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超新塾

超新塾(ちょうしんじゅく)は、日本の5人組のお笑い芸人。所属事務所はワタナベエンターテインメント。


【来歴】
■メンバー全員がNSC出身。吉本興業で別々に活動していた5人で2001年10月に結成。
■ひばり事務所、オフィス★怪人社等を経て、現在はワタナベエンターテインメントに所属。
■お笑いのほかバンド活動もしており、この際はお笑いを封印している。
■イーグル&タイガーで禅(ぜん)というお笑いコンビで活動し、2007年9月15日にエンタの神様に初出演(キャッチコピーは「匠の空想職人」)。その後もレギュラー出演している。


【ネタ】
■サングラスに革ジャンの昭和ロックンロール風のいでたちで「ロックンロール劇場」と称したコントをおこなう(このスタイルでM-1グランプリにも出場しているため漫才とも言える)。リーダーの新塾イーグルがツッコミで他の4人がボケである。ボケの4人が交替交替に次々とハイスピードでボケていくのが特徴である。ネタは主に以下のような流れになっている。
■バイクの形態模写でステッペンウルフの「Born to Be Wild」のリフを口ずさみながら登場→コブラが嘆く→全員で「どうした!!」という→タイガーがコブラが嘆いている理由を話す→ドラゴンかマンモスがそれを解決しようと提案する→それをイーグルが「お前達にできるわけがない」と否定する→一人ずつ順に「俺が○○」と宣言した後ボケる(主に二周くらい)→イーグル以外全員がいっぺんに宣言する→イーグルが「四人も○○したらややこしなるやろ」という→四人が協力してボケる→左から一人ずつ「以上!」「超新塾の」「ロックンロール劇場」「おしまい」といい、最後に全員で「Thank you!」で閉める
■立ち位置は左からイーグル、ドラゴン、タイガー、コブラ、マンモス。
(タイガーとマンモスの位置が逆になることもある。)

■これ以外にコント作品として一般人の役も入れた「ロックンロール葬儀」、「ロックンロール大喜利」と言うネタもある。また、結成初期はマンモスがツッコミだった。
■現在はタイガー以外サングラスをかけていない事が多い。
■禅のネタは空想で考えたネタを披露する。


【メンバー】
■新塾イーグル(本名:溝上 洋次、1975年10月4日 - )
・兵庫県生まれ、O型。ツッコミ・ボーカル担当。リーダー(塾長)。
・元・満(ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞受賞)。大阪NSC13期生。
・チュートリアルの徳井義実らと同期。CSのワイワイワイで本名と情けない話を暴露された。
・昔はサングラスをかけていたが、現在はネタ中に唯一かけていない。
・フットボールアワーの後藤輝基に似ている。以前、後藤がテレビに出演していた際、イーグルの携帯には「お前テレビ出てたな!」という友人からの(勘違いの)電話が何本もかかってきたという。また、若干原口あきまさ、そして嵐の櫻井翔にも似ている。

■新塾ドラゴン(本名:高山 和也、1977年6月10日 - )
・大阪府大阪市生まれ、A型。ボケ・ベース担当。
・元・デモしかし(相方は浅越ゴエ)、ギャルソンズ。大阪NSC16期生。

■新塾タイガー(本名:福田 善計、1975年10月2日 - )
・岡山県津山市生まれ、O型。ボケ・ドラム担当。
・元・エグザミア。大阪NSC13期生。
・コブラと絡むネタが多い。
・本人曰く「いつも心に傷を負っている」。
・最近は「超新塾」と書かれた黒い帽子を被ることが多いのと、ヒゲが目立つので、コブラから「ヒゲ・帽子・グラサン」というネタに使われる事が多い。一時期* スーパーマリオを思わせるネタをしていた。また山本晋也監督に似ているのもネタにしている。
・オール巨人のモノマネをネタ中によくする。

■新塾コブラ(本名:安富 郁矢、1975年5月6日 - )
・広島県広島市生まれ、A型。ボケ・ギター担当。
・モヒカンをネタにすることもある。サングラスを取ると可愛らしい目なので、よくネタにされている。
・ピン芸人時代の芸名は「ジルジル煮汁」。大阪NSC13期生。
・タイガーと絡むネタが多い。
・滑舌があまり良くない。

■新塾マンモス(本名:藤原 直樹、1975年11月3日 - )
・大阪府柏原市生まれ、B型。雰囲気・ギター担当。
・元・エグザミア。大阪NSC13期生。
・駄洒落、食いしん坊、下ネタ、チアガール系のネタが多い。


【その他】
■公式プロフィールでは全員6月9日(ロック)生まれになっている。
■イーグルはNSCの同期である、チュートリアルの徳井義実と仲がいい。
■イーグルはDJとしても活躍中。電撃ネットワークのギュウゾウ主催の「申し訳ナイト」ハードコアチョコレート「パンク中学」などにレギュラー出演している。また同イベントではコアチョコライダーズというTHE RYDERSのカヴァーバンドでボーカルを務めている。
■ドラゴンとタイガーはかなりの身長差(ドラゴンが185cm、タイガーが160cm)があるのだが、正座すると座高がほぼ同じである。これはネタにもなっている。
■爆笑オンエアバトルでは塚原愛アナウンサーから、「いつも誰かが負傷した状態で出演している」という指摘を受ける。かつてドラゴンは骨折した状態で片足に黒いビニールテープを巻いて番組に臨んだ事があり、コブラもぎっくり腰をおして出演した事から。


超新塾のロッケンローなBLOG?

超新塾公式ホームページ

禅公式ホームページ


(出典:Wikipedia)

くまだまさし

くまだ まさし(1973年7月26日 - )は、吉本興業東京本社(東京吉本)に所属するお笑い芸人である。既婚。


【略歴・概要】
■本名熊田 雅志(くまだ まさし)。
■東京都荒川区出身。
■荒川区立第八中学校・関東第一高等学校卒業。
■高校時代はアマチュアレスリングの東京都チャンピオンだった(同大会の50kg級の優勝者は森一弥(エネルギー))。元々、中学生時代まではバレーボール部に所属していたが、今のコワモテ顔とは想像がつかない、いじめられっ子だったため、よく先輩から耐えられない程の過激な仕打ちを受けるターゲットにされていた。これを期にアマレスに転向している。
■東京吉本総合芸能学院2期生。
■ハゲを隠すために坊主になっている。
■2007年7月31日に放送された爆笑レッドカーペット第3弾では、最後のオチで娘が生まれたと自ら発表した。
■2007年9月11日に放送された爆笑レッドカーペット第4弾では、ハイキングウォーキングとともに「ビックリイリュージョンショー」と評したコラボネタを披露し(いつも成功するくまだのネタ時と異なり失敗している)、レッドカーペット賞にも選ばれている。(濱田マリが選出)
■2007年12月17日に放送された爆笑レッドカーペット第5弾では、ハイキングウォーキングと再びコラボし、ブルマパーティーというユニット名を付けた(ハイキングウォーキング鈴木との格好の共通点から)。
■サングラスを上下に動かすときの口ずさむBGMは、笑っていいとも!のテレフォンショッキングにてゲストが登場する曲。
■また、大西ライオンと「くまライオン」というユニットも組んでいる。


(出典:Wikipedia)

ハイキングウォーキング

ハイキングウォーキングは、吉本興業東京本社(東京吉本)所属のお笑いコンビ。2001年6月に結成。


【メンバー】
■松田 洋昌(まつだ ひろあき、1976年10月21日 - ) - ツッコミ担当が多い
・富山県富山市出身 / AB型 / 173cm / 60kg / B92cm / W77cm / H95cm
・趣味:料理、高校野球観戦、買物、公園を散歩、読書(雑誌)、服集め / 特技:スポーツ全般
・芸人になる前はパティシエとして洋菓子店で働いていた。
・前に組んでいたコンビのコンビ名は「ハックルベリー」。
・「マンスリーよしもと」が実施している吉本男前ランキングで、2006年度17位、2007年度16位。
・実家の犬は、少し肥満気味で、毛がカールしている。
・実家は美容院。
・初めてもらったラブレターを、母親に夕食時家族の前で読み上げられた。
・ほとんどのネタを書いている。
・愛称は「松兄」。
・コンバースはオールスターのハイカット黒を愛用。
・鈴木と比較してしっかり者だと思われているが、意外と天然なところがある。
・真面目な性格は自他共に認めている。

■鈴木 Q太郎(すずききゅーたろう 本名:鈴木 正志、1974年8月14日 - ) - ボケ担当が多い
・新潟県南魚沼市出身 / A型 / 173cm / 64kg / B95cm / W81cm / H98cm / F27cm
・趣味:読書、ビデオ鑑賞/特技:肉の味見、肉を切る(牛、豚、鶏)
・学生の頃、下校途中に屁をずっと鳴らしながら帰ったという伝説がある。今は全身のどこででもオナラの音を出すことができる。
・保育所の頃に馬の顎で頭を割られ、出血した過去を持つ。
・長髪で、自分自身のことをキモイと言っている。長い髪を耳の所で上に折り返した髪型(角髪)は邪馬台国の人にそっくりらしい。ディズニーのファン。
・「マンスリーよしもと」が実施している吉本ブサイクランキングで、2007年度13位。
・前に組んでいたコンビのコンビ名は「サーロイン」。
・33歳の誕生日に彼女に振られた。
・声が(非ダビ声時の)中尾隆聖に似ている。
・愛称は「Qちゃん」。


【ネタ】
■ネタは主にコント。鈴木のキモキャラを売りにしている。元々、何となく髪を伸ばしていたらキモいと言われ始めたことからキャラが定着した。ちなみに、ネタ中によく着ているディズニーキャラクターのマリーの服はプライベートでも着ている。

