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岡田圭右(ますだおかだ)

岡田 圭右(おかだ けいすけ、1968年11月17日 - )は大阪府大阪市中央区出身の男性漫才師、お笑いタレント。ますだおかだのツッコミ担当だが、一発ギャグでボケることもある。相方は増田英彦。松竹芸能所属。血液型O型。身長176cm。関西外国語大学短期大学部穂谷学舎、大阪外語専門学校卒業。


【経歴】
■1993年増田の説得に応じコンビ結成。同期にはオセロがいる。

■相方の増田は、関西外国語大学短期大学部穂谷学舎在学中の岡田にコンビ結成を持ちかけた。増田が関西外大4年時、学園祭で「プー太郎」だった岡田とコンビ復活。二人の活躍(岡田は在校生ではない)で学園祭が盛り上がり、松竹芸能にスカウトされるも、プロデビューはそこからまた1年後。結局、増田はプロ入りに際して、岡田を3年半かけて口説き落としたことになる。

■文具メーカークツワで、一年間サラリーマン生活を送ったことがある。


【芸風】
■「昭和の芸人」と呼ばれるように、「古い」(突込みが単語、大声、オーバーアクションなど)芸を使う。漫才ではツッコミ担当だが、時々笑いを取ろうと一発ギャグをする。が、いつも空回りで滑る(それを増田が放置して笑いを取る、などのパターンにつなげる)。ただし本人は滑るのも芸風だと言いボケの増田もあえて滑るツッコミをさせるネタもある。

■相方の増田英彦からよく「いらんことを言うな」といわれたり、持ちネタ「パァ」をすると耳を塞がれたりする。「笑いの金メダル」では相方に「絶叫マシーン」と言われる。

■「ますだおかだ」というネタ中心の漫才師として頭角を現したからか、確かにフリートークなどでの「アドリブ」「落とし」などは弱く、「滑る」ことが多い。

■実はイケメン芸人ながらも(増田がコンビを組んだ理由がイケメンと組んで目立ちたかったから)、スベリの天才のためかバラエティなどで、イケメン芸人扱いされることはほとんどなく、いじられ役となっている。一般的にも、今や「面白くない方」「寒い方」と言われており、イケメン芸人としての注目は皆無になっている(ただし大阪での扱いは少し違う)。

■主なギャグは「パァ」「閉店ガラガラ」「出た!」「早くも」「出ました!」「コラー」「バカー」「アータ」「アータネー」「チリンチリ〜ン(自転車のベルの音)」「卓球の音」「ハンドスコープ」「ピョン」。2006年からは「パァ」を「パカッ」に変えると「笑いの金メダル」で発表したが、実際は「パァ」のままである。ピンの時は「もしもサイが〜だったら」という「サイネタ」や、「もしもシカが〜だったら」という「シカネタ」を披露する。また、ギャグの中には岡田の母が使っていたものも含まれている(増田曰く)。くりぃむナントカでは「せやな・・・」というギャグも作った。

■漫才中では相方の増田にモノマネをよくふられる。ほとんどが微妙であるが、ボビー・オロゴンだけは結構似ている。

■2003年12月、ウンナンのホントコ!収録中に、バナナの皮に滑って転んで腕を骨折するという、スベリ芸人としてある意味究極の域に達した。

■そのスベリを、鉄拳の紙芝居ネタにされている。ちなみに、岡田扇風機は鉄拳の紙芝居ネタから生まれた。

■パーソナリティーを務めていたオールナイトニッポンでケチということをネタにされていた。


【特徴・性格】
■温厚な性格で、人にキレた経験は皆無。座右の銘は”無欲”。

■野球好き。特に阪急時代からのオリックス・バファローズ(旧・オリックス・ブルーウェーブ)の熱狂的な大ファンであり、オリックス・ブルーウェーブに所属していたイチローとも仲が良い。ちなみに、「鈴木一朗」時代のイチローから使用済みバットを貰ったが、当時担当していたラジオ番組で聴取者プレゼントにしてしまったことを未だに悔やんでいる。

■小学生の頃リトルリーグで、当時ピッチャーだった清原和博(現:オリックス・バファローズ)と対戦したことがある。

■短大から附属の大学の3回生へ編入するための試験でカンニングするも試験監督に見つかり、失敗。そのため短大卒業後、専門学校に行く羽目になる(関西テレビ「太っ腹!紳助ファンど」より)。

■既婚者。夫人の祐佳さんも元漫才師で、「-4℃」というコンビを組んでいた。(2006年10月14日の「めちゃイケ」では「エロい嫁」として弄られていた。)因みにその時の相方は、現在でも大阪を地盤に活躍している松本美香(松竹芸能)。二児の父でもある。

■恐妻家で祐佳さんにドラマのキスシーンを見られたくないたいが為にドラマがやる時間になって外食に誘った事がある。(笑いの金メダルにて)他にあいのりで手を繋ぐシーンを見られて関係の修復に3ヶ月程かかったらしい。

■「笑いの金メダル」(テレビ朝日系列)では、パペットマペットとのスペシャルコンビ「パペットマペットオカペット」を数回披露している。

■次長課長・井上聡、レギュラー・松本康太とは、「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」で知り合い、仕事が一緒になると収録後食事に行く仲に。これは通称「岡田会」と呼ばれており、他にも長州小力、タカアンドトシ・トシ、ハリセンボン・はるかがメンバーである。岡田会にはリーダーである岡田が決めたルールが数点あるらしい(飲み物は一杯目以外は水、焼肉は豚肉オンリー、など)。

■勉強が出来る。クイズ番組に出演すると、たいがいは相方の増田よりも好成績を残す。

■英語が堪能。秘書の資格も持つ。

■金融関係に詳しい為、ケチと言うよりセコいともいえる。本人は「節約家」と公言している。ただ、楽屋にあるワックスなどを自分が持っている容器に入れて持ち帰ったり、前述のように飲み物は一杯目以外は水など極度のケチぶりをしめす。

■全日本プロレスファン。

■松竹芸能の後輩であるアメリカザリガニ・柳原哲也、Over Drive・石野敦士と、月一回のペースでトークライブを敢行している。

■M-1優勝後のシャンパンファイトで衣装が汚れた為に、獲得賞金でその当時の衣装を買い取った。また、残額を夫人へプレゼントし、夫人はそのお金でホクロを取った。そして現在、その取ったホクロを岡田が大事に保管しているとのこと。

■リンスを付けるのが嫌いらしい。

■あるロケで松澤一之と共演した際に、子供にお土産をプレゼントした。

■インターネットなどを全くしない。自身のラジオにて増田に「検索って何?」と訊ねていた。(パソコンは持っているが自分にとっては高級な将棋ゲームらしい)

■犬を3匹飼っている。

■深夜ドラマ東京ミチカで木村多江とキスシーンを演じた事がある。

■ファッションセンスが良い。

■アクセサリーは相方と比べて割と好きらしく結婚指輪だけでなく黒いビーズのネックレスらしき物を最近している。

■2002年秋にポリープを手術して以降禁煙している。番組で滑ったりすると、そのイライラからか吸いたい衝動に駆られるらしいが、それを必死に堪えている。

■初体験は18歳とオールナイトニッポンで明らかになった。

■名前が二・二六事件で難を逃れた岡田啓介元総理大臣と同音異字

■娘は小池徹平の大ファンだとHEY!HEY!HEY!で明らかにした。

■日本酒が苦手で、匂いが駄目らしい。

■ボウリングが上手い。2007年正月にフジテレビ系で放送された、お笑いチャンピオンボウリング新春初投げスペシャルで見事チームを優勝に導き、自身はMVPを受賞した。

(出典:Wikipedia)

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増田英彦(ますだおかだ)

増田 英彦(ますだ ひでひこ、1970年2月9日 - )は大阪府守口市出身の男性漫才師である。ますだおかだのボケ担当だが、相方がまともにつっこまなくなり、自らツッコミをやる事もある。相方は岡田圭右。松竹芸能所属。大阪電気通信大学高等学校・関西外国語大学短期大学部穂谷学舎卒業後、関西外国語大学外国語学部に編入学。 身長:161cm


【経歴】
■1993年岡田が説得に応じコンビ結成。同期にはオセロがいる。

■芸人になる前は広告代理店大広に勤務していた(阪神のカレンダーのローマ字確認をやっていた)。その時に一緒に働いていたのは俳優の佐々木蔵之介。

■1997年に大学時代の後輩の一般女性と結婚。しかしこの事実は2003年2月に行われた単独ライブまで事務所には知らせず、相方の岡田にすらライブの開催一週間前まで知らせていなかった。


【特徴・性格】
■漫才師になる際、ずっと岡田を相方にと3年間口説き続けた。(正確には3年間に2回。2回目にやっと相方となった)岡田以外には誰も誘うことはしなかった。かなり岡田に拘っていたらしく、就職先の上司が岡田に見えたと言う。

■2002年に「M-1グランプリ」で見事優勝し、1000万円を獲得し、感極まって涙を流した。その後、バラエティ番組にも多数出演しブレイクする。

■優勝直後のシャンパンファイトでコメントを求められ、「テレビに出てるだけが面白い芸人じゃありません。ライブにはいっぱいおもろい芸人がいます!TVだけでなく、皆さんライブを見に来てください!」という熱い名言を残す。

■2001年のM-1グランプリ で優勝を逃して漫才をやめようかと本気で思い、北野誠やハイヒールリンゴに相談したことがある。

■相方の岡田をアホキャラといじることも多いが、実際にはクイズ番組などでは岡田の方が成績は良く、ラジオなどでも漢字が読めないのを岡田にフォローしてもらうことが多い。

■師匠の酒井くにお・とおるに漫才のネタを書いたことがある。

■童顔で小柄。この姿が転じてめちゃイケの女装でゴシックロリータを披露した所、一部のロリータファンに大きく評価された。あるファンは「男性でこんなにロリータが似合う人は初めて見た。」との事。ちなみに服のサイズは小学5〜6年生のサイズも難なく着れる。

■ラーメンが大好きでロケなどで地方に行くと必ずラーメン屋へ行くらしい。

■酒・タバコが大の苦手。コンパに誘われても一切参加しないらしい。

■アクセサリー系が苦手で、結婚指輪も普段していないという。

■最近の悩みは相方の岡田圭右が漫才でまともにつっこまなくなり笑いを取ろうとしていることである。

■乳首が弱点。衣装が触れただけでも気持ち悪いので、常にニップレスを着用している。また、洋服が邪魔と思い、ライブなどで脱ぐことがたまにあるが、最近は30代後半に入り胸がたれてきたことにショックを受けライブのDVDの編集作業でスタッフに「脱いだシーンにモザイクを入れてくれ」と頼んだが「金がかかる」と言う理由で断られてしまった。

■初体験は19歳ということが明らかになった。相手は当時バイトをしていたコンビニ、サンチェーン(現 ローソン)で知り合った女の子だという。

■相方の岡田はかなりの「ルパン三世」マニアに対し、彼は「ルパン三世」を一度も見たことが無いという珍しい人物である。

■漫画・アニメには、幼少期から興味を持ったことがない。

■増田は熱烈な「北の国から」マニアであり、内容や台詞を事細かく覚えていることはもちろんこと、ドラマの中に出てくる細かい部分や音楽、ロケ地にまつわる情報まで知っている。しかし、北海道の名産物であるウニ・イクラ・牛乳・チーズは苦手と告白。(ニッポン旅×旅ショーより)

■ロケ地巡りが趣味で写真にも収めており、どこの場面で登場したものかもすぐに説明が出来る。北海道だけではなく東京都内のロケ地巡りも行っており、堂本兄弟出演時には電柱の写真もわざわざ撮りに行きその場に2時間いたと発言した(同じく北の国からのファンである勝俣州和にはその電柱の場所を教えてくれと頼まれたらしい)。

■韓流ドラマに精通しており、冬のソナタが大ブームを巻き起こす一年前から、ラジオ番組で一押ししていた。また、チェ・ジウの大ファンで、彼女主演のドラマ「天国の階段」DVDでは、NG場面の吹き替えも行っている。

■男気ある性格とは裏腹に、ポエムが趣味で、2004年7月には詩集まで出している。

■高校時代には小柄ながら柔道をやっていた(柔道初段)。

■新日本プロレス、アントニオ猪木の熱狂的ファンで、リングアナを目指していたという噂もある。大阪府立体育館で、相手の技をモロに受け続ける木村健吾に「健吾! あやまれ」と野次を飛ばし、笑いをとっていたらしい。ウケ狙いの野次が得意であった。

■阪神タイガースの熱狂的ファンで、選手の何人かとメル友らしい。しかし「笑いの金メダル」では北海道日本ハムファイターズのレプリカユニフォームを着て出演したことがある(これは元阪神の坪井智哉選手からもらったもの)。最近ではロッテについて熱く語る場面も放送されており、一体どこのファンなのか分からなくなりつつある。野球に関する知識は阪神のみに止まらず評論家並のものがありラジオ番組等でも度々ネタにしている。

■松竹芸能草野球チームで、エースピッチャー兼監督を務める。

■オセロの中島とは同期で「ミッチョン」と呼ぶほど仲が良い。オセロが大阪にいた頃はほとんど増田が漫才のネタを書いていた。

■ゆずの北川悠仁と友達でよく食事に行っている(ますおかのらくがきより)

■朝日放送の女性局アナ、加藤明子のファンである。しかし最近は加藤が小池徹平に好意を抱いていることもあってか、増田本人が小池徹平とフジテレビ「HEY!HEY!HEY!」で共演した際は少し嫉妬心を燃やしたらしい。

■浜田省吾のファンで、ファンクラブにも入っている。

■携帯電話の留守番電話に浜田省吾からメッセージが入り、ずっと消去せずに保存している。

■競艇学校に合格したが辞退した。

■相方について「ツッコミなのにボケたがる」 「パァ!なんてウケない」と思っていたが、笑いの金メダルの替え歌大賞で岡田のパァ!の使用を許した。

■一児の父。娘の名前は「ほのか」。

■昔、山口もえの大ファンだったが、ある番組で共演した際に、持っていた写真を見せて「気持ち悪い」と言われショックを受けた。そして、本番中に写真を破り本人にぶつけようとしたが、コントロールが狂い隣のデヴィ夫人に当ててしまった。その後、仲直りしたらしくラジオでもえについていろいろエピソードを語っている。

■まぐろやウニ、帆立、牛乳、チーズ、トマトジュースなどが苦手。

■「ますだおかだ角パァ!」でスクイズバントを2度失敗し、「野球がびっくりするほど下手」のレッテルを貼られてしまった。

■日本の地理にあまり詳しくないようである。笑いの金メダルの都道府県クイズにて富山県を指して「え?ここあった?」と言い出し、更に富山県と石川県の間の県境を指して「ここで分かれてたっけ?」と、その後石川県を指して「ここが富山?」などと発言していた。

■ハロー!モーニング。でモーニング娘。の高橋愛のファンということを明かした。

■テレビ番組のテロップ等で平仮名で「ますだ」とされるのを嫌っている。本人曰く、「『ダウン』と『タウン』でダウンタウンじゃないからね。」のこと。

■映画に出演した際、テロップで本名が出されることに納得行っていないらしい。「『ますだおかだ増田』で出してほしい。」と語っている。また、それがきっかけで芸名をつけようとしている。

■歌がうまい。お笑い芸人のカラオケバトルの番組で優勝経験がある。その後相方にも内緒で歌の単独ライブを開催していた。(その頃岡田は家族と富士サファリパークに行ってたらしい)

(出典:Wikipedia)

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ますだおかだ

ますだおかだは岡田圭右と増田英彦からなる松竹芸能所属の漫才・お笑いコンビである。略称は「ますおか」。2002年M-1グランプリ王者。


【メンバー】
■増田英彦(ますだ ひでひこ 1970年2月9日 - )大阪府守口市出身。血液型O型。

■岡田圭右(おかだ けいすけ 1968年11月17日 - )大阪府大阪市中央区出身。血液型O型。


【ネタの傾向】
コントもこなすが、正統漫才。練りこんだネタがある一方で、その当時の事象を巧みに織り込む柔軟性も持ち合わせる。増田が毒舌の強いボケをするところに岡田がオーバーアクション気味に突っ込む、というパターンが多い。


【来歴】
■1988年大阪府枚方市にある関西外国語大学短期大学部穂谷学舎で同じクラスになり、出会う。
二人が2回生の時、増田が岡田を「芸能界」に誘うが、岡田が嫌がり、卒業後、増田は関西外国語大学に3年編入学、岡田は専門学校へとバラバラになる。
増田は4回生で学園祭実行委員となり、イベントの司会などをしているところを、松竹芸能のマネージャーの目に止まり、スカウトされる。再び岡田を芸能界に誘い、なんとか2人で松竹芸能タレント養成所に通うが、3ヶ月後、岡田がやはり嫌がり、増田は広告代理店「大広」、岡田は文具メーカー「クツワ」へと、内定していた就職先に就職し、再び2人はバラバラになる。
就職して4ヶ月たったある日、短大時代の友人の結婚パーティーで久しぶりに2人は再会。「サラリーマンの仕事がおもしろくない」ともらした岡田を増田が遂に口説き落とした。

■1993年1月、2人は脱サラして、正式に松竹芸能タレント養成所に入所し、コンビを組む。

■1994年1月、第15回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞。

■1994年2月、第24回NHK上方新人コンテスト最優秀新人賞。
(松竹芸能の芸人初の最優秀新人賞獲得。)

■1994年8月、GAHAHAキング(テレビ朝日)で10週勝ち抜き、第3代チャンピオンの座に輝く。グランドチャンピオン大会では爆笑問題と同点優勝し、「(関)西の爆笑問題」と呼ばれたことがある。

■1994年4月8日、超若手の時代に特別番組としてオールナイトニッポンの2部(25:00〜27:00)を担当し、当番組のプロデューサーに「いいね!ますだおかだ!秋から2部のレギュラーパーソナリティをやろうか!」と言われ、それが初の東京でのレギュラー番組の仕事となるはずであった。ところが、プロデューサーが人事異動となり、オールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティを逃している。さらに、1998年ごろにも特番として担当した際にもプロデューサーから「4月からやろうか」と言われたが、またもプロデューサーの人事異動によりレギュラーを逃しており、2006年4月にようやく念願のオールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティーを務めることになった。

■1996年、「ボキャブラブーム」や「吉本2丁目芸人ブーム」に挟まれ、東京移転や吉本興業移籍さえ真剣に考え始めた頃、スタートした爆笑オンエアバトル(NHK)に参戦し、正統派漫才を武器に連勝を重ね、1999年には史上初となるパーフェクト(545キロバトル)を達成。その後も高得点を連発し、17戦全勝の記録を樹立した(後にタカアンドトシが18戦全勝の記録を樹立)。

■2001年、M-1グランプリ準決勝で、松竹芸能所属芸人として初めてなんばグランド花月の舞台に立つ。

■2002年、本命と言われた第2回M-1グランプリの最終決戦でフットボールアワーを破り(決勝ではフットボールアワーに次いで2位通過だった)優勝。デビュー後10年以内の制限(現在は10年目までだが、当時のルールでは事実上9年目までだった)があり、これが最後のチャンスだった。優勝直後のシャンパンファイトでコメントを求められた増田は、「テレビに出てるだけが面白い芸人じゃありません。ライブにはいっぱいおもろい芸人がいます! テレビだけでなく、皆さんライブを見に来てください!」という熱い名言を残す。同年本格的に東京進出。

■2007年2月27日放送の第7回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャルで、決勝で神奈月を破り、悲願の初優勝を果たす。


【エピソード】
■漫才の冒頭で「吉本興業のますだおかだです」とボケたり、「松竹芸能のますだおかだです」と皮肉っぽく自己紹介することがある。2001年、2002年M-1グランプリでもこれを連発し、審査員からは逆に好評だった。これは松竹芸能と吉本興業のライバル関係を意識したものであり、それだけに、吉本興業が主催するM-1で彼らが優勝したことは、松竹芸能にとっては記念碑的な出来事ともいえる。

■2002年のM-1で、この年、覚せい剤所持で逮捕されたドリカムの西川隆宏(当時)を風刺したギャグで、増田が「ドリカム西川の未来予想図(U)は拘置所やからねー」とボケたことがある。しかし、優勝後のインタビューで「関係者の方々にご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。」と、謝罪している。

■安田大サーカスの名付け親でもある。結成当時の3人を見た岡田の「サーカスが来た」との発言がきっかけ。

■餃子の王将堺浜寺店・若江岩田店に、彼ら考案の「ますおか丼」がある。

■増田が浜田省吾の大ファンであり、浜田本人とも交流がある。浜田はますだおかだの漫才を「トラッドでラディカル」と評している。

■バラエティー番組で島田紳助と共演すると「こいつら松竹やで」等と所属事務所が松竹芸能であることをよくネタにされる。

■globeのKEIKOがますおかのファンで交友関係があり、小室哲哉との結婚披露宴に呼ばれ2人は出席したこともある。

■aikoは昔、ますおかの出待ちをしたこともあるくらいファンだった。

■2007年に放送されたドッキリ番組で、増田(仕掛け人)が捕まってしまい殺されそうになった時、岡田(ターゲット)はビビりまくりながらも「自分の命が危険に晒される覚悟で、増田を助ける」と言い、助けるまではいかなかったが無線で必死に助けを求めた。番組中に岡田の想いを知った増田は感涙した。

■増田は元フォークダンスDE成子坂の桶田と仲がよく、自分たちのライブの構成作家に彼を抜擢した。これは増田本人が日記にて記述。

■芸人であるのにも関わらず近年はクイズ番組等でボケない場合が多い。笑っていいとも!ではいきなり正解を答えてしまい観客からブーイングを浴びた事がある他、ヘキサゴンでも殆どボケない。

■ラジオ番組で寺田有希に対しカルピス原液を飲んで咽た経験があるが、「お父さん君の体見てビンビンになったんちゃう。」等のテレビでは考えられないようなセクハラ下ネタ発言を吐いたことがある。

(出典:Wikipedia)

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はなわ

はなわ(本名:塙尚輝(はなわ なおき)、1976年7月20日 - )は、日本のお笑い芸人(漫談家・ものまねタレント)、歌手、ベーシスト。佐賀県立佐賀東高等学校、専門学校東京アナウンス学院卒業。血液型O型。新興宗教団体「創価学会」信者。


【プロフィール】
■1976年7月20日、埼玉県春日部市生まれ。小2まで千葉県我孫子市、その後佐賀県佐賀市で育った(自他ともに佐賀県出身としているが、実はそうではない。両親もはなわデビュー後千葉県に引っ越している)。

