Google
 

大西ライオン

大西 ライオン(おおにし ライオン、1979年11月13日 - )は、日本のお笑いタレント。本名:大西功二(オオニシコウジ)。吉本興業東京本部所属。吉本総合芸能学院東京校5期生。大阪府豊能郡生まれ、茨木市出身。私立金光第一高等学校(現・金光大阪高等学校)中退、大阪府立刀根山高等学校卒業。血液型B型。星座はさそり座。プスンパスン、ザ・カスタネッツを経て、今に至る。 上半身裸に腰巻姿で、劇団四季版のミュージカル「ライオン・キング」の物真似芸が有名。持ちギャグは「心配ないさ〜!」。元ネタは、「ライオンキング」の1幕終盤に歌われる「ハクナ・マタタ(気にするな、の意)」の中で、主役であるシンバが子供から大人に成長した際の第一声である。原曲に比べかなりキーを上げて歌う場合が多いが、高音部も非常に伸びやかに歌い上げることができる。 だが、実際にライオンキングを見たのは一回だけである。

趣味はキャンプをすること。幼い頃から、キャンプに参加していて、今もちびっ子と一緒にキャンプしているとのこと。 キャンプ仲間の間からは、ジーコと呼ばれている(本名が、コージの為)。キャンプ仲間のマナブーは、ライオンの師匠であり、単独ライブの演出家。


【主な物真似作品】
■劇団四季関連
・ライオン・キング
・ウェストサイド物語
■ディズニー関連
・アラジン
・白雪姫
・ピーター・パン


(出典:Wikipedia)

オセロ

オセロは、日本の女性お笑いコンビである。所属事務所は松竹芸能。


【メンバー】
■中島 知子(なかじま ともこ、1971年8月26日〜)
・別名「オセロの黒」。京都市山科区出身。京都府立洛東高等学校→京都精華大学卒。大学時代には「ミス京都精華大学」に選ばれたこともある(学園祭ではマドンナに扮したこともあるという)。ツッコミ担当。
・2005年3月まで京都府立洛東高等学校で「学校評議員」を務め(芸能人として初)、学校運営等に関するアドバイザーとして活動した。
・嫌煙家。

■松嶋 尚美(まつしま なほみ(※「なおみ」ではない)、1971年12月2日〜)
・別名「オセロの白」、「白い悪魔」。大阪府東大阪市長瀬出身。大阪樟蔭女子短期大学卒。ボケ担当。プライベートでも天然ボケだという。
・ピン仕事については相方の中島に先を越されたが、近年は松嶋も単独でバラエティーや舞台、映画出演など幅広い活動を行っている。
・中島と知り合った当時芳本美代子に似ていたので、普段は相方を「みっちょん」と呼んでいる。
・愛煙家。
・KILLERSのボーカル。
・レッド・ホット・チリ・ペッパーズの大ファン。


【略歴・概要】
■1993年4月29日に結成。同期にますだおかだがいる。

■コンビ名の由来は、2人が色黒・色白と対照的でオセロの白黒の駒を連想させることから来ているが、松嶋があっけらかんとした性格であるのに対し、中島はどこかお局様的で腹黒いという含みもある。

■二人とも松竹芸能タレント養成所のタレント養成コースに在籍していたが、同期生のますだおかだのアドバイスで、お笑いコンビへ転向したと言われるが、実際は養成所時代に講義そっちのけでおしゃべりばかりしていたので、講師から「そこのオセロ!そんなにしゃべりたければお笑いのほうへ行け!」と言われたからである。コンビ名もこの時の「そこのオセロ!」に由来している。

■1995年に「第16回ABCお笑い新人グランプリ」新人賞を受賞。

■事務所でデビュー当時の宣材など昔の写真を見つけると、処分しているためそれらはほとんど事務所に残っていない。デビュー当時の写真で現在残っているのは、ますだおかだが所有している物と、お世話になった方達に送った年賀状に載っている物くらいだと言われている。

