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ジャイアント白田(白田信幸)

白田信幸(しろた のぶゆき、1979年4月20日-)は日本の元フードファイター、タレント、実業家。愛称、ジャイアント白田(ジャイアントしろた)。栃木県真岡市出身。既婚。フリー。神奈川大学理学部卒業。

【概要】
身長195cm、体重86kgと体格がかなり大きいことからジャイアント白田の愛称があり、近年はこの名称で活動する方が多い。そのほか、フードバトルクラブでは、「大食い大魔人」という異名を取る。現在、バラエティ番組、イベントなどで活躍中。

テレビに出演することが多い為、大食いタレントとして扱われることが圧倒的に多いが、芸能事務所の所属は無くフリーランスであることを理由に素人に分類されることもあり、本人曰く『大食いタレントなのか素人なのか微妙な立場である』という事を公式ブログに書いている。

これまでも多くの番組に出演しており、『フードバトルクラブ』(TBS)などでは、ライバルの小林尊を破り幾多もの優勝を勝ち取っている。


【経歴】
■2001年
・4月 「TVチャンピオン 恐るべし!九州横断ニューフェイス決戦」(テレビ東京系列)で射手矢侑大に次いで準優勝。
・9月 「TVチャンピオン 大食いスーパースター頂上決戦」で射手矢侑大を破り優勝。リベンジをはたした。
・10月 「フードバトルクラブII」(TBS系列)で優勝。

■2002年
・1月 「フードバトルクラブThe King Of Masters」で優勝。フードバトルクラブ2連覇達成。
・4月 「フードバトルクラブThe Speed」で優勝。フードバトルクラブ3連覇達成。
・因みに、この戦いはスプリント競技(早食い)中心の大会で、大会前は誰もが白田のライバルである小林尊が圧倒的に有利だろうという予想だった。しかし、その下馬評を覆して白田が優勝した。今まで早食い系競技をやや苦手としていた白田だったが、この大会においては圧倒的な早食い力を見せた。
・その後、愛知県の中学生が給食中に早食いをして死亡する事件が発生したため、大食い・早食い番組が消滅。同時に、小林尊とともに活動していたFFA(フード・ファイター・アソシエイション)が自然消滅する。
・大食い・早食い番組消滅後、調理師免許取得のため辻調理師専門学校に入学したため(2003年3月に卒業)、大食い・早食い活動をしばらく中断した。

■2004年
・7月 「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権」に日本代表として出場。12分間にホットドッグを38本完食し、小林に次ぐ2位となった。

■2005年
・テレビ東京系列の「元祖!大食い王決定戦」に出場し、次なるライバルは山本卓弥になる。決勝の燕三条系ラーメン勝負で無念のドクターストップとなった。

■2006年
・「元祖!大食い王決定戦」で宿敵山本を下し、見事に優勝。貫禄を見せ付けた。このころから、バラエティ番組(ラジかるッなど)やイベント(フードバトルスタジアムズなど)に数多く出演するようになる。

■2007年
・9月 大会前に大食い大会からの引退を表明。最後の大会となる「元祖!大食い王決定戦」で宿敵山本を下し見事に優勝、有終の美を飾った。引退の理由として、今後飲食店をオープンさせる為時間的な問題で胃袋を限界まで鍛えることが難しいという事や精神的・身体的負担など。今後もバラエティ番組やイベント等への出演は継続する。
・12月 ハッスルで川田利明と「大食い対決」ではなく「プロレス対決」を行うが、ギブアップ負けを喫する。


【主な記録】
■寿司20皿 36.14秒(フードバトルクラブ3 TheSpeed・2002年)
■ホットドッグ38個(ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権)
■カレー20杯 18分56秒(フードバトルクラブThe King Of Masters・2001年)
■30分で寿司85皿(TVチャンピオン・春の新人戦・2001年)
■ショートケーキ68個 16分52秒(フードバトルクラブ2・2001年)
■シュークリーム5分・64個(フードバトルクラブ2・2001年)
■60分で牛丼22杯(フードバトルクラブ2・2001年)


【エピソード】
■元ライバルである小林尊とは仲が良く、2人でよく居酒屋に行っている。また、小林以外にもギャル曽根とテレビ番組で共演したり、山本卓弥や射手矢侑大などさまざまなフードファイターとも交友がある。


ジャイアント白田の大食いブログ


(出典:Wikipedia)

島崎俊郎

島崎 俊郎(しまざき としろう、1955年3月18日 - )はタレント。高知市生まれ、京都市左京区出身。


【来歴・人物】
高知市生まれ。小学4年まで高知に住み、その後、京都府へ。京都府立洛北高等学校卒業。 コントトリオヒップアップを経て、お笑い芸人に。「オレたちひょうきん族」で、「ペーイ」と叫びながら暴れ回る謎のアフリカ原住民「アダモちゃん」を演じ人気に。日本人には人気のキャラだが、外国人からは人種差別と糾弾されるも本人は辞めるつもりは無いようである。

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では「日本初・芸能人バンジージャンプ」企画(オンエア時のタイトルは「島崎俊郎、借金苦で飛び降り!!」)で「お母ちゃーん」と叫びながら落下。視聴者の笑いを誘い、後のテレビバラエティにおける罰ゲーム企画などに影響を与えた。また「ワニとキス」「トラと握手」などの命がけ企画でもその度胸とリアクション芸を遺憾なく発揮した。

「雲と波と少年と」にて鹿児島県・屋久島へ移住する企画を担当していたが、番組打ち切りとともに東京に戻った。

現在はテレビレポーターなどの傍ら、オスマン・サンコンらとのバンド活動を行ったり、テレビ番組で全国を回った経験を生かし講演活動にも力を入れている。芸能人サッカーチーム「ザ・ミイラ」のメンバーでもある。

(出典:Wikipedia)

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島田 珠代

島田 珠代(しまだ たまよ、本名同じ、1970年5月10日 - )は、日本の喜劇女優でありお笑い芸人である。大阪府吹田市出身。吉本興業所属。

吉本新喜劇の代表的女優として1990年代初め頃から頭角を現した。吉本興業の東京進出攻勢に乗り、山田花子と共に全国的に名前を知られるようになった。

1998年4月、当時東京支社所属の吉本興業社員と結婚し上京。2001年、ルミネtheよしもとのオープンとともに東京に完全に拠点を移し、同劇場の新喜劇に山田花子と並ぶ看板女優として現在も出演。

しかし、2005年8月に夫と離婚した。「さんまのまんま」でゲスト出演した際、珠代曰く「明石家さんまから一時的に別居してみたら」と提案されたため、別居したところ、夫がそのまま帰ってこなかったらしい。

2006年10月3日から1週間の公演をきっかけに、なんばグランド花月本家の吉本新喜劇にも復帰した。ただし、現時点では正式に座員に戻ってはおらず、客演扱いの模様。「なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!」(朝日放送)にも度々出演し、番組レギュラーの岩尾望(フットボールアワー)・山田花子とともに『ブサイクピラミッド』としていじられる。またGAORAにて放送された「新喜劇フー!!」に呼ばれたこともあった。


2005年4月に名古屋の中部日本放送(CBC)が制作したTBS系ドラマ「湯けむりウォーズ」で知り合い、島田が離婚した後の同年12月から交際を始めた名古屋在住のテレビマンと約1年8カ月間の愛を実らせ、2007年8月31日に名古屋市内の区役所に婚姻届を提出。新居も名古屋市内に構えた。


【主なギャグ】
■ワァーオ…チ〜ン
男性俳優に対してまとわり付いた後に、股間を指で弾く。
弾かれた男優が島田と「チ〜ン」と弾き返し、互いに弾き合いだすこともある。そのときは「チ〜ンチ〜ンチ〜ンチ〜ンチンチンチンチン、UFO!」といつの間にかピンクレディーの「UFO」になる。

■壁当たり
「チ〜ン」等の後に、ツッコミのような形で、男性共演者に勢いをつけて壁にぶつけられる。ぶつけられる際は、大体「片」の字のようなポーズ(特に足)でぶつかる。そして倒れこんだ後に、「(あなたって)優しいのね。」もしくは「男なんてシャボン玉。」と強がりを言う。前フリとして準備運動をするパターンもある。
因みに2007年1月3日放送の「お正月だよ全員集合SP」では、この「男なんて〜」の部分で「明けましておめでとう。」と言った。
モーニング娘。 19th シングル「シャボン玉」は、珠代の「男なんてシャボン玉。」へのトリビュート的意味合いもあると考えられる(珠代はハロー!モーニング。に数回ゲスト出演)。
この上記のネタに対して、「お正月だよ全員集合SP」で内場勝則が「お前は教育に悪い」と言った。またアメリカ公演の際にも「壁あたり」を披露しているが、お国柄ゆえ「女性虐待」とストレートに受け止められたせいか、冷ややかな反応しか返ってこなかったらしい。

■股間から顔出し
「結婚して〜」「付き合って〜」などと男性俳優にまとわりつき、その流れでさりげなくしゃがみこみ、股間から顔を出すギャグ。股間に挟まれたまま頭をシェイクされ、「気持ちいい感覚〜」などと言うパターンもあった。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070905-00000045-spn-ent


