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間寛平

間 寛平(はざま かんぺい、男性、1949年7月20日 - )は日本の俳優、お笑いタレント。歌手。血液型はAB型、身長164cm、体重60kg。吉本興業東京本社所属。レゲエシンガー活動名義および本名は間 重美(はざま しげみ)。


【来歴】
高知県宿毛市出身。私立柏原高校卒業。既婚者。1男1女の父。ミュージシャンの間慎太郎は長男である。娘は既に結婚し、子供がいる。奥さんの光代さんは元吉本新喜劇の団員。

師匠は花紀京。吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を得た。「かい〜の」などのギャグで有名。

弟子にシベリア文太、本田みずほなどがいる。2005年、この2人をも従えて石田靖や山田花子たちと『よしもと大爆笑劇場〜寛平劇団&バラエティー全国巡業中!!』で全国巡業した。


【プロフィール】
■12歳の時に大阪市住之江区に引越した。

■1968年 - 高校卒業後、石原裕次郎に憧れて上京。歌手を目指すが、挫折して大阪に戻る。

■1970年 - 喫茶店のアルバイトしていた時に、その店主の紹介により吉本興業に入り、吉本新喜劇の研究生になる。

■1974年 - 木村進とのコンビで入団から4年、24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格。

■1975年 - 『ひらけ!チューリップ』で念願の(?)歌手デビュー。100万枚のセールスを記録。

■1978年 - 同じ新喜劇の団員だった光代夫人と結婚。当時の週刊誌の見出しが大きく取り上げられ話題を呼ぶ。

■1986年 - アメマバッジを10万個作成し6千万円の借金。

■1989年 - 吉本新喜劇を退団し東京進出(但し家は宝塚)。バラエティー番組からテレビドラマまでこなす。

■1990年から放送を開始した日本テレビのクイズ番組「マジカル頭脳パワー!!」のレギュラー解答者として1991年3月から最終回まで出演し、成績はあまりよくなかったが、珍答を繰り広げた。


【エピソード】
■人柄が良く、芸人仲間や後輩からも信頼される。明石家さんま、島田紳助、ダウンタウン、ナインティナインも今もって若手の頃に良くしてもらったことを感謝している(芸人ではないが「マジカル頭脳パワー!!」で共演した所ジョージなどからも信頼されている)。その反面、お人好しと無知が災いして次々と他人の借金の連帯保証人になる他、アメマバッジの失敗により多額の借金を背負うが、奥さんの光代さんが必死の借金返済で当時0歳だった長女を連れて、金融業者の前で長女をつねって泣かせて、金融業者を同情させる作戦で、借金の利子を免除してもらったと言う逸話がある(「いつみても波乱万丈」で光代さんがゲスト出演した時に明らかになった。)。普通の人間なら、利子を免除してもらえないのだが、当時、寛平も売れ出し始めた事もあり、寛平自身が家族を養う事が厳しかった事から光代さんが必死に訴えた努力の甲斐が実り、利子を免除する事が出来た(現在は完済)。

■アメマバッジの件では、バッジを製作した会社から費用の不払いのため訴えられて裁判沙汰となる。(通称「アメマ裁判」)この口頭尋問で、裁判官から「『アメマ』とは何ですか?」と訊かれ「『ア〜メマァ〜・・・』です」と答えたら、再び「ですから、『アメマ』とは何ですか?」と訊かれたため、再度「『ア〜メマァ〜・・・』です」と答えた。このやり取りが尋問中何回も繰り返された。なおアメマバッジは、「いつみても平平凡凡」に出演したゲストにプレゼントされ、「痛快!明石家電視台」で会場の観客にもプレゼントされていた。
※「アメマ〜」とは、本人いわく幼児が母親に対して言う「あ〜ママぁ・・・」が転じたもの、とのことである。

■TV進出のきっかけは、当時の出演番組がABCラジオのポップ対歌謡曲(週1本のレギュラー)しかなく、明石家さんまとの会話で、「兄さん、そのギャラじゃアメマの借金返せまへんやろー!」と言われたことがきっかけで、さんまが出演しているTV番組に共演するようになった。

■ハゲ頭のカツラを被ったおじいちゃん役(通称:最強ジジイ)での出演は非常に多く、吉本新喜劇での名物キャラの一人であった。膝をカクカクさせながら杖を振り回し、最後に「がんばっとるか〜」と言う姿は多くの観客の笑いを誘ったが、調子に乗ってあまりにも膝をカクカクさせすぎて、本当に膝を痛めたことがある。また、多額の借金を抱えていたとき、その姿を見た妻から「アンタは杖の先にハンコつけて(判をつきながら)歩き回っているのか!」と言われたことがある。

