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山崎静代(南海キャンディーズ)

山崎 静代(やまざき しずよ、1979年2月4日 - )は、日本のお笑い芸人・女優。お笑いコンビ南海キャンディーズのボケ担当。愛称は「しずちゃん」。相方は、山ちゃん(山里亮太)。京都府福知山市出身。聖和大学短期大学部卒業。身長180cm(公称182cm)、体重92kg、バスト105cm。血液型 A型。


【略歴】
■高校は事務所の先輩ナインティナインの出身校(岡村隆史、矢部浩之ともに同じ)大阪府立茨木西高等学校で、女子サッカー部に所属していた(3年生時に全国3位)。

■かつて「西中サーキット」(にしちゅう-)という女性コンビのボケを担当、2002年 ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞を獲得し、関東の深夜番組にも出演していたが、相方の引退により解散。その後、「山崎二宮」という男女コンビを結成中に、山ちゃんから突然ケーキバイキングに誘われ、コンビ結成の話を持ちかけられて解散を即決した。解散の理由は「(山崎二宮の)相方が男前なので、2人きりでネタ合わせする時などに集中できなかった(異性を意識し、エロ心も芽生えてたらしい)が、こいつ(山ちゃん)ならその心配は無いなと思った」。ちなみに「南海キャンディーズ」結成以降は黒髪で通しているが、「西中サーキット」時代は金髪だった。

■趣味はギター、イラスト。


【人物】
■低くぼそっとつぶやくシュールで自意識過剰なボケ、上下関係を無視したぶっきらぼうな喋り、予測不可能なアクションが特徴的。周囲から怒りを買うような芸風である。

■山ちゃんを嫌っていることをネタにすることが多い。漫才の立ち位置で「山ちゃんがいる方の肌荒れの進行が酷い」との発言や、『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京系)に出演した際ビートたけしに「小沢に口説いてもらったら?」と言われ、共演していたスピードワゴン小沢一敬が甘い言葉を言ってくれたが「嬉しいんですけど、声が山ちゃんに似てる・・・・・・」と感想を述べる等、事ある毎に彼の悪口を放つ。しかし、『Qさま!!』の収録で山ちゃんに本気で激怒した青木さやかの楽屋を訪ね、「山ちゃん、そんなに悪い人やないですよ」とフォローする等、(嫌悪感や煩わしさを感じてはいるものの)見捨てるほど本気で嫌っている訳ではないようだ。山ちゃんによると母親も悪口を言っているらしく、彼に「家族ぐるみで悪口を言うのはやめてくれ」と言われた事がある。

■かなりの面食いで妻夫木聡(CMで共演)やオダギリジョー、漫画家の荒木飛呂彦のファンと公言している。また、番組でかっこいい男性(いわゆる「イケメン」)と共演した時には、必ずと言っていいほどアプローチを試みる。反対に女性アイドル、女子アナに対しては攻撃姿勢を取る。

■高所への恐怖感がほとんど無い。『Qさま!!』のレギュラーに新加入する為に銭湯の煙突(の頂上に渡した板)の上でのラジオ体操(命綱無し。だが、もしもの時に掴まる手摺りは有り)に挑戦した際、山ちゃんが足がすくみっ放しの情けない姿だったのに対し、見ている方が恐ろしくなるような大胆な動きで完璧に体操を行った。しかも手摺りを「邪魔。」と言い放った。この為、無事レギュラーを獲得した同番組にはコンビで出演しているものの、彼女のみ正式レギュラーということになっており、相方の山ちゃんは未だに準レギュラー扱いである。このほか、10m 高飛び込みでも助走を付けて飛ぶなど、並外れた度胸を持っている。

■運動神経に優れている。学生時代に部活動で陸上競技(砲丸投げ等)やサッカーを経験しており、特に砲丸投げは現在でもかなりの実力を誇り、全国50傑に入るのではないかとも言われている。また足は速く、持久力もあり、『Qさま!!』の企画「全員で鬼ごっこ」では、男性がほとんどのメンバーにおいてなかなかの粘り強さを見せている。さらに映画『フラガール』の終盤ではほぼ完璧といえるフラダンスをこなしている。

■一方、バランス感覚には鈍く、『Qさま!!』のコーナー「グラグラ島」では度々、失敗を引き起こす。

■最近ではボクシングを始め、その体格とセンスの為にトレーナーからは「世界を狙える」と太鼓判を押される。彼女ほどの体格でボクシングをやっている女性が国内で他にいないことから、「デビューすれば即、日本チャンピオンになれるのではないか」と関根勤は分析している。

■一般的な女性に比べて非常に背が高く骨太のがっちりした体格で、普段の話し声は低い。しかし、ジェットコースターに乗った時等には高い音域の悲鳴もちゃんと出る。

■その背の高さゆえに、近所の子供たちからは「壁」と呼ばれている。

■父、弟も体格ががっちりしており、家族そろって巨体である。

■高校時代のサッカーで膝を故障したため、激しい長時間の運動には耐えられない。『堂本剛の正直しんどい』のバスケットボールの企画では「ガラスのヒザ」と言われた。

■保育園時代、『ウイングマン』に熱中する。後の嗜好形成に影響を及ぼす。

■大阪の自宅の部屋には女性としては珍しく、『AKIRA』や『ドラゴンボール』のグッズが所狭しと並べられている。番組の企画で訪問した今田耕司は非常にうらやましがっていた(ちなみに今田も『AKIRA』フリークとして有名)。絵も得意で、番組ではしずちゃんによる秀逸な大友克洋タッチのイラストも披露していた。

■甘いものが相当好きで「いきなり!黄金伝説」(テレビ朝日系)の企画では次々と出てくるケーキをどんどん食べて山ちゃんを驚かせた。その様は彼に「スイートサイボーグ」と言わしめた程である。途中でトマトが苦手と言う事が判明したが、自力で何とか食べた。この伝説が終わった後、最初に食べたのは、本人曰く食パンらしい。

■しかし、2006年に『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「食わず嫌い王決定戦」に出演した際、対戦相手の田丸麻紀が持参したお土産「甘熟とまと 和みゼリー」を、苦手な素振りも見せず食べている。

■ラバーソールを愛用している。

■クイズが苦手で山ちゃんの足をしばしば引っ張っている。

■2006年に松雪泰子主演映画『フラガール』で本格的女優デビューを果たす。記者会見や公開イベントなどでは豪華出演者の中でもひときわクローズアップされて報道された。2007年2月16日、第30回日本アカデミー賞で同映画において新人俳優賞を受賞、女優としても地位を確立した。

■鈴木京香、フットボールアワーの岩尾望、安田大サーカスのクロちゃんなどと親交がある。

■1人暮らしを始めてから住んでいる自宅の家賃は10万円である。


【エピソード】
■出生時に5000gという体重だったため、市役所の視察が入ったらしい。

■全日本国民的美少女コンテストや ASAYAN のモーニング娘。の3期メンバーオーディション(合格者は後藤真希)を受けたことがある。

■美少女コンテストでは髪型を『タッチ』の浅倉南を意識した写真で応募した。この時の写真が後にテレビ番組で公開され、山ちゃんに「これじゃカッちゃん(上杉和也)もタッちゃん(上杉達也)も野球始めないよ」と酷評された。

■モーニング娘。オーディションでは長渕剛の「巡恋歌」を歌い、審査員全員をドン引きにさせた経験がある。あるテレビに出演した際につんく♂に向かって「つんく、アンタ大チャンス逃してるよ」と発言した事がある。その後、『ハロー!モーニング。』にゲストで出演した時、「今頃ここに立っていたかも」とつぶやいていた。モーニング娘。のオーディションに落ちた理由を、本人は飯田圭織と背の高いキャラで被っていたからと述べている。

■西中サーキット時代、キングコングらと共に深夜番組『イケチキ!!』にレギュラー出演し、独特のキャラが関東でも話題を呼びかけていたが番組終了後、相方がbaseファンから嫌がらせを受けノイローゼになったため引退し、解散した。

■高校時代は地元の「餃子の王将」でアルバイトしていた。

■海外への留学経験があるが、なぜか現地在住の日本人宅にホームステイした。

■さまぁ〜ずの大竹一樹に抱かれてもいいと言ったことがある。

■2006年にスキューバダイビングの免許をとった。

(出典:Wikipedia)

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山里亮太(南海キャンディーズ)

山里 亮太(やまさと りょうた、1977年4月14日 - )は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビ南海キャンディーズのツッコミ担当。愛称は「山ちゃん」。相方は、しずちゃん(山崎静代)。千葉経済大学附属高等学校、関西大学文学部卒業。身長(実質)176cm(公称は178cm)、体重90kg。


【来歴】
■大学ではミュージシャンの矢井田瞳と同回生で、『ミュージックステーション』にVTR出演した時、「新曲の歌詞に『山ちゃん』と入れてくれたら泣いて喜びます」と発言し、相方しずちゃんに「台無しやわ」と言われる。また、矢井田が出演する番組にたまに出演することもある。

■特技はバスケットボール。中学、高校、大学と10年間続けたが、学生時代は試合には出られず、最後の試合で一度だけ出させてもらった。だが、監督から「ボールに触るな」と指示され、その言いつけを忠実に守り一度もパスを受け取らなかった(テレビ朝日『堂本剛の正直しんどい』より)。また、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』のフリースロー対決でも、6投中、シュートは0本であった。出身高校のバスケットボール部部室には当時の写真が今でも飾ってある。

■NSC22期生(同期はキングコング、なかやまきんに君など)を卒業後、「足軽エンペラー」というコンビを結成。その時は、ボケ担当だった。レギュラー、天津、現在はピン芸人として活躍中の中山功太を輩出したTBS『ガチンコ!』の企画「漫才道」で優勝。2003年3月に同コンビを解散後、ピン芸人「イタリア人」としての活動を経て、山崎静代と南海キャンディーズを結成。コンビ結成後も「追い風三等兵」として『R-1ぐらんぷり』に出場している。

■当初は本名、もしくは「山里」のみで活動していたが、相方が「しずちゃん」というのに倣って、「山ちゃん」に改名された。(baseよしもとオフィシャルFANクラブ会報「basement press」より)


【人物】
■ボキャブラリーがとにかく豊富であり、独特の言葉選びと慇懃無礼な台詞回しが持ち味。

■外見としては、鳳啓助を思わせるようなオカッパ頭と赤いメガネ、スカーフが特徴的。

■『笑っていいとも! 』や『Qさま!!』等のレギュラー番組、そしてゲスト出演した番組において、俗に言う「いじられキャラ」として扱われることが多い。『笑っていいとも!』では、必ずスカーフかメガネのことをいじられる。

■良く言えば素直、悪く言えば単純な性格のせいか騙されやすく、ドッキリ企画に引っかかる頻度も高い。

■芸能界でも屈指の、自他共に認めるド変態でありSMの世界で名を馳せる。ちなみに、SかMかでいうなら超ドMなのだが、相方曰く「痛いのは嫌い」で、精神的に苛められるのが好みらしい。

■とあるSMチャットで「Mの神」として崇められていたが、そのログを6年間交際していた女性に見られてしまい破局した。

■そのチャットでのハンドルネームは「シン(「sai」という名前を使っていた事もあるらしい)」。山里はチャットでは気持ちよさや快感を記号を突然不規則に羅列させるなどで表現し、その方式は「シン方式」と呼ばれた。通常、チャットの観客は80名ではあるが、山里のチャットでは観客が600名にふくれあがった。現在はそのチャットから引退している。(「ヨシモト∞」での発言)

■その女性と付き合っていた貧乏時代、ラーメンを食べようという約束で彼女と少しずつ貯めていたお金で、彼女がこっそりキットカットを買ってしまい、それを知った山里が大激怒した事がある。このとき自分の器の小ささを実感したらしい。

■松本人志の放送室のネタ合戦企画「カプリチョーザ杯」に出演の際、ネタよりも、SMネタのほうがウケが良かった。

■合コンでの第一声は「売れちゃってすいません!」。天狗になりかけていたため、「同期のイベントに呼ばれない」「売れている芸人としか付き合わない」等の性悪エピソードを持つ。彼自身、「びっくりするぐらい器が小さい」と自虐的に自分を評している。

■収録の合間に風俗に行ったり、共演する芸人やタレントの悪口を陰で言っている事を色々な番組で相方・しずちゃんに暴露されている。このせいで『Qさま!!』の特別企画で「Qさま愛していない王(裏の顔ワースト芸人)」に選ばれた。

■しずちゃんからは半ば本気で軽蔑視されており、周囲からコンビ仲を心配されることも。ごく稀にしずちゃんに誉められた時には大感動している。また、『Qさま!!』の「しずちゃんハリウッド進出のため南海キャンディーズ半年休業」というドッキリ企画(2006年12月18日放送)では、山ちゃんのみならず仕掛け人のしずちゃんまで泣き出すという強いコンビ愛を見せた。

■数々の性悪エピソードと裏腹に、ファンに対する対応は愛想が良く優しいと評判。ただ、手に触れられるのが苦手であるらしく(とある番組で「手はダメです!」と頑なに拒否した事がある)、握手したファンの感想は「握手した感じがしない握手だった」というものが多い。

■家族思い。『さんまのスーパーからくりテレビ』で、預金通帳を母親に渡していることが明らかに。また、父親が『笑っていいとも!増刊号』の父の日スペシャルに登場した際、『息子に感謝しているのはどんな時?』と質問され、「もうゆっくり好きな事をして生活していいよ」と言われたことを挙げている。

■しずちゃんと並んでいるため小さく見られがちだが、身長はそれなりに高く、(現時点では)一応三高の条件を満たしているといえるが、ブサイクランキングなどで上位に位置するその顔のせいか、あるいは数々の性悪エピソードでその性格が知れ渡っているせいか、まったくモテないという。

■「マンスリーよしもと」の吉本ブサイクランキングでは2005年度は8位だったが、2006年度と2007年度は2位に大差をつけ2年連続1位になった。baseよしもと所属芸人限定ランキングでも当然のように1位を獲得している。ちなみに「吉本ブサイクランキング」で来年度も1位を取ればほんこん、岩尾望に続いて3人目のブサイクの殿堂入りとなる。

■雑誌「anan」(マガジンハウス)の2006年「嫌いな男」第10位、「抱かれたくない男」第3位、「服のセンスが悪い男」第1位に選ばれた。

■私服のセンスの悪さを出演番組で共演者からしばしばネタにされる。『笑っていいとも!』に至っては、さまざまな若手芸人と私服のダサさで対決するコーナーまで作られ、無敗を守った。

■2006年1月現在、月収が約150万円くらいと『クイズ!ヘキサゴン』で暴露した。

■名門大卒だけあってクイズが得意。しかし、制限時間や連帯責任などのプレッシャーがかかると、パニックに陥り実力が発揮できないことも。

■アイドルが相当大好きである(『Qさま!!』で共演している優香、『笑っていいとも!』で共演した小倉優子、他にも上戸彩、石原さとみ、広末涼子、後藤真希、時東ぁみなど)。

■上戸彩に関しては、吉本の先輩芸人の一人・陣内智則と藤原紀香の結婚報道の際に「(それならば自分は)上戸彩ちゃんと付き合いたい!」と自身の出版本の発売記念イベントで発言した事があるほど。

■昆虫が苦手。

■嫌いな食べ物はゆで卵(『とんねるずのみなさんのおかげでした』の食わず嫌い王で吐き出しそうになっていたほど)と、キュウリ(『おはスタ』で恵方巻を食べた際、スタッフにキュウリを抜いてほしいと頼んでいたことをしずちゃんから暴露された)。

■脚力と瞬発力に優れていて『東京フレンドパーク』のアトラクションで4枚の金貨獲得に導いたほか、『Qさま!!』のプレッシャー走り高跳びで150cmのバーを跳び超えた。動体視力もそれなりにある。反面、走りに粘りがなく、『Qさま!!』の鬼ごっこ企画では毎回序盤に捕まる。また、体重が重いため懸垂は苦手。

■視力は0.03。トレードマークの赤いメガネはとある眼鏡屋のオリジナルフレームで、数万円する代物。某番組でしずちゃんにフレームを折られた時は、その眼鏡屋の留守電に悲痛なメッセージが入っていたらしい。

■軽度の色弱であり、ライブにて「(色弱の為)ぷよぷよで勝った例がない」と告白した。青と紫の識別が困難という。

■ハスキーな声がスピードワゴンの小沢一敬と似ている。ある番組でしずちゃんが小沢に甘い言葉を言われたが「嬉しいんですけど、声が山ちゃんに似てる……」とあまり嬉しそうではなかったという話がある。

■緊張すると、手の汗が尋常ではない状態になるという。

■父親は元プロボクサーで、兄はキックボクサー。母親は、高校時代かなりの不良だったとテレビの中で発言し、当の母親も否定をしなかった(しかも常にチェーンを所持しており、「バクダン」の異名をとっていたと、母親自身が語っている)。

■ネゴシックスやとろサーモンの久保田和靖(ともにNSCの同期生)、千鳥の大悟、ザ・プラン9のなだぎ武などと親交がある。


【エピソード】
■千葉県出身だが、東京にも吉本興業があったことを知らず、漫才がやりたいがために関西の大学に入った。東京吉本の存在を知った時は「いまさら引き下がれない」と思い、関西弁の練習用テープまで買って練習したらしい。また当時の大阪吉本の若手芸人は関西出身でなくても関西弁でネタをするように言われていたのも影響している。(当時の山里の口調をネゴシックスは「気持ち悪かった」と語っている)その後も関西で暮らしていたせいか、標準語に戻した今でも、イントネーションに関西訛りが残っている。

■「足軽エンペラー」としての活動時、TBSテレビのバラエティー番組『ガチンコ!』内の1コーナー「ガチンコ漫才道」にて優勝している。また、相方に発言の訓練などかなり厳しく教え込んでいたが(人格を否定するような言葉も浴びせたらしい)、それに耐えかねた相方が山里に自転車を投げつけるほど激怒し、解散に至った。当時は山里自身も劇場控え室の壁を殴り付けるなど相当荒れていたが、今は本人も反省している模様。

■自分の知らないところでしずちゃんにピンの仕事が入ってきていることにショックを受けたことがある。

■『笑っていいとも!』で小倉優子に告白したが、過去に他局の番組で違うグラビアアイドルにも告白していた。

■『Qさま!!』のロケに3時間も遅刻し、その後、反省の色が見られなかったという理由で、Qさまメンバーがザ・テレビジョンの表紙に登場した際1人だけ顔が写らない(ロゴに隠れる)という罰を受けた。

■『おはスタ』において、「山ちゃん」という呼称が司会の山寺宏一と被る為、しずちゃんを除くおはガールら共演者から「南海さん」と呼ばれている。この呼称は他番組(『おはコロ』など)で使われることもある。

