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田村裕(麒麟)

田村裕(たむら ひろし、1979年9月3日 - )は、吉本興業所属のお笑い芸人。麒麟のツッコミ担当。大阪NSC20期生。立ち位置は向かって左。相方は川島明。


【概要】
大阪府吹田市出身。大阪府立吹田高等学校卒。身長180cm。血液型O型。
愛称は「タム」、「タムちゃん」(笑い飯の哲夫が呼んでいる)、「タムさん」(主に後輩芸人が呼んでいる)。満面の笑みが特徴。その為番組などのイラストやグッズのイラストの田村は大抵笑っている。

NSC願書の自己PRでは「人は笑っている時が一番幸せだと思います。だから少しでも長く、多くの人が笑えるようにしたいのです」と書いている。


【性格】
■正義感がかなり強い。自分より他人を大切にする。昔、番組でバスジャックのドッキリにひっかけられた時、人質(仕掛け人の芸人仲間たち)が犯人に指名されながら一人ずつ降りることを許され助けられていく中で、最後の何人かになった時、誰が最後まで残るかを聞かれてすぐに手を挙げ、一緒に乗っていた後輩を助けようとした。(ちなみにその時一緒にひっかけられていたダイアンの津田は、犯人の怒りに触れないよう、極力静かにしていた)。

■純情で騙されやすい。ドッキリに毎回引っかかる。(チュートリアル徳井曰く「アホピュア」)
   子供に好かれる。(相方の川島曰く「頭の構造が一緒やから」)

■本業の漫才や舞台「なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!」でセリフをよくトチる(噛む)。滑舌が悪い。

■子供によくナメられる。その為、マクドナルドで一人でハンバーガーを食べていると、親にハンバーガーを買ってもらえずにいた子供に「なんでお前がハンバーガー食っとんねん!!」と食べていたハンバーガーを床に叩きつけられた。また、それを見た親が「すみません!」と落ちていたハンバーガーをそのまま拾って田村に渡したらしい。(ヨシモト∞参照)


【エピソード】
《極貧時代》
■学生時代は貧乏だった(幼少時代は、そこそこ裕福だったという)。幼少期に母を病気で亡くし、中学生の頃に家が差し押さえられてしまい父親が蒸発、家族が『解散』した。しばらく兄、姉、田村それぞれが一人で生活する日々が続いた。この時期に田村は公園に住んでいたことがある(それゆえに当時の家の間取りを1Pと表現した)。その後友人の好意でアパート住まいはできるようになったが、
高校卒業まで生活費に苦労する日々が続いた。

■高校時代は昼の弁当を持って来れなかったため、教室で同級生が昼食を摂っている姿を見るのが辛く、昼食抜きで昼休みは一人で体育館でバスケットボールの練習に励み、レギュラーの座を獲得した。

■父を除いた家族3人で、近所のおばちゃんが借りてくれたアパートに住んでいた頃は家具が無く、粗大ゴミ置き場に家具を拾いに行った。その様子を当時の好きな子に見られてしまい「なにやってたの?」という質問に、「家具がないから家具を拾ってた」といったら、口をきいてくれなくなった。

■蒸発した父親は、現在も消息不明である。(田村曰く、「テレビを見られる状況に無い可能性がある」という)クイズ!ヘキサゴンIIに出演した際、「お父さんのことは恨んでないから、どうか僕の前に出てきてください」と再会を訴えていた。

■衝撃の解散の後、たった一度だけ父親に会った事がある。友達の家にいた時、散髪しに行く途中で再会した。だが父親にどこに行くかを尋ねられ、田村が答えた後、再び『解散』した。それからは、消息が掴めていないらしい。

■2007年3月15日に放映された「いきなり!黄金伝説」で、松居一代からの問いに、公園生活は14才の1ヶ月間であったことを打ち明ける。その時期の辛さを思い出してか号泣する場面も見られた。余談だが、他の番組では比較的コミカルに語られていた田村の過去が、この番組ではかなり重い物として扱われた。

■昔、川島が弁当のから揚げを公園の砂の上に落とした際、捨てようとした川島の手を止めて、「落ちて一分はありやろ」と言った(通常の「三秒ルール」が田村家では「一分ルール」)。

■ふりかけのせいで親友と絶交したことがある(「明日持って来たる」と言ったのに、友達が忘れてきたため)。

■公園に住んでて食べ物が全く無い時、あまりの空腹に周辺に落ちていたダンボールを水につけて食べた事がある。田村曰く「まずい!!(匂いもダメ)」らしい。

■公園時代は、雨で体を洗っていた。彼曰く、夕立が一番嬉しかったらしい。逆に腹が立つのは、『やや降り(小雨)』。その際に、天に向かって「降るなら降る!降らへんなら降らへん!」と怒った事がある。


