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ジミー大西

ジミー大西( - おおにし、本名:大西 秀明(おおにし ひであき)、1964年1月1日 - )は、元 お笑いタレントで、現在は画家である。吉本興業所属。大阪府八尾市出身。


【来歴・人物】
大阪府八尾市立安中小学校時代は、ボーイズリーグ八尾フレンドに所属。4年後輩に桑田真澄がいた。八尾市立成法中学校時代も野球部で活躍、高校はスポーツ推薦で強豪の大商大堺高校に進学した。しかし、ベンチのサインが覚えられずにレギュラーになれなかった。高校在学中から吉本へ入り、なんば花月の舞台進行役を経てぼんちおさむに弟子入り。その後吉本新喜劇などを経て「おおにしこにし」という漫才コンビを結成したが、どうしてもジミーだけが目立ってしまうため長続きしなかった。

明石家さんまが運転手としてジミーの面倒を見るようになってからは、さんまによって才能を引き出され、数々の一発ギャグを身に着けていく。この運転手時代に料金所で車の窓を開けるのを忘れて手を窓に思いっきりぶつけて手を骨折してしまったというエピソードがある。特に、人から決まった言葉を振られた後に返すタイプのギャグが有名。「ジミーちゃんやってる〜?」と振られたあとの「やってる、やってるぅ〜」や、「ジミーがんばれよ」と振られたあとの「お前もがんばれよ!」、股間を触られたときに発する「ふるさと〜」または「エクスタシー」など。これらのギャグが評判となり、天然ボケ芸人として全国的に人気を博した。芸人として絶頂期を迎えていた1996年頃に、後述するテレビ番組の企画によって芸術の才能を見出され、芸術家の道を歩むことになった。松本人志は引退に際し、「もったいないな!あいつには誰も勝たれへんで!辞めなあかん奴いっぱいおんのに」とジミーの才能を絶賛していた。

萩本欽一に「このボケが意図的であればチャップリン以来の天才喜劇役者だ」と言われた。しかし個室で2人きりで話をして部屋から出てきた萩本の第一声は「天然だったね…」というがっかりした声であった。

山崎邦正も、初対面でジミーと個室で2人きりになったときに、山崎が何を聞いても、ジミーは「ウホッ、ウホッ」としか話さなかったと述懐している。

異常に嗅覚が鋭く、ある番組の企画で犬に勝ったことがある。またパニックに陥ると頭や顔を掻きむしる癖がある。

現在は画家に専念しているが、さんまの舞台公演への出演、それ以外にも時折テレビにも出演し、かつてのオトボケぶりを発揮している。但し現在、TV では妻の親族から昔のようなギャグやボケをするのを禁止されているらしい。しかし振られるとついつい反応してしまうそうだ。 テレビ出演で有名なものは、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!の罰ゲームスペシャルでのビデオ出演など。

さんまの舞台公演「明石家さんまプロデュース 今回もコントだけ」については、画家転向後の一時期は出演を見合わせたが、2002年に10年目の記念ということでゲストとして復帰、2004年のPart.11以降は再びレギュラー扱いになっている。

「ひょうきん予備校」に出演していたときは(本名の大西秀明名義)現在では考えられないほどのしっかりもののキャラで、キレのあるボケやツッコミで周囲を爆笑させていた。

2006年出演の「いつみても波瀾万丈」にて岡本太郎は目標、明石家さんまは親みたいなものと答える。


【画家として】
「EXテレビ」「世界ウルルン滞在記」などのTV番組企画にて絵画作品が抽象画家などの専門家によって評価され、1993年に初めて個展を開催。動物などをテーマとしたシュールな画風と鮮やかな色彩感覚で画家として注目脚光を浴びた。また、作風としなやかな発想が山下清に似ていた事から「平成の山下清」と称された。

旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)のキャッシュカードと通帳、ボジョレー・ヌーボーのラベル、bloodthirsty butchersのアルバム『未完成』のジャケットなどを手掛けた。

香川県坂出市の川崎造船坂出工場で建造された天然ガスタンカーにはジミーと地元小学生が原画を担当した「さかな」「カニ」「エビ」「かめ」の4種類の絵が特殊フィルムによってプリントされている。なお、これは乗り物としては世界最大のラッピングであるという。

ジミーの絵が初めて笑っていいともに紹介された時、司会のタモリは、これを半ば馬鹿にした様なニュアンスで取り上げており、また、スタジオの観客からも感心というよりは驚いた様な反応があった。(ただし、この時点で既に現在の画風を確立している。)

絵が評価され始めた頃、先輩芸人や知人達から絵を描いて欲しいと依頼され描いていたが、現在は吉本興業が管理している為、吉本興業の許可が無い限り描いてもらえないようになっている。 しかし明石家さんまからの頼みは別のようで、松尾伴内、木村拓也、工藤静香などに描いている。 (その都度さんまからお小遣いをもらう。)

岡本太郎にはじめて絵画をみてもらったときには、「描く紙が四角いことにとらわれている。キャンバスは大地。大地はもっとヤバい」という感想をもらっている。これは後の作風に大きな影響を与えている。また、ジミーは岡本から紫色の絵の具を贈られている。


【年譜】
■1994年 - TBSテレビ系列「オールスター感謝祭」の赤坂5丁目ミニマラソンで、海パン一丁で走ったが、心無い者に沿道からエアガンで狙撃される。生放送されたため、赤坂警察署が捜査に乗り出すことになった。この一件をきっかけにTBS側の警備が強化された。

■1994年7月 - フジテレビ系列「FNS総力スペシャル1億2500万人の平成夏休みバラエティー」の企画で、フジテレビ(河田町時代)玄関で23時間かけて巨大アートを制作。画家への転向のきっかけとなる。ちなみにこの作品は秋田テレビが優勝賞品として獲得した。

■1996年 - 尊敬する上岡龍太郎に自身の絵画を褒められたことから画家として生きていく事を決意し、芸能活動を引退、絵画に専念する。岡本太郎から「君は画家になりなさい」と手紙をもらった事も引退を決意した要因の一つ。

■2002年 - 個展「ジミー大西のEnergy of Nature展」を東京・京都で開催。

■2003年 - ボジョレー・ヌーボーのラベルデザインに採用される。

■2005年 - 個展「ジミー大西のキャンパスからはみだせ」を全国で開催。

■2005年 - ボジョレー・ヴィラージュ・ヌーボーのラベルデザインに採用される。

■2006年5月 - ジミーがカレンダーに描いた絵の贋作を作り売った男らが、大阪府警に逮捕されている。

■2006年〜2007年ダウンタウンのガキの使いやあらへんで内で録画という形であるものの年越しを飾った(前述の罰ゲームの為の出演であり、持ち前の天然で浜田、遠藤、山崎の爆笑を誘っている)


【主なギャグ・名言】
■「ジミーちゃんやってる?」「やってる、やってるぅ」「やめろっちゃ」

■「ジミー、がんばれよ!」「お前もがんばれよ!」

■「ウ〜、ウゥ!」

■「桃が二つありました、桃が三つありました、合わせて?」「ももももも!」

■「口になんか付いてるよ?」「唇です」「何階建て?」「5 階建て」

■「ジミーちゃん、大丈夫!」「(鼻つまんで)ダイジョウブ!」

■「キャビアは何の卵?」「ドラえもん!」

■「古今東西、お題は『欽ちゃんファミリー』!」「良い子悪い子普通の子!」

■「12 ÷ 3 は?」「えーっと....1 あまり 4」

■「電車の窓から頭を出してきゅっきゅっきゅーきゅっきゅっきゅー」

■「しっかりせぇ」「よーしわかった」

■「ストレッチ」「えーっと一人エッチ?」

■「メキシコ、メキシコ〜、アミーゴ!」

■「そこへ官房長官(本人曰く「喧嘩の仲裁をする人」)がやってきて、お金で始末する始末でした」

■(英語で1から100まで)「ワン、ツー、(略)、ナインティーン…テンテン…テンテンワン、テンテンツー、(以下「テンテンテンテンテンテンテンテンテンテン」まで)」

■(松本人志の肛門を押し付けられ)「鼻の上にウンコ乗ったみたいやった!」

■(山崎邦正との英語の本読み対決で)「お前三人称単数現在がめちゃめちゃやんけ!」

■「四字熟語は?」「春分の日」

(出典:Wikipedia)

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山田花子

山田 花子(やまだ はなこ、1975年3月10日- )は、大阪府堺市西区出身のお笑いタレント、自称・女優。吉本興業東京本社所属。本名は渡邉京子(わたなべ きょうこ)。愛称は花子、花ちゃん。大阪府立福泉高等学校卒業。


【来歴】
「4時ですよーだ」に素人として出演した事をきっかけに、中学在学中からタレント活動をはじめる。デビュー時のエピソードとして、舞台に出るための「鼻水メイク」を自宅で行い、手で鼻と口を覆ったまま電車で会場(NGK)へ来たらしい。

その後、吉田ヒロに代わって「ダウンタウンのごっつええ感じ」レギュラーに抜擢されるなど活躍したが、高校卒業後、一時はプロレスラーを目指してJWP女子プロレスの練習生となった。しかし受け身ができず、練習中に頭蓋骨を骨折する重傷を負い断念、その後は再びお笑いの世界に戻り、吉本新喜劇にて人気を得る。

ずんぐりとしたユーモラスな外見と、テレビや舞台などの活動では「カモ〜ン」「汗ばむわぁ〜」などのセクシーな口調のギャグで有名に。

しかし、舞台が終わると吉本興業所属のタレントからよく可愛がられる。

酒癖が非常に悪いため、テレビ等でそのことをからかわれる事が多い。 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!内の罰ゲーム「絶対に笑ってはいけない」シリーズ内で、酒に酔った花子が出演者に絡んでくるなど、実際テレビで何度もその姿を放送されている。

ナインティナインやロンドンブーツ1号2号よりも年下ではあるが、花子の方が先に事務所に在籍していたため、花子ねーさんと呼ばれている。だが、力一杯どつかれたり、基本的にはタメ口で「花子ねーさん、お前ええ加減にせぇよ」などとツッコまれるなど、実際は完全に後輩扱いである。

ファーストキスの相手は事務所の先輩・今田耕司。ただし吉本新喜劇の舞台上での話である。将来の結婚に備えて、現在もバージン(処女)を守っている(真偽は不明/森田一義アワー 笑っていいとも!でレギュラーとして初登場の際に、今年の出来事で「女になれた」とフリップに書いており、当時は処女ではないということを言っていた)。石田靖を先輩として尊敬しているものの、石田に関係を迫られた時は拒否したという。

テレビ東京系アニメ「とっとこハム太郎」のハナちゃんの声を務めたことがある。

2002年公開の映画「劇場版ポケットモンスター・ピカピカ星空キャンプ」では事務所仲間であるDonDokoDon、雨上がり決死隊と共に「ボケモン5」を結成、主題歌を担当した。 翌年2003年公開の「おどるポケモンひみつ基地」ではナレーションを担当した。

身長148cmと池乃めだかよりも身長が低いらしい。また、猫背の為に目立たないが、実はDカップの持ち主である。

非常に音痴なことでも知られる。過去何度も歌声を披露したことがあるが、音程やリズムを取ることに四苦八苦している。デビュー曲「虹色橋」(原曲はつんくが歌っていた)は大阪有線放送で放送禁止になった程である。

ロンドンハーツの「格付けしあう女たち」で、放送作家から上野樹里に似ているといわれた。

正月にある笑点の「振袖大喜利」では、三遊亭楽太郎の愛人または笑点のイメージガールと言って登場している。

30代なのだが、肌はかなりきれい。

敬虔なる創価学会信者である久本雅美に熱心に折伏されて入信したと言われている。

(出典:Wikipedia)

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田村亮

田村 亮(たむら りょう、1972年1月8日 - )は、大阪府高槻市出身の日本人お笑いタレントである。ロンドンブーツ1号2号のメンバーで、ツッコミ担当。相方は田村淳。吉本興業所属。血液型はA型。大阪府立芥川高等学校卒業。身長172cm。


【概要】
■“田村3兄弟”の末っ子である俳優の田村亮(下の名前は、本名ではない)とは別人だが、家が近く、面識はある。俳優田村亮宛の小包が、誤ってロンブー田村亮宅に届いてしまい、ロンブー田村亮夫人と俳優田村亮はその際に会ったらしい。

■担当はツッコミだが、天然ボケでおっさん臭い傾向があるので、逆によく淳に突っ込まれる。

■『ロンブー龍』の企画で本人がプロデュースした野菜中心の和食の店『菜乃家わいんち』をオープンさせる。本人もたまにお店のお手伝いをしている。

■短い金髪がトレードマーク。ブレーク前は黒い長髪だったが、先輩である加藤浩次(元極楽とんぼ)の奨めで金髪にした。その後2007年2月1日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした」の卓球対決で敗れ、その罰ゲームでパンチパーマ(金髪はそのまま)にさせられた。ちなみにパンチパーマ姿で同年2月7日放送のザ・ベストハウス123の収録を行った。

■吉本興業が発行する月刊誌「マンスリーよしもと」の「吉本男前ランキング」で、2002年まで3年連続でNo.1に選ばれ、2003年に殿堂入りした。因みに、徳井義実(チュートリアル)も殿堂入りを果たしている。2007年現在、井上聡(次長課長)が2年連続No.1を獲得しており殿堂入りにリーチをかけている。「吉本ブサイクランキング」で同じく3年連続1位・殿堂入りしたのはほんこん(130R)と、岩尾望(フットボールアワー)。2007年現在、山ちゃん(南海キャンディーズ)が2年連続No.1を獲得しており殿堂入りにリーチをかけている。にもかかわらず相方の淳とは対照的に独身時代はなぜかモテなかった。同じくモテなかったココリコの田中直樹とよくつるんでいたらしい。

■リズム感、音感がまるでない。ロンドンブーツ1号2号のレコーディングは、ギターとリードボーカルであった淳がさっさと録音し終えたのに対し、彼のパートはコーラスだけであったにも拘らずかなり難航した。

■2003年に、できちゃった結婚をした。これまでに1男をもうけている。『ロンドンハーツ』で独占結婚発表会見が行われた(番組企画あり、実際の記者会見ではない)。

■2002年1月30日に田村亮デビューシングル『存在』が発売。作詞・作曲は田村淳。

■2000年7月12日未明にバイクを運転中に下り坂だと思って進入した道が実は階段で、それによって両腕を骨折する事故を起こし、出演予定だったドラマのクランクインを遅らせる事となる。因みにその時の看病は、当時売れない芸人として田村亮宅に同居していた川田広樹(ガレッジセール)が行っていた。その際、亮は両腕骨折をして手が使えなかった為、トイレに行く際、川田はお尻を拭いていた。そして小の担当は品川祐(品川庄司)。お尻を拭くと5000円、小の時は1000円貰えたらしい。

■高校3年の頃に、よみうりテレビ製作『鶴瓶上岡パペポTV』の収録を欠かさず見に行っていたという。

■仕切りの出来ないツッコミとしても有名で、亮自身はプレーヤーに回ることが多い。

■ココリコ田中直樹、藤井隆と仲が良く、三人で海外旅行に行ったこともある。松本人志(ダウンタウン)曰く「やさし〜い、デリケートな三人」

■黒沢宗子(森三中)とはよく飲みに行くらしい。

■今まで出会った芸能人で最もオーラを感じた相手はビートたけしと答えている。それまでも「芸能人は皆例外なくオーラを持ってる」と思っていたが、たけしは格が違ってたとの事。

■プロレス・格闘技ファンとして知られるが、自身も柔術の使い手である。

■旧車マニアでも有名で、愛車は日産ブルーバード(510型の2ドア)。

■バラエティー番組のトークでは、全然喋っていない。

■海洋生物が好きで、番組で企画されたコーナーでグラビアアイドルの袋閉じには見向きもしなかったが、海洋生物の袋閉じには我を忘れて開き中を凝視したほど。

■相方の淳が鈍足(2006年7月4日放送の『ロンドンハーツ』より)であることもあって、力仕事を任されることが度々ある。

■父親(すでに他界している模様)が大工だった為、学生時代は大工を継ごうと思っていた。修業もしていた様で、『いただきマッスル!』内でその能力が度々披露されている。

■酒癖があまり良くない様で、酔いだすと相方の淳のことを褒めだす。

■東京の中心が上野だと信じて、一年以上上野に住んでいた。

■淳が出演していた大河ドラマ『功名が辻』にゲスト扱いで出演した。相方との絡みは無かったが、同じドラマにコンビ揃って出演したことになる。

■幼稚園のころ母親によくちょっかいをかけられ嫌だったらしい。淳とは反対に泣かない子で泥団子をいっつも作って遊んでいたと以前言っていた。小学校の時は人を笑わせるのが大好きな元気な子。運動神経抜群でドッヂボールでいつも遊んでいたのこと。このころからお笑いに興味を持ち始める。

■金髪のきっかけ

金髪になったのは、96年頃、その前は肩に届くまでのロン毛だった。しかしある日ガバメントのイベントに遅刻してしまい、罰として極楽とんぼの加藤に舞台の上でバリカンで坊主にされた。坊主頭の自分をテレビで見た亮は「これじゃ高校球児と変わらない」と、思い自分でブリーチして金髪にしたらしい。当時は金髪などいなかった為、「似合わない」と言われた。ロン毛時代にも「ムサい」と言われたこともあった。余談だが、あの金髪を染めるのに淳も手伝っていたらしい。金色のブリーチはかなり肌に刺激が強いみたいで、おでこのあたりなどかなりヒリヒリして痛かったらしい。

■淳と亮の出会い(亮的)

1年間やったサラリーマンを辞めアルバイトで食いつないでいた。そしてお笑いをしようと上野に行く(上野が一番進んでいると思っていた)。近くにお笑いをやっている人がいると聞き、会いに行ったその人がタバタさんだった。タバタさんに「同じようにお笑いを目指している奴がいる」と言われ淳と知り合う。その後、渋谷、原宿などに行った時、亮は自分の勘違い、人の多さに驚いたそうだちなみに初めて会った時の淳の服装はシャ乱Qのはたけさんような服装だったらしい…。

■ちょっと凄くて、面白い話 -亮と詐欺の戦い-
ここ最近頻発している悪質な詐欺電話が亮の携帯にもかかってきた時の対応。

悪質業者「あなたエロサイト見たのにお金振込んでませんよね」

亮『見てないって』

悪質業者「見ましたよね。訴えますよ。払って下さい。」

亮『明らかに悪質業者の手口じゃん。こんだけ話題になっているんだから、もう少し工夫しないと』

悪質業者「ふざけるんじゃねぇよ!訴えるぞ。」

亮『どうぞどうぞ、ていうかもう少しましな嘘考えてから電話してきてちょうだい。お金に困ってる訳じゃないからおもしろかったら振込むのを考えてもいいよ。』

悪質業者「…。」

(出典:Wikipedia)

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田村淳

田村 淳(たむら あつし、1973年12月4日 - )は日本人の男性お笑いタレント。ロンドンブーツ1号2号のメンバーで、ボケ担当。相方は田村亮。吉本興業に所属。 同じ誕生日に3歳上の中川家の剛がいる。これにより、剛が『ロンドンハーツ』で単独出演をする様になった。


【プロフィール】
・本名:田村淳(芸名と同じ)
・生年月日:1973年(昭和48年)12月4日
・星座:いて座
・血液型:O型
・出身地:山口県下関市彦島
・最終学歴:山口県立下関中央工業高等学校
・趣味:城郭、刀剣収集、コンピューター(マッキントッシュ)、ゴルフ、クレイアニメ制作
・身長・体重:164cm・58kg
・B・W・H:84cm・72cm・90cm
・靴サイズ:26cm
・頭まわり:56cm


