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超新塾

超新塾(ちょうしんじゅく)は、日本の5人組のお笑い芸人。所属事務所はワタナベエンターテインメント。


【来歴】
■メンバー全員がNSC出身。吉本興業で別々に活動していた5人で2001年10月に結成。
■ひばり事務所、オフィス★怪人社等を経て、現在はワタナベエンターテインメントに所属。
■お笑いのほかバンド活動もしており、この際はお笑いを封印している。
■イーグル&タイガーで禅(ぜん)というお笑いコンビで活動し、2007年9月15日にエンタの神様に初出演(キャッチコピーは「匠の空想職人」)。その後もレギュラー出演している。


【ネタ】
■サングラスに革ジャンの昭和ロックンロール風のいでたちで「ロックンロール劇場」と称したコントをおこなう(このスタイルでM-1グランプリにも出場しているため漫才とも言える)。リーダーの新塾イーグルがツッコミで他の4人がボケである。ボケの4人が交替交替に次々とハイスピードでボケていくのが特徴である。ネタは主に以下のような流れになっている。
■バイクの形態模写でステッペンウルフの「Born to Be Wild」のリフを口ずさみながら登場→コブラが嘆く→全員で「どうした!!」という→タイガーがコブラが嘆いている理由を話す→ドラゴンかマンモスがそれを解決しようと提案する→それをイーグルが「お前達にできるわけがない」と否定する→一人ずつ順に「俺が○○」と宣言した後ボケる(主に二周くらい)→イーグル以外全員がいっぺんに宣言する→イーグルが「四人も○○したらややこしなるやろ」という→四人が協力してボケる→左から一人ずつ「以上!」「超新塾の」「ロックンロール劇場」「おしまい」といい、最後に全員で「Thank you!」で閉める
■立ち位置は左からイーグル、ドラゴン、タイガー、コブラ、マンモス。
(タイガーとマンモスの位置が逆になることもある。)

■これ以外にコント作品として一般人の役も入れた「ロックンロール葬儀」、「ロックンロール大喜利」と言うネタもある。また、結成初期はマンモスがツッコミだった。
■現在はタイガー以外サングラスをかけていない事が多い。
■禅のネタは空想で考えたネタを披露する。


【メンバー】
■新塾イーグル(本名:溝上 洋次、1975年10月4日 - )
・兵庫県生まれ、O型。ツッコミ・ボーカル担当。リーダー(塾長)。
・元・満(ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞受賞)。大阪NSC13期生。
・チュートリアルの徳井義実らと同期。CSのワイワイワイで本名と情けない話を暴露された。
・昔はサングラスをかけていたが、現在はネタ中に唯一かけていない。
・フットボールアワーの後藤輝基に似ている。以前、後藤がテレビに出演していた際、イーグルの携帯には「お前テレビ出てたな!」という友人からの(勘違いの)電話が何本もかかってきたという。また、若干原口あきまさ、そして嵐の櫻井翔にも似ている。

■新塾ドラゴン(本名:高山 和也、1977年6月10日 - )
・大阪府大阪市生まれ、A型。ボケ・ベース担当。
・元・デモしかし(相方は浅越ゴエ)、ギャルソンズ。大阪NSC16期生。

■新塾タイガー(本名:福田 善計、1975年10月2日 - )
・岡山県津山市生まれ、O型。ボケ・ドラム担当。
・元・エグザミア。大阪NSC13期生。
・コブラと絡むネタが多い。
・本人曰く「いつも心に傷を負っている」。
・最近は「超新塾」と書かれた黒い帽子を被ることが多いのと、ヒゲが目立つので、コブラから「ヒゲ・帽子・グラサン」というネタに使われる事が多い。一時期* スーパーマリオを思わせるネタをしていた。また山本晋也監督に似ているのもネタにしている。
・オール巨人のモノマネをネタ中によくする。

■新塾コブラ(本名:安富 郁矢、1975年5月6日 - )
・広島県広島市生まれ、A型。ボケ・ギター担当。
・モヒカンをネタにすることもある。サングラスを取ると可愛らしい目なので、よくネタにされている。
・ピン芸人時代の芸名は「ジルジル煮汁」。大阪NSC13期生。
・タイガーと絡むネタが多い。
・滑舌があまり良くない。

■新塾マンモス(本名:藤原 直樹、1975年11月3日 - )
・大阪府柏原市生まれ、B型。雰囲気・ギター担当。
・元・エグザミア。大阪NSC13期生。
・駄洒落、食いしん坊、下ネタ、チアガール系のネタが多い。