■高校卒業後、上京。小さい頃から、夢は「お笑い芸人」だったが、両親の反対を恐れて言い出せず、専門学校に入るためと言って、「むりやりのように」(本人談)上京。

■専門学校卒業後、お笑いタレントとしてデビュー。最初は、コンビを組んでいた。

■その後、芸能事務所ケイダッシュステージに所属し、「タモリのボキャブラ天国」(フジテレビ系)や数々のバラエティ番組などで、出身地の「佐賀県」を題材にしたベース弾き語り漫談で話題となる。

■1999年、NHKの「爆笑オンエアバトル」に第1回から出演し、全国にその名が知られるようになる。この頃からツノのように髪の一部を細長く立たせたヘアスタイルがトレードマークとなる。

■2001年、野球のバットを持って、スウィングを行い、「んー、はい」と甲高い声で言い放つ、プロ野球選手・松井秀喜の物真似(名前:松丼)で人気が急上昇する。

■2002年、自らの漫談『佐賀県』で注目され、内村プロデュースではオープニングで使われる題字の依頼をされた。

《2003年》
■1月、俳優として初めて出演した映画「アカルイミライ」(黒沢清監督)が公開される。

■5月、『佐賀県』をCDシングルとして発売する。当初は2002年11月発売予定であったが、歌詞に含まれる女優2名の許可がなかなか降りず、結局、半年遅れでの発売となった。30万枚のスマッシュ・ヒットとなった。PV(プロモーションビデオ)には、佐賀県知事や原口あきまさも出演。地域を誇張的に中傷して売名に利用した点は、当然佐賀県関係者より非難を浴びた。

■初のCCCDアルバム『HANAWA ROCK』もリリース。この中には、はなわが真面目に歌った曲も収録されている。

■12月31日、「NHK紅白歌合戦」ではテツandトモとの合同で「なんでだろう佐賀県ヴァージョン」を歌う(視聴者より事前抗議を受け、フルでは歌わせてもらえなかった)。

《2004年》
■第41回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞受賞。

■4月から日本テレビの深夜音楽番組「AX MUSIC-TV 01 はなわまおー」の司会を宮地真緒とともに務める。同年9月終了。

■6月、「エンタの神様」(日本テレビ系)で披露された持ちネタ「ガッツ石松伝説」をCD化、『伝説の男〜ビバ!ガッツ!!』をリリース。その後、ガッツさん本人が自ら出した本が売れたり2人で雑誌の対談やテレビ出演などを受けたりいわゆる「ガッツブーム」が一時期起きた。嘉門達夫の作品に酷似しており盗作疑惑が浮上したが、意図的な盗作ではなく嘉門本人とも和解した。後ににはなわが問題を出しその中からおかしな回答のVTRを毎回放送するパターンとなった。この際「今日もLIVEでガッツ石松の伝説を教えよう」という歌いだしに変わっているが、本来LIVEとは生中継のことであり、はなわはそのことについて誤解していた思われる。この「ガッツ伝説は」2004年秋の2時間スペシャルで完結し、その後はムツゴロウ、松島トモ子をはじめ、さまざまな芸能人に対してガッツ伝説後半と同じようなネタを披露し、歌詞も変更されている。

■「脳内エステ IQサプリ」で都道府県名を当てるなぞなぞを歌にした「IQ都道府県」を歌う。9月からレギュラー。答えがわからなかったパネラーから腹いせに「モヤッとボール」を投げつけられる。

■11月、所属レコード会社「インペリアルレコード」の担当スタッフが音楽バラエティ番組「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」に出演していた縁で、司会の青木さやかの独断により、はなわの新曲プランが決められる。妻へ贈るラブソング「あのね、」を完成させ、結婚式でライブを行う企画が2005年3月現在も進行中。

■年末に『1億3000万人が選ぶ!ベストアーティスト』に出演。観客席からステージに上がる演出で、多数の観客にもみくちゃにされ結局ほとんど歌えなかった。

《2005年》
■はなわの実弟の塙宣行が銭形金太郎に貧乏芸人として出演する。実弟が「はなわの曲、特に『佐賀県』は全部自分が作った」と言い放ったために「嘘をつくな!」とキレてロケ中に登場する(弟は兄のはなわが登場することは知らされていなかった)。その実弟だが兄のはなわが稼いで親に渡しているお金をこっそり親に頼んで貰っていて、そのお金で最新のパソコンなどを買ったりしていて、その話を聞いたはなわが激怒していた。その弟も芸能界を目指して「ナイツ」というコンビを組み修行中(とんねるずのみなさんのおかげでした「博士と助手」コーナーの企画『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』に、内海桂子師匠の物真似で出場経験がある)。『佐賀県』は、どうやら弟との合作ではない様子で、弟も余興で一曲歌を作って歌っていたが兄のような才能はなさそうな感じであった。

■エンタの神様放送98回目には、カンニングのオンエア時間が長引いてしまったため、結局、はなわはオンエアできずに終わってしまった。

■バラエティ番組の企画で徳島インディゴソックスの応援歌も作っている。

■NHK教育テレビの野球アニメ「MAJOR(1stシーズン)」で強打者・上河内役で声優出演している。

《2006年》
■同じくNHK教育テレビの野球アニメ「MAJOR(2ndシーズン)」で上河内役で声優出演する。

■雪国もやし(株式会社雪国まいたけ)のテレビCMに出演し「高い」、「買うな」などと弾き語っている。曲の候補は自らいくつも作ったが、全てボツにされ、ヤケになって作った曲が採用されてしまった(本人談)。

■日本テレビのミラクル☆シェイプに出演。77.0kgの体重を69.4kgまで落とすことに成功した。

■劇場版アニメ「デジモンセイバーズ THE MOVIE 究極パワー!バーストモード発動!!」にて極悪のデジモン・アルゴモン役で声優を務める。

《2007年》
■フジテレビのミニ番組、「体操の時間。」に自ら作曲した「お仕事体操」が披露される回に出演している。


【豆知識】
■松井秀喜、武蔵丸、美空ひばり、東国原英夫(宮崎県知事)など物真似のネタをいくつか持っている。しかし、ホリに真似されるのは快く思っていない。

■原口あきまさは、専門学校、芸能事務所の先輩で、個人的にも親しい。原口と「原口・はなわ」というコンビを組み、演芸番組等で物真似を交えたコントを披露することがある。

■「佐賀県」をリリースした頃、福山雅治がラジオ番組で取り上げた事がきっかけで親交が深い。単独ライブ時にシークレットでギターとして参加したこともあり、ライブの途中ではなわが招待を明かした直後にほとんどの客がはなわではなく福山を見ていた。

■バックバンドに俳優・妻夫木聡の実兄である妻夫木晋也がいる。

■父親は商社マンである。かなりガリガリだが、原口あきまさの父親(元自衛官)と相撲を取り、勝った。

■既に妻子持ちである。子供はかなり太っている。その子供が、はなわのベースを担ぎ「パパ、パパ、「残念!!」やって!「残念!!」やって!!」(波田陽区のネタ)とせがまれたことがある。また、これと同様に「「自由だ〜!!」ってやって!」(犬井ヒロシのネタ)とせがまれた事もある。

■1999年6月15日に放送された人気テレビドラマ・「古畑任三郎」「最も危険なゲーム(最後の事件)前編」にストリートミュージシャン役として一瞬出ていた。

■2003年2月8日放送の爆笑オンエアバトルで、ネタ披露中にセリフが飛んでしまい、その場はアドリブでやり過ごしたがその後の計量を辞退(ネタ後の審査は行われ、同じく収録でネタを披露したますだおかだの増田の提案で計量したところ401KBでその週のオンエア圏内であったが、この計量シーンは未放送)。後に特別編の放送でこのことが伝えられた。

■2003年の紅白出場決定の際、NHK佐賀放送局のローカルニュースでトップで伝えられた。

■47都道府県すべての歌を作ったと言っているが本当に全部作ってあるかどうかは不明である。実際に大分県の歌を歌って欲しいと言われたのだが、「すいません作っていないので」と言う理由で大分県の歌は歌わなかった。しかし、7月23日の「IQサプリ」では歌っている(ただし、普段から同番組で披露している県名をかけたクイズ形式の歌であってネタで歌っている曲とは違う)。

■雑誌「ファミ通キューブ+アドバンス」で、「はにわ」と間違って表記されていた。ちなみに、地元のイベント出演時も名前を間違えられた事がある。

■佐藤弘道をライバル視している。理由は妻が惹かれているから。女性自身10月4日号で佐藤弘道と育児対談。佐藤は、はなわより8歳年上だが、ともに男児2人の父親という共通点がある。

■「伝説の男〜ビバ・ガッツ〜」の使い回しで、「解説の男〜福本豊伝説〜」という歌を歌ったことがある。ちなみに曲中の福本役の台詞はますだおかだの増田が担当していた。

■ネタとなっている曲「佐賀県」ではあるが2種類存在しており、CD化された「佐賀県」と爆笑オンエアバトルで公開された「佐賀県」がある。後者には歌詞に「佐賀県で気球フェスティバルが開催される理由」が含まれている。

(出典:Wikipedia)

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波田陽区

波田 陽区(はた ようく 本名:波田 晃 - はた あきら、1975年6月5日 - )は、山口県下関市出身の日本のお笑いタレント。ワタナベエンターテインメント所属。双子座、血液型はO型。山口県立豊浦高等学校、熊本学園大学卒。代表的な持ちネタの一つであるギター侍(ギターざむらい)と呼ばれることも多い。


【プロフィール】
■1998年デビュー。当初は「波田ニューヨーク」という芸名だったが売れず、何年か経った後「もうニュー(新しい)ではない」と、芸名から「ニュー」を消し「ヨーク」を「陽区」に変更し現在の「波田陽区」とした。
レディオヘッドのトム・ヨークに因んでこの芸名を名乗ったという都市伝説もある。
出演しているサントリー「ビタミンウォーター」のCMでは、「波田NEW陽区」としてかつての芸名が使われることになった。なお、「波田NEW陽区」は波田本人がメイクした姿で別人ではない。

■2004年になって「エンタの神様」で「ギター侍」のネタを披露し、ブレイク。(2004年末〜2005年正月にはテレビ出演が非常に多く、ネタ本・CDなどの発売等大活躍を見せた。)

■「エンタの神様」でブレイクする前には、「お笑いCDTV」(TBS、2003.10〜2004.9)でライブの前説に起用され、テレビでギター侍を披露する日を狙っていた。後に、「エンタの神様」でブレイクしてからは、他局番組でのネタ披露禁止を言い渡され、「エンタの神様」以外で「ギター侍」ネタを見せることは一切なかった。(その後、2004年秋ごろ解禁に。)

■2005年以降はギター侍を封じ、普段着でのテレビ出演も多かったが明確な新路線が打ち出せず、「一発屋」の印象を持たせてしまった。しかし、レギュラー(若しくは準レギュラー)番組をいくつか持っており、「一発屋」の印象の割にはかなり健闘していて、バラエティタレントの転身には事実上成功と言っていいだろう。

■2005年4月からはJRN系ラジオ番組『JUNK2 波田陽区の中までテキーラ!』にて初のメインパーソナリティに挑戦。毎回かなり下ネタを連発し、1週間に届くメールが700〜800通、JUNK2内の番組で1番の投稿数を誇っていた。番組は2006年9月で終了するものの、インターネット放送局あっ!とおどろく放送局で『波田陽区の奥までテキーラ!』として復活、現在も続く。

■2006年7月7日には、TBSテレビ系列『新キッズ・ウォー2』(CBC、毎週月〜金 13:30〜14:00)にて俳優デビューを果たす。

■2007年3月18日放送の爆笑レッドカーペット(フジテレビ系列)でギター侍以外のネタを初披露した。その内容は欧米人の傭兵に扮し、有名人を「YES」と「NO」に分けるというもので、御馴染みの有名人を斬り捨てるスタイルは健在。(例:「自分の歌に勝手に継ぎ足されたのを怒るのはYES・・・これ以上継ぎ足しようの無いその耳毛はNO!」(「おふくろさん」の作曲者である川内康範のこと)など)しかし本人はネタ中に「スベった…」と後悔するコメントを発し、「このネタでイケると思った俺は、NO!」と、ギター侍でいう「切腹」をしていた。

■現在、スタジオ「中野twl」にて『波田陽区トークライブ 波田頭区』を随時開催している。また、彼の事務所のサイトであるワタナベサイトにて、毎週月曜更新の『波田陽区コラム 波田頭区』も更新中である。

■2007年5月7日、大学時代に知り合った2歳年上の元保育士の女性との結婚を発表(同年6月5日入籍)。


【エピソード】
■男3人兄弟の末っ子。すぐ上の兄は地元下関の市立しものせき水族館 海響館内のレストラン「デルフィーノ」に勤めており、旅番組などで海響館が紹介される際に「波田陽区の兄」として登場する機会も少なくない。

■中学時代バドミントンで全国ベスト16まで進んだことがある。

■高校時代、陸上部だったこともあり(「下関の韋駄天」と呼ばれていた)、100m11秒9の実績を買われて『神様の宿題』(中国放送ローカル)番組内で『かけっこ侍』のコーナーをやっていた(既にコーナーは終了)。

■かつて大学時代に「テンポイント」というコンビを組んでいて、芸人とミュージシャンを兼業していた。大学を卒業するときに大物になるとサークルの友達に話していた(サークル名・青活、ニックネームはチャッピー)。

■売れなかった時代にコンビニエンスストア(ファミリーマート大久保店、東京都新宿区)で長年アルバイトをしていた経歴を持つ。副店長まで上り詰めたという(ちなみに同じ事務所所属のRAG FAIR・土屋礼央もファミリーマートで8年半バイトしていた)。

■大好物は、ハーゲンダッツのバニラと鶏肉。

■『波田陽区の中までテキーラ!』によれば、双方のマネージャーと同席ながらも加藤あいと食事に行く等、芸能界での交際範囲も意外に広い。

■2006年5月19日の『たけしの誰でもピカソ』お笑い居酒屋では、New 波田陽区として、アニマル柄の衣装に変えて登場。

■間寛平に可愛がられており、家族ぐるみで親交がある。

■2006年夏ごろに放送されたサントリーのビタミンウォーターのCMで速水もこみちの寝起き時の変な顔(通称「速水 いまいち」)が偶然にも似ていた(スタッフは波田陽区の顔をイメージしたつもりはなかった)為、波田の顔を使用したとも言われていた。この影響か、第2弾のCMでは先輩のネプチューンの名倉潤とともに共演しCM内で目がパッチリした別人の顔に変わった。

■ヘキサゴンUクイズパレードのクイズで波田のいとこが出演したことがある(波田の父親が彼女の母親の兄)。


【ギター侍】
ギター侍は、波田の持ちネタのひとつ。他には恋を語るネタ、全身を真っ赤に塗って明太子の気持ちを語るネタ、番犬をつれて軍歌を歌うネタ等を持つというが、本人はテレビでは披露できないという。


《流れ》
ギター侍は、着流し姿でギターを構え「拙者、ギター侍じゃ…」と、ギターを弾き始める。但しエンタの神様ではあまりこの台詞は言わない(その代わり「〜テレビっ子でございます」で始まるが、最近はいきなりネタから入ることが多いので、OAではカットされることもある)。

そしてギターの節に合わせ(リズムに合わせるだけで、歌うわけではない)、「私(僕は、俺は、俺達、オラは)○○○○(姓と名は語呂合わせしている)、 △△△△△…って、言うじゃな〜い?」と、芸能人や著名人のネタに入る。

それに対するツッコミとして「でもアンタ(こっちが○○してんのは、一番○○なのは)、××××ですから!(ましたから!、ませんから!) 残念!! ★★★★斬り!!」と、毒舌をもってバッサバッサと斬り捨てる。

「斬る」相手の前でネタを披露する時は、「斬った」後にその人をしばらく睨み付ける。(目が半開きなので見ているとしか思えないが)

こうして数人「斬った」後、ラストに自虐ネタを「拙者、◇◇◇◇ですから(ましたから!、ませんから!)…!」とカミングアウト。その直後、「切腹!!」と絶叫する。


《ギター侍でのエピソード》
■テレビでは「エンタの神様」(日本テレビ系)で活躍。当初、同番組のみに出演し、ギター侍のネタは数回の披露で終了する予定であったが、同番組のメイン視聴者である、若者を中心とした層に人気が出たことをきっかけに、メディアに注目されるようになってしまった為、半ば強制的に誰かを斬り続けなければならない状況となった(最初に斬られたのは、元モーニング娘。の保田圭)。彼は「ターゲットとなる有名人が好きで斬り続けている」と語っている。2004年秋からは「エンタ」に留まらず、各局のバラエティ番組にも進出を果たしたが、『エンタ』内で「おしゃれカンケイ」をネタにしたため、「おしゃれ〜」のスポンサーが同番組のスポンサーを降板したことでトラブルとなり、その後同番組に出演できなくなってしまった。

■エンタ時代、このネタを面白いと思った明石家さんまが自らの番組内で「○○ですから、残念!」を連発。このことからエンタを見ない世代にも知名度が上がった。また、波田が『踊る!さんま御殿』初出演時、さんまから「斬ってくれ」と言われ、本人の目の前で斬ったところ、非常に喜ばれた。また、やしきたかじんも、彼のネタを気に入っている。

■『エンタの神様』で摩邪がネタ中に波田陽区のことを出し、「『って言うじゃな〜い』って本当にそう言っていたのか。『って言うじゃな〜い』じゃなく『って言いそうじゃないですか』に変えろ」と言った際、波田が舞台端に登場した。ネタ終了後に波田は「お前痛いとこつくじゃねえか、バカヤロー」といって去った。その後、(2005年8月6日放送分において)波田が摩邪のことをネタにした際、摩邪が舞台端から登場。波田と摩邪とのマイクパフォーマンス合戦となったが、あげく摩邪の「チクショー覚えてろよコノヤロー」という台詞で一応は波田の勝利に終わった。

■波田と同じくワタナベエンターテイメント所属の青木さやかとともに出演した2004年NHK紅白歌合戦では、北島三郎の前座を担当し「残念!!」ではなく、「バンザ〜イ!!」というネタを披露した。「バンザ〜イ!!」で締めるネタは、自身の結婚発表の記者会見でも披露している。

■芸能人・著名人を揶揄するというネタの性質の為、ネタを披露する度に斬られた対象の芸能人・著名人のファンから苦情の手紙・メールが殺到する(ファンレターの95%は苦情だという)。また、一部の過激なファンが、波田に殺人をほのめかす内容の脅迫のメッセージを送りつけたこともある。例えば、『エンタの神様』でのW(ダブルユー)に対する「デブルユー」発言等である。

■2004年にリリースされたCD『ギター侍の歌』で、氣志團を「30超えてますから!!残念!!」「あやのこ オジン」と斬ったが、少なくとも綾小路翔は実際、わずか1歳の差ではあるが波田より年下であり、更に同曲がリリースされた当時はまだ30歳になっていなかった。(綾小路翔と中学時代の同級だったまちゃまちゃが自らの正式な生年月日を公表したことにより綾小路の実年齢も間接的に判明)

■小沢真珠に、当時放映されていた「牡丹と薔薇」のパロディで「アンタなんて侍じゃなくてブタよ!アンタなんて、ギターが無かったらプーよ!!」と斬られたことがある。しかし、「アンタのそのキャラ、青木さやかとカブってますから!!」と、見事に仕返しを果たしている。

■彼が日本テレビの番組『おしゃれカンケイ』(資生堂単独スポンサー)を『汚れカンケイ』と揶揄したのが仇となり、資生堂が『エンタの神様』のスポンサーを降板するというトラブルも起きた(現在はHONDAが筆頭スポンサーになった)。またペ・ヨンジュンをネタに「ヨン様と結婚したいってゆうじゃない…でもヨン様と結婚したら苗字“ペ”ですから〜!残念!!」と斬ったところ「韓国で“ぺ”は日本の“鈴木”の様に多い苗字。だから韓国を侮辱したも同じ」「韓国では結婚しても夫婦別姓なのはよく知られている。こいつはそんなことも知らないのか」と抗議が殺到し国際問題になりかけた。ただし、日本人が国際結婚をする場合、婚姻届を出しただけでは氏(苗字)は変わらないが、本人による届け出をすれば外国人の配偶者の氏に変えることもできるので、苗字が“ぺ”になるというのは間違いとは言い切れない。

■ネタでは威勢がいいものの、普段は律儀で礼儀正しい。またネタにする前もしくはした後には、出来る限り本人に挨拶なり謝罪なりをするようにしている等、真面目で義理堅い面も。ただ、伊東四朗を斬った時本人に詫びを入れにいったところ「毒舌を売りにしている芸人がそんなことをするもんじゃない」とアドバイスを受けた。

■『エンタの神様』出身と思われがちだが、実はTBSで金曜深夜に放送されていた「U-CDTV」という番組の中のワンコーナーである「O-CDTV」の前座を務めていたことがある。その時のネタの口調は今よりもやわらかく、あっさりしていた。更に斬るターゲットも芸能人・著名人等ではなく一般人であった。

■2004年5月にルミネtheよしもとのステージに出演し、ナベプロ所属の波田にとってはアウェーとなる舞台の観客を爆笑させようといつも以上に「残念!!!!」と絶叫してギターを振り下ろしたところ、肋骨が「パキッ!!」と折れてしまった。ステージ終了後すぐ病院へ直行、医者の書いた診断書には「亀裂骨折(『ざんねん』による)」と書かれていた。

■2004年11月には、ギター侍のネタを収録したCDをリリースするに至る。オリコンシングルチャートでは初登場5位、最高4位を記録した。このCDを武器に音楽番組へと活動の幅を広げる。

■「…って言うじゃない …残念!! ○○斬り!!」の3語がセットで、2004年の流行語大賞トップテンに選ばれた(そのときの1位はアテネ五輪で金メダルを取った北島康介の「チョー気持ちいい」だった。1位を逃した波田は流行語大賞の会場で「チョー気持ち悪い斬り!」と言って残念がった)。

■品川駅の出口で、高校生にギターを盗まれたことがある。追いかけていったところ駅前にギターが放置してあり「残念!」と貼り紙がしてあった。

■2004年12月、めちゃ×2イケてるッ!の1コーナー、フジTV警察24時に出演した際、島田紳助を斬った直後に「売れっ子で寝る暇がないって言うじゃな〜い? もうすぐゆっくり寝れますから!残念!!」と斬り返され、絶叫して走って逃げていった。また、フジテレビのスタッフを次々と斬る中、バラエティ制作センター部長の吉田正樹チーフプロデューサーに対してだけは、吉田の妻が波田が所属するワタナベエンターテイメントの副社長である関係から唯一斬ることができなかった。

