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神奈月

神奈月(かんなづき、本名:奥村聡司(おくむら さとし)、1965年11月3日 - )は、岐阜県土岐市駄知町出身のものまねタレントである。特にスポーツ選手の物真似が得意。所属事務所は太田プロダクション。神無月の表記は誤り。


【プロフィール】
■血液型:B
■身長:172cm
■体重:68kg
■妻はエステ会社を経営している。


【略歴】
岐阜県土岐市駄知町出身。同じ土岐市出身フリーアナウンサーの近藤サト(元フジテレビ)と同じ地元高校出身だが、学年が3つ離れていたため、同時に在籍はしていない。在学時から、文化祭などで先生や芸能人のものまねを披露しており、生徒から人気があった。中京テレビの番組「5時SATマガジン」の「ローカルスターベストテン」というコーナーに連続でランクインし、第1位に輝いたこともある。

1987年にデビュー。師匠がないのでは仕事がとれぬからといわれ関東の形態模写のベテランであった佐々木つとむに師事したが同年9月師匠・佐々木が知人に惨殺される…という形で師匠を突然失ってしまった。佐々木没後しばらく芸能事務所に属さずフリーとして活動していた。フリーで活動中の頃、インチキ芸能プロダクションに騙されかける。2000年頃より太田プロに所属している。ものまねバトルには1995年春の第2回から毎回出場している。

長らく「長嶋茂雄のものまねしかしない人」のイメージがお茶の間に根付いていたものの、2000年にものまねバトル大賞で萩原流行のものまね(「りゅうこうと書いて、ながれと読むんです」)を披露したところ絶賛される。以降、長嶋茂雄のものまねの人、とのイメージは消え、近年はテレビ出演も増えている。

最近、石橋貴明やSMAPなどに気に入られているため「うたばん」の出演が多い。毎回武藤敬司のものまねで登場する。武藤以外にも萩原流行のまねをする。彼に会ってからは香取慎吾が神奈月のやる萩原流行のまねをしている。「おネプ!」や2005年9月15日放送の「うたばん」で萩原流行本人と共演した。また、「内村プロデュース」でジャッキー・チェンがゲスト出演した際は、映画賞コントのものまねプレゼンターとして参加。この時の芸達者ぶりにジャッキーが感心し、本来は審査対象外なのにジャッキーから優勝トロフィーを授与される名誉を授かっている。

武藤敬司のものまねに関しては、本人はもちろん、蝶野正洋からも「本物そっくり」とのお墨付きをいただいている。最近では武藤と共に握手会イベントなどに参加することまである。武藤のものまねをする時は、武藤の口癖「差し当たって、」を連発する。2006年3月21日には全日本プロレスのファン感謝デー興行で、武藤に扮して本物の武藤とタッグを結成。小島聡・イジリー岡田組(イジリーは三沢光晴に扮して登場)と、本当のプロレスの試合を行い、好評を得た。さらに同年12月15日のファン感謝デー興行では「F-1タッグ選手権(Fはフェイクの頭文字)」なる王座を賭けて再び武藤と「2人とも武藤」のタッグを組み、天山広吉・原口あきまさ組(原口は蝶野正洋に扮して登場)と対戦し勝利、同王座の初代王者となった。以降もF-1タッグは防衛をしており、最近の全日本の感謝祭興行では欠かせない人物になっている。最近では出演番組で「プロレスの仕事ばかりで辟易している」と発言することもあるが、上記の活動から見ればやはりプロレスを芯から愛していることが窺える。また2005年8月20日に放送された「リングの魂・橋本真也追悼スペシャル」には蝶野とともに武藤の扮装で登場。蝶野が神奈月に「じゃあ武藤さん!橋本の追悼興行、やりますからね」と言ったところ神奈月は武藤の真似で「俺はもうさ、蝶野がちゃんとやってくれるなら、そりゃやるよ!」と返した。すると蝶野は「いっつもそうなんだよ!自分は何にもやんないで全部他人にまかすんだから!」と呆れ、司会の南原清隆から「お前そんな所まで似てるのかよ!」と大爆笑された。アドリブで言った一言まで本人に似ているという稀有なモノマネ芸である。

「ぷっ」すまで披露した最新作の松坂大輔もその細かすぎる絶妙の描写のものまねはレベルが高いが、スタジオに女性が多かったせいか笑い声は少なかった。共演していた土田晃之は「神奈月さんは男受けするものまねしかやらないんですよ」と感心するやら呆れるやらの様子であった。

また、2006年10月公開の映画『木更津キャッツアイ ワールドシリーズ』に本人役で出演している。

「発掘!あるある大事典II」の納豆ダイエットの回に出演していた。納豆ダイエットに挑み2週間で-3.1kg減量しているが、これは納豆の成分のためではなく納豆をご飯にかけず食事前に食べることにより普段の7〜8分目で食事を済ませるようにしていたことが原因と考えられる。


【主なものまねレパートリー】
・長嶋茂雄(読売ジャイアンツ終身名誉監督)
・原辰徳(読売ジャイアンツ監督)
・石原良純(俳優、気象予報士)
・長州力(プロレスラー)
・新庄剛志(北海道日本ハムファイターズ、現引退)【2007年1月8日、ビナウォークライブで、「今年からはもうやらない」と宣言。】
・萩原流行(俳優)
・井上陽水(シンガーソングライター)
・五木ひろし(歌手)
・武藤敬司(プロレスラー)
・竹原慎二(タレント、元プロボクサー)
・船越英一郎(俳優)
・SIAM SHADE(ロックバンド)
・細木数子(占い師)
・渡辺謙(俳優)
・美輪明宏(シャンソン歌手)
・吉川晃司(歌手、俳優)
・馳浩(衆議院議員、元プロレスラー)
・中井貴一(俳優)
・フレディ・マーキュリー(クイーン)
・前田日明(格闘家)
・ピアノマン
・假屋崎省吾(華道家)
・福山雅治(歌手、俳優)
・森喜朗(元内閣総理大臣)
・山咲トオル(ホラー漫画家、タレント)
・クレヨンしんちゃん(アニメの主人公キャラクター)
・天海祐希(女優、テレビドラマ『女王の教室』の阿久津真矢役)
・琴欧洲(ブルガリア出身の大相撲力士)
・押切もえ(cancamの専属モデル)
・松坂大輔(西武ライオンズ、現ボストン・レッドソックス)
・野際陽子(女優)
・稲葉浩志(歌手)
・QUEEN(ロックバンド)
・葉加瀬太郎(音楽家)
あまりにもレパートリーが多いため、自身のエルグランドはひとり乗りでも衣装のせいで満員状態らしい。

(出典:Wikipedia)

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まちゃまちゃ

まちゃまちゃ(女性、1976年5月7日 - )とは、吉本興業に所属する女性お笑いタレント(ピン芸人)、漫談家である。本名:菅崎 雅美(かんざき まさみ)。千葉県君津市出身、千葉県立姉崎高等学校卒業。身長158cm、血液型B型。テレビ番組の『エンタの神様』では摩邪(まじゃ)という名前で出演している。


【人物・エピソード】
■オーディションを経て、1996年にデビュー。2000年頃には『極すれすれガレッジセール』などの番組にウルフ神崎として出演した。東京吉本の女性芸人のリーダー的存在であり、姐御肌で男性芸人からも慕われている。(バッドボーイズの佐田正樹には「まちゃ姉」と呼ばれ、慕われている)また、テレビでは毒舌を売りにし、言葉遣いもかなり悪いが、舞台裏では非常に礼儀正しくちゃんと敬語も話せると様々な芸人にトーク番組で暴露されている。

■ペナルティのワッキーにプリンスメロンを持参して弟子入り志願したことがある。そのこともあってか、ペナルティの単独ライブにはサポートとして毎回出演。

■1998年、『進ぬ!電波少年』の人気コーナーなすび懸賞日記の企画オーディション(内容は抽選会)にて、なぜか出演している(なすび懸賞日記ビデオ第1巻目に収録されている)。

■キャラクターを買われて『英会話のジオス』のCM、B'zのシングル『BANZAI』のプロモーションビデオ(23秒間)、先輩のペナルティの単独ライブ、映画『下妻物語』等に出演したことがある。『氣志團』の綾小路セロニアス翔は中学の同級生で現在まで交流があり、氣志團のプロモーションビデオ(2秒間)やCDで共演している。それまで実年齢を公表しなかった綾小路だが、彼女によって間接的に実年齢を知られてしまった事になる。DJ OZMAとはアカの他人である事を主張している。又、現役女子プロレスラーのさくらえみは、小学校時代の同級生。

■モヒカンの過激なヘアスタイルや迫力あるメークはパンク・ロックに影響されたものだが、その外見から子供が泣いてしまったこともあるという。ちなみに、髪の色(緑と橙)は、Dr.コパの助言によるものらしいが、まちゃまちゃ本人がテレビ番組で否定していたことがあり、定かではない。モヒカン以外の髪型は資生堂の男性化粧品シリーズ『uno』のテレビCMで見ることが出来る。因みに、実家は美容室を経営している。

■B-RAP HIGH SCHOOL(2002年4月〜2004年8月) 学校へ行こう!内の1コーナーにて、歌DA道子の母親兼ドライバー「藤子」として出演。

■自身の髪型は朝になると自分で剃って作っている。

■素になると「おいねえ(いけない、だめだ)」といった出身地の方言・房州弁が出ることがある。一時期、のどを痛めてしまったことがある。

■『元祖!でぶや』にゲスト出演した際、好きな男性のタイプを聞かれ九州男児と答えた。しかし、リサーチした結果、熊本の男は駄作であると分かったので除外とのこと。

■文字を書くときは、顔、ルックスに似合わず、高校生が多用する文字を書く(初期の方)。

■愛用している携帯電話はソフトバンクモバイルのV401D(サイバーグリーン)。緑系のカラーが好きということでこの機種、このカラーを選択。誤って水没させてしまった経験があり、もう一度同機種に機種変更しようとしたところ、シルバーしか在庫がなく、泣く泣く高い修理費用を出して修理することになってしまったというエピソードがある。

■大の「はだしのゲン」フリーク。単独ライブにも同作のオマージュと言えるタイトルを付けるなど、相当のファンであることが分かる。

■料理の腕前は、「愛のエプロン」参戦当初は、そこそこの実力というレベルだった様子だが、同番組に出演を重ねた影響か、めきめきと腕を上げ、「黄金伝説」の「節約生活」で料理を披露したり、「愛のエプロン」でも、見た目は淋しいながらもしっかりした寿司飯を作っていた。また、2007年2月14日放送の同番組(バレンタイン特集)で、見事なフルーツタルトを作り、100点満点(同番組史上初)を獲得した。中華料理店でバイトしていた経験がある。

■俳優・岩城滉一のファンである。2007年2月14日の『愛のエプロン』でゲストで出演していた岩城に、ファンであることを告白。作ったケーキを岩城が大絶賛すると、顔を赤らめて喜んでいた。この時作ったフルーツタルトは、番組史上初の100点満点を記録。因みに、彼女の後(最後)に試食のソニンも100点満点を記録。

■愛のエプロンの特番で、青木さやか・RIKACO・杉本彩よりも美味しい料理を作り上げ、新愛エプ四天王になった。

■「ズバリ言うわよ!」で細木数子に「あんたみたいなキャラは、すぐに飽きられるのよ」と言われた。さらに、「ドラマに出たければ、そのふざけた頭をどうにかしなさい」とも言われた。さらにくりぃむしちゅーに髪の毛を黒くさせられた。しかし、番組終了後染め直したため今は橙と緑色に戻っている。 

■2002年にルミネtheよしもとで行われた若手芸人育成イベント、「PIPA『5じ6じカップ』」でチャイルドマシーンに負けてしまい、あまりの口惜しさに上着を脱いでブラジャー姿で退場して観客と司会のペナルティを驚かせた。その後なぜか上半身裸のハローバイバイの関暁夫と肩を組んで登場した。

■かなりの臆病者。過去に「クイズプレゼンバラエティーQさま!!」で挑戦したチキンレース企画「10m高飛び込み」では41分もかかり、「ビビリ橋」では15mの橋を渡るのに、1時間18分を費やした(ビビリ橋の歴代最長記録)。さらに、「絶叫カラオケ選手権」では絶叫マシンの恐怖で出だしの部分しか歌うことができなかった。

■おぎやはぎの小木博明に森山奈歩を紹介した。そのため矢作兼と共に、小木と森山の婚姻届の証人となった。

■マネージャーがナインティナインの岡村隆史と同じマネージャーであるため、岡村曰く、海外ロケ中に電話でまちゃまちゃのスケジュールの調整をしていたらしい。

■小学生の頃、犬のフンを手掴みで食べる事もあった。

■「わらいのじかん」の芸人100人の名前を覚える企画に出場(覚えられる側)した際は、「まちゃまちゃです。Bカップです。」と手持ちのプラカードで胸を持ち上げながら自己紹介していた。(「あげんな」と浜田に突っ込まれていた。)しかし実際はBカップ以上あるといわれている。

■実は甘党だったことが『東京Vシュラン2』にて発覚。

■理想のタイプはバナナマンの日村勇紀。マスコミの取材でその質問で笑われたことことがある(「エンタの神様」でネタとして告白)。

■元モーニング娘。の小川麻琴と仲が良く、『ハロー!モーニング。』に出演したときも小川と絡む事が多く卒業SPにもサプライズ出演した。卒業後翌年の新春SPに出演したときは小川の存在を気に掛けていた。

■昔は今のような「ロックなキャラ」じゃなかったらしい、と同期の品川祐(品川庄司)にめちゃイケで言われた。因みに品川祐とは不仲である。(同期さんいらっしゃいの第三回より)※ただし番組後半では和解の演出が見られた

■2007年1月10日に放送された『アドレな!ガレッジ』で、まちゃまちゃはアニメ『ゼロの使い魔』のヒロイン、ルイズの声優に挑戦したが、『お前もバカだよ』と突っ込まれる始末となった。

■黒柳徹子に「キョンシーみたい。」と何度も言われたことがある。


【摩邪(マジャ・コング)】
『エンタの神様』ではプロレスラー「マジャ・コング」のキャラ設定(アジャ・コングの名前だけ真似ている)のもと、「怒りの熱血プロレスラー」というキャッチコピーで2005年1月に初出演し同年2月からほぼ毎回出演している。

「まちゃまちゃ」としての持ちネタは一人コントだが、「摩邪(マジャ・コング)」としての持ちネタは、いわゆるマイクパフォーマンス風な、毒舌漫談である。「続いて、マジャ・コング選手の入場です!」というアナウンスのあと舞台に立ち、自分に関するトーク(当初は自身の風貌に観客が引いていることなどをネタにしたものが多かった)を経て「やっぞ! ハッ! やっぞ!」(2006年5月6日以降は、「言(ゆ)っぞ! ハッ! 言(ゆ)っぞ!」)と吼えた後、「おい、世の中のチャラチャラした奴ら!(当初はチャラチャラした「女」限定だった)今日もお前らに言いたいことがある。よ〜く聞け!」(2006年5月6日以降は省略されている)と始めるのがパターンとなっている(「やっぞ! ハッ! やっぞ!」までは省略されたこともあった)。「ひと〜つ! ○○○○って言う××! (○○○○の部分では、別のキャラクターになりきることも多く、一人コント芸人としての片鱗が垣間見える)」→「○○○○? ハァ?(最近では、「ハァ?」ではなく毎回コメントが変わっている。)」→「……△△△なんだよコノヤロー!!(と叫びながら手に持っているマイクを床に叩きつけ、最後に色々なポーズをする。相撲のポーズやプロレスラーの長州力(長州小力)のアクションや武藤敬司のプロレスLOVEポーズのアクション(鼻から両手をキツネの形で放す動き。ボボボーボ・ボーボボの鼻毛真拳ぽいという説も)をしたりする)」という流れである。しかし、賛否両論の声も相次いでいる。ネタのつなぎで、床に叩きつけたマイクをいそいそと拾いに行く様子も、またチャーミング(?)である。また、最近では最後に「がっかりだよ!コノヤロー!!」「豆知識だよ!コノヤロー!!」など、桜塚やっくんのパロディをすることもある。

