する機会が多い。また、品川は(自称)吉本芸人屈指のアニメオタクでもあり、アメトーークでの「ガンダム芸人」に名を連ねたり、また他局の番組内にて「(前略)オラに力を分けてくれ!」という様なアニメのセリフを突然発していたこともある。ただ、ガンダム芸人としてアメトークに参加した際には、ガンダムの有名な固有名詞である「黒い3連星」を「黒い3連戦」と連呼したり、黒いザクのプラモデルをドムと言ったり、自分の記憶に強く残っていると紹介したシーンの登場キャラの名前を間違えたりと、実際にはガンダム芸人と呼ぶには無理がある程度の知識しか保有していない。他にもいくつかの分野で○○芸人として登場しているが、それらに関するトークも有名なエピソードや曖昧な知識で語ることが多い。

■「笑っていいとも!」では、久本雅美に顔立ちから見て「ジャガイモ」や「おはぎ」、「ゴマ団子」と呼ばれたことがある。

■逃走中では脚力を生かし最後まで逃げ切りみごと60万円を獲得した。
TBSの番組「DOORS」で2006年優勝している。極度の高所恐怖症ということが伺えながら最後の決勝では驚異的集中力を発揮した(本人は早くこの場から去りたかった)。

■次長課長・河本と特に親しく、親友とよべる間柄である。

■禁煙に成功した。(「禁煙セラピー」著:アレン・カー 訳:阪本章子 /2007年2月20日発行)より。品川はこの本のブック・カバーのコメントを記載しており、「ボクは1日4箱タバコを吸っていました。絶対やめられないと思っていたけど、読んだら本当にやめられた。不思議だけど、やめられますよ、これ!!」と書いている。

(出典:Wikipedia)

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品川庄司

品川庄司(しながわしょうじ)はお笑いコンビ。吉本興業東京本部所属。通称品庄(しなしょう)。

M-1グランプリ2005ファイナリスト。4位。


【メンバー】
■品川祐(しながわ ひろし、1972年4月26日 - )ボケ担当。身長173cm。立ち位置は向かって左。母親は、美容家で国際魅力学会会長のマダム路子である。

■庄司智春(しょうじ ともはる、1976年1月1日 - )ツッコミ担当。身長176cm。立ち位置は向かって右。実家は大森でネジ工場を営んでいる。


【コンビについて】
■2人共に東京吉本総合学院(東京NSC)の第1期生であり、1000人ほどいたNSC第一期生で現在も吉本興業で活動しているのは品庄だけである(他事務所では東京ダイナマイトのハチミツ二郎、ルーシーの穴井一久も東京NSC1期生)。1995年コンビ結成。品川はロンドンブーツ1号2号の田村淳より1学年上だが、芸暦としては淳よりも1年後輩であるため、淳に「品川」と呼び捨てで呼ばれている。

■当初のコンビ名候補は「ミサイル」「オレンジジュース」などで一時そのコンビ名で活動していたこともあるがいまひとつだったため、現在はNSCで仮に決めた「品川庄司」に戻して活動している。

■「品川庄司」という語感から、ピン芸人あるいは会社名(品川商事)と誤解されることもある。

■本格的なしゃべくり漫才からコントまで、幅広いジャンルをこなす。ネタの台本のほとんどを品川が作成している。

■以前、庄司に漫才ネタを書いて貰ったところ、二人でやるネタなのに登場人物が三人になっていた為、その後はすべて品川が台本を書くようになった。

■役割としては、品川がボケで庄司がツッコミだが、上記の通り庄司が天然ボケなので、フリートークでは役割が逆転する。

■コンビ仲の悪さをよくネタにしており「楽屋では全く喋らないほど仲がギクシャクしている」などと自称している。実際にラジオで生放送中にマジ喧嘩をしたことがある。

■「爆笑オンエアバトル」では第3回チャンピオン大会に出場。ボール2個差でルート33がチャンピオンを防衛し惜しくもチャンピオンを逃す。セミファイナルでは501KBを獲得しており、これが彼らにとって唯一のオーバー500である。 

■2000年代のお笑いブームの少し前に売れてしまった為、「自分達はお笑いブームに上手く乗れていない」と自虐的に(僻み雑じりに)発言する事がある。だが、ひな壇芸人として活躍しており、ゲスト出演も多い。そのため、決して勢いだけではなく、お笑いブームの中で安定したポジションを選んだといえる。

■2005年、「M-1グランプリ」決勝戦にラストチャンスの10年目で初めて進出。ネタを島田洋七に「番組が盛り上がる」、島田紳助からは、「10年目だけあって稽古量が伝わってきて感動した。」と言われるが、結局最終決戦には進出できず4位に終わった。

■M-1グランプリ2001には不参加だったが、「2002」には参戦。M-1は売れていない若手漫才師のプロモーション的側面が大きいことから、島田紳助からは「あれだけ売れてるのに参加するとは偉い」と言われた(結果は準決勝で敗退)。「2003」には不参加。「2004」には再度参戦したがまたも準決勝で敗退している。

■2006年8月28日放送の「東京フレンドパーク」2に出場。全種目劇的な展開となり(例:対ホンジャマカのハイパーホッケーでは2対6の絶望的な状況から7対6で逆転勝利)、全5種目中4種目をクリアし金貨5枚を獲得。知力・体力・コンビネーションの良さを見せた。しかしながら最後のビッグチャレンジでは、ハズレアイテムであるたわしを4つ(内3つは景品と景品との間の小さな枠)立て続けに獲得するというある意味快挙を達成。

■2007年2月の「笑っていいとも!」で「こんにゃくゼリーを使って超ラブラブ体験」の企画で梨花が庄司の口元にこんにゃくゼリーを近づけていたところに割り込んで品川がキスをしたことがネット上で話題になった。庄司は全くそれに気づかず「すっげえ柔らかい」と興奮していた。

(出典:Wikipedia)

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平畠啓史

平畠 啓史(ひらはた けいじ、1968年8月14日 - )は、大阪府高槻市出身のお笑いタレント、放送作家。お笑いコンビ「DonDokoDon」のツッコミ担当。相方は山口智充。関西大学経済学部卒業。血液型はA型。


【エピソード】
■ニックネームについては、「平ちゃん」が一般的であるが、「ヒゲ」「ひらはな」(主によゐこが使用)「野良はた」など色々。

■実家は毛糸屋。母親のことを「お嬢」と呼ぶ。

■同じ職場(宝塚ファミリーランド)で相方の山口と出会い、コンビを結成する。

■相方に比べ地味な印象が強いが、それも彼の持ち味のひとつである。多芸な山口にオファーが殺到するのと比例してコンビとしての活動は少なくなっているが、平畠も単独で複数のレギュラー番組に出演している。

■「アメトーーク 」に出演した際に進行役の宮迫博之にその影の薄さをネタにされた。

■現在MCとして出演している地上波テレビのレギュラーは、テレビ静岡(フジテレビ系列)の「くさデカ」(静岡県内のグルメ情報番組)のみだが、このテレビによって、静岡県内の平畠の知名度は他地域に比べ、かなり高い。

■全国ネット水10ワンナイR&R(フジテレビ系)でもチョイ役が多く、特に芸能レポーター役が多かった。(レポーター役はしっかりした演技であると一部では好評)。出番は少ないが、深夜時代のキャラクターである「病人」の人気はゴールデンになってからも健在だった。「1年間全く出演が無く本来平畠の役割であったレポーターも他の出演者が演じているため実はもう降板しているのではないか。」と思われていたが、2006年9月20日放送の同番組のスペシャルに久々に出演。ゲストである明石家さんまを殺害する役を好演した。また、そのコントの中で「スケジュールで『ワンナイ(仮)』ってなってるけど、フジテレビの警備員に止められてしまい、全然収録に参加していない!!」という裏事情を暴露していた。

■しかし、地味な彼の人気は決して無い訳ではない。その証拠に、ダジャレやノリツッコミ、きっちりした間合いといった、芸人の基礎体力ともいえる技を兼ね備えたトークには定評がある。

■特技はサッカーで、大阪府立阿武野高等学校在学中にサッカー部の主将としてチームを全国大会に導くという輝かしい過去を持っているが、決してそれを広く吹聴していない(近畿の一部ではそのブンデスリーガー級の実力で「浪速のマラドーナ」と呼ばれていたらしい[要出典])。Jリーグのテレビ中継で実況(解説?)をしたこともある。また、リフティングテクニックは芸能界No.1の噂がある[要出典]。

■海外サッカーにも造詣が深く、「Foot!」(J SPORTS)にゲスト出演した際、初回放送はできる限り自宅で見る、番組のTシャツをインターネットで購入したことなどを告白。現在、同局で「バルサTV "Historia"」(FCバルセロナの過去の試合を紹介する番組)でコメンテーター(解説者との対談)を務めている。

■また、出演番組の関係で静岡のテレビ局のサッカー中継で実況・解説することが多々ある。また、全国ネットの番組によればJ2とレッズにはかなり詳しいらしい。さらに、まちゃまちゃ、森三中などの女性芸人率いるフットサルチーム「よしもとマラティニーコ」の監督(当初はペナルティのヒデ)も務めている。

■パチンコ、パチスロも趣味としており、遠征も頻繁に行っている。またその豊富な知識を生かし、ラジオ番組「ゴリラのつぼ」(RFラジオ日本)メインパーソナリティを務めた。また、某パチンコ雑誌には彼をモデルにした漫画が本人の承諾なしで勝手に連載されているとか。

■近くにほっしゃん。が住んでいるので、2005年から正月に一緒に初詣に行っている。年々お祈りの時間が長くなっているらしい。

■後輩芸人の小笠原まさやに「(非合法)ギャンブルは破滅への片道切符」「演者から転職をした方がいい」と言われる。ちなみに向いている職業は「女性を束ねて使う職業」とのこと。また、芸人以外に転職すれば一代で財産を使い切れない程の大富豪になる可能性があり、将来的には結婚するらしい。

■女の子にモテると居心地が悪そうになる。


【その他仕事】
■フジテレビで2004年12月28日に放送されたrun for money 逃走中では、「芸能人としてのオーラの無さ(もしくは一切出さない)」という、番組内でのナレーターの言葉が見事に作用して60万円を獲得した。この時、金子貴俊や、ゴルゴ松本(TIM)、共に獲得した岡田義徳を除くゲストに逃げ切れたことを忘れられていた。

■ラジオ番組「松本人志・高須光聖の放送室」の「カプリチョーザ杯」という企画(芸人に電話をかけて、あらかじめ伝えておいた「乗り物」「国名」などのジャンルのお題をダジャレで盛り込みつつフリートークをし、一番を決める)では、第三回チャンピオン(平畠の指定したジャンルは「国名」)になり、4回のチャンプが戦った「グランドチャンピオン大会」でも見事優勝する。わりと、期待されてない芸人が意外な健闘をすることが多い大会であるが、平畠もまたイメージを大きく覆す実力を見せ、松本たちを驚かせた。

■2004年の大河ドラマ「新選組!」では、山口と共演を果たす。役所が葛山武八郎の為、切腹してすぐに消えてしまうが、ストーリー上は一つの契機となるエピソードであり、彼独特の地味な雰囲気を生かした印象的な演技を見せた。ちなみに切腹後に偶然テレビ番組から数日ほど登場しなくなったために、本当に切腹したのかと言われてしまうことになる。

■2006年1月18日に発売された声優水樹奈々のプロモーションビデオ「NANA CLIPS 3」に収録される「ミラクル☆フライト」のPVに、インターネットラジオおしゃべりやってまーす<おしゃ火>の繋がりから特別出演をしている。

(出典:Wikipedia)

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DonDokoDon

DonDokoDon(ドンドコドン)は、山口智充と平畠啓史の2人からなるお笑いコンビである。吉本興業所属。略称「ドンドコ」。


【メンバー】
■平畠啓史(1968年8月14日生まれ、血液型A型) - ツッコミ担当

■山口智充(1969年3月14日生まれ、血液型O型) - ボケ担当

山口智充はものまねタレントとして、平畠啓史はおおよそ芸能人とは思えない地味なキャラクターで知られる。コンビで行なう漫才の形式も、山口のモノマネを活かしたネタが特徴。


【来歴】
1994年にコンビ結成。2人は吉本興業所属となる前からの知り合いであり、かつては共に宝塚ファミリーランドに勤めていた。ここで山口はイベントの司会業を、平畠はイベントの音響を担当していた。

25〜6歳で吉本興業に入ったため、雨上がり決死隊の宮迫博之・ナインティナイン・ココリコ・陣内智則など年下の先輩が多い。同期には、ロンドンブーツ1号2号・ペナルティなどがいる。

主な賞歴としては、NHK『爆笑オンエアバトル』の初代チャンピオン。また2001年の第1回「M-1グランプリ」ファイナリストでもある。


【現在の活動】
長らくコンビでの活動を行っていない。「リンカーン」や「史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ」など、他の出演者がコンビで出演する番組でも、山口のみが単独で出演している。また、TVガイドの2007年度タレント名鑑や、ライブイベント「LIVE STAND 07」では、コンビとしてではなく別々に表記されている。それぞれが単独で出演する際には、平畠は「DonDokoDon平畠」とコンビ名を併記して紹介されることが多い。

コンビ活動休止の理由は不明。平畠が「ますだおかだのオールナイトニッポン」に出演した際には、平畠側からの働きかけによるものと語った事がある。またナインティナインは「ナインティナインのオールナイトニッポン」において、「仲の良くないコンビ」という個人的な見解を示している。