■2005年2月、アルバム発売記念イベントで「エレキギター侍」やボサノババージョン・英語バージョン等を披露。フランス語も勉強中。

■関西ローカル番組の初出演が毎日放送のテレビ番組、『痛快!明石家電視台』のゲストトークコーナー『なにをきくねん』(2005年2月21日放送分)。明石家さんまを斬ったり(CDに入ってるネタではなく『電視台』用に作った別バージョン)、失礼な客に波田の本名を笑われたり、「結婚したがっているウチのお姉ちゃんはどうですか?」と売り込んでくる客がいたりで盛り上がった。

■2005年1月1日、「初詣!爆笑ヒットパレード」でチャンバラトリオの南方英二に見立ててもらった着流しを着て登場。以後、この着流しは礼服に。但し、3月8日に行われた第42回ゴールデン・アロー賞授賞式(新人賞を受賞)では何故かタキシードを着用。前年、芸能新人賞を受賞したはなわは赤い半袖開襟シャツに革パンという通常の衣装で授賞式に出席していたので、礼服の着流しなら決して授賞式にふさわしくない服装ではないと思われるが、同賞の権威を重じ正装、そして侍とタキシードのミスマッチさ、両方を狙ったものと思われる。

■2005年3月9日、『笑っていいとも!』の『テレフォンショッキング』にギター侍の格好でなく私服姿(素肌にチョッキと短パン)で登場。これはタモリが以前に「ミュージックステーション」で今度タモリが出演する番組に私服で来てと言われたという事からだったが、タモリ本人はすっかり忘れていたようである。波田本人は「この格好は今年絶対流行る」と意気込んでいた。因みに2005年3月21日にも素肌にチョッキと短パンの格好で登場。このほかにも、2005年3月ごろからは様々なTV・雑誌で私服姿を公開している(そのときの私服は普通にジーパン姿である)。

■2005年4月16日公開のアニメ映画『クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶブリブリ 3分ポッキリ大進撃』に声優初挑戦。本人は「ギター侍怪獣」役で映画初出演。4月10日の同映画の試写会での舞台挨拶では前人未到の1000人斬りを達成(斬られたのは映画を観に来た観衆)。

■2005年5月19日に放送された『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系)で、最後に芸能人を斬るとき、オチを忘れてしまい、仕方なく、「切腹!!」と言った。

■愛用しているギターのメーカーはMorrisであり、1本6万円前後だという。

■『笑点』に出演した際、波田は自分の家族のネタも披露した。「これが最初で最後の出演」と語っていた。

■『エンタの神様』でベッキーを斬った際、ベッキーが激怒し、恐ろしい思いをした。ベッキーは波田に斬られたことに大変落ち込んだという。しかし、後日明石家さんまに、「斬られたということは、それだけメジャーになったということ」と励まされ、今では斬られたことに感謝しているらしい(『波田陽区の中までテキーラ!』より)

■『痛快!明石家電視台』の恋愛侍 波田(なみた)さんは勿論波田陽区をモデルとした着ぐるみキャラ。毎週、会場にいる女性客の中から好みの女性をチョイスするという趣旨である。

■『エンタの神様にてくまのプーさんを「森の露出狂」と斬った為、オリエンタルランドから抗議を受け、東京ディズニーリゾートに出入り禁止となった』という都市伝説があったが実際のところ東京ディズニーリゾートに出入り禁止は存在しない。(エンタの神様でそのようなネタがあったのは事実)

■ちなみに知名度がピークに達していた頃は「服は絶対に(普段の浴衣姿から)変えない」と断言していたが、2005年半ば頃からはネタ披露時以外は私服でバラエティに出演することが多くなった。デニムの服が多い。

■主な活動が、路上ライブからテレビ番組へと移行した経緯があるが、その間、テレビで毒舌のギター侍をやってもいいのか、番組制作者側に前もって心配で尋ねたことがある。

■2005年に放送されたアニメ『ふしぎ星の☆ふたご姫』のキャラクター、ティオがギター侍の台詞をもじった台詞を発したことがある。

(出典:Wikipedia)

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あばれヌンチャク

あばれヌンチャクは、日本のお笑いコンビ。所属事務所は石井光三オフィス。コンビ名は斎藤の前のコンビ名「ヌンチャクダンス」からヌンチャクを残して他人につけてもらったことによる。あばれはっちゃくに語呂が似てる為とも言われている。2005年4月解散。


【メンバー】
■斎藤恭央(さいとう やすお、1976年9月24日 - )
神奈川県横浜市出身。血液型はB型。ツッコミ&絵描き&ネタ作成担当。声優。通称「やっくん」。かつてジャニーズJr.に所属していた。解散後、桜塚やっくんとしてのピン芸のキャラを模索するなかで、スケバン恐子が生まれた。エンタの神様では、女装した姿で観客につっこませる内容が評判だったため、常連出演するようになった。

■竹内幸輔(たけうち こうすけ、1976年7月4日 - )
秋田県大曲市(現:大仙市)出身。血液型はA型。ボケ&絵の説明担当。通称「お兄さん」。現在は声優。


【芸風】
スケッチブックを使った紙芝居風のコントが専門。やっくん(斎藤)の可愛いキャラを強調しながらも、竹内が毒舌で世の事象を斬りまくる。爆笑オンエアバトル等でも活躍し、放送ギリギリの過激なネタで異彩を放つ(NHKキャラクターネタを行った際は、局側から注意されたらしい)。

桜塚やっくんこと斎藤が番組で度々「鳴かず飛ばずだった」と説明しているがエンタの神様(当時のキャッチフレーズは「お笑い界の問題児」)や笑いの金メダルなどのゴールデン番組にも数回出演した経験がある。

竹内はテレビ東京系アニメ「テニスの王子様」(天根ヒカル役)や「アイシールド21」(原尾王成・筧駿役)に声優として出演している。また斎藤もテレビ東京系アニメ「満月をさがして」へのタクト・キラ役での出演をきっかけに、声優業も兼ねるようになったが、桜塚やっくんとしての人気が上がったため、現在はピン芸人の方に注力。 彼らのスケッチネタを掲載した「自習!!」という本が出版社 ぴあより発売されている。

(出典:Wikipedia)

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桜塚やっくん

桜塚やっくん(さくらづかやっくん、1976年9月24日 - 、男性)はお笑いタレント、声優。通称「やっくん」。なお現在は年齢非公表で活動している。以前は本名の斎藤 恭央(さいとう やすお)で活動していたが、改名した。神奈川県出身。日本大学高等学校、日本大学芸術学部映画学科演技コース卒業。トップコート所属。血液型B型。2006年に歌手としてもデビューした。


【活動履歴】
■お笑いコンビあばれヌンチャクのツッコミ(場合によってはボケ)&絵描き&ネタ作成を行っていたが、コンビは解散。芸を模索していたところ、オフィス★怪人社のIKKANにスケバンのネタをやろうと進言され、「スケバン恐子」というキャラクターが作られた。現在はこの桜塚やっくん(さくらづかやっくん)と改名し、『エンタの神様』(日本テレビ系列)を中心に活動中である。なお、うたばん出演時も石橋貴明らにあばれヌンチャクの件に関してしつこく問われたが、自分からは口に出さなかった。しかし、ゲストで呼ばれていたコージー富田にあっけなくばらされた。

■声優としての活動歴もあり、2002年にアニメ『満月をさがして』のオーディションを受け合格、これをきっかけに声優業の活動を始める。同作品では主役級のタクト・キラ役を演じ、その甘い声と繊細な役柄から若い女性のアニメファンを中心に支持を得た。同番組の企画CDではタクト・キラ役で歌「ETERNAL SNOW」も披露している。これが初めての歌の仕事であったことを、同時収録の声優対談で明かしている。現在は声優としては開店休業状態で、公式サイトにおいても全く触れられていないが、本人はいくつかのインタビューで「人を喜ばせるのが好きだから、お笑いだけじゃなくドラマでも映画でもいい」旨の発言をしており、「声優・斎藤恭央」の復活も視野に入れているようである。

■2006年7月19日、歌手として、自身が作詞した「ゲキマジムカツク」でCDデビュー。(作曲:Anchang(SEX MACHINEGUNS))。

■2006年10月18日には2ndシングル「1000%SOざくね?」を発売。タイトルはシブがき隊の「100%…SOかもね!」と、若者言葉の「うざくね?」をあわせたもの。

■2006年のNHKの紅白歌合戦に、個人男性としては前年のゴリエに次いで史上2人目となる紅組としての出場が報道されていたが出場者としては選ばれなかった。


【人物】
■昔ジャニーズJr.に所属していたこともあり、整った顔立ちをしている。

■漫画収集が趣味で5000冊以上所持している。

■エンタの神様で、女性客から「やっちゃ〜ん」という声援が聞こえ「何でアタイの小学生時代の愛称を知ってるんだよ!」っと突っ込み、自分で小学生時代の愛称を暴露した。

■かつては「ピンク・レモネード」と言うバンドでボーカルをしていた。あばれヌンチャク時代のインタビューのほか、自身のブログでも語った。その際には作詞などもしていたが、あまり真剣なものではなかったと語っている。

■たいがー:りーは中学校時代の先輩。(2007.6.2のエンタの神様より)

■2007年4月21日、甲子園での阪神対巨人との試合で、始球式を担当した。その日、放送席で自ら「阪神ファン」であることを明かした。


【スケバン恐子】
■スカート丈の長いセーラー服(06年10月からスカーフが水色になった)、竹刀、ロングのパーマかつらを装備した女装キャラクター。一人称は「アタイ」。コージー冨田に「あゆに似てるな」といわれたのをきっかけとして誕生。関東スケバン連合の初代総長という設定。舞台上から観客を指名しツッコミ役をさせるという芸風が評判となりブレイク。2006年9月3日の「東京ガールズコレクション2006 A/winter」出演や、映画「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」特命宣伝刑事にと、幅広いジャンルで活躍している。

■ネタの内容は、初めに数名の観客を指名し、スケバン恐子のボケに対して指定された言葉(例:「早いよっ!」「ダジャレかよ!」など)を観客にツッコませるというもの。2006年4月からは有名は童話やテレビ番組などの紙芝居をするという内容になり、観客には作品に登場する人物などの役をやってもらうようになった。

■指名する観客の数は当初は3人だったが今は2人である(ただし現在もまれに3人になることがある)。観客を指名する際には、変わった呼び名を付けることがある。

■女装キャラとしては異例の美形なため、女性ファンが多い。観客に「カワイイ!」と言われると逆ギレする。

■芸の内容上、ネタ時間の調整が比較的容易にできるため、生放送の帳尻合わせにも使われる。大晦日のエンタの神様拡張版とも言える番組「輝け!今夜決定2005年お笑いネタのグランプリ」では審査員が大賞を選考している間にネタを行っていた。

(出典:Wikipedia)

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長井秀和

長井 秀和(ながい ひでかず、1970年1月3日 - )は、お笑いタレント、漫談家である。所属事務所はタイタン。血液型はO型。創価大学文学部卒業。既婚。


【来歴】
■東京都武蔵村山市出身。父は元武蔵村山市議(公明党)。新興宗教団体「創価学会」信者。

■創価大学文学部卒業後、親とは教師になる約束をしていたが、「東洋のチャップリンになる」と宣言して芸人の道を歩む。当初はパントマイム(同じ動きなのに違うもの)を持ち芸にしており、路上パフォーマンスなども行っていた。後に風刺漫談へシフト、現在に至る。しかし登龍門F(生放送)において放送日は他局の生放送を何件か抱えていた為、「喋るのが面倒だから」という理由で全身オレンジ色のつなぎで自身の持ち時間全てパントマイムを行った。

■M2カンパニー(現・ホリプロコム)等、何度か事務所の移籍を繰り返す。やがてフリーの身である所をタイタンに拾われ、現在の基盤を作り上げた。1999年からユリオカ超特Qと二人で定期的に都内でライブ「同行二人」を開催( - 2004年)。

■伊藤かずえの大ファンであることも有名。好みのタイプは元モーニング娘。の加護亜依らしい。

■運動神経はなかなかのもので、バック転も出来る。エアロビクスを愛好している。以前スポーツマンNo.1決定戦に出たこともあり、そのときの記録は総合13位であった。

■1999年に結婚。無名時代は自活することなく妻に食べさせて貰っていたと自認。2005年3月22日には長男が誕生した。

■結婚披露宴会場にうまなりクンの収録で井崎脩五郎がやってきた。井崎は、VTRはじめに「永井美奈子さんの結婚式会場にやってきました。」と言って視聴者を驚かせたが、CM明けに「結婚してナガイ(長井)美奈子さんになる人の結婚式です。」と言うオチになった。

■爆笑オンエアバトルでは第6回チャンピオン大会に出場。セミファイナルでは1006KB(オンバト史上初)と1位で通過し、かつ史上3位の記録を持つ。セミファイナル後のインタビューで「必ず優勝します!間違いない!」とかっこよくしめくくった。しかし期待されたファイナルでは途中で台詞を間違え、その影響かネタの語りが早くなるなど露骨に動揺してしまい、最下位を喫してしまった。以来、漫談のネタをやる時、間違えたりかんだりして自分で笑うことも多い。

■近頃は桜塚やっくんと顔つきや声質が似ているせいか、間違われるケースもある。


【持ちネタについて】
■地道な活動が花を咲かせ、2003年には決まり文句「間違いないっ!」で一躍時の人となり、以降はバラエティで精力的に活躍。尚、「間違いないっ!」は、劇団ひとりが長井の真似をする時に使っていたフレーズを逆に利用したものである。この言葉は一時期流行したが、前年のノミネートだった為流行語大賞に選ばれることはなかった。

■この他に、「○○だから気を付けろ!」「知るかっ!」「続けます」等の決め台詞がある。

■スタイルを青木さやかから、ネタをだいたひかるからよくパクッていると公言しており、時々自身のネタにもする。

■『エンタの神様』でほしのあきのネタを披露するときに最後に「エイ、エイ、オッパ〜イ!!」と言い、観客にも言わせている(この台詞は、ほしの公認のようで、安全剃刀の販促イベントで共演した際、一緒に「エイ、エイ、オッパ〜イ!!」と言っていた)。最近は「エロオヤジキャラ」を定着させつつある。ほしのあきの話は2006年5月27日で完結させ、6月3日は「女医の西川史子先生の話」に変更したが、最初の1週で終了した。7月8日の放送では、完結させた筈の「エイ、エイ、オッパ〜イ!!」のネタを突然持ち出して数回続けた後に封印し、2006年9月9日の放送で再び披露した。

■時折、さとう珠緒についてネタにしている為、天敵としても話題となっていたが、険悪な仲というわけではない。むしろ、さとうは長井のギャグの為にメディア露出が増える等相互に良好な関係を築いている。

■アーティスト関係ではよく「GLAYのTERU」ネタが多く見られる。このネタはバラエティでネタ披露する時や、ネタふりされたときに言うことが多い。

(出典:Wikipedia)

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Mr.オクレ

Mr.オクレ(みすたーオクレ、本名:岡田 信行)は、 吉本興業に所属するお笑い芸人であり、ベーシスト。


【来歴・人物】
兵庫県明石市出身。兵庫県立明石南高等学校卒業。父親は明石市内で中学校の教師をしていた。容姿が老けているため、小学校の頃先生と間違えられた話もある。メガネを外した顔が、小野田寛郎に似ているため、明石家さんまに「おかえりなさい。小野田さん」と突っ込まれる事もある。

生年月日は1953年4月30日と1957年4月30日の二説あるが、もし後者が正しければ馴染みである明石家さんまや村上ショージより年下になり、2005年の時点で芸能生活が33年になるので14〜15歳で芸能界入りしたことになる。しかし、さんまが「オクレ兄さん」とテレビで言っており、前者の方が正しいとの見方が大勢であるものの、吉本興業の公式ホームページには後者の生年月日が記載されている。さんま氏が「兄さん」と呼ぶのは芸歴がさんま氏より長いから(彼は高校卒業後に活動開始なので2005年時点で芸歴31年である。)と思われる。

2007年4月30日放送の「なるトモ!」での誕生日と年齢紹介でも50歳と紹介され、司会のなるみたちに「ほんまに50歳!?さんまさんは『兄さん』って呼んではんのに」「違うとしたらどこにサバ読む必要があるんでしょうね」などと突っ込まれていた。

所属の吉本興業でさえ、普段何をしているかわからないというほど私生活は謎である。自宅にいても居留守ばかりで、電話が鳴っても取らない。だが、留守電に切り替わってメッセージ録音になったときに電話機から「おらへんのかぁ…鍋でも誘おうと思たのに」という声が聞こえれば、すぐ受話器を上げるという。


【名前の由来と芸風】
「オクレ」という名前は、物乞いの「おくれ」ではなく「トロい(遅れる)」から来ている。コミックバンド(ザ・パンチャーズ)時代、他のメンバーからワンテンポ遅れてズッこけ「遅い遅い!」と突っ込まれるのが唯一の芸であった。それは、あくまでも芸で成立する物で、本来のベースの腕前は大した物である。1980年代後半、テレビ番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)に、村上ショージや前田政二と共にお笑いトリオ『何人トリオ(当初は「難民トリオ」)』の一員としてレギュラー出演して人気が出る。


《主なギャグ》
■「こんにちは〜」(無気力な言い方なので共演者はコケる)

■(去り際、主に吉田ヒロに対し)「あほ〜。」

■「ひょうきん族の時の蓄え(ギャラ)で楽してるねん。」(若手芸人から「最近ビンボー?」と突っ込まれる時にかます)


【出演】
《レギュラー》
■なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!(朝日放送、スカイ・Aほか)
山田花子が水晶で呼び出す「水晶の精霊」の役。
花子がイスの上の水晶に手をかざし、「水晶の精よ〜、○○を我に教えたまえ〜…。えい!!」と叫ぶと照明が暗くなり、アラビアンな音楽(オフスプリングのCome out and Play?)と共に釣り下げられて舞台左袖から出てくる。定着して意外と人気があるようで、声援がよく聞こえてくる。出てくると季節やニュースなどを題材とした漫談的な話から始まることが多い。主役の一人の陣内智則が水晶の精に頼んだ内容の返事を言うようにいうと、よくつっかかるような感じで言う。「これが出来たら占う。」などと言いミニゲーム的なことなどをさせ、面白い結果や、ミニゲームの成功を阻止し芸人らが怒っているのを笑いながら、またアラビアンな音楽と共に左にはけていく。たまに物を持ってくることがあり、陣内智則に投げつけることもある。コントロールがいい。
なお、最近は、陣内智則らに「もう一度呼べよ」と迫られた山田花子により、再び呼び出されるが、この時も、まともな回答はせずに宙吊り状態で去っていく。もしくは、本人が不在で、ひもだけ登場する。この後、大抵は、「もうええやろガール」役のののかちゃん(子役)による「もう、ええやろ」に繋がることが多い。概ね2007年頃からは、占い結果も後のストーリーを案ずるような回答をするようになってきている。


《不定期》
■吉本新喜劇(よしもと新喜劇)
主に警官(交番の巡査ではなく署長や警部といった比較的偉い役)、ヤクザの組長、飛行機の操縦士などキャラクターと正反対の役で客演(初回はキャラクターそのままに貧乏神の役であった)。ストーリーラインに絡む役を演じることもある。前述のように「横丁へよ〜こちょ」で人気を博しているためか、登場時は拍手をもって迎えられる。新喜劇での演技面の特徴としては声が通らない、無気力、無表情な演技であるが、それでいて笑いの取れる不思議な人物である。

■探偵ナイトスクープ
依頼のVTR放映の際に、チョイ役(リングの貞子役・幽霊役・ヘタレの空手家役)出演する事がある。


【エピソード】
■子供の頃の生活は貧しく、過度の空腹により金魚に手を出したり、真冬に隙間風だらけの家で遭難しかけたりしたなどという逸話も残っている。更に近年の生活もやはり貧しく、3〜4週間何も食べていなくて死に掛けていた時、ベランダの窓を開けると、自分がエサを与えていた鳩が巣を作って卵を産んでいたので、たまらずその卵を食べて餓死から逃れた(「横丁」での本人の発言や、「ナンバ壱番館」の貧乏芸人特集より)。

■先輩が後輩におごってもらうことは、本来であれば恥ずべき行為である。しかしオクレは、村上ショージなど後輩に対しても容赦なくたかる。

■深さ約30cmしかない川で、溺れかけたことがある。

■一時期、南海電鉄高野線の車掌をしていると言う噂があった。

■私服でのテレビ出演は本人の中ではNGで「ごきげん!ブランニュ」出演時もロケの出演時間が数分しかないのに衣装をスタッフに用意させた。

(出典:Wikipedia)

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明石家さんま(続き)

【ひょうきん族】
■1981年にビートたけしや島田紳助などとともにフジテレビ系のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演。これを期に全国規模の人気者となる。

■人気の火種となったコーナー「THE タケちゃんマン」の敵役・ブラックデビルは、当初は高田純次が務めていたが、第2回収録前に高田がおたふく風邪で入院し、代役として急遽さんまが抜擢され好評を得、それ以後レギュラーを勝ち取ってしまった。

■出演当初は、春風亭小朝と即席漫才コンビを組んで出演したこともある。

■1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故では、事故機に搭乗予定だったが、搭乗を1便早めたために事故に巻き込まれなかった。当時東京〜大阪間の移動にいつも使っていたのが同便で、事故当日は『オレたちひょうきん族』の収録が中止となったために1本早い便に搭乗。その日は月曜日で、ラジオのレギュラー番組『MBSヤングタウン』の生放送があった。番組は殆どが事故の報道となっていたが、途中でさんまが登場し、事故の報道以外は音楽を流すことをリスナーに告げ「もう今日はしゃあないやろ」とぼやき、その後はずっと音楽が流されていた。これ以降ショックでしばらく仕事が手につかず、これ以後移動手段を新幹線に変更した。また、このような苦い経験があったにもかかわらず、後に日本航空の「JAL飛びサスケ」のCMに出演したことについては各方面で賛否両論の声があがった。

■『ひょうきん族』時代、「パーデンネン」のメイクをしていたさんまは、派手な服装やヘアスタイルで有名だった芳村真理から「さんまちゃん、派手ねー」と言われたことがある。芳村は当時フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会をしており、1985年に同番組の放送曜日が変更となってから、収録日が『ひょうきん族』と同じ水曜日になっていた。さんまは未だにこのエピソードが強烈に記憶に残っており、『夜ヒット』或いは芳村真理と言えば真っ先にこのエピソードを紹介することが多い。また、芳村の代名詞ともなっていた「どおもー」という挨拶であるが、実際にはさんまが『ひょうきん族』などで芳村の物真似をしていた中で「どうもー」を連発していたことから、芳村=「どおもー」のイメージが定着してしまった(芳村が「どおもー」を言ったことは少ない)。