♪飲むコラーゲン『フラコラ500』をたくさんの方が実感しています。★『フラコラ』でピチピチ!キレイになった私を見てもらいたい!(31歳)☆ このぷるぷる感、普通の30代ではありえません!(36歳)

陣内 智則

陣内 智則(じんない とものり、本名同じ、1974年2月22日-)は、日本のお笑い芸人であり、ピン芸人である。兵庫県加古川市出身。兵庫県立高砂南高等学校卒。身長168 cm。血液型A型。 1人コント形式で音声や映像に対してツッコミを入れるという独特なスタイルに定評がある。あだ名は「ジンくん」「ジンさん」、一時期はヨン様にあやかって「ジン様」と呼ばれて(呼ばせて?)いたこともあった。「とものり」の由来は「丸美屋」の「のりたま」から「のりとも」、「とものり」となったということをコントのネタにしていた。妻は女優の藤原紀香。義弟がいる。


【人物】
吉本興業大阪本社所属。大阪NSC11期生。同期には中川家、たむらけんじ、ケンドーコバヤシ、ハリガネロック、ルート33堂土、吉本新喜劇の烏川耕一などがいる。

尚、ココリコ・藤井隆らはデビュー年は一緒ながら、こちらがわずかに先であるため陣内側が後輩扱いとなる(学年的にも陣内の方が2つ下)。

クリエイターの原田専門家(彼も同じくNSC11期生)と共に作った映像や音声を駆使したネタにツッコミを入れるという、ピン芸人として今までに無いスタイルを確立。

3人兄弟の末っ子(兄と姉がいる)。

視力が悪く(両眼共に0.05であった)、以前はコンタクトレンズ・メガネを使用していたが、2007年4月にレーシックの施術により視力が両眼とも1.5にまでなった。


●タイガースファン? (角淳一との舌戦)
『ちちんぷいぷい』の司会者である角淳一とはいつも舌戦を繰り広げていた。プロ野球阪神応援番組『週刊トラトラタイガース』(読売テレビ)の司会に抜擢されるも、実は巨人ファンとの噂もある。本人は阪神ファンだと主張しているが、阪神に関する知識に曖昧な点も多く、松村邦洋やダンカンは陣内は本当は巨人ファンだと主張している。もっとも、この主張に関しては自分達の阪神キャラとしての地位を陣内に奪われるのではないかという危機感によるものとの声もある。私生活で赤星憲広、浅井良や阪神タイガースの若手選手との交流があり、元関西テレビアナウンサーの梅田淳の話によれば、陣内の結婚話が噂になった当日、梅田が阪神の赤星憲広に知らせたところ、赤星は「私、相当前から知ってましたよ」との返事が返ってきた。


●苗字について
名前の良く似た俳優の陣内孝則や、元バドミントン選手の陣内貴美子らとの血縁関係はないが、彼自身の実兄が"たかのり"という名前で、漢字では陣内孝則と一文字違いである(関西のラジオ番組では定番ネタで、日本テレビのバラエティ番組『カミングダウト』などで全国的に明らかに)。また、智則・孝則・貴美子の三人で、関西テレビの『陣内家』という単発番組で共演を果たしている。また、陣内の祖母が死に際に「うちの親戚には役者がいる」と陣内孝則との血縁関係がある主旨の発言をしたという噂があるが、陣内の祖母は生きている。


【経歴】
●NSC入学から「リミテッド」時代
地元の同級生と一緒にNSC大阪校の11期生として入学。同期は、中川家・ケンドーコバヤシ・たむらけんじ・ハリガネロック等。卒業後、その同級生と2人で「リミテッド」と言うコンビを結成(このコンビ名は陣内が「限界」という意味の「リミット」と間違って名付けたものである。「リミテッド」は「制限された」「わずかな」という意味の言葉であるが、本人は指摘されるまでこの勘違いに気付かなかったという)。心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動をスタートさせる。しかし当時の「リミテッド」は「2丁目劇場で一番おもんないコンビ」と言われ、余りのつまらなさに一時期はファンの間で「リミテッドを見ると不幸になる」とまで言われた。(しかし、そうは言われながらもファンの間では愛されていたという)結果コンビは、結成3年後の1995年9月に解散。相方は芸能界自体をも引退してしまった為、陣内自身はピン芸人への転向を余儀なくされる。


●ピン芸人としての再出発
リミテッド解散時、年末の若手ネタ番組「オールザッツ漫才」出演。若手芸人のトーナメント戦で欠員が出た為(相方の突然の不参加による)、陣内が急遽、進行役のオール巨人との協議の結果、1人でネタを披露するという場面があった。センターマイク前に1人で立ち、一発ネタを1人でただしゃべるだけだったが、なぜかウケにウケまくり、3回戦まで進出してしまった。しかし「リミテッド」解散のショックからなかなか立ち直れないでいたなか、ある日吉本側から「次のイベントでスベったら芸人を辞めろ」と、ついに“最期通告”を受ける。プレッシャーからネタ作りもままならず、開演数分前にようやく完成。そのイベントで今までに無いぐらい評判が良かったため、会社の彼に対する評価も一変。次々と仕事が舞い込むようになる。しかし「ネタは面白いのにしゃべりは絶望的」など批判も多かった。1999年10月スタートの情報番組「ちちんぷいぷい」(毎日放送)の月曜レギュラーに抜擢され、同曜日のかつての人気企画「クイズ私鉄沿線」で関西のおばちゃん層への知名度も徐々にアップ。深夜のバラエティ番組「クヮンガクッ」(同)での"レシートすごろく"(梅田をスタート、難波の高島屋をゴールに設定し(その距離はわずか数キロ)、道行く人にレシートを見せてもらい、そのレシートのお店へ行かなければならない。すぐ終わると思いきや日本のあちこちに飛ばされた。ロケ期間約5カ月、その距離15000km以上。東京から北九州を経て沖縄へ飛ばされ、ようやく大阪に帰ってきたと思いきや、次の人に北海道・千歳空港内の店のレシートを渡されたり、カナダの店のチケットを渡されるなど(これはプロデューサー会議の末、予算の都合で無効となった)、予測不能のハプニングが相次いだが、そのおかげで番組の人気コーナーとなる。ゴールは大歓声をもって迎えられた)は、その後「ノブナガ」(中部日本放送)で人気となったコーナー「地名しりとり」をはじめ、各局で類似の番組が多く制作されている伝説的企画となった。


●baseよしもと時代
1999年にbaseよしもとがオープン。FUJIWARA、シャンプーハットらとともに後輩らをまとめる役を買って出ることに。また、この頃から番組やイベントなどでの司会を任されるようになるが、そのなかでも圧倒的に毎日放送での仕事が多い時期があった。そのため、彼は「MBSの若獅子」「MBSと言えば陣内智則」と言われ、ケンドーコバヤシには「(当時同局アナウンサーの角淳一に媚びているのではないかという冷やかしで)角智則に改名しろ」と言わしめたほどであった。

また、2ちゃんねらーから「陣内志ね!(「死ね」ではない。「志」は、「氏」など"し"の読みをする他の漢字に変わることもある)」という"称号"を頂くようになった。これは、過去にオールザッツ漫才やbaseよしもとのイベントなどで、たむらけんじやケンドーコバヤシらが自分に比べて"売れている"陣内のことを「陣内死ね」と揶揄したことを半ば悪ふざけで使っているものであり、決して忌み嫌われているわけではなく、寧ろ陣内に対し好意的なイメージを持っている場合に使われる。


●base卒業後
現在はbaseよしもとを卒業し、うめだ花月やルミネtheよしもとなどで活動。また、2003年に「エンタの神様」(日本テレビ)に出演して以来、東京での仕事も増えているが、現在の彼の活動は平日は大阪で仕事をし、木曜日に「なるトモ!」の生放送と同番組の金曜分の収録が終わるやいなや、午後から新幹線や飛行機で移動し東京で番組収録(「エンタの神様」など多数)や、ルミネtheよしもとの公演をこなしている。また、朝日放送の日曜正午枠の「日曜笑劇場」には、『開運コメディ 今日も大吉!パンパンパン』からフットボールアワーらとともにレギュラー出演(主演)するようになり、『なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!』にも、引き続きフットボールアワーらとともにレギュラー出演(主演)している。