■ネタ中では鈴木が主体だが、スーパーイリュージョンをはじめとするほとんどのネタを松田が作っている。


《ブス田キモ子》
■『エンタの神様』で披露しているネタ。鈴木が扮するブサイクでキモい女・ブス田キモ子の自意識過剰な発言に対し、松田扮するバーの店員がメニューでキモ子を殴りツッコミを入れるというもの。ちなみに最初の出演時は金属のトレーで殴っていた。

■キモ子が自意識過剰な発言をする前に、「エマニエル夫人」の主題歌の一部が流れる。

■苦情が多かったらしく徐々に放送されなくなり、約1年ぶりの出演となった2008年1月19日の出演では普段と同じコントを行った。


《Mr.スズキックスのスーパーイリュージョン》
■短時間でできるネタとして主にTVで披露しているネタ。鈴木扮するキャラクターMr.スズキックスが様々なスーパーイリュージョン(実際には飲み会の出し物レベル)を行うが、ほぼ失敗し松田にツッコまれる。

■コーラ(番組のスポンサーによってはサイダー・ジンジャーエールの場合もあり)を飲み(だが一気飲みできずに途中で止めて松田に突っ込まれる)「徳川15代将軍の名前」や「山手線・新幹線の駅名」、「ラジオ体操第一」をゲップをせずに言い切る(やり切る)。

■しかし『ウチくる!?』で披露した際、ゲスト出演していた伊達公子夫妻から「(ゲップ芸は)国際的に失礼」と言われ、判定では×をつけられた。

■ヘリウムガスを吸い声を変えずに歌う

■風船を息継ぎなしで膨らませる

■飴の味を変える

■ハンドクリームを塗りたくった手でビンの蓋を開ける

■接着されていないダンボールを潰さずに10秒乗る

■飛ばした風船を瞬時に片手で掴み取る

■ブーブークッションの音を鳴らさずに座る

■手を全く使わずにズボンを履く(唯一、成功するが「くだらない」とツッコまれる)


《髪芸百選》
■鈴木の髪を使ったモノマネシリーズ。
■テンションの上がった海女さん
■邪馬台国が滅び行く時
■オイルショックの女
■女学生
■ブーケを奪い合う女
■パチンコで食う女
■ラーメン
■昭和20年代の女


【逸話】
■松田は富山県立富山商業高等学校在学時、野球部に所属しており甲子園出場を果たすも、レギュラーではなくスタンドでの応援だった。

■鈴木の方が年上だが松田の方が芸歴が1年長いため(松田は東京NSC2期と同期、鈴木は東京NSC3期と同期)、普段はお互い敬語で話しているらしい。しかし、鈴木は小道具を面倒くさいと持ってこなかったり居酒屋に自分から後輩を誘って閉店時間まで寝ていたりとだらしないため、松田が主導権を握っている。

■プライベートでは仲が良くバイクで二人乗りなどもしているが、鈴木が長髪のため後姿でたまにカップルに間違えられる。

■2005年(収録は2004年12月)、松田の地元で行われた『爆笑オンエアバトル』の富山大会で初挑戦にして509KBを獲得しトップでオンエア。
2005年度には平均KB6位通過でチャンピオン大会セミファイナルに進出するが惜しくも6位敗退であった。また、2006年度は5戦3勝とチャンピオン大会の出場条件である年間4勝が達成できず出場していない。

■2006年ごろから、松田の出身地である富山県の富山テレビの番組にも出演しており、富山県のローカルお笑いタレントとは一線を画す仕事ぶりを見せている。

■ラ・ゴリスターズに所属であり、1番先輩のコンビである。その事からかメンバーから慕われている(特に松田)。

■『爆笑レッドカーペット』には毎回出演しており、2007年9月11日に放送された第4弾では、くまだまさしとともに「ビックリイリュージョンショー」と評したコラボネタを披露し(いつも成功するくまだのネタ時と異なり失敗している)、レッドカーペット賞にも選ばれている。同年12月17日放送でもくまだと組み、2人の格好から「ブルマパーティー」というユニット名で参加した。

■鈴木の髪は、乳首から指3本と決まっており、毎回松田が切っている。

■鈴木は、イベントに出演した際のギャラとして、芸で使ったホルモンを現物支給された経験がある。ちなみに、そのホルモンを入れて作った味噌煮込みうどんの味は絶品だったらしい。


ハイキングウォーキングのぶろぐ


(出典:Wikipedia)

アイパー滝沢(えんにち)

アイパー滝沢(あいぱーたきざわ、1979年9月18日 - )は、テンパー望月(望月遼馬)とのコンビ名「えんにち」での芸名。埼玉県日高市出身。 本名は滝沢敦史。


【概要】
■吉本興業東京本社所属で、NSC東京校9期生。
■同期にはハリセンボン、出雲阿国、オオカミ少年、竹内大納言ターボαなどがいる。


【ネタ】
童謡唱歌・子供向アニメなどの替歌を織り交ぜながら、風貌を生かした極道ネタを行う。(替歌のみの場合も多い) また、歌の中に放送禁止用語になりそうな言葉(恐らく「ヤク」「シャブ」などであろう)がある場合、自ら「ホンホン」というハミングで隠すという芸当も見せる。(「白いホンホンホンを密輸する」など)

◎主な歌(元歌)
■一本でも日本刀(いっぽんでもにんじん)
■大きな組の下っ端で(大きな栗の木の下で)
■おもちゃのチャカチャカチャカ(おもちゃのチャチャチャ)
■ホンホンホンの学校(めだかの学校)


【逸話】
■2005年、前のコンビの解散直後に望月にコンビの誘いを受け仮結成としてM-1グランプリに出場。2回戦敗退となるが、望月の誕生日に来年の出場を宣言し正式にコンビを結成。

■髪型は月に一回、歌舞伎町の床屋で刈っている。その店の客は自分以外本物でネタになりそうな話を小耳に挟むらしい(『インパクト!』で話した際、さまぁ〜ず三村に「勇気がある」と言われた)。

■歌舞伎町で、本物に追いかけ回された事があるらしい。

■2004年7月22日放送の『銭形金太郎』(テレビ朝日)に“ビンボーさん”として出演している。当時は「ガソリンスタンドアルバイト」で月収9万円と紹介され、この時からアイロンでパーマを当てていてアイパーを自称していた。理由は、「最近の若い者はチャラチャラし過ぎ」「硬派はアイパー」だから。


よしもと芸人 えんにちのブログ案内所


(出典:Wikipedia)

エド・はるみ

エド・はるみ(生年非公開、5月14日 - )は、吉本興業東京本社(東京吉本)所属のお笑い芸人、女優。千葉県、東京都で幼少期から学生時代を過ごす。明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業。身長156cm。年齢非公表。独身。A型。

2007年8月19日放送の日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』では、自ら「成人式を2度迎えました」と発言。また、品川祐のブログに「東京オリンピックの年に生まれた後輩芸人。僕の8コ上の若手。」との記述がある。


【来歴】
1988年に円・演劇研究所を卒業し、以降女優(主に舞台女優)として活動。またその一方で、マイクロソフト公認の資格(MOT=Microsoft Official Trainer)を取り、コンピューターインストラクターと、携帯電話の大手電気通信事業内で、マナー講師の仕事をしていた。

2004年から2005年頃、表現の方向を転換。お笑い芸人を志す。このことについて、本人は「ふつふつと湧き上がる笑いに対する情熱を抑えきれず」と話している。事務所に所属していないアマチュアとして芸人コンクールのR-1ぐらんぷり2005に出場、2回戦で敗退。その後、本格的にお笑いの勉強をするため、吉本興業の養成学校である東京NSCに、11期生最年長として入学。2006年4月に卒業。同年5月17日に東京都新宿区のルミネtheよしもとで芸人デビューをした。

東京NSC卒業から3ヶ月後の2006年7月22日、日本テレビの『エンタの神様』に初出演。これがお笑い芸人としては、地上波のテレビ番組の初出演となる。

前述のようにマナー講師をしていた事から、その言葉遣いや立ち居振る舞いは、礼儀に厳しい木村祐一をして「満点」と言わせしめたエピソードがある。

2008年2月17日CX系でOAされた「一瞬で笑えるネタ祭爆笑レッドカーペット祝1周年記念特別企画史上最高56組が大集結笑いっぱなしの3時間新ネタ新キャラ新芸人続々登場スペシャル!」で優勝。選者は石原良純。


【芸名】
お笑い芸人としては、基本的に「エド・はるみ」という芸名で活動しているが、テレビ番組『エンタの神様』のみ、「木村陽子」名義で出演する。(元日テレアナ・木村優子のパロディ)


エド・はるみの本日もGood!! - 公式ブログ


(出典:Wikipedia)

なだぎ武

なだぎ 武(- たけし、本名:灘儀 武(読みは同じ)、1970年10月9日 - )は、日本のコメディアン、お笑いタレント、漫談家である。2007年,2008年R-1ぐらんぷりの勝者。現在では単独での仕事が大半だが、実際にはピン芸人ではなく、お笑いグループ「ザ・プラン9」のメンバーの一人であり、元々はお笑いユニット「スミス夫人」のメンバーであった。大阪府堺市出身。血液型A型。身長170cm。桃山学院大学文学部卒業。R-1ぐらんぷりで史上初の2連覇を成し遂げた。

【来歴・人物】
■芸人を目指すきっかけ
芸人を目指すきっかけは、学生時代に自分のネタで唯一笑ってくれた女性。その女性から視力が落ちてしまう病気であることを告白され、手術を怖がるその女性を勇気づけるためという。以前その子に言われた「灘儀が芸人になったら、私みたいに冷めてる人を笑かすんやろな」という言葉を受け「絶対に芸人になるから、手術して治った目で俺を見て欲しい」と約束した。