(出典:Wikipedia)

[PR]

パートナーエージェントは、ハウスウェディング最大手のT&Gグループが提供する結婚情報サービス。
業界初のリーズナブルで後払いの料金システムと、専任コンシェルジュ制度など、今までにないサービスが特徴

おぎやはぎ

おぎやはぎは、小木博明と矢作兼によるお笑いコンビ。プロダクション人力舎所属。1995年にコンビ結成。干支は、両方とも、いのしし。


【メンバー】
■小木博明(おぎ ひろあき、本名:こぎ ひろあき(字は同じで読み方が違う)1971年8月16日 -)

血液型B型。東京都板橋区ときわ台出身。ボケを担当。東京都立北野高等学校卒業。2006年10月10日渋谷区役所で森山良子の娘、森山奈歩と6年の交際を経て入籍。

■矢作兼(やはぎ けん、本名:松嶋 兼(まつしま けん)(母親が再婚したため名字が松嶋に)、1971年9月11日 -)

血液型A型。東京都豊島区池袋出身。ツッコミを担当、ネタ作りも行う。東京都立北野高等学校卒業。


【来歴】
■1995年 結成

■2001年 M-1グランプリ2001出場 決勝10位
(第1回のこの大会で大滑りしたことが有名。一時期ネタにしていた)

■2002年 M-1グランプリ2002出場 決勝4位


【芸風】
■2人とも視力が実際に低く、眼鏡を着用する眼鏡コンビ。当時のメガネブームの火付け役の1組。まったりとしたスローテンポと独特の言い回しのツッコミ(激しいツッコミはほぼ無い為、ツッコミというよりも「宥め」「許容と説得」と取ることもできる)で展開される漫才が特徴。

■つかみには必ず
小木「小木です」
矢作「矢作です」
小木・矢作「おぎやはぎです」
あるいは「おぎやはぎですけど何か?」、「おぎやはぎですけど何か質問でも?(もしくは「問題でも?」)」
と言い、漫才に入る。

■「何か」の部分はたまに変わることがある。例えば、「怪我をしないように頑張ります」や、お正月だと「あけましておめでとうございます」など。

■「何か問題でも?」は、長いためかTVでは「何か?」でネタに入るようになったという。

■この地味な芸風がウけ99年頃からアンダーグラウンド的な人気を博していたが、04年の後半辺りから番組出演数が異常に増え現在ではドランクドラゴン、アンジャッシュなどと共に人力舎の看板芸人であるといえる。


【エピソード】
■矢作の姉は靴と服のデザイナー。

■小木の家は歯医者。

■小木が入籍の際、婚姻届の証人の欄に矢作とまちゃまちゃ(小木に森山奈歩を紹介した)がサインした。

■小木が結婚したことを森山良子の歌にちなんで「ざわわした」と言われることがある。

■2人の出会いは高校だった。2人とも東京都立北野高等学校卒業。中学から電車が一緒でお互いに気になる存在だったそう。

■小木が高校一年から一年間付き合っていた子と、矢作は高三から七年間付き合ったといった「気持ちの悪い」エピソードが多々ある。

■矢作は高校生の頃お洒落でモテていた。

■小木は高校生の頃サッカーが上手くて、実業団のチームから声がかかるほどだった。

■23歳までお互いサラリーマンをしていた。

■異常なほどのコンビ愛も特徴とされてきたが、「ロンドンハーツ」の検証で、カメラの回っていない場面ではその異常なほどのコンビ愛は見られず、ネタであることが判明。(後に実はカメラが回っていたことを知らせると、必死に弁明していた)とはいえ、プライベートの旅行で別々にハワイに行ったのにも関わらず、滞在4日中2日一緒に遊ぶ等のエピソードからすると、仲の良いコンビである。また、小木の眼鏡を買いに矢作も一緒に買い物に行ったこともある。

