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アイパー滝沢(えんにち)

アイパー滝沢(あいぱーたきざわ、1979年9月18日 - )は、テンパー望月(望月遼馬)とのコンビ名「えんにち」での芸名。埼玉県日高市出身。 本名は滝沢敦史。


【概要】
■吉本興業東京本社所属で、NSC東京校9期生。
■同期にはハリセンボン、出雲阿国、オオカミ少年、竹内大納言ターボαなどがいる。


【ネタ】
童謡唱歌・子供向アニメなどの替歌を織り交ぜながら、風貌を生かした極道ネタを行う。(替歌のみの場合も多い) また、歌の中に放送禁止用語になりそうな言葉(恐らく「ヤク」「シャブ」などであろう)がある場合、自ら「ホンホン」というハミングで隠すという芸当も見せる。(「白いホンホンホンを密輸する」など)

◎主な歌(元歌)
■一本でも日本刀(いっぽんでもにんじん)
■大きな組の下っ端で(大きな栗の木の下で)
■おもちゃのチャカチャカチャカ(おもちゃのチャチャチャ)
■ホンホンホンの学校(めだかの学校)


【逸話】
■2005年、前のコンビの解散直後に望月にコンビの誘いを受け仮結成としてM-1グランプリに出場。2回戦敗退となるが、望月の誕生日に来年の出場を宣言し正式にコンビを結成。

■髪型は月に一回、歌舞伎町の床屋で刈っている。その店の客は自分以外本物でネタになりそうな話を小耳に挟むらしい(『インパクト!』で話した際、さまぁ〜ず三村に「勇気がある」と言われた)。

■歌舞伎町で、本物に追いかけ回された事があるらしい。

■2004年7月22日放送の『銭形金太郎』(テレビ朝日)に“ビンボーさん”として出演している。当時は「ガソリンスタンドアルバイト」で月収9万円と紹介され、この時からアイロンでパーマを当てていてアイパーを自称していた。理由は、「最近の若い者はチャラチャラし過ぎ」「硬派はアイパー」だから。


よしもと芸人 えんにちのブログ案内所


(出典:Wikipedia)

あべこうじ

あべ こうじ(本名:阿部 公二、1975年2月19日 - )は、神奈川県横浜市出身のお笑いタレント(ピン芸人)。血液型O型。吉本興業東京本社(東京吉本)所属。身長は178p体重は65s。


【プロフィール】
■1998年に渋谷公園通り劇場の渋谷新人計画で「カンヴァス」というコンビでデビューするが、2001年に解散。同年にピン芸人として再デビュー。

■レギュラー番組として少女Bに出演していた。他にもエンタの神様、Click!に出演している。また、東京新宿のルミネtheよしもとにも出演中。

■日常生活で起こるトラブルの対処法を漫談形式で話すネタを得意とする。あくまでネタであるため実際に有効な対処法ではない。

■漫談やトークで「ウザい」と言われたり自ら言うことがある。

■2000年に結婚。小学生の娘がいる。(ヨシモト∞にて)

■2007年3月に離婚。一人暮らしをしている。(2008年1月2日放送のMBS「ジャイケルマクソン」にて本人が告白)

■「あべさく」としての活動もあり、佐久間一行とは休みの日でも会うほどの仲の良さで評判である。

■芸人になる前にはさまざまが職業経験があり、俳優の仕事をしていたこともあるため、演技やナレーションの評価も高い。映画『机のなかみ』では主役の家庭教師・馬場元役に抜擢されている。

■3月26日に放送されたあべこうじのポッドキャスト番長にダンカンがゲストに登場し、ダンカンはあべの師匠および大先輩であるとわかった。

■アップダウンの竹森に顔が似ており、よく間違われる。しかも苗字が相方の阿部と同じなので「ひとりアップダウン」と自称する。

■2007年11月26日「2周年特番 無料放送だ! 全員集合?!」総合MC、2008年1月1日(火)ヨシモト∞火曜2部MC:チュートリアル(一身上の都合上により休演)MC代行を行い、2008年2月1日付でサブ・レギュラー昇進。隔週金曜日1部担当を行う事になった。


【受賞歴】
■2005年R-1ぐらんぷり3位
■2006年R-1ぐらんぷり準優勝
■2007年R-1ぐらんぷり準決勝敗退


あべこうじHAPPY日記。

アントキの猪木

アントキの猪木(あんときのいのき、本名:小松原 裕(こまつばら ゆたか)、1973年6月8日 - )は、日本のお笑い芸人。マセキ芸能社所属。

茨城県出身。身長:183cm、体重:92kg。血液型:B型。

【ネタ】
■アントニオ猪木の物真似で、「元気ですかー!!」のフレーズから始まる。その後、「元気があれば、〜〜にもなれる。」のフレーズになる。(〜〜内にネタの内容が入る。:例 コンビニの店員にもなれる。)
■その後、アントニオ猪木がもし〜〜内の人だったら・・・というシーンが始まる。(本ネタ)
■とんねるずの石橋貴明に「今日のギャラは振り込みですか?」と振られると「現金ですか!」と応答し、問いかけに問いかけで答えてどうするんだと突っ込まれると「現金ですよ!」と微調整する。
■モノマネは「似ている」と好評である。


【人物】
かすみがうら市立下稲吉小学校卒業。

かすみがうら市立下稲吉中学校卒業。

■アントニオ猪木の大ファンである。
■趣味は、格闘技観戦、居酒屋めぐり。その他にボランティアも趣味である。しかし特技は野球、パチスロ、腕相撲と腕相撲以外はまったく格闘技と無縁である。
■茨城県稲敷市に本拠地を置く茨城ゴールデンゴールズの監督、タレントの萩本欽一の大ファンでもある。
■二級建築士の資格を持つ。
■筋肉質で体格が良く、足のサイズが30cmもある。
■前職は茨城県新治郡千代田町(現・かすみがうら市)役場に勤める公務員で、20歳の時に就職。建築課・土木課をへて23歳の時に福祉課配属。二級建築士の資格を持ちながらの福祉課への異動は彼本人は不満に思っていたが、高齢者の話相手を続けているうち福祉課の仕事が楽しくなってきたとのことで、敬老会、カラオケ大会などのイベントの司会も務めるようになる。ちょうどこの時に「アントニオ猪木に似ている」と言われたのがきっかけで、司会などで物真似を始めるようになったということである。しかし上司や市民とのケンカなどが問題視され、主に草刈りなどが仕事の施設管理の業務に回された後、28歳で退職する[1]。
■その後3年半スロプロとして生活しており、パチスロの稼ぎで車も2台購入したという(2007年1月に『ゴールデンスロット』に出演した際の発言より)。この他にも、合コンのセッティングなど多くの職業を経験している。


【こぼれ話】
■西口プロレスで活動しているアントニオ小猪木と番組で共演する事もあり、『ゴールドラッシュ2006』ではタッグを組み「イノキーズ」として参加している。
■爆笑レッドカーペット第2回放送の際に裏番組が華麗なる一族の最終回であり、主人公の万俵鉄平が自殺するシーンとタイミングが被っていたとして第3回放送で紹介されて以来、彼のネタの直前には「あの男が出ますよ」といわれるようになった。
■爆笑レッドカーペットにおいて鉄板とも言える常連であり、練り込まれたネタで高い人気を獲得しているが、あまりにも喉に負担の大きい発声法による声帯模写でネタを行うため、時としてネタ中に喉を痛めて苦しいながらに進行する事があり、その場合には同番組で敬意を込めて『(ネタは)一本が限界』と言われている。
■現在、アントニオ猪木のものまねをレパートリーとしている多くの芸人の中で、春一番に次ぐ声帯模写の達人、容姿も含めると他の追随を許さない高評価を得ている。


燃える合コン アントキの猪木 オフィシャルサイト
アントキの猪木 - マセキ芸能社公式サイト
アントキの猪木 - 土浦「歌芸夢者」公式サイト


(出典:Wikipedia)

アントニオ小猪木

アントニオ小猪木(アントニオ こいのき、1971年8月22日 - )は、埼玉県志木市出身のお笑いタレント。西口プロレス所属。身長158cm、体重56kg、血液型はB型。

かつては長州小力らと共に、5人組コントグループ『ラブ兄弟』に所属していた。

アントニオ小猪木のマネージャーを勤めるファニー猪木はアントニオ猪木の実の姪である(現在ファニー猪木は西口エンタテイメントを退社している)。

【芸風】
アントニオ猪木のものまね、特に試合運びのものまねを得意とし、アントニオ猪木を心から尊敬している。

『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」では、第5回から出場し、いきなり優勝者になる。猪木のものまねは好評を得ている。特に評判が高いのが、闇(奈落)への無音落下である。(意味は同じだが、「サイレント落下」と言う人もいる。)
この無音落下は、実は細かすぎても伝わるモノマネロボ3号・江原さん(YOU)の落下スイッチと、小猪木のジャンプとのタイミングが一致したために起こった。博士(木梨憲武)以下審査員全員が大ウケになり、以後の名物になった。しかしたまに、モノマネロボ1号・有田君(有田哲平)が落下スイッチのタイミングを誤り、小猪木の頭が床に当たってから落下する事もある。しかし、それはそれで「自分で床を割って落ちたみたいだ」と爆笑を誘った。また、タイミングが難しいのか、最近は失敗する事が多い。
また同コーナー第7回では小猪木の後、ジャイアント馬場の物真似をした山田カントリー・浅井優が登場し、関根勤らから「夢の共演」と言われた。第9回では浅井とタッグも組んでいる(1979年8月26日の「プロレス夢のオールスター戦・BI砲」を再現)。ちなみにタイツやタオルの色も、ものまねの元ネタの試合に合わせて変えている。


【逸話】
■九スポでのコラムによると、同じくアントニオ猪木のものまねで有名な春一番にあいさつに行った際、春に「俺の目の前でものまねやってみろ」と言われた事があるとのこと。ちなみにその時は小猪木が「勘弁して下さい。僕がやっているのは形態模写、春さんは声帯模写でジャンルが違いますから。」と言ったところ、春は笑いながら「わかってるじゃねーか。」と機嫌を直し、自分が猪木の服を仕立てている店を教えてくれたりしたらしい。

■2006年11月18日の『めちゃ×2イケてるッ! 』で本物のアントニオ猪木と共演し、番組のエンディングで、猪木から闘魂ビンタを受けた。

■持ちギャグは「現金があればなんでもできる!」など。また、アントニオ猪木以外にも柳沢慎吾やヒロミのモノマネも得意としている。

■西口プロレスのイベントでは、長州小力との対戦が人気カードの一つになっている。

■アントキの猪木とコンビで番組に出演する事もある。

■健脚の持ち主としても知られ、オールスター感謝祭 '07秋の赤坂5丁目ミニマラソンで優勝している(ハンデなしの一般男子枠で初参加)。ちなみのこの時の「100万円山分けクイズ」では誰も賭けていなかったため、珍しく予想が外れた回となった。


【持ちネタ】
■ザ・モンスターマンにとどめを刺すアントニオ猪木
■ドリー・ファンク・ジュニアにカンガルーキックを見舞うアントニオ猪木
■タイガー・ジェット・シンの腕を折るアントニオ猪木
■ラッシャー木村に延髄斬りをお見舞いするアントニオ猪木
■バッドニュース・アレンにエプロン越しのブレーンバスターを決めるアントニオ猪木
■大木金太郎をバックドロップでしとめるアントニオ猪木
■ドリー・ファンク・ジュニアのダブルアームスープレックスをリバースで切り返すアントニオ猪木
■ディック・マードックにインディアンデスロックを決めるアントニオ猪木
■アンドレ・ザ・ジャイアントをフォールするアントニオ猪木
■ラッシャー木村戦でセコンドのアニマル浜口に足を引っ張られ、リングアウト負けしてしまったアントニオ猪木
■カール・ゴッチにジャパニーズレッグロールクラッチホールドを決めるアントニオ猪木
■'79.8.26「プロレス夢のオールスター戦」でのBI砲(ジャイアント馬場役の山田カントリー・浅井優と共演)


西口プロレス応援団


(出典:Wikipedia)

アメリカザリガニ

アメリカザリガニは、日本のお笑いコンビ。所属事務所は松竹芸能。略称はアメザリ。

【メンバー】
■柳原哲也(やなぎはら てつや、1972年9月1日 - )
大阪府枚方市出身。出生地は滋賀県八日市市(現在の東近江市)。血液型はO型。大阪府立長尾高等学校→大阪経済大学卒業。ツッコミ担当。身長170p、体重67s。
小学生の頃からお笑い芸人を志す。ハイトーンかつハイテンションなツッコミが特徴だが、平井の不用意なアドリブにも対応する事のできる腕も持つ。ちなみに、この声については「俺の声はうるさい」と自覚しているようである。同じく声が特徴的なことで有名な安田大サーカスのクロちゃんと二人で「松竹ソプラノブラザーズ」とネタにされた。この二人はGyaOの番組こちら!カタムキテレビ制作会社で共演している。
かなりマメかつ几帳面な性格で、外出する時はブレーカーを全て落とすらしい。仕送りを欠かしたことがなく、何度も旅行に連れて行ってあげるほどの親孝行者である。女性に対しては奥手で、どちらかと言うと女より芸を優先するタイプ。初体験も遅かった。しかし下ネタで暴走を始めるのは、大概が柳原の方である。

■平井善之(ひらい よしゆき、1973年3月12日 - )
大阪府枚方市出身。出生地は兵庫県宝塚市。血液型はA型。大阪府立長尾高等学校卒。ボケ担当。身長173p、体重68s。
柳原に誘われ、お笑い芸人を志す。しかし、本人によると「芸人になったのは働きたくなかったからだ」と言う。ニックネームは「かんた」。ローテンションで冷めたボケが特徴。柳原とは正反対で、かなりいい加減な性格。家族は「元モデルで恋多き」母親、「いい子なんだが、暴走族で背中に刺青を入れてしまった」弟、「霊感が強く、絵ばかり描いている」妹(「」内は本人談。ちなみに平井本人も霊感が強い)。本当の父親の顔を覚えていない等、複雑な家庭環境で育つが、基本的に家族仲は良好。先輩であるよゐこの有野晋哉の家に3年5ヶ月も同居していたが、有野の結婚と同時に追い出された。有野夫人には有野の後輩芸人の中で唯一「平井」と呼び捨てにされているとのこと。芸能人の友達が多く、スピードワゴンの井戸田潤と安達祐実を引き合わせ、結婚するきっかけを作ったのは平井である。
自身は2007年1月13日、元タレントの江川有未と結婚。家に同じハードが2台ずつある・お互いをモンスターハンターのハンドルネームで呼び合う等両者のゲーム好きを伺えるエピソードが多く、かつて「ゲームのやりすぎで彼女に振られた」経験のある平井にとっては大変喜ばしい趣味の一致となっている。


【来歴】
中学生の頃、お笑いユニットを結成。当初は「劇団アメリカザリガニ」という5人組だった。脱退した3人全員が現在では実業家として大成功を収めているらしく、平井は「あいつらは俺たちの何倍も金を稼いでいる」とぼやいている。1994年に現メンバーで本格的に活動を始める。


【受賞歴】
■1998年 第19回 ABCお笑い新人グランプリ 審査員特別賞
■1998年 第28回 NHK上方漫才コンテスト 最優秀賞
■1998年 第27回 上方お笑い大賞 最優秀新人賞
■1999年 第34回 上方漫才大賞 新人賞
■2002年 第31回 上方お笑い大賞 最優秀技能賞
■2003年 第38回 上方漫才大賞 奨励賞
■2001年 第1回 M-1グランプリ 3位 (当時のルールでは最終決戦進出が2組だったため惜しくも進出できなかった)
■2002年 第2回 M-1グランプリ 9位
■2003年 第3回 M-1グランプリ 7位

またNHKのお笑い番組爆笑オンエアバトルでは、16回挑戦して16回ともオンエアを獲得するという記録を持っている。


【アメザリとアニメ】
両者共に熱狂的なアニメファンで、アニソン限定カラオケのオフ会を開いた事もある。学生時代には2人で「魔法のプリンセスミンキーモモ」のポスターをアニメイトまで買いに行ったというエピソードもある。また、アニソンがテーマの漫才もネタにある。柳原は「カウボーイビバップ」の大ファンで、DVDを全巻購入し何度も繰り返し見ているという。「スレッドキング」のコーナーはガンダム絡みの物が多く、アニソンのコーナーも設けている。また山寺宏一、松本梨香、山本麻里安等、声優業界にも広い交友関係を持つ。そのせいか、声優としても多数のアニメに出演している。「単独イベントのポスターは漫画家に描いてもらう」と公言しており、その最初の作者は寺田克也となった。ゲームも大好きであり、GyaOの番組ファミ通ギャオス!やファミ通のDVD番組キカイノカラダなどでリポートを行っている。この関連で、CAPCOMのオンラインゲーム「モンスターハンター」では、ゲーム内イベント「キカイノカラダ釣り大会」の依頼人として名前が登場し、アメザリ防具と呼ばれる真紅のエビ型の鎧も作成でき、ファミ通WAVE DVDで連載されていたハンター日誌2の第4,6話で彼らをモデルとしたキャラクターも登場している。。

「しんどい男」 柳原は相方の自宅から道頓堀のB1角座まで、後輩(なすなかにし・那須)の運転する車に乗せてもらい移動している。ますだおかだが司会を務める朝日放送深夜番組「角パァ!」の取材で、移動中の片道約1時間、柳原は後輩の迷惑を顧みず車内でアニソンばかりかけたり、CD交換の合間には自分の好きなアニメの話ばかり語ったりしている(当然後輩はそのアニメのことを詳しく知らず、会話についていけない様子であった)。カラオケではマイクを離さずアニソンばかり歌い続け、他の人がアニソンを選曲して歌うと「歌い方がなってない」といちゃもんをつけ、マイクを奪い自分が歌いだす姿がVTRで放映された。これにより、柳原はこれらの事象について諸々の意味を込めた「松竹で一番しんどい男」という称号を与えられた。


【逸話】
■アニメには関係ないがしんどいエピソードには上記以外にもエピソードがあり、執拗に嫌がるなすなかにしの二人をメシに誘い、一緒に回転寿司屋に行った柳原。なすなかにしの二人は柳原よりも下流に座って食べていたのだが、気が付いたら自分達のもとに流れてくる寿司にネタが乗っていなかった。柳原が「ボケのつもりで」ネタのみを食べていたのである。なすなかにし曰く「僕らは回転寿司屋やなくて、回転シャリ屋に行ってたんですよ。」とのこと。

■ほとんどの若手芸人が下積み時代に数多く行う舞台やテレビ番組の前説経験がほとんどない(平井曰く「3回ぐらいかな」)。これは前説を始めた頃に複数の芸人が事務所を去ってしまい、その穴を埋めるために繰上げで舞台に出演しなければならなくなったのが主な理由である。

■若手芸人達と新幹線で大阪へ移動中、たまたま同じ列車で京都に向かっていた松岡由貴らとトークを展開。大阪到着時には下車した柳原達が土下座をしながら送り出したというエピソードが、アニメ番組で共演した金田朋子によって暴露されている。

■2006年8月5日未明、Yahoo!ブログにおいて、「アメザリ柳原」と名乗る人物がブログを開設し、大きな騒動になる。一部で「これは本当に本人のブログか?」と疑う声が聞こえ始めた頃、柳原を名乗っていたブログ開設者が、実は偽者で偽装であったことが確認された。これについて、関係者はもちろん、一部インターネットユーザーをも、著しく混乱させる結果となった。これは、近年のインターネット上における、悪質ないたずらのひとつである。まったく無名、或いは素人の一個人がテレビなどで活躍する有名人の名前を勝手に借用し、あたかもその有名人本人が書いた・作ったHPに見せかける。そして、それを見た人々の反響を楽しむという、いわゆる愉快犯の類である。今回の騒動により、柳原本人が知らぬ間に、騒動の「被害者」になってしまった形になる。

■2007年1月30日放送の「スレッドキングABC」で平井がお相手の江川有未とのことについて語り、新聞報道を訂正した。曰く、報道時点ではまだ籍は入れていない(母親が平井に「(婚姻届に)サインして送ってくれ」と頼まれたのを郵便局に行くのをめんどくさがってなかなか送り返さなかったのが原因らしい)。知り合ったのは飲み会ではなく、平井の友人と江川が知り合いで平井の友人に会いに来た時、たまたま居合わせたのがはじまり。その場で意気投合はしておらず、むしろ「こっちががんばって色々話してんのに全然喋らへん(平井→江川)」「なんだか怖い(江川→平井)」と互いにかなり印象の悪い初対面であった。「江川が芸能界引退のころすでに平井と一緒に暮らしていた」というのは言葉足らずであり、平井とラブカップルの増田香と一緒に暮らしていたというのが正確な表現である。ちなみに「こいつとは絶対しゃべらへんやろな、二度と」とまで思っていた二人が本当に意気投合したきっかけは北斗の拳の聖帝サウザー(について真剣に語り合ったこと)らしい。