■私生活で女性の出入りが激しいことが語り伝えられ、本人もそれを否定せず「日本一の最低男」と開き直り「笑っていいとも」の出演コーナー名にもなった。女性関係の詳細を知る島田紳助が『ひょうきん族』のコント劇の中で、さんまの住むマンションの前でさんまの帰りを待つ女性を演じ、さんま及び付き合っている女性しか知り得ないような内輪ネタを披露するというシリーズがあった。さんまに冷たくあしらわれた女性(紳助)がぽつりと漏らす「寒い…」という台詞も定番ギャグとなった。

■1987年、『笑っていいとも!』のトークコーナーで、吉永小百合のファンであるタモリをいじるため、楽曲中に「鹿のふん」という吉永らしからぬ歌詞が出て来る「奈良の春日野」を発掘・放送、大きな話題を集めた。レコードは吉永の許諾の元再発売され、フライデー襲撃事件でたけし不在となっていた『ひょうきん族』でもこの曲を流用。そこではさんまが着ぐるみを着て踊っていた。

■「ひょうきんニュース」のコーナーに出演する時は、本名の「杉本高文」を名乗っていた。

■数々演じてきたキャラクターの中で「パーデンネン」だけは恥ずかしかったと語る。逆に一番好きだったキャラクターは「ブラックデビル」。一方、ビートたけしがさんまのキャラで一番好きだったのは、わずか3週で消えた「サラリーマン」である。カルチャークラブのボーイ・ジョージにパーデンネンの格好を見られたとき"You crazy"と言われた。

■番組終了後、フジテレビの美術スタッフから歴代キャラクターのフィギュアを贈られ、宝物にしている。

■「ひょうきんベストテン」の初代司会者である。


【競馬】
■競馬に詳しく、2003年・2004年のJRAのイメージキャラクターを務めた。時々番組内で競馬について語り、フジテレビの競馬番組「うまッチ!」内に「さんま馬主プロジェクト」なる企画が登場。手始めに「マイネル」の冠号で知られるラフィアン・ターフマンクラブの岡田繁幸が妻岡田美佐子名義で所有する競走馬に馬名を付けて欲しいとのことで「シャチョマンユウキ」と命名。喜劇映画の名作『社長漫遊記』にちなんでいるが、JRAの規定により9文字以下でなければならないため「ウ」が抜けた。また、後日他の牝馬にも「シアワセナンダッケ」と命名された。

■2004年の日本ダービーに岡田の妻、岡田美佐子が所有するコスモバルクで勝負し惨敗。コスモバルクの枠が5枠(黄色)だったため、黄色のスーツに黄色のネクタイを着用。表彰式では勝利したキングカメハメハの手綱を取った安藤勝己に対してトロフィー等のプレゼンターを勤めた。

■同郷の杉本清(大和高田市出身)とも親交があり、桜花賞、天皇賞(春・秋)、日本ダービー、宝塚記念、菊花賞、エリザベス女王杯、ジャパンカップ、有馬記念の前日には「サタうま!」で予想トークをする。また年末に「夢競馬」として1年間のGI振り返りトークする番組がある(両番組とも関西テレビ制作である)。


【その他のエピソード】
《子供時代》
■さんまの出身小学校には、小学生当時捕まえたももんがが展示されているらしい。また当時「ももんがを捕まえた少年」として話題になった。『明石家さんちゃんねる』(2007年3月7日、TBS)の若手芸人とのやり取りで話している。


《内弟子時代》
■1974年2月、県立奈良商業高校3年の時に2代目笑福亭松之助に弟子入り。下積み時代、兵庫県西宮市甲子園に住んでいた。当初は、「笑福亭さんま」という落語家だった。

■入門の動機は花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったから。初めて顔を合わせた際、「なんでワシのところに入門してきた?」と松之助に言われたさんまは「あんたにはセンスがある」と言った。さんまとしては素直な気持ちを伝えただけなのだが、不遜な発言である。だが、逆に松之助は「おおきに」と礼を言った。入門生活は、丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だったという。また、さんまが東京へ駆け落ちを理由にして飛び出し、その後破局して帰ってきたとき、松之助はさんまを破門にせず暖かく迎えたというエピソードがある。

■駆け落ちによる破門騒動(実際は破門などの事実は無いが、周りのタレントはそう呼んでいる)があり、松之助も「笑福亭の屋号やったら協会からの目も厳しいやろうから」と配慮。松之助の本名「明石徳三」から「明石家さんま」と命名され、「初代形態模写家元・明石家さんま」を襲名する。なお、「さんま」の理由は、明石家さんまによると、『目黒のさんま』かららしい。そして、芸に対しての厳しさを師匠から教わった。

■改名については落語の出来ない「笑福亭」はいかがなものか?と、松之助の兄弟子6代目笑福亭松鶴から問われ、それじゃ変えてやるわということで松之助が変えたと言う説もある(ABCテレビ「ナンバ壱番館」で松之助自身が語っていた)。また、4代目林家染丸の証言によれば、さんまは内弟子時代、真摯に落語に取り組んでいたようである。勉強会にも参加し、結構熱心だったという。(1979年には関西で最も古い落語会「「上方落語をきく会」」では一度だけ出演し「播州めぐり」を演じた。ちなみにこの日の出演者は3代目桂べかこ(現在の3代目桂南光、笑福亭鶴光、桂朝丸(現在の2代目桂ざこば、笑福亭鶴瓶、桂三枝、桂枝雀という豪華な出演人だった。))

■今いくよ・くるよの二人は当時のさんまについて「ものすごい凛々しい好青年やった。正座して師匠の着物整頓してて…」と話している。

■この時に春風亭小朝と出会っている。


《関西ローカル時代》
■1975年、『11PM』(日本テレビ系)でテレビデビューを果たす。「落語家の成人式」というテーマだったが、さんまは師匠・松之助の忠告により営業用の赤いブレザーを着用。また番組内で、女性漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里(現在の上沼恵美子)から、「SEXの四十八手以外に知っている技がある人は?」という質問に対し、「逆さ十文字落としです」と答えて技を説明した。スタジオは爆笑だったが司会の藤本義一から「テレビで言って良いことと悪いことがあるぐらい覚えておきなさい!」と叱責される。しかし、横山やすしには気に入られ、その後やすしの家に招待された(朝まで飲まされた上に、「ボートのエンジン音当てクイズ」なるものをやらされ散々だったとのことである。また、この放送を見ていた松之助は、この件を大いに絶賛している)。

■1976年に毎日放送(MBSテレビ)の人気番組『ヤングおー!おー!』に出演。「チャッピー」と名付けられ、司会の桂三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわす。番組内ユニット「ザ・パンダ」(先代林家小染・月亭八方・桂きん枝・桂文珍)を改編してさんまをメインにした「さんまアンド大阪スペシャル」(SOS)を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる(当時のキャッチフレーズ「おれは大阪のさんまや!」)。その後、プロ野球阪神タイガースの小林繁投手の投球フォームを形態模写して評判になり、関西を中心にアイドル的な人気を勝ち取る。そして、1980年より、10年余りにわたる同番組司会を卒業することとなった三枝からの指名によって後継司会者の座に付き、番組終了時まで2年9ヶ月にわたり晩期の同番組の大黒柱として活躍した。

■兄弟子に当たる五所の家小禄と漫才コンビを組んでいたことがある(その当時のVTRは現在もよみうりテレビに残されている)。

■駆け出しの頃は、よく同期の紳助と二人で遊園地などに営業に行っていた。この他、同期にはオール巨人、桂小枝らがいる。また中川一美(寿一実)と一緒に新喜劇の舞台で共演していた事がある。

■1979年、関西テレビで午後7時から放送された番組『誰がカバやねんロックンロールショー』の司会を担当。同名のバンドや、紳助・竜介らと共演し、関西の若者を中心に人気を呼んだ。

■1979年、シングル「Mr.アンダースロー」で歌手デビュー。大阪ガスのCM曲だったこのシングルは、オリコンの大阪チャートで1位を獲得した。キャッチコピーは「頼れるエースはアンダースロー」。「CMが放映されブレイクしていた時に、番組内で『燃料といえば?』と振られたので、あえて『練炭』と答え大爆笑を誘ったが、ガスのCMから降ろされてしまった」と本人はネタにしている。

■また、『花王名人劇場』(関西テレビ制作 フジテレビ系)の『裸の大将放浪記』で、和菓子屋ぎおん堂の番頭としてゲスト出演。芦屋雁之助演ずる山下清をいびりまくる演技で、注目を受ける。


《1980年代前半》
■20代の頃は、芸能人オールスター運動会で、田原俊彦など当時人気絶頂のアイドル相手に空気を読まずにリレーで先着したことがある。番組関係者からこってり怒られたとも言われる。

■1984年6月22日、『笑っていいとも!』に出演した作家の有吉佐和子が、「テレフォンショッキング」で42分間にわたるお喋りで番組をジャックした際、あまりのしゃべりの長さに有吉に食って掛かり大喧嘩の様相を呈した。その2ヵ月後の8月30日、有吉佐和子が急性心不全で死亡し、タモリが「あの時お前が喧嘩したから死んだんだ」といいともの本番でネタにしていた。


《1980年代後半》
■1985年、サザンオールスターズのアルバム『KAMAKURA』のテレビCMに出演した。その時のギャラはCDウォークマン(当時の価格としては5万円相当と推測される)だけだったという話を多くのレギュラー番組で吹聴したが、実際のところは判然としていない(桑田佳祐はサザンの20周年特番内で本当だったとコメントしている。ただし、桑田もこのテのギャグが大好きなので真偽は依然曖昧なままである)。

■1985年8月12日の日本航空123便墜落事故においては、もともと123便に搭乗予定だったが、1本前倒ししたため、難を逃れた。

■『夕やけニャンニャン』のとんねるずのタイマンテレフォンに飛び入り出演したことがある。

■1987年、ナムコがファミリーコンピュータ用ソフト『さんまの名探偵』を発売し、ヒットする。

■198X年XX月XX日、第X回東京国際映画祭においてタモリとともに司会者をつとめる。後日、その司会ぶりが「ふざけた司会者」「ソフィー・マルソーに知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で非難される。当時のレギュラーだった金曜日・笑っていいとも!でトークのネタにする。タモリといっしょに「始末か!オレたちは!」と叫び、挙手をしながら「私がやりました!」と言って笑いをとった。

■198X年XX月XX日、フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオ』にゲスト招待されたが、知っとるケのコント衣装のままで現れた。完全に失敗し、その当日出演のアイドル歌手・堀ちえみにも完全無視され、ゲストの外国人アーティストにも「アー・ユー・ア・シンガー?」と質問された。

■198X年XX月XX日、さんまのまんまにゲストで梓みちよが出た際、さんまが言った一言が梓の気に障ったようで、自分が飲んでいたシャンパンをさんまにかけた。それが週刊誌で騒がれ、後日お詫びとして梓から高いブレスレット(値段は不明)がさんまに送られてきたとさんま本人が語っている。


《1990年代前半》
■この頃には『オレたちひょうきん族』も終わり、またダウンタウンやウッチャンナンチャンなどの人気が急上昇してタレントとしては陰りが見え始めてきた。さんま自身も全国放送のゴールデンタイムのレギュラーがなくなったことで「さんま限界説」が業界内で囁かれたり、結婚によって守るものが出来たため、「このまま芸人を辞めてもいい」と思うようになっていた。それまで異性関係などがだらしない「日本一の最低男」として売っていたさんまが、「さんまのまんま」等で若手の俳優やタレントに人生訓を説教するような場面も見られるようになった。相手が若い女性タレントの場合は相手の欠点や間違いを事細かに指摘したあげく、最終的に泣かせてしまうことも多々あり、泣かされたタレント本人だけではなく視聴者にも嫌悪感を与えることが少なくなかった。しかし、1992年の離婚やバブル崩壊による借金などを契機に、守るものがなくなったさんまは仕事をこなすようになり、再び勢いを盛り返し始めた。そして『からくりTV』や『恋のから騒ぎ』といった人気番組を得るに至る。

■1993年12月、かねてから親交の深かった逸見政孝がガンで死去した際「逸見さんがテレビでガンを告白した時、『この人はもう帰ってこれないだろうな』と正直思いました。正直ね…」と、無念の表情で語った。

■この頃、東西の芸人(芸能人・タレントよりも狭義)でのゴルフコンペ「素人名人会」が行われており、さんまも常連参加者であった。ある回で第1打を打とうとしたところ、自慢のドライバーのヘッドがなぜか折れていて、シャフトだけを振りかぶっていた(同組の上岡龍太郎から「さんまくん、今日は釣りか」とつっこまれて気がつく)。錚々たるメンバーの揃った会でありながら、その中でも最も目立つことをしてしまい、参加メンバーの番組で軒並み語られることになる。

■卓球の福原愛が幼少時、『明石家さんまのスポーツするぞ!大放送』に出演した時、さんまとの試合で敗北した際、福原が失敗するとさんまは大人気ない行為を行ったり、自分が成功すると大はしゃぎで喜んでいた為、番組中に泣かせたことがある。福原の主張によればこれはさんまがルール違反のサーブをした為で、それを今でも認めないさんまとは対立関係が続いている。アテネ五輪直後、現地で福原をゲストに呼んだ時は「日テレさん、福原愛を殴ってもいいですか?」と問題発言し、司会の柴田倫世アナらを慌てさせた。帰国後、別のアテネ特集番組で福原が台風で番組にこれなかった時、司会のさんまは「よかった〜」「あの子、私に対してなんか反抗期なんですよ〜」と胸を撫で下ろしていた。なお、福原は好きなTV番組によく『からくりTV』をあげる。

■1995年のフジテレビ正月特番「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」で研ナオコと白組キャプテンをつとめた際、紅組の斉藤ルミ子がシンディ・ローパーのまねをしたところ、本人が登場し、足を触ってもらってご満悦だったところ、シンディ・ローパー本人が肩を抱き、あげくに持ち上げるパフォーマンスを行った。なお、同じく紅組の城之内早苗が小林幸子のものまねをする前のトークで、「セットじゃ足りないから、今度はきっと東京タワーを背負う」「その次はNHKホールを背負う」などと盛り上がったのはいいが、本人が登場し、研ナオコともども、土下座して謝った。


《1990年代後半》
■1995年の夏、さんま主催の特番『明石家さんまのスポーツするぞ!大放送』で「オールスターフリースロー選手権」を開催。さんまの「俺はフリースロー、負けないぞ!」という発言が、翌年フリースロー全国大会を実現させる引き金となった。

■1995年の秋、長年レギュラーだった『笑っていいとも!』を卒業。

■1996年、フジテレビの人気ドラマ番組『古畑任三郎』に出演、やり手の弁護士小清水潔を熱演する。当初は売れないロックシンガーの役の予定だったが、プロットを聞いたさんまは脚本家の三谷幸喜に対して法廷物をやることを提案する。自らも法廷物が好きな三谷は快諾し脚本を書くが、余りにもセリフが多くなりそれを覚えられないさんまに対し、主演の田村正和が撮影中に激怒したほどであったという。撮影後は「法廷物はもう嫌だ」と漏らしたといわれている。しかし「しゃべりすぎた男」は古畑ファンからの評価も非常に高く、「汚れた王将」「ゲームの達人」と並んで古畑シリーズの傑作のひとつに挙げられる。ちなみに後に同作に出演したイチローは田村正和からセリフを覚えきれたことに対し褒められている。またイチローも古畑シリーズで一番好きな作品は「しゃべりすぎた男」であるという。

■1997年12月11日、『いいとも』・テレフォンショッキングで、前妻の大竹しのぶが「お友達を紹介してほしい」と言われた際、「友達じゃなくてもいいですか」と前置きした上で離婚した元夫・さんまを紹介し、さんまからも「友達ちゃうやろ!」と指摘され苦笑しつつ電話をする。これ以降、いいともでのさんまの出演はない。

■1999年、「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネス世界記録認定。


《2000年代前半》
●2000年
■7月7日、TBSのスーパーフライデー枠で、関西ローカルの『痛快!明石家電視台』が『明石家さんま生誕45年記念番組・大成功!明石家電視台』として一度だけ全国放送された。

●2001年
■『FNSオールスターズ27時間笑いの夢列島』では、当時放送していたバラエティー番組『明石家マンション物語』で演じていた「横山3兄弟」というキャラクターに扮して、27時間テレビ内のコーナー「クイズ$ミリオネア」に出演し9問連続正解するも100万円の問題(10問目)で不正解となる。また、解答中にライフラインとして前妻である大竹しのぶに生電話をするという離れ業を使う(翌年も「さんま・中居の今夜も眠れない」で大竹しのぶに生電話。子供の二千翔やいまるの声も電波に乗った)。

■『すぽると!』(フジテレビ系)が『感動ファクトリー・すぽると!』だった時代、「工場長」をつとめており、土曜日の放送に不定期に作業服姿で出演していた。

●2002年
■阪神タイガース監督に親交のある星野仙一が就任した際「優勝したらパレードに参加して土下座します」と明言したが、その翌年の2003年に優勝。読売ジャイアンツファンであるさんまだが、約束通り11月3日のパレードに参加する予定だった。ところが星野監督が辞意を表明していたため、「自分がおふざけで行くわけにはいかない」と参加を辞退した(春のキャンプを訪れた際に星野からさんま用ユニフォームが用意されていたが、ユニフォーム背番号は800番であった。星野監督が選んだもので、理由は「嘘八百」から来ている)。またこの当日、さんま司会の優勝特別番組が朝日放送系列で全国放送され、星野監督他、主力選手達がゲスト出演した(この特番の関西地区での視聴率は33.4%と非常に高かった)。

■ドラマ『空から降る一億の星』でダブル主演を務めた木村拓哉と交友を深めたのがキッカケで、2003年1月3日に放送された『さんタク』をすることになったと言われている。2003年以降、毎年、お正月に放送されており、2005年には、ついに元日に放送された。この『さんタク』を始めたことにより、SMAPの中居正広『さんま・中居の今夜も眠れない』と木村拓哉『さんタク』それぞれと番組を持ったことになる。

■2002 FIFAワールドカップの準決勝、韓国対ドイツ戦の中継が日本テレビ系列にて放送された際、韓国への渡航を拒否し、ドイツ代表のユニフォームを着用して、日本のスタジオで司会進行を務めた。

●2004年
■『さんまのSUPERからくりTV』で打倒・松岡修造を目標に「からくりテニス同好会」を結成するが、メンバーの上達の遅さに苦労した。初対戦となった2003年末SPでは最後はお見合い状態で敗れ雪辱を架けて挑んだリベンジ戦の第2戦(舞台は有明コロシアム)でも最後は浅田美代子のフォルトで敗れ、返り討ちにあってしまった。

■2004年3月26日放送の『さんまのまんま』にやしきたかじんと共演(1990年代にも一度やしきたかじんは同番組に出演していた。また、1995年1月15日にはさんまも『たかじん・ナオコのシャベタリーノ』にゲスト出演した)。この時は、たかじんの司会におけるスタイル(パネル芸など)に対して、駄目出しを連発した。

■韓国ドラマ『冬のソナタ』の主演俳優であるペ・ヨンジュンが「ヨン様」と呼ばれて大人気となったことを受け、彼の髪型に似せたかつらを被り微笑を見せ、自らを「サン様」と称して笑いを取ることもある。

■この「サン様」は、日本テレビ系『恋のから騒ぎ』の「さんま 愛の説教部屋」のコーナーで、「ヨン様」のコスプレをしたことがきっかけで誕生。また2004年7月24日〜25日に放送されたフジテレビ系『FNS27時間テレビ』内で、SMAPの中居正広と共演した『さんま・中居の今夜は眠れない』の中では、ヨン様についての話題になった際、ヨン様スマイルの真似をして自ら「似てる!」「俺の差し歯とヨン様の差し歯は同じメーカーや!」などと豪語、笑いを誘った。さらに、フジテレビ系『さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中inドイツ』でもオーケストラの演奏を聴くシーンで登場。

■この年の「彦八まつり」にこの年の実行委員長・笑福亭鶴瓶の要請に応える形で出演。混乱を避けるため、出演日は公表されなかった。当日落語を披露するという情報も手伝って、来場者が2日間で例年の2倍である10万人を超え、過去最多記録を更新した。(着物姿で「大喜利ガバチョ!」に出演したものの、落語は口演しなかった)

●2005年
■50歳の誕生日に「明石家さんまつり」を生放送する。

■2005年には、「もっこりもこみち」(『恋のから騒ぎ』でから騒ぎメンバーが使っていた)等のフレーズを番組出演中に連呼していた。

■フジテレビ系列の25時間テレビ(2005年『FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!』)の一コーナー「さんま・中居の今夜も眠れない」で紳助と久々の共演を果たし、お互いの過去の恋愛話を暴露し合った。


《2000年代後半》
●2006年
■『さんま・福澤のホンマでっか!?ニュースSP!』(2006年9月15日放送)で、前回(同年4月28日放送)の罰ゲームで安倍晋三(2006年4月の時点では官房長官)を焼肉店へ連れて行くという約束をし、日付まで決まっていたが、その日に北朝鮮がテポドンを発射したためそれどころではなくなってしまったというエピソードを披露した。また、番組冒頭で青いハンカチで汗を拭き、東野幸治に、ハンカチ王子にかけてお笑い王子と異名を付けられた。

■所萬遊記で、所ジョージがさんまがかねてから熱望していた「コカ・コーラ」のCM出演について語り、本人は「スカッと爽やかな」イメージをしていたが、実際のCMは「コッカ・コ〜ラを飲も〜うよ」とお笑いテイストたっぷりであったことにショックを受けていたというエピソードを披露した。

■さんまのマンションに細木数子が来た。インターホンの画面いっばいに映った細木を見て一体何を言いに来たのかびっくりしたが、さんまに会いに来たのではなく、同マンション内の日本舞踊教室の部屋と間違えていただけだった。

■石原真理子著『ふぞろいな秘密』で過去に男女関係にあったことを暴露され、後に『明石家さんちゃんねる』内で「むなしい。ああいうことをしちゃいけない」と感想を述べるが、12月20日に『ごきげんよう』でゲストとして登場した時には早速トークのネタにし、改めて暴露された事柄について否定及び批判をした。本人は二人の関係を暴露された事よりも「ベッドの中ではいたって普通でした」との記述に腹が立っていた。