『エンタの神様』出演2回目でネタを披露し、マイクを床に叩きつけた際、マイクを壊したことがある。

ギター侍・波田陽区に斬られたことがあるが、逆に斬り返したこともある。

2005年9月まで、テレビの地上波では『エンタの神様』以外の番組に出演できない独占契約を結んでいた(2004年の波田陽区と同様)。『エンタの神様』でブレイクしたため、本来の芸名である「まちゃまちゃ」よりもエンタで名乗る「摩邪」が有名になり、ネタ本も「摩邪」の名で出版した。10月以降はトーク番組等で活躍するようになり、「まちゃまちゃ」の名前が認知されつつある。摩邪本人は『エンタの神様』のネタ冒頭トークで「エンタの神様以外にでているのは、まちゃまちゃだ。摩邪はエンタの神様でしか見られない」「"魔邪"と書く奴が多いが、マジャのマは悪魔の魔ではなく彦摩呂の摩だ」と述べている。このキャラを機にまちゃまちゃとしても、キレキャラで行う事も。一部の雑誌では「悪女キャラ」と書かれることもある。そのせいか、『日経エンタテインメント!』にて、「嫌いなお笑い芸人」に入られてしまった。

又、「まちゃまちゃ」として、ブレイク後、「あたいに似た人が出ているが、あれはまちゃまちゃだ」と、発言していた。

しかしながら「まちゃまちゃ」として舞台に立つことがあった。ウタワラの「まちゃまちゃが再び番組で歌うためのチャレンジ」という企画で広瀬香美のコンサートに出演してAIの「Story」を歌った後コンサートの観客の前で「まちゃまちゃ」のまま「摩邪」のネタを披露した、ちなみに広瀬香美のコンサートがハッピーバレンタインコンサートだったのでネタはもちろんバレンタインだった。

2007年1月20日の放送で、「あたいはオランダのクオーターだ!」と発言したことがある。 しかしオチで「本当は純粋な千葉県民だ!」と言っている。4月以降の同番組にはでていない。

(出典:Wikipedia)

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渡辺正行(コント赤信号)

渡辺 正行(わたなべ まさゆき、1956年1月24日 - )は、お笑いタレントである。千葉県夷隅郡夷隅町(現いすみ市)出身。愛称は「ナベ(ちゃんあるいは、さん)」「リーダー」。個人事務所「なべや」所属(と言っても石井光三オフィスの系列であり暖簾分けの状態)。


【略歴】
千葉県立大多喜高等学校を経て、1978年明治大学経営学部卒業。大学在学中は落語研究会に所属。同会に受け継がれた「名跡」である「紫紺亭志い朝」(六代目)を、当時五代目の立川志の輔から襲名。四代目は三宅裕司。

大学在学中の1977年劇団テアトル・エコー養成所に入所。ここで一級上のラサール石井、同期の小宮孝泰とコントグループ「コント赤信号」を結成。1980年フジテレビ系『花王名人劇場』でデビュー。「MANZAIブーム」を初めとしたお笑いブームの最中、人気コントグループとしてテレビを中心に活躍、「赤信号」のリーダーとしてお茶の間で人気を博す。

1988年から1996年まで日本テレビ系で放送されていたクイズ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で逸見政孝(逸見の死後は、当時日本テレビアナウンサーであった福澤朗とのコンビ)を補佐するサブ司会者を務め、逸見を立てつつ場を盛り上げる司会振りが高く評価されて90年代には多くの人気番組でサブ司会者として活躍。「芸能界のスーパーサブ」の異名をとった。
この手腕?は、中京テレビ制作『あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW!』ロケにおいて、共演の高田純次、大竹まことの脱線・暴走を上手くコントロールする場面でいかんなく力を発揮。それでも高田の手にかかると、「ナベちゃんたら、ダテに『おはようクジラ』の司会やってたんじゃないのねッ!」「さすが、まとめ役!」と評されてしまう。

現在レギュラー出演中の『さんまのSUPERからくりTV』(TBS系)では関根勤と並ぶ「笑い上手」として番組を盛り上げている。

また若手お笑い芸人の育成に積極的で、1986年から「ラ・ママ新人コント大会」を主宰。所属事務所の枠を取り払った門戸の広いお笑いライブで、過去にはウッチャンナンチャン・ダチョウ倶楽部・爆笑問題・海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)ら、現在活躍するお笑い芸人たちも多数出演している。また2006年6月には芸人を志す一般人を対象とした「お笑いワークショップ」も開講。テレビ朝日系の『M-1グランプリ』では2005年・2006年の決勝で審査員を務めるなど、現在も後進の育成に力を入れている。


【特技】
特技はコーラの一気飲み。かつてレギュラー出演していた『笑っていいとも!』(フジテレビ系)では、一般出場者が渡辺とコーラの一気飲み対決をするコーナーがあり、そこで渡辺はほぼ無敵を誇った。この特技にまつわるものでは、地方の営業でコーラの一気飲みを披露し、ギャラの100万円を貰うとすぐにその場から消えた、という逸話がある。ちなみに、本人による一気飲みのコツは、「我慢」をすることと、コーラは冷えたものではなく常温のものでないと飲みにくい、とのことだそうである。


【プライベート・その他】
お笑い芸人の中でも屈指のプレイボーイとして知られ、数多くの女性との浮名を流し、「お笑い界の火野正平」という称号を頂戴していたが、1999年9月に18歳年下の女性と結婚し、家庭を持った現在ではよき家庭人となっているようである。2000年に愛娘が誕生してからは特に涙もろくなり、『からくりTV』などで「子供が頑張っている映像」などが流れると、必ずと言っていいほど涙を流している。その一方、明石家さんま主催の合コンには欠かさず参加しているようである。

かつての渡辺の付き人をしていた人物に、現バナナマンの設楽統(したら おさむ)がいる。

テアトル・エコーで劇団仲間だった、声優としての活躍で有名な田中真弓と交際している事を明石家さんまにテレビで暴露された事がある。後にバラエティー番組で、渡辺に加え田中も登場して当時を振り返るという企画もあった。

番組内で自身の愛犬が高田純次にいじめられ、直後に亡くなるという、ショッキングな事件もあった。

極度の高所恐怖症。あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW!では、本来くじ引きで「当たり」を引いてご褒美として乗れるヘリコプター遊覧等で、不覚にも当たりくじをひいいてしまい、飛行中はずっと眼をつぶり、滝のような汗をかいていた。

(出典:Wikipedia)

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ラサール石井(コント赤信号)

ラサール 石井(ラサール いしい、1955年10月19日 - )は、お笑いタレント・俳優・声優・演出家。本名、石井 朗夫(いしい あきお)。旧芸名、石井 章雄=読みは本名と同じ。血液型はO型。愛称は「チクリ(関西弁で「暴露」の意味)」「ラサール」。

大阪市住吉区出身。所属事務所は石井光三オフィス。


【来歴】
1970年代から80年代にかけ、関西において伝説的な存在であった学習塾『入江塾』で受験勉強をし、名門と言われる私立ラ・サール高等学校(鹿児島県鹿児島市に所在)に合格。実は灘高等学校(兵庫県神戸市に所在)も受験したが不合格だったと某番組で明かしていた。 東京大学文科三類を受験するも不合格。早稲田大学第一文学部に進学。早稲田大学在学中に劇団テアトル・エコー養成所に入所。その後、一期下の渡辺正行、小宮孝泰と共に、コント赤信号を結成。芸能活動の為大学は除籍される。

母校ラ・サールの名より、芸名をラサール石井と1983年に改めた(中点入りの「ラ・サール(La Salle)」としないことを条件にラ・サール高校より許可されている。因みに「ラサール」のローマ字表記の綴りは「Lasa-R」としている。)。芸名をラサール石井に改めた後も一部ドラマでは旧芸名章雄を併用している。

実家は帝塚山に在るうどん屋の「帝塚山めん処 いし井」で、近所でも有名な店である。なお経営管理は実兄が行っている。

受験関係の著作も多いが、その内容は入江塾時代のものが多い。

1990年代にテレビ朝日系列で放送されたテレビ番組『目撃!ドキュン』では、田中律子と共に司会をしていた。また、 サンテレビの深夜番組『おとなのえほん』の司会を務めた事もあった。一方で、クイズ番組の常連解答者として、TBSテレビ『オールスター感謝祭』等数多くの番組で優勝経験を持つ。かつて『たけし・逸見の平成教育委員会』では、同郷出身の辰巳琢郎と共に優等生として活躍した。因みに辰巳とは、後にキリンビール「秋味」のCMでも共演している。

近年は声優業にも進出し、アニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』では主人公の両津勘吉の声を担当している。また、同作品の舞台でも同じく両津役として出演。アニメが放送された直後の頃は、昔からのこち亀ファンからイメージと違うと酷評も多く聞かれたらしいが、現在では世間に浸透したのか、批判の声は少ない。

また、2004年4月から2005年3月25日までTBS系列放送のテレビ番組『ウォッチ!』に新聞コーナーの編集長として出演(月曜日〜金曜日)し、2005年3月28日からはTBSの夕方の顔として『イブニング・ファイブ』(月曜日〜金曜日16:54〜18:55)に出演していたが、2006年3月いっぱいで番組を卒業した。理由として舞台演出家としての仕事が好調で両立が困難な為としている。2007年度からは、イブニング・ファイブと同じ時間帯(14:00〜17:50)に、毎日放送(TBS系列)で関西ローカルとして放送されている「ちちんぷいぷい」に月1レギュラーとして出演している。

舞台・演劇活動にも力を入れ、喜劇俳優に留まらず、脚本・演出も数多く手がけている。主な作品は、舞台版『こちら葛飾区亀有公園前派出所』や、日本音楽事業者協会創立40周年記念ミュージカル『スター誕生』等。

年に1度行われるイベント『M-1グランプリ』に2001年の初回から2005年までの間、審査員を務めていたが、2006年は出演せず(南原清隆に変更)。


【人物】
■小学生の時に母と写っていて、しかも母の隣で微笑んでいる写真が一時期ネタにされていた。また、その写真がカレンダーになったこともある。

■ビビる大木にインタビューされたとき、最初に両津勘吉巡査長の声を披露したことがあった。

■学生時代に上京し東京で芸歴を積んできたこともあり、大阪出身であるにも関わらず、全国ネットの放送では標準語で話すことが多い。但し、関西芸人と共演する時(『M-1グランプリ』など)や関西ローカルの番組に出演する時などには、しばしば関西弁を使う場面が見られる。

■1991年の初め頃に、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』のハガキコーナーで ハガキを持ってくるアシスタントとして1度だけ出演した事がある。

■所属事務所の社長である石井光三のモノマネを『オレたちひょうきん族』のコント内で一時期多用していた事がある。

■所属する俳優の多くが声優としても活躍するテアトル・エコーの養成所時代に、劇団内での声優の試験を受けたが合格しなかったという逸話がある。

■『オレたちひょうきん族』で共演した明石家さんまと仲が良く、さんまの個人事務所「オフィス事務所」にも籍を置いている。また、年末年始にさんまがオーストラリアの別荘に向かう際にも毎年同行している。

■並外れた運動音痴でも知られる。さんまがテレビ番組で語った所によると、草野球では外野手のラサールの周囲1メートル以内にフライが落ちた場合は打者はアウトになり、もしフライを捕れたら一気に3アウトになる特別ルールがあるとのこと。(さんまのギャグである可能性もあるが、それくらい運動音痴だということであろう。)

■「ゴジラシリーズ」などの怪獣映画が大好きで、テレビなどでよく知識などを披露している。

■「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のアフレコの時は、彼はいつも事前に台本を読まないでアフレコに行っていた。

■視力が悪いため、コンタクトレンズを使用していたが、2005年に50歳になる前にレーシック(視力回復手術)を受けた。

■高学歴ということもあり、クイズ!ヘキサゴンIIの予選ペーパーテストでは、1位になることが多いが、1位を逃したときはほぼ2位になっている(ただし例外として、2006年12月27日のスペシャルでは水野裕子と石原良純に負けて3位であった)。

(出典:Wikipedia)

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小宮孝泰(コント赤信号)

小宮孝泰(こみや たかやす、1956年3月11日 - )は、神奈川県小田原市出身の俳優・お笑いタレントである。石井光三オフィス所属。


【来歴・人物】
神奈川県立小田原高等学校を経て、明治大学卒業。渡辺正行とは、明治大学時代の同級生であり、その渡辺の誘いで劇団テアトル・エコー養成所一級上のラサール石井と3人で、お笑いトリオのコント赤信号を結成する。また、声優としても、テアトルエコー養成所時代に新・エースをねらえ!に出演し、近年にはアニメ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の擬宝珠夏春都役を務めた(同作の舞台版でも同役を演じた)。 1990年代以降はコント赤信号やお笑いタレントの活動よりも、舞台での活躍がめざましく、独り舞台、英国留学、舞台プロデュース、英語劇に精力的である。しかし、活動の根底にある「お笑い」からは離れることはなく、最近では熱海五郎一座のもととなる伊東四朗一座の旗揚げに参画した。コント赤信号としての活動がない現在でも、渡辺やラサールと共演する舞台劇も少なくなく、伊東四朗をはじめとする東京・浅草のお笑いの伝統を現在に継承する活動と落語研究会で長く培われてきたタレントも加わり、上述の英語劇等の現在の芸の幅を広くしていると思われる。 タレントを見せる場、その力量が変わった現在でも、トークバラエティ番組における「小宮」の立ち位置・存在は見逃せない。小宮不在のトークバラエティ番組に、渡辺やラサールが「小宮は○○」「小宮が××」とオチに使い、ある意味では「お笑いのお約束」、ある意味では本人不在でその番組とお笑いが成立するという希有な俳優・お笑いタレントである。これはコント赤信号のメンバーそれぞれが作り上げた実力と小宮のキャラクターによる。

(出典:Wikipedia)

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コント赤信号

コント赤信号(コントあかしんごう)は、渡辺正行・ラサール石井(旧芸名:石井章雄)・小宮孝泰の3人からなるコントグループ。略称及び旧名は赤信号。


【概要】
渋谷のストリップ劇場「道頓堀劇場」の幕間でコントの修業を積み、関西テレビの「花王名人劇場」でテレビデビューを果たした。

チンピラコントの一節である「兄貴!兄貴!」「待たせたな」のくだりは有名。特に「待たせたな」の方は今でもまれに聞かれる。

元々は石井光三オフィス所属のコントグループだったが、リーダーの渡辺正行が独立した上(事務所は石井光三オフィスの暖簾分けの形)に現在はそれぞれピンで芸能活動をしているため、3人が揃うことはあまりない。しかしながら、正式に解散しているわけではない。

2003年12月20日、アニメ映画『こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE2 UFO襲来!トルネード作戦!!』に役は違うが、声優として3人揃って久方ぶりに登場した。