アメリカザリガニ公認HP
アメリカザリガニ平井のブログ


(出典:Wikipedia)

アンガールズ

アンガールズはお笑いコンビ。所属事務所はワタナベエンターテインメント。


【メンバー】
■田中卓志(たなか たくし、1976年2月8日 - )身長は187cm。体重は58kg。体脂肪率は5%。視力は1.0。好きな食べ物は酢豚。嫌いな食べ物はレバー。広島県甲奴郡上下町(現:府中市)出身。広島県立世羅高等学校、広島大学工学部第四類(建築系)卒。血液型はB型。ツッコミ・ネタ作り担当。

■山根良顕(やまね よしあき、1976年5月27日 - )身長は180cm。体重は53kg。体脂肪率は15%。好きな食べ物はラザニア。嫌いな食べ物は納豆。広島県広島市安佐南区出身。広島県立祇園北高等学校、広島修道大学法学部国際政治学科卒。血液型はO型。ボケ・リーダー。ネタの最終確認を行う。


【来歴】
2000年春頃、先に田中が、後に山根が友達2人を連れて上京。男3人(田中以外)で生活をはじめるが、友人が次々挫折。仕方なく残った田中と山根のふたりで同年9月頃コンビ結成。現在のプロダクションのオーディションに合格し、2002年1月付で正式に「アンガールズ」としてデビュー。

2004年、『爆笑問題のバク天!』内のコーナー『恐怖のバク天芸人』(『エンタの神様』に絶対出られないような珍芸人を紹介)に登場し、番組内で人気を得る。その後『エンタの神様』や『バク天!』のレギュラーとして出演している。

2004年、『笑いの金メダル』(初期の番組内容時)初登場で決勝進出し対戦相手のダイノジと番組初の同点で引き分けとなり結局両者とも金メダルを取った。

2004年、第2回お笑いホープ大賞受賞。

2004年10月にはニッポン放送「オールナイトニッポン2部」の特番「アンガールズのオールナイトニッポンR」を担当した。

2005年2月、『笑いの金メダルSP』で「決めポーズはプロレスラー・武藤敬司から無許可でパクった」と告白。武藤本人が登場するドッキリを仕掛けられた。

2005年5月、『金のA様×銀のA様』でカンヌ国際映画祭のレッドカーペットに立てる権利を田中が獲得した。尚、山根は招待状を貰っておらずカーペットを歩けなかった。

2005年6月、同じく『金のA様×銀のA様』の企画で東京シティ競馬のレース名になる権利を獲得し「アンガールズドリーム賞」が行われた。尚、芸能人の名前がレース名になったのは北島三郎以来。

2005年11月23日にカンニング竹山、いつもここからと共にU.N.O.BANDという企画ものユニットでCDデビュー。田中はギター、山根はベースを担当。

2006年8月26日〜8月27日放送「24時間テレビ 「愛は地球を救う」」にて、2人でマラソンに挑戦した。複数での参加は1994年のダチョウ倶楽部以来12年ぶりで、芸人の参加は2003年の山田花子以来。完走を危ぶむ声が多数聞かれ「史上最弱ランナー」と下馬評は最悪だったが、完走。史上初めてサライを熱唱し、司会などから「史上最強ランナー」と評された。

2007年、白石昌則著の生協の白石さんの第2弾『生協の白石さん 木洩れ日』の付録CDで正式にアンガールズとしてCDデビュー。木洩れ日(作詞・作曲白石昌則)を歌っている。 田中曰く、Mr.Children並の高音を出せないと歌えないくらい高いらしい


【エピソード】
コンビ名の由来は、二人ともナヨナヨしていて女っぽいということから田中が「ガールズ」と名付けようとしたが、山根の反対によって否定を意味する「アン(UN)」を付けたことによる。ぴったんこカン・カン及びぐるぐるナインティナイン出演時、セイン・カミュに「『ungirls』という英語の文法は正しくない。『Notgirls』だ」と指摘されている。同じく「アン」の付くアンジャッシュとアンタッチャブルに間違われることもしばしばある。もうひとりメンバーが増えると、「アンアンアンガールズで〜す」と、アンを3回つける(アンで否定、アンアンで肯定、アンアンアンでもう一度否定)。ただし、2005年4月の『内村プロデュースSP』でTIMのゴルゴ松本と組んだときは、「アンゴルズ」という名前になっている。また、コンビ名の他の候補としては、「タモリス」(タモリに好かれようと思って)、「巨神兵」(風の谷のナウシカより)というものがあった。また、初めのころ「UNガールズ」としていたため「アンガールズ」ではなく「ユーエヌガールズ」とよばれたことがあるらしい。そのため、現在のように全てカタカナ表記にしたと語っている。

2人の出会いは大学時代の「ボルケーノ」と言う旅行(正確には旅行企画)サークル。当初は違う大学である事と、ルックスがかぶり過ぎで何となく敬遠し合っていたが、サークルの連絡ノートに田中が自分の名前を「たくしのり」と記入していたのを山根が見て、同じ東野幸治ファンだと知り、声をかけたのがきっかけで友人関係となる。

2人とも広島に本拠地を置く、プロ野球・広島東洋カープ、Jリーグ・サンフレッチェ広島のファンであり、中国新聞にカープについてメッセージを寄せたり、山根は2005年5月2日放送「関口宏の東京フレンドパークII」(TBS系列)の「ビッグチャレンジ」でサンフレッチェのグッズを希望し、見事に獲得している。だが2人がブレイクする前、2004年1月5日に放送された同番組の「阪神タイガース感謝祭スペシャル」では、阪神ファンの芸能人による応援団の一員として出演した過去を持つ。この時は松村邦洋や千秋といった有名な阪神ファンの他に、アンガールズを含めたこの当時あまり売れていないタレントも大勢いたため、スタッフが適当にブッキングさせたとしか言いようが無い。

田中はaikoの大ファンであり、それをとある番組で言ったところから雑誌で対談し親交を深める。しかしTOKIOの国分太一は彼らを嫌っている。理由は「なよなよしているのが体育会系の自分は我慢ならない」から(めちゃイケの「笑わず嫌い」という企画内でのこと)だというが、実際の所、国分はお笑い好きであり、このコメントは本心ではないらしい。

キングオブコメディともコンビぐるみで仲が良い。プライベートでの付き合いは互いに時間が合わずなかなか出来ないので、時々仕事で一緒になると必ず4ショットの記念写真を撮るほど。

ソニー・コンピュータエンタテインメントのゲームソフト「サルゲッチュ3」の中に「ウキナカ・ウキネ」と言う隠れキャラとして登場する。アンガールズになった「ピポサル」がジャンガジャンガをするらしい。勿論ウキネはおかっぱヘア。また、おはコロシアム内のアニメでも登場し声を当てている。

2005年5月23日に放送された日本テレビ「先端研」で、1996年12月に発生したペルー日本大使公邸人質事件で有名になった元ペルー大使の青木盛久と共演した。

日本テレビ「踊る!さんま御殿!!」にて、田中自ら「田舎者は声が大きい」とトークし、共に出演していた出川哲朗に苦笑いされる(出川は横浜市出身)。山根の「俺も広島出身だけど、そんな大声じゃない」とのトークに対しては、「お前は広島でも都会の方(出身)じゃん!」と、大声で反論していた。

2人とも雑学王という一面を持っており、爆笑問題の雑学王決定戦に出演し、好成績を残した。また、TBSオールスター大感謝祭では、コンビ揃って25万円を獲得した。2006年6月29日放送の爆笑問題の検索ちゃん雑学王決定戦では山根が伊集院光、後藤輝基に次ぐ3位を獲得。2007年1月8日放送の雑学王決定戦では山根は2回戦敗退、しかし田中が3回戦敗退しながらも、敗者復活戦を唯一勝ち抜き、決勝まで進むと、伊集院、東貴博、品川祐、小原正子に次ぐ5位を獲得。この放送で田中は「山根が調子悪ければ田中が調子を出す。アンガールズは良く出来ています」と発言している。

彼らの先輩であるふかわりょうは、彼らのライブを見て「これは面白い」と思ったらしく、彼らをテレビに出演させた。ところが、彼らが瞬く間にブレイクして以来、ふかわは彼らをライバル視し始め、「同じ髪型なのに、あっという間に抜かれた」と内村光良(ウッチャンナンチャン)に話していたらしい。『爆笑問題のバク天!』などのバラエティ番組でも、2人をライバル視しているかのような節が時々見受けられるが、実際は普段から仲が良いらしく、売れて無い頃は、2人でふかわの自宅に行ったり洋服を貰ったりと世話になった。

松本人志はエッセイの中で、「今の若手芸人で一番面白いと思うのはアンガールズ。コントもよく練られている。」と語っている。

自分達から前に出るのが苦手な彼らを、ライブで積極的に前に出したり、テレビ番組に「面白い奴らがいる」と宣伝し続けたのは、前述のふかわりょうやいつもここから等の同じ事務所の先輩達であったり、他事務所の爆笑問題や次長課長やアンタッチャブル等の先輩達であったと言う。他の誰にも真似出来ない独特の笑いのセンスと、人柄の良さや意外な器用さを活かし、最近では、お笑いブーム後も大丈夫ではないのかという説も持ち上がっている。実際、ギャグやコントをあまり求められてないバラエティ番組(「ぷっ」すまなど)へのゲスト出演も増えているようだ。


【特徴・芸風】
痩身、長身のルックスと、どこでオチるか解らない、グダグダ感を前面に出し、他人から「きもい」と言われるのが売りのシュール芸が特徴(“キモカワイイ”とも言われる)。どことなく力の抜ける雰囲気から、「脱力ネタ」とも呼ばれていて、独特な世界観が話題を呼んだ。やしきたかじんからは、「栄養失調みたいな体型」とのこと。

キモカワイイを売りにしているが、『ロンドンハーツ』では、田中が“キモ”、山根が“カワイイ”とされている。また、『クイズ!ヘキサゴンII』においては予選ペーパーテストの結果が2人とも優秀なことが多いため、島田紳助から「この番組(ヘキサゴン)ではお前ら『キショかしこい』やから」と毎回のように言われている。

主にロング・ショートコントを行う。ショートコントは、ただ噛んだだけ、ただぶつかっただけなど気まずい事柄をオチとし、今までになかった手法を用いている。

2人がブレイクしたきっかけでもある「ジャンガジャンガ」と呼ばれる動作は、ショートコント間を結ぶブリッジとして使用している。田中が屈んでその後ろに山根が重なって「はい!ジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャ〜ン♪」と両手をクロスさせて広げる、決めのアクションとなる。このアクションは、田中が左手の甲に書いたショートコントのネタ順の一覧をカンニングするという役目も持っている。クロスする手は必ず右手が内側となるが、その方が左手の甲を見やすいからかどうかは定かではない。クロスは1回のみで、他人がものまねで「ジャンガジャンガ」をやるとき手を複数回クロスさせることに対して格好悪いと評している。 ちなみに「ジャンガジャンガ」はプロレスラーの武藤敬司の「プロレスLOVEポーズ」を元にして作られた。 ギターを弾く人が入るはずだったが、結局入らなかったので「ジャンガジャンガ」と口で言うことになったと語っていたことがある。

一方、ロングコントは、田中が指導者や先輩役・山根が生徒や後輩役となり、山根のとぼけた言動に田中がしつこくツッコむという形式が多い。通常ではあまり使わない言い回しで、片手をブラブラさせながら怒るのが特徴。山根のボケに耐え切れなくなった田中がブチ切れて終わる形式が多い。 現在はコント専門だが「M-1グランプリ2003」では漫才を行ったこともある(3回戦出場)。

事務所的に、とても扱いやすい優等生コンビとして大事にされている。ブレイク当初は「ジャンガジャンガ・・・」のネタだけのすぐ消えそうな芸人かと思われていたが、2005年はジャンルを問わず色々な番組に出演し、意外と何をさせてもソツ無くこなし、誰と絡んでも無難に対応出来る器用さを見せたり、見た目と違って体育会系の仕事や体を張る仕事もこなせることもアピールし、また学歴を活かした知的な一面を見せるなど、多くの人々に翌年以降も活躍出来るのではと思わせる活躍ぶりであった。

番組でトークなどをする時は田中は山根のことを苗字で呼び捨てで呼ぶが、山根は「(うちの)田中さん」と呼ぶことが多い。これは理由の一つとして田中が山根より一学年上であることが考えられる。

憧れの芸人は東野幸治。

(出典:Wikipedia)

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小木博明(おぎやはぎ)

小木 博明(おぎ ひろあき(本名の読み方は「こぎ」)、男性、1971年8月16日 - )は、お笑い芸人でおぎやはぎのボケ担当。相方は矢作兼。


【経歴】
■東京都立北野高等学校卒

■1995年コンビ「おぎやはぎ」を結成。

■2006年10月10日に元歌手の森山奈歩と結婚・入籍。森山良子は義母、森山直太朗は義弟になる。


【人物】
■1995年コンビ結成。変わった芸風で、コンビ両方が眼鏡をかけている。苗字の発音は「おぎ」で通しているが、本来は「おぎ」ではなく「こぎ」である(子供時代、父親がコギという発音だと小汚いからオギに改めようと提案したことによる)。

■コント(ライブやリチャードホールなど)でホモキャラを演じることが多かったが、実際は女遊びが激しい。

■過去に大手CDショップに就職した際は、面接で「クラシックが大好きです」とハッタリをきかせて見事就職した。(実際にはクラシックはほとんど聞かないらしい)

■事務所内では相方以外にアンジャッシュの児嶋一哉と仲がいいらしいが、渡部建やアンタッチャブルの柴田英嗣など人力舎の芸人には楽屋でふざけたりするいたずら好きが多い為、特に何もしてこない児嶋を下に見ていることもあるらしい。

■最近はいろんな種類の眼鏡をかけている。

■加藤浩次に嫌われている。(第一印象が悪かったらしい)

■同期に北陽がいる。

■趣味はゴルフ。ベストスコアは87。

■特技はフォークボールと言い張り、今までも何回かテレビで披露したことがある。サッカーも上手い。

■リンカーンのロケで眼鏡が壊れたので昔の眼鏡などを色々かけている。

■ボードゲームスコットランドヤードを「ボードゲームの王様」として愛してやまない。(さんまのまんまより)

■「小木じらし」「小木45度」「一人おぎっち」など、数多くの得意技があることを番組内で告白している。

■バナナマンと出演している「epoch TV square vol.1(第4話)」や、バナナマン・ラーメンズと出演している「ライヴ!君の席」でバク転を披露している。本人曰く「“何か”をいきなり挑戦しても、一度も失敗したことがない」

■爆笑問題の検索ちゃんではあまりにも珍解答ばかり出す為、井上聡、庄司智春とともに「バカ3人組」と呼ばれている。矢作が「小木が答え出した後に俺に説明を求めるのはやめてくれ。」と言ったほど。

■2006年10月10日、歌手森山良子の長女で元ミュージシャンの奈歩と結婚したことを報告。(10月13日のTBSラジオJUNK「おぎやはぎのメガネびいき」にて。)

■最初に知り合ったのは吉本興業とのジョイントライブで、まちゃまちゃから紹介されたことからである。

■お付き合いから結婚まで6年かかっての入籍となった。

■「さんまのまんま」で以前恋人がパグ似だと発言していたが、それは奥さんのことであることも暴露。

■小木は新居が見つかるまで森山家に「居候」(いわゆる「マスオさん」)している。

■小木の部屋は森山直太朗が以前に使用していたものであり、CS放送が見放題だという。(そのため新居にはCSアンテナが設置できることが条件らしい。)

■その森山家での居候のため、森山家に婿入りしたと何人かに勘違いされた。

■2007年3月9日にFRIDAYに宝月ひかるとの密会している所を撮られる。以前から宝月ひかるとはアンジャッシュ児嶋の紹介で仲が良かったもので何も無かったと弁明した。これについて森山家の皆からブーイングを買い、森山良子からは「脇が甘い」、森山直太朗からは「ダサい」と言われた。

■実家は歯科の開業医で芸能人の常連も多いという。

■「リンカーン」のドッキリ企画ではトイレに置き忘れられていた(設定の)100万円入り封筒を見事ネコババした。その後楽屋にいる相方のところに持っていって「どうしようか」と尋ね矢作が「山分けしよう」という会話もしていた(冗談であるが)。その後置き忘れた設定の人が封筒を探しに楽屋へ入り無事阻止した。

(出典:Wikipedia)

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アンタッチャブル

アンタッチャブルは日本のお笑いコンビ。通称「チャブル」「アンタ」。プロダクション人力舎所属。

主な持ちネタは漫才である。一時期「エンタの神様」(日本テレビ)では、漫才のネタをベースにしたコントもやっていた。また、フリートークやリアクション芸もこなし、バラエティ番組で活躍している。先輩のアンジャッシュや後輩の北陽、ドランクドラゴンよりも売れるのが遅れたが、2003年のM-1グランプリ敗者復活戦で全国にその存在を知らしめ、翌2004年の同グランプリで見事優勝してブレイクを決定づけた。決まり文句は「あざーっす!(ありがとうございますの意味)」・「いやいやいや」など。
早いテンポでのボケ・ツッコミともに、非常にハイテンションでの漫才を展開して、大人気を博している。特に柴田のツッコミは、キレかかったテンションなのでよく「ぶち切れ漫才」と言われている。


【メンバー】
■山崎 弘也(やまざき ひろなり)−1976年1月14日。B型。埼玉県出身。(ボケ担当)

■柴田 英嗣(しばた ひでつぐ) −1975年7月15日。B型。静岡県出身。(ツッコミ担当)


【略歴】
1994年結成。プロダクション人力舎の運営するタレント養成所、スクールJCAの3期生同士。旧コンビ名はある先輩が勝手に考えた「シカゴマンゴ」だったが、本人たちが気に入らなかったため、現在のコンビ名に改名した。由来は、そのころ山崎が好きだった映画『アンタッチャブル』から。これは山崎が独断で決めたもので、柴田は当初「シカゴマンゴ」に決まったと思い込み、初めてのライブの出演表にコンビ名が入っていなかったことから「このライブには出られない」と思っていると、スタッフから「アンタッチャブルさん」と呼ばれ、初めてコンビ名を変わったことに気づいたという。 (「シカゴマンゴ」は現在出演しているレギュラーラジオ番組の名称として用いている)

1990年代半ば、「ボキャブラ天国」シリーズに出演。

1990年代後半〜2001年には、くりぃむしちゅー、アンジャッシュとの3組で結成したユニット「ゲバルト一族」のオムニバスライブで人気を博した。

1999年、『爆笑オンエアバトル』に第2回から出演。毎回高得点をマークし、注目を集める。チャンピオン大会では、第4回を除くすべての大会でファイナル出場をするも、毎回優勝を逃していたが、2004年3月の第6回チャンピオン大会で念願の優勝を果たした。また、その年に出場した北見収録回では、2004年度1位・歴代2位・自己最高の541KBを獲得している。

2003年の『M-1グランプリ』決勝では、敗者復活戦を勝ち上がって最終決戦にまで残った。結果は3位であったが、そのパワフルな漫才の技量が話題となり、お茶の間の人気者となる。そして、最有力優勝候補と言われた翌2004年の『M-1グランプリ』で見事に東京勢の標準語漫才としては初の優勝を飾り、賞金1000万円を手にした。この時、結成10年目でM-1に出場できる最後のチャンスであった。そこから出たギャグが山崎の言った「謙虚芸人」。人力舎はこの優勝賞金をあてこみ、事務所のリフォームをした。その後の特別番組で事務所に取られた金額を差し引いた600万円を、2人で分けた額300万円が、柴田に渡されたが、山崎には過去の借金などでくりぃむしちゅーの有田哲平が書いた領収書と、300枚の「10,000」と書かれた紙の束を渡された(これはギャグであり、その後控え室で司会の木村祐一から現金で300万円を渡された)。また、賞金は借金返済に充てたと思われていたが山崎は細々と有田に返済しており、賞金獲得後には、葉巻を吸うなど贅沢をするようになったことを『笑いの金メダル』で暴露された。

