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コロッケ

コロッケ(1960年3月13日 - )は、熊本県熊本市出身のものまねを行うものまねタレントである。本名:滝川 広志(たきがわ ひろし)。血液型はB型。熊本第一工業高等学校(現・開新高等学校)卒業。


【プロフィール】
■ものまね四天王の一人で、ものまね芸人の代名詞的存在である。一時期ものまね四天王とともに『ものまね珍坊』(フジテレビ)にレギュラー出演。またコロッケ自身の冠番組『そんなコロッケな!?』→『コロッケ!!噂の芸能界』(TBS)といった冠番組を持つようになった。

■「ものまね王座決定戦」の木村忠寛プロデューサーとの対立によりフジテレビに出られなくなると(1992年3月31日放送の第11回爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャルが、フジのものまね番組最後の出演だった)、1994年より日本テレビ「ものまねバトル」に移った。同じく「ものまね王座決定戦」のレギュラー出演者であった岩本恭生や篠塚満由美、更に司会の研ナオコなどを含めて日テレに移動したのはこの時の騒動のためである(それでもなんとか榊原郁恵はフジに残った)。グッチ裕三は、コロッケがフジに出なくなった理由を尋ねられると、「言えねー!」とコメントしていた。

■離婚した前妻との間に、顔がそっくりの芸人志望の息子がおり、インタビューで次のような発言をした。「(コロッケは)父親としては最低です。でも悔しいけど芸人としては最高。僕は父のような芸人になりたい」。

■1980年代後半、美川憲一のものまねが茶の間に大受けした。美川は70年代からの低迷に加え、1985年の大麻取締法違反逮捕などで芸能界から干され、どん底の状況を送っていたが、「ものまね王座」にご本人として登場したことから奇跡的に復活。以来、コロッケを「芸能界に戻してくれた恩人」として感謝しており、再び売れっ子となった現在でも芸能界の後輩としてコロッケを可愛がっている。また1991年、NHK紅白歌合戦に美川が復活出演した際にもコロッケはものまねで登場し、一緒に「さそり座の女」を歌った。

■また、NHK総合テレビの『にっぽん愉快家族』で共演していた華原朋美と朋ちゃん&コロッケとしてデュエットシングル『ありがとね!』を2003年10月22日に発売し、この年の紅白歌合戦にも華原朋美w/コロッケとして出場した。

■10年以上、紅白歌合戦には美川憲一のものまね(応援ゲストとして)で毎年出場しているほか、事前番組にも出演している。紅白には縁の深い芸人である。

■中日劇場や新宿コマ劇場などの大劇場での座長公演を定期的にこなし、喜劇役者として円熟度を増している。

■2007年1月27日より新宿コマ劇場にて5回目の座長公演を行う。


【芸名の由来】
■自身が出演した2005年7月放映の『グレートマザー物語』(テレビ朝日)によると、1979年に上京し東京のショーパブで形態模写(ものまね)をしていたが、「ロッキー」のあだ名で知られた経営者と同じアフロヘアーのスタイルで、風貌が似ていたことから「小ロッキー」というあだ名が付いた。そこからコロッケという芸名が付いたとされる。

■本人は以前、「顔がコロコロ変わるから」と言う理由でコロッケという芸名にしたとも語っており、これ以外にも様々な説がある。


【ものまね芸】
■お姉さんの影響で、ものまねを始めた。(お姉さんは、現在「ケロッケ」として活動している。)

■一般的に言われる「ものまね」ではなく、模写する者の、ある特徴的な(コロッケ自身が特徴的だと思った)一部分を強調したものまねを披露する(大袈裟な歌い方をする千昌夫、極端にアゴが出ている岩崎宏美、頭が重い島倉千代子など)。

■かつては形態模写のみ(顔、表情、振り付け、態度のまね)で、声は本人のレコードなどを流しており、ステージ上では全く声を出さなかった。テレビ時代に即したビジュアルものまねは正しく革命的で、以後のものまね芸に大きな影響を与えることになった。その後に声帯模写の技術も身に付けている。

■一部分のみを強調するため、本人とは全く違うものになってしまうことが多い。その代表的なものが恐竜の森進一、ロボット五木ひろし、鼻をほじる野口五郎、パラパラを踊る北島三郎などである。しかし、その「芸の深さ」は、同業者でも恐れ入る部分が多いと言う。ちなみに、鼻をほじる野口五郎を本人の前でやったところ野口本人に怒られ、毎年お歳暮を送っているらしい。

■その他、誰かと誰かを組み合わせた「合体ものまね」(沢田研二と志村けんを組み合わせた「沢田けん」、北島三郎と野口五郎を組み合わせた「北島五郎」、GLAYと岩崎宏美を組み合わせた「グレイ・イワサキ」、森進一と武田鉄矢を組み合わせた「森鉄矢」など)や、観客に「やってほしいものまね」のアンケートを取る「即興ものまね」、二倍速の速さで顔の動きを表現する「早送りバージョン」なども得意としている。

■努力家としても知られる。「フラフープが上手な淡谷のり子」というネタでは、三日三晩フラフープを練習したというエピソードがある。また、松山千春のものまねをするタレントは多いが、松山と同じキーで歌真似が出来るタレントというのは殆どいない。コロッケはボイストレーニングを積むことで同じキーで歌えるようになり、本人からもお墨付きを貰った。

■研究熱心であり、同じ低音でも美川憲一の低音とピーターの低音は全然違うと言い、美川の低音(圧力釜みたいな声)とピーターの低音(井戸の底から聞こえてくるような声)を足して2で割るとフランク永井の声になるという成果を発表している。

■1980年代、岩崎宏美のものまねを毎回「シンデレラハネムーン」に乗せて歌っていたが、岩崎があるコンサートで同曲を歌おうとすると、イントロが流れた際に何度も会場から笑い声が聴こえたという。以降、岩崎はこの曲を歌うのが嫌になり、「コロッケにあげる」と発言。長らく「シンデレラハネムーン」は、コロッケの持ち歌のような状態となっていたが、現在では岩崎自身も、歌番組などで再び歌うようになっている。

■ライブでは藤沢一賀が司会を務め、主に音楽家・門司肇とタッグを組んでいる。相性は抜群である。


【主なものまねのレパートリー】
使用する楽曲は、一人につき一曲であることが多く、多くのご本人から「持ち歌」として公認を貰っている。

《あ行》
・淡谷のり子 - 「別れのブルース」
・五木ひろし - 「契り」「よこはま・たそがれ」「のれん」「待っている女」
・井上陽水 - 「リバーサイド・ホテル」
・岩崎宏美 - 「シンデレラハネムーン」「聖母たちのララバイ」
・大友康平 - 「フォルティシモ」

《か行》
・Gackt - 「ANOTHER WORLD」
・嘉門達夫 - 「替え歌メドレー」
・河村隆一 - 「Love is...」「Glass」
・北島三郎 - 「与作」「まつり」「兄弟仁義」
・工藤静香 - 「MUGO・ん…色っぽい」「嵐の素顔」
・桑名正博 - 「セクシャルバイオレットNo.1」
・郷ひろみ - 「言えないよ」
・米米CLUB - 「Shake hip!」
・桑田佳祐 - 「BAN BAN BAN」

《さ行》
・西城秀樹 - 「ブーメランストリート」「傷だらけのローラ」
・桜田淳子 - 「気まぐれヴィーナス」
・さだまさし - 「秋桜」「雨やどり」「関白宣言」
・沢田研二 - 「勝手にしやがれ」
・島倉千代子 - 「人生いろいろ」「東京だょおっ母さん」
・志村けん
・瀬川瑛子
・世良公則 - 「あんたのバラード」
・千昌夫 - 「星影のワルツ」

《た行》
・武田鉄矢 - 「あんたが大将」「贈る言葉」「母に捧げるバラード」
・田原俊彦 - 「恋=do」「さらば…夏」「ごめんよ涙」「抱きしめてTONIGHT」
・田村正和
・ちあきなおみ - 「喝采」
・TERU(GLAY) - 「HOWEVER」
・所ジョージ

《な行》
・中居正広(SMAP)
・中島美嘉 - 「雪の華」
・長嶋茂雄
・中村雅俊 - 「ふれあい」
・中森明菜 - 「TATTOO」
・野口五郎 - 「真夏の夜の夢(早送りバージョン)」「私鉄沿線」
・野村宏伸
・野村義男

《は行》
・橋幸夫 - 「恋のメキシカンロック」「潮来笠」
・浜崎あゆみ - 「evolution」
・ピーター - 「夜と朝のあいだに」
・フランク永井 - 「おまえに」「君恋し」

《ま行》
・マイケル・ジャクソン
・前川清 - 「そして神戸」「東京砂漠」
・松山千春 - 「銀の雨」「季節の中で」「長い夜」「君を忘れない」
・美川憲一 - 「さそり座の女」
・美空ひばり - 「川の流れのように」
・森進一 - 「おふくろさん」「北の螢」
・森山直太朗 - 「さくら」

《や行》
・八代亜紀 - 「雨の慕情」
・吉幾三 - 「俺ら東京さ行ぐだ」「酒よ」

《人間以外》
・鶏
・犬
・鯉
・花火
・・・・etc


【その他】
■一つ違いの実姉も、ケロッケという芸名でものまねタレントとして活動している。

■家訓はあおいくま(あせるな、おこるな、いばるな、くさるな、まけるな、の頭文字を合わせたもの)で祖母から贈られた言葉。

(出典:Wikipedia)

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上島竜兵(ダチョウ倶楽部)

上島 竜兵(うえしま りゅうへい、本名:上島 龍平(読みは同じ)、1961年(昭和36年)1月20日 (一年で一番寒い日、大寒)は、ダチョウ倶楽部に属するタレント。兵庫県丹波市生まれ、神戸市北区育ち。神戸村野工業高等学校卒。血液型はAB型。身長162p。所属事務所は太田プロダクション。 

妻はタレントの広川ひかる。

ダチョウ倶楽部の中で最も体を張っているいじられキャラで有名。怒って帽子をたたきつけるリアクション(その後「取り乱しました」と収めることも多い)を持ちネタの一つとする。

通称「竜ちゃん」(先輩芸人が使用するが、ダウンタウンなど後輩でも自分より“格”が上の芸人が使用している)または「竜さん」(若手芸人などが使う)。


【来歴】
元々は役者志望で、青年座研究所、テアトル・エコー附属養成所に在籍。テアトル・エコー附属養成所の同期だった寺門ジモンに誘われて渡辺正行の元を訪ねたのがきっかけで、お笑いの道に入る。その際渡辺に紹介されたのが南部虎弾と肥後克広で、それがダチョウ倶楽部の原型になる。南部脱退後、テレビで活躍する機会が多くなり、ダチョウ倶楽部はその存在を世に知らしめることとなる。

テレビ朝日で2001年12月30日に放送された『タモリ倶楽部スペシャル 空耳アワード2001名作100連発』の番組内(ガンマ・レイ『アルマゲドン』を用いた作品のコメント)で両刀使いであることを告白している。

2005年8月には自伝&写真集『これが俺の芸風だ!!』を上梓。


【エピソード】
■芸能界での阪神ファンの集まりである「中野猛虎会」の一員で、同会では書記を務めているが、会長であるダンカンや副会長の松村邦洋と比べると、タイガースに関する知識はあまり無い。また某番組で「最も心に残る阪神の試合は?」の質問に「天覧試合」と答えていた(かの有名な「長嶋のサヨナラホームラン」が出た天覧試合は1959年に行われていて、上島が生まれる前の出来事である)。

■プライベートでは志村けんと飲み歩くことが多く、志村を「師匠」と呼んで敬愛する。あまり知られていないが、落語家の三遊亭楽太郎と飲む事も多い。

■ネタと思われるが、後輩芸人を飲みに連れて行った際に先輩として悩み事を聞いてやるはずが、酔いが回るにつれ逆に後輩芸人に対して「俺はこれからどうすればいいんだ!」と泣いて苦悩を吐露することがある。

■寺門ジモンと同様、関西出身にも拘らず全国ネットでの芸能活動においては関西弁を殆ど話さない。なお隠れた特技に「上方落語」がある。

■書籍「リアクションスター」の中でダチョウ倶楽部の3人を模したキャラクターが登場する。

■「踊る!さんま御殿!!」にて、増田明美・石塚英彦・勝俣州和らと出演時の事。増田のあまりにも饒舌ぶりに最初は帽子を床に投げつけ石塚らに止められ「済みません、取り乱しました」とネタを披露していたものの、番組後半では「関係ない!」と逆ギレ。しまいには増田に土下座して「もう(トークの独演会は)勘弁して下さい」と、半ベソで増田に懇願。司会の明石家さんまから「泣くな、プロやろ」と、窘められていた。

■意外にもダチョウ倶楽部の中では一番収入があり、プライベートでは外車に乗っているらしい(しかし上島自身はペーパードライバーのせいなのかほとんど妻が運転している)。また、同じ種類の本を予備として2冊ずつ買ってくるなど無駄使いが激しいらしい。


【芸風】
出川哲朗、山崎邦正らとともに、日本を代表するリアクション芸人の一人である。また、出川哲朗、ふかわりょうと並ぶ3大いじられ芸人の1人である。

《主なギャグ》
■泣き芸 (舌を喉に押し込むことによって涙を溜めるため、若干準備時間を要する)

■人工呼吸 - プール等水が近くにある場合、溺れた挙句に救出され寺門ジモンに胸元を押してもらう。この際、口の中には水がふくまれており2、3回ぴゅーっと水を出す。水以外にも口にふくめる物が手近にあった場合、臨機応変に利用する。

■何らかのイベント(上島ですらやりたがらないであろうリアクション芸など)をやらされるのを上島が嫌がっている中で、上島の周りの人が「俺がやる!」「いや俺がやるよ!」と上島以外(通常のコント等ではダチョウのメンバーのみであるが、場合によっては周りの芸人・タレント十数人)が手を挙げる。少し間をおいて上島が「じゃあ俺も」と手を挙げた途端、周りの人が全員「どうぞどうぞ」と上島にそれを譲る。

■主に出川哲朗や竹山隆範などと怒りながら口論が始まると、徐々に顔を近づけ軽いディープキスをする。

■全裸


《他キャラクター芸》
「〜ちゃん」「〜おじさん」といった具合を即興で編み出すキャラ芸を持っている。ただ、考え込まれてないため、ほとんどがすべる。

■豆絞り - 裸に豆絞りの頭巾とふんどしをしたキャラ。『スーパージョッキー』内企画『熱湯コマーシャル』で登場。又、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』のハイテンション・ザ・グランプリで豆絞り男を熱演し、高い評価を得ている。また、松本人志が罰ゲームとして豆しぼり男を演じるも、恥ずかしさのあまり土下座してしまいスタジオ内の爆笑を誘ったこともある。

■へっぽこおじさん - 裸に豆絞りの頭巾とふんどしをしたキャラは「豆絞り」の男だが、さらに腰を左右に振りながら歩く


《セリフ》
■「殺す気か!」- 酷い扱いを受けた後必死の形相で叫ぶ。『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で登場

■「くるりんぱっ!」- 被っている帽子を回転させながら持ち上げ、被り直して言う

■「取り乱しました」- ひとしきりキレた後、平静に戻って言う

■「金貸してくれ!」

■「これが俺の芸風だ!」- 周りが自分の芸に失笑しているときに、開き直って言う

■「ねえ!殿!」- 酷い目にあった後、ビートたけしに向かって

■「絶対押すなよ!」- 高い所や熱湯風呂、プールなどの前に立った時に言う。ここでは「準備ができたから背中を押してくれ」と同義

■「チェックメイト!」-

■「上島竜兵○歳。代表作これといってなし。」

■何か口にしたときに、「この○○(料理名)は甘からず、かといって辛からず、美味からず」と言うと「まずいんじゃね〜かよっ!」と肥後・寺門のツッコミが入る。


《ものまねレパートリー》
全て顔真似(かつら・メイクをした状態)のみで、声真似の方は全く似ていない。

■西田敏行 - 顔が似ている事からドラマ「遠山金四郎美容室」で西田の弟役を演じた事がある。

■大仁田厚 - 2007年全日本プロレスで行われた武藤祭にて、大仁田のモノマネをしてF-1タッグ選手権試合を行った。

■山城新伍

■野村沙知代 - このものまねのみ、非常に似ていると評判が高い。清水國明は「本人よりそっくり」とコメントしている。野村沙知代本人もこのものまねを絶賛しており、気に入っている。

■ナオミ・キャンベル

■今くるよ

■細木数子


【竜兵会】
後輩芸人と結成した「竜兵会」の会長として、よく皆で飲みに行っている。同じメンバーで草野球に興じることもある。飲み会は古くは「竜神会」と称していたが、暴力団の名称のように聞こえることから改名した(自身が番組で触れたことや、ホームページも持っていたため広く知られ、その筋から圧力があったとも言われている[要出典])。飲み会参加メンバーの間では、上島は泥酔すると数々の奇行や名言を連発することから「太陽さま」と呼ばれていて(劇団ひとり命名)、この飲み会にまつわるネタだけを紹介するイベントがたびたび開催されている。

《メンバー》
多くが上島と同じ太田プロ所属:

■上島竜兵(リーダー。別名「太陽さま」)
■肥後克広(ダチョウ倶楽部リーダー)
■デンジャラス
■松村邦洋
■インスタントジョンソン
■土田晃之(元U-turn)
■竹山隆範(カンニング、サンミュージック企画所属)
■長井秀和(タイタン所属)
■山崎晋(元ノンキーズ)
■スマイリーキクチ
■有吉弘行(元猿岩石)
■劇団ひとり(元スープレックス川島)
■ブラックパイナーSOS
■飛石連休・藤井(サンミュージック企画所属)
■西尾季隆(丁半コロコロ、ホリプロ所属)
■小山薫堂(放送作家)
■小倉伸一(ディレクター)
■古坂和仁(元底ぬけAIR-LINE、ホリプロ所属)
■杉浦双亮(360°モンキーズ)

(出典:Wikipedia)

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寺門ジモン(ダチョウ倶楽部)

寺門ジモン(てらかど じもん、1962年11月25日 - )は、日本のお笑いタレントでダチョウ倶楽部のメンバー。所属事務所は太田プロダクション。

兵庫県川西市出身。本名は寺門義人(てらかど よしと)。身長は169cm。血液型はA型。


【プロフィール】
もともとは役者を目指しテアトル・エコー附属養成所に所属していたが、将来に不安を感じ、お笑い芸人に転身することを決意。

同僚で同郷出身の上島竜兵と連れ立ってテアトル・エコーの先輩・渡辺正行に会いに行き、渡辺から肥後克広、南部虎弾を紹介される。これがダチョウ倶楽部の出発点となった。

メンバーからは絡みづらいといわれているため、テレビ出演や志村けん達との飲み会では肥後と上島でいることが多い(ジモンは酒が飲めない)。メンバー内では一番持ち芸が少ないが、実は1番面白いというのが浅草キッドの評。

最近では他のメンバーと比べてサスペンスドラマに出演する機会が多く、俳優としても成長中である(映画『黄泉がえり』では、役者として自然体の演技をみせている)。

足が短い、顔が大きい、体を異常なまでに鍛えているなどの特徴が相まって今田耕司に「体のバランスがおかしい」と言われている。東野幸治など、番組共演者の中には、何ものにも属さず他の追随を許さない孤高の精神に敬意を払う者も多い。

上島と同様、関西出身にも拘らず、関西弁を殆ど話さない。


《肉体派芸人》
趣味は体を鍛えることで、テレビ番組出演時の筋肉アピールは有名。本人は物真似の対象となることはなかったが、ものまねタレント・ホリがネタとして寺門の筋肉アピールを取り上げてからは、ネタや会話に詰まると自身の鍛えた筋肉をポーズでアピールする癖が一般に知られることとなった(ホリがネタにするまでは、寺門自身もこの癖に気付いていなかった)。