M-1グランプリ2005決勝戦では、小宮を除く2人が審査員を務めた。

(出典:Wikipedia)

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黒沢宗子(森三中)

黒沢 宗子(くろさわ かずこ、1978年10月17日 - )は、茨城県ひたちなか市(旧・勝田市)出身の吉本興業所属のお笑いタレント。女性お笑いトリオ・森三中のリーダーでボケ担当。身長157cm、体重59kg、血液型O型。ひたちなか市立勝田第三中学校、水戸短期大学附属高等学校卒業、吉本総合芸能学院4期生。

最近は、本名が読みにくいためか「黒沢かずこ」名義で活動することが多い。趣味はラップ。


【人物】
■実家は地元で食堂を経営(馬渡食堂)。

■1998年「森三中」結成。リーダーのほかにネタ作りも担当している。放送作家としての活動も目指している。

■ダウンタウンの大ファンであり、東野幸治の追っかけをしていた。2001年、HAMADA COMPANY 弾丸!ヒーローズで浜田雅功・東野と念願の共演を果たした。

■日テレ系「進ぬ!電波少年」の企画「電波少年的 15少女漂流記」に参加。番組内では目立たない存在ながらも、茨城名産の「乾燥イモ」の作り方を仲間に伝授し、保存食担当として活躍し、無人島脱出に成功。脱出に成功した8人のユニット「8/15(eight per fifteen)」として、久保田利伸プロデュースの「vibe,Survive」に参加している。

■体型はデビュー当時こそ中肉中背だったが、暴飲暴食がたたり急激に太った。

■最近では破天荒なキャラを確立し、新境地を開拓した。

■今まで一度も男性と付き合ったことがないらしい。初体験もまだで結婚するまで清純でいたいそう。

■とにかく片付けるのが苦手。自室は大変散らかっており、常に物で溢れている。

■同メンバーの大島同様、歌が上手い。作詞・作曲もできるらしく、自作曲の「バイバイしないで」を「踊る!さんま御殿!!」や「元祖!でぶや」で披露していた。即興で怪しい歌(「カリーフラッシュ」など)も歌う。またおしゃれイズムでも同番組のセットのイメージで歌を披露。

■自分付けのアイドル芸名「相澤かすみ」。

■レギュラーの西川晃啓は遠い親戚である。関係は、黒沢の姉の旦那の兄の嫁の弟の息子が西川。

■マシュー南がホストの番組「Matthew's Best Hit TV+」(テレビ朝日系列)内では「クレア黒沢」を名乗り偽外人っぷりと見事な腹を披露。

■NSC同期のPOISON GIRL BANDが無名の頃から「4期にはすごいセンスのあるコンビがいる」とPGBの宣伝をしまくり、PGBが2004年、M-1グランプリのファイナリストになった時には喜びのあまり、応援歌まで自作してしまった。しかしその事実はつい最近まで、PGBには伝わっていなかったらしい。

■2007年3月放送の「ミッション24」(日本テレビ)で「24時間中にもう一人の森三中を探せ!」という企画の中で、村上と大島は同姓同名の女性を連れ出したが、黒沢は静岡市清水区を拠点に活動しているインディーズバンド黒沢宗子(メンバーは全員男性)を連れ出した。

■ラジオ好きで『雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!!』や『カンニング竹山 生はダメラジオ』に自らメールを投稿している(2007年5月10日にはリスナーとして「べしゃり」に出場)。また女性リスナーが著しく少ないことで知られる『伊集院光 深夜の馬鹿力』のリスナーであるらしく、伊集院光と共演した際にリスナーであることを伊集院に恥ずかしそうに伝えた(伊集院本人がラジオにて発言)。

(出典:Wikipedia)

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村上知子(森三中)

村上 知子(むらかみ ともこ、1980年1月2日 - )は、神奈川県横浜市磯子区出身の吉本興業所属のお笑いタレント、女優。女性お笑いトリオ森三中のメンバー。担当はツッコミ。立ち位置は真ん中。別名「森三中の太っちょ」。身長146cm、体重60kg、血液型O型。橘女子高等学校(現・橘学苑高等学校)卒業。吉本総合芸能学院4期生。

また本人は優香や小倉優子に似ているとテレビで発言したり、胸もEカップある事もあり、お笑い界のMEGUMIとも自称したりしている。


【人物・エピソード】
■1998年結成。勘違い発言を売りにしている。自分のことを可愛いと思っていて、「SMAP×SMAP」の企画で稲垣吾郎と2人きりで旅をして最後にキスをされたが、稲垣吾郎が可哀想でキスをしてやったんだと言う程。後にドラマ「ブスの瞳に恋してる」では、稲垣の相手役でヒロインとして選ばれた。ココリコミラクルタイプでも幅広い役を演じており、その演技力には定評がある。

■料理(特に小麦粉を使った料理)が上手で「いきなり!黄金伝説。」の「芸能人1か月1万円生活」で優勝する程の腕前である。

■品川庄司の庄司智春には「結婚するなら村上のような人がいい」と言われたことがある。

■顔が多少バナナマンの日村勇紀に似ている。

■ドラマ・番組などでキスの経験はあるが、未だに処女である。

■学生時代はショートカットで、同じグループの大島によく似ていた。

■アイドルが嫌いでよく悪口を言ったりしている。

■マナーはあまりよくなく、地方の営業でも楽屋、ステージ脇で痰を吐くのが癖。本人は「出物腫れ物所嫌わず」と番組で暴露された際、釈明していた。

■単独ではココリコミラクルタイプに出演中で共演中の加藤夏希と「日給8000円」というユニットでCDデビューを果たした(加藤夏希とはメル友であるが加藤夏希がよくギャル文字でメールをしてくるので読めないと嘆いていた)。ちなみにCD発売日は同じ番組で共演中の遠藤章造・品川祐・八嶋智人のユニット「時給800円」と同日だった。オリコン初登場15位だった。(時給800円は3位)

■ガキの使いやあらへんで!でダウンタウンの浜田雅功によく胸を揉まれる。(浜田曰く、叩くでも口で言うでもなく胸をもむことでツッコミを表しているとのこと。)

■政治好きで知られる。

■シャル・ウィ・ダンス?〜オールスター社交ダンス選手権〜第2回お笑い芸人大会にて優勝。デブでも出来ることを見せ付けた。

(出典:Wikipedia)

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大島美幸(森三中)

大島美幸(おおしま みゆき、本名:鈴木美幸(旧姓:大島)、1980年1月13日 - )は栃木県大田原市出身で吉本興業所属のお笑いタレント。森三中のボケ担当。


【プロフィール】
■よくケツを出す。

■栃木県立黒羽高等学校卒業。

■1998年、森三中としてデビュー。

■平山あやは遠縁ながら親戚にあたる。

■夫は放送作家の鈴木おさむ。

■「ロンドンハーツ」(テレビ朝日系)にて共演経験のあるだいたひかるが放送作家と結婚したため(その後離婚)、同番組内の企画で「ファックスは別々にしたほうがいい」などのアドバイスをした。

■視力が悪いため、コンタクトレンズを使用していたが、現在は視力矯正手術を受けてコンタクトレンズは使用していない。ちなみに学生時代はメガネをかけていた。

■初体験の相手は夫ではなく黒人男性である(イノマーと峯田和伸の対談本より)。

■歌唱力が高く、歌合戦等のテレビ番組でもその歌の巧さを見せ付けている。2006年にはMIYU名義で歌手活動も開始。楽曲「ビューティフル マインド」はフジテレビ系ドラマ「ブスの瞳に恋してる」の挿入歌として使われ、話題を呼んだ。もともとCD化の予定はなかったが、ドラマ放送終了後も視聴者からCD化の声が殺到し、2006年10月18日にCD発売した(オリコン最高34位)。

■笑いのためなら髪をスキンヘッドにしたり素っ裸になることも厭わない稀有の「女ヨゴレ芸人」である。

■実際、鈴木の実家に挨拶に行くときも「キン肉マン」のラーメンマンのような辮髪に似た髪型にしていて鈴木の家族の度肝を抜かせた。

■しかし、そんな彼女であるが、家に帰ると「一日に二回泣くと言う」かなり女性らしい一面を持つ。

■1回目は旦那が帰ってこないと言う淋しさでの涙、もう一回は帰ってきてからの嬉し泣きである。(笑いの金メダルで村上が告白)

■めちゃイケのテスト企画で、ヤゴの成長した姿(トンボ)を書く問題に対し、まるでRPGのボスキャラクターのような怪物を書いてみせた。

■「子どもは欲しいが、体が張れるうちは作らない」考えの持ち主。

■学生時代、壮絶ないじめにあっていた。体育館の床に這い蹲らされ、「埃を食べ切れば家に帰してやる」と言われたり、裸にされて生き埋めにされたりといった人間として扱われない日々が続いたという。現在、「芸能界で辛い事があっても、その頃に比べれば天国。楽しいよ」と大島は語っている。

■ガキの使いでは浜田の無茶な要望にこたえるべく、サウナでタオルだけつけて全裸になったり、女体盛りをしたりなど、女性を捨てている行動もいとわない芸風をもっている。

■顔や容姿が大島にそっくりの女子高生グラビアアイドルの藤子まいがデビューしてインターネット、とりわけ2ちゃんねる上で話題になった。

■そのことについては夫である鈴木おさむも「うちのかみさんだ!」と評した。

■のちにこのグラビアアイドルは改名し再デビューしたものの、改名後は顔や容姿が村上知子そっくりとなった。

■2007年6月2日に日本テレビで放送された「ぽじてぃブス」で藤子と共演を果たした。

(出典:Wikipedia)

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森三中

森三中(もりさんちゅう)は、吉本興業所属の女性お笑いトリオである。


【メンバー】
■大島美幸(おおしま みゆき、本名:鈴木 美幸、1980年1月13日 - )
ボケ担当。
栃木県那須郡黒羽町(現・大田原市)出身。
身長166cm 体重78kg。

■村上知子(むらかみ ともこ、1980年1月2日 - )
ツッコミ担当。
神奈川県横浜市磯子区出身。
身長146cm 体重60kg。

■黒沢かずこ(くろさわ かずこ、本名:黒沢宗子、1978年10月17日 - )
ボケ担当。リーダー。
茨城県勝田市(現・ひたちなか市)出身。
身長157cm 体重59kg。


【概要】
森三中は3人ともいわゆる「ブスキャラ」で早くから特異なポジションを確立。デビュー当時はチビ・メガネ・デブの三拍子だった。

2001年4月にオープンしたルミネtheよしもとでは、ネタ出演と同時に新喜劇に参加。今田耕司・木村祐一・山田花子等から芸を吸収し、その成果がテレビのバラエティ番組でも発揮されている。

山崎邦正が嫌いである(理由は、面白くないだけでなく、弱々しくすぐに泣くから)。ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!における共演がきっかけと思われるが、同番組では他メンバー(松本、遠藤、田中)にも罵声を浴びせていたので、山崎のキャラを立たせるためのネタという側面もあるだろう。

森三中のネタは主にコントで、黒沢演じる「かっちゃん」を中心とした作品や、ショートコント「鳥」「象」等が知られる。しかし、概ねテレビで放送できるレベルではなく、ネタ番組の出演実績は少ない。最近では黒澤の高い歌唱力と過激かつキレのあるダンスが注目を浴びることも増えている。(ヤッコンマラー)

コントを中心とした単独ライブを定期的に行っている。時たま大島と黒沢が、周囲が引くほどの壮絶な喧嘩をする事がある。しかし、それも芸の1つと解するべきであろう。

数少ない、体も張れる女芸人グループという確固たる地位を築いている。


【略歴】
1998年結成。東京NSC4期の同期生として出会う。同じ4期生にはロバート、インパルスがいる。この3組は多くの先輩芸人より著しく早くブレークしたことから、「花の4期生」と呼ばれることがある。

トリオ名は、3人が通っていた中学校の名前を組み合わせて名付けられた。

2001年、『進ぬ!電波少年』の企画「15少女漂流記」に黒沢が参加。無人島脱出に成功し久保田利伸プロデュースでCDデビューも果たしたが、全く売れなかった。

TBS系の深夜バラエティ、『極すれすれガレッジセール』に当時全く無名だった大島が出演。プッチイボの一人、日本海として番組を大いに盛り上げた。他メンバーには全く無名だったまちゃまちゃがウルフ神崎という名で出演している。 『激すれすれガレッジセール』で、プッチイボはプッチポコへ改名。大島に続いて村上も出演。村上様(むらがみさま)という名で異彩を放つ。

森三中がブレークしたきっかけは、皮肉にも黒沢が前記のために抜けて大島・村上のコンビで活動中、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に出演したことである。「ハイテンション ザ・ベストテン」に出演して注目を集めたことをきっかけに、大島が浜田雅功に猛アタックをする企画が計4回放送された。その際、村上は浜田雅功に公然セクハラされるのがネタになっており、後に浜田裁判で「浜田の愛人と勘違いされて、彼氏が出来ないんですけど〜!」と同番組で不満をぶつけていた。

2002年には『めちゃ×2イケてるッ!』の1コーナーに準レギュラー出演。11月、大島が鈴木おさむと電撃結婚したことは同番組で発表され、バラエティ界で大きな話題となった。プロポーズの言葉は「日本一面白い嫁になってくれ」。新婚初夜に、大島が保有するカンジダ菌のせいで鈴木を病院送りにした話を大島本人がテレビで語った。

同年、吉本興業と日本テレビのキャンペーン「Laugh&Peace」のテーマ曲であるTM NETWORK『CASTLE IN THE CLOUDS』の本人たちが一切出てこないプロモーションビデオにメンバーの扮装をして出演した。

2004年10月、『笑っていいとも!』の隔週レギュラーに起用されて、2006年3月21日まで務めた。なお番組最後の「曜日対抗いいとも選手権」では火曜日メンバーが弱いこともあり、出演期間中2回しか勝てなかった(惜しくも優勝を逃した週も数回あり)。

同年10月、お笑い番組『めちゃ×2イケてるッ!』の「オールスター夢の激突8周年感謝スペシャル バカまん決定!!め茶の水女子大附高校 抜き打ち中間テスト」に参加。結果は大島が7位、村上が8位に。黒沢は若槻千夏と最下位争いとなるものの11位になり「バカまん」の称号を逃れた。

2005年7月、『お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』に出場し、決勝戦でロバートを破って優勝した。

2006年4月、大島の夫・鈴木おさむの赤裸々な結婚生活を綴った書籍『ブスの瞳に恋してる』が関西テレビの企画・制作でフジテレビ系で連続ドラマ化。主演はSMAPの稲垣吾郎で、後に彼の妻となる女優志望の女性(鈴木の妻である大島がモチーフ)を村上が演じた。

2006年10月、「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」で黒沢が小池徹平とプラスチック越しにキスをしたことで徹平ファンが激怒し、フジテレビにクレームの電話が何度もかかったらしい。

2006年10月29日、ロンQ!ハイランド出演時、番組途中、最終ゲームを待たずして持ち点をすべて失いゲームが終了してしまったため、番組終了まで黒澤が即興で「ヤッコンマラー」と叫びながらひたすら踊り続け、進行役の田村淳に「こんな時間から何言い出すんだよ」とたしなめられる。ちなみに「ヤッコンマラー」は完全に即興のフレーズで特に意味はない。

(出典:Wikipedia)