■野球は筋金入りの福岡ソフトバンクホークスファン(南海時代から)で、現在でも年に数回福岡Yahoo!JAPANドームまで観戦に足を伸ばす。映画「ファンキー・モンキー・ティーチャー」シリーズで主人公(戸沢康平)の役を演じた時には、毎回福岡ダイエーホークスのウインドブレーカーを着て登場していた。

■「笑っていいとも!」に出演の際、タモリと必ずサルの喧嘩の真似を行う。

■趣味としてマラソンをしており、ギリシャの鉄人マラソン「スパルタスロン」では246qを8度も完走、24時間テレビの24時間マラソンでも200km(1995年は神戸-東京間、約600kmを7日間で完走)を完走するほどの健脚の持ち主でもある。この年の24時間テレビは阪神・淡路大震災に対するチャリティー色が濃かった。

■彼自身もこの震災で、宝塚市に建てたばかりのマイホームを失ってしまった。また、寛平がアメマバッジの作成や連帯保証人として長年にわたって請け負った全ての負債を完済したのも阪神大震災のほんの数日前で、そのほっとした矢先での被災であり、また地震保険にも加入していなかったため家の再建費用などでその後もまた予期せぬ形で債務を負うことになってしまった(。

■もともと寛平がマラソンを始めた理由は、心臓疾患の治療のためであったが、マラソンを続けているうちに心臓疾患を克服したばかりか、心臓の強さが陸上選手並みになったという。

■「オールスター感謝祭」のマラソン競技でも、50代半ばにして一般男子以上のハンデがある。

■芸風からは想像も付かないが音感にも優れ、昔から歌唱力には定評がある。かつて「ひらけ!チューリップ」がヒットしたこともある。2000年には、間寛平withアメマーズとして、フジロックフェスティバルに出演している。「痛快!明石家電視台」ではアドリブで作詞作曲した唄を歌い出すこともしばしば。

■忌野清志郎と↑THE HIGH-LOWS↓の真島昌利からアルバム「ジャングル野郎」の楽曲提供を受けた関係で2001年6月6日、SHIBUYA-AXにて行われた↑THE HIGH-LOWS↓のライブのアンコールでスペシャルゲストとして登場。短い時間で様々なギャグを披露し会場を沸かせたあと、↑THE HIGH-LOWS↓の演奏でヒロトと一緒に「天国野郎ナンバーワン」(↑THE HIGH-LOWS↓と間寛平のバージョンがあるが、「天国野郎」を提供した↑THE HIGH-LOWS↓側がわけあってセルフカバーした際に「天国野郎ナンバーワン」と改題した)を熱唱した。この日のライブでは普段は入場時に配られるフライヤーが配られず、退場時に「ジャングル野郎」の広告と一緒に配られたことから、寛平の登場はシークレット扱いだったと思われる。この模様は後に日本テレビ系列の深夜番組で放送された。

■また、「ジャングル野郎」に収められている真島昌利提供の曲は、リリースの際、寛平の所属事務所側に一部歌詞を変更されてしまった。変更前の歌詞は、↑THE HIGH-LOWS↓バージョンを聴くことで知ることが出来る。また、寛平バージョンは寛平ならではの台詞が入っている。

■寛平は「さんまのまんま」に忌野清志郎と出演した際、「ハイロウズが曲を提供してくれたんですよ。」と、とても嬉しそうに話していた。

■2006年2月24日に長女が初孫を出産。間寛平、56歳にして名実共におじいちゃんとなった。「ついにおじいちゃんになりましたが、いくつになっても甘えまくります!」とのコメントを発した。

■「マジカル頭脳パワー!!」内にあった「マジカルアート」で毎回他のメンバーが解答できないほどの絵を描いて(動物には鳥の足しか使わないなど)、それが原因で絵の勉強のためにフランスに留学した。しかし復帰第1回でシロクマを指示されたものの、今までの癖は直っていなかった(当然解答できずパスとなり不正解)。現在も「痛快!明石家電視台」の中の素人参加のクイズコーナーでお絵描き問題が出る時には意味不明の絵を描いて解答者を混乱させ、明石家さんまをあきれさせている。

■脳内出血に倒れ、今もリハビリを続けているかつての同僚・木村進とその家族への様々な支援を行っている。

■近年は、志村けんと同じくコメンテーターとしての活動が多い。これには、チャリティーマラソンなど、彼の素が出ている場面がよくテレビで流れているためという見方もある。

■年齢に似合わず、非常に髪型がかっこいい。「妻夫木カット」とごきげんようで自称した。

■東京で頑張りたいと独立を考えた(本人曰く、家の畳が「東京行け、東京行け」とささやいたからとのこと)時に、当時、吉本の社員だった木村政雄に懸命に説得され、慰留が決まり、吉本興業東京本社(当時は東京事務所)に所属する事になった。同時に吉本新喜劇を退団する。