■原口あきまさやホリにモノマネをされている。ホリが本人を前に『南海パラダイス!』で披露したときは、感激していた。

■『アドレな!ガレッジ』の企画で貯金176万円をウォーカーヒルのカジノのルーレットに一発勝負をかけ、散財してしまう。その後、救済企画として176万円を賭けゲームに挑戦するも結局、条件を満たせず獲得出来なかった。それどころかベンツの車庫入れでブロックに当てて失敗し、さらに26万円出費する羽目に。

■『くりぃむしちゅーのたりらリラ〜ン』で、チャットで女性を口説く方法を教えるために公開チャットをおこなっていたが、目当ての女性(番組が仕込んだ人物でドッキリだった)と雰囲気が良くなり、収録をほったらかしにして本気で口説きに入ったことがある。共演者一同、大盛り上がりだった。そのとき、山ちゃんは鼻の下に大量の汗をかいていた。

■『虎の門』の「しりとり竜王戦」に出場時、変態の片鱗を伺わせる回答をしたため、審査員の勝俣州和や千原ジュニアから「山ちゃん、ド変態ですね」と戦評された。

■事務所の先輩・今田耕司の番組『今田ハウジング』で東京での新居を探しかっこよくリフォームしてもらったが、他局の番組で自宅の部屋を紹介した際、(リフォームは)自分でやったと言った。

■『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「R&Bの神様」で、自身の大学時代の回想VTRに本人役で出演。相手役の岩佐真悠子とキスした。

■島田洋七のイベント「笑魂伝承」にゲスト出演したが、登場の際、観客からの声援の9割がしずちゃんへのものだったので冒頭から落ち込んだ。しかし、洋七からはツッコミのボキャブラリーについて絶賛された。山里の一風変わったツッコミを支持する人間は多い。

■浪人時代は東進ハイスクールの千葉校に通っていた。その時の同級生に猫ひろしがいる。

■若手時代に楽屋で友近とよく話しており、友近が1時間に600回くらいボケるのに対して、山里はそれにいちいちツッコミを入れていたため、山里のツッコミ能力が上達した。

■本人曰く、伊集院光のラジオの熱心なリスナーだったらしい。『伊集院光 日曜日の秘密基地』に南海キャンディーズとしてゲスト出演したときに、伊集院から「思考がビックリするくらい自分に似ている」と評された。なお、かつて伊集院が担当した『伊集院光のOh!デカナイト』と同じニッポン放送の平日夜のヤングゾーン枠で山里は現在『南海キャンディーズ 山里亮太のヤンピース フライデースペシャル』を担当している。

■日本アカデミー賞でインタビュアーをつとめた際、インタビューの内容があまりにもひどく、ある意味伝説を残した。(その内容について、いろいろな番組でいじられ、笑っていいとも!ではすべりインタとして、テレフォンショッキングで電話を取り次いだ)

■山里が好きな風俗をほかの芸人に紹介したところ、ケンドーコバヤシや麒麟の2人などが行きだし、「山ちゃん割引」というのができるほどになったらしい。

■インターネットのお気に入りの欄に「しょこたん☆ぶろぐ」や「盗撮のぞきっくす」などを登録していた。更に2ちゃんねるの「最近 しずちゃんが うざい」というしずちゃんの悪口が書いてあるスレッドも登録していたため、それを見たしずちゃんはかなりショックを受けていた。

(出典:Wikipedia)

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南海キャンディーズ

南海キャンディーズ(なんかいキャンディーズ)は、吉本興業大阪本部に所属する漫才コンビである。略称は南キャン、南海。baseよしもとに出演中。

キャッチフレーズ:妄想暴走族


【メンバー】
■山里亮太(やまさと りょうた、男性、1977年4月14日 - ) ツッコミ担当。立ち位置は向かって左。通称山ちゃん。

■山崎静代(やまさき しずよ、女性、1979年2月4日 - ) ボケ担当。立ち位置は向かって右。通称しずちゃん。

現在は両名とも、バラエティ番組ではテレビの字幕でも通称で書かれる事が多く、ほぼ芸名に等しくなっている。ただし、テレビドラマ出演に関しては両方とも本名名義で活動している。


【来歴】
2003年6月にコンビ結成。

■結成当初の2003年にM-1グランプリでは準決勝まで進み、翌年は同大会で驚異の準優勝を勝ち取った。それがきっかけとなり、テレビ番組やラジオにCMなど出演、結成2年で多数のレギュラー番組とラジオにCM、更に冠番組までも出演要請された。こうした多忙さゆえか、M-1グランプリ2006は出場を見送った。(不参戦についてのコメントが殺到したのち、山里は「ただしっかりと漫才、ネタとは向き合い続けます!」と自身のブログに投稿した)

■2005年下旬に、活動拠点を大阪から東京へ移す。

■2006年1月18日発売のゆずのアルバム「リボン」の「チェリートレイン」という曲に声で出演。


【特徴・エピソード】
■二人揃って大きく両手を上に上げながら出てきて決めポーズ(山里が向かって顔だけ観客に向けて体を左に向いて腕組み、山崎は正面を向いて右手を右ひざの上に乗せて右半身を前に出す)をし、山里が「ど〜も〜! 南海キャンディーズでーす!」、山崎が指で作った拳銃で観客席を狙い「バン!」と発声したあと、山里が「いやー、セクシーすぎてごめんなさいね」と言う登場の仕方をする(多少のアレンジがある事も多い)。
2004年M-1グランプリの決勝では山崎はバズーカを撃つ格好をして「ドーンッ!」と言った。

■いつも無表情でシュールな山崎のボソッと語るボケを山里が戸惑うもどうにか理解してツッコむ。その語彙の豊富さは評価が高い。最後は山崎のボケに耐えかねた山里が「もぅー!」とブチ切れてネタが終わるか、もしくは山里のツッコミから静かに一礼、という流れで終わる。

■独特の漫才は高い評価を得て2004年のM-1グランプリで準優勝。しかし、翌2005年は決勝進出コンビ中最下位の9位であった。因みに2004年の漫才をダウンタウンの松本人志は決勝1回戦と最終決勝のネタの質の差を挙げ「ネタの出来に差があるということは、面白いことと、そうでないことがまだきちんと分かっていない」「決勝用のネタと言うものを分かっていない」「あれでは優勝できない」と評した(因みに松本は先輩の島田紳助が不祥事を起して自粛していたのに合わせ「裏番組に相方(浜田雅功)が出ているから」との理由で自身も2004年は出演を自粛。くりぃむしちゅー有田哲平とテレビで視聴していた)。

■当初「すずらん」と言うコンビ名だったが札幌吉本に同名のコンビがいたためコンビ名を変更する際、2人が可愛いと思う言葉を1つずつ出すことになった。山里は「キャンディーズ」、山崎は「南海」を可愛い言葉として出したため、ザ・プラン9のなだぎ武の提案で2つの言葉を繋げ「南海キャンディーズ」となったという。

■このことについては「クイズマジックアカデミー3」の芸能連想問題でも出題された。(但し「ザ・プラン9が命名」と書かれている。)


【逸話】
■お笑いコンビ「足軽エンペラー」解散後、ピン芸人「イタリア人」として活動していたが鳴かず飛ばずだった山里が、当時「山崎二宮」として活動していた山崎をケーキバイキングに誘い、自分で考えた漫才のネタを書いたノートを渡しコンビ結成を誘う。山崎は当初告白されると思い戸惑いながらノートを読むが字が下手だったため「顔も字も気持ち悪い」と思ったらしい。しかし、当時の相方二宮が男前でネタに集中できなかったが山里ならその心配はない(「生理的に受け付けないルックス」とまでTVで公言している)と考えコンビを結成した。

■山里はコンビ結成後もネタを書いたノートを保管し続け現在は何十冊にも及ぶ。

■結成当初は漫才の最後に千葉県出身の山里が大阪弁で「もうええわ」と言って終わっていたが次第に標準語のみになっている。

■ネタの中で山崎が「(山里の)メガネ叩き割るよ?」と言うことがしばしばあるが、ネタの中でどついた際、本当に壊してしまったことがある(蔓が折れた。悪意ではなく偶然)。

(出典:Wikipedia)

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ビビる大木

ビビる 大木(ビビる おおき、本名:大木 淳 - おおき じゅん、1974年9月29日 - )はお笑いタレント。埼玉県春日部市出身。ワタナベエンターテインメント所属。元ビビるの一人。血液型はO型。 春日部市立谷原中学校−西武台千葉高等学校卒業。


【プロフィール】
■元々は大内登とお笑いコンビ「ビビる」を結成していた。担当は大木がボケ、大内がツッコミ。デビュー当時はテツandトモよりいち早くジャージを着用して活動。その後「はじめまして、こんばんみ!!」「わっしょい!」のギャグがブレイクするなどし、バラエティ・コントなどに活動の場を広げていった。

■しかし、相方の大内が突然芸能界からの引退を表明し、大木はピン芸人に。その際コンビ名「ビビる」の名残りを残して現在の芸名に改名。

■解散後は表舞台で2人が顔を合わせることはないが、舞台裏で顔を合わせたときなどは「元気か?」などと言い合っている。また、大内が製作に携わる番組には、大木が出演することが多いらしい。

■大内は現在、某番組制作会社のプロデューサーである。


【芸風】
■昨今の若手芸人の中では地味な感は否めないがアドリブのセンスの良さやフリートークのおもしろさに定評があり『ビビる大木のオールナイトニッポン』では一部のリスナー(野球・プロレスファンなど)には人気を集めた。

■バーター芸人と呼ばれることが多いが、若手芸人の大半は少なからずバーター(業界用語で束を逆に読んだものであり、セットを意味する)で出演していることが多い。


【噂】
『WORLD DOWNTOWN』のジル・ベッソンや『CHIMPAN NEWS CHANNEL』のゴメス・チェンバリンの吹き替えをしていたという噂がある。真相は不明だが以下のようなやり取りから大木である可能性が高い。そのアドリブ力は目を見張るものがありなかなかの評判であった。

■2006年10月26日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』の1コーナー『トークダービー』にビビる大木が出演した際、石橋貴明がビビる大木にたいして『チンパンニュース』と突っ込んだ時、「いやいやあれは、俺じゃないです!」と否定していた。このコーナー中、石橋貴明は2回突っ込みを入れていたが、2回とも否定していた。

■2007年1月30日放送の『踊る!さんま御殿!!』では、明石家さんまの声がもし出なくなったらという話題で、「喋る振りだけしてもらい自分がサブから声をあてます」という木村祐一の発言を受けたさんまが「ああ、ビビるのやつみたいにな」と返す、というやりとりがあった。

■2007年1月31日放送の『笑っていいとも!』にて、ビビる大木がタモリからチンパンジーの吹替えをやっていることを何度もつっこまれる。それに対してビビる大木は、番組の設定上口止めされている事を匂わせながら否定する。が、タモリがしつこく追及すると、「明らかにすると上の者に怒られる」と答えた。

■2007年2月17日放送の『水曜どうでしょう』にて、大泉洋が「ビビる大木さんのモノマネをします」と称して、「ミスター大泉!!!」とゴメス口調で連呼した。

■ちなみに小鹿を助ける日産自動車のCMのナレーターは本人である。

■上記の番組のおかげか、最近ナレーターの仕事が増えている。


【人物】
■事務所の先輩である中山秀征を尊敬している。中山には大木がテレビに出演していない時代に先輩にお世話になったことに倣って事務所の若手芸人に面倒を見るなど、よき兄貴分的存在となっている。

■野球と相撲、そして格闘技(プロレスなど)が大好き。『ビビる大木のオールナイトニッポン』では序盤のフリートークで必ず話していた(『プロ野球しだるま情報!』と称し、もはやコーナー化していた)。

■『3年B組金八先生』の大ファンで、前述の『オールナイトニッポンで同じ金八ファンのリスナーを集めマニアックなクイズをしたり、金八役の武田鉄矢をゲストとして招いたりしていた。

■SMAPの草g剛とは小学校時代の同級生であり、同じ野球チームに所属していたが、草g曰く「あんまり覚えてない」とのこと。しかしこの発言は笑いを取る目的で、大木のために言っている可能性がある。

■テレビ朝日アナウンサーの大木優紀と「はとこ」の関係。(大木アナの父親とビビる大木の父親が従兄弟)。優紀のことは「はとこちゃん」と呼んでいる。また、「大木一族」をネタにしてバラエティ番組での共演も増えている。

■国仲涼子の大ファンである。深夜番組だった頃の『ネプリーグ』に国仲が出演した際、共演したい一心で臨時のナレーター役を務めたこともある。ラジオで共演したきっかけで、メールアドレスを交換したのだが、やり取りは一度も無い。

■酒は飲めない。肝臓が悪く、医者から止められているが、下北沢にある「スナック母恋」という行きつけのスナックがあり、店ではウーロン茶を飲む。

■『芸能プロフィール刑事』で共演をしていた眞鍋かをりにテレビ東京の番組『中山道』の中で告白をしたが「共演者としてしか思えません」とふられてしまったことがある。

■『トリビアの泉』で共演していたMEGUMIから「兄貴」と呼ばれている。

■浜田省吾、渡辺美里、徳永英明、CHAGE and ASKA、陣内大蔵の熱狂的ファンであり、レッド・ツェッペリンなどハード・ロックファンでもある。

■実母のテレビ露出も増えている。番組で若い頃の写真が公開された時、芸人仲間から容姿について「美人だ」と多少評判になった。ちなみに顔は息子そっくり。

■モテないことを気にしている様であり、『リンカーン』(TBS系列)で女性の口説き文句を教えて欲しいと言ったことがある。

■『トリビアの泉』では常に高へぇを連発していて、品評会会長であるタモリに、『祝1周年記念SP』で、へぇボタンの押し過ぎで怒られた事がある。

■歴史好き(特に幕末時代)でたびたびテレビやラジオなどで幕末のことに関して熱く語る。

■ストレスにめっぽう弱く(一時期入院するなど内臓系の不調が多いのも、突き詰めればストレスが原因だと思われる)、ニッポン放送のイベント『そんなのアリーナ!?アマゾン』では、自分を始めとした芸人組があまりに酷いスベり方をした事にショックを受け、打ち上げで血を吐いた事がある。


《コンビ時代》
■『マチャミの全部いただきっ!!』のスキー場でのロケで、二人はソリに乗って登場したが、事前に操縦の練習をさせてもらえず、しかも「顔が隠れる」という理由でヘルメットを装着させてもらえなかった。 案の定大きくコースを外れ、レストハウスのコンクリート壁に激突。壁にあったゴミ袋と雪がクッションの役目をしたため命に別状はなかったが、大木は第十二胸椎圧迫骨折(つまりは背骨骨折)の重傷を負った(幸運にも半身不随は免れたが、紙一重だった)、ちなみに相方の大内登は頭蓋骨骨折と脳挫傷(3箇所)の重傷を負い、一時意識不明に陥り、生命も危ぶまれるほどの重態になったものの、奇跡的に無事生還。大木曰く「激突の瞬間、司会者席から笑い声がしたので(大事故には見えなかったため)オチをつけようと立ち上がろうとしたが、全身に力が入らず全く動けなかった。大内を見ると、鼻血を出してぐったりしていた」という。さまざまな事情があってか、その後なんの説明もなしに一時期レギュラー番組から姿を消し、痛々しい車椅子姿で復帰した。また、番組側はこの事故の事を半年も隠蔽していた。今でも、まだ古傷が痛む事がある。

■両者ともに2ヶ月の入院の後、さらに2ヶ月の自宅療養を医師に命じられたが、当時参加していた『雷波少年』のT部長に無理矢理に日本テレビの番組対抗クイズ番組特番に参加を強いられた(車椅子にジャージというあからさまに病み上がりな姿だったため、司会の島田紳助も気をつかってくれた)。大木は後にラジオ番組で「T部長もナベプロも俺を殺すつもりだ、と思った」と語った。

■事故の後は生命をネタにするようなブラックジョークも嫌いになった。

■二人での最後の仕事であったラジオ最終回の打ち上げ後、大木は大内に「俺の一番のファンでいてくれ」という言葉を残した。

(出典:Wikipedia)

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塚地武雅(ドランクドラゴン)

塚地 武雅(つかじ むが、1971年11月25日 - )は、お笑いタレント・俳優。お笑いコンビ「ドランクドラゴン」のボケ担当である。
相方は、鈴木拓。大阪府阪南市(当時は泉南郡南海町)出身。桃山学院大学卒業。血液型はA型。プロダクション人力舎所属。愛称は塚っちゃん。『はねるのトびら』で共演している同じ事務所の北陽は1年先輩にあたる。いのしし年。


【経歴】
大学時代は痩せていてモテたと言い張っている。大学卒業後は、仏壇メーカー(八木研)に就職し営業を担当していた。家族の猛反対を受けながら24歳でお笑いを志し、事務所の養成所(スクールJCA)に入学。そこで相方の鈴木拓と出会い1996年コンビを結成する。

2003年頃から俳優としても注目を集め、2006年公開の『間宮兄弟』(江國香織原作)では佐々木蔵之介とのW主演に抜擢された。なお、共演した佐々木は塚地の演技を「味のある演技が本当に良い」と絶賛している。その後、フジテレビ系の特別ドラマ『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』で山本圭一(杉本春男役)の代役(撮り直し)を務めている。更に、芦屋雁之助亡き後途絶えていたテレビドラマ版裸の大将放浪記の山下清役に大抜擢される。

『はねるのトびら』で日産自動車とタイアップしたのをきっかけに、番組の企画で無理矢理エルグランド(それも最高級グレード)を購入させられ、さらにお台場冒険王において試乗車にされてしまった。


【特徴】
丸顔が特徴。ブサイクと言われるが、愛嬌のあるルックスで一部からは人気がある。
女子プロゴルファーの不動裕理に似ていると、よくネタにされている。2007年5月9日放送のはねるのトびらで鈴木が丸坊主にしたのを対抗して、特徴である太い眉毛を剃ってしまった結果、顔つきが変わってしまい、本人は結構後悔していた。

ネタにおいてはボケ担当だが、トーク番組では鈴木が天然ボケな為ツッコミ的な役割になっている。
コントでは数々の個性的なキャラクターを演じ分け、また引き出しの多さから一発ギャグの宝庫を思わせる多彩な才能の持ち主。
『はねるのトびら』内で行われた「はねトリノ2006 お笑いフィギュア選手権」でも、付けられたキャッチコピーは「最後の喜劇王」となっていた。結果は予選ショートプログラム1位、決勝フリー3位。予選ではつかみに漫談を取り入れた。