2004年10月から『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』にレギュラー出演。見事「Qさま!!」判定を5個獲得し、その特典として2005年5月26日からさまぁ〜ずと2週間だけ司会を交代した。また、「ダメQ」判定を5個獲得してしまった際には、その罰ゲームとして偽ヤクザの宴会に参加するというドッキリにかけられた。

2004年にドリームワークスアニメーションの映画『マダガスカル』の日本語吹替版に2人そろって声の出演をした。声優としての評価も高い。

2005年4月から『いきなり!黄金伝説。』にレギュラー出演。番組内では4回伝説を行った(2007年4月現在)。1回目は「旬のマグロを1匹食べ尽くす旬なコンビ」、2回目は「にんにくだけで10日間生活するコンビ」、3回目は「人気芸人節約バトル 1ヶ月1万円生活 最強No.1コンビ決定戦」、4回目は「1週間クリームシチューだけで生活するコンビ」。


【特徴・エピソード】
■芸風については、トーク番組などで褒められると山崎は手を横に振りながら後ろを向き「いやいやいやいや」と乗せられるリアクションを取ることが多い。それに対し、柴田は当初ツッコんでいたが、のちに揃って「いやいやいやいや」と言うようになった。また、ネタを披露する際に客席から拍手が出ると「気を使わなくて良いですよ」などと言うことがある。 

■M-1グランプリ2003の敗者復活で勝ち残れるとは思っておらず、その前日二人は別々のところで徹マンをしていた。なお、敗者復活決定時、おぎやはぎの小木は本人ら以上に喜び、最終決戦進出決定後には入ってはいけないのに出演者控え室に入ってきてしまったらしい。

■M-1グランプリ2003では最終決戦で1票も入らず3位に終わったが、審査委員長の島田紳助から「来年は本命じゃないかと思うくらい凄かった」と賞賛を受けた。なお、島田紳助は優勝者インタビューの際の大会総括でも「人力舎は地味な漫才やるコンビばかりだと思っていたけど、やつらは凄い」とコメントを残している。

■何気ない言葉のイントネーションを少し変えて、面白くする事があり、「M-1グランプリ2004」では「だけど〜?」の一言で観客から拍手が起るほどの笑いを誘った。ビートたけしからは「アンタッチャブルの言っている事は面白くないんだけど、何か面白い。」と言われている。

■略歴にも少し書かれているが、「M-1グランプリ2004」が開催された当初(予選)の頃は、所属事務所の人力舎はあまり期待をしていなかった。しかし、いざ決勝進出が決まると急に優勝を期待し始め、ついにはM-1決勝の2日前に賞金を当てにして事務所の改装工事が行われた。しかしその反面、M-1決勝のネタ合わせに事務所の稽古場を使わせて貰いたい、という二人の要望は受け入れなかったらしい(しかたなく二人は近所の公園でネタ合わせをしたらしい)。

■ロンドンハーツのコーナー「タレコミ奉行」で、合コンで山崎が女の子に無理やり自分の乳首を触らせていた事が分かり、番組内で罰を受けた。

■ネタ作りではまず、柴田がツッコミを先に作り、山崎がそれに合わせてボケを考えるという不思議なネタ作りをする。このことはロンドンハーツのコーナー「カミングアウト温泉」や「アメトーク」でも明らかにされている。実際、TBSラジオのJUNK「アンタッチャブルのシカゴマンゴ」では、「ツッコミ先行宣言」というコーナーがあり、柴田がツッコミを発表しボケの部分を聴取者から募集しているコーナーが存在する。

■また、「2人とも覚えるのが嫌い」という理由で、ネタ作りでは一字一句台詞を決めるようなことはなく、要所要所のキーワードだけを決めているのみでその他の細かい言い回しなどは全てアドリブで行っている。そのため、同じテーマのネタをやってもまったく同じ漫才になることは無い。その影響か、本番前のネタ合わせは繰り返し綿密に行われている。

■伊集院光との交流が深く、「ゲームwave(テレビ東京)」や「伊集院光 深夜の馬鹿力(TBSラジオ)」など伊集院の深夜番組に準レギュラーとして頻繁に出演し、伊集院と息の合った掛け合いを見せた。その伊集院光とは現在も親交が厚く、伊集院主催の若手芸人野球チームの合宿には、当日の深夜にJUNK「アンタッチャブルのシカゴマンゴ」の放送があったにも関わらず参加した(2006年08月10日放送より)。その際に、伊集院の「ラジオはあくまで生放送で」(「草野球という私事で、本来は生放送の番組を録音放送で代替させてはならない」)という意向と両立させるために、合宿所の近くにあった茨城放送のスタジオとTBSラジオを繋いで番組を生放送するという「離れ技」も行った(茨城放送は本来NRN系列局であり、そもそも同番組は茨城放送ではオンエアされていない上、TBSラジオの電波が水戸地区まで届いていない。同時間帯、茨城放送ではニッポン放送の「ナインティナインのオールナイトニッポン」がネットされていた)。また、急遽スタートしたJUNK 交流戦スペシャル(クール途中で終了となった金曜JUNK「極楽とんぼの吠え魂」の代替番組)では、第1回放送で伊集院と緊急共演した。

■カンニング竹山隆範との共演や絡みが多い。竹山が出てきたときの山崎のリアクションは大抵、「なぁんだ、竹山さんか!」である。仲の良さから「コーヒー買ってきて」などと竹山に頼むこともあるらしいが、竹山から「俺ら(相方である中島忠幸も含めて)お前らの年上で先輩だからね」とJUNK放送中に釘を刺される。

■同じ番組で共演する若槻千夏とユニットを組み、「チナッチャブル」名義でCDをリリースしている。

■山崎がかなりの大顔なのに対し柴田はかなりの小顔のため、番組内で出演者やゲスト等に2人の顔の大きさについてコメントされることがある。山崎曰く「本当なら身長が2mなきゃいけない」とのこと。

■くりぃむしちゅーと仲が良い。特に有田と山崎は親友で、有田が多忙となった現在、ぐるナイの人気コーナー「かぶっちゃYa〜yo」には有田に代わって山崎が同コーナーに出演するようになった。

(出典:Wikipedia)

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アンジャッシュ

アンジャッシュ(UNJASH)は、高校の同級生である児嶋一哉と渡部建による、東京都八王子市出身のお笑いコンビである。プロダクション人力舎に所属。1993年に結成された。略称は「アンジャ」。


【メンバー】
■児嶋一哉(こじま かずや、1972年7月16日 - )
ボケ(たまにツッコミ)担当。東京都八王子市出身。八王子市立弐分方小学校、八王子市立元八王子中学校、東京都立日野高等学校卒業。スクールJCAの第1期生(本人曰く補欠で入学)。麻雀好きとして有名でプロ麻雀士の資格を持っている。高校時代の同級生である渡部とコンビを結成。身長178.2cm。

■渡部建(わたべ けん、1972年9月23日 - )
ツッコミ(たまにボケ)担当。東京都八王子市出身。八王子市立片倉台小学校、八王子市立中山中学校、東京都立日野高等学校、神奈川大学経済学部卒業。スクールJCAの第2期生(本人曰く学費未納入)。身長175.7cm。


【略歴】
■1993年結成。スクールJCA1期生(児嶋)2期生(渡部)。初のJCA出身コンビの為、当時の若手実力派が集まるライブに早くもたびたび出演する。

■スクールJCAへの入学は、八王子の先輩のヒロミのアドバイスによるもの。

■芸歴での同期には土田晃之、バナナマンらがいる。

■1990年代半ば、『ボキャブラ天国』シリーズに出演。

■1990年代後半〜2001年には、くりぃむしちゅーとアンタッチャブルによるユニット「ゲバルト一族」のオムニバスライブで話題となる。

■1997年3月14日第7回ニッポン放送高田文夫プロデュースOWARAIゴールドラッシュII優勝。

■1998年1月26日第10回ニッポン放送高田文夫プロデュースOWARAIゴールドラッシュII第2回グランドチャンピオン大会優勝。

■1999年から『爆笑オンエアバトル』に第一回目から出演(オフエアだったがその後番外編としてメインのドキュメンタリーが放送される)。しかしその後毎回高得点を出し、チャンピオン大会ではほとんどが上位である。2003年1月には同番組の第5回チャンピオン大会で優勝を果たした。初のコントでチャンピオン初の関東勢、そして吉本興業以外の所属、人力舎芸人で初めての優勝。そして番組のゴールドバトラー、プラチナバトラーを両方受賞している数少ないのコンビである。同番組において、オーバー500やトップになった回数は1番多い。自己最高529KBを2回獲得(同番組の第一回チャンピオン大会で、立川談志に褒められた)。『ボキャブラ天国』では目立たなかったが、『オンバト』では顔的存在で、中には「オンバト=アンジャッシュ」とする人もいる。

■2003年から『エンタの神様』に出演して人気や知名度が上がり、少しずつ売れ始める。2004年『笑いの金メダル』では高い評価を受け、記念すべき第一回金メダリストとなる。

■2004年9月千葉テレビ放送で初の冠番組、『白黒アンジャッシュ』が始まる。

■2005年1月24日人力舎所属若手お笑い芸人11組によるオールスター・ユニットビジトジでCDデビューし、リーダーになる。

■2005年4月から『ポップジャム』(NHK)で初めて歌番組の司会を務める。

■2005年好きな芸人ベスト4位になり、島田紳助やビートたけしを抜いた。『いい男はマーケティングで見つかる』でドラマデビュー。


【特徴】
■勢いだけでない、よく練り上げられたコントに定評がある。一般的な「ボケとツッコミのあるコント」もするが、一方が話した会話の断片をもう一方の相方が誤解したまま話を合わせ、お互いがお互いの会話を疑問に思いつつ話が進む「ボタンのかけ違え」的な進行パターンや、2人の言葉の断片などが偶然につながることで世にも奇妙な(そして笑いを生む)会話や光景の成立するパターンが多い。前者の場合、「2人が近しい仲」という設定なら、普通の会話をしている(はずの)渡部の発言を児嶋が勘違いして、おかしな会話が進んでいき、「2人が顔見知り程度」なら互いが互いの発言を勘違いするというパターンになる。稀に、勘違いが解消されることもあるが、次にまた別の勘違いが始まる。後者の場合ボケもツッコミもなしに、ただ断片をつなぎ合わさることで上手く笑いを作り上げることも多い。ちなみにコントにはかなりの確率で下ネタが入る(例:野球のバットを男性の”アレ”と勘違いする)。「勘違いネタ」であるがゆえに、両方ともボケ、ツッコミを担当するネタも多い。

■ネタの中で女性の名前が出てくるときは「マユミ」、男性の場合「クロダ」「タドコロ」「シミズ」「タカシ」ということが多い。「マユミ」の由来は渡部の昔の彼女が由来だと言っている。渡部はマユミに「アンタには未来が無い」と言われて捨てられたらしい。

■コンビ名は、渡部が考えた「J (JOY) 、A (ANGRY) 、S (SAD) 、H (HAPPY)=喜怒哀楽」と、児嶋が「あ行と「ん」の字が付いている芸人は売れるから」とつけた「UN」という意味で命名。

■当初のコンビ名は英語表記の「UNJASH」だったが、ほどなく「アンジャッシュ」に改名。

■他のコンビ名候補としては「わたこ」、「ワークブーツ」などがあった。

■本人たちは、「アンジャッシュさん」が言いにくいため「アンジャッシュ」という名前を気に入っておらず、機会があれば改名したいと白黒アンジャッシュで語った。

■デビューしてから間もなくして『ボキャブラ天国』に出場した。しかし、キャラの濃さや瞬発的な笑いが重視される同番組では、彼らの持ち味である巧みな芸風を生かす事が出来ず、1ケタ得点ばかりの万年チャレンジャーと言う低迷の時代を送る(『歌うボキャブラ天国』では好成績を残している)。

■しかし、後に出場した『爆笑オンエアバトル』では実力を遺憾なく発揮。高い評価を受け、第5代チャンピオン、オーバー500を8回マーク(歴代最多)など好成績を残した。一時期平均511キロバトルだったことがある。二人もこの番組の存在は大きかったとコメントしている。その後、『エンタの神様』『笑いの金メダル』などにも出演し、『笑いの金メダル』では高い評価を受け、金メダルを2つ獲得した。

■所属事務所のプロダクション人力舎の若手芸人の中では1番芸歴が長い為、リーダー的・兄貴的存在として活躍。なお、名前が似ているため混同されやすいアンタッチャブルは同じ事務所の後輩である。よくアンジャッシュブルなどと間違われていたらしい。また、事務所は違うがアンガールズと間違われることもしばしば。

■NHKの『ポップジャム』の司会をT.M.Revolution西川貴教と共に2005年4月〜2006年3月の1年間務めた。

■本人達は、キャラに特徴が無いのを悩んでいる。ギャオマガジンで鈴木おさむとの対談で語っていた。

■ネタ作りにかなりの時間を費やす。一つのネタを完成させる時間は2人の共同作業で、約1ヶ月との事。


【代表作】
《音響ネタ》

■「ピーポー君」(警視庁の「ピーポくん」より)や、「キュータ君」(東京消防庁のキャラクター)、「トレイン君」(架空の鉄道警察キャラクター)など。

■「渡部お兄さん」とマスコットの会話で構成される小学生向けの交通安全教室(キャラクターにより防火教室などに替わる)。マスコットの声は音響係の児嶋がサンプリングマシンに収録された決められたパターンをタイミングに合わせて流すと言う設定。だが児嶋は今回が初仕事、同僚の替わりで急遽来た、遅刻してリハーサルができなかったなどの理由で操作ミスをし、間違ったパターンのセリフをマスコットがしゃべってしまう。それでも会話の意味が通じてしまうため大変なことになる。

■アンジャッシュのネタの中でも最高傑作という人も多い

■また、ヒーローショーで渡部がヒーロー役、児嶋が音響係をするというネタもある。

■「ピーポー君」を見た警視庁の重役がこのネタを気に入り、実際に小学校でこのネタをやってくれと二人に依頼したということがある。

《バカAD児嶋》

■ADの児嶋が、ディレクターへの昇進をかけて、映画や飲み物のCM・通販番組などを作成し、それを渡部ディレクターが確認する。しかし児嶋の作る番組は毎回とんでもないもので、最終的には「全部やり直し!」と言われる。

■ここから派生して、児嶋が作ってきたものや、持ってきたもの、または防犯カメラでの児嶋の様子などを2人で見る、というネタもある。

■このシリーズでは、映像の中にアンジャッシュが出てくる。この場合渡部が司会者で児嶋がゲストであることが多い。また、女性がアシスタント等で登場することもある。渡部は映像の中で「高橋一」という名前であることが多い。

《それぞれの会話》

■偶然近くにいる見知らぬ2人という設定の渡部と児嶋が、別々の相手に電話をしているのだが、それぞれの会話が組み合わさって、あたかも渡部と児嶋で会話が成り立っているかのような光景になる。

■見解の異なった2人が、言葉を巧みに使った勘違いコントを繰り広げる。

(出典:Wikipedia)


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虻川美穂子(北陽)

虻川 美穂子(あぶかわ みほこ、1974年9月11日 - )は、お笑いコンビ「北陽」のボケ担当である。埼玉県北葛飾郡杉戸町出身。所属事務所はプロダクション人力舎。身長169cm、足のサイズ24.5cm、スリーサイズB88-W78-H101、血液型A。視力が弱く、コンタクトレンズを使用している。愛称は「虻ちゃん」。弟が一人いるが、顔がそっくりだという。


【概要】
久喜北陽高校時代に相方の伊藤さおりと出会う。ソフトボール部で仲良くなり、1995年にコンビを結成。ソフトボールでのポジションは投手で、実業団にスカウトされるほどの選手だった。伊藤は外野手で補欠だった。

ユマ・サーマンや稲森いずみに似ていると言われている。

近年はコンビではなく個人での活動も多く、米倉涼子主演のドラマ『整形美人。』に出演したり、賀来千香子や松嶋菜々子とCMで共演するなど活躍の場を広げている。

『笑っていいとも!』のスペシャルで「あなたの(知っているようで)知らない世界」のコーナーに女性アイドルのくくりで出演した時、「虻川なんてアイドルいるか」との指摘に「虻川は芸名で、本名は『せせらぎれいか』」と発言し、それ以降たまに番組内でいじられている。

ソフトボールの投手の腕を活かし、『所・徳光のスポーツする人えらいぞグランプリ』(日本テレビ系列)ではプロ野球現役・OB選手を相手に9人斬りのパーフェクトを達成した。またレギュラー番組『はねるのトびら』(フジテレビ系列)では、冠企画の「ABUCHANS」が2005年4月にスタート。自腹の100万円を賭けてゲストの打者と対戦している。2005年中は一度もヒットを打たれなかったが、2006年1月25日の放送で次長課長・井上聡にヒットを打たれる。(この回はくじ引きで守備位置変更のルールが有った。)虻川本人はエラーと主張するも、吉本興業屈指の男前芸人に頭を撫でてもらう一幕もあった。

2006年12月25日の『SMAP×SMAPクリスマススペシャル』において『はねるのトびら』のゲストとして登場したとき、料理対決「BISTRO SMAP」で木村拓哉・稲垣吾郎ペアが勝利したとき、相方の伊藤は稲垣のほっぺにキスをしたが、虻川は木村の唇にキスをした。そのことについて他の『はねトび』のメンバーたちは「罰ゲームに等しい。」とコメントした。

2007年3月1日、東北放送で放送されている『北陽のヒップアタック』でドランクドラゴンの塚地武雅にパソコンのインターネット上のサイトで「嫌いな女芸人」第1位に虻川がランクインしていたと言われ、ショックを受けていた。理由は“面白くない”から。ちなみに「好きな女芸人」第1位は相方の伊藤だと言う。


【雑学】
■松浦亜弥に「あぶぶ」という愛称をつけてもらう。

■警備員の経験がある。

(出典:Wikipedia)

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青木さやか

青木 さやか(あおき さやか、1973年3月27日 - )は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)、女優。本名:青木 沙耶加(読み同じ)。愛知県尾張旭市出身(生まれは愛知県瀬戸市)。血液型O型。ワタナベエンターテインメント所属。身長165cm。


【来歴】
■両親共に小学校教諭という家庭環境で育つ(2006年3月現在、母親は小学校の校長)。愛知県立瀬戸高等学校を経て、名古屋学院大学外国語学部中国語学科卒業後、テレビタレントセンター(TTC・名古屋のタレント養成所)に入学。この時、タレントセンターで講師を務めていた狂言師和泉元彌から狂言の指導を受けたことがある。

■その後、名古屋ローカル・岐阜ローカルのフリーアナウンサーとして活動。さらにその後、林寛子の付き人を経て、中京テレビの深夜番組『めざせ!総・楽・天』に出演した。この時はお笑い志望ではなかったが、「面白いタレントになりたい」という自己PRをお笑い志望としてこの番組で紹介されたことがきっかけで、お笑いに転身する。

■名古屋では一時期、松田大輔(現在は東京ダイナマイトのボケ)らと「温泉こんにゃくアクロバットショー」なる5人組のユニットを組んでいた。ユニット脱退後、しばらくフリーで活動していたが、ワタナベエンターテインメントのライブにゲスト出演した折、渡辺ミキ社長にスカウトされる。そのまま2003年1月より事務所を移籍して全国区での活動を始め、現在に至る。

■駆け出し時代、『お願い!DJ!克也とのりちゃんはっぴぃウィークエンド』(ニッポン放送)で「イエローハットサウンドハイウェイベストヒットセレクション」の中継を担当していた。その縁で、BSデジタル本放送が開始された2000年12月から、BSフジで放送のニッポン放送制作の番組『LF+Rモーニング YOUNG LIVE JAPAN』『ヤングライブニッポンLF+RミュージックTV』に松田大輔と「温泉こんにゃく…」としてレギュラー出演した。

■全国区で活動を始めてしばらくは鳴かず飛ばずの時期が続いたが、2003年秋頃からフジテレビ系の番組『笑う犬の太陽』『ネプリーグ』やテレビ朝日系の番組『Out Of Order』など、事務所の強力プッシュによってレギュラー番組が激増する。本人はこの頃のことを「ネプチューンのバーターで売れた」と語っている。

■同じ頃、『エンタの神様』(日本テレビ系)などのネタ番組でブレイク。現在は笑い専門だけでなく、女優業や司会業などもこなす。

■2004年8月10日に発売された『週刊ポスト』8月20日・27日号のグラビアでビキニ姿を披露し、賛否両論を巻き起こす。

■2004年10月12日放送のテレビ朝日の特番『ロンドンハーツ3時間スペシャル』で、当時の彼氏である「コージ」を公開。番組史上最高視聴率(平均22.1%、瞬間最高30.4%)獲得に貢献する。