【人物】
■幼少から人前で目立つ事が好きで、幼稚園の学芸会で駄々をこねて主役を譲って貰ったり、中学校のバスケ部で入場時のプラカード持ちをキャプテンから代わったり等していた。

■中学・高校時代は当時の超人気ラジオ番組KBC『PAO〜N ぼくらラジオ異星人』の常連リスナーだった。また、裏番組であったRKBラジオ『HiHiHi』のリスナーでもあった。

■高校では2回程停学になった事が有る。1度目は喫煙、2度目は製図の試験で机の引き出しの中にあった先輩の解答用紙を流用した事によるカンニングと窃盗。また、3年生のときに本当は就職先が内定していたのだが、その会社が突然倒産したため、吉本入りしたそうだ。

■高校時代、クラスメイトと「馬関(うまのせき)ふぐの助・ふぐ太郎」と言う漫才コンビを組んでいた。このコンビで上京し、東京進出を果たそうとしたが、上京後のネタ合わせの途中で相方が失踪する。約1年後、10歳年上の人とコンビを組むが、年齢差を理由に淳の方からコンビ解消を申し出る。そこで紹介されたのが、現在の相方・田村亮である。相方の失踪当時は仕事も無く、東京に頼る人もいない状況で、毎日家に閉じ篭って座り続け様々な考え事をしていたと云う。これが初の挫折であったが、この間に様々な事を考え続けていた事が後のブレイクに繋がったとする向きも有る。

■2000年頃に『暴ロンブー』と言う番組の企画で霊能力者に「髪を赤くするべき」とのお告げで髪を赤く染める。丁度ブレイク時期と重なり、コンビイメージの事もあって2002年頃まで赤い頭髪だった。ちなみに現在は茶髪。

■ロンブーのレギュラー番組では、仕掛人として数々のタレントにドッキリや罠を仕掛ける立場で、特に出川哲朗が最大の被害者として有名。しかし、逆に山本圭一(元極楽とんぼ)は天敵であり、過去に『27時間テレビ』のコーナーで大暴露された経緯がある。また、自分がドッキリや罠を仕掛けられるのは極度に苦手である。

■悪戯好きはお笑い芸人の間では有名。ペナルティに電車で別れ際に水鉄砲を放射し、他の乗客も被害に遭い残された彼らは相当小さくなった。また、ヒデのアパートに毎晩こっそり現れてはガス栓を止めて故障を装わせたり、ワッキーが引越しの手伝いでガンダムの人形を引き取る約束をしたが、後日ダンボールに大量の石と一緒に悲しい顔したガンダムが埋められて送り付けられ、配送代金は着払いで2万相当だったとか。

■担当はボケだが、相方の亮が天然ボケである為、ツッコむ事が多い。また、亮が仕切るとグダグダになる為、仕切り役に回る事が多い。

■自分以外に相方の亮がイジられていると面白くない、と発言している(自分のほうが面白くしてやれるから、らしい)。

■名前を「ジュン」と良く間違われる。

■熱心な城郭マニアで、写真を見ただけで何処の城か当てる事も出来る。また、戦国マニアであり、好きな武将は伊達政宗、好きな戦国女性は濃姫。日本刀の収集も趣味で、プライベートで一人の時は真剣の手入れをしながら真剣に精神集中をすると云う。念願叶って2006年のNHK大河ドラマ『功名が辻』に中村一氏役で出演した。

■『アイシールド21』の蛭魔妖一(ヒル魔)役で声優としてレギュラー出演をしたが、演技の稚拙さや「声がキャラに合ってない」と言う声も多く、評価は芳しくない。しかし、最近では違和感が無い、上手くなった等の声もある。最初のときと比べかなり上達してきている。声優としてのデビュー作は『それいけ!アンパンマン』のもずくん役。

■『新宿暴走救急隊』で共演した山下真司と親交がある。因みに、山下真司は田村淳と同じ山口県下関市彦島出身である。

■淳のプライベートヴィジュアル系ロックバンドjealkbのボーカル、作詞を担当。jealkbの時の名前はhaderu(歯が出てるから)。2006年5月31日に『metronome』でインディーズデビューを果たし、インディーズチャート1位を獲得。2007年4月に台湾ライブを行って大成功した。

■現在CMの契約が無い事を気にしているらしい。

■2006年7月4日放送のロンドンハーツに於いて、鈍足を披露してしまう。その為、体力事に関しては亮に任せる事が度々有る。だがバスケはかなり上手い。小学校・中学校・高校までずっとバスケット部で中学校から高校にかけてはスポーツ推薦で受かったらしい。

■相方の亮の妻とプライベートで食事に行ったり、遊んだりしている。

■品川庄司の庄司智春にとても慕われている。

■2006年10月19日放送の『くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!』の"オーラの沼”のコーナーで、あ原啓之(有田哲平)のオーラ鑑定により、ライブドアの株式を大量購入していて強制捜査後の株価大暴落で多額の損失を出していた事が判明した。

■大のテレビゲーム好きでよくゲームセンターなどでゲームを楽しむ。2006年12月14日に渋谷のゲームセンターの店員と言い争いを起こし騒ぎとなり、店員に対して「テメエ、ふざけんなよ!」と怒鳴り散らした上にこづいて、「テメエ目つきが悪いんだよぉー」「おまえバカか」と面罵しまくった醜態を写真週刊誌「フライデー」撮られてしまった。吉本興業でもこの行為について認め、詳細は現在調査中としている。

■以前ほど出っ歯でなくなり、歯を治したようだ。

■DT浜田の新番「オオカミ少年」で ロンブー淳が母親と頻繁にメールしてることをばらされた 「台風大丈夫だった? 寒くなったから風邪ひかないように気をつけてね 親父にもよろしく言っといて」 こんな感じのメール、しかも絵文字入り 勝手にケイタイを見られあせりまくり 「どうやってダイアルロック解除した」 って叫び 「俺そんなキャラじゃない」 と恥ずかしがる、しまいには浜田に 「お前いい奴やん、キャラ違うやん、ええ子やん」といじられてた。

■実家が平屋。淳曰く「お父さんが一生懸命働いて立てた家」らしい。

■生まれてすぐに水ぼうそうにかかり、生死の境をさまよう。幼稚園では脱走癖アリ、泣き虫、やんちゃな子だったらしい。小学生の時運動神経抜群な子で、勉強もよくでき、6年生の時児童会長になる。(今でも人生の中で誇れる事は?と聞かれると児童会長になったことと、よく淳は言う)お城に興味を持ち始めたのはこの頃と以前言っていた。

■赤髪のきっかけ

赤髪になる前はオレンジ(高校三年で就職が決まったのにその会社が潰れてしまって、その次の日にした)、茶、銀、三毛猫(白茶黒が入り交じっている)など様々だった。赤髪になったきっかけは、関西の方で放送されていた『爆ロンブー』という番組で、自称占い師というおばちゃんに「髪を赤くしなければ、このままだとトラックの運転手になる」「淳君の頭赤くしたい」と言われた為に赤く染めた。あと、他にも淳は亮が金髪で目立ってるのに自分は黒で目立っていない!とずっと危機感を抱いていたみたいでその気持ちもあり赤髪へ。現在は赤髪のメージに飽きてしまい、脱赤髪イメージということでもずくんの曲を出す頃まで着々と少しずつ黒くしていき今では赤髪を見る機会がほとんど無い状態だった。淳曰くおめでたい席には赤くしているとのこと。(現に亮の結婚会見では赤髪だった。)

■淳と亮の出会い(淳的)

淳は高校時代『ふぐの助ふぐ太郎』という超アマチュアお笑いコンビをやっていた(淳はふぐの助)という名で、相方はふぐ太郎。)ラジオのFM山口に彼らのお笑いが放送されていたりしたらしい。この頃淳はバイトでウエイターをしていた、就職が内定していた地元の会社が倒産したため好きなことをやろうと決心。「ふぐ太郎」と共にお笑いタレントを目指して東京に上京する…が、いざ東京についてみると「ふぐ太郎」が東京をビビッて逃げ出した。淳はウィッツという事務所に所属…だがコンビを探すように言われるだけで仕事がないタバタさんというひげモジャのメガネをかけている人に出会いカラオケでお笑いのネタについて話をする…しかし、ネタが古すぎるため、後にタバタさんに自分と同じようにお笑いタレントを目指してるという、亮を紹介してもらったらしい。


【女性関係】
■女性タレントの藤崎奈々子と約5年間交際していた事がある。2004年に『ロンドンハーツ』の「格付けし合う女たち」に藤崎が出演し、交際当時の意外な素顔を暴露された。それ以降、藤崎本人がいないときでも『ロンハー』で藤崎のことがネタにされるようになった。また、藤崎以外にも様々な女性タレントや若手アイドルと浮名を流し、頻繁に週刊誌に載ったりしている。

■ナンパのターゲットは芸能人。携帯電話のメモリーには多くの女性芸能人の電話番号・メールアドレスが登録されており、今田耕司は彼のケータイをアイドル名鑑と形容している。また本人曰く、携帯メモリーは常に1000件に達しており、新たに登録する際には、連絡を取らない人のメモリーを一件削除してから登録する。

■今田耕司は後輩芸人に「(アイドルの)誰それが好き…」と恋愛の相談をされる事が有るが、大概そのアイドルは既に淳のモノになっている。このエピソードは、ロンブーが『やりにげコージー』にゲスト出演した回で当たり前の事の様に語られた。

■2005年12月20日の『ロンドンハーツ』で親と彼女以外の手料理が食べられない事を明かした。

■自身の女癖の悪さを、「十代の頃に年上の女性に裏切られた事への復讐」だと告白した。


●27時間テレビ「生マジオネア」「大かま騒ぎ」
■2004年7月24日放送『FNS27時間テレビ めちゃ×2オキてるッ!what A wide awake↑we are! 楽しくなければテレビじゃないじゃ〜ん!!』の「クイズ!生マジオネア(くいずなままじおねあ)」に淳が解答者として登場。そこで坂下千里子に4股をかけられていた事に関するクイズが出題された。「生マジオネア」の時点では坂下とは分からないように配慮されていたが、その後のコーナー「真夜中の大かま騒ぎ」で、極楽とんぼの山本圭壱から分かり易いジェスチャーにより暴露された。

■坂下との共演は近年無かったが、2005年4月1日の『笑っていいとも』にゲスト出演し、当時金曜日レギュラーだった坂下と共演。しかし2人が目を合わせる事は無かった。

■2005年7月23日・24日放送『FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!』内で再び行われた「真夜中の大かま騒ぎ」では、深津絵里に接近する為舞台を観に行ったりした事を後輩の庄司に暴露された。また若槻千夏にフラれた事も山本に暴露された。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20080117-00000009-sanspo-ent

ロンドンブーツ1号2号

ロンドンブーツ1号2号(ロンドンブーツいちごうにごう)は、田村淳と田村亮から成る吉本興業所属の日本のお笑いコンビである。略称は「ロンドンブーツ」「ロンブー」。

2人とも姓が同じだが、血縁関係は無い。また、「1号2号」というのはコンビ名としての表現であり、「どちらが1号でどちらが2号ですか?」と聞かれる事を狙ってのもので1号2号の区別がある訳ではない。 ただ、結成当初は亮が1号、淳が2号を名乗っていた。


【メンバー】
■田村淳(たむら あつし、山口県下関市彦島出身、1973年12月4日 - )ボケ担当。

■田村亮(たむら りょう、大阪府摂津市千里丘出身、1972年1月8日 - )ツッコミ担当。

漫才コンビのハイヒールにならってコンビ名に靴の名前をつけた。 亮によって命名された。 ちなみに淳が考え、没になったコンビ名は「タムタムズ」。


【略歴・概要】
東京のインディーズお笑い集団〈集団田中)に2人とも所属していたことから出会い、1993年コンビ結成。渋谷で路上ライブを行い、多数の観客を集めるようになる。当時のネタのひとつに「精子爆裂隊」がある。

1994年4月、銀座7丁目劇場のオーディションに合格し吉本興業入り。同期にDonDokoDon・ペナルティなどがいる。大阪NSCでは12期が同期にあたる。

初期は、淳がヘアバンドをしたり、関西弁を喋ったりとキャラ作りをしていた。その頃、CX深夜の帯番組、ウッチャンナンチャン司会の「UN FACTORY カボスケ」でたくさん出演していた若手の中から際立った目立ち方でウンナンから引き立てられて売れ始めた。

タモリのSuperボキャブラ天国には「ボキャブラ発表会 ザ・ヒットパレード」のコーナーに出演。芸人がネタの評価を競うスタイルが後に人気となるが、その最初期の出演者の1組だった。しかし番組の続編となる「超-」以降は出演していない。ネタには(オチのフレーズが)長文のものが多く、高評価を得ることもあった。番組内で独自に付けられる芸人別のキャッチフレーズは「くいだおれパンクス」。

以後、異例のスピードで大ブレイク。デビュー2年にしてすぐにオールナイトニッポン2部パーソナリティとなる。以後多くの番組で「仕切り」のポジションに立ち、若くして冠番組を多数持つようになった。

上記のように本来のスタイルは淳がボケ、亮がツッコミだったが、亮のあまりの天然っぷりに最近では淳が仕切り及びツッコミ、亮が天然ボケに変わっている。

テレビでは2、3回ぐらいしかネタをしたことがないらしい。

ブレイク初期は素人をいじる企画などを得意としていたが、近年は芸能人をいじる企画にシフトしている。

亮は大阪出身であるが東京吉本デビューの為、標準語と関西弁が半々であり、ツッコミの「それ、あかんだろ」等の東西チャンポンのツッコミは同業者がたまに真似る。デビュー直後、まだキャラクターを模索中の頃は淳も関西弁を使っていた時期があった。

2000〜2002年、歌手としてエイベックスから3枚のシングルを発売した。また吉本芸人のユニット「Re:Japan」に参加し、2001年のNHK紅白歌合戦に出場した。

以前、淳は3ヶ月家賃を払ってなかった為、亮宅に同居していた(押入れの中に入れてもらったといわれる)。ちなみに家賃は3000円だったらしい。

現在放送中の「ロンドンハーツ」などの恋愛バラエティーに出ている為、一部の地域では「スケベ芸人」と呼ばれることもある。

淳はうっかりラジオの生放送中に自分の携帯番号を言ってしまったことがある(ロンドンブーツ1号2号のオールナイトニッポン)。

亮はおとなしそうに見えるが、切れるとスイッチが入るらしく、番組でムエタイの選手をKOしたことがある。

テレビでゴールデンタイムの冠番組がいくつかあり、2006年現在テレビ朝日のロンドンハーツは長寿番組だが、裏番組に苦戦を強いられ短命で終わるジンクスも持っている。

余談であるが、2人ともレギュラーのテレビ番組とラジオ番組で重複出演したことがある。(参考:裏番組)

木曜深夜に3局でメイン番組を持ったことがある。(ぷらちなロンドンブーツ(テレビ朝日系/1997年10月〜2002年9月)→ロンロバ!全力投球・金メダル(TBS系/2003年10月〜2004年9月)→嗚呼!花の料理人(日本テレビ系/2006年4月〜現在放送中))

近年リーダシップをとっている淳が1号で亮が2号だと思われているフシがあるが間違いである。亮は「FNS地球特捜隊ダイバスター(フジTV H19.1.7深夜)」で「2号が噛んだ」と指摘されたが2号ではない。表記のとおり当初、年上の亮が1号であった。

初期の頃はロックバンド『KATZE』と同じ事務所に所属。

以前、ロンブーの番組でキャバ嬢の家にガサ入れ(女の子が浮気していないかを調べに行くコーナー)しに行った時 その女の子の電話に突然男から電話があった。 「浮気相手だろ」と疑う淳に、女の子が「違う。キャバの客。金にならないから着信拒否してる」と言った。 それを聞いた淳は、その後またかかって来たケータイをいじってすぐ「あ、これは本当に着信拒否です。」と納得する。 「えー?本当に?」とまだ疑っている亮に、が「着信拒否の時って、普通の電話と違って一度繋がった状態でブツって切れるからすぐわかるんだよ。」と答える。 「何でそんな事知ってるの?」と聞かれ淳が笑いながら「オレ何度かされた事あるから。待ち合わせなのにされた事もある」 と告白。 すると亮が「誰やねんそれ!淳になんて事すんねん!」と温和に怒り出した。 最後はTVに向かって「オレの相方にそんな事しないでくれ。着信拒否なんかしちゃだめ。特に待ち合わせでしちゃだめ」 と叱ってたらしい。

まだロンブーを結成したばかりの頃、人見知りのはげしい亮は淳のことを信用していなかった。 そんな中、二人はネタ合わせの約束をしていた。しかし約束をしたその日は台風で大荒れ。 亮は「もういないやろ…」と思いながらも待ち合わせ場所へ行くとそこにはずぶ濡れになって立っている淳がいて、「普通こんなんなって来ないやろ。何で来たん?」と亮が聞くと「約束したから」と淳が答えた。 これを聞いた亮は「こいつならやっていける」と思ったらしい。

踊るさんま御殿SPにて『自分が思ったより嫉妬深いと実感した時』という題で 淳は「他の人が自分よりうまく亮をいじっていると嫉妬してしまう」と告白。 また「亮の奥さんに対しても嫉妬する」「相方が好き」と恥ずかしそうに話した。 亮は隣で恥ずかしそうに照れ笑いしていた。

大喧嘩は97年にあったらしい。番組収録中に、淳がツッコミのでパンチを入れたら、それが亮のみぞおちに命中。 あまりの痛さに亮が「殺すぞ!」と言うと、それに負けじと淳も言い返し、収集がつかなくなったという事があったらしい。

2007年5月25日のロンブーの怪傑トリックスターで、淳が相方亮の事を呼び捨てにしている事が分かった。

(出典:Wikipedia)

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藤井隆

藤井 隆(ふじい たかし、1972年3月10日 - )は、大阪府豊中市出身のお笑いタレント、俳優、歌手。吉本興業所属。血液型はA型。身長 173.8p 。妻はタレントの乙葉。


【略歴】
豊中市立南丘小学校、豊中市立第九中学校(女性シンガーソングライターの矢井田瞳も同校の出身)、大阪市立西商業高等学校(現・大阪市立西高等学校)卒業。高校在学中に阪神百貨店の「学生禁止」のアルバイトにあえて応募、接客テストで学生でない他の応募者より優秀だったのと、「顔が学生的ではない」という特別理由で採用された。

高校卒業後の数年間は化学薬品会社の経理課に勤務していた。1992年、サラリーマンを続けながらYSP(吉本新喜劇プロジェクト)へ。同年、毎日放送の「テレビのツボ」でテレビデビューを果たし、これを機に仕事を吉本興業に一本化。吉本興業の同期にはココリコ・中川家・陣内智則・たむらけんじらがいる。

新喜劇の全国展開が活発になってきた頃、中堅クラスの多くが遠征で不在で座長と二線級以下のYSPメンバーばかりで演じなければならない時期があった。この期間、ある病院で内場勝則の同室の病人が全員オカマというシナリオで、それまでゲジゲジ眉毛しかギャグがなかった藤井がオカマキャラを見事に演じ、出演メンバーの層の薄さに急激に冷め始めていた客席を異常に沸かせることに成功。そのままオカマの藤井として一気にブレイクし、わずか一ヶ月ほどの間に中條健一らと番組の冒頭で番組紹介をするほどになる。