尚、一世を風靡したギャグ「聞いてないよ〜」は、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』でジモンがボソッとつぶやいた一言が元となっている。(何枚ものスチロールの壁を破ってゴールを目指すゲームのなかに、硬い壁が仕込まれていて、そこに激突したときに出た言葉)

ダンベルなどの人工的な重りを使わず自分の体重と重力のみを利用するゴッチ式トレーニングを30年以上毎日欠かさず実践している。『芸能人スポーツマンNo.1決定戦』初期の常連でもあった。特に腕立て伏せでは他を圧倒する成績を見せていた。その為、ダチョウ倶楽部内での通り名は「筋肉バカ」であり、あの江頭2:50ですらも、ジモンの筋肉バカぶりを「あいつはキチガイだ」と評している。この鍛錬が発展し、寺門は「ネイチャージモン」(後述)へと変貌していく。


《趣味・グッズマニア》
1990年代からは、ナイキのエアマックス、カシオのG-SHOCK等、多種多様な物を収集する「コレクター、グッズマニア」として知られる様になった。物に対するこだわりや豊富な知識、情報収集に掛ける情熱は趣味の範疇を逸脱しており、その道の専門家と独自に交流していることからセミプロの域に達していると言える。

芸能界では所ジョージと並ぶスニーカー通として有名。一時のエアマックスブームの際、大量にニセモノが出回った時には、目利きとしても活躍していた。『深夜水族館』など深夜の通販番組などでもコレクターマニアっぷりを披露している。また、下着はブリーフ派。

自身がオオクワガタの名産地出身のためかオオクワガタ採集・飼育も非常に好きで、クワガタ業界では有名人となっており、様々なクワガタ雑誌で数多くの記事を書いている(一番多いのは採集記)。自称、オオクワガタブームの先駆者とも言っている。今でも年に数回仲間や兄と共にオオクワガタ採集に出かけているそうである。冬季に入山し、夏に採集する際のルートを決めるとのこと。また、必要以上に乱獲したり樹木を破壊したりといったモラルの無い採集は絶対にしない。兄は薬学の研究員で、兄弟で菌糸ビン(オオクワガタの幼虫のエサとなる)の作成を計画している。クワガタを飼育する為だけの専用マンションを持っている。

大のウエスタン好きであり、専門雑誌『コンバットマガジン』でコラムを掲載していた。また、モデルガンのピースメーカーを使った抜き打ちにも精通しており、アクロバティックなテクニックを習得しており、各地で開催されるウエスタンスタイルの早撃ちコンテストの常連でもある。それゆえ、マニアックな物真似で知られるくじらと『草野☆キッド』で共演し、「早撃ち名人メドレー」のマーク渡辺のモノマネを披露したくじらを「デタラメ」と一刀両断にして、マーク渡辺の早撃ちの特徴について専門的かつ詳細な解説を始め、くじら本人のみならず出演者の誰もジモンの解説を理解できず周囲を困惑させた。

あるラジオ番組で寺門ジモン系のネタが多くででいる。


《ネイチャージモン》
近年の寺門は「ネイチャージモン」と呼ばれることが多い。名づけ親は『やりすぎコージー』で共演した東野幸治だと思われる。これは、彼の趣味である肉体鍛錬、自然探訪、知的探求が独特の形で結実し、結果として「自然と同化した芸人・寺門ジモン」を誕生せしめたことによるものである。偏執的なほどのサバイバルに対する造詣や、説得力があるようでハッタリにも見える独自のセオリーなどで人気を博した。浅草キッドの水道橋博士のコラム執筆により認知された面も大きい。

山ごもりは1年に6度も行っている。「山ではヒクソンに勝てる。自然の掟をわかっている。そこに到達できたのは、大山倍達、宮本武蔵と自分だけだ」「ミルコ・クロコップを倒せる」と豪語している。また山篭りをする際は、軍事用の懐中電灯を携帯している。これは接近戦では強い光で目をくらませることで、相手を動けなくする事ができるというシロモノ。ジモン曰く、

■「完全に山と同化した時は、10km先の相手が自分の悪口を言ったことがわかる。」

■「山は歩くんじゃない。泳ぐんだよ。」

■「横隔膜を鍛え抜けば最強になれる。」

■「人間は一週間、山にいると蚊に刺されなくなる。蚊に刺されないニオイみたいなのが出てくる。」(これは山はデコボコのために脳を使いながら歩くため、脳と生物としての本能が活性化するからとジモン自身は言っている。)

だそうである。これにより、クマを自慢の横隔膜を使い4度撃退したことがあると語っていた。

ジモン曰く、

■自分はいついかなる時も戦闘を想定して行動しており、テレビ局のスタジオでも他の芸人達より常に半歩下がって背中を見せず、椅子には立ち上がり易いように浅く腰掛ける。

■見知らぬ建物等にテレビ出演等で進入した際には、必ず緊急時の脱出の事を想定し最初に非常口の位置を確認しておく。

■暗闇でも辿り着けるように立ち位置から非常口までの歩数と経路を把握し、窓の硬度を殴って割れる強度か等も念入りに調べる。

という。他にも、「心臓を保護するために英和辞典を入れたバッグを左胸にあてている(22口径の拳銃で撃たれても貫通しない厚さ)」「世界最小放射能探知機を常に携帯している」「地震等で閉じ込められた時に備えてドライ納豆を携帯している」「食事中に襲われた時に備えて武器にもなる箸を使う」など、防災・護身については枚挙に暇がない。

寺門の格言: 「筋肉は変形してこそ本物」 「肉好きが買える」 「ナイスネイチャー」 「バッドネイチャー」 「人を見るときに顔を見るな背中を見ろ」 「耳を警戒しろ」 「俺は地球を掴んで歩いている」(特殊なスクワットを30年間行った結果、足の指が第一関節から曲がるようになったため)


【エピソード】
■ダチョウ倶楽部としてテレビ番組に出演した場合、肥後克広と上島竜兵の陰に隠れあまり目立たない存在だが、『徹子の部屋』(テレビ朝日系、2005年11月15日放送)へ12年ぶりに出演した際、司会の黒柳徹子に一番気に入られた。3人が順番に持ち芸を披露し、寺門は数少ない持ち芸のひとつ「般若の面」を披露。メンバーの肥後と上島は久米宏や西田敏行の物真似を披露したが、当人を良く知る黒柳はあまり関心を示さず、寺門の「般若の面」を絶賛。カメラマンにアップの映像や様々な角度から寺門を写すよう指示した。同番組は収録番組だが基本的に編集を行わない生放送スタイルのため、この模様がそのまま放送された。寺門は黒柳のリクエストに応え、計6度「般若の面」を繰り返して披露した。

■2006年9月11日放送の「クイズプレゼンバラエティーQさま!!」で、「10m高飛び込み」に肥後、上島と挑戦した時は、上島が飛び込んだ直後に、怖がる所を一切見せずに飛び込んだ。この「10m高飛び込み」はアンタッチャブル柴田英嗣が「2秒」という最速タイムで飛び込んでいるが、もし公式ルールで挑戦していれば、これに匹敵するほどの記録が出た、と思われる。

(出典:Wikipedia)

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肥後克広(ダチョウ倶楽部)

肥後 克広(ひご かつひろ、1963年3月15日 - )は日本のお笑いトリオ·ダチョウ倶楽部のリーダー。沖縄県那覇市出身。血液型はAB型。愛称は「肥後ちゃん」又は「リーダー」。 所属事務所は太田プロダクション。沖縄県立那覇工業高等学校卒業。


【来歴】
那覇市に三人兄弟の末子(上は姉2人)として出生。肥後自身はお笑いタレントとしての立場上多くは語らないが生家は経済的に苦しかった上、肥後の実父が病気で早世するなど少年時代は母と二人の姉ともども苦労が多かった。子供の頃にセミを取って焼いて食べたエピソードは有名。

商業デザイナー(インダストリアルデザイナー)として就職・活動するもお笑い修行のため辞職、ダチョウ倶楽部結成以前からコント赤信号の活動に参加したり、映画にチョイ役で出演していた。南部虎弾の脱退でメンバー最年少にもかかわらずリーダーとなったが、ネタやものまねを最終的にまとめるのは彼の役目であり、彼らのギャグのように「背の高さだけでリーダーをやっている」わけではない。

DREAMS COME TRUEの中村正人に容姿が似ており、肥後と中村はお互いこれをネタにしている。DREAMS COME TRUEの原案・主演映画「アマレット」(主人公は「容姿が吉田と中村にそっくりなフォークコンビ」で、吉田と中村が演じている)では肥後が「ドリカムの中村正人」を演じているが、これは中村の希望によるものだった。

私生活では元コメディアンだった夫人と「ダチョウ〜」ブレイク前に結婚、上島竜兵の婚約直前に妻と一男一女(当時。その後もう一人女児を授かり今に至る)があることを発表し話題となった。また沖縄で健在の実母(一般人)もたびたびバラエティー番組に登場し話題をまいた。


【逸話】
■「所印の車はえらい」という番組でアメ車ビュイックパークアベニューを150万円で購入するが、TBS「ツカミはOK!」初回にて本人が知らない間に唐草模様のオープンカーに改造された挙句スタントカーに突っ込まれ爆破されてしまった。その後カマロ、ステップワゴンを購入。

■母親には可愛がられており、学生服の背中を当時いじめられていた生徒にタバコの火で焦がされた時も優しく諭した。しかし、高校の進路相談で自動車学校への進学を薦め教師を呆れさせたこともある(上京後は、心配をかけさせないためTVに出演するようになるまであまり連絡を取っていなかった)。

■娘がアンジャッシュのファンで「いつも計算されたコントに感心しています。それに比べてうちの父は同じコメディアンなのに、熱いお風呂にはいったりしてばかりで情けないです。」とファンレターを送り、名字が「肥後」だったことから「娘さんですか?」と確認され、「俺はいつも計算されたリアクションをやってるんだ」と娘を諭す(『とんねるずのみなさんのおかげでした』内食わず嫌い王決定戦内で語る)。

■自衛隊パブが出店し始めた頃から、よく店に出入りしていた事をメンバーの上島と寺門にバラエティー番組で暴露され、苦りきった肥後の表情が画面に写し出された。

■実は天然ボケで、数々の迷言を残している。

■ノーベル賞をノーベル大賞。

■朝青龍の出身地「モンゴル」を「何ゴル人だっけ?」など

■温厚そうな外見とは裏腹に意外と短気な部分があるようである。
その怒り方は土田晃之曰く「インテリヤクザのキレ方」で、相手の目をじっと見つめ声のトーンを落とし怒るというもので、相方である上島を幾度となく泣かせている。


【ものまねレパートリー】
■森本レオ(CMで共演、中学時代からの持ちネタ)

■名古屋章(本人死去で封印)

■久米宏
決め台詞は「すいません、真中瞳が気になって何も聞いてませんでした。ヒッヒッヒッヒッ」
2001年にはニュースステーションに久米宏の物まねで出演し、本人との共演を果たしたこともある。

■高田明(ジャパネットたかた代表取締役社長)
ソニーから発売されているテレビ「ベガ」の紹介の真似。

■ジャンボ鶴田(本人死去で封印)

■福井敏雄(本人死去で封印)

■具志堅用高

■中村正人
など。

(出典:Wikipedia)

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ダチョウ倶楽部

ダチョウ倶楽部(ダチョウくらぶ)は日本のお笑いトリオ。所属事務所は太田プロダクション。出川哲朗らと並んで、俗に言う「リアクション芸人」の代表格である。


【メンバー】
■肥後克広(ひご かつひろ、1963年3月15日 - )
本名:同じ。
沖縄県出身。
血液型はAB型。
リーダー。

■寺門ジモン(てらかど じもん、1962年11月25日 - )
本名:寺門 義人(てらかど よしと)。
兵庫県川西市出身。
血液型はA型。

■上島竜兵(うえしま りゅうへい、1961年1月20日 - )
本名:上島 龍平(読みは同じ)。
兵庫県丹波市生まれ、中学から神戸市で過ごす。
血液型はAB型。
夫人はタレントで同じ事務所の広川ひかる。
愛称は「りゅうちゃん」。


【概要】
体を張ったリアクション芸や、“ヤー!!”、“ムッシュムラムラ”など同じ言葉を連呼するネタ、ものまねなどを得意とする。近年は各メンバー単独での活動も多いが、以前はピンの仕事でもギャラを三等分していた。

当初7、8人のグループで「キムチ倶楽部」と名乗っていたが、諸事情により現在のグループ名に改称する。「ダチョウ倶楽部」結成時は4人組で南部寅太(現:南部虎弾)がリーダーだったが、南部が脱退して電撃ネットワークを結成したため3人編成となる。南部脱退の理由については4人とも明確に語ろうとはしていないため、真相は不明であるが、語られている説としては、

■南部がメンバーに「金魚飲める?」「花火を背負いたい」「コントで使うオモチャのウンコを本物のウンコにしたい」など現在の電撃ネットワークの方向で行くことを要求したが、他の3人がそれを拒んだため。

■ひょうきん予備校に出演した際に、南部がスタッフから「面白いから先輩を怒らせろ」と言われたのをいいことに、大先輩であったハナ肇に対し「あなたは本当に面白くないですね」と言い、ハナ肇を本当に怒らせてしまったため、事務所から脱退させられた。

■南部がにテレビ番組で山本晋也に「山本監督は監督らしいことをしてないのに、どうして監督と呼ばれてるんですか?」と言ったところ、「本気で静か」に怒り、南部のみが番組降板となってしまい、後のダチョウ倶楽部強制脱退に繋がった。
というものがある。

南部脱退後、事務所の指示で最年少ながら一番背の高い肥後がリーダーとなった。それまでのダチョウ倶楽部のフロントマンは南部虎弾だったため、当時太田プロに在籍していた芸人の間では南部なしのダチョウ倶楽部の行く先が危ぶまれたという。ショーパブ、ライブなど経て、お笑い第三世代ブームでブレイクするもネタ番組では一本ネタはさせてもらえず、ショートコントばかりという扱いであった。3人になってからお笑いウルトラクイズにて再ブレイクする。

かつてネタでは上島がツッコミだったが笑福亭笑瓶の助言により、バラエティ番組では上島がボケとなる。

1993年10月から半年間、初めてゴールデンタイムで『王道バラエティ つかみはOK!』のメイン司会を担当するが、視聴者から抗議が殺到し(特に上島のドリカム・吉田美和のモノマネは大顰蹙を買った)、視聴率も苦戦したことからあっさり打ち切られる(次番組は「クイズ悪魔のささやき」)。以後テレビではメインではなくサブとしての出演が中心となる。

台湾では、「つかみはOK!」を放送していた頃、彼らをパクった「アヒル倶楽部」なる男性3人組お笑いグループがいた(ダチョウ倶楽部同様に細身2人にデブ1人という構成)。

1994年の24時間テレビのチャリティーマラソンでは3人同時に走った。

『お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』(第5回)で普段と違う真剣な姿を見せ、強敵を次々と倒して見事優勝した。

全員関西以西の出身なのに、東京でデビューし、東京を活躍場所としているので、立場としては関東芸人とされている。「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」に出演した際、「関東の人間として関西芸人には負けられないよ!」などと意気込みを語っていたが、浜田雅功から「お前ら全員西(日本)の人間やないかい!」とツッコまれていた。

1995年、ダチョーン倶楽部内の上島企画「目指せ! ヒット曲」に於いて、Club D名義でシングルCDを1枚リリースした。

2006年、CS放送テレ朝チャンネルにて「ダチョ・リブレ」がスタート。「竜兵会」「ネイチャージモン」の2部構成。「竜兵上島のオチのない話」などオリジナル企画を放送。

2007年1月14日放送の「いつみても波瀾万丈」に三人で出演し、これまでのエピソードを振り返ったが、ダチョウ倶楽部がかつて4人組であったということは触れられず、結成当時の写真が映された時に南部の顔はモザイクで消されていた。

《余談》
土田晃之が、「この3人はそれぞれが面白いエピソードをたくさん持っている。だけどトーク番組などで、この3人から面白いエピソードをあまり聞かない。その理由は、3人が全員、そのエピソードを話す話術を持っていないから。つまりダチョウ倶楽部という人たちは、話術を持っていない3人が集まったグループである。」と評したことがある。

志村けんと多数の共演ができるようになったきっかけはプロレスラーの川田利明である。 川田が上島を志村に紹介した。メンバーは川田にとても感謝している。

書籍「リアクションスター」の中にダチョウ倶楽部の3人を模したキャラが登場している。


【主なギャグ】
ウケる、ウケないではなく、もはや伝統芸の領域に入ってきている。特にリアクション芸については、一見めちゃくちゃなように見えてリアクションの際はカメラを凝視、限界の状況でも常に安全を確認、かつ最低限のマージンを取って芸に臨む姿勢は他の芸人には真似できないことである。アメトークではリアクション芸人講座を開き、リアクションシーン直前にカメラに写りこまない部分で行われる準備、リアクション中の様々なテクニックや、流れるようなフォーメーションが随所に織り込まれていることを明かした。

■「聞いてないよォ」(1993年流行語大賞大衆部門・銀賞)

■彼らを一躍スターダムに押し上げた「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(日本テレビ)で生まれたギャグ。最初は本当にこれから行われる企画をまったく聞いておらず、その企画で受けたあまりに過酷な仕打ちから、本心で「聞いてないよォ」とポロリと言ったことから生まれた。その後、同番組で受ける企画がどんどん過激かつ過酷になるにつれて、本当にケガなどしたら危ないということで企画会議の段階から参加するようになったといわれる。よって、定番化した頃にはあらかじめ知っていたのに白々しく吐くギャグとして認知されるようになった。一世風靡したこのギャグだが、近年は披露されていない。

■「(上島)俺は絶対やらないぞ!(肥後)お前やらないの?じゃあ俺がやるよ!(寺門)いやここは俺がやるよ! (上島)・・・じゃあ俺がやるよ。(肥後&寺門)どうぞどうぞどうぞ!」

■熱いおでんを食べるなどの過酷な企画を誰がやるか決める時のギャグ。他の芸人と一緒にこのギャグをやることもある。

■「ナイナイナ」(テレビ朝日)の企画で偶発的に生まれた。逆さバンジージャンプなどのスタントをやる人を決める際、ナインティナイン・石塚英彦らとともにこのギャグを演じていた。

■最大の人数でこのギャグを行なった例としては、2006年の「24時間テレビ」(日本テレビ)の深夜枠で熱湯コマーシャルを行なった時である。熱湯にダチョウの3人が入る流れになったのだが、上島以外のスタジオにいる芸能人全員ならびにカメラマンやADなどのスタッフ全員(ざっと60人近く)が「いやいやオレがやるよ」と手を挙げ、最後に1人上島が「いや、ここはオレにまかせろ」と言って、スタジオ内の全員から「どうぞどうぞ」と促された。

■その演者を選ばないギャグの汎用性の高さからか、近年では島田紳助も「クイズ!ヘキサゴンII」(フジテレビ)でこのギャグを出演者達に振ったのが確認されている。(2007年)

■「訴えてやる!」

■上島がキレて床に帽子を叩き付けたあと、指を指しながら吐き出すせりふ。バリエーションに、「告訴するぞ!」がある。このギャグも「聞いてないよォ」と同様に一世風靡したギャグだが、近年披露されることはない。キレてから帽子を取り出し、一度被ってから行うパターンや、なぜかこのギャグを長く引っ張って出し惜しみするというパターンもあり。