■テレビ番組『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』の企画で、P'UNK〜EN〜CIEL(L'Arc〜en〜Cielの変名ユニット)に「P'UNK青木」としてキーボード・コーラス他で参加し、2004年12月25日『天嘉 - 参 DANGER III in 日本武道館』に出演する。また、2005年1月13日にリリースされたL'Arc〜en〜Cielのシングル「Killing Me」のカップリング曲『Round and Round 2005 feat. P'UNK青木』でCDデビュー。

■2005年1月1日朝にフジテレビが放送した新春お笑い番組で海原はるか・かなたと共演した際、海原かなたを真似て海原はるかの毛髪を吹き飛ばすはずが、なぜかおでこにキスをして海原はるかを喜ばせた(アドリブのギャグと思われる)。

■フジテレビ系『めちゃ×2イケてるッ!』2005年4月9日放送分の芸能人抜き打ちテストでは5位だった。ちなみに、この時細木数子も参加しており、細木は6位だった。

■2005年4月13日に、写真集「Où Voyez-vous?」(タイトルは「どこ見てんのよ?」という意味のフランス語)を発売し、初版2万部が3日で完売した。なお、発売前日の4月12日にテレビ朝日の特番『ロンドンハーツスペシャル』でこの写真集撮影の一部始終が放送された。その後、増刷され7万5千部に。後に、事務所の後輩安倍麻美に「売れたのは、ロンハーのおかげでしょ」と言われたが、「あれはねぇ! ロンハーのおかげ!」と切り返し、否定しなかった。

■2005年7月23日〜7月24日、フジテレビ系『FNS ALL STARS 25時間テレビ』の総合司会を笑福亭鶴瓶と共に務め、“フジテレビアナウンサー”の肩書きで出演。そして、フィナーレ恒例のフジテレビ新人アナウンサー披露ではこの年の本当の締めくくり役(提供読みの最後は田淵裕章アナウンサー)を担当。芸能人として初めての同コーナーの参加者となった。


【芸風】
■芸人としての持ちネタは主に、バスガイド、保母、エレベーターガールなど様々な職業のコスプレで、皮肉たっぷりにブラックジョークを連発する一人コント。また、特技のピアノを使い、自作の歌を弾き語りするネタもある。名古屋時代は、アルトリコーダーを吹きながらシュールなことを言う漫談ネタもやっていた。

■バラエティ番組では、慇懃キャラを軸にしつつ、目上目下にかかわらず相手に罵声を浴びせたり、女であることを過剰に意識してツッコミを誘ったりなど、状況に応じてリアクションを使い分ける。

■罵倒については、特に若手の局アナ相手で激しく炸裂するが、これはテレビ局のアナウンサー試験での挫折体験や、その後のフリーアナウンサー経験も影響しているものとされる。なお、滑舌のよさを売りの一つとするが、フリーアナウンサー経験もさることながら「トーク番組で絡んでもらうには、きちんとした滑舌でしゃべらなきゃ」と一念発起したことにもよるという。

■決めセリフは「どこ見てんのよ!!!!」(胸元や下半身を隠し、カメラや男性タレントを睨み付けながら怒鳴る)、「ふざけないでよ!!!!」(ノリツッコミ的に用いられる)、「にゃあ」、「にょろーん」(主にコントの落ちで脱力気味に発声される)など。

■2004年暮れ頃から2005年初めにかけ、『北斗の拳』『ろくでなしBLUES』『キン肉マン』など、1980年代後半に週刊少年ジャンプなどで連載された漫画に描かれるフレーズや動作を借用して、決めセリフ代わりにすることが多かった。


【エピソード】
■中学生時代は髪がおかっぱで日焼けをして黒かったため、「ウォーズマン」というあだ名を付けられていた。

■名古屋時代、『めざせ!総・楽・天』で共演していたキャイ〜ンの天野ひろゆきから、ツッコミで初めてどつかれた時、収録終了後、どついたことに対し天野に抗議した。しかし、天野とは既に和解しているようで、同じ番組での共演もある。

■波田陽区の事務所の後輩(年齢は青木の方が上)としても知られているが、青木は「波田君」、波田は「青木さん」と実際の芸歴にはそぐわない呼び方をしていると言われる。また波田が青木を斬るネタ「お化粧2時間、ネタ3分」はシングル「ギター侍のうた」の最初にあり、波田のネタでは最もよく使われるギャグの1つである(このネタがTVで放送された直後、青木が激怒。食事を数回おごらせる条件で和解した)。

■長井秀和と仲が良く、休みの時は地元のファミリーレストランで愚痴を言い合っているほどである。また、友近とは携帯メールで恋愛相談をし合う仲という。

■趣味は麻雀・パチンコ。ブレイクする前は雀荘でアルバイトをしていた。その雀荘の客と交際していたことがある。

■視力が悪いため、プライベートではメガネを着用している。メガネをかけた様子はテレビで時々公開される。

■かなりの高所恐怖症。高さ3〜4mの歩道橋でも怖いという。だが、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』でおしおきとしてスカイダイビングをさせられ、ロケでは終始おびえていた。また「世界絶叫グランプリ」で急降下する絶叫マシンに乗せられ、司会なのに初代グランプリを獲得したりもしている。

■同じく『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』の企画「アイドルハンター」では、水泳対決でアイドルに挑戦して無敵の強さ・5連勝を誇っていたが、水野裕子に初黒星を付けられてしまう。

■水泳以外のスポーツはかなり不得意なようである。(『ロンドンハーツ』より。)

■しばしばタモリから「女装したはなわ」と呼ばれている。

■中京圏ローカルタレントの相川真一は大学のサークルの後輩で、青木さやかとは今でもメール交換をするなど仲が良い。日本テレビ系の『おしゃれカンケイ』に出演した際、相川が電話出演した。

■東京ダイナマイトと共演すると、メンバーの一人である松田大輔と「温泉こんにゃくアクロバットショウ」時代のネタを再現することが多い。これまでに『Goro's Bar』2005年3月17日放送分と、2005年の『FNS ALL STARS 25時間テレビ』内「真夏の爆笑ヒットパレード」コーナーで実現した。

■「芸風」の項でも触れている通り、アナウンサー(特に若手の同性)に対し挑発的なリアクションをとることが多い。とりわけ『愛のエプロン』MCの「しわアナ」こと武内絵美テレビ朝日アナウンサーとに対しては著しく、作った料理が「しわを出すほどまずい」という評価を下されると「絶対こいつ追放してやる!!!!!!」などとキレキャラを発揮する。武内アナも青木のことをよく思っておらず、結果として罵倒合戦になることもしばしば。2007年5月7日放送の『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』では武内に対して「お前なんか死んでしまえ!」のような、冗談とはいえないような発言をした(2ちゃんねるではかなりの批判が書き込まれている)。また、武内アナらと司会を務める『史上最強のメガヒットカラオケBEST100 完璧に歌って1000万円!!』でもバトルは起こしていない。『笑っていいとも!』や『Goro's Bar』では、女子アナと共演していてもバトルを起こすことは稀であるが、相川アナに対し「お前、いいともクビにするぞ!」ときつい発言をしている。レギュラーになる前にテレフォンショッキングに出たときも、電話機を受け取る際に女子アナをにらみつけながら強引に奪い取るような印象の悪い態度をとっている。

■彼氏に女の影がいるかもしれないと言う心配をした時、寝言で彼の浮気相手を調べたところ、その相手はまじかる☆タルるートくんで「たるるーたるるー」と話していたと語った。

■2005年、『FNS ALL STARS 25時間テレビ』中、FNS系列局が地元の“トリビア”を競い合う「トリビアの温泉」コーナーで東海テレビが登場した時、東海テレビのアナウンサー入社試験を受けたことを明かした(不採用だった)。また、同番組のエンディング恒例となっている、フジテレビ新人アナウンサーの提供スポンサー読みで、新人アナ4人に混じってスポンサー読みを務めた。これは人事異動免除お笑いフルマラソンを見事、完走した山中秀樹アナの立っての配慮だと言う。ところがセリフは「以上の提供でお送りしました」のみだった。これは、スタッフが「芸能人に提供読みをさせたらミスする可能性が極めて大きいだろう」と判断したためであった。彼女のキャラから、本来ならばキレなければいけないものの、感極まって泣くという失態を演じてしまい、後日『笑っていいとも!』でタモリにダメ出しをされた。

■2005年9月、テレビ番組などで紹介された彼氏・コージが、父親の逝去を受けて母親の実家である石垣島に帰る。売れっ子で多忙な青木とは遠距離恋愛が困難ということになり、同年暮れ、この恋愛に終止符を打つ。

■写真集の売上を各所で自慢して芸人であることを忘れる様な発言をし、『ネプリーグ』(フジテレビ)で石川亜沙美に「顔大きいですね〜。シーマンそっくり」と言われ、『ロンドンハーツ』ではSHEILAにコンプレックスなどを出され、ボロボロ状態にされた。

■渋谷駅のモアイ像が、青木さやかに似ていることから、モアイ像がある出口を、女子高生の間では「青木さやか口」と言われている。

■地理が大の苦手。現在、主に東京を活動の中心にしているにもかかわらず、『Qさま!!』の「プレッシャーSTUDY」にて東京都の日本地図上での位置を当てるのにも不安げだった。

■同じ事務所のいつもここからの山田一成が住んでいたアパートに住んでいた時期があった。(通称「幸せの部屋」と呼ばれているらしい)。谷原章介が司会のカミングダウト(放送終了)にて判明。現在は別のマンションに引っ越している。

■注射が大の苦手。海外ロケにあたり予防注射を行うように言われたにもかかわらず、それを行わずに海外ロケを行っていたことで問題を起こしたことがあると本人が語るほどである。ある番組で健康診断を行ったところ、素で採血を嫌がり終いには泣き出す始末だった。共演者が青木を励ましながら採血した。


《『愛のエプロン』での成長ぶり》
■深夜時代の『愛のエプロン3』で冷やし中華とバンバンジーが課題だった回で、青木の作った料理を食べたジャッジマン・勝俣州和に、冷やし中華に対し「いくら食べても卵と麺!」と、さらにバンバンジーに対しては、「辛いうんこ」と酷評された。その回ではエプロンガールズの最下位にランクされ、たまたま観光に来ていた青森のカップルにネームプレートを持ち帰らせることとなった。これは番組史上、最も低い評価である。なお、その次に出演した回では「海鮮かた焼きそば・エビワンタンスープ」を作り、ランク外ながらも順位を上げた。この時、青木のネームプレートを返却しに来た青森のカップルは、一緒に出演したインリン・オブ・ジョイトイのネームプレートを交換で持ち帰ることになり、次の週に番組が終了(ゴールデンタイムへの時間帯移動による仕切り直し)、その後に2週間総集編を放送したため、順位はそのままになった。

■ゴールデン移動後は急激に腕を上げており、チーム対抗戦においてはキャプテンを務めるまでになっている。2005年12月21日のクリスマスSP、2006年1月4日の「TOKIO軍団vs愛エプ軍団」、4月12日の「石原軍団vs愛エプ軍団」ではいずれも高評価を受けていて、石原軍団のリーダー渡哲也と戦ったときは、95点と自己最高得点となっている。レギュラーランキング戦で自己最高位を更新しつつあるが、7月5日放送分『愛エプ杯争奪SP』のような大一番で最後の詰めを誤る事もしばしばあり(また、番組のネタとして“引っ張られて”いる事もあってか)、特〜上エプ、特エプ王手と、なかなか特エプを取らせてもらえない状態だった。最終的にランキングは126人中13位(特〜上エプ)という高位置であった。元祖愛エプ四天王である。

■2006年10月11日放送分の愛エプカップ2007の出場権を賭けた予選では見事なカツ丼を作り、91点という得点を叩き出し、8人中1位で愛エプカップ2007への出場の切符を手にした。また、2006年11月8日放送分では、裏技などを使い、見事な和風ハンバーグを作り、秋野暢子や森公美子といった強豪を抑え、瀬川瑛子と並ぶ99点を叩き出し、優勝2冠を手にした。

■2007年5月30日放送分愛エプ料理グランプリ!日本料理界の権威が決める過去出演の1,130人の中から最優秀料理人ランキングではベスト10の6位に見事輝いた。

■2007年6月6日放送分の和田アキ子がオーナーのお店の新メニューを賭けてのバトルでは、和田アキ子の足のサイズと同じくらいのトンカツを作り、和田アキ子をはじめとするジャッジマンからかなりの高評価を受け、100点という自己最高得点を叩き出した。


《特技》
■ピアノが得意。人から聞いた曲を何も見ずにアドリブで弾くことができる。

■第7回ベストスイマー賞受賞(主催・日本スイミングクラブ協会)名誉水泳十段位

(出典:Wikipedia)

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あばれヌンチャク

あばれヌンチャクは、日本のお笑いコンビ。所属事務所は石井光三オフィス。コンビ名は斎藤の前のコンビ名「ヌンチャクダンス」からヌンチャクを残して他人につけてもらったことによる。あばれはっちゃくに語呂が似てる為とも言われている。2005年4月解散。


【メンバー】
■斎藤恭央(さいとう やすお、1976年9月24日 - )
神奈川県横浜市出身。血液型はB型。ツッコミ&絵描き&ネタ作成担当。声優。通称「やっくん」。かつてジャニーズJr.に所属していた。解散後、桜塚やっくんとしてのピン芸のキャラを模索するなかで、スケバン恐子が生まれた。エンタの神様では、女装した姿で観客につっこませる内容が評判だったため、常連出演するようになった。

■竹内幸輔(たけうち こうすけ、1976年7月4日 - )
秋田県大曲市(現:大仙市)出身。血液型はA型。ボケ&絵の説明担当。通称「お兄さん」。現在は声優。


【芸風】
スケッチブックを使った紙芝居風のコントが専門。やっくん(斎藤)の可愛いキャラを強調しながらも、竹内が毒舌で世の事象を斬りまくる。爆笑オンエアバトル等でも活躍し、放送ギリギリの過激なネタで異彩を放つ(NHKキャラクターネタを行った際は、局側から注意されたらしい)。

桜塚やっくんこと斎藤が番組で度々「鳴かず飛ばずだった」と説明しているがエンタの神様(当時のキャッチフレーズは「お笑い界の問題児」)や笑いの金メダルなどのゴールデン番組にも数回出演した経験がある。

竹内はテレビ東京系アニメ「テニスの王子様」(天根ヒカル役)や「アイシールド21」(原尾王成・筧駿役)に声優として出演している。また斎藤もテレビ東京系アニメ「満月をさがして」へのタクト・キラ役での出演をきっかけに、声優業も兼ねるようになったが、桜塚やっくんとしての人気が上がったため、現在はピン芸人の方に注力。 彼らのスケッチネタを掲載した「自習!!」という本が出版社 ぴあより発売されている。

(出典:Wikipedia)

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明石家さんま(続き)

【ひょうきん族】
■1981年にビートたけしや島田紳助などとともにフジテレビ系のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演。これを期に全国規模の人気者となる。

■人気の火種となったコーナー「THE タケちゃんマン」の敵役・ブラックデビルは、当初は高田純次が務めていたが、第2回収録前に高田がおたふく風邪で入院し、代役として急遽さんまが抜擢され好評を得、それ以後レギュラーを勝ち取ってしまった。

■出演当初は、春風亭小朝と即席漫才コンビを組んで出演したこともある。

■1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故では、事故機に搭乗予定だったが、搭乗を1便早めたために事故に巻き込まれなかった。当時東京〜大阪間の移動にいつも使っていたのが同便で、事故当日は『オレたちひょうきん族』の収録が中止となったために1本早い便に搭乗。その日は月曜日で、ラジオのレギュラー番組『MBSヤングタウン』の生放送があった。番組は殆どが事故の報道となっていたが、途中でさんまが登場し、事故の報道以外は音楽を流すことをリスナーに告げ「もう今日はしゃあないやろ」とぼやき、その後はずっと音楽が流されていた。これ以降ショックでしばらく仕事が手につかず、これ以後移動手段を新幹線に変更した。また、このような苦い経験があったにもかかわらず、後に日本航空の「JAL飛びサスケ」のCMに出演したことについては各方面で賛否両論の声があがった。

■『ひょうきん族』時代、「パーデンネン」のメイクをしていたさんまは、派手な服装やヘアスタイルで有名だった芳村真理から「さんまちゃん、派手ねー」と言われたことがある。芳村は当時フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会をしており、1985年に同番組の放送曜日が変更となってから、収録日が『ひょうきん族』と同じ水曜日になっていた。さんまは未だにこのエピソードが強烈に記憶に残っており、『夜ヒット』或いは芳村真理と言えば真っ先にこのエピソードを紹介することが多い。また、芳村の代名詞ともなっていた「どおもー」という挨拶であるが、実際にはさんまが『ひょうきん族』などで芳村の物真似をしていた中で「どうもー」を連発していたことから、芳村=「どおもー」のイメージが定着してしまった(芳村が「どおもー」を言ったことは少ない)。

■私生活で女性の出入りが激しいことが語り伝えられ、本人もそれを否定せず「日本一の最低男」と開き直り「笑っていいとも」の出演コーナー名にもなった。女性関係の詳細を知る島田紳助が『ひょうきん族』のコント劇の中で、さんまの住むマンションの前でさんまの帰りを待つ女性を演じ、さんま及び付き合っている女性しか知り得ないような内輪ネタを披露するというシリーズがあった。さんまに冷たくあしらわれた女性(紳助)がぽつりと漏らす「寒い…」という台詞も定番ギャグとなった。

■1987年、『笑っていいとも!』のトークコーナーで、吉永小百合のファンであるタモリをいじるため、楽曲中に「鹿のふん」という吉永らしからぬ歌詞が出て来る「奈良の春日野」を発掘・放送、大きな話題を集めた。レコードは吉永の許諾の元再発売され、フライデー襲撃事件でたけし不在となっていた『ひょうきん族』でもこの曲を流用。そこではさんまが着ぐるみを着て踊っていた。

■「ひょうきんニュース」のコーナーに出演する時は、本名の「杉本高文」を名乗っていた。

■数々演じてきたキャラクターの中で「パーデンネン」だけは恥ずかしかったと語る。逆に一番好きだったキャラクターは「ブラックデビル」。一方、ビートたけしがさんまのキャラで一番好きだったのは、わずか3週で消えた「サラリーマン」である。カルチャークラブのボーイ・ジョージにパーデンネンの格好を見られたとき"You crazy"と言われた。

■番組終了後、フジテレビの美術スタッフから歴代キャラクターのフィギュアを贈られ、宝物にしている。

■「ひょうきんベストテン」の初代司会者である。


【競馬】
■競馬に詳しく、2003年・2004年のJRAのイメージキャラクターを務めた。時々番組内で競馬について語り、フジテレビの競馬番組「うまッチ!」内に「さんま馬主プロジェクト」なる企画が登場。手始めに「マイネル」の冠号で知られるラフィアン・ターフマンクラブの岡田繁幸が妻岡田美佐子名義で所有する競走馬に馬名を付けて欲しいとのことで「シャチョマンユウキ」と命名。喜劇映画の名作『社長漫遊記』にちなんでいるが、JRAの規定により9文字以下でなければならないため「ウ」が抜けた。また、後日他の牝馬にも「シアワセナンダッケ」と命名された。

■2004年の日本ダービーに岡田の妻、岡田美佐子が所有するコスモバルクで勝負し惨敗。コスモバルクの枠が5枠(黄色)だったため、黄色のスーツに黄色のネクタイを着用。表彰式では勝利したキングカメハメハの手綱を取った安藤勝己に対してトロフィー等のプレゼンターを勤めた。

■同郷の杉本清(大和高田市出身)とも親交があり、桜花賞、天皇賞(春・秋)、日本ダービー、宝塚記念、菊花賞、エリザベス女王杯、ジャパンカップ、有馬記念の前日には「サタうま!」で予想トークをする。また年末に「夢競馬」として1年間のGI振り返りトークする番組がある(両番組とも関西テレビ制作である)。


【その他のエピソード】
《子供時代》
■さんまの出身小学校には、小学生当時捕まえたももんがが展示されているらしい。また当時「ももんがを捕まえた少年」として話題になった。『明石家さんちゃんねる』(2007年3月7日、TBS)の若手芸人とのやり取りで話している。