2004年からは、声優など他の仕事も舞い込むようになった。 映画「犬夜叉 紅蓮の蓬莱島」(2004年12月23日公開)では声優デビューを果たす。が、本人は原作を「読んだことがない」「犬が戦うマンガ?」とラジオで発言してしまう。また、実写では2005年に公開された映画「ビートキッズ」(HUNGRY DAYS、相武紗季ほか出演)に、半ば無理やり"大学生D"というエキストラで出演。テレビコマーシャルでは、兼ねてから好きだと公言していたゲームソフト「桃太郎電鉄」(ハドソン)の新シリーズ、「桃太郎電鉄USA」のコマーシャルに出演(若槻千夏、Psycho le Cemuと共演)。これが自身初のCMとなった。2005年4月4日、5年2ヵ月レギュラー出演していた関西ローカルの情報番組、「ちちんぷいぷい」を卒業した。 その後すぐ、日本テレビ系列の番組「ミンナのテレビ」・「世界!超マネー研究所」でレギュラー出演が決定。 両番組は2005年4月から9月まで放送されたが、それ以来、陣内は司会の立場で、全国区や関西ローカルのテレビに出演することが多くなってきている。また、関西ローカルで放送されている「なるトモ!」が2005年10月3日から日本テレビ、中京テレビ、広島テレビ、熊本県民テレビでもネットされるようになった。 2005年12月、映画「ブラック・ジャック ふたりの黒い医者」の声優も務めた。 爆笑オンエアバトルでは初出場にして、元番組最高記録537KB(満点で545KB)をたたきだした。(後にますだおかだが満点で記録更新。)その後16戦16勝という高記録でゴールドバトラーにのぼりつめた。

また、2005年12月31日開催の「輝け!ネタのグランプリ」で優勝し賞金1000万円を獲得した。このことから関西番組を中心に1000万取ったことでイジられることが増えている。

2006年1月19日放送の「なるトモ!」で番組開始から約1時間の遅刻をしてしまう。「陣内智則のひとり番長」生放送終了後、東京から大阪へ向かう新幹線で熟睡、下車する新大阪駅を乗り過ごしたことが直接の原因。この一件は大阪版スポーツ紙などでも報道された。


●藤原紀香との出会い・結婚
2006年4月に、日本テレビ系DRAMA COMPLEX「59番目のプロポーズ」にて陣内は、藤原紀香と出会うことになる。 ドラマ収録後の打ち上げの席で、陣内は藤原に手紙を渡し、そこから二人のお付き合いが始まる。

7月14日のヨシモト∞で、急性扁桃炎にかかっていると告白。声が出なかったためエンタの神様のスタッフに病院に連れて行かれ、ステロイド注射を打ったという。しかし、結局声は出ず「2年間ずっと眠い」という注射の副作用だけが残ることになった。なおこの日に藤原が渋谷∞ホールまで自分の料理したサムゲタンを届け扁桃炎で弱った陣内を元気付けた。(「恋のかま騒ぎ」より)

2006年末になって藤原との結婚の話でメディアに注目され、12月10日神戸市内の生田神社で結納を交わし、2007年2月17日に同神社で挙式(結婚式には、同期のケンドーコバヤシ・たむらけんじやなるトモ!で共演するなるみ・海原やすよ・ともこ・シャンプーハット小出水らが出席した)。この挙式の模様は、同日16:20-16:55によみうりテレビが放送(他には熊本県民テレビ(KKT)がネット)し、関西で18.2%という高視聴率を挙げた。交際をするにあたり、なるトモ!に出演している芸能リポーター駒井千佳子に相談していた。翌日に出演した「ルミネtheよしもと」では、生田神社の様な規制(但しコント出演中の写真撮影禁止)もなく、素でコントをしている所が見れたり、「ルミネtheよしもと」と「映画の試写会」では、「おめでとう」を言う人が多かった。また、結婚により藤原紀香の本名が「陣内紀香」となったが、藤原の方が全国的な知名度が高いため、テレビ等のネタで「藤原智則さん」と呼ばれたり、「いつ藤原姓になるの?」などと言われている。また、結婚を機に東京の藤原の部屋に引っ越し、「なるトモ!」の放送及び収録がある毎週月曜〜木曜は片道3時間にもわたる新幹線通勤を試行している。

2007年4月10日、陣内智則と藤原紀香は加古川市役所にて婚姻届を提出し正式に夫婦となった。


【出来事】
■2005年6月13日放送の行列の出来る法律相談所で、女優・田丸麻紀と交際宣言をしメールアドレスの交換も済ませニュースでも話題になったが、田丸からの返事はいつもそっけない返事ばかりだった。ある日ワイドショーに出演していた田丸に報道陣が「陣内さんと恋なんてことは?」と聞くと「それはないですね」と発言し、それをテレビで見ていた陣内は同法律番組で自身が相談者となって慰謝料を請求した。(これは陣内が田丸と交際するために、その頃交際していた彼女をテレビであっさり振ったところ、ファンやめますというファンレターが大量に届いたり、ライブを開いても空席だらけであったため。)※詳細は外部リンク

■生来の「天然」のせいで、2丁目時代には同事務所の千原兄弟、サバンナなど先輩・後輩問わずいじられまくっていた。特に親友のケンドーコバヤシは、陣内の家に泊まりに行って、「朝起きたらメガネを台所で炒める(それを見た陣内はメガネが炒められていることではなく、「お前かってに火を使うな!」と、かってにコンロを使っていることに怒った)」「メガネをマジックで真っ黒に塗る(その眼鏡をかけて陣内が最初に言った言葉は「世界終わった!!」)」「真夏に暖房をつけて寝ている陣内が出られないように外から玄関を封鎖する」などいじられっぷりは類を見ない。

■尾崎豊の大ファンだが、歌唱力はシャンプーハットのてつじや山田花子と同様、ひどいものである。

■営業などにおいては、一時期、コンビでもないのに同期のケンドーコバヤシとのセットが多く、周りもコンビと見紛うほどであった。彼とはプライベートでも息がピッタリ合っている。

■ある特番の収録中にツッコミのつもりでガッツ石松の頭をたたいたところ、ガッツは怒ってしまった。その後ガッツに謝罪して和解が成立したが、今でもガッツには頭が上がらないようである。

■ネタ番組「すんげー!Best10」で千原ジュニア、山下しげのりとともに披露した、「メガネ部」は、吉本興業の事務所スタッフ内でも伝説となっている。

■「すんげー!Best10」の中でしましまんずの池山心が、当時ピン芸人として瀬戸際に立たされていた陣内をネタに歌を作り、これが大うけしたことがある。歌詞は以下の通り。
♪ 陣内、君は支配人に「辞めろ」って言われたね。
だけど君は、その後こう言っていた。「支配人の方が辞めればいいのに」って。
負けるな陣内 君なら絶対できる 絶対できるよ、サラリーマン
負けるな陣内 君なら絶対売れる 絶対売れるよ ジャリズムが
ABCDEFじんな〜い

■東京に引っ越すまでは、よくチュートリアル徳井の自宅(同じマンション)に勝手に入って「桃太郎電鉄」をやっていたらしい。

■ロンドンハーツで陣内は携帯電話の電話帳で藤原紀香の事を「姫」と登録している事が分かった。

■2006年9月17日放送の「陣内智則のイケメン5in豪州」という番組で、後輩芸人のチュートリアル徳井がゲームに負けて、高さ50mからのバンジージャンプを飛ぶことになったが、徳井は恐怖で飛ぶことができず、番組成立のため自ら名乗り出て代わりにバンジーを飛んだ。また同日行われた、仲の良い後輩芸人ビッキーズ須知のために彼の結婚式の披露宴の司会を行った。

■2006年11月26日にはレイザーラモンHGの結婚式の披露宴の司会を行った。

(出典:Wikipedia)

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柴田英嗣(アンタッチャブル)

  柴田 英嗣(しばた ひでつぐ、1975年7月15日 - )は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビ「アンタッチャブル」のツッコミ担当。

静岡県、静岡市、清水区出身。プロダクション人力舎所属。人力舎のタレント養成所・スクールJCAの第3期生になる。同期の山崎弘也と1994年にコンビを結成する。私立東海大学付属工業高等学校(現・東海大学付属翔洋高等学校)卒。身長167cm、体重53kg。


【特徴】
■大きな鼻と下縁メガネがトレードマーク。

■視力が悪かった頃は、コンタクトレンズを使用していた。

■視力回復手術のレーシック手術を受けている。

■その結果、当初の0.01の視力が1.5にまで回復した。

■その為に、眼鏡はキャイ〜ンの天野ひろゆきなどと同様に、レンズの入っていない伊達メガネに変わった。このため、以前よりも目が大きく見えるようになった。

■2006年夏のとんねるずのみなさんのおかげでした「モジモジくんHYPER」出演時に眼鏡を壊し、一時期は外していたが、2007年2月頃からまたかけるようになった。

■静岡県の出身でありながら何故か喋りが江戸っ子口調である。

■キレツッコミが横山やすしの再来と評価される事もある。

■自らを、キャラ的や見た目に「普通」であると認めている。


【エピソード】
■稲川淳二の怖い話しが好きで昔、その話しをよくしていた事がある。柴田も怖い体験に何度か遭遇した経験があるがいずれも微妙なもので霊感は無いらしい。

■柴田が、かつて住んでいた自宅マンションの下の階にアカペラグループ「RAG FAIR」「ズボンドズボン」のメンバー・土屋礼央が住んでいた。その事を知らなかった柴田は土屋のギター音に対し「うるさい!」抗議していた。後にテレビ番組を見ていて同じマンションに住んでいる事を知った。この件を「虎の門」で告白、謝罪した。