■NSC入学とコンビ結成&解散、なだぎの芸風
1989年の4月、当時18歳だったなだぎは、大阪NSCの8期生として加入し、同年8月に同期の松村博司とスミス夫人を結成。コンビ当時は「自分の顔をプリントしたTシャツを着て現れる」などといった変人キャラを演じる松村に対してなだぎが容赦なくツッコミを入れるが、松村はそれ無視するかのように延々とボケ続けるというスタイルのコントが多かった。シュールで奇天烈なキャラの松村とマシンガンのようなツッコミを繰り出すなだぎのコントラストが受け、一部のファンから絶賛されていたが、2001年に解散。翌2002年にザ・プラン9にヤナギブソンと共に追加メンバーとして加入した。1989年のデビューなのでナインティナインの一年先輩にあたるが、下積み期間が長く遅咲きである。ザ・プラン9の結成が2001年であることから、一年後輩のナインティナインや同期の千原兄弟、雨上がり決死隊などが中堅芸人として扱われる一方、なだぎは若手芸人の扱いを受けることが多い。また、お笑い第五世代の芸人に分類されているため、第五世代の芸人の中で最も芸歴が長い。恋人の友近とは、芸歴に11年の差があるが、友近の方が下積み期間が短く早咲きである。最近ではザ・プラン9以外に、後述のディランというキャラクターを持ちネタとした活動も増えている。また、演技力にも高いものがあるため、プラン9本公演では主役や物語を大きく動かす役が多い。

2007年の1月にR-1ぐらんぷりに出場。ディラン・ネタで見事、優勝を獲得。ちょうどグランプリをTVで見た黒柳徹子は、彼のディラン・マッケイの物まねに魅了され、自身の番組「徹子の部屋」になだぎを実生活で恋人の友近と共に招いた。黒柳は、32年間番組をやってて、自分の招きたいゲストを番組スタッフに伝え、出演させた事を今まで1度か2度しかした事がない、念願が叶ったと公言。そして、なだぎの芸を絶賛した。

ザ・プラン9の中で最年長かつ最も芸歴が長い。

【エピソード】
■コンビ命名
・大変な映画マニアであり、それが芸風や芸名にも反映している。以前のコンビ名「スミス夫人」はヒッチコックの数少ないコメディ作品『スミス夫妻(Mr. and Mrs. Smith)』(1941年、日本未公開)からつけられたもの。なお、ザ・プラン9は後藤ひろひとがつけたもので、メンバーは命名に関わっていないと思われる。

■R-1ぐらんぷり出場
・ザ・ブラン9のメンバーである浅越ゴエとは1997年12月のオールザッツ漫才の一回戦で、お互いが当時組んでいたコンビの「スミス夫人」(なだぎ)と「デモしかし」(浅越)として対戦したことがある。
・2007年のR-1ぐらんぷりでは、友近と戦った。結果発表でチュートリアルの徳井義実と同点の456点になった。その為、審査員による決選投票が行われ、なだぎに4票、徳井に1票という結果が出てなだぎがR-1王者となった。2008年のR-1ぐらんぷりも制覇した。

■改名
・ザ・プラン9加入当初はナギナギオという芸名で活動していたが、ヤナギブソンと名前を間違えられる事が多くなり、2005年6月に芸名をなだぎ武に改名している。ナギナギオからなだぎ武に改名する際、当初はギブソンが改名する予定だったがギブソンが断ったため、仕方なくなだぎが改名した。
・中之島演劇祭2006で共演した島木譲二に、なぎさ武や柳田武、なぎなた武など、散々名前を間違えられた。

■容姿
・年齢とは相応しない肉体と運動神経を誇る。今でこそ体格が良いが、前コンビ時代は痩せていた。
・BON JOVIのファンで、PVを撮ったことがある。
・2005年には関西テレビの金曜深夜の番宣枠にて「カンテーレ〜真夜中のエンターテイナーなだぎ武〜」なる約10分のミニ番組を担当していた。好評につき翌年にも「帰ってきた真夜中のエンターテイナーなだぎ武」として復活している。番組宣伝の合間に1人で様々なネタを披露するというものである。それまでは水谷豊の物まねをよくしていた。
・2007年9月29日放送の「オールスター感謝祭07秋」では武田鉄矢からアントニオ小猪木と間違われた事がある。
・2007年6月、大阪府泉南郡岬町にある「みさき公園」の「ぷ〜るらんどRiO」イメージキャラクターに起用される。

■私生活
・2006年12月19日に友近との熱愛が週刊誌に報じられた。交際は両人とも認め合っていて、よくバラエティー番組で共演する。更に、後述のディランの相棒「キャサリン」に友近が扮したコント芸まで開発し、2007年2月10日に「ディラン&キャサリン〜難問続出!?恋の数式大パニック〜」というイベントを開催した。
・イメージカラーはオレンジ。
・平山昌雄、南海キャンディーズ、レイザーラモンなど多くの芸人に慕われている。
・PLANETはSaturn(土星)
・軽い潔癖症らしく、ポテトチップを食べる時、服や口の周りが汚れないようにチップを二本の指でつまみ、顔を上に向けてそっと口に落とし込むらしい。
・嫌煙家である。
・全国的に有名になった現在も実家に住んでいる事やR-1で獲得した賞金にまだ手をつけていない事を新春番組(2008年)『今年も生だよ芸人集合 笑いっぱなし伝説』 (吉本芸人総出演の深夜番組)で司会の今田耕司と東野幸治にばらされた。本人は、売れない時期が長かった為「今まで地下生活が長かったもので」とコメント。


【ディラン】
ディラン(ディラン・マッケイ)は、なだぎが演じるキャラクター。元ネタはビバリーヒルズ高校白書シリーズの同名の登場人物。2005年のオールザッツ漫才でテレビ初登場。

必ず自転車に乗って登場し、自転車から降りて舞台のセンターに立つまでの流れがお約束となっている。まず不必要に脚をピンと伸ばしてオーバーアクションで自転車を降りる。その際いかにもアテレコじみた(後述)口調で「今自転車を降りているぞ…間違いなく今自転車から降りている…よぉし降りた」と言う。その後自転車を舞台の脇に留めるが、ここでも「…今自転車置きに行ってるぞ…」と一連の台詞が入る。そして舞台中央に戻ってネタをはじめる。また自己紹介の際に「ビバリーヒルズ青春白書でお馴染みのディラン…(間)…マッケイだ」または「ビバリーヒルズからやってきたディラン…(間)…マッケイだ」と、必要以上のタメ(短くても3秒以上だが、最近は数十秒かけるのがザラになっている)を作るのも定番である。番組ゲストでディランとして呼ばれた際、椅子に座る前に自転車を降りる際と同様の足上げを行い、その勢いで着席に失敗するというネタをすることがある。

当初は自転車には乗らず、「ブレンダ」「ケリー」「ピーチピットのナットさん」など元ネタに纏わる小ネタでマニアックな笑いを誘っていた。その後自転車は欠かせない小道具の1つとなり、アメリカンジョーク等の決め言葉を言った後は自転車のベルを鳴らすなどという行動もお約束になっている。そのため自転車特集を組んだ雑誌『ターザン』にディランのキャラでいつも使っている自転車と共に登場したこともある。

腕時計を必要以上に目に近づけて「もうこんな時間だぁ!」というネタがあるが、これは「スミス夫人」の時に使っていたネタである。

人の話を聞くアクションの際、「…にゃ、…にゃあ、…」("and yeah" または "'n yeah" を誇張したもの)と相槌をうつ。また、異常に体を後ろにそらす事がある(ネタ中で「これは日本の漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の空条承太郎の真似だ」と話している。ちなみに、ディランの吹替えもアニメの承太郎も同じ小杉十郎太が演じている)。

ヘアスタイルは変化しており、当初はパーマがかった黒髪のリーゼント、2代目は茶髪のリーゼントであった。現在(3代目)は金髪のリーゼントである。

ディランのキャラは、もともと「ビバリーヒルズ青春白書」の日本語吹き替え版でディランの声を担当している小杉十郎太の真似がなだぎの持ちネタであったことと、当時の彼女が「ビバリーヒルズ青春白書」を見ていた事から発想された。さらには、ホフディランのシングル「キミのカオ」において、「ビバリーヒルズ青春白書」をパロディにした小杉のナレーションにも感銘を受けたと語っている。当初は楽屋で「ビバリーヒルズ青春白書」を知る芸人仲間等へ観せていたという。海外ドラマ特有の「大げさなセリフ回し」や「アメリカンジョーク」、「アテレコによる独特の空気感」をデフォルメした芸風だが、ビバヒルファンの今田耕司も認める激似ぶりである(最近では今田も言い回しを真似する事がある)。前述の2005年「オールザッツ漫才」において、レイザーラモンHGに続くキャラを探せという企画で披露された際、元ネタを知らない層にも好評を得る。これがこのネタのブレイクの最初の切っ掛けとなった。なおこのネタは本人曰く、「元々このオールザッツ漫才のためだけにつくってきたものだった。」

2006年からは本家「ビバリーヒルズ青春白書」には登場していない新キャラとして相棒のキャサリンが登場している。

なだぎは「R-1ぐらんぷり」でもディランネタで参加。2006年は準決勝で敗退したが、2007年は徳井義実(チュートリアル)と共に最高得点を記録し、審査員5人による決選投票で勝利し優勝を果たし、ザ・プラン9からは浅越ゴエに続き2人目のチャンピオンを輩出した。