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嘉門達夫

嘉門 達夫(かもん たつお、男性、1959年3月25日 - )は、日本のシンガーソングライター。代官山プロダクションの所属で、現在の所属レコード会社は傘下のDAIPRO-X。大阪府茨木市出身。血液型A型。本名:鳥飼 達夫(とりかい たつお)。


【略歴】
■1975年 - 大阪府立春日丘高等学校在学中(当時16歳)、笑福亭鶴光(当時26歳)に弟子入り。友人が運転するカブで鶴光を追跡し、弟子入りを志願。弟子入りが決まった当初の嘉門は高校在学中だったので、放課後師匠の家に行く所謂「通い弟子」であった。高校卒業後は鶴光邸に住み込み、“笑福亭 笑光”(しょうふくてい しょうこう)の名をもらう。所属は松竹芸能。

■1978年 - 『MBSヤングタウン』(以下「ヤンタン」)にレギュラー出演。

■1980年 - 笑福亭鶴光から破門を宣告され(理由は“エピソード”欄を参照)、担当番組も全て降板。松竹芸能も退社。その後「自らを見つめ直す」と言う理由で、程なくして日本放浪の旅へ。与論島やスキー場でアルバイトをしながら今の「ギャグソング」のスタイルに行き着き、自らの目指す方向性を確立する。

■1981年 - 日本を放浪の後に「次は海外へ放浪しようか」と考えていた頃にアミューズの大里洋吉会長に拾われ、サザンオールスターズの『チャコの海岸物語』をアミューズの契約社員として有線等への営業回りしていた。その縁でサザンのコンサートの打ち上げ等にも参加したりして、バンドフロントマンの桑田佳祐とも面識が出来る。その後桑田とも親しくなり、桑田に自らの芸名を考えて欲しいと依頼(桑田に依頼した理由は、所ジョージの芸名の名付け親が、ミュージシャンの宇崎竜童だったと言う話に起因していると、後に本人が語っている)。最初、桑田は“カメリア・ダイヤモンド”と言う名前を考えたが、その後、桑田が別の活動の時に使用していた“嘉門雄三”の苗字を譲り受ける(しかし当の桑田本人は譲った覚えは無いらしく、知らない内に嘉門が使っていたらしい)。以降、“嘉門 達夫”と名乗る様になった。その後、ヤンタンにも復帰する。

■1983年 - 『ヤンキーの兄ちゃんのうた』をリリース。読売テレビ有線放送大賞(大阪有線主催)とTBS有線大賞(キャンシステム主催)で新人賞受賞。

■1991年 - 『替え唄メドレー』が75万枚のセールスを記録。自身最大のヒット曲となる。

■1992年 - 『第43回NHK紅白歌合戦』に『替え唄メドレー〜紅白バージョン』で出場。

■1994年 - 1月1日に発売した『スモーキンブギレディース』を皮切りに、月に1枚のペースでシングルを出して行くという「マンスリーCDリリース計画」を開始。

■1997年 - ビクターから代官山プロの自社ブランド・DAIPRO-Xへと移籍。移籍第1弾『ソリャニャーゼセニョリータ』をリリース。

■1999年 - アルバム『お前は間違っとる!』をリリース。

■2000年 - トレードマークであった黒髪のオールバックから金髪へとイメージチェンジ。

■2002年 - 後にはなわに盗作疑惑がかかるという『ガッツ石松伝説』リリース。

■2003年 - 4月 デビュー20周年記念アルバム『達人伝説』をリリース。

■2003年 - 6月 初のDVDメディア作品『達人伝説』をリリース。

■2004年 - 11月 『シングルベストコレクション2』をリリース。

■2005年 - 4月 東京都立翔陽高等学校校歌『はばたけ!未来へ』作詞・作曲。

■2005年 - 1月 コロムビア時代の曲を集めたアルバム『嘉門達夫ゴールデンベスト』リリース。

■2006年 - 4月 『働くオジサン宣言 〜関白宣言〜』など収録したアルバム『笑撃王』をリリース。

■2006年 - 7月 USEN のパソコンテレビ・GyaOの番組『嘉門達夫のナリキン投稿天国』から誕生した“嘉門達夫とナリ天ボーイズ”が歌う『恋のチャルメラ ププッピ ドゥー!』をリリース。


【人物】
■テレビのトーク番組などに出演する際、番組の司会者たちと会談する時には普通の眼鏡を、替え唄を披露する時(即興は除く)には小さい丸淵のサングラスを装着する。そのため、歌う前あるいは歌い終わった後に即座に眼鏡を交換するシーンを視ることが出来る。

■CDレンタルに対しては極めて否定的で、露骨に嫌悪感を示している。本人曰く、「借りると呪われる」との主張。しかし、『爆裂スーパーファンタジー』の放送内では「レンタルで借りる人を余り悪く言うのも…」といった言動も見られ、ある程度の理解はある模様。同放送内では冗談を交えて自身のCDがレンタルされる事を語る事が多い為、本人なりのジョークであると考える事もできる。なお、『怒りのグルーヴ』では腹の立つファンの事例として「いつもCD、借りて聞いてます」と話しかけてくるファンを挙げている。

■「替え歌を作るたびに本人の所に出向いて曲の使用許可を得ていた」とテレビ番組に出演した際に語っていた。

■多くの人に「頭髪を後ろで結っていた時期が過去にあった」という誤解をされているらしく、「『あれ、後ろで結んでいた髪、切ったんですか?』とよく言われてしまう」とラジオ番組などで度々述べている。


《少年時代・1970年代のエピソード》
■幼少時代に日本万国博覧会(大阪万博)が近所で行われた際には毎日の様に通い、万博の記念バッジを貰ってコレクションしていた。『開運!なんでも鑑定団』に出演した際にそのバッジを鑑定してもらった所、15万円の鑑定額が付いた。嘉門は「このバッジは1000万円積まれても売らない」と言ったくらいそのバッジは大事に保管している。2005年に行われた愛・地球博にも出向き、ここでも多くのバッジを獲得している。また、大阪万博での思い出を歌った『太陽の塔』という歌もリリースしている。

■元々嘉門曰くの「ケッタイなモン」に対する収集欲は強く、「三ッ扇サイダー」を始めとするバッタモノドリンクや、ホテルや旅館の客室にある使い捨て小型チューブ歯磨き粉に、寿司の折り詰めに付いてくる小さな醤油の入れ物等も収集している。

■少年時代は、大阪万博と小学校当時担任だった先生の国語の授業に多大な影響を受ける(以後国語の成績は、常にトップクラスだったらしい)。また、山口百恵の大ファンで、追っかけをしていた高校生当時には、彼女が在籍する学校まで足を運んだ事もあると言う。

■嘉門自身がラジオの深夜放送にのめり込みだしたのは、中学生になってから。後に嘉門は『ヤンタン』のレギュラー出演者になるのだが、中学生頃の嘉門自身がヤンタンのヘビーリスナーであった。番組宛てにネタを投稿するハガキ職人として活躍し、ネタハガキの採用率も高かった様だ。そしてこの頃から、ラジオのパーソナリティになりたいという夢を抱く様になる。

■高校卒業後には鶴光の内弟子となる事が決まっていたが、春日丘高等学校は地元でも有数の進学校であり、クラスで大学に進学しないのは嘉門だけだったと言う。卒業式では答辞を務めたが、羽織袴でギャグを挟みながら生徒から集めたアンケートを元にディスクジョッキー式の答辞を行うと言う大胆な行動を取った。

■鶴光に弟子入りした理由は、落語には元々興味がなかったが、当時嘉門は桂三枝に憧れていたものの桂と言う屋号には魅力を感じず、同時に笑福亭仁鶴が出演していたラジオ番組『ABCヤングリクエスト』も良く聞いており、笑福亭と言う屋号には強い憧れがあったそうだ(尚、嘉門が現在でも、トークの合間に無駄口を叩いた後で「色んなコト言うたりなんかして」と口癖のように言ったり、投稿のハガキを読む際に「下品なペンネーム」に対していちいちツッコミを入れたりするのは、仁鶴譲りであるといえよう)。しかし、仁鶴には既に多くの弟子が居た為に、同じ笑福亭と言う屋号で当時ラジオで人気急上昇中だった鶴光に弟子入りを申し込んだと言う。ちなみに、もし仁鶴に弟子入りしていたら、名前を“笑福亭 加仁”(しょうふくてい かに)にしたいと妄想していた。鶴光に弟子入りした際に“笑福亭 光茶”(しょうふくてい こうちゃ)と名乗ろうとしたが、こちらは笑福亭松鶴(6代目、仁鶴・鶴光の師匠)に却下された。


《1980年代のエピソード》
■笑福亭鶴光に破門された原因は、「『サルに自慰行為を教えると死ぬまでやり続ける』と言う俗説の真偽を確かめる為、師匠のペットのサルを実験台にした事である」というのはネタである。ヤンタンやテレビ番組内での発言を総合すると、元々落語自体には余り興味が無かった嘉門は、鶴光へ一切報告せず落語以外の新しい仕事を増やし続けていたらしい。その内に嘉門自身が本当にやりたい事と落語家の弟子と言う立場が乖離し始め、仕事観を巡って師匠鶴光と対立し、鶴光に反抗的な態度を取った為に破門されたと言う事である。現在でも鶴光と共演する場合や、偶然同じ放送局で仕事をする事になった際には必ず彼の楽屋を訪ね、挨拶を欠かさないでいるとの事である(『ニッポン全国ラジベガス』出演時のコメントより)。

■笑福亭笑光時代にレギュラーで出演していた『ヤンタン』で、番組にゲストで訪れた男女3人組の某ニューミュージック系グループから放送開始前にアルバイトだと勘違いされ、そのような扱いを受けた。

■『ヤンキーの兄ちゃんのうた』以前の1982年に『寿限無No.1!』という幻のデビュー曲を発表しているが、売れたのはたった200枚だけだった。

■1989年11月21日発売のアルバム『バルセロナ』に『ハンバーガーショップ』という曲が収録されているが、元々は1989年頃にライブやテレビ放映で披露していた『××××××(某ハンバーガー店)キラー』という歌。ハンバーガー店のマニュアル教育上がりの店員に来客が戦いを挑むというシチュエーションを風刺した内容であったが(これに加え美容室バージョンも存在)、思いっきり名指しであったためタイトルと歌詞の一部を変えた『ハンバーガーショップ』としてリリースすることとなった。この曲はアルバム曲であるにも関わらず有線でよく掛かっている人気曲。その人気を経て、『血液型ハンバーガーショップ』や『ハンバーガーショップ(国会編)』などの続編も作られている。なお、1995年12月1日に『激突!ハンバーガーショップ』というタイトルで歌詞を一部変更してシングルとしてリリースされている。


《1990年代前半のエピソード》
■『替え唄メドレー』シリーズは多数の楽曲を扱っているが、中には著作権の問題などでCD化に至らない曲も多い。詳しくは替え唄メドレー#著作権問題などに関してを参照。

■一方、同シリーズ内で歌われた都市や観光名所(津市や下呂温泉など)からは、「地元の宣伝をしてもらえた」ということで感謝の意を表されることもあった。当時嘉門が出演していた中京テレビの深夜番組『ラジごめII金曜日の王様』1992年1月10日放送分では、下呂町役場の観光協会事務局長からの感謝状が番組宛てに届いていた。

■彼の曲の中でも完成度が高かった『サザエさんグラフィティ』は、『サザエさん』の原作者長谷川町子の存命中はCDリリース許可が得られず、ライブでは披露していたがCDリリースによる発表はまず無理だろうと思われていた。しかし、歌詞にあるきつい下ネタ部分などを一部差し替えた上で、後にこの曲が『NIPPONのサザエさん』としてCD化された時はファンを驚かせた。ライブでは今もこの曲を非認可バージョンの歌詞で歌う(こともある模様)。

■出身校・春日丘高等学校の後輩に槇原敬之がいる。嘉門と槇原でどちらが先に年末のNHK『紅白歌合戦』に出場するかを競ったが、槇原は1991年の紅白に出場が決定し、先を越される(嘉門は1992年の紅白に出場)。

■1993年以降は、自身が看板のラジオ番組の仕事とライブイベントなどの地方営業の仕事が中心となっており、テレビ番組への出演は一時期に比べると少なくなってきている。全国ネット番組への出演は特に少なく、あるとしてもゲスト出演で呼ばれることが殆どである。なお、2000年代からはインターネットラジオやインターネットテレビで看板番組を持つことが多くなってきている。


《阪神・淡路大震災でのエピソード》
■1995年1月17日、神戸市内のホテルに宿泊中、阪神・淡路大震災に遭う。当時、ホテルはパニック状態であったが、彼が芸能人であるという事に殆どの宿泊客が気付かぬ状況下で一宿泊客として自制を呼びかけ、その場を鎮めた。

■2日後、被災地から関西国際空港へフェリーで移動中に船内のテレビを見て、それまで断片的にしか分からなかった被害の全容を知り、大きな衝撃を受ける。その際、友人の北野誠に電話で「誠、俺は…。もうこれは世界の終わりや。一体どうなってしまうんや。もう俺自身はお金を持っていても意味はない」と胸の内を吐露し、即断で500万円の義捐金を被災地に送る。

■その後、さらに、新築の自宅を売却して捻出した3000万円の義捐金を被災地に送った。そして、この時の経験を基に書いた『怒りのグルーヴ 〜震災篇〜』をチャリティーシングルとしてリリースした。録音には、同じく被災者救済を訴えていた泉谷しげると大江千里も参加。曲中では、「スイスの犬より現地に来るのが遅かった当時の首相(村山富市)」や「焼け跡をバックに『まるで温泉場のようです』と言った白髪のニュースキャスター(筑紫哲也)」などを批判している。


《1997年以降の活動》
■1997年、所属事務所の代官山プロダクションが別途設立したDAIPRO-X(ダイプロ・エックス)へと移籍する。しかし、この移籍でますますCDの売り上げや話題性が減少しているため、1992年に紅白に出演出来たのは前所属レコード会社のビクターの力が大きかったものだと見られる。

■41歳を迎えた2001年、下顎の贅肉のたぷつき具合を指摘されたのを機にダイエットに挑戦。始めた当初、すでに芸能界を引退していた上岡龍太郎に「たった2キロでもつらいのに上岡さんはすごい。でも、体重を絞るために続けます」というメールを入れたところ、「君はジョギングを冒涜している。動物は楽しければ走りたくなる。何かの為に走るというのは走ること自体を馬鹿にしている」という返信で一喝された。それでもめげずに穀物を控え、蒸しモヤシにおかずを乗せて食べるという食生活を続けたところ、1ヶ月で体重が7kg落ち見事ダイエットに成功。現在もそのスタイルを維持しており、また、これを機に黒髪のオールバックから金髪へと変えた(以前からの定番だった黒服・サングラスのスタイルはそのまま継続)。

■ビクター時代のCDは、シングル・オリジナルアルバム共に現在全て廃盤となっている。2005年、そのビクター時代の音源を集めたベストアルバムが発売された。これは通常のレコード・CD店では扱っておらず、主に高速道路の各サービスエリア内にて販売されている。

■2005年1月5日(現地時間)、アメリカ合衆国ニューヨークのライブハウス・アポロシアターのステージに立つが観客からのブーイングによって強制退場させられた上、半年間出入り禁止のペナルティを受ける(これはブーイングが一定を越えた時の番組で設定されているルールであり、嘉門が特別受けたペナルティという訳ではない)。しかし、本人は再びチャレンジするつもりである。