《内弟子時代》
■1974年2月、県立奈良商業高校3年の時に2代目笑福亭松之助に弟子入り。下積み時代、兵庫県西宮市甲子園に住んでいた。当初は、「笑福亭さんま」という落語家だった。

■入門の動機は花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったから。初めて顔を合わせた際、「なんでワシのところに入門してきた?」と松之助に言われたさんまは「あんたにはセンスがある」と言った。さんまとしては素直な気持ちを伝えただけなのだが、不遜な発言である。だが、逆に松之助は「おおきに」と礼を言った。入門生活は、丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だったという。また、さんまが東京へ駆け落ちを理由にして飛び出し、その後破局して帰ってきたとき、松之助はさんまを破門にせず暖かく迎えたというエピソードがある。

■駆け落ちによる破門騒動(実際は破門などの事実は無いが、周りのタレントはそう呼んでいる)があり、松之助も「笑福亭の屋号やったら協会からの目も厳しいやろうから」と配慮。松之助の本名「明石徳三」から「明石家さんま」と命名され、「初代形態模写家元・明石家さんま」を襲名する。なお、「さんま」の理由は、明石家さんまによると、『目黒のさんま』かららしい。そして、芸に対しての厳しさを師匠から教わった。

■改名については落語の出来ない「笑福亭」はいかがなものか?と、松之助の兄弟子6代目笑福亭松鶴から問われ、それじゃ変えてやるわということで松之助が変えたと言う説もある(ABCテレビ「ナンバ壱番館」で松之助自身が語っていた)。また、4代目林家染丸の証言によれば、さんまは内弟子時代、真摯に落語に取り組んでいたようである。勉強会にも参加し、結構熱心だったという。(1979年には関西で最も古い落語会「「上方落語をきく会」」では一度だけ出演し「播州めぐり」を演じた。ちなみにこの日の出演者は3代目桂べかこ(現在の3代目桂南光、笑福亭鶴光、桂朝丸(現在の2代目桂ざこば、笑福亭鶴瓶、桂三枝、桂枝雀という豪華な出演人だった。))

■今いくよ・くるよの二人は当時のさんまについて「ものすごい凛々しい好青年やった。正座して師匠の着物整頓してて…」と話している。

■この時に春風亭小朝と出会っている。


《関西ローカル時代》
■1975年、『11PM』(日本テレビ系)でテレビデビューを果たす。「落語家の成人式」というテーマだったが、さんまは師匠・松之助の忠告により営業用の赤いブレザーを着用。また番組内で、女性漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里(現在の上沼恵美子)から、「SEXの四十八手以外に知っている技がある人は?」という質問に対し、「逆さ十文字落としです」と答えて技を説明した。スタジオは爆笑だったが司会の藤本義一から「テレビで言って良いことと悪いことがあるぐらい覚えておきなさい!」と叱責される。しかし、横山やすしには気に入られ、その後やすしの家に招待された(朝まで飲まされた上に、「ボートのエンジン音当てクイズ」なるものをやらされ散々だったとのことである。また、この放送を見ていた松之助は、この件を大いに絶賛している)。

■1976年に毎日放送(MBSテレビ)の人気番組『ヤングおー!おー!』に出演。「チャッピー」と名付けられ、司会の桂三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわす。番組内ユニット「ザ・パンダ」(先代林家小染・月亭八方・桂きん枝・桂文珍)を改編してさんまをメインにした「さんまアンド大阪スペシャル」(SOS)を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる(当時のキャッチフレーズ「おれは大阪のさんまや!」)。その後、プロ野球阪神タイガースの小林繁投手の投球フォームを形態模写して評判になり、関西を中心にアイドル的な人気を勝ち取る。そして、1980年より、10年余りにわたる同番組司会を卒業することとなった三枝からの指名によって後継司会者の座に付き、番組終了時まで2年9ヶ月にわたり晩期の同番組の大黒柱として活躍した。

■兄弟子に当たる五所の家小禄と漫才コンビを組んでいたことがある(その当時のVTRは現在もよみうりテレビに残されている)。

■駆け出しの頃は、よく同期の紳助と二人で遊園地などに営業に行っていた。この他、同期にはオール巨人、桂小枝らがいる。また中川一美(寿一実)と一緒に新喜劇の舞台で共演していた事がある。

■1979年、関西テレビで午後7時から放送された番組『誰がカバやねんロックンロールショー』の司会を担当。同名のバンドや、紳助・竜介らと共演し、関西の若者を中心に人気を呼んだ。

■1979年、シングル「Mr.アンダースロー」で歌手デビュー。大阪ガスのCM曲だったこのシングルは、オリコンの大阪チャートで1位を獲得した。キャッチコピーは「頼れるエースはアンダースロー」。「CMが放映されブレイクしていた時に、番組内で『燃料といえば?』と振られたので、あえて『練炭』と答え大爆笑を誘ったが、ガスのCMから降ろされてしまった」と本人はネタにしている。

■また、『花王名人劇場』(関西テレビ制作 フジテレビ系)の『裸の大将放浪記』で、和菓子屋ぎおん堂の番頭としてゲスト出演。芦屋雁之助演ずる山下清をいびりまくる演技で、注目を受ける。


《1980年代前半》
■20代の頃は、芸能人オールスター運動会で、田原俊彦など当時人気絶頂のアイドル相手に空気を読まずにリレーで先着したことがある。番組関係者からこってり怒られたとも言われる。

■1984年6月22日、『笑っていいとも!』に出演した作家の有吉佐和子が、「テレフォンショッキング」で42分間にわたるお喋りで番組をジャックした際、あまりのしゃべりの長さに有吉に食って掛かり大喧嘩の様相を呈した。その2ヵ月後の8月30日、有吉佐和子が急性心不全で死亡し、タモリが「あの時お前が喧嘩したから死んだんだ」といいともの本番でネタにしていた。


《1980年代後半》
■1985年、サザンオールスターズのアルバム『KAMAKURA』のテレビCMに出演した。その時のギャラはCDウォークマン(当時の価格としては5万円相当と推測される)だけだったという話を多くのレギュラー番組で吹聴したが、実際のところは判然としていない(桑田佳祐はサザンの20周年特番内で本当だったとコメントしている。ただし、桑田もこのテのギャグが大好きなので真偽は依然曖昧なままである)。

■1985年8月12日の日本航空123便墜落事故においては、もともと123便に搭乗予定だったが、1本前倒ししたため、難を逃れた。

■『夕やけニャンニャン』のとんねるずのタイマンテレフォンに飛び入り出演したことがある。

■1987年、ナムコがファミリーコンピュータ用ソフト『さんまの名探偵』を発売し、ヒットする。

■198X年XX月XX日、第X回東京国際映画祭においてタモリとともに司会者をつとめる。後日、その司会ぶりが「ふざけた司会者」「ソフィー・マルソーに知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で非難される。当時のレギュラーだった金曜日・笑っていいとも!でトークのネタにする。タモリといっしょに「始末か!オレたちは!」と叫び、挙手をしながら「私がやりました!」と言って笑いをとった。

■198X年XX月XX日、フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオ』にゲスト招待されたが、知っとるケのコント衣装のままで現れた。完全に失敗し、その当日出演のアイドル歌手・堀ちえみにも完全無視され、ゲストの外国人アーティストにも「アー・ユー・ア・シンガー?」と質問された。

■198X年XX月XX日、さんまのまんまにゲストで梓みちよが出た際、さんまが言った一言が梓の気に障ったようで、自分が飲んでいたシャンパンをさんまにかけた。それが週刊誌で騒がれ、後日お詫びとして梓から高いブレスレット(値段は不明)がさんまに送られてきたとさんま本人が語っている。


《1990年代前半》
■この頃には『オレたちひょうきん族』も終わり、またダウンタウンやウッチャンナンチャンなどの人気が急上昇してタレントとしては陰りが見え始めてきた。さんま自身も全国放送のゴールデンタイムのレギュラーがなくなったことで「さんま限界説」が業界内で囁かれたり、結婚によって守るものが出来たため、「このまま芸人を辞めてもいい」と思うようになっていた。それまで異性関係などがだらしない「日本一の最低男」として売っていたさんまが、「さんまのまんま」等で若手の俳優やタレントに人生訓を説教するような場面も見られるようになった。相手が若い女性タレントの場合は相手の欠点や間違いを事細かに指摘したあげく、最終的に泣かせてしまうことも多々あり、泣かされたタレント本人だけではなく視聴者にも嫌悪感を与えることが少なくなかった。しかし、1992年の離婚やバブル崩壊による借金などを契機に、守るものがなくなったさんまは仕事をこなすようになり、再び勢いを盛り返し始めた。そして『からくりTV』や『恋のから騒ぎ』といった人気番組を得るに至る。

■1993年12月、かねてから親交の深かった逸見政孝がガンで死去した際「逸見さんがテレビでガンを告白した時、『この人はもう帰ってこれないだろうな』と正直思いました。正直ね…」と、無念の表情で語った。

■この頃、東西の芸人(芸能人・タレントよりも狭義)でのゴルフコンペ「素人名人会」が行われており、さんまも常連参加者であった。ある回で第1打を打とうとしたところ、自慢のドライバーのヘッドがなぜか折れていて、シャフトだけを振りかぶっていた(同組の上岡龍太郎から「さんまくん、今日は釣りか」とつっこまれて気がつく)。錚々たるメンバーの揃った会でありながら、その中でも最も目立つことをしてしまい、参加メンバーの番組で軒並み語られることになる。

■卓球の福原愛が幼少時、『明石家さんまのスポーツするぞ!大放送』に出演した時、さんまとの試合で敗北した際、福原が失敗するとさんまは大人気ない行為を行ったり、自分が成功すると大はしゃぎで喜んでいた為、番組中に泣かせたことがある。福原の主張によればこれはさんまがルール違反のサーブをした為で、それを今でも認めないさんまとは対立関係が続いている。アテネ五輪直後、現地で福原をゲストに呼んだ時は「日テレさん、福原愛を殴ってもいいですか?」と問題発言し、司会の柴田倫世アナらを慌てさせた。帰国後、別のアテネ特集番組で福原が台風で番組にこれなかった時、司会のさんまは「よかった〜」「あの子、私に対してなんか反抗期なんですよ〜」と胸を撫で下ろしていた。なお、福原は好きなTV番組によく『からくりTV』をあげる。

■1995年のフジテレビ正月特番「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」で研ナオコと白組キャプテンをつとめた際、紅組の斉藤ルミ子がシンディ・ローパーのまねをしたところ、本人が登場し、足を触ってもらってご満悦だったところ、シンディ・ローパー本人が肩を抱き、あげくに持ち上げるパフォーマンスを行った。なお、同じく紅組の城之内早苗が小林幸子のものまねをする前のトークで、「セットじゃ足りないから、今度はきっと東京タワーを背負う」「その次はNHKホールを背負う」などと盛り上がったのはいいが、本人が登場し、研ナオコともども、土下座して謝った。


《1990年代後半》
■1995年の夏、さんま主催の特番『明石家さんまのスポーツするぞ!大放送』で「オールスターフリースロー選手権」を開催。さんまの「俺はフリースロー、負けないぞ!」という発言が、翌年フリースロー全国大会を実現させる引き金となった。

■1995年の秋、長年レギュラーだった『笑っていいとも!』を卒業。

■1996年、フジテレビの人気ドラマ番組『古畑任三郎』に出演、やり手の弁護士小清水潔を熱演する。当初は売れないロックシンガーの役の予定だったが、プロットを聞いたさんまは脚本家の三谷幸喜に対して法廷物をやることを提案する。自らも法廷物が好きな三谷は快諾し脚本を書くが、余りにもセリフが多くなりそれを覚えられないさんまに対し、主演の田村正和が撮影中に激怒したほどであったという。撮影後は「法廷物はもう嫌だ」と漏らしたといわれている。しかし「しゃべりすぎた男」は古畑ファンからの評価も非常に高く、「汚れた王将」「ゲームの達人」と並んで古畑シリーズの傑作のひとつに挙げられる。ちなみに後に同作に出演したイチローは田村正和からセリフを覚えきれたことに対し褒められている。またイチローも古畑シリーズで一番好きな作品は「しゃべりすぎた男」であるという。

■1997年12月11日、『いいとも』・テレフォンショッキングで、前妻の大竹しのぶが「お友達を紹介してほしい」と言われた際、「友達じゃなくてもいいですか」と前置きした上で離婚した元夫・さんまを紹介し、さんまからも「友達ちゃうやろ!」と指摘され苦笑しつつ電話をする。これ以降、いいともでのさんまの出演はない。

■1999年、「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネス世界記録認定。


《2000年代前半》
●2000年
■7月7日、TBSのスーパーフライデー枠で、関西ローカルの『痛快!明石家電視台』が『明石家さんま生誕45年記念番組・大成功!明石家電視台』として一度だけ全国放送された。

●2001年
■『FNSオールスターズ27時間笑いの夢列島』では、当時放送していたバラエティー番組『明石家マンション物語』で演じていた「横山3兄弟」というキャラクターに扮して、27時間テレビ内のコーナー「クイズ$ミリオネア」に出演し9問連続正解するも100万円の問題(10問目)で不正解となる。また、解答中にライフラインとして前妻である大竹しのぶに生電話をするという離れ業を使う(翌年も「さんま・中居の今夜も眠れない」で大竹しのぶに生電話。子供の二千翔やいまるの声も電波に乗った)。

■『すぽると!』(フジテレビ系)が『感動ファクトリー・すぽると!』だった時代、「工場長」をつとめており、土曜日の放送に不定期に作業服姿で出演していた。

●2002年
■阪神タイガース監督に親交のある星野仙一が就任した際「優勝したらパレードに参加して土下座します」と明言したが、その翌年の2003年に優勝。読売ジャイアンツファンであるさんまだが、約束通り11月3日のパレードに参加する予定だった。ところが星野監督が辞意を表明していたため、「自分がおふざけで行くわけにはいかない」と参加を辞退した(春のキャンプを訪れた際に星野からさんま用ユニフォームが用意されていたが、ユニフォーム背番号は800番であった。星野監督が選んだもので、理由は「嘘八百」から来ている)。またこの当日、さんま司会の優勝特別番組が朝日放送系列で全国放送され、星野監督他、主力選手達がゲスト出演した(この特番の関西地区での視聴率は33.4%と非常に高かった)。

■ドラマ『空から降る一億の星』でダブル主演を務めた木村拓哉と交友を深めたのがキッカケで、2003年1月3日に放送された『さんタク』をすることになったと言われている。2003年以降、毎年、お正月に放送されており、2005年には、ついに元日に放送された。この『さんタク』を始めたことにより、SMAPの中居正広『さんま・中居の今夜も眠れない』と木村拓哉『さんタク』それぞれと番組を持ったことになる。

■2002 FIFAワールドカップの準決勝、韓国対ドイツ戦の中継が日本テレビ系列にて放送された際、韓国への渡航を拒否し、ドイツ代表のユニフォームを着用して、日本のスタジオで司会進行を務めた。

●2004年
■『さんまのSUPERからくりTV』で打倒・松岡修造を目標に「からくりテニス同好会」を結成するが、メンバーの上達の遅さに苦労した。初対戦となった2003年末SPでは最後はお見合い状態で敗れ雪辱を架けて挑んだリベンジ戦の第2戦(舞台は有明コロシアム)でも最後は浅田美代子のフォルトで敗れ、返り討ちにあってしまった。

■2004年3月26日放送の『さんまのまんま』にやしきたかじんと共演(1990年代にも一度やしきたかじんは同番組に出演していた。また、1995年1月15日にはさんまも『たかじん・ナオコのシャベタリーノ』にゲスト出演した)。この時は、たかじんの司会におけるスタイル(パネル芸など)に対して、駄目出しを連発した。

■韓国ドラマ『冬のソナタ』の主演俳優であるペ・ヨンジュンが「ヨン様」と呼ばれて大人気となったことを受け、彼の髪型に似せたかつらを被り微笑を見せ、自らを「サン様」と称して笑いを取ることもある。

■この「サン様」は、日本テレビ系『恋のから騒ぎ』の「さんま 愛の説教部屋」のコーナーで、「ヨン様」のコスプレをしたことがきっかけで誕生。また2004年7月24日〜25日に放送されたフジテレビ系『FNS27時間テレビ』内で、SMAPの中居正広と共演した『さんま・中居の今夜は眠れない』の中では、ヨン様についての話題になった際、ヨン様スマイルの真似をして自ら「似てる!」「俺の差し歯とヨン様の差し歯は同じメーカーや!」などと豪語、笑いを誘った。さらに、フジテレビ系『さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中inドイツ』でもオーケストラの演奏を聴くシーンで登場。

■この年の「彦八まつり」にこの年の実行委員長・笑福亭鶴瓶の要請に応える形で出演。混乱を避けるため、出演日は公表されなかった。当日落語を披露するという情報も手伝って、来場者が2日間で例年の2倍である10万人を超え、過去最多記録を更新した。(着物姿で「大喜利ガバチョ!」に出演したものの、落語は口演しなかった)

●2005年
■50歳の誕生日に「明石家さんまつり」を生放送する。

■2005年には、「もっこりもこみち」(『恋のから騒ぎ』でから騒ぎメンバーが使っていた)等のフレーズを番組出演中に連呼していた。

■フジテレビ系列の25時間テレビ(2005年『FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!』)の一コーナー「さんま・中居の今夜も眠れない」で紳助と久々の共演を果たし、お互いの過去の恋愛話を暴露し合った。


《2000年代後半》
●2006年
■『さんま・福澤のホンマでっか!?ニュースSP!』(2006年9月15日放送)で、前回(同年4月28日放送)の罰ゲームで安倍晋三(2006年4月の時点では官房長官)を焼肉店へ連れて行くという約束をし、日付まで決まっていたが、その日に北朝鮮がテポドンを発射したためそれどころではなくなってしまったというエピソードを披露した。また、番組冒頭で青いハンカチで汗を拭き、東野幸治に、ハンカチ王子にかけてお笑い王子と異名を付けられた。

■所萬遊記で、所ジョージがさんまがかねてから熱望していた「コカ・コーラ」のCM出演について語り、本人は「スカッと爽やかな」イメージをしていたが、実際のCMは「コッカ・コ〜ラを飲も〜うよ」とお笑いテイストたっぷりであったことにショックを受けていたというエピソードを披露した。

■さんまのマンションに細木数子が来た。インターホンの画面いっばいに映った細木を見て一体何を言いに来たのかびっくりしたが、さんまに会いに来たのではなく、同マンション内の日本舞踊教室の部屋と間違えていただけだった。

■石原真理子著『ふぞろいな秘密』で過去に男女関係にあったことを暴露され、後に『明石家さんちゃんねる』内で「むなしい。ああいうことをしちゃいけない」と感想を述べるが、12月20日に『ごきげんよう』でゲストとして登場した時には早速トークのネタにし、改めて暴露された事柄について否定及び批判をした。本人は二人の関係を暴露された事よりも「ベッドの中ではいたって普通でした」との記述に腹が立っていた。

●2007年
■6月1日放送の「さんまのまんま」で後輩であるダウンタウン・松本人志と10年振りに共演。長年ささやかれていた不仲説に終止符が打たれた。

(出典:Wikipedia)

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明石家さんま

明石家 さんま(あかしや さんま、1955年7月1日 - )は、日本のお笑いタレント・俳優・司会者である。本名、杉本 高文(すぎもと たかふみ)。タモリ、ビートたけしとさんまの3人を日本のお笑い芸人BIG3と称することがある。


【プロフィール】
■和歌山県東牟婁郡古座町(現在の串本町)で生まれ、奈良県奈良市で育つ。

■奈良県立奈良商業高等学校卒業。

■吉本興業所属。

■師匠は落語家の笑福亭松之助。なお明石家の「明石」とは、松之助の本名からきている(後述)。

■趣味はゴルフ・テレビでスポーツ観戦・ギャンブル(パチンコや競馬)・テニス。

■血液型はB型。公称身長172cm。


【芸名】
■「さんま」の芸名は、実家が水産加工業を営んでいたことから命名。「明石家」は師匠笑福亭松之助の本名「明石徳三」からもらい受けたもので、松之助門下の多くが「明石家」を名乗っていた。明石「屋」さんまは誤字。なお弟子入り当初は「笑福亭さんま」であった。ちなみに当時杉本高文と同じく弟子入りしていた長谷川公彦が、師匠の島田洋乃介・今喜多代(現・今日喜多代)に「島田紳助」と芸名を決められた時、杉本は「その名前じゃ絶対売れない」とからかい、長谷川も落ち込む。が、そのすぐあとに杉本が「さんま」という芸名を貰った話を聞いて「こいつ(芸能人として)終わったな」と逆に長谷川に大笑いされたというエピソードもあるが、現在この2名ともにお笑い芸人の大御所として活躍している。