2007年、ドラマで本物のディランを演じたルーク・ペリーや、日本語吹替えを担当した小杉十郎太との共演がそれぞれ実現している。

2007年10月からは、アニメ『ケロロ軍曹』のオープニング曲に、"ディラン&キャサリン"が歌う「フンダリー ケッタリー」が使用されている(CDも発売中)。また、"ディラン&キャサリン"では「ビバリーヒルズ晴天白書」なるコントDVDも発売している。

2007年11月、ホフディランのシングル「カミさま カミさま ホトケさま」のジャケットにディランを演じるなだぎが起用されたが、ビバリーヒルズ高校白書の権利関係者からこのジャケットが同番組のパロディに当たるとのクレームが入り協議を行ったところ、発売直前になり同シングルの発売は延期され、ジャケットが差し替えられることとなった。

オールスター感謝祭のマラソンを走り終わり、島崎和歌子に「大丈夫ですか?」と聞かれたところ、「悪ぃが自転車を用意してくれないか」と言った。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20080218-00000001-sanspo-ent

小浦一優(CO-RA,芋洗坂係長)

小浦 一優(こうら かずまさ、1967年12月18日- )は、日本のコメディアン。本名は同じ。福岡県出身。血液型はA型。身長167p・99s。趣味は似顔絵描き、特技はタップダンス。劇団アンテナコンテナ在籍中。

別名-CO-RA

1989年、田口浩正(現・俳優)とお笑いコンビ「テンション」としてバラエティ番組などで活動した後、ソロとして舞台を中心にCMの振り付けなどにも活躍。

「テンション」で活動してた当時は痩せていたが、その後段々太り、デブタレで一番のライバルは元・相方の田口と言っている。

その後、GO−JAPで活動

『R-1ぐらんぷり2008』に“芋洗坂係長”として出場し、決勝進出した。



公式 小浦一優またはCO-RA

あべこうじ

あべ こうじ(本名:阿部 公二、1975年2月19日 - )は、神奈川県横浜市出身のお笑いタレント(ピン芸人)。血液型O型。吉本興業東京本社(東京吉本)所属。身長は178p体重は65s。


【プロフィール】
■1998年に渋谷公園通り劇場の渋谷新人計画で「カンヴァス」というコンビでデビューするが、2001年に解散。同年にピン芸人として再デビュー。

■レギュラー番組として少女Bに出演していた。他にもエンタの神様、Click!に出演している。また、東京新宿のルミネtheよしもとにも出演中。

■日常生活で起こるトラブルの対処法を漫談形式で話すネタを得意とする。あくまでネタであるため実際に有効な対処法ではない。

■漫談やトークで「ウザい」と言われたり自ら言うことがある。

■2000年に結婚。小学生の娘がいる。(ヨシモト∞にて)

■2007年3月に離婚。一人暮らしをしている。(2008年1月2日放送のMBS「ジャイケルマクソン」にて本人が告白)

■「あべさく」としての活動もあり、佐久間一行とは休みの日でも会うほどの仲の良さで評判である。

■芸人になる前にはさまざまが職業経験があり、俳優の仕事をしていたこともあるため、演技やナレーションの評価も高い。映画『机のなかみ』では主役の家庭教師・馬場元役に抜擢されている。

■3月26日に放送されたあべこうじのポッドキャスト番長にダンカンがゲストに登場し、ダンカンはあべの師匠および大先輩であるとわかった。

■アップダウンの竹森に顔が似ており、よく間違われる。しかも苗字が相方の阿部と同じなので「ひとりアップダウン」と自称する。

■2007年11月26日「2周年特番 無料放送だ! 全員集合?!」総合MC、2008年1月1日(火)ヨシモト∞火曜2部MC:チュートリアル(一身上の都合上により休演)MC代行を行い、2008年2月1日付でサブ・レギュラー昇進。隔週金曜日1部担当を行う事になった。


【受賞歴】
■2005年R-1ぐらんぷり3位
■2006年R-1ぐらんぷり準優勝
■2007年R-1ぐらんぷり準決勝敗退


あべこうじHAPPY日記。

友近

友近(ともちか、本名:友近 由紀子 - ともちか ゆきこ、1973年8月2日 - )は、日本のお笑い芸人、ものまねタレント、女優。愛媛県松山市出身。松山東雲高等学校、松山東雲女子大学人文学部卒業。吉本興業東京本社所属。吉本総合芸能学院(NSC) 23期生。血液型:B型。星座:獅子座。愛称「ともちー」。姉がいる。 スリーサイズは、B94・W68・H90


【概要】
人物描写に優れ、旅館の女将&仲居さん、学校の先生、街中のお姉ちゃん・おばちゃん・おっちゃんネタ、クラブのママといった水商売の女、極道の妻などになりきる「ひとりコント」を持ちネタとしている。 将来はシュールなお笑いも出来る事を目指しているという。歌唱力には定評があり、2004年には『Tokyo』で歌手デビューもしている。

大学在学中にローカル番組のリポーターから芸能界へ転身、その後旅館の仲居を経て一念発起して芸人を志しNSCに入学、通天閣のエレベーターガールをしながら芸を磨き、現在は吉本所属の女性芸人の中でトップのレギュラー番組数を抱える人気芸人となる。

同時期にメディア露出が増えた青木さやかと比較される事があるが、本人は「自分は芸人なので、しっかりとネタを披露できる場で仕事をしていきたい」と語っており、トーク中心の青木とは異なり自らのネタに対する大きなこだわりを持っている。そのため「マルチタレント」と呼ばれるのを嫌がっている。オールナイトニッポンのスペシャル「渡辺美里のオールナイトニッポン」でゲスト出演した際には「毒舌は言う気にならないんですよね」と語っている。ただしラジオ番組ではその限りではなく、芸能人や放送局批判なども行っている。

毎日放送のラジオ番組「ゴーゴーモンキーズ」の企画で撮影会をやる事になり(後述)そのために減量をしたが、間もなくしてリバウンド。又、2005年7月9日に放映されたTBS系のテレビ番組「爆笑問題のバク天!」でも1週間の短期集中ダイエット企画を行った。この時はウエストのサイズを78cmから69cmへ落とした。

お笑いブームに乗り知名度が全国区になった後も大阪在住(姉と同居)を続けていたが、2006年春に活動及び生活の本拠を東京に移した。ただし、現在も定期的に大阪のうめだ花月などに出演している。

地元・愛媛県には、彼女の後援会がある。ちなみに「友近」という姓はこの愛媛県(特に松山市などの中予)に多い。

コントで演じたキャラクター ディラン&キャサリン のキャサリン役が、ハマり役となり、ケロロ軍曹 の第7弾OPとしてCDも出した。


【ものまね】
ひとりコントのほか、ものまね(しゃべりまね、歌まね、擬音)も得意とし、フジテレビの「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」などで披露している。ひとりコントの中でものまねを織り交ぜる事もある。

『主なレパートリー』
■桜田淳子
「リップスティック」の歌マネで「似ている!!」と大絶賛された。歌マネでは清水ミチコや中島マリのようにデフォルメした形態模写や歌詞をふざけたものに変える等のネタはせず正統派一本槍である。
■外国映画の吹き替え(キャサリン)
■中森明菜
中森本人から「自分と区別がつかない」と言われた。やたら声が小さい。妹の明穂をよく話題に出す。「車庫入れを語る中森」が十八番。
■黒柳徹子
■幸田シャーミン
■竹井みどり
映画『ミナミの帝王』で矢吹麻子の会話
■十朱幸代
「いってらっしゃい」のみ
■浜木綿子
■矢井田瞳
■KEIKO(globe)
■渡辺美里
■加藤みどり
『大改造!!劇的ビフォーアフター』のナレーション
■『平成教育委員会』、並びに『熱血!平成教育学院』の勉強小僧(「○○君の答え」などのまね)
■ニワトリ
■山口百恵
■ドアが閉まって発車するバス
■ユンソナ
大笑いする時のまね
■中山美穂
『毎度おさわがせします』での「トオル、オレの部屋でレコードでも聞かないかっ?」というセリフ
■小柳ルミ子
記者会見時、大澄賢也の事に触れられた時の「その質問、聞こえませ〜ん」という発言
■工藤静香
■ラジオのDJ『チャーチャ』
■都はるみ
■南野陽子
■倖田來未
主にしゃべりのまね。しばしば「なー」と言う。
■松田聖子
■柏原芳恵


【略歴】
少女時代、歌手を夢見て地元の数々のカラオケ大会に出場。14歳の時、MBS「全日本ジュニア歌謡選抜」全国大会準優勝の経験もある。渡辺美里の「Long Night」を歌った。

大学時代から『とにかく愛媛5:00』(テレビ愛媛)のレポーター、『特盛鴻上丼』(あいテレビ)のアシスタントなどとして活躍。一時期は多くのレギュラー番組やCMを抱える「愛媛のスター」となるが、お笑い好きの血が騒いだのか、VTRでお笑い演出に走りすぎたため、やがて地元の視聴者やテレビ局スタッフから「不真面目だ」と総スカンを食らい、レポーターの仕事を降ろされてしまう。大学卒業の前後には、地元の愛媛県内で、実際に旅館の仲居さんをしていた事もある。

地元でのレポーターの座を追われてしまったが、芸能界の夢を捨てきれず2000年8月に大阪に移り、吉本興業の若手タレント養成所・NSCに入学(23期生)する。この頃、通天閣のエレベーターガールのアルバイトをしながら大阪のおばちゃん達の生態を徹底研究。