【その他】
■公式プロフィールでは全員6月9日(ロック)生まれになっている。
■イーグルはNSCの同期である、チュートリアルの徳井義実と仲がいい。
■イーグルはDJとしても活躍中。電撃ネットワークのギュウゾウ主催の「申し訳ナイト」ハードコアチョコレート「パンク中学」などにレギュラー出演している。また同イベントではコアチョコライダーズというTHE RYDERSのカヴァーバンドでボーカルを務めている。
■ドラゴンとタイガーはかなりの身長差(ドラゴンが185cm、タイガーが160cm)があるのだが、正座すると座高がほぼ同じである。これはネタにもなっている。
■爆笑オンエアバトルでは塚原愛アナウンサーから、「いつも誰かが負傷した状態で出演している」という指摘を受ける。かつてドラゴンは骨折した状態で片足に黒いビニールテープを巻いて番組に臨んだ事があり、コブラもぎっくり腰をおして出演した事から。


超新塾のロッケンローなBLOG?

超新塾公式ホームページ

禅公式ホームページ


(出典:Wikipedia)

チュートリアル

チュートリアルは、徳井義実と福田充徳の2人による日本のお笑いコンビである。所属事務所は吉本興業大阪本部。1998年3月結成。2006年M-1グランプリ王者。


【メンバー】
■徳井義実(とくいよしみ、1975年4月16日 A型 - )
ボケ担当。立ち位置は向かって左。

■福田充徳(ふくだみつのり、1975年8月11日 O型 - )
ツッコミ担当。立ち位置は向かって右。


【概要】
チュートリアルの漫才は基本的に、ショートコントや決まり文句、小道具などを用いない、『正統派しゃべくり漫才』である。漫才の途中で徳井のテンションが豹変し、様々な妄想をエスカレートさせてゆくネタは『妄想漫才』と銘打たれM-1グランプリなどをきっかけに有名になった。テレビ番組や単独ライブなどではコントを披露する事もあり、徳井扮する変人が暴走するというストーリーが多い。ネタの中にエロネタが多いこと、コントでは不可思議な(シュールな)オチが多いことも特徴である。

徳井がネタのすべてを書いている上、マンスリーよしもと男前ランキング2003〜2005年の三年連続一位で殿堂入り、変態、など強い個性を確立していることに対し、福田は一見地味な印象を持たれることから、この二人の対照的なキャラクターがコンビの特徴とされている。

コンビ名の由来は、二人が高校・浪人生時代に通っていた河合塾にある「チュートリアル(Tutorial)」(週一で行われる、連絡や模試の結果の返却など事務的な時間)から。その他の候補としては、『ギロチン』『行かないで、』『初夏の潮風に誘われて』などがあった。


【略歴】
徳井は京都市山科区、福田は同市左京区出身。幼稚園(菊の花幼稚園)・小学校・中学校(京都市立修学院中学校)・高等学校(京都府立北稜高等学校)・予備校(河合塾)とずっと同級生であった。二人とも大学受験に失敗し、一浪して徳井は花園大学、福田は大阪学院大学に進学する。高校・浪人時代は喫茶店で8時間話しても足りず、帰宅してからも電話で話すほど仲が良かったと語っている。

徳井は浪人中にNSCに13期生として入学、卒業後相方と解散し大学に進む。解散した徳井を福田が誘ったが、しばらく活動せず互いに大学生活を別々に送る。福田が大学卒業の1998年3月にコンビを正式に結成。徳井は大学中退。そのため徳井の芸歴は1994年から始まるが福田の芸歴は1998年からであり、コンビ内で芸歴に差がある。福田はNSCに通ったことはない。初舞台は心斎橋筋2丁目劇場であった。

2003年までは『baseよしもと』を中心に活動。同年夏にbaseよしもとを卒業後、うめだ花月でネタもん・芝居もんなどにレギュラー出演、同劇場でトークライブ「チュートリアルのシャベルケ?」などを開催。関西を中心にいくつかのレギュラー番組をもつ。2006年、M-1グランプリにて念願の初優勝を果たした。賞レースで最優秀賞を獲得したのは、彼らにとってこれが初めてのことであった。


《M-1グランプリでの苦渋と歓喜》
M-1グランプリの決勝戦には過去3回進出したが、2001年は審査員の得点で10組中10位、会場票を含めると10組中8位と散々な結果だった。後に振り返って「小部屋に閉じ込められて、あのときのビデオを四方から見せられたら死ぬ」とコメントしている。その後3年連続で準決勝敗退を喫するが、2005年は決勝に進出し、彼ら独特の漫才を見せ5位。優勝候補の一角として出場した2006年の決勝戦、審査員全員から1位の評価を受けトップで通過、続く最終決戦でも審査員全員の票を集め、史上初の完全優勝を果たした。徳井は優勝後「M-1によって傷つけられ、M-1によって報われた」と語っている。