また、『笑いの金メダル』では2004年頃よく有田哲平などに「実家が貧乏」「砂を食べている」などといじられていた(一部視聴者から不評だった事と事実無根であった事、更には現在では麒麟の田村裕のエピソードが際立ったため現在は一切言われていない)。

幼少時代から現在に至るまで特撮ヒーローものの大ファンで、フィギュアの収集が趣味。また、大学の先輩には『ウルトラマンエース』でお馴染みの俳優・高峰圭二がいる。


【逸話】
■就職説明会の際のパンフレット写真で、仏壇にインコがとまっていたので「なんでインコがとまっているんですか」と質問したことが気に入られ、仏壇メーカーに就職。

■会社を辞めてから上京するまでの間はろくに家を出してもらえず、近所には「公務員になるための勉強をしている」という事にされていた。食事も他の家族がステーキにも関わらず、塚地はチキンラーメンだったなど家族から猛反対されていた。特に、父親には未だに完全には認めてられていないらしく、テレビを見て「男が女の格好(ネタでの女装)をするな」、「鈴木君の失敗話じゃなくいい話をしなさい」などと言われた事もある。

■スクールJCAでは一度は違う相方とコンビを組んだが、行き詰まり解散。その後、授業中に先生が話していた時、鈴木だけは他の生徒と違う反応をしていた為、期待してコンビを組む。しかし、鈴木はただ単に聞き流していただけだった事がわかり後悔した。

■一日タバコ5箱を吸う病的なヘビースモーカーを自認している。貧乏だった下積み時代は、タバコが吸いたくて公園に拾いに行き、しけもくをしていた。タバコを見つけたときは100円見つけるより嬉しかったと述懐している。一方で、タバコを吸わない鈴木が健康診断を受けた際、塚地の副流煙が原因で肺が真っ黒になっている事が発覚した。

■はねるのトびらにて芸人魂を忘れてドラマ(裸の大将)に力を入れる塚地に対して、芸人魂を思い出させる為に相方鈴木が自ら坊主になる。その後、塚地が落とし前をつける為(ドラマ出演を考えず)勢いだけで眉毛を剃った。

(出典:Wikipedia)

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鈴木拓(ドランクドラゴン)

鈴木 拓(すずき たく、本名同じ、1975年12月7日 - )は、お笑い芸人でドランクドラゴンのツッコミ(たまにボケ)担当。血液型はA型。相方は塚地武雅。プロダクション人力舎所属。神奈川県綾瀬市出身。神奈川県立綾瀬西高等学校卒業。うさぎ年。

通称、「鈴拓(すずたく)」、「鈴木」、「たく」、「たくちゃん」、「フヘ」。現在、妻子とともに神奈川県座間市に在住。


【来歴】
高校卒業後に消防士の試験などを受けるが就職できず、書店で立ち読みした本に「簡単になれる職業」としてお笑い芸人が挙げられていたことから芸人を志す。また、クイズ番組のパネラーに憧れて芸能界入りしたとも言われる。しかしクイズ番組に出演しひどい成績を残した。

スクールJCAでは、鈴木のメガネをかけた顔が理知的に見えると思った塚地が誘ってコンビを結成したが、勘違いであった。


【人物】
1996年塚地武雅とコンビ結成。ツッコミ担当だが天然ボケの部分がありいじられキャラである。トーク番組でや一部のコントでは立場が逆転し、塚地がツッコミに回っている。トーク番組では、彼のボケが話題の中心になることも多い。

お笑いに対してやる気がなく、ネタの台詞を全く覚えようとせず、ネタ中でもしばしば台詞を噛んだり詰まったりする。また、トーク番組でいじられると、不満そうな顔をする。話をしようとしても途中で遮られたりする場面が多く、前に出ても何も出来ない。 2007年の4月から開始された「はねるのトびら」の「短縮鉄道」で役柄を得たものの、前半部分ではほとんどしゃべらない。 スベることも多いが、彼の天然ボケから繰り出される話は時に共演者を驚かせ、無茶なフリは予想外の場面で笑いを起こす。

メガネ以外に骨が突き出ている顔や色白であることなどを特徴としているが、夏場に釣りのし過ぎで日焼けしたり、宣材写真を撮る時にもメガネを掛けてこなかったりとあまりこだわっていない。

2006年、『踊る!さんま御殿!!』で他のゲストが口にした「去年」(フルネームは「去年 おととし」)を明石家さんまからあだ名にされた。2007年3月に再び出演した時には、鈴木が自分が死んだときに「享年、去年」になることを嫌がったため、新たに「フヘ」というあだ名に改名された。

タモリに「昭和三十年代の村役場にいた」「弥生土器」といわれる。

さかな好きで有名なタレントである『さかなクン』とは、中学、高校時代の同級生である。また、「はねるのトびら」で同様に出番が少ない山本博と仲が良い。

印象が薄く、ロンドンブーツ1号2号の田村淳に「一般人に溶け込んでるね」と言われる程オーラがない。加賀まり子と共演した時はADに間違えられた。ロケなどで街を歩くと道行く人が塚地の存在しか知らないことも多い。


【逸話】
■「打ち合わせ中に伸びをして非常ベルを押してしまう」、「暗いスタジオで立ち位置にスポットライトを当てると塚地しかおらず、立ち位置を案内したADの後ろにまだついて行っていた」、「マクドナルドで店で食べるか持ち帰りかを聞かれ『どっちでもいいです』と言った」「弁当を買いに行って、財布と弁当を忘れて帰ってきた」など数々のエピソードがある。

■絵心がまったくなく、『エンタの神様』では彼が本気で描いた紙芝居をネタとして使用するコントがされ、彼が書いた絵が公開された。また同番組ではツッコミ担当のときでも、彼が本気で間違えると塚地が突っ込むといった場面もしばしばある。

■塚地がドラマの仕事をしている時は、趣味の釣りをしている。(塚地が出演したドラマ『あいくるしい』に特別出演した。)

■ヘビースモーカーの塚地とは対照的に煙草は全く吸わない。だが、1日に100本も煙草を吸う塚地の副流煙の影響を受けて、鈴木の肺も真っ黒になっている。医者に見てもらったところ、煙草を吸っていないのにも拘らず「タバコの吸い過ぎだ」と強く叱られたという。

■ブラジリアン柔術をやっていて、かなり筋肉質であるが、地味な事と体が弱く怪我をしやすいためTVではほとんど披露しない。2002年頃、道路の段差に足を取られて腰の骨を骨折したことがある。

■ニコラス・ペタス道場の門下生に総合試合を挑み、体格的に不利にも関わらず、二人を完全撃破しぺタスを呆然とさせた。しかし、既に体力の限界に近い鈴木に、明らかに身長、体重差がある者を三人目として用意し、鈴木を壊さんばかりに蹴らせ、三人目は後味の悪い勝利をとる。

■2007年5月9日放送の「スケバン物語」では、相方の塚地がドラマ「裸の大将」で主演・山下清役のため5分刈りにしたところ、それに対抗し「俳優業に被れて調子に乗っている塚地に芸人魂を見せるため」と称して、自ら坊主頭になって登場。「この出オチのためだけに坊主にしたんだよっ!!」と叫んで、周囲を驚かせた。(その後、塚地も落とし前をつける為にドラマ出演を考えず勢いだけで眉毛を剃ってしまった。)

■笑いの金メダルで、事務所に所属したばかりの頃、相方が履歴書に細かい文字でびっしり書いてたのに対して鈴木本人はもともとやる気が無いのが分かるくらい大きな文字で一言二言書いてあるだけだった。また、当時は眼鏡を掛けておらず、眼鏡は偉い人が掛けろと言われて掛けたらしく、その理由が「爆弾を作ってそうな顔だから」と話した。

■体が柔らかく、「はねるのトびら」でゲストの佐藤江梨子が披露した後に、両足を頭の後ろに持ってく大技を決めたが、メンバーにちょっと誉められた後スタジオを後にされた。


【家族】
両親は海老名市で居酒屋を経営しており、「はねるのトびら」で何度となく紹介されているほか、2003年6月の「ayu ready?」でも両親が登場した。

2003年に結婚。翌年長男が誕生した。はねるのトびらのスペシャルで強引に当時の彼女(現在の妻)にプロポーズさせられ、公開結婚式を行ったが、鈴木はそれが不満で、その後行った本当の結婚式や子供の誕生を相方の塚地にすら隠していた。結婚式の時は、式の後にタキシード姿のまま仕事に向かい、塚地に「どないしたん、その格好?」と尋ねられ「結婚式」と答え、更に「誰の?」と訊かれ「俺の」と返した。

妻に「あなたと結婚したのはボランティア」と言われた鈴木は「なんて優しい子なんだろう」、「これこそが本当の愛情だ」と逆に感動した。

(出典:Wikipedia)

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ドランクドラゴン

ドランクドラゴン(DRUNK DRAGON)は人力舎所属のお笑いコンビ。スクールJCAの5期生。専攻はコント。略称は「ドランク」または「ドラドラ」。

塚地武雅と鈴木拓が人力舎の養成所であるスクールJCAで出会い、結成されたコンビ。

「新しい波8」(フジテレビ)に出演し、この番組の出演者であるキングコング・ロバート・北陽・インパルスとともに「はねるのトびら」のレギュラーに抜擢される。


【メンバー】
■鈴木拓(すずき たく、1975年12月7日 - 、五厘狩りの方、ツッコミ担当が多い)
神奈川県綾瀬市生まれ、A型。身長165cm、体重58kg。グレイシー柔術の使い手だが、骨が弱く度々骨折するなどひ弱な一面もある。神奈川県立綾瀬西高等学校卒業。趣味は釣り。さかなクンとは中学・高校の同級生でもある。干支はうさぎ。踊る!さんま御殿!!では「フヘ」と呼ばれる。ヘルニアを患っていた時期があった。

■塚地武雅(つかじ むが、1971年11月25日 - 、眉毛なし、丸坊主の方、ボケ担当が多い)
大阪府阪南市生まれ、A型。身長166cm。体重は実際には120kg台だが、プロフィールを95kgとしている。大阪府立佐野高等学校・桃山学院大学経済学部卒業(一浪している)。 干支はいのしし。


【略歴】
人力舎の養成所であるスクールJCAの同期生として出会い、1996年に結成。その当時、鈴木は常にスーツを着ていた。初舞台は同年8月7日渋谷公園通り劇場、披露したネタは「相撲喫茶」。コンビ名はカンフー映画「ドランクモンキー 酔拳」、「燃えよドラゴン」を組み合わせたもの。

当初は痩せていた塚地が30kg近く太ったことでキャラがついてネタが受けるようになり、現在のスタイルを確立した。

2000年に「新しい波8」(フジテレビ)に出演したことから、翌年「はねるのトびら」のレギュラーに抜擢される。また、それ以前から「爆笑オンエアバトル」(NHK)にも出演して好成績を挙げている。

はねるのトびらでの人気上昇を受け、塚地が2003年1〜3月に月9ドラマ「いつもふたりで」に出演。また同年から「エンタの神様」でコントを披露するようになり、ブレークを果たす。

2005年1月24日、人力舎所属芸人によるユニット「ビジトジ」でCDデビュー。


【概要】
コントでは塚地が演じる様々なキャラクターに定評がある。代表的な作品として「アイドルおたく」「家庭教師」「未散(みちる)」(未散は塚地がMr.Children(ミスチル)好きであることからつけられた。)などがある。塚地は一発ギャグも得意とし、様々なボケを繰り出す。 一方で、「日本遊戯研究部」「下町の馬鹿親父」など、「ネタのクオリティが小学生並み」と酷評されるネタも決して少なくない。

一方の鈴木は、コントでは塚地に対してツッコミ役を担当することが多いが、お笑いに対して全くやる気がなく、少ないセリフを覚えることもままならないという。鈴木にツッコミを覚えさせるのが塚地の役割でもある。このためドランクドラゴンのネタにはアドリブ性が少ないが、鈴木のミスからとんでもない方向に展開するという天然のアドリブは頻繁に見受けられる。しかもその天然度はすさまじく現在の芸人の中でもトップクラスだが塚地曰く、「鈴木の行動を見て笑えるのは最初の一年だけ、その後は腹が立ってくる」らしい。

またコント中に鈴木が度々素で笑いコントを中断するなど、前代未聞のコンビである。

コントとは対照的に、トーク番組では鈴木が主役になることが多い。彼の要領を得ないトークと天然ボケは共演者を唖然とさせる。しかし空気を読まない毒舌などは計算されたキャラでもある。塚地はほぼツッコミに回り、トークではコンビの役割が逆転している。

そして最近では、コントでも、トーク番組などで見せる素顔に近い設定で、鈴木の天然ボケに対し塚地がツッコミを入れるネタが作られるようになった(「男だろ」「紙芝居」など)。

鈴木は2002年に「はねるのトびら」で彼女に強制的にプロポーズさせられたことに始まり、両親が経営する居酒屋など私生活ネタが番組で紹介されることが非常に多かった。しかし本人は嫌がっており、2003年の挙式や2004年に長男が産まれたことは番組スタッフはおろか塚地やマネージャーにも話していなかった。

また、SMAPの木村拓哉は、鈴木と友達らしい(ラジオで鈴木が大親友だと発言していた。木村が主演をした2006年7月3日のHERO特別篇に、鈴木は死体を発見する警官役で出演した)。

2006年9月14日終了した「どっちの料理ショー」(よみうりテレビ製作)では、初登場から未勝利で4連敗(過去に、この記録は、堀内孝雄、ほんこんが記録)という「史上最悪の記録」を作ってしまった。

2007年5月9日放送のはねるのトびらでは裸の大将放浪記の2代目山下清役に抜擢された塚地が丸坊主姿を披露。相方の鈴木は塚地の丸坊主に対抗して五厘狩りのヘアスタイルに変更。それに対抗して塚地はさらに眉毛を剃った。

(出典:Wikipedia)

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虻川美穂子(北陽)

虻川 美穂子(あぶかわ みほこ、1974年9月11日 - )は、お笑いコンビ「北陽」のボケ担当である。埼玉県北葛飾郡杉戸町出身。所属事務所はプロダクション人力舎。身長169cm、足のサイズ24.5cm、スリーサイズB88-W78-H101、血液型A。視力が弱く、コンタクトレンズを使用している。愛称は「虻ちゃん」。弟が一人いるが、顔がそっくりだという。


【概要】
久喜北陽高校時代に相方の伊藤さおりと出会う。ソフトボール部で仲良くなり、1995年にコンビを結成。ソフトボールでのポジションは投手で、実業団にスカウトされるほどの選手だった。伊藤は外野手で補欠だった。

ユマ・サーマンや稲森いずみに似ていると言われている。

近年はコンビではなく個人での活動も多く、米倉涼子主演のドラマ『整形美人。』に出演したり、賀来千香子や松嶋菜々子とCMで共演するなど活躍の場を広げている。

『笑っていいとも!』のスペシャルで「あなたの(知っているようで)知らない世界」のコーナーに女性アイドルのくくりで出演した時、「虻川なんてアイドルいるか」との指摘に「虻川は芸名で、本名は『せせらぎれいか』」と発言し、それ以降たまに番組内でいじられている。

ソフトボールの投手の腕を活かし、『所・徳光のスポーツする人えらいぞグランプリ』(日本テレビ系列)ではプロ野球現役・OB選手を相手に9人斬りのパーフェクトを達成した。またレギュラー番組『はねるのトびら』(フジテレビ系列)では、冠企画の「ABUCHANS」が2005年4月にスタート。自腹の100万円を賭けてゲストの打者と対戦している。2005年中は一度もヒットを打たれなかったが、2006年1月25日の放送で次長課長・井上聡にヒットを打たれる。(この回はくじ引きで守備位置変更のルールが有った。)虻川本人はエラーと主張するも、吉本興業屈指の男前芸人に頭を撫でてもらう一幕もあった。

2006年12月25日の『SMAP×SMAPクリスマススペシャル』において『はねるのトびら』のゲストとして登場したとき、料理対決「BISTRO SMAP」で木村拓哉・稲垣吾郎ペアが勝利したとき、相方の伊藤は稲垣のほっぺにキスをしたが、虻川は木村の唇にキスをした。そのことについて他の『はねトび』のメンバーたちは「罰ゲームに等しい。」とコメントした。

2007年3月1日、東北放送で放送されている『北陽のヒップアタック』でドランクドラゴンの塚地武雅にパソコンのインターネット上のサイトで「嫌いな女芸人」第1位に虻川がランクインしていたと言われ、ショックを受けていた。理由は“面白くない”から。ちなみに「好きな女芸人」第1位は相方の伊藤だと言う。


【雑学】
■松浦亜弥に「あぶぶ」という愛称をつけてもらう。

■警備員の経験がある。

(出典:Wikipedia)

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伊藤 さおり(北陽)

伊藤 さおり(いとう さおり、1974年4月9日 - )は、お笑いコンビ「北陽」のツッコミ担当(だが、彼女がツッコミであることはあまり知られていない)。所属事務所はプロダクション人力舎。埼玉県岩槻市(現さいたま市岩槻区)出身。身長157cm、体重68kg(プロフィール上は54kgだが、番組の企画で68kgと判明。)、足のサイズ24cm、スリーサイズB90W68H86。血液型A。特技は書道と柔軟体操。愛称は「伊藤ちゃん」。


【概要】
埼玉県立久喜北陽高等学校(コンビ名の由来)に進学しソフトボール部に所属、そこで現在の相方の虻川美穂子と出逢う。因みに、本人は外野手の補欠、相方の虻川は投手のレギュラーだった。 1995年、虻川と組み、北陽を結成。

相方に比べると地味だが、可愛い顔やちょっとぷっくりした所が一部男子に大ウケ。『森田一義アワー笑っていいとも!』でダイエット企画が組まれたが成功せず、井上和香を模したセクシー水着写真を撮られた。その後、この時の写真をプリントした抱き枕を視聴者プレゼントに使われる。

所属事務所の中では1番の天然ボケらしい。


【エピソード】
《幼少時代》
男の兄弟に囲まれて育ったので、幼い頃は着せ替え人形などの女の子っぽい遊びは全然しなかったという。川に行ったり、昆虫を捕まえたり、泥んこになって遊ぶなど、男の子のようにとても快活な少女だったという。


《はねるのトびら》
2004年1月、レギュラー出演している「はねるのトびら」(フジテレビ)が全国放送となって11時台に昇格した際、当時裏番組だった 「おすぎとピーコの金持ちA様×貧乏B様」(日本テレビ)と放送時間が重なってしまう、いわゆる「裏かぶり」の状態となり、北陽は3月までの3か月間にわたってはねるのトびらへの出演休止を余儀なくされた。生来マイナス思考の彼女であったが、それを悪化させる事態となった。