2001年3月、NSC卒業。以後baseよしもとを中心に活動するが、女子中高生が中心の客層の中爆発的な人気を得るには至らず、また格上クラスのタレプロ組が当時ほぼ固定されていたこともあり、2003年9月のうめだ花月移籍による卒業まで、レギュラー落ちの可能性のあるガブンチョ組扱いであった。しかしその秀逸な芸がFUJIWARA、バッファロー吾郎を初めとする先輩芸人に注目され、深夜番組などに頻繁に抜擢される内に、コアなお笑いファンの間で人気を得るようになる。 テレビ大阪「吉本超合金F」では自室をガサ入れされ私服のセンスがない事をバラされる。これを見たFUJIWARA原西孝幸は「うわっ、オレのオカンと同じセンスや!」「彼女がデートに着てきたらビリー破るで!」などと酷評。又、「イカせてSEX中毒素人娘」なる秘蔵AVを発見・その場で再生され、藤本敏史に「友近、お前いきなり3Pやないか!」とつっこまれる(30秒後、実は4Pだったことが発覚し「友近、お前3Pや思たら4Pやないか!」と更につっこまれる)。

2002年、ピン芸人NO.1を決める「R-1ぐらんぷり2002」でファイナル進出。2003年、第33回NHK上方漫才コンテストで優秀賞、NHK新人演芸大賞で大賞をそれぞれ受賞。徐々に世間に認知され始め全国区タレントへ。

「爆笑問題のバク天!」(TBS)に出演。主に「恐怖のバク天芸人」「パラパラ日本昔ばなし」などのコーナーを担当。2006年1月21日の放送では「完全メイド宣言」に一日メンバーとして入団した。

2004年1月、第25回ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞受賞。同年7月、ラジオ「ゴーゴーモンキーズ」(毎日放送)の企画としてビキニ水着やレースクィーン、チアガールなどのコスプレ写真撮影会が実施された。

2006年11月19日、MBSゴチャ・まぜっ!の企画による第2回友近ビキニ撮影会が開催された。

2006年12月20日、なるトモ!で、かねてから噂のあったなだぎ武(ザ・プラン9)との交際を認める。これを逆手に取り、なだぎと友近は2人で「ディラン&キャサリン」(ビバリーヒルズ高校白書のパロディー)としてTV出演・舞台公演を行っている。ただしキャサリンという人物はビバリーヒルズ高校白書シリーズには登場しておらず、アメリカドラマに登場するステレオタイプな女性を演じているに過ぎない。 2007年2月28日、なるトモ!で「抱かれたい芸人ランキング」でなだぎが一位なのに対し「誰にも抱かせませ〜ん」という発言をしている。

2007年6月21日付の東京中日スポーツに、なだぎとの関係が破局したとの記事が掲載された。しかし友近は27日放送のバラエティ「明石家さんちゃんねる」内のトークコーナーで報道を否定、今も熱愛中であるとコメントした。

2007年9月3日放映のTBS「東京フレンドパークII」には、なだぎと共にゲスト出演。番組冒頭でディラン&キャサリンとして登場したが、ウォールクラッシュからは「なだぎ・友近」としてアトラクションに挑戦。結果はストッパーキューブリッジを除く四つのアトラクションで金貨を獲得。友近は前回出場時、屈辱の「逆グランドスラム(金貨無獲得)」に終わったが、今回はなだぎとの息の合ったプレイで雪辱を果たした。


【エピソード】
東大阪にある高校の学園祭への営業の最中、近くのビデオ屋で及川奈央がサイン会をやっていることを聞いたケンドーコバヤシは、ネタ15分のところを5分で切り上げ、同じ営業グループだったサバンナにも5分で切り上げるよう無理強いして、残りの40分を友近に任した。この時、同行していた吉本社員も怒るどころか一緒にサイン会へ駆けつけたため、友近はひとり学園祭会場に残された。

また、ケンドーコバヤシは「及川奈央の電話番号を聞き出すように」と友近へ指示。友近は及川から電話番号を聞いたものの、「他人のプライバシーを勝手に教えることはできない」、と拒否したため、コバヤシの怒りを買った。

友近の母(友近千鶴)は地元愛媛でアートコーディネータ・占い師・不登校の小学生の支援活動などを行っていて、最近は地元の南海放送でラジオのパーソナリティー(ママ友近)としても活躍している。また、2007年9月に松山市南堀端町に喫茶店「CAFE GALLERY」を開いた。会社員に大人気であり、友近の母は、友近が言うに「おっさんの観察が趣味」であるらしい。

爆笑問題太田光は友近を「美人」として見ており、「友近ちゃん」と呼んでいる。

近藤真彦の大ファンである。

仕事で和服を着るときには、「和服を着慣れた人しか着ない渋好みの服」(美輪明宏談)を選んで着る。

関西テレビのロケ弁当がまずいとクレームをつけた事が未だにゴチャまぜのネタにされている。

母親は松山市南堀端町に「CAFE GALLERY」という喫茶店を開いている。


(出典:Wikipedia)

博多大吉

博多 大吉(はかた だいきち、本名 吉岡 廣憲(よしおか ひろのり)、1971年3月10日 - ) は日本のお笑い芸人で博多華丸・大吉のツッコミ、ネタ作り担当。


【人物】
■福岡県立光陵高等学校卒業、推薦入学で福岡大学経済学部へ(後に中退)。尚、在籍していた落語研究会での高座名は「福々亭こまんど」である。旧名・亀屋 大吉(かめや だいきち)。2007年11月18日、12年来お付き合いをしていた宮崎県出身の女性と結婚。

■プロレスが好きで『DRAGON GATE〜龍の扉〜』の司会者もつとめている。プロレスラーのハヤブサは親友であるほか、三沢光晴とは飲み友達であり、このことが松下笑一の改名のきっかけにもなった(本人項目参照)。

■趣味は他に、「アニメキャラクターの年齢を調べるのが好きだ」と、未来創造堂の中で披露していた。そのため、年齢を言えばその年齢のアニメキャラクターを次々と言い出す癖がある。

■長身で細身。長身を生かして学生時代はバスケットボール部に所属していたが、天性の虚弱体質と運動音痴で、若手時代は「もやしっ子」などとも言われていた。

■東京進出後は、福岡吉本時代の後輩であるバッドボーイズの清人を自宅に居候させている。また、今田耕司に可愛がられており、今田主催の飲み会「コージー's ナイト」の常連。

■2006年2月に華丸がR-1ぐらんぷりで優勝したが、これは華丸に内緒で大吉とマネージャーが勝手にエントリーしたところから始まっている。児玉清のあいうえお作文ネタも、大吉が考えたものである。

■父親はロサンゼルス五輪以降から無職であると、『ヨシモト∞』で明かした。ちなみに母親は看護師のお手伝いさんで、姉も同じ仕事をしているらしい。

■元々前面に出て行くタイプではないらしく、最近は華丸一人が目立って自分は目立たない存在になっているが「こういう形が理想」と華丸が前面に出る芸風こそが自分たちの本来の姿と発言している。それゆえ、華丸のR-1優勝を誰よりも喜んだのも、彼であった。ただし仕切りやトークの実力は平均以上の腕は持っていて、福岡での福岡吉本番組の司会はほとんど大吉が務めていた。

■しかし、2007年1月25日に放送された雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!では越中詩郎大好き芸人としてケンドーコバヤシ,バッファロー吾郎と共に全国放送では珍しくピンで出演していた。

■華丸が優勝した翌年・2007年のR-1ぐらんぷりには、華丸に代わって出場。準決勝まで勝ち上がった。出場は今度は華丸が大吉を勝手にエントリーしたため。また、華丸から「もし1・2回戦で負けたらコンビを解散するかも」とも言われたそうだ。

■いつも蛙のぬいぐるみを持ち歩いている。本人はそのぬいぐるみを「かえるたん」と呼んでいるらしい。ぬいぐるみには話しかけられるが、子供と話すのは苦手。

■実は天然キャラでもあり、2007年2月17日に放送されためちゃ×2イケてるッ!のシンクロナイズドテイスティングのコーナーでは、『(華丸が発言後)うまいでしょ?うちの相方』と相方を立てたりするなどの天然ぶりをみせた。


(出典:Wikipedia)

博多華丸

博多 華丸(はかた はなまる、1970年4月8日 - )は、日本のお笑い芸人で博多華丸・大吉のボケ担当。福岡市早良区出身。本名は岡崎 光輝(おかざき みつてる)。


【人物】
■福岡市立高宮中学校・福岡大学附属大濠高等学校卒業、推薦入学で福岡大学工学部へ(後に中退)。尚、在籍していた落語研究会での高座名は「福々亭さろん」である。旧名・鶴屋 華丸(つるや はなまる)、妻子持ちである。

■福岡ソフトバンクホークスの大ファンであり、長渕剛信者。長渕に関しては熱狂的なファンであり、どんぴしゃの赤峯康一と二人でかつて路上ライブをしたこともある。

■大きな目がトレードマーク。水戸黄門の印籠を出すしぐさをして「よかろうもん!」というギャグをやる(今井雄太郎の「全員三振」を参考にしたものと思われる)。ちなみに元ソフトバンクホークス(2007年より千葉ロッテマリーンズ)のフリオ・ズレータのホームラン後のパフォーマンス「パナマウンガー」の後によかろうもんと付ける様になったのは、彼がこの言葉を教えてパフォーマンスの時にやってくれと頼んだのがきっかけである。

■1997年頃には、CROSS FMで『SHAKE HIP GROOVIN'』というレギュラー番組(平日午後のワイド番組、博多駅のサテライトスタジオからの生放送であった)のメインナビゲーターを務めていた。この番組で後にターニングポイントとなる児玉清のものまねを始める。