■歌、音楽が得意で、「爆笑オンエアバトル」特別番組ではリードヴォーカルを担当し、「カントリーロード」の演奏に参加したことがある。

■「歌スタ!!」では、音楽クリエイターの堂島孝平に歌声を見初められた。堂島氏いわく「相当かっこつけていいと思いますよ」とのこと。その後、2006年2月1日に『だまって俺についてこい』で徳間ジャパンコミュニケーションズから歌手デビューし、オリコン初登場90位を記録。初回限定盤には、「抽選で1組に柴田英嗣があなたの結婚式で『だまって俺についてこい』を熱唱し、お二人の門出を祝福させていただきます!」というスペシャル企画の応募ハガキが封入されていた。

■運動全般が得意で、過去にプロサッカーチームからスカウトされた経験がある。学生時代には体操部、中学時代は野球部に所属していた。「Qさま!!」では、8段の跳び箱でハンドスプリングを披露する、15段の跳び箱を一回で飛ぶ、鬼ごっこでは松野明美と戦って2勝1敗で勝ち越す、などの成績を残し、エースと言われている。ただ、箱根経験者のジョセフ・オツオリ、元・世界記録保持者のベン・ジョンソンなどが鬼だった時は、柴田だけ他の人よりも本気で追いかけられたため、競技開始後早々に捕まえられていた。

■また同番組の「10m高飛び込み」では公式記録として最速の2秒(詳しくは原西孝幸の項も参照)で飛んだことがある。他にも「シーソービビリ橋」(全長15m・高さ10m・幅45cm)ではスタートと同時に全力疾走し、途中に配置されたバナナの皮やシーソーを飛び越えてゴールに駆け込み、これまた2006年現在最速の3秒でゴールし、他の挑戦者(10分程度)に比べ圧倒的に速い記録を作る。また同番組内では影のリーダー的存在と言われている。

■「伊集院光 深夜の馬鹿力」において「スペシャルウィークの企画がない言い訳として、伊集院光がTBSラジオ局内で原付自転車に甘く轢かれた事にする」という企画の際に、原付自転車で伊集院を(あくまで「甘く」)轢く役目を任されたが、エンジンを吹かしすぎてウィリー状態で局内の廊下を暴走したことがある。そのせいで廊下のじゅうたんに黒々とタイヤ痕が残ってしまい、スタッフが必死で後片付けに追われたらしい。

■相方の山崎共々、伊集院光との交流が深い。「伊集院光 深夜の馬鹿力」内で包茎であることをバラされたり、原付バイクを長い間借りていたりといったエピソードがある。

■動物園のキリンを3時間眺めていられると言ったほど無類の動物好きだが、一番好きな動物はカバ。動物に関するうんちくを語ることがある。

■漁師の町として知られる静岡県、清水市で育ったこともあり、魚・刺身が大好物であるが、肉類(特に牛肉)は苦手(相方の山崎は肉が大好物だが、野菜と魚が嫌い)。しかし、「いきなり!黄金伝説。」でマグロばかりをひたすら食べるという企画をやった後は、一時期、魚も食べられなくなったため、ベジタリアンになりそうになったと語っている。さらに、ずっと食べ続けていたせいか、野菜すらも嫌いになってきたと言ったこともある。その後、にんにく、一万円生活と続き、以前くりぃむしちゅーが達成出来なかったクリームシチューのみを、一週間で500杯食べ続ける企画の中では、人参などの野菜をほとんど柴田が一人で食べていた。肉類は代わりに山崎に任せる約束をしたがすぐに拒否された為、苦手な肉類も柴田が自分で食べる事になった。苦労しながらも、まぐろ、にんにく、一万円生活に続いて、クリームシチュー企画も見事に伝説達成に成功した。

■アンジャッシュの児嶋一哉や、くりぃむしちゅーの上田晋也、劇団ひとりなどの芸人達と仲が良い。

■2005年9月に、入籍を発表(できちゃった結婚)。しかしそれ以前に一度、相手の女性を中絶させており、結婚に至るまでの経過の中で女性が弁護士を立てて話し合っていた事もあったと週刊誌等で報道された。結婚後、2005年11月28日に第一子となる長男が誕生した。

■ところが、2007年2月には妻とは別居中で離婚届を突きつけられていることが判明した。

■MCもしっかりしており、コーナーではよく進行役をつとめる。

■コーヒーが全く飲めないが、内村プロデュースの心理学の企画では、内村光良の差し入れたコーヒーを飲んだことがある。この事は心理学的に見て、尊敬する人物のものは苦手でも受け入れる表れとして、内村を喜ばせた。

■「ロンドンハーツ」内「格付けしあう男たち」のコーナーに出演した際は顔を真っ赤にして怒り続けるキャラを演じたが、ヤセ型・メガネに加えその時のスーツ姿という見た目上の共通点もあって「次の横山やすしの位置を狙っているでしょ」と言われていた。

■昔、ピンでギター漫談家として活動をしていた事がある。これは当時、仕事が殆んど無く相方山崎とも不仲だった為。当時、ビビる大木と仲が良く同居もしていた為に、一時期は大木と組む事も考えていた。

■現在は相方山崎とはプライベートでも麻雀をやったり買い物に行くなど普通に仲が良い。

(出典:Wikipedia)

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次長課長

次長課長(じちょうかちょう)は、東京吉本興業所属のお笑いコンビである。略称次課長(じかちょう)。2人とも大阪NSC(吉本総合芸能学院)13期生。1994年4月結成。当初はトリオだったため、グループ名は「次長課長社長」であった。コンビ名の由来は2人がバイトしていた居酒屋で、社員だった次長さんと課長さんにお金をもらい、励まされたから。


【メンバー】
■河本準一(こうもと じゅんいち 1975年4月7日 - )
ボケ(トーク、一部のネタではツッコミ担当)。岡山県岡山市奉還町出身(生まれは愛知県名古屋市緑区有松町)。市立京山中学校、岡山県立東岡山工業高等学校卒業。身長162cm、血液型AB型。

■井上聡(いのうえ さとし 1976年2月2日 - )
ツッコミ(トーク、一部のネタではボケ担当)。岡山県岡山市奉還町出身(生まれは熊本県玉名市)。市立京山中学校、岡山学芸館高等学校(現・森教育学園岡山学芸館高校)卒業。身長175cm、血液型B型。


【経歴・概要】
《中学・高校時代》
■岡山市立京山中学時代に、野球部で知り合う。遅れて入部した河本が初めて練習に参加した日に、監督が部員にキャッチボールをするよう言ったにも関わらず、1人だけバットを持ってフルスイングしていた井上に話しかけ、一緒にキャッチボールをしたのが2人の出会いである。それからは毎日のように一緒に遊ぶ仲になる。

■2人はこの中学1年のときに出会って以来、今まで一回もケンカをしたことがない。

■幼馴染ということもあり、徹子の部屋では「二人は仲がいい」と評された。

■高校はそれぞれ違う高校に進学したため一時期疎遠となったが、高校2年生の時に河本が井上宅に遊びに行き再会。再び交流が深まる。

■河本は小学校から9年間サッカーをやっており、高校時代はチームのキャプテンを務め、国体の岡山県選抜メンバーにも選ばれた。夢はJリーガーだったが、高校2年秋に素人名人会という番組で敢闘賞を貰い吉本興業入りを決意。選抜に選ばれるほどの実力の持ち主だったが、Jリーグからのオファーは全く無かった。

■高校卒業後、井上は親戚が営んでいたガラスサッシの枠を作る会社に就職が決まりかけていた。しかし河本から「吉本に入ろう!ジャッキー・チェンに会えるで!!」と誘われ、そのまま現在に至る。井上を誘った理由は「友達の中で、井上が1番おもしろかったから」。


《大阪時代》
■2人はNSCに入学するため、18歳で地元岡山から大阪へ。

■NSCの面接試験の際に、河本は笑いに対する想いを熱く語って合格したが、井上は指されずに何も発言しなかったにもかかわらず受かってしまった。(NSCは黙って話を聞いていれば合格できるらしい。陣内智則談)

■1994年4月結成。NSC在学中は河本準一・井上聡・山下正人のトリオで「次長課長社長」だったが、わずか1年程で社長の山下が「岡山に帰ります」という置き手紙を残して居なくなってしまい、脱退してコンビとなった。

■社長(山下)は現在、東京の新宿で美容師をしている(実際に「カミングダウト」2005年3月22日放送分の中で判明)。そのため、2人は山下に髪を切ってもらいたいのだが、料金はきちんと取ると言われているので頼んでいない。しかし今でも交流は続いており、笑っていいとも!のテレフォンショッキングに初登場したときには電報を送ってくれたり、時々ルミネtheよしもとにネタを見に来るなど、誰よりも次長課長を応援している。

■NSCの同期には同事務所の野性爆弾、ブラックマヨネーズ、徳井義実(チュートリアル)、増田裕之(ルート33)、現在は俳優の三浦誠巳がいる。また吉本外に移籍した者では藤井宏和(飛石連休)、くわばたりえ(クワバタオハラ)、超新塾、諸岡立身、チャンス大城らがいる。この世代は「花の13期生」とも呼ばれる。