●2007年
■6月1日放送の「さんまのまんま」で後輩であるダウンタウン・松本人志と10年振りに共演。長年ささやかれていた不仲説に終止符が打たれた。

(出典:Wikipedia)

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明石家さんま

明石家 さんま(あかしや さんま、1955年7月1日 - )は、日本のお笑いタレント・俳優・司会者である。本名、杉本 高文(すぎもと たかふみ)。タモリ、ビートたけしとさんまの3人を日本のお笑い芸人BIG3と称することがある。


【プロフィール】
■和歌山県東牟婁郡古座町(現在の串本町)で生まれ、奈良県奈良市で育つ。

■奈良県立奈良商業高等学校卒業。

■吉本興業所属。

■師匠は落語家の笑福亭松之助。なお明石家の「明石」とは、松之助の本名からきている(後述)。

■趣味はゴルフ・テレビでスポーツ観戦・ギャンブル(パチンコや競馬)・テニス。

■血液型はB型。公称身長172cm。


【芸名】
■「さんま」の芸名は、実家が水産加工業を営んでいたことから命名。「明石家」は師匠笑福亭松之助の本名「明石徳三」からもらい受けたもので、松之助門下の多くが「明石家」を名乗っていた。明石「屋」さんまは誤字。なお弟子入り当初は「笑福亭さんま」であった。ちなみに当時杉本高文と同じく弟子入りしていた長谷川公彦が、師匠の島田洋乃介・今喜多代(現・今日喜多代)に「島田紳助」と芸名を決められた時、杉本は「その名前じゃ絶対売れない」とからかい、長谷川も落ち込む。が、そのすぐあとに杉本が「さんま」という芸名を貰った話を聞いて「こいつ(芸能人として)終わったな」と逆に長谷川に大笑いされたというエピソードもあるが、現在この2名ともにお笑い芸人の大御所として活躍している。

■愛称は「さんちゃん」(所ジョージなどが使用し、かつては桂三枝の愛称でもあった)、「さんちゃま」また、中堅〜若手芸人からは「さんまさん」(ナインティナインなど)「さんま兄さん」(今田耕司など)と呼ばれている。また、所ジョージは「明石家さん」と呼ぶこともある。萩本欽一の「大将」、ビートたけしの「殿」に対する形で「若」という呼称もある(主にジミー大西などが使用)。近年はBIG3であることや長年に渡って、お笑い界で活躍したことから若手のお笑い芸人から「師匠」と呼ばれることが増えている。但し、正式な弟子は存在しない。松尾伴内は出会った当初から師匠と呼んでいる。伴内は「出会った時から風格がありました」と話している。さんまは「そんなに年は離れてないんだけど」と話している。

■自分のお笑いのためなら他人のオチを吸収してさらに面白くすることから「お笑い怪獣」という尊称で呼ばれており、これは田中直樹(ココリコ)が付けたとされているが、岡村隆史(ナインティナイン)か極楽とんぼが付けたとの説もある。

■過去に「西の郷ひろみ」と呼ばれていた」と笑わせるが、ごく一部の地域以外ではさんまは無名の存在であった。知名度が上昇するのは1980年代になってからである。

■同じくBIG3であるタモリ、ビートたけしからは「お前」「あんた」「さんちゃん」「さんまちゃん」と呼ばれ(たけしは「明石家」と呼ぶ事も)、さんまはタモリやビートたけしを基本的にはさん付けで呼ぶが、突っ込む時には、年上にも関わらず「ビート」(もしくは「たけ」、「たけし」)と呼び捨てにしたり「あんた」「お前」と呼ぶ場合もある。

■村上ショージはさんまが暴走した時などに「先生」と呼びなだめる場合がある。


【芸風など】
■デビュー当初は当時人気だった阪神の小林繁投手の形態模写や漫談が主であった。

■現在では司会業が中心で、番組などでのゲストや観客との会話は爆笑を持って迎えられる。レギュラー番組は多数で、中には二十年以上続く番組もあり、人気は絶大。聞き手に回りながらも、相手の何気ない一言を即席の持ちネタにし、話の節目やオチで効果的に連呼し使用する特徴がある。大袈裟な身振り手振り、外見、声、全てを含めて「明石家さんま」として完成した、ピン芸人の一つの頂点と言える。

■俳優から引き出したトークを笑いのネタに変えてしまうその高い技術によって、永くバラエティ番組に対し消極的であった多くの俳優を呼び込み、今まで自身の失敗に対し口を開くことの無かった俳優達がこぞって自身の失敗談を語るようになったのは、さんまの功績であるといわれる。また、人の埋もれたキャラクターや個性を見抜き、引き出すことに長けており、中村玉緒や中尾彬等、今ではバラエティーに引っ張りだこの芸能人を多数発掘している。

■どんな相手とでもトークを成立させる頭の速さを持つ反面、師匠の松之助と同様、芸と仕事には厳しく、気の合わない相手に対しては放送中でも陰湿に攻撃する(いじり倒す)場面も見られる。

■ギャグを持っている若手芸人に対してはフリからギャグ、という流れを重要視して接するが、若手がそのフリに対応できなかったりした場合は不機嫌になる。これはさんまが笑いの手法の一つである「スカシ」を嫌っているためだと思われる。かつて『笑っていいとも!』で共演した松本人志(ダウンタウン)にもその場で出たギャグをやらせようと振ったが、無視されてしまったため激怒したことがある。

■前述の通り、性格は短気。トークのテンポに関してはこだわりを持っており、相手が素人であってもテンポを崩されると激怒する(番組中、ゲストに質問した際に相手が考え込んでしまうと、大抵は怒る。例え嘘や適当な答えでも話が広がりさえすればそれでいいので、とにかくパッと早く答えて欲しいと思っている)。そのためフォローも出来なくなることがあり、島田紳助と比較されることがよくある。

■いわゆる「出っ歯」(前歯が一般的な位置より少し前に出ていること)の代表的人物として有名で、原口あきまさがさんまの物真似をする場合、歯に出っ歯に見える飾りをつける。一時期その顔つきを自ら「新幹線『のぞみ』(新幹線300系電車)に似ている」と表現したことがある。

■かん高い笑い声とドナルドダックの様な「クワーッ(もしくは「クエーッ」)」という引き笑いが特徴。音声学的見地からいえば、アホウドリの鳴き声と同じであると言われる(従兄弟弟子にあたる嘉門達夫は「引き笑い鳥」と名づけている)。普段の話し声は実年齢を遥かに上回る声と分析をされたがこの笑い声だけは30代の声と解析された。

■ゴールデンタイムでは不適切とされてきた「SEX」という言葉を「エッチ」と言い換えることで、10代の未婚女性などでも発言可能にした。「バツイチ」なども同様。婚前交渉、婚外交渉、離婚といった従来なら表だって語りづらかった事項から、後ろ暗さを大幅に払拭した。芸人に飲む打つ買うの「遊び」は付き物とはいえ、本業の場でさんまほどそれを明確に語った者は少ない。言語面だけではなく、文化・風俗・習俗の面に関しても、テレビ界、ひいては日本の社会全体に多大な影響を与えてきた。

■いわゆるテレビっ子である。自分が出演した番組をビデオ録画し、自宅に帰ってそれを見ては大笑いし、または反省する(ただし自己否定的な評価は余りしない)。後輩をわざわざ家に呼んで自分の番組のビデオを見せ、「おい見たか今のオレの間!」といちいち巻き戻し、勉強させる事も。また家にいる時間はほとんどテレビを見ており、睡眠時間を極度に削って、ゴールデンから深夜番組まで何でも見ているため、他の大御所芸人とは違い、若手芸人のネタなどを何でも知っており、中堅芸人(ナインティナイン・くりぃむしちゅーなど)でさえも気を抜けないという。またさんまは、その当時流行している言葉等を自分で真似る、もしくは連呼することが多い。波田陽区をテレビで観たさんまが、「残念!」などの決め台詞を真似し、そのことが波田のブレイクに大きく影響を与えたとも言われる。

■前述した通り、睡眠時間が極度に少ない。雨上がり決死隊・宮迫博之曰く、「仕事で3日間一緒やったけど、多分あの人はあの3日間一睡もしていない。行きの飛行機の時間が早くあまり寝てなかったので機内で寝ようとしたら、『寝たらあかんで、宮迫』と起こされた。また、初日の収録が終わり、次の日の入り時間が早朝だったにも関わらず深夜まで一緒に飲み、次の日フラフラになって収録現場に行ったら、「ヨッ、宮迫」と、何事も無かったかのように元気なさんまさんがいた。こんなことが3日間続きながらも収録が終わって、ダウン寸前で家に帰ってテレビをつけたら、さんまさんが生放送の番組に出演していた」。またタモリ曰く、さんまは寝付くのは異常に早く、ずっとしゃべり続けた後「じゃあ寝まっか」と言った次の瞬間には寝ていた。それでも、『痛快!明石家電視台』(毎日放送)収録後の新幹線では寝てしまうこともある。すぐ後ろに座っていた宮迫博之が「あ、さんまさん寝てる」と思った次の瞬間、パッと起き上がって振り返り、宮迫に「(俺が寝てたこと)絶対言うなよ」と言った。すぐ寝られるのと同様、起きた瞬間からもう陽気であるという。

■大のスポーツ好きであり、運動神経抜群と自ら豪語する。高校時代はサッカー部に所属(県大会決勝まで勝ち進んだ経験あり)。1980年代には「ザ・ミイラ」という芸能人サッカーチームのエースストライカーとして活躍した(このチームには木梨憲武や島崎俊郎、植草克秀なども所属)。観るのも大好きで、夜通しCSのスポーツ専門チャンネルを良く見る。そのためオリンピックやサッカーFIFAワールドカップの特別番組で数回キャスターを務めたことがあり、番組中のトークでも分かるとおり他のタレントと違いスポーツに対する造詣が深いことが伺われる。

■バツイチ(この言葉自体明石家さんま離婚会見後に急速に浸透し、現在は一般語になっている。広辞苑にも載っている)であり、それに関することをトークでよく述べていることから、それを売りにしているということがわかる。またさんまが再婚したら、出演している『恋のから騒ぎ』(日本テレビ)、『さんま・中居の今夜も眠れない』(FNSの日・フジテレビ)は終了する予定である(フジの方は相方である中居が結婚した場合も終了となる)。

■若手芸人に対する「ダメ出し」も有名で、ナインティナインの岡村隆史が自身のラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』の中で、電話でさんまにダメ出しや採点(点数付け)をされたエピソードを語っている。「自分が出演した番組のビデオを見るのが大好き」という趣味も含め、さんまの芸に対する真摯な一面が垣間見えるエピソードである。くりぃむしちゅーや雨上がり決死隊も『痛快!明石家電視台』収録前によくダメ出しされているのか、「テンションが下がるからやめて欲しいです」と言っていた。その雨上がり決死隊の宮迫博之がさんま邸を訪れたところ、さんまはなんと『さんまのまんま』のハッピを身に着けていたと言われる。

■一部の番組では自ら企画構成も行っている。その時の名義は本名の「杉本高文」となっている。

■『さんまのまんま』に若手女性タレントや若手女優が出演すると、泣かしてしまうことが多い。酒井法子、山瀬まみ、羽野晶紀、西田ひかるなどが泣かされた。また、別番組の『さんまのSUPERからくりTV』では小倉優子が泣かされた。特に山瀬は習字を披露したが、下手くそ振りに、激怒してしまった。放送中に泣かしたタレントのマネージャーから謝罪を突きつけられることが多かったが、師匠の松之助と同様、芸と仕事には厳しく「現場は戦場や!」と断言するさんまは拒否し、「泣くぐらいやったら俺の番組に出んなよ!」と言い負かしたこともあるらしい。それ程、すぐ泣く芸能人に対しては厳しい一面があるが、あとで楽屋に謝罪に行くなどフォローも怠らない。尚、この時に山瀬が発した「だって二段だもん」という言葉は、その後しばらくさんま及び山瀬本人がギャグとして使っていたが、書道には公的な機関或いは相応の権威を有する機関が認定している「段位」は存在しない。通常、児童等が書道塾等で授与される段位は塾の経営者や講師或いはその系列の機関が独自の基準で発行しているものであり、客観的に認められる実力を保証するものではない。さらに別の番組で「二段を取ったのは小学生の時」と発言。一般的に小学生時代に取得した段位は、プロフィールや履歴書では書いてはいけないことになっている。山瀬が二段という割に、実力が伴っていないのはこのためである。

■関西ローカルで『痛快!明石家電視台』、『ヤングタウン土曜日』の2本の番組があるが、これは「大阪の番組という初心を忘れないため」だと言われている。島田紳助が『クイズ!紳助くん』を置いているのと同様の理由である(ただし東京を主にしているので余程のことがない限り大阪では仕事をしない。レギュラーの2番組のうち実際に大阪で収録しているのは前者のみである)。

■年末から翌年のお正月にかけてオーストラリアに滞在するためクリスマス明けからお正月の生放送番組には出演せず、年末の仕事終わりは『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』となる。その代わりクリスマスの特番には多く出演している。

■番組制作スタッフとの確執からか、1985年以降テレビ東京制作番組、1995年以降テレビ朝日制作番組には一切出演していない。テレビ朝日に関しては、司会を務めていた『さんまのナンでもダービー』が打ち切られたという背景がある(その後は『ま、いっか。』、『ミュージックステーション』などにゲスト出演した)。ただし、テレ朝系でも朝日放送(ABC)制作番組には現在でも出演している。テレビ東京では司会を務めていた深夜番組『サタデーナイトショー』が高視聴率にも関わらず打ち切られた背景がある(理由はお色気番組が視聴率トップでは体裁が悪いという上層部からの指摘だった)。NHKの出演もほとんどない(1999年のNHK大河ドラマ『元禄繚乱』に出演した)。1980年代後半は東京のテレビ局に関して言えばフジテレビにしかレギュラー出演しなかったりと、テレビ出演には特定の局に偏る傾向がある。三宅恵介、加茂裕治(共にフジテレビ)、吉川圭三、菅賢治、小川通仁(共に日本テレビ)ら親密なディレクター・プロデューサーらと二人三脚で番組作りをすることが多い。オフィスぼくら社長である岩立良作や藤沢めぐみ、大岩賞介などの構成作家がさんまの主なブレーンとなっている。

■同じ世代ということで親交のある中村勘九郎(現・中村勘三郎)の依頼もあり、NHK大河ドラマ『元禄繚乱』にゲスト出演する(遊郭の主人役)。その際、遊興にふける勘九郎扮する大石内蔵助に「嫁ハンには気を付けや」とアドリブを入れる(内蔵助の妻、りく役はさんまの元妻・大竹しのぶ)が、オンエアではカットされていた。

■番組出演時に自らの理想の女性についてよく語る。その理想の女性とは『うる星やつら』のラムと『タッチ』の浅倉南である。さんまはかわいくて一途(ラム)で清楚かつ優しい(南)女性が理想であると言われる。ラムを好きな理由は、「浮気をしても電撃だけで許してくれるから」だと言っている。歌のうまい共演者に「ラムのラブソング」を歌わせることがある(「あんまりそわそわしないで……」のフレーズが好きと言っている。例:加藤たか子-G1グルーパー、木村拓哉-さんタクなど)。最近ではメグ・ライアンが理想の女性と言っている。

■薬師丸ひろ子、石原真理絵、内田有紀、米倉涼子など、時代の変遷とともに好みの女性が変わる。最近の若手新人アイドルでは上戸彩、長澤まさみ、大塚愛の3人が好みともよく発言している(上戸が『恋のから騒ぎ』出演時、発言。後に『さんまのまんま』に、大塚が出演したときも発言している)。

■年齢が30歳を越えた女優なら「大女優」じゃなくても「大女優」と呼び持ち上げることもある。

■萌える設定として、しばしば「白いセーターを膝にすっぽり被せて体育座りをし、『知んないよ…。いなくなっても知んないよ……』と呟く女性を後ろから抱き締める」というものを挙げている。

■東西のお笑い芸人達が仕事抜きで開催するゴルフコンペにおいて、自分以外の者が優勝しても「真の優勝者はオレや」と豪語する。その理由も「(○番ホールでの)球筋がよかった」だの、「(○番ホールでの)スイングのキレがよかった」だのとピンポイントでの調子よさを強調する。

■山下達郎、竹内まりや、サザンオールスターズ、松任谷由実などの話になると「歌が歌えるって得やなぁ」と言う事がある。


【評価】
■NHKが1975年から2003年にかけて毎年実施していた好きなタレント調査では、1985年に男性1位に選ばれてからは、2003年に調査終了するまでの19回のうち通算12回で男性1位を獲得、それ以外は全て男性2位となっている。明石家さんまが、この期間に日本で最も人気のある芸能人であったことを示している。

■ビートたけしが著書『コマネチ!』の中で「こいつには負けた、と思った数少ない中の1人」とさんまのことを評した。

■島田紳助が初めてさんまを見たときの印象は「24時間明るい」「こんな華のある奴は見たことない」。そして「俺と肩を張れる奴はこいつしかおらん」「自分がもし負けるとしたらさんまとオール巨人だけ」と当時を振り返っている(さんま、紳助、巨人の3人はみな吉本同期である)。

■紳助から「コンビ組まないか」と誘われたが、「別れがイヤだから」と断っている。そして自分のかわりとして紳助に紹介したのが松本竜介であり、その結果紳助・竜介が誕生することになる。

■さんまの落語については、島田紳助は自身の番組で「(一度見たことがあるが)つまらなかった」と語り、春風亭小朝は「あれだけの話術を持ってる人なのに、驚くぐらい面白くない」と評していた。小朝とは『THE MANZAI』で漫才をしたことがある。生前の古今亭志ん朝にも「どこが面白いのかさっぱり分からない」と真顔で評価され、これにはさんまも返す言葉がなかったとか。ただし「枕は面白い噺家」との評価がある。従兄弟子の笑福亭鶴瓶は過去出演のラジオで、枕のみオンエアした。

■芸人だけを集めて台本なしで番組を作った場合、MCとして主導権を握れるのはさんまと紳助であると言われている。上岡龍太郎は「素人相手にしゃべったらさんま、芸能人相手なら紳助」と評している。

■戦前から戦後にかけてお笑い界トップスターとして活躍した柳家金語楼と、現在のさんまの共通点を指摘する論者は、お笑い評論家・西条昇を始めとして少なくない。

@どちらも落語家を出発点とし、落語家の枠を超えたスーパースターになった。金語楼は大正末に『兵隊落語』で一世を風靡、その後は映画や軽演劇にも進出した後、1942年に落語家の鑑札を返上、喜劇俳優に専念する。戦後は『おトラさん』『ジェスチャー』などでテレビタレントとして人気を博した。さんまは笑福亭松之助門下の落語家として出発するが、現在はテレビタレント・司会者・俳優として大活躍である。

Aどちらも吉本興業のトップスターである。現在のさんまが吉本のトップスターであり、その年収もトップクラスであることは言うまでも無いが、実は金語楼も戦前は東京吉本に所属しており、横山エンタツ・花菱アチャコ・柳家三亀松・川田義雄と共に吉本の五大スターと称されていた。そして戦前の吉本で最も高給を取っていたのが金語楼であった。

Bどちらもお笑い界ビッグ3の1人。金語楼は喜劇俳優の榎本健一・古川ロッパと共にビッグ3と言われた。さんまもビートたけし・タモリと共にビック3と称される。

Cどちらも息の長い芸人である。金語楼は大正末の『兵隊落語』以降、長い人気を博し、戦後は失速していった榎本健一・古川ロッパを尻目にテレビ時代の波にも乗り、晩年まで第一線で活躍した。さんまも1981年の『オレたちひょうきん族』で全国規模の人気者になって以来、現在の若手お笑いブームもものともせず、長期に亘ってお笑い界トップの座に君臨し続けている。


【家族】
■幼少時に実母と死別している。また、1983年に弟が火事で焼死し、実父は2006年2月4日に死去。この亡き父親は、グラビアアイドル山本梓の父親と姻戚関係にある。ちなみに弟の焼死の際には家業(上記参照)とのからみで、関西のスポーツ紙見出しは「さんま丸焼け」と書かれていた(近年さんまもテレビでこの話題をすることがある)。祖父・乙一は晩年痴呆が進み、喋るポットに話しかけたり、家に貼ってあるさんまのポスターに「高文、何をそんな所からのぞいてんねん」と怒ったりしたという。

■1988年9月、女優の大竹しのぶと結婚、長女・いまるが誕生するが、1992年9月に離婚。その後は独身を続けている。

■前妻の大竹とは離婚した今も仲がいい。よく大竹とその母、子供などと旅行など遊びに行ったり、大竹の家を訪ねたりしているらしい。テレビの番組において、さんまがしのぶの話をネタとして使い、しのぶからおっとりと突込みが入るパターンは定番となっている。しのぶは、家族の名前が数字の語呂合わせになる(いまるの「い」で1、二千翔の「に」が2、さんまの「さん」が3、しのぶの「し」が4)ことから「今は3がいない」とネタにしたこともある。しかし、復縁は双方とも否定している。このように、さほど仲が悪いように見えないにも関わらず離婚し、その後さんまのトークに離婚関連のネタがおもしろおかしく語られることから、一部の芸人の間では「あれは(トークネタを作るための)偽装離婚だったのではないか」という説が流れたらしい。

■子供には「お父さん」と呼ばせず「ボス」と呼ばせている。本人はその理由を、常々自分という人間は父親という器ではなく、昔から「ボス」と呼ばせるのが夢だったと語っているが、実際のところは大竹と前夫(演出家の故・服部晴治)との息子である二千翔(にちか)がいるからと言われている。彼とさんまは非常に仲が良く、当初大竹と結婚した際、人見知りが激しく誰にも懐かなかった二千翔がさんまには懐いたという。大竹との間にいまるが生まれた後も、帰宅した際はまず二千翔とスキンシップをとり、その後いまるの元へ行ったというほど分け隔てなく愛情を注いだ。そのため離婚の際も、二千翔は「ボスの方に行く」と言い張ったという。その関係は現在も良好で、自身のラジオ番組等では、娘と同様よく話題に上る。

■座右の銘は「生きてるだけで丸もうけ」であり、さんま曰く、長女の名前も座右の銘から「いまる」と名付けたとしているが、大竹は「今を生きる」から名付けたと言っている。しかし、名前が公表されている(特にさんまが『痛快!明石家電視台』のオープニングトークで言っている)にもかかわらず顔出ししたことが一切無い(2006年、大竹が出版した自叙伝の中で二人の顔が初めて公開された)。『27時間テレビ』・今夜は眠れないのコーナーで、大竹や長男の二千翔(にちか)とともに電話出演が一度ある。