■2001年頃から一時期、単独で吉本新喜劇に在籍していたことがある。

■一生のライバルは、同期で兄貴分のコンバット満だと語っている。コンバット本人は「もう東京に進出してしまっているし、彼のほうが全然上なのに、ずっとこう言い続けてくれるのが嬉しい」と話している。

■ジャッジ 〜島の裁判官奮闘記〜で親権を争う父親役を好演した。


【ものまね】
■ばってん荒川
・特にばってんは十八番の物真似であり、一時は「ばってん室見川」というキャラクターを演じていた。その為、福岡ではどちらかというと児玉よりばってんの物真似のほうが浸透している。
・地元福岡ではスベリ知らずの鉄板ネタであるが、リンカーンで雨上がり決死隊に披露した時は福岡での鉄板ぶりを知らない雨上がりの二人は微妙な顔になった。「カメラ止めてもらっていいですか」「初めてスベリました」と二人はうろたえていた。

■川平慈英
・サッカー日本代表のスターティングメンバーを発表していくうちに「高原!中田!松中!ズレータ!」といつの間にかホークスの選手になってしまう。
・スポーツニュースサッカーコーナーで感情が入りすぎて結果がわかってしまうVTRフリ。
・顔も似ているため、ニュースステーションで川平慈英が出演しているのを見て父親が華丸が出てると勘違いしたエピソードもある。

■手嶋準一(気象予報士)
・手嶋自体は出演しているテレビ西日本の放送エリア外ではほとんど知名度がなく、これもまたばってん同様「地方限定ネタ」の一つとなっている。

■福岡ソフトバンクホークス監督の王貞治
・フジテレビ系列『とんねるずのみなさんのおかげでした』内のコーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権8」ほか(これもまた福岡ではよく知られたネタのひとつ)。

■トーカ堂社長の北義則(同上)

■横峯良郎(同上)

■みのもんた
・テレビ東京『ぶちぬき』木曜・極楽とんぼの「鬼のツボ合戦」で2005年に披露。

■『アタック25』司会者・児玉清
・2005年11月には、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内のコーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権6」に出場。児玉清のモノマネで見事優勝した。12月29日に放送された「全国大会」でも児玉清のモノマネで再度優勝。賞金100万円を手にした。
・2006年はR-1ぐらんぷりに出場し児玉清のモノマネ(あいうえお作文「あ行」から「た行」)で優勝、トロフィーと賞金500万円を獲得した。
・2006年7月31日の『豪華77組新ネタライブ笑う夏休み最強スペシャル』(テレビ朝日)のモノマネコーナー「六本木ゼミナール夏期講習」で、児玉清(あいうえお作文の「あ行」・「は行」・「ま行」)や川平慈英のモノマネを披露した。
・2006年9月3日放送の「アタック25芸能人大会」で児玉と初共演。博多華丸・大吉ペアとして青の解答者となり、出場した。優勝こそ出来なかったが、本家とのWアタックチャンスが実現し、他の出場者・観客から拍手と爆笑が溢れた。また解答者の紹介の時、今の気持ちをあいうえお作文の「あ行」で表現するため、児玉清から合いの手を入れてもらい、ネタを披露した。最後の問題ではペアで答えた後、華丸自身で「ラストコール」をした。
・児玉の物まねとして、2007年8月25日に行われた日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)1部・川崎フロンターレ対ガンバ大阪戦で川崎が行った集客PRキャンペーン「アタック!25日」に登場した。福岡市にもJリーグクラブ・アビスパ福岡があり、その応援もしている華丸は川崎からの依頼にためらったものの、この年は福岡が2部にいて、川崎とは直接対戦しないので出演を決めたと自らのブログで説明した。
・児玉にはかなりの敬意を抱いているようで、福岡放送のナイトシャッフルの2007年5月27日放送分(スペシャル)においての大吉の発言によると、「ホリくんがやる『えなりかずきが絶対に言わない事』見たいな事を(児玉清で)やればいいのにという話が出ても、本人は『児玉さんに失礼だから』と断固やらない」という。


(出典:Wikipedia)

博多華丸・大吉

博多華丸・大吉(はかたはなまる・だいきち)は吉本興業東京本社(東京吉本)に所属する日本の漫才コンビ。1990年5月にコンビ結成し、吉本興業福岡事務所(福岡吉本)からデビュー。福岡で活動した後、2005年に上京し、吉本興業東京本社の所属となる。博多弁漫才を全国展開し活躍している。略称は華大(はなだい)。


【メンバー】
■博多華丸(はかた はなまる、本名 岡崎 光輝(おかざき みつてる))
1970年4月8日生まれ。福岡市早良区出身。ボケ担当。

■博多大吉(はかた だいきち、本名 吉岡 廣憲(よしおか ひろのり))
1971年3月10日生まれ。福岡県糟屋郡古賀町(現・古賀市)出身。ツッコミ、ネタ作り担当。


【来歴】
福岡大学在学中には2人とも落語研究会に所属し、そこで知り合いコンビを結成する。吉本興業福岡事務所の1期生のオーディションに合格し「鶴屋華丸・亀屋大吉」(つるやはなまる・かめやだいきち)としてデビューする(後に2人とも大学を中退)。福岡県をはじめとする九州・山口地方ではトップクラスの人気があり、全国デビューする前の1995年にフジテレビ『めちゃ²モテたいッ!」』(『めちゃ²イケてるッ!』の前身番組)で「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。また、本格的な全国デビュー前も『爆笑オンエアバトル』に出演しており、他地域でもお笑いファンには一定の知名度があった。

福岡吉本1期生であることから芸歴は長く、NSC9期生の面々 ナインティナイン、 ほっしゃん。、宮川大輔、矢野・兵動ら)が同期生にあたる。

2001年の第1回「M-1グランプリ」では惜しくも11位となり決勝進出とはならなかった。ちなみに、当時は敗者復活枠が無くこの時点で結成10年を超えていた為、次年度以降は出場出来ず、これが最初で最後の出場となった。

2002年頃から東京進出が噂になり始め、当時吉本興業社長だった林裕章から直々に「ぼちぼち福岡からも目玉を出さなあかんな。もちろん君らからや」と言葉を投げかけられるものの、直後に林社長が病に倒れ会長職に退いたことや、福岡吉本も一枚看板「華大」がいなければ巡業などの仕事も減る為、この話は一度立ち消えとなった(テレビ西日本「ふとっぱら」より)。

2004年4月、「名前を変えればM-1に出られる」という単純な理由(実際は改名後1回もM-1グランプリに出場していない。)と、元祖爆笑王に「福岡吉本らしい屋号にしたら?」と勧められ屋号を博多に変更した現在の芸名となり、2005年4月に3年越しの念願であった東京本社へ移籍。移籍後はルミネtheよしもとでの舞台などが主な活動の場となっている。また、月に数回は福岡での仕事も出張として行っている。しかし、テレビ局や制作会社には新人とみなされたため、東京進出直後はテレビ出演一本あたりのギャランティは福岡時代より断然減っていて、出演数をこなしているのでそれなりの生活が出来ている状態であった。また、上京直後に初めて笑いの金メダルのオーディションを受験した際、担当ディレクターが福岡出身で尚且つ学生時代から華丸・大吉のファンであったことから「お願いですから(たった1分の出演のために)こんなオーディション受けないで下さい」と言われたことがあり、エンタの神様のオーディションにも落選している。芸歴が長く場慣れしているため、この手のお笑い番組が求める新鮮さとは合わず、当時はなかなか仕事がもらえなかった(2007年・ナイトシャッフルでの発言より)。

2005年10月、とんねるずのみなさんのおかげでした内のコーナー、博士と助手 〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜の第6回大会に華丸が出場、児玉清のモノマネで優勝し、注目を浴びる。(その後、第7回大会も優勝し、連覇する。)

2006年2月、『R-1ぐらんぷり』の決勝に進出。児玉清のモノマネのネタで、華丸が優勝。なお、この大会で披露したネタを作ったのは相方の大吉であり、裏方に回って華丸を支えていた。ちなみに2005年時の優勝者のほっしゃん。とは吉本の同期にあたる。

2006年5月19日にはなかやまきんに君からの紹介で『笑っていいとも!』のテレフォンショッキング出演を果たす(1週間前の同コーナーには偶然にも児玉清が出演していた)。

2006年に、親交があるつんくが福岡で活躍していたタレントの出光加奈子と結婚したが、紹介したのが華丸・大吉であった。華丸は「いつワイドショーが取材に来るか分からないから」と髪を整えてずっと待っていたが、一切取材が無く終わってしまった。

長らく福岡で活躍していたため、東京進出まであまり視聴者には知名度が無かったものの、福岡に仕事でやってくる芸能人・業界人とは親交が深い。華丸は藤井フミヤと飲み友達であり、前述のつんくを始め、三沢光晴や下柳剛など各界に友人知人がいる。

2006年9月3日にはついに『パネルクイズ アタック25・芸能人大会』に出演。ジャガー横田・木下博勝夫妻、山口もえ・魚住りえ、三遊亭好楽・林家木久蔵(現・木久扇)らと共演し、二人の勢いが芳しくないのにもかかわらず特別に児玉清と「アタックチャンス」を披露。さらに最後の問題に華丸が正解したため、児玉の粋なはからいにより、華丸が児玉の物まねで自ら「ラストコール」を行うなど、かねてから憧れていた舞台で憧れのネタを披露出来た。


【エピソード】
■地元福岡では未だに彼らのことを改名前の「鶴屋華丸・亀屋大吉」と言う人が多く、現在の芸名がなかなか浸透していないのが現実であり、「博多華丸・大吉」と名乗る彼らを「博多大丸」(福岡の有名デパート)と勘違いする人も多い。