■「(肥後と寺門)テレビテレビ!カメラ回ってる!!「(三人)すいません、取り乱しました」

■「訴えてやる!」とのコンボで使う。これでその場をまるく収める。

■「クルリンパ」

■クルリンパと言いながら、叩き付けた帽子を手際よく頭にのせる。「訴えてやる!」等とのあわせ技。ただし本人もいつ使っていいのか分からないことを後輩に漏らしている。(発展技として「パラリンク」がある。ただし「クルリンパ」を正確に逆さに読むと「パンリルク」)

■「押すなよ!押すなよ!絶対に押すなよ!」

■熱湯風呂に入るときの決まり文句で、「押すなよ」は準備中、「絶対に押すなよ」は準備完了(押してくれ)の合図である。

■初出は上島が熱湯兄弟の長男も務めた「スーパージョッキー」(日本テレビ)の名物企画・熱湯コマーシャル。

■「ヤー!!」(登場時のギャグでその掛け声と同時に、両手を斜め前に出すが一方の手を短くしズラす)

■「ムッシュムラムラ」(目の前に水着美女がいたとき拝むように放つ。元は関敬六のギャグ)

■「つかみはOK!」(あまりウケないギャグをやった後に行う。初の冠番組のタイトルにもなる)

■「みんな仲良く脇(和気)・アイ!アイ!」

■「金貸してくれ!」

■(「バカじゃないの?」などと言われた後、怒ったような感じで)「何?バカ?」 (急にバカっぽく)「はは〜ん、バカだなぁ!」

■「ごめ〜んなチャイチャイチャイニーズ」

■「ストッピング!」

■「この○○(料理名)は甘からず、辛からず、かといって美味からず」「まずいんじゃね〜かよっ!」(以前自動車雑誌「J's Tipo」で別人による同じネタが掲載された。ただそのときのオチは「もう食うな!!」だった。)

■「ヨゴレでごめーんねっ」

■「カットしないでね」

■「そんなお前にチェックメーイト!」

■このギャグもいつ使うべきなのか分からず、いまだ手探りである。

■「上島竜兵。代表作これと言ってなし」

■「ナイスネイチャー!」

■ネイチャージモンが相手を褒めるときに使う褒め言葉。対語は「バッドネイチャー」

■「フェー!フェー!フェー! 」(上島がやるフェーフェーおじさん)

(出典:Wikipedia)

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クワバタオハラ

クワバタオハラは、ホリプロ所属の女性お笑いコンビであり、お笑いジェンヌの一員。略称はクワオハ。


【個別プロフィール】
《くわばたりえ》
本名: 桑波田 理恵(1976年3月24日 - )

■大阪府大阪市淀川区出身。

■大阪市立淀商業高校卒。

■吉本総合芸能学院(NSC)13期生。

■血液型はO型。

■身長は 162 cm。

■スリーサイズはバスト85cm・ウエスト65cm・ヒップ95cm。

■特技は、耳掻き、早食い。

■趣味は人間観察。

■ボケ担当。主にネタの作成も行っている。

■おばちゃんキャラ。

■ピン芸人時代、別の人物とコンビを組んでいた時代がある。(大阪吉本時代はテディーベアというコンビ)

■眼鏡を掛けている。公式ホームページでは『メガネ』と呼んでいる。また、2005年10月末の時点で別記理由により丸坊主頭にしている。

■2000年に 10 kgのダイエットに成功している。

■好みのタイプの男性はタモリ。

■カラオケでは、主にアニメソング(パーマン、あさりちゃん、一休さんなど)を歌う。

■伊集院光による見た目の形容は「マッチ棒」「ピーナッツ」「チョコボール」。

■ある番組でクワガタと呼ばれ他の出演者が引くほどに怒りをあらわにする。

■上京したての頃まで、彼氏がいた。その彼氏が他の女を作り別れる。その彼氏の話やロードなどを聞くと泣き出す。

■はじめての彼氏が飛石連休の藤井だったらしい。

■めちゃイケの企画で次長課長の河本準一が「運命が少し変わっていれば俺はくわばたと付き合っていたかもしれない」と発言、岡村隆史の提案でくわばたと河本はマジでキスをした。

■ミラクル☆シェイプで、ウエストが公称より22cm太いことが判明したが、30日間のダイエットの結果、公称通りのウエストまで落とすことに成功した(これは放送時点での番組新記録となった)。


《小原正子》
本名: 同じ(おはらまさこ、1975年10月23日 - )

■兵庫県神戸市東灘区出身。

■日本大学芸術学部演劇学科卒。大食い(ラーメン8杯、お好み焼き8人分、シューマイ200個など)。

■趣味は、食べ歩き、料理、旅行、ロジックパズル

■ツッコミ担当。

■身長:162cm、B:80、W:57、H:84。

■ねえさんキャラ。

■小学四年から演劇を始める。

■高校時代は演劇部に所属。女子校だったため主に男役を務め、バレンタインデーには後輩から多くのチョコレートをもらう人気だった。

■数々のドラマ、Vシネマなどで死体役を演じるアルバイトをしていた。

■愛煙家である。

■芸能人大食い界のプリンセス(クイーン)と言われている。

■「いきなり!黄金伝説。」の「大食いで日本縦断する女」で、プロレスラーのモハメド・ヨネと共に大食いの賞金だけで日本横断を果たした。

■「伊集院光 日曜日の秘密基地」2001年5月6日の罰ゲームで、東京ディズニーランドから TBSラジオのある東京都港区赤坂まで無一文で六時間歩いた。

■2001年12月4日、母親の紹介で東京都港区御成門のイタリアンレストランにてお見合いをする。

■ハスキーボイス。

■かなりの運動音痴。スキップ、ブランコに乗ることさえ苦手で、自転車に乗れるようになったのは大人になってからとのこと。運動音痴であるにもかかわらず、相方のとび蹴りだけは上手い。

■母親からは、小さい頃から現在まで「モナリザ」と呼ばれている。

■1989年に行われた兵庫県のカーリングチームに勝利し、インターハイへの切符を手に入れる。

■伊集院光による見た目の形容は「般若」「ハンニャバル」「失敗したベニヤ板」。

■元キャバ嬢(源氏名: ミドリ)、2005年12月17日の「エンタの神様」において、相方くわばたより『膿を出し切ります』と言われ、キャバ嬢時代のお客の手紙を読まれ、赤っ恥をかいた。

■2006年5月6日の「エンタの神様」において、プライベート写真を無断公開されていると発言(写真の内容など、詳細は後述)。

■相方・本人曰くすっぴんが「子泣きじじい」に似ているためメイクには労力を惜しまない。厚化粧に見えないように数々のテクニックを駆使して、2時間程度かけて顔を作り上げる。お泊りの際はすっぴんに見えるメイクをし、相手に本当のすっぴんを披露するにはかなりの勇気がいると言う。

■ギャル曽根は「いきなり!黄金伝説。」での小原の大食いを見て、大食いタレントになったという。小原の食べっぷりは見事であり、これまで完食達成者ゼロのジャンボカツなどをぺろりと平らげている。その一方で嫌いな食べ物の一つに米がある辺り日本人には珍しいタイプである。

■髪の毛がはげてきている。


【コンビとしての概略と略歴】
持ちネタは主に漫才で、テレビ上はくわばたりえが何かの拍子に有名俳優との妄想に浸り、それを小原正子が突っ込む(時として飛び蹴りなどがかまされることもある)というタイプのネタが中心。一方、ライブ活動においては「客がドン引き」して静まりかえる程のエグイ下ネタを連発するという。また、2003年と2004年のM-1グランプリに出場しているものの、準決勝止まりである。 「エンタの神様」での騒動で、普通のネタが余り知られていない状況だったが、2007年の「爆笑ヒットパレード」(フジテレビ)で珍しく普通の漫才を披露。司会の笑福亭鶴瓶と爆笑問題から「漫才面白いよ、上手い。」と、なかなかの高評価を得た。この様に様々な問題を起しながらも、同業者や業界内の人々からはそれなりの評価を得ているが、「エンタの神様」でマイナスイメージが付いており、視聴者にはそれが伝わっていない模様。

■2000年1月、コンビ結成。

■2000年3月、ホリプロお笑いライブにてデビュー。

■2000年3月から2002年3月の2年間、2人は同居していた。

■2000年10月、小原正子がオーディションに合格し「伊集院光 日曜日の秘密基地」のアシスタントとなり、収録に付いて来たくわばたりえも初回から毎週出演することになる。

■2001年正月に帰省した際、小原正子の実家はいつの間にか引っ越しをしていて、くわばたりえは酒に酔って大量のおねしょをした。

■2001年4月29日、「伊集院光 日曜日の秘密基地」の「女の戦いスペシャル アシスタント争奪七番勝負」で勝利したくわばたりえがアシスタントを初経験。

■2002年に「世界痛快伝説!!運命のダダダダーン!」(朝日放送)、「ウィーケストリンク☆一人勝ちの法則」(フジテレビ)で前説をやっていた。 

■2003年5月、小原正子のポリープ疑惑(病気療養として番組を休んだが、同時期にニッポン放送「ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回」の中継先で営業をしていたことが聴取者により発覚)をきっかけに「伊集院光 日曜日の秘密基地」のアシスタントを降板。以降は番組内のコーナーを担当する準レギュラーとなる。

■2005年7月、ラジオ番組をきっかけに有名ミュージシャンと飲み友達になる。

■2005年9月10日、「エンタの神様」に初出演。かつてカンニングが同番組でやっていたパフォーマンスに近いことをやる。くわばたが竹山隆範よろしく「おっぱいを出す」などと暴れ回り、それを小原が回し蹴りなどで止めるという、テレビ向けの通常持ちネタとは異なるもの。そして、この放送を見た視聴者から電話による抗議が日テレに殺到したほか、クワバタオハラの公式ホームページの掲示板が荒らされ、パンクする事態に陥った。なお、この掲示板荒らしは数日間も続き、インターネット掲示板の2ちゃんねるにおいても大きな話題となった。

■上記を受け、2005年10月29日の同番組にて、上記の行為に対する多数の苦情があったと明言し謝罪。その苦情の中に、「カンニングの真似をするな」といったものが多数あったらしく、「カンニングとだけは一緒にされたくない、むしろ私たちのほうが先だ」と言っていた。
さらにその際、当初は「本当に謝っているのか?」的な前フリをしたうえでいきなりウィッグを取り坊主頭を披露、これが自分の謝罪の気持ちであるとし、客席からも拍手を受ける。また、この時の小原の驚愕の表情から、坊主にしたことを相方に一切話していなかったことがうかがい知れる。その後、その謝罪が良かったのか、「良くやった」と言う激励の言葉をもらうことになる。余談であるがくわばたが服を脱ごうとした時の画像がネット上で出回り「くわばたは意外に巨乳」と話題となった。

■2005年11月26日の放送で、カンニング竹山が、褒め称えた。

■2006年5月6日、「エンタの神様」にて、ネタ・コントをやらず、カンニング竹山のような「発表スタイル」で、小原のプライベート写真を無断公開されるという嫌がらせを受けていると発言。本人たちの弁によれば、写真はベッドでシーツにくるまった小原の姿が写ったもので、過去にベッドと共にした相手が撮影したものと思われるが、誰かは特定できないとのこと。

■最後には、写真に対抗すべく、くわばたが小原のセクシーショットを撮影して公開すると発言。ネタともマジとも取れない非常に中途半端なトークであったため、放送直後から本人たちが運営するBBSには、番組内で取り上げる必要性を疑問視した視聴者を中心に、非難・批判・中傷を中心とした書き込みが殺到している。その為、掲示板は現在休止している。

(出典:Wikipedia)

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コージー冨田

コージー冨田(コージーとみた、本名:冨田 弘司(とみた こうじ)、1967年2月24日 - )は、日本のものまねタレント、コメディアンである。兵庫県神戸市生まれで、愛知県豊田市出身。オフィスインディーズ所属。豊田市立朝日丘中学校、杜若高等学校卒業。


【人物・来歴】
アラコ(現:トヨタ紡織)のサラリーマンだった素人時代から本名の冨田弘司名義で『笑っていいとも!』『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』など様々な番組に出演し、第28回『発表!日本ものまね大賞』でグランプリを獲得後本格的にプロ転向。「あれっ?髪切った?」、「んなぁーこたぁーない」というフレーズを用い、タモリのものまねの第一人者となる。テレビにあまり出演していなかった時は頭髪があり痩せていて現在よりもタモリに似ていた。「おまえの番組に出てやる」という大橋巨泉のセリフも得意のレパートリーのひとつ。その他、板東英二、桂歌丸、笑福亭鶴瓶など多数のレパートリーを持つ。「重箱の隅をつつくメドレー」に代表される、細かすぎて分からないものまねを身上としている。

冨田弘司名義の時に「笑っていいとも!」に2度ほど出演している。一度は冨田のタモリまねネタがまだ有名でなかった頃、「真夏のそっくり当てまショー」という企画(1997年9月3日放送)でタモリのそっくりさんとして登場(夏休み期間に行われた企画のグランドチャンピオン大会で、第1回から第6回までの優勝者と新人4人が出場した。冨田は新人4人のうちのひとり)。このときが、タモリ本人の前で冨田が彼のものまねを披露した(現在確認できる限りでは)唯一の機会である。

もう一度は「松村邦洋プレゼンツものまねクイズ僕らは謎の三銃士」という企画(1998年9月30日放送)で、松村邦洋・御本人・ものまねが得意な素人の3人を声だけで識別するクイズ。このときは1.松村邦洋・2.松村雄基・3.冨田の順番で一言ずつ「イソップゥ!」等と話したが、どうも3番は松村邦洋っぽいという展開になり、解答者の東野幸治は「どうですか? 掛布さん」とネタフリをすると冨田は物まねで見事にこれに対応し、東野は「バレバレじゃないですか。」となり、誰もが3番は完全に松村邦洋と思ったが正解発表で3番が冨田とわかり皆を驚かせた。冨田は、「松村邦洋がマネする松村雄基」と「松村邦洋本人」(更に「松村邦洋がマネする掛布雅之」)のまねをしていたのだ。出てきた松村邦洋は立場がなく、落ち込んでいる様子だった。なお、このときはタモリのまねはしていない。

コージー名義となって以降、(無許可でやっているため)タモリとの公式な共演はない。原口あきまさが明石家さんまと多く共演しているのと対照的である。またコージーのタモリのものまねが定着して以降、タモリがステレオタイプを嫌ってか、「髪切った?」「んなぁーこたぁーない」と話す機会は激減している。

素人時代から頭髪が薄かったが、その後異常に禿頭化が進み、プロ転向後はスキンヘッドにしている。その為、モノマネのネタに応じてその都度カツラを被り換える。かねてからカツラ・増毛疑惑があり、自虐ネタにもしているタモリは、この頭を見て「あんた、よくその髪型で俺のモノマネやれるよなー」と冗談めかして言ったとコージー本人が語っている。

音声をまねる声帯模写、外見をまねる形態模写に対し、自分のものまねは性格模写であると本人は語っている。

2001年に第38回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞を受賞。該当年度(2000年度)は原口あきまさと組んだ仕事が多く、2組受賞かコージー・原口のペアで1組という扱いになるかとも思われたが、結局コージーだけが受賞した。

現在はコロンブスと共に仕事をする事が多い。また、石橋貴明と公私共に仲が良く、麻雀仲間でもある。そのため「普段の石橋貴明」というネタも持っている。

無名時代はものまねパブで働いていた事があり、当時結構ギャラも良く下積時代の芸人にありがちな貧乏での苦労をした事が無いと「徹子の部屋」で発言している。

女子プロレスのファンである。


【ものまねのレパートリー】
《あ行》
・阿藤快
・天野ひろゆき(キャイ〜ン)
・石橋貴明
・市原悦子
・伊東四朗
・上田正樹
・大橋巨泉
・オール巨人

《か行》
・角野卓造
・桂歌丸
・上岡龍太郎
・キダ・タロー
・桑田佳祐
・コロッケ

《さ行》
・サンプラザ中野
・笑福亭鶴瓶
・島田紳助
・陣内孝則
・鈴木雅之
・関根勤

《た行》
・滝口順平
・タモリ
・武田鉄矢
・所ジョージ

《な行》
・中井貴一
・西田敏行

《は行》
・浜田雅功(ダウンタウン)
・板東英二
・ビートたけし
・藤岡弘、
・はなわ

《ま行》
・前川清
・松浦亜弥
・松村邦洋
・室田日出男

《や行》
・八奈見乗児
・矢部浩之(ナインティナイン)
・結城貢
・吉幾三

《ら行》
・ルー大柴

《わ行》
・渡辺徹

(出典:Wikipedia)

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劇団ひとり

劇団ひとり(本名・川島 省吾・かわしま しょうご、1977年2月2日生まれ )は、お笑いタレント、俳優、作家。千葉県千葉市出身。身長176cm、体重75kg。血液型はA型。太田プロダクション所属。


【プロフィール・来歴】
■父親の仕事がパイロットだった関係で、小学校2年から5年まで、米国アラスカ州アンカレッジに住んでいた帰国子女。当時、同じように父親がパイロットだったフィギュアスケートの村主章枝が近所に住んでいたため一緒に遊んだことがある。ただし現在の英会話能力は、日常会話程度であると自認している。

■千葉市立幕張本郷中学校卒業後、金剛学園高等専修学校(現・桜林高等学校)に入学後数週間で中退、同年に編入扱いで千葉県立京葉工業高等学校(機械科)に入学するが(理由は「学ランを着たかったから。」らしい)1年弱で中退後千葉県立船橋高等学校定時制普通科卒業。高校生活は計4年間になる。当時はヤンキーで、番組でヤンキー時代の写真が公開された。

■高校1年の1992年に、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』内のコーナー「お笑い甲子園」に、バーテックスというコンビを組んで出場。その後太田プロダクション(以下、太田プロ)に所属しデビュー。なお、単独での契約だったが、これはバーテックスで相方を務めた男性にプロ入りの意思がなかったことによる。

■太田プロに入ってからは、一時代子役として活躍した経歴のある劇団日本児童出身の秋永和彦とお笑いコンビ「スープレックス」を組み漫才を展開。当時より川島の才能や完成度は、コアなファンやお笑いライターに評価されていたが、ボキャ天ブームや『進め!電波少年』で、太田プロがU-turnや猿岩石などのグループをメインに売り出していたことや、川島自身の遅刻・ドタキャン癖が影響し、『爆笑オンエアバトル』などには出場していたものの、ブレイクの機会を逸したまま2000年5月に秋永の蒸発を理由にコンビを解散、川島はピン芸人として再出発することとなった。

■ピン芸人になるにあたり芸名をネット掲示板で募り、そこに書き込まれた「カツカレー」を名乗ったことがある。しかし事務所に「カツ」という芸名の人物がいたために反対され、この芸名を使ったのは1週間ほどであった。

■様々なキャラクターを演じ分ける一人芝居風のコント(後述)が評判になり、お笑いライブや『新しい波8』『完売劇場』などのテレビ番組で徐々に知名度が上がる。

■2004年2月、『めちゃ²イケてるッ!』の「笑わず嫌い王決定戦」に出演。以降、メディアでの露出が次第に増える。また、俳優として、テレビドラマや映画などに活躍の場を広げる。

■2006年1月、小説『陰日向に咲く』で小説家デビュー。
(2008年新春、『陰日向に咲く』がV6の岡田准一主演で映画化予定。)

■2006年11月13日、“最も万年筆が似合う著名人”に贈られる「万年筆ベストコーディネート賞2006」を受賞。同賞は、輸入・国産筆記具メーカーや日本筆記具工業会など28社(協会)が共同で行っているプロジェクト。


【人物・エピソード】
■泣き芸が得意。事務所の先輩で同じく泣き芸を持つ上島竜兵からは「泣き芸をやめてくれ」と言われている。泣き芸には「仕込み」が必要だが、それは常に携帯しているわけではないので、長時間のロケなどの場合は「仕込み」が間に合わず泣くに泣けないこともある。テレビ番組で川島いわく、それは上島直伝の技である。