■元々コントをやっていたが、漫才のみが対象の「M-1グランプリ」に出場するために漫才を覚えたという。第1回大会にて見事関東組で唯一決勝に進出したが、勝負どころでネタが大滑りし、全10組中ダントツで最下位と言う悲惨な結果となった。中でも大阪の一般審査員からは100点満点中、9点であった(この一般審査がなければ9位であり、最下位はチュートリアルとなっていた)。だがこの第1回大会に関しては、所謂、関東芸人に不利な状況であり、不平等だと酷評する見方がある為、おぎやはぎがこの様な結果だった事で以降ルールが変った。2002年の「M-1グランプリ」決勝では第4位と健闘し、立川談志に「リーガル千太・万吉を彷彿とさせる」と絶賛された。今では2001年のM-1で最下位だった事をネタにしている。

■共演者から、「第1回M-1で良い成績取ったんじゃなかった?」と言われて矢作が「あ〜、ビリです。」と答え、その後に「でも大阪じゃ良い点数取ったんじゃなかった?」と言われ、「大阪100票中9票ですよ。」と返すのが一般的。その後に「俺らのおかげでルールが変わった。」と付く事もある。

■矢作はまだ芸人になる前「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ)の企画「幸せの黄色いハンカチ」で彼女とよりを戻したいという内容で出演していた事がある。結果よりを戻したが、その後しばらくして別れた。

■二人とも過去の経歴に謎が多く、その大部分はTVではいえないブラックな内容らしい。

■矢作は元極楽とんぼの加藤浩次と非常に仲がよい。矢作がお笑いをやろうかと考えている時に地元の先輩が働いていたBARで加藤が働いていた。それからそのBARに通うようになり親しくなったようである。加藤曰く、名前で呼んでくる芸能人は矢作と中山の秀ちゃん(中山秀征)だけとのこと。矢作は浩次君と呼んでいる。

■デビュー後も加藤浩次からは様々なアドバイスを得ている。たとえば、二人そろって眼鏡をかけるようになったのは、加藤の助言によるもの。

■バナナマンと仲が良く、epoch TV square(BS日テレ)で共演したり、合同ライブを行った事もある。

■森山直太朗とも互いが有名でない時代からの旧知の仲であり、小木にとっては義弟にも当たる。

■鶴の間で矢作が出演した際笑福亭鶴瓶に絶賛される。(俺若手の中でおぎやはぎが一番好き)また、矢作は笑福亭鶴瓶のハワイの別荘を貸してもらったりする関係。

■サッカーゲームのウイニングイレブンが好きで、加藤軍団VSロンブー淳軍団で対決したりもしていた。

■さんまのSUPERからくりTVに出演することが夢だったらしく、プロレスラーの中西学が相談者の悩みを解決する「熱いプロレスラー中西学のお悩み相談バーベキュー相談亭」のコーナーに出演を果たしたが、おぎやはぎの冷たいツッコミからか人気は下がっているようだ。だが明石家さんまは絶賛している。

■犬が大好きな小木は優しい言葉に弱い(矢作曰く「言葉をかけるのもかけられるのも好き」)。「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」(テレビ朝日)内の企画「10m高飛び込み」では、飛ぶのを1時間以上ためらった小木に対し、先に飛び込んだ矢作が「おいでおいでおいでおいで」と優しく声をかけると、そこから30秒ほどで飛び込んだ。

■現在はそれぞれ日本メガネ党の党首・幹事長として、メガネの素晴らしさを世にひろめる運動をすすめている。

■小木は森山良子のことを「ママ」と呼んでいる。

■小木は、テレビ朝日系ロンドンハーツにて、『結婚とかはまだ言わないで下さい。いろんな番組の都合上。』という森山直太朗に宛てたメールを暴露された。この事に関して「上目線だな〜」と突っ込まれ、小木は「もう義理の弟ですから」と切り返した。