■ほぼ同期にはシャンプーハット、タカアンドトシなどがいる。また、半年後輩にはガレッジセール、フットボールアワー、1年先輩にはロンドンブーツ1号2号、DonDokoDon、ペナルティなどがいる。年齢が上である品川庄司(品川は3歳上で庄司は同学年)は1年後輩にあたる。

■河本は19歳の時、ホストの経験をした事がある。度々披露しているタンバリン芸は、このホスト時代に覚えたものである。また、働いていたホストクラブでNO.3だったと言い張っているが、実はその店にはホストが4人しかいなかった。

■1995年、心斎橋筋2丁目劇場よりデビュー。2丁目劇場閉鎖後は、1999年オープンしたbaseよしもとの主力メンバーとして活躍。単独ライブのタイトルに東京23区の区名をつけ、全23回開催。2002年9月23日の「中央次課長」をもって、本人達の意向によりbaseよしもとを卒業。

■卒業ライブでは407人というbaseよしもと観客動員記録を作る。(この記録は未だに破られていない。)ちなみにbaseよしもとの座席数は233席。

■東京23区ライブシリーズには、フットボールアワー、ストリーク、レギュラー(7区目〜)らが毎回出演していた。

■レギュラーの「気絶」ネタは次長課長が考えたものであり、松本康太は井上の家に半年間、河本の家に1年間居候していたことがある。

■河本が椎間板ヘルニアで入院した際、井上は師弟関係にあるケンドーコバヤシとコンビを組み、一緒に学園祭などの仕事を行っていた。ツッコミなしでボケにボケを重ねる形のネタを披露し、非常にウケて好評だったらしい。

■しかし、河本が退院した直後に行われた次長課長単独の復帰ライブはだだスベり。劇場の三階にある本屋のレジの「チーン」という音が聞こえるほどのスベりようで、劇場の伝説になっている。

■当初は井上がボケ・河本がツッコミだったが入れ替わった。舞台やネタ番組ではコントが主だが漫才をやることもある。さらにごく一部のネタでは今も井上がボケを行うネタがある。(井上がボケて河本にモノマネを振り、河本がモノマネを披露してからノリツッコミするもの)

■チャイルドマシーン(解散)が東京に行く際、カラオケで号泣しながら(シャ乱Qの上京物語)歌って彼らを送った。

■2001年に一度だけ、第1回M-1グランプリに出場したことがある。(2回戦敗退)


《東京進出後》
■2002年10月、東京進出。ルミネtheよしもとの舞台などに出演。

■東京ではしばらく芽が出なかったが、2004年頃からマニアックなものまねが注目され始めた。舞台やネタ番組ではロングコントも披露するが、その際も河本がマニアックなものまねや特異なキャラを使ってボケることが多い。

■2003年秋から、TBSの深夜番組「U-CDTV」でネタ見せのコーナー「お笑いCDTV」ライブが始まり、次長課長だけが毎月必ず出演。東京では珍しく、いくつかの代表的なネタが完全放送された。この番組をきっかけとして、次長課長が、東京のテレビ関係者に認知されはじめたらしい。(この時、マニアックモノマネの「Vシネマ」(当時のタイトルは「ヤクザのセックス」)なども完全に放送された。)TBSに関しては、「お笑いCDTV」終了後、同じスタッフが始めた「Goro's Bar」での東京初レギュラー出演につながり、さらに、「うたばん」出演や単独冠番組「次長課長のヨイショ!」などへとつながった

■マニアックなモノマネは、大阪時代、楽屋で中川家と一緒だったとき「こんな人おるな」という細かいモノマネを競い合ったことから生まれたもので、いわば中川家と共同開発したネタである。今でも中川家と同じ楽屋のときは、楽屋内4人で即興コントをすることが多い。

■河本のキャラで特に代表的なのは「とんねるずのみなさんのおかげでした」に出た際にジャッキー・チェンの映画に出てくる脇役の真似で「お前(オメェ)に食わせるタンメンはねぇ!」がよく知られている(初めて出た時は「お前に“食べさす”タンメンはねぇ!」であったが)。ちなみにこのフレーズは河本がアドリブで考えたもので、本当は「そうは酢豚の天津丼だ!」だった。

■伊東家の食卓に出演した時に相方・井上にしたタンメンは、井上に対する初めてのタンメンだった。

■あくまでコンビ名なのでどちらが次長でどちらが課長というわけではない。だが、ごくまれにバラエティ番組で「次長 河本」「課長 井上」という設定になることもある(タモリ倶楽部に出演した際には「吉本工業 Yoshimoto Industry」という名刺を出したことがある)。

■「めちゃイケ」内のコーナー『恋のかま騒ぎ』では次長子が河本、課長子が井上という設定である。

■ズバリ言うわよ!(2005年3月8日放送)で細木数子に「このコンビ名だと井上が貧乏になる」と指摘され、本気で改名をするか迷ったがとりあえず改名は拒否した。その後、逆に大ブレークが続いている。

■コントのネタ作り以外は、相方である井上をこの世界に誘ったのは河本。東京行きを決めたのも河本。ゆえに2005年10月31日放送の『めざましテレビ』の広人苑IIでは「ネタ作りの主導権は井上、人生の主導権は河本」と語る。

■2005年以前、TBS系列『さんまのSUPERからくりTV』の前説を担当していた。2005年12月18日、同番組にゲストとして初出演。長年続いている長寿番組だが、前説を行っていた芸人がゲストとして出演するのは初めてであった。

■井上は「マンスリーよしもと」が毎年恒例に行っている吉本男前ランキングで2006年度、2位に倍以上の得票差をつけてダントツの1位に輝いた(ルミネtheよしもとのお客さんに聞いた「抱かれたい芸人ランキング」でも初の1位を獲得。また「子供にしたい芸人」では7位)。河本は「吉本ブサイクランキング」の8位、「お父さんになってほしい芸人」3位にランクイン。

■2006年3月28日に放送された「祝!ズバリ言うわよ!細木数子誕生祭!2週連続2時間スペシャル第1夜!!」にて、井上が芸能界に入るきっかけとなった人物であり、河本も大ファンのジャッキー・チェンとの共演を果たした。井上は『プロジェクトA』のワンシーン「テーブルの上で歌う人のまね」、河本は「オメェに食わせるタンメンはねぇ!」をそれぞれジャッキー本人の前で披露した。

■「晴れる道 〜宇宙人(オメェら)に合わせる顔がねぇ!〜」でCDデビュー(2006年5月31日発売、R and C)。JK名義で出しており、テレビ東京系アニメ『ケロロ軍曹』の4代目オープニングテーマとして2006年4月〜9月に放送された。作詞も手がけており、プロデュースは小室哲哉である。

■大阪時代は必死で覚えた岡山訛りの関西弁で話していたが、東京進出後は標準語を使う事が多い。

■河本は井上に今年の誕生日プレゼントをあげるために、後輩等から「井上の今一番欲しいもの」を必死にリサーチしていた。そして楽屋で二人きりになった後、「じゃーん!」と盛り上げてからプレゼントをあげたらしい。ちなみに中身は「ゼルダの伝説」。(2007年4月10日のヤンピース!より)

■しかし当の井上は河本の誕生日に何もあげなかったらしく、「おめでとうくらい言ってくれても・・・・」と本人は嘆いていた。

■最近は河本はメタボリック症候群、井上はおバカキャラ(たまにド天然)としていじられることが多い。

(出典:Wikipedia)

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庄司智春

庄司智春(しょうじ ともはる、1976年1月1日 - )は、吉本興業所属のお笑い芸人。品川庄司のツッコミ担当であり、すぐ脱ぎたがる方。立ち位置は向かって右。相方は品川祐。身長176.2cm。東京都大田区蒲田出身。私立東京実業高等学校卒業。東京NSC第1期生。同期である品川祐と1995年にコンビ結成。


【人物・性格】
■ツッコミの技量は「勢いだけ」と批判される一方で、的確な間を計りキッパリとツッコミを入れる声には評価が高い。またココリコミラクルタイプや単独ライブでのコントなどでは自然で表情豊かな演技力を見せる。

■NSCに入る前はヤナセのサラリーマン。退社後は羽田空港で飛行機の清掃のアルバイトをしていたことがある。

■好きな服のブランドはBAL(旧balance wear design)。

■ヴィンテージジーンズなどの古着が好き。女性のファッションにも興味があり、付き合っている彼女のファッションセンスに我慢できずに庄司が彼女のトータルコーディネイトを行なったことがある。