■ネタで演じるキャラクターはマニアックな人物が多いが、実際にはマニアックな物には興味が無いらしく、『中井正広のブラックバラエティ』や『タモリ倶楽部』の出演時に「この番組、僕には向いてないと思うんですけど」と発言している。

■友人で先輩の長井秀和がブレイクするきっかけとなったフレーズ「間違いない」は、もともと劇団ひとりが長井のものまねをする際に加えたものである。それを聞いていた長井本人が気に入り自らのネタに用いるようになった。

■「ひとりさん」と呼ばれることが多いが、タモリからは「劇団」、「ゲゲゾッゾ」、くりぃむしちゅーや後輩のスピードワゴンからは本名の「川島」「川島さん」と呼ばれることがある。本人は「なんとお呼びすればいいですか?」と聞かれると「“おい”とか“お前”で結構です」と答える。『SMAP×SMAP』では、「“省吾”って呼ばれたい」、『笑っていいとも!』では、「劇ピーって呼んでください」と発言(NEWSのメンバー、山下智久が山ピーと呼ばれていることに由来)。

■仕事上のプレッシャーに弱いと自覚しており、対談番組内で野球選手のイチローに「プレッシャーを克服する方法を教えてください」と質問したところ「ない」と即答され落胆した。

■日課は、盆栽に水をやることと、日能研の中学受験用ドリルを解くこと。中学受験に失敗した過去があり、学力をつけいつか落ちた中学の合格ライン以上の点数を取りたいと考えている。

■ルービックキューブが得意で、6面を42秒で合わせることが出来る。しかし、2006年7月30日に行われた「ルービックキューブ東京大会2006」に参加したものの133人中68位と予選落ちし、「今日でルービックキューブを置きます」と"引退宣言"を行った。

■家族関係のプロフィールについて、メディアで多く語られている。

■両親は日本航空勤務(父は現役国際線パイロット、母は元客室乗務員)で職場結婚。二男で兄、妹がいる。母はミス札幌選出歴があり、現在はマナー教室を主宰。川島の母と長年交際があるという土田晃之の母が語るには「(川島の母は)本当に品格のある方」だという。SF作家の川島ゆぞはおじにあたる。

■『リンカーン』で、母親の写真が公表されたときは、あまりの美貌に他の出演者からうらやましがられた。また妹もかなり可愛いが、性格がものすごくきついらしい。

■2ちゃんねる利用者であることを公言している芸人の一人。また太田プロが運営する掲示板に「桜子」というハンドルネームで「劇団ひとりって良いよね」と書き込んだことがある(『ロンドンハーツ』の「格付けしあう若手芸人たち」(2005年8月30日放送)より)。

■平成教育予備校で、辰巳琢郎・宇治原史規の京大卒2名に伍してユビキタス社会という用語を正解したことを司会のユースケ・サンタマリアにスルーされ、「パソコンをよく自作してるからですよ」と自分からアピールするハメになった。

■『ココリコミラクルタイプスペシャル』(2005年10月放送)で、ファンとの交流を深めたいという名目で女性と交際したことを告白した。『ダウンタウンDX』(2006年10月26日放送)での話によると、芸人としての伝説をつくるために何人のファンの女の子に手を出せるかという挑戦をしたらしい。

■滝川クリステルの大ファンである事を公言している。『クイズ!ヘキサゴンII』出演時に滝川クリステルと5回食事をする券がもし買えるならば、900万円払うと真剣な顔で言った。また、滝川の所属する共同テレビにファンレターを送ったという(が、本人曰く、事前に却下されたらしい)。「万年筆ベストコーディネート賞2006」の授賞式では、同賞を受賞した滝川クリステルが、スケジュールの都合で授賞式を欠席していた為、「滝川さんに会いたかった・・・。」と嘆いていた。しかし、一度メイク室が同じになった事があるが、本人は、わざと気付いていないフリをして話しかけなかった。

■AIBOを2年ほど飼っている。不審者を感知して写メールを自動撮影・送信する機能があるが、自身が帰宅すると必ず不審者扱いされ写メールを撮られるとテレビ番組で発言。

■『爆笑問題の検索ちゃん』での発言によると、女性への口説き文句に「今夜、劇団ふたりになっちゃおうか?」という、自らの芸名に引っ掛けたジョークを使う。

■中学時代はバスケットボール部に入っていてキャプテンを務めたらしい。

■ダウンタウンの松本人志が認める、面白い若手芸人の一人。「ひとり」という芸名が企画会議などで紛らわしいため「芸名変えたほうがええ」とも言っている。

■ある日焼肉がどうしても食べたくなったが誘う人がおらず、一人で焼肉店に行き、店員には「友達があとから来るから」と言って電話で友達と話すふりをし、友達が来れなくなったことにして一人で焼肉を食べたことがある。また、クリスマスにやはり一人でケーキと鶏肉を買い、見栄を張って店員の前でわざと恋人と電話しているふりをしたこともある(『爆笑問題の検索ちゃん』より)。川島本人が書いた小説「陰日向に咲く」の本に上記と似たような内容がある。

■『やぐちひとり』で共演している矢口真里からは「頼れる人」として認識されている。

■『やぐちひとり(C)』内で、一人暮らしの料理の非効率性(一人分という分量とコスト、時間のアンバランス)を解消するための新調理法、具ッバイクッキングを考案。いわゆる「具なし料理」で、番組内では(具なし餡のみの)具なし中華丼、(たこやネギのない)具なしたこ焼き、(バターとマーガリンのみの)具なしサンドイッチ、(ネタのない)具なし寿司を試食したが、全体を通して好評といえるものではなかった。ただ企画の最後には、具ッバイクッキングを通して「日頃の寂しい料理、例えばお母さんが作ってくれたそっけないの料理も、愛情という一番おいしい具がかかっていると考えると、さらにおいしく食べられる」ことを伝えたかったと漏らした(2007年5月15日放送『やぐちひとり(C)』より)。

■『ダウンタウンDX』内で、「地球最後の日の晩餐は?」(2006年放送)というお題に対して、「ドミノ・ピザのドミノ・デラックスとシーフード・スペシャルのハーフ&ハーフにポテナゲを付けて食べたい」と答えている。この発言がきっかけとなったのかは不明だが、2007年夏より宅配ピザチェーンのドミノ・ピザのイメージキャラクターとなり、ドミノ・ピザのファン代表「ドミノ★スター」として、TVCMで山本リンダの名曲「どうにもとまらない」の替え歌で「ド〜ミノとまらない♪」を熱唱している。ちなみにダウンタウンの浜田雅功は、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』内で、何故かたまにドミノ・ピザのロゴマークがプリントされたTシャツを着ていることがある。


【芸風】
■さまざまなキャラクターを演じる一人コント。

■川島省吾を「座長」とし、川島演じる数々のキャラクターを「団員」と呼ぶ。


《団員リスト》
・尾藤武
・つっぱり亭津田沼
・ウォン・チューレン
・北八先生
・山岡春樹
・ピーナッツ雷太
・ペペ
・ミラクル羽山
・川島マネージャー
・城波流夫
・オマール
・滝沢翼
・満田丹五郎
・堀口 進(ハンマー堀口)
ほか多数。

(出典:Wikipedia)

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山崎弘也(アンタッチャブル)

山崎弘也(やまざき ひろなり、1976年1月14日 - )は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビ「アンタッチャブル」のボケ担当。

埼玉県春日部市出身。プロダクション人力舎所属。人力舎のタレント養成所・スクールJCAの第3期生。同期の柴田英嗣と1994年にコンビを結成。埼玉県立春日部工業高等学校卒業。高校時代は野球部に在籍。ただし、控え捕手。血液型B。身長168cm。体重88kg。


【特徴】
■漫才ではハイテンションで適当な言動をしてボケる。ラップが得意。

■顔が大きく、顎が割れている。舌が長い。

■その顎の割れている部分を触られると、声が出なくなる、というギャグを開発。

■トルコのサッカー選手、イルディライ・バシュトゥルクに顔立ちが似ている。

■ワイシャツ・黒スラックス・白ネクタイ(ジャケットなし)という衣装をトレードマークとしており、その風貌は「結婚式の帰り」と形容されている。

■その体格の面白さと物腰の柔らかさから、アンジャッシュの渡部建らに、「ファミレスの店長」と呼ばれることもある。

■異常な程の低姿勢で相手を怒らせる発言をするキャラクターで人気を博している。かつてテレビ番組の中で「国民の後輩でいたい」とも発言。また、外国人が感心する程、土下座が上手い。

■少々アバウトなところがあり、アドリブではノープランな事が多い。

■表情や芸風がくりぃむしちゅーの有田哲平に似ていると言われるが有田とはプライベートでも、デビューして間もないころからの仲で、あまりの親密さに、上田晋也は「そのうち有田と山崎は結婚するんじゃないか?」と発言したことがある。住んでいるマンションも有田と同じ。

■口癖は「あざ〜っす」(ありがとうございますという意味)。

■ホリや関根勤、原口あきまさからものまねレパートリーとして取り上げられている。

■相方の柴田が魚好きであるのに対し、肉類が大好物で、野菜と魚が苦手。黄金伝説の企画では、毎回かなりの量を柴田に食べて貰っている。柴田いわく、茶色い料理系が好きらしい。ローマ字表記の頭文字がKの食べ物はほとんど好きで「カレー、カツ丼、から揚げ」を「3K」と呼んでいる。しかし多く食べないといけない企画でも、ほとんど食べない。

■いわゆるデブタレントの部類に入るほどではないが肥満体型、そのため大食いのイメージがあるが、間食、不摂生による肥満(本人談)らしく実際はそんなに食べない。「Qさま!!」の大食い企画でそれが露呈した。本人曰く、「プライベート(仕事にならない)デブ」とのこと。

■かなり臆病で「Qさま!!」のSP企画で、1番のチキンの称号を得る。その後汚名返上企画をやるも、それでもなお現在メンバーの中で表も裏もチキンな存在である。 

■野球を8年間やっていた。以前Qさま!!の企画でピッチングマシンから時速200キロで球が的に向かって投げられ、キャッチャーミットでキャッチできるか、という企画では皆ことごとく恐がって不成功の中、山崎だけは(恐がってはいたものの)成功し野球経験者としてのメンツを保った。

■「ロンドンハーツ」では、セカンドバック芸人と呼ばれている。また同番組の企画『男の着こなしグランプリ』では、過去2回行われて全て最下位になっている。


【エピソード】
■2005年7月5日、くりぃむしちゅー有田・おぎやはぎ矢作兼と食事に行った際、有田がその日「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」の生放送の仕事があるのにもかかわらず、「そんなのいいじゃないっすか」と、矢作と共に有田に飲酒を勧めてしまった。その後ほろ酔いでラジオの生放送に臨んだ有田は相方の上田から怒られる羽目になった。

■芸人になってからも、長らく母親から仕送りを貰っていた事を「笑いの金メダル」で暴露された。ある時、「どうしても必要だから」と母に電話でパソコン購入代金をせがんだ。母は100万円を山崎の銀行口座に振り込んだが、山崎はそのお金でパソコンを購入することはなく、風俗嬢「メロンちゃん」にすべて使ってしまったという。

■くりぃむしちゅー有田を通して伊集院光とも交流が深く、2000年頃から「伊集院光 深夜の馬鹿力」に頻繁に出演。『メカ山崎事件』等数々のドッキリ企画を仕掛けられていた。伊集院は山崎のことを「やま」と呼んでいる。

■有田に「料理を作ってくれないか?」と頼まれたところ、「そんなの出来るわけ無いでしょ」と断ったものの、後日電子レンジを購入し、「有田さん、俺やりますよ!!」と意気込んでいた(有田談)。

■「伊集院光 深夜の馬鹿力」のスペシャルウィーク企画において、以前付き合っていた女性を呼ばれ、付き合っている時にテレビを買ってもらったこと、彼女そっちのけでそのテレビを使い「パワプロ」をずっとやり続けていた事を暴露されていた。更にふられた後にも、金を貸してくれと頼んでいた。(また山崎はこの女性との復縁を望んでいたが、その時点で彼氏がいることを告白されうちのめされていた。)

■バラエティ番組で、大勢の芸人達の中でも埋もれることなく、積極的に前に出て効率よく笑いを取る力量を見せ、島田紳助にも一目置かれている。ただし、「ロンドンハーツ」での「格付けしあう若手芸人たち」において前に出すぎて他の芸人の見せ場も自分の見せ場に変えてしまうことが頻発したため、兄貴分である有田から注意を受けた事もあると番組内で暴露された。

■初体験の相手が渡部の知り合いで、その女性に「山崎のプレーどうだった?」と聞いた所、「童貞だと言うことを抜かしても下手すぎる」と言われたそう。山崎本人も「緩急がないと言われたんですよ」と認めている。

■ボキャブラ天国に出演した時、海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)の上田の妹をナンパしたことを番組内で暴露された事がある。その時、山崎は上田の事を「晋兄ちゃん」と呼んでいた。

■テレビ出演時は大抵白のワイシャツを着用しており、くりぃむしちゅーらと共に関口宏の東京フレンドパークIIのスペシャルに出演した際、ビッグチャレンジでワイシャツ100枚を希望した。結果、見事ゲットしたものの視聴者プレゼントでも当たってしまい、カメラの前で当選者に謝っていた。

■さまぁ〜ずに下の名前(弘也)を忘れられた。しかも、「俺たちは下の名前も知っている」と言われた後だったらしい。(ちなみに、相方・柴田の名前(英嗣)は大竹があっさりと答えていた。)

(出典:Wikipedia)

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柴田英嗣(アンタッチャブル)

  柴田 英嗣(しばた ひでつぐ、1975年7月15日 - )は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビ「アンタッチャブル」のツッコミ担当。

静岡県、静岡市、清水区出身。プロダクション人力舎所属。人力舎のタレント養成所・スクールJCAの第3期生になる。同期の山崎弘也と1994年にコンビを結成する。私立東海大学付属工業高等学校(現・東海大学付属翔洋高等学校)卒。身長167cm、体重53kg。


【特徴】
■大きな鼻と下縁メガネがトレードマーク。

■視力が悪かった頃は、コンタクトレンズを使用していた。

■視力回復手術のレーシック手術を受けている。

■その結果、当初の0.01の視力が1.5にまで回復した。

■その為に、眼鏡はキャイ〜ンの天野ひろゆきなどと同様に、レンズの入っていない伊達メガネに変わった。このため、以前よりも目が大きく見えるようになった。

■2006年夏のとんねるずのみなさんのおかげでした「モジモジくんHYPER」出演時に眼鏡を壊し、一時期は外していたが、2007年2月頃からまたかけるようになった。

■静岡県の出身でありながら何故か喋りが江戸っ子口調である。

■キレツッコミが横山やすしの再来と評価される事もある。

■自らを、キャラ的や見た目に「普通」であると認めている。


【エピソード】
■稲川淳二の怖い話しが好きで昔、その話しをよくしていた事がある。柴田も怖い体験に何度か遭遇した経験があるがいずれも微妙なもので霊感は無いらしい。

■柴田が、かつて住んでいた自宅マンションの下の階にアカペラグループ「RAG FAIR」「ズボンドズボン」のメンバー・土屋礼央が住んでいた。その事を知らなかった柴田は土屋のギター音に対し「うるさい!」抗議していた。後にテレビ番組を見ていて同じマンションに住んでいる事を知った。この件を「虎の門」で告白、謝罪した。

■歌、音楽が得意で、「爆笑オンエアバトル」特別番組ではリードヴォーカルを担当し、「カントリーロード」の演奏に参加したことがある。

■「歌スタ!!」では、音楽クリエイターの堂島孝平に歌声を見初められた。堂島氏いわく「相当かっこつけていいと思いますよ」とのこと。その後、2006年2月1日に『だまって俺についてこい』で徳間ジャパンコミュニケーションズから歌手デビューし、オリコン初登場90位を記録。初回限定盤には、「抽選で1組に柴田英嗣があなたの結婚式で『だまって俺についてこい』を熱唱し、お二人の門出を祝福させていただきます!」というスペシャル企画の応募ハガキが封入されていた。

■運動全般が得意で、過去にプロサッカーチームからスカウトされた経験がある。学生時代には体操部、中学時代は野球部に所属していた。「Qさま!!」では、8段の跳び箱でハンドスプリングを披露する、15段の跳び箱を一回で飛ぶ、鬼ごっこでは松野明美と戦って2勝1敗で勝ち越す、などの成績を残し、エースと言われている。ただ、箱根経験者のジョセフ・オツオリ、元・世界記録保持者のベン・ジョンソンなどが鬼だった時は、柴田だけ他の人よりも本気で追いかけられたため、競技開始後早々に捕まえられていた。

■また同番組の「10m高飛び込み」では公式記録として最速の2秒(詳しくは原西孝幸の項も参照)で飛んだことがある。他にも「シーソービビリ橋」(全長15m・高さ10m・幅45cm)ではスタートと同時に全力疾走し、途中に配置されたバナナの皮やシーソーを飛び越えてゴールに駆け込み、これまた2006年現在最速の3秒でゴールし、他の挑戦者(10分程度)に比べ圧倒的に速い記録を作る。また同番組内では影のリーダー的存在と言われている。

■「伊集院光 深夜の馬鹿力」において「スペシャルウィークの企画がない言い訳として、伊集院光がTBSラジオ局内で原付自転車に甘く轢かれた事にする」という企画の際に、原付自転車で伊集院を(あくまで「甘く」)轢く役目を任されたが、エンジンを吹かしすぎてウィリー状態で局内の廊下を暴走したことがある。そのせいで廊下のじゅうたんに黒々とタイヤ痕が残ってしまい、スタッフが必死で後片付けに追われたらしい。

■相方の山崎共々、伊集院光との交流が深い。「伊集院光 深夜の馬鹿力」内で包茎であることをバラされたり、原付バイクを長い間借りていたりといったエピソードがある。

■動物園のキリンを3時間眺めていられると言ったほど無類の動物好きだが、一番好きな動物はカバ。動物に関するうんちくを語ることがある。

■漁師の町として知られる静岡県、清水市で育ったこともあり、魚・刺身が大好物であるが、肉類(特に牛肉)は苦手(相方の山崎は肉が大好物だが、野菜と魚が嫌い)。しかし、「いきなり!黄金伝説。」でマグロばかりをひたすら食べるという企画をやった後は、一時期、魚も食べられなくなったため、ベジタリアンになりそうになったと語っている。さらに、ずっと食べ続けていたせいか、野菜すらも嫌いになってきたと言ったこともある。その後、にんにく、一万円生活と続き、以前くりぃむしちゅーが達成出来なかったクリームシチューのみを、一週間で500杯食べ続ける企画の中では、人参などの野菜をほとんど柴田が一人で食べていた。肉類は代わりに山崎に任せる約束をしたがすぐに拒否された為、苦手な肉類も柴田が自分で食べる事になった。苦労しながらも、まぐろ、にんにく、一万円生活に続いて、クリームシチュー企画も見事に伝説達成に成功した。

■アンジャッシュの児嶋一哉や、くりぃむしちゅーの上田晋也、劇団ひとりなどの芸人達と仲が良い。

■2005年9月に、入籍を発表(できちゃった結婚)。しかしそれ以前に一度、相手の女性を中絶させており、結婚に至るまでの経過の中で女性が弁護士を立てて話し合っていた事もあったと週刊誌等で報道された。結婚後、2005年11月28日に第一子となる長男が誕生した。

■ところが、2007年2月には妻とは別居中で離婚届を突きつけられていることが判明した。

■MCもしっかりしており、コーナーではよく進行役をつとめる。

■コーヒーが全く飲めないが、内村プロデュースの心理学の企画では、内村光良の差し入れたコーヒーを飲んだことがある。この事は心理学的に見て、尊敬する人物のものは苦手でも受け入れる表れとして、内村を喜ばせた。