これだけでも北陽はつらい思いをしたが、その際、日本テレビのスタッフから「はねトびが全国放送になったから、北陽は捨てられた」などの陰口(ほとんどが事実無根)を聞かされ、さらにつらい立場に。相方の虻川はその後自力で立ち直ったが、彼女はそのショックを引きずり続け、さらに、その後恋の悩みを抱えていたことも重なり、4月に復帰してからもNGを出したり、収録中に上の空になったりしていたという。一時は、虻川に「北陽辞めたい」と漏らしたという。

その後、はねトびがゴールデンに昇格し、「ためしてガッテン」のパロディー企画「ためしてガットン」で、「番組開始当初のイキイキしていた伊藤をよみがえらせる」という趣旨のもと、催眠療法で本来の伊藤を引き出す試みがなされた。すると、急に踊りだしたり、TVカメラの前でおどけたポーズを取ったりと、普段の番組で見せる伊藤とは全くの別人と化していた。極めつけは、おもむろに廊下に出て、ストリッパーのようなエッチな開脚を繰り返した。(本人いわく、催眠状態であったので「体が勝手に動く」状態だったとのこと。)

この状態をスタジオで見ていた、ドランクドラゴンを除く男性メンバーは「最低の潜在意識」と揶揄した。この潜在意識を裏付けるものとして、このコーナーでADに扮していた鈴木拓(ドランクドラゴン)は、「伊藤さんは、『酔ったときの私はエロいよ』と言ってた」と証言している。

(出典:Wikipedia)

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北陽

北陽(ほくよう)は、日本の女性お笑いコンビ。専攻はコント。所属事務所はプロダクション人力舎。干支は、二人とも、とら年。


【メンバー】
■虻川美穂子(あぶかわ みほこ、1974年9月11日 - ):ボケ担当。長身で常軌を逸した配役もいとわない。

■伊藤さおり(いとう - 、1974年4月9日 - ):ツッコミ担当(だが、彼女がツッコミであることはあまり知られていない)。虻川と異なり小柄。一定の美形ながら虻川に均衡を取って、女性には難しい番組企画にも挑戦している。


【概要】
コンビ名の由来は2人の母校、埼玉県立久喜北陽高等学校の校名から。元々は「北陽/s」というコンビ名だったが、後に「北陽」に改名し現在に至る。

同校ソフトボール部のチームメートだったのが出会い。卒業後、2人で劇団鳥獣戯画に入団するが、虻川が退団してスクールJCA(人力舎のお笑い芸人養成所)に入学。およそ1年後に改めて相方として伊藤を誘い、1995年にコンビ結成。スクールJCA出身でないおぎやはぎとデビュー時期が近い。

行き詰まりを感じて1998年頃に約1年間休業するが、復帰すると初期の『爆笑オンエアバトル』などで注目を集めるようになる。同番組に第1回収録から出場し、通算戦績は9戦8勝。

1999年、「続・ボキャブラ天国スペシャル」のキャブラーを目指す若手芸人登場のコーナーに出演したが、キャブラーになれずじまいであった。

2000年に『新しい波8』(フジテレビ)に出演し、この番組の出演者であるキングコング、ロバート、ドランクドラゴン、インパルスとともに同局『はねるのトびら』のレギュラーに抜擢される。実はこの面子の中では一番先輩である。

『おすぎとピーコの金持ちA様×貧乏B様』では虻川がA様(成功者)を、伊藤がB様(失敗者)を演じるサイレントドラマが人気だった。

コンビだけでなくピンの仕事も多い。特に虻川は単独でバラエティ番組のゲスト出演、ドラマ出演、CMなどの活動をこなす。

2004年1月に『はねるのトびら』が時間帯昇格した際、『おすぎとピーコの金持ちA様×貧乏B様』が裏番組となり、先に出演していた『金持ちA様×貧乏B様』を優先して『はねるのトびら』に出られない状態が3ヶ月続いた。『金持ちA様×貧乏B様』が曜日移動したことにより解決した。

事務所(=人力舎)によってネタ番組への出演を止められていることをテレビで明かしている。理由はイメージダウンに繋がるとのことで、2005年に「うたばん」で久々にTVでコントを披露した。最近ではごくまれにライブに出ている。

2000年代前半には若手女性芸人の代表的存在だったが、2004年頃から一時の勢いが見られなくなった。上記の「はねるのトびら」に出られない時期に味わった精神的なダメージや、伊藤に彼氏が出来たことが原因だと「はねるのトびら」の企画で分析された。青木さやか・友近・しずちゃんらの女性芸人がブレークした波に乗れなかった感もある。2005年春に「笑っていいとも!」の木曜日レギュラーを青木に奪われる形になったのが象徴的な例である。

しかしながら2006年からは「はねるのトびら」がゴールデンタイムで高視聴率を獲得し、「オシャレ魔女 アブandチェンジ」などの人気コーナーで中心となって活躍している。


【エピソード】
■一時期オセロと比較され「ポスト・オセロ」「関東のオセロ」との呼び声があった。ちなみに北陽が亭主改造計画のレポーターを努めた「ジャスト」では、オセロが第1号レポーターを務めていた。

■インパルス板倉は北陽がネタですべるのがたまらなく好きらしい。

■2006年3月8日の『はねるのトびら』の『正座大運動会』で伊藤だけ芸人に見えなかったらしく、キングコング梶原は「(Hなビデオの)企画物であるな」と発言した。

■2006年12月25日の『SMAP×SMAP』の人気コーナー「BISTRO SMAP」にはねトびメンバーとして出演した際、勝者のチームのごほうびである「おいしいキス」をメンバー代表で行い、伊藤が稲垣吾郎に、虻川が木村拓哉にそれぞれキスをした。しかし勝利のキスを誰にするかをオーナー役である中居正広が決めていた時、既に虻川は乗り気だったのか、口の周りをなめていた。そして虻川が木村においしいキスをする時、他のメンバーであるキングコング、ロバート、ドランクドラゴン、インパルスからは「これは罰ゲームに等しいかも」と言っていた。

(出典:Wikipedia)

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ムーディ勝山

ムーディ勝山(ムーディかつやま、1980年6月11日 - )は、日本のお笑いタレント。本名、勝山慎司(かつやま しんじ)。福岡県で生まれ、幼い頃に滋賀県大津市へ転居。さらにその後大阪府高槻市へ引っ越して現在に至る。血液型O型。私立金光第一高等学校 (現・金光大阪高等学校)中退。「ムーディ勝山」はムード歌謡ネタを披露する際の歌手名、キャラクターであり、普段は漫才コンビ「勝山梶」としてbaseよしもとで活動しているサライブメンバーである。「ムーディー」と伸ばされることがあるが正式には「ムーディ」である。大阪NSC23期生で、吉本興業所属である。


【芸風】
■顔は真面目顔で、横に伸ばしたちょび髭で、服装は白いタキシードと黒の蝶ネクタイ、髪型はポマードを付けたような横分けで、右手に金色(若しくは銀等の派手な色。しかし、必ずしも色つきのマイクを持つと言う訳では無い)のマイクを持ち、左手は腰のあたりで肘を曲げて拳を握ったような格好で、一点をずっと見たまま、アカペラで持ち歌(ネタ)を披露する。

なお、彼が歌う歌の最後には必ず「♪あ〜あ〜(この)○○○〜」と歌詞が入る。※この○○○には演歌・歌謡曲のタイトルや歌に関連する地名が入る。

具体例)東京砂漠、鳥取砂丘、神戸ポートピアランド(現在は閉館・廃業。なお、跡地には外資系高級家具メーカーの大型アウトレットモールが出店する予定)、知床半島(加藤登紀子が旧ポリドール(現・ユニバーサルJ)時代にシングル盤としてリリースした代表曲・『知床旅情』の舞台となった北海道の半島名から)他。


【これまでの経歴】
■ムーディ勝山はいつも突然現れ、持ち歌のムード歌謡をアカペラで歌う。その独特の芸風で主にお笑いライブ、お笑い番組に出演している。

■ダイアン津田の結婚披露宴パーティー会場にて「右から来たものを左へ受け流すの歌」を披露し、会場にいた芸人にバカうけする(この模様は、ヨシモトファンダンゴTVにて「ダイアン津田の結婚披露宴パーティー」という特番として放映された)。

■そのため番組関係者からオファーが殺到し、今や売れっ子芸人となった。

■ヨシモトファンダンゴTVにて放送中のヨシモト∞大阪2部若手芸人ネタコーナーにて、司会のブラックマヨネーズらの前で「右から左へ受け流すの歌」を歌いきり、それまで2部に『DJ KATUYAMA』名義で出演していた記憶が消されてしまうくらいに、ムーディ勝山の名前が一瞬にして浸透した。

■2006年11月3、4日にヨシモトファンダンゴTVにて放送された「ヨシモトファンダンゴTV6周年特番 29時間生TV」の中の「baseよしもと男芸人祭り」にて「上から下に落ちてくるものをただただ見ている男の歌」を披露している。

■2006年から2007年にかけての年末年始特番は「オールザッツ漫才」(毎日放送)「さんまのまんま2007年新春スペシャル」(関西テレビ)に出演した。

■オールザッツ漫才2006で「右から来たものを左へ受け流すの歌」を披露。審査員であった陣内智則、若槻千夏、ケンドーコバヤシは勝山の存在を知らなかったが、歌い終わった後、全員が爆笑し、見事陣内の結婚式2次会へ呼ばれることになった。しかし司会のサバンナ高橋は1次会へ勝山を呼び、「右から左へ入場しましょうよ」と言ったものの、陣内に「何で勝山きっかけで入場しなあかんねん」と断られた。そのとき陣内が「右から左だけなん?上から下はないん?」と聞くと、高橋と勝山は言葉を濁した。その数時間後、また勝山が登場し「上から下に落ちてくるものをただただ見ている男の歌」を披露すると、陣内は「悪い、知らんかった。後で歌うんやったら言うてくれたらええのに。ごめん。」と言い、ケンドーコバヤシは「さっきの陣内のフリにおどおどしてるなと思ってたらこういうことやったんか」と発言し、高橋は「録画してる皆さん。さっきふられたときの勝山君の慌ててる顔を見てください」と言われた。

■さんまのまんま2007年新春スペシャルでは、番組ゲストである今田耕司が毎年紹介している「2007年注目の若手芸人」3組のうちの1人として紹介され、明石家さんまの前で「右から来たものを左へ受け流すの歌」を(時間の関係上ショートバージョンだったが)歌いきる。

■2007年1月28日に「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」(日本テレビ)にて毎年行われているガキの使い大新年会にて山崎邦正プレゼンツで行われた「山-1グランプリ」のコーナーに出場。会場一の笑いをさらい、ダウンタウンの両者にも大ウケし、ネタの放送時間も一番長く取っていた。好評につき優勝かと思われたが、審査委員長である山崎の「浜田さんの突っ込みドカーン、君の歌ドカーン、出来上がってるんです。そんな怖い若手はいらない!」という理由により獲得点数は11点と無惨な結果に終わった(満点は20点、優勝はにしおかすみこ)。ちなみにこの番組放送終了後に彼はよくお笑い番組やバラエティ番組に出るようになったが、この番組がキッカケで他番組によく出るようになった可能性が高い(ただ、本人はオールザッツ漫才がきっかけだと言っているが)と言える。ちなみに、この番組でも「ムーディー」と伸ばされて紹介されてしまっている。

■「爆笑レッドカーペット」(FNS)では、案の定「右から左へ受け流すの歌」を披露し、その後、番組セット内のベルトコンベアを利用してポーズを決め、「右から左へ受け流される〜♪」とベルトコンベアの動きに合わせ見事に締め、大笑い(本番組独自の評価システム)を獲得しアンコールを要求され高評価を得た。ちなみにアンコールでは「上から落ちてくるものをただただ見ている男の歌」を披露した。

■毎日放送の生情報番組「ちちんぷいぷい」で20分間取り上げられ、歌を披露した後、角淳一からインタビューを受けた。勝山が「右から来たものを左へ受け流すの歌」を歌っている間、若手に厳しい角が珍しくにこやかだった。この前週、勝山のコンサートを開くことを番組内で知らせ、当日の客を公募した。このとき行われた街角アンケートでムーディを知っていた観客は100人中17人であった。

■2007年3月10日、エンタの神様に初出演し「右から左へ受け流すの歌」を披露。普段相方がやっている「何が?」「だから何がだよ」などのツッコミを司会の福澤朗がつとめた。しかし、この演出に対して視聴者の評判はあまり良くなく、翌週の3月17日放送分で「数字の6に5を足した歌」を披露したときには福澤の声は入らなかった。

■2007年3月18日の「爆笑レッドカーペット」(FNS)では、新ネタ「2日前から後頭部に違和感がある男の歌」を披露し、審査員から「満点大笑い」の高評価を得る。アンコール版では、同じく「後頭部に違和感がある男の歌」を熱唱、レッドカーペット賞には選ばれなかったものの見事に満点を獲得する。ちなみにこの放送分では歌を披露する際に必ず言う『それでは、ミュージックスタート!』と言うセリフ(フリ)を言わず、そのままネタを開始した。

■2007年3月23日金曜の「笑っていいとも!」ではピーコに「最近人気が上がっている歌謡曲のスタイルで意味の分からない歌を披露する人」と評された、ちなみにその日のコーナー、「クイズ!まちがったっていいじゃないか だって芸能人だもの」でムーディを知っていた観客は100人中27人であった。そして同年5月24日の木曜コーナー「人間プロファイリングQ ハメ込みナンバーズ」に出演し、2006年の年収が24万円であることや、交際している彼女の話などを明かした。その際、やたらと彼女がいるという事を強調しており、出演者の顰蹙を買った。

■「ドッカ〜ン!」(TBS)では「歌う工場見学先生」として製品のできる過程をムード歌謡に乗せて紹介している。現在までに「コアラのマーチ」や、「ひよ子」、「タイヤ」ができる過程を歌った。

■2007年5月30日、陣内智則・藤原紀香の結婚披露宴にて「右から来たものを左へ受け流すの歌」と「19(しち)時に始まり21(く)時半に終わる披露宴の歌」の2曲を披露した。

■2007年6月、「右から来たものを左へ受け流すの歌」がiTunes Storeのダウンロード初登場で2位にランキングされる。

■2007年6月21日、ナインティナインのオールナイトニッポンにゲストとして登場し、タカシィー岡村こと岡村隆史とすべらない歌対決をして勝利した。


【その他】
■テレビなどで、「ムーディー勝山」と誤って呼ばれることが多々あり、正確には「ムーディ勝山」であるが、本人はあまり気にかけていない。なお「ムーディ」表記で強調するようになったのは「ちちんぷいぷい」出演以後である。

■よく友達などから「阿部寛に似ている」等とも言われるらしく、そのため、「ちちんぷいぷい」にて『そうですねぇ、僕は良く友達から阿部寛に似ていると言われます』と発言、その後観客の多くはは「ええ…!?」や「確かに似ているかも」、「ああ…」等と漏らしていた。

■前述の通り、本当は「勝山梶」と言うコンビで「梶剛」と言う相方が居るが、その事は世間からはあまり知られていない。彼自身は「ピンでも2人でも売れたい」という。

■歌は携帯に吹き込んで作ったものである。

■「ちちんぷいぷい」に出演した際に語った事によると、最初彼は掃除機で掃除をしている時に掃除機に合わせ「右から来る〜♪」と鼻歌で歌っていたところ、彼自身が「これは面白いぞ!」と思い、後日携帯に歌を吹き込み、その後色々唄が発展し、今の唄の形態になったという。その為、レギュラー出演者等からは「自分でこの歌はイケるぞ、って思う事が凄い」と絶賛された。

■学生時代は野球部に所属。


【持ち歌】
レパートリーは10近くあるが、基本的に皆同じメロディである。

《右から来たものを左へ受け流すの歌》
■フルコーラスバージョンでは6分程の長さがある。タイトルを『右から左へ』と略されることにはとても不満を感じているというが、自分自身も直前にイントロを忘れてしまい、近くにいた芸人に確認するなど案外いい加減な扱いをしている。突然やってくると続く。なお、2007年5月16日以降iTunes Storeでも販売されており、一部のファンだけでなく同ストアの利用者の間での間で話題を呼んでいる。

■後付だと思われるが歌には「みなさんも悲しみや不安を受け流して欲しい」という解釈がある(2007年5月4日放送、「ザ・ワイド!」より)。

■いつも右から来たものは「ご想像におまかせします」と答えていたが、「自分では何が来たと思って歌っているのか」と言う質問で自分では「ポップコーン」だと思って歌っていると、「ジャイケルマクソン」2007年6月13日放送分で本人により明かされた。


《上から落ちてくるものをただ単に(ただただ)見ている男の歌》
■2006年のオールザッツ漫才にて司会の陣内智則から無茶振りをされた際に歌詞ができた。


《数字の6に数字の5を足したの歌》


《2日前から後頭部に違和感がある男の歌》
■「後頭部に違和感を感じた歌」や「後頭部に違和感がある男の歌」もある。

■ムーディ自身のことを歌った歌で、現在も後頭部には少し違和感があるらしい(2007年5月4日放送、「ザ・ワイド!」より)。


《37歳の唄》
■メッセンジャー黒田の37歳の誕生日を祝って相方のあいはら、ビッキーズ須知を前に歌ったもの(2007年2月「メッセ弾」にて)。


《嫁はんがチョイスしたシャツを着てるの歌》
■犬井ヒロシとのコラボ。バッファロー吾郎木村について歌ったもの。


《窓から虫が入ってくるのを気にしない女の歌》


《19時に始まり21時半に終わる披露宴の歌》
■陣内智則・藤原紀香の披露宴で披露した歌(2007年5月30日)。


《窓から虫が入ってくるのを気にしない歌》


《死相の歌》
■「ロンドンハーツ」の名物企画「格付し合う○○たち」でこの芸人の子供は産みたくないランキングの一般女性ランクワースト2に入った理由に「死相が見えそう」というのがありこれをネタにしたもの。その結果、次長課長の河本準一、宮川大輔などに不評を買わされることになった。(2007年7月3日放送分より)。


【ボツ作品】
■ただ単にキノコのことを歌った歌

■無意識のうちにフランス人にプレッシャーをあたえる歌

■タイトルのみ決まっていてただいま製作中との事だったがその後ボツになったとの事。内容は「顔が濃い」と言われる自らのことを歌ったもの。

■とろサーモンの久保田が「おさわりパブのマイクパフォーマンス」とのコラボレーション(番組で無理やり先輩の久保田からコラボさせられたがまったく受けず)

(出典:Wikipedia)

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間寛平

間 寛平(はざま かんぺい、男性、1949年7月20日 - )は日本の俳優、お笑いタレント。歌手。血液型はAB型、身長164cm、体重60kg。吉本興業東京本社所属。レゲエシンガー活動名義および本名は間 重美(はざま しげみ)。