■東京進出の理由として、実はアメマバッジの件も関わっていたとの話もある(「いつみても波瀾万丈」より)。東京では萩本欽一に師事し、干されても3年はがんばると約束していた。

■2006年の24時間テレビ内では十種競技にも挑戦。改めて鉄人振りをまざまざと見せ付けた。

■波田陽区を非常に可愛がっており、家族ぐるみで親交がある。

■2007年の2月27日に芸能活動を3年間休止して世界一周マラソンに挑戦する意向を表明。本人はその理由を「目立ちたいから」だと語っている。


【主な持ちネタ・ギャグ】
■「おっさ〜ん、おっさんアホか、アホかおっさん、おっさん、アホかぁ。」

■「こら、犬どけ! コン キャンキャンキャン…」

■「誰が付けたかインベーダー ビッビビッビ」

■「かい〜の」(大道具の角・自分の持っている杖などに尻の割れ目をこすりつけて上下運動)

■「アヘアヘアヘアヘ・・・」(快感を表すときなど用例多数)マネージャーの妻から5000円で購入

■「なめなめくじくじなめくじくじ」(なめくじ運動で地面を這う)→「塩かけないでね、粗塩はいやよ」と付け加える。

■「ア〜〜〜〜メマ!!」(困ったとき・追いつめられたときに咄嗟に放つ一言)

■「血ぃ吸うたろか」息子(間慎太郎)から奪ったギャグ

■「止まると死ぬんじゃ」(おじいちゃん役の時)

■「だ〜れ〜が〜じゃ」「ど〜〜してじゃ」「な〜ぜじゃ」(おじいちゃん役の時)

■「お礼のプ〜」

■「いくつになっても、甘えん坊〜」

■「脳みそパ〜ン!」

■猿のマネをしながら、池乃めだかの猫の形態模写との掛け合い。めだか猫と一緒にボールにじゃれついたりするが、そのうちにらみ合い、大喧嘩を始める。しかしいつの間にか寛平猿がめだか猫を押さえ込み、交尾を始めてしまう。

■暴れているうちにめだか猫と向き合う形となり、2人ともビックリして腰を抜かすパターンもある。

■(池乃)「えもんかけ(ハンガー)取って」(寛平)「誰がエテ公やねん!」

■(池乃)「本気で言うてるんですか?」(寛平)「誰がモンキーやねん!」

■(池乃)「またそんな得手勝手言うて・・・」(寛平)「誰がエテ公飼ってるねん!」

■(池乃)「折り入って相談がありまして・・・」(寛平)「誰が檻に入って相談せなあかんねん!」

■「月は雲間に隠れたし、雨戸も閉めたしガキも寝た」→「おまいさん今夜もかい?」→「あったぼうよ!」(以上、一人芝居)

■「かかかか堪忍な〜」

■「チャッチャマンボ チャチャマンボ ヘイ パキューン・パキューン・パキュンパキュンパキュン」(パキューンに合わせて腰を前後運動)

■「しっかりできたらフラフラするか!」(後輩芸人などから「しっかりして下さいよ〜」と言われた時)

■井上竜夫も時々「しっかりできたらうっかりせんわい!」というギャグを使う。

■アメママン(アメマバッジのモデル)

■先っちょマン

■ホレホレレンジャー「ホーレホレ掘れ」「おったまげったんよー」

■引きずり女

■十二単姿、白塗りで額に「引」の文字、帯にいろんな物をヒモで結びつけて引きずっている姫。「引きずり女は福を呼ぶ」と書かれた扇子を常に持っている。娘の結婚式の余興で、娘の友人(素人)が引きずり女をやろうと用意していたのだが、寛平は本家本元の引きずり女を娘の友人より先にやってしまい、娘の友人の出し物は台無しに。

■「まいど〜!」(鼻声で)

■「フェー」(鼻声)

■「ふひは!」(鼻声)

■「ちょっとしたミスさ」

■(突然怒り出した後に)「きつく言ってごめんね」

■「○○って言った」「○○って言った、言った」→「結構言うのね」

■「じいさん、ばあさん、山のぼろ〜」

■「うんばらばー」

■「イカルスピークサンシン」(呪文のように唐突に唱える。一瞬で空気を変える力を持つ、不思議なギャグ。大阪ほんわかテレビで登場)

■(ギャグではないが、痛快!明石家電視台での発言より)「私は今、耳クソが不足している」「うめだ花月から宝塚の自宅まで車で帰ったが、その間ブレーキを一度も踏まなかった」「私は県庁所在地について語れる」、など。いずれの発言も明石家さんまからツッコミが入り(特に耳クソでは大説教された)、エンディングコーナーの投げ手・すくい手に採用された。

(出典:Wikipedia)

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