■「ロンドンハーツ」内「格付けしあう男たち」のコーナーに出演した際は顔を真っ赤にして怒り続けるキャラを演じたが、ヤセ型・メガネに加えその時のスーツ姿という見た目上の共通点もあって「次の横山やすしの位置を狙っているでしょ」と言われていた。

■昔、ピンでギター漫談家として活動をしていた事がある。これは当時、仕事が殆んど無く相方山崎とも不仲だった為。当時、ビビる大木と仲が良く同居もしていた為に、一時期は大木と組む事も考えていた。

■現在は相方山崎とはプライベートでも麻雀をやったり買い物に行くなど普通に仲が良い。

(出典:Wikipedia)

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アンタッチャブル

アンタッチャブルは日本のお笑いコンビ。通称「チャブル」「アンタ」。プロダクション人力舎所属。

主な持ちネタは漫才である。一時期「エンタの神様」(日本テレビ)では、漫才のネタをベースにしたコントもやっていた。また、フリートークやリアクション芸もこなし、バラエティ番組で活躍している。先輩のアンジャッシュや後輩の北陽、ドランクドラゴンよりも売れるのが遅れたが、2003年のM-1グランプリ敗者復活戦で全国にその存在を知らしめ、翌2004年の同グランプリで見事優勝してブレイクを決定づけた。決まり文句は「あざーっす!(ありがとうございますの意味)」・「いやいやいや」など。
早いテンポでのボケ・ツッコミともに、非常にハイテンションでの漫才を展開して、大人気を博している。特に柴田のツッコミは、キレかかったテンションなのでよく「ぶち切れ漫才」と言われている。


【メンバー】
■山崎 弘也(やまざき ひろなり)−1976年1月14日。B型。埼玉県出身。(ボケ担当)

■柴田 英嗣(しばた ひでつぐ) −1975年7月15日。B型。静岡県出身。(ツッコミ担当)


【略歴】
1994年結成。プロダクション人力舎の運営するタレント養成所、スクールJCAの3期生同士。旧コンビ名はある先輩が勝手に考えた「シカゴマンゴ」だったが、本人たちが気に入らなかったため、現在のコンビ名に改名した。由来は、そのころ山崎が好きだった映画『アンタッチャブル』から。これは山崎が独断で決めたもので、柴田は当初「シカゴマンゴ」に決まったと思い込み、初めてのライブの出演表にコンビ名が入っていなかったことから「このライブには出られない」と思っていると、スタッフから「アンタッチャブルさん」と呼ばれ、初めてコンビ名を変わったことに気づいたという。 (「シカゴマンゴ」は現在出演しているレギュラーラジオ番組の名称として用いている)

1990年代半ば、「ボキャブラ天国」シリーズに出演。

1990年代後半〜2001年には、くりぃむしちゅー、アンジャッシュとの3組で結成したユニット「ゲバルト一族」のオムニバスライブで人気を博した。

1999年、『爆笑オンエアバトル』に第2回から出演。毎回高得点をマークし、注目を集める。チャンピオン大会では、第4回を除くすべての大会でファイナル出場をするも、毎回優勝を逃していたが、2004年3月の第6回チャンピオン大会で念願の優勝を果たした。また、その年に出場した北見収録回では、2004年度1位・歴代2位・自己最高の541KBを獲得している。

2003年の『M-1グランプリ』決勝では、敗者復活戦を勝ち上がって最終決戦にまで残った。結果は3位であったが、そのパワフルな漫才の技量が話題となり、お茶の間の人気者となる。そして、最有力優勝候補と言われた翌2004年の『M-1グランプリ』で見事に東京勢の標準語漫才としては初の優勝を飾り、賞金1000万円を手にした。この時、結成10年目でM-1に出場できる最後のチャンスであった。そこから出たギャグが山崎の言った「謙虚芸人」。人力舎はこの優勝賞金をあてこみ、事務所のリフォームをした。その後の特別番組で事務所に取られた金額を差し引いた600万円を、2人で分けた額300万円が、柴田に渡されたが、山崎には過去の借金などでくりぃむしちゅーの有田哲平が書いた領収書と、300枚の「10,000」と書かれた紙の束を渡された(これはギャグであり、その後控え室で司会の木村祐一から現金で300万円を渡された)。また、賞金は借金返済に充てたと思われていたが山崎は細々と有田に返済しており、賞金獲得後には、葉巻を吸うなど贅沢をするようになったことを『笑いの金メダル』で暴露された。

2004年10月から『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』にレギュラー出演。見事「Qさま!!」判定を5個獲得し、その特典として2005年5月26日からさまぁ〜ずと2週間だけ司会を交代した。また、「ダメQ」判定を5個獲得してしまった際には、その罰ゲームとして偽ヤクザの宴会に参加するというドッキリにかけられた。

2004年にドリームワークスアニメーションの映画『マダガスカル』の日本語吹替版に2人そろって声の出演をした。声優としての評価も高い。

2005年4月から『いきなり!黄金伝説。』にレギュラー出演。番組内では4回伝説を行った(2007年4月現在)。1回目は「旬のマグロを1匹食べ尽くす旬なコンビ」、2回目は「にんにくだけで10日間生活するコンビ」、3回目は「人気芸人節約バトル 1ヶ月1万円生活 最強No.1コンビ決定戦」、4回目は「1週間クリームシチューだけで生活するコンビ」。


【特徴・エピソード】
■芸風については、トーク番組などで褒められると山崎は手を横に振りながら後ろを向き「いやいやいやいや」と乗せられるリアクションを取ることが多い。それに対し、柴田は当初ツッコんでいたが、のちに揃って「いやいやいやいや」と言うようになった。また、ネタを披露する際に客席から拍手が出ると「気を使わなくて良いですよ」などと言うことがある。 

■M-1グランプリ2003の敗者復活で勝ち残れるとは思っておらず、その前日二人は別々のところで徹マンをしていた。なお、敗者復活決定時、おぎやはぎの小木は本人ら以上に喜び、最終決戦進出決定後には入ってはいけないのに出演者控え室に入ってきてしまったらしい。

■M-1グランプリ2003では最終決戦で1票も入らず3位に終わったが、審査委員長の島田紳助から「来年は本命じゃないかと思うくらい凄かった」と賞賛を受けた。なお、島田紳助は優勝者インタビューの際の大会総括でも「人力舎は地味な漫才やるコンビばかりだと思っていたけど、やつらは凄い」とコメントを残している。

■何気ない言葉のイントネーションを少し変えて、面白くする事があり、「M-1グランプリ2004」では「だけど〜?」の一言で観客から拍手が起るほどの笑いを誘った。ビートたけしからは「アンタッチャブルの言っている事は面白くないんだけど、何か面白い。」と言われている。

■略歴にも少し書かれているが、「M-1グランプリ2004」が開催された当初(予選)の頃は、所属事務所の人力舎はあまり期待をしていなかった。しかし、いざ決勝進出が決まると急に優勝を期待し始め、ついにはM-1決勝の2日前に賞金を当てにして事務所の改装工事が行われた。しかしその反面、M-1決勝のネタ合わせに事務所の稽古場を使わせて貰いたい、という二人の要望は受け入れなかったらしい(しかたなく二人は近所の公園でネタ合わせをしたらしい)。

■ロンドンハーツのコーナー「タレコミ奉行」で、合コンで山崎が女の子に無理やり自分の乳首を触らせていた事が分かり、番組内で罰を受けた。

■ネタ作りではまず、柴田がツッコミを先に作り、山崎がそれに合わせてボケを考えるという不思議なネタ作りをする。このことはロンドンハーツのコーナー「カミングアウト温泉」や「アメトーク」でも明らかにされている。実際、TBSラジオのJUNK「アンタッチャブルのシカゴマンゴ」では、「ツッコミ先行宣言」というコーナーがあり、柴田がツッコミを発表しボケの部分を聴取者から募集しているコーナーが存在する。

■また、「2人とも覚えるのが嫌い」という理由で、ネタ作りでは一字一句台詞を決めるようなことはなく、要所要所のキーワードだけを決めているのみでその他の細かい言い回しなどは全てアドリブで行っている。そのため、同じテーマのネタをやってもまったく同じ漫才になることは無い。その影響か、本番前のネタ合わせは繰り返し綿密に行われている。

■伊集院光との交流が深く、「ゲームwave(テレビ東京)」や「伊集院光 深夜の馬鹿力(TBSラジオ)」など伊集院の深夜番組に準レギュラーとして頻繁に出演し、伊集院と息の合った掛け合いを見せた。その伊集院光とは現在も親交が厚く、伊集院主催の若手芸人野球チームの合宿には、当日の深夜にJUNK「アンタッチャブルのシカゴマンゴ」の放送があったにも関わらず参加した(2006年08月10日放送より)。その際に、伊集院の「ラジオはあくまで生放送で」(「草野球という私事で、本来は生放送の番組を録音放送で代替させてはならない」)という意向と両立させるために、合宿所の近くにあった茨城放送のスタジオとTBSラジオを繋いで番組を生放送するという「離れ技」も行った(茨城放送は本来NRN系列局であり、そもそも同番組は茨城放送ではオンエアされていない上、TBSラジオの電波が水戸地区まで届いていない。同時間帯、茨城放送ではニッポン放送の「ナインティナインのオールナイトニッポン」がネットされていた)。また、急遽スタートしたJUNK 交流戦スペシャル(クール途中で終了となった金曜JUNK「極楽とんぼの吠え魂」の代替番組)では、第1回放送で伊集院と緊急共演した。

■カンニング竹山隆範との共演や絡みが多い。竹山が出てきたときの山崎のリアクションは大抵、「なぁんだ、竹山さんか!」である。仲の良さから「コーヒー買ってきて」などと竹山に頼むこともあるらしいが、竹山から「俺ら(相方である中島忠幸も含めて)お前らの年上で先輩だからね」とJUNK放送中に釘を刺される。

■同じ番組で共演する若槻千夏とユニットを組み、「チナッチャブル」名義でCDをリリースしている。

■山崎がかなりの大顔なのに対し柴田はかなりの小顔のため、番組内で出演者やゲスト等に2人の顔の大きさについてコメントされることがある。山崎曰く「本当なら身長が2mなきゃいけない」とのこと。

■くりぃむしちゅーと仲が良い。特に有田と山崎は親友で、有田が多忙となった現在、ぐるナイの人気コーナー「かぶっちゃYa〜yo」には有田に代わって山崎が同コーナーに出演するようになった。

(出典:Wikipedia)

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片岡鶴太郎

片岡 鶴太郎(かたおか つるたろう、1954年12月21日 - )は、東京都荒川区西日暮里出身のタレント・俳優・歌手・画家。本名は荻野 繁雄(おぎの しげお)。愛称は「鶴ちゃん」。所属事務所は太田プロダクション。


【概要】
《生い立ち》
10才のとき動物のものまねでフジテレビの素人参加番組にテレビ出演。その時のADが後に笑っていいとも!のプロデューサーとなる横澤彪だった。早くから芸人を志し高校へ進学するつもりだったが、家庭の経済事情で授業料の安い公立高校しか行けないと言われた。中学3年生の時、成績が下から2、3番だったが、夏休みの1ヶ月間で小学校6年生の教科書からやり直し上位10番に入る。無事東京都立竹台高等学校に入学し演劇部に所属、3年次には部長を務めた。


《デビュー》
ゲスト出演した文化放送『くにまるワイド ごぜんさま〜』でのインタビューによると。高校卒業後、役者を目指し、清川虹子の自宅へ何のあてもないままいきなり訪問し、弟子入りを志願したが、清川の付き人から「男の付き人は採らないから」と断られ、弟子にしてもらう為にかなり粘ったが、最後には「警察を呼ぶ」と言われ断念。粘れば何とか弟子入りは許してもらえるだろうと思っていた目論見が崩れてしまう。その後、生活の為しばらく土木作業員等の仕事を経験した後、声帯模写の片岡鶴八に弟子入りする。声帯模写で東宝名人会や浅草松竹演芸場などの舞台に出演するようになる。

師匠である片岡鶴八は、「声帯は人によって違う。だから、君に僕の芸はそのまま教えられない。」と、芸を教えてもらえなかったという。しかし、そば屋に連れて行ってもらった際、そばの食べ方の手ほどきを受けたり、「芸人として売れるまで、そば屋ではもりそばしか食べてはいけない」と、芸人としての「粋」を教えてもらったという。その師匠は、もりそばを食べる鶴太郎の目の前で江戸前の天丼を食べていたが、これは「早く売れる芸人になれよ」という師匠なりの激励であった。鶴太郎は、師匠の懐の深さを知り、「いつかは師匠と天丼を食べたい。」と決意するが、不幸にも売れ出した頃に師匠は亡くなってしまう。

岡鶴太郎の芸名でトランポリンの地方興行を行う。しかし、このままで終わってしまうと脱退。地方の温泉旅館で司会やものまねの仕事につく。旅館の老人には小森のおばちゃまのものまねはウケなかったが、鶴太郎の才能を理解してくれた座長の娘さんと上京、結婚した。


《全国区の人気》
その後、漫才ブームの仕掛け人となった横澤と再会。片岡鶴太郎の芸名でテレビに進出する。お笑いタレントとして『オレたちひょうきん族』のコーナーで近藤真彦のものまねにより一躍脚光を浴び、その後も九官鳥の「キューちゃん」のマネや浦辺粂子のものまねもしていた。当時は贅肉が多い体型で、熱いおでんを無理矢理食べさせられて大げさなリアクションを繰り出す、被虐的なキャラクターだった。そのため、片岡鶴太郎がリアクション芸人の元祖だとの声もある。

また今でこそその芸風は払拭され全く見られないが、下ネタに関するトークなどをオールナイトフジでは多く露出し(おまるの中にかりんとうを入れて示すなど)、特に同番組内の”鶴太郎劇団”という寸劇を行うコーナーではよく女装をし(逆に共演の女子大生が男装)絡みのシーンを演じたり、はたまた劇の最後のオチでお決まりの全裸を女子大生に見せ付けるといった(井手らっきょもこの鶴太郎の芸風に影響を受け全裸ネタを用いたと後に説明)見るに耐えないキャラクターでもあった。「アブラギッシュな男No1」という不名誉な称号を得たのもこの頃である。

お茶の間に定着して以降、物まねではとりわけ老けキャラの開拓を得意とし、小森和子、浦辺粂子、坂上二郎など多数。後年にも、宮路社長や横山弁護士ら、話題の人物を好んで演じてみせた。持ち前の器用さから、バラエティ番組の司会やトークも数多くこなし、1986年には鶴太郎の造語「プッツン」が新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞に選ばれた。


《多方面での活動》
元々歌が上手く、歌唱力の高さを活かして1980年代半ば頃まではコンスタントにシングルを発売していた。「IEKI(胃液)吐くまで」など名曲が多いが、オレたちひょうきん族などで歌わせてもらうも何故かヒットしなかった。逆にお世辞にも上手とは言えない明石家さんまが「真赤なウソ」や『タケちゃんマン』の挿入歌「アミダばばあの唄」、CMで話題となった「幸せってなんだっけ」をヒットさせたことで、「何でさんまより歌の上手いオレの曲がヒットしないんだ…?」とぼやいていた(尚、鶴太郎は当時「ひょうきん族」の収録日である水曜日に生放送されていた「夜のヒットスタジオ」にも歌手として2度ほど出演実績を持っているが、さんまは飛び入りの応援ゲストとしての登場はあったが、歌手としての出演実績はない)。

1988年、プロボクサーテストを受験。ボクシングのプロテストは30歳までしか受験できないため、当時33歳だった鶴太郎には本来、受験資格がなかった。しかし、日本ボクシングコミッション(JBC)に懸命に頼み込んだところ、「合格しても試合には出場できない」という条件で、特別に受験させてもらうことができた。結果は"合格"。プロボクサーのライセンスを取得するも、JBCとの約束によりプロ選手としてリングに上がることはできなかった。即ち、彼にとってはプロテストでの実技試験(スパーリング)が最初で最後の"実戦"となった。プロボクサーを目指し、前年から減量を始め、これまでの"小太り"から急激にシャープな体型に変わった。プロテスト後は鬼塚勝也や畑山隆則のマネージャーとして、両氏の世界王座奪取に大きく貢献(タイトルマッチではセコンドを務める)。なお、ボクシングのプロテスト受験の理由は、「今までの自分が嫌になり、それを否定したかった。」という理由からである。

1988年公開の映画『異人たちとの夏』出演での数多くの受賞をきっかけとして、活動の軸足を俳優に移す。1991年のNHK大河ドラマ『太平記』の北条高時役は役者としての決定的評価を得ることになる。大河ドラマでは後年、『元禄繚乱』でも英一蝶役を怪演した。また家栽の人で、植物を愛し人間の本質を見抜く暖かみのある判事役を、『ララバイ刑事』ではどこか虚無的な雰囲気のある刑事を好演。

最近では2時間サスペンスドラマの主役として活躍する機会が多い。特に『終着駅シリーズ』での牛尾正直は当たり役の一つ。

また、1990年代には横溝正史原作一連の推理ドラマに、主人公の探偵・金田一耕助役で毎年出演(計9本)し、石坂浩二や古谷一行らと並んで金田一役の代表的俳優の一角を占めることになった。

飲み友達だった志村けんの著書によると、「自分は物まねも中途半端だし、お笑いでたけしさんやさんまさんには敵わない。コントだって志村さんがいる。だから、俳優に行くしかないんだ」と、飲んでいる際に語ったとされている。が、この俳優への転身が揺るぎない評価に繋がっている事は言うまでもない。

『八丁堀の七人』では久々に山田邦子と共演している。街中で二人が揉めるシーンはどこか『オレたちひょうきん族』のコントを髣髴とさせた。

『笑っていいとも!』に出演の際、タモリと「キューちゃん」のマネを必ず行う。ちなみにこれは『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』に出てきた九官鳥がモデルとなってる。

1980年代には某女性タレントとの浮気が報道され、ビートたけしが「鶴太郎の野郎、この前カミさんがマンションに来てしょーがないから義理でやってたら隣の住人に『うるさいなー!毎日毎日!』と言われちゃった」としゃべり、当時の鶴太郎の人気のほどが伺えた。


【芸術家としての片岡鶴太郎】
タモリに影響を受け、挿絵を描くことを始める。コメディアンとしての仕事から距離を置くにつれ、1989年にドラマ『志功の青春記 おらあゴッホだ』で若き頃の棟方志功を演じたことをきっかけに、水墨画を描くことや陶芸など美術方面へ傾倒していく。

群馬県吾妻郡草津町、福島県福島市に美術館、石川県加賀市、佐賀県伊万里市に工藝館がある。

右利きだが、絵は必ず左手で描いている。これはボクシングでの構えが左手が前(オーソドックス)だったためらしい。

青森大学で芸術論を担当。2003〜2004年にはNHK「趣味悠々」で講師をつとめた。

最近では、ドラマの収録の合間に近所の人に請われ口紅一本で絵を描くこともある。


【松村邦洋との出会い】
鶴太郎は、福岡にあるテレビ西日本(TNC)を訪れた際に、そこでアルバイトをしていた中太りの青年と出会い、「君、たけしさんのものまねをしているよね。いいよ〜、面白いよ〜」と声をかけた人物は大学生の松村邦洋であった。この出会いで、松村は大学を中退、上京することとなった。 現在は松村にこの出会いをものまねされている。


【ものまねレパートリー】
■井上陽水
■浦辺粂子
■金子信雄(仁義なき戦いの親分風)
■具志堅用高(「ちょっちゅね」ものまねの元祖)
■小林旭(「チェッ」ものまねの元祖)
■小森和子(彼女の生前に多用していた。没後、ものまねを封印すると宣言)
■近藤正臣(「コンドーですっ」ものまねの元祖)
■近藤真彦(「マッチでーす」ものまねの元祖)
■坂上二郎(「飛びます、飛びます」ものまねの元祖)
■千昌夫
■たこ八郎
■塩沢とき
■山本晋也
他多数