■2001年の時のキャッチフレーズは「お笑い陰陽師」(京都出身であるため)。2005年は「暴走するイケメン漫才」、優勝した2006年は「華麗なる妄想族」(翌年1月から放送されることで話題だったドラマ「華麗なる一族」とかけた)であった。

■普段の賞レースではネタの順番を決めるくじを引くのは徳井の役目だったが、愛読雑誌クロワッサン12月号の占いでしし座のくじ運がよかったからこの時に限り福田が引いた。


《年表》
■1994年04月 - 徳井がNSC入学。
■1998年03月 - 福田が徳井を誘って、チュートリアル結成。
■2000年01月 - ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞受賞。
■2000年09月 - 深夜番組『新しい波8』に出演。
■2001年03月 - 初単独ライブ「惑星チュートリアル」をbaseよしもとで開催。
■2001年10月 - 爆笑オンエアバトルで初オンエア。
■2001年12月 - 第1回M-1グランプリ決勝進出(8位)。この年のネタは「昔話桃太郎」。
■2002年04月 - KBS京都ラジオ「キョートリアル!コンニチ的チュートリアル」開始。
■2002年10月 - ラジオ大阪「よしもとエンタテイメントステーションGOYODA」開始。
■2003年03月 - NHK上方漫才コンテスト優秀賞受賞。
■2003年03月 - 徳井、吉本男前ランキングで1位に。
■2003年03月 - 爆笑オンエアバトルファイナル初進出。結果は、514KBで9位。
■2003年07月 - baseよしもと卒業。
■2003年10月 - 映画「ガキンチョ★ROCK」に出演。
■2003年12月 - 上方お笑い大賞新人賞受賞。
■2004年01月 - KBS京都ラジオ「キョートリアル!コンニチ的チュートリアル」放送100回記念。
■2004年03月 - 上方漫才大賞新人賞受賞。
■2004年03月 - 爆笑オンエアバトルファイナル2年連続進出。結果は、762KBで8位。
■2004年04月 - TBSドラマ「ほーむめーかー」に出演。
■2004年10月 - ヨシモトファンダンゴTV「ワイ!ワイ!ワイ!」に月曜日MCとして出演(〜2005年11月)。
■2005年03月 - 徳井、吉本男前ランキングで3年連続で1位に。殿堂入りを果たす。
■2005年08月 - 東京初単独ライブ「甘いチュートリアル」を開催。
■2005年12月 - 第5回M-1グランプリ決勝進出(5位)。この年のネタは「バーベキュー」。
■2006年01月 - KBS京都ラジオ「キョートリアル!コンニチ的チュートリアル」放送200回記念。
■2006年04月 - 徳井初のピンライブ「徳井義実ライブ2006〜桜の舞〜」開催。
■2006年07月 - チュートリアル初単独DVD「チュートリアリズム」発売
■2006年10月 - チュートリアル初(※)メイン番組『恋愛バラエティ・ピンどん』10/9(月)がKTVで放送開始。 ※地上波では初。
■2006年12月 - 第6回M-1グランプリ優勝。決勝のネタは「冷蔵庫」、最終決選は「チリンチリン」。
■2007年02月 - 徳井、R-1ぐらんぷりの決勝に出場。キャッチフレーズは「M-1王者が2冠を狙う」。同点1位で決選投票の末、2位となる。
■2007年04月 - 「ヨシモト∞」火曜日2部ナビゲーターを務める。
■2007年04月 - 日本テレビ「歌スタ!!」で初の全国ネットレギュラーをつとめる。
■2007年04月 - 読売テレビ「ブラマヨ・チュートのまる金TV」で初の冠番組をブラックマヨネーズと共につとめる。
■2007年07月 - M-1グランプリなどの活躍により、卒業した京都府立北稜高等学校より名誉卒業生として表彰された。

(出典:Wikipedia)

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チュートリアリズムU

チュートリアリズムU
【お笑い・演芸】 前作が大ヒットしたチュートリアル待望のDVD第2弾!各方面で引っ張りだこの、2006年M−1グランプリ覇者“チュートリアル”がその実力を惜しみなく放った単独ライブ「チュートリアリズムU」を収録したDVD。新たなコント、録り下ろしVTRなど盛り沢山。

千原ジュニア

千原ジュニア(ちはら - 、本名:千原 浩史(ちはら こうじ)、1974年3月30日 - )は日本のお笑い芸人、俳優。コンビ「千原兄弟」のボケを担当。京都府福知山市出身。京都共栄学園高等学校中退。NSC8期生(卒業はしていない)。2005年、芸名を千原ジュニアに正式に改名。しりとり竜王戦九段。


【概要】
■中学時代は登校拒否・引きこもりを経験し、高校には進学したが、相変わらず引きこもりを続けていた。先にNSCに入学していた兄の千原靖史に誘われ、お笑いの世界に入ることになる。