《芸人時代》
■一発ギャグなどでよく滑るが、天然ボケからなるアドリブは得意である。

■タムちゃんダンスと言う変わった踊りのネタがある。

■漫才中、相方川島のオチで笑ってしまい、お辞儀もせずに舞台袖に帰ったことがある。

■(相方のおばあちゃん曰く)氷川きよしよりかっこいいらしい。が、おばあちゃんに「歌ってみろ」と言われて歌ったら、即「あかん」と言われた。


《極貧時代の影響》
■川島と麒麟東京進出を考え、東京に居を移す計画をするもお金が無く、タクシーに乗るのにはまってしまったためと後輩の面倒見がよく、おごりすぎたため断念したことを新年早々生番組である第40回爆笑ヒットパレード2007とメントレGで話している。また、年明け前にも吉本お笑いオーケストラUなどで話していた。
お金があることが不安になり、使ってしまうことも告白している。

■M-1グランプリ2006の決勝進出者の記者会見で、賞金の使い道を聞かれて「中学のときに家がなくなって一時期公園に住んでいたので、優勝したら相方と2人でその公園を市から買い取りたいです!」と語った。

■貧乏キャラのため劇団乙女少年団などのコント劇団のキャラでは服が茶色の布に紐でしばったような服やダンボールで作られた服を着せられることが多い。

■「アメトーーク!」では「実家ビンボウ芸人」というカテゴリーで出演。他にメッセンジャー黒田、小沢一敬、中川家、熊谷岳大も出演していたが、エピソードの凄まじさから雨上がり決死隊からは黒田とともに「あの2人だけ別格やわ」と言われた。画面では田村と黒田のところにスポットが当たって「特A」というテロップもつけられていた。

■その壮絶な極貧エピソードの数々はいわゆる「鉄板」であり、人志松本のすべらない話でも披露され、田村は初出演ながら見事その回のMVP(ゴールド印)を獲得した。

■食事をまともにしていなかった為か、かなりの小食・味覚が若干おかしい。過去に川島にいたずらで焦げたキャベツを『トリュフ』だといわれ、とても美味しそうに食べていた。


【その他】
■兄はフロントストーリーの清水健次とコンビを組んでいたことがある。コンビ名は「マジェスティ」。

■ファンからの女装の評判がよく、女っぽいしぐさをよくする(自分のことを時々あたしという、など)。

■タム子か裕子と呼んだりスタイルがいいから女の子の役をしてくれと言われたりするなどとのって女性の役をしてくれる。

■学生のころ家庭の事情により自殺を考えたことがあり、教師に相談したら「田村君の笑顔でクラスが和むんだよ」と言われ思いとどまる。これがきっかけで芸人を目指すことを決意。

■タクシーが大好きでしょっちゅう乗っている(昔は貧乏だったため、乗れなかったものが今は乗れることが嬉しいらしい)。本人曰くジェットコースターよりおもしろいとのこと。

■しかもタクシー内で川島に話しかけるとき「タクシー!…あ、ちゃうわ。あのさぁ!」というように「タクシー」と「あのさぁ」を言い間違えたらしい。

■ヘビースモーカーであり、銘柄はマルボロライトメンソール。

■最近の日常生活でもどういうわけか運が悪い。「靴屋でガムを踏む」、「鳥の糞が両肩に同時に落ちた」、「牛丼の持ち帰りで牛肉が入ってなかった」、「買ったCDにCDが入ってなかった」など枚挙に暇がなくトークでもたまに話している。

■体内時計が正確で麒麟・千鳥の二笑流TVではたびたび正確な体内時計を見せた。

■10歳の時サッカー部に入るも、なんとなく退部。以降はバスケット一筋。中学、高校ではレギュラーだった。

■得意のバスケではダンクができる。

■ご飯をずっと噛み続けると甘味が増した後、徐々になくなっていくが、極限まで噛み続けると、ほんの一瞬だけ味が復活する事を発見する。田村家ではそれを「味の向こう側」と呼んでいる。

■現在借りている自宅マンションの前の住人は、フットボールアワーの岩尾望。ゲ−ム機を置いていってくれたらしい。

■ココリコミラクルタイプで菅野美穂に「田村君は良い子だ!!いいこいいこ!!田村君はほんとに良い子だ!!」とべた褒めされたことがある。

■只今極貧時代をネタに自伝を執筆中。

■水が怖い。泳げはするがいきなり水を掛けられると、泣いてしまうらしい。

■過去、彼の兄によって布団に包まれたせいで暗い所が苦手。

(出典:Wikipedia)

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