長年レギュラーを務めた「ワンナイ」の打ち上げパーティーでは、数年振りに二人が並んで挨拶する場面があったが、山口は素で立ち位置を間違えてしまい、雨上がり決死隊などに突っ込まれてしまう。(ラジオ「雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!」より)珍しいツーショットに、出演者やスタッフが一斉に記念の写メールを撮ったという。

(出典:Wikipedia)

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山口智充

山口 智充(やまぐち ともみつ、1969年3月14日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、歌手。大阪府四條畷市出身。大阪府立四條畷北高等学校卒業。吉本興業所属。「ぐっさん」の愛称で親しまれている。身長175cm。血液型O型。既婚。本来は平畠啓史とのお笑いコンビ「DonDokoDon」のボケを担当するも現在は単独での仕事が多く、俳優、歌手、司会など幅広い分野で活躍している。


【経歴】
■高校時代に友人とコンビを組んでコントのような事をしていた。芸能活動を始める前はマツヤデンキで営業担当として働き、優良社員賞を受賞するほど優秀な社員だった。ミュージシャンを目指す為に退職。その後、宝塚ファミリーランドで働いている時に相方の平畠と知り合い、お笑いの道へ進む。

■全国区の知名度を得たのは『明石家マンション物語』(フジテレビ系列)である。同番組内では芸達者なラテン歌手「ガルシア」というキャラクターで登場。その多芸ぶりが好評を博す。以後、バラエティ番組を中心に活躍するようになった。

■吉本の芸人としては珍しく、声帯模写や効果音など多彩なものまねを得意とする(後述)。

■かつてはミュージシャン志望だっただけあって、その歌唱力は非常に高い。また、ギター演奏もこなす。宮迫博之(雨上がり決死隊)とのデュオ「くず」として音楽活動(作詞・作曲を担当)も行っている。くずの楽曲中では演奏面でも「ギターを弾きながらハーモニカを吹き、同時に足の先に括り付けた鈴を鳴らす」という器用さを見せている。また、大阪府四條畷市の小学校(山口本人の母校が統合した先の小学校)の校歌を作詞・作曲を担当したことがある。他にも演歌歌手に楽曲を提供したり、『いただきマッスル!』(中京テレビ制作・日本テレビ系列) の挿入歌を作詞・作曲したりしている。なお、現在は日本テレビ系列の音楽バラエティ番組『MusiG』において自身のボーカル、佐野元春の作詞・作曲、山本耕史のギターによる「The Whey-hey-hey Brothers」として1枚のシングルを出した。


【人物】
■プロレスラーのようながっしりとした体型をしており、周囲からは「芸人の身体じゃない」と言われる程だが、格闘技を本格的にやったことは無い。久本雅美にその肉体形成の不可思議さをネタにされ、「ラグビーをしたことがないラガーマン」と表現されたこともある。自称:ナチュラル・ボーン・マッスル。

■腕力はかなり強く、特に左腕を用いた腕相撲は「黄金の左腕」と言われ、今まで誰にも負けたことがないという(自衛隊員にも勝ったことがあると本人談)。リンカーンにおいて出演者全員を相手にその力を披露し、連続20人斬りを達成していた。(ダウンタウン・さまぁ〜ず・雨上がり決死隊・品川庄司・FUJIWARA・おぎやはぎ・バナナマン・フットボールアワー・スピードワゴン・中川家の20人だが、そのうち礼二・品川・原西・宮迫・松本はかなり粘らせて負かした)

■味覚が鈍感らしく彼の舌には「美味しい」と「すごく美味しい」の二通りしかないということである。宮迫によれば「ぐっさんにとっては高級蒸しアワビも牛丼もおいしさは一緒」。リンカーンにて高級食材を使って作った中華料理で4品作り、2品のスープは山口は味見して「旨い」と言ったが、試食したダウンタウン、さまぁ〜ず、雨上がり決死隊からはマズいと評された。ちなみに他の2品はとても旨く作れたらしく、ウド鈴木に大絶賛された。

■笑っていいとも!の「スポンサーはあなた!」のコーナーでは抜群のバランス感覚を見せた。「人差し指に傘を乗せたまま維持」「両手の指にハンガーの柄の部分をかけて回し続ける」、「お好み焼きのヘラでピンポン玉を弾き続ける」等のゲームで、ほとんどその場を動かないという余裕をもって成功している。

■『ぐっさん家〜THE GOODSUN HOUSE〜』(東海テレビ)の番組企画として名古屋の平針運転免許試験場にて大型自動二輪免許を取得。

■テレビ番組で度を越えた下品なものまねを披露し、一時干されそうになったことがある。

■「四角い物フェチ」である。角張った感触と、物がスッポリ収まる感覚(「スフォ感」と形容)がたまらないとのこと。『アメトーク』に出演した際には、四角いものに囲まれ終始興奮していた。中でも最も気に入っている四角いものは「天突き(ところてん切り器)」で、四角いところてんを四角い天突きに入れ、四角い棒で押すと四角がたくさん並んだ網から四角いところてんがたくさん出てくるからのこと。

■習字や絵画なども趣味で行っており、バラエティー番組やCMなどでその腕を披露している。

■芸人には珍しく、大の愛妻家で子煩悩。松本人志からは「ぐっさんだけはホンマに真面目や」と感心されている。

■野外のロケに出ると雨天となることが多く、自他共に認める雨男である。リンカーンの特番の沖縄ロケではロケをした時期としては珍しく大雨となってしまった様子で、浜田雅功に「テンション上げたら雨が酷くなるからテンション上げんな!」と言われていた。


【ものまねレパートリー】
小学生の頃からの特技である物真似のレパートリーは、形態模写や声帯模写など100を超える。特にマニアックな暑苦しい系統のキャラクターのネタを武器にしている。

哀川翔
渥美清
大友康平
デーモン小暮閣下
木之元亮
佐野元春
桂銀淑
吉川晃司
桑田佳祐
西城秀樹
吉幾三
滝口順平
松方弘樹
納谷悟朗(アニメ『ルパン三世』の銭形警部)
東野幸治
藤本義一
美空ひばり
南方英二
矢沢永吉
やしきたかじん
矢部浩之(ナインティナイン)
柳沢慎吾
力也
トンビ
ヒグラシ
セキセイインコ
打ち上げ花火
野毛山動物園のライオン
音飛びするCD
遠くから聞こえる祭の音
ハリウッド映画でよく見かけるワンシーン
『トムとジェリー』に出てくる悪者(犬)の顔
ワイドショーの行列リポート (早回し)
放課後に聴こえるブラスバンド部の音
昭和のラジオ
ハリウッドスターのインタビュー
バラエティー番組のCM前のカメラワーク
グッチ裕三のコーラスの雰囲気
Mr.ビーンのクンニ
チョコボール向井
など


【エピソード】
■ギャグ路線からシリアスまで様々なものまね芸を持っているが、かつてテレビ番組の本番中に大失敗をしたことがある。『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦』(フジテレビ系列)においてデーモン小暮閣下のものまねをした際、歌い出しのタイミングを間違えフライングをしてしまった。その時はものまねをされた本人として登場した閣下に軽く突っ込まれていたが、後にこの出来事は『ものまね紅白』のエポックメイキング的出来事になった。

■『新選組!』(NHK)の劇中、芹沢鴨がオウムに馬鹿にされるというシーンにおいて、オウムに台詞を覚えさせる調教が撮影に間に合わず、スタッフは急遽山口にオウムの吹き替えを依頼。山口は見事にオウムを演じ切り、このシーンは無事放送された。

■2006年7月16日に放送された『FNS26時間テレビ』内の『笑っていいとも!』増刊号生放送スペシャルで、小学生女子300人に聞く好きな男性レギュラーランキングで1位になった。その理由として「歌う姿にキュンときます」などがあった。

■大阪府四條畷市の小学校の校歌の作詞・作曲は、母校が統合したために新校歌を作らなければならず、友人が山口本人に頼んだことで実現した。小学校には直筆の歌詞表が飾られた。しかし、書き間違えたのか、紙で貼って上書きされたような形跡があったことをちちんぷいぷい(毎日放送)でハイヒール・リンゴに指摘された。

(出典:Wikipedia)

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宮川大輔

宮川 大輔(みやがわ だいすけ、1972年9月16日 - )は、吉本興業所属のお笑いタレント、俳優。京都府京都市出身。吉本興業所属。身長169cm(「channel a」の番組内での測定より)、血液型B型。京都西高等学校(現・京都外大西高等学校)卒業。既婚。


【略歴】
■1991年3月に星田英利(現・ほっしゃん。)とチュパチャップスを結成。同年より吉本興業の若手6組によるグループ「吉本印天然素材」に参加。

■25歳で結婚。

■1999年にコンビ解散。解散後も元相方・ほっしゃん。とは舞台やテレビで共演をしている。

■大阪NSC9期生でナインティナインとは同期である。

■現在はルミネtheよしもとの吉本新喜劇など舞台に出演している。

■『やりすぎコージー・土曜婦人』のルミネの楽屋隠し撮りコーナーで、後輩芸人をハンガーで吊るし、プロレス技をかけまくるという相当なSぶりを隠し撮られている。

■父親が桑原征平(元関西テレビアナウンサー)の同級生。父親は喫茶店を経営していた。『人志松本のすべらない話』シリーズでは、得意の擬音やアクションを巧みに利用し父親の話など多数すべらない話を披露している。

■事務所の先輩である宮川大助・花子の宮川大助とは同音異字である。しかし、『爆笑問題の検索ちゃん』に出演した際には、太田光に「宮川大助・花子さん」と呼ばれる。

■母校が甲子園に出た際応援団だった彼は、NHKのアナウンサーにインタビューされ、お名前はと聞かれて「宮川大輔です」と真面目に答えたら、「ふざけないで下さい」と突っ込まれた経験あり。

■2002年1月1日に放送されたドラマ『救命病棟24時 新春スペシャル』に、記者の一人として出演している。

■2006年の年明けにテレビ東京系で放送された『2006年最も売れる吉本NO.1伝説』にて、占い芸人小笠原まさやによる占いで「2006年最も売れる芸人1位」に選ばれた。

■最近はメガネをかけることが多い。

■黒縁セルフレームでレンズが大きく、若干ゴーグルのような形をしている。これはレーシックで近眼治療をした千原ジュニアの愛用眼鏡を貰ったもの。ちなみに、なんでんかんでんフーズの川原ひろし社長も同型の眼鏡をプライベートで愛用している。

■2006年秋、『けっこう仮面ロワイヤル』の悪役・桑江手蕪朗(くわえてかぶろう)のオファーが来た際、一度は承諾したものの、周囲から猛烈に反対された為、断った。


【人物】
■自他共に認めるドSで、元ナメリカの安住をよく殴っている。また、ゲイではないが、男性の体を衝動的に触りたくなる時があるらしく、元相方のほっしゃん。とネタ作りをしてきた時に、ほっしゃん。の家に泊まることになり一緒に寝ていたところ、寝ているほっしゃん。の顔を見て「こいつ、がんばっとんなぁ」と思い、ほっしゃん。にキスをした。また、憧れの先輩だった宮迫(雨上がり決死隊)と吉本印天然素材で一緒に活動することになり、仲良くなって家に誘われ、初めて宮迫の家に泊まったときに、隣で寝ている宮迫を見て「これが、宮迫さんかぁ」と思い、たまらなくなり局部を触ってしまった事がある(その時宮迫はまだ起きていて、気づいていたらしい)。宮迫の影響を強く受けており、後輩を殴ったり激しく罵倒したりとその手の話題には事欠かない。また、後輩とお風呂に行き、後輩の肛門に激しく指を突っ込み、その臭いをかがせるという事もする。2007年5月3日に放送された『アメトーーク』では、その加減の知らない暴力を暴露され、挙句果てには「バイオレンス芸人」とまで言われた。ダウンタウンの松本人志は、「自分が誰かの後輩として生まれて来ても上手くやってると思うが"大輔の後輩にだけはならんで良かった"」と言っている。

■元ボーイスカウトでアメトーークではその経験を生かし、ボーイスカウト芸人を企画。また、無類のパチンコ狂で、ケンドーコバヤシによれば仙台に営業に行った際、繁華街でかつて自分のお気に入りだった台の、のぼりをたてたパチンコ屋を見て、まだあったのかと絶句した事があるらしい。


【擬音師匠】
■あるエピソードに「擬音」をつけて話すのが宮川の特徴だが、その擬音の当て方と発音、しゃべり方の独特のセンスでいつしか「擬音師匠」と呼ばれるようになり、宮川の展開する話は「擬音話(ぎおんばなし)」と言われている。

■「やりすぎコージー」にて「擬音師匠」として数々のシチュエーションにて秀逸な擬音を当てることを披露した。

■千原兄弟のトークイベント「チハラトーク」ではワンコーナー設けられた。

■発せられた擬音の例は以下の通り。

■「バグ〜ン」→バッファロー吾郎の竹若元博がガードレールの柱にぶつかった時の音

■「バイクから降りようとしてバランス崩した竹若さんがガードレールの柱に”バグ〜ン”ってぶつかって…」

■「ジュッシュウ〜」→小学生のとき、友達が木から滑り降りる時に枝に引っ掛けてしまった腕が傷つく音。

■「(木の上から)シュルシュルシュルシュル〜と下りてきたときに、手を“ジュッシュウ〜”切りよったんです」

■松本人志が2006年に発表したコント「Zassā(読み方はザッサー。彼の発する擬音のひとつである)」にも出演。擬音をあてる「SE」として参加している。

(出典:Wikipedia)