■タンクトップを70枚以上所有している。

■世界で一番好きな食べ物はカレー。ただし辛い食べ物は嫌いなので辛口は食べられない。

■苦手なものはレーズンと酒(コロナ以外ほとんど呑めない)。

■東京生まれの東京育ちだが大の阪神ファンである。

■長渕剛を敬愛するが故にギターとハーモニカをマスター。その腕前はなかなかのものであり、2006年のコントライブで披露している。

■漫才やコントではツッコミ担当だが性格はやや天然ボケで、バラエティではボケ担当の相方にツッコまれる(又は呆れられる)場面もしばしば見受けられる。

■ネプリーグでは、歌詞の穴埋め問題で出題時に流された歌につられて答えの部分まで歌ってしまった事がある(別の問題に差し替えられた)。


【筋肉質】
■東京実業高等学校時代に野球と水泳をやっていたことから筋肉質だが、童顔のために顔とのバランスが合わないその身体はコンプレックスだった。

■自分の筋肉を鏡で見ながら「あー、コンプレックスだわ」とぼやき、品川が「本当にコンプレックスならそんなことするか?」と嫉妬したエピソードがある。

■駆け出しの頃「芸人のくせに筋肉質だと脱いだ時面白くない」「痛がったり熱がったりしてもウケない」と己の肉体を呪っていたが、相方の品川が「庄司の肉体を活かす」「むしろ筋肉質だからこそ面白い」と逆転の発想によるアドバイスを行い、現在のスタイルと人気を確立させた。

■「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の「ハイテンション ザ・ベストテン」では「平成のパピプペポ」で肉体美を披露し、遠藤章造の「ホホホイ」以来の傑作と評価された。以後度々ガキの使いでは平成のパピプペポを披露しており、「お笑い好きの引き篭もりを部屋から出す」という企画で「ホホホイ」と競演した。

■脱ぎ癖が発展して下ネタに走ることが稀にあるが、「庄司の下半身はいやらしくない」とは本人に加え品川も認めるところである(曰く「ギリシャ彫刻みたい」)。

■腕相撲が苦手でリンカーンや笑っていいとも!で山口智充、品川と腕相撲をした際は秒殺された。

■2006年7月のコントライブを前に約1ヶ月で10kg以上もの減量に成功。理由はそのコントの役作りの為、あるいは10月のスポーツマンNo.1決定戦出場の為といわれている。

■「クイズ!ヘキサゴンII」2006年8月30日放送分で「もし明日から自分の肉体がアンガールズの山根良顕になったら何円で納得できますか?」と言う質問に「1億円貰わないと納得できない」と答えていた。それだけ本人の筋肉を大事にしている結果とも取れる。

■社交ダンス番組「シャル・ウィ・ダンス?〜オールスター社交ダンス選手権〜」第1戦ではパートナー無視でダンス中に筋肉を露出したり肝心のステップはおぼつかない足取りで観客は爆笑、審査員には酷評され、出演者の南原清隆などには「お笑い要員」と言われてしまった。「これは笑わせているんじゃなくて、笑われている」と悔しがった。

■真剣に特訓を積んだ決勝戦のダンスは審査員にもおおむね好評で、審査員得点は5組中2位。最終的な総合成績は3位と健闘した。

■SPA!2006年男性読者が選ぶタレントランキング「男性が理想に思う体型」部門にて、新庄剛志に次いで二位にランクインした。

■ビリーズブートキャンプにはまっている。


【家族】
■実家は、スチュワーデスが物を取るときに使う台のバネを作る町工場を経営。

■長らく漫才等でも「ここ笑うところじゃないですよ!」とネタにしてきたが、実際は実家で「スチュワーデスが物を取るときに使う台」の設計図を見た事があるだけである。(更に「バネ」は笑いをとるために品川が加えた捏造であることをアンタッチャブルのラジオで暴露した。)

■今は、副業としてスナックを経営している。

■実家に住んでいた頃は屋上の上に設置されていたプレハブ小屋を自室としていた。

■しかし番組企画で違法建築だったという事が発覚し(そのせいで雨漏りなどが起きていた上、屋上の床が沈んできていることが発覚した)、思い出諸ともプレハブ小屋は破壊された。

■両親は自身初めての冠番組「品庄内閣」(TBS)に度々登場し、素晴らしいキャラクターを発揮した。

■「笑っていいとも!増刊号」でも実家ロケなどで家族が何回か登場。05年11月23日の放送で父親が「ちょい不良コンテスト」に出て優勝した。推薦者は母親。

(出典:Wikipedia)

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品川祐

品川祐(しながわ ひろし、本名:片岡祐 、1972年4月26日 - )は、吉本興業所属のお笑い芸人。品川庄司の短髪(坊主のときもある)の方。ボケ担当。立ち位置は向かって左。相方は庄司智春。173.6cm(「ぷっ」すまで測定)。A型。


【家系】
母親は、美容家で国際魅力学会会長のマダム路子(品川路子)。父親は、山野グループの株式会社ヤマノ代表取締役社長山野凱章(2007年3月10日死去、享年68歳)。祖母は、山野愛子。美容家山野愛子ジェーンは従姉。まだ幼いころに両親が離婚し、母親に引き取られたために父とちゃんと会ったのは高校入学時。その後もほとんど会う事は無かった。しかし、山野凱章は品川に内緒で舞台を見に来るなどしていた。長姉はヘアスタイリスト。次姉はシナリオライター・エッセイスト。兄は映像プロデューサー。祐は次男で末っ子。

2007年3月、母のマダム路子が俳優の片岡五郎と再婚。実際は祐が中学生時代から片岡が父親がわりであったとブログで公表している。


【プロフィール】
■東京都渋谷区出身。

■渋谷区出身とあるが、サイト等によっては大田区出身となっている。

■子供時代は渋谷区で国語が2位である程頭が良かった。

■志学館中学校(現志学館中等部)在学中、不良漫画に憧れ公立である狛江市立第三中学校に転学。東京都立足立西高等学校中退。

■高校時代はグレて非行に走った、とテレビ番組で暴露している。

■番組中で「姉の腹部を蹴る」「何回も警察の少年課に世話になった」などの逸話を披露した。

■高校中退後、フリーターとなる。

■東京都生まれの東京都育ちだが、長いフリーター時代に広島に1年間住む。この1年は「空白の1年」と呼ばれ謎が多いとされる。

■その後、23歳で東京吉本総合芸能学院(東京NSC)に入る。同校第1期生である。同期の庄司智春と1995年にコンビ結成。

■NSC時代、庄司とコンビを組む前は「ツープラトン」というコンビを組んでいた。

■カラオケパブの司会をやっていたことがある。

■アルバイトで東京都庁の床を張り替えたことがある。


【特徴】
■ボケの特徴は、多彩な人格を演じ分ける点と、同じ台詞をとにかくしつこく繰り返す「ウザさ」である。

■「島田検定SUPER!!」にて、PQ(創造性)指数で全問正解で最高得点を獲得するほど知恵がある。

■知恵だけでなく雑学なども熱心に勉強しているためクイズ番組に出演する機会も多いが、披露した薀蓄を伊集院光に訂正されることもあり、知識のほうは案外浅学と思われる。

■1$=365円←360円

■森(自然)、林(天然)←人工 など

■芸人の世界に足を踏み入れたのが23歳と遅かったため、自分より年下の先輩が多い(陣内智則・たむらけんじ・田村淳・次長課長など)。

■インパルス・山里亮太(南海キャンディーズ)・家城啓之(カリカ)など、交友関係は派閥に関係なく幅広い。

■美少年好きでSMAPのコンサートに一人で行ったりしている(といってもこれはネタの一つであり、真意は不明)

■レギュラーや準レギュラーなど、常連として出演しているほとんどの番組で、SMAPのコンサートの木村のパートで雨が降った時のエピソードを披露し、オンエアされている。

■かなり几帳面で、何でも自分でやらないと気がすまない性格。

■相方の庄司以上に長く連れ添っている妻がいるが、炊事掃除洗濯などほぼ全ての家事は品川が行っているという。

■とても涙もろい。M-1グランプリ決勝進出の知らせを今田耕司に電話で伝えた際、今田の温かい言葉に感動し「ありがとうございます」と言いながら大号泣した。

■ダウンタウン松本人志に認められる程のドM。

■「ガキの使い」の人気企画「七変化」に自ら名乗りをあげた。最初の3つ目までは良い調子だったが(その時点で11000円)、結果は12000円と不本意な成績に終わった。品川は「4つ目が終わったあたりから心が折れてました」とコメント。

■「リンカーン」でプライベートを探るドッキリの企画において、素の性格の悪さが露呈した。

■仕掛け人のタクシー運転手に終始無愛想な態度をとり、「品川さんですよね?」と聞かれて「(自分よりも後輩である)レギュラーの西川です」と平然と嘘で返し、「持ちネタやってください」と頼まれるとあるある探検隊を披露。更にガムパッチンやオナラの悪戯をされた時にも運転手を睨みつけたりした。

■マネージャーに「ピンで映画『少林サッカー』に出演するか、コンビで深夜の冠番組を持つか、どちらにする?」と迫られた際、「映画でしょ」と即答した。更に「冠番組のオファーがあったことは庄司は知らないほうが幸せ」「庄司が冠やりたいとか言って映画がなくなるのはやめてね」と笑顔で念を押した。

■ロンドンハーツの格付けコーナーで、キャバ嬢から「カモにできそうな芸人」のアンケートを取ったところ、品川は最も「カモにできなそうな芸人」であった。理由は「奥さんを大事にしてそうだから」や、「口が達者なので逆にカモられそう」というものであった。

■「品川です!」と言いながら右目の前に右手で作った横向きのVサイン(掌側を相手にむける)をあてるポーズをツカミのギャグにしている。一時期封印していたが、最近復活した。