■2006年7月23日放送の『おしゃれイズム夏の60分SP』によると、現在のところ再婚する気満々らしい。あと、番組中にいまるが3歳の時に製作した父の日の初めてのプレゼントを宝物として紹介し、形が悪いなどと文句も述べていたが本人はかなり大事にとっていると言われる。

■その際、MCの上田晋也がギャグで上記のプレゼントに触れ、「これ、何すか?」「これは置いといて、他のさんまさんのご自慢品を紹介して下さいよ。」とさんまにふり、激怒されていた。


【私生活】
■石原真理子著の『ふぞろいな秘密』で本名を公表されるが『踊る!さんま御殿!!』では出演者が暴露されたことについての話をしている際、「おれなんか本にされたで!!」とネタにするなど深刻には受け取っていない。但し、「ベッドの中では、いたって普通でした」との表現については「早く訂正してもらいたい」と言う。

■以前はラジオ番組などで「合コンは嫌い、何が楽しいか分からない」と熱弁していたが、現在では合コン大王としても有名。ことあるごとに関根勤、渡辺正行(大魔王)、ガダルカナル・タカ、笑福亭笑瓶らと合コンをしている。芸能界の遊び王である津川雅彦、奥田瑛二とも合コン仲間である(合コンに関してのみ、村上ショージは参加しない)。

■最近の愛読書は漫画の『NANA-ナナ-』。特に主人公の小松奈々の大ファンだという。

■納豆が苦手。前妻大竹しのぶやその家族にも「納豆だけは自分の目の前で食べないでくれ」と言っていたと本人が語っている(離婚間際には目の前で食べられる)。

■愛娘の影響で近年はヒップホップ音楽を愛聴しており、(エミネムが特にお気に入り)時々腕を組んでラッパーの真似をすることがある。また、「子供の頃のビヨンセは『天使にラブ・ソングを…』に出ていた!」としばしば発言しているが、間違いで、おそらく『天使にラヴ・ソングを…2』に出演していた、若き日のローリン・ヒルと勘違いしている(2006年12月2日の『ヤングタウン』での「前略のコーナー」直前の発言からこの勘違いは修正されている様子)。

■よく番組内で共演者が「さんまさんは普段からあの調子でベラベラしゃべっている」と言うことがあるが、実際そのままであると言われ、『痛快!明石家電視台』の収録の為の新幹線内では、隣同士に座る共演者の松尾伴内と行き帰りの4時間以上、ずっとしゃべり続けており、宮迫博之(雨上がり決死隊)や上田晋也(くりぃむしちゅー)らから「他の乗客は疲れて寝たいサラリーマンの人達ばかりなのに、ずっと二人がしゃべり続けているから寝れなくて困っている」と言われている。喉への負担も大きく、寝起き時はかすれた声しか出ない。

■お笑い芸人の中には客を「笑わせてやっている」などと軽蔑する人も多い中、さんまは客を馬鹿にしないタイプである。ある番組で理由を「(つきあっている)女は横でしゃべり続けるとすぐに笑わなくなり、飽きて俺のことをうっとうしがってくる。しかしお客さんは自分から進んで話を聞きに来て笑ってくれる。こんなにうれしいことはない」と語っている(が上述のように、トークの邪魔になったりテンポを狂わされたりすると、素人相手でも本気でダメ出しをする)。

■オーストラリアのゴールドコーストに別荘を持っており、年末から翌年のお正月にかけて約2週間滞在するのが恒例村上ショージ、ラサール石井も毎年同行する。佐藤浩市も毎年の常連。また、同じオーストラリアに別荘を持つ星野仙一、和田アキ子、板東英二らと合流してゴルフをする)。この滞在中にも昼夜問わずしゃべりまくり、2004年正月には同行していた一般の友人夫婦がさんまのしゃべり過ぎ、夜中までの談義で倒れ、病院に運ばれたことが村上ショージの暴露で明らかになった。声をかけられると誰にでも手を振るため、2006年の正月には個人輸入業者と間違われ現地警察で数時間拘留されたという。

■大の愛煙家である。銘柄はマールボロ。さんまのまんまでは、よく喫煙しながらトークするシーンが見られる(ただし、目上の人や、未成年がゲストで登場した場合は基本的には吸わない。しかし、目上(年上)でもやしきたかじんなど、親しいゲストの場合は喫煙することもある)。中谷美紀がゲストにきたとき、さんまは中谷にどんな男性が好みか聞いた。中谷が「煙草を吸わない人」と答えると急に不機嫌になり、中谷に対して「わがままだ」などと口に出してしまったことがある。ファンの間では、「煙草をやめてほしいという人がいるが、潔癖症持ちの人が嫌いなのでは」と言う声もある。

■後輩に「お前らが出なアカン番組は『爆笑オンエアバトル』や!」と言っている。さんまは『オンエアバトル』が大好きで、若手芸人のチェックにも余念がない。

■日本に3冊しかない、アメリカの人気ドラマ『24 -TWENTY FOUR-』season Vの台本を持っている。

■滅多に体調を崩さない。そのため、37度の微熱でも当人にはとても辛く感じられるという。風邪を引いたときは、みかんを食べて太陽に向かって走ると言う(実際にやった東野幸治は逆に悪化したという)。

■大の愛犬家である。トーク中にチワワの会話になると機嫌がよくなる。娘にウェルシュ・コーギー犬(名前はルル)をプレゼントする。その子供の内1匹はガダルカナル・タカがもらった。

■運転免許は娘が産まれた後取得した。当時運転手だったジミー大西の仕事を無くさせない為のことだったらしい。ジミーが運転免許取得にかかった費用は全てさんま持ちで車一台買える金額かかったらしい。

■泰葉がさんまにプロポーズされたと未だに思っている。林家一門はさんまが林家三平を乗っ取ろうとしているのではないかと大騒ぎになった。

■任天堂WiiのCMに出演しているが、ゲームセンターCXなどでゲーム好きを見せているよゐこの有野晋哉に「なんでゲームなんかすんねん。時間もったいないやんけ」と言い放っている。

■1998年末の明石家サンタではナインティナインがオールナイトニッポンを担当している時に電話出演したが、ゲストのナイナイに送られてきたFAXは「さんまさんはオナニー何回してますか?」というもので、さんまの回答は「3回」であった。1998年末当時はさんまは3回していたということであるが、現在は不明である。この時のフジテレビのサンタのスタジオはドン引き状態となり、八木亜希子もドン引きしていた。

■焼肉店遊玄亭が大のお気に入り。スタッフ&タレント達との食事会によく利用している。遊玄亭にはマイ箸&マイジョッキがある。利用額は年間数千万にもなり、税理士に信じてもらえないこともあったらしい。

■2006年にビルを購入している。理由の一つに仲間である三宅恵介(フジテレビゼネラルディレクター)の息子である舞踊家の花柳輔蔵の稽古場の為。


続く

(出典:Wikipedia)

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ヒロシ

ヒロシ(ひろし 1972年2月14日 - )、熊本県荒尾市出身(福岡県大牟田市生まれ)はお笑いタレント、漫談師。所属事務所はサンミュージック。荒尾高等学校、九州産業大学商学部卒業。身長173.0cm、(現在は172cm)体重60kg、O型。趣味は熱帯魚飼育。本名は斉藤 健一(さいとう けんいち)。


【来歴・芸風】
デビュー時は吉本興業福岡事務所に3年間所属。その後上京し、一時はワタナベエンターテインメント(旧渡辺プロダクション。通称「ナベプロ」)に所属していた。当時は「ベイビーズ」というコンビを組んでいた。コンビ時代はキレ芸だった。コンビ解散後、東京都三鷹市で3年間ホストをしていた。ホストをしていたときの源氏名は「冴神 剣(さえがみ けん)」。ちなみに殺し文句は「あなたの心を一刺し」。当時の最高月収は8万円ほどだったという。

「ヒロシ」という芸名はフリーアナウンサーの生島ヒロシに由来する(たまたま雑誌の表紙に生島ヒロシが写っていたのがきっかけとのこと)。なお、上方=関西において芸人としての「ひろし」といえば、特に年配層にとっては漫才師「横山たかし・ひろし」の横山ひろしを示す場合が多いため、ヒロシが大阪へ営業を行っても知名度に欠けることが少なくない。

サンミュージックに所属したときにすでにHIROSHIという同名のミュージシャンがいて、短い期間だがカズヤという芸名で活動してたことが自らパーソナリティをしているサタデーホットリクエストで明らかになった。

同時代の漫談師である長井秀和や波田陽区が著名人を対象とするネタを主体とするのに対し、自身の日常や失敗談を題材とする、いわゆる自虐ネタを得意とする。基本的なスタイルは、ポケットに手を突っ込み上目使いで「ヒロシです」と名乗ってから、俯きつつ九州弁(詳しく言えば、肥筑方言の「〜とです。」)で愚痴を一言言って笑いをとる、というもの。この時、ラテン音楽のスローナンバーやブルースがBGMとして流れる(主にペピーノ・ガリアルディの『ガラスの部屋(Che Vuole Questa Musica Stasera)』が使われる)。「ヒロシです」が3回以上繰り返される事でネタは終了する。テレビでネタを放送するときには、必ず、音楽番組におけるソロ・アーティストのようなディゾルブを多用したカメラワークを用いられるが、これは2003年秋から、ほぼ毎月ライブ出演していた「お笑いCDTV」(TBS、〜04秋)のカメラマンが開発したもので、それ以降、各局で用いられるようになった。ちなみに、「お笑いCDTV」は、ヒロシがテレビで初めてネタを披露した番組でもある。

「笑いの金メダル」(テレビ朝日系)では、「投稿あなたもヒロシ」というコーナーを持っている。そのスペシャル版「出張ヒロシ」でイタリアへ行った際、『ガラスの部屋』を歌うペピーノ・ガリアルディと対面を果たしている。

ドラマは「タイガー&ドラゴン」(TBS系)が初出演。役柄は、元ミュージシャン「デス・キヨシ」。2005年1月に放送されたスペシャル版と、連続ドラマ版の第7話に登場。その後、同年の「FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!」(フジテレビ系)枠内で放映された「THE WAVE!」に編成部員・谷口真治役で出演している。ちなみにこのドラマで主役を演じた明石家さんまは、いつものネタの時のヒロシとキャラクターが同じなので、笑いを堪えて演技しなければならないのが困る、と述べた。

「ちょっと言ってみたかったとです…」シリーズのネタの1つだった、「ヒロシのオールナイトニッポンR」が2005年12月16日(17日未明3:00-5:00 JST)実際に生放送。

映画「ウォーターズ」のテレビコマーシャルでナレーションを行った。

ネプチューンの原田泰造に並ぶ、眞鍋かをりのファンのひとり。2004年には眞鍋と交際を始め、そのことが芸能リポーターの梨元勝から報じられていた。

2006年、「青春★ENERGY」で連続ドラマ初出演。

2007年に公開される映画「22才の別れ Lycoris葉見ず花見ず物語」(大林宣彦監督)に、本名の斉藤健一で出演、映画俳優デビューを果たす。彼のファンである大林が出演を依頼したのだと言う。また、この役を演じるにあたり、上京して以来ずっと金髪だった髪を実に8年ぶりに黒くした(しかし後に元に戻した)。

いつもここからの山田一成、今泉稔、世界のうめざわと「ハートせつなく」というバンドを組んでいる。バンド名は「いつもここから」のコンビ名が決まる前に、候補に上がっていた名前が由来。原由子の楽曲に同名のものがある。

美輪明宏、やしきたかじん、デヴィ夫人が、彼を高く評価している。


【エピソード】
■2004年12月24日に放送された「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」(フジテレビ)では、3度に渡って電話出演してようやく鐘を鳴らしたものの、景品抽選でハズレを引いてしまったという何とも残念な結果に終わった。

■「ズバリ言うわよ!」(TBS系)にゲスト出演したとき、細木数子から「(ネタをやる時に)ポケットに手を突っ込むのは失礼だからやめたほうがいい」と叱られる。しかし本人は、ネタをやる時は手を後ろには回さず、いつも通りのスタイルを貫き、名乗りでは堂々と「細木ヒロシです」と言ってのけた。

■2005年の「R-1ぐらんぷり」では、前回に引き続き2回目の決勝進出を果たした。決勝戦では、2005年1月の単独ライブで披露した「どうすれば、どうすればモテますか」という思い切って新ネタで挑んだが、完成度が低く結果は6位だった。この際、審査員の伊東四朗に「売りになっている芸風や持ちネタと違うことはやらないほうがよい」とダメ出しを受ける。実際にけっこう咬んでいた。

■2005年3月1日のカスペ!「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」で優勝し、賞金200万と高級車を獲得。本人は本当に優勝出来るとは思ってなかったらしく、「生きていればいい事ってあるんですね」と感想を述べていた。ちなみに決勝の相手だった山崎邦正は、まさかの敗北に倒れるほどヘコんでいた。その後、この番組の第2弾で景品である高級車が到着したときの模様が放送されたが、収録日からかなり経ってから到着したそうで収録後すぐ駐車場を契約し、しばらくの間利用していない駐車料金を払う羽目になっていたらしい(また、その第2弾でも出演していたが2回戦で先輩のカンニング竹山に負ける)。

■ネタのスタイルがシンプルなだけに真似をする同業者・タレントは多く、長井秀和(関口宏、久米宏、猫ひろしのネタのときに使用)、波田陽区の他、舘ひろし、Gackt、郷ひろみ、はなわ、石川梨華(美勇伝)、草野仁、DRAGONGATEプロレスのストーカー市川、竹山隆範にも真似されている。その際にも、BGMに『ガラスの部屋』を用いている。タレントだけでなく、作曲家の青島広志も自ら登場時のネタにしている。

■またテレビアニメのキャラクターにおいても、『クレヨンしんちゃん』のしんのすけの父・野原ひろし(名前が同じ)や『ふしぎ星の☆ふたご姫』のシェイドが作品の中でこのネタを使ったこともある。

■2006年5月10日の「ためしてガッテン」では、ヒロシ本人に続いてひじきの人形がヒロシの真似をして、料理に生かされない不遇を嘆いていた。

■2006年8月26日放送のサタデーホットリクエストで、ゲストの平野綾に一目惚れしてしまい、普段あまり喋らないヒロシがこの日はかなり発言が多かった。平野に変わった様子はなかったが、共演者の杏子とAKINAは若干引き気味だった。

■以前準レギュラーであったTNC(テレビ西日本)の番組「ピィース!」の中に、ヒロシに彼女を作ろうというコーナーがあった。アシスタントである林沙弥香が街で女性に声をかけ、その女性についてのクイズにヒロシが正解出来たら、その女性の電話番号かメールアドレスをゲットできる、といった内容。ちなみにそのコーナーでヒロシは林に散々弄られていた。

■ココリコミラクルタイプに出演した際小西真奈美に交際を申し込み、「無理ですよ」と言われ、落ち込んでいた。

■「ちょっと」が口癖で、相当な頻度で口にしている。

(出典:Wikipedia)

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馬場 裕之(ロバート)

馬場 裕之(ばば ひろゆき、1979年3月22日 - )は、お笑い芸人である。吉本興業所属。福岡県北九州市門司区出身。血液型A型。門司北高校卒業。通称、「馬場ちゃん」。


【人物】
■1998年ロバート結成。ボケを担当。

■秋山竜次とは幼稚園から高校までの同級生である。

■特徴は緑色の髪の毛と両耳にあけているピアスである。髪は青緑色・赤色・紫色の時もあった。

■本人はお笑いに全く興味がなく、先に上京した秋山に強引に吉本総合芸能学院(NSC)に入れられた。

■ロバートのネタでは台詞が一番少ない傾向がある。

■本番中の舞台で寝たことがあるという。

■2006年単独ライブの準備会議は馬場だけが呼ばれず不参加だったが、本人もそのことに対し何の疑問も持たなかった。

■キングコングの西野亮廣は親友であり、同じマンションの上下階に住んでいる。

■家族構成は、父、母、姉、妹。家族全員、目が細く頭や顔が大きいが、妹だけは例外で目が大きく可愛いという。秋山曰く「正統派な感じ」山本曰く「ヒロスエ似」とのこと。(山本は妹に一目惚れした。)

■ラジオ番組で、普段はかなりエグイ下ネタを言っているということを秋山や山本に公表された。

■山本と共に出演した吉本制作のショートフィルム『走ラズニイラレナイ』では、熱演を見せている。

■『はねトび』の演出・プロデューサー近藤真広による評価は、「不協和音を奏でる名バイプレーヤー。人間の顔色をうかがわせたら天下一品。人間関係とかを表現するのがすごく上手で、ロバートのネタの微妙な部分には欠かせないキャラクター」。

■ドダイトスがお気に入り。映画でこの役をやると決まったときは「すげぇ!」と大喜びしたが、すぐその後に「荷が重すぎるよ」と言った。


《クイズプレゼンバラエティー Qさま!!でのエピソード》
■レギュラー出演中の「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」(テレビ朝日系)では相当なチキン(弱虫)ぶりを見せている。「10m高飛び込み」では初リタイヤ者であり、周囲からは「大口を叩くくせに何も出来ない」と言われる。同コーナーで2人目のリタイヤ者でもあるスピードワゴン小沢一敬とは、チキンキャラ同士、話が合うと番組内で発言している。そのせいもあってか、同番組のチキンレースにロバートが参加する場合、ほとんどが秋山VS山本になり馬場は進行役となっている。その後、スペシャルで、18分台で飛び込んだ。

■しかし「全員で鬼ごっこ」では、中々の俊足と、脅威の粘りを見せて他メンバーの体力を温存させたことがある。ちなみに50m走タイムは7秒62とQさまメンバー3位の実力。

■デカ盛りスゴロクで、大食い能力を開花させた。

■「プレッシャーSTUDY」ではなかなかの物知りぶりを発揮するものの、地理には意外と弱いようである。九州(福岡県は番号が打たれていなかった)と四国の中でどこが何県かを当てる問題が出た際、馬場自身は福岡(つまり九州)出身であるが、その福岡の隣県のはずの熊本県を選択して「長崎県」「佐賀県」と解答したりするなど、地元である九州の県の位置関係すら把握できていなかった。そしてクイズ終了後に他の解答者から「九州出身なのに熊本を知らないってどういう事?」とブーイングを浴びた。


《ポケモン☆サンデーでのエピソード》
■レギュラー出演中の『ポケモン☆サンデー』で小学生とWi-Fiでポケモンバトルをしたとき、前半は余裕の表情だったが、相性が悪かったことが原因で逆転負けし、Lv.50のドダイトスを取られた。本人曰く「ドダイトスは寝る間も惜しんで育てた子供みたいなポケモン」だったそうで、「今日は泣いちゃうぞ」と言っていた。本当にドダイトスが好きらしく、その後、新たに育て直していたことが「ポケモンバトルレボリューション」の体験中に発覚した。

■レギュラー陣のなかでもバトルは強い方。ポケモンについての基礎知識も一通り把握しているようである。

■2007年4月15日放送分では「わらしべポケモン」という企画でテレビ東京や株式会社ポケモンを訪問し、ポケモン交換をした。最後にはGTSも使いこなし、見事パルキアを手に入れた。しかし、最終的には秋山のゲンガーに敗北してしまった。

(出典:Wikipedia)

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山本博(ロバート)

山本 博(やまもと ひろし、1978年9月5日 - )は、お笑い芸人。吉本興業所属。群馬県邑楽郡邑楽町出身(「館林市出身」と書かれる事もある)。足利工業大学附属高等学校卒業。ロバートのツッコミ担当。血液型はA型。通称「博」。


【経歴・人物】
■1998年にデビュー。

■高校時代、寿司屋で3年間バイトをしていて、「軍艦(巻き)の山本」とよばれていたらしい。

■メンバー内では1番のいじられキャラである。また、秋山と馬場が幼稚園からの友人であるため、仲間はずれ状態になっている。良くも悪くも一般常識が備わっている為、共演者も印象が残らないほど普通の印象があるらしい。

■庄司智春(品川庄司)が「アメトーク」(テレビ朝日)の企画プレゼンで「本当はツッコミ芸人」(相方のツッコミが上手い為、突っ込みと思われてない芸人)という企画を提案し、もし実現した際の出演者を挙げ、山本も入っていたが品川祐から、「あいつ(山本)は突っ込んではいないけどボケてもいない。あいつはロバートに居る。」と言われた。(他のメンバーは蛍原徹、井上聡、鈴木拓、田村亮、濱口優、川田広樹と少々天然なメンバーばかりであった)。

■「鳥の真似」という一発芸を持っている。

■小学校時代は陸上クラブ(走り高跳びの選手)、中学時代はテニス部、高校時代はゴルフ部。小学校のときに野球もやっていた(ポジションはリリーフピッチャー)。

■秋山、馬場、はねトびメンバーからは「博」と呼ばれているが、時々、「山本」と呼ばれると寂しくなるらしい。ピン芸人の「ヒロシ」が出てきたので「山本」と呼ばれる機会が多くなった。最近ではQさまメンバーの三村マサカズや柴田英嗣などにも「博」と呼ばれるようになった。

■家族構成は、父、母、兄。

■栃木県佐野市正雲寺に従兄弟がいる。

■馬場曰く「ちょっとコレ持ってて、って言うと一日中持ってる」。

■秋山の髪を立てるためのドライヤーや、秋山用の髭剃りを自分の鞄に入れているため、荷物が大きくなってしまっている。

■新幹線などで移動する際、目的地に着く時間をチェックして携帯のアラームをセットし、寝ている相方2人を起こす役目を自発的に引き受けている。秋山曰く「そっと優しく起こしてくれる」。

■小さい頃に、カレーをペロッと平らげたため、父親からは「ペロ(父の背を抜くまではチビペロ)」と呼ばれている。


【特徴】
■特徴はガタガタな歯並び。右上の前歯に八重歯がある。

■「笑いの金メダル」の「ハモリの金メダル」というコーナーで、ペナルティヒデ・レギュラー西川と少年隊の「仮面舞踏会」を歌った。

■秋山から言わせると、あまり歌がうまくないらしい。しかし、カラオケで完璧に歌えれば賞金が貰える番組で賞金200万円をゲットした。(歌は、尾崎豊の「I LOVE YOU」。)

■趣味はオカリナ。ちなみに、秋山が登場したマンガ「絶望に効くクスリ」のひとコマに描かれた山本とおぼしき人物(そっくり)は、身体の部分に「オカリナ」とだけ書かれている。