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三村マサカズ

三村 マサカズ(みむら まさかず、本名:三村 勝和(読み同じ)、1967年6月8日 - )は、日本のお笑い芸人である。お笑いコンビ「さまぁ〜ず」のツッコミを担当。ホリプロ所属。身長167cm。


【来歴・人物】
東京都墨田区出身、血液型A型。東海大学付属高輪台高等学校卒業。

1987年には二十歳にして原宿でファッション系の店にてアルバイトから店長まで登り詰めた。

1988年に高校の同級生である大竹一樹とコンビ結成。翌年の1989年コンビ名「バカルディ」として活動を始める。デビュー後程なくして関東お笑い界期待のホープとして脚光を浴びるもその後低迷。しばらく不遇の時期を過ごす。

1997年、本名から芸名「三村マサカズ」に改名。この頃、ナインティナインの岡村隆史に「関東一のツッコミ」と評され、一部で注目を集めるようになる。一般視聴者に広く知られる前から若手芸人の仲間内では評判が高かったようで、キャイ〜ンのツッコミ・天野ひろゆきは某番組の中で「三村さんは東京の若手芸人のお手本だった」と語っている。

2000年、バラエティ番組『新ウンナンの気分は上々。』(TBS系)の企画で海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)と対決し敗北。罰ゲームとしてコンビ名を「さまぁ〜ず」に改名させられる。しかし改名後、「〜かよ!」という独特のツッコミが各方面でフィーチャーされブレイク。現在に至る。

2004年3月、『内村プロデュース』収録中に、無茶なボケが原因で左膝前十字靭帯を断裂。6月には同じく『内P』におけるドッジボールの試合で右膝も負傷。それでも無茶な動きで笑わせようと頑張るあたりに、お笑い芸人の根性と哀しい性が垣間見える。

2005年1月に放送された特別番組『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ'05』(TBS系)では、田中直樹(ココリコ)とのコンビで優勝し賞金500万円を獲得。

2006年1月、内村光良(ウッチャンナンチャン)監督の映画『ピーナッツ』に出演。同作品の影の主役と言われ、内村監督からは「劇中で成長する珍しい役者」と評された。

2007年1月に放送された特別番組『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ'07』(TBS系)では、志村けん(ザ・ドリフターズ)とのコンビで優勝。今回が3回目の放送であるが三村はこれで2度目の優勝となった。


【エピソード】
■面倒くさがり屋で、ネタの立ち稽古が嫌い。稽古を怠けたせいで舞台で大失敗をし、大竹と大喧嘩になったことがある。

■以前は「番組の司会進行ができない」(本人談)ことが悩みだったが、レギュラー番組が増えるにつれて経験を積み、自信をつけつつある。しかし『笑っていいとも!』(フジテレビ系)や『リンカーン』(TBS系)等における司会ぶりは相変わらずぎこちない。

■現在2児の父親で、「子供の入学式でその成長ぶりに号泣した」(本人談)ほどの子煩悩。だがその一方、大の下ネタ好きで、そのあまりの酷さに奥さんが出演番組のビデオ録画をやめたり、実家から時々クレームが来たりするという。「内村プロデュース」においては、アイデアが出なくなって苦し紛れに「セ○クス!」と口走り、顰蹙を買うシーンがしばしばあった。

■かつて大竹と同室に宿泊した際、天井に張り付いていた虫を丸めた雑誌で思い切り叩いたところ、潔癖症である大竹の枕の上にその死骸が落ちてしまい、大喧嘩になった。それ以来2人はほとんど喧嘩をしていないとか。

■高校卒業後に東京渋谷109内の洋服店にアルバイトで入り、そのまま店長まで上り詰めた経験がある。この時にファッションセンスが鍛えられたと自ら語る。赤い服を好み番組でも衣装としてよく着ているが、タモリに「お前は赤が似合わない」と再三イジられている。ちなみに愛用している携帯電話も赤(NTTドコモSH903)。

■特技はクイズ・暗算と頭を使うものが得意。オールスター感謝祭で優勝したこともある。しかし年を重ねるにつれ、ものの名前が出てこなくなることが多くなり、「アレ」という言葉を多用しては周囲にバカにされている。後輩に「お茶取って」と言おうとして「ソファー取って」と口走るなど、まれに不可解な間違え方をすることもある。

■子どもの頃のあだ名は「エース」(バレーボールの授業で大活躍したため)。クラスの人気者で、当時から周囲を笑わせることに全身全霊を傾けていた。デビュー当時は華奢な風貌で、三上博史似(自称)の男前風であったが、中年太りした現在は大竹曰く「ハンプティ・ダンプティのような体型」になってしまっている。必然的に身体のキレも悪くなり、番組のスポーツ企画などで様々な珍プレーを披露している。

■ピーナッツが大好物。上記のように太ってしまった一因でもあり、「内村プロデュース」ではピーナッツのような輪郭になってしまった事から『ピーナッツおじさん』と呼ばれてしまっていた(映画『ピーナッツ』に掛けているとも考えられる)。三村曰く「ピーナッツの味がするのは芽の部分で、それを取ったらただのカリカリしたもの」らしい。。2007年6月13日のはねるのトびらの回転SUSHIに『まるまるちびまる子ちゃん』の番宣で出演した際も千葉県産の高級ピーナッツをすしネタ(?)にしてもらっている。

■カラオケの十八番は桑田佳祐の「祭りのあと」。しかし、歌ってる途中2番のBメロ(野暮でイナたい人生を〜)でいつも泣き出してしまうらしい。

■熱狂的な読売ジャイアンツファンであり、野球について語りだすと止まらなくなる。

■愛煙しているタバコはマイルドセブン。マイルドセブンを吸っている理由の1つは本人曰く、「代表的な銘柄のため、日本中どこに行っても売っているから」である。

■内村プロデュースの健康診断企画にて、痛風の気があることが発覚した。だが、特に生活サイクルを改善することもせず、後に同番組で本当に病気になってしまったことをカミングアウトしている。「とりあえず、痛風用の薬を飲んだらすぐに治まった→痛風と認識」とのこと。


【番組でのエピソード】
■実はボケ役志望で、持ちネタ以外の場では大竹と立場が逆転している事が多い。『内村プロデュース』(テレビ朝日系、以下『内P』)では「俺はボケたいんだ!」「ツッコミとかメンドクセェんだよ!」と発言したこともある。ちなみに、同番組内の心理テスト企画では「ボケ型だが、大竹が更に上をいくボケなのでツッコミをしている」との診断を受けた。

■以前バラエティ番組『グータン』(フジテレビ系)において、「2番手の地位で実力を発揮するタイプ」という精神分析結果を受ける。当時『内P』でMCの内村光良に次ぐポジションで活躍していた三村は、その結果に驚くとともに妙に嬉しそうにしていた。

■2005年1月1日の『内P』元日スペシャルのコーナー「露天風呂だるまさんが転んだ」(全員が全裸で参加する)では、ゴールしそうなふかわりょうらの背後へいつのまにか回り込んでいて、動きを止められている隙に「玉」を揉みしだき次々とゴールを阻止。最早妨害行為自体が目的化していた(最終的には自分が優勝)。その際に「職人の顔」をしていたことから『玉職人』の称号を与えられる。元日にしか登場することのないキャラという設定が、このキャラの希少価値を高め伝説化した。この玉職人は、三村も参加するユニット・NO PLANのアルバム『SUMMER PLAN』に楽曲として収録されている。また、翌年の元日スペシャルでは「露天風呂だるまさんが転んだ」が中止になったため、『玉職人』は2005年の初登場以来約2年間、披露する機会がなかったことも伝説に拍車をかけた。その後、『玉職人』は2007年1月放送の『内P』新春スペシャルで2年ぶりに復活。途中有吉弘行から掟破りの玉揉み返し(逆玉)を受けるも、「露天風呂だるまさんが転んだ」3度目の優勝を果たし、職人芸健在を見せ付けた。

■2005年10月23日に特別番組『内村プロジェクト』内で放送された「マイカーで教習所対決」で、ふかわりょうの愛車「黄色いワーゲン」のフロントグリルを破壊。そのダメージの大きさに本人も罪悪感を感じてしまい、思わず「見んな見んな」とふかわの目を覆っていた。ちなみに本人の愛車はゼネラルモーターズ社製のGMC Envoy。所ジョージに見立ててもらったもの。

■『内P』のドッキリ企画「リアル性格王」において、ほぼ100%の確率で騙されている。「朝、後輩の運転で仕事場へ → 大竹を迎えに行く → 途中コンビニに寄る」という一連の行動は同コーナーのお約束になっている。(対照的に大竹は、警戒心が強い性格のため、ほとんどひっかかったことがない。)

■その騙されやすい性格とオーバーなリアクションゆえか、2005年4月〜2006年6月にかけて、計6回というハイペースでドッキリを仕掛けられている。流石に本人も警戒するようになり、最近では「リンカーン」のドッキリを見破り、カメラを見つけ出したこともある。

■2006年夏頃に念願のマイホームを手に入れたが、完成直後にテレビ番組のロケーションで2度に渡って室内を荒らされたため、今後一切撮影では使わせないつもりだという。(内村プロデュースと所萬遊記である。ちなみにどちらも深夜の放送であった)

■2007年、40歳の誕生日に『リンカーン』の企画で1日だけAKB48のメンバーとしてライブに出演。衣装がスカートだったためパンツの残尿を気にしており、登場直後は客の反応も微妙で怯えていたが、最後はメンバーと観客に大歓声で誕生日を祝ってもらえた。余談ではあるが別室で模様を見ていた芸人達も三村の置かれた状況に耐えられず、松本人志が「非常ベルを押そうと思った」と発言するほどであった。

(出典:Wikipedia)

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大竹一樹

大竹 一樹(おおたけ かずき、1967年12月8日 - )は、日本のお笑い芸人である。お笑いコンビ・さまぁ〜ずのボケ担当。ホリプロ所属。身長170cm。


【来歴・人物】
東海大学付属高輪台高等学校卒業、東海大学文学部北欧文学科(現・北欧学科)中退。高校時代の同級生である三村勝和(現・マサカズ)とコンビを結成し、1989年に「バカルディ」としてデビュー。

デビュー当時、所属事務所から「キャラクターが薄い」「相方の三村と顔が似ている」との指摘を受け、伊達メガネを掛けることになり(当時は視力が良かった)それ以来伊達メガネがトレードマークとなっている。近頃は本当に視力が悪くなってきたようで、テレビ番組でモニターなどを目を細めて見ている姿がよく見られる。また、人から「顔がいやらしい」とよく言われるので、メガネで「エロスを封印」しているらしい(『ナイナイサイズ!』出演時より)。

性格はネガティブでマイナス思考の心配性(三村談)。比較的ずぼらな性格の三村に対しては、度々「お母さんみたい」に注意をする。人生の目標は「死ぬまで無事」と語る。

コントの場ではその後ろ向きな発想を生かし、ネタの大筋作りを担当する。「関東一のツッコミ王」の異名をとる相方・三村の「〜かよ!」に代表されるツッコミ芸は、実は大竹が書いたネタの賜物である。低迷期にはその才能を生かすよう事務所の意向で放送作家の仕事をしていた(日本テレビ系列『ジャムパラ』)こともあったが、本人曰く「適当に書いただけ」でライブのコンビネタに力を注いでいた様子。コントでは、細身の体型を活かして女役に回ることが多い。

大竹がコントネタとして編み出した「悲しいダジャレ」「悲しい俳句」といった「悲しいシリーズ」は、書籍化されベストセラーとなったほか、2005年にはさまぁ〜ずのコントライブ中に登場するバンド「マイナスターズ」のボーカル(兼作詞)としてCDデビューも果たしている。

特技は剣道(初段)、サーフィン、自動販売機の硬貨速入れ。またカラオケも得意で、『リンカーン』(TBS系列)の「ワンフレーズカラオケ選手権」では高得点を叩き出した。十八番は新沼謙治の「嫁に来ないか」。様々な名義・グループで楽曲をいくつか発表しており、これらの中でその歌唱力の片鱗を示している。更に同番組内の企画で走り高跳びを披露し、見事140cmを跳んで見せた。この他まれにしか見せないが、微妙なものまね芸を持ち、レパートリーに草刈正雄、菊地秀規(いつもここから)、船越英二などがある。

家族構成は両親と4歳下の妹の4人家族。父親は「失踪中でどこに居るかわからない」(本人談)が、コントライブなどの際にふらっと顔を出す。また、父親は当時小学生の大竹一樹名義でスカイラインを購入し、その請求がきたという逸話がある(本人談)。実家が狭く、高校生になっても自分の部屋がなく妹と同部屋だった。高校卒業後、「自分だけの部屋で思いっきりオナニーがしたい」との理由で独り暮らしを始めたという。40歳目前だが、現在も未だ独身貴族。相方の三村は、大竹にも早く家庭を持ってもらって家族ぐるみの付き合いがしたい、と某所で語っているが、今のところその予定はない模様。只、フジテレビアナウンサー中村仁美とは恋人関係にはあると言われていて、2007年中に結婚って言う噂が流れたが今のところそれは否定した。