■山手線の品川駅に到着するアナウンス「次は品川、品川です」の「品川です」にあわせてその物まねをした人がいることをテツandトモは「なんでだろう」のネタにした。

■相方の庄司が筋肉キャラを確立してから自分もジムに通い始め、最近は引き締まった体型に(以前は自分のたるんだ身体と庄司の身体のコントラストで笑いをとっていた)。

■SPA!2006年男性読者が選ぶタレントランキングで、「意外と頭が良さそうなタレント」に5位、「インターネット(での評価)を気にしていそうなタレント」で1位にランクインしているという。

■後者は、爆笑問題の検索ちゃんで暴露した、後輩芸人に「品川って面白いよね」と2ちゃんねるに書き込ませていたエピソードの影響が大きい。現在はむしろ自分の悪口を見て傷付くことを恐れ、一切見ないようにしている。


■土田晃之とは普段から仲が良いのか雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!等でなぜか同氏と共演する機会が多い。また、品川は(自称)吉本芸人屈指のアニメオタクでもあり、アメトーークでの「ガンダム芸人」に名を連ねたり、また他局の番組内にて「(前略)オラに力を分けてくれ!」という様なアニメのセリフを突然発していたこともある。ただ、ガンダム芸人としてアメトークに参加した際には、ガンダムの有名な固有名詞である「黒い3連星」を「黒い3連戦」と連呼したり、黒いザクのプラモデルをドムと言ったり、自分の記憶に強く残っていると紹介したシーンの登場キャラの名前を間違えたりと、実際にはガンダム芸人と呼ぶには無理がある程度の知識しか保有していない。他にもいくつかの分野で○○芸人として登場しているが、それらに関するトークも有名なエピソードや曖昧な知識で語ることが多い。

■「笑っていいとも!」では、久本雅美に顔立ちから見て「ジャガイモ」や「おはぎ」、「ゴマ団子」と呼ばれたことがある。

■逃走中では脚力を生かし最後まで逃げ切りみごと60万円を獲得した。
TBSの番組「DOORS」で2006年優勝している。極度の高所恐怖症ということが伺えながら最後の決勝では驚異的集中力を発揮した(本人は早くこの場から去りたかった)。

■次長課長・河本と特に親しく、親友とよべる間柄である。

■禁煙に成功した。(「禁煙セラピー」著:アレン・カー 訳:阪本章子 /2007年2月20日発行)より。品川はこの本のブック・カバーのコメントを記載しており、「ボクは1日4箱タバコを吸っていました。絶対やめられないと思っていたけど、読んだら本当にやめられた。不思議だけど、やめられますよ、これ!!」と書いている。

(出典:Wikipedia)

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品川庄司

品川庄司(しながわしょうじ)はお笑いコンビ。吉本興業東京本部所属。通称品庄(しなしょう)。

M-1グランプリ2005ファイナリスト。4位。


【メンバー】
■品川祐(しながわ ひろし、1972年4月26日 - )ボケ担当。身長173cm。立ち位置は向かって左。母親は、美容家で国際魅力学会会長のマダム路子である。

■庄司智春(しょうじ ともはる、1976年1月1日 - )ツッコミ担当。身長176cm。立ち位置は向かって右。実家は大森でネジ工場を営んでいる。


【コンビについて】
■2人共に東京吉本総合学院(東京NSC)の第1期生であり、1000人ほどいたNSC第一期生で現在も吉本興業で活動しているのは品庄だけである(他事務所では東京ダイナマイトのハチミツ二郎、ルーシーの穴井一久も東京NSC1期生)。1995年コンビ結成。品川はロンドンブーツ1号2号の田村淳より1学年上だが、芸暦としては淳よりも1年後輩であるため、淳に「品川」と呼び捨てで呼ばれている。

■当初のコンビ名候補は「ミサイル」「オレンジジュース」などで一時そのコンビ名で活動していたこともあるがいまひとつだったため、現在はNSCで仮に決めた「品川庄司」に戻して活動している。

■「品川庄司」という語感から、ピン芸人あるいは会社名(品川商事)と誤解されることもある。

■本格的なしゃべくり漫才からコントまで、幅広いジャンルをこなす。ネタの台本のほとんどを品川が作成している。

■以前、庄司に漫才ネタを書いて貰ったところ、二人でやるネタなのに登場人物が三人になっていた為、その後はすべて品川が台本を書くようになった。

■役割としては、品川がボケで庄司がツッコミだが、上記の通り庄司が天然ボケなので、フリートークでは役割が逆転する。

■コンビ仲の悪さをよくネタにしており「楽屋では全く喋らないほど仲がギクシャクしている」などと自称している。実際にラジオで生放送中にマジ喧嘩をしたことがある。

■「爆笑オンエアバトル」では第3回チャンピオン大会に出場。ボール2個差でルート33がチャンピオンを防衛し惜しくもチャンピオンを逃す。セミファイナルでは501KBを獲得しており、これが彼らにとって唯一のオーバー500である。 

■2000年代のお笑いブームの少し前に売れてしまった為、「自分達はお笑いブームに上手く乗れていない」と自虐的に(僻み雑じりに)発言する事がある。だが、ひな壇芸人として活躍しており、ゲスト出演も多い。そのため、決して勢いだけではなく、お笑いブームの中で安定したポジションを選んだといえる。

■2005年、「M-1グランプリ」決勝戦にラストチャンスの10年目で初めて進出。ネタを島田洋七に「番組が盛り上がる」、島田紳助からは、「10年目だけあって稽古量が伝わってきて感動した。」と言われるが、結局最終決戦には進出できず4位に終わった。

■M-1グランプリ2001には不参加だったが、「2002」には参戦。M-1は売れていない若手漫才師のプロモーション的側面が大きいことから、島田紳助からは「あれだけ売れてるのに参加するとは偉い」と言われた(結果は準決勝で敗退)。「2003」には不参加。「2004」には再度参戦したがまたも準決勝で敗退している。

■2006年8月28日放送の「東京フレンドパーク」2に出場。全種目劇的な展開となり(例:対ホンジャマカのハイパーホッケーでは2対6の絶望的な状況から7対6で逆転勝利)、全5種目中4種目をクリアし金貨5枚を獲得。知力・体力・コンビネーションの良さを見せた。しかしながら最後のビッグチャレンジでは、ハズレアイテムであるたわしを4つ(内3つは景品と景品との間の小さな枠)立て続けに獲得するというある意味快挙を達成。

■2007年2月の「笑っていいとも!」で「こんにゃくゼリーを使って超ラブラブ体験」の企画で梨花が庄司の口元にこんにゃくゼリーを近づけていたところに割り込んで品川がキスをしたことがネット上で話題になった。庄司は全くそれに気づかず「すっげえ柔らかい」と興奮していた。

(出典:Wikipedia)

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ジャリズム

ジャリズムは、渡辺鐘と山下しげのりによる、お笑いコンビ。吉本興業所属、ともに大阪NSC10期生。


【メンバー】
■渡辺鐘(わたなべ あつむ、1969年8月27日 - )滋賀県高島郡安曇川町(現在の高島市)出身。NSC10期生。ボケ担当。放送作家でもあり、しりとり竜王戦五段。B型。

■山下しげのり(やました-、本名:山下栄緑(やました しげのり)1968年10月29日 - )香川県高松市出身。NSC大阪校10期生。ツッコミ担当。顔の脂の量が多く、目が開けられないほど出ることがある。そのためか小鼻の横が臭い。O型。


【略歴】
■1991年11月、「山下・渡辺」としてコンビ結成。1992年5月、「ジャリズム」に改名。「子供(ジャリ)主義(イズム)」の意味を持つ。

■1994年1月、第15回ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞。

■1998年12月解散。

■2004年復活、2005年のM-1グランプリではともに準決勝まで進出したが、敗者復活戦で敗退。


【概要】
■かつて大阪でかなりの人気を集めた。

■渡辺の書くシュールな笑いは千原兄弟とともにポストダウンタウンとしてその存在を知らしめることとなった。

■ネタの完成度は非常に高く、「葬式DJ」などはダウンタウンの「誘拐」に匹敵するくらいクラシックな輝きを放っており、以前TBSの番組であった「明日のダウンタウンを作れ」の子供漫才コンテストなどで出演者の子供がパクってしまうほどのものであった。(ちなみに優勝は現在のりあるキッズ)

■また「バカドールシアター」は渡辺の天才っぷりが発揮されている傑作であり、当時はもちろん今も伝説的ネタとしてそのファンは多い。

■その勢いで東京進出したものの大阪時代のようにはうまく行かず、また山下自身将来への不安を抱き吉本興業の社員への道を会社と相談。会社側はOKを出すが、これは”4年制大学を卒業してから”という意味だが、勘違いした山下は一方的に解散。このことはナンバ壱番館で後に語られている。当時ポストダウンタウンの位置とまで言われていたコンビの解散だけにこの解散報道は若手コンビとしては珍しく関西のスポーツ新聞にも大きく報道された。その後、早とちりに気づいた山下は再び渡辺に復活を打診するも上記の理由によるいわば我がまま解散であったため渡辺は拒否。