一時オランダを放浪していたが、1997年、全国放送となった超!よしもと新喜劇番組内で演じたオカマキャラでブレイクした。同番組ではダウンタウンがゲスト出演した際に、松本人志の仕掛けにはまって浜田雅功とキスをするはめになった。これがきっかけでブレイクして以来、ダウンタウンの番組にも多数ゲスト出演。2001年には4年ぶりに復活した「ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル」に元々のレギュラー達と並んで出演している。

毎日放送ラジオの人気番組「オレたちやってま〜す」でも活躍し、藤井は、林原めぐみと水曜日を担当。アシスタントには初代に原史奈を迎え、以後周防玲子・藤本綾・加藤明日美と順に交代している。この時に林原と親交を深め、後年、林原が雑誌『NEWTYPE』に連載していた対談コーナーの最終回に藤井が迎えられ、また藤井の結婚式にも林原が出席した逸話もある。

2000年、浅倉大介のプロデュースによるシングル「ナンダカンダ」で歌手デビューし、同年「紅白歌合戦」(NHK)に初出場。この時ほかの出演者から「お前の歌なんて誰も聞かねえよ。」と言われビビっていたとか。翌年もRe:Japanのメンバーとして2年連続出場(ウルフルズとコラボレーション)し、「明日があるさ」を熱唱した。歌手としては2004年上海、ロサンゼルスでワールドツアーをおこなった。

2001年に放送がスタートし、一時はゴールデンタイムに進出した『BEST HIT TV』シリーズ(2006年終了)でマシュー南というキャラクターとして司会を務め人気を集めた(後述)。

2004年、劇場版アニメ「マインド・ゲーム」で初声優を務める。

2005年4月2日から、関西テレビ制作のフジテレビ系列で毎週土曜日の朝8:30からの情報系番組「ベリーベリーサタデー!」(『いつでも笑みを!』の後番組)の司会を鈴木杏樹とともに務めていた。(2007年3月で終了)

2005年5月7日に、乙葉との婚約を発表。同9日に会見を開いた。

2005年7月29日に入籍、翌7月30日に都内のホテルで挙式・披露宴を行った。

2006年6月2日、映画『カーテンコール』(2005年11月公開)の演技で、第15回日本映画批評家大賞新人賞(南俊子賞)を受賞。


【人物】
■原則的に、ハイテンションで高慢で、ややオカマっぽい口調のキャラクターを常に演じている芸風。実際の性格は全く正反対で、とてもおとなしく礼儀正しい。テレビ出演初期は、その素の部分との落差を先輩に指摘されるというのもネタのひとつとしてあり、ブレイクのきっかけにもなった。ブレイクとともに芸風をスライドさせていったため、現在ハイテンションになることはめったにない。

■左の生え際にある直径1センチほどのホクロが特徴。

■趣味は音楽鑑賞・プラモデル作り・移動などの待ち時間の読書。特に氷点シリーズを愛してやまない。好きな写真集にちんかめシリーズがある。

■持ちギャグはや「フォ――!!」など。2001年ごろまではテレビでの登場の際、ほぼすべての出演番組で「HOT!HOT!」といいながら出演することが多かったが、最近は売れてきたためかあまり言わなくなった(最近では2007年に出演した「恋のから騒ぎ・・・ご卒業SP」「雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!」にて披露)。

■「オレたちXXXやってま〜す」初回、藤井隆が中心になる初めての番組という事で心配したよゐこが隠れゲストとしてゲリラ参加した際、よゐことしては、「必要ない!!」とツッコんでほしかったそうだが、藤井は感激のあまり放送中泣き出してしまい、結果その回は最後までよゐこが仕切り、藤井は聞き役に回った。また、この後のスペシャルウィークでは、再びゲストとして登場したよゐこに対し「一人でやって行けることを証明する」と宣言、張り切りすぎた結果、聴いているリスナーにとってはそれが“藤井一人の勝手な暴走”と映ってしまい、ラジオ中から次の週にかけて大量の苦情、批判がよせられ、翌週放送上で謝罪、それでも気がすまないとハガキを送ってきたリスナーに対しては自ら謝罪文を書いて返信するという事態になった。

■2005年10月22日にテレビ朝日系列で放送されたプロ野球日本シリーズ第1戦「千葉ロッテマリーンズvs阪神タイガース」の始球式を「マシュー南」として務めた。しかし、野球、ロッテとは何の関連もない番宣目的での始球式であること、これから試合が行われるマウンドに落書きをしたことなどが一部の野球ファンなどから顰蹙を買った。

■病的なまでに人見知りで、プライベートではスイッチが切れたように大人しくなる。結婚するまでは、仲のいい友人はココリコ田中直樹、ロンブー田村亮、YOU、 吉村由美、西川貴教程度であった。

■また、非常に几帳面な性格でも知られる。きれい好きで有名な今田耕司からも「家政婦みたいや」と絶賛されるほどである。

■母親が阪神タイガースの大ファンであり、藤井の阪神情報は全て「ベリサタ」で共演していた金村義明からではなく母親伝いで入ってくる。

■礼儀正しく、腰が低いことでも有名である。取材でも記者との待ち合わせ時間に遅刻することはまずなく、相手の記者がたとえ5分でも早く来ていたときは「お待たせして申し訳ありませんでした」というらしい。そのため、同僚からもマスコミやスタッフの評判も非常に良い。吉本新喜劇の共演者からも「藤井くんはみんなに好かれているから、いいフリがたくさん来るんや」と評されていた。

■最近は司会の仕事が多いが、彼が司会を務める番組は全て視聴率が今ひとつで、「藤井隆は司会者には向いていない」などと言われる事が多く司会者としての評価は低い。かつて「笑っていいとも!」のレギュラーの時にタモリにはあまり評価はされておらず、それが当たってしまった形になっている。最近は「藤井は俳優に転向させた方が良いのでは」という声が多い。

■誰に対しても人当たりの良い人柄ではあるが、「HEY!HEY!HEY!」の企画でkiroroの玉城千春と何も知らされずお見合いさせられた時は乗り気ではないリアクションを連発し、最終的には「こっちにだって断る権利はあるのよ!」とややおカマ口調で言い放ち、交換した電話番号のメモを破り捨てるというギャグをかまし玉城を泣かせてしまった。ダウンタウンにも「それはあかん!」と頭をはたかれまくられ、本人もやりすぎた事を自覚し平謝りしていた。また、再度出演した際に、今度はこれまたファンだという花*花と一緒になったが、こじまいづみに対してまたもや乗り気ではないリアクションを見せてしまい、こじまに「もういやや」と散々言われた挙句「(電話番号のメモを)破って捨てるんでしょ?」と突っ込まれていた。

■デビュー曲「ナンダカンダ」の衣装をきた藤井のフィギュアが海洋堂で作られることになったのだが、「サイズ通りのバランスで作ると頭が大きくて倒れてしまうのでサイズを修正してよいか」と言われてショックを受けたらしい。藤井はこのことについて番組で「隆はこれで生きているんです!」と絶叫した。

■オカマキャラは彼の代表作だが、「テレビのツボ」では普通の好青年だった。さらに、このキャラは後の夫人となる乙葉が嫌っていたらしく、一定の人気を得たことと共に徐々にこのキャラ色を消していくことになる。

■オカマキャラだが、なぜか一人称は「わたし」ではなく「僕」。但し、オカマキャラを演じるとき、自分のことを「隆」と呼ぶこともある。

■非常に髭が濃く、朝に剃っても夕方には青くなっている。

■即興でやったにもかかわらず、コロッケのものまねがかなり似ている。


【主な持ちギャグ】
現在はタレント活動が主でギャグを見られる機会は少ない。

■「フォーーーッ!!」
共演者が藤井の胸を触り「アッ、アッ、アッアッアワワワワワワッ・・・」と喘ぎながら手が股間に達した時に叫ぶ。ただし、最後に口を押さえられることがあり、その時は他の共演者が「フォーーーッ!!」と叫ぶことになっている。

■HOT!HOT!ダンス→「○○に出会えてよかった、うれしはずかしオーマイハート、○○に出会えてうれしい僕の体の一部がHOT!HOT!」(共演者に突っ込まれるまで「HOT!HOT!」を繰り返し続ける)。
前振りとして「この喜びを踊りで表現したいと思います!」と言い、ダンスが始まる。
パターンは「○○探して歩いた、右へ左へレフトandライト〜」など複数ある。
トーク番組などで意味を聞かれると、「単に股間が勃起した様子を言ってるだけなんですけどね・・・。」と気恥ずかしそうに答えている。

■「フレーッシュ!」

■(共演者)「お前オカマやろ?」(藤井)「僕はオカマじゃありません、ホモです!」
逆のパターンも存在する。

■退場する時に誰かを紹介するように手を前方に差し出して「誰紹介してんねん」とツッコまれる。

■ヤクザなどに蹴られまくった際に尻を突き出して「も、もっと〜〜!」

■「藤井さん、ハーフなんだって?」(藤井)「ええ、そうなんです。男と女の。」

■「時間が経つごとに髭が濃くなり始める」と言われると口元を隠しながら「12時までのシンデレラ!」


【マシュー南】
マシュー南とは、テレビ朝日系列のバラエティ番組「BEST HIT TV」シリーズ(「BEST HIT TV」→「Matthew's Best Hit TV」→「Matthew's Best Hit TV+」→「Matthew's Best Hit UV」)で藤井が演じたキャラクター。

チェリストである日本人の父と、元伯爵家令嬢であるイギリス人の母との間にイギリスで生まれ、フルネーム「Matthew・G(弦也)・南」。イギリス出身であるにもかかわらず日本の歌謡曲や芸人、80年代アイドルなどに精通しており、特にWinkの振り付けにおいては右に出るものがいない。これは10代を京都に住む父方の祖母のもとで過ごしたためだという。自身が司会する「Matthew's Best Hit TV+」は現在世界28か国で放送されていると主張する。

番組内ではマシュー南と藤井隆が同一人物ではないということになっている(松浦ゴリエと同様)。その為、ゲストもマシュー南と藤井隆が同一人物であるような発言をしないように気を付けなければならない。CGによりマシューと藤井がトークしている映像も収録された。なお、モーニング娘。の高橋愛は、マシュー南がピンで初出演した際「藤井さん」と言ってしまい、マシュー南に「言っちゃだめ」と注意された。マシューのキャラクターぶりでは、やしきたかじん、所ジョージ、ネプチューン、くりぃむしちゅーなどからは、批判を述べることが多い。

要潤を「キャナメ」、上戸彩を「ウェッティ」(当初は「ウェット」)、釈由美子を「シャックス」と呼ぶなど、ゲストを奇妙なあだ名で呼ぶことも多い。

また清涼飲料水、自転車、絵本、文房具などマシュー関連のグッズを何種類か出している。

以下に、マシュー南としての活動を挙げる。

■2004年の米アカデミー賞脚本賞を受賞した映画『ロスト・イン・トランスレーション』に、マシュー南として出演した。

■2004年秋、童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン生誕200周年を記念した「2005アンデルセン親善大使」の一人にマシュー南として任命される。

■2005年4月6日に放映された「徹子の部屋」にマシュー南として出演した。

■2005年5月11日に「Matthew's Best Hit TV+婚約会見スペシャル」では、ゲストとして招かれた藤井隆がマシュー南と共演。マシュー南が藤井隆に乙葉との婚約について質問した。

■2005年10月22日には、テレビ朝日系列で放送されたプロ野球日本シリーズ第1戦「千葉ロッテマリーンズ vs 阪神タイガース」の始球式をマシュー南として務めた。しかし、野球、ロッテとは何の関連もないキャラクター名義での始球式であること、これから試合が行われるマウンドに落書きをしたことなどが一部の野球ファンなどから顰蹙を買った。特に星野仙一は「あんなピエロみたいな奴に投げさせるとは何事か」と自分のサイト内で苦言を呈した。

■2005年10月28日放送のクレヨンしんちゃんの終盤で、Matthew's Best Hit TV+のゴールデン進出を記念しマシュー南として出演した。

(出典:Wikipedia)

田中 直樹

田中 直樹(たなか なおき、1971年4月26日 - )は、大阪府豊中市出身のお笑いタレント、俳優。お笑いコンビ・ココリコのリーダーで、ボケとネタ作りのほとんどを担当。相方は遠藤章造。


【プロフィール】
■外見上の特徴はクセ毛のセミ・ロングヘアー、しゃくれたアゴ、など。身長は181cm。長身で端正な顔立ちだが、あまり女性にはもてなかったらしい。

■血液型はO型。以前はAB型と公表していたが、血液検査をした際にO型だったことが判明。その後に出演しているテレビ番組で公表した。

■趣味は映画鑑賞。動物好きでも有名で、その中でも好きな動物はサイ。

■妻は小日向しえ。2003年6月に結婚し、2007年現在男児1児の父親である。

■視力は良くなく、コンタクトレンズを使用している。無名時代は黒ぶちの眼鏡を着用した姿でテレビに出ていたこともあった。

■苗字で呼ばれることが多いが、『ココリコミラクルタイプで共演している友人リリー・フランキーや、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』チーフプロデューサー菅賢治からは下の名前で呼ばれている(菅の場合は演出だが)。また、一部からはたーさんとも呼ばれている。


【デビューまで】
豊中市立豊島小学校、豊中市立第四中学校卒業。小学生の頃から野球を始め、中学では後に相方となる遠藤と同じ準硬式野球部に所属、副主将を務めた。ポジションはピッチャーだったが肩が弱く、それを見透かされないようにするためほとんど牽制球を投げなかったほどだったが、なぜかチームは強かった。今でも中学2年生に戻りたいと同窓会を開きたがることから、とても幸せだったことが窺える。

その後大阪府立桜塚高等学校に入学。気象衛星部に所属し、スポーツ・異性と無縁の青春時代を送った。高校卒業後はデザイン系専門学校に進学。在学中に当時サラリーマンを辞め無職だった、遠藤に誘われオーディションへ。見事合格し「ココリコボンバーズ」を結成。大阪出身だが吉本興業東京本社からデビューした。


【人物】
■独特な笑いのセンスは多くの先輩芸人から一目置かれる。『ガキの使い』のレギュラー入りも、前説を聞いた松本人志の即決によるもの。また、『ガキの使い』の七変化企画で当時最高の40,000円をたたき出したり、『ザ・ドリームマッチ05』でも三村マサカズと組んで優勝している。

■『ガキの使い』の共演者から「豊中の若ハゲガッパ」と指摘され続けていることから、頭髪の減りを気にしているようで、昔から続けていた坊ちゃん刈りをロングヘアーに変えている。

■意外と気の利かない一面や我儘な一面を『ガキの使い』で見せており、浜田雅功からよく叩かれている。

■一見礼儀正しそうに見えるが先輩などの誘いは平気で断る。中堅芸人が勢ぞろいしたドリームマッチの打ち上げでも唯一彼だけ帰った。

■老後は石垣島に住みたいらしい。

■NBAファンとして知られ、2006年にはNHK-BS1にコンビで出演した。特にミネソタ・ティンバーウルブズとケビン・ガーネットを熱心に応援している。

■ココリコミラクルタイプ内で結成された音楽ユニット時給800円に参加しなかったのは、歌が苦手だかららしい。

■モテていた相方の遠藤とは違い、結婚するまで異性と縁がなく、同じくモテなかったロンドンブーツ1号2号の田村亮とつるんでいた。中学時代、遠藤に恋愛相談をしたところ、数日後に意中の女の子が遠藤の彼女になっていたという悲惨な思い出がある。

■持ちネタは無いがめちゃイケ出演時に強引にやらされた(2007年4月14日放送)。即興で作った「6時2分」という両手を挙げ上半身を右にちょっと傾けるだけのシンプルなものだが意外と観客からは受け、同じく持ちネタのない岡村隆史からは「ええの見つかったやん自分」といわれた。


【ココリコ以外での活動】
■役者としても活動しており、こちらも定評がある。三谷幸喜監督の2001年公開映画「みんなのいえ」主演、2005年公開映画「逆境ナイン」の高校野球の監督役、2006年公開映画SIRENの島の医者役など。

■比較的口数が少ない役が多いが、その存在だけで笑いを呼ぶキャラクターは、シリアスなシーンを和ませるような雰囲気を持ち、既に1人の役者としての存在感を持っているとも評されている。

■相方の遠藤と比べ、1人でバラエティ番組に出演することは少ない。その中で、コンビでレギュラー出演していた「サタ☆スマ」の裏番組「わらいのじかん」の1コーナー「寝起きハイテンショングランプリ」に出演したことがある。その際、松本人志から「お前(田中)からSMAPの香りが漂うねん」と言われた。

■新感覚コントDVD『ペルソネル活動』を2006年10月から12月の間に5巻リリースした。そのときのインタビューの様子が「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されている。

(出典:Wikipedia)

遠藤 章造

遠藤 章造(えんどう しょうぞう、1971年7月13日 - )は、お笑いコンビ・ココリコのメンバーで、ツッコミ担当。相方は田中直樹。大阪府豊中市出身。血液型はO型。藤井学園寒川高等学校卒。妻は、タレントの千秋。かに座。義妹がいる。


【人物】
■結婚の前後から眉毛をいじったり顎ひげをたくわえるようになり、お笑い界きってのイケメンと言われるようになった。が、かつては意外にぽっちゃりしたタプンタプンの体型(本人も「ラ・フランス」の様な体型だと自虐的に言っていた)、いわゆる”隠れ肥満”だった。そこで「いきなり!黄金伝説。」の企画で肉体改造を行い、体型を引き締めた。現在は多少ましにはなったが、決して引き締まっている訳ではなく、相変わらずタプンタプンの体型である。

■自他共に認めるナルシストであり、自身のレギュラー番組で「(ナルシスト)でなければ芸人があごひげなど生やさない」と公言したことがある。

■バラエティ番組の仕切りをこなす一方、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!のキャラクターである、「ホホホイ」や「ダイナマイト四国」などのギャグが大人気に。ビートたけしのモノマネが得意だが、「ガキの使い」ではなぜかブリーフ一丁でマネをする。

■性に関してあらゆる興味を持つ、芸能界屈指のド変態・ドMである。独身時代、性感マッサージで店員に「自分の喘ぎ声をみんなに聞かせたいから、窓を開けてくれ」と頼んだという逸話も残っている。また風俗嬢に「遠藤君は本当に全身性感帯ね〜」と感心されたという。

■友人が多く、携帯電話の登録人数は500人近くいる。特に元極楽とんぼの山本圭一とは公私共に仲が良く、軍団山本という組織に属しており、そこではロンドンブーツ1号2号の田村淳と共に運営役を務めている。独身時代に同じマンション、しかも1階違いの同じ部屋に住んでいた。またベッドの枕元にはお互いの写真をそれぞれ飾っていたという。酔った山本が、もし自分が肉体を求めたらどうするとの問いに「僕…山さんやったら…いいです」と答えている。気を使っての発言か本心は不明だが、その要求には応じるようだ。

■ところが2006年7月に山本は淫行事件により吉本を解雇された。遠藤は山本に関して公のコメントを出していなかったが、2007年4月21日、TBSラジオJUNK2加藤浩次の吠え魂に出演した際、現在の山本との関係を聞かれ、昨年の9月頃から連絡を取り、今でも連絡しあう関係は続いていると、事件後初めて語った。

■野球が上手く高校時代はプロ(中日、広島)からのスカウトもあったという。高校進学時に11の名門校からスカウトが来たが高校野球激戦区の大阪を避け、香川県の高校に進学。しかし、スカウトを受けた高校のうち、自分が選んだ高校だけが3年間で甲子園の土を踏めなかった。ちなみに当時尽誠学園の谷佳知選手に最後の打席でファインプレーをされてプロ野球の夢をあきらめた。伊良部秀輝選手とも対戦経験がある。またガキの使いで、松本が150km/hの球を打つという企画のなかで、松本を肩車しながら150km/hの球を打った。プロ野球の阪神タイガースファン。ダンカンや松村邦洋らで構成する「中野猛虎会」の一員である。SHINJOとは阪神タイガース時代からの親友。