■「冠番組を持つと死にかける」という不幸な一面を持っており、急性肝炎、オートバイ事故で2度生死の境をさまようが無事に復帰し、現在に至る。急性肝炎を患った際には、同時期に「ベイブルース」の河本栄得が劇症肝炎で急逝したこともあり、彼も同じ病気なのではと噂された。なお、これが6年周期でやってきており(肝炎は20歳、事故は26歳)、2007年が丁度6年目になるため、今回は何があるのだろうと思っていると番組内で告白した。

■大阪時代には「マンスリーよしもと」(吉本の月刊誌)にカリスマの触れ込みでデビュー。当時わずか18歳で2丁目劇場を仕切っていたという伝説を持つ。現在は東京を中心に活動中。お笑いの他に俳優活動も行っており、出演作品は多数(主に映画)。今田耕司、東野幸治に「ジャックナイフ芸人」「2丁目劇場の黒いナイフ/黒いバラ」と称されるなど、カリスマ性の高い孤高の芸風である。しかし、東京進出後はやや角が取れてきている。またジュニアと古くから付き合いのある宮迫博之やバッファロー吾郎らは「昔から性格的には尖ってなかった。どちらかといえばバターナイフや!」と「アメトーーク」で証言している。

■15歳でデビューしたため、年上の後輩が多い(11歳でデビューしたりあるキッズも同じ)。ナインティナイン・ココリコ・ロンドンブーツ1号2号の田村亮(ちなみに田村淳は同学年)・藤井隆・ペナルティ・DonDokoDon・ガレッジセール・ほっしゃん。・宮川大輔・中川家・ケンドーコバヤシ・ジャリズムなどより歳は下だが、芸歴は彼らよりも長いため、彼らは全員事務所の後輩にあたる。番組などで共演した場合、彼らはジュニアを「ジュニアさん」と敬称で呼ぶ。ジュニアから彼らの名前を呼ぶ時は呼び捨て、または通称が多い。だが、舞台裏では(年上なので)腰が低かったとの話もある。

■ダウンタウン松本人志、陣内智則、ケンドーコバヤシ、バッドボーイズ佐田、Bコースタケトらと仲が良い。

■後輩のナインティナイン岡村が先に出世したことに大阪時代は嫉妬していた。上京し雨上がり決死隊の宮迫を含めた3人で飲みに行った時、たまたま近くの席に居合わせた岡村を見つけ、先輩である自分に挨拶がない岡村に対し「先輩に対して挨拶がないのはおかしいんちゃうか」と激怒するが、実は彼のほうが店に入ってから何度も挨拶する岡村に気づいておらず、宮迫に「おかしいのはお前の方や」と叱られた。

■板尾軍団の一員。なお団員はジュニアのみである。

■リズム感及び音楽の才能がまるで無い。

■アメトークに出演した際、FUJIWARA・原西孝幸の一発ギャグ「ポクチン!」を出演者が順番にやっていった時、他の出演者(FUJIWARA藤本・兄靖史・ほっしゃん。・宮川大輔・ジャリズム)に対してジュニアだけ全く違う動きになり、宮迫博之に「リズム感が死んでいる。」とツッコまれた。

■近年は喋りの他、動きの芸も多い。「やりすぎコージー」でのバーベキュー企画でペナルティのワッキーによる「ワキササイズ(ダンスのようなエクササイズ)」を全員でやった際、リズムに全く乗れずひどいダンスを披露したが、自身はどんどんテンションが上がり踊り続けていた。今田耕司や東野幸治がカメラを遮り、「この子は喋ると面白いんです!!」と必死にかばうほどだった。

■歌が下手なことは自身も認めている。「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」や「爆笑問題の検索ちゃん」に出演した時、「歌は上手いの?」と訊かれ「僕は声帯がですね・・・残念です。」と答えている。

■「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の人気企画「七変化」では兄・靖史の高記録(43,000円)の後を受けて挑戦したが、素人の外国人を起用したり、わかりづらい設定があった為、結果は靖史に及ばず26,000円(歴代13位タイ。もう1人は宮迫博之)と中途半端な結果だった。内容は他に兄靖史・布袋寅泰がファミコンをしているところ・明石家さんま・竜二(金子正次主演映画)などものまね芸が多かった。ちなみにこの企画の本番前日はプレッシャーでほとんど寝れなかったらしい。また、竜二は松本人志が好きな映画らしい。そのため、松本は笑って1000円を払っている。