■音楽以外の活動としては、2005年3月7日から始めたコラム連載(デイリースポーツ『嘉門達夫のオモシロ人間交友録』 - 毎週月曜掲載、
2006年10月からは毎週木曜掲載)、その他執筆活動がある。また、以前に自分の半生を描く演劇の企画が持ち上がった時は自身がその役を演じた。

■2006年には、JR西日本のイメージキャラクターに採用された。


《家族》
■今迄1度も結婚はしておらず、現在も独身。

■30代の頃からずっと独身をネタにしているが、実際は1992年に一般の女性と婚約するに至るまで進展した時期があった。当時、その女性を自身のコンサートに招待したり、自身の担当する番組『ラジごめII金曜日の王様』にも呼んで出演させたりしていた。しかし、お互いの微妙なズレが段々と出てしまったことにより、婚約は解消。このチャンスを逃したせいか、それ以降は結婚に関する話題は今のところ出ていない。

■独身のままでいる理由としては、「家庭に入りたいという女性を好きにならない」、かと言って「向上心が強い女性は自分第一だからダメ」といった自身の矛盾した価値観を挙げている。

■好きな女性のタイプは、「刺激を与えてくれる人」や「お互いに向上しあったりする人」。しかし、その理想像と前項の独身のままでいる理由である価値観とがさらに矛盾しているため、『ズバリ言うわよ!』(TBS系)2006年12月12日放送分に出演した際に、細木数子から「七変化の女性が欲しいのよ」と指摘された。

■その際に、細木から「頭が良すぎて人を小バカにするものが出てくる。自分がもう1つランクの気持ちを下げれば本当にいい人にも遭遇してるはず。だから結婚しなきゃダメ。来年からものすごいいい年になるから」とのアドバイスを受けた。

■また、細木から芸名を「嘉門」から「加門」へと改めるよう進言された。改めると画数が13画となる。が、嘉門本人は改名する気は全く無いらしい。

■自身は大阪府茨木市で生まれ育ったが、父は兵庫県西宮市の出身で、母は島根県大田市の出身である。

■兄弟は、弟と妹がいる。弟妹共に一般人なのだが、妹の方は一時期嘉門のファンクラブの会報に寄稿したり、当時嘉門が担当していたラジオ番組にゲストで出演したりした事がある。

■かつて「銭湯に行く」と言って外出したまま行方不明になった祖父をいつか捜しに行きたい、と嘉門は語っている。

(出典:Wikipedia)

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田村裕(麒麟)

田村裕(たむら ひろし、1979年9月3日 - )は、吉本興業所属のお笑い芸人。麒麟のツッコミ担当。大阪NSC20期生。立ち位置は向かって左。相方は川島明。


【概要】
大阪府吹田市出身。大阪府立吹田高等学校卒。身長180cm。血液型O型。
愛称は「タム」、「タムちゃん」(笑い飯の哲夫が呼んでいる)、「タムさん」(主に後輩芸人が呼んでいる)。満面の笑みが特徴。その為番組などのイラストやグッズのイラストの田村は大抵笑っている。

NSC願書の自己PRでは「人は笑っている時が一番幸せだと思います。だから少しでも長く、多くの人が笑えるようにしたいのです」と書いている。


【性格】
■正義感がかなり強い。自分より他人を大切にする。昔、番組でバスジャックのドッキリにひっかけられた時、人質(仕掛け人の芸人仲間たち)が犯人に指名されながら一人ずつ降りることを許され助けられていく中で、最後の何人かになった時、誰が最後まで残るかを聞かれてすぐに手を挙げ、一緒に乗っていた後輩を助けようとした。(ちなみにその時一緒にひっかけられていたダイアンの津田は、犯人の怒りに触れないよう、極力静かにしていた)。

■純情で騙されやすい。ドッキリに毎回引っかかる。(チュートリアル徳井曰く「アホピュア」)
   子供に好かれる。(相方の川島曰く「頭の構造が一緒やから」)

■本業の漫才や舞台「なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!」でセリフをよくトチる(噛む)。滑舌が悪い。

■子供によくナメられる。その為、マクドナルドで一人でハンバーガーを食べていると、親にハンバーガーを買ってもらえずにいた子供に「なんでお前がハンバーガー食っとんねん!!」と食べていたハンバーガーを床に叩きつけられた。また、それを見た親が「すみません!」と落ちていたハンバーガーをそのまま拾って田村に渡したらしい。(ヨシモト∞参照)


【エピソード】
《極貧時代》
■学生時代は貧乏だった(幼少時代は、そこそこ裕福だったという)。幼少期に母を病気で亡くし、中学生の頃に家が差し押さえられてしまい父親が蒸発、家族が『解散』した。しばらく兄、姉、田村それぞれが一人で生活する日々が続いた。この時期に田村は公園に住んでいたことがある(それゆえに当時の家の間取りを1Pと表現した)。その後友人の好意でアパート住まいはできるようになったが、
高校卒業まで生活費に苦労する日々が続いた。

■高校時代は昼の弁当を持って来れなかったため、教室で同級生が昼食を摂っている姿を見るのが辛く、昼食抜きで昼休みは一人で体育館でバスケットボールの練習に励み、レギュラーの座を獲得した。

■父を除いた家族3人で、近所のおばちゃんが借りてくれたアパートに住んでいた頃は家具が無く、粗大ゴミ置き場に家具を拾いに行った。その様子を当時の好きな子に見られてしまい「なにやってたの?」という質問に、「家具がないから家具を拾ってた」といったら、口をきいてくれなくなった。

■蒸発した父親は、現在も消息不明である。(田村曰く、「テレビを見られる状況に無い可能性がある」という)クイズ!ヘキサゴンIIに出演した際、「お父さんのことは恨んでないから、どうか僕の前に出てきてください」と再会を訴えていた。

■衝撃の解散の後、たった一度だけ父親に会った事がある。友達の家にいた時、散髪しに行く途中で再会した。だが父親にどこに行くかを尋ねられ、田村が答えた後、再び『解散』した。それからは、消息が掴めていないらしい。

■2007年3月15日に放映された「いきなり!黄金伝説」で、松居一代からの問いに、公園生活は14才の1ヶ月間であったことを打ち明ける。その時期の辛さを思い出してか号泣する場面も見られた。余談だが、他の番組では比較的コミカルに語られていた田村の過去が、この番組ではかなり重い物として扱われた。

■昔、川島が弁当のから揚げを公園の砂の上に落とした際、捨てようとした川島の手を止めて、「落ちて一分はありやろ」と言った(通常の「三秒ルール」が田村家では「一分ルール」)。

■ふりかけのせいで親友と絶交したことがある(「明日持って来たる」と言ったのに、友達が忘れてきたため)。

■公園に住んでて食べ物が全く無い時、あまりの空腹に周辺に落ちていたダンボールを水につけて食べた事がある。田村曰く「まずい!!(匂いもダメ)」らしい。

■公園時代は、雨で体を洗っていた。彼曰く、夕立が一番嬉しかったらしい。逆に腹が立つのは、『やや降り(小雨)』。その際に、天に向かって「降るなら降る!降らへんなら降らへん!」と怒った事がある。


《芸人時代》
■一発ギャグなどでよく滑るが、天然ボケからなるアドリブは得意である。

■タムちゃんダンスと言う変わった踊りのネタがある。

■漫才中、相方川島のオチで笑ってしまい、お辞儀もせずに舞台袖に帰ったことがある。

■(相方のおばあちゃん曰く)氷川きよしよりかっこいいらしい。が、おばあちゃんに「歌ってみろ」と言われて歌ったら、即「あかん」と言われた。


《極貧時代の影響》
■川島と麒麟東京進出を考え、東京に居を移す計画をするもお金が無く、タクシーに乗るのにはまってしまったためと後輩の面倒見がよく、おごりすぎたため断念したことを新年早々生番組である第40回爆笑ヒットパレード2007とメントレGで話している。また、年明け前にも吉本お笑いオーケストラUなどで話していた。
お金があることが不安になり、使ってしまうことも告白している。

■M-1グランプリ2006の決勝進出者の記者会見で、賞金の使い道を聞かれて「中学のときに家がなくなって一時期公園に住んでいたので、優勝したら相方と2人でその公園を市から買い取りたいです!」と語った。

■貧乏キャラのため劇団乙女少年団などのコント劇団のキャラでは服が茶色の布に紐でしばったような服やダンボールで作られた服を着せられることが多い。

■「アメトーーク!」では「実家ビンボウ芸人」というカテゴリーで出演。他にメッセンジャー黒田、小沢一敬、中川家、熊谷岳大も出演していたが、エピソードの凄まじさから雨上がり決死隊からは黒田とともに「あの2人だけ別格やわ」と言われた。画面では田村と黒田のところにスポットが当たって「特A」というテロップもつけられていた。

■その壮絶な極貧エピソードの数々はいわゆる「鉄板」であり、人志松本のすべらない話でも披露され、田村は初出演ながら見事その回のMVP(ゴールド印)を獲得した。

■食事をまともにしていなかった為か、かなりの小食・味覚が若干おかしい。過去に川島にいたずらで焦げたキャベツを『トリュフ』だといわれ、とても美味しそうに食べていた。


【その他】
■兄はフロントストーリーの清水健次とコンビを組んでいたことがある。コンビ名は「マジェスティ」。

■ファンからの女装の評判がよく、女っぽいしぐさをよくする(自分のことを時々あたしという、など)。

■タム子か裕子と呼んだりスタイルがいいから女の子の役をしてくれと言われたりするなどとのって女性の役をしてくれる。

■学生のころ家庭の事情により自殺を考えたことがあり、教師に相談したら「田村君の笑顔でクラスが和むんだよ」と言われ思いとどまる。これがきっかけで芸人を目指すことを決意。

■タクシーが大好きでしょっちゅう乗っている(昔は貧乏だったため、乗れなかったものが今は乗れることが嬉しいらしい)。本人曰くジェットコースターよりおもしろいとのこと。

■しかもタクシー内で川島に話しかけるとき「タクシー!…あ、ちゃうわ。あのさぁ!」というように「タクシー」と「あのさぁ」を言い間違えたらしい。

■ヘビースモーカーであり、銘柄はマルボロライトメンソール。

■最近の日常生活でもどういうわけか運が悪い。「靴屋でガムを踏む」、「鳥の糞が両肩に同時に落ちた」、「牛丼の持ち帰りで牛肉が入ってなかった」、「買ったCDにCDが入ってなかった」など枚挙に暇がなくトークでもたまに話している。

■体内時計が正確で麒麟・千鳥の二笑流TVではたびたび正確な体内時計を見せた。

■10歳の時サッカー部に入るも、なんとなく退部。以降はバスケット一筋。中学、高校ではレギュラーだった。

■得意のバスケではダンクができる。

■ご飯をずっと噛み続けると甘味が増した後、徐々になくなっていくが、極限まで噛み続けると、ほんの一瞬だけ味が復活する事を発見する。田村家ではそれを「味の向こう側」と呼んでいる。

■現在借りている自宅マンションの前の住人は、フットボールアワーの岩尾望。ゲ−ム機を置いていってくれたらしい。

■ココリコミラクルタイプで菅野美穂に「田村君は良い子だ!!いいこいいこ!!田村君はほんとに良い子だ!!」とべた褒めされたことがある。

■只今極貧時代をネタに自伝を執筆中。

■水が怖い。泳げはするがいきなり水を掛けられると、泣いてしまうらしい。

■過去、彼の兄によって布団に包まれたせいで暗い所が苦手。

(出典:Wikipedia)

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川島明(麒麟)

川島 明(かわしま あきら、1979年2月3日 - )は、吉本興業所属のお笑い芸人。麒麟のボケ・ネタ作り担当。大阪NSC20期生。立ち位置は向かって右。相方は田村裕。


【概要】
■京都府宇治市出身。京都府立莵道高等学校卒業。血液型は不明。身長179cm。実家近くに住む祖母は漬物屋を運営している。現在は東京在住(相方の田村は、今も大阪在住)。

■あだ名はキラ、アキラ(自称)。しかし、家族からは「あきちゃん、ベリーちゃん」、祖母からは、幼少期に天然パーマのうえに目がクリクリだったことから「ベリーグッドマンちゃん」と呼ばれていた。また、相方から「あきちゃん、あきらちゃん」と時々呼ばれている。

■漫才やバラエティー以外に、ナレーターなどもこなす。

■視力が0.1以下で、小、中、高とビン底眼鏡を掛けていた。現在は、コンタクトを使用。


【芸風】
■漫才時は基本的に黒のスーツに黒のワイシャツを着ている。また、最近では黒のネクタイも装着し、真っ黒である。掴みに「麒麟です」とマイクに近づいて低い声で囁く。また、漫才が終わったあと床に手が付きそうなくらい深いお辞儀をする。

■漫才では、その美声を生かしてさまざまなキャラクターをこなす。レパートリーは、DJ、アナウンサー、MC、近所のオッサン、保育士、うさぎさん(うさぎっつぁん)、りすさん、くまさん、フランス人、おじいちゃんなど。また、靴音、心臓の音、ボイスチェンジャーを通した声、馬の嘶き、お箸箱のスライド音、バイクのエンジン音、風の音、iPodの音もれ、ワニワニパニック、現地人の通訳、ユニクロのCMのナレーター、たなかまきこなどさまざまな音の声帯模写も得意とする。ガッツ石松に関しては、似てないどころか真似る意志も無い。また、単独ライブ「キリン!キリン!キリン!」では川島明之丞、シニちゃんといったキャラを確立した。

■ネタ(ラジオのDJ)内で、「ア ハッピー ニュー イヤー」、「君に伝えたいこと」という歌を出したが、いずれも演奏時間はとても短く、曲調は全く同じである。

■大喜利が得意でダイナマイト関西によく出場している。

■現在は片方の目を隠すような髪型をしているため、「なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!」では、ゲゲゲの鬼太郎のマネをしたことがある。

■トークではツッコミ役となり、毒舌が出ることもある。

■口がとても大きく、VHSのビデオテープ・ルービックキューブが入る。ダウンタウンのガキの使いやあらへんででは、輪切りにしたレンコンを入れた。また、ハンバーガーを食べていた田村に「一口くれ」と言って食べようとしたら、「一口が半分以上やねん!」と叱られたこともある。舞台では、口に入れたビデオテープをパレット替わりにして相方田村の顔の絵を1分で描いた。


【低音】
■持ちネタの低音で囁く「麒麟です」は、タモリや後輩芸人のチーモンチョーチュウの菊地に真似されている。特にタモリは、芸人のギャグを本人の前で行う事はあっても、本人無しで真似することは珍しい。また、顔の前で横に手を動かしながら、「顔の裂け目が長い」と言われたこともある。他にも、とんねるずの木梨憲武にもとんねるずのみなさんのおかげでしたでよくモノマネをされている。

■2007年4月13日放送の史上最強のメガヒットカラオケBEST100 完璧に歌って1000万円!!で寺尾聰の「ルビーの指環」を歌ったところ、女性陣に低音の歌声を絶賛された(終盤で歌詞を間違え歌い切ることは出来なかった)。

■声変わりするまでは女性のようなとても高い声で現在とは正反対だった。

■好きな人にはよりイイ声を出そうとして低音の声がさらに低音になってしまい、バーで女の子を口説いた時には『何を言っているのか分からない』と言われてしまった。

■喉がつぶれた事が一回も無い(田村談)。学祭キングの彼等ではあるが、ネタを七本とフリートークを一時間した日がある。相方の田村裕は声が出なくなったにも関わらず、川島は大丈夫だったらしい。