■妻は同い年の千秋。2002年に結婚した。関西ローカルの深夜番組「ココリコ海上火災」(毎日放送)での共演がきっかけで、同じ阪神タイガースファンであるなど共通点も数多い。プロポーズの言葉は「お前と一緒なら、お爺ちゃんお婆ちゃんになっても楽しく過ごせる気がする」だったとか。ちなみに遠藤が東京に来て初めて生で見た芸能人は千秋だった。結婚後は妻と共演するケースは皆無だったが、2005年10月12日放送の「ココリコミラクルタイプSP」では、遠藤に内緒で千秋がサプライズゲストとして乱入。貴重な共演シーンや交際するに至ってのエピソードが見られた。また2006年12月31日放送の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 大晦日年越しスペシャル・絶対に笑ってはいけない警察24時!!」では罰ゲーム中、午前10時の時報VTRに出演。このVTRの中で千秋が遠藤を「おにい」と呼んでいた。「おにい」は交際中からの呼び名で(「お兄ちゃん」ではなく芸人用語でいう「兄さん」的な意味合いらしい)、現在も家では「おにい」と呼ばれているとか(因みに千秋は、それまで対外的には「“遠藤くん”と呼んでいる」と話していた)。

■ダウンタウンの中では「浜田ファミリー」に属す。浜田からは「章造」と呼ばれて(但しテレビでは「遠藤」と呼ばれている)可愛がられており、毎年正月には、浜田一家らとグアムに旅行している。

■世間のイメージとは違って意外と天然キャラであり、アルファベットが全て言えないらしい。「R(アール)」のところを「アンド」と言っている。英語はハローとサンキューしか言えず、まったく話せないと千秋が語っていた。そのため海外旅行の時は一切英語を話さず会話は全て千秋任せらしい。漢字も苦手で、「動悸(どうき)」を読めなかったり、「解毒(げどく)」を「かいどく」、「泥酔(でいすい)」を「どろよい」、「率先(そっせん)」を「りっせん」、「流石(さすが)」を「りゅうせき」と読むなど、誤読の数々は枚挙に暇がない(「老若男女(ろうにゃくなんにょ)」は辛うじて読めた)。「遠山の金さん」を「東山の金さん」と書いた事もある。あと、加藤浩次と焼肉を食べに行った際、焼肉の焼き方で「ウェルダン」を「ウェルカム」と言ったことがある。

■ロンドンブーツ1号2号の田村淳と温泉旅行に行ったことがあり、2人が温泉で体を洗っていた時に田村淳からオシッコをかけられたことがある。

■大阪府出身だが、四国の高校に通っていた事から四国出身にされてしまい、「四国が生んだM芸人」と「ガキ使」で言われている。


【デビュー当時のエピソード】
■東京に親戚がいた為、田中と違って売れてない時代も裕福に過ごしていた。

■初は田中とは別に遠藤もネタを書いていたが、田中のネタしか受けてないのが分かり遠藤はネタを書かなくなった。

■ココリコ結成当時、既にダウンタウンと面識のあった田中のつてで「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の楽屋に初めて挨拶にいった時、遠藤は直前にナンパで知り合った女性を伴っていた。これは遠藤にとって今から考えると顔から火が出る様な忘れられないトラウマ的エピソードであるらしく、本人の口から番組等で語られることは無いが、松本人志が番組中に、ココリコがデビュー当時いかに駄目だったかということを語った時に、一つのエピソードとして喋っている。

■今でこそイケメン芸人と呼ばれているが、デビュー当時は”漁師顔”と呼ばれるなどルックス的にはパッとしなかった。

■デビュー当時、ツッコミという立場ながら滑舌が悪く、現在メインの番組での仕切りぶりからは考えられないダメっぷりであった。そのせいか、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!に出始めの頃は、ツッコミにもかかわらずボケることによって前に出ようとするが多かったのだが、間が悪く、喋ることも寒かった為、(山崎邦正のように意図的ではなく)天然で寒いキャラとしていじられることが多かった。挙句の果てには松本から「遠藤!お前もう喋るな…」と本気で呆れられる始末である。田中がデビュー当時から、それなりに才能の片鱗を見せていたのに対し、遠藤は田中の足を引っ張っているように見られることが多かった。

■そんな遠藤が芸人として変わっていったきっかけは、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」のオープニングで行われたリットン調査団と前説の座を賭けて対決する企画でのハイテンション対決であった。この時、その後の遠藤の大ヒットギャグ「ホホホイ」が生まれている。尚、これが後のガキの使いオープニングの人気企画となった『ハイテンション ザ・ベストテン』に発展している。そしてその中で、上述にあるみすぼらしいブヨブヨの隠れ肥満である事も判明し、芸人としての魅力が徐々に周囲に浸透していった。

過去のホホホイシリーズ
・愛 〜ほほほほーい〜
・よし! ハリケーンジェラシー
・愛 〜ほほほほーい〜 バンザイコレステロール編
・脱・ほほほほーい 2000
・たら・れば言うな!
・冒険しながら探検しよう

(出典:Wikipedia)

ココリコ

ココリコは、吉本興業所属のお笑いコンビである。1992年吉本バッタモンクラブのオーディションに合格しデビュー。


【メンバー】
■遠藤 章造(えんどう しょうぞう)1971年7月13日生。血液型はO型。大阪府豊中市出身。ツッコミ担当。

■田中 直樹(たなか なおき)1971年4月26日生。コンビのリーダー。血液型はO型(AB型と公表していたが実は違った事が判明し番組でカミングアウト)。大阪府豊中市出身。ボケ担当。ネタ作成も彼の仕事。


【同期】
・藤井隆
・中川家
・陣内智則
・海原やすよ・ともこ
・ケンドーコバヤシ
・たむらけんじ
・ハリガネロック
など

同期ではないが同い年に矢部浩之(ナインティナイン)、ほっしゃん。(2年先輩)やヒデ(ペナルティ)(2年後輩)などがいる。


【略歴】
当時、遠藤はサラリーマンを辞め無職だった為、専門学生だった田中を誘いオーディションへ。結果、見事合格しココリコボンバーズを結成。大阪出身だが吉本興業東京本社からデビューした。田中は人前に立つ事は苦手だったが専門学校の卒業課題を遠藤に手伝ってもらった恩もあり、この誘いを断りきれなかったと語っている。

コンビ名は二人が中学生の時拾った手帳に書かれていた喫茶ココリコから。「ボンバーズ」とは当時「ン」がつくコンビ名は売れるというジンクスがあったために付足した。が、後に元極楽とんぼの加藤浩次からアドバイスを受けボンバーズは撤去され現在のコンビ名となった。当初の仕事は『吉本印天然素材』の前説。その後、『ガキの使い』の前説を経てレギュラーへ昇格。ブレイクのきっかけとなった。


【概要】
■漫才の評価は高くないがコントは松本人志に天才といわせるほどの腕である。最近ではココリコのコントはめったに見られないが漫才はルミネtheよしもとなどで見ることができる。

■遠藤が一応ツッコミとなっているが遠藤がボケのネタもいくつかあり、最近では番組の中でもボケまくりでツッコミを他の出演者にやらせることが多い。

■FNSの日には1997年から毎年出演。特に、2002年・2003年・2005年の鶴瓶中継には「27時間テレビの鶴瓶中継と言えばココリコ」と言う黄金コンビが出来たほど。

■『笑っていいとも!』には1997年4月〜2006年9月までレギュラー出演していた。コンビとしては9年6ヶ月の最多年数であるため卒業を惜しむ声も多かった。ちなみに加入当初は火曜日でその後は木曜日→火曜日→金曜日→木曜日の順となった。月曜日と水曜日には在籍していなかったが、番宣のゲストとして参加したこともあり、全ての曜日を出演制覇したこととなった。現在の夫人である千秋と遠藤の出会いの場でもあった。

■『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』には『いいとも』のレギュラーと同じ時期から参加している。

■松本人志によると、山崎邦正が初めて田中を連れて来た時、田中はボソボソ声で「おはようございます」と言った後一言も喋らなかったらしい。また、遠藤は初対面の時、ダウンタウンの番組の収録に素人の彼女を連れてきたらしく、松本は「こんな奴ら絶対売れん」と思ったらしい。後に遠藤は「自分でやったことながら、今考えるとほんとにさぶい」と語っている。

■吉本主催の大規模なライブ「LIVE STAND 07」の初日の大トリを務めた。

(出典:Wikipedia)

千原ジュニア

千原ジュニア(ちはら - 、本名:千原 浩史(ちはら こうじ)、1974年3月30日 - )は日本のお笑い芸人、俳優。コンビ「千原兄弟」のボケを担当。京都府福知山市出身。京都共栄学園高等学校中退。NSC8期生(卒業はしていない)。2005年、芸名を千原ジュニアに正式に改名。しりとり竜王戦九段。


【概要】
■中学時代は登校拒否・引きこもりを経験し、高校には進学したが、相変わらず引きこもりを続けていた。先にNSCに入学していた兄の千原靖史に誘われ、お笑いの世界に入ることになる。

■「冠番組を持つと死にかける」という不幸な一面を持っており、急性肝炎、オートバイ事故で2度生死の境をさまようが無事に復帰し、現在に至る。急性肝炎を患った際には、同時期に「ベイブルース」の河本栄得が劇症肝炎で急逝したこともあり、彼も同じ病気なのではと噂された。なお、これが6年周期でやってきており(肝炎は20歳、事故は26歳)、2007年が丁度6年目になるため、今回は何があるのだろうと思っていると番組内で告白した。

■大阪時代には「マンスリーよしもと」(吉本の月刊誌)にカリスマの触れ込みでデビュー。当時わずか18歳で2丁目劇場を仕切っていたという伝説を持つ。現在は東京を中心に活動中。お笑いの他に俳優活動も行っており、出演作品は多数(主に映画)。今田耕司、東野幸治に「ジャックナイフ芸人」「2丁目劇場の黒いナイフ/黒いバラ」と称されるなど、カリスマ性の高い孤高の芸風である。しかし、東京進出後はやや角が取れてきている。またジュニアと古くから付き合いのある宮迫博之やバッファロー吾郎らは「昔から性格的には尖ってなかった。どちらかといえばバターナイフや!」と「アメトーーク」で証言している。

■15歳でデビューしたため、年上の後輩が多い(11歳でデビューしたりあるキッズも同じ)。ナインティナイン・ココリコ・ロンドンブーツ1号2号の田村亮(ちなみに田村淳は同学年)・藤井隆・ペナルティ・DonDokoDon・ガレッジセール・ほっしゃん。・宮川大輔・中川家・ケンドーコバヤシ・ジャリズムなどより歳は下だが、芸歴は彼らよりも長いため、彼らは全員事務所の後輩にあたる。番組などで共演した場合、彼らはジュニアを「ジュニアさん」と敬称で呼ぶ。ジュニアから彼らの名前を呼ぶ時は呼び捨て、または通称が多い。だが、舞台裏では(年上なので)腰が低かったとの話もある。

■ダウンタウン松本人志、陣内智則、ケンドーコバヤシ、バッドボーイズ佐田、Bコースタケトらと仲が良い。

■後輩のナインティナイン岡村が先に出世したことに大阪時代は嫉妬していた。上京し雨上がり決死隊の宮迫を含めた3人で飲みに行った時、たまたま近くの席に居合わせた岡村を見つけ、先輩である自分に挨拶がない岡村に対し「先輩に対して挨拶がないのはおかしいんちゃうか」と激怒するが、実は彼のほうが店に入ってから何度も挨拶する岡村に気づいておらず、宮迫に「おかしいのはお前の方や」と叱られた。

■板尾軍団の一員。なお団員はジュニアのみである。

■リズム感及び音楽の才能がまるで無い。

■アメトークに出演した際、FUJIWARA・原西孝幸の一発ギャグ「ポクチン!」を出演者が順番にやっていった時、他の出演者(FUJIWARA藤本・兄靖史・ほっしゃん。・宮川大輔・ジャリズム)に対してジュニアだけ全く違う動きになり、宮迫博之に「リズム感が死んでいる。」とツッコまれた。

■近年は喋りの他、動きの芸も多い。「やりすぎコージー」でのバーベキュー企画でペナルティのワッキーによる「ワキササイズ(ダンスのようなエクササイズ)」を全員でやった際、リズムに全く乗れずひどいダンスを披露したが、自身はどんどんテンションが上がり踊り続けていた。今田耕司や東野幸治がカメラを遮り、「この子は喋ると面白いんです!!」と必死にかばうほどだった。

■歌が下手なことは自身も認めている。「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」や「爆笑問題の検索ちゃん」に出演した時、「歌は上手いの?」と訊かれ「僕は声帯がですね・・・残念です。」と答えている。

■「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の人気企画「七変化」では兄・靖史の高記録(43,000円)の後を受けて挑戦したが、素人の外国人を起用したり、わかりづらい設定があった為、結果は靖史に及ばず26,000円(歴代13位タイ。もう1人は宮迫博之)と中途半端な結果だった。内容は他に兄靖史・布袋寅泰がファミコンをしているところ・明石家さんま・竜二(金子正次主演映画)などものまね芸が多かった。ちなみにこの企画の本番前日はプレッシャーでほとんど寝れなかったらしい。また、竜二は松本人志が好きな映画らしい。そのため、松本は笑って1000円を払っている。

■「虎の門」の「しりとり竜王戦」では優勝したのが第9回のみでありながらも常に決勝か悪くても準決勝に進むほどのセンスとボキャブラリーを持つ。「話術王選手権」では第4回チャンピオン、「話術王選手権ダブルス」では第1回・第2回のチャンピオンになった。特に第1回「話術王選手権」では1回戦トップバッターという、企画の方向性を決める重要な場面でありながらも巧みな話術で企画のレベルを高いものにした。


【エピソード】
■公判傍聴マニアで、大阪時代には大阪地方裁判所の公判をよく傍聴に来ていた。ある公判を傍聴中、入廷したある被告が彼を指差して「あっ!ジュニアや!」とはしゃいだ為、退廷を命じられる一幕もあった。

■APEC首脳会議が大阪で開かれた際、会場の大阪国際会議場を臨むマンションに当時住んでいた彼の元に、過激派警戒の大阪府警機動隊がやってきたことがある(そのマンションが狙撃に最適の位置にあったため)。ドアを開くのと同時に機動隊員から「過激派?!」と問いただされ、ムッとして「どちらかと言うと過激派!」と即答し、「いちびるな!」と一喝された。

■※いちびる・・興奮して騒ぐ、調子にのる 

■自他共に認めるマゾヒスト。夢は女子少年院に放り込まれ溜まったものを自分で発散してもらうことと番組で語っている。

■好きな女の子のタイプは小さくてぽっちゃりした子。例えば加護亜依、相原勇。

■生まれた当時、父親は商売をしていたため、「赤ちゃんはうるさい」との理由で祖母に預けられ、3歳頃まで育てられた。そのせいか、かなりのおばあちゃんっ子であり、祖母にも溺愛されている。

■祖母からは3日に1回は電話が、月に1度は手紙も送られてくるらしい。ボケ防止で始めたワープロで1行目に「こうちゃん、お元気ですも?おばあちゃんは元気っす」と書かれた手紙が来たことがあり、これに「ちょっと体育会系になってた」とつっこんでいた。

■おばあちゃんっ子ということもあってなのか、ゲートボールはかなりの腕前で、スカウトされたこともあるらしい。

■おばあちゃんとは時々食事をする。その様子は2006年10月8日放送の「情熱大陸」で一部放送された。

■ヘビースモーカー。ホープを愛用。禁煙する気はないらしい。一度吸い出したらずっと吸い続けるべき、という精神をもっている。また、着火の際はライターではなくマッチを使用している。

■以前住んでいた所のゴミ出しの日が「月・木が可燃物、火が不燃物だったこと」を語り、「なぜ、曜日の中で唯一“火”のつく日をよりによって不燃物にしたんやと。考えられへん。水曜日やろ、燃えへんゴミは!!」と怒っていた。

■14歳の頃から学校に行けなくなり、部屋で壁に渦巻きを描いたりしていた。本屋などに行く際にはユニフォームパジャマのままで外出し、道を歩いていると、家の近所に脳神経外科病院があったこともあり、入院患者だと思われていたのか、頻繁にその病院までの道を聞かれたとのこと。

■不登校だった当時、テレビの砂嵐(スノーノイズ)をずっと見つめていた。不審に思った兄が問いただすと「ずっと見つめているといろんなもんに見えてくる」と答えた。砂嵐を自由に操ることができたらしい。

■芸風に反し、実はかなりの天然ボケである。様々な逸話があり、後輩芸人にネタにされることも。

■小泉首相(当時)を「小泉大統領!」と言ってしまったことがある。

■車に乗っている際に「カギどっか落とした……どうしよう……」と言い出したことがある。当然、鍵は車についている。

■「JKKの法則」(J・ジュニア K・かわいこぶったら K・きしょい)というのがあるらしい。

■BLANKEY JET CITYのファン。TV番組での共演が元で現在もメンバーと交流があり、ドラムの中村達也は2005年に行われた単独公演「詩」の音楽を手がけた事もある。

■映画監督の豊田利晃とは親友同士。初めて出会ったその日に意気投合した豊田は「俺はお前で映画を撮る」と宣言。そして数年後に、その約束通り彼の主演映画「ポルノスター」が完成した。

■2006年9月17日放送の『やりすぎコージー』では若手芸人「ノスタルジック」をツボの芸人に挙げていた。

■改名の理由は、吉本芸人で占いを得意とする小笠原まさやに占ってもらったところ、「『浩史』ではトガリすぎて周りに敵をつくり、『Jr.』では女性的過ぎて結婚できない、だが『ジュニア』にすれば巨万の富を手に入れます!」と言われたからである。

■著書「題と解」のサイン会では前日のイベントが成功したことで深酒をしたために遅刻し、現れたときは二日酔いと体調不良でイベントを行うことができなかった。

■1年間を春夏秋冬各1パターン計4パターンの服装で通す。「洋服を選ぶ時間があるのなら面白いことを考えたほうがマシ」だからと本人は語っている。

■リミテッドが解散する際、陣内は芸人を辞めようと思っていた。が、ジュニアは生活費を出し「絶対辞めるな」と止めた。

■大阪で一人暮らししていた時、飼い猫に「ゴン太」と名付けて可愛がっていた。ある日ゴン太が部屋から姿を消し、心配したジュニアは靖史に電話をして「一緒にゴン太を捜してくれ」と頼んだ。時刻は午前5時だった。

(出典:Wikipedia)

千原せいじ

千原せいじ(ちはら - 、本名:千原 靖史(ちはら せいじ)、1970年1月25日 - )は、お笑いコンビ千原兄弟のツッコミを担当。京都府福知山市出身。NSC8期生。既婚。福知山成美高等学校卒業。2007年、芸名を千原せいじに正式に改名。


【人物】
NSC入学後、当時ひきこもりだった弟の千原浩史(千原ジュニア)を誘い、お笑いコンビ千原兄弟を結成。天然キャラであり、大雑把でひと癖あるツッコミが特徴的である。吉本芸人ではほんこんや岩尾望(フットボールアワー)と並ぶ不細工キャラだが、2002年6月に結婚している(沖縄・宮古島の教会で挙式)。