■R-1優勝者の発表の直後、華丸は「博多のみんな、やったばい!!」とガッツポーズ。続けて「児玉さんに何てお礼を言ったらいいか…」と児玉清に感謝の意を述べた。

■優勝後の会見で、「児玉さんがこんなに浸透しているなんて。皆さんのおかげです」と再び児玉に感謝の弁。司会の宮迫博之に「優勝賞金500万円のうち450万円くらいは児玉さんにあげなあかん」と言われると、うなずきながらも「賞金はネタを一緒に考えてくれた相方と分けます。残りは中洲でボンバーします!!」と発言。相方の大吉は「嬉しい。けれど、賞金はもらえない」、2人で「次はコンビで上方お笑い大賞を狙います」と大きな夢を語る。後日別の番組で華丸が「2人で半額に分ける事を提案したが大吉から却下され、『(華丸の)嫁にあげればいい』と言われた」と語った。尚、同番組で大吉は、華丸が賞金をもらえないのはかわいそうなのでこの250万円は相方のために使うと語っていた。

■「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で優勝し感想を聞かれた時は、児玉のモノマネで「大変結構でございます」と答えた。

■2006年2月、東京MXテレビ『談志・陳平の言いたい放だい』で漫才を披露し、立川談志にその芸を誉められる。

■2006年4月、コンビでTBS系『アッコにおまかせ』に出演した際、オープニングで和田アキ子に「何かネタやって」と言われた時、華丸はすかさず児玉のものまねをしたが、和田アキ子には理解されず「これ本当に似とんの?」と言われ、疑われてしまった。

■2006年4月16日放送の『あっぱれ!!さんま大教授(第59話)』(フジテレビ)にブラックマヨネーズと共にコンビで出演した際、華丸の「児玉清さん御本人が自分のネタの事をどう思っているか気になる」という話から番組スタッフが児玉の元へ取材に行き、華丸が演じる自身のモノマネ芸のVTRを見せて感想を求めるという企画を放映した。この時の取材が、児玉自身が華丸の芸を初めて目にする機会でもあった。VTRで華丸のネタを視聴した児玉は少し戸惑いながらも「モノマネをしてくれてありがとう」と礼を言い、「でも僕は絶対左手では“アタックチャンス”はやりません、必ず右手です」と華丸の芸の間違いを指摘した(尚、これは間違いではなく、「本物である児玉さんが右手でやっているのに、真似をしている自分が右手でやるのは恐れ多い」という気持ちから行っていることである)。

■2006年5月7日放送の『R-1・2006リターンズ』(関西テレビ、全国ネット)で児玉から華丸あてのビデオメッセージが披露された。児玉曰く「僕は正直似ているとは思っていないんだけれども、まわりは似ていると言ってくれている。これは僕が素晴らしいのではなく華丸さんの芸が素晴らしいのであって、感嘆しております」と最大級の賛辞を贈り、最後に「博多華丸さんに、アタックチャンス!」と特別なアタックチャンスを披露した。

■2006年7月5日TBS「はなまるマーケット」に出演した時点で、それまで華丸は児玉と直接会っていなかったが、9月3日放送の朝日放送パネルクイズアタック25「芸能人大会」で華丸・大吉のペアでクイズに挑戦した。

■東京に渡り、知名度・人気共急上昇した現在もなお福岡ローカル番組への出演を続けており、毎週必ず生放送や収録のため福岡に戻っているが、現在は3ヶ月分貯め撮りする事もあるとか。しかしさすがに時間が取れないのか、大吉が自身が司会であるTNCのDRAGON GATE龍の扉に出演する程度で、福岡ローカル番組への出演が減って来ており、TNCのピィース!の人気コーナーである『華大東京化計画』や『サラリーマン華太郎の中洲ぶらぶらでよかろうもん』は2006年9月以降放送されていなかった(『サラリーマン華太郎の〜』は2006年12月から不定期ながら放送されている)。

■前述の通り、華丸は福岡ソフトバンクホークスの大ファンなのであるが、2006年は何故か彼が球場で試合を観戦すると負けてしまうというありがたくないジンクスが出来てしまった。「惨敗の王子」と称号までついている。これはあくまでも2006年に限ったことであり、以前TVQスーパースタジアムの副音声に出演していた頃は勝率が良かった。

■レギュラー番組であるTNCのピィース!のコーナー『華大東京化計画』において、コンビ結成秘話を語りつつ当時よく通った店などを巡るという企画を行い、当時大吉が住んでいたアパートの近くにケン坊田中が住んでおり、よく大吉のところに遊びに来ていたらしく(当時ケン坊は実家で暮らしており、大吉の部屋にちょっとした家出的な形で遊びに来ていたという)福岡吉本のオーディションを知ったのも、ケン坊に聞いて知ったと告白している。実際現在も福岡吉本の1期生の面々はかなり仲がいいと言われている。

■(『華大東京化計画』でのエピソード)「東京で活躍している福岡出身の芸能人が出迎えてくれる」と聞いた華丸・大吉。それも「トップ中のトップ」が待っているらしい。二人は「サングラスが来たらどうする?」などと、タモリに迎えられることを期待してしまった。が、実際に待っていたのは福岡吉本の同期でもある竹山隆範(カンニング)であった。華丸・大吉は最初、「竹山は認めんぞ」と逃げようとしたが結局、3人で東京都内を回ることになった。「TNCの番組にタモリさんが出るわけないだろ!TNCの局にタモリさんが来たとき、スタッフの目つきが変わったこと、お前らも知ってるだろ!」と、竹山。

■華丸は爆笑問題の検索ちゃんで「検索ちゃんぴおん」になったゲストの1人。

■ビートたけしに対する憧れが強く、本当は吉本興業よりむしろオフィス北野に入りたかった。しかし福岡吉本ができたために、吉本入りすることにした。ちなみにビートたけしとは、「たけしの誰でもピカソ(テレビ東京系)」で初共演した。

■爆笑オンエアバトルでゴールドバトラーを獲得した芸人で唯一、チャンピオン大会に出場したことがない。

■福岡吉本出身の華丸・大吉は、札幌吉本出身のタカアンドトシと何かにつけ比較される。
1.両者共、吉本興業の地方事務所の1期生であり、看板タレントであった。タカアンドトシは吉本興業札幌事務所開設時のオーディションを経て、94年に1期生としてデビューし、やがて札幌吉本を担う主力芸人となった。華丸・大吉も、吉本興業福岡事務所開設時のオーディションにより、90年に1期生としてデビューし、瞬く間に福岡吉本を代表する売れっ子芸人となった。因みに両者共、吉本入りする際には、1回目のオーディションでは落とされている。

2.両者共、同期や後輩が先に東京進出を果たす中、近年満を期して上京し、2006年前後から全国区でブレークした。タカアンドトシは、後輩のBコース、アップダウンらが次々と東京に進出する中、2001年にようやく活躍の場を東京に移し、2006年前後から「欧米か!」のツッコミで、全国区でブレークした。華丸・大吉も東京進出では同期のカンニング竹山や後輩のヒロシに先を越されたが、2005年にようやく上京し、とりわけ華丸が児玉清のモノマネを武器に、2005年にとんねるずのみなさんのおかげでした内のコーナー、博士と助手 〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜で優勝したことや、2006年の『R-1ぐらんぷり』で優勝したことにより、コンビ揃ってテレビに出る機会も爆発的に増え、一躍全国区の人気者となった。

3.両者共、ツッコミ役に交際歴の長い彼女が存在する。タカアンドトシのトシには2007年2月現在で交際歴13年の彼女がおり、写真誌でも熱愛ぶりが報じられた。華丸・大吉の大吉も、交際して11年の彼女がいることを2007年1月のテレビ番組出演時に明らかにした。両者共、結婚間近とも言われている。

■2人ともかなりの男前で吉本男前ランキングの上位を常にキープしている。

■2007年の東京吉本の学園祭キング。タカアンドトシやチュートリアル、麒麟が多忙で学園祭に出られなかった分の仕事が回ってきた「棚ぼたのようなもの」らしい。(11月18日の「ナイトシャッフル」での発言より)

■華丸は大濠高校時代に軟式野球部所属であったが、初の全国大会出場を決めた2年生の夏、控えの1塁手だった華丸は練習中に先輩2塁手へ体当たりし、全治1ヶ月の骨折を負わせてしまった。その先輩は残念ながら全国大会に出場出来ずに、華丸も退部することとなってしまった。ちなみに高校時代のあだ名は「ニクボウ」である。


吉本興業 公式プロフィール

博多華丸・大吉私心電信(本人らによるブログ)


(出典:Wikipedia)

アントキの猪木

アントキの猪木(あんときのいのき、本名:小松原 裕(こまつばら ゆたか)、1973年6月8日 - )は、日本のお笑い芸人。マセキ芸能社所属。

茨城県出身。身長:183cm、体重:92kg。血液型:B型。

【ネタ】
■アントニオ猪木の物真似で、「元気ですかー!!」のフレーズから始まる。その後、「元気があれば、〜〜にもなれる。」のフレーズになる。(〜〜内にネタの内容が入る。:例 コンビニの店員にもなれる。)
■その後、アントニオ猪木がもし〜〜内の人だったら・・・というシーンが始まる。(本ネタ)
■とんねるずの石橋貴明に「今日のギャラは振り込みですか?」と振られると「現金ですか!」と応答し、問いかけに問いかけで答えてどうするんだと突っ込まれると「現金ですよ!」と微調整する。
■モノマネは「似ている」と好評である。