【来歴】
高知県宿毛市出身。私立柏原高校卒業。既婚者。1男1女の父。ミュージシャンの間慎太郎は長男である。娘は既に結婚し、子供がいる。奥さんの光代さんは元吉本新喜劇の団員。

師匠は花紀京。吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を得た。「かい〜の」などのギャグで有名。

弟子にシベリア文太、本田みずほなどがいる。2005年、この2人をも従えて石田靖や山田花子たちと『よしもと大爆笑劇場〜寛平劇団&バラエティー全国巡業中!!』で全国巡業した。


【プロフィール】
■12歳の時に大阪市住之江区に引越した。

■1968年 - 高校卒業後、石原裕次郎に憧れて上京。歌手を目指すが、挫折して大阪に戻る。

■1970年 - 喫茶店のアルバイトしていた時に、その店主の紹介により吉本興業に入り、吉本新喜劇の研究生になる。

■1974年 - 木村進とのコンビで入団から4年、24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格。

■1975年 - 『ひらけ!チューリップ』で念願の(?)歌手デビュー。100万枚のセールスを記録。

■1978年 - 同じ新喜劇の団員だった光代夫人と結婚。当時の週刊誌の見出しが大きく取り上げられ話題を呼ぶ。

■1986年 - アメマバッジを10万個作成し6千万円の借金。

■1989年 - 吉本新喜劇を退団し東京進出(但し家は宝塚)。バラエティー番組からテレビドラマまでこなす。

■1990年から放送を開始した日本テレビのクイズ番組「マジカル頭脳パワー!!」のレギュラー解答者として1991年3月から最終回まで出演し、成績はあまりよくなかったが、珍答を繰り広げた。


【エピソード】
■人柄が良く、芸人仲間や後輩からも信頼される。明石家さんま、島田紳助、ダウンタウン、ナインティナインも今もって若手の頃に良くしてもらったことを感謝している(芸人ではないが「マジカル頭脳パワー!!」で共演した所ジョージなどからも信頼されている)。その反面、お人好しと無知が災いして次々と他人の借金の連帯保証人になる他、アメマバッジの失敗により多額の借金を背負うが、奥さんの光代さんが必死の借金返済で当時0歳だった長女を連れて、金融業者の前で長女をつねって泣かせて、金融業者を同情させる作戦で、借金の利子を免除してもらったと言う逸話がある(「いつみても波乱万丈」で光代さんがゲスト出演した時に明らかになった。)。普通の人間なら、利子を免除してもらえないのだが、当時、寛平も売れ出し始めた事もあり、寛平自身が家族を養う事が厳しかった事から光代さんが必死に訴えた努力の甲斐が実り、利子を免除する事が出来た(現在は完済)。

■アメマバッジの件では、バッジを製作した会社から費用の不払いのため訴えられて裁判沙汰となる。(通称「アメマ裁判」)この口頭尋問で、裁判官から「『アメマ』とは何ですか?」と訊かれ「『ア〜メマァ〜・・・』です」と答えたら、再び「ですから、『アメマ』とは何ですか?」と訊かれたため、再度「『ア〜メマァ〜・・・』です」と答えた。このやり取りが尋問中何回も繰り返された。なおアメマバッジは、「いつみても平平凡凡」に出演したゲストにプレゼントされ、「痛快!明石家電視台」で会場の観客にもプレゼントされていた。
※「アメマ〜」とは、本人いわく幼児が母親に対して言う「あ〜ママぁ・・・」が転じたもの、とのことである。

■TV進出のきっかけは、当時の出演番組がABCラジオのポップ対歌謡曲(週1本のレギュラー)しかなく、明石家さんまとの会話で、「兄さん、そのギャラじゃアメマの借金返せまへんやろー!」と言われたことがきっかけで、さんまが出演しているTV番組に共演するようになった。

■ハゲ頭のカツラを被ったおじいちゃん役(通称:最強ジジイ)での出演は非常に多く、吉本新喜劇での名物キャラの一人であった。膝をカクカクさせながら杖を振り回し、最後に「がんばっとるか〜」と言う姿は多くの観客の笑いを誘ったが、調子に乗ってあまりにも膝をカクカクさせすぎて、本当に膝を痛めたことがある。また、多額の借金を抱えていたとき、その姿を見た妻から「アンタは杖の先にハンコつけて(判をつきながら)歩き回っているのか!」と言われたことがある。

■野球は筋金入りの福岡ソフトバンクホークスファン(南海時代から)で、現在でも年に数回福岡Yahoo!JAPANドームまで観戦に足を伸ばす。映画「ファンキー・モンキー・ティーチャー」シリーズで主人公(戸沢康平)の役を演じた時には、毎回福岡ダイエーホークスのウインドブレーカーを着て登場していた。

■「笑っていいとも!」に出演の際、タモリと必ずサルの喧嘩の真似を行う。

■趣味としてマラソンをしており、ギリシャの鉄人マラソン「スパルタスロン」では246qを8度も完走、24時間テレビの24時間マラソンでも200km(1995年は神戸-東京間、約600kmを7日間で完走)を完走するほどの健脚の持ち主でもある。この年の24時間テレビは阪神・淡路大震災に対するチャリティー色が濃かった。

■彼自身もこの震災で、宝塚市に建てたばかりのマイホームを失ってしまった。また、寛平がアメマバッジの作成や連帯保証人として長年にわたって請け負った全ての負債を完済したのも阪神大震災のほんの数日前で、そのほっとした矢先での被災であり、また地震保険にも加入していなかったため家の再建費用などでその後もまた予期せぬ形で債務を負うことになってしまった(。

■もともと寛平がマラソンを始めた理由は、心臓疾患の治療のためであったが、マラソンを続けているうちに心臓疾患を克服したばかりか、心臓の強さが陸上選手並みになったという。

■「オールスター感謝祭」のマラソン競技でも、50代半ばにして一般男子以上のハンデがある。

■芸風からは想像も付かないが音感にも優れ、昔から歌唱力には定評がある。かつて「ひらけ!チューリップ」がヒットしたこともある。2000年には、間寛平withアメマーズとして、フジロックフェスティバルに出演している。「痛快!明石家電視台」ではアドリブで作詞作曲した唄を歌い出すこともしばしば。

■忌野清志郎と↑THE HIGH-LOWS↓の真島昌利からアルバム「ジャングル野郎」の楽曲提供を受けた関係で2001年6月6日、SHIBUYA-AXにて行われた↑THE HIGH-LOWS↓のライブのアンコールでスペシャルゲストとして登場。短い時間で様々なギャグを披露し会場を沸かせたあと、↑THE HIGH-LOWS↓の演奏でヒロトと一緒に「天国野郎ナンバーワン」(↑THE HIGH-LOWS↓と間寛平のバージョンがあるが、「天国野郎」を提供した↑THE HIGH-LOWS↓側がわけあってセルフカバーした際に「天国野郎ナンバーワン」と改題した)を熱唱した。この日のライブでは普段は入場時に配られるフライヤーが配られず、退場時に「ジャングル野郎」の広告と一緒に配られたことから、寛平の登場はシークレット扱いだったと思われる。この模様は後に日本テレビ系列の深夜番組で放送された。

■また、「ジャングル野郎」に収められている真島昌利提供の曲は、リリースの際、寛平の所属事務所側に一部歌詞を変更されてしまった。変更前の歌詞は、↑THE HIGH-LOWS↓バージョンを聴くことで知ることが出来る。また、寛平バージョンは寛平ならではの台詞が入っている。

■寛平は「さんまのまんま」に忌野清志郎と出演した際、「ハイロウズが曲を提供してくれたんですよ。」と、とても嬉しそうに話していた。

■2006年2月24日に長女が初孫を出産。間寛平、56歳にして名実共におじいちゃんとなった。「ついにおじいちゃんになりましたが、いくつになっても甘えまくります!」とのコメントを発した。

■「マジカル頭脳パワー!!」内にあった「マジカルアート」で毎回他のメンバーが解答できないほどの絵を描いて(動物には鳥の足しか使わないなど)、それが原因で絵の勉強のためにフランスに留学した。しかし復帰第1回でシロクマを指示されたものの、今までの癖は直っていなかった(当然解答できずパスとなり不正解)。現在も「痛快!明石家電視台」の中の素人参加のクイズコーナーでお絵描き問題が出る時には意味不明の絵を描いて解答者を混乱させ、明石家さんまをあきれさせている。

■脳内出血に倒れ、今もリハビリを続けているかつての同僚・木村進とその家族への様々な支援を行っている。

■近年は、志村けんと同じくコメンテーターとしての活動が多い。これには、チャリティーマラソンなど、彼の素が出ている場面がよくテレビで流れているためという見方もある。

■年齢に似合わず、非常に髪型がかっこいい。「妻夫木カット」とごきげんようで自称した。

■東京で頑張りたいと独立を考えた(本人曰く、家の畳が「東京行け、東京行け」とささやいたからとのこと)時に、当時、吉本の社員だった木村政雄に懸命に説得され、慰留が決まり、吉本興業東京本社(当時は東京事務所)に所属する事になった。同時に吉本新喜劇を退団する。

■東京進出の理由として、実はアメマバッジの件も関わっていたとの話もある(「いつみても波瀾万丈」より)。東京では萩本欽一に師事し、干されても3年はがんばると約束していた。

■2006年の24時間テレビ内では十種競技にも挑戦。改めて鉄人振りをまざまざと見せ付けた。

■波田陽区を非常に可愛がっており、家族ぐるみで親交がある。

■2007年の2月27日に芸能活動を3年間休止して世界一周マラソンに挑戦する意向を表明。本人はその理由を「目立ちたいから」だと語っている。


【主な持ちネタ・ギャグ】
■「おっさ〜ん、おっさんアホか、アホかおっさん、おっさん、アホかぁ。」

■「こら、犬どけ! コン キャンキャンキャン…」

■「誰が付けたかインベーダー ビッビビッビ」

■「かい〜の」(大道具の角・自分の持っている杖などに尻の割れ目をこすりつけて上下運動)

■「アヘアヘアヘアヘ・・・」(快感を表すときなど用例多数)マネージャーの妻から5000円で購入

■「なめなめくじくじなめくじくじ」(なめくじ運動で地面を這う)→「塩かけないでね、粗塩はいやよ」と付け加える。

■「ア〜〜〜〜メマ!!」(困ったとき・追いつめられたときに咄嗟に放つ一言)

■「血ぃ吸うたろか」息子(間慎太郎)から奪ったギャグ

■「止まると死ぬんじゃ」(おじいちゃん役の時)

■「だ〜れ〜が〜じゃ」「ど〜〜してじゃ」「な〜ぜじゃ」(おじいちゃん役の時)

■「お礼のプ〜」

■「いくつになっても、甘えん坊〜」

■「脳みそパ〜ン!」

■猿のマネをしながら、池乃めだかの猫の形態模写との掛け合い。めだか猫と一緒にボールにじゃれついたりするが、そのうちにらみ合い、大喧嘩を始める。しかしいつの間にか寛平猿がめだか猫を押さえ込み、交尾を始めてしまう。

■暴れているうちにめだか猫と向き合う形となり、2人ともビックリして腰を抜かすパターンもある。

■(池乃)「えもんかけ(ハンガー)取って」(寛平)「誰がエテ公やねん!」

■(池乃)「本気で言うてるんですか?」(寛平)「誰がモンキーやねん!」

■(池乃)「またそんな得手勝手言うて・・・」(寛平)「誰がエテ公飼ってるねん!」

■(池乃)「折り入って相談がありまして・・・」(寛平)「誰が檻に入って相談せなあかんねん!」

■「月は雲間に隠れたし、雨戸も閉めたしガキも寝た」→「おまいさん今夜もかい?」→「あったぼうよ!」(以上、一人芝居)

■「かかかか堪忍な〜」

■「チャッチャマンボ チャチャマンボ ヘイ パキューン・パキューン・パキュンパキュンパキュン」(パキューンに合わせて腰を前後運動)

■「しっかりできたらフラフラするか!」(後輩芸人などから「しっかりして下さいよ〜」と言われた時)

■井上竜夫も時々「しっかりできたらうっかりせんわい!」というギャグを使う。

■アメママン(アメマバッジのモデル)

■先っちょマン

■ホレホレレンジャー「ホーレホレ掘れ」「おったまげったんよー」

■引きずり女

■十二単姿、白塗りで額に「引」の文字、帯にいろんな物をヒモで結びつけて引きずっている姫。「引きずり女は福を呼ぶ」と書かれた扇子を常に持っている。娘の結婚式の余興で、娘の友人(素人)が引きずり女をやろうと用意していたのだが、寛平は本家本元の引きずり女を娘の友人より先にやってしまい、娘の友人の出し物は台無しに。

■「まいど〜!」(鼻声で)

■「フェー」(鼻声)

■「ふひは!」(鼻声)

■「ちょっとしたミスさ」

■(突然怒り出した後に)「きつく言ってごめんね」

■「○○って言った」「○○って言った、言った」→「結構言うのね」

■「じいさん、ばあさん、山のぼろ〜」

■「うんばらばー」

■「イカルスピークサンシン」(呪文のように唐突に唱える。一瞬で空気を変える力を持つ、不思議なギャグ。大阪ほんわかテレビで登場)

■(ギャグではないが、痛快!明石家電視台での発言より)「私は今、耳クソが不足している」「うめだ花月から宝塚の自宅まで車で帰ったが、その間ブレーキを一度も踏まなかった」「私は県庁所在地について語れる」、など。いずれの発言も明石家さんまからツッコミが入り(特に耳クソでは大説教された)、エンディングコーナーの投げ手・すくい手に採用された。

(出典:Wikipedia)

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所ジョージ

所 ジョージ(ところ ジョージ、英語表記:Tokoro George、本名:芳賀 隆之(はが たかゆき)、旧姓:角田、1955年1月26日 - )は、日本のマルチタレント。ティヴィクラブ所属。身長174cm。血液型はO型。


【概要】
埼玉県所沢市出身。市内のこひつじ幼稚園、南小学校、南陵中学校、小平市の錦城高等学校を経て拓殖大学政経学部に進むが、学費納入の手続きを忘れ、学費未納として除籍される。「シンガーアンドソングコメディアン」を自称し、ミュージシャン・コメディアンとして芸能界デビュー。その後、日本を代表するタレントとして複数の冠番組を持つ。その他、俳優・声優・司会者・ラジオパーソナリティ・ディスクジョッキー・作家・コピーライター・ゲームクリエイター・発明家、また少年ビッグコミックにおける漫画家としての連載など、様々な活動を行っている。

芸名の「所ジョージ」の由来は、出身地の所沢市と柳ジョージをモチーフに宇崎竜童によって「所沢の柳ジョージ」という意味で命名された。「所さん」の愛称で親しまれており、これはデビュー当初から本人自らが自分のことを「所ジョージさん」と言っていたものと、出版物や冠番組で「所さんの」が多用された事から、それが一般に定着したものと思われる。坂崎幸之助やビートたけし、タモリからは「所」、明石家さんまは「所ジョージ」とフルネームで呼ぶこともある。


【芸能活動】
《ミュージシャン・音楽面》
芸能界入りのきっかけはダウンタウンブギウギバンドのボーヤとしてであり、ライブの前座を務めていた。その後、タモリに見出される。1977年に『ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景』で、シンガーソングライターとしてデビュー。

1998年、テレビ番組『MUSIC HAMMER』の企画としてシングルCD『「ミュージック・ハンマー」オリジナルサウンドトラック“トンカチ”』をリリース。このCDでは同番組で所と共に司会を務めた坂崎幸之助、篠原ともえも参加している。

1999年には明石家さんまの人生を描いた曲『明石家さんまさんに聞いてみないとネ』をリリース。この企画はさんまが司会を務めるさんまのまんまに所が出演したことをきっかけに生まれた。この曲にはさんま本人とゲストとしてたまたま通りがかった工藤静香も参加している。プロモーション・ビデオは多忙なさんまと所の2人のスケジュールが取れないため、レコーディング風景の映像をそのまま使っている。記者会見では「ライバルはGLAY」「目標は売り上げ5000万枚」「NHK紅白歌合戦出場を狙う」などと言っていた。なおアルバム『洗濯脱水』には『明石家さんまさんに聞いてみてもネ』という曲も入っている。

2002年7月には、女性フォークデュオ「素一(すっぴん)」のシングル「白い月」で初めて他のアーティストのプロデュースを行った。シングル「白い月」は2002年7月24日に発売され、収録されている「白い月」「治療」「ガンバレ」 の3曲の作詞・作曲も所が担当している。

2004年9月、男性フォークデュオ「コブクロ」とともに「トコブクロ」を結成。所がイメージキャラクターとして出演した缶コーヒー「ワンダ モーニングショット」(アサヒ飲料)のテレビCMのイメージソングを制作した。2004年9月29日には、マキシシングルCD『毎朝、ボクの横にいて。』として発売。

そのほかにも、NHKみんなのうたでは、1989年には「背中でツイスト」、1999年には「歩いてみっか!」を歌っている。なおこれらの曲について、前者ではアニメキャラクター、後者はCGキャラクターとして、映像に登場している。

2006年には、エイベックスより、アルバムを1枚リリースしたり、山本譲二との「譲二さんと所さん」名義でコラボレーションシングルをリリース。山本との競演に関しては、「この異色ユニットでNHK紅白歌合戦に出たい。」と望んでいたが、取り下げられてしまった。


《楽曲の特徴》
自らのレコード・CDは遠慮のない表現やパロディ等のため、すぐ廃盤になったり、発売されなかったりする事が多い。オリコン等のヒットチャートにランクインすることは滅多にない。かつてシングル『まったくやる気がございません』のイントロでも「滅多に売れた事のないと言う(以降省略)」と言っており、20周年記念アルバム『カニバーサミー』を出演番組で宣伝した際も「(自分の歌は)どうかしてる。売れないわけだ」とコメントした。しかし、デビューアルバム『現金に手を出せ!!』はオリコン最高位33位、オリコン調べで2.2万枚を売り上げ、シングル『寿司屋』はザ・ベストテンで、20位より下のかなり低い順位ではあるがランクインしたこともある。一部の根強いファンに支えられ、2006年現在も音楽活動を続けている。業界の中では宇崎竜童や奥田民生などから高い評価を受けており、レコーディングに大物ミュージシャンや森高千里などの意外なゲストが参加することが多い。

レコーディングされたもっとも短い楽曲は、『スブタ』という曲。歌詞も12文字だけでわずか5秒の作品。よくバラエティー番組で披露されることが多い。『どっちの料理ショー』で紹介されたこともある。