(出典:Wikipedia)

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村上ショージ

村上ショージ(むらかみショージ、本名村上昭二、1955年5月28日 - )は、日本のお笑い芸人。愛媛県今治市出身。吉本興業所属。我が国におけるすべり芸の第一人者である。


【人物】
瀬戸内海に浮かぶ愛媛県越智郡吉海町(現今治市)の伊予大島で村上家の三男として生まれる。「昭和の時代に生まれ、常に二番手を走れ、という意味で昭二と名付けられた。」と本人がたびたび話していたが、2007年3月3日放送の「MBSヤングタウン土曜日」で「本当は名前の由来は分からない。聞かれたときに何か答えなければならないと思い、上記のように答えていた」と話し、名前の由来すらもネタにしていたことが発覚した。よく「村上ジョージ」と間違われる。何故か全国的に知名度は高い。この辺りは異様に村上姓が多いが、いずれも村上水軍の末裔となる。幼少の頃に母親を亡くす。中学卒業後、親戚の伝で広島県因島市(現:尾道市)に移り、因島高校の定時制に通いながら日立造船因島工場で溶接工として働いた。この時何度か海に落ちた。1976年、造船所の溶接仕事の合間に見た「ヤングおー!おー!」(毎日放送制作・TBS系)の明石家さんまを見て、「この人になろう!」と決意する。この頃父親が病弱であったため、兄に「親父が生きているうちはやめてくれ」と吉本入りを反対される。しかし翌年1977年、無謀にも吉本入りを志願し大阪へ向かった。面接の時、 吉本の面接官から「何ができる?」と問われ「溶接です」と答えた。(このことから、初めて吉本から与えられた仕事が溶接の仕事だった。)

笑い方が汚らしい。

初の舞台でどじょうを一匹丸ごと飲み込んで、客が引いているときに笑っていたのが明石家さんまだったという。

当初、「楽そうだから」「優しそうだから」という単純な理由で吉本所属の漫談家だった故・滝あきらに弟子入り。その後、「ヤングおー!おー!」の『パッパラパーズ』のメンバーとなり、全国ネットのテレビ番組に出演。その後も「サタデーナイトショー」(テレビ東京)のゲスト出演等で東京進出を果たす。兄弟子に司会者の滝トール、タレントの九十九一らがいる。

1982年コンビNGIIとして今宮こどもえびす新人漫才コンクール奨励賞受賞。この時に大賞を獲ったのは結成まもないダウンタウンであった。

1980年代後半、人気バラエティ番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)に、お笑いトリオの「何人トリオ」(旧・「難民トリオ」)の一員としてレギュラー出演。ギャグだけを売りにする“ギャグ芸人”の代表格で、「ドゥーン」「なにをゆう 早見優」などのダジャレ交じりのギャグで有名になる(ある日の「オレたちひょうきん族」では、いつものように村上が「なにをゆう」のギャグを言った後、突然早見優自身が実際に登場して「はやみゆう!」と叫んだ事が有り、その後失笑し続ける早見に対して、村上やさんま達が唖然とした表情で彼女を見つめるシーンが有った)。

近年はもっぱら「明石家さんまの相方」のような存在。出会った当初からさんまに惚れ込んでいたようである。時折、他の誰もがためらう様な「厳しいツッコミ」を、さんまに放つこともある。

年齢は同じだが、芸能界デビューが若干遅いため芸能界のしきたりで普段は「さんま兄さん」と呼んでいる。たまに、さんまの事を「お前」などとも呼ぶ事もあるが、さんまは別に怒らない。

「明石家マンション物語」の「ダメダメボーイズ」(フジテレビ系、1999年10月13日〜2001年9月26日)というコーナーでは、「ダメダメボーイNo.7」として出演し、スケッチブックを使って自分で描いた絵を披露。

芸能界では希に見るほどの不思議なキャラクターからか、同業者(=お笑い芸人)には絶大な人気がある。

「めちゃ²イケてるッ!」(フジテレビ系)など、様々な番組で「一般人」の扱いを受けているが、そもそも「芸がない」「ギャグがすべる」「一般人扱い」は全てショージの持ちネタの一つであり、誰でも突っ込めるようなベタなネタを平然と行うのが強みである。ギャグで笑わせるのではなく、ギャグがスベった後の妙な雰囲気とおかしさが観客の笑いを誘う、いわゆる「スベリ芸」を世間一般に広めた代表格の一人と言える。

そのボケっぱなしで、受けようが、スベろうが関係ない自由な芸風はなんだかんだと言われながらも、雨上がり決死隊の蛍原徹や、中川家の剛(兄)等に影響を及ぼしている。

小道具を用いた一発芸には定評があり、バトルオワライヤルIIや笑いの金メダルでその才能が如何なく発揮された。

数年ごとに東京の全国ネット番組でレギュラーになり(大体はさんま絡み)、「今回こそ全国的に大ブレイクか」と思わせるが、毎度毎度何も無かったように引いていく。そして、東京では年末の「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」ぐらいでしか顔を見ることもなくなり、さんまのトークの中に現れるぐらいになる。

若手時代、1,000人くらいの規模の会場で客6人相手にネタをやったことがあり、ショージにとっては最も苦い思い出になっている。

さんまがメインパーソナリティーを務めるラジオ番組「MBSヤングタウン土曜日」(毎日放送)では、村上が呟いた一言に明石家さんまや玉井健二だけが大笑いして他の出演者やリスナーがキョトンとする時がある。さんま曰く、「お前は俺だけに面白い」。

1989年にモデルと結婚(仲人は明石家さんま・大竹しのぶ)。長女も誕生するなど円満な家庭を築いているかに見えたが、その後離婚。なお、離婚直前に出演した「はなまるマーケット」(TBS)で、離婚をほのめかすような発言をしていた。

総合格闘技イベント「PRIDE」ではリングアナウンサーの一員を務める。紋付袴姿で登場して扇子を見ながら選手名を叫ぶのが基本スタイルで一切ギャグはない。他のリングアナが代替わりして、2000年からの参加なのに対して、1997年の第1回大会からリングアナを継続している村上は最古参のメンバー。最初は違和感を感じられて、一説には「第1回大会に村上和成選手と小路晃選手が出場して、「村上」と「小路」で主催者がギャグで起用した」と囁かれたりもした。回数を重ねるうちにいつの間にか「いるのが当たり前」となり、今ではアナウンスの前に観客から「ショージ!」と声援を受けるまでになった。大阪大会では一際人気が高い。

2005年にドラえもんの新声優オーディションを受けた。「ぼくドラえもんでっせ」という斬新な「関西弁のドラえもん」で関係者を爆笑させたが惜しくも落選。ちなみに、テレビアニメに出演したこともある。(こちら葛飾区亀有公園前派出所、「両さん、選挙に立つ」に特別ゲストとして出演。)

同年夏時点で全国巡業中の間寛平一座の大喜利コーナーでは、一切の持ちネタを封印し、ボケまくる回答者たちをハリセンを使いつつ仕切る進行役に徹した。

また、さんまだけでなく島田紳助とも親交があり、紳助司会のオールスター感謝祭(TBS系)の初回、「オールスター感謝祭'91秋 超豪華!クイズ決定版 この秋お待たせ特大号!」にも出演。紳助の食事代を払ったり紳助の実家にケーキを持っていったりするらしい。紳助はその行動を「仕事入れてくれ」と言うサインと受け止めているようで、実際「クイズ!ヘキサゴンII」に解答者としてゲスト出演させているが、「食べ物みたい」などの言い訳を言いまくる。しかし文系などの問題の解答率も高かったため、司会の紳助をはじめとする出演者を驚かすなどの一面もあった。

三代目松鶴家千とせから、自身の没後に四代目を襲名してもかまわない、との許可を貰っている。

木田優夫は師匠と慕っている。ちなみに明石家さんまは大師匠とのこと。

「痛快!明石家電視台」の特別企画で1時間ネタを披露し続けたこともある。なお、ルミネtheよしもとでは、中川家、ダイノジなどのお笑いコンビと組むことが多い。

2006年から2007年のデビュー30周年に向けて、関係者の間にてイベントを計画していたと言う。実際2007年6月10日と17日に単独ライブを開催。

TBSテレビ系で2006年9月24日に放送されたゲームアトラクションバラエティー番組「DOORS 2006」では予想外の健闘を見せ、数多い若手芸人に勝る意外(?)な運動神経を見せた。富士急ハイランドのジェットコースター「ええじゃないか」に乗りながらのクイズには唯一の全問正解を成し遂げ、マウンテンバイクで湖の上の浮き橋を疾走するゲームでは最高ポイントを獲得する。決勝戦では惜しくも品川祐(品川庄治)に敗れるが、番組中に獲得したポイント(125P)は、全参加者の中で最多であった。他の参加者が「テレビ受け」を意識したボケ行動をとる中、終始、真摯にゲームに参加した姿は、村上本人が普段から見せる「すべり芸」とは全く異なるものであった。


【明石家電視台のクイズコーナー】
同番組内の最終問題、ポーカーチャンスやアタック7を解答者に当てさせるコーナーがあるが、決まってショージは常識外の解答を繰り返す。(一部の個人ファンサイトや2ちゃんねるなどではポーカーチャンスについては、ファイブカードストッパーとも揶揄されている)半ば素人出演者に賞金を与えないようにとも捉えられる。毎回にわたる不誠実、常識外の回答が繰り返されるのに対し、同番組のファンの京唄子からゲスト出演にもかかわらずその後クイズコーナーに乱入し酷く注意された。一時は落ち着いたものの、暫くするとまた同じ様に素人出演者には迷惑な回答が繰り返されている。度々、客席からブーイングを浴びている。


【ギャグ】
■「ドゥーン!」(鼻柱をつまんで手を素早く前に動かしながら)
(さんま)「山寺の」(ショージ)「ドゥンドゥンドゥン」というパターンも存在する
痛快!明石家電視台では「Yes,I ドゥーン!」で大爆笑を誘った。
ルミネtheよしもとでは、3日に1回以上とかなり高い頻度でこのギャグが見られ、それだけに意外に有名なギャグらしい。笑っていいとも!で「外国人に教えたいギャグは?」というアンケートがあったが、何と100人中2人が「ドゥーン!」を挙げていた。ちなみに痛快!明石家電視台で共演している間寛平は、「かいーの」で1票獲得、一方でレイザーラモンHGの「フォー!」は0票に終わっている。
元ネタは、ショージの父親が、よく手鼻をかんでいたのを真似したものであると本人が語っている。

■「ボンジュ〜ル、マドモアゼ〜ル、かき混ぜ〜る」
アサヒビール「カクテルパートナー」のCMで、太田光がこのギャグを使っている。(ただし、“ボンジュ〜ル”は付かない)

■「さみち〜の」ペペロンチーノと絡ませての三段ギャク

■「何を言う〜!早見優〜!」
オレたちひょうきん族でこのギャグを連発したところ、一度ひょうきん族収録中に本物の早見優が飛び入り参加、ショージの目の前で「早見優〜!」と言ってのけた。
志村けんはこのギャグに「北天佑〜!醤油!ラー油!アイラブユ〜!」と付け加えている。

■「ウェルカム、腕噛む、どこ噛むねん!」

■「長州、チャーシュー、皆の衆!」

■「ティモン、肛門、見えたもん!」

■「なんやそれそれ、腋も剃れー!アソコ剃れ剃れ、どんとそーれー」

■「軍隊、変態、そうですたい!」

■「おいどん、牛丼、西郷どん!」

■「牛タン、塩タン、何言ーたん!」

■「I want you(アイウォンチュー)、ホッペにチュー、僕3ちゅう!」

■「変態(ヘンターイ)、止まれ!お父ちゃんやめてあげて!」

■「イヤーン、バカンス娘たち、やめて!」

■(主にさんまが北海道の事を口にすると)「でっかいどう!」

■「そんな○○な訳ないやん…ホンマや!」

■痛快!明石家電視台のクイズコーナーで
(さんま)「あーこれ、もう絶対(答えが)わかるわ」
(ショージ)「わかるわけないですやん」
(さんま)「絶対わかるって!」
(ショージ)「わからへんって!」
(さんま)「わからへんか?」
…このやりとりが何度か続く
(ショージ)「えっ、何でわかるの?」
(さんま)「だって俺、答え知ってるもん」
(ショージ)「え゛ぇぇぇぇぇっ!!」

■「痛いの痛いの、屯田兵!!」

■「オレはアレか!」「どれや!」

ほか多数


【何人トリオとひょうきん族】
■「ラブユー貧乏」のコーナーでの貧乏話は、何人トリオの貧相な魅力の真骨頂を発揮した(ロス・プリモスの代表曲「ラブユー東京」の歌詞を貧乏ヴァージョンに歌い替えた曲「ラブユー貧乏」をバックで歌っていた)。以下主な貧乏話。
「皆さん、『若いうちは買ってでも苦労しろ』って言いますよね…。売ったるから買って!!」
「皆さん、親の形見を質屋に入れたことありますか?僕何回かあります…。入れるの簡単やけど出すの結構難しいね、アレ!」
「金持ちで病弱なのも嫌やけど…、貧乏で健康なのも結構つらいのよ!」

■「何人トリオ」は本来は「難民トリオ」であるが、諸般の事情で「何人トリオ」となった。

■「ラブユー貧乏」はシングルも発売。「何人トリオ」のセリフ編とロス・プリモスの歌唱編からなる。

■「かまへんライダー」のコーナーではイエロー役(レッドはさんま、ブルーはラサール石井、グリーンは前田政二、ピンクはMr.オクレ)。

(出典:Wikipedia)

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ゴルゴ松本(TIM)

ゴルゴ 松本(ゴルゴ まつもと、本名:松本 政彦(まつもと まさひこ)、1967年4月17日 - )は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビ「TIM」のメンバーで、ボケを担当する。ワタナベエンターテインメント所属。血液型はA型、身長167cm。


【来歴】
■埼玉県大里郡花園町(現、深谷市)出身。埼玉県立熊谷商業高等学校卒業。

■高校時代は野球部に所属し甲子園出場経験(1985年春の大会)を持つ。本大会ではレギュラーメンバーではなかったものの、主に三塁ベースコーチを務めた。同級生でエースピッチャーの原口哲也は後に西武ライオンズに入団した。

■1990年、アパートの隣の部屋に引っ越してきた吉田永憲(のちのレッド吉田)と出会い、1994年に吉田と「TIM」を結成。

■なお「ゴルゴ松本」という芸名は、新人時代にマンガ「ゴルゴ13」をモチーフにしたネタをやっていたことに由来する。

■老若男女問わず笑せることができる一発ギャグ、「命」「炎」などの「人文字ギャグ」で人気を博す。最近はチョビヒゲを生やした顔を活かした「顔芸」も得意としている。その顔つきから、さまぁ〜ず三村に「ひげキューピー?お前ひげキューピー?」と訊かれたことがある。その後、映画「ピーナッツ」出演に際してチョビヒゲは剃ってしまった。

■2005年7月に高校時代の同級生だった女性と結婚。

■テレビ番組では同じ事務所のふかわりょうに対して厳しく接しているために、ゴルゴはふかわの先輩だと思っている人が非常に多いが、実はふかわの方がゴルゴよりも数ヶ月早くワタナベエンターテイメントに所属しているため、正確にはふかわの「後輩」である。(因みに、デビューしたのは共に1994年。)年齢はふかわより7才年上なので、芸歴の年数でなければ先輩である。


【主なギャグ】
■命
■炎
■す
■いのしし
■シャネル
■へん〜さち7
■イテテテテ4
■ニャ〜(ネコのまね)
■ワロタ〜〜(歯を出した顔)
■邪馬台国
■チンパンジーの腹筋(イロモネアで誕生)
など


【人物】
■豪快で男性的な芸風や見かけに似合わず、非常に神経質な性格。「内村プロデュース」(テレビ朝日系)で突然訪問した結婚前の自宅も、非常に綺麗で掃除がいき届いており、洗濯物もきちんとたたまれていた。またケーキを始めとした茶菓子まで常備されており、内村以下メンバーもびっくりしていた。三村マサカズが悪戯で醤油をこぼした時には悲鳴をあげて必死に拭き取っていた。

■テレビ出演時はよく葉巻を咥えているが、実はタバコ嫌い。ヘビースモーカーの多いお笑い芸人仲間に対してタバコの吸い過ぎを咎めたりする程の嫌煙家である。

■根っからの「体育会系」で、上下関係に非常に厳しい。同じ所属事務所の後輩芸人たちに対しては、挨拶から女性の口説き方まで厳しい教育指導を行っている。

■趣味・特技はゴルフで、セミプロ級の腕前。

■愛車は黒のクライスラー・300。「志村&所の戦うお正月」(テレビ朝日系)の中で、ふかわりょうがうつみ宮土理に貸したが、彼女が乗った際電柱にぶつけられてしまった。これに懲りたのか、ゴルゴはその後「内村プロジェクト」において、同車をふかわが運転した際に助手席に座り「鬼教官」として事細かに指示を出していた。

■若手のときに天才・たけしの元気が出るテレビ!!に出演し、他の若手芸人が尻込みするなかで東尋坊からのダイブを成し遂げた。

(出典:Wikipedia)

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ついに復活!【川村ゆきえ】、豊乳と究極のクビレ【佐藤寛子】、エロかしこく挑発的【優木まおみ】、バスタブに揺れるIカップ【佐藤和沙】、濃密フェロモンの癒し系【山口敦子】、深夜バラエティで人気【向坂美々】

レッド吉田(TIM)

レッド 吉田(れっど よしだ、本名:吉田 永憲;よしだ ながのり、1965年10月30日 - )は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビ「TIM」のメンバーで、ツッコミを担当、相方はゴルゴ松本である。通称「レッド」。ワタナベエンターテインメント所属。血液型はO型、身長180cm、握力80kg。


【来歴】
京都府出身。私立東山高等学校を経て佛教大学卒業。高校時代は野球部に所属し、甲子園にリリーフピッチャーとして出場した経験を持つ。

大学卒業後は一時サラリーマンとして働いていたが、役者を志して1990年に上京。最初に住んだアパートで隣の部屋の住人だった松本政彦(のちのゴルゴ松本)と出会う。1994年に松本とコンビ「TIM」を結成。「レッド吉田」という芸名は、吉田本人が極度の「赤面症」であることに由来する。TIMではツッコミ担当だが、コンビネタ以外の場では言葉を独特のイントネーションで言い放つ「レッド語」を得意ネタとする。これは準レギュラーとして出演した『内村プロデュース』(テレビ朝日系)でフィーチャーされ、才能が開花(?)し生まれたものである(後述)。尚、レッド吉田が内Pなどの番組でレッド語を発すると「レッドゾーン(レッドワールドとも)」が生まれ、周囲の芸人も釣られて文字ネタに走ることがある。

また、『内村プロデュース内』での「楽屋ではべらべら喋るがカメラが回っている時は黙り込んでしまう」という性格から「楽屋王」の称号を授けられている。『内村プロデュース』で共演したさまぁ〜ずの2人はレッドより2歳年下だが、さまぁ〜ずの方が芸歴が長い(1989年デビュー)ため敬語で接している。若手時代に一般の女性と結婚し、現在4児の父(2007年6月に第4子が誕生)。日々の子供たちの成長ぶりに感激して涙するなど、非常に子煩悩である。