■約30年ぶりに、行方不明だった矢作の父親の行方がわかった。父親は猿回しの芸人さんをしていた。

■矢作は歯並びの悪さをかなり気にしており、差し歯にしようかと本気で考えているが、一部のファンの反対もあり悩んでいる。

■二人とも東武東上線沿線出身で、「うたばん」に出演すると同じく東武東上線沿線出身の石橋貴明と「東上線組」としてゲストや中居正広をそっちのけで盛り上がることが多い。

■矢作はさまぁ〜ずの熱狂的なファンだが、本人達にはその事実を未だに伝えていないらしい。


【結成秘話】
■矢作が地元の先輩に「お笑いをやりたい」というような話をしていると、その先輩が勤務しているBARで加藤浩次が働いているという話になり、その店に通うようになる。加藤とそこで親しくなり、矢作は芸人になることを決意する。

■サラリーマン時代、上海勤務だった矢作はホームシックになり小木に助けを求めると、小木は数日後上海まで様子を見にきた。矢作は色々なことを小木に話し、そのとき初めて小木に「芸人になりたい」と話したという。その数日後、矢作は有休を使って小木と共に日本に帰国した。

■帰国後、矢作は上海に帰りたくないので有休を全部使って小木と遊んだ。小木はハワイでの広告代理店がバブル崩壊のあおりを受けて潰れ、新しくディズニーランドのマネージメント職についたばかりだった。当時就職したばかりで忙しかったようだが、矢作がディズニーランドに来てはミッキーに「小木どこ?」等と尋ねるので仕方なく小木も矢作の有休の間、仕事半分で矢作とゴルフやドライブに行ったりしていた。(ライブ情報)

■矢作は有休もほぼ使い切り上海に戻ることになったが、未婚で仕事ができる矢作は会社にとって、どうしても抜けて欲しく無い人物だった模様で、会社に戻ると上海から簡単に帰れないようにするために、「上海支部長」の席が用意されていた。だが、悩んだ矢作は「もう上海には帰りたくない」と上司に告げた。しかし、「日本に君の席は無い」という返事があり、矢作は会社を辞めることにした。会社を辞めて芸人になると矢作は小木に話したが、矢作「コンビ組むんだったら小木がいいけど、小木はどうなの?」小木「今、どうって言われてもね」と、コンビ結成の誘いはやんわりと受け流された。

■数日後、遂に矢作は辞表を提出し、「芸人になります。ワガママばっかですいません」と挨拶した。実際は芸人になるというのは口実でしかなく、その後は白紙状態であった。すると小木からゴルフの誘いがあり、二人で会う事になった。矢作が会社を辞めたということを言おうとすると、小木「俺、会社辞めてきた。明日から毎日ゴルフできるよ」矢作「一緒にお笑いしない?」小木「暇だし、なんにもすることないし、いいよ」そして、おぎやはぎは誕生した。小木は矢作のために会社を辞めたと思われる。

(出典:Wikipedia)

[PR]

PCソフト、PCゲーム、写真集、動画から音楽まで無料お試し版や有料ダウンロードが楽しめる総合ショップ。おすすめ商品からランキングまで何でも揃う人気・実力ナンバー1の本格的な総合ダウンロードショップ!

大島美幸(森三中)

大島美幸(おおしま みゆき、本名:鈴木美幸(旧姓:大島)、1980年1月13日 - )は栃木県大田原市出身で吉本興業所属のお笑いタレント。森三中のボケ担当。


【プロフィール】
■よくケツを出す。

■栃木県立黒羽高等学校卒業。

■1998年、森三中としてデビュー。

■平山あやは遠縁ながら親戚にあたる。

■夫は放送作家の鈴木おさむ。

■「ロンドンハーツ」(テレビ朝日系)にて共演経験のあるだいたひかるが放送作家と結婚したため(その後離婚)、同番組内の企画で「ファックスは別々にしたほうがいい」などのアドバイスをした。