《その他》
ギターで3カポを多用するため、3フレット分ネックをカットしたギターをオーダーメイドした。後に井上陽水にこのギターをプレゼントした際、陽水はネックの短さに驚いた。この経緯については『LIVE 絶滅の危機』に、所本人が語っている様子が収録されている。

アルフィーの坂崎幸之助と親交が厚く、所は坂崎のことを「こうちゃん」と呼んでいる。これに対して坂崎は「トコロ」と呼び捨てにすることが多い。アルフィーの売れない時代に自らの曲を自室で坂崎と二人でアレンジ・レコーディングしたり、オールナイトニッポンにレギュラーコーナーを持たせたり、映画「下落合焼とりムービー」では二人で共演などし、挙句の果てには所がアルフィー入りを懇願したりしている。近年、音楽のライブ活動をしようとしない所に対し坂崎は「俺が会場やスタッフや楽器の段取りするから。お前は来て歌うだけでいい」とまで言っている。

宝くじ・ミスタードーナツのCMやいくつかの看板番組では出演するとともに、テーマソングを作詞・作曲し歌っている。世界まる見え!テレビ特捜部におけるラサール石井の証言によれば、出演料だけでなく、別途作詞・作曲料も請求している。この件に関して、所本人は否定せず苦笑していた。


《タレント・俳優業》
1983年から1990年まで「森田一義アワー 笑っていいとも!」のレギュラーを務めていた。1996年から2006年春まで宝くじのCMのイメージキャラクターを務めている。肩の力を抜いた、いい意味での「いい加減さ」が人気であり、司会、レギュラーを務める番組は多数で、長寿番組も多い。また、理想の父親、上司ランキングでよく上位にランクインする。そのリラックスした司会ぶりは、島田紳助に羨ましがられている。

俳優業では、1980年代にTBS系ドラマ『うちの子にかぎって』などで脇役として好演、1993年に黒澤明監督作品『まあだだよ』に出演し、日本アカデミー助演男優賞ノミネート、ブルーリボン助演男優賞を受賞。スペシャルテレビドラマ『私は貝になりたい』にも主演し、当時は役者転向かとも言われた。しかし2007年現在もタレント、ミュージシャン業をメインにしている。

タレントとしての芸風は「いい加減」さを売りにしているが、1980年代まではテレビでは登場時に縦横無尽に暴れまわる芸風であり、番組スタッフと内容を巡って次のような軋轢をおこしている。そのため、80年代には日本テレビ系からフジテレビ系へ、そして90年代には再度日本テレビ系へと活動の中心を移している。2000年代においてはスタッフとの軋轢も表面化していないようなので、かつてのような揉め事はないものと思われる。

日本テレビ系においては、「11PM」の水曜日の司会を長年続けた愛川欽也の勇退を受けて、1986年4月より水曜の司会に起用された。これは同じ日本テレビ系のTV海賊チャンネルでの功績を認められての抜擢だった。しかし、「TV海賊チャンネル」時代には所ワールドと言ってもいいくらい自由だったのに対し、長寿番組「11PM」では制約が多く、スタッフ等との意見衝突もあって、半年で降板した。

フジテレビにおいては、出演していた「笑っていいとも!」で、所がやりたがっていた企画と、スタッフが所に出した企画の内容の違いが浮き彫りになった。次第に「いいとも」が当初のマニア受けの番組から万人受けする番組に変化する中、所の存在や出演コーナーは番組全体から浮くようになった。スタッフに抵抗するかのように、1989年年末の笑っていいとも!特大号では他の出演者がものまね紅白歌合戦企画で女装する中、所は一人女装せずに助走した。スタッフとの考えの違いは埋めきれないまま、所は1990年3月に「いいとも」を降板する。これを契機に一時期フジテレビに対して不信感を抱き、次第にフジでの仕事を減らし、「ものまね王座決定戦」の司会、「やまだかつてないテレビ」の準レギュラー、「所さんのただものではない!」の司会を1991年9月までにすべて降板した。1991年10月から1995年3月までの期間は、特番などには出演するものの、レギュラー番組への出演はない。その時期の出演番組は、特番の「世界の超豪華珍品料理」、「芸能界ぶったまげリクエストそこまでやる!?」や、ビートたけし繋がりの「たけし・逸見の平成教育委員会」や「平成教育テレビ」、「平成夏休みバラエティー」「北野ファンクラブ(たけし代理。題名も「所ファンクラブ」になっていた)」だけである。この頃、フジの番組からデビューしたおニャン子クラブをも徹底的に嫌っており、週刊誌などのインタビューでは度々過激な苦言を述べていたこともある。彼女らと共演する関根勤らも苦言の対象となっていた。

こうした経緯によって、90年代においては再度日本テレビでの仕事が多くなった。同局の看板クイズ番組だった「マジカル頭脳パワー!!」では、かなりの正解率を誇り、VTR問題はVTRが出た瞬間に正解するなどものすごい頭の回転力を見せつけ、ほぼ毎回トップ頭脳賞を獲得していた。また、同番組において、スタッフのクイズ・ゲームを重視する主張と、所の「クイズも大事だが出演者同士のやりとりも大事」とする主張の対立により途中降板している。

2006年現在は、日テレ、フジ両局ともに関係は改善しつつあり、日テレにおいてはいまだ多数のレギュラー番組が存在する。フジテレビにおいても、1994年と1997年、1998年、2006年に所が「いいとも」のコーナーテレフォンショッキングに出演し、また1本のレギュラー番組を持っている。


【生活・思想】
■妻:芳賀文子:ティヴィクラブ社長

■長女:芳賀さやか

■次女:芳賀遼子:所ジョージとCM共演

妻はもともと行きつけのスナックのママであり、現在は「ブンブーンクッキング」の著者、また所の事務所であるティヴィクラブ社長でもある芳賀文子。ビートたけしから、「かみさんは福島出身だから、おにぎりのことを『おぬぐる』と言うんだろ」と冷やかされていた。結婚披露宴では赤塚不二夫が自らビデオカメラを持ってきて撮影し、仲人はタモリが務め、披露宴では所の経歴を「拓殖大学を優秀な成績で除籍」と紹介され、本人も喜んでいる。この時以来、「仲人といえば」「親も同然」が、タモリと所の間の合言葉になっている。披露宴には当時パーソナリティーを務めていたオールナイトニッポンのリスナーを招待した。

ライフスタイルは徹底したアメリカンスタイル。社会制度についても「弱いものは助けず、金を稼いだものが尊敬され優遇される社会に転換すべき」とアメリカ型社会や小泉構造改革路線を支持する発言をたびたび行なっている。但し、これらの発言は所流のいい加減な発言(ギャグ)であるという解釈もできる。トレードマークは「おでこメガネ」「額グラサン」とも呼ばれる、額にめがねやサングラスをかけた姿である。オールナイトニッポンに出演していた20代の頃から、何度もカツラメーカーからCMのオファーがあるも、断っていた。

「ダ埼玉」と揶揄されていた1980年代前半、埼玉県庁発行の埼玉県民だよりに「ダサいと言われてカッカする方が余程ダサいと思う。埼玉らしい良さを自覚し誇りに思うべきだ」「住むにはとてもいい所だ」等、冷静なコメントを寄せている。

1984年、第1回新語・流行語大賞で「す・ご・い・で・す・ネッ」が流行語部門大衆賞を受賞するなど、流行の先駆者でもある。上述の「おでこメガネ」(帽子の上に掛けるものも含む)は2004年頃から巷でよく見かけるようになったが、このスタイルを21世紀に復活させたのは所だと言われている。以前女子高生などの間で流行した「ゲロゲロ」「〜かもしんない」なども、所が発端と思われる。「ルーズソックス」の先駆けも自分であると、所本人は言っている。

クールでドライな一面もあるためか、人前で涙や悲しみを絶対に見せないが、明石家さんま曰く、「オールナイトニッポン」の最終回で号泣した。また、「笑ってコラえて」「奇跡体験!アンビリバボー」などの番組で感動的なVTRが流れた後、スタジオで共演者が涙を見せる中で絶対に涙を流さない。また、お葬式にも報道陣の前ではあまり姿を見せず、黒澤明の通夜で取材に応じたぐらいである。


【趣味】
その他、ゴルフ、お茶等、趣味は数え切れず、スニーカー、ライター、スカジャン、ガスガンなど多数持っており、芸能界では寺門ジモンと並ぶコレクターとして知られる。自らの多趣味を組み合わせて楽しむ事が得意であり、ラジコンに可動関節フィギュアを載せて走らせたり、フィギュアに小道具と共にポーズを取らせて撮影した写真集を出版したりしている。ゴルフについては、「東西お笑い芸人ゴルフコンペ(非公開のプライベートコンペ、「東西お笑い名人会」とも)」では度々優勝している。練習熱心で、「飛ばし屋」である。そのスウィングは個性的だが、持ち前の運動神経と体力、鋭い感性、巧みなメンタルコントロールが強さの秘密であろう。ゴルフ理論にもこだわりがある。それが嵩じて2006年、革新的なゴルフクラブ・TxTパラレルハンマーアイアンをプロデュースし、大評判となっている。テリー伊藤と並ぶ無類の車好き、特にアメ車好きとしても有名で、ホンダ・オデッセイをシェルビー・コブラ風に改造してしまう等独創的なカスタムが多い。またバイクにも造詣が深く、それまでオッサンバイクのイメージが強かったビッグスクーターのボディをイエローにペイントし、カスタムパーツを取り付けるなど若者向けに改造し、現在のビッグスクーターブームの火付け役的存在にもなった。


【他の人物との関係】
漫画家秋本治と交友があり、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』単行本の巻末にコメントを寄せている。植木等を尊敬し、「無責任男」のキャラクターと植木本人の人格に惚れ込んでおり、所は植木等のことを「お父さん」と呼んでいる。ドラマで父子役を演じたこともある。しばしばコージー冨田にものまねをされる。1985年頃のラジオで本人が語ったところによれば、蛭子能収が大嫌いである。おまけに野々村真も嫌っており、番組で頻繁に弄っていた(共演した番組での海外ロケでは、クイズの答えが「イルカに乗った少年」のところ、「マネージャーに乗った野々村」と回答していた→共演タレントのマネージャーと海外ロケ中にセックスしたということ暴露している)。以前はおニャン子クラブも徹底して嫌っていたが、現在は元おニャン子クラブメンバーとの交流もある。ビートたけしは以前オールナイトニッポンでさんざん所ジョージの悪口を言っていたが、今考えればライバル視していた証拠であろう。バイク事故の際、傍目から見ても所ジョージにビートたけしは一生頭が上がらないほどの恩の受けた。所はたけしのことを「北野さん」や「おじさん」などと呼んでおり、ゴルフ仲間でもある。

(出典:Wikipedia)

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青木さやか

青木 さやか(あおき さやか、1973年3月27日 - )は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)、女優。本名:青木 沙耶加(読み同じ)。愛知県尾張旭市出身(生まれは愛知県瀬戸市)。血液型O型。ワタナベエンターテインメント所属。身長165cm。


【来歴】
■両親共に小学校教諭という家庭環境で育つ(2006年3月現在、母親は小学校の校長)。愛知県立瀬戸高等学校を経て、名古屋学院大学外国語学部中国語学科卒業後、テレビタレントセンター(TTC・名古屋のタレント養成所)に入学。この時、タレントセンターで講師を務めていた狂言師和泉元彌から狂言の指導を受けたことがある。

■その後、名古屋ローカル・岐阜ローカルのフリーアナウンサーとして活動。さらにその後、林寛子の付き人を経て、中京テレビの深夜番組『めざせ!総・楽・天』に出演した。この時はお笑い志望ではなかったが、「面白いタレントになりたい」という自己PRをお笑い志望としてこの番組で紹介されたことがきっかけで、お笑いに転身する。

■名古屋では一時期、松田大輔(現在は東京ダイナマイトのボケ)らと「温泉こんにゃくアクロバットショー」なる5人組のユニットを組んでいた。ユニット脱退後、しばらくフリーで活動していたが、ワタナベエンターテインメントのライブにゲスト出演した折、渡辺ミキ社長にスカウトされる。そのまま2003年1月より事務所を移籍して全国区での活動を始め、現在に至る。

■駆け出し時代、『お願い!DJ!克也とのりちゃんはっぴぃウィークエンド』(ニッポン放送)で「イエローハットサウンドハイウェイベストヒットセレクション」の中継を担当していた。その縁で、BSデジタル本放送が開始された2000年12月から、BSフジで放送のニッポン放送制作の番組『LF+Rモーニング YOUNG LIVE JAPAN』『ヤングライブニッポンLF+RミュージックTV』に松田大輔と「温泉こんにゃく…」としてレギュラー出演した。

■全国区で活動を始めてしばらくは鳴かず飛ばずの時期が続いたが、2003年秋頃からフジテレビ系の番組『笑う犬の太陽』『ネプリーグ』やテレビ朝日系の番組『Out Of Order』など、事務所の強力プッシュによってレギュラー番組が激増する。本人はこの頃のことを「ネプチューンのバーターで売れた」と語っている。

■同じ頃、『エンタの神様』(日本テレビ系)などのネタ番組でブレイク。現在は笑い専門だけでなく、女優業や司会業などもこなす。

■2004年8月10日に発売された『週刊ポスト』8月20日・27日号のグラビアでビキニ姿を披露し、賛否両論を巻き起こす。

■2004年10月12日放送のテレビ朝日の特番『ロンドンハーツ3時間スペシャル』で、当時の彼氏である「コージ」を公開。番組史上最高視聴率(平均22.1%、瞬間最高30.4%)獲得に貢献する。

■テレビ番組『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』の企画で、P'UNK〜EN〜CIEL(L'Arc〜en〜Cielの変名ユニット)に「P'UNK青木」としてキーボード・コーラス他で参加し、2004年12月25日『天嘉 - 参 DANGER III in 日本武道館』に出演する。また、2005年1月13日にリリースされたL'Arc〜en〜Cielのシングル「Killing Me」のカップリング曲『Round and Round 2005 feat. P'UNK青木』でCDデビュー。

■2005年1月1日朝にフジテレビが放送した新春お笑い番組で海原はるか・かなたと共演した際、海原かなたを真似て海原はるかの毛髪を吹き飛ばすはずが、なぜかおでこにキスをして海原はるかを喜ばせた(アドリブのギャグと思われる)。

■フジテレビ系『めちゃ×2イケてるッ!』2005年4月9日放送分の芸能人抜き打ちテストでは5位だった。ちなみに、この時細木数子も参加しており、細木は6位だった。

■2005年4月13日に、写真集「Où Voyez-vous?」(タイトルは「どこ見てんのよ?」という意味のフランス語)を発売し、初版2万部が3日で完売した。なお、発売前日の4月12日にテレビ朝日の特番『ロンドンハーツスペシャル』でこの写真集撮影の一部始終が放送された。その後、増刷され7万5千部に。後に、事務所の後輩安倍麻美に「売れたのは、ロンハーのおかげでしょ」と言われたが、「あれはねぇ! ロンハーのおかげ!」と切り返し、否定しなかった。

■2005年7月23日〜7月24日、フジテレビ系『FNS ALL STARS 25時間テレビ』の総合司会を笑福亭鶴瓶と共に務め、“フジテレビアナウンサー”の肩書きで出演。そして、フィナーレ恒例のフジテレビ新人アナウンサー披露ではこの年の本当の締めくくり役(提供読みの最後は田淵裕章アナウンサー)を担当。芸能人として初めての同コーナーの参加者となった。


【芸風】
■芸人としての持ちネタは主に、バスガイド、保母、エレベーターガールなど様々な職業のコスプレで、皮肉たっぷりにブラックジョークを連発する一人コント。また、特技のピアノを使い、自作の歌を弾き語りするネタもある。名古屋時代は、アルトリコーダーを吹きながらシュールなことを言う漫談ネタもやっていた。

■バラエティ番組では、慇懃キャラを軸にしつつ、目上目下にかかわらず相手に罵声を浴びせたり、女であることを過剰に意識してツッコミを誘ったりなど、状況に応じてリアクションを使い分ける。

■罵倒については、特に若手の局アナ相手で激しく炸裂するが、これはテレビ局のアナウンサー試験での挫折体験や、その後のフリーアナウンサー経験も影響しているものとされる。なお、滑舌のよさを売りの一つとするが、フリーアナウンサー経験もさることながら「トーク番組で絡んでもらうには、きちんとした滑舌でしゃべらなきゃ」と一念発起したことにもよるという。

■決めセリフは「どこ見てんのよ!!!!」(胸元や下半身を隠し、カメラや男性タレントを睨み付けながら怒鳴る)、「ふざけないでよ!!!!」(ノリツッコミ的に用いられる)、「にゃあ」、「にょろーん」(主にコントの落ちで脱力気味に発声される)など。

■2004年暮れ頃から2005年初めにかけ、『北斗の拳』『ろくでなしBLUES』『キン肉マン』など、1980年代後半に週刊少年ジャンプなどで連載された漫画に描かれるフレーズや動作を借用して、決めセリフ代わりにすることが多かった。


【エピソード】
■中学生時代は髪がおかっぱで日焼けをして黒かったため、「ウォーズマン」というあだ名を付けられていた。

■名古屋時代、『めざせ!総・楽・天』で共演していたキャイ〜ンの天野ひろゆきから、ツッコミで初めてどつかれた時、収録終了後、どついたことに対し天野に抗議した。しかし、天野とは既に和解しているようで、同じ番組での共演もある。

■波田陽区の事務所の後輩(年齢は青木の方が上)としても知られているが、青木は「波田君」、波田は「青木さん」と実際の芸歴にはそぐわない呼び方をしていると言われる。また波田が青木を斬るネタ「お化粧2時間、ネタ3分」はシングル「ギター侍のうた」の最初にあり、波田のネタでは最もよく使われるギャグの1つである(このネタがTVで放送された直後、青木が激怒。食事を数回おごらせる条件で和解した)。

■長井秀和と仲が良く、休みの時は地元のファミリーレストランで愚痴を言い合っているほどである。また、友近とは携帯メールで恋愛相談をし合う仲という。

■趣味は麻雀・パチンコ。ブレイクする前は雀荘でアルバイトをしていた。その雀荘の客と交際していたことがある。

■視力が悪いため、プライベートではメガネを着用している。メガネをかけた様子はテレビで時々公開される。

■かなりの高所恐怖症。高さ3〜4mの歩道橋でも怖いという。だが、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』でおしおきとしてスカイダイビングをさせられ、ロケでは終始おびえていた。また「世界絶叫グランプリ」で急降下する絶叫マシンに乗せられ、司会なのに初代グランプリを獲得したりもしている。