■山本にそっくりな人間は日本各地に存在しているらしく、まったく身に覚えの無い「○○で見掛けた」「××の店にまた現れた」という噂が本人の耳に入ってくるという。

■インパルス板倉と共にボクシングジムに通っている。しかし、真面目にトレーニングしているにも関わらず身体に何の変化も見られないという。

■売れない頃、ある番組の収録に遅刻してしまい、相方の秋山に階段から突き落とされた。その日の深夜秋山が電話すると波の音が背後に聞こえ、どこにいるか訊ねると「江ノ島にいる」と答えたという。

■かなりの遅刻癖らしく階段から突き落とされた他に「鎖で目元をぶつけられた」という噂もある。

■ロバート結成前、当時の相方と住んでいたアパートで、金縛りなどの不思議な現象を何度か体験した。あとで知ったところでは、そのア
パートのある場所はかつて首切り場だったという。

■ロバートの握手会などでは、馬場・秋山と握手をして感激しているファンが山本の前を素通りして帰ってしまうことがときどきあるという。2006年12月、あるトーク番組で「自分を漢字一文字で表すと?」と質問された際、山本は「無」と答えた。曰く「華が無い・オーラが無い・無視される」の三無とのこと。

■体調が悪いらしく、最近はガジュツを飲んでいる。

■人を信じやすく、20万円の絵を買わされそうになったことがある。

■占い師に自分を見てもらった時「すでにあなたは死んでいます」といわれたらしい。

■結構体力がありQさまではアンタッチャブルの柴田と並ぶ程(番組でもかなりの好成績)なのだがキャラのせいか絶賛される事は滅多に無い。また身体能力の割に肋骨が透け腹筋も割れずアンガールズに並ぶ位のガリガリの痩せ型。(一見体力派とは無縁そう)小食の為と思われる。


《クイズプレゼンバラエティー Qさま!!でのエピソード》
■番組の企画で、絶叫マシーンに乗った状態でのカラオケに2度挑戦した。1回目は53点という不甲斐無い結果に終わった(しかし対戦相手の馬場が50点だったため勝利)が、2回目は75点で4人中2位だった。

■「Qさま!!」の裏チキンNo.1で暴露されたところでは、ケープをいつも持ち歩いているらしく、秋山竜次が山本のカバンを開けたらケープが5本入っていたそうだ。(実際は3本という説あり。)

■また「芸能界潜水選手権」では、水泳の経験は少ないながら自己ベスト59.8mを記録している。

■2006年7月17日放送の「クイズプレゼンバラエティーQさま!!」SPでは、南海キャンディーズのしずちゃんをカバーするなどの活躍でチームの優勝に貢献。

■「プレッシャーSTUDY」では、正解を書くまでに時間がかかり、メンバーの足を引っ張ることがある(漢字がひどく苦手で「制服」を「正服」、「草原」を「早原」と書く、「経済」を「けいずみ」と読むなど)。また、一番活躍していない人を決定する「逆MVP」を、2度も受賞した。しかし、社会は得意らしく、歴史と地理の問題は好成績を残した。

■50m走のタイムは7秒12と快足で、柴田英嗣と並んでメンバーで1位の記録を持つ。また、スタミナもメンバーで1位。

■番組内で優香からオナラの音を出させるドッキリを行った時、優香を凝視し、挙句の果てに悲しそうな顔になってしまったので、仕掛け人の優香と秋山と馬場が3人とも笑ってしまった。その後、ネタばらしを行った時も、泣きそうな顔をしていた。

■7月27日放送の「クイズプレゼンバラエティーQさま!!」の「プレッシャー走り高跳び」でメンバーで唯一150cmを跳んだ。さらに10月16日の放送の「プレッシャー走り高跳び」では、さらに2cm高い152cmを1回で跳んだ。


《ポケモン☆サンデーでのエピソード》
■他番組とは一転、この番組では驚くほど安定した司会者ぶりを見せている。(番組コーナー内で時折司会進行役を務める)

■番組レギュラー陣から「影が薄い」と言われる。視聴者から番組宛に送られた手紙にもレギュラー陣のイラストが書いてあったのだが、なぜか山本だけ書かれていなかった。

■よく肉体的なギャグをやらされる。番組内で「すね毛をガムテープで剥がす男」とキャッチコピーを付けられ、過去2回強力なガムテープで秋山らに無理矢理すね毛を抜かされている。また、2007年4月1日放送分ではアニメ「ポケットモンスター」の記念すべき第一話のアフレコ(効果音)に挑戦。その効果音とは主人公サトシがカスミからビンタされるシーンのビンタ音であり、本来は1回だったビンタが4回に増やされ、山本は中川翔子から4回ビンタを喰らうはめになった。

■番組内の視聴者とゲームソフト「ポケットモンスター ダイヤモンド・パール」で対戦するコーナーでは、馬場と同じくらい強い。

■上記の対戦コーナーで、挑戦してきた視聴者に敗れた場合、手持ちのポケモンを強制的に交換されるというルールがあるが、1回目の交換でもらったナエトルをドダイトスまで育てた後、2回目の交換で取られてしまい、「育てや山本」の異名がつけられた。しかし、やはりこのコーナーでも視聴者からなめられており終始呼び捨てされたこともある。「“さん”を付けろ!」と半ばキレたこともある。

■番組内で自称「山本」のおじいさんがよく登場する。本人曰く「まったく似ていない」。2007年4月29日放送分ではおじいさんがスタジオに登場し、「ギャグだったら俺の方がおもしろいぜ〜。ピェ〜」と鼻に手をあてて笑いを取られるなど厄介かつ面白い存在になっている。


《はねるのトびらでのエピソード》
■「はねるのトびら」では、よくドッキリを仕掛けられる。通称「博ドッキリ」。

■身体が痩せすぎで貧相であるとよく言われるが、女装すると完璧なモデル体型。『はねるのトびら』の女装企画では、エステで美顔や脱毛の施術を受け下着も女性用を身に着けるという徹底ぶりでかなりグレードの高い美女に変身。男性から選ばれる早さは「はねトび」メンバー内で1、2を争う。

■2007年4月4日放送のスペシャルでは、はねトびメンバーで唯一一度も登場せず、番組最後に少々長めの自虐的なコメントを残した。結果的に一番おいしいポジションとなった。

■2007年4月11日放送では上記のスペシャルで一度も登場しなかった為、メンバーを連れ出し山本の実家に行く企画を放送。「身を削るしかない」と、道中では自虐的なクイズを連発し、山本の宝物を景品にするなど「そこまでやらなくても・・・」とメンバーに言わせるほど切ない雰囲気をかもし出していた。実家に到着後は山本と彼の母親でミニコントを披露。最終的には山本家全員ではねトびメンバーに毒舌(「キンコン・北陽消えろ」「インパにドランク帰れ」など。また、ロバートには言わなかった)を言いまくるというオチとなった(カット後山本家はメンバーに感謝の言葉を述べていた)。

■かつては塚地武雅・板倉俊之と共に番組内で「ピンクハレルヤ」というバンドを組んでいた。(ちなみに役割は山本がボーカル・塚地がドラム・板倉がギターである)


【交遊関係】
■プライベートでは、番組で共演中のドランクドラゴンの鈴木拓と一緒に食事をしたり遊びに行ったりしている。この二人にアンガールズ・田中卓志を加え山本軍団と称して城めぐり等の小旅行を楽しんでいる。また、居酒屋に部屋を取り、3人で酒も飲まずに延々とゲームに興じることもあるという。華やかな芸能界に溶け込めないメンバーが集まったということで、馬場曰く「世界最弱軍団」。

■「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」SPの「芸能人社交ダンス部」でプロレスラーのジャガー横田とペアを組んだ。この時、女性メンバーがそれぞれ立候補した男性メンバーから一人を選んでいくシステムで山本自身はベッキーと組みたかったらしいが、ジャガーだけ立候補なしで好きに選べるルールになっていた。(選ばれた理由は一番顔がマシだったから)。ちなみに秋山は若槻千夏と、馬場は和希沙也と組んだ。補欠は山根良顕とウド鈴木だった。

■吉本芸人の中ではバッファロー吾郎の竹若元博・カラテカの矢部太郎と並ぶカタブツ芸人とされる。(矢部は女性に興味はかなりあるが緊張して何も出来ないといった印象だが)下ネタを話すことはなく、合コンに参加することもないらしい。AV女優のこともよく知らない。

■秋山や馬場の母親から気に入られている。

■馬場の妹に本気で一目惚れした。兄(馬場)の許しがあれば2人で会いたいと語っている。

■ヴィジュアル系バンドメリーのギター、健一とは幼馴染。

(出典:Wikipedia)

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秋山竜次(ロバート)

秋山 竜次(あきやま りゅうじ、1978年8月15日 - )は、お笑い芸人。吉本興業所属。福岡県北九州市門司区出身、門司北高校卒業。血液型はB型。「竜次」という名前だが、3人兄弟の長男。


【経歴】
お笑いトリオ・ロバートを組む馬場裕之は幼稚園から高校まで同級生で、高校時代には親同士が同性愛ではないかと心配するほど仲が良かったという。遊び人を目指して2人でディスコに行った帰りに始発電車を待っている姿を同級生に目撃され、「ホモ説」が流れたこともあるという。

高校卒業後に上京。当初の目標は芸人ではなく、代官山で雑貨屋を経営することだった。しかし容姿やファッションセンスが代官山とは相容れず、雑貨屋の面接を次々と落とされ挫折。バイトをしているとき偶然に吉本総合芸能学院(NSC)東京校の広告を見て、馬場を北九州から呼び寄せて一緒に入学した。

秋山は最初、東京見物を名目に馬場を上京させた。帰りの旅費がなくなるまで馬場に金を遣わせ、「旅費を稼いでいけ」とビル清掃のバイトを紹介。20日間昼夜を問わずぎっしりとシフトを組ませ、バイト代が約20万円貯まったところで郵便局に連れて行き、NSCの入学金を振り込ませた。振り込みが完了した時点まで、馬場はNSCの話をいっさい聞かされていなかった。すべては相方を得るための秋山の策略だった。

「秋山・馬場」のコンビでは馬場がツッコミを担当していたが、すべてのツッコミでニコニコ笑っている馬場が秋山のボケを殺し別の笑いを起こしてしまうため、ちゃんとしたツッコミができる相方を探す。同期の板倉俊之(現インパルス)と「ゼナイル」というトリオを一時期組んでいた。だが板倉が元々ボケ志向であったため解散。その後たまたま1人でやっており、さらにツッコミだった山本博を入れてロバートを結成、現在に至る。


【人物】
《芸能活動》
特徴は広い肩幅とキン肉マン風に逆立てた髪。

天才肌のお笑い芸人。ロバートではボケ担当でネタ作りも行っている。変幻自在のキャラクターを演じ、役柄ごとに完璧なまでに化ける。ネタは、自身の突拍子もないキャラクターを活かしたシュールなものが多い。

歌唱力があり、「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」などで喉を披露する。田原俊彦のまねが得意。マイケル・ジャクソンの大ファン。

ネタでよく言う悪態は「地獄へ堕ちろ!」「腰いためろ!」(または「腰くだけろ!」)「ドライアイになれ!」など。相手に人差し指を突き付けて語気荒く言うのがパターンだが、内容が内容なので攻撃性は無いに等しい。

「マンスリーよしもと」が毎年発表する「吉本男前ランキング」では、2003年までランク外、2004年11位、2005年9位、2006年6位と順位を上げていたが、2007年は15位に転落した。

一見、物怖じしなさそうに見えるが、ネタで滑ると落ち込み、引きずるというナーバスな一面もある。若手芸人同士でのトーナメント形式のネタ見せで負けたときに、責任を感じて落ち込んだあげく江ノ島へ行ってトンビに餌を与えていたという。


《『はねるのトびら』でのエピソード》
「はねるのトびら」では、ドランクドラゴン塚地・インパルス板倉と共に、同番組を代表する多くのコントの主役または主要な役を演じている。持ちキャラは非常に多彩であり、北九州弁を喋る老人やおばちゃん、アキバ系オタク、父子家庭の幼稚園児、女子高生、ゴスロリファッションのグルーピー、怪しげな新興宗教の教祖、悪徳商法の勧誘員(⇒グローバルTPS物語)、新人女子アナをいびるタイムキーパー、母親と共依存関係にあるニートなどなど。代表的なコントとしては「MUGA様とおーたむSAN」、「栞と博のテーマ」、「チューリップの会」、「グローバルTPS物語」、「黒族」、「バカボンド」、「カワイイ」、「哲哉とお父さん」、「秋山森乃進」、「若手芸人とんちんかんちん」、「家庭内プロレス・ニートVS母親」などがある。

■「ランク王国」の『渋谷で聞いた「好きなギャグ ベスト10」』で、「はねるのトびら」の人気キャラクターだった栞の「あり得ない!ニャニャニャニャ〜い!」が上位にランクインしたことがある。

■秋山森乃進としては、『北酒場』の替え歌でKAT-TUNをネタにした歌を歌っている。この『KAT-TUN覚え歌』にはいくつかバージョンがあるが、必ず「田中の髪は短い坊主」というフレーズが入り、テーマがそこに絞り込まれる。そのため、視聴者からは「田中聖が坊主だということしか覚えられない」という苦情の葉書が多数寄せられている。歌の中での中丸君の扱いが悪すぎるという理由で、五寸釘が貫通した森乃進人形が番組に送られたこともある(ここまで含めてネタ)。森乃進は『はねトび』と提携した日産のCMにも登場し、日産車の名前を織り込んだ『ミニバン覚え歌』を歌った。

■その後、田中聖とは「特急田中3号」で共演することになる。

■日産と『はねトび』の提携CMには、森乃進のほかにニート、哲哉、アキバチョフのキャラクターでも出演している。

■2006年2月、当時開催中の冬期五輪に引っ掛けた企画「はねトリノ」(西野以外のレギュラーメンバー全員がボケ・ツッコミ関係なしにピンとして観客の前でネタを披露し笑いの量で順位付けするという企画)では、トリとして出場するも大方の予想と期待を裏切り5位という結果に終わった。このとき秋山に冠せられたコピーは「北九州の怪物」。他メンバーが準備段階で芸人仲間に相談したりするなか、秋山は故郷に帰り父親にアドバイスを求めた。秋山の父は、倖田來未のPVを例に出し「どんなものにもスキマがある。そこを狙え」とヒントを与えた。その教えを受けた秋山は、本番で「創作童謡」を披露するという前代未聞の試みを行う。これは斬新といえば斬新だったが、笑いをとるというよりも観客(および視聴者)をあっけにとらせる結果に終わり、予選敗退。塚地(「最後の喜劇王」)と板倉(「孤高のボケ職人」)のトップ争いを他メンバーと共に見守ることとなった。(ちなみに優勝者は板倉。)
なお、創作童謡はその後もラジオのレギュラー番組「ロバートのガッチャガッチャ」の「秋山お兄さんの新しい童謡」コーナーで継続。リスナーから募集したフレーズを繋ぎ合わせてメロディを付けるというやり方で、「柿」「けん玉の唄」「山芋の唄」等の作品を完成させている。ネタでなくあくまでも真面目に取り組んでいる。

■「はねるのトびら」SPの女装企画では、「サーフィンの魅力に取りつかれハワイに移住した東京の女」「シチリア島の浜辺を散歩する魔性の女」といったマニアックなコンセプトに基づく女装を披露。後者では、年齢を30代後半から40歳に設定し「若けりゃいいってもんじゃない」「細けりゃいいってもんじゃない。多少の肉感も必要」と独特の嗜好とこだわりを見せた。お手本にしたかたせ梨乃を彷彿とさせる妖艶な仕上がりで、佐藤隆太から選ばれた。

■箸の持ち方が完全な握り箸で上手に操れない。母親に注意されても無視してきたとのことだが、「はねトび」の「回転SUSHI」のコーナーではあまりにも不利なことを悟り、「長いプランで改善する」と語った。

■「はねトび」の企画で朝青龍に扮して本人と共演したとき、思いっきり張り手を喰らった。なお、朝青龍には秋山そっくりな顔をした従兄弟がいるという。


《『ポケモン☆サンデー』でのエピソード》
■他の番組レギュラー陣TIMや馬場裕之・山本博らがゲームソフトポケットモンスター ダイヤモンド・パールにおいて、各々ゲームを進めているのに対し秋山はまったく進めていない。

■レベル上げは遅くないが、それは自身がモデル(自称)のポッチャマ限定のようで、青森に滞在中だった元調査部リーダー・キモリとwi-fiバトルをした際、ポッチャマはLv.30近かったにも拘らずビッパはLv.4だった(勿論ボロ負けした)。

■その後、3月25日放送で募集された挑戦者と対戦するが、使用したのは、コロボーシ、コリンク、ポッチャマ。いずれもたねポケモンで、前述の2匹のレベルは(挑戦者ですら60以上のポケモンなのに)それぞれ22と25、ポッチャマに至ってはレベル28でほとんど進歩がないことから、「ヒドすぎないか」とレギュラー陣からまた非難を浴びた。

■上記の関係性からか2007年4月8日放送分で、馬場・山本協力の下、秋山が「ポケモン漬け生活」に挑戦することになった。当初はぶつぶつ文句を言いながら生活していたが、最後の方ではポケモンに慣れ始めて、最終的にまともなレベルまで成長した。

■2007年5月13日放送分のバトルでは、ポッチャマをエンペルトに進化させるなど手持ちポケモンを全体的にレベルアップさせ、相性を理解したうえで効果的な攻撃技を繰り出すなど「ポケモン漬け生活」の成果を示す成長ぶりを見せて遂に初勝利を飾った。

■2007年4月1日放送分でテレビ東京系列の人気アニメ「ポケットモンスターシリーズ」が10周年を迎えるにあたってサトシ役の松本梨香がゲスト出演した際、同アニメの初代主題歌「めざせポケモンマスター」のミリオンヒットを記念したトロフィーを指さして「これ、何か社長室の灰皿みたいですね」と言い「失礼だろ!」と怒られた。

■キャラクターのキモリを急に「ナムジキ(キモリの韓国名)」と呼び笑いを取っていた。

■2007年4月15日放送分の「ポケモンだいすきプロジェクト」の企画『わらしべポケモン』にて、ロバートの3人でのバトルで優勝。『きそポイント』の事もレクチャーされていたらしく、「ズバットをたくさん倒して素早さを極めた」と言っていた。

■2007年4月22日放送分では劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール ディアルガVSパルキアVSダークライでゲスト出演することが決まり、メンバー1喜んでいた(もちろん山本も馬場も大喜びだったが)。世界的人気の映画で、さらに10周年記念大作、ポケモンへの思い入れもあり「これすごいことやぞ!やっとだぜ?」とものすごく喜んでいた。


《『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』でのエピソード》
■水泳が得意で、その技量を発揮することが多い「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」では『マーメイド秋山』なる異名を取っている。水族館のサメを接写する企画では、水深10メートルの岩の上でシャッターチャンスを待つ秋山の姿にスタジオがどよめいた。また、故郷・福岡県にある水族館の水槽を魚といっしょに悠然と泳いだときは、水族館のスタッフから「解説板に入れましょうか」とコメントされた。同番組の企画で潜水を競い合ったときは75mという記録(非公式ながら全日本で当時4位タイ。ちなみに一般成人男性は平均20m)を打ち立てた。その後、同番組の企画でさまざまな特訓を重ね、公式記録大会で82mという自己ベストを出した(当時、日本男子歴代7位)。

■「Qさま!!」で秋山が水族館の水槽を自由自在に泳ぎまわるシーンには、BGMとしてチャイコフスキーの名曲「花のワルツ」が流れる。テレビ朝日の携帯サイトで、この着メロが『マーメイド秋山のテーマ』として配信されている。

■2006年4月に放映された「Qさま!!」SP第2夜では、秋山が潜水で75メートルの記録を出した場面(リプレイ)で瞬間最高視聴率26.2%に達した。

■上記の通り水泳が得意だが、その反面、足は遅く、「全員で鬼ごっこ」ではすぐに鬼に捕まってしまう。同番組のレギュラーメンバーのなかでは三村マサカズ(さまぁ〜ず)、山崎弘也(アンタッチャブル)、山ちゃん(南海キャンディーズ)以上に鈍足。2007年4月30日放送の「プレッシャー体育」で行われた50m走では、1人だけ小学6年生の平均タイムを切ることができなかった(ただし、三村はチャレンジしていないので不明)。本人も「俺は陸に上がるとダメ」「足が速くなりてえよ」と嘆いている。

■食材や料理を勘だけでぴったり100グラム食べることに挑戦する「チャレンジ・THE・ジャスト100g」という企画でも、天才的な勘とひらめきを見せている。


《私生活》
私生活では芸能人らしいところがいっさいなく、他の芸人ともほとんど付き合いがない。「独りでいるのが辛いとかじゃなく、なんか楽」という。血のつながりがない相手には心を開けない(本人談)ので、遊び相手はもっぱら弟。しかし、馬場や山本がそれぞれ仲間の芸人たちと仲良く遊んだ話を聞くとジェラシーを感じるという屈折した性格。

父親はヤクザ映画の斬られ役などで活動した元俳優である。先輩俳優の芸名「城春樹」を名乗り、エンドロールに名前が大きく出ていると偽って息子に見栄を張ったという。俳優廃業後、地元で自動車整備工場を経営。かなり破天荒な人物で、幼稚園児の竜次を連れて港のコンテナから食品を大量に盗み出していたという(「はねるのトびら」の地元ロケ企画にて)。

実家は北九州の採石場に囲まれた地域にあり、少し離れるとショッカーの基地(馬場談)あるいはグランドキャニオン(本人談)のような風景が広がる(余談だが、その採石場は映画『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』のロケ地であった)。採石場での発破による振動の影響で実家の家屋は傾いており、床にビー玉を置くと転がるという。

酒が一滴も飲めない。また、アジア全般の「コアな食べ物」が苦手。番組の打ち上げなどでエスニック系の店に連れて行かれたときは、「食べられない」とスタッフに言うのは悪いので、食べたふりだけしてひたすらウーロン茶を飲んでいるという。吹き替えの仕事で韓国を訪れたときは、どうせ現地の食べ物は食べられないからと羽田空港でパンを大量に買い込んで行った。そのほかに、ナスも食べられない。「ペンキを塗ったようなあの色はあり得ない」「布地に汁が染み込んだような食感」と強い拒絶反応を示す。