■視力が悪いため、コンタクトレンズを使用していたが、現在は視力矯正手術を受けてコンタクトレンズは使用していない。ちなみに学生時代はメガネをかけていた。

■初体験の相手は夫ではなく黒人男性である(イノマーと峯田和伸の対談本より)。

■歌唱力が高く、歌合戦等のテレビ番組でもその歌の巧さを見せ付けている。2006年にはMIYU名義で歌手活動も開始。楽曲「ビューティフル マインド」はフジテレビ系ドラマ「ブスの瞳に恋してる」の挿入歌として使われ、話題を呼んだ。もともとCD化の予定はなかったが、ドラマ放送終了後も視聴者からCD化の声が殺到し、2006年10月18日にCD発売した(オリコン最高34位)。

■笑いのためなら髪をスキンヘッドにしたり素っ裸になることも厭わない稀有の「女ヨゴレ芸人」である。

■実際、鈴木の実家に挨拶に行くときも「キン肉マン」のラーメンマンのような辮髪に似た髪型にしていて鈴木の家族の度肝を抜かせた。

■しかし、そんな彼女であるが、家に帰ると「一日に二回泣くと言う」かなり女性らしい一面を持つ。

■1回目は旦那が帰ってこないと言う淋しさでの涙、もう一回は帰ってきてからの嬉し泣きである。(笑いの金メダルで村上が告白)

■めちゃイケのテスト企画で、ヤゴの成長した姿(トンボ)を書く問題に対し、まるでRPGのボスキャラクターのような怪物を書いてみせた。

■「子どもは欲しいが、体が張れるうちは作らない」考えの持ち主。

■学生時代、壮絶ないじめにあっていた。体育館の床に這い蹲らされ、「埃を食べ切れば家に帰してやる」と言われたり、裸にされて生き埋めにされたりといった人間として扱われない日々が続いたという。現在、「芸能界で辛い事があっても、その頃に比べれば天国。楽しいよ」と大島は語っている。

■ガキの使いでは浜田の無茶な要望にこたえるべく、サウナでタオルだけつけて全裸になったり、女体盛りをしたりなど、女性を捨てている行動もいとわない芸風をもっている。

■顔や容姿が大島にそっくりの女子高生グラビアアイドルの藤子まいがデビューしてインターネット、とりわけ2ちゃんねる上で話題になった。

■そのことについては夫である鈴木おさむも「うちのかみさんだ!」と評した。

■のちにこのグラビアアイドルは改名し再デビューしたものの、改名後は顔や容姿が村上知子そっくりとなった。

■2007年6月2日に日本テレビで放送された「ぽじてぃブス」で藤子と共演を果たした。

(出典:Wikipedia)

[PR]

「edita」に登録すると
1ブログが一つ増える
2ブログコミュニティが持てる
3ブログ読者が増える
4ブログ読者の顔が見える
5ブログの写真を全てアルバム化するブログパーツが持てる

岡田圭右(ますだおかだ)

岡田 圭右(おかだ けいすけ、1968年11月17日 - )は大阪府大阪市中央区出身の男性漫才師、お笑いタレント。ますだおかだのツッコミ担当だが、一発ギャグでボケることもある。相方は増田英彦。松竹芸能所属。血液型O型。身長176cm。関西外国語大学短期大学部穂谷学舎、大阪外語専門学校卒業。


【経歴】
■1993年増田の説得に応じコンビ結成。同期にはオセロがいる。

■相方の増田は、関西外国語大学短期大学部穂谷学舎在学中の岡田にコンビ結成を持ちかけた。増田が関西外大4年時、学園祭で「プー太郎」だった岡田とコンビ復活。二人の活躍(岡田は在校生ではない)で学園祭が盛り上がり、松竹芸能にスカウトされるも、プロデビューはそこからまた1年後。結局、増田はプロ入りに際して、岡田を3年半かけて口説き落としたことになる。