よくほんこんに似ていると言われている。

デリカシーのない無遠慮なキャラクターではあるが、その反面友人が非常に多い。プライベートでの人脈・情報網は並大抵ではなく、『やりにげコージー』『やりすぎコージー・土曜婦人』ではその情報網を利用した企画が放送された。それらの番組ではしばしば私服で登場し、その私服も知り合いがデザインしたものを着用している。

毎回ダウンタウンの番組に出演するたびに浜田雅功にわざと「やすし」と呼ばれることが多い。浜田は何度も繰り返し言っているのに対し、律儀に「せいじや!」とつっこむ。また、弟のジュニアも浜田に合わせてやすしと言う事がある。松本人志は「ホクロの位置がマリリン・モンローと全く同じ」とよく言っているが、これは松本の勘違いである。『ガキの使い』の人気企画「七変化」ではブサイク顔が受け、43000円(歴代5位)と大健闘した。ちなみに松本人志は本番前に靖史のスタイルを見て「スゴイなぁ!」と言って1000円を入れていた。

ラジオ番組「松本人志・高須光聖の放送室」での電話企画「カプリチョーザ杯」では、期待されていなかったにもかかわらず、かなりの高評価を得るダジャレを連発した。

また、異常なほどのドSな性癖を持っている。 『やりすぎコージー・土曜婦人』内で実際にプレイを軽く実演したところ、相手の女性を縄で縛る前に縄をわざと床に落とし、「拾って。」と言って相手に拾わせる段階から始め、やりすぎガール達をドン引きさせていた。

イメージと違うが相当なアニメファンで、今までにおかずにしたキャラナンバ−1はリン・ミンメイ。

松本人志に毎秒残念と言われた(人志松本のすべらない話(2006年12月29日)にて)。これは、弟の千原ジュニアが兄のエピソード(後述)を語る際、しばしば「うちの残念な兄が…」と言うためである。

天然でバカキャラと言われているが、「クイズ!ヘキサゴンU」のペーパーテストでは好成績を残している。また、かつて知能指数を調べたとき「普通に勉強したら東京大学に入れるレベル」の数値を出したとのこと。


【エピソード】
多くは、ジュニアの口から語られることが多い。

■子供の頃、野球をしに行こうと家を出る時、閉まっていることに気づかずにガラス戸に突進して割ってしまったことがあるが、そのまま何事も無かったように野球に行った。

■小学生の時に、全校集会で癲癇持ちのジュニアのクラスメートが暴れだし、椅子を持ち上げて「お前ら、包丁で刺し殺したろかー!」と叫んだ際に、「だったら、椅子要らんやんけー!」とつっこみ、体育館中を爆笑の渦に巻き込み、事態を沈静化させた。ジュニアはとても恥ずかしかったという。

■2丁目劇場の楽屋で、誰かを相手にプロ野球の話を喋っているようだった。かなり熱く語っていたので、相手は誰かと覗いたら、靖史一人だった。

■上戸彩と山本寛斎のショーに共演した際、上戸が彼の刀を見て「それ本物ですか?」と聞いたところ「おお、そうや」と言い、「へぇ〜スゴいですねぇ」と言われた直後「本物なわけあらへんやろぉぉ!」と叫び、大声でつっこむためにあえて一度泳がせた。なお、哀川翔はそのやり取りを見て大爆笑していた。

■山本寛斎のショーに出演した際、千原兄弟が舞台に到着した際まだ黒子が作業をしていた。その際にそこの監督が黒子を思いっ切り怒鳴りつけていたら「見ろ!ジュニア!!黒子めっちゃ怒られとんぞ!!」とデリカシーがまるでない大声で言った。

■そしてそのショーの本番前、一緒に出演していた女の子たちがひな壇で会話していたところにズカズカと会話に入り込み「ってゆうかお前らの話、全然おもろないやんけ!!」と言った。

■ロケでベトナムに行った際、ジュニアがホテルの前でたむろしているバイクタクシーの運転手に「お兄さん、乗る?」と聞かれ、 断っていたところ、ふと辺りを見回すと、靖史がバイクタクシーの運転手を後ろに乗せて、街を疾走していた。

■川に銛を持って潜り、何か動いたと思い突き刺したら、自分の左足のももだったことがある。

■中高生時代はパティシエに憧れ両親から誕生日プレゼントに電動泡立て器を買ってもらった。ジュニアが中学時代に深夜に家に戻ると、靖史が起きて待っていて「どこ行ってたんや!0時過ぎたやないかっ!」と怒るので、「親でもないのになんだ」と思っていると、照れながら「おめでとう」と手作りケーキを差し出した。ジュニアの誕生日だったのだ。

■部屋の中が汚く、陣内智則に部屋の床に唾を吐かれたことがある。

■ある日靖史が公園のブランコに座り地面を眺めて泣いていた。ジュニアが「どないしてん」と聞くと「アリが一生懸命エサ運んでんねん」と答えた。ジュニアはその話を「こんなに心優しい男はいませんよ!」と熱弁した。

■品川庄司が舞台終わりに漫才の出来で大喧嘩をしていた際、通りかかった靖史は喧嘩を止めようとせず「おぉ、やれやれ!俺らの頃二丁目ではみーんなケンカしたもんや!今ルミネ見てみ?誰がケンカしとる?ケンカして上手くなっていくもんや」と言い去っていった。品川が感動していると楽屋から「ワッハハハ!まーた阪神勝った!」と靖史の叫び声が聞こえた。

■ルミネtheよしもとで千原兄弟は2冊の辞書を読むというネタで辞書の位置が重要なのでジュニアは暗転中にセッティングする靖史に「赤の辞書を右、白の辞書を左に置いてな」と言いに行った。すると靖史はスタッフを呼び「俺、はけたら袖でこうしてるから(両手を前に出す仕草)右手に赤、左手に白を渡せ、見えへんから。分かったな!」と偉そうに言っていた。いざ本番になると案の定辞書が逆に置かれていたので終わってからジュニアが「靖史、あれ逆やで」と言うと「そうやあいつ!おい!」とスタッフを呼び出し「お前あんだけ言うたやろ!何で逆やねん!」とスタッフを怒った。しかし実はスタッフは指示されたとおり渡したのを途中で靖史が重ねてしまったのだった。そのことが分かった靖史は「お互い気ぃつけよ〜」と悪びれた様子もなく言った。

■番組のロケ中、野良犬が靖史の顔を二度見していた。

■小さい頃弟のジュニアを風呂に閉じ込めたが、ジュニアがすりガラスを蹴りガラスが割れると泣き出し、「どんだけビックリしたか」と泣きながら言った。

■ジャリズムの渡辺と千原兄弟で公園に行った際、ジュニアが木に登りサングラスとヘッドフォンをして寝てると子供が集まってきて、ジュニアに向かって「かっこ つけ男!」と言い出した。それを見た渡辺が「俺もあだ名つけてくれや」と言うと「めだちた がり男や〜」と言っていたが、靖史の顔を見たとたん「あっ、ブサイク です男」と言った。

■同級生の青木くんが傘を投げたら同級生の子の額に当たった。教室中がシーンとなってるのに靖史だけ笑いながら「俺にもやらしてくれ」と言った(ジュニア談)。後で青木くんと一緒にお菓子を持って謝りに行ったという(靖史談)。

■小さい頃靖史は一人で2階に行くのが怖かったらしく、2階に行くときはジュニアに「2階行くぞ」といいジュニアが手を引いて2階に行っていた。

■2階に行くのが怖いから付いてきてと言うのは恥ずかしいので「お前は体を鍛えなきゃいけないから、俺をおんぶして2階に行け!」と言っておぶらせるが、ジュニアが階段の踊り場で休むと「なに休んどるんじゃ!」とジュニアをどつき、頭を壁にめり込ませた。

■高校時代には、8回に亘り停学処分を受けた。そのうち7回はカンニングをしたためで、残りの1回は、その学校の毎年恒例のマラソン大会で、わざと途中でコースを外れ、親戚の女性が運転する車でゴールの付近まで送迎してもらい、そのままゴールするという不正を働いたため。その結果、10kmを6分切るという決して有り得ないタイムを叩き出し、当然ながら不正は即座にバレた。(日本テレビ系『ダウンタウンDX』2007年4月26日放送より、但しチハラトーク内で同じエピソードを話した際は「他7回はタバコが原因」、マラソンのタイムも「2分3秒」と多少の差異はある)

■また、停学処分になると、母親の機嫌をとるため、風呂を沸かしていた。しかし、その後7回もまったく同じように、このことを繰り返したため、その内、沸いている風呂を母親に見られただけで「靖史〜!!」とキレられていたという。これらのエピソードを聞いたダウンタウンからは、異口同音に「アホや!」「お前、ホンマにアホやな!!」と連呼されていた。(同上)

■膝でうんこを踏んだことがある。

(出典:Wikipedia)

千原兄弟

千原兄弟(ちはらきょうだい)は千原せいじと千原ジュニアからなる吉本興業東京支社所属のコンビ。実の兄弟。


【メンバー】
■千原せいじ(ちはら せいじ、本名:千原靖史(ちはら せいじ) 1970年1月25日 - )京都府福知山市出身。NSC8期生。ツッコミ担当。

■千原ジュニア(ちはら じゅにあ、本名:千原浩史(ちはら こうじ) 1974年3月30日 - )京都府福知山市出身。NSC8期生(卒業はしていない)。ボケ担当。


【略歴】
■1989年6月コンビ結成。同期にはFUJIWARA・バッファロー吾郎・大山英雄などがいる。

■ダウンタウンや吉本印天然素材が去った後、ジャリズムとともに心斎橋筋2丁目劇場で頭角を表し、お笑いライブで大阪城ホールを超満員にしたこともある。

■現在ではルミネtheよしもとに出演の他、「チハラトーク」というライブを毎月行っている。兄弟であることを武器にした絶妙な距離感を持つトークは絶品。

■ジュニアは若手の映画監督から出演のオファーが多く、俳優としても著名。瀬々敬久、豊田利晃、三池崇史などの監督作品に出演している。デビュー当時は「2丁目劇場の尾崎豊」、「ジャックナイフ芸人」と呼ばれていたらしい。

■兄・靖史はスタイルが抜群であるにも関わらず、かわいそうな程のブサイクである。クイズ!ヘキサゴンIIでは、街中の女性に恋人にしたい芸人を選んでもらう「クイズ街角恋人探し」で、ほんこんや波田陽区など共に他の若手芸人5人を含めた中から、誰が先に選ばれるかを争ったものの、都内はおろか地元大阪でも一度も選ばれていない。

■週刊少年ジャンプに連載されていた「ろくでなしBLUES」に、兄弟そろって漫画の登場人物として登場したことがある。

■兄の靖史はとても交友が広く、芸能人ではなく近所のおじさんなどが飲み仲間で、ジュニアが街を歩いていると全然知らない人から「靖史は元気か」「お兄さんにはお世話なってます」とあちこちで言われて驚いたことがある。靖史のネットワークを総称して「せ」リーグと呼び、それを羨んだジュニアは「J」リーグと称して自分の交友をチハラトークにて明かすが、こちらは芸人仲間が多い。

■ジュニアは4歳年上の兄とともにデビューしたため年齢に比べ芸歴が長く、年上であるが芸歴は下の芸人から敬語で話されることもよくある。同時期に若手のエースとして共に売りだされたジャリズムは年齢では4〜5歳上であるが芸歴は2年後輩であるため、話し言葉こそほぼタメ口同士だが呼び方はジャリズムの2人からは「さん」付け、ジュニアからは呼び捨てである。ただし舞台の裏ではジュニアは年上のジャリズムに対して姿勢が低かったという証言もある。

■2人の母は、かつてパーフェクトを達成した事もあるほどボウリングが上手く、地域のボウリング大会の誘いを「自分が参加するとつまらなくなってしまうから」と、断ったというエピソードもある。

■2人にはジュニアより4歳下の元槍投げの選手だった中学校教員の妹がいる。

■コントを主体としており、2006年正月のお笑い番組で漫才を披露したのだが「漫才なんてやったことないですよ」と言っていた。

■しかし、実は2003年の正月のお笑い番組でも漫才をやっていた。「ルミネtheよしもと」出演時でもごくたまにセンターマイクで漫才をやるが、彼らの漫才は練り上げたネタというよりもトークの延長のような感じである。「チハラトーク」で特にウケた部分をそのままネタにする感じである。これはジュニアが「人志松本のすべらない話」に出演する際にも「チハラトーク」で一度話したことあるものがほとんどである。

■意外なようだが、2人ともドラえもんについて造詣が深く、雑誌の「ぼく、ドラえもん」で思い入れを語ったり、特集のテレビ番組に出演するなどしている。

(出典:Wikipedia)

蛍原 徹

蛍原 徹(ほとはら とおる、1968年1月8日 - )は、日本のお笑いタレント。お笑いコンビ・雨上がり決死隊のツッコミ担当で、相方は宮迫博之。愛称はホトちゃん。大阪府門真市出身。大阪府立門真高等学校卒業。血液型A型。NSC7期生。吉本興業所属。


【人物】
1990年代初頭、吉本印天然素材でリーダーを務め、器用な仕切りができる芸人として期待を集めた。しかしいつの頃からか相方・宮迫博之の陰に隠れるような存在になり、ポジションはボケでもツッコミでもない「自由人」と言われることがある。かつては宮迫の破壊的なボケに対して埋もれてしまう感があったが、次第に先輩芸人村上ショージから受け継いだという「何事にも動じないという芸風」を確立。それは、宮迫のボケに対してというより自らがスベることについてむしろ発揮され、蛍原の寒いギャグに周囲が失笑していても堂々としているというキャラクターで押し切ることで、それがボケとなっている。その際は宮迫がツッコミに変わる。ノリ・ツッコミも得意とし、殆ど振られれば、ボケ通すこともでき、「職人芸」と『水10!ワンナイR&R』でナレーションされるほどである。鳳啓助を思わせる髪型が特徴。余談だが、蛍原という名前はかなり珍しく、「蛍」の漢字がつく苗字は蛍原姓以外にない。

青春時代は周りから恐れられるくらいのヤンキーだった。そのため、街でからまれたり(特に先輩や後輩が)タクシーの運転手などから理不尽に傲慢な態度を取られると鬼のようにキレるという。普段のキャラは意外に男っぽく後輩からも慕われている。

科学者になりたかったため「毒物劇物取扱責任者」という国家資格を取得している。仕事は「化学物質を棚からおろせる」ということだけだが、その資格がないと法律違反になり逮捕されてしまうのでとても重要な資格を取得したことになる。

長年付き合った恋人と2004年に結婚。蛍原は『北の国から』の大ファンで、挙式はロケ地に近い北海道・美瑛町で行った。蛍原の奥さんはかなりのゆずっこ(ゆずファン)である。蛍原本人はますだおかだの増田を通してゆずの北川悠仁と食事をしたが仲良くなるには至らなかったらしい

蛍原の奥さんはラジオでは宮迫に「顔が28点の嫁」と弄られている(結婚前、『ロンドンハーツ・The Bl@ck Mailスペシャル』で顔写真が出たことがあるが、少し暈してあるもののかなりの美人であった)。奥さんの口癖は「なんでなんでなんで?」「へこんじゃうよぉ」。

競馬ファンとしても有名で、2002年には大井競馬場内の飲食店「ホトチャンキッチン」をプロデュースした(現在閉店)。日本テレビ『スポーツうるぐす』の競馬コーナー等にもよく出演した。NHKBS1の『世界の競馬』の司会を2005年から務めている。競馬で300万円当てたことがあるがそのお金で自分の墓石を買ったらしい。

2004年10月には関西テレビのドラマ『マザー&ラヴァー』に出演した。

北海道文化放送のローカル番組『YASUのえき☆スタ@noon』の1コーナーだった『蛍ちゃんの北海道移住計画』が2005年4月15日25時5分からレギュラー番組として放送される。

ユニリーバ・ジャパンの行った「Lux・髪の毛のきれいな男性芸能人」のアンケートで、蛍原は、見事2位に選ばれた。これについて「(1位の)木村拓哉と(3位の)タッキーは、どんなアンケート取っても大体上位に入るから、実質1位は僕」と語っていた。 そして、ラジオ『雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!!』にて自身のCM出演を希望したところ、テレビCMとまでは行かなかったがネットでの公開と1日限り各地の街頭ビジョン放送が実現した。

北海道日本ハムファイターズのファンである。また、中川家らと、阪神タイガースの応援ソングを歌ったことがある。

一時期、ピン芸人として「ノッペリ星人」という名前で活動していた時期があった。宮迫曰く「二丁目劇場始まって以来の」スベリ方をしたらしい。

ゆり根が大好物である。

2007年3月31日放送のTBSオールスター感謝祭で見事優勝を飾った。

(出典:Wikipedia)

宮迫 博之

宮迫 博之(みやさこ ひろゆき、1970年3月31日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。お笑いコンビ・雨上がり決死隊のボケ担当であり、相方は蛍原徹。大阪府大阪市西淀川区出身。私立金光第一高等学校(現・金光大阪高等学校)卒業。[1]NSC7期生であり、吉本興業所属。現在はお笑いタレントだけでなく、俳優活動やDonDokoDon山口智充とのユニット「くず」としての音楽活動も行っている。

血液型B型。


【人物】
■高校卒業後、NSCに入る。一度コンビを組んだが解散。1989年、蛍原徹とお笑いコンビ「雨上がり決死隊」を結成。

■テレビ等では、常にテンション高くキレることが多いキャラクターで見られているが、実際のところ普段はかなり大人しく、時に「根暗」とまで表現される程であることが、相方の蛍原徹や先輩の松本人志、島田紳助等多数の口から語られている。

■自己紹介では自分の頬を叩き、両人差し指を前に突き出し「宮迫〜です!」と言う。この一連の動きでは頬を叩くのは2回と勘違いしている人が多いが、実際には1回しか叩いていない。これは元々、自分の頬を叩く「俺はアホかっ」(もしくは「俺のアホっ」)という自虐ギャグが派生したものであり、これに「太極拳の型を加えた(本人談)」ものである。

■コンビとしては宮迫一人が目立つことが多いが、「相方は俺のために身を引いてくれている」と発言したり、ある番組のプロデューサーの「蛍原さんはいつもの様に目立たない感じで」という指示にマジギレする等、相方思いの一面を持つ。その理由としては、かつて自分独りの才能でやっていると主張し独断専行を続けていた宮迫に対し、見かねた先輩芸人の西川のりおが「蛍原を疎かにしていては先は無い」ときつく注意したことが原因であるといわれる(西川のりお談)。

■最近頭髪が薄くなって来ていることを気にしており、ヘアメイクに相当時間をかけている。ちなみに父、祖父も頭髪が薄く、見事にその遺伝子を受け継いでしまったようだ。トーク番組において松本人志から「プールから上がると50歳のオッサンに変わってた」とまで言われた。「水に濡れると別人になる」「髪が濡れるともずくみたいになる」「水に潜ると俺がいなくなっちゃう」(本人談)。

■ナルシストで、先輩や後輩と飲みに行くと必ず自分の話になるように話を進め、自慢話をする。後輩や女性とカラオケに行った際、後輩にくずの歌をかけさせて、さも周りに歌わされたかのように仕組む。

■松本が東京進出後、大阪に帰省した際ふらりと二丁目劇場を訪れ、若手の舞台を見て「こいつは絶対売れる」と確信した男が当時無名だった宮迫であった。しかし、人となりを良く知った今となっては、その話をするとナルシストの本人が調子に乗るのであまり言いたくないらしい。