■同じく『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』の企画「アイドルハンター」では、水泳対決でアイドルに挑戦して無敵の強さ・5連勝を誇っていたが、水野裕子に初黒星を付けられてしまう。

■水泳以外のスポーツはかなり不得意なようである。(『ロンドンハーツ』より。)

■しばしばタモリから「女装したはなわ」と呼ばれている。

■中京圏ローカルタレントの相川真一は大学のサークルの後輩で、青木さやかとは今でもメール交換をするなど仲が良い。日本テレビ系の『おしゃれカンケイ』に出演した際、相川が電話出演した。

■東京ダイナマイトと共演すると、メンバーの一人である松田大輔と「温泉こんにゃくアクロバットショウ」時代のネタを再現することが多い。これまでに『Goro's Bar』2005年3月17日放送分と、2005年の『FNS ALL STARS 25時間テレビ』内「真夏の爆笑ヒットパレード」コーナーで実現した。

■「芸風」の項でも触れている通り、アナウンサー(特に若手の同性)に対し挑発的なリアクションをとることが多い。とりわけ『愛のエプロン』MCの「しわアナ」こと武内絵美テレビ朝日アナウンサーとに対しては著しく、作った料理が「しわを出すほどまずい」という評価を下されると「絶対こいつ追放してやる!!!!!!」などとキレキャラを発揮する。武内アナも青木のことをよく思っておらず、結果として罵倒合戦になることもしばしば。2007年5月7日放送の『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』では武内に対して「お前なんか死んでしまえ!」のような、冗談とはいえないような発言をした(2ちゃんねるではかなりの批判が書き込まれている)。また、武内アナらと司会を務める『史上最強のメガヒットカラオケBEST100 完璧に歌って1000万円!!』でもバトルは起こしていない。『笑っていいとも!』や『Goro's Bar』では、女子アナと共演していてもバトルを起こすことは稀であるが、相川アナに対し「お前、いいともクビにするぞ!」ときつい発言をしている。レギュラーになる前にテレフォンショッキングに出たときも、電話機を受け取る際に女子アナをにらみつけながら強引に奪い取るような印象の悪い態度をとっている。

■彼氏に女の影がいるかもしれないと言う心配をした時、寝言で彼の浮気相手を調べたところ、その相手はまじかる☆タルるートくんで「たるるーたるるー」と話していたと語った。

■2005年、『FNS ALL STARS 25時間テレビ』中、FNS系列局が地元の“トリビア”を競い合う「トリビアの温泉」コーナーで東海テレビが登場した時、東海テレビのアナウンサー入社試験を受けたことを明かした(不採用だった)。また、同番組のエンディング恒例となっている、フジテレビ新人アナウンサーの提供スポンサー読みで、新人アナ4人に混じってスポンサー読みを務めた。これは人事異動免除お笑いフルマラソンを見事、完走した山中秀樹アナの立っての配慮だと言う。ところがセリフは「以上の提供でお送りしました」のみだった。これは、スタッフが「芸能人に提供読みをさせたらミスする可能性が極めて大きいだろう」と判断したためであった。彼女のキャラから、本来ならばキレなければいけないものの、感極まって泣くという失態を演じてしまい、後日『笑っていいとも!』でタモリにダメ出しをされた。

■2005年9月、テレビ番組などで紹介された彼氏・コージが、父親の逝去を受けて母親の実家である石垣島に帰る。売れっ子で多忙な青木とは遠距離恋愛が困難ということになり、同年暮れ、この恋愛に終止符を打つ。

■写真集の売上を各所で自慢して芸人であることを忘れる様な発言をし、『ネプリーグ』(フジテレビ)で石川亜沙美に「顔大きいですね〜。シーマンそっくり」と言われ、『ロンドンハーツ』ではSHEILAにコンプレックスなどを出され、ボロボロ状態にされた。

■渋谷駅のモアイ像が、青木さやかに似ていることから、モアイ像がある出口を、女子高生の間では「青木さやか口」と言われている。

■地理が大の苦手。現在、主に東京を活動の中心にしているにもかかわらず、『Qさま!!』の「プレッシャーSTUDY」にて東京都の日本地図上での位置を当てるのにも不安げだった。

■同じ事務所のいつもここからの山田一成が住んでいたアパートに住んでいた時期があった。(通称「幸せの部屋」と呼ばれているらしい)。谷原章介が司会のカミングダウト(放送終了)にて判明。現在は別のマンションに引っ越している。

■注射が大の苦手。海外ロケにあたり予防注射を行うように言われたにもかかわらず、それを行わずに海外ロケを行っていたことで問題を起こしたことがあると本人が語るほどである。ある番組で健康診断を行ったところ、素で採血を嫌がり終いには泣き出す始末だった。共演者が青木を励ましながら採血した。


《『愛のエプロン』での成長ぶり》
■深夜時代の『愛のエプロン3』で冷やし中華とバンバンジーが課題だった回で、青木の作った料理を食べたジャッジマン・勝俣州和に、冷やし中華に対し「いくら食べても卵と麺!」と、さらにバンバンジーに対しては、「辛いうんこ」と酷評された。その回ではエプロンガールズの最下位にランクされ、たまたま観光に来ていた青森のカップルにネームプレートを持ち帰らせることとなった。これは番組史上、最も低い評価である。なお、その次に出演した回では「海鮮かた焼きそば・エビワンタンスープ」を作り、ランク外ながらも順位を上げた。この時、青木のネームプレートを返却しに来た青森のカップルは、一緒に出演したインリン・オブ・ジョイトイのネームプレートを交換で持ち帰ることになり、次の週に番組が終了(ゴールデンタイムへの時間帯移動による仕切り直し)、その後に2週間総集編を放送したため、順位はそのままになった。

■ゴールデン移動後は急激に腕を上げており、チーム対抗戦においてはキャプテンを務めるまでになっている。2005年12月21日のクリスマスSP、2006年1月4日の「TOKIO軍団vs愛エプ軍団」、4月12日の「石原軍団vs愛エプ軍団」ではいずれも高評価を受けていて、石原軍団のリーダー渡哲也と戦ったときは、95点と自己最高得点となっている。レギュラーランキング戦で自己最高位を更新しつつあるが、7月5日放送分『愛エプ杯争奪SP』のような大一番で最後の詰めを誤る事もしばしばあり(また、番組のネタとして“引っ張られて”いる事もあってか)、特〜上エプ、特エプ王手と、なかなか特エプを取らせてもらえない状態だった。最終的にランキングは126人中13位(特〜上エプ)という高位置であった。元祖愛エプ四天王である。

■2006年10月11日放送分の愛エプカップ2007の出場権を賭けた予選では見事なカツ丼を作り、91点という得点を叩き出し、8人中1位で愛エプカップ2007への出場の切符を手にした。また、2006年11月8日放送分では、裏技などを使い、見事な和風ハンバーグを作り、秋野暢子や森公美子といった強豪を抑え、瀬川瑛子と並ぶ99点を叩き出し、優勝2冠を手にした。

■2007年5月30日放送分愛エプ料理グランプリ!日本料理界の権威が決める過去出演の1,130人の中から最優秀料理人ランキングではベスト10の6位に見事輝いた。

■2007年6月6日放送分の和田アキ子がオーナーのお店の新メニューを賭けてのバトルでは、和田アキ子の足のサイズと同じくらいのトンカツを作り、和田アキ子をはじめとするジャッジマンからかなりの高評価を受け、100点という自己最高得点を叩き出した。


《特技》
■ピアノが得意。人から聞いた曲を何も見ずにアドリブで弾くことができる。

■第7回ベストスイマー賞受賞(主催・日本スイミングクラブ協会)名誉水泳十段位

(出典:Wikipedia)

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恵 俊彰(ホンジャマカ)

恵 俊彰(めぐみ としあき、1964年12月21日 - )は、日本のタレント、お笑い芸人。お笑いコンビ「ホンジャマカ」のメンバー。鹿児島県鹿児島市出身。血液型O型。ワタナベエンターテインメント所属。


【人物】
■鹿児島市立甲南中学校卒業(長渕剛の後輩にあたる)、県内有数の進学校・鹿児島県立甲南高等学校卒業後は、国際商科大学(現・東京国際大学)、早稲田大学を受験するも失敗。二浪したが、結局大学へ進学は叶わず断念。東放学園専門学校卒業後、お笑いの世界へ。

■1988年、石塚英彦とホンジャマカを結成。ツッコミ担当し、元々は小デブとして売り出したが、石塚と区別がつかないなどの理由から、夜8時以降何も食べない等のダイエットで20kgの減量に成功して、痩せている方と言われる様になった。

■このことについて石塚は「恵が食べなくなったので、その分自分が食べて、余計太った」とネタにしている。

■近年はソロ活動が多くなり、主にテレビの情報番組や音楽番組等の司会者として活躍している。特にTBS系の番組の出演が多く、2004年9月から平日正午の時間帯において2番組連続で司会を担当。定評はあるものの、知的なコメントが少なく出演者やコメンテーターから突っ込まれることも度々ある。

■また、俳優として大河ドラマ「毛利元就」や「サラリーマン金太郎」シリーズなどのテレビドラマにも出演している。

■趣味はパソコン(Macユーザー)。ホンジャマカライブのポスターを自分でデザインしたこともある。この他にも映画鑑賞がある。

■夫人は10名と大所帯だった頃のホンジャマカの初期メンバーだった。

■兄は元鹿児島放送アナウンサーで現在はビクターエンタテインメント代表取締役社長の恵貴宏。

■1998年に放送されたフジテレビ「ロケットパンチ!」を皮切りに音楽番組の司会も多数経験する。

■デビュー当時は電気グルーヴの石野卓球に似ていると言われる事が多かった。これに関しては逆に石野も恵に似ていると周囲から言われていたらしく、ふとした切っ掛けで初対面の折には、どちらともなく歩み寄り「似てるって言われますよね?」と意気投合したという。

■TBSの小林豊アナとは共演歴が長い(「関口宏の東京フレンドパークII」に小林アナが出演して以来)せいかツーカーの仲のようである。恵は1つ年下の小林アナを「小林君」と呼んでいるが、小林アナと入社同期で恵と同い年の斉藤哲也アナ(「きょう発プラス!」でレギュラー番組初共演)に対しては「斉藤君」ではなく「斉藤さん」と呼んでいることから、共演歴の差が呼び方に現れている。

(出典:Wikipedia)

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石塚英彦(ホンジャマカ)

石塚 英彦(いしづか ひでひこ、1962年(昭和37年)2月6日 - )は、日本のお笑いタレント。お笑いコンビ「ホンジャマカ」のボケ担当。愛称は「石ちゃん」。神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。血液型O型。横浜市立岩井原中学校、横浜市立桜丘高等学校卒業。2年間の休学期間を経て、関東学院大学経済学部卒業。


【経歴】
高校時代に自主制作映画で才能を開花させ、20歳のときに劇団ひまわりに入団し、基礎からレッスンに専念する(現在でも俳優業などでは、当時の役者志向の片鱗を見せることがある)。

大学卒業後は渡辺プロダクション(現:ワタナベエンターテインメント)に所属し、お笑い集団「ホンジャマカ」のメンバーとしてデビュー。当時は痩せた二枚目タイプで、立花理佐のバックダンサーをしていたこともある。しかし当初男女混合の10人組グループだったホンジャマカだったが、次々とメンバーが脱退し、最終的に相方恵俊彰とのコンビとなり、その後人気を爆発させる。

現在でもホンジャマカとしての単独ライブなどで活躍しているが、近年ではソロ活動も目立つようになり、個性を発揮する。特に見た目を活かしてグルメ番組にピンで出演することが多い。ただ食べるのではなく、「駄洒落」を言いながら食べることが視聴者に受け、更にテレビ東京で放送していた深夜番組『debuya(現:元祖!でぶや)』での「まいうー」(「美味い」の業界用語)という言葉を世に広めるなど、「駄洒落とデブ」のポストを確保している。


【人物】
■その好人物そうな顔つきとキャラクターで、ビデオリサーチの調査では近年男性タレント好感度ランキングの上位に入るようになっている。周囲の証言では実際に普段から好人物であるらしいが、車の運転中は性格が一変してしまい、歩くのが遅い老人に対して「バカ野郎!!」と怒鳴ることがあると暴露された。また相方の恵によると、ロケで車移動をする際も、自分が乗るロケバスの前を走る車が遅いと、放送禁止用語を連発するらしく、運転に限らず車に乗車するだけで性格が変わるようである。

■尊敬している人はウガンダ・トラであると称している。彼の「カレーは食べ物ではなく飲み物」という発言を受けてのこと。

■柏原芳恵の大ファン。2005年7月の元祖!でぶやの奄美大島編において、収録途中に周囲から柏原芳恵がゲストだと聞かされ「冗談だろ。こんな所に来たんじゃ仕事が釣り合わないだろ・・」と言った瞬間に「石ちゃん」の掛け声と共に本人が現れ、何とも言えない素の石塚が垣間見えた。

■野球好きで、地元横浜ベイスターズのファンであることが、2005年8月5日放送の元祖!でぶやにて石塚本人の口から語られた。その日のでぶやで、ついに念願叶って、横浜スタジアムの始球式を、石塚が担当した。

■テレビ出演時は、真冬でもタンクトップとオーバーオール(柄はホルスタイン柄や迷彩柄など様々)を着るのが基本。たまにタンクトップ無しのオーバーオールのみ(上半身は裸)の場合がある。

■一年の内約半分は番組のロケで日本全国を食べ歩いており、仕事柄ありとあらゆるものをこれまで食べてきて嫌いなものはまず無いらしいが、唯一駄目な食べ物は長ねぎだと言う。ラーメンや蕎麦といった麺類の薬味として、少量の刻んだネギがのっているだけでもテンションが下がる。

■そのため料理にネギが使われている場合、平静を装い誰にも分からないようカメラの死角にネギを隠し、料理を食べるというテクニックを独自に習得している。だが2007年3月20日放送の、でぶや二時間スペシャルの伊勢編にて、伊勢うどんを食べるシーンで、薬味の青ネギをパパイヤ鈴木に取って貰っている場面が、偶然にも画面に映り込んでしまった。


【エピソード】
■体格の変化については、今の夫人とデートしていた際に、作ってくれた弁当を多いと思いながらも全部食べているうちに弁当の量がどんどん増えていき、結果太り始めたというのが石塚の弁。なお相棒の恵が痩せてからは「彼の分まで食べたので太った」というネタを披露することもある。

■関東学院在学中にラグビー部春口監督に入部を勧誘された事があるらしい。

■仕草にいくつか癖がある

■駄洒落を言った後に、笑いながら人差し指を前に出す。

■おちょぼ口にして少しずつ食べ物をほおばっていったり、食い物を一旦舌の上にのせる食べ方をする。

■手のひらが地面に平行になるように手首をそらして歩いていることが多い。

■テレビ番組で食べ物を食べる時に、よく『まいうー』を使うが、本当においしかった時は普通に『うまっ』と言ってから『まいうー』を使っている。すぐに「まいう〜」と言う時はあまり美味しいときではないらしい。なお大食いキャラとはいえ、流石に全部は食べきれずに料理を残すこともあるらしく、その処理をスタッフがしている事が明らかになっている。

■お笑いウルトラクイズの人間性クイズで、ホモ役のポール牧に迫られるという設定のどっきりにはまり、覚悟を決めて布団にもぐりこんだこともある。

■伊集院光・松村邦洋と共に「デブタレ御三家」、さらに内山信二、またはパパイヤ鈴木を加えると「デブタレ四天王」と呼ばれている。年齢順では石塚が最年長だが、体重順からいくと伊集院光の次に重い、125kgである(松村邦洋も以前は体重が最高140kgあったが、2006年初頭から大幅な減量を行っており、現在は石塚よりも体重は軽く90kg台になっている)。テレビでこの4人が揃って共演することはめったにない。伊集院、松村とは2001年12月29日放送・日本テレビの『マジカル頭脳パワー!! 復活スペシャル』(『スーパースペシャル'2001 マジカル頭脳パワー!! 21世紀芸能界No.1頭脳決定戦スペシャル』)やキリンビールのCMで共演していた。又、内山とは『元祖!でぶや』で共演中である(内山は現在レギュラーでない)。

■デブタレ界で伊集院は『反町隆史』(内山談)、石塚は『横綱』、松村邦洋は『KING』、ウガンダ・トラは『会長』、高木ブーはデブタレの間でも別格で『神様』という序列がある。

■元祖でぶやでは共演のパパイヤ鈴木から「お父さん」と呼ばれている。

■以前元祖でぶやの横浜編で、番組出演した地元のタカナシ乳業の担当者が石塚の高校の同級生で、石塚が「君はタカナシに入っていたの?俺ホンジャマカに就職しちゃった。」と言い爆笑を誘っていた。

■意外に創造性IQが高く、フジテレビの「IQサプリ」で好成績を残している。ただ問題に納得がいかないとモヤッとボールの入った箱ごと投げる事も。さらに石塚の娘が石塚に内緒で問題を考えたサプリ文字を今田耕司が答えてしまい、不機嫌そう(番組内では顔に怒りマークが付いていた)にモヤッとボールを投げていた。

■生放送中、自分の股間に虫刺され薬を塗り、悶絶したことがある。

■ある肉の名産地にロケに行き、肉を店頭で焼いていた店員に「肉は好きですか」と質問された石塚は「肉が嫌いでこんな体格をしている訳がないじゃないですか。」という周囲や視聴者を納得させる答えで即答。爆笑を誘っていた。

(出典:Wikipedia)

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ホンジャマカ

ホンジャマカは、日本のお笑いコンビ。ワタナベエンターテインメント所属。以前はホリプロに所属していた。


【メンバー】
■石塚英彦(ボケ担当)

■恵俊彰(ツッコミ担当)


【概要】
1983年に結成したホンジャマカは当初、男女混合の10人組お笑い芸人集団だった(ちなみに恵の妻は当時のメンバーの一人である)。やがてメンバーが減少していき、石塚・恵の2人だけとなったため、1989年にコンビ「ホンジャマカ」として再始動した。

元々、恵と石塚の体型はあまり大差がなく、いわゆる「デブタレ」同士のコンビだった(当時のキャッチフレーズは「大デブ小デブのホンジャマカ」)。しかし、その後恵が痩せ、石塚が相方の食事まで食べるなどしてさらに太ったことにより、現在ある姿の「デブと痩せのコンビ」になったのである。太っていた頃の恵は、電気グルーヴの石野卓球とそっくりだった。

独特のコントには定評があり、バカルディ(=現・さまぁ〜ず)と共に、1990年代初期の関東を代表するコンビとなった。「抑えの利かない田中君」などのショートコントは、ダウンタウンの松本人志も好きだったと語っている。