■文具メーカークツワで、一年間サラリーマン生活を送ったことがある。


【芸風】
■「昭和の芸人」と呼ばれるように、「古い」(突込みが単語、大声、オーバーアクションなど)芸を使う。漫才ではツッコミ担当だが、時々笑いを取ろうと一発ギャグをする。が、いつも空回りで滑る(それを増田が放置して笑いを取る、などのパターンにつなげる)。ただし本人は滑るのも芸風だと言いボケの増田もあえて滑るツッコミをさせるネタもある。

■相方の増田英彦からよく「いらんことを言うな」といわれたり、持ちネタ「パァ」をすると耳を塞がれたりする。「笑いの金メダル」では相方に「絶叫マシーン」と言われる。

■「ますだおかだ」というネタ中心の漫才師として頭角を現したからか、確かにフリートークなどでの「アドリブ」「落とし」などは弱く、「滑る」ことが多い。

■実はイケメン芸人ながらも(増田がコンビを組んだ理由がイケメンと組んで目立ちたかったから)、スベリの天才のためかバラエティなどで、イケメン芸人扱いされることはほとんどなく、いじられ役となっている。一般的にも、今や「面白くない方」「寒い方」と言われており、イケメン芸人としての注目は皆無になっている(ただし大阪での扱いは少し違う)。

■主なギャグは「パァ」「閉店ガラガラ」「出た!」「早くも」「出ました!」「コラー」「バカー」「アータ」「アータネー」「チリンチリ〜ン(自転車のベルの音)」「卓球の音」「ハンドスコープ」「ピョン」。2006年からは「パァ」を「パカッ」に変えると「笑いの金メダル」で発表したが、実際は「パァ」のままである。ピンの時は「もしもサイが〜だったら」という「サイネタ」や、「もしもシカが〜だったら」という「シカネタ」を披露する。また、ギャグの中には岡田の母が使っていたものも含まれている(増田曰く)。くりぃむナントカでは「せやな・・・」というギャグも作った。

■漫才中では相方の増田にモノマネをよくふられる。ほとんどが微妙であるが、ボビー・オロゴンだけは結構似ている。

■2003年12月、ウンナンのホントコ!収録中に、バナナの皮に滑って転んで腕を骨折するという、スベリ芸人としてある意味究極の域に達した。

■そのスベリを、鉄拳の紙芝居ネタにされている。ちなみに、岡田扇風機は鉄拳の紙芝居ネタから生まれた。

■パーソナリティーを務めていたオールナイトニッポンでケチということをネタにされていた。


【特徴・性格】
■温厚な性格で、人にキレた経験は皆無。座右の銘は”無欲”。

■野球好き。特に阪急時代からのオリックス・バファローズ(旧・オリックス・ブルーウェーブ)の熱狂的な大ファンであり、オリックス・ブルーウェーブに所属していたイチローとも仲が良い。ちなみに、「鈴木一朗」時代のイチローから使用済みバットを貰ったが、当時担当していたラジオ番組で聴取者プレゼントにしてしまったことを未だに悔やんでいる。

■小学生の頃リトルリーグで、当時ピッチャーだった清原和博(現:オリックス・バファローズ)と対戦したことがある。

■短大から附属の大学の3回生へ編入するための試験でカンニングするも試験監督に見つかり、失敗。そのため短大卒業後、専門学校に行く羽目になる(関西テレビ「太っ腹!紳助ファンど」より)。

■既婚者。夫人の祐佳さんも元漫才師で、「-4℃」というコンビを組んでいた。(2006年10月14日の「めちゃイケ」では「エロい嫁」として弄られていた。)因みにその時の相方は、現在でも大阪を地盤に活躍している松本美香(松竹芸能)。二児の父でもある。

■恐妻家で祐佳さんにドラマのキスシーンを見られたくないたいが為にドラマがやる時間になって外食に誘った事がある。(笑いの金メダルにて)他にあいのりで手を繋ぐシーンを見られて関係の修復に3ヶ月程かかったらしい。