■「虎の門」の「しりとり竜王戦」では優勝したのが第9回のみでありながらも常に決勝か悪くても準決勝に進むほどのセンスとボキャブラリーを持つ。「話術王選手権」では第4回チャンピオン、「話術王選手権ダブルス」では第1回・第2回のチャンピオンになった。特に第1回「話術王選手権」では1回戦トップバッターという、企画の方向性を決める重要な場面でありながらも巧みな話術で企画のレベルを高いものにした。


【エピソード】
■公判傍聴マニアで、大阪時代には大阪地方裁判所の公判をよく傍聴に来ていた。ある公判を傍聴中、入廷したある被告が彼を指差して「あっ!ジュニアや!」とはしゃいだ為、退廷を命じられる一幕もあった。

■APEC首脳会議が大阪で開かれた際、会場の大阪国際会議場を臨むマンションに当時住んでいた彼の元に、過激派警戒の大阪府警機動隊がやってきたことがある(そのマンションが狙撃に最適の位置にあったため)。ドアを開くのと同時に機動隊員から「過激派?!」と問いただされ、ムッとして「どちらかと言うと過激派!」と即答し、「いちびるな!」と一喝された。

■※いちびる・・興奮して騒ぐ、調子にのる 

■自他共に認めるマゾヒスト。夢は女子少年院に放り込まれ溜まったものを自分で発散してもらうことと番組で語っている。

■好きな女の子のタイプは小さくてぽっちゃりした子。例えば加護亜依、相原勇。

■生まれた当時、父親は商売をしていたため、「赤ちゃんはうるさい」との理由で祖母に預けられ、3歳頃まで育てられた。そのせいか、かなりのおばあちゃんっ子であり、祖母にも溺愛されている。

■祖母からは3日に1回は電話が、月に1度は手紙も送られてくるらしい。ボケ防止で始めたワープロで1行目に「こうちゃん、お元気ですも?おばあちゃんは元気っす」と書かれた手紙が来たことがあり、これに「ちょっと体育会系になってた」とつっこんでいた。

■おばあちゃんっ子ということもあってなのか、ゲートボールはかなりの腕前で、スカウトされたこともあるらしい。

■おばあちゃんとは時々食事をする。その様子は2006年10月8日放送の「情熱大陸」で一部放送された。

■ヘビースモーカー。ホープを愛用。禁煙する気はないらしい。一度吸い出したらずっと吸い続けるべき、という精神をもっている。また、着火の際はライターではなくマッチを使用している。

■以前住んでいた所のゴミ出しの日が「月・木が可燃物、火が不燃物だったこと」を語り、「なぜ、曜日の中で唯一“火”のつく日をよりによって不燃物にしたんやと。考えられへん。水曜日やろ、燃えへんゴミは!!」と怒っていた。

■14歳の頃から学校に行けなくなり、部屋で壁に渦巻きを描いたりしていた。本屋などに行く際にはユニフォームパジャマのままで外出し、道を歩いていると、家の近所に脳神経外科病院があったこともあり、入院患者だと思われていたのか、頻繁にその病院までの道を聞かれたとのこと。

■不登校だった当時、テレビの砂嵐(スノーノイズ)をずっと見つめていた。不審に思った兄が問いただすと「ずっと見つめているといろんなもんに見えてくる」と答えた。砂嵐を自由に操ることができたらしい。

■芸風に反し、実はかなりの天然ボケである。様々な逸話があり、後輩芸人にネタにされることも。

■小泉首相(当時)を「小泉大統領!」と言ってしまったことがある。

■車に乗っている際に「カギどっか落とした……どうしよう……」と言い出したことがある。当然、鍵は車についている。

■「JKKの法則」(J・ジュニア K・かわいこぶったら K・きしょい)というのがあるらしい。

■BLANKEY JET CITYのファン。TV番組での共演が元で現在もメンバーと交流があり、ドラムの中村達也は2005年に行われた単独公演「詩」の音楽を手がけた事もある。

■映画監督の豊田利晃とは親友同士。初めて出会ったその日に意気投合した豊田は「俺はお前で映画を撮る」と宣言。そして数年後に、その約束通り彼の主演映画「ポルノスター」が完成した。

■2006年9月17日放送の『やりすぎコージー』では若手芸人「ノスタルジック」をツボの芸人に挙げていた。

■改名の理由は、吉本芸人で占いを得意とする小笠原まさやに占ってもらったところ、「『浩史』ではトガリすぎて周りに敵をつくり、『Jr.』では女性的過ぎて結婚できない、だが『ジュニア』にすれば巨万の富を手に入れます!」と言われたからである。