■愛称は「さんちゃん」(所ジョージなどが使用し、かつては桂三枝の愛称でもあった)、「さんちゃま」また、中堅〜若手芸人からは「さんまさん」(ナインティナインなど)「さんま兄さん」(今田耕司など)と呼ばれている。また、所ジョージは「明石家さん」と呼ぶこともある。萩本欽一の「大将」、ビートたけしの「殿」に対する形で「若」という呼称もある(主にジミー大西などが使用)。近年はBIG3であることや長年に渡って、お笑い界で活躍したことから若手のお笑い芸人から「師匠」と呼ばれることが増えている。但し、正式な弟子は存在しない。松尾伴内は出会った当初から師匠と呼んでいる。伴内は「出会った時から風格がありました」と話している。さんまは「そんなに年は離れてないんだけど」と話している。

■自分のお笑いのためなら他人のオチを吸収してさらに面白くすることから「お笑い怪獣」という尊称で呼ばれており、これは田中直樹(ココリコ)が付けたとされているが、岡村隆史(ナインティナイン)か極楽とんぼが付けたとの説もある。

■過去に「西の郷ひろみ」と呼ばれていた」と笑わせるが、ごく一部の地域以外ではさんまは無名の存在であった。知名度が上昇するのは1980年代になってからである。

■同じくBIG3であるタモリ、ビートたけしからは「お前」「あんた」「さんちゃん」「さんまちゃん」と呼ばれ(たけしは「明石家」と呼ぶ事も)、さんまはタモリやビートたけしを基本的にはさん付けで呼ぶが、突っ込む時には、年上にも関わらず「ビート」(もしくは「たけ」、「たけし」)と呼び捨てにしたり「あんた」「お前」と呼ぶ場合もある。

■村上ショージはさんまが暴走した時などに「先生」と呼びなだめる場合がある。


【芸風など】
■デビュー当初は当時人気だった阪神の小林繁投手の形態模写や漫談が主であった。

■現在では司会業が中心で、番組などでのゲストや観客との会話は爆笑を持って迎えられる。レギュラー番組は多数で、中には二十年以上続く番組もあり、人気は絶大。聞き手に回りながらも、相手の何気ない一言を即席の持ちネタにし、話の節目やオチで効果的に連呼し使用する特徴がある。大袈裟な身振り手振り、外見、声、全てを含めて「明石家さんま」として完成した、ピン芸人の一つの頂点と言える。

■俳優から引き出したトークを笑いのネタに変えてしまうその高い技術によって、永くバラエティ番組に対し消極的であった多くの俳優を呼び込み、今まで自身の失敗に対し口を開くことの無かった俳優達がこぞって自身の失敗談を語るようになったのは、さんまの功績であるといわれる。また、人の埋もれたキャラクターや個性を見抜き、引き出すことに長けており、中村玉緒や中尾彬等、今ではバラエティーに引っ張りだこの芸能人を多数発掘している。

■どんな相手とでもトークを成立させる頭の速さを持つ反面、師匠の松之助と同様、芸と仕事には厳しく、気の合わない相手に対しては放送中でも陰湿に攻撃する(いじり倒す)場面も見られる。

■ギャグを持っている若手芸人に対してはフリからギャグ、という流れを重要視して接するが、若手がそのフリに対応できなかったりした場合は不機嫌になる。これはさんまが笑いの手法の一つである「スカシ」を嫌っているためだと思われる。かつて『笑っていいとも!』で共演した松本人志(ダウンタウン)にもその場で出たギャグをやらせようと振ったが、無視されてしまったため激怒したことがある。

■前述の通り、性格は短気。トークのテンポに関してはこだわりを持っており、相手が素人であってもテンポを崩されると激怒する(番組中、ゲストに質問した際に相手が考え込んでしまうと、大抵は怒る。例え嘘や適当な答えでも話が広がりさえすればそれでいいので、とにかくパッと早く答えて欲しいと思っている)。そのためフォローも出来なくなることがあり、島田紳助と比較されることがよくある。

■いわゆる「出っ歯」(前歯が一般的な位置より少し前に出ていること)の代表的人物として有名で、原口あきまさがさんまの物真似をする場合、歯に出っ歯に見える飾りをつける。一時期その顔つきを自ら「新幹線『のぞみ』(新幹線300系電車)に似ている」と表現したことがある。

■かん高い笑い声とドナルドダックの様な「クワーッ(もしくは「クエーッ」)」という引き笑いが特徴。音声学的見地からいえば、アホウドリの鳴き声と同じであると言われる(従兄弟弟子にあたる嘉門達夫は「引き笑い鳥」と名づけている)。普段の話し声は実年齢を遥かに上回る声と分析をされたがこの笑い声だけは30代の声と解析された。

■ゴールデンタイムでは不適切とされてきた「SEX」という言葉を「エッチ」と言い換えることで、10代の未婚女性などでも発言可能にした。「バツイチ」なども同様。婚前交渉、婚外交渉、離婚といった従来なら表だって語りづらかった事項から、後ろ暗さを大幅に払拭した。芸人に飲む打つ買うの「遊び」は付き物とはいえ、本業の場でさんまほどそれを明確に語った者は少ない。言語面だけではなく、文化・風俗・習俗の面に関しても、テレビ界、ひいては日本の社会全体に多大な影響を与えてきた。

■いわゆるテレビっ子である。自分が出演した番組をビデオ録画し、自宅に帰ってそれを見ては大笑いし、または反省する(ただし自己否定的な評価は余りしない)。後輩をわざわざ家に呼んで自分の番組のビデオを見せ、「おい見たか今のオレの間!」といちいち巻き戻し、勉強させる事も。また家にいる時間はほとんどテレビを見ており、睡眠時間を極度に削って、ゴールデンから深夜番組まで何でも見ているため、他の大御所芸人とは違い、若手芸人のネタなどを何でも知っており、中堅芸人(ナインティナイン・くりぃむしちゅーなど)でさえも気を抜けないという。またさんまは、その当時流行している言葉等を自分で真似る、もしくは連呼することが多い。波田陽区をテレビで観たさんまが、「残念!」などの決め台詞を真似し、そのことが波田のブレイクに大きく影響を与えたとも言われる。

■前述した通り、睡眠時間が極度に少ない。雨上がり決死隊・宮迫博之曰く、「仕事で3日間一緒やったけど、多分あの人はあの3日間一睡もしていない。行きの飛行機の時間が早くあまり寝てなかったので機内で寝ようとしたら、『寝たらあかんで、宮迫』と起こされた。また、初日の収録が終わり、次の日の入り時間が早朝だったにも関わらず深夜まで一緒に飲み、次の日フラフラになって収録現場に行ったら、「ヨッ、宮迫」と、何事も無かったかのように元気なさんまさんがいた。こんなことが3日間続きながらも収録が終わって、ダウン寸前で家に帰ってテレビをつけたら、さんまさんが生放送の番組に出演していた」。またタモリ曰く、さんまは寝付くのは異常に早く、ずっとしゃべり続けた後「じゃあ寝まっか」と言った次の瞬間には寝ていた。それでも、『痛快!明石家電視台』(毎日放送)収録後の新幹線では寝てしまうこともある。すぐ後ろに座っていた宮迫博之が「あ、さんまさん寝てる」と思った次の瞬間、パッと起き上がって振り返り、宮迫に「(俺が寝てたこと)絶対言うなよ」と言った。すぐ寝られるのと同様、起きた瞬間からもう陽気であるという。

■大のスポーツ好きであり、運動神経抜群と自ら豪語する。高校時代はサッカー部に所属(県大会決勝まで勝ち進んだ経験あり)。1980年代には「ザ・ミイラ」という芸能人サッカーチームのエースストライカーとして活躍した(このチームには木梨憲武や島崎俊郎、植草克秀なども所属)。観るのも大好きで、夜通しCSのスポーツ専門チャンネルを良く見る。そのためオリンピックやサッカーFIFAワールドカップの特別番組で数回キャスターを務めたことがあり、番組中のトークでも分かるとおり他のタレントと違いスポーツに対する造詣が深いことが伺われる。

■バツイチ(この言葉自体明石家さんま離婚会見後に急速に浸透し、現在は一般語になっている。広辞苑にも載っている)であり、それに関することをトークでよく述べていることから、それを売りにしているということがわかる。またさんまが再婚したら、出演している『恋のから騒ぎ』(日本テレビ)、『さんま・中居の今夜も眠れない』(FNSの日・フジテレビ)は終了する予定である(フジの方は相方である中居が結婚した場合も終了となる)。

■若手芸人に対する「ダメ出し」も有名で、ナインティナインの岡村隆史が自身のラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』の中で、電話でさんまにダメ出しや採点(点数付け)をされたエピソードを語っている。「自分が出演した番組のビデオを見るのが大好き」という趣味も含め、さんまの芸に対する真摯な一面が垣間見えるエピソードである。くりぃむしちゅーや雨上がり決死隊も『痛快!明石家電視台』収録前によくダメ出しされているのか、「テンションが下がるからやめて欲しいです」と言っていた。その雨上がり決死隊の宮迫博之がさんま邸を訪れたところ、さんまはなんと『さんまのまんま』のハッピを身に着けていたと言われる。

■一部の番組では自ら企画構成も行っている。その時の名義は本名の「杉本高文」となっている。

■『さんまのまんま』に若手女性タレントや若手女優が出演すると、泣かしてしまうことが多い。酒井法子、山瀬まみ、羽野晶紀、西田ひかるなどが泣かされた。また、別番組の『さんまのSUPERからくりTV』では小倉優子が泣かされた。特に山瀬は習字を披露したが、下手くそ振りに、激怒してしまった。放送中に泣かしたタレントのマネージャーから謝罪を突きつけられることが多かったが、師匠の松之助と同様、芸と仕事には厳しく「現場は戦場や!」と断言するさんまは拒否し、「泣くぐらいやったら俺の番組に出んなよ!」と言い負かしたこともあるらしい。それ程、すぐ泣く芸能人に対しては厳しい一面があるが、あとで楽屋に謝罪に行くなどフォローも怠らない。尚、この時に山瀬が発した「だって二段だもん」という言葉は、その後しばらくさんま及び山瀬本人がギャグとして使っていたが、書道には公的な機関或いは相応の権威を有する機関が認定している「段位」は存在しない。通常、児童等が書道塾等で授与される段位は塾の経営者や講師或いはその系列の機関が独自の基準で発行しているものであり、客観的に認められる実力を保証するものではない。さらに別の番組で「二段を取ったのは小学生の時」と発言。一般的に小学生時代に取得した段位は、プロフィールや履歴書では書いてはいけないことになっている。山瀬が二段という割に、実力が伴っていないのはこのためである。

■関西ローカルで『痛快!明石家電視台』、『ヤングタウン土曜日』の2本の番組があるが、これは「大阪の番組という初心を忘れないため」だと言われている。島田紳助が『クイズ!紳助くん』を置いているのと同様の理由である(ただし東京を主にしているので余程のことがない限り大阪では仕事をしない。レギュラーの2番組のうち実際に大阪で収録しているのは前者のみである)。

■年末から翌年のお正月にかけてオーストラリアに滞在するためクリスマス明けからお正月の生放送番組には出演せず、年末の仕事終わりは『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』となる。その代わりクリスマスの特番には多く出演している。

■番組制作スタッフとの確執からか、1985年以降テレビ東京制作番組、1995年以降テレビ朝日制作番組には一切出演していない。テレビ朝日に関しては、司会を務めていた『さんまのナンでもダービー』が打ち切られたという背景がある(その後は『ま、いっか。』、『ミュージックステーション』などにゲスト出演した)。ただし、テレ朝系でも朝日放送(ABC)制作番組には現在でも出演している。テレビ東京では司会を務めていた深夜番組『サタデーナイトショー』が高視聴率にも関わらず打ち切られた背景がある(理由はお色気番組が視聴率トップでは体裁が悪いという上層部からの指摘だった)。NHKの出演もほとんどない(1999年のNHK大河ドラマ『元禄繚乱』に出演した)。1980年代後半は東京のテレビ局に関して言えばフジテレビにしかレギュラー出演しなかったりと、テレビ出演には特定の局に偏る傾向がある。三宅恵介、加茂裕治(共にフジテレビ)、吉川圭三、菅賢治、小川通仁(共に日本テレビ)ら親密なディレクター・プロデューサーらと二人三脚で番組作りをすることが多い。オフィスぼくら社長である岩立良作や藤沢めぐみ、大岩賞介などの構成作家がさんまの主なブレーンとなっている。

■同じ世代ということで親交のある中村勘九郎(現・中村勘三郎)の依頼もあり、NHK大河ドラマ『元禄繚乱』にゲスト出演する(遊郭の主人役)。その際、遊興にふける勘九郎扮する大石内蔵助に「嫁ハンには気を付けや」とアドリブを入れる(内蔵助の妻、りく役はさんまの元妻・大竹しのぶ)が、オンエアではカットされていた。

■番組出演時に自らの理想の女性についてよく語る。その理想の女性とは『うる星やつら』のラムと『タッチ』の浅倉南である。さんまはかわいくて一途(ラム)で清楚かつ優しい(南)女性が理想であると言われる。ラムを好きな理由は、「浮気をしても電撃だけで許してくれるから」だと言っている。歌のうまい共演者に「ラムのラブソング」を歌わせることがある(「あんまりそわそわしないで……」のフレーズが好きと言っている。例:加藤たか子-G1グルーパー、木村拓哉-さんタクなど)。最近ではメグ・ライアンが理想の女性と言っている。

■薬師丸ひろ子、石原真理絵、内田有紀、米倉涼子など、時代の変遷とともに好みの女性が変わる。最近の若手新人アイドルでは上戸彩、長澤まさみ、大塚愛の3人が好みともよく発言している(上戸が『恋のから騒ぎ』出演時、発言。後に『さんまのまんま』に、大塚が出演したときも発言している)。

■年齢が30歳を越えた女優なら「大女優」じゃなくても「大女優」と呼び持ち上げることもある。

■萌える設定として、しばしば「白いセーターを膝にすっぽり被せて体育座りをし、『知んないよ…。いなくなっても知んないよ……』と呟く女性を後ろから抱き締める」というものを挙げている。

■東西のお笑い芸人達が仕事抜きで開催するゴルフコンペにおいて、自分以外の者が優勝しても「真の優勝者はオレや」と豪語する。その理由も「(○番ホールでの)球筋がよかった」だの、「(○番ホールでの)スイングのキレがよかった」だのとピンポイントでの調子よさを強調する。

■山下達郎、竹内まりや、サザンオールスターズ、松任谷由実などの話になると「歌が歌えるって得やなぁ」と言う事がある。


【評価】
■NHKが1975年から2003年にかけて毎年実施していた好きなタレント調査では、1985年に男性1位に選ばれてからは、2003年に調査終了するまでの19回のうち通算12回で男性1位を獲得、それ以外は全て男性2位となっている。明石家さんまが、この期間に日本で最も人気のある芸能人であったことを示している。

■ビートたけしが著書『コマネチ!』の中で「こいつには負けた、と思った数少ない中の1人」とさんまのことを評した。

■島田紳助が初めてさんまを見たときの印象は「24時間明るい」「こんな華のある奴は見たことない」。そして「俺と肩を張れる奴はこいつしかおらん」「自分がもし負けるとしたらさんまとオール巨人だけ」と当時を振り返っている(さんま、紳助、巨人の3人はみな吉本同期である)。

■紳助から「コンビ組まないか」と誘われたが、「別れがイヤだから」と断っている。そして自分のかわりとして紳助に紹介したのが松本竜介であり、その結果紳助・竜介が誕生することになる。

■さんまの落語については、島田紳助は自身の番組で「(一度見たことがあるが)つまらなかった」と語り、春風亭小朝は「あれだけの話術を持ってる人なのに、驚くぐらい面白くない」と評していた。小朝とは『THE MANZAI』で漫才をしたことがある。生前の古今亭志ん朝にも「どこが面白いのかさっぱり分からない」と真顔で評価され、これにはさんまも返す言葉がなかったとか。ただし「枕は面白い噺家」との評価がある。従兄弟子の笑福亭鶴瓶は過去出演のラジオで、枕のみオンエアした。

■芸人だけを集めて台本なしで番組を作った場合、MCとして主導権を握れるのはさんまと紳助であると言われている。上岡龍太郎は「素人相手にしゃべったらさんま、芸能人相手なら紳助」と評している。

■戦前から戦後にかけてお笑い界トップスターとして活躍した柳家金語楼と、現在のさんまの共通点を指摘する論者は、お笑い評論家・西条昇を始めとして少なくない。

@どちらも落語家を出発点とし、落語家の枠を超えたスーパースターになった。金語楼は大正末に『兵隊落語』で一世を風靡、その後は映画や軽演劇にも進出した後、1942年に落語家の鑑札を返上、喜劇俳優に専念する。戦後は『おトラさん』『ジェスチャー』などでテレビタレントとして人気を博した。さんまは笑福亭松之助門下の落語家として出発するが、現在はテレビタレント・司会者・俳優として大活躍である。

Aどちらも吉本興業のトップスターである。現在のさんまが吉本のトップスターであり、その年収もトップクラスであることは言うまでも無いが、実は金語楼も戦前は東京吉本に所属しており、横山エンタツ・花菱アチャコ・柳家三亀松・川田義雄と共に吉本の五大スターと称されていた。そして戦前の吉本で最も高給を取っていたのが金語楼であった。

Bどちらもお笑い界ビッグ3の1人。金語楼は喜劇俳優の榎本健一・古川ロッパと共にビッグ3と言われた。さんまもビートたけし・タモリと共にビック3と称される。

Cどちらも息の長い芸人である。金語楼は大正末の『兵隊落語』以降、長い人気を博し、戦後は失速していった榎本健一・古川ロッパを尻目にテレビ時代の波にも乗り、晩年まで第一線で活躍した。さんまも1981年の『オレたちひょうきん族』で全国規模の人気者になって以来、現在の若手お笑いブームもものともせず、長期に亘ってお笑い界トップの座に君臨し続けている。


【家族】
■幼少時に実母と死別している。また、1983年に弟が火事で焼死し、実父は2006年2月4日に死去。この亡き父親は、グラビアアイドル山本梓の父親と姻戚関係にある。ちなみに弟の焼死の際には家業(上記参照)とのからみで、関西のスポーツ紙見出しは「さんま丸焼け」と書かれていた(近年さんまもテレビでこの話題をすることがある)。祖父・乙一は晩年痴呆が進み、喋るポットに話しかけたり、家に貼ってあるさんまのポスターに「高文、何をそんな所からのぞいてんねん」と怒ったりしたという。

■1988年9月、女優の大竹しのぶと結婚、長女・いまるが誕生するが、1992年9月に離婚。その後は独身を続けている。

■前妻の大竹とは離婚した今も仲がいい。よく大竹とその母、子供などと旅行など遊びに行ったり、大竹の家を訪ねたりしているらしい。テレビの番組において、さんまがしのぶの話をネタとして使い、しのぶからおっとりと突込みが入るパターンは定番となっている。しのぶは、家族の名前が数字の語呂合わせになる(いまるの「い」で1、二千翔の「に」が2、さんまの「さん」が3、しのぶの「し」が4)ことから「今は3がいない」とネタにしたこともある。しかし、復縁は双方とも否定している。このように、さほど仲が悪いように見えないにも関わらず離婚し、その後さんまのトークに離婚関連のネタがおもしろおかしく語られることから、一部の芸人の間では「あれは(トークネタを作るための)偽装離婚だったのではないか」という説が流れたらしい。

■子供には「お父さん」と呼ばせず「ボス」と呼ばせている。本人はその理由を、常々自分という人間は父親という器ではなく、昔から「ボス」と呼ばせるのが夢だったと語っているが、実際のところは大竹と前夫(演出家の故・服部晴治)との息子である二千翔(にちか)がいるからと言われている。彼とさんまは非常に仲が良く、当初大竹と結婚した際、人見知りが激しく誰にも懐かなかった二千翔がさんまには懐いたという。大竹との間にいまるが生まれた後も、帰宅した際はまず二千翔とスキンシップをとり、その後いまるの元へ行ったというほど分け隔てなく愛情を注いだ。そのため離婚の際も、二千翔は「ボスの方に行く」と言い張ったという。その関係は現在も良好で、自身のラジオ番組等では、娘と同様よく話題に上る。