【相方】
■相方の田村とコンビを組んだのは「アホが好きだから」と語る一方、「相方が一番格好良い」とも語る。相方とは仲が良い。

■夢は年をとっても田村と漫才をする事。将来は旅行しながら2人で漫才をして、旅行先でお金が無くなったらそこら辺で漫才をして、お金を取っ払いで貰ってまた違う旅館に行くこと。その夢を聞いた田村には、『ムリムリ、そんな時代ちゃう今』と笑われた。


【エピソード】
■元々人見知りが激しくいつも楽屋で一人だったが、次長課長の井上に声をかけられた事から心を開き始めた。井上を先輩の中で最も尊敬し、上下関係問わず最も親密な関係にある。現在もゲーマー仲間としてよく一緒に遊んでおり、番組で共演中もよく2人で喋っている姿が見られる。次長課長が東京へ行くことを知った時は、舞台本番中にも関わらず泣き出した。

■中学時代はサッカー部所属。よくしゃべる元気な少年で女の子にもモテたらしいが、その後、女性が苦手になったこともある。今では大分マシになっているようだが、現在でも女性の付爪が嫌い。

■ファーストキスの相手は合コンの相手で、初コンパで行った王様ゲームのお題によって奪われた。女性が苦手だったためかキスの直後に吐き気を催し、トイレに駆け込んだ。

■テンションが上がったり、考え事をしたりしていると周りが見えなくなる。高校時代には、急な坂道をどこまでブレーキをかけずに下れるか数人の友人と競い合い、最後まで競い合った友人がブレーキをかけたのを見て安心し、自分はそのまま電信柱に突っ込んだ。また、ストリークのbase卒業ライブ後、麒麟も含め芸人だけでカラオケ屋で打ち上げをした際、部屋の扉のガラスを拳で割った上、「俺めっちゃ力ある!」とテンションが上がり膝蹴りまでお見舞いした(その後すぐに弁償した)。

■昔男性から痴漢を受けたことがある。(その時は持っていた漫画雑誌を相手にぶつけて逃走した)

■メールで絵文字は使わない。昔同じような物だろうと「卍」をつけてみたところドン引きされたのもひとつの原因らしい。

■NSC20期生時代、服屋に行った時に『何かお探しですか』といわれるのが嫌だったため、身だしなみに一切気を使っていなかった。

■人にいじられるのが嫌いだが、自称M(だが番組などではドSとしか思えないような言動が非常に多い)。

■動物が好きで、中でも犬が大好き。

■口癖は、「今週のファミ通読むとこないなぁ」。


【家族】
■幼い頃は祖母の家に住んでおり、実家は相方(田村)ほどではないが貧乏で、父親が2万円の給料を持って帰ってきたことがある。おばあちゃんっ子。

■「M-1グランプリ2004」でやったネタで「いかがでしたか僕らの漫才」という歌詞に対して、母が真似して「楽しかったよ麒麟の漫才」とメールを送ってきた。しかも、後で電話をかけて、同じ内容を歌ったらしい。

■ある日おばあちゃんが暗い顔をしていたので話を聞いたら実は漬物が嫌いと言う事が判明して(貧乏臭そうで嫌だかららしい)驚いた事がある。(アメトーークにて)


【その他】
■昔、アルバイトでハンバーグ屋に勤めていた。そこで1日3食分のハンバーグを貰ってずっと食べていたのでハンバーグ臭くなった。臭いを気にして銭湯に行き、体を拭いたタオルの臭いを嗅いだら、ハンバーグの臭いがした。

■27歳の時まで、「喪主(もしゅ)」をもぬしと読んでいた。ちなみにこれを漫才中に発言し、田村に突っ込まれたことがある。

■高校生の頃は存在感が全くなく、体育の授業を抜け出したりしても気づかれなかった。

■高校時代、ヒトラーの「我が闘争」を読み、性格が180度変わる。

■2007年6月11日、眞鍋かをりと熱愛中であると週刊誌に報道された。(きっかけは元々眞鍋が川島のファンであり、あるバラエティー番組で田村の貧乏エピソードの3択問題に見事答え川島と話せる権利をゲットする事が出来、アドレスも交換した。)そのため翌日にゲスト出演したラジオ番組東貴博のヤンピースやくりぃむしちゅーのオールナイトニッポンでは、その件で電話やメールなどでリスナーからかなりイジられていた。2007年6月26日の『踊る!さんま御殿!!』のオープニングで明石家さんまに同件を突っ込まれたが『彼女のメイクさんやスタイリストさんなどスタッフも交えて2回ほど食事を共にしただけ』と自ら釈明した。

■雑誌は毎回3冊程買っており、「趣味・ゲーム・女」雑誌。ちなみにファミ通は「ゲーム」のジャンルに入り、とても愛読している雑誌の1つである。(麒麟の部屋 より)


【ランキング】
■2003年、吉本男前ランキング7位

■2004年、吉本男前ランキング7位

■2005年、吉本男前ランキング4位

■2006年、吉本男前ランキング2位

■2007年、吉本男前ランキング2位

ブラックマヨネーズの吉田敬は川島がランキングされることに納得していない。吉田曰く、「若いころの鹿賀丈史」に似ている(余談ではあるが、川島の祖母もTVに出た鹿賀を孫と間違えて録画していた)。

■2006年、baseよしもと

■男前ランキング1位

■キスしたいと思う人ランキング1位

■ブサイクランキング13位

■キスされたくない人ランキング15位

■「Qさま!!」の10M高飛び込みで2分05秒という好成績を残す(絶叫系の乗り物やバンジージャンプなどは大の苦手にもかかわらずである)。柴田英嗣、KABA.ちゃん、西川晃啓、松本康太に次いで5位。


【特技・趣味】
■習字

■書道五段。

■イラスト

■ダーツ

■ギター(麒麟の部屋でギターを披露)。

■洗濯機が回るのを見ているのが好きらしい。

(出典:Wikipedia)

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麒麟

麒麟(きりん)は、田村裕と川島明による吉本興業・大阪本社所属のお笑いコンビ。漫才コンビ。2006年9月30日の単独ライブ「麒麟デシタ」を最後にbaseよしもとを卒業。当面はどこの劇場及び団体にも拠点を置かずに活動する模様。(ヨシモト無限大より)


【メンバー】
■川島明(かわしま あきら、1979年2月3日 - 京都府宇治市出身)ボケ、ネタ担当。立ち位置は向かって右。

■田村裕(たむら ひろし、1979年9月3日 - 大阪府吹田市出身)ツッコミ担当。立ち位置は向かって左。


【概要】
■1999年10月結成。(1999年12月、1997年10月、12月等諸説あり)。共に大阪NSC第20期生。同期にアジアン、 ソラシド、吉本新喜劇の西科仁らがいる。

■互いの第一印象は、川島→田村「アホ」、田村→川島「気持ち悪い」とあまり良いものではなかったが、川島のネタの発想を気に入った田村が、悩んだあげく声を掛けたのがコンビ結成のきっかけである。川島としては、明るくてどんどん前に出る人間が苦手だった為、当初田村の積極性がイヤだったが断る勇気もなくズルズルとコンビを続けた。

■舞台登場の挨拶時に必ず、川島がマイクに口を近づけ低音ボイスで言う「麒麟です」が掴みの基本ギャグだが、最近はそのバリエーションが増えている(下記「ネタ」参照)。常に安定感のある漫才が特徴的。また、短めの漫才をパターンを変えて繰り返す二部構成、三部構成の漫才もある(小説・コンビの仲など)。川島がボイスを田村がジェスチャーを担うことが多い。川島が田村をいじり倒すようなボケを放ち、それに田村が抵抗のツッコミをするといった形が多い。また、漫才の終わりに田村が「もうええわ」と言った後、川島が1回ボケて、田村が突っ込んだ後にそのまま礼をする漫才もある。

■ネタの中で川島は、田村をかりんとうや十円玉など茶色いものに例えることが多い(下記「茶色いもの」参照)。また、田村の悩み事が「二本脚で立てたらいいな」や、服を着ていて「珍しい」、「早く人間になりたい」など、人間ではないような言い方をする。更には、後頭部がえのきに似ているとして「妖怪えのき小僧」、「妖怪小豆小僧」と呼んだこともある。

■結成当初はコント中心の活動であまり認められなかったが、漫才中心にしてから徐々に頭角を現し、2000年ごろから baseよしもとの舞台に出演し始めるようになる。そして、2001年12月の第1回M-1グランプリで、吉本興業社員にも知られていなかった無名のダークホースとして決勝に進出、その後はM-1の常連となる(以降、M-1でノーマークの無名コンビの枠は「麒麟枠」と称される)。現在第3回から第6回まで4年連続で決勝進出を果たしている。また、第4回から第6回まで3年連続で最終決戦進出も果たしているが、最終決戦ではまだ1票も入れられたことはない。そのため、M-1では「2本目(最終決戦)のネタが弱い」と言われ続けている(特に第5回では、決勝1回戦の時点では笑い飯に大差を付けて2位だったが、最終決戦では逆転して3位になってしまった)。


【エピソード】
■コンビ名の由来は、2人とも長身・面長でどことなくキリンっぽい風貌を持つことと、結成時に自分たちの知っている一番難しい漢字であったからである。しかし、田村が「麒麟」と書けなかったり、間違って「麟麟」と書いたこともある。また、将来が期待される少年という意味の言葉である麒麟児からとったが、ミュージシャンのキリンジと被ってしまう為、「児」を取り「麒麟」となったとも話している。田村曰く「コンビ名はカタカナが多いため漢字で目立とうとした」らしいが、本人が考えたコンビ名は「月と砂」「銀色の鈴」という簡単な漢字ばかりの名前だったらしい。そこで知っている中で一番難しい漢字を組み合わせていき、最終候補となったのが「薔薇園」「侮辱」「醤油愛好家」「麒麟児」。その中から「麒麟児」を選び「麒麟」となったのは前述の通りである。

■川島は高校時代ずっと空想していたシュールな世界をコントで表現しようとNSC入りしたものの、仲間うちにはウケても講師にはまったくウケなかった。コンビ結成後もNSCのクラス分けでは、最低のCクラスに最後まで在籍。講師に「お前ら、やめた方がええで」とまで言われたが、なんとかNSCを卒業して、自分たちを馬鹿にした講師を見返してやるという思いからしばらくコントを続けたが、どうにもしっくりこなかった。そんな時、オーディションの為にその場しのぎで作ったネタがかなりウケたのが漫才を始めるきっかけとなった。それまで「コント=自由」「漫才=制約があり不自由」という固定概念が2人を漫才から遠ざけていたが、型にはめることで自分たち独自の発想が観客にも分かりやすく伝わるということがわかり、この時初めて観客というものを意識したとも言える。

■一度だけ単独ライブで田村が考えたネタで漫才をやったが、あまりにウケなかった。そのため、ネタ終了後に川島から「もうこんなことしないようにね」と説教された。因みにオープニングの「麒麟です」は、すごくやりたかった田村が言った。

■川島は電気グルーヴのファンということもあり、出囃子に「Shangri-La」を使用している。また、「お笑いオーケストラ」、「爆笑ヒットパレード」では、東京進出を見込んで引っ越したと発言している。なお、田村は資金不足で東京進出失敗し大阪に残留していたが(川島は「お笑い芸人の東京進出失敗は少なくないが、資金不足で失敗したのは前代未聞。」と語っている)、『笑いの金メダル』の企画で強引に都内のアパートに引越しをさせられそうになった。2007年5月5日放送の北海道ローカル番組でやっと東京に進出する事に重い腰を上げたと本人が語っている(ちなみに20枚にわたる物件情報を貰い眺めていたが、終わりに気付かず捲り続け、気付かないまま同じ物件を何度も読んでいたという)。

■かつて同じbaseよしもとのトップ組だった笑い飯・千鳥とは非常に親交が深い。ちなみにこの三組で「ワラキチ(笑麒千)」となる。しかしその「ワラキチ」をタイトルにしたイベントの時、笑い飯は字の形的に「キ」を「モ」だと思っていたというボケをかまされてしまった。


【ネタ】
《麒麟です》
川島が掴みとして、漫才中に必ず言う「麒麟です」のバリエーション。

■いきなり川島が無関係な話を始め、肝心な所で「麒麟です」。

■怖い話を始め、「振り向くと、そこには……あ、忘れてた。麒麟です」。

■馬のモノマネをしてからの「麒麟です」。

■通常は低音の声であるところを、普通の声で「麒麟です」。

■大きく息を吸って勢いをつけての「麒麟です」。

■低音の声のまま、「麒麟です、よろしくお願いします」まで言ってしまう。

■「えっ、麒麟って誰?」

■(賞レースで「続いては麒麟さんです。」と紹介を受けて、)「麒麟さんです。」


《茶色いもの》
ネタ中に田村が川島に例えられる茶色いもの。

・無印のノート
・かりんとう
・コルクボード
・さんまの苦いとこ
・カステラのはがした皮
・玄米
・糠味噌
・うんこ
・ピスタチオ
・ひじき
・チャーシューの側面
・カブト虫の裏
・十円玉
・茶封筒
・甲子園の土
・ハムナプトラ
・納豆
・エクレア
・泥人形
・泥の棒(泥スティック)
・スティックパン
・コロッケ
・マッチの擦る所
・チャーリーブラウン(チャとブラウンに「茶」がかかっている)
・ケニア人
・仏壇(観音開き)
・生駒トンネル
・ライオンズマンションの壁
・中指
・ものすごく勉強した後のココ(手の小指の付け根)の色
・牛蒡
・錆びた釘
など

(出典:Wikipedia)

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柳原可奈子

柳原 可奈子(やなぎはら かなこ、1986年2月3日 - )は、太田プロダクション所属のタレント、お笑い芸人である。


【略歴】
■幼児期にモデルとして雑誌デビュー。

■東京都立小平高等学校の普通科外国語コース卒業。この頃からアマチュアのライブなどに出演していた。

■東放学園専門学校東京アナウンス学院お笑いタレント科(現・芸能バラエティ科)卒業後、太田プロダクション所属となる。

■2007年に入り10代の女性をターゲットにしたキャラが注目され始め、TV番組での露出が増えるようになる。


【人物】
■東京都中野区出身。

■赤ちゃんの頃から赤ちゃんキャラで芸能界で活動。ちなみに生まれたときの体重は4,400gと大型だった。

■特技はインターネット、トロンボーン、中国語。 趣味は読書、アイドルのおっかけ(モーニング娘。)。

■公式プロフィールのサイズは身長は153cm、体重63kgとあるが、これは太田プロ所属時。現在は体重72kg、体脂肪率48%だと判明した。血液型はB型。視力は0.05(2006年3月・公式ブログより)。「体重のためにネタのキレが悪くなった。65kgがベスト」とのことである(2007年7月13日ライオンのごきげんよう出演時の発言)。

■ネネという犬(シーズー)を飼っている


【ネタ】
■主にコント。「渋谷109カリスマアパレル系ショップの店員」「総武線西船橋駅近辺の女子高生」「FMラジオのDJ」など。カフェなど女子高生達があつまる場所に足しげく通い、女子高生の面白い会話をノートに書きとめネタ作りをしている。

■また、「渋谷109のカリスマアパレル系ショップの店員」のキャラはバラエティ番組でも使用している。


【ネタとして言う言葉】
「いらっしゃいませ〜 どうぞごら〜んくださ〜い」


【逸話】
■前述の通り、高校の時からライブに出演しており、当時から雑誌「お笑いタイフーン」に掲載されるなど注目を集めていた。

■本人曰く好きな男性のタイプはムーディ勝山(めざましテレビのコーナー「広人苑II」より)。

■料理は年に4、5回ぐらいしかしないらしく、「愛のエプロン」(テレビ朝日)出演時にはジャッジを務めた和田アキ子からあまりの不味さに「死ね!」と言われるほどであった。