アメカジファッションにこだわりを持ち、番組出演時の衣装も大抵はTシャツにジーンズ(もしくはカーゴパンツ)、そしてスニーカーというスタイル。三村とセンスがほぼ一緒で、同じコーディネート・同じカラーリングになってしまうことがまれにあるとか。冬場は長袖Tシャツの上に半袖Tシャツを重ね着するのが好き。その他、タオルをハチマキのように頭に巻いていることが多い。 愛車はシボレーのSilverado、所ジョージに番組内で見立ててもらったもので、日本に数台あるかないかのものだという。相撲にも詳しい。

非常に心配性なため、常に薬を持ち歩き「週1ぐらいで病院に行く」と『さまぁ〜ず・さまぁ〜ず』にて語っている。

2005年10月、『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)の「グルメチキンレース・ゴチになります!」に出演した際に最下位となり、同コーナー史上最高額となる54万6,200円を支払った記録保持者である。また、2006年4月13日放送の『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日系)・「芸能界チキンNo.1決定戦!」では、心配性な性格が災いしチキンNo.1の称号を得た。

小・中学校時代の同級生に、文化放送アナウンサーの斉藤一美がいる。

吸っている黄色い箱の煙草はアメリカンスピリット(ナチュラルアメリカンスピリット)のライト。

(出典:Wikipedia)

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さまぁ〜ず

さまぁ〜ず (SUMMERS) は、日本のお笑いコンビ。大竹一樹と三村マサカズの2人からなる。所属事務所はホリプロ。2000年10月以前は「バカルディ」というコンビ名で活動していた。


【メンバー】
■大竹 一樹(おおたけ かずき)
・1967年12月8日生まれ
・東京都墨田区出身
・主にボケ担当で、ネタの草案作りも担当する

■三村 マサカズ(みむら - )
・本名: 三村 勝和 (読み同じ)
・1967年6月8日生まれ
・東京都墨田区出身
・主にツッコミ担当


【略歴】
東海大学付属高輪台高等学校の同級生として出会う。

1988年5月、友人に連れられてホリプロの事務所に遊びに行ったことがきっかけでお笑いの道へ進む(当初はB21スペシャルに憧れ3人組であった)。1989年4月、ホリプロのお笑いライブに出演し、お笑いコンビ「バカルディ」として活動を開始。「バカルディ」はネタを考えていた時に着ていたTシャツの文字から適当に取った。

1990年代前半、ホンジャマカらと共に関東期待の若手芸人としてテレビ・ラジオ等で活躍。しかし90年代半ば頃からメディア露出の機会が減り、しばらく不遇の時期を過ごした。その後は主な活動の場を舞台へと移し、コンスタントにライブ活動を続けていた。

2000年に出演した『新ウンナンの気分は上々。』(TBS系)の企画において、コンビ名を「さまぁ〜ず」に強制的に改名させられた(後述)。これをきっかけに再び世間の注目を集め出し、三村独特の「〜かよ!」に代表されるツッコミ芸(通称「三村ツッコミ」)が認知されブレイク。これを足掛かりに徐々にその活動の場を広げていった。

2000年以後のお笑いブームの中にあって、いつでも一定以上の仕事が出来る中堅コンビとしてテレビ番組や舞台、書籍など様々な分野で活動中。2003年、第41回ゴールデン・アロー賞芸能賞受賞。


【特徴・エピソード】
■その芸歴の影響か、大竹が書くネタの原点には常に何かしらのネガティブな発想が扱われる。反面、即興芸の場では2人ともに下ネタを好む。

■低迷していた頃、三村は大竹に「ヨゴレ仕事は全部オレが引き受けるから、お前は思う存分ネタを書け」と言い続けていた。

■持ち芸の「悲しいギャグ」をまとめた本・『さまぁ〜ずの悲しいダジャレ』『さまぁ〜ずの悲しい俳句』は、いずれもベストセラーとなった。

■コントの代表作に「美容室」「家庭教師」「芝刈り機」「銀行強盗」など。

■登場時の「つかみネタ」として、汗を拭うフリをしながら三村が「冬なのにさまぁ〜ず!(大竹がやらず)・・・やれよっ!」と言うものがある(春・秋も同様、夏の場合は「夏だから、さまぁ〜ず!」となる)。また主にネタ見せ番組などでの出囃子(登場する際のBGM)として、「さまぁ〜ず (SUMMERS)」に引っ掛けてTUBEの「SUMMER CITY」などが使われる。

■毎朝三村の車に同乗して仕事場にやって来るなど、とても仲のいいコンビ(大竹も車は所有している)。大竹曰く、「うちらはキャイ〜ンの次ぐらいに仲が良い」。

■2005年には自身のコントライブから派生したバンド「マイナスターズ」として、CDアルバム『ネガティブハート』を発売。その後も不定期でマイナスターズとして音楽活動を行っている。


【改名】
TBS系列のバラエティ番組『新ウンナンの気分は上々。』において、海砂利水魚(のちのくりぃむしちゅー)と因縁の対決として数々の企画が組まれた。当初は芸能界引退を賭けた勝負であったが、3回目の対決となった2000年10月20日放送分において、卓球対決を行い、敗れた方が罰としてコンビ名を屈辱的な名前に改名させられることになった。

「さまぁ〜ず」というコンビ名は内村光良(ウッチャンナンチャン)とYOUによって命名された。由来は2人とも好きな季節が夏だから、という単純なもの。当初改名は期間限定の企画であったが、ビーチバレー対決の頃になると「さまぁ〜ず」の名で徐々に人気が上がってきたこともあり元に戻す必要性がなくなってしまったため、有田の提案で負けたら個人の芸名をそれぞれ「ビーチ三村」と「大竹すいか割り」にする予定になったが、結果は海砂利が負け、幻の芸名となり、海砂利の方が改名させられた。

お笑い芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に替えてしまった内村はその責任を重く感じ、その後両コンビ(特にさまぁ〜ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、のちのブレイクを後押しする形となった。

(出典:Wikipedia)

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有田哲平

有田 哲平(ありた てっぺい、1971年2月3日 - )は、熊本県熊本市出身のお笑いタレント。くりぃむしちゅーの主にボケ担当(デビュー当時はツッコミ担当)。相方は上田晋也。プライム所属。身長173cm、体重70kg。


【来歴】
■熊本大学教育学部附属中学校、熊本県立済々黌高等学校卒。在学中、ラグビー部の同輩として現在の相方上田晋也と出会う。現役時に明治大学法学部二部に合格していたが、上田に「一緒に早稲田に入ろう」と言われ浪人。一浪を経て、上田は早稲田大学に合格するも、有田は不合格。有田は上田がまた浪人してくれると思っていたが「お前は立教がいい」と言われ立教大学法学部に入学。一旦は弁護士を目指したが、芸能界に進む為中退(共にお笑いへ進む為、上田が一方的に有田の退学届けを出したらしい)。幼少の頃は裕福な家庭で育っていたが、この時父親が営んでいた広告代理店が経営破綻に追いこまれた事から大学の授業料を滞納しており、それに関する父親の報告と有田の中退の報告(父親は厳格な人物であった為有田本人は勘当覚悟の報告であったが「学費を納めなくていいなんてお前は孝行息子だ。それにやりたい事を見つけるなんて素晴らしい! 」となぜか絶賛されてしまう。後で考えるとその時点で会社が傾いていたということらしい)とが重なったと言われ、何度かネタにしている。また、弁護士を目指したのは元々父親の影響によるものだったからと言う。因みに、広告代理店の経営破綻後両親が離婚し、有田が実家へ帰ると有田家の表札が「長谷川」にいきなり変わっていたという。更にこれだけではなく同時期に祖母の病死、カード破産、叔父がセクハラで訴訟を起こされるなど身内で不運が連続し、止めを刺すかのように父親も亡くなる。そして上田晋也からの誘いを受けお笑いコンビ・『海砂利水魚』を結成。

■コント山口君と竹田君の付き人としてスタートする。

■後にTBS『ウンナンの気分は上々。 』にてさまぁ〜ずと改名を掛けた3度目の対決に敗れ、ウッチャンナンチャンの内村光良に『くりぃむしちゅー』と命名され改名、現在に至る。


【人物】
■中学2年生のときにアメリカにホームステイしていたことがある為、日常会話程度の英会話なら出来る。だが『ズバリ言うわよ!』(TBS系)では細木数子によく馬鹿呼ばわりされる。しかし、それはお笑いでのキャラであり実際は秀才で、熊本有数の進学校である済々黌を卒業、大学は中退とはいえ立教大学出身である。実際『ズバリ言うわよ!』でも他の売れないお笑い芸人の鑑定の際に細木は「あんたも有田や上田みたいに本当に馬鹿になりきれたら絶対売れるようになるわよ」と言うように細木も彼の馬鹿については十分承知しているようである。

■初体験は高校1年生の夏。

■相方上田とはラグビー部で知り合ったが、試合では上田がレギュラーで有田はベンチ要員だったらしい。しかも、ラグビーのルールをよく理解しておらず、ある試合で上田がボールを持ちトライする為ラインに向かって走ると、有田は何を思ったかチームメイトである上田にタックルをしてきたと言うエピソードがある。

■『笑いの金メダル』(テレビ朝日系)で笑金オールスターズとしてCDデビューが決まって『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)に出演した際、高校時代にラグビー部の皆で将来の夢を話していたという話題になり、他の部員は真面目に将来の夢を語っていたが、有田にいたっては「俺は光GENJIに入る」と真顔で言っていたという。その時、ダウンタウンの浜田雅功が笑った後に有田の顎を掴み「この顎でか! この顎でか! 」と詰め寄った。そして、有田は浜田に「すいません浜田さん、顎は急所です。」とツッこんだ。

■高校時代、上田が応援団長で有田が副団長だった。

■『海砂利水魚のオールナイトニッポンスペシャル』で上田と対決し負け、勅使川原昭によって放送終了後、丸坊主にされる(2005年7月からは『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』としてレギュラーパーソナリティに昇格)。

■母は水泳のオリンピック候補になる程の選手だった。現在も熊本県内にある室内プールの管理者の傍ら、子供達に水泳の指導を行なっている。

■3人兄弟の次男。弟は放送作家の有田真平。兄は熊本で教師をやっている。

■主な持ち芸はアニマル浜口、長州力や高田延彦、アントニオ猪木などプロレスラーのものまね。大のプロレスファンで多くのプロレスグッズを所有し、毎週欠かさず週刊プロレスを愛読(第一号から全て)している。2006年6月18日に開催された「ハッスル・エイド2006」では、オープニングで自前の「高田総統」のコスプレをして登場した。

■テレビ番組『銭形金太郎』(テレビ朝日系)で、相方・上田のプライベートを暴露し司会の名倉潤の風貌を痛烈に批判する歌を歌い(今現在11曲)、同番組のエンディングテーマにもなっていた。また名倉潤の事を細身の顔立ちから時々ガイコツ・ラクダ・ナシゴレン・パクチー等と言う。

■クリームシチューが大好きと豪語していたが、『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系)の“1週間でクリームシチューを500杯食べきるコンビ”でかなりの野菜嫌いだったことが判明(人参、ブロッコリー、南瓜、椎茸、マッシュルーム)し、クリームシチューの殆どを相方・上田に食べさせていた。

■2000年10月にテレビ朝日系列で放送された本木雅弘主演のラブコメディドラマ「スタイル!」に「牛膝ジュン」役でレギュラー出演しており、現在と異なる“芸風と髪形”の彼を本作では見る事が出来る。なお当ドラマは現在CSの「ファミリー劇場」にて好評放送中である。

■ラジオ番組でニッポン放送での通称は「有田先生」(2005年6月24日放送『目からウロコ!24』まで)、TBSラジオの番組(『極楽とんぼの吠え魂』)では「タップ哲平」とも呼ばれたこともある。

■テレビやラジオ等でたまにTake2(主に東貴博)の悪口を言ったりしている。

■顎が年々、左の方へと曲がっている。

■好きな音楽ジャンルはヒップホップ。その為ヒップホップアーティストZEEBRAとも親交がありZEEBRAが司会として放送する番組『シュガーヒルストリート』では一緒に「ALI-T」という名前で司会として参加する。また、ZEEBRAのStop Playin’A WallではPVにも出演している。

■ネタ的によく語られる「親戚にいる大学教授のオジサンを見習えと言われていたが、その人セクハラで訴えられた」というのは、政治学者の矢野暢(日本初のノーベル賞の選考委員・スウェーデン王立アカデミー会員を務めた人物)。

■いとこは小説家の鵜波美布で代表作『武運』等。

■パワプロ9のサクセスモードを熱く語っていた為、パワポケ7には有田をモデルにした、「有田修吾」が登場した。また、サカつくも好きなようである。

■中学時代の2年先輩にラジオパーソナリティの荘口彰久がいる。

■「H/K(話変るけど)」という若者言葉を作った人物。『銭形金太郎』(テレビ朝日系列)の深夜放送時代にVTRの前フリで使用していた。芸能人が作った言葉は数あれど、若者限定で広まったその様な言葉は珍しい。

■最近痔らしい。

■爆笑オンエアバトルをHDDで撮って若手のチェックをしている。

■アンタッチャブルの山崎弘也と住んでいるマンションが同じである(山崎は後輩のため有田より下の階に住んでいる)。

■仮面合コンに参加したことがある。

■指1本でタクシー代を請求されたことがある。


【エピソード】
■アントニオ猪木の引退試合の観戦の際、入場時に熱いエールを送っていたが肝心の試合の時、居眠りをしていた事をダウンタウンDXのコーナー「視聴者は見た」で暴露される。ちょうどその収録に猪木本人も参加していたため、すぐにビンタ制裁を受けた。