■自他共に認めるドS。特に大阪時代は後輩のTシャツを会う度に引き裂いたり、同じくドSの宮川大輔と共に後輩のたむらけんじの寝込みを襲い、肛門に豚肉を突っ込むなどの傍若無人ぶりで(もちろん全てギャグとしてだが)、ケンドーコバヤシに「訴えたら勝てる」、「懲役にしたら240年ぐらい」と非難された。東京進出後は大人しくなったものの、酔っ払ってカラんできた後輩FUJIWARA原西の首をおしぼりで絞めて黙らせるなど大阪時代の片鱗を見せることがある(アメトーークより)。

■そんな傍若無人ぶりとは裏腹にかなりの恐妻家で、妻には頭が上がらない。

■かなりの漫画・アニメ好きとしても有名で、未だに殆どの漫画雑誌を講読又は立ち読みしている。漫画の種類としては『北斗の拳』の様に、主人公が圧倒的に強いモノが特に好みで、その中でも『月刊少年チャンピオン』に連載されていた『クローズ』は連載第一回から自分好みの漫画として愛読しており、未だに自分の中で最も面白い漫画であると言っている。また、アニメに関してもかなりオタク的で(本人はアニメソング好きと言っているが)、こちらは『機動戦士ガンダム』や『超時空要塞マクロス』等が好きで、劇中の台詞を全て覚えている。実際『マクロス』に関しては、自身がパーソナリティーを務めていた、MBSラジオ『オレたちやってま〜す』木曜日内で何度も熱弁を振るった結果、偶然それを聞いた関係者から実際に『マクロス』のDVD商品のCM出演オファーをもらった程である。本人曰く、初恋の相手は、ミンキーモモ。

■虫が大嫌い。(テレビ番組「有言実行決死隊」より)

■「あんかけ」系の食べ物を好む。また自宅近くの餃子の王将のメニューも好物(この店内から雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!!を放送したこともある)。

■家庭的で、子供の弁当を毎朝作っており、出し巻玉子にはかなりの自信を持っている(リンカーンより)。

(出典:Wikipedia)

雨上がり決死隊

雨上がり決死隊(あめあがりけっしたい)は、宮迫博之と蛍原徹からなる日本のお笑いコンビ。吉本興業所属。吉本総合芸能学院(NSC)7期生。略称「雨上がり」。


【メンバー】
■宮迫博之(みやさこ ひろゆき、1970年3月31日 - 、ボケ担当)
■蛍原徹(ほとはら とおる、1968年1月8日 - 、ツッコミ担当)


【コンビについて】
■コンビ名の由来は、2人とも好きだったRCサクセションの曲『雨上がりの夜空に』から。正確に言うと、NSC同期生で行なったライブのタイトル「雨上がり決死隊」をそのままコンビ名にしたものである。

■NHKの番組出演時には、「死」という文字を使用するのは放送上好ましくないというNHK側の意向により、「雨上がり決志隊」と暫定的にコンビ名を変えることで対処した。雨上がりは、知人にお祝いの品を贈る際にもこの名前を使用している。

■1989年にコンビを結成したが、それ以前はそれぞれ別の人物とコンビを組んでおり、宮迫は「ぴいぷる」、蛍原は「ホワイト&ホワイト」というコンビ名で活動していた。蛍原は他にも、のっぺり星人としてピンで舞台に立ったことがある。

■NSC時代に、高校時代の同級生など元々友人関係から来たお笑いコンビを多く見てきた。そのため、宮迫と蛍原はコンビを結成した当時、自分達も二人での思い出(=ネタ)を作らなければいけないと1年間芸人としての活動は少なくして一緒に過ごそうと決め、アルバイトも同じバーで始めた。しかし、宮迫はそのバーでのアルバイトがろくに続かず辞めてしまい、蛍原だけが数年勤めた。

■NSC時代の同期生に、ナインティナインの矢部浩之の実兄・矢部美幸(現・ファンタスタープロモーション代表取締役社長)がいる。彼は当時、お笑いコンビ・ちゃんねるずとして活動していた。

■1990年代前半は、若い女性達を中心に人気を博した吉本興業のお笑いユニット・吉本印天然素材のリーダー格として活躍。天然素材で共に活動していたナインティナインはNSC9期生で、彼らの2年後輩になる。

■1992年1月、第13回ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞。最優秀新人賞をナイナイに持って行かれナイナイが先に東京進出を果たし、以後東京進出までに時間を要することとなった。

■天然素材後はしばらく不遇の時代が続き、アンバランス、あさりどらとの『AAA』ライブなどの活動をしていたが、1990年代末にフジテレビのバラエティ番組『めちゃ²イケてるッ!』に出演したことや、宮迫の「宮迫です」の自己紹介ネタが定着したことなどから再び人気に火が点き始めた。

■2000年に、フジテレビの深夜番組『エブナイ』で木曜のレギュラーとして出演。番組での様々なキャラクターによるコントが視聴者にウケて、木曜の放送は『ワンナイ THURSDAY 〜ウケねらいな俺達〜』と改題された後に『ワンナイR&R』として独立。その後、プライムタイムへと進出した。これにより、ガレッジセール、山口智充(途中から、平畠啓史とのDonDokoDonとしての出演)らと共に全国区でブレイクを果たす。

■2003年に、初の全国ネットの冠番組『雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!』を持つ。

(出典:Wikipedia)

水野透

水野 透(みずの とおる、1960年9月18日 - )は、大阪府出身のお笑い芸人。藤原光博とお笑いコンビ・リットン調査団を組む。

桃山学院大学に入学後、自らプロレス同好会を立ち上げる。部員勧誘ポスターをアントニオ猪木やジャイアント馬場ではなく、ボブ・バックランドという外人レスラーを用いて作ったところ、それを食入るように見ている男(藤原光博)が現れる。そこで水野が藤原に声をかけ、ともにプロレス同好会で学生時代を過ごすこととなる。

大学卒業後、お笑い芸人になるべく東京へ旅立ち、ビートたけしに履歴書を渡しに行くが、返事をもらう前にホームシックになり帰阪する。帰阪後、大阪のお笑い集団に入り、4人組のユニットを組まされるが、半年で解散。その後、吉本興業の新人オーディション開催を知り、そのときに藤原とコンビを組み、芸能界に入る事となる。なお、同じオーディションを東野幸治も受けていた。NSC出身組の今田耕司や130Rとほぼ同期にあたる。

2005年の元旦に番組の生放送中、金タライを吊るしたひもを顔に落ちる手前のどこで止めることができるか競うゲーム(止めるのが遅いと顔に落ちる)で、金タライをおもいきり顔面にあて出血し、スタジオから退出した。(約1時間後に鼻の上にばんそうこうをつけ復帰したが、その時スタジオにいた人たちは騒然だった。)その出来事で、次の回(2006年元旦)でそのゲームに「ハイパーミズノゴロシ」という名前が付いた。さらにその回で山崎邦正が顔面をケガした。

最近アルバイトをリストラされた。

2007年2月7日(関西地域)放送のダウンタウンのガキの使いやあらへんでの 山-1グランプリという、ネタ見せ企画に,永遠の若手として相方と共に登場。しかし、2人共放送できるネタではなかった ため、あえなくカット。(水野は、トリだったにもかかわらずカットされるという前代未聞の伝説をつくる。理由は過剰な下ネタ)

2006年10月3日より初の冠番組「水野キングダム」(東京MXテレビ)がスタートした。

(出典:Wikipedia)

藤原 光博

藤原 光博(ふじわら みつひろ、1962年6月8日 - )は、吉本興業に所属するお笑いコンビ・リットン調査団の1人である。

桃山学院大学に在学中、学生プロレスの活動がきっかけとなり、後の相方となる水野透と出会う。先に卒業していた水野にお笑いの世界に誘われ、コンビ結成。

小学生時代の趣味が板の木目をじっと見つめて寸評する事、ウィンナーソーセージの分け方で嫁に逃げられたり(「一杯の掛け蕎麦」ならぬ「六本のソーセージ」という感動秘話)、バイト先ではあまりの働きの良さにシャッターの鍵を任され、社内報にまで載ってしまう、重役会議に呼ばれるなど、さまざまな逸話を持つ。

東京スケベ協会というユニットを組み、イベントも開催している。藤原は会長であり、シャンプーハットの小出水が関西支部長である。

2007年2月7日放送のガキの使いやあらへんでの若手ネタ見せ企画、 山-1グランプリにおいて、相方の水野透と共に登場。貴乃花の相撲名場面を一人で再現しようとするが、あえなくカットされた。その際松本人志から、「実際のVTRあるから無理して一人でやらんでもええよ」と言われてしまった。

「プロの半笑い」(ヨシモトファンダンゴTV)の1コーナー「エロギリ」に出演した際は、出演者から「キング」と呼ばれた。

(出典:Wikipedia)

リットン調査団

リットン調査団( -ちょうさだん、1986年1月 - )は吉本興業所属のお笑いコンビである。


【プロフィール】
・藤原光博(1962年(昭和37年)6月8日生まれ)
・水野透(1960年(昭和35年)9月18日生まれ)
藤原はジャイアント馬場派。水野はアントニオ猪木派。


【概要】
2人とも桃山学院大学出身。水野が自ら立ち上げたプロレス研究会で2人は出会う。

水野は大学卒業後、お笑い芸人を志し、藤原を誘い1986年(昭和61年)1月にコンビ結成。その際の誘い文句は「俺は黒澤になる。お前は三船になれ」。2丁目劇場のオーディションを受け、プロの芸人となる。同期の芸人は木村祐一、東野幸治(非NSC組であり、4期生の後輩、5期生の先輩に当たる)。1990年代では、かざあなダウンタウンなどダウンタウンの深夜番組などでよくテレビ出演を行い、松本人志とも親交がある。だが、そのダウンタウン番組などで共演していた、同期で当時無名だった木村祐一、東野幸治らが全国区で知名度を広げていく一方、リットン調査団は知名度を広げることはあまり無かった。

心斎橋筋2丁目劇場の後期では「ミスターX」の名で活動していた。コンビ歴は長いが、「永遠の若手芸人」と呼ばれている。東京のルミネtheよしもとをメインに活動しており、新喜劇では石田靖率いる「石田班」に所属する。アニメ、プロレス等を題材とした非常に難解なコントを繰り広げ、それ故に表舞台に立てずにいるが、反面コアなファンを多く持ち、「裏(地下)お笑い界の帝王」の異名を持つ。

テレビ露出が少ないことから、「幻のアルバイト芸人」や、「吉本の永遠の秘密兵器」等の異名を持つ。また、彼らをテレビで見るのは、つちのこを発見するより難しいと言われる。「彼らがテレビに出ている間に願い事を3回繰り返したら、願いが叶う」等と芸人仲間からネタにされることもある。しかし、とうとう初の冠番組である水野キングダムが2006年10月から開始された。

■名称
リットン調査団の名称は、1931年に起きた満州事変で国際連盟から満州国の調査を命ぜられたイギリスのヴィクター・リットン卿を団長とする「国際連盟日華紛争調査委員会」より出された調査団の通称を元にして桃山学院大学の、プロレス研究会の同級生が名づけた。しかし、水野と藤原、及び他のメンバーとリットン卿率いる調査団及び調査団のメンバーにはまったく関係はない。


【交友関係】
旧2丁目軍団(所謂ダウンタウンファミリー)の中でも、(ほぼ)同期である今田耕司、ほんこん、東野幸治等と特に交流が深い。プライベート(主に酒の席)では今田、ほんこんから水野は「トーリー」、藤原は「ムーディー」と愛称で呼ばれている。藤原は東野と元ボブキャッツの岩瀬雄大の3人で「バッドバッドクレイジーバッド」なる悪のチームを結成していた。


【リットンファミリー】
リットン調査団は、彼らを師とあがめる芸人たちによって「リットンファミリー」と呼ばれるグループを形成している。

ファミリーの全貌は明らかになっていないが、2003年6月19日に朝日放送で放送された「ナンバ壱番館」の「リットン・ファミリー特集」においてバッファロー吾郎、ケンドーコバヤシ、笑い飯、千鳥、友近、山里亮太(南海キャンディーズ)、レイザーラモン、ネゴシックス、なだぎ武(ザ・プラン9)、土肥ポン太、野性爆弾、天津、ルチャダテリブレ、べっぴん山、中山功太の存在が確認されている。

「リットン・ファミリー」の特徴として、ファミリーに属する芸人の多くがマニアックネタやプロレスネタ、下ネタなど、あまり一般には評価されない芸を得意にしていることが挙げられる。これについて2005年2月19日に放送された「めちゃ²イケてるッ!」のコーナー「笑わず嫌い王決定戦」にバッファロー吾郎が登場した際、岡村隆史(ナインティナイン)が「男子(男性ではない)受けする芸風」と形容した。それ以外にも友近やネゴシックス、南海キャンディーズなど独特のセンスを持つ芸人が多いため、流行に左右されない独自路線を進むマニアックな芸人をファミリーの如何にかかわらず「リットン・ファミリー(のようだ)」と呼ぶこともある。コアなファンを掴み未だ名も知られていない若手芸人も入れれば、いまや吉本興業内でも巨大な派閥である。

その特異性ゆえに「売れない落ちこぼれの集まり」と認識されていた「リットン・ファミリー」だが、M-1グランプリにおいて笑い飯や千鳥、南海キャンディーズが決勝に残ったことから注目されるようになった。近年は友近、ネゴシックス、レイザーラモンの活躍によって関西のお笑い界では一大勢力になりつつある。

2005年10月24日にテレビ朝日で放送された「アメトーク!」ではバッファロー吾郎を中心とした「バッファロー・ファミリー」として、ケンドーコバヤシ、笑い飯、南海キャンディーズ、レイザーラモンが登場したが、これは「リットン・ファミリー」の内部組織といえる。

(出典:Wikipedia)

吉田ヒロ

吉田ヒロ(よしだ ひろ、1967年8月4日-)は、吉本興業に所属する兵庫県神戸市出身のお笑いタレント。本名は吉田弘典(よしだ ひろのり)。吉本新喜劇で活躍する。2007年4月16日までは座長であった。八代学院高等学校卒業(現神戸国際大学附属高等学校)。2005年6月14日、再婚相手との間に一女をもうける。離婚歴があることを稀に新喜劇でいじられる。


【遍歴】
■ボブキャッツ時代
長原成樹と同じくNSC2期生。岩瀬雄大と「ボブキャッツ」というコンビ(ツッコミ役)で活動していた。元ダウンタウンファミリーで、4時ですよーだにも出演していた。

コンビ時代の漫才の内容も雄大が突然客席に降りて両腕を振り回し「ウォー、リメンバー・パールハーバー!」と叫ぶなど、アナーキーかつエキセントリックなネタで他のコンビとは一線を画していた。コンビ時代はヒロよりもジミー大西に匹敵する天然ボケぶりを駆使していた雄大の方がクローズアップされることが多かったが、ある日雄大が酒に酔って階段の上から転落し前歯数本を折る大ケガをしたことがきっかけで雄大は芸能界を引退・廃業、同時にボブキャッツも解散することとなる。それ以前からヒロは解散・引退をほのめかしていたが、雄大は続けたがっていた。放送作家の高須光聖をまじえて3人で話し合った結果(なぜかその際雄大は根性焼きをしてヒロの気持ちを繋ぎ止めようとした)、やはり解散の道をたどる事となる。その後、ヒロはダウンタウンの番組にてレギュラー出演することになった。一方、雄大は落語家への転向を目指したがあえなく挫折し、吉本興業を解雇される。現在は京都市内でビラ配り等のアルバイトをしている模様である。 2006年12月31日、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで絶対に笑ってはいけない警察署の中での板尾巡査(板尾創路)葬儀の時にボブキャッツ雄大の札が立っていた。

■新喜劇入団
コンビ解散後、芸名を「ヒロ」から「吉田ヒロ」に改名。1989年吉本新喜劇に入団。ぼんちおさむに弟子入りした。(新喜劇入団後に師匠を持つのは同じ新喜劇の小米良啓太(師匠:大平シロー)の2人だけ。共にタイヘイ一門でもある。)ちなみに、ヒロは元々NSCに入る前におさむに弟子入り志願している。しかし、すでに住み込み弟子がいたため弟子にはなれなかったが、ヒロはずっとおさむを尊敬しておりおさむもヒロを弟子のように可愛がっていた。ヒロの結婚式は法善寺横町でゲリラ的に行われたが、これをプロデュースしたのもおさむであり、現在は正式にヒロを弟子としている。

吉本新喜劇入団後もダウンタウンファミリーとして、ダウンタウン、今田耕司、130Rと共に東京に進出。ダウンタウンのごっつええ感じのレギュラーメンバーとして活躍。しかし東京の空気に馴染めず大阪に戻り、吉本新喜劇を活動の拠点に。ニューリーダーの内場、辻本が東京での収録のため不在だったころに、残った石田靖と交代で新喜劇の主役を担うようになるが、石田はテレビの仕事が多かったため、その結果1997年秋から数年の間はほとんど毎週ヒロがNGKの主役を演じていた。

蛇足ではあるが、ヒロが吉本新喜劇の舞台に初めて立ったのは、ボブキャッツ時代の『夕焼けの松ちゃん浜ちゃん』に於けるレギュラーとしての出演である。この時は、出てきてギャグをして浜田雅功にしばかれるためだけに舞台に出る、ただの端役であった。だがこれが意外と好評だった為、ボブキャッツ解散後、吉本新喜劇に入団したのは、この端役時代がきっかけだったとする説もある。


【座長就任から卒業(退任)まで】
「超〜」の放送期間中はNGKでの主役だったこともあり、1999年に正式に座長に就任、数多くの一発ギャグ(ボケ)を封印し、ツッコミ担当に転じる。大阪的な人情を描いた保守的ストーリーを演じる辻本(辻本の項参照)、劇団出身らしく小劇団なストーリーを演じる内場、暴力的なツッコミをかます石田ら3座長とストーリーを決める点であきらかに違う所は、なにがしか常に新喜劇では前衛的な、新しい試みを行っていたことがあげられる。「新喜劇40周年記念・ゲラゲラハッピィ」(データハウス発行)で、本人もほぼ同じ意味のことを言っている。

吉田ヒロが作成に関わっていた新喜劇の特徴
「常に新しいこと」をモットーに、吉田ヒロが行っていたことは以下の通りである。
・劇のストーリー上のパターンをあまり決めずに大まかな物にとどめ、座員を自分の型にはめない。
・上記の理由でほかの座長に比べるとアドリブがかなり多く、舞台上では漫才のようなやりとりが繰り広げられる。また、若手の出演時間が若干長い。
・派閥が出来ないように工夫している。中條健一、池乃を重用しているが、その中條や池乃もストーリーラインに絡まない役だったり、絡む役だったりと一定していない。
・主要登場人物に登場シーンを設けず開演直後から自分を含め主要登場人物が登場している事がある。(通常は若手がカップル同士という設定で会話をしている場面から始まる。)
・人間の言葉が分かる飼い犬を自ら演じたり、なぜか海釣りに背広一式で来たり、細木数子風の占い師、島田一の介がオカマのヤクザ役をやったりと一風変わった配役をする。
・場合によっては座長公演でも出番を減らし、進行を共演座長の内場と石田、烏川、安尾などの副座長クラスにほぼ一任する。さらには中條、池乃、一の介、小籔千豊、伊賀健二、川畑泰史、浅香あき恵、五十嵐サキに主役を演じさせる事もある。
・ロケーション(場面設定)ではヤクザの組事務所(託児所へと変化することも)やライブハウス、テレビ局のスタジオ、祭りの神社の境内など変わったロケーションをしていることもある。また海釣りのロケーションが数多い。
以上が"吉田新喜劇"の特徴である。ただ漠然と観劇していると気づきにくいかもしれないが、マンネリと評される辻本茂雄が作成した新喜劇と比べるとその違いがはっきりとわかる。
2007年4月16日の公演を以て、吉本新喜劇プロデューサーの野山雅史(当時)により、座長を卒業(退任)したことが発表された。"座長出身のゲスト座員"後進の育成と指導に当たる重鎮ポジションに昇格(新聞や新喜劇ブログ等での発表によると「枠にとらわれるのではなく、もっとノビノビやってもらう」「新喜劇以外(バラエティー番組やラジオ等)でもっと幅広く活動」するため)。ヒロ本人も毎日自身のホームページの掲示板への書き込みをチェックしており、「これからは、スーパー爆笑王として新喜劇を盛り上げていくので応援ヨロシク!」と今後の意気込みを書き込んでいる。