■「笑いの金メダル」(テレビ朝日系列)では、パペットマペットとのスペシャルコンビ「パペットマペットオカペット」を数回披露している。

■次長課長・井上聡、レギュラー・松本康太とは、「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」で知り合い、仕事が一緒になると収録後食事に行く仲に。これは通称「岡田会」と呼ばれており、他にも長州小力、タカアンドトシ・トシ、ハリセンボン・はるかがメンバーである。岡田会にはリーダーである岡田が決めたルールが数点あるらしい(飲み物は一杯目以外は水、焼肉は豚肉オンリー、など)。

■勉強が出来る。クイズ番組に出演すると、たいがいは相方の増田よりも好成績を残す。

■英語が堪能。秘書の資格も持つ。

■金融関係に詳しい為、ケチと言うよりセコいともいえる。本人は「節約家」と公言している。ただ、楽屋にあるワックスなどを自分が持っている容器に入れて持ち帰ったり、前述のように飲み物は一杯目以外は水など極度のケチぶりをしめす。

■全日本プロレスファン。

■松竹芸能の後輩であるアメリカザリガニ・柳原哲也、Over Drive・石野敦士と、月一回のペースでトークライブを敢行している。

■M-1優勝後のシャンパンファイトで衣装が汚れた為に、獲得賞金でその当時の衣装を買い取った。また、残額を夫人へプレゼントし、夫人はそのお金でホクロを取った。そして現在、その取ったホクロを岡田が大事に保管しているとのこと。

■リンスを付けるのが嫌いらしい。

■あるロケで松澤一之と共演した際に、子供にお土産をプレゼントした。

■インターネットなどを全くしない。自身のラジオにて増田に「検索って何?」と訊ねていた。(パソコンは持っているが自分にとっては高級な将棋ゲームらしい)

■犬を3匹飼っている。

■深夜ドラマ東京ミチカで木村多江とキスシーンを演じた事がある。

■ファッションセンスが良い。

■アクセサリーは相方と比べて割と好きらしく結婚指輪だけでなく黒いビーズのネックレスらしき物を最近している。

■2002年秋にポリープを手術して以降禁煙している。番組で滑ったりすると、そのイライラからか吸いたい衝動に駆られるらしいが、それを必死に堪えている。

■初体験は18歳とオールナイトニッポンで明らかになった。

■名前が二・二六事件で難を逃れた岡田啓介元総理大臣と同音異字

■娘は小池徹平の大ファンだとHEY!HEY!HEY!で明らかにした。

■日本酒が苦手で、匂いが駄目らしい。

■ボウリングが上手い。2007年正月にフジテレビ系で放送された、お笑いチャンピオンボウリング新春初投げスペシャルで見事チームを優勝に導き、自身はMVPを受賞した。

(出典:Wikipedia)

[PR]

「キレイになりたい!」「チャレンジしたい!」そんなアクティブな女性たちを応援するJCB・ローン専用カードです!
今ならご入会された方全員に1,000円分のJCBギフトカードをもれなくプレゼント!

大竹一樹

大竹 一樹(おおたけ かずき、1967年12月8日 - )は、日本のお笑い芸人である。お笑いコンビ・さまぁ〜ずのボケ担当。ホリプロ所属。身長170cm。


【来歴・人物】
東海大学付属高輪台高等学校卒業、東海大学文学部北欧文学科(現・北欧学科)中退。高校時代の同級生である三村勝和(現・マサカズ)とコンビを結成し、1989年に「バカルディ」としてデビュー。

デビュー当時、所属事務所から「キャラクターが薄い」「相方の三村と顔が似ている」との指摘を受け、伊達メガネを掛けることになり(当時は視力が良かった)それ以来伊達メガネがトレードマークとなっている。近頃は本当に視力が悪くなってきたようで、テレビ番組でモニターなどを目を細めて見ている姿がよく見られる。また、人から「顔がいやらしい」とよく言われるので、メガネで「エロスを封印」しているらしい(『ナイナイサイズ!』出演時より)。