■2001年6月、相方と共にMCとして出演していた瀬戸内海放送(KSB)の若者向け人気深夜番組ばちこい!内の企画でBachicco!という地域限定アイドル(ロコドル)をプロデュースし、見事デビューさせた。なおデビュー曲『ばっちり恋しよう!』には彼のラップパートが収録されている。現在もBachicco!のプロデューサーを務めている。

■2004年8月、深田恭子とのお泊まりデートが写真週刊誌にスクープされ、更に8月19日発売の週刊誌で山崎弘也と合コンを行った帰りにラブホテルに入る所を撮影され、別の女性とも同棲しているとも言われ、ルックスに似合わずプレイボーイとして有名。しかし深田恭子との一件以来モテなくなったと発言している。これは業界内で「有田には気をつけろ」と言われ始めアイドル事務所が所属アイドル達に事前注意を行い始めたからである。

■写真週刊誌の一件以来、合コンなどを自粛する一方で何故か相方の上田晋也の2人の姪っ子にハマり、二人と遊ぶ為に休みの日にわざわざ熊本まで帰っているという(上田抜きで)。理由としては「どんなにユルいことを言ってもウケるから気分がいい」とのこと。因に二人とも小学生で、有田のことを「ありぶす」と呼び、「ありぶすお前顎伸びたな〜。」等散々なことを言われるらしい。

■『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)において、以前番組内で天然パーマをストレートパーマにさせられた相方・上田が「合コン好きの有田を懲らしめてほしい」と番組に依頼し、騙しの合コンをセッティング。この企画は3回行われたが、全て番組が仕掛けた落とし穴に落下している。女の子と2人きりになった時、「クルトンって呼んで♥」と言ったことから、ロンドンハーツでは「クルトン」(クルトン有田、因みに悪いワルトンもいる)と呼ばれるようになった。因みに現在は裏番組である『ズバリ言うわよ!』に出演中の為、『ロンドンハーツ』の出演はない。

■『内村プロデュース』(テレビ朝日系)において、性格診断テストを受けた結果、内村光良に対してライバルである、番組を乗っ取ろうとしている等と診断された。その後『内村プロデュース』のレギュラー放送が終了し、『くりぃむナントカ』がその時間に時間変更されて、本当に番組を乗っ取ったようにも見える。

■2005年6月11日深夜に放送されたテレビ朝日の深夜番組『くりぃむ・鶴瓶・ロンブーのゆく年くる年への道SP』によると上田に対して「『おしゃれカンケイ』終わらせやがって、お前は……」と言ったのに対し、上田に「いや、別に俺が終わらせたわけじゃねーし」と言われたり、「(おしゃれカンケイを)とったんですよ、こいつ。」と言って上田に「とったわけじゃないよ。」と返されていることから、相方の上田が『おしゃれイズム』に出演しているのが信じられないらしい。上田は「一部コーナーやゲストで有田も番組に出しましょうよ」とスタッフに提案したが、苦笑いで返されたとくりぃむしちゅーのたりらリラ〜ンで発言している。

■2005年7月5日、山崎弘也、矢作兼と共に夜に中華料理屋へ行き、後輩のその2人から酒を勧められ、その後の仕事で『オールナイトニッポン』(この日が初回放送だった。)があるからと言い断ろうとしたが、後輩のその言葉に負け、その後仕事があるのにもかかわらず、飲み、オールナイトの本番で相方の上田に叱られる。

■2006年4月5日放送の『くりぃむしちゅーのたりらリラ〜ン』特番『ガンバレくりぃむ!恋の赤恥ベタベタSP』内で公開された有田哲平監督・脚本・主演『ベタドラマ』『101回目のベタポーズ』では、意外に高い演技力を見せた。

■2006年8月3日放送の『Qさま!』で、山崎チームとして参加したもののプレッシャーに弱く、情けない姿をさらした。

■番組収録の合間に後輩芸人(山崎弘也やおぎやはぎ、次長課長等)を集めて芸に対するアドバイスやダメ出しを行う事が多いが(「有田塾」と呼ばれている)、内容は「全くタメにならない話ばかり」しているらしい(『アメトーク』で土田晃之が暴露していた。因みに土田は有田に「『銭形金太郎』のロケで泣け」というアドバイスを受けたことも話していた)。

■アンタッチャブルの山崎が大便をすると有田に「しました。」とメールが来る。(2006年内に終了)

(出典:Wikipedia)

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上田 晋也

上田 晋也(うえだ しんや、1970年5月7日 - )は、熊本県熊本市出身のお笑いタレント。くりぃむしちゅーのツッコミ担当。相方は有田哲平。プライム所属。


【来歴】
■熊本市立城南中学校、熊本県立済々黌高等学校卒。高校在学中にラグビー部で有田哲平と出会う。当時の上田はいわゆる学校の番長的存在(有田曰く史上初の童貞番長)で、有田はその上田に付いていくような感じであった。高校を卒業して一浪後、早稲田大学教育学部国語国文学科に入学するも中退。有田哲平を誘い、お笑いコンビを結成してデビュー。当時のコンビ名は、海砂利水魚 (かいじゃり すいぎょ)。由来は、まだ売れなかった頃に伊豆を訪れた際、見つけたカレー屋さんの名前。上田本人がネタを見て1度も笑ったことが無いというコント山口君と竹田君の付き人としてスタートする。名付けられた当初は海砂利水魚というのが落語の「寿限無」から出てきた言葉だということを知らなかった。

■数々のライブ経験をこなす。TBS、「ウンナンの気分は上々。」で、さまぁ〜ずとの、グループ名の改名を賭けた対決に敗れる。内村光良によりくりぃむしちゅーに余儀なく改名を命じられる。以降は、コント重視の作家志向な芸風から一転し、バラエティ中心にタレント業で活躍するようになる。

■2004年12月に同郷熊本県出身の一般人女性と結婚。なお上田はこの日は赤穂浪士討ち入り事件と同じ日であるという薀蓄を言っていた。しかし実際の赤穂浪士の時代は日時が変わるのは夜明けなので、日付としては1日ずれている。

■2006年6月7日に第1子となる女児が誕生していた事を、同月11日放送の「おしゃれイズム」(日本テレビ系列)内で発表。名前候補として数々の下ネタが候補にあがった(くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンにて)。結果として、これらとは関係なく上田の奥さんが考えた名前「風花」に決定した。ラジオでは娘について自ら「ブサイク」と発言している。


【人物】
■飽きっぽい性格らしい。

■高所恐怖症で、観覧車に乗っただけでも身動きが出来なくなる。また、閉所恐怖症でもある。

■よく、したり顔をする。

■現在はツッコミを担当しているが、デビュー当時は、上田の方がボケだった。

■トレードマークは天然パーマの髪型であり、番組内で自己紹介をする時には「どうも天然パーマです」と言うほど。一度「ロンドンハーツ」でドッキリ合コンに女の子に騙されてストレートパーマで髪型をストレートに変えられたことがあった。だが、彼の天然パーマの力はもの凄く1時間で元の髪型に戻ろうとしているほど。一時期坊主頭にしていたこともある。

■自分より年下の一般人から「おい上田!(男)」、「ねえ晋也!(女)」などと呼び捨てで呼ばれている(ニッポン放送「知ってる?24時。」のジングルからの伝統)。もっとも、相方も「おい有田!」「ねえ哲平!」と呼ばれているため、二人まとめて「おい上田に有田!」となることも多い。

■大の長渕剛ファンとしても有名で、2004年8月に横浜アリーナで行われたニッポン放送のイベント「そんなのアリーナ」では観客の前で「ろくなもんじゃねえ」を熱唱。時々ものまねも披露したりする。また仲間由紀恵の大ファンとしても有名。マネージャーに世界遺産のDVDを勝手に注文された。

■一時期自ら「お笑いルポライター」と称してナンパをしたことがある(フジテレビ系「クイズ$マジオネア」にて発覚)。

■実家はプロパンガス屋。

■芸能界きっての「うんちく王」である。
「てぇーい!」、「そっちかーい!」などの上田流の言葉がある。

■ラジオではよく言い、テレビでは『銭形金太郎』以外ほとんど言わなかった持ちギャグの「ペローン!」は、「天天パ!」に変わっている。

■テレビ朝日系列「虎の門」の1コーナー・うんちく王決定戦で、三代目うんちく王になった。以来、トークの巧みさを買われ、執筆、教育番組にも出演。彼の雰囲気を模倣している(であろう)芸人も少なくはない(品川庄司品川、メッセンジャー黒田など)。「天才ビットくん」(NHK)で子供にも人気が集まり、単独でも活躍中。例えツッコミ(例:古い民家を見つけたときに「世界遺産か!」)を得意とし、とっさの切り替えしの速さと巧さ、ボキャブラリーの豊富さには定評がある。またうんちくブームが去る前に、うんちくを披露する機会を減らしネタを従来の「ボケ・ツッコミ」に戻すなど、戦略的な面も持っている。

■博学で売っているが椎茸の匂いを嗅いで松茸だと勘違いしたり、「名誉挽回」と言う所を「汚名挽回」と言ってしまったりたまに抜けてる所がある。

■催眠術に全くかからない。

■ファッションセンスが悪いらしい。服がダサいといわれても「○○(ブランド名・色など)だからねぇ」と開き直り、相手を黙らせる。

■腕時計は右腕にしている。

■ボクシングが好きで、ボクシングジムに通っている。芸能界の中ではボクシングに詳しい人間だと自負している。しかし、テレビの収録で、亀田興毅のソックリさんと本人を見間違えて、感動したことがある。有田曰く、「おおー!チャンプー!顔に傷一つねぇよぉー」とはしゃいでいたらしい。

■「ダービースタリオン」「実況パワフルプロ野球」「逆転裁判」「ボクサーズロード」などのゲームにハマっていたこともある。

■兄は熊本で番組プロデューサーをやっており、一度フジテレビのものまね紅白歌合戦に「上田晋也のそっくりさん」として参加した。


【エピソード】
■売れ出した途端に、実兄の啓介(芸人ではなく熊本でCM製作会社を経営。上田にとてもよく似ている)が晋也に無断で番組に出るケースが多くなった(中でも「くりぃむナントカ」では準レギュラー的扱いになっている。ちなみに番組宣伝ポスターも晋也と有田ではなく有田と実兄・啓介の2人がデザインされている。)。尚、銭金等で素人とも接する機会が多いが、一番嫌いな素人は実兄・啓介と公言している。ちなみに啓介は、熊本のローカル局テレビ熊本主催のTKUの日というイベントでヒロシのネタ調のものを披露し、熊本県内に放送された(2006年4月)。また、その直後には熊本日日新聞の夕刊で、インタビューが紹介された。また、自身の経営するCM会社の制作する熊本県民テレビのパチンコ番組『本日開店パチ天国!』では、"上田の兄"名義でナレーションを担当している。

■「芸能界の薀蓄王」として売れだしたのは良かったが、度々周りの人間から「(上田は)薀蓄は言うけど面白いことはあまり言わないね」と芸人である自分を否定するようなことを言われ、薀蓄を言うのをやめようと思ったことがあるらしい。

■松田優作の大ファンで、無名時代にお墓参りに行った事もあると告白している。松田の物真似も上手い。(特に声帯模写)

■ニッポン放送「知ってる?24時。」のパーソナリティを2003年3月31日から2005年6月30日の放送まで担当していたが、ニッポン放送のイマジンスタジオにて無断でラジコンで遊んだことから「知ってる?24時。」のパーソナリティをクビに(実際はスケジュールの関係)。上田の人気拡大に、この「知ってる?24時。」は大幅に関わっていただけに(この番組が始まった2003年から露出が増えた)、多くのファンに悔やまれながら最終回を迎えた。新しいパーソナリティにますだおかだの増田英彦が担当することになった。ちなみに相方・有田のラジオ「目からウロコ!24」も、ますだおかだの岡田圭右がやることになった(現在は番組も終了)。2005年7月5日からはくりぃむしちゅーとしてオールナイトニッポンの火曜日を担当している。

■アンジャッシュの児嶋一哉を居候させていた。その時の児嶋は上田の冷蔵庫から食べ物を勝手に食べていたり、上田のベッドを占領していたりしたが、上田は怒らず寝ている児嶋に毛布をかけてやったという。

■ラジオで駒大苫小牧が夏の高校野球(第86回大会)を優勝すると半分冗談で予想するが、なんと的中させる。

■2006年のFNSの日に本番中、いきなり太田光を笑いもせずに「マイクもねぇのにうるせぇよ」と本気でどつき、「空気が読めてない」とネットなどで批判を受けた。ちなみに太田と上田はボキャブラ時代から仲が良く、あくまで上田に悪気があった訳ではない。

■ボクシングジムに通っているため、収録の合間にシャドーボクシングをやって周りから迷惑がられることもしばしば。しかし、調子に乗ってガッツ石松と「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」内の1コーナーでスパーリングをしKOされた。(2006年8月14日放送のHEY!HEY!HEY!より)

■ボクシングに詳しいと自負しているが、亀田興毅のそっくりさんを本人と本当に間違えて、握手してもらったり写メを撮ったりして喜んでいたということをラジオで相方の有田に暴露された。