【人物】
ダウンタウンが24時間テレビのチャリティーパーソナリティーを担当した際、深夜に行われた「ミッドナイト大喜利」でヘルメットの上からチェーンソーの刃を軽く当てられたものの「まゆ毛ボーン!」とすかさず一発ギャグで切り替えした、相当な芸人根性の持ち主である。

熱狂的な阪神ファンである。

今田耕司との関係においては、吉田ヒロの方が2年先輩にあたるが、今田からは「ヒロ」と呼び捨てにされており、タメ口で会話されている(年齢は今田の方が2学年上)。新喜劇においても芸歴は座長の中では内場に次いで長いが、辻本、石田よりも新喜劇入団(実際にはほぼ同時期だがすぐに東京進出したため実質的には1993年頃)、事実上の座長(ニューリーダー)就任は遅く年下でもあるためほぼ後輩扱いされている。だが、本人はテレビでこのことについて質問されたとき「(自分は)ナメられキャラやからな」と納得している口調で言っており、細かいことは気にしていないようである。上記のように選り好みをしない性格から芸人仲間からは先輩・後輩問わず慕われている。

因みに似顔絵の才能も有しており、毎日放送系列「よしもと新喜劇」のオープニングCGは、ヒロの原画を基にした物である。その証拠に、エンディングのスタッフロールには‘イラスト/吉田弘典’と本名がクレジットされている。

第1回、第3回のM-1グランプリ予選に中條健一と組んで出場した事もあるが持ちギャグに入る前にタイムオーバーになってしまい敗退。

バッファロー吾郎の名付け親でもある。


【ギャグ】
ボブキャッツ時代、そのぶっとんだギャグに注目していたダウンタウン松本が「ヤングタウン」で紹介したり、「夢で逢えたら」でヒロのネタをやったりしており、お笑い好きの間で少しずつ浸透しはじめていた。そして「朝まで働けダウンタウン・復活4時ですよーだ」において行われた「ヒロのギャグ100連発」において炸裂した100発で、一気に「1発ギャグのヒロ」として認知されるに至る。

いわゆるネタ振りがいらず、フレーズだけで笑いがとれるヒロのギャグは他の芸人にもパクられやすく、松本人志が使っていたほか、ナインティナインがよく岡村を指して「小さいおっさん」というフレーズを使うが、これも発祥はヒロのギャグである。

最近は池乃めだか、中條健一との掛け合いが中心となっている。座長になってからはあまり自分を出さなくなり、前述のようにツッコミ専門になっていたが、座長を退任後は再びボケ役を担当する可能性もある。その時は基本的に場の空気を完全に無視したオーバーアクションな一発ギャグによるスベリ芸である。これは師匠・ぼんちおさむの影響である。またハスキーボイスのため早口で台詞を言うと理解できない喋りになる。

演じる役は後述されるキャラの他、白スーツのヤクザ、放蕩息子、売れないお笑い芸人(貴族風の衣装に猫耳)など。また一回きりしか演じないキャラクターもあるため、数えたらかなり多い。

■たまにやる持ちギャグ
・「まゆ毛ボーン!!」
・(登場時に扉の前で)「開けて閉めて開けて閉めて開けて閉めたら入れな〜い!」その後ハケよう(退場しよう)とする。
・「閉めて開けて閉めて開けて閉めて開けたら入れたわ〜!」という逆パターンを披露したこともある。
・「ガラスない〜ん!」
・(最新の登場ギャグ)「きつねにちわ、あ、こんにちわ」キョトンとする出演者に対し「今のがおもんなかったらここから先ずっとおもんないで」と付け加える。すると安尾信乃助が「あぁキツネだからコン、あははは」とわざとらしく笑う。「笑いのツボが分ってるやないかい」とヒロ。そして安尾と握手する。
・「ちちくりマンボ、ちちくりマンボ、ちちくりマンボでキュッ!」
東京進出時代にこのギャグでCMに起用され流行語となる。「夢で逢えたら」で松本人志と野沢直子もパクッていた。芝居中では封印しているが、エンディングの場面でどさくさに紛れて披露している事がしばしばある。なお、このギャグを考え付いた当初は放送すら憚られるほどだった。言うまでもなく仕草を見るまでもなく、「ちちくり」は『乳繰り』のことだからである。

・正解がバレバレのクイズ**
例)「ダウンタウンは松ちゃんと浜ちゃんですがウッチャンナンチャンは何ちゃんと何ちゃん?」

■アホボンキャラ。
自分の頭を谷亮子のようにリボンで編み、蝶ネクタイでスーツ、半ズボンで登場。いつも両手をポケットに突っ込んでいる。喋った語尾に「〜するです!」とつける。また、中條健一がお付きの秘書役で登場する。このキャラで演じるのはヒロインと中條などとを結婚させる恋のキューピッド役、名探偵コナンのパクリ役など。最近は短髪になったので見られる機会は以前よりも大幅に少なくなっている。お付の中條が「このお方をどなたと心得る!!吉田コンツェルンの御曹司・吉田ヒロ様にあらせられるぞ!!」っと水戸黄門の印籠のシーンの様なセリフを言うと「ははーっ!!」っと土下座して突っ込まれることもある

■池乃めだかイジリ。
・「ちっさいおっさん」(※1)
・「ミクロマン」(※2)
・「キリギリス」

■中條との漫談。
・「桂三枝は?」「いらっしゃ〜い」(中條がヤクザ役を演じている時、中條との眉毛ネタでの掛け合いで)

■ヤクザを演じている時のギャグ
・登場時に「殺すぞ〜!いてまうぞ〜!」と必要以上に見栄を切りながらそり返って歩く。
・寿司の刺青(上半身に「寿司」と書いている、回転寿司、ばら寿司など。そこから展開し、内場等がいいなり寿司など。最後は「閉店や」で締めくくる)

■売れないお笑い芸人(マジシャン)の時のギャグ
・「ワァーオーゥ!ワァーオーゥ!」と叫びながら登場、勢い余ってそのままハケようとする。
・「じゃぁ一曲歌います、いいえ私はさそり座でいて座♪」(ツッコミは「どっちやねん!」)

※1...吉田ヒロが歌ったあと、池乃めだかにネタを振る。

ヒロ:「ワン、ツー、ワン、ツー、スリー、フォー、ちっさいおっさーん、ちっさいおっさーん、ぜんまい仕掛けのちっさいおっさーん、ちっさいちっさいちっさいちっさいちっさいおっさーん、ハイ!」

めだか:「なんでっかー、なんでっかー、ちっさいおっさんここだっせーちっさいちっさいちっさいちっさいちっさいおっさーん 最近孫が気つきよったー。じいちゃんなんでちぃちゃいの?やかましわ!」(或いは「二階におってもやっぱりちっちゃい、やかましいわ!」というパターンもある)

※2...「ちいさいおっさん」ネタに続いて、ヒロがめだかにネタを振る。また、めだかが独りでに歌い出す場合もある。

ヒロ:「あ、わかった、ミクロマンやろ!」

あるいは、

ヒロ:「ワン、ツー、ワン、ツー、スリー、フォー、ミクロマ〜ン、ミクロマ〜ン、ミクロの王様ミクロマ〜ン、ミクロ、ミクロ、ミクロ、ミクロ、どこから来たのか分からない〜、どこにいるのか分からない〜、ミクロ、ミクロ、ミクロ、ミクロ、お前は誰だ!?」

めだか:「ミークーローマーン、ミクロマーン、私の名前はミクロマン、宇宙の果てからやってきた、地球を滅ぼすためーにー。(幼児口調で)俺たちはミクロマンだ、ミクロの体は小さいから地球の奴らには見えないんだ、あっ、顕微鏡だ隠れろー、やかましいわ!」

ヒロ:「長いわ」

(出典:Wikipedia)

山崎邦正

山崎 邦正(やまさき ほうせい、本名同じ、1968年2月15日 - 血液型O型)は、兵庫県西宮市出身のお笑いタレント。吉本興業所属。NSC6期生。既婚で娘が二人いる。兵庫県立西宮南高等学校卒業、立正大学心理学部在学中。

愛称は、「山ちゃん」「ほうせい」(※以上は主に先輩芸人が使用)、「ザキさん」(※提案者とされる加藤浩次を始めとした後輩が主に使用)、「邦正さん」とも呼ばれる。


【プロフィール】
名前の読みは「やまさき」だが、「やまざき」と呼ばれることが多い。デビュー以来、本人は若干そのことを気にしているらしく、以前は「やまざき」とよばれる度に「やまさきです」と訂正していた。「学級王ヤマザキ」の主題歌に起用された(後述)のをキッカケに、表面上はあまり気にしなくなった様子。 実のところ「やまさき」ときちんと彼の名を呼ぶ人間は浜田雅功ぐらいである。しかし浜田も意識して「やまさき」と呼んでいるようで、興奮したり焦ったりすると「やまざき」と呼んでしまっている。

ココリコなどの後輩はザキさんと呼んでいる。 また本名の読みは芸名と同じ「ほうせい」で、「くにまさ」など訓読みではない。

芸風・性格として、虚勢を張った大きな叫び声など、テンションを急速に上げることができ、その点では他に追随を許さない。(ただし長く持たない)その割に些細なことでビビることから先輩芸人らから「ヘタレ」とよく呼ばれ、劣等感からそれを返上しようとピアノなどを始めたといわれる。最近はヘタレのみならず、ウケるためには「ヨゴレ」も辞さない芸風になっている。それにもかかわらず、多くのタレント・芸人・著名人(タモリ、久本雅美、森三中など)から煙たがられ(その割に共演する機会は多く、山崎自身も森三中の事は嫌っている)、特に森三中の大島からは「出がらし芸人」「ドブ川芸人」と罵倒されたことがある。同じく、後輩女性芸人のモリマンとの対決番組では、毎回これ以上ないほどに辱められ、罵倒されまくっている。ただし、これらはあくまで舞台上のみであり、プライベートでの関係はそう悪いわけではないと思われる。

一方で趣味は作曲、パソコンと多岐にわたり、番組でも音楽プロデュースをしたりしている。 物真似にも果敢に挑戦しており、浜田省吾などのモノマネは評判が高い。新しい芸を産み出そうとする一方、後輩の成長をやっかむ事もあり、ネタを盗んだりしたことが一部指摘された(それすらがネタという見方も)。

また、当初はその可愛らしいルックスからアイドル的な人気を誇っていたが、年齢を重ねるごとに衰えを見せ、本来のヘタレキャラがクローズアップされていく事となる。元来フリートークも得意とは言えず、漫才出身でありながら近年ではどちらかというとリアクション芸人に近い、もしくはリアクション芸人そのものと思しき芸風を持つようになったとの見方も多い。

準レギュラーどころか一度きりの出演番組やネットラジオまで「レギュラー」として公称している。 正式にレギュラー出演中の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』では、「山崎vsモリマン」「さよなら山崎邦正」「山崎に笑いの神は降りるのか?」「山ちゃんプレゼンツ ミステリーワールド」などの人気企画を持つ(いずれも不定期放送)。あまりの見苦しさにやめてほしいという声も極めて多いが、本人は「さよなら山崎邦正」が特に気に入っているらしく(自分の振り付けの踊りを披露し、『ガキの使い』で目立てる数少ない企画なので)同企画最後に「また、来年もやるからなー!!」と言っている。毎回“これが最終決戦”という触れ込みである「山崎vsモリマン」に「絶対に続編を」という視聴者からの要望や、また「さよなら山崎邦正」が毎年3月に放送されると「何故本当にやめさせなかった」という視聴者からの非難の声が挙がる。この番組のおかげで、今やダウンタウンと最も共演歴の長いタレントになってしまった。 同番組には第2回から出演しており、ハイテンションベストテンでは必ず一位として登場する。内容は毎回ほぼ一緒で、女装した山崎が最初はハイテンションを繰り出すが、ウケずすぐに意気消沈し、盛り下がりグダグダになって、ネタの終わりごろに「コムー(スタッフの小紫)スベるのつらいよ〜」と弱音を吐く。


【すべり芸】
前述の通りデビュー当時はアイドル芸人的な売り方だったが、後にその勝負弱さを生かしたスベリ芸を開拓(ただしこれが意図しての転換かは定かではない)。ギャグが不発に終わる際の痛々しさ、滑稽さを楽しむという特殊な芸風である。後述するように一歩間違えばただの嫌われ者になるため、演者にはある程度の愛嬌ないしバランス感覚が要求される。

こういった芸風は無様な状態でこそ真価を発揮するため、番組中ではネタとしてネガティブな扱いを受けることが多い。最初からつまらない芸人として扱われる、急に無理なアドリブを要求される、不必要な暴力を振るわれる、後輩や素人から蔑まれる、等々。

このような扱いにより、「山崎は本当に軽んじられている/才能がない」と見る者も多く、またスベリ芸自体も「スベっているだけのつまらない芸」と額面どおりに捉えられることがほとんどである。さらに、その楽しみ方を知る者も、「つまらない」「ひどい」「寒い」などと評価することが多い。良い方向に評価する声としてはスベリ芸はスベってこその芸であり、面白いと認められてしまえば成立しなくなるというものがある。このメタ構造的な要素を含む微妙な立ち位置が、山崎という芸人の評価を非常に難しい物にしているという事だ。 山崎と公私ともに関わりの深い松本人志は「自分以外には扱いが難しいのではないか」という旨の発言を自身の雑誌連載等で行っている。

なお先輩の村上ショージ、リットン調査団、東野幸治なども同様の芸風であり、さらにリットン、東野らのようにヒール (悪役)側に身を置くことで笑いを生む芸風は、さほど珍しいものではない。その中で山崎は、ベビーフェイスからヒールに転落した珍しい例である。松本人志は、初期のアイドル的ポジションから現在の山崎へと至る様子を「芸を極めるほど黒帯から白帯になっていく芸風」と評した。


【略歴】
1988年、軌保博光と「GSX(ジスペケ)」を結成し、デビューする。その後「TEAM-0」に改名。

1991年、ダウンタウンのスペシャル番組(『ごっつええ感じ』とは別番組)のドッキリ企画でうっかり「解散します」と口走り、その翌年の1992年に本当に解散。軌保は映画監督・詩人に転身し、山崎は現在ピン芸人として活躍する。

1998年、テレビ東京系で放送されていたアニメーション『学級王ヤマザキ』の主題歌『ヤマザキ一番!』を歌い、CD化され5万枚の売上を記録(ただし、『おはスタ』内での放送開始直後に歌っていた渡部チェルの方が上手かったと言われている)。『おはスタ』では実写版『学級王ヤマザキ』として主人公のコスチュームで登場。どうやら気に入ったらしく、以後なにかというとこのコスプレを多用するようになる。後、結婚会見においても同様の格好で現れたが、これに対して報道陣はノーリアクション。また、式では新郎と新婦の衣装を逆にして現れたが、これに関してもノーリアクションだった(このことに関して雨上がり決死隊の宮迫は後日、「取材陣の悪意を感じた」と語っている)。余談ではあるが、お神酒を頂く際には感極まって号泣してしまっている。この模様は『ガキの使い』内でも放送された。これを見た他の出演者は泣く意味が分からず驚愕し爆笑した。 なお、『ヤマザキ一番!』は山崎のテーマソングとしてTV番組等で使用される事もあり、今でも「少しだけ歌唱印税が振り込まれてくる」と語っている。

1998年 - 2000年、リサ・ステッグマイヤーとともに『天才てれびくん』(1999年より『天才てれびくんワイド』)の司会を務める。これにより子供層に人気が出る。また、この番組にはウエンツ瑛士も子供タレントの一人としてレギュラー出演しており、この時山崎から受けた影響は大きかったらしく、現在でもウエンツは山崎を「師匠」と呼び慕っている。また「山崎夫妻にはお世話になりました」という発言や、ほぼ毎年一緒に隅田川の花火大会に行っていることなどから、師弟関係の深さが窺い知れる。なお、ウエンツが山崎を慕う件について松本人志は「あいつを慕うヤツを初めて見た」と語っている。同番組で大人の歴代司会は子供をサポート、指揮していく立場にあるのだが、山崎だけは例外で子供からも呆れられるという、オチ的役割が多く、その分子供がしっかりしていく反面教師的な面も見られた(ただし、この頃の視聴率は良かった)。 なかやまきんに君の“筋肉留学”渡米に関しては、事前に相談を持ちかけられていたという。また、松本をはじめとして今田耕司、高須光聖といった先輩からも愛される人物である。ポルノグラフィティの岡野昭仁も山崎のことを「天才芸人」と称している。戸田恵梨香はIQサプリで山崎のファンを公言し(真偽は不明)、倖田來未は携帯電話の着信ボイスに山崎のギャグを使用している(友人のなるみの証言)など、業界内のファンも少なからずいると思われる。

2002年、作曲を趣味としている事から、音楽プロデューサー(?)としてSKY PerfecTV!・ヨシモトファンダンゴTVで放送された番組『邦正音楽工房』から女性アイドルデュオ「AiAi」をデビューさせた。また2004年には『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』にて強引にダウンタウンやココリコに楽曲提供した。ちなみに浜田省吾の大ファンであり、毎年ダウンタウンのふたりの誕生日を祝う場面では歌真似を披露する。

2005年7月31日深夜、TOKYO FMで芸能生活17周年を記念して、3時間の生特番に挑戦した。

『M-1グランプリ2005』にカンニングの竹山隆範と漫才コンビ「竹山崎」を結成し参戦。予選三回戦で敗退した。ちなみに、この前年の2004年度には山崎と村上ショージによるコンビでの出場を目論んでいたが、申し込み締切が過ぎていた為に実現しなかったという。2006年度は新たにたむらけんじをメンバーに加え「たむらけんじと竹山崎」として参戦。こちらは二回戦敗退となった。

2007年に芸能生活20周年目に突入。しかし松本人志からは「ギュッと凝縮したら芸歴2年」と評価される。また、20周年を記念して写真集(変な顔やポーズを集めた内容)を出す予定だが、出版社が決まる前にTV番組で告知をする見切り発車状態のためいつ発売されるかは未定。


【意外な才能と向学心の噂】
・立正大学心理学部在学中である。大学進学を志した大きな動機として、自身が後輩芸人雨上がり決死隊や声優の堀江由衣、福井裕佳梨、グラビアアイドルの小池栄子等と共に2000年度第7期からパーソナリティーを務めたMBSラジオ『オレたちやってまーす』木曜日内のクイズコーナーを挙げており、この時「学校の勉強もクイズと一緒だ」と思った事から、実際に当番組内において『邦正の法政(大学)への道』(ほうせいのほうせいへのみち)というコーナーを立ち上げ、後輩で高学歴芸人のロザンに毎回入試問題をクイズ形式で出してもらい法政大学を目指した(「法政大学」を目指した動機は、自身の名前、「邦正」と同じ名前の響きだったから)。最終的には実際に受験するも不合格で、その様子は録音されラジオ内でも流された。また2006年〜2007年にはテレビ東京の「ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!」内の「芸能人こそ東大へ行け!」プロジェクトで東京大学を目指したが、センター試験の受験科目を間違えて、無資格で終わってしまうという天才的な荒業をしでかした。