2006年に映画『ピーナッツ』に出演して以降、テレビドラマ・映画に俳優として出演する機会が増えており、その活動の幅を広げつつある。


【レッド語(5文字ネタ)】
意味があるなしに関わらず、短い単語を独特の抑揚(後述の5文字ネタでは「ロドリゲス」という風に真ん中に強勢を置いて発音することが特に多い)とテンポで一気に押し通すレッド吉田独特のギャグである。「ロドリゲス!」等、だいたい5文字の言葉が多いため「5文字ネタ」とも呼ぶ。TIMが人文字で脚光を浴び始めた頃は、積極的に動くゴルゴのみに注目が集まっていたが、このレッド語の確立によりひいてはレッド個人の知名度を押し上げるきっかけにもなった。

そのはじまりは前述の通り、『内村プロデュース』(以下『内P』)の中でレッドが何ら脈絡もない不可思議な単語を叫ぶネタを繰り返していたことによる。当時「ひとりで爆笑を取りたい」と悩んでいたレッドに日の目を見させてあげようと、番組MCの内村光良が同番組のエンディングコーナーとして「今日のレッド」というコーナーを立ち上げた。これは、内村の合図とともに毎週3本(不甲斐ない場合は「おまけ」がつく)新作のレッド語を披露するというもので、ネタ発表前に焦りながらネタ帳を取り出し確認するレッドの様子も含めて人気コーナーとなった。

これにより脚光を浴びたレッドのギャグは徐々に他の出演者たちにも浸透。大喜利の際に周りの出演者全てがレッド語風に抑揚をつけて回答し出す通称「レッドゾーン」を展開するようにまでなった。現在では『内P』以外の番組にもその芸風が浸透し、「今日のレッド、まずひとーつ!」と振られてしまうことがある。

また、本人の所属する歌手グループ・NO PLANのアルバム『NO PLAN』には、5文字ネタを集めリミックスしたふかわりょうプロデュースの『内P“COCO JAPAN” Remix』という楽曲が収められている。


《主なレッド語》
ウェスポン
チェベックス
ワセラライ
Come on Let's Go!!
父ちゃん、母ちゃん、ロドリゲス!!
もしくは、ロドリゲス!!
モザイクだらけのセプテンバー!
ありがトントンワシントン
ナポリタン
お化け屋敷
パンパンここジャパン
オー、ファイティングマネー
ワオ、レインボーブリッジ!
位置についてよーいドミニカ
ジーンズ&ジーンズでダブルジーンズ
これ何?エタニティ、エタニティ?NO NOマタニティ
バッグ、バッグ、バッグ!!
オー、ミクロネシア
カンカンアメリカン
ブタペスト
ポーランド
ドミニカ べリー ドミニカ
ゴリライモ
生稲晃子、生稲晃子、生稲晃子
サナダムシ〜!
興奮気味にランニング
ブサイクからロマンティック!
おーん!安田大サーカスand小サーカス!!
今何時だっけ?肘!!!
右手はチョキで左手もチョキで足したらM!!!
寝コロンビア
リラクゼイション!
オー、シャット
ファイナルジャケット
寝てないから〜
ストロベリーをカット!
両国〜両国〜両国国技か〜ん
パパとラクロス
あ〜いち(愛知)
力の限りカナディアン
ワオ、ダイナミック!!
タンクトップ殺人事件
天ぷら天ぷら、中野サンプラザ
箱根ターンパイク
乾杯もしくは乾杯
ザ・大爆笑
ザ・外野
漁師生活30年最近気がついた オレ船弱いかも〜
ル〜レット、カモン
ちょうだいちょうだい 魂ちょうだい
出てきた言葉が一言「ファイト!」
HIP HOP で GO!!
あっちむいてBOY
回り道回り道回り蹴り
トマホーク
高い高〜い、マウント富士(映画より)
オー、デリシャス(ドラマより)
チェスト
ここから飲んだら間接キッス!
午前12時青山あたりでヘイ!タクシー
ぞうさん♪、ぞうさん♪、お鼻が長すぎます・・・
君の分までハイタッチ!
裏ですか?表ですか?どちらでもパプアニューギニア
心の中はハプニング
セックスメーン
部屋とYシャツとロドリゲス
父ちゃん母ちゃんろくでなし
バナナをバナナをバナナをイン
プライベートはOFF
プライベートはmy way!!
Ohプライベート!
ホップ!ステップ!ジャンジャンジャン!!
歯~ゴシゴシ
ドメスティック!
ひょうたんから駒次郎
オオサキのカットメン
レッスンリッスン
脇汗パラダイス
ウェルパス
赤パジャマ青パジャマ着ちゃった
黄色のワーゲン縁起がいいかもッ!
10時10分4時40分
お〜もたいねぇぃ(重たいねぇ)
チョコレートマニア
サクセス通りをイーン!そしてアーウト!
カモン、ラストサムライ
いまの気持ちはモスコミュール
ピラミッドでロデオ
海の中が好きで〜す特にわかめが
肉まん、アンマン、ポール・ニューマン!(または、ニコール・キッドマン)
今日のテーマはパニックパーティー!
うなぎでもあなごでもヌルヌルフィーリング!
骨がぱきぱきぱきぱきパキスタン!
1足、2足、3ソックス
カモン、セプテンバー
ザ、無理です
三日月にハイタッチ
ゴスペラ(ゴスペルなのかゴスペラーズなのかはっきりしろと突っ込まれる)
鼻血じゃないよデルモンテ
耳の中まで問診中!
それなりにパラダイス!

妙に国名・地名が多いのは、ネタを考える時に自宅のトイレのドアに貼ってある世界地図を見ているため(本人談)。


《レッドゾーンの一例》
■問題「NO PLANの過去の反省点は?」
・レッド吉田「嬉しいときにジャンプ!」
・三村マサカズ「悲しいときにローテンション!」
・大竹一樹「ノートとペンのワンセット!」
・ゴルゴ松本「ドアを開けたらジャムおじさん!」
・レッド「心の中にナンペイ・ジャクソン!」
(次のコーナーに進むところで)
・内村「本格的なディスカッション!」

■問題「秋の悲しい俳句大会」
・レッド「この間 検便とったら サナダムシ!」
・大竹「満足だ 僕の主食は サナダムシ!」
・ゴルゴ「栗拾い そこにはあの人 さだまさし!」
・三村「宝くじ 買いたいでもこれ さかなくじ!」

■問題「安田美沙子ちゃんの部屋に対するこだわりとは?」
・レッド「アメリカン!」
・三村「部屋の角々ごとにイタリアン!」
・大竹「トイレを開けるとアフリカン!」
・ゴルゴ「出窓に元気なメキシカン!」

■問題「ゴルゴにぴったりな本」
・レッド吉田「スカイキャプテン!」
・大竹一樹「アウトドアクッキング!」
・三村マサカズ「マーマリングトーン!」
・次長課長河本「キネシオテーピング!」
・(一歩遅れて)井上「潮!」

(大竹発で)
■問題「スポーツショップ内で行われていることとは?」
・大竹一樹「パニック!」
・レッド吉田「ディスカッション!」
・大竹一樹「サディスファクション!」

(出典:Wikipedia)

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TIM

TIM(ティーアイエム)は、レッド吉田とゴルゴ松本からなる日本のお笑いコンビ。ワタナベエンターテインメント所属。


【メンバー】
■レッド吉田(レッド よしだ、本名:吉田 永憲(よしだ ながのり)、1965年10月30日- )京都府出身。東山高等学校、佛教大学文学部卒。既婚で子供もいる。
・主にツッコミ。照れ屋で赤面症だったことに由来する芸名通り当初は目立たないキャラだったが、『内村プロデュース』で、五文字の言葉やニセ英語を擁する「レッド語」を駆使した“レッドワールド”を確立。勢いに乗ると湯水の如くアドリブ芸が繰り出されるサマは見もの。
・主なレッド語:「ありがトントン・ワシントン」「ウェスポン」「チェベックス」「パンパン、ココJAPAN」「父ちゃん、母ちゃん、ロドリゲス!!」「サナダムシ」「ファーイナルジャケッツ!」「オオサキのカットメン!」「このあたりがロッカッケー!!」など。

■ゴルゴ松本(ゴルゴ まつもと、本名:松本 政彦(まつもと まさひこ)、1967年4月17日- )埼玉県出身。埼玉県立熊谷商業高等学校卒。既婚。
・主にボケ。ブレイク当時の人文字芸(後述)に加え、猫の物真似「にゃぁ〜!!」、ヒーローものの変身のポーズから変形する「へん〜差値7!!」「へん〜桃腺腫れちゃった!!」など、一発芸に長ける。
・以前は葉巻がトレードマークだったが、実は煙草が大の苦手。飲み会等ではヘビースモーカーに「吸い過ぎはよくないよ!!」と説教する程だという。几帳面で、自宅は独身時代は一人暮らしながら整理整頓が行き届いていた。最近は“(親戚の)おじさん”キャラに染まりつつある。
・最近はチョビヒゲをトレードマークの一つにもしており、人によっては似合う似合わないという賛否両論もある。


【略歴】
レッドは3年夏の全国高等学校野球選手権大会、ゴルゴは3年春の選抜高等学校野球大会にてベンチ入りした経験を持つ。それぞれ役者を目指して上京後、たまたまアパートで隣同士になったのをきっかけに意気投合し、1994年コンビ結成。TIMは「Time Is Money(時は金なり)」を略して名付けた。芸人としてのデビューは遅いため、「時間を大切にしたい」という思いが込められているらしい。ちなみに当初のコンビ名の表記は「T・I・M」だったが後に現在の表記になる。自己紹介の「俺たちTIM!!」を始め、「命」「火(メラメラ…)→炎」「ネ(しめすへん)+兄 → 祝」「シャネル」等、人文字ネタでブレイク。以後、コンスタントに活動している。 おそろいのカバンを使うほど仲が良く、さまぁ〜ずの三村に「TIMは本当に仲いいからね」と言われた際、同時に「仲いいですね」「はい」と即答するほどである。また、同じアパートに住んでいた当時はおそろいのベッドを使っていた。 非常にファン層が広く、トークライブ等、TIM関連のイベントには子供から年配まで参加している。

(出典:Wikipedia)

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原西孝幸(FUJIWARA)

原西 孝幸(はらにし たかゆき、1971年3月5日 - )は大阪府寝屋川市出身のお笑い芸人。身長174cm、血液型A型。大阪府立東寝屋川高等学校卒業、奈良大学文学部地理学科中退。NSC8期生。FUJIWARAのボケ担当、相方は藤本敏史。愛称は「ラリーゴ」「はらにっちゃん」。


【概要】
■クイズプレゼンバラエティー Qさま!!の「10m高飛び込み」では相方・藤本のあまりの不甲斐なさに「自分ならすぐに飛べる」と急遽参戦、言葉通り1位の柴田英嗣を凌ぐ0.96秒で飛んだ(しかし、これは公式記録扱いにされていない)。

■なかやまきんに君の名付け親である。

■母・尚子(なおこ)はその強烈且つ陽気なキャラクターで「吉本超合金」など数々のバラエティ番組に出演。2006年、「ロンドンハーツ」で全国デビューを果たした。リンカーンに出演した際にはさまぁ〜ず・大竹一樹とデートしたり、水着姿やブルマ姿を披露し水中で49秒間息を止めたりした。リアクションやカメラ割りを意識したりと若手芸人を凌駕するプロ根性の持ち主。ダウンタウン松本は原西の母のことを「プロ(の芸人)」と呼んでいる。相方の藤本曰く、本気で売れたいと思っているらしい。

■最近頭髪が薄くなりかけており、「ハゲてる」といわれても、「ハゲかけているのであって、断じてハゲではない」と主張している。そして、「ハゲカケタール・オブ・ザ・イヤー」を受賞した(もちろん、そんな賞はない)、「ハゲカケタール配合や」、「ハゲカケタール・5ヘクタール」、「ハゲカケタール・ドット・コムを参照せい」、「ハゲタールは完了形で、ハゲカケタールは進行形や」などと語っている。
ちなみに母・尚子もハゲかけており、相方の藤本からよく「お前ハゲとるやないかい!」とのセリフを食らっている。

■既婚者である。仕事では明るく振舞っているが、普段は家が好きで遊び歩いたりせず、無口で暗いらしい。猫好きで2匹の猫を飼っている。

■しかし、プライベートでも全力でギャグをする(しかも男だけのときでも)といった他の芸人とは違った一面もある。

■結婚前は女性と接するのが極度に苦手だったため、芸人仲間からは「チェリーボーイ」と呼ばれていた。このことがネタになり吉本超合金では全裸の女性をモデルに絵画をするという男なら誰もが喜びそうな企画が行われるも終始困惑した表情で挙動不審な様子だった。

■短気なところがあり、仕事が終わるとさっさと帰宅してしまうので、宮迫博之などにネタにされている。

■「ギャグを1兆個持っている」と豪語したことで知られる。

■とんねるずのみなさんのおかげでしたでは石橋貴明からめちゃイケと同じように「ハラニシさん!」と呼ばれた時に間違えて「オカム」と一瞬言いかけたが、すぐに「イシバシさん!」と返している。

■大の金八ファン。出歩く際にドラマの音声のみをiPodに入れて聴いているほど。

■おぎやはぎの小木博明と一緒にゴルフに行くことがあるらしいが、プレイ中は一切会話をしないらしい。ちなみに現地集合・現地解散である。

■相方曰く、「根が真面目」。

■桂きん枝の顔や髪をニセ番組の企画でいじり、それを中田ボタンにこっ酷く怒られると言うドッキリをかけられたことがある。ボタンに対し土下座をして、ピンマイクやカメラを見せて「番組です」というが中々理解してもらえず、最後にドッキリだと分かった瞬間涙目になった。

■「ガキの使い」の「七変化」で相方の藤本同様、実母を使ったりした(3回も)。また、一休さんに扮したときに途中で噛んでしまい、ミスで爆笑を誘った部分もあった。その他得意の一発ギャグなどをし、結果は45000円と好成績を出した(現在3位)。


【主なギャグ】
■最初はグー!(ギー)

■よっとあらよっとよっとあらよっとハッピーかい!?

■ポクチン(一休さんのように「ポクポクポク、チ〜ン!」を段々早口にしながら繰り返し、最終的に「チンポチンポチンポチンポチン〜!」「ポクチン〜!ポクチン〜!ポクチンポクチンポクチン〜!」とリズミカルに歌いながら踊る。芸人が一緒に出演すると伝染するギャグである)

■○○祭りでワッショイワッショイ(祭りじゃダンス)
めちゃ²イケてるッ!のシンクロナイズドテイスティングにて岡村隆史とのコンビで目を瞑ったままキレのある動きを披露。コーナーの目玉となっており、FUJIWARAのライブでも一番の盛り上がりを見せる。

■俺はとてもおもろい〜とてもとてもおもろい

■ちゃんがちゃんが♪ちゃんがちゃんが♪ちゃんがちゃんが♪ちゃんがちゃんが♪ちゃんがちゃんが♪ちゃんがちゃんが♪ちっくび〜の席替え〜♪

■なるほどな、なるほどなるほどなるほどな!

■ハト胸ネコ背は〜…、ハト胸の勝ち! ※100%でハト胸が勝つが、本人曰く5分5分らしい

■まいど、押切もえです!

■ホンマにホンマにすんませ〜ん

■体の背骨を引っこ抜いたら立ってられへん

■みんな俺やで!

■ウンコとチ○コ、1文字違い〜、お尻とメガネ〜は…3文字違い
ヘンデルの「見よ、勇者は帰る」のメロディーに乗せて歌われる。また、「鼻毛と輪投げは1文字違い」など別バージョンの歌詞もある。

■(織田信長ギャグ)こんなぁなるんやったら、本能寺行かんかったら良かった

■東・西・南・僕!原西です。

■ライライラライライライラライライライライラライライライラライライ(足を屈めて、手を交差しながら)

■鳥だ!飛行機だ!スーパーマンだ! いや…鳥だ

■手手手手。手手手。テーテー!(サスペンス番組のメロディー風に)

■笑ってるけど出て行け〜♪笑ってるけど出て行け〜♪(ややウケややすべりの芸人に対して)

■1、2・・・ぜんた〜い、なまれ!イツ、ヌィ

■頭隠して尻確実に見て!!!

■(相方:藤本に「死ね!」と言われ)生きる!

■テヘッ!テヘラン!

■上半身下半身。下半身上半身。繋がってるんだね♪

■私の〜♪おしりの前で、お米炊かないでください〜♪(「千の風になって」の替え歌)

■ななな〜なな〜なな♪ななな〜なな。なに?(封印したギャグ)

■雨が降ったら!ワイがパーしてワイパー〜♪

■プレゼント フォー 肩幅

■ウィ〜ンじゃんけん

など(相方・藤本曰く原西のギャグは、1億個あるという)

(出典:Wikipedia)

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藤本敏史(FUJIWARA)

藤本 敏史(ふじもと としふみ、1970年12月18日 - )は、大阪府寝屋川市出身のお笑い芸人。血液型はAB型。NSC8期生。お笑いコンビ・FUJIWARAのツッコミ担当で、相方は高校時代の同級生の原西孝幸。愛称はフジモン。大阪府立東寝屋川高等学校卒業。


【来歴・人物】
■高校の同級生である原西孝幸とともにNSCに入るが、当時は原西とコンビを組むつもりは無く、ビジュアルの良い相方を探していたらしい。お笑いの賞レースの本番前日にネタ合わせをしようと原西に電話したところ、原西がやる気のない態度をとったためショックを受け号泣したこともある。

■高校時代のあだ名はおとち。吉本超合金やフジワラリゾートでもたびたび使われた。

■吉本印天然素材時代、メンバー内で人気のあった宮迫博之・宮川大輔にくっついて一緒にファンの声援を浴びていた。そういう態度を矢部浩之にたしなめられたり、また藤本は普段から騒がしいため、「お前うるさいねん」とキレられたりして泣いたことがある。また当時、ナインティナインにボケのつもりで暴言を吐き、岡村隆史が藤本を相当嫌っていた時期がある。現在は「めちゃイケ」に度々ゲスト出演するなど関係も修復され、岡村の方から買い物に誘うなどプライベートでの仲も良いようである。

■大阪ローカルの看板番組(吉本超合金・大阪フジワラリゾートなど)では、本来ボケ担当の原西を凌駕するほどキレ味の良いボケ発言をし、おいしい所を残らず持っていくほどのパワーを有している。しかし、東京の番組ではなぜか本来の力量を発揮できておらず、共演者からは「寒い」「スベる」キャラ扱いされている。これについては本来の彼の力量を知るファンもやるせない気持ちでいっぱいである。

■「離れツッコミ」というツッコミ方がある。原西がボケる時に離れながらツッこむ。漫才やコントで多用されており、定番となっている。

■母・勝子(かつこ)はリンカーンに出演した際、感想文を書くつもりが、あらすじを書いていた。

■根は裏表がなく“気のいい兄さん”で、後輩からも慕われている。

■キングコングの梶原雄太が休業した際、何度も梶原の携帯に電話し、家に呼び寄せた。「誰もいませんか?」と念を押す梶原を、「大丈夫やから」となだめ、泣き出した彼の悩みを聞いてやった。この当時のことは、キングコングが復活した際の「ナンバ壱番館」で藤本自身も話している。

■ディズニーが大好き。東京ディズニーランドへ数え切れないほど行き、グッズも山ほど所有している。(レアグッズもあり)

■プチ整形(鼻横の黒子を除去や眉毛部分に墨を入れる等、最近は鼻筋を通らせるために鼻にヒアルロン酸を注入している)を繰り返す程、美に対する執着心が人一倍強い。時に自分の顔を岩に例え「こんな岩みたいな顔して〜…って誰が岩だか言ってみなさいよ!」と一人ボケツッコミをすることもある。