■上田が18歳の時、熊本市民会館で行われた長渕剛のコンサートで、長渕の投げたハーモニカをキャッチすることに成功。今でも大事に保管している(後年長渕本人にその思い出話をしている)。

■テレビ朝日くりぃむナントカの番組企画「第2回長渕剛ファン王決定戦」では、事前に知らされていなかった長渕本人の乱入ライブに感涙し「芸能界に入って今日が1番うれしかった」と話した。

■現在、レギュラーでくりぃむしちゅーとしてオールナイトニッポン(ニッポン放送)を担当しているが、過去には単独で垣花正(同局アナウンサー)や古坂和二と担当したこともある。


【うんちく王に関して】
■うんちく王で語られたうんちくの多くが『知泉(ちせん)』という本から出されているとネット上では騒がれていた。雑学本をうんちくの元ネタにすること自体に問題はないが、うんちくそのものだけでなく、文章表現まで酷似していたことがこれに拍車をかけた。結果として上田が深夜放送の「うんちく王慰安会」(ゴールデンSPの直後に放送。ちなみに実質の蘊蓄王シリーズ最終回)の中で酔っぱらった上「知識の泉と書いて知泉という本があるんですが、これを読めばうんちく王になれますよ」とカミングアウトした。しかし、その後は相変わらず「うんちくは周囲の人間から」などとお茶を濁す発言を繰り返している。

■また、うんちく王で語られる「うんちくの魅力」が、その本人の生活、仕事や性格などから自然と吸収してきたものであるという捉えられ方をしており、「元ホットドッグプレス編集長で評論家の山田五郎」「放送タレント・コラムニストの松尾貴史」「元落語家、漫画・ゲーム・野球に強い伊集院光」といった当番組以外でもうんちくを生かした活躍をしている面々の中で、上田にはうんちく王らしい背景が無かった。実際、第1回大会では「なんで出てるんだ!?」と出演者に言われるなど、噛ませ犬的存在だった。

■この薀蓄の元ネタに関しては雑誌「サイゾー」2005年2月号が取り上げた。

(出典:Wikipedia)

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くりぃむしちゅー

くりぃむしちゅーは、プライム所属のお笑いコンビ。コンビ名の由来は有田哲平の好物クリームシチューから。なお、旧コンビ名は“海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)”。略称は“くりぃむ”(海砂利水魚時代の略称は“海砂利”)。


【メンバー】
上田晋也(うえだ しんや、1970年5月7日-、血液型O型)

ツッコミ担当。デビュー当初はボケを担当していた。熊本県熊本市出身。早稲田大学教育学部中退。
「たとえツッコミ」という分野を確立し、そのたとえは的確で意外性に富んでいる。持ちギャグは「ペローン!」「天天パ! 天天パ!」「てーい!」「そっちかーい!」など(ラジオ番組で使用することが多い)。持ち芸は薀蓄を制限時間内に披露すること。
熱狂的な長渕剛ファンで、一番好きな曲は「ろくなもんじゃねえ」。
2004年に結婚。2006年6月に第一子となる長女が誕生した。
有田哲平(ありた てっぺい、1971年2月3日- )

ボケ担当。デビュー当初はツッコミを担当していた。熊本県熊本市出身。立教大学法学部中退。
『銭形金太郎』や『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』では「どうも、僕です(略して「どぼくです」「DB」)」の言葉から入る(オールナイトニッポンではジングルでも使用する)。2007年1月4日放送のミドル3では、去年の反省点を「軽くED」と語っていた。


【来歴】
■熊本県の進学校である熊本県立済々黌高等学校時代、同じラグビー部に所属した事がきっかけで出会う。高校卒業後別々の大学に進学するも、上田が有田を誘い共にお笑い芸人への道を選ぶ。

■1991年にコンビを結成しデビュー。当時のコンビ名は“海砂利水魚(かいじゃり すいぎょ)”。落語「寿限無」に登場する言葉であるが、命名のきっかけは伊豆にある飲食店の店名から。コント山口君と竹田君の付き人として芸歴をスタート。ライブ活動中心に下積み経験を送る。因みにデビュー当初は上田がボケ担当、有田がツッコミ担当だった。だが、有田のツッコミの語彙が乏しく勢いが無かったので、見かねた上田が役割を変えたという。 

■1994年頃からテレビ番組に出演するようになる。

■『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ)では、第2期の『タモリのSuper〜』において、キャブラーと呼ばれる芸人がネタを披露して評価(順位など)を競う「ボキャブラ発表会・ザ・ヒットパレード」というコーナーから出演。1999年に『歌う〜』としてボキャブラ天国シリーズが終了するまで出演した。全国的に知名度が高まるきっかけとなった番組である。尚、出演回数(カット=予選落ちを含めてネタが放送された回数)はBOOMERと×-GUN(現・丁半コロコロ)に次ぐ第2位。初期のキャッチフレーズは“おとぼけツインターボ”である。後に“邪悪なお兄さん”と言うキャッチフレーズに変更(ヒットパレード時代)になり、2人は揃ってレザーパンツを穿いて登場するなど人相の悪さを指摘されて、これが注目を集めて人気は上昇した。有田は河村隆一の真似やb.A.d(nWoのパロディ)の活動を先頭にたって行う等、沢山いるキャブラーの中で頭角を現していった。その反面、特徴的なアゴをアンタッチャブルの山崎やU-turnの土田などと共に他の芸人にいじられるなどもした。番組後期は特に成績が良く、深夜枠に放送された『続・〜』では6度キングになり、100万円も獲得している。番組終了と共に一時期テレビでの活動が衰退したが、後述の改名によってメディアへの露出が増えるなどして人気が再燃する。

■1997年10月から半年間はコント番組『お笑い向上委員会 笑わせろ!』に出演。Take2、×-GUN、U-turnと共にで手作りのギャグで実力をつけた。

■2000年7月、アンジャッシュ、アンタッチャブルと共に、お笑いユニット“ゲバルト一族”を結成し、年に1回オムニバスライブを行った。


●海砂利水魚から改名
■2000年に『新・ウンナンの気分は上々。』(TBSテレビ)におけるコンビ名改名対決でさまぁ〜ずに敗北し、同郷のウッチャンナンチャン内村光良により“くりぃむしちゅー”への改名を命じられる。名前の由来は有田の好物であるクリームシチューから。(後に、実際は野菜嫌いであるためクリームシチューに入っている具のほとんどが食べられないから、それほど好きではないと発言)また、同番組では対決企画が3回行われたが、仮に1回戦で海砂利水魚が負けた場合、コンビ名を“ザ☆トライ”と改名させられる所だった。上田がコンビ名をあまり気に入っていなかったこともあって、当初“くりぃむしちゅー”は半年間の期間限定ということだったが、前のコンビ名“海砂利水魚”よりはマシか、という理由から現在もそのまま使用している。師匠であるコント山口君と竹田君にもこのことを告げている。「改名でブレイクした」とよく言われるが、当人達は日経エンタテインメントのインタビューなどにおいて「改名前から売れ始めていた」と発言している。

■さまぁ〜ずとは改名対決の前後は険悪な仲だったが(これが改名対決のきっかけになった)、対決終了後はほどなく和解し「内村プロデュース」「ミドル3」などの番組で共演を果たしている。険悪な仲とは、もちろんネタである。

■改名以後はコント重視の作家志向な芸風から一転、トーク中心のメディア露出に重点を置くようになった。単独コントライブも行ってはいたが、これも殆どが“海砂利水魚”時代の持ちネタであり、2003年にファンクラブ解散と同時に中止する。以降、くりぃむしちゅーのネタは元日放送の『初詣!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ)でしか見ることが出来ない。

■転機となったのは2003年。上田がテレビ番組『虎の門』(テレビ朝日)の1コーナー「うんちく王決定戦」で優勝、一躍脚光を浴びる。以降、上田は“うんちく王”の称号と共に、薀蓄芸と呼ばれる芸風で数々の執筆やテレビ番組・ラジオ・CM出演とブレイク。「たとえツッコミ」も有名になった。ただ、“物知り”というよりはあくまで“薀蓄知り”であるため、上田が得意気に披露した薀蓄が、実は誤っていたということもあった(サンリオの由来は山梨王、等)。 

■2004年12月14日、上田が同郷の女性と入籍。『踊る踊る踊る!さんま御殿スペシャル』(日本テレビ)の収録中に発表された。因みに第一子誕生は『おしゃれイズム』で発表された。

■2006年7月13日、ゴールデンタイムでの初の冠番組、『くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!』(日本テレビ)が放送開始。(2007年3月に終了)

■久本雅美、篠原涼子と共に、2006年8月26日から8月27日にかけて放送された『24時間テレビ29』のチャリティパーソナリティに抜擢された。


【特徴】
■最近では上田のピン活動が目立つが、有田も彼の人気を僻みつつも、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系列)で女性にナンパされる企画で素の面白さが茶の間に伝わり、好評につきスペシャル番組で取り上げられる等、事ある毎に何度も行われた為、笑いの他同情や認知度が高まった。また趣味の格闘技好きを活かしCSチャンネル「サムライTV」でレギュラー番組を担当し、アントニオ猪木、高田延彦、佐々木健介、長州力らプロレスラー・格闘家のものまねでマニアを喜ばせる。また、深田恭子との交際がフライデーされて話題を呼んだ(これは上田曰く売名行為らしい)。徐々にコンビでの番組出演の機会も増加。再度訪れたお笑いブームの波にも乗って、2004年には多数のレギュラー番組を抱える売れっ子となった。

■よく有田は上田のピン活動を「こそピン」といい妬んでいる。また、上田の『おしゃれイズム』かぶれなイズム発言も嫌っている。これらはもちろんネタである。

■テレビ番組での衣装は殆どスーツ。「普通の服だと華がないから」という理由で制作スタッフやスタイリストから義務付けられているらしい。(深夜番組等、単発番組ではスーツでない場合もある他、『銭形金太郎』では必ず番組専用の作業服衣装)

■様々な先輩芸人の番組にも出演することから、幅広い先輩芸人に可愛がられているようである。しかし、上田は○○軍団と呼ばれるような群を嫌ってか、特にダウンタウン浜田とは共演していない。

■二人ともモノマネがうまい。(上田:松田優作、大木こだま・ひびきなど,有田:長州・猪木・アニマルなどプロレス関係)

■冠番組では企画も担当している。


【エピソード】
■現在、番組で共演している細木数子から“グリーン&ピンク”への改名を勧められており、細木自身は、すでに日常においてニックネームとして利用しているとされる。しかし、当人達に変える意思は全く無く、上田が「番組(ズバリ言うわよ!)をおりてやる」と激怒しているという記事が、一部週刊誌に掲載された。

■オールナイトニッポンにて、上田の長女の名前を募集するも、結局リスナーのもの(千都里[ちづり(せんずり)]、素股 、デリヘル等)は採用されず。万が一採用したとしても役所が受理しない(悪魔ちゃん命名騒動を参照)。

■1994年〜1995年頃、地元熊本の情報誌(月刊タウン情報クマモト、通称タンクマ)に2ページにわたり連載していた時期がある。

■売れっ子になり多忙になっても、痛快!明石家電視台は準レギュラーとして大阪に来て出演している。

(出典:Wikipedia)

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ほっしゃん。

ほっしゃん。(本名:星田 英利 ほしだ ひでとし、男性、1971年8月6日 - )は、吉本興業所属のお笑いタレント。大阪府泉南郡南海町(のち阪南町、現・阪南市)出身。A型。168cm・53kg。


【プロフィール】
■上宮高等学校卒業。元読売ジャイアンツ元木大介、横浜ベイスターズ種田仁の高校時代の同級生で同じ野球部に所属していた。元木自身はほっしゃん。が同じ野球部に存在していたことを知らない。

■高校時代、3年間で5分もしゃべっていなかった。(「絶望に効くクスリ」より)

■中学時代の後輩にたむらけんじがいる。

■芸名の「ほっしゃん」部分は矢部浩之(ナインティナイン)が「星田英利やと普通やから『ほっしゃん』にしたらどうや。なっ、ほっしゃん」という提案で名づけられ、末尾の「。」はつんくが命名。

■吉本総合芸能学院(NSC)大阪校の9期生でナインティナインや矢野・兵動、杉岡みどりなどと同期である。

■もともとお笑い芸人になろうと思っていたわけではなく、大学受験に失敗したことを父親から責められて「それならもっと困らせてやろう」という考えでNSCの門を叩いた。

■宮川大輔とコンビ「チュパチャップス」を組み、吉本印天然素材で人気が出たが、天然素材の活動休止後は低迷。

■「天然素材」時代、電気料金票を自宅ポストから抜いて電気代を代わりに支払ったほどの熱烈なファンがいたらしい。(「いきなり!黄金伝説」)

■フジテレビの働くおっさん劇場では副音声として一番出演が多い。


●コンビ解散後
■1999年にコンビを解散、仕事が激減した。

■「4年間で仕事3個」と言われるほど。

■地下工事現場(都営地下鉄大江戸線の工事)でアルバイトをした。

■食べられる草と食べられない草の見分けがつくようになった。

■ノストラダムスの予言を信じて地球が滅亡することを本気で願っていた。

■1ヶ月間、誰とも会わず部屋に引きこもった時期もある。声も出さなかったので、ある日テーブルの足に小指をぶつけても「痛い!」という言葉すら出せずにうめき声しか出せなかった。それからは行動を実況するようにしたらしい。