■著書「題と解」のサイン会では前日のイベントが成功したことで深酒をしたために遅刻し、現れたときは二日酔いと体調不良でイベントを行うことができなかった。

■1年間を春夏秋冬各1パターン計4パターンの服装で通す。「洋服を選ぶ時間があるのなら面白いことを考えたほうがマシ」だからと本人は語っている。

■リミテッドが解散する際、陣内は芸人を辞めようと思っていた。が、ジュニアは生活費を出し「絶対辞めるな」と止めた。

■大阪で一人暮らししていた時、飼い猫に「ゴン太」と名付けて可愛がっていた。ある日ゴン太が部屋から姿を消し、心配したジュニアは靖史に電話をして「一緒にゴン太を捜してくれ」と頼んだ。時刻は午前5時だった。

(出典:Wikipedia)

千原せいじ

千原せいじ(ちはら - 、本名:千原 靖史(ちはら せいじ)、1970年1月25日 - )は、お笑いコンビ千原兄弟のツッコミを担当。京都府福知山市出身。NSC8期生。既婚。福知山成美高等学校卒業。2007年、芸名を千原せいじに正式に改名。


【人物】
NSC入学後、当時ひきこもりだった弟の千原浩史(千原ジュニア)を誘い、お笑いコンビ千原兄弟を結成。天然キャラであり、大雑把でひと癖あるツッコミが特徴的である。吉本芸人ではほんこんや岩尾望(フットボールアワー)と並ぶ不細工キャラだが、2002年6月に結婚している(沖縄・宮古島の教会で挙式)。

よくほんこんに似ていると言われている。

デリカシーのない無遠慮なキャラクターではあるが、その反面友人が非常に多い。プライベートでの人脈・情報網は並大抵ではなく、『やりにげコージー』『やりすぎコージー・土曜婦人』ではその情報網を利用した企画が放送された。それらの番組ではしばしば私服で登場し、その私服も知り合いがデザインしたものを着用している。

毎回ダウンタウンの番組に出演するたびに浜田雅功にわざと「やすし」と呼ばれることが多い。浜田は何度も繰り返し言っているのに対し、律儀に「せいじや!」とつっこむ。また、弟のジュニアも浜田に合わせてやすしと言う事がある。松本人志は「ホクロの位置がマリリン・モンローと全く同じ」とよく言っているが、これは松本の勘違いである。『ガキの使い』の人気企画「七変化」ではブサイク顔が受け、43000円(歴代5位)と大健闘した。ちなみに松本人志は本番前に靖史のスタイルを見て「スゴイなぁ!」と言って1000円を入れていた。

ラジオ番組「松本人志・高須光聖の放送室」での電話企画「カプリチョーザ杯」では、期待されていなかったにもかかわらず、かなりの高評価を得るダジャレを連発した。

また、異常なほどのドSな性癖を持っている。 『やりすぎコージー・土曜婦人』内で実際にプレイを軽く実演したところ、相手の女性を縄で縛る前に縄をわざと床に落とし、「拾って。」と言って相手に拾わせる段階から始め、やりすぎガール達をドン引きさせていた。

イメージと違うが相当なアニメファンで、今までにおかずにしたキャラナンバ−1はリン・ミンメイ。

松本人志に毎秒残念と言われた(人志松本のすべらない話(2006年12月29日)にて)。これは、弟の千原ジュニアが兄のエピソード(後述)を語る際、しばしば「うちの残念な兄が…」と言うためである。

天然でバカキャラと言われているが、「クイズ!ヘキサゴンU」のペーパーテストでは好成績を残している。また、かつて知能指数を調べたとき「普通に勉強したら東京大学に入れるレベル」の数値を出したとのこと。


【エピソード】
多くは、ジュニアの口から語られることが多い。

■子供の頃、野球をしに行こうと家を出る時、閉まっていることに気づかずにガラス戸に突進して割ってしまったことがあるが、そのまま何事も無かったように野球に行った。

■小学生の時に、全校集会で癲癇持ちのジュニアのクラスメートが暴れだし、椅子を持ち上げて「お前ら、包丁で刺し殺したろかー!」と叫んだ際に、「だったら、椅子要らんやんけー!」とつっこみ、体育館中を爆笑の渦に巻き込み、事態を沈静化させた。ジュニアはとても恥ずかしかったという。

■2丁目劇場の楽屋で、誰かを相手にプロ野球の話を喋っているようだった。かなり熱く語っていたので、相手は誰かと覗いたら、靖史一人だった。

■上戸彩と山本寛斎のショーに共演した際、上戸が彼の刀を見て「それ本物ですか?」と聞いたところ「おお、そうや」と言い、「へぇ〜スゴいですねぇ」と言われた直後「本物なわけあらへんやろぉぉ!」と叫び、大声でつっこむためにあえて一度泳がせた。なお、哀川翔はそのやり取りを見て大爆笑していた。

■山本寛斎のショーに出演した際、千原兄弟が舞台に到着した際まだ黒子が作業をしていた。その際にそこの監督が黒子を思いっ切り怒鳴りつけていたら「見ろ!ジュニア!!黒子めっちゃ怒られとんぞ!!」とデリカシーがまるでない大声で言った。