性格はネガティブでマイナス思考の心配性(三村談)。比較的ずぼらな性格の三村に対しては、度々「お母さんみたい」に注意をする。人生の目標は「死ぬまで無事」と語る。

コントの場ではその後ろ向きな発想を生かし、ネタの大筋作りを担当する。「関東一のツッコミ王」の異名をとる相方・三村の「〜かよ!」に代表されるツッコミ芸は、実は大竹が書いたネタの賜物である。低迷期にはその才能を生かすよう事務所の意向で放送作家の仕事をしていた(日本テレビ系列『ジャムパラ』)こともあったが、本人曰く「適当に書いただけ」でライブのコンビネタに力を注いでいた様子。コントでは、細身の体型を活かして女役に回ることが多い。

大竹がコントネタとして編み出した「悲しいダジャレ」「悲しい俳句」といった「悲しいシリーズ」は、書籍化されベストセラーとなったほか、2005年にはさまぁ〜ずのコントライブ中に登場するバンド「マイナスターズ」のボーカル(兼作詞)としてCDデビューも果たしている。

特技は剣道(初段)、サーフィン、自動販売機の硬貨速入れ。またカラオケも得意で、『リンカーン』(TBS系列)の「ワンフレーズカラオケ選手権」では高得点を叩き出した。十八番は新沼謙治の「嫁に来ないか」。様々な名義・グループで楽曲をいくつか発表しており、これらの中でその歌唱力の片鱗を示している。更に同番組内の企画で走り高跳びを披露し、見事140cmを跳んで見せた。この他まれにしか見せないが、微妙なものまね芸を持ち、レパートリーに草刈正雄、菊地秀規(いつもここから)、船越英二などがある。

家族構成は両親と4歳下の妹の4人家族。父親は「失踪中でどこに居るかわからない」(本人談)が、コントライブなどの際にふらっと顔を出す。また、父親は当時小学生の大竹一樹名義でスカイラインを購入し、その請求がきたという逸話がある(本人談)。実家が狭く、高校生になっても自分の部屋がなく妹と同部屋だった。高校卒業後、「自分だけの部屋で思いっきりオナニーがしたい」との理由で独り暮らしを始めたという。40歳目前だが、現在も未だ独身貴族。相方の三村は、大竹にも早く家庭を持ってもらって家族ぐるみの付き合いがしたい、と某所で語っているが、今のところその予定はない模様。只、フジテレビアナウンサー中村仁美とは恋人関係にはあると言われていて、2007年中に結婚って言う噂が流れたが今のところそれは否定した。

アメカジファッションにこだわりを持ち、番組出演時の衣装も大抵はTシャツにジーンズ(もしくはカーゴパンツ)、そしてスニーカーというスタイル。三村とセンスがほぼ一緒で、同じコーディネート・同じカラーリングになってしまうことがまれにあるとか。冬場は長袖Tシャツの上に半袖Tシャツを重ね着するのが好き。その他、タオルをハチマキのように頭に巻いていることが多い。 愛車はシボレーのSilverado、所ジョージに番組内で見立ててもらったもので、日本に数台あるかないかのものだという。相撲にも詳しい。

非常に心配性なため、常に薬を持ち歩き「週1ぐらいで病院に行く」と『さまぁ〜ず・さまぁ〜ず』にて語っている。

2005年10月、『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)の「グルメチキンレース・ゴチになります!」に出演した際に最下位となり、同コーナー史上最高額となる54万6,200円を支払った記録保持者である。また、2006年4月13日放送の『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日系)・「芸能界チキンNo.1決定戦!」では、心配性な性格が災いしチキンNo.1の称号を得た。

小・中学校時代の同級生に、文化放送アナウンサーの斉藤一美がいる。

吸っている黄色い箱の煙草はアメリカンスピリット(ナチュラルアメリカンスピリット)のライト。

(出典:Wikipedia)

[PR]
TSUTAYA DISCAS

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。