■そんな絶望的な状態でも「自分はてっぺんにおれる」という自信が不思議とあったらしい。(「絶望に効くクスリ」より)

■解散後、「めちゃ²イケてるッ!」、「浜ちゃんと」、「人志松本のすべらない話」などにはコンビ(但しお互いピン芸人として)で出演している。

■2001年にオープンした東京・ルミネtheよしもとで、元相方・宮川と共に新喜劇に出演している。同時にピン芸人としてネタも披露している。


●R-1ぐらんぷり優勝。その後
■2005年、第3回R-1ぐらんぷり優勝。

■優勝の瞬間、大声で叫びながらスタジオの床に大の字になり涙を流した。

■「何回も何回も(お笑いを)やめようと思ったけど、続けてたら良いことあるんだと思った」とコメントした。

■「(出場して)何も取れなかったらホンマに死のう」と心に決めていたらしい。(「絶望に効くクスリ」より)

■2005年11月からCS「ヨシモトファンダンゴTV」で放送されている、365日ゴールデン生放送の帯の新番組「ヨシモト∞(無限大)」の第二部のメインパーソナリティに抜擢され、軽妙なトークでゲストに訪れる吉本芸人(たいてい後輩)を回している。

■意外と賢く、「クイズ!ヘキサゴンII」では好成績をおさめている(第2位・第5位など)。

■また、同番組で麻木久仁子のことを好きだと言っている。

■2006年5月20日には、虎の門(テレビ朝日)いとうせいこうナイト「話術王決定戦」第1回チャンピオンを獲得。

■浅井企画所属の芸人、花香芳秋にモノマネをされるようになった。モノマネの内容は「びっくりしますよ!」という声帯模写なのだが、あまりにも似ているため段々と「びっくりしますよ!」というのをためらうようになったらしい。

■2006年9月17日放送の「やりすぎコージー」では天狗という若手コンビをお勧め芸人に挙げていた。「ツッコまれたときのメガネの飛びっぷりに注目!」がお勧めの理由。Wコウジからは「ほっしゃん。が好きそうだわぁ」と評されていた。

■2006年9月25日に初の全編書下ろしの本「ほっしゃん。のほっ」を幻冬舎から出版。

■2006年9月に「新・夏の魔球」にて本格的舞台に初挑戦した(9/28〜10/1、全労済ホール/スペース・ゼロ)。

■舞台中に声帯を広げるためにステロイド注射を受けた。その副作用で「足が速くなって稽古に遅刻しなくなった」らしい。

■森光子の舞台「放浪記」のように年に1度のライフワークにしたい、とも語った。

■喫煙者だったのだが、喉を守るために医者から泣きつかれる形で禁煙することになった。しかし、2006年11月の「ヨシモト∞」1周年記念番組後の打ち上げでうっかり喫煙してしまい、禁煙に心が折れてしまったらしい。

■2007年3月4日の自身のブログにて3月いっぱいで「ヨシモト∞」ナビゲーターを卒業することを発表したが、同年4月からは月曜1部のナビゲーターを務めることが「ヨシモト∞」ホームページにて発表された。


【芸風】
■原則的に、自分の体を積極的に痛めつけ、周囲を引かせることで笑いを取る芸風を持つが、しゃべくりも水準以上のものを持っている。

■体を張ったエピソードとして、笑いを取るために番組のロケ中、突然崖から飛び降りたり、また芸人仲間の飲み会で「たこ焼き」と称して自分の頭にいくつもの楊枝を刺したこともある。他にもTシャツにソースをかけ、半分近く食べるなど数多くのエピソードを持つがWコウジいわく「笑いを履き違えている」ところがある。

■天然素材時代に、バッティングセンターのボールを体で受けるというロケで、一人だけ顔から受けに行った。「テレビで死んでもいい」と半ば本気で思っていたらしい。


●うどん
■うどんの麺を鼻から吸い込み、軽く咳き込んだ後に口から出すという特技を持ち、いくつかの番組で披露している。映画「UDON」でも劇中劇のなかで披露。

■笑いを取るための芸というよりは、ビックリ人間のような意味合いが強く、この芸を全く受け付けない人間もいる。ダウンタウンの浜田雅功は、この芸を見ると必ずと言っていいほどえづく。

■「雨上がり決死隊のトーク番組アメトーク!」に出演した際、きしめんを吸い込む事に挑戦し無事成功している。

■だが「ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円SP」ではネタをその芸しか用意しておらず(5回中4回も行った)、やりすぎて逆に客を飽きさせ、さらには一部の客をひかせてしまったこともある。

■また、前日にアイスクリームを食べ過ぎてお腹を壊した状態でやったため、途中で気分が悪くなり胃の中のものを吐き出してしまったこともあった。

■吸い込む麺については「ある程度の湿り気と長さが必要」とこだわりがあり、芸を行う前にはさりげなく最適な麺を選択している。

■渋谷の街頭ビジョンで「ヨシモト∞」の宣伝をするとき、30秒という短い時間で芸を2回成功させたことがある。

■「めちゃ²イケてるッ!」の「フジTV警察24時」で「オーラがない罪」の容疑者として登場したときも食堂でうどんを食べていて、芸人である証明として芸を行った。

■「YOUたち!」(2006年10月15日放送)でも芸を披露したのだが、「(うどんには)順側と逆側がある」というこだわりも披露した。

■「ヨシモト∞」に観覧に来ていたドイツ人男性の前で披露し、爆笑を得たことから「ドイツでもこの芸はいける!」と確信した。

■吸い込むのは決まって右側の穴。

■芸をするときのうどんは釜揚げうどんのように出汁が張られていないものを使う。「出汁が染みこんでいると鼻が痛くなるから」だが、2007年3月1日放送の「ヨシモト∞」では観客のリクエストに応じて出汁がしみこんだうどんで芸が行われた。

■「やりすぎコージーDVD」vol.1の特典映像や「ヨシモト∞」の第1号コンテンツに淡々と芸をこなす映像が収められている。

■自分で麺を買うのはいつも決まった製麺所だが、そこの社長には「テレビで言わないでくれ」と言われている。


●女装
■コントでは女装をすることがあり、優勝した「R-1ぐらんぷり」決勝でもコントの主人公は女装キャラクターだった。

■2006年7月19日の「ヨシモト∞」では、ショートムービーの撮影の途中だったので撮影時の衣装である女装キャラクター「ほしこ。」のままで3時間放送したが、あまりの可愛らしさに会場からは「カワイイッ!!」と言われた(同ショートムービーで共演したオリエンタルラジオ藤森がロケ収録後、コワイお兄ちゃんに「綺麗な女優と仕事しやがって」と絡まれた、という後日談がある)。ほっしゃん。はエビちゃんにちなんで「ザリガニちゃん」と言っていた。

■セーラー服などを着る事については全くの躊躇がない。

■「映画館に行こう!」実行委員会の「高校生友情プライスキャンペーン」ではセーラー服&三つ編み姿で出演している。


●ホッシャンパンダ
■「めちゃ²イケてるッ!」内のコーナーで、レッサーパンダの風太くんブームに便乗し、「ホッシャンパンダ」となる。

■元相方の宮川が飼育員役になり、ホッシャンパンダに野球のバッティングをさせたりするが、大好物の笹を見せられると笹に集中し、そればっかりに目が行ってしまう。そのためボールが体や顔に当たる。

■シリーズ2回目にはバレーボールが当たった。ホッシャンパンダシリーズ3回目ではプールに笹を投げ入れ、ホッシャンパンダは一番高いジャンプ台(10m)から、全く躊躇せずにプールに飛び込むという荒業を成し遂げた。

■尻尾を撫でると落ち着くという設定がある。


【特徴】
■「芸能界一、動物好きな芸人」と言っても過言ではない。ペットとしてウサギ、カメ、カブトムシ、トカゲなどを飼っている(いた)。「ヨシモト∞」では、ハムスター(ヒデヒデ)を飼っている。ブログにはウサギの「はんしん」の動画も時々登場する。

■「ロンQ!ハイランド」にゲスト出演した時は自分への賞品に亀などのペットを希望し、見事獲得した。

■2007年1月にはインドオオコノハズクをペットに迎えた。

■ナマケモノを購入しそうになったことがある。

■ペンギンを飼いたいと思っている。

■ゴキブリだけは苦手。

■未だに月2〜3回ほどの頻度でおねしょをしてしまう癖がある。「ヨシモト∞(無限大)」本番前、渋谷で立ち寄ったオイルマッサージが気持ち良すぎてもらしてしまったことがある。

■母親似。「リンカーン」で母親の写真を公開した時は「お前やないか!」と言われた。

■番組で紹介することがあるため、母親の写真を常に持ち歩いている。

■母方の祖母もほっしゃん。によく似ている。

■右足から座る癖がある。

■畳に座る時は右足を流すような形で座る。あひる座りの状態から寝ることが出来る。

■物心ついた時からうつ伏せで目覚めるという特徴がある。起きてすぐは鼻がぺしゃんこ。本人曰く、鼻の低さは「34年間コツコツ努力した結果」。

■2006年吉本ブサイクランキング5位、2007年吉本ブサイクランキング9位。

■1年に1回ペースで、咳をすると口から灰色のくさい玉がでる。硬さはチーズぐらい。芸人の間では「くさ玉」と呼ばれている。他にくさ玉がでる芸人は笑い飯哲夫、ブラックマヨネーズ小杉、あべこうじ、2丁拳銃修士など。

■特技は料理。その関係か、ドラマ「バンビ〜ノ!」では、ドルチェ(デザート)担当のシュフの役で出演。

■吉本興業の中で一番あそこが大きいと言われる。中学校の頃あるデパートの万引きGメンに、股間にチョロQを隠していると疑われ、身体検査を受けて無実を証明した。

■かつて「大きさでは吉本一」と謳われていた石田靖とトイレで隣になった際、ほっしゃん。のモノを見た石田がその大きさに思わず「うわぁ!」と声を上げたという。

■凄まじい大きさだが、あまり固くはならないらしい。

■オカモトからLサイズのコンドームを贈られたことがある。

■「絶好調の時は24.8(センチ)」「もう靴やね」と自ら評した。(「スカ☆J」)

■中学時代からその大きさについては有名だったらしい。(「アメトーーク」)

■頭を撫でられると眠くなる。

■若干のダミ声ではあるが、実は声帯を酷使している。

■地理が苦手でよく道を間違えるらしい。

■元旦には時間を作って初詣に行ったり、冬至にゆず湯に入るなど、風習を大事にする古風なところがある。

■ブログはほぼ毎日更新しているが、携帯電話で更新しているので実はパソコンは殆ど扱えない。パソコンは自宅にあるのだが半ばオブジェ化しているらしい。「ヨシモト∞」のショートムービーではパソコンを操る女性を演じているが、つけ爪もあってかキーボードのタッチにおぼつかなさが伺える。「大人の嗜みとしてパソコンも出来るようにならんとなぁ」と、一応の危機感は感じているようだ。

■童顔。赤ん坊の時から顔が変わっていないらしい。

■視力が悪く、仕事の時には使い捨てのコンタクトレンズを使用している。プライベートでは眼鏡をかけている(その姿がブログにたびたび登場している)。


【TV・CS(ヨシモト∞)等で放送された言動・特徴】
●TV
■料理が得意なので、「いきなり!黄金伝説。」の「1ヶ月1万円生活」で元ホストの城咲仁と対決した時には、和食中心の節約メニューを多く披露した。(テレビ朝日)

■星田家では、誕生日を祝う歌がユニークである。「ハッピーハピハピハッピー、○○(例えば英利)、せーの」と合コン風に歌ってから、ろうそくを消す。(「ヨシモト∞」、ガチンコ視聴率バトル)

■「誕生日は、産んだお母さんの記念日である」という考えを持つ。また彼女の誕生日は覚えず、祝わない(「ガチンコ〜」)。

■キスをするときは、お互い目を開ける。絶好のチャンスを見逃さないようにしたいから、という(「ガチンコ〜」)。

■おばあちゃん(母方)がゴキブリを殺すときには、スリッパではなく脱いだ足で殺す(「ヨシモト∞」、「第1回話術王決定戦」)。

■結婚を前提に10年間交際していた女性と破局したことを発表した。また、持田真樹に告白したが、断られた。さらに、ある女性に告白されていると発言した。(「芸恋リアル」2006/9/4放送分)

■足が細くスラリとしているが、本人曰く「曙のように絶妙なバランスで立っているだけ」で、平らなところでも転んでしまうことがある、とのこと。

■当時の彼女から星のイラストの入った手編みセーターをプレゼントされたが、着るのが恥ずかしくて海外の恵まれない国に送った。たまたま見たニュース番組の内戦を知らせるニュース映像で、そのセーターを着ている人が戦車に石を投げるところを見た(その場所はパレスチナといわれる)。そして、それをプレゼントした女性も見たらしい。(「ナンバ壱番館」、「人志松本のすべらない話」。なお「ナンバ壱番館」では、セーターを着ていたのは兵士となっている)

■その確率を計算したところ、0.00000000000004%という「25兆人に1人」の確率で、算出した人からは「まさに天文学的数字。銀河レベルです。」と驚かれた。そのため、他の出演者からは「ネタだろう?」と疑われた。(テレビ朝日「運命の数字」2006年6月19日放送)

■「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」では血管年齢が73歳と診断された。その為、他の出演者から「お爺ちゃん」と言われた。(2006年11月7日放送分)