【人物】
かすみがうら市立下稲吉小学校卒業。

かすみがうら市立下稲吉中学校卒業。

■アントニオ猪木の大ファンである。
■趣味は、格闘技観戦、居酒屋めぐり。その他にボランティアも趣味である。しかし特技は野球、パチスロ、腕相撲と腕相撲以外はまったく格闘技と無縁である。
■茨城県稲敷市に本拠地を置く茨城ゴールデンゴールズの監督、タレントの萩本欽一の大ファンでもある。
■二級建築士の資格を持つ。
■筋肉質で体格が良く、足のサイズが30cmもある。
■前職は茨城県新治郡千代田町(現・かすみがうら市)役場に勤める公務員で、20歳の時に就職。建築課・土木課をへて23歳の時に福祉課配属。二級建築士の資格を持ちながらの福祉課への異動は彼本人は不満に思っていたが、高齢者の話相手を続けているうち福祉課の仕事が楽しくなってきたとのことで、敬老会、カラオケ大会などのイベントの司会も務めるようになる。ちょうどこの時に「アントニオ猪木に似ている」と言われたのがきっかけで、司会などで物真似を始めるようになったということである。しかし上司や市民とのケンカなどが問題視され、主に草刈りなどが仕事の施設管理の業務に回された後、28歳で退職する[1]。
■その後3年半スロプロとして生活しており、パチスロの稼ぎで車も2台購入したという(2007年1月に『ゴールデンスロット』に出演した際の発言より)。この他にも、合コンのセッティングなど多くの職業を経験している。


【こぼれ話】
■西口プロレスで活動しているアントニオ小猪木と番組で共演する事もあり、『ゴールドラッシュ2006』ではタッグを組み「イノキーズ」として参加している。
■爆笑レッドカーペット第2回放送の際に裏番組が華麗なる一族の最終回であり、主人公の万俵鉄平が自殺するシーンとタイミングが被っていたとして第3回放送で紹介されて以来、彼のネタの直前には「あの男が出ますよ」といわれるようになった。
■爆笑レッドカーペットにおいて鉄板とも言える常連であり、練り込まれたネタで高い人気を獲得しているが、あまりにも喉に負担の大きい発声法による声帯模写でネタを行うため、時としてネタ中に喉を痛めて苦しいながらに進行する事があり、その場合には同番組で敬意を込めて『(ネタは)一本が限界』と言われている。
■現在、アントニオ猪木のものまねをレパートリーとしている多くの芸人の中で、春一番に次ぐ声帯模写の達人、容姿も含めると他の追随を許さない高評価を得ている。


燃える合コン アントキの猪木 オフィシャルサイト
アントキの猪木 - マセキ芸能社公式サイト
アントキの猪木 - 土浦「歌芸夢者」公式サイト


(出典:Wikipedia)

アントニオ小猪木

アントニオ小猪木(アントニオ こいのき、1971年8月22日 - )は、埼玉県志木市出身のお笑いタレント。西口プロレス所属。身長158cm、体重56kg、血液型はB型。

かつては長州小力らと共に、5人組コントグループ『ラブ兄弟』に所属していた。

アントニオ小猪木のマネージャーを勤めるファニー猪木はアントニオ猪木の実の姪である(現在ファニー猪木は西口エンタテイメントを退社している)。

【芸風】
アントニオ猪木のものまね、特に試合運びのものまねを得意とし、アントニオ猪木を心から尊敬している。

『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」では、第5回から出場し、いきなり優勝者になる。猪木のものまねは好評を得ている。特に評判が高いのが、闇(奈落)への無音落下である。(意味は同じだが、「サイレント落下」と言う人もいる。)
この無音落下は、実は細かすぎても伝わるモノマネロボ3号・江原さん(YOU)の落下スイッチと、小猪木のジャンプとのタイミングが一致したために起こった。博士(木梨憲武)以下審査員全員が大ウケになり、以後の名物になった。しかしたまに、モノマネロボ1号・有田君(有田哲平)が落下スイッチのタイミングを誤り、小猪木の頭が床に当たってから落下する事もある。しかし、それはそれで「自分で床を割って落ちたみたいだ」と爆笑を誘った。また、タイミングが難しいのか、最近は失敗する事が多い。
また同コーナー第7回では小猪木の後、ジャイアント馬場の物真似をした山田カントリー・浅井優が登場し、関根勤らから「夢の共演」と言われた。第9回では浅井とタッグも組んでいる(1979年8月26日の「プロレス夢のオールスター戦・BI砲」を再現)。ちなみにタイツやタオルの色も、ものまねの元ネタの試合に合わせて変えている。


【逸話】
■九スポでのコラムによると、同じくアントニオ猪木のものまねで有名な春一番にあいさつに行った際、春に「俺の目の前でものまねやってみろ」と言われた事があるとのこと。ちなみにその時は小猪木が「勘弁して下さい。僕がやっているのは形態模写、春さんは声帯模写でジャンルが違いますから。」と言ったところ、春は笑いながら「わかってるじゃねーか。」と機嫌を直し、自分が猪木の服を仕立てている店を教えてくれたりしたらしい。

■2006年11月18日の『めちゃ×2イケてるッ! 』で本物のアントニオ猪木と共演し、番組のエンディングで、猪木から闘魂ビンタを受けた。

■持ちギャグは「現金があればなんでもできる!」など。また、アントニオ猪木以外にも柳沢慎吾やヒロミのモノマネも得意としている。

■西口プロレスのイベントでは、長州小力との対戦が人気カードの一つになっている。

■アントキの猪木とコンビで番組に出演する事もある。

■健脚の持ち主としても知られ、オールスター感謝祭 '07秋の赤坂5丁目ミニマラソンで優勝している(ハンデなしの一般男子枠で初参加)。ちなみのこの時の「100万円山分けクイズ」では誰も賭けていなかったため、珍しく予想が外れた回となった。


【持ちネタ】
■ザ・モンスターマンにとどめを刺すアントニオ猪木
■ドリー・ファンク・ジュニアにカンガルーキックを見舞うアントニオ猪木
■タイガー・ジェット・シンの腕を折るアントニオ猪木
■ラッシャー木村に延髄斬りをお見舞いするアントニオ猪木
■バッドニュース・アレンにエプロン越しのブレーンバスターを決めるアントニオ猪木
■大木金太郎をバックドロップでしとめるアントニオ猪木
■ドリー・ファンク・ジュニアのダブルアームスープレックスをリバースで切り返すアントニオ猪木
■ディック・マードックにインディアンデスロックを決めるアントニオ猪木
■アンドレ・ザ・ジャイアントをフォールするアントニオ猪木
■ラッシャー木村戦でセコンドのアニマル浜口に足を引っ張られ、リングアウト負けしてしまったアントニオ猪木
■カール・ゴッチにジャパニーズレッグロールクラッチホールドを決めるアントニオ猪木
■'79.8.26「プロレス夢のオールスター戦」でのBI砲(ジャイアント馬場役の山田カントリー・浅井優と共演)


西口プロレス応援団


(出典:Wikipedia)

春一番

春一番(はるいちばん、1966年8月13日 - )は、神奈川県生まれ、岡山県浅口郡鴨方町(現:浅口市)出身のお笑いタレント。本名は春花直樹(はるはな なおき)。

【来歴】
サラリーマン生活(「甘栗太郎」の社員)を経て、1985年に芸人を志し片岡鶴太郎に弟子入り。1988年NHKテレビのドラマ「翼をください」で芸能界デビュー。アントニオ猪木の物真似(猪木自身が公認している)一本で勝負するスタイルで、春一番自身、猪木信者でもある。酒が大好きで、よく体を壊していた。あまりにも飲みすぎる春一番を見かねて、ビートたけしが自炊するようにと炊飯器をプレゼントしたが、その炊飯器のなかにウイスキーを入れて飲んでいたという。春一番の営業は「1、2、3、ダァー」のかけ声だけでギャラがとれる、最もコスト・パフォーマンスの高い営業だと水道橋博士にギャグにされている。

それまでの猪木のモノマネの定番であった(アゴを突き出し)「何だコノヤロー!」を初めてやらず(要請されれば仕方なくやる事もあるが)、純粋に猪木のトーク(主にマイクアピール)のモノマネを行ったタレントでもある。披露した当初は若い女性の客に全くウケなかったが、裏では控えの芸人仲間やスタッフが大爆笑していたという。

あまり知られていないが、猪木だけでなく長州力や山本小鉄のモノマネも出来る。かつて長州は春に会うと「お!会長!」と声を掛けたと言う。

2000年頃、猪木の活動がプロレスファンや総合格闘技ファンの間で注目を集めるようになると、春一番自身のオファーも増えるようになり、この頃猪木のモノマネでCMに出演した事がある。猪木とのコラボだけでなく、春一番単品のグッズ(フィギュアなど)も発売されている。

2005年8月8日から12月にかけて、腎不全(病名は肺膿傷)で入院し、手術を受けた。集中治療室に入っていた際、猪木本人の見舞いを受け、「病院で会うのはつまんねぇ。元気になったら飲みに行こうよ」などと激励されたという。一時は命も危ぶまれたが、この猪木の見舞いを受けてから奇跡的な回復を遂げた。実際、猪木には回復後頻繁に会っており、飲みの場に同席しているとのこと。

2006年12月31日、フジテレビの「最強運2006ランキング大検証SP」に出演。仕事が出来るまで回復した事を示す。

アントニオ小猪木に地位を奪われかけている。しかし、猪木モノマネの第一人者であることに変わりはなく、他の芸人が猪木のモノマネをすると「春一番さんのモノマネですか?」と言われることも多い。ただし小猪木の場合は試合中の猪木の動きのモノマネが多く、一方春一番の場合は猪木の話し方のまねが多いという、差別化された特徴がある。


HARUICHIBAN.COM公式サイト

(出典:Wikipedia)

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