・大学の同級生との飲み会などでは、出演番組などについてダメ出しをもらうことも多いとのこと。

・『ヤマザキ一番!』を歌った時はわざと勢いだけで歌っていたようで、実際は歌は上手い。『天才てれびくん』でカルチャー・クラブの『カーマは気まぐれ』をカバーした時や、後述のものまね番組など、歌唱力について高評価を受けている場面は多くある。

・前述の浜田省吾の他、尾崎豊の歌真似のレベルはかなり高い。ものまね番組に単独で出演した際には尾崎の真似で笑いの要素は一切無しで歌い上げ、喝采を浴びた事もある。尾崎の物真似は中途半端なレベルや笑いを交えたネタでは尾崎ファンからの批判が大きい為、テレビ番組で尾崎の真似を披露するタレントは実は非常に少ない。その意味で山崎の真似は評価が非常に高いと言える。ちなみに、福山雅治のものまね(こちらも映像はともかく歌自体は一切笑いなし)をした時も高評価を得た。しかし、ものまね番組でも歌以外のフリートークの場面ではやはり弄られてばかりいる。

・ピアノが弾ける。腕前は決して良いとは言えないが、ショパンの「別れの曲」(弾きやすい調に直されていたが)など、難易度の高い曲も弾きこなしている。

・口腔内の唾液腺(耳下腺)から唾液を前方または左右に勢いよく自在に飛ばせるという特技を持つ。山崎はこれを『水芸』と称し度々披露している。

・ネットラジオ「おしゃべりやってまーす金曜日」の共演者村田あゆみのセカンドアルバム「Happy Candy」の中の「Birthday」と「伝説の狼」の作詞と作曲をした。

・英会話教室のNOVAに一年ほど通っている。

・剣道の有段者であり、いくつもの大会で入賞経験がある。SMAP×SMAPのコーナー「草なぎムサシ」でも、剣道の経験者である草なぎ剛と対戦し、見事勝利している。


【エピソード】
・幼少時は、親から怒られると泣き喚いたあげくひきつけを起こす子供だったらしい。そのため、金持ちでもないのに欲しいものは全て買ってもらっていたという。おぼっちゃま芸人と言われる所以である。場合によっては、ひきつけを起こしたフリをして親を困らせ強請る事もあったらしい。

・中学時代のあだ名は「ジャガイモ」だった。その理由はなぜか時によって変わっており、頭骸骨の形がデコボコしてたからという理由と、ポテトチップスばっかり食べていたからというものがある(いずれも本人談)。現在もポテトチップスは間食として欠かせず、特に「うすしお味」を好むという。

・中学では剣道部で、本人曰く主将で大会では常に優勝候補だったらしい(ただし、勝負弱く優勝経験はない)。

・邦正は、高校時代モテていたらしく、高校のミスターに3年連続選ばれた。

・大学受験に失敗し浪人することになるが、入ろうとした予備校(河合塾、駿台予備校など)に全て落ちる。その後の大学受験も失敗。

・吉本の東京本社所属タレント第1号である(「TEAM-0」時代)。

・上京直後は周囲に顔馴染みがほとんどおらず、孤独だったと語る松本人志の心の支えになったらしい。それ以来、現在にいたるもプライベートではよく行動を共にしている。

・デビューから数年は『ガキの使い』のネット放送を読売テレビが暫く行っていなかった事もあり、いわゆるダウンタウンファミリーの芸人でありながら関西方面での一般層の認知度が比較的低かったが、昨今は関西ローカルのレギュラーも増え、地元でも確実にそのキャラクターが定着している。

・デビュー当時は、かなり可愛らしい童顔をしており、デビュー後最初のバレンタインデーには、チョコレートがダンボールで十五箱分届き、吉本関係者に「こんなこと初めてだ」とまで言わせた。しかし、その一年後にはヘタレキャラ露呈のため巾着二個分に激減。山崎はかなり落ち込んだが、最終的には「あの子達はみんな事故で亡くなったんだ」と自分に言い聞かせることで心を落ち着かせた。

・かつて『ガキの使い』のコーナーで、愛車だった2代目の三菱・ミラージュをジミー大西にぼこぼこに蹴られてマジギレしたことがある。その際、気が動転するあまり自ら愛車にケリを入れてしまう。

・『かざあなダウンタウン』のロケで今田耕司と力也が深夜、山崎のアパートへ行きなり押し掛ける。その時部屋に女を連れ込んでいたため、今田達が部屋に入ると女が「ヒャ〜!」と悲鳴を上げてカメラから逃走しカーテンに隠れるというハプニングがあった。ロケ終了後、今田は「(女は)編集で匂わす程度にしとくから」と不安がる山崎に言っていたが、オンエアでは姿は見えなかったものの存在はバレバレだった。

・1997年、『ガキの使い』内で“自分が1人でトークをすれば視聴率20%を取れる”と豪語したが、収録ではトークの間が持たずスタジオから逃走した。番組冒頭(ダウンタウン出演部)で20%超だった視聴率も、山崎トーク部ではなだらかに下降(最高19.9%、平均19.2%)。罰ゲームとして「スカイダイビング丸坊主」が執行され、またトークの観客一人一人の家を訪ねて菓子折りを手渡しして謝罪させられた。

・タモリのSuperボキャブラ天国内のコーナー「ボキャブラ発表会 ザ・ヒットパレード」に1回目から出演。

・キャッチフレーズは当初『1000のあいさつを持つ男』だったが、中期から『リトルパンチドランカー』に変更された。ちなみに、現在自ら他の番組で語ったキャッチフレーズは『お笑い界の生きる屍』。

・オチだけでなく冒頭の挨拶でもボキャブラを披露するというスタイルを最初から最後まで貫いた。最初のうち「挨拶ボキャブラ」は評価の対象にならなかったが、ある時期から挨拶も評価の対象となった。しかし「挨拶の方がオチより面白い。」という回もあった(ヒロミ曰く「山崎はさ〜、全然昔っから変わってないよな〜。他の奴等(芸人達)が色々、変えてきてる中。」)。

・第3回目(3回連続出演)のヒットパレードでは「前回のイチバン」だったフォークダンスDE成子坂や初登場の爆笑問題、×-GUN(現.丁半コロコロ)を抑えて第1位に輝くも、その後は「カス」もしくは下位になる事が多くなり(しかし、たまにヒット作を飛ばす事もあった)2度と1位に輝く事は無かった。

・ヒットパレード後期からはルール変更に伴い過去の成績が乏しくなかったり出演が滞っていた芸人は「めざせ君」という扱いになったが山崎は、それまで登場していた全68組から選ばれた13組の「レギュラー」の地位に留まる事が出来た(ちなみに他のレギュラーは爆笑問題、BOOMER、ネプチューン、男同志(解散)、金谷ヒデユキ、×-GUN(現.丁半コロコロ)、海砂利水魚(現.くりぃむしちゅ〜)、つぶやきシロー、Take2、アニマル梯団、ロンドンブーツ1号2号、MANZAI-C(解散)。なお、この後のシリーズ「タモリの超ボキャブラ天国」に山崎とロンブーは出演していない。そしてMANZAI-C以外の10組は暫定メジャーのベストテンに選ばれている)。

・収録中のスタジオに乱入した時もある。そこで「挨拶ボキャブラ10連発」を披露して、そのまま客席に陣取る。その後「夜のボキャ天」では、ついにヒロミの横に陣取りネタの面白さに関わらず、ヒロミの大玉ボタンを勝手に押しまくってヒロミに怒られている。

・吉本興業が開催した、史上最大のお笑いフェスタLIVE STAND07で雨上がり決死隊と今田耕司 に芸歴20周年を祝ってもらって、観客に「芸能界に入って分かったことは、ゴボウはただの木でした!!」と、涙して語った。

・名古屋の神社で番組収録をした際、雨上がり決死隊が「大吉」「中吉」のおみくじを引き、流れとして山崎には「大凶」のおみくじを引くことが期待されたが、実際に引いたのはミスで何も書かれていない白紙だったことがある。

・その後、関西ローカルの番組でおみくじを引いた際、共演した陣内智則が「小吉」をメッセンジャー黒田が「大吉」を引いた後にまたも「大凶」が期待されたが、今度は「平(へい)」と言うよくわからない結果となった(その後、森田一義アワー 笑っていいとも!でこの時のおみくじを披露した)。

・2007年5月15日、ペナルティの紹介でテレフォンショッキングに出た時の花はマルコポロリ、陣内智則、なるみ、メッセンジャー黒田からしか届いてなかった。

・会場100人アンケートの時、「おみくじで『平』を引いたことある人。」と聞いたところ1人だけ該当者がいた。

・天才テレビ君司会時代

・ダウンタウン松本に「(『天才テレビ君』なのに)こんな凡才が司会をやってたんですよ。」と言われた。

・ウエンツに「もっと子供達(天才テレビ君レギュラーの)で俺をけなしてくれ」などという願望をもらしていたらしい。

・ウエンツ曰く、「邦正師匠は、大人気でNHKに出待ちの人がいたこともあった」らしい。また邦正曰く、「この頃プールとか行くと、そこに居た子供達が『邦正やー!!!』ってみんな大騒ぎしてたんですよ〜。」(真偽は定かではない)とのこと。

・この頃ウエンツと一緒に隅田川の花火大会へ行ったことがあったらしく、このときウエンツは、芸能界をやめようとしていたが、邦正が「結婚することになってん。嫁のお腹に子供がおるんやけど、ウエンツは俺の息子みたいなもんやから、子供が生まれたら、お前の妹ができるな」とウエンツに言い、この言葉を聞いて感動し、ウエンツは芸能界で頑張る気になったらしい。

・Le Coupleが山崎の前で、「ひだまりの詩」を歌ったことがある。

・『特捜!芸能ポリスくん』に出場したときのこと。第1回戦の時緊張のあまり、たった3問という結果に終わった。ところが、この回は立河宜子が5問、デビット伊東が3問という成績不振に終わり、先輩である宍戸錠に「敗戦処理」をさせてしまった。さすがにマズかったのか、司会の島田紳助に「オマエら、この後のクイズ出来なかったら、人間として自決してもらう!!」と、3人まとめて釘を刺されているのも放映された(ちなみに3回出場して最高6問正解。最高成績は準優勝で終わっている)。

・『クイズ$ミリオネア』にも出場歴がある。2000年10月19日の延長第8ピリオドでのこと。緊張のあまり「ファイナルアンサー」と答えるところを「ファイナルファンタジー」と答えてしまっている。一緒に出場していた先輩である清水圭に「帰れ!」と言われた。早々とライフライン全部使用の後、5問目敗退0円終了に。その1年半後の2002年3月14日第4ピリオドで、前回の汚名返上を狙い補欠ルーム1位通過の上、意気揚々とセンターシート着席したものの、早々とライフライン全部使用の後、10問目敗退10万円獲得退場。ヘタレぶりを晒し、エンディングで、後輩芸人のペナルティ・ヒデに同情されているのが放映されてしまった。

・大阪毎日放送ラジオの生番組『オレたちやってま〜す 木曜日』に出演していた頃、度重なる遅刻に痺れを切らした、雨上がり決死隊ら他の共演者が、山崎到着寸前に隣のスタジオに移動し、山崎がいつものスタジオに遅れて入るが誰もいない状態にし、普段は東京(MBS東京支社)から生放送しているが、今回は大阪(MBS本社)からだという嘘をついて、スタジオに独りぼっちにさせるという、ラジオとしてはめずらしい、ドッキリ企画に引っかかっていた。

・2004年12月10日に中古で購入した愛用バイクを盗難されるという事件に遭う。

・最近は腹がものすごく出てきてしまい、松本人志から「キユーピーマヨネーズか」、高須光聖からは「カマキリのような腹」と言われた。一時期はそれを売りにするような素振りも見せたが、現在はダイエット敢行中とのこと。

・一時期、唐突にパーマをあて、髪型をアフロ状にしイメージチェンジを図ったが事があるが、程なくして元に戻した。なお頭頂部がとみに薄くなってきている。

・関西ローカルの情報番組『なるトモ!』からチーム邦正というグループを結成した。現在のメンバーはメッセンジャー黒田、陣内智則の3人である。また、8月1日にはひらかたパークのプールに行き、その模様は8月8日の『なるトモ!』月曜日で放送された。また、2006年末にはチーム邦正が四国へ行き、渓流に張られたロープを滑走するスポーツを楽しむはずが、直前に山崎と黒田がビビり、2人は先輩風を吹かせて陣内を最初に滑らせ、その間に2人が逃亡したり、岩肌に隠れたりして滑らなかった。最後にはなんとか3人とも滑走して終わったが、ヘタレぶりを晒し、陣内に突っ込まれた。

・現在のところ山崎はこの『なるトモ!』の月曜日レギュラーとして毎週出演しているが、同番組の出演にかなりの熱を注いでいるとの事で、自ら「なるトモ!は生活の基盤」と語り、月〜金曜日の帯レギュラー出演を熱望しているという。「笑いの心理カウンセラー」と称し、山崎が若手芸人をカウンセリングする『天才!山崎邦正の問答無用』などのいくつかのミニコーナーも担当する。また、日清食品と番組のコラボレーションとしてオリジナルの即席カップめんを作るという企画があり、山崎はその中の一種『なるトモ!焼きそば』の内容考案に携わった。商品ラベルには陣内やなるみの隅に小さく山崎の姿も描かれている。

・同じく関西ローカルの深夜番組『お笑いワイドショー マルコポロリ!』では、芸人リポーターとしてレギュラー出演。司会の東野幸治を除き、他の出演者は吉本興業の後輩芸人達が多数を占める為、ここでの山崎はヘタレキャラというよりも、東野に次ぐ番組ナンバー2のポジション(芸人リポーターキャプテン)で積極的にツッコミやいじり役に廻るという珍しい姿を観る事が出来る。

・テレビ大阪放送のメッセンジャーの冠番組『メッセ弾』にゲスト出演時(3月23日放送分)は、番組史上過去最低の視聴率(平均1.5%)を叩き出し、新たな伝説を作った。ただし、関西ローカルでの同時間帯には『ブラマヨ・チュートのまる金TV』(よみうりテレビ)、『南海パラダイス!』(関西テレビ)が毎週放送されており、さらにこの日は、浜田雅功と東野幸治の月イチ放送番組『ごぶごぶ』(毎日放送)などが放送されるという、吉本芸人関連の人気番組同士が互いに凌ぎを削る、いわばお笑い激戦区とも言える状況となっており、その煽りを正面から食らうかたちとなった。6月1日放送分では再登場し、前回放送のリベンジを果たすべく、過去最高視聴率(3.5%)を記録した蛍原徹登場回を研究し模倣した企画を展開するなど姑息な手段を講じたが、結果は2.4%という、ごく平均的な数字に落ち着いた。

・競馬をした際、誤って前日の競馬新聞を見て予想し馬券購入。しかも的中。

・包茎手術を行ったことを後輩に自慢して話す。療養の為に当時レギュラー出演していた『なりたぁ〜い!』を一回休んだ。

・ナインティナインと中居正弘司会のフジテレビの27時間テレビの早朝の歌がうまい芸人のコーナーに邦正も出場。放送後、めちゃイケで、「今年の27時間テレビで最低視聴率だったところは山崎邦正が歌っていたとき」といわれ、邦正は反論したが、確認してみると、本当に熱唱中の邦正のアップのところで最低視聴率だった。

・2005年9月21日『笑っていいとも』のゲストとして出演。大学で心理学の勉強をしていることから、タモリに「何か悩みタモリさん言うてください」と言ったところ、突然観客の男が「タモさん、いいともが年内終了するって本当なんですか?」と話し掛け出した。タモリは冷静に「いや聞いてないですよ。違うんじゃないですか?」と返答。しかし男は同じ質問を繰り返し、客席は異様なムードに包まれた。タモリは山崎に「アイツはお前が呼んだのか? CMがあけたら客がクマになってたらどうするんだよ」と振り、このタイミングでCMへ。そしてCM明け、客席に置かれたクマのぬいぐるみが映し出されると「あの人、クマに変わってもうた!」(山崎)、「お前が仕込んだんだろ!?」(タモリ)とつっこまれた(番組側の説明によると、実際の所はこのままでは番組の進行にも支障をきたすと思われた為、男に理解してもらったうえ退席という処置をとったとの事)。

・飼っていたウサギを風呂に入れ、死なせてしまったらしい。

・作家の中村うさぎとの共著で『うさぎ・邦正の人生バラ色相談所―苦悩の泥沼にハマッてしまった人へ』という人生悩み相談本を出版している。

・2006年1月3日放送の『人気芸人100人大集合お笑い国盗りクイズ!! 芸能界誰についてく? 仁義なき派閥抗争SP』では、ほとんどをTVの映らない追放ルームで過ごし、今田耕司にかなりいじられていた。また同年4月28日放送の『お笑い国盗りクイズ2006』でも、初っ端から追放ルームに左遷されている。

・そのオナニーのスタイルは、世の一般的な男性のそれとは異なり、亀頭の部分を上からダイアル式に廻し撫でるといった個性的な物であると公言している。奇しくも吉本興業の後輩岡村隆史も同じスタイルであり、岡村はその点において山崎にシンパシーを感じているという。

・独特なオナニーのしすぎで中指にオナニーダコができてしまっているらしく、そのおかげで余計快感が増したらしい。

・山崎が『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』に出演した際、美味しい所の殆どを当時新人だった後輩の岡村隆史に持っていかれてしまい、「番組が悪い。自分の魅力を引き出してくれない。たけしさんが悪い。」と言い、大胆にも以降の出演を断っている。また『恋のから騒ぎ』に出演した際も全く光らず、「さんまさんが悪い」と責任転嫁した。

・2006年には生殖器の海綿体が硬質化する「ぺロニー病」なる奇病にかかる。数万人に1人の確率で発症し、確かな原因や治療方法もわかっていない難病であるため、本人は相当思いつめていたらしい。医者からは性行為を自粛するように命じられていたが、しかし山崎がオナニーを控える事は無かった(できなかった)という。一方で深刻に悩んでいたのも事実で、ダウンタウンの松本曰く生殖器を除去しようと本気で考え、除去後は『美輪明宏さんのようにカチューシャを付けてシャンソンを歌いたい』と語っていたらしい。現在は完治の方向へとむかい、嫁との三人目の子作りに意欲を燃やしている。

・嫁は芸人顔負けの天然ボケである。

・『ガキの使い』の恒例罰ゲーム「絶対に笑ってはいけない〜」シリーズには全て罰ゲームを受ける側として登場。これはレギュラー陣の中で唯一のことである。2006年現在4年連続の出場になり、2006年末の「笑ってはいけない警察24時」ではこのことを同敗者側の浜田に指摘されると遠藤に「皆勤賞ですよ。」と言われた。

・やきそばの店を出す事を目標としている。(尚、なるトモでやきそばを作り共演者に食べさせたが、料理中に鼻水が入り不評だった)

・クロノス・逃走中(2007年4月22日放送)で、自首したらハンター(追うもの)を増やすルールが追加されてから初の自首をしたとして、芳しくない印象を視聴者に与えてしまった。自首はゲームのルール上、賞金獲得の正当な選択肢の一つではあるが、裏切り行為である上に、「みんなの為に自首する」などと事前事後に意味不明な自己正当化を繰り返し、長谷部優の全時間逃げ切り後も、窮地へ追い詰める手伝いをしたにも係わらず真っ先に駆けつける(他のメンバーは牢の中だった)などしたため、印象の悪さに拍車を掛けた面がある。

(出典:Wikipedia)

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