将来の夢は都内でとんこつラーメン屋を経営すること。店の名前は『りゅうじんけん』(竜神軒?)に決めている。仕事が休みのときは、自ら仕入れた豚の骨を使って自宅でとんこつスープを仕込んでいる。骨を4日間も煮込むという本格的な作業を行っているせいで、キッチンの壁紙が剥がれ掛けてきているという。スープの出来が良いときは、その喜びを誰かに伝えたくて馬場に写メールを送ったりするが、馬場はそれを見ても何の感慨も持たずむしろ迷惑がっている。『はねトび』でも、ドランクドラゴン鈴木の実家の居酒屋を救済する新メニューを考える企画でラーメンを作った。

風俗マニアでありもっぱら金髪美女によるサ−ビスを好む一面がある。


【エピソード/トリビア】
■ツヤツヤ美肌の持ち主。中学の頃から肌には気を遣い、ヘチマコロンやパックなどをドラッグストアで買って手入れをしていた。

■右頬の傷跡は、高校1年のとき吹き出物にニキビ薬とタイガーバームをいっしょに使った際に化学反応が起きてできたもの。

■タイガーバームは頭痛・鼻づまり・吹き出物・眠気覚ましと何にでも効く万能薬で「最高の虎である」と信じている。

■ガンダムのプラモデルのような(本人談)見事な扁平足。扁平足は疲れやすいため、足裏マッサージによく通っている。

■中1のとき、家族で行った沖縄旅行でイルカの群れに舞い上がって船上から海に飛び込み、あやうく船のスクリューに巻き込まれそうになった。間一髪逃れたが、そのとき船底のカキに擦れてできた傷跡(3センチ)が左腕に残っている。或るネタで子供役の馬場に言う「船のスクリューに巻き込まれねぇかなぁ」という台詞は、このときの体験が下敷きになっていると思われる。

■初体験は19歳の時。相手は博多どんたくで知り合った女性。

■気管支喘息の持病がある。動きの激しいネタのときは、あらかじめ薬を服用してから舞台に上がることもあるという。

■ロンドンブーツ1号2号淳に「サイコ的な目をしている」「いつかお前に刺されるような気がする」と言われた。

■元ユニコーンのドラマー西川幸一と顔が似ていて間違えられたことがある。新宿を歩いているとき「西川さんですよね?」と声を掛けられ「人違いです」と言おうとしたが、相手があまりに真剣な顔なのでつい話を合わせてしまい、「今度○○のライブハウスでやりますんで来てください」とまで話を作ってそのユニコーン・ファンをぬか喜びさせるという罪作りなことをした。

■『一流芸能人への旅』という番組で、大胆にも小林幸子を前にして本人の大ヒット曲「おもいで酒」をカラオケで披露した。

■「秋山を動物に喩えると?」という問いに対する相方2人の答えは、「トド」(馬場)と「人を騙すタヌキ」(山本)。ちなみに秋山は馬場を「マンボウ」、山本を「死にかけたナナフシ」に喩えた。

■山本の母親と誕生日が同じである。秋山は「ひろしのかあちゃん」が大好きらしく、勝手に山本の実家に電話を掛けて「ひろし君は頑張ってますよ」「ひろし君のことはまかせてください」などと言っては涙もろい山本の母親を泣かせることを楽しんでいた。また、2003年単独ライブDVDの特典映像や2006年単独ライブのブリッジ部分にも山本の母親を登場させている。

■吉本の芸人が出演した資生堂unoのCMでは髪を「ディープアッシュ」に染めた。このCMと提携して「虎の門」で行われた企画「男が選ぶ抱かれたい芸人」投票では、くりぃむしちゅー有田に指名された。

■肩幅が「ドラゴンボール」全巻の背表紙の幅と同じ。この事実は、2006年単独ライブで明らかにされた。

■「うさうさ脳」の分類では「うさ脳」(個性豊かで負けず嫌いなタイプ)に属する。

■秋山の髪型は「レイヤーウルフ」と言う。仕事のときは根元から立ち上げてソフトモヒカン風にスタイリングしていることが多い。

■収録中など、手持ち無沙汰になると隣に立つ山本の肩に手を置く癖があり、山本はそのせいで、秋山が手を置く方の肩だけが異様に凝っているとマッサージ師に指摘された事がある。

■お洒落な雑貨屋の店員になることを目指して上京した時は、ブルーのサングラスを掛け、両手に指輪をし、足にトウリングをはめていたという。

■『特急田中3号』で共演の塚本高史とは、塚本が以前から秋山のファンだったこともあって親しくなり、メール交換をしたり一緒に洗車に行ったりしているという。

(出典:Wikipedia)

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ロバート

ロバートは、日本のお笑いトリオ。1998年結成。吉本興業東京本社所属。


【メンバー】
■秋山竜次(あきやま りゅうじ)
1978年8月15日、福岡県北九州市生まれ。北九州市立田野浦小学校・北九州市立早鞆中学校・福岡県立門司北高等学校出身。血液型はB。ネタ作りと大ボケ担当。身長175cm。

■山本博(やまもと ひろし)
1978年9月5日、群馬県邑楽郡邑楽町出身(プロフィールに「館林市出身」と書かれる事もある)。血液型はA。ツッコミ担当。アテネ五輪・アーチェリー銀メダリストの山本博と同姓同名。身長177cm。

■馬場裕之(ばば ひろゆき)
1979年3月22日、福岡県北九州市生まれ。出身校は秋山と同じ。血液型はA。小ボケ担当。身長181cm。


【概要】
■吉本総合芸能学院(NSC)東京校の4期生。インパルス・森三中・POISON GIRL BAND・レギュラー(大阪NSC)などが同期。「華の4期生」と呼ばれている。

■コントが専門。独特のシュールさと明るいキャラクターは若者に多くの支持を集め、特に若い女性にはアイドル的人気を誇る。漫才は得意ではなく、M-1グランプリやオールザッツ漫才等に出場経験があるが予選で敗退。

■秋山が様々な特異なキャラクターを演じ、北九州弁でボケまくる。その個性が「はねるのトびら」で特に活かされている。

■山本はツッコミだが、力強く突っ込むタイプではなく、貧相ないじられキャラ。普通「ひろし」と呼ばれるのが一般的だったが、ピン芸人のヒロシがブレークした時期は「山本」と呼ばれることが多かった。

■馬場は緑色の髪と笑顔が特徴の飄々としたキャラクターで、3人のコントではセリフが少ないにもかかわらず独特の存在感を発揮。そのせいかマシュー南には気に入られているようで、「Matthew's Best Hit TV+」にゲスト出演した時は3人のうち馬場だけがやたらひいきされていた。天然の不思議系キャラと思われがちだが、実は計算でキャラ作りをしている。手先が器用で料理上手。3人の中で唯一酒が得意であり、そのためロバートの社交担当でもある。今田耕司と毎晩のように酒席を共にしていることで知られる。

■トリオ名は「なんとなくダサいイメージのアメリカ人の名前」ということでつけた。ピン芸人と思われがち。

■結成当時、事務所内にもう2組「ロバート」という名のピン芸人がいた。

■全員が身長170cm後半以上というビジュアル系のお笑いで女性に人気がある。

■三人共近視で視力が悪く、コンタクトレンズを使用している。


【来歴】
秋山と馬場は幼稚園から高校まで同じの親友。秋山は当初、代官山でお洒落な雑貨屋をやりたいという夢をもって上京したが、その夢に破れ、馬場を北九州から呼び寄せて1998年4月に一緒にNSCに入学した。

NSC在学中、秋山・馬場のコンビはイベントに出るためのネタ見せの時だけ本気を出し、それ以外のネタ見せや演技・ダンスなどの授業は手抜き気味だったという。それでもイベントではトリを務めていた(同期生コンマニセンチの証言による)。

秋山・馬場のコンビで活動することに限界を感じ、ツッコミを探す。一時は同期の板倉俊之(現インパルス)を加えて「ゼナイル」というトリオを短期間組んでいたこともある。

山本は「山本山崎」というコンビを組んでいた。しかし、山本をNSCに誘った張本人の山崎が入学後2か月で辞めてしまったため、山本は「ネタの無いピン芸人」としてさまざまな同期生とコンビを組んでは解散してさまよっていた。NSC在学中、秋山・馬場はずっと「選抜クラス」だったが、山本はずっと「基礎クラス」だった。

1998年12月、卒業公演のオーディションを直前に控え、焦り気味でツッコミを探していた秋山が同い年の山本を加え、ロバートを結成した。このような関係性から山本はトリオ内で邪険に扱われることが多い。「余っていた奴らの中から選んだだけ。こいつが良かったというこだわりは一切ない」とは秋山の弁。

結成してまだ日が浅い頃、「トゥナイト」の「養成所特集」という企画に出演が決まった。初のテレビ出演、しかも全国放送ということで張り切っていたが、遅刻癖のあった山本が収録日に寝坊をしたため出演を逃す。チャンスを潰されて激怒した秋山は、収録が終わったあとに「ごめん〜」と言いつつやってきた山本をNSCの階段のてっぺんから突き落とした。その夜、冷静になった秋山が心配して山本の携帯に電話すると、バックグラウンドに波の音が聞こえた。山本は夜中の2時、真冬の江ノ島に独りたたずんでいたという(『山本逃亡・自殺未遂事件』)。ただし、山本は翌日普通どおりの顔で現場に現れた。

2000年5月、フジテレビの深夜番組「新しい波8」に出演。2001年4月、同番組に出演した若手芸人から選抜され、新番組「はねるのトびら」のレギュラーに抜擢される。この番組をきっかけにブレーク。本人たち曰く「あまり挫折を経験していない感じ」。

2004年10月から「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」にレギュラー出演し、「Qさま」の視聴率をアップさせるきっかけとなったチキンレースクイズで最初にプレゼンを務めた。馬場が毎回案内役を務めていたが、10m高飛び込みに挑戦すると番組初のリタイア、イノシシ大接写に挑戦しても最下位という成績になってしまい、レギュラーの中で最もチキンという汚名を着せられている。秋山は山本に大抵のチキンレースで負けているが、水中でサメを接写する企画で見事なパフォーマンスを披露し、番組内では「マーメイド秋山」(共演しているさまぁ〜ず三村が付けた)の異名をとっている。また、潜水企画では非公式ながら日本男子歴代4位(当時)である75mという記録を出し、同番組の潜水企画が展開するきっかけを作った。

雑誌『ザテレビジョン』の『Qさま!!』特集(2006 9.8号)では、精神科医により3人のキャラクターが次のように分析された。

■秋山: 行動力・判断力・集中力の強いアクティブタイプ(ただし典型的タイプではない)。目力が強く、理性的で意外に二枚目な”ハンター的な目”をしている。ハンターには所有欲が強い人が多い。

■山本: 勉強家のシミュレーションタイプ。地味な努力を重ねて物事を計画的にやれるが、ハプニングに弱い。義務感や責任感が強く基本に忠実。地味なシミュレーションタイプは芸能人には珍しいが、山本はうまく中立の立場がとれるのでコンビではなくトリオで成功した。

■馬場: 子供の部分が残るバランスタイプ。責任をもたされるとビビってプレッシャーに負けそうになる。自己陶酔的なロマンタイプが混じっているので、さらに精神的な弱さがある。

山本の車で3人一緒に仕事に行ったり、沖縄ロケの翌日がフリーになったときに3人で沖縄に残って一緒に遊ぶなど、芸人のコンビやトリオには珍しく非常に仲が良い。山本は、このとき沖縄でグラスボートの底に潜ったところを撮影した3人の写真を持ち歩き、仕事で落ち込んだときに見て心の支えにしているという。

『はねるのトびら』で楽屋の様子を隠しカメラでモニターされたときも、鏡で髪型などをチェックすることもなく延々とお喋りに興じ、別室でモニターを見ていた塚地武雅や板倉俊之から「よお喋るなぁ」「友達んちだ」「仲良すぎるわ!」などとコメントされた。

芸能界での友達は非常に少ない。『ダウンタウンDX』の「数字で見る芸能界」では、馬場が20人、山本が2人、秋山にいたっては1人もおらず、弟とばかり遊んでいると発言した。

(出典:Wikipedia)

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板倉俊之(インパルス)

板倉 俊之(いたくら としゆき、1978年1月30日 - )は、お笑い芸人でインパルスのボケ担当。吉本興業所属。東京NSC4期生。兵庫県宝塚市生まれ埼玉県志木市出身。私立獨協埼玉高等学校卒。身長168cm、体重48kg。血液型B型。


【来歴・人物】
■1998年に堤下敦とコンビを結成。当初はロバートの秋山竜次、馬場裕之と「ゼナイル」を組んでいた。

■2007年5月、大谷允保との交際が発覚した。


【評価】
■コントには定評があり、様々なキャラクターを演じる(女装率高め)。2006年2月放送の「はねるのトびらスペシャル HANETORINO2006 お笑いフィギュア選手権」では、「ことわざの先生」というキャラクターを演じて優勝した。

■吉本興業の情報誌「マンスリーよしもと」内の吉本男前ランキングで、2年連続上位にランクされている。また、即席で出た言葉を変え、何気ない言葉を組み合わせ大爆笑を生む事から「言葉の魔術師」と称される。

(出典:Wikipedia)

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堤下 敦(インパルス)

堤下 敦(つつみした あつし、1977年9月9日 - )は、お笑い芸人でインパルスのツッコミ担当。吉本興業所属。東京NSC4期生。愛称は「つっつん」。相方は板倉俊之


【来歴】
■血液型はRh(-)B型。

■神奈川県横浜市神奈川区出身。私立武相高等学校卒業。関東学院大学中退。

■高校時代は野球部に所属しており、キャプテンを務めていた。野球推薦で関東学院大学に入学した。

■同期の板倉俊之と1998年インパルスを結成。結成前は、別のNSC同期生とコンビ「プラス2トン」を組んでおり、当時はボケ担当であった。

■ゲイ層をターゲットとした写真集「男写」を板倉がプロデュースした。携帯コンテンツとして公開され、2005年9月に写真集として出版された。

■2007年1月16日付けのサンスポでJJモデル・土岐田麗子と「正月バリ島旅行」をしていたと報じられた。その後、2007年4月21日に年内にも土岐田と結婚するとの記事が出たが、彼女である土岐田本人はブログで「具体的内容はまだ何も決まっていない」とこれを否定している。

(出典:Wikipedia)

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インパルス

インパルスは、日本のお笑いコンビ。吉本興業東京本社所属。コンビ名の由来は、1998年のコンビ結成当時に堤下が乗っていたオートバイ(スズキ・GSX400インパルス)の名前から。


【メンバー】
■堤下敦(つつみしたあつし、1977年9月9日 - )
神奈川県横浜市出身。RhマイナスのB型。身長174cm、体重80kg。(プロフィール上、80kgとなっているが、最近100kgの大台にのった(本人談))ツッコミ担当。

■板倉俊之(いたくら としゆき、1978年1月30日 - )
兵庫県宝塚市生まれ、埼玉県志木市で育つ。B型。身長168cm、体重48kg。(プロフィール上48kgだが最近筋肉質になり、53kg(本人談))ボケ担当。


【略歴・概要】
■東京NSCの4期生。1998年12月にインパルスを結成。同期にはロバート・森三中・POISON GIRL BAND・コンマニセンチ・三瓶など。

■NSC時代は板倉がBコースの7番、堤下がBコースの38番だった。

■舞台では漫才も披露するが、コントがメインである。ボケの板倉が演じる様々なキャラクターに堤下が鋭いツッコミを入れるスタイルで、ありふれた設定の中に非日常なキャラクターを投入して意外性を生むパターンが多い。ある種シュールな世界が高く評価され、「はねるのトびら」(フジテレビ系)のコントの土台になったネタもある。

■以前2人はビジュアル的に地味と言われていたが、2003年から「エンタの神様」(日本テレビ系)に出演したこともあってブレークする。しかし、「笑いの金メダル」(テレビ朝日系)には、一切出演していない。この背景には、「爆笑問題のバク天!」(TBS系)で太田光が「笑いの金メダル」と「エンタの神様」を「クソ番組」と評し、インパルスの2人がその意見に賛同した経緯があり、多忙という理由もあるが、エンタの神様への出演も減ってきている。

■最近は内村光良と共演機会が多く、可愛がられている模様。また、インパルス側からも「クイズ発見バラエティー イッテQ!」(日本テレビ系)にて、板倉は「内村さんと仕事すると、やりやすいんですよ」と内村が居ない所で発言していたと飯島愛に暴露される。

(出典:Wikipedia)

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トシ(タカアンドトシ)

トシ(本名:三浦敏和 - みうらとしかず、1976年7月17日 - )はお笑い芸人でタカアンドトシの坊主頭の方でツッコミ担当。相方はタカ。血液型はA型。


【人物】
■北海道旭川市出身。北海道札幌南陵高等学校卒業。

■「欧米か!」「真面目か!」などと繰り返しつっこむのが特徴。また、エンタの神様に出演する際には、コントをやるため、「漫才か!」とつっこむ。

■坊主頭。よくそれをネタにされる事があり「タコ」や、「ボール(時々砂のついたボール)」など言われたりする。また、タカに「訳分かんねえよ!」とつっこむと、「お前分け目分かんねえじゃねえか」と返される。

■現在は坊主頭だが,北海道時代はマッシュルームカットだった。坊主頭にしたきっかけは、ラジオ番組で吉川ひなのとIZAMが結婚したとき、離婚するか否かをかけて負けたために罰ゲームであり、また罰ゲームで1ヶ月だけ金髪にしたこともあった。

■タカと違い、細めのパンツにジャケットというシックな服装が好みである。

■視力が悪いため、コンタクトレンズを着用している。

■容姿に関してはよくネタにされる。彼女に「口が鼻より出ている」と言われたり、ネタで「進化の途中」と言われたり、島田紳助に「しょぼい日本兵」と言われたりする。また、阪神タイガースの赤星憲広に似ているという指摘もある。

■高校生のときに、タカとのネタ合わせを優先させて初めての彼女とのデートを断ったことがある。そのときまだコンビは結成しておらず、発表の場もないのに毎週ネタをつくってビデオでとって遊んでいたらしい。

■岡田圭右の「岡田会」のメンバーの1人。

■ツッコミの時の叩きが痛いらしい。

■父親は松山千春の元マネージャーであり、アマチュアゴルファー(ハンデ0)としても活躍している。

■長渕剛とミッシェル・ガン・エレファントのファンである。

■ハリガネロックのユウキロックを中心とした仲のいい芸人の集まり、ロックファミリーの一員である。他にはダイノジのおおちや、ニブンノゴ!のリーダーなどがいる。

■実家が貧乏。1997年、テレビ静岡主催の漫才コンクールで優勝した百万円を駅のトイレでタカとわけ、自分の分はほとんど家に入れた。2006年はブレイクしたので、実の兄と父親からお金の無心をされた。

■吉本新喜劇の島田珠代にかっこいいと言われ好かれている。また、しつこくアピールされている。

■子供のときガキ大将だった。子供の頃のケンカの必殺技は、髪の毛をつかんで引きずり回すというもの。

■高校2年時に初めてお付き合いをした女性と現在も交際している。トシの母曰く当時の高校でNo.1といっていいほど綺麗らしい。ちなみに告白したのはトシではなく彼女。

■2007年1月4日放送の「ザ・ドリームマッチ07」ではダウンタウンの松本人志とコンビを組み、漫才を披露。惜しくも優勝は逃したが客のウケは上々で、松本からは「トシの落ち着きはすごい」「緊張してた俺の方がむしろリードされてた」と、トシの的確なツッコミ術を絶賛していた。また浜田雅功も「よくやってましたよ。」と褒めていた。

■2007年1月3日のはねるのトびらスペシャルで、サンプラザ中野の格好で珍しくボケ倒した。しかし、黄金伝説でタカが松山千春でトシがサンプラザ中野のモノマネをしたが、モノマネをしたときの姿が松山千春とサンプラザ中野の特徴は黒いサングラスとまったく同じなため、結局タカがボケでトシがツッコミになった。また、クイズ!ヘキサゴンII2007年4月25日放送分でも、1人で自分の頭を叩きながら「欧米か!」と半ばボケ、芸能人雑学王No.1決定戦では東海林のり子のモノマネをしてボケてていた。品川祐(品川庄司)は「トシって正統派のツッコミじゃなかったのか」と呆れていた。

■好物はアイスクリーム、イチゴ大福、エクレア、ウナギ、チンジャオロース。嫌いな食べ物はレバー、チーズ、シナモン。

■タカはトシの体調が限界に来たとトシより先に気付き、スタッフと「トシさん会議」なるものを開いた。それは、タカ曰くトシはタカよりリセットするのに時間がかかる為。その結果、一日の休み(営業を休んでつくった日)を貰ってトシを休ませた。

■タカと同様に歌の素質はあるが、タカに比べると声量が弱く、練習不足のためかいざ歌を披露すると下手な時と上手い時とがある。ただしファルセットに関してはタカより得意としており、カラオケ企画の森山直太郎の「さくら」で100点を記録したこともある。

■幼少期のニックネームは「トコちゃん」。高校時代のニックネームは「チャッキー」。

■父親からの電話は大体お金の無心である。また、その催促が度々な為、ほぼ毎月仕送りをしており、実質的には実家の大黒柱となっている。しかしトシ本人はあまりその事を嫌がっておらず「あげられる位稼げるようになったんだからその位は何でもない、自分の親だから」と語っている。

■昔タカがダイエット中に「食べ物を摂りたくないが、歯ごたえと味わいだけでも楽しみたい」との理由から楽屋の弁当のご飯を飲まないように噛み砕き、その噛んだご飯を分からないよう綺麗に弁当箱に戻しておいた為、何も知らないトシは危うくその弁当を食べそうになった事がある。

■志村けんのバカ殿様にゲスト出演した際に、志村けんの頭を引っ叩いた武勇伝がある。

■トレードマークともいえる丸刈り(相方のタカや芸人仲間からは「禿げ」・「坊主」と言われる事が多い)は実は自分で刈っており、プロ用バリカンを使う程のこだわりぶりである。その出来栄えはプロがやっていると思われる程で「自分で刈っている」と話すと驚かれることが多くロンブーの田村淳からも「綺麗に出来ている」と言われた。又、ヘアメイクさんから「モグラみたい」と訳の分からない褒め方をされた。

■どちらかと言えばタカよりクイズが得意なようである。「東京フレンドパーク」のクイズ!ボディ&ブレインの正答率や、「クイズ!ヘキサゴンII」の予選ペーパーテストの成績が相方よりも高いことが多いのがそれを物語っている。

■2007年6月13日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした」の対決コーナーにて、父親が歌手松山千春の元マネージャーである事を告白している。

■2007年8月18日8月19日放送予定日本テレビの24時間テレビではタカアンドトシとして番組パーソナリティーを務める。

(出典:Wikipedia)

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