■座右の銘は「生きてるだけで丸もうけ」であり、さんま曰く、長女の名前も座右の銘から「いまる」と名付けたとしているが、大竹は「今を生きる」から名付けたと言っている。しかし、名前が公表されている(特にさんまが『痛快!明石家電視台』のオープニングトークで言っている)にもかかわらず顔出ししたことが一切無い(2006年、大竹が出版した自叙伝の中で二人の顔が初めて公開された)。『27時間テレビ』・今夜は眠れないのコーナーで、大竹や長男の二千翔(にちか)とともに電話出演が一度ある。

■2006年7月23日放送の『おしゃれイズム夏の60分SP』によると、現在のところ再婚する気満々らしい。あと、番組中にいまるが3歳の時に製作した父の日の初めてのプレゼントを宝物として紹介し、形が悪いなどと文句も述べていたが本人はかなり大事にとっていると言われる。

■その際、MCの上田晋也がギャグで上記のプレゼントに触れ、「これ、何すか?」「これは置いといて、他のさんまさんのご自慢品を紹介して下さいよ。」とさんまにふり、激怒されていた。


【私生活】
■石原真理子著の『ふぞろいな秘密』で本名を公表されるが『踊る!さんま御殿!!』では出演者が暴露されたことについての話をしている際、「おれなんか本にされたで!!」とネタにするなど深刻には受け取っていない。但し、「ベッドの中では、いたって普通でした」との表現については「早く訂正してもらいたい」と言う。

■以前はラジオ番組などで「合コンは嫌い、何が楽しいか分からない」と熱弁していたが、現在では合コン大王としても有名。ことあるごとに関根勤、渡辺正行(大魔王)、ガダルカナル・タカ、笑福亭笑瓶らと合コンをしている。芸能界の遊び王である津川雅彦、奥田瑛二とも合コン仲間である(合コンに関してのみ、村上ショージは参加しない)。

■最近の愛読書は漫画の『NANA-ナナ-』。特に主人公の小松奈々の大ファンだという。

■納豆が苦手。前妻大竹しのぶやその家族にも「納豆だけは自分の目の前で食べないでくれ」と言っていたと本人が語っている(離婚間際には目の前で食べられる)。

■愛娘の影響で近年はヒップホップ音楽を愛聴しており、(エミネムが特にお気に入り)時々腕を組んでラッパーの真似をすることがある。また、「子供の頃のビヨンセは『天使にラブ・ソングを…』に出ていた!」としばしば発言しているが、間違いで、おそらく『天使にラヴ・ソングを…2』に出演していた、若き日のローリン・ヒルと勘違いしている(2006年12月2日の『ヤングタウン』での「前略のコーナー」直前の発言からこの勘違いは修正されている様子)。

■よく番組内で共演者が「さんまさんは普段からあの調子でベラベラしゃべっている」と言うことがあるが、実際そのままであると言われ、『痛快!明石家電視台』の収録の為の新幹線内では、隣同士に座る共演者の松尾伴内と行き帰りの4時間以上、ずっとしゃべり続けており、宮迫博之(雨上がり決死隊)や上田晋也(くりぃむしちゅー)らから「他の乗客は疲れて寝たいサラリーマンの人達ばかりなのに、ずっと二人がしゃべり続けているから寝れなくて困っている」と言われている。喉への負担も大きく、寝起き時はかすれた声しか出ない。

■お笑い芸人の中には客を「笑わせてやっている」などと軽蔑する人も多い中、さんまは客を馬鹿にしないタイプである。ある番組で理由を「(つきあっている)女は横でしゃべり続けるとすぐに笑わなくなり、飽きて俺のことをうっとうしがってくる。しかしお客さんは自分から進んで話を聞きに来て笑ってくれる。こんなにうれしいことはない」と語っている(が上述のように、トークの邪魔になったりテンポを狂わされたりすると、素人相手でも本気でダメ出しをする)。

■オーストラリアのゴールドコーストに別荘を持っており、年末から翌年のお正月にかけて約2週間滞在するのが恒例村上ショージ、ラサール石井も毎年同行する。佐藤浩市も毎年の常連。また、同じオーストラリアに別荘を持つ星野仙一、和田アキ子、板東英二らと合流してゴルフをする)。この滞在中にも昼夜問わずしゃべりまくり、2004年正月には同行していた一般の友人夫婦がさんまのしゃべり過ぎ、夜中までの談義で倒れ、病院に運ばれたことが村上ショージの暴露で明らかになった。声をかけられると誰にでも手を振るため、2006年の正月には個人輸入業者と間違われ現地警察で数時間拘留されたという。

■大の愛煙家である。銘柄はマールボロ。さんまのまんまでは、よく喫煙しながらトークするシーンが見られる(ただし、目上の人や、未成年がゲストで登場した場合は基本的には吸わない。しかし、目上(年上)でもやしきたかじんなど、親しいゲストの場合は喫煙することもある)。中谷美紀がゲストにきたとき、さんまは中谷にどんな男性が好みか聞いた。中谷が「煙草を吸わない人」と答えると急に不機嫌になり、中谷に対して「わがままだ」などと口に出してしまったことがある。ファンの間では、「煙草をやめてほしいという人がいるが、潔癖症持ちの人が嫌いなのでは」と言う声もある。

■後輩に「お前らが出なアカン番組は『爆笑オンエアバトル』や!」と言っている。さんまは『オンエアバトル』が大好きで、若手芸人のチェックにも余念がない。

■日本に3冊しかない、アメリカの人気ドラマ『24 -TWENTY FOUR-』season Vの台本を持っている。

■滅多に体調を崩さない。そのため、37度の微熱でも当人にはとても辛く感じられるという。風邪を引いたときは、みかんを食べて太陽に向かって走ると言う(実際にやった東野幸治は逆に悪化したという)。

■大の愛犬家である。トーク中にチワワの会話になると機嫌がよくなる。娘にウェルシュ・コーギー犬(名前はルル)をプレゼントする。その子供の内1匹はガダルカナル・タカがもらった。

■運転免許は娘が産まれた後取得した。当時運転手だったジミー大西の仕事を無くさせない為のことだったらしい。ジミーが運転免許取得にかかった費用は全てさんま持ちで車一台買える金額かかったらしい。

■泰葉がさんまにプロポーズされたと未だに思っている。林家一門はさんまが林家三平を乗っ取ろうとしているのではないかと大騒ぎになった。

■任天堂WiiのCMに出演しているが、ゲームセンターCXなどでゲーム好きを見せているよゐこの有野晋哉に「なんでゲームなんかすんねん。時間もったいないやんけ」と言い放っている。

■1998年末の明石家サンタではナインティナインがオールナイトニッポンを担当している時に電話出演したが、ゲストのナイナイに送られてきたFAXは「さんまさんはオナニー何回してますか?」というもので、さんまの回答は「3回」であった。1998年末当時はさんまは3回していたということであるが、現在は不明である。この時のフジテレビのサンタのスタジオはドン引き状態となり、八木亜希子もドン引きしていた。

■焼肉店遊玄亭が大のお気に入り。スタッフ&タレント達との食事会によく利用している。遊玄亭にはマイ箸&マイジョッキがある。利用額は年間数千万にもなり、税理士に信じてもらえないこともあったらしい。

■2006年にビルを購入している。理由の一つに仲間である三宅恵介(フジテレビゼネラルディレクター)の息子である舞踊家の花柳輔蔵の稽古場の為。


続く

(出典:Wikipedia)

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秋山竜次(ロバート)

秋山 竜次(あきやま りゅうじ、1978年8月15日 - )は、お笑い芸人。吉本興業所属。福岡県北九州市門司区出身、門司北高校卒業。血液型はB型。「竜次」という名前だが、3人兄弟の長男。


【経歴】
お笑いトリオ・ロバートを組む馬場裕之は幼稚園から高校まで同級生で、高校時代には親同士が同性愛ではないかと心配するほど仲が良かったという。遊び人を目指して2人でディスコに行った帰りに始発電車を待っている姿を同級生に目撃され、「ホモ説」が流れたこともあるという。

高校卒業後に上京。当初の目標は芸人ではなく、代官山で雑貨屋を経営することだった。しかし容姿やファッションセンスが代官山とは相容れず、雑貨屋の面接を次々と落とされ挫折。バイトをしているとき偶然に吉本総合芸能学院(NSC)東京校の広告を見て、馬場を北九州から呼び寄せて一緒に入学した。

秋山は最初、東京見物を名目に馬場を上京させた。帰りの旅費がなくなるまで馬場に金を遣わせ、「旅費を稼いでいけ」とビル清掃のバイトを紹介。20日間昼夜を問わずぎっしりとシフトを組ませ、バイト代が約20万円貯まったところで郵便局に連れて行き、NSCの入学金を振り込ませた。振り込みが完了した時点まで、馬場はNSCの話をいっさい聞かされていなかった。すべては相方を得るための秋山の策略だった。

「秋山・馬場」のコンビでは馬場がツッコミを担当していたが、すべてのツッコミでニコニコ笑っている馬場が秋山のボケを殺し別の笑いを起こしてしまうため、ちゃんとしたツッコミができる相方を探す。同期の板倉俊之(現インパルス)と「ゼナイル」というトリオを一時期組んでいた。だが板倉が元々ボケ志向であったため解散。その後たまたま1人でやっており、さらにツッコミだった山本博を入れてロバートを結成、現在に至る。


【人物】
《芸能活動》
特徴は広い肩幅とキン肉マン風に逆立てた髪。

天才肌のお笑い芸人。ロバートではボケ担当でネタ作りも行っている。変幻自在のキャラクターを演じ、役柄ごとに完璧なまでに化ける。ネタは、自身の突拍子もないキャラクターを活かしたシュールなものが多い。

歌唱力があり、「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」などで喉を披露する。田原俊彦のまねが得意。マイケル・ジャクソンの大ファン。

ネタでよく言う悪態は「地獄へ堕ちろ!」「腰いためろ!」(または「腰くだけろ!」)「ドライアイになれ!」など。相手に人差し指を突き付けて語気荒く言うのがパターンだが、内容が内容なので攻撃性は無いに等しい。

「マンスリーよしもと」が毎年発表する「吉本男前ランキング」では、2003年までランク外、2004年11位、2005年9位、2006年6位と順位を上げていたが、2007年は15位に転落した。

一見、物怖じしなさそうに見えるが、ネタで滑ると落ち込み、引きずるというナーバスな一面もある。若手芸人同士でのトーナメント形式のネタ見せで負けたときに、責任を感じて落ち込んだあげく江ノ島へ行ってトンビに餌を与えていたという。


《『はねるのトびら』でのエピソード》
「はねるのトびら」では、ドランクドラゴン塚地・インパルス板倉と共に、同番組を代表する多くのコントの主役または主要な役を演じている。持ちキャラは非常に多彩であり、北九州弁を喋る老人やおばちゃん、アキバ系オタク、父子家庭の幼稚園児、女子高生、ゴスロリファッションのグルーピー、怪しげな新興宗教の教祖、悪徳商法の勧誘員(⇒グローバルTPS物語)、新人女子アナをいびるタイムキーパー、母親と共依存関係にあるニートなどなど。代表的なコントとしては「MUGA様とおーたむSAN」、「栞と博のテーマ」、「チューリップの会」、「グローバルTPS物語」、「黒族」、「バカボンド」、「カワイイ」、「哲哉とお父さん」、「秋山森乃進」、「若手芸人とんちんかんちん」、「家庭内プロレス・ニートVS母親」などがある。

■「ランク王国」の『渋谷で聞いた「好きなギャグ ベスト10」』で、「はねるのトびら」の人気キャラクターだった栞の「あり得ない!ニャニャニャニャ〜い!」が上位にランクインしたことがある。

■秋山森乃進としては、『北酒場』の替え歌でKAT-TUNをネタにした歌を歌っている。この『KAT-TUN覚え歌』にはいくつかバージョンがあるが、必ず「田中の髪は短い坊主」というフレーズが入り、テーマがそこに絞り込まれる。そのため、視聴者からは「田中聖が坊主だということしか覚えられない」という苦情の葉書が多数寄せられている。歌の中での中丸君の扱いが悪すぎるという理由で、五寸釘が貫通した森乃進人形が番組に送られたこともある(ここまで含めてネタ)。森乃進は『はねトび』と提携した日産のCMにも登場し、日産車の名前を織り込んだ『ミニバン覚え歌』を歌った。

■その後、田中聖とは「特急田中3号」で共演することになる。

■日産と『はねトび』の提携CMには、森乃進のほかにニート、哲哉、アキバチョフのキャラクターでも出演している。

■2006年2月、当時開催中の冬期五輪に引っ掛けた企画「はねトリノ」(西野以外のレギュラーメンバー全員がボケ・ツッコミ関係なしにピンとして観客の前でネタを披露し笑いの量で順位付けするという企画)では、トリとして出場するも大方の予想と期待を裏切り5位という結果に終わった。このとき秋山に冠せられたコピーは「北九州の怪物」。他メンバーが準備段階で芸人仲間に相談したりするなか、秋山は故郷に帰り父親にアドバイスを求めた。秋山の父は、倖田來未のPVを例に出し「どんなものにもスキマがある。そこを狙え」とヒントを与えた。その教えを受けた秋山は、本番で「創作童謡」を披露するという前代未聞の試みを行う。これは斬新といえば斬新だったが、笑いをとるというよりも観客(および視聴者)をあっけにとらせる結果に終わり、予選敗退。塚地(「最後の喜劇王」)と板倉(「孤高のボケ職人」)のトップ争いを他メンバーと共に見守ることとなった。(ちなみに優勝者は板倉。)
なお、創作童謡はその後もラジオのレギュラー番組「ロバートのガッチャガッチャ」の「秋山お兄さんの新しい童謡」コーナーで継続。リスナーから募集したフレーズを繋ぎ合わせてメロディを付けるというやり方で、「柿」「けん玉の唄」「山芋の唄」等の作品を完成させている。ネタでなくあくまでも真面目に取り組んでいる。

■「はねるのトびら」SPの女装企画では、「サーフィンの魅力に取りつかれハワイに移住した東京の女」「シチリア島の浜辺を散歩する魔性の女」といったマニアックなコンセプトに基づく女装を披露。後者では、年齢を30代後半から40歳に設定し「若けりゃいいってもんじゃない」「細けりゃいいってもんじゃない。多少の肉感も必要」と独特の嗜好とこだわりを見せた。お手本にしたかたせ梨乃を彷彿とさせる妖艶な仕上がりで、佐藤隆太から選ばれた。

■箸の持ち方が完全な握り箸で上手に操れない。母親に注意されても無視してきたとのことだが、「はねトび」の「回転SUSHI」のコーナーではあまりにも不利なことを悟り、「長いプランで改善する」と語った。

■「はねトび」の企画で朝青龍に扮して本人と共演したとき、思いっきり張り手を喰らった。なお、朝青龍には秋山そっくりな顔をした従兄弟がいるという。


《『ポケモン☆サンデー』でのエピソード》
■他の番組レギュラー陣TIMや馬場裕之・山本博らがゲームソフトポケットモンスター ダイヤモンド・パールにおいて、各々ゲームを進めているのに対し秋山はまったく進めていない。

■レベル上げは遅くないが、それは自身がモデル(自称)のポッチャマ限定のようで、青森に滞在中だった元調査部リーダー・キモリとwi-fiバトルをした際、ポッチャマはLv.30近かったにも拘らずビッパはLv.4だった(勿論ボロ負けした)。

■その後、3月25日放送で募集された挑戦者と対戦するが、使用したのは、コロボーシ、コリンク、ポッチャマ。いずれもたねポケモンで、前述の2匹のレベルは(挑戦者ですら60以上のポケモンなのに)それぞれ22と25、ポッチャマに至ってはレベル28でほとんど進歩がないことから、「ヒドすぎないか」とレギュラー陣からまた非難を浴びた。

■上記の関係性からか2007年4月8日放送分で、馬場・山本協力の下、秋山が「ポケモン漬け生活」に挑戦することになった。当初はぶつぶつ文句を言いながら生活していたが、最後の方ではポケモンに慣れ始めて、最終的にまともなレベルまで成長した。

■2007年5月13日放送分のバトルでは、ポッチャマをエンペルトに進化させるなど手持ちポケモンを全体的にレベルアップさせ、相性を理解したうえで効果的な攻撃技を繰り出すなど「ポケモン漬け生活」の成果を示す成長ぶりを見せて遂に初勝利を飾った。

■2007年4月1日放送分でテレビ東京系列の人気アニメ「ポケットモンスターシリーズ」が10周年を迎えるにあたってサトシ役の松本梨香がゲスト出演した際、同アニメの初代主題歌「めざせポケモンマスター」のミリオンヒットを記念したトロフィーを指さして「これ、何か社長室の灰皿みたいですね」と言い「失礼だろ!」と怒られた。

■キャラクターのキモリを急に「ナムジキ(キモリの韓国名)」と呼び笑いを取っていた。

■2007年4月15日放送分の「ポケモンだいすきプロジェクト」の企画『わらしべポケモン』にて、ロバートの3人でのバトルで優勝。『きそポイント』の事もレクチャーされていたらしく、「ズバットをたくさん倒して素早さを極めた」と言っていた。

■2007年4月22日放送分では劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール ディアルガVSパルキアVSダークライでゲスト出演することが決まり、メンバー1喜んでいた(もちろん山本も馬場も大喜びだったが)。世界的人気の映画で、さらに10周年記念大作、ポケモンへの思い入れもあり「これすごいことやぞ!やっとだぜ?」とものすごく喜んでいた。


《『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』でのエピソード》
■水泳が得意で、その技量を発揮することが多い「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」では『マーメイド秋山』なる異名を取っている。水族館のサメを接写する企画では、水深10メートルの岩の上でシャッターチャンスを待つ秋山の姿にスタジオがどよめいた。また、故郷・福岡県にある水族館の水槽を魚といっしょに悠然と泳いだときは、水族館のスタッフから「解説板に入れましょうか」とコメントされた。同番組の企画で潜水を競い合ったときは75mという記録(非公式ながら全日本で当時4位タイ。ちなみに一般成人男性は平均20m)を打ち立てた。その後、同番組の企画でさまざまな特訓を重ね、公式記録大会で82mという自己ベストを出した(当時、日本男子歴代7位)。

■「Qさま!!」で秋山が水族館の水槽を自由自在に泳ぎまわるシーンには、BGMとしてチャイコフスキーの名曲「花のワルツ」が流れる。テレビ朝日の携帯サイトで、この着メロが『マーメイド秋山のテーマ』として配信されている。

■2006年4月に放映された「Qさま!!」SP第2夜では、秋山が潜水で75メートルの記録を出した場面(リプレイ)で瞬間最高視聴率26.2%に達した。

■上記の通り水泳が得意だが、その反面、足は遅く、「全員で鬼ごっこ」ではすぐに鬼に捕まってしまう。同番組のレギュラーメンバーのなかでは三村マサカズ(さまぁ〜ず)、山崎弘也(アンタッチャブル)、山ちゃん(南海キャンディーズ)以上に鈍足。2007年4月30日放送の「プレッシャー体育」で行われた50m走では、1人だけ小学6年生の平均タイムを切ることができなかった(ただし、三村はチャレンジしていないので不明)。本人も「俺は陸に上がるとダメ」「足が速くなりてえよ」と嘆いている。

■食材や料理を勘だけでぴったり100グラム食べることに挑戦する「チャレンジ・THE・ジャスト100g」という企画でも、天才的な勘とひらめきを見せている。


《私生活》
私生活では芸能人らしいところがいっさいなく、他の芸人ともほとんど付き合いがない。「独りでいるのが辛いとかじゃなく、なんか楽」という。血のつながりがない相手には心を開けない(本人談)ので、遊び相手はもっぱら弟。しかし、馬場や山本がそれぞれ仲間の芸人たちと仲良く遊んだ話を聞くとジェラシーを感じるという屈折した性格。

父親はヤクザ映画の斬られ役などで活動した元俳優である。先輩俳優の芸名「城春樹」を名乗り、エンドロールに名前が大きく出ていると偽って息子に見栄を張ったという。俳優廃業後、地元で自動車整備工場を経営。かなり破天荒な人物で、幼稚園児の竜次を連れて港のコンテナから食品を大量に盗み出していたという(「はねるのトびら」の地元ロケ企画にて)。