■そしてそのショーの本番前、一緒に出演していた女の子たちがひな壇で会話していたところにズカズカと会話に入り込み「ってゆうかお前らの話、全然おもろないやんけ!!」と言った。

■ロケでベトナムに行った際、ジュニアがホテルの前でたむろしているバイクタクシーの運転手に「お兄さん、乗る?」と聞かれ、 断っていたところ、ふと辺りを見回すと、靖史がバイクタクシーの運転手を後ろに乗せて、街を疾走していた。

■川に銛を持って潜り、何か動いたと思い突き刺したら、自分の左足のももだったことがある。

■中高生時代はパティシエに憧れ両親から誕生日プレゼントに電動泡立て器を買ってもらった。ジュニアが中学時代に深夜に家に戻ると、靖史が起きて待っていて「どこ行ってたんや!0時過ぎたやないかっ!」と怒るので、「親でもないのになんだ」と思っていると、照れながら「おめでとう」と手作りケーキを差し出した。ジュニアの誕生日だったのだ。

■部屋の中が汚く、陣内智則に部屋の床に唾を吐かれたことがある。

■ある日靖史が公園のブランコに座り地面を眺めて泣いていた。ジュニアが「どないしてん」と聞くと「アリが一生懸命エサ運んでんねん」と答えた。ジュニアはその話を「こんなに心優しい男はいませんよ!」と熱弁した。

■品川庄司が舞台終わりに漫才の出来で大喧嘩をしていた際、通りかかった靖史は喧嘩を止めようとせず「おぉ、やれやれ!俺らの頃二丁目ではみーんなケンカしたもんや!今ルミネ見てみ?誰がケンカしとる?ケンカして上手くなっていくもんや」と言い去っていった。品川が感動していると楽屋から「ワッハハハ!まーた阪神勝った!」と靖史の叫び声が聞こえた。

■ルミネtheよしもとで千原兄弟は2冊の辞書を読むというネタで辞書の位置が重要なのでジュニアは暗転中にセッティングする靖史に「赤の辞書を右、白の辞書を左に置いてな」と言いに行った。すると靖史はスタッフを呼び「俺、はけたら袖でこうしてるから(両手を前に出す仕草)右手に赤、左手に白を渡せ、見えへんから。分かったな!」と偉そうに言っていた。いざ本番になると案の定辞書が逆に置かれていたので終わってからジュニアが「靖史、あれ逆やで」と言うと「そうやあいつ!おい!」とスタッフを呼び出し「お前あんだけ言うたやろ!何で逆やねん!」とスタッフを怒った。しかし実はスタッフは指示されたとおり渡したのを途中で靖史が重ねてしまったのだった。そのことが分かった靖史は「お互い気ぃつけよ〜」と悪びれた様子もなく言った。

■番組のロケ中、野良犬が靖史の顔を二度見していた。

■小さい頃弟のジュニアを風呂に閉じ込めたが、ジュニアがすりガラスを蹴りガラスが割れると泣き出し、「どんだけビックリしたか」と泣きながら言った。

■ジャリズムの渡辺と千原兄弟で公園に行った際、ジュニアが木に登りサングラスとヘッドフォンをして寝てると子供が集まってきて、ジュニアに向かって「かっこ つけ男!」と言い出した。それを見た渡辺が「俺もあだ名つけてくれや」と言うと「めだちた がり男や〜」と言っていたが、靖史の顔を見たとたん「あっ、ブサイク です男」と言った。

■同級生の青木くんが傘を投げたら同級生の子の額に当たった。教室中がシーンとなってるのに靖史だけ笑いながら「俺にもやらしてくれ」と言った(ジュニア談)。後で青木くんと一緒にお菓子を持って謝りに行ったという(靖史談)。

■小さい頃靖史は一人で2階に行くのが怖かったらしく、2階に行くときはジュニアに「2階行くぞ」といいジュニアが手を引いて2階に行っていた。

■2階に行くのが怖いから付いてきてと言うのは恥ずかしいので「お前は体を鍛えなきゃいけないから、俺をおんぶして2階に行け!」と言っておぶらせるが、ジュニアが階段の踊り場で休むと「なに休んどるんじゃ!」とジュニアをどつき、頭を壁にめり込ませた。

■高校時代には、8回に亘り停学処分を受けた。そのうち7回はカンニングをしたためで、残りの1回は、その学校の毎年恒例のマラソン大会で、わざと途中でコースを外れ、親戚の女性が運転する車でゴールの付近まで送迎してもらい、そのままゴールするという不正を働いたため。その結果、10kmを6分切るという決して有り得ないタイムを叩き出し、当然ながら不正は即座にバレた。(日本テレビ系『ダウンタウンDX』2007年4月26日放送より、但しチハラトーク内で同じエピソードを話した際は「他7回はタバコが原因」、マラソンのタイムも「2分3秒」と多少の差異はある)