■2007年1月1日放送の「第40回爆笑ヒットパレード2007」(フジテレビ)では「麺は口から食べたいですよ」と言っていたが、1月11日放送の「ショッピンポン」では京屋の稲庭うどんを試食し、早くもその願いがかなった。意外にもそれがテレビ出演時に初めてうどんを口から食べた瞬間だった。「やっぱりうどんは口から食べると美味いなぁ」とスタッフに感想を漏らしたらしい。

■年上の女性が好みらしい。(「クイズヘキサゴンU」2007年1月17日放送分)

■新幹線で眠っていて乗り合わせた客から「2分間呼吸がなかった」と言われたをきっかけに「睡眠時無呼吸症候群」であることが判明した。(「アメトーーク」)

■「芸人カメラの前で初めての告白第1弾」のコーナーで自身が出演している通販番組ショッピンポン!を通じて恋をしたほっしゃん。が「友達からでいい。ご飯一緒にお願いします。」と告白。相手の女性からは「初めてちゃんと目を見て話す事ができました。ぜひ、お願いします。」とOKの返事をもらい、告白は成功した。(「明石家さんちゃんねる」2007年4月18日放送分)

■その後、明石家さんまから2人の仲の進展を聞かれ、ほっしゃん。は「一緒に番組やっているのでデートは行けていない」「2〜3回ぐらいしかメールしていない」と嘘をつき、相手の女性とのメールのやりとりをばらされた。
ほっしゃん。【お疲れさん。この前はありがとねーご飯食べに行こなーいつ時間がある?】
女性【お疲れ様です!急ですが、さっきほっしゃん。さんにご飯誘われたので、九時半に待ち合わせしました】
どうして嘘をついたのか?と問われると、ほっしゃん。曰く、さんまから「じっくり行けよ!頑張れよ!」と言われたにもかかわらず、「収録の次の日に行ったから必死かなぁと思って」嘘をついてしまった。友達としての交際は続いている。(「明石家さんちゃんねる」2007年5月9日放送分)


●ヨシモト∞
■2004年にはるな愛にプロポーズしたのだが、ニューハーフということを知らなかった(2006/8/14放送分)

■「星野真里が好き」であると明かしている。

■小笠原まさやに占ってもらったところ「36歳で結婚する」という結果が出た。

■はりけ〜んずからメイド服をプレゼントされたときは「このメイド服が入る人と結婚する」と言ったことがある。

■初めて女性と付き合ったのは19歳の頃。初体験は20歳で相手はNSCの同期生(2006/10/12放送分)

■2006年10月17日放送のヨシモト∞の番組中、「今の彼女と一昨日別れた」と発言。その彼女は森三中の黒沢宗子にお世話になっている方らしい。(10月23日放送分ではその別れた彼女からのメールを一部公開した。)

■照れると必ず「テヘッ」と言うらしい(2006/10/16放送分)

■えくぼの出る女性にとても弱い(2006/11/14放送分)

■幼い頃、ゲーム機をおねだりしたが親に断られたため激しく癇癪を起こしたら前髪が焦げた(2007/1/10放送分)

■シベリア文太とたびたび共演をしているせいか、滑舌の悪さがうつってしまっているらしい。雑誌の取材で「2007年オススメの芸人は?」と訊かれて「シベリア文太」と答えたのだが、雑誌にはなぜか「イベリコ豚」と書かれていた。

■1月25日を「特別な日」としている。「過去に大失敗をして人に迷惑をかけたのでそれを戒める日」としているが、詳細は「墓まで持って行く」ほど秘密にしている。

■守護霊が芸人だからか縁起をよく担ぐ。

■2005年に引越しをしたときに子どもが部屋の中を駆け回る気配がしたので「座敷わらしか」と思い、お供えをしたら「R-1ぐらんぷり」で優勝するなど良いことが続いた。ある日、大阪の番組で江原啓之に診てもらったら、実はそれは流産してしまったほっしゃん。の妹だった。ほっしゃん。は衝撃を受けたが、邪険にすることなく連れて帰るそぶりをしたらしい。

■ペットを多数飼っているが、住んでいるマンションはペット禁止(2007/1/26放送分)

(出典:Wikipedia)

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山下しげのり

山下しげのり(やました-、1968年10月29日 - )は、日本のお笑い芸人。本名:山下栄緑(やました しげのり)。お笑いコンビ・ジャリズムのツッコミ担当。香川県高松市出身。吉本興業東京本社所属、吉本総合芸能学院(NSC)大阪校10期生。


【略歴】
■1981年3月、高松市立太田南小学校卒業

■1984年3月、高松市立太田中学卒業。

■1987年3月、大手前高等学校卒業。 

■1991年3月、摂南大学卒業。

■1991年4月、NSC入学。

■1991年11月、渡辺鐘と「山下・渡辺」結成。

■1992年5月、「山下・渡辺」から「ジャリズム」に改名。

■1998年12月、ジャリズム解散。解散後、芸名を「山下栄緑」から「山下しげのり」に改めた上でピン芸人となり、ルミネtheよしもとの新喜劇などで活動する。

■2001年、元「桧・友野」の友野英俊と「ガリッパナ」という漫才コンビ結成。2003年解散。

■2003年、松本人志の命名により、芸名を「山下しげのり」から「鼻油千右衛門時定 〜後の〜」に一時期だけ改名。その後も吉本新喜劇では鼻油名義で舞台に立っている。

■2004年2月、渡辺鐘と「ジャリズム」再結成。舞台公演のほか、『笑いの金メダル』などの番組に出演。

■2004年11月、中部日本放送(CBCテレビ)のバラエティ番組『ノブナガ』内で「写真マラソン」への挑戦がスタート。2006年3月19日(CBC)放送分にて名古屋城が出てゴール。

■2005年6月 プロミスのCMに出演。


【概要】
時折、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』にも出演するが、全くウケないスベリキャラとして定着している。「やましたパッカ〜」(顔の前で両手を広げる)「ヒクネチ」(コマネチよりも低い位置に腕を添えるギャグ)というギャグを持っているが、ウケたことがない。

また、七変化に挑戦したが、周囲の不安が的中し、結果は11000円(歴代9位)だった。挙句の果てにはプロデューサーの菅賢治がキレだす始末だった。

通称・ヤッシー。

松本人志や今田耕司など、細かいことに気のつく先輩とつきあいがあるが、対極の性格で鈍感・無神経を絵に描いたようなキャラクター。

山下の無神経さを象徴する出来事に、芸人仲間たちと毎年出かけていた、とある山村でのエピソードがある。帰りしなに芸人連中を追いかけてきた地元の女子学生に向かって山下が「この、田舎もん!」と言い放った。追いかけてきた女子学生はその途端立ち止まり、号泣し出してしまった。以降、その村の住民から「来年から山下を連れて来るな」という運動が起こったという。当の山下は「ウケると思って言った」と証言しており、自分が悪いことをしたとは全く感じていない様子であった。

鼻が大きく脂で表面がヌルヌルになるため、散々そのことを松本にネタにされている。曰く「日本鼻百選に選ばれろ」、「お前は鼻がでかいくせに鼻の穴がちっちゃいねん」。また、鼻の横のところがすごく臭い。宮迫博之は「うんこみたいな臭い」と言っていた。「やりすぎコージー・土曜婦人」でその噂を検証するため、鼻の横を指でこすって他の出演者にかがせたところ、全員「うんこの臭いがする」と顔をしかめていた。

また、生まれてこのかた「ファミコン」を触ったことがなく(本人曰く「持っていなかった」)、「やりすぎコージー」の企画の中で、37歳にして初めて「スーパーマリオブラザーズ」をプレイした映像が公開された(初公開はジャリズムのライブ)。1-1ステージの最初に出てくるクリボーにジャンプのタイミングを外して体当たり、スーパーキノコをジャンプで避ける(クリボーと勘違いしたのか)、スタッフに注意された場所で落下するなど、小学生でも滅多に見られないような初心者っぷりを発揮。持ちネタよりもウケていたのは言うまでもない。

無類の巨乳好きであり、2丁目劇場でジャリズムが全盛だった頃、テレビ番組の中で『お乳の国』なるコーナーを担当。 女性視聴者に電話でバストサイズを聞き、自分の好みの大きさであれば、独断でお乳の国の会員にしていた。 電話を募集する際には、「何をとは言いませんが、挟めるくらいの大きさがないとだめですよ。」とご丁寧に念押しまでしていた。

2007年年明けにテレビ東京系で放送された「2007年最も売れる吉本NO.1伝説」にて、占い芸人小笠原まさやによる占いで「2007年最も売れない芸人1位」(最下位)に選ばれた。その際、司会の今田耕司に本気でなぐさめられていた。

新庄剛志と仲がよく、彼が阪神タイガースに所属していた頃からの知り合いだという。

現在は矢部兄が社長の芸能プロダクション、ファンタスタープロモーションにてマネージャー業も行っている。

(出典:Wikipedia)

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渡辺鐘

渡辺鐘(わたなべ あつむ、1969年8月27日 - )は放送作家で、お笑いコンビ・ジャリズムのボケ担当。滋賀県高島郡安曇川町(現在の高島市)出身。吉本興業所属、NSC10期生。身長174cm。

ジャリズム結成前ハマっていた『スクール☆ウォーズ』や『東京湾ブルース』テレビ朝日)などのテレビドラマ等をコントのネタにして書いている。コントがあるバラエティ番組に必ずといっていいほど携わっているので、「コント作家」と呼ばれている。なお、番組に出演する際には「渡辺あつむ」、構成作家としては本名の「渡辺鐘」名義に統一している。

ますだおかだの増田英彦とは同級生。中川家とも同じ学校で渡辺の弟は中川家礼二と同級生。

ジャリズム時代は「声がデカい」ということで有名だったが、放送作家時代はボソボソとしかしゃべらなかった。

以前、番組で下ネタを連発した際に、同じく滋賀県出身の声優・雪野五月を怒らせたことがある。


【経歴】
■1991年11月、山下しげのりとコンビ結成。

■1999年、ジャリズムを一度解散し、放送作家に。

■2003年10月、千原兄弟のコントライブ『プロペラを止めた、僕の声を聞くために。』に出演。

■2004年2月、ルミネtheよしもとにて「元ジャリズム祭り」を開催し再結成を宣言。『登龍門F』(フジテレビジョンで2004年5月4日放送)を皮切りに様々なテレビ番組に出演している。

(出典:Wikipedia)

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ジャリズム

ジャリズムは、渡辺鐘と山下しげのりによる、お笑いコンビ。吉本興業所属、ともに大阪NSC10期生。


【メンバー】
■渡辺鐘(わたなべ あつむ、1969年8月27日 - )滋賀県高島郡安曇川町(現在の高島市)出身。NSC10期生。ボケ担当。放送作家でもあり、しりとり竜王戦五段。B型。

■山下しげのり(やました-、本名:山下栄緑(やました しげのり)1968年10月29日 - )香川県高松市出身。NSC大阪校10期生。ツッコミ担当。顔の脂の量が多く、目が開けられないほど出ることがある。そのためか小鼻の横が臭い。O型。


【略歴】
■1991年11月、「山下・渡辺」としてコンビ結成。1992年5月、「ジャリズム」に改名。「子供(ジャリ)主義(イズム)」の意味を持つ。

■1994年1月、第15回ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞。

■1998年12月解散。

■2004年復活、2005年のM-1グランプリではともに準決勝まで進出したが、敗者復活戦で敗退。


【概要】
■かつて大阪でかなりの人気を集めた。

■渡辺の書くシュールな笑いは千原兄弟とともにポストダウンタウンとしてその存在を知らしめることとなった。

■ネタの完成度は非常に高く、「葬式DJ」などはダウンタウンの「誘拐」に匹敵するくらいクラシックな輝きを放っており、以前TBSの番組であった「明日のダウンタウンを作れ」の子供漫才コンテストなどで出演者の子供がパクってしまうほどのものであった。(ちなみに優勝は現在のりあるキッズ)

■また「バカドールシアター」は渡辺の天才っぷりが発揮されている傑作であり、当時はもちろん今も伝説的ネタとしてそのファンは多い。

■その勢いで東京進出したものの大阪時代のようにはうまく行かず、また山下自身将来への不安を抱き吉本興業の社員への道を会社と相談。会社側はOKを出すが、これは”4年制大学を卒業してから”という意味だが、勘違いした山下は一方的に解散。このことはナンバ壱番館で後に語られている。当時ポストダウンタウンの位置とまで言われていたコンビの解散だけにこの解散報道は若手コンビとしては珍しく関西のスポーツ新聞にも大きく報道された。その後、早とちりに気づいた山下は再び渡辺に復活を打診するも上記の理由によるいわば我がまま解散であったため渡辺は拒否。

■以後、山下はピンで『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』などに出演、渡辺はお笑い番組の構成作家として活動していたが、2004年2月、ライブ「元ジャリズムまつり」にて復活。(一説では王シュレット事件に作家としてかかわっており、その後処理の過程で渡辺にジャリズムの復活を思い切らせたとも言われている)

■またダウンタウン松本が渡辺にあった際に当時そば屋でアルバイトしていた山下の近況を心配し「(芸人引退への)カウントダウンはじまったで」の一言で再結成を決意したとも言われている。

■復活後は解散前の時代からタイムマシーンでやってきたかのような当時のままの芸風で当時のファンには高い評価を受けるが、一般的な評価はあまり芳しくないようである。

(出典:Wikipedia)

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