■以後、山下はピンで『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』などに出演、渡辺はお笑い番組の構成作家として活動していたが、2004年2月、ライブ「元ジャリズムまつり」にて復活。(一説では王シュレット事件に作家としてかかわっており、その後処理の過程で渡辺にジャリズムの復活を思い切らせたとも言われている)

■またダウンタウン松本が渡辺にあった際に当時そば屋でアルバイトしていた山下の近況を心配し「(芸人引退への)カウントダウンはじまったで」の一言で再結成を決意したとも言われている。

■復活後は解散前の時代からタイムマシーンでやってきたかのような当時のままの芸風で当時のファンには高い評価を受けるが、一般的な評価はあまり芳しくないようである。

(出典:Wikipedia)

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ジミー大西

ジミー大西( - おおにし、本名:大西 秀明(おおにし ひであき)、1964年1月1日 - )は、元 お笑いタレントで、現在は画家である。吉本興業所属。大阪府八尾市出身。


【来歴・人物】
大阪府八尾市立安中小学校時代は、ボーイズリーグ八尾フレンドに所属。4年後輩に桑田真澄がいた。八尾市立成法中学校時代も野球部で活躍、高校はスポーツ推薦で強豪の大商大堺高校に進学した。しかし、ベンチのサインが覚えられずにレギュラーになれなかった。高校在学中から吉本へ入り、なんば花月の舞台進行役を経てぼんちおさむに弟子入り。その後吉本新喜劇などを経て「おおにしこにし」という漫才コンビを結成したが、どうしてもジミーだけが目立ってしまうため長続きしなかった。

明石家さんまが運転手としてジミーの面倒を見るようになってからは、さんまによって才能を引き出され、数々の一発ギャグを身に着けていく。この運転手時代に料金所で車の窓を開けるのを忘れて手を窓に思いっきりぶつけて手を骨折してしまったというエピソードがある。特に、人から決まった言葉を振られた後に返すタイプのギャグが有名。「ジミーちゃんやってる〜?」と振られたあとの「やってる、やってるぅ〜」や、「ジミーがんばれよ」と振られたあとの「お前もがんばれよ!」、股間を触られたときに発する「ふるさと〜」または「エクスタシー」など。これらのギャグが評判となり、天然ボケ芸人として全国的に人気を博した。芸人として絶頂期を迎えていた1996年頃に、後述するテレビ番組の企画によって芸術の才能を見出され、芸術家の道を歩むことになった。松本人志は引退に際し、「もったいないな!あいつには誰も勝たれへんで!辞めなあかん奴いっぱいおんのに」とジミーの才能を絶賛していた。

萩本欽一に「このボケが意図的であればチャップリン以来の天才喜劇役者だ」と言われた。しかし個室で2人きりで話をして部屋から出てきた萩本の第一声は「天然だったね…」というがっかりした声であった。

山崎邦正も、初対面でジミーと個室で2人きりになったときに、山崎が何を聞いても、ジミーは「ウホッ、ウホッ」としか話さなかったと述懐している。

異常に嗅覚が鋭く、ある番組の企画で犬に勝ったことがある。またパニックに陥ると頭や顔を掻きむしる癖がある。

現在は画家に専念しているが、さんまの舞台公演への出演、それ以外にも時折テレビにも出演し、かつてのオトボケぶりを発揮している。但し現在、TV では妻の親族から昔のようなギャグやボケをするのを禁止されているらしい。しかし振られるとついつい反応してしまうそうだ。 テレビ出演で有名なものは、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!の罰ゲームスペシャルでのビデオ出演など。

さんまの舞台公演「明石家さんまプロデュース 今回もコントだけ」については、画家転向後の一時期は出演を見合わせたが、2002年に10年目の記念ということでゲストとして復帰、2004年のPart.11以降は再びレギュラー扱いになっている。

「ひょうきん予備校」に出演していたときは(本名の大西秀明名義)現在では考えられないほどのしっかりもののキャラで、キレのあるボケやツッコミで周囲を爆笑させていた。

2006年出演の「いつみても波瀾万丈」にて岡本太郎は目標、明石家さんまは親みたいなものと答える。


【画家として】
「EXテレビ」「世界ウルルン滞在記」などのTV番組企画にて絵画作品が抽象画家などの専門家によって評価され、1993年に初めて個展を開催。動物などをテーマとしたシュールな画風と鮮やかな色彩感覚で画家として注目脚光を浴びた。また、作風としなやかな発想が山下清に似ていた事から「平成の山下清」と称された。

旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)のキャッシュカードと通帳、ボジョレー・ヌーボーのラベル、bloodthirsty butchersのアルバム『未完成』のジャケットなどを手掛けた。

香川県坂出市の川崎造船坂出工場で建造された天然ガスタンカーにはジミーと地元小学生が原画を担当した「さかな」「カニ」「エビ」「かめ」の4種類の絵が特殊フィルムによってプリントされている。なお、これは乗り物としては世界最大のラッピングであるという。

ジミーの絵が初めて笑っていいともに紹介された時、司会のタモリは、これを半ば馬鹿にした様なニュアンスで取り上げており、また、スタジオの観客からも感心というよりは驚いた様な反応があった。(ただし、この時点で既に現在の画風を確立している。)

絵が評価され始めた頃、先輩芸人や知人達から絵を描いて欲しいと依頼され描いていたが、現在は吉本興業が管理している為、吉本興業の許可が無い限り描いてもらえないようになっている。 しかし明石家さんまからの頼みは別のようで、松尾伴内、木村拓也、工藤静香などに描いている。 (その都度さんまからお小遣いをもらう。)

岡本太郎にはじめて絵画をみてもらったときには、「描く紙が四角いことにとらわれている。キャンバスは大地。大地はもっとヤバい」という感想をもらっている。これは後の作風に大きな影響を与えている。また、ジミーは岡本から紫色の絵の具を贈られている。


【年譜】
■1994年 - TBSテレビ系列「オールスター感謝祭」の赤坂5丁目ミニマラソンで、海パン一丁で走ったが、心無い者に沿道からエアガンで狙撃される。生放送されたため、赤坂警察署が捜査に乗り出すことになった。この一件をきっかけにTBS側の警備が強化された。

■1994年7月 - フジテレビ系列「FNS総力スペシャル1億2500万人の平成夏休みバラエティー」の企画で、フジテレビ(河田町時代)玄関で23時間かけて巨大アートを制作。画家への転向のきっかけとなる。ちなみにこの作品は秋田テレビが優勝賞品として獲得した。

■1996年 - 尊敬する上岡龍太郎に自身の絵画を褒められたことから画家として生きていく事を決意し、芸能活動を引退、絵画に専念する。岡本太郎から「君は画家になりなさい」と手紙をもらった事も引退を決意した要因の一つ。

■2002年 - 個展「ジミー大西のEnergy of Nature展」を東京・京都で開催。

■2003年 - ボジョレー・ヌーボーのラベルデザインに採用される。

■2005年 - 個展「ジミー大西のキャンパスからはみだせ」を全国で開催。

■2005年 - ボジョレー・ヴィラージュ・ヌーボーのラベルデザインに採用される。

■2006年5月 - ジミーがカレンダーに描いた絵の贋作を作り売った男らが、大阪府警に逮捕されている。

■2006年〜2007年ダウンタウンのガキの使いやあらへんで内で録画という形であるものの年越しを飾った(前述の罰ゲームの為の出演であり、持ち前の天然で浜田、遠藤、山崎の爆笑を誘っている)


【主なギャグ・名言】
■「ジミーちゃんやってる?」「やってる、やってるぅ」「やめろっちゃ」

■「ジミー、がんばれよ!」「お前もがんばれよ!」

■「ウ〜、ウゥ!」

■「桃が二つありました、桃が三つありました、合わせて?」「ももももも!」

■「口になんか付いてるよ?」「唇です」「何階建て?」「5 階建て」

■「ジミーちゃん、大丈夫!」「(鼻つまんで)ダイジョウブ!」

■「キャビアは何の卵?」「ドラえもん!」

■「古今東西、お題は『欽ちゃんファミリー』!」「良い子悪い子普通の子!」

■「12 ÷ 3 は?」「えーっと....1 あまり 4」

■「電車の窓から頭を出してきゅっきゅっきゅーきゅっきゅっきゅー」

■「しっかりせぇ」「よーしわかった」

■「ストレッチ」「えーっと一人エッチ?」

■「メキシコ、メキシコ〜、アミーゴ!」

■「そこへ官房長官(本人曰く「喧嘩の仲裁をする人」)がやってきて、お金で始末する始末でした」

■(英語で1から100まで)「ワン、ツー、(略)、ナインティーン…テンテン…テンテンワン、テンテンツー、(以下「テンテンテンテンテンテンテンテンテンテン」まで)」

■(松本人志の肛門を押し付けられ)「鼻の上にウンコ乗ったみたいやった!」

■(山崎邦正との英語の本読み対決で)「お前三人称単数現在がめちゃめちゃやんけ!」

■「四字熟語は?」「春分の日」

(出典:Wikipedia)

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