■ちなみにこのプチ整形には60万円以上費やしているらしい(本人談)。

■KABA.ちゃんに本気で告白されたことがある。関西系テレビ番組の中でKABA.ちゃん自らが告白している。

■携帯電話はブルーのSH700iSを所持している(リンカーンで発覚)。

■爆笑問題の検索ちゃんで「検索ちゃんぴおん」になったゲストの1人。

■芸人のブログを細かくチェックしている。品川庄司の品川祐からはブログ内でそのことを度々いじられている。

■お決まりのギャグに、原西の母親に対する「お前ハゲとるやないか!」と、「このスタジオなんか狭くない?」と振られてから「俺の顔がデカイからや!」がある。

■「ガキの使い」の「七変化」に参戦し、実母と原西の母や、ダウンタウンが昔お世話になった中井秀範を使ったりするなど、少し卑怯な手を使いつつ、最後はモーニング娘。の「恋愛レボリューション21」の振り付けでお尻が腫れている芸をして爆笑を誘った(おそらくは1つ前のガンダムネタで外人にお尻を叩かれた時のフリだと思われる)。結果は35000円とまずまずだった。

■相方の原西の嫁に嫌われている。原西は、当然藤本を結婚式に呼ぼうとしていたが、嫁に『呼ばないで』と言われ呼ばなかった。これに関して藤本はかなりショックを受けていた。

■痛快!明石家電視台のコーナー、アベッククイズ(現:パァペア)に彼女が最近出演した。

(出典:Wikipedia)

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FUJIWARA(ふじわら)

FUJIWARA(ふじわら)は吉本興業所属のお笑いコンビ。1989年4月結成。吉本総合芸能学院(NSC)8期生。同期には千原兄弟・バッファロー吾郎・大山英雄などがいる。

コンビ名の由来は読んで名の通り「藤本」と「原西」を合わせたものだが、コンビを組んだ当初は漢字表記で「藤原」だったらしい。


【メンバー】
■原西孝幸(はらにし たかゆき 1971年3月5日 - )大阪府寝屋川市出身。A型。NSC8期生。ボケ担当。通称「ラリーゴ」「はらにっちゃん」「ハゲニシ」など。

■藤本敏史(ふじもと としふみ 1970年12月18日 - )大阪府寝屋川市出身。AB型。NSC8期生。ツッコミ担当。通称「フジモン」 「おとち」など。

(ネタをやる上でのボケ・ツッコミの役割分担は上記の通りだが、フリートークなどにおいては2人共ボケもツッコミもこなせる、両刀使いのコンビである)


【略歴】
■1991年9月、ナインティナインや雨上がり決死隊などが所属していた若手ユニット「吉本印天然素材」に結成とともに参加。

■1994年にはつんく♂が初めてプロデュースした曲「明日が来る前に」でCDデビューも果たしている。

■天素メンバーとして最初の東京進出を果たすものの、天然素材の活動停止後は仕事は低迷していた。

■しかし1997年関西ローカルのバラエティ番組「吉本超合金」(テレビ大阪)にレギュラー出演し関西を中心にブレイク。

■当初は出戻り組であるため肩身の狭い思いをしていたが、1999年以降のbaseよしもと時代は陣内智則・ケンドーコバヤシとともに若手のまとめ役に成長した。

■2002年から再度東京を中心に活動。関西テレビのローカル番組「すぽーつアミーゴ!」の企画で、ホノルルマラソンを一定時間内に走りきれなかった罰として2002年12月30日〜2003年3月7日までの限定で「NISHIMOTO(にしもと)」というコンビ名で活動した(他局にも同コンビ名で出演)。

■2005年1月6日にはニッポン放送系の深夜番組『オールナイトニッポン』のパーソナリティに初挑戦。

■2007年3月には、初めてのDVDを発売。その発売記念番組『DVD発売記念特別番組〜FUJIWARA〜』が2007年3月7日にヨシモトファンダンゴTVで放送された。

■現在は、うめだ花月、ルミネtheよしもとを中心に活動中。

■FUJIWARAの思い出のソングは、「ものすごBABY」らしい(UMEKA12に出演した時)。


【FUJIWARAの歴史】
■1989年 - NSC8期生として入学。4月に結成。

■1991年9月 - 吉本印天然素材結成。

■1994年 - 吉本印天然素材としてCDデビュー。
■1994年 - 初レギュラー番組「ピッカピカ天然素材!」がスタート。
■1994年 - 関西テレビ「うっ血!万華鏡」でドラマデビュー。

■1995年 - 「電動くるくる大作戦」でレギュラー出演。

■1996年10月 - 映画「岸和田少年愚連隊」で映画初出演。
■1996年10月 - 天然劇場 秋'96「歳月…俺たちの門出」を開催。原西がほっしゃん。と共に主役に。
■1996年10月 - FUJIWARA初トークライブ「ガミ」を開催。

■1997年4月 - 天然劇場 春'97「黄金色の空の向こうに」を開催。
■1997年7月 - FUJIWARA初単独ライブ「でてきた!」をNGKで開催。
■1997年10月 - 天然劇場 秋'97「ちんぴら」を開催。
■1997年 - 「吉本超合金」でレギュラー出演。この番組でまた大阪を中心に人気が上がる。

■1999年3月 - FUJIWARAが活動していた心斎橋筋2丁目劇場が閉鎖。その後baseよしもとへ活動を移す。
■1999年6月 - 「爆笑オンエアバトル」で初出場、初オンエアされる。このときのネタは人形劇。
■1999年7月 - 爆笑オンエアバトルで2連続オンエア。
■1999年11月 - 爆笑オンエアバトルで3連続オンエア。

■2000年 - 「べぇえす!」にレギュラー出演。
■2000年 - 2丁拳銃が東京に進出したため、吉本超合金Fとして再スタート。FUJIWARA初メインの番組。
■2000年4月 - 「おもしろレンタルビデオ スピルバーガー」が放送スタート。
■2000年6月 - 爆笑オンエアバトルで4連続オンエア。
■2000年8月 - 爆笑オンエアバトルで5連続オンエア。その後オンエアバトルへの出場はなし。
■2000年8月 - 「なんやモー目茶苦茶屋」にレギュラー出演。
■2000年9月 - CD「明日がくる前に/ものすごBaby」を発売。音源は、1994年に発売した吉本印天然素材のCDのものと全く同一。
■2000年12月25日 - 吉本超合金Fの企画で、「超合金Fラーメン」発売。

■2001年3月 - マンスリーよしもと男前ランキングに原西が13位にランクイン。ついでに藤本は、ブサイクランキング8位。
■2001年7月 - 吉本超合金F、50回達成。
■2001年9月 - オセロケッツと共にCD「もしかして君だけが苦しいって思ってないかい?」を発売。
■2001年10月 - オセロケッツのライブにゲスト出演。
■2001年11月4日 - 吉本超合金Fの企画で、「吉本超合金F弁当」発売。
■2001年12月 - 「オールザッツ漫才」の司会者を担当。

■2002年 - なんやモー目茶苦茶屋が放送終了。その後の番組、特ダネ野郎えぇチームにレギュラー出演。
■2002年10月 - 「妖怪ブッサイくん」が放送開始。
■2002年10月 - 「1、2、駐在さんダァ〜!!」が放送開始。
■2002年7月 - 吉本超合金F、100回達成。100回記念ロケで韓国へ。
■2002年7月 - baseよしもとイベントBase SUMMER SMILE2001を開催。「SUMMER SMILE」を会場限定でCD発売。
■2002年 - 再び東京で活動開始。
■2002年9月 - 吉本超合金F放送終了。
■2002年10月 - 「藤原敏幸ショー」を開催。
■2002年11月11日 - 初baseよしもとでの単独「藤原敏幸ショー」を開催。
■2002年12月 - FUJIWARA初レギュラーラジオ番組「嵐の金曜カウントダウン」が放送スタート。
■2002年12月 - ホノルルマラソンを一定時間内に走りきれなかったためコンビ名を一時期の間「NISHIMOTO」に。
■2002年12月 - NISHIMOTOとしてオールザッツ漫才の司会者に。

■2003年1月19日 - baseよしもとで「西本敏幸ショー」を開催。
■2003年 - 映画「浪商のヤマモトじゃ!」に出演。
■2003年3月 - 罰ゲームが終わり名前を「NISHIMOTO」から「FUJIWARA」へ戻す。
■2003年4月 - 吉本超合金F以来のロケ番組「大阪フジワラリゾート」がスタート。
■2003年5月 - 勝吉本酔虎隊としてCD「阪神タイガース酒飲み音頭2003」を発売。
■2003年6月29日 - baseよしもとで最後の単独ライブ「ネコとポテトと 私」を開催。
■2003年 - baseよしもとイベントBase SUMMER SMILE2003を開催。これで、baseよしもとを卒業。
■2003年8月 - うめだ花月での活動を開始。
■2003年12月 - うめだ花月初単独ライブ「オギクボパークス」を開催。ゲストに友近が登場。

■2004年4月 - 「オールスター感謝祭」に初登場。結果は、原西は82位、藤本は104位。
■2004年7月 - 「笑いの金メダル」で優勝。第14回チャンピオンに。
■2004年10月 - 「フジケン」が放送開始。
■2004年10月 - ドラマ「夫婦。」に藤本のみ第9話に出演。
■2004年10月 - オールスター感謝祭に2度目の登場。しかし結果は、原西は85位、藤本は134位と前より下がる。

■2005年4月 - オールスター感謝祭に3度目の登場。結果は、原西は126位、藤本は46位。
■2005年4月 - 久しぶりの冠番組「〜本人発信バラエティ〜 てっぺん!」がスタート。
■2005年10月 - 「リンカーン」が放送スタート。後に準レギュラーに。
■2005年10月 - ドラマ「危険なアネキ」に原西のみレギュラー出演。
■2005年11月 - ヨシモトファンダンゴTVで、「ヨシモト∞」が放送スタート。1部の一番最初のゲストにFUJIWARAが。

■2006年2月 - 「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」に出演。2回戦敗退。
■2006年3月 - ドラマ「よろず刑事」の10話にゲスト出演。
■2006年5月 - 「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに大山英雄の紹介で登場。ストラップはもらえず。
■2006年9月 - リンカーンで新コーナー「おかんダービー」にFUJIWARA二人の親子が登場。
■2006年9月 - テレビ大阪開局25周年記念「よしもと!お笑い秋の大感謝祭〜3時間一挙生放送!〜」に出演。
■2006年9月 - ほっしゃん。の代理でヨシモト∞2部の司会を担当。
■2006年10月 - 第6回吉本陸上競技会のMYP(もっとも吉本的なプレーヤー)に選ばれる。

■2007年2月 - リンカーンのコーナーの「世界ウルリン滞在記」で藤本がゲイのマーチングバンドに出会う。この時「どんだけ〜」人気に火をつける。
■2007年2月 - 2丁拳銃のCD「コムロきどり」の「いつまでも青春」を歌う。
■2007年2月 - お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャルに2度目の出演。1回戦敗退。
■2007年3月7日 - 初単独DVD「FUJIWARA」を発売。
■2007年3月8日 - DVD発売記念イベントをタワーレコード難波店で開催。
■2007年4月19日 - 「フジヤマ☆スタア」が放送開始。
■2007年4月29日、30日 - 「LIVE STAND 07」に出演。

(出典:Wikipedia)

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出川哲朗

出川 哲朗(でがわ てつろう、1964年2月13日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。神奈川県横浜市神奈川区出身。マセキ芸能社所属。血液型B型。身長160cm。愛称「てっちゃん」。劇団SHA.LA.LA.座長(リーダー)。夫人は元レースクイーンの阿部瑠理子。旧芸名、出川哲郎。


【人物】
いわゆる「リアクション芸人」の代表格。お笑いコンビのウッチャンナンチャン、俳優の入江雅人とは専門学校時代の同級生。なお、自他共に「お笑い芸人」と称しているが、本来の肩書きは「喜劇俳優」である。

その声を聴いただけで本人と判る、舞台仕込みの大きなダミ声が特徴的。「やばいよやばいよ」などの口癖は多くの共演者達にものまねされている。

女性ファッション誌読者が選ぶ「抱かれたくない男性タレントNo.1」など、世間的にはいわゆる「嫌われキャラ」で売っているが、ネタを振れば確実に返し、場の空気を読んで盛り上げ役に徹することが出来る「計算できるタレント」として、バラエティ番組の共演者・スタッフからの評価は高い。仕事を選ばないそのフットワークの軽さから、芸能界に多くの人脈を持つ。また、後輩の芸人たちの中には彼が座長を務める劇団SHA.LA.LA.の芝居を見て熱心に研究していた者も多く、彼ら若手芸人も含め、俳優、ミュージシャン、作家などの間では秘かに彼を尊敬する者も少なくない。

夢は「単独司会のレギュラー番組を持つこと」と語るが、周囲から求められているものと異なるため実現の可能性はかなり薄いようである。なお、2007年現在準レギュラーの番組はいくつかあるもののレギュラー番組は、1本もない。


【略歴】
横浜市立栗田谷中学校、私立武相高等学校を経て、1985年横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)卒業。

1987年2月、専門学校時代の同級生だった内村光良・南原清隆・入江雅人らと劇団SHA.LA.LA.(当初は「Project team SHA.LA.LA.」)を旗揚げし、公演を開始する(〜1998年8月)。

1990年4月からは日本テレビ系列のバラエティー番組『ウッチャンナンチャン with SHA.LA.LA』に出演し、この頃からテレビタレントとして本格的に活動を始める。その後、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)などにおける立ち振る舞いやドッキリ企画等の際のリアクションの面白さが徐々にお茶の間に浸透し、お笑い芸人としての地位を確立していった。

また、これとほぼ同時期にウッチャンナンチャンがパーソナリティを務めるラジオ番組『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』(ニッポン放送、1989年4月〜1995年4月)に出演し、「男・出川哲朗!」のコーナーでフィーチャーされるなど人気を博した。

その後はテレビ番組において欠かせない「汚れ役」の第一人者として数々の番組に出演。一方、有名税から色恋沙汰をはじめとしたプライベートな時間も犠牲にされ、多くの写真週刊誌・ゴシップ紙の恰好のターゲットとなった(もっとも本人はそのことすらネタにしてしまっている)。またこの「汚れ」キャラクターが世の中に浸透していくにつれ、女性視聴者層から敬遠される傾向が出始め、女性ファッション誌「an・an」が毎年行なっている読者アンケート「嫌いな男ランキング」では毎年上位にランクインするようになった(その後2001年〜2005年度に5年連続1位を達成し、「殿堂入り」扱いとしてアンケートから除外対象となった)。

2004年4月5日、元モデル・レースクイーンの阿部瑠理子と結婚し、世間を騒がせた。プロポーズの際には、テレビ朝日系列のバラエティ番組『ロンドンハーツ』が全面バックアップ。推定5,000万円の制作費を費やしてイタリア・ローマ市内でロケーションが行なわれ、一連の模様が全国ネットで放送された。

2007年に劇団SHA.LA.LA.旗揚げから数えてデビュー20周年を迎える。


【特徴・持ちネタ】
■大事な所で言葉をかむ

■「やばいよやばいよ」「リアルに〜」などが特徴的な口癖

■「ぶっちゃけ、正直に話しましょうよ」とトークバラエティ番組で共演者に言うが、自身の「ぶっちゃけ話」はあまりしない

■中指で人や物を指差すことが非常に多い

■よく赤ちゃん言葉になる

■よくむせる、特に錠剤が上手く飲み込めない

■人に笑われたら「アハハじゃないよアハハじゃ!」とキレる

■声が大きく、内緒話が内緒にならない

■物の名前を正しく言えないことがある、もしくは言い間違いを最初は必死に否定し、VTRで確認してようやく納得する

■図星を指されると「ちょっと言ってる意味がよくわからないなー」とごまかす

■「アンタらにはつくづくだよ!!」という捨てゼリフギャグがある

■指で数を数えるとき親指から数える(そのため4を数えるのに苦労する)

■「鼻水はリアクション芸人にとってダイアモンドの結晶だ!」「全身タイツはリアクション芸人にとってのフォーマル(正装)だ!」などの名言を持つ

■自称プレイボーイで、「恋愛に方程式はない」が持論

■上島竜兵と口げんかの挙句、キスをする(カンニング竹山もやっている)

■上半身裸になったときに胸板の厚さを共演者に指摘されたり、競泳や潜水などの泳ぐ企画に参加したりする際には「栗中水泳部でしたから」と誇らしげに言う(『栗中』は、彼の出身校である「栗田谷中学校」のこと)


【ものまね】
その特徴あるダミ声から、数多くの芸人仲間にものまねされている。このとき、出川の口癖である「やばいよやばいよ」というフレーズが使われることが多い。またかつて出演していた『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)のイメージが強いのか、語尾が「タモさ〜ん」で締められる事も多い。

学生時代の同級生である内村光良は出川のものまねについて、「みんなてっちゃんのものまねをする時『やばいよやばいよ』って言うけど、『ほったら〜(そうしたら〜)』の方がよく使っている」として、「ほったら〜」を多用する。また内村は、「ないしょ」のポーズ(「しーっ」のアクション、普通は人差し指を唇の前に立てる)で何故か人差し指を眉間に当てる出川の細かい形態模写をする(出川本人曰く、目は口ほどにものを言うからだとか)。

松村邦洋は出川がまだあまり世間に知られていない頃からものまねを続けており、「あとは出川さん待ちですから」と出川の芸能界での成功を応援しものまねをやり続けた、という逸話がある。


【晴れドキでの出演情報】
■中部日本放送(CBC)土曜日のローカル番組『晴れドキ』ではテンションが高く、板東英二によく注意される。

■ネタトークとしてだが青木まなアナが出川に告白して、当時既に現夫人と付き合いがあった為出川が断ったという話がある(当の青木アナは出川がゲストという立場を気遣って「出川哲朗に振られたアナウンサー」と自分で言うこともある)。

■2004年中日ドラゴンズのリーグ優勝の時は、ヤクルトスワローズのファンにも拘らず、スタッフの必死の頼み込みでドラゴンズのユニフォームを着て番組に出演した。その10年前には「大阪の巨人ファンのために」と背番号33番のユニフォームを着て大阪で宙に舞っていた。

■島田紳助の事件の時に芸能ファイルというコーナーでは、ノーコメントのますだおかだに対して「紳助さんは理不尽な事では怒る人ではない」と自信を持って弁護していた(翌日の『アッコにおまかせ!』でもほぼ同様の発言)。

■2005年9月24日放送で、念願の愛知万博の中継をした。当初の予定ではトヨタ記念館なども回る予定だったが、結局企業パビリオンや外国館の手前でスタッフの万博の思い出を聞くコーナーとなってしまった。また、Tシャツや帽子・バッグなども愛知万博グッズに揃えていた。イタリア館で若狭敬一アナに「出川さん、イタリアにはどんな思い入れがあるのですか?」という問いに、「僕は前の奥様にプロポーズした場所です」と答え、速攻に「前の?」と突っ込まれ慌てて訂正していた。余談だが、空いているキューバ館の入場をしきりに視聴者に薦めていた。

■2005年9月24日午後の芸能ファイルは万博会場のCBCスタジオで芸能情報でのコメントをする為待機。安達祐実と井戸田潤の結婚の話題の時には、安達親子とはカレーのCM以前からの面識があり、母親の安達有里と兄とも仲が良い事も明かした(この事は『クイズ!ヘキサゴン』で安達と共演した時にも話題となった)。さらに2006年4月22日にも安達有里と面識がある事を語り、写真集を見て「違った意味で興奮している」と語った。

■以前出演していた佐藤めぐみが久しぶりにゲストに来た時には異様な仲良しぶりをアピールし、話もよく振っていた。

■2006年1月28日放送の『晴れドキ』の芸能コーナーで、ナインティナインの岡村隆史と熊田曜子のデート報道に「ふざけんなよー」と怒っていた。

(出典:Wikipedia)

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