実家は北九州の採石場に囲まれた地域にあり、少し離れるとショッカーの基地(馬場談)あるいはグランドキャニオン(本人談)のような風景が広がる(余談だが、その採石場は映画『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』のロケ地であった)。採石場での発破による振動の影響で実家の家屋は傾いており、床にビー玉を置くと転がるという。

酒が一滴も飲めない。また、アジア全般の「コアな食べ物」が苦手。番組の打ち上げなどでエスニック系の店に連れて行かれたときは、「食べられない」とスタッフに言うのは悪いので、食べたふりだけしてひたすらウーロン茶を飲んでいるという。吹き替えの仕事で韓国を訪れたときは、どうせ現地の食べ物は食べられないからと羽田空港でパンを大量に買い込んで行った。そのほかに、ナスも食べられない。「ペンキを塗ったようなあの色はあり得ない」「布地に汁が染み込んだような食感」と強い拒絶反応を示す。

将来の夢は都内でとんこつラーメン屋を経営すること。店の名前は『りゅうじんけん』(竜神軒?)に決めている。仕事が休みのときは、自ら仕入れた豚の骨を使って自宅でとんこつスープを仕込んでいる。骨を4日間も煮込むという本格的な作業を行っているせいで、キッチンの壁紙が剥がれ掛けてきているという。スープの出来が良いときは、その喜びを誰かに伝えたくて馬場に写メールを送ったりするが、馬場はそれを見ても何の感慨も持たずむしろ迷惑がっている。『はねトび』でも、ドランクドラゴン鈴木の実家の居酒屋を救済する新メニューを考える企画でラーメンを作った。

風俗マニアでありもっぱら金髪美女によるサ−ビスを好む一面がある。


【エピソード/トリビア】
■ツヤツヤ美肌の持ち主。中学の頃から肌には気を遣い、ヘチマコロンやパックなどをドラッグストアで買って手入れをしていた。

■右頬の傷跡は、高校1年のとき吹き出物にニキビ薬とタイガーバームをいっしょに使った際に化学反応が起きてできたもの。

■タイガーバームは頭痛・鼻づまり・吹き出物・眠気覚ましと何にでも効く万能薬で「最高の虎である」と信じている。

■ガンダムのプラモデルのような(本人談)見事な扁平足。扁平足は疲れやすいため、足裏マッサージによく通っている。

■中1のとき、家族で行った沖縄旅行でイルカの群れに舞い上がって船上から海に飛び込み、あやうく船のスクリューに巻き込まれそうになった。間一髪逃れたが、そのとき船底のカキに擦れてできた傷跡(3センチ)が左腕に残っている。或るネタで子供役の馬場に言う「船のスクリューに巻き込まれねぇかなぁ」という台詞は、このときの体験が下敷きになっていると思われる。

■初体験は19歳の時。相手は博多どんたくで知り合った女性。

■気管支喘息の持病がある。動きの激しいネタのときは、あらかじめ薬を服用してから舞台に上がることもあるという。

■ロンドンブーツ1号2号淳に「サイコ的な目をしている」「いつかお前に刺されるような気がする」と言われた。

■元ユニコーンのドラマー西川幸一と顔が似ていて間違えられたことがある。新宿を歩いているとき「西川さんですよね?」と声を掛けられ「人違いです」と言おうとしたが、相手があまりに真剣な顔なのでつい話を合わせてしまい、「今度○○のライブハウスでやりますんで来てください」とまで話を作ってそのユニコーン・ファンをぬか喜びさせるという罪作りなことをした。

■『一流芸能人への旅』という番組で、大胆にも小林幸子を前にして本人の大ヒット曲「おもいで酒」をカラオケで披露した。

■「秋山を動物に喩えると?」という問いに対する相方2人の答えは、「トド」(馬場)と「人を騙すタヌキ」(山本)。ちなみに秋山は馬場を「マンボウ」、山本を「死にかけたナナフシ」に喩えた。

■山本の母親と誕生日が同じである。秋山は「ひろしのかあちゃん」が大好きらしく、勝手に山本の実家に電話を掛けて「ひろし君は頑張ってますよ」「ひろし君のことはまかせてください」などと言っては涙もろい山本の母親を泣かせることを楽しんでいた。また、2003年単独ライブDVDの特典映像や2006年単独ライブのブリッジ部分にも山本の母親を登場させている。

■吉本の芸人が出演した資生堂unoのCMでは髪を「ディープアッシュ」に染めた。このCMと提携して「虎の門」で行われた企画「男が選ぶ抱かれたい芸人」投票では、くりぃむしちゅー有田に指名された。

■肩幅が「ドラゴンボール」全巻の背表紙の幅と同じ。この事実は、2006年単独ライブで明らかにされた。

■「うさうさ脳」の分類では「うさ脳」(個性豊かで負けず嫌いなタイプ)に属する。

■秋山の髪型は「レイヤーウルフ」と言う。仕事のときは根元から立ち上げてソフトモヒカン風にスタイリングしていることが多い。

■収録中など、手持ち無沙汰になると隣に立つ山本の肩に手を置く癖があり、山本はそのせいで、秋山が手を置く方の肩だけが異様に凝っているとマッサージ師に指摘された事がある。

■お洒落な雑貨屋の店員になることを目指して上京した時は、ブルーのサングラスを掛け、両手に指輪をし、足にトウリングをはめていたという。

■『特急田中3号』で共演の塚本高史とは、塚本が以前から秋山のファンだったこともあって親しくなり、メール交換をしたり一緒に洗車に行ったりしているという。

(出典:Wikipedia)

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有田哲平

有田 哲平(ありた てっぺい、1971年2月3日 - )は、熊本県熊本市出身のお笑いタレント。くりぃむしちゅーの主にボケ担当(デビュー当時はツッコミ担当)。相方は上田晋也。プライム所属。身長173cm、体重70kg。


【来歴】
■熊本大学教育学部附属中学校、熊本県立済々黌高等学校卒。在学中、ラグビー部の同輩として現在の相方上田晋也と出会う。現役時に明治大学法学部二部に合格していたが、上田に「一緒に早稲田に入ろう」と言われ浪人。一浪を経て、上田は早稲田大学に合格するも、有田は不合格。有田は上田がまた浪人してくれると思っていたが「お前は立教がいい」と言われ立教大学法学部に入学。一旦は弁護士を目指したが、芸能界に進む為中退(共にお笑いへ進む為、上田が一方的に有田の退学届けを出したらしい)。幼少の頃は裕福な家庭で育っていたが、この時父親が営んでいた広告代理店が経営破綻に追いこまれた事から大学の授業料を滞納しており、それに関する父親の報告と有田の中退の報告(父親は厳格な人物であった為有田本人は勘当覚悟の報告であったが「学費を納めなくていいなんてお前は孝行息子だ。それにやりたい事を見つけるなんて素晴らしい! 」となぜか絶賛されてしまう。後で考えるとその時点で会社が傾いていたということらしい)とが重なったと言われ、何度かネタにしている。また、弁護士を目指したのは元々父親の影響によるものだったからと言う。因みに、広告代理店の経営破綻後両親が離婚し、有田が実家へ帰ると有田家の表札が「長谷川」にいきなり変わっていたという。更にこれだけではなく同時期に祖母の病死、カード破産、叔父がセクハラで訴訟を起こされるなど身内で不運が連続し、止めを刺すかのように父親も亡くなる。そして上田晋也からの誘いを受けお笑いコンビ・『海砂利水魚』を結成。

■コント山口君と竹田君の付き人としてスタートする。

■後にTBS『ウンナンの気分は上々。 』にてさまぁ〜ずと改名を掛けた3度目の対決に敗れ、ウッチャンナンチャンの内村光良に『くりぃむしちゅー』と命名され改名、現在に至る。


【人物】
■中学2年生のときにアメリカにホームステイしていたことがある為、日常会話程度の英会話なら出来る。だが『ズバリ言うわよ!』(TBS系)では細木数子によく馬鹿呼ばわりされる。しかし、それはお笑いでのキャラであり実際は秀才で、熊本有数の進学校である済々黌を卒業、大学は中退とはいえ立教大学出身である。実際『ズバリ言うわよ!』でも他の売れないお笑い芸人の鑑定の際に細木は「あんたも有田や上田みたいに本当に馬鹿になりきれたら絶対売れるようになるわよ」と言うように細木も彼の馬鹿については十分承知しているようである。

■初体験は高校1年生の夏。

■相方上田とはラグビー部で知り合ったが、試合では上田がレギュラーで有田はベンチ要員だったらしい。しかも、ラグビーのルールをよく理解しておらず、ある試合で上田がボールを持ちトライする為ラインに向かって走ると、有田は何を思ったかチームメイトである上田にタックルをしてきたと言うエピソードがある。

■『笑いの金メダル』(テレビ朝日系)で笑金オールスターズとしてCDデビューが決まって『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)に出演した際、高校時代にラグビー部の皆で将来の夢を話していたという話題になり、他の部員は真面目に将来の夢を語っていたが、有田にいたっては「俺は光GENJIに入る」と真顔で言っていたという。その時、ダウンタウンの浜田雅功が笑った後に有田の顎を掴み「この顎でか! この顎でか! 」と詰め寄った。そして、有田は浜田に「すいません浜田さん、顎は急所です。」とツッこんだ。

■高校時代、上田が応援団長で有田が副団長だった。

■『海砂利水魚のオールナイトニッポンスペシャル』で上田と対決し負け、勅使川原昭によって放送終了後、丸坊主にされる(2005年7月からは『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』としてレギュラーパーソナリティに昇格)。

■母は水泳のオリンピック候補になる程の選手だった。現在も熊本県内にある室内プールの管理者の傍ら、子供達に水泳の指導を行なっている。

■3人兄弟の次男。弟は放送作家の有田真平。兄は熊本で教師をやっている。

■主な持ち芸はアニマル浜口、長州力や高田延彦、アントニオ猪木などプロレスラーのものまね。大のプロレスファンで多くのプロレスグッズを所有し、毎週欠かさず週刊プロレスを愛読(第一号から全て)している。2006年6月18日に開催された「ハッスル・エイド2006」では、オープニングで自前の「高田総統」のコスプレをして登場した。

■テレビ番組『銭形金太郎』(テレビ朝日系)で、相方・上田のプライベートを暴露し司会の名倉潤の風貌を痛烈に批判する歌を歌い(今現在11曲)、同番組のエンディングテーマにもなっていた。また名倉潤の事を細身の顔立ちから時々ガイコツ・ラクダ・ナシゴレン・パクチー等と言う。

■クリームシチューが大好きと豪語していたが、『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系)の“1週間でクリームシチューを500杯食べきるコンビ”でかなりの野菜嫌いだったことが判明(人参、ブロッコリー、南瓜、椎茸、マッシュルーム)し、クリームシチューの殆どを相方・上田に食べさせていた。

■2000年10月にテレビ朝日系列で放送された本木雅弘主演のラブコメディドラマ「スタイル!」に「牛膝ジュン」役でレギュラー出演しており、現在と異なる“芸風と髪形”の彼を本作では見る事が出来る。なお当ドラマは現在CSの「ファミリー劇場」にて好評放送中である。

■ラジオ番組でニッポン放送での通称は「有田先生」(2005年6月24日放送『目からウロコ!24』まで)、TBSラジオの番組(『極楽とんぼの吠え魂』)では「タップ哲平」とも呼ばれたこともある。

■テレビやラジオ等でたまにTake2(主に東貴博)の悪口を言ったりしている。

■顎が年々、左の方へと曲がっている。

■好きな音楽ジャンルはヒップホップ。その為ヒップホップアーティストZEEBRAとも親交がありZEEBRAが司会として放送する番組『シュガーヒルストリート』では一緒に「ALI-T」という名前で司会として参加する。また、ZEEBRAのStop Playin’A WallではPVにも出演している。

■ネタ的によく語られる「親戚にいる大学教授のオジサンを見習えと言われていたが、その人セクハラで訴えられた」というのは、政治学者の矢野暢(日本初のノーベル賞の選考委員・スウェーデン王立アカデミー会員を務めた人物)。

■いとこは小説家の鵜波美布で代表作『武運』等。

■パワプロ9のサクセスモードを熱く語っていた為、パワポケ7には有田をモデルにした、「有田修吾」が登場した。また、サカつくも好きなようである。

■中学時代の2年先輩にラジオパーソナリティの荘口彰久がいる。

■「H/K(話変るけど)」という若者言葉を作った人物。『銭形金太郎』(テレビ朝日系列)の深夜放送時代にVTRの前フリで使用していた。芸能人が作った言葉は数あれど、若者限定で広まったその様な言葉は珍しい。

■最近痔らしい。

■爆笑オンエアバトルをHDDで撮って若手のチェックをしている。

■アンタッチャブルの山崎弘也と住んでいるマンションが同じである(山崎は後輩のため有田より下の階に住んでいる)。

■仮面合コンに参加したことがある。

■指1本でタクシー代を請求されたことがある。


【エピソード】
■アントニオ猪木の引退試合の観戦の際、入場時に熱いエールを送っていたが肝心の試合の時、居眠りをしていた事をダウンタウンDXのコーナー「視聴者は見た」で暴露される。ちょうどその収録に猪木本人も参加していたため、すぐにビンタ制裁を受けた。

■2001年6月、相方と共にMCとして出演していた瀬戸内海放送(KSB)の若者向け人気深夜番組ばちこい!内の企画でBachicco!という地域限定アイドル(ロコドル)をプロデュースし、見事デビューさせた。なおデビュー曲『ばっちり恋しよう!』には彼のラップパートが収録されている。現在もBachicco!のプロデューサーを務めている。

■2004年8月、深田恭子とのお泊まりデートが写真週刊誌にスクープされ、更に8月19日発売の週刊誌で山崎弘也と合コンを行った帰りにラブホテルに入る所を撮影され、別の女性とも同棲しているとも言われ、ルックスに似合わずプレイボーイとして有名。しかし深田恭子との一件以来モテなくなったと発言している。これは業界内で「有田には気をつけろ」と言われ始めアイドル事務所が所属アイドル達に事前注意を行い始めたからである。

■写真週刊誌の一件以来、合コンなどを自粛する一方で何故か相方の上田晋也の2人の姪っ子にハマり、二人と遊ぶ為に休みの日にわざわざ熊本まで帰っているという(上田抜きで)。理由としては「どんなにユルいことを言ってもウケるから気分がいい」とのこと。因に二人とも小学生で、有田のことを「ありぶす」と呼び、「ありぶすお前顎伸びたな〜。」等散々なことを言われるらしい。

■『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)において、以前番組内で天然パーマをストレートパーマにさせられた相方・上田が「合コン好きの有田を懲らしめてほしい」と番組に依頼し、騙しの合コンをセッティング。この企画は3回行われたが、全て番組が仕掛けた落とし穴に落下している。女の子と2人きりになった時、「クルトンって呼んで♥」と言ったことから、ロンドンハーツでは「クルトン」(クルトン有田、因みに悪いワルトンもいる)と呼ばれるようになった。因みに現在は裏番組である『ズバリ言うわよ!』に出演中の為、『ロンドンハーツ』の出演はない。

■『内村プロデュース』(テレビ朝日系)において、性格診断テストを受けた結果、内村光良に対してライバルである、番組を乗っ取ろうとしている等と診断された。その後『内村プロデュース』のレギュラー放送が終了し、『くりぃむナントカ』がその時間に時間変更されて、本当に番組を乗っ取ったようにも見える。

■2005年6月11日深夜に放送されたテレビ朝日の深夜番組『くりぃむ・鶴瓶・ロンブーのゆく年くる年への道SP』によると上田に対して「『おしゃれカンケイ』終わらせやがって、お前は……」と言ったのに対し、上田に「いや、別に俺が終わらせたわけじゃねーし」と言われたり、「(おしゃれカンケイを)とったんですよ、こいつ。」と言って上田に「とったわけじゃないよ。」と返されていることから、相方の上田が『おしゃれイズム』に出演しているのが信じられないらしい。上田は「一部コーナーやゲストで有田も番組に出しましょうよ」とスタッフに提案したが、苦笑いで返されたとくりぃむしちゅーのたりらリラ〜ンで発言している。

■2005年7月5日、山崎弘也、矢作兼と共に夜に中華料理屋へ行き、後輩のその2人から酒を勧められ、その後の仕事で『オールナイトニッポン』(この日が初回放送だった。)があるからと言い断ろうとしたが、後輩のその言葉に負け、その後仕事があるのにもかかわらず、飲み、オールナイトの本番で相方の上田に叱られる。

■2006年4月5日放送の『くりぃむしちゅーのたりらリラ〜ン』特番『ガンバレくりぃむ!恋の赤恥ベタベタSP』内で公開された有田哲平監督・脚本・主演『ベタドラマ』『101回目のベタポーズ』では、意外に高い演技力を見せた。

■2006年8月3日放送の『Qさま!』で、山崎チームとして参加したもののプレッシャーに弱く、情けない姿をさらした。

■番組収録の合間に後輩芸人(山崎弘也やおぎやはぎ、次長課長等)を集めて芸に対するアドバイスやダメ出しを行う事が多いが(「有田塾」と呼ばれている)、内容は「全くタメにならない話ばかり」しているらしい(『アメトーク』で土田晃之が暴露していた。因みに土田は有田に「『銭形金太郎』のロケで泣け」というアドバイスを受けたことも話していた)。

■アンタッチャブルの山崎が大便をすると有田に「しました。」とメールが来る。(2006年内に終了)

(出典:Wikipedia)

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雨上がり決死隊

雨上がり決死隊(あめあがりけっしたい)は、宮迫博之と蛍原徹からなる日本のお笑いコンビ。吉本興業所属。吉本総合芸能学院(NSC)7期生。略称「雨上がり」。


【メンバー】
■宮迫博之(みやさこ ひろゆき、1970年3月31日 - 、ボケ担当)
■蛍原徹(ほとはら とおる、1968年1月8日 - 、ツッコミ担当)


【コンビについて】
■コンビ名の由来は、2人とも好きだったRCサクセションの曲『雨上がりの夜空に』から。正確に言うと、NSC同期生で行なったライブのタイトル「雨上がり決死隊」をそのままコンビ名にしたものである。

■NHKの番組出演時には、「死」という文字を使用するのは放送上好ましくないというNHK側の意向により、「雨上がり決志隊」と暫定的にコンビ名を変えることで対処した。雨上がりは、知人にお祝いの品を贈る際にもこの名前を使用している。

■1989年にコンビを結成したが、それ以前はそれぞれ別の人物とコンビを組んでおり、宮迫は「ぴいぷる」、蛍原は「ホワイト&ホワイト」というコンビ名で活動していた。蛍原は他にも、のっぺり星人としてピンで舞台に立ったことがある。

■NSC時代に、高校時代の同級生など元々友人関係から来たお笑いコンビを多く見てきた。そのため、宮迫と蛍原はコンビを結成した当時、自分達も二人での思い出(=ネタ)を作らなければいけないと1年間芸人としての活動は少なくして一緒に過ごそうと決め、アルバイトも同じバーで始めた。しかし、宮迫はそのバーでのアルバイトがろくに続かず辞めてしまい、蛍原だけが数年勤めた。

■NSC時代の同期生に、ナインティナインの矢部浩之の実兄・矢部美幸(現・ファンタスタープロモーション代表取締役社長)がいる。彼は当時、お笑いコンビ・ちゃんねるずとして活動していた。

■1990年代前半は、若い女性達を中心に人気を博した吉本興業のお笑いユニット・吉本印天然素材のリーダー格として活躍。天然素材で共に活動していたナインティナインはNSC9期生で、彼らの2年後輩になる。

■1992年1月、第13回ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞。最優秀新人賞をナイナイに持って行かれナイナイが先に東京進出を果たし、以後東京進出までに時間を要することとなった。

■天然素材後はしばらく不遇の時代が続き、アンバランス、あさりどらとの『AAA』ライブなどの活動をしていたが、1990年代末にフジテレビのバラエティ番組『めちゃ²イケてるッ!』に出演したことや、宮迫の「宮迫です」の自己紹介ネタが定着したことなどから再び人気に火が点き始めた。

■2000年に、フジテレビの深夜番組『エブナイ』で木曜のレギュラーとして出演。番組での様々なキャラクターによるコントが視聴者にウケて、木曜の放送は『ワンナイ THURSDAY 〜ウケねらいな俺達〜』と改題された後に『ワンナイR&R』として独立。その後、プライムタイムへと進出した。これにより、ガレッジセール、山口智充(途中から、平畠啓史とのDonDokoDonとしての出演)らと共に全国区でブレイクを果たす。

■2003年に、初の全国ネットの冠番組『雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!』を持つ。

(出典:Wikipedia)

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