■また、停学処分になると、母親の機嫌をとるため、風呂を沸かしていた。しかし、その後7回もまったく同じように、このことを繰り返したため、その内、沸いている風呂を母親に見られただけで「靖史〜!!」とキレられていたという。これらのエピソードを聞いたダウンタウンからは、異口同音に「アホや!」「お前、ホンマにアホやな!!」と連呼されていた。(同上)

■膝でうんこを踏んだことがある。

(出典:Wikipedia)

千原兄弟

千原兄弟(ちはらきょうだい)は千原せいじと千原ジュニアからなる吉本興業東京支社所属のコンビ。実の兄弟。


【メンバー】
■千原せいじ(ちはら せいじ、本名:千原靖史(ちはら せいじ) 1970年1月25日 - )京都府福知山市出身。NSC8期生。ツッコミ担当。

■千原ジュニア(ちはら じゅにあ、本名:千原浩史(ちはら こうじ) 1974年3月30日 - )京都府福知山市出身。NSC8期生(卒業はしていない)。ボケ担当。


【略歴】
■1989年6月コンビ結成。同期にはFUJIWARA・バッファロー吾郎・大山英雄などがいる。

■ダウンタウンや吉本印天然素材が去った後、ジャリズムとともに心斎橋筋2丁目劇場で頭角を表し、お笑いライブで大阪城ホールを超満員にしたこともある。

■現在ではルミネtheよしもとに出演の他、「チハラトーク」というライブを毎月行っている。兄弟であることを武器にした絶妙な距離感を持つトークは絶品。

■ジュニアは若手の映画監督から出演のオファーが多く、俳優としても著名。瀬々敬久、豊田利晃、三池崇史などの監督作品に出演している。デビュー当時は「2丁目劇場の尾崎豊」、「ジャックナイフ芸人」と呼ばれていたらしい。

■兄・靖史はスタイルが抜群であるにも関わらず、かわいそうな程のブサイクである。クイズ!ヘキサゴンIIでは、街中の女性に恋人にしたい芸人を選んでもらう「クイズ街角恋人探し」で、ほんこんや波田陽区など共に他の若手芸人5人を含めた中から、誰が先に選ばれるかを争ったものの、都内はおろか地元大阪でも一度も選ばれていない。

■週刊少年ジャンプに連載されていた「ろくでなしBLUES」に、兄弟そろって漫画の登場人物として登場したことがある。

■兄の靖史はとても交友が広く、芸能人ではなく近所のおじさんなどが飲み仲間で、ジュニアが街を歩いていると全然知らない人から「靖史は元気か」「お兄さんにはお世話なってます」とあちこちで言われて驚いたことがある。靖史のネットワークを総称して「せ」リーグと呼び、それを羨んだジュニアは「J」リーグと称して自分の交友をチハラトークにて明かすが、こちらは芸人仲間が多い。

■ジュニアは4歳年上の兄とともにデビューしたため年齢に比べ芸歴が長く、年上であるが芸歴は下の芸人から敬語で話されることもよくある。同時期に若手のエースとして共に売りだされたジャリズムは年齢では4〜5歳上であるが芸歴は2年後輩であるため、話し言葉こそほぼタメ口同士だが呼び方はジャリズムの2人からは「さん」付け、ジュニアからは呼び捨てである。ただし舞台の裏ではジュニアは年上のジャリズムに対して姿勢が低かったという証言もある。

■2人の母は、かつてパーフェクトを達成した事もあるほどボウリングが上手く、地域のボウリング大会の誘いを「自分が参加するとつまらなくなってしまうから」と、断ったというエピソードもある。

■2人にはジュニアより4歳下の元槍投げの選手だった中学校教員の妹がいる。

■コントを主体としており、2006年正月のお笑い番組で漫才を披露したのだが「漫才なんてやったことないですよ」と言っていた。

■しかし、実は2003年の正月のお笑い番組でも漫才をやっていた。「ルミネtheよしもと」出演時でもごくたまにセンターマイクで漫才をやるが、彼らの漫才は練り上げたネタというよりもトークの延長のような感じである。「チハラトーク」で特にウケた部分をそのままネタにする感じである。これはジュニアが「人志松本のすべらない話」に出演する際にも「チハラトーク」で一度話したことあるものがほとんどである。

■意外なようだが、2人ともドラえもんについて造詣が深く、雑誌の「ぼく、ドラえもん」で思い入れを語ったり、特集のテレビ番組に出演するなどしている。

(出典:Wikipedia)

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