『関口宏の東京フレンドパークII』の名物コーナー「ハイパーホッケー」に長期間レギュラーで出演していることからも分かるように、現在もゆるぎないスタンスで活動を続けている。ホンジャマカ単独でのイベントやライブも積極的に行い、人気を獲得してきた。今は『東京フレンドパークII』および舞台公演以外で2人が揃って出演することは少なくなり、石塚、恵それぞれ個人での活動に重点を置いている。石塚曰く、「お笑いコンビではなく、ユニットである」とのこと。

2005年には、2人をモチーフにしたパチンコ機『CRホンジャマカのぐるぐるパーク』が大一商会から発売。パチンコホールでもお目見えとなった。

(出典:Wikipedia)

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ふかわりょう

ふかわ りょう(本名:府川 亮(読み同じ)、1974年8月19日 - )は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)、DJ、ミュージシャン。神奈川県横浜市港北区出身。 國學院高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。 所属事務所はワタナベエンターテインメント。 血液型・O型。 左利き。 男3人兄弟の末っ子。 従兄に漫画家の原哲夫がいる。


【来歴】
高校時代から芸人を志望しており、慶應義塾大学在学中の1994年にデビュー。当初は長髪に白いヘアーバンドという風貌の高学歴芸人として「小心者克服講座」「アルトリコーダーの組み立て方」「ピーターパンの血豆占い」等に見られるシュールな一言ネタ、自己否定的な笑いで「シュールの貴公子」の異名も頂戴した。「小心者−」ではBGM (DONNA McGHEE『MR.BLINDMAN』) にのせて、腰に手を当てて横揺れしながら「お前ん家の階段、急だな!!」「お前ん家天井低くない?」等、相手にちょっとしたダメージを与える一言を発する、というスタイルで人気を博した。これは、1997年前後に起こったお笑いブームにおける1つのスタイル、「あるあるネタ」の元祖とも言われている。

しかし、ヘアーバンドを卒業してから次第に(本人の当初の願望とは裏腹に)いわゆる「リアクション系」「いじられ系」のキャラクターが色濃くなっていき、「貴公子」というキャッチフレーズも、いつの間にか「ポスト出川哲朗」という、有難いのか迷惑なのか分からない異名へと変貌してしまった。現在ではすべり芸を定番とする。髪型も、額と耳を覆い隠すマッシュルームカットとなり、共演者からしばしば「ヘルメットを取れ」と弄られる。『内村プロデュース』(テレビ朝日系、以下『内P』)収録後の打ち上げの飲み会で「かまくら一番」と命名されてからは、「かまくらカット」として定着していった。ちなみにカット代は「何だかんだで、7000円」。近年は同じくマッシュルームカットがトレードマークである南海キャンディーズの山ちゃんを意識している様子で、タモリに番組収録の合間に「山ちゃんとキャラがかぶってるんですが」と相談していたという。持ちギャグに「ティン!!」「カチーン」「シュワシュワ」「ニー」「ター!」等がある。



【音楽活動】
幼少期から習っていたピアノはお笑い芸人屈指の腕前。演奏難度の高い曲もこなし、時折バラエティ番組の企画で披露している。その一方で、歌唱力の方はかなり難がある。1998年に小西康陽(元ピチカート・ファイヴ)とユニット「ロケットマン」を結成。2000年からはソロで、「ロケットマン」や「もやしっ子」といった名義でDJとして活動している。ロケットマン名義でテレビゲーム『beatmania』に楽曲を提供する他、最近では自身が出演した映画『ピーナッツ』の音楽を制作。芸人活動の傍ら、「ロケットマン」等の名義でDJや作曲活動も行っている。映画『ピーナッツ』に関しては、監督である内村光良(ウッチャンナンチャン)の「映画音楽出来るか?」の何気ない一言から音楽を担当することになったという。これらの曲の評価も上々(内村から「そっち(音楽)の道へ進みなさい」と言われた)で、サウンドトラックとしてCD化されている。

2006年4月からはFMラジオJ-WAVEでロケットマン名義でのレギュラー番組を手がける。また、さまぁ〜ずがレギュラーを務めるローカル番組『げりらっパ』のテーマソングの作曲も行った。DJに関しては熱烈なファンもついており、またDJとしてリリースしたCDは2倍近くのプレミアが付く程で、芸人活動とは一線を画している。2006年5月放送のフジテレビ系ドラマ『ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語』では、ピアノが得意ということから若き日の中村八大役を演じた。


【人物】
■ネタは基本的に理詰めで考えていくタイプで、一言ネタにも笑いに対する彼なりのこだわりがあるようである。一方アドリブには滅法弱く、「コラー!!」「ちょっと待って下さいよ〜!!」と、逆ギレ的なリアクションを取ることもしばしば。しかも逆ギレした勢いで前に出て来ても、途中で何も言うことがなくなってしまい、徐々にトーンダウンしてしまうことが多い。

■一方、ラジオでは物事をはっきりと言うことが多い。

■自身のブログでは、世相や最近起きた事件等のコメントを主に書いており、お笑いの部分は殆ど見せていない。

■かなり裕福な家庭で育ったらしく、子供の頃は脚が速く(中学・高校で陸上部に所属)、クラスの人気者であった。更に学業も優秀で、ピアノも上手に弾ける、まさに何でも出来る人間で、いじられキャラである今のふかわからは想像も出来ない天才少年だったようだ。

■両親も(男3人兄弟の)末っ子であるふかわを「亮ちゃん」と呼び、とても可愛がっている。尚、ふかわの両親は共にテレビ出演には好意的。2人の温厚で少しとぼけたキャラクターがウケ、息子の出演する
『内P』や『いきなり!黄金伝説』(テレビ朝日系)等の番組に幾度か出演している。更に映画『ピーナッツ』では、ふかわ扮する役の両親役として出演を果たした。

■非常に涙脆く、先輩芸人や番組スタッフに泣かされてしまうこともしばしば。レギュラー出演していた『内P』のレギュラー放送最終回では、内村光良が「…お前あっての『内村プロデュース』だった!」という一言で泣かせようと思ったが、既に号泣していた。

■『内P』では、さまぁ〜ず等に比べ笑いを取ることは少なく、ほぼ毎週番組内でポイントが最下位に甘んじていたが、ある日「事前に問題を知っていれば爆笑が取れる」と強気に発言。これに伴い、ふかわにのみ番組収録前に大喜利コーナーの問題を伝えて実力を見る企画が行われた(2004年10月25日放送「ふかわりょうの夢をプロデュース」)。その結果見事3位という成績を収めた事から一応の証明にはなったものの、内村からは「中途半端なんだよ」とツッコミを入れられてしまった。

■『爆笑問題のバク天!』にて爆笑問題が「爆笑問題とウッチャンナンチャンのどっちを取る?」と尋ねた所、迷わず「ウッチャンナンチャン」と答えた(理由は「大事にしてくれてるから」だが、爆笑問題から「(俺達だって)大事にしてるじゃねぇか!!」と責められた。ちなみに爆笑問題には「壁を感じる」らしい。)一方、内村も親友と呼べる友達としてふかわの名前を挙げ、「心が通じ合う」と発言。しかし、南原清隆に「扱いやすい人を親友にしている」と突っ込まれている。

■軟弱な印象とは裏腹に、恋愛に対して積極的で、以前『爆笑問題のバク天!』(TBSテレビ)の中で、女性ADを2度も口説こうとしたことを暴露された。

■しっかり人生設計を立てているらしく、本人曰く「30歳でようやくスタートライン」とのこと。しかし、その詳しい中身は「聞いたら多分僕のことを嫌いになると思います」とも語っており、かなり強かに芸能生活を送っているようである。

■慶應義塾大学内の調査で「最も恥と思うOB」NO.1に選ばれた。

■愛車は通称「黄色いワーゲン」。「内村プロデュース」の企画でバンパーを破損された。

■関西ローカルの番組には疑問を感じることが多く、『おはよう朝日です』(朝日放送)のマスコットキャラクターである「朝おき太君」について「喋らないでそこにいるだけって、意味あるんですかね?」と『たかじん胸いっぱい』(関西テレビ)にゲスト出演した際に発言し、司会のやしきたかじんから「関西人全員を敵に回した」と言われた。また同番組に出演した際に、たかじんや桂ざこばから相当のダメ出しを受け、「今日、8割が説教でしたよ!」と嘆いていた。

(出典:Wikipedia)

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マイケル

マイケル(本名:立花 秀樹(たちばな ひでき)、1972年5月12日 - )は、元お笑いタレント(ピン芸人)・ダンサー。大阪府阪南市出身。元ワタナベエンターテインメント所属。血液型はAB型。身長172cm。


【プロフィール】
1990年、ミュージカル『スターライトエクスプレス』でイタリアの機関車「ペンデリーノ」役として出演(当時18歳)。その後『スターライトエクスプレス』で共演した若手3人により吉本興業初の男性アイドルグループ「MAM(マム)」のメンバーとしてデビュー。デビュー曲は『Take a Chance』。光GENJI全盛期の頃で、彼らもローラースケートを履いていたという。MAMは関西では一定層の人気を博したものの、全国区でのブレイクには至らず、1992年に解散。解散後は吉本新喜劇やCM、主にavex系アーティストのバックダンサー、インストラクター(振り付け)などを中心に活動を展開していた。

その後2000年、エンターテイメント集団「TOKYO JAM COMPANY」のメンバーとなる。2001年4月から2年間、NHK教育『うたっておどろんぱ』に「ひでき」役でレギュラー出演。この間、芸名を現在の「マイケル」に改名。由来は「ダンスが"まぁイケる"」から。2002年6月9日に行われた吉本が主催する初のダンスコンテスト「よしもとダンスコレクションVol.1」に出場し、クラシックバレエをモチーフにしたパフォーマンスで他を圧倒、優勝を飾った。この頃から芸人としても活動を始める。

2000年に行われたASAYAN20世紀最後男性ボーカルオーディションの予選に出場していた。

実家は大阪府内で畳屋を営んでいる。芸人転向直後、給料はダンサー時代から大幅に減り、都内の築40年の家賃2.8万円のアパートで生活していたが、当時の自室は物凄く長い部屋であった。その自室の壁には事務所の先輩で、自身を見出したネプチューン・名倉潤(マイケル自身「名倉師匠」と呼んで崇めている)の写真を貼り付けて、毎朝拝んでいたとのこと。その名倉潤の『爆笑問題のバク天!』での後押しもあってブレイク。芸人としてようやく軌道に乗った2005年春、家賃月8万円のマンションに引っ越した。

なお、ダンスのインストラクターだったKABA.ちゃんに告白されたことがあるが、ゲイには興味がなかったのでやんわりと断った。ところが、その直後からKABA.ちゃんはマイケルに対し、スパルタ路線を敷くようになった。この一件でダンサーとしての将来に不安を感じ、芸人に転じるきっかけとなったという。

2006年11月15日、母の看病をすることを理由に10月末で芸能活動休止していたことが報じられた。

それとは別にマイケルの度重なる女性トラブルが表面化し、事務所からの再三の警告にもかかわらず遂には度の過ぎた行為があった為に解雇されたという報道が新聞各紙で報じられてもいる。これに関して事務所側は「契約は切れているので、コメントする必要がない。」と発言をしており、公式HPのプロフィールからマイケルの名前がなくなっている。


【持ちネタ】
マイケルの主な持ちネタは小咄系で、オチは全て「マイケル♪」。

まず、ツカミでは「♪やーっほやっほやっほ♪やーっほやっほやっほ♪やーっほやっほやっほ♪ マイケル♪」とスキップしながら登場。あらかじめ登場している場合は、普通の服装だったのが「♪マイケルマイケルマイケルマイケル……」と踊りながら早脱ぎして、いつものダンス時の服(黄色のラメ入り袖無しジャケット&短パン)になるのが定番。

そしてネタに入るが、「1枚、2枚、3まいケル♪」とマイなどにかけた「〜マイケル♪」で終わるパターンが多い(パッション屋良の「ん゙〜!ん゙〜!」と若干似たようなところがある)。例えすべってもポーズを作って「マイケル♪」と強引にオチに持っていくのがパターン。更に「マイケル マイケル お笑い 勉強不足♪」「マイケル マイケル 空気が読めないプン♪」と、自身を自虐してみたりもする。また、卓越したダンスのテクニックを活かし、ネタの合間に「踊らせて♪」と言ってダンスを披露。しかし実は「マイケル マイケル ダンスは時間稼ぎ♪ 便利♪」なのである。また、追い込まれていっぱいいっぱいになると、「きりきりまいケル♪」と言う。そしてシメは「おしまいケル♪」。

しかし、『ズバリ言うわよ!』で、細木数子に「『マイケル♪』は止めなさい」と言われたが、「舞台とかライブとかでやっている」(出演当時持ちネタ歴3年半)と反論。


《例》
■「マイケル、この間Tシャツ買ったの! 何枚買ったんだっけ? 1枚、2枚、3まいケル♪」

■「マイケル、今朝ピザ食べてきたの! 何枚食べたんだっけ? 1枚、2枚、3まいケル♪」

■「マイケル、この間北海道に行ってきたの! 行ってきたのはとまこまいケル♪」

■「マイケル、この間上戸彩ちゃんに会ったの! あまりにも可愛くて、めまいケル♪」

■「マイケル、痴漢撃退法知ってるの。横から来たら、裏籠手。後ろから来たら、肘。前から来たら…まえケル!」

この他、複数の芸人と競演する際に「マイケルさんって、ダンサーなんですよね?」と振られると、思いっ切りオーバーアクション(一式ダンスする)を取った上で「誰がダンサーやねん!!」と絶叫する、という一発芸を持つ。

(出典:Wikipedia)

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猫ひろし

猫 ひろし(ねこ ひろし、男性、1977年8月8日 - )は、千葉県市原市出身のお笑いタレントである。WAHAHA本舗に所属。本名は、瀧崎 邦明(たきざき くにあき)。身長147cm(実際は145cmしかない噂もある)。体重45kg。血液型はA型(本人はネコ型と主張しているが)。2003年3月15日にデビューした。ちなみに芸名の名付け親は東京ダイナマイトのハチミツ二郎で、猫の師匠格にあたる。目白大学卒業。


【概要】
赤地に白文字で「猫魂」と書かれたTシャツに、下はビキニパンツ一丁に裸足といういでたちで登場しネタを披露する。その特徴は、ひたすらハイテンションに一発ギャグのようにフレーズを連発するというもの。

代表的なものとして、青森ねぶたの掛け声の「♪ラッセーラー、ラッセーラー!ラッセーラー、ラッセーラー!」、「うーん、ポーツマス!ポーツマス!」、「うーん、オホーツクオホーツク」「縦社会!縦社会!」、「昇龍拳!」等。


【芸歴】
■学生時代からお笑い芸人を志し上京するためだけに目白大学人文学部に入学。この頃、友人を強引に誘って路上で漫才を披露したりもしていた。

■大学卒業後はフリーのピン芸人で漫談を行っていたが、それを見た先輩から「ただの落ち着きの無い人だ」と指摘され、ギャグを言い続ける現在のようなスタイルに行き着く。

■現東京ダイナマイトのハチミツ二郎が社長を務めていたインディーズお笑い事務所「トンパチプロ」で活動するようになり、そこでWAHAHA本舗の演出家兼社長の喰始に目を付けられる。

■2005年頃から徐々に知名度が上がり様々な番組にゲスト出演するようになる。2006年には女子高生ファッションモデル4人と企画ユニット「ソーランはっぴぃずと猫ひろし」でCDをリリース。

■2006年12月10日、29歳、身長165cmの一般人女性と婚約。


【学歴】
■ミネソタ州立大学秋田校留学。

■目白大学人文学部卒業。

■千葉県立市原八幡高等学校卒業。


【逸話】
■20歳以上年上の「勝俣さん」(同じWAHAHA本舗所属の芸人である勝俣・ジジ・ぶぅ)という付き人がいて、日給3000円らしい(ちなみに2006年4月に『草野☆キッド』(テレビ朝日)に出演した際には「日給5000円」と紹介されていた)。同年11月2日放送の「銭形金太郎」のビンボーバトルに出演した。さらに、その勝俣さんは、小倉久寛と劇団時代親しく、フジテレビの番組ピンポンパンに着ぐるみをかぶり出演していたと言う。ちなみに本人は番組で自身は月収150万円であることを明かしたことがある。

■同じWAHAHA本舗関連の芸人であるガッポリ建設とは旧知の仲であり、親交が深い。

■「猫ひろし」を名乗る前に「タランチュラ」、「タランチュラ本田」、「ホンダ ミナコ」(本田美奈子.のパロディ)、「ミカミ ヒロシ」(三上博史のパロディ)、「ドデスカデン」(黒澤明の映画『どですかでん』のパロディ)等、22回以上も芸名を改名している。この他にも、「塩ラーメンズ」(ラーメンズのパロディ)、「横山ファック」(横山ノックのパロディ)、「ウンコ☆マン」(ダンス☆マンのパロディ)、「バクシーシ杉山下」(バクシーシ山下のパロディ)等の候補があった。

■TOKYOFMで放送のWANTED!で共演する城咲仁と親交があるらしく、城咲の部屋でお酒を飲むことも。猫が酔いつぶれて寝てしまい城咲が頭をはたくと、突然起き出してネタを披露するという。

■眞鍋かをりが猫ひろしの大ファンだったため、本人の前でネタを披露したこともある。しかし交際を申し込んであっさり断られた。

■長井秀和がヒロシ口調で物まねをやってから、テレビ出演が増えてきて知名度も少しは上がり、「うーっ、ポーツマス! ポーツマス!」はSMAPも気に入っているという。実際にSMAPライブ内のネタとして使われていた。

■意外にも足が速く、毎朝ジョギングを行っているという。『オールスター感謝祭』で出演した際にはその健脚を披露し、ギャグをするのかと思いきや、まじめに走ったということも含めて多くの驚きの声があった。但し、1周目は圧倒的に速いものの2周目以降に次々と後続ランナーに抜かれるところを見ると、長距離よりもスプリントを得意とするようである。

■猫好きであるが猫アレルギーである。

■K-1選手の武蔵選手は父方の遠戚ではあるが、非常に遠い関係である。

■細木数子に「ばかみたいに、にゃー!!ってやってんの?」と言われた。また、「40歳になったら宿命大殺界で死ぬ」とも言われた。職業を変えたり所帯を持ったりすれば避けられると言う。


【架空の経歴】
猫ひろしの命名時、ハチミツ二郎により「東京都港区六本木出身」「ピエロの父とダンス教室の生徒ある母の間に生まれる」「ミネソタ州立大学機構秋田校に駅前留学後、目白大学文鳥部卒」等の架空の経歴が付けられる。これらは公式ページでも経歴として紹介されている。

(出典:Wikipedia)

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