■一時期芸能人女子フットサルチーム「YOTSUYA CLOVERS」に所属していた。

■ウェブログはW42Sを使って更新していることが多い。

■小学校での成績はオール5の秀才であった。

■ファッションモデルの榎本亜弥子は高校の同級生であった。

■森三中の村上曰く「かわいいデブ」。

■岡村隆史に「女デッカチャン」や「中華の被り物に似てる」と比喩された事がある。

■めちゃ×2イケてるッ!の只今参上 色とり忍者のコーナーで、白い忍者の衣装を着た際「給食のおばさん」といわれ、かなり凹んでいた。

(出典:Wikipedia)

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若井おさむ

若井 おさむ(わかい おさむ、1973年1月14日 - )は、吉本興業所属のお笑い芸人である。京都府出身(本人談。他に愛知県や大阪府出身と表記されることもある)。大阪府立阿武野高等学校卒業。吉本総合芸能学院(大阪校)24期生。元漫才コンビはちみつメロンのボケ役。2002年3月、ピン芸人としてデビュー。


【プロフィール】
機動戦士ガンダムの主人公、アムロ・レイのモノマネコントをする芸人。ガンダムの有名なセリフを使いコントを進めていく。アムロ・レイの声優古谷徹が演じる星飛雄馬やペガサス星矢のモノマネもする。ただし古谷本人は「僕の声に似ているとは思いません。」と公式サイトの掲示板でコメントしているが、話し方は似ていると認めている。一方、ララァ役の潘恵子には「若井くんの方がアムロを誇張してやってるからアムロっぽい。古谷くんに何かあったらその時はお願いね。」と太鼓判を押されている。

2006年10月1日にテレビ朝日系で放映された「笑いの金メダル」内のコーナー「勝ち抜きワンミニッツショー!」で初の5週勝ち抜き芸人となり、サプライズプレゼンターとして登場した古谷徹と初対面した。また、ガンダムエースのVol.51(2006年10月発売号)では特別企画として古谷徹との対談企画が実現している。

2006年末には、機動戦士ガンダムシリーズを制作したサンライズの忘年会の余興に出演、その際にガンダムの原作者たる富野由悠季との対面も果たしている。

第2回R-1ぐらんぷりから、現在(R-1ぐらんぷり2007)まで、準決勝に進んでいる。

ヨシモトファンダンゴTVで放送していた番組「ワイ!ワイ!ワイ!」のコーナー「今日は誰? 有名人携帯電話の旅」にチュートリアルがMCの月曜日に出演し、経営していた居酒屋が徳井の実家の近所だった(京都の千本今出川)ことや、芸人になるきっかけについて話していた。

コンビ時代の若井を知るブラックマヨネーズは当時の印象を「華がなくて礼儀正しい子だった」と語っている。

2007年3月、オーディションライブでの合格がならなかったbaseよしもとへの挑戦を断念し、東京進出を果たした。


【ギャグ・ネタの特徴】
基本的にはアムロ・レイが日常に現れたという設定で話が進むが、オチは素の関西弁の兄ちゃんに戻って落とすことが多い。 初期の頃は、手作りのアムロ風衣装でショートコント(ガンダムとは関係のない内容)をやっていた。それがモノマネ漫談のような形式に変化し、R-1ぐらんぷりに出場した頃から現在のガンダムを題材にした一人コント形式に落ち着いた。 ネタ衣装は市販の地球連邦軍の男子制服。なお、自室のクローゼットには「お出かけ用」「運動用」「大事な仕事用」「家着用」の男子制服各1着、セイラさんの部屋から盗んできた女子制服1着、その他各種ガンダム衣装が揃っている。

主なセリフ

■自己紹介→「みなさんこんにちは、ガンダムのパイロットのアムロ・レイでおなじみの、アムロ・レイです。」

■ゴキブリが出現→「奴だ、奴が来たんだ!」

■赤信号→「赤い彗星のシャア」

■青信号→「グフ」

■ザク、ザク、ザク(葱を刻む擬音)→「ザク」

■目上の人→「ブライトさん」

■絡んだタレントをガンダムキャラの名で呼ぶこともある。

■なだぎ武のディラン→「ブライトさん」

■友近のキャサリン→「セイラさん」

■おぎやはぎ→「ブライトさん、リュウさん」など。

■その場でやるアムロ以外のモノマネ→「星飛雄馬」、「ペガサス星矢」、「普段のキティちゃん」、「電子レンジ」など

■教習所の教習車を見て一言 ※番組(スポンサー)の都合によりセリフが変わる場合がある。

■R-1→「ジオンのザクか!?、え?、日産のサニー?」

■笑金→「ジオンのザクか!?、え?、ベンツ?」

■笑いの金メダル内のコーナー「ワンミニッツショー」では2週目から、オチが「最初はグー、じゃんけんグー、あいこでグー、僕はパー」というギャグ(これは、元々自動車教習所ネタのオチである「じゃんけんパー、あいこでパー、アタマパー」の変形である)に統一されていた。

主なギャグ

■「ミノフスキー粒子散布」(主に自分に都合の悪い流れになったとき)

■ぶりっ子がしそうなポーズ(両頬に人差し指をあてて体をくねらせる)

■ペコちゃんのようなかわいい顔(右上に舌をだす)


【TV番組等での扱い】
■イロモノ芸人としてアクセント的に呼ばれることが多い。

■「ガンダム芸人」として番組に呼ばれた場合には、終始アムロ・レイの声真似とガンダムギャグに徹する。しかし(地上波では滅多にないが)「芸人・若井おさむ」として出演した際のフリートーク能力も意外に高い。

■ガンダム好きの芸人達からは絶大な支持を受けている(ガンダムオタクである次長課長の井上が好きな芸人のトップに名を挙げる等)。

■ガンダムグッズに埋もれて生活しているため(自称「モビルスーツ屋敷」)相当なガンダムマニアと思われがちだが、しばしば普通の初代ガンダムファンの域を出ないことをうかがわせることもある。

■『ヨシモト∞』(若井おさむ&ネゴシックスの20分)出演時、ネゴシックスから「ガンダムなら何でも答えられるのか」と聞かれ、「答えられる」と言い切ったものの、「第27話のタイトルは」という問いを「それはまた追々…」と言ってかわした。

■『TVチャンピオン2』の「外国人アキバ王選手権」にゲスト出演した際「ガンダム関連ならどんな難問でも答えられる」と意気込んだが、「F90の換装バリエーションを全て挙げよ」と問われると「一年戦争(初代ガンダム)しか分かりません」と答えた。

■『えらすべりネタグランプリ』の楽屋で、ドラえもんを読んでいた。中山功太とネゴシックスに「キャラを考えろ」と注意された。

(出典:Wikipedia)

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イジリー岡田

イジリー岡田(いじりーおかだ、1964年9月23日 - )は、東京都出身のお笑いタレント。本名は岡田昇(おかだ のぼる)。ホリプロ所属。浦和実業学園高等学校卒業。


【来歴・人物・芸風】
東放学園専門学校在籍時代から番組制作に携わり、小堺一機、関根勤の下積み時代のライブにも裏方のバイトとして参加するなどの経験。相方を半ば強引に誘いキッドカットというコントコンビを結成し、デビュー。しかし1990年には解散となり、ピン芸人としての活動を始める。

基本的にはしゃべりやものまねを得意とするタレントである。『ギルガメッシュないと』(テレビ東京)に出演していたこともあり、イジリーという芸名は卑猥な印象を与えるが、「イジリー」は「素人いじり」「客いじり」(=観客などをネタにして笑いをとる事)が上手いことから名付けられた芸名である。ちなみに、NHKではこの芸名は使えずに、本名の岡田昇で出演することが多い。

『ギルガメ』出演時は、フジテレビの『ものまね王座決定戦』に出たがっていたと言われるが、現在、日本テレビの『ものまねバトル』に出演中。しかし『ギルガメ』の印象があまりにも強烈だったため、一般的にはものまねタレントというイメージは少ない。

ギルガメ時代に鍛えたのか、舌を異常に高速でレロレロさせるのが得意。

ギルガメ終了数年後のフジテレビの27時間TVで、深夜帯のエロコーナーに、通年は若手芸人しか出演しないが、その年はビートたけしら大物が多数参加していた。しかし、「船頭多くして船渡らず」状態で、グダグダの展開に出演者たちも困っていた。この時に、途中から急遽イジリーが仕切り始めてから、一気にエロコーナーがエロコーナーらしくなり、大物芸人たちは、イジリーのエロ仕切りぶりに圧倒され、エロ分野での完敗を認め「天才エロ芸人」という称号を贈った。

2006年現在、ポストイジリー(天才エロ番組仕切り芸人)はまだ出ていない。(そもそも今日ではエロ番組自体が無いのでその存在は絶滅したに等しいだろう)

三沢光晴のものまねからも分かるようにプロレスファンとして知られ、2005年7月18日の『プロレスリング・ノア 東京ドーム大会』には後輩・ダウソタウソ(ダウンタウンのそっくりさんコンビ)の松本等しいを引きつれ、プライベート(自費)で来場した。また、 2006年3月21日に行われた全日本プロレスのファン感謝デー興行で、三沢光晴に扮して小島聡とタッグを結成。武藤敬司・神奈月(神奈月は武藤敬司に扮して登場)と、本当のプロレスの試合を行い、好評を得た。

94年から96年にかけ、日本テレビの早朝の子供向け英会話番組「Hayami English Network (HEN)」に、めんどりの着ぐるみで登場していたことがあったが、エロ芸人ぶりは子供相手の番組のせいか封印されていた。

イジリーのエロな芸風は前述の通りであるが、本人はそもそも下ネタが嫌いで、芸人にありがちな乱れた女性関係も嫌悪していたとの発言をしている。よってその様な芸風は本意ではなく、『ギルガメッシュないと』というエロ中心の番組の中で、本人の嗜好とは関係なくやらざるをえない状況の中で生まれた芸であったようである。 「アメトーーク」では楽屋をスペアキーで侵入、ゲストが「やめてください!!」って言っても堂々とその事をやった。2007年2月22日放送回では、熊田曜子、安田美沙子、ほしのあきの楽屋に侵入。 熊田は食いかけの弁当を食われる。安田はリップクリームを半分以上食べられる。ほしのは自前(ほしの)の歯ブラシで歯(イジリー本人)を磨いたりなどの被害を受ける。しかし、その後本人はものすごく罪悪感に苛まれたらしい。


【主なものまねのレパートリー】
・宮崎駿
・綾小路きみまろ
・石立鉄男
・三沢光晴
・渡辺篤史
・柳生博
・星野仙一
・坂上二郎
・岸田今日子
・安斎肇
・小出義雄
・杉村太蔵
・江川卓
・下條アトム
・森本レオ

なお、歌唱力もプロ並である。

・さとう宗幸 (中学2年生の頃から)
・森山直太朗
・河口恭吾
・松山千春
・北島三郎
・稲垣潤一

(出典:Wikipedia)

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渡部建(アンジャッシュ)

渡部 建(わたべ けん、1972年9月23日 - )は、日本のお笑い芸人。アンジャッシュのツッコミ担当。

東京都八王子市出身。人力舎所属。血液型O型。神奈川大学経済学部卒。


【プロフィール】
■1993年、児嶋一哉とお笑いコンビ「アンジャッシュ」結成。

■相方の児嶋に誘われて、JCAに入った。その為、1期生ではなく2期生になる(児嶋曰く、5人目に誘ったとなっているが真偽は不明)。しかしプロフィールではJCA1期生になっている。

■名の正しい表記は「建」だが,しばしば「健」と間違われる。所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!の公式HPにも、「渡部健」と表記されていた(現在は直されている)。

■英検2級を持っている。


【エピソード・特徴】
■児嶋とは対照的に渡部は高校時代いわゆる人気者タイプであった。

■痩せている。ヘルニア持ちである。

■よくおごったりしているので後輩から人気がある。「普通に本当にいい先輩」らしい。

■イケメンと言われることがあり、『JUNON』で抱かれたい芸人No.1になった。同雑誌にてシャワーヘッドグラビアを披露したが周りからは大不評。本人も突然の撮影に戸惑った(「雑誌の写真撮影」とだけ聞かされてスタジオに行ったところ、突然水着に着替えろと言われ、訳も分からないまま着替えた途端水をかけられたらしい)と『世界まる見え!テレビ特捜部』等で語っていた。横に居た児嶋は「お前がぜひやらせて下さいって言ったんだよな!」などと半笑いで言っていたが、当然渡部は完全否定していた。

■上記の通り、本人はイケメンでないのを自覚している。辺見えみりとの雑誌の対談で本人自ら発言している。

■悪戯好きで同じ事務所であるアンタッチャブルの山崎弘也と組んでいろんな人にちょっかいをかけ、同じくアンタッチャブルの柴田をはじめその場に居合わせた他の芸人もその悪戯に乗ったりする。この為、おぎやはぎの小木博明は事務所の芸人で相方の矢作と児島以外とはあまり接しないようにしており、ユリオカ超特Qなどからは渡部と山崎の組み合わせを「悪魔コンビ」と称されている。また、ドランクドラゴンの塚地武雅なども悪戯の餌食になることがあると言う。

■俳優の伊原剛志に似ているというのが自慢らしい。

■『ネプリーグ』(フジテレビ系)で「日本の歴代女性大臣は?」はという問題で「誰でもいいんでしょ?」と余裕を見せ自信満々に「土井たか子」と答え不正解。原田泰造に「エロかっこいい」ならぬ「アホ格好付け」と言われ「顔がいいのに」と笑いものにされた。

■2005年2月、女優の伊藤裕子と熱愛報道がスクープされた。『エンタの神様』で波田陽区がこのことをネタにしていた。またレギュラー出演していたコント番組『メンB』の『さっくんお兄さんの気にしない体操』というコーナーで佐久間一行に「合コンコントで本当のカップルが出来ちゃった〜♪」といじられた。その後熊田曜子との合コン写真もスクープされている。

■渡部家では大事に育てて大学にまで行かせた息子をお笑いの世界に連れ込んだとして児嶋は嫌われており、「児嶋」と呼び捨てにされているらしい。

■禁煙に成功した。

■姓の「渡部」も「ワタナベ」と間違えて読まれることが多く、行きつけの居酒屋の店主にも「ワタナベ」と呼ばれていて、しばらくすると「ナベちゃん」とあだ名まで付いてしまった。さらに、「ナベちゃん」から「ナベシマ」になり、今では「シマやん」と呼ばれているらしい。原型を留めていないため、今更訂正できない、そのうち「コジマ」にならないかと困っているという。

■渡部がワタナベと間違われることは彼らの中のネタ(ザッツ「アンジャッシュ」メントにある)「心の声」にも出てくる。

■母校の大学祭に凱旋出演した際、「おかえりなさい渡部先輩」の横断幕が欲しかったとコメントしている。

■阪神タイガースのファン。

■小学1年から中学3年までの9年間、八王子リトルリーグに所属。東京ヤクルトスワローズの 遠藤政隆とチームメイトであった。1つ下に元西武の高木大成がいた。


【交友関係】
■交流のある有名人は、くりぃむしちゅー、長井秀和、カンニング竹山隆範、陣内智則など。意外にもライブドアの前社長堀江貴文と交流がある。売れない頃、よく土田晃之と遊んでいた。 

■スピードワゴンの小沢一敬と仲が良く、偶然にも2人は学生時代BOØWYのコピーバンドをやっていた。大抵は渡部が、小沢の家に遊びに行き、酒に酔い、最終的にはBOØWYの解散DVDを見て大合唱し「いつかバンドやりたいね」と語り帰るのだとか。プライベートでは井戸田潤のかわりに「甘ーい」を言い、また対抗して「苦ーい」シリーズを作っている。


【特技】
■歌が上手く、『笑いの金メダル』の企画でスピードワゴンの井戸田潤とペアを組んで高得点を出した。 

■『ウタワラ』(日本テレビ系)のコントではボケ役・女装をやることが多い。逆に相方の児嶋はツッコミ役が多い。くりぃむしちゅーの上田晋也を見て自分もピンで仕事をしたくなってマネージャーにピンで仕事をいれろと言ったことがある。

(出典:Wikipedia)

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児嶋一哉(アンジャッシュ)

児嶋 一哉(こじま かずや、1972年7月16日 - )は、日本のお笑い芸人であり、アンジャッシュのボケ担当(たまにツッコミ)。

東京都八王子市長房町出身。人力舎所属。血液型はA型。身長177cm。


【略歴】
児嶋は同期で明治大学の落研の部長だった三浦とコンビで一時活動していたが、ほどなく解散。三浦は後に新宿のショーパブ「黒鳥の湖」でダンサーとして活動。

1993年に高校の同級生である渡部建とコンビ結成。因みに、高校時代は渡部とは話したことはなく、噂で人気者であったということを聞いていたという。高校時代はあまり目立つ方ではなかった。お笑い芸人になりたくてJCAに入ったが相方が見つからず、「高校時代の同級生から探そう」と電話を掛けたが断られ続け、今の相方は五人目。コンビ結成当初は「お前だけだ」と言い張り、本人曰く「辞められたら困る」ため、車で送り迎えもしていたらしい。しかし渡部が歩いていたエリートの道を踏み外させた原因として渡部の両親には未だに嫌われており、『児嶋』と呼び捨てで呼ばれている(これに関して渡部本人はどう思っているかは不明)。


【特徴】
■2003年12月に第3期日本プロ麻雀協会プロ試験に合格し、麻雀プロの資格を取得した。取得した理由は、周りの人達に「すごい」と言われたいだけである。飼い猫の名前は「ロン(もちろん、麻雀用語の「ロン」からである)」

■上記に関連し、フジテレビの麻雀番組『芸能界麻雀最強位決定戦 THEわれめDEポン 生スペシャル』への出演を懇願しており、2007年1月1日の放送で叶う。優勝を飾った。

■今はボクシングにはまっている。

■大型自動二輪の免許を持っている。

■自他共に認める赤面症でもある。スベると赤くなり、ウケても赤くなるらしい。相方には「営業妨害」「芸人向いてない」等と散々言われている。以前舞台でアンタッチャブルの山崎弘也に無茶振りをされ案の定スベり、幕が閉まったと同時に山崎を殴ったらしい。雑誌のインタビューで間違えて答えたときには、渡部は児嶋の”赤面治り待ち”をしたこともあるらしい。

■ものすごく長渕剛の大ファンでくりぃむしちゅーの上田晋也とアンタッチャブルの柴田英嗣と一緒に長渕剛をかたりあうほど。


【交流】
■ペナルティのワッキーと元極楽とんぼの山本圭一は麻雀仲間である。

■アンタッチャブルの柴田英嗣やおぎやはぎの小木博明と仲が良い。小木に関してはお互いに相手を下に見ているらしく傍からは「最低の関係」だと言われている。

■一時期くりぃむしちゅーの上田晋也の家に居候していた。そのため、プライベートでも上田と仲がよい。

■陣内智則とは二人っきりで誕生日を祝ったほど仲が良い。

■メッセンジャー黒田が藤崎奈々子に告白した酒の席にも立ち会っていた。

■飲み友達&合コン仲間は、バナナマンの日村 勇紀等


【エピソード】
■ジャニーズ事務所に履歴書を送ったことが2回あるが、2回とも落選した。しかし、まだ落選の通知が来ていないので、ジャニーさんは未だに迷っているといっている。

■2004年のある時期、児嶋が学生時代いじめられていたという話が出たことがあった。もちろん相方渡部のネタであるが、その昔話は雑誌やラジオなど様々なところで披露されていた。

■1月から3月までを英語で言えと言われ「ジャニュアリー、フェブラリー、ライブラリー」と言う天然ボケ。

■あるトーク番組で児嶋の高校時代が語られたが、それによると児嶋はあまり学校に来ず、サボってデパートのトイレで弁当を食べていたこともあったとか。とにかく学校では目立たない存在だったが、漠然と芸能界に憧れを持っており、歌手は無理だ、アイドルは無理だと消去法のような形で芸人の道を歩む。

■児嶋は渡部に「俺は事務所(人力舎)の社長にすごく気に入られてて、相方がいれば間違いなく売れる。渡部、お前しかいないんだよ」と、熱心に誘って渡部と組むことになった。しかし、実際のところ、児嶋はまだ事務所の社長に顔すら覚えられておらず、また、前述の通り高校時代の同級生に手当たり次第勧誘しており、渡部が5人目だった。

■おぎやはぎの小木と妻(森山奈歩)を八景島シーパラダイスに遊びに行こうと誘ったが断られ、結局上野動物園に行った。あろうことかその時の写真が週刊誌に載ってしまい、児嶋の誘い方があまりに熱心であったこともあり、ラジオ番組『おぎやはぎのメガネびいき』でリーク児嶋の疑いをかけられた。最終的には児嶋が番組にゲスト出演し、リスナー投票による「リーク児嶋裁判」が行われ、晴れて無罪ということになった。だが、おぎやはぎの二人は未だに児嶋を疑っており、番組内でリーク児嶋と呼ばれている。


【ダイエット】
■2004年には千葉テレビ放送で放送していた『M'zip』(現在は時刻も変更され『白黒アンジャッシュ』になっている)でダイエット企画が持ち上がった。水泳やジョギング等をして見事2ヶ月で15kgの減量を果たした。

■その時に始めた格闘技に現在もはまっている。しかしダイエット後に出演した『笑いの金メダル』では瓦割りを命じられ見事一枚も割れないという記録を残した。そのとき司会のくりぃむしちゅーから「お前ふざけんな」と言われる。さらにその直後、ゲスト出演していた武蔵に勝負を挑み予想通り撃沈している。

(出典:Wikipedia)

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アンジャッシュ

アンジャッシュ(UNJASH)は、高校の同級生である児嶋一哉と渡部建による、東京都八王子市出身のお笑いコンビである。プロダクション人力舎に所属。1993年に結成された。略称は「アンジャ」。


【メンバー】
■児嶋一哉(こじま かずや、1972年7月16日 - )
ボケ(たまにツッコミ)担当。東京都八王子市出身。八王子市立弐分方小学校、八王子市立元八王子中学校、東京都立日野高等学校卒業。スクールJCAの第1期生(本人曰く補欠で入学)。麻雀好きとして有名でプロ麻雀士の資格を持っている。高校時代の同級生である渡部とコンビを結成。身長178.2cm。

■渡部建(わたべ けん、1972年9月23日 - )
ツッコミ(たまにボケ)担当。東京都八王子市出身。八王子市立片倉台小学校、八王子市立中山中学校、東京都立日野高等学校、神奈川大学経済学部卒業。スクールJCAの第2期生(本人曰く学費未納入)。身長175.7cm。


【略歴】
■1993年結成。スクールJCA1期生(児嶋)2期生(渡部)。初のJCA出身コンビの為、当時の若手実力派が集まるライブに早くもたびたび出演する。

■スクールJCAへの入学は、八王子の先輩のヒロミのアドバイスによるもの。

■芸歴での同期には土田晃之、バナナマンらがいる。

■1990年代半ば、『ボキャブラ天国』シリーズに出演。

■1990年代後半〜2001年には、くりぃむしちゅーとアンタッチャブルによるユニット「ゲバルト一族」のオムニバスライブで話題となる。

■1997年3月14日第7回ニッポン放送高田文夫プロデュースOWARAIゴールドラッシュII優勝。

■1998年1月26日第10回ニッポン放送高田文夫プロデュースOWARAIゴールドラッシュII第2回グランドチャンピオン大会優勝。

■1999年から『爆笑オンエアバトル』に第一回目から出演(オフエアだったがその後番外編としてメインのドキュメンタリーが放送される)。しかしその後毎回高得点を出し、チャンピオン大会ではほとんどが上位である。2003年1月には同番組の第5回チャンピオン大会で優勝を果たした。初のコントでチャンピオン初の関東勢、そして吉本興業以外の所属、人力舎芸人で初めての優勝。そして番組のゴールドバトラー、プラチナバトラーを両方受賞している数少ないのコンビである。同番組において、オーバー500やトップになった回数は1番多い。自己最高529KBを2回獲得(同番組の第一回チャンピオン大会で、立川談志に褒められた)。『ボキャブラ天国』では目立たなかったが、『オンバト』では顔的存在で、中には「オンバト=アンジャッシュ」とする人もいる。

■2003年から『エンタの神様』に出演して人気や知名度が上がり、少しずつ売れ始める。2004年『笑いの金メダル』では高い評価を受け、記念すべき第一回金メダリストとなる。

■2004年9月千葉テレビ放送で初の冠番組、『白黒アンジャッシュ』が始まる。

■2005年1月24日人力舎所属若手お笑い芸人11組によるオールスター・ユニットビジトジでCDデビューし、リーダーになる。

■2005年4月から『ポップジャム』(NHK)で初めて歌番組の司会を務める。

■2005年好きな芸人ベスト4位になり、島田紳助やビートたけしを抜いた。『いい男はマーケティングで見つかる』でドラマデビュー。


【特徴】
■勢いだけでない、よく練り上げられたコントに定評がある。一般的な「ボケとツッコミのあるコント」もするが、一方が話した会話の断片をもう一方の相方が誤解したまま話を合わせ、お互いがお互いの会話を疑問に思いつつ話が進む「ボタンのかけ違え」的な進行パターンや、2人の言葉の断片などが偶然につながることで世にも奇妙な(そして笑いを生む)会話や光景の成立するパターンが多い。前者の場合、「2人が近しい仲」という設定なら、普通の会話をしている(はずの)渡部の発言を児嶋が勘違いして、おかしな会話が進んでいき、「2人が顔見知り程度」なら互いが互いの発言を勘違いするというパターンになる。稀に、勘違いが解消されることもあるが、次にまた別の勘違いが始まる。後者の場合ボケもツッコミもなしに、ただ断片をつなぎ合わさることで上手く笑いを作り上げることも多い。ちなみにコントにはかなりの確率で下ネタが入る(例:野球のバットを男性の”アレ”と勘違いする)。「勘違いネタ」であるがゆえに、両方ともボケ、ツッコミを担当するネタも多い。

■ネタの中で女性の名前が出てくるときは「マユミ」、男性の場合「クロダ」「タドコロ」「シミズ」「タカシ」ということが多い。「マユミ」の由来は渡部の昔の彼女が由来だと言っている。渡部はマユミに「アンタには未来が無い」と言われて捨てられたらしい。

■コンビ名は、渡部が考えた「J (JOY) 、A (ANGRY) 、S (SAD) 、H (HAPPY)=喜怒哀楽」と、児嶋が「あ行と「ん」の字が付いている芸人は売れるから」とつけた「UN」という意味で命名。

■当初のコンビ名は英語表記の「UNJASH」だったが、ほどなく「アンジャッシュ」に改名。

■他のコンビ名候補としては「わたこ」、「ワークブーツ」などがあった。

■本人たちは、「アンジャッシュさん」が言いにくいため「アンジャッシュ」という名前を気に入っておらず、機会があれば改名したいと白黒アンジャッシュで語った。

■デビューしてから間もなくして『ボキャブラ天国』に出場した。しかし、キャラの濃さや瞬発的な笑いが重視される同番組では、彼らの持ち味である巧みな芸風を生かす事が出来ず、1ケタ得点ばかりの万年チャレンジャーと言う低迷の時代を送る(『歌うボキャブラ天国』では好成績を残している)。

■しかし、後に出場した『爆笑オンエアバトル』では実力を遺憾なく発揮。高い評価を受け、第5代チャンピオン、オーバー500を8回マーク(歴代最多)など好成績を残した。一時期平均511キロバトルだったことがある。二人もこの番組の存在は大きかったとコメントしている。その後、『エンタの神様』『笑いの金メダル』などにも出演し、『笑いの金メダル』では高い評価を受け、金メダルを2つ獲得した。

■所属事務所のプロダクション人力舎の若手芸人の中では1番芸歴が長い為、リーダー的・兄貴的存在として活躍。なお、名前が似ているため混同されやすいアンタッチャブルは同じ事務所の後輩である。よくアンジャッシュブルなどと間違われていたらしい。また、事務所は違うがアンガールズと間違われることもしばしば。

■NHKの『ポップジャム』の司会をT.M.Revolution西川貴教と共に2005年4月〜2006年3月の1年間務めた。

■本人達は、キャラに特徴が無いのを悩んでいる。ギャオマガジンで鈴木おさむとの対談で語っていた。

■ネタ作りにかなりの時間を費やす。一つのネタを完成させる時間は2人の共同作業で、約1ヶ月との事。


【代表作】
《音響ネタ》

■「ピーポー君」(警視庁の「ピーポくん」より)や、「キュータ君」(東京消防庁のキャラクター)、「トレイン君」(架空の鉄道警察キャラクター)など。

■「渡部お兄さん」とマスコットの会話で構成される小学生向けの交通安全教室(キャラクターにより防火教室などに替わる)。マスコットの声は音響係の児嶋がサンプリングマシンに収録された決められたパターンをタイミングに合わせて流すと言う設定。だが児嶋は今回が初仕事、同僚の替わりで急遽来た、遅刻してリハーサルができなかったなどの理由で操作ミスをし、間違ったパターンのセリフをマスコットがしゃべってしまう。それでも会話の意味が通じてしまうため大変なことになる。

■アンジャッシュのネタの中でも最高傑作という人も多い

■また、ヒーローショーで渡部がヒーロー役、児嶋が音響係をするというネタもある。

■「ピーポー君」を見た警視庁の重役がこのネタを気に入り、実際に小学校でこのネタをやってくれと二人に依頼したということがある。

《バカAD児嶋》

■ADの児嶋が、ディレクターへの昇進をかけて、映画や飲み物のCM・通販番組などを作成し、それを渡部ディレクターが確認する。しかし児嶋の作る番組は毎回とんでもないもので、最終的には「全部やり直し!」と言われる。

■ここから派生して、児嶋が作ってきたものや、持ってきたもの、または防犯カメラでの児嶋の様子などを2人で見る、というネタもある。

■このシリーズでは、映像の中にアンジャッシュが出てくる。この場合渡部が司会者で児嶋がゲストであることが多い。また、女性がアシスタント等で登場することもある。渡部は映像の中で「高橋一」という名前であることが多い。

《それぞれの会話》

■偶然近くにいる見知らぬ2人という設定の渡部と児嶋が、別々の相手に電話をしているのだが、それぞれの会話が組み合わさって、あたかも渡部と児嶋で会話が成り立っているかのような光景になる。

■見解の異なった2人が、言葉を巧みに使った勘違いコントを繰り広げる。

(出典:Wikipedia)


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