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友近

友近(ともちか、本名:友近 由紀子 - ともちか ゆきこ、1973年8月2日 - )は、日本のお笑い芸人、ものまねタレント、女優。愛媛県松山市出身。松山東雲高等学校、松山東雲女子大学人文学部卒業。吉本興業東京本社所属。吉本総合芸能学院(NSC) 23期生。血液型:B型。星座:獅子座。愛称「ともちー」。姉がいる。 スリーサイズは、B94・W68・H90


【概要】
人物描写に優れ、旅館の女将&仲居さん、学校の先生、街中のお姉ちゃん・おばちゃん・おっちゃんネタ、クラブのママといった水商売の女、極道の妻などになりきる「ひとりコント」を持ちネタとしている。 将来はシュールなお笑いも出来る事を目指しているという。歌唱力には定評があり、2004年には『Tokyo』で歌手デビューもしている。

大学在学中にローカル番組のリポーターから芸能界へ転身、その後旅館の仲居を経て一念発起して芸人を志しNSCに入学、通天閣のエレベーターガールをしながら芸を磨き、現在は吉本所属の女性芸人の中でトップのレギュラー番組数を抱える人気芸人となる。

同時期にメディア露出が増えた青木さやかと比較される事があるが、本人は「自分は芸人なので、しっかりとネタを披露できる場で仕事をしていきたい」と語っており、トーク中心の青木とは異なり自らのネタに対する大きなこだわりを持っている。そのため「マルチタレント」と呼ばれるのを嫌がっている。オールナイトニッポンのスペシャル「渡辺美里のオールナイトニッポン」でゲスト出演した際には「毒舌は言う気にならないんですよね」と語っている。ただしラジオ番組ではその限りではなく、芸能人や放送局批判なども行っている。

毎日放送のラジオ番組「ゴーゴーモンキーズ」の企画で撮影会をやる事になり(後述)そのために減量をしたが、間もなくしてリバウンド。又、2005年7月9日に放映されたTBS系のテレビ番組「爆笑問題のバク天!」でも1週間の短期集中ダイエット企画を行った。この時はウエストのサイズを78cmから69cmへ落とした。

お笑いブームに乗り知名度が全国区になった後も大阪在住(姉と同居)を続けていたが、2006年春に活動及び生活の本拠を東京に移した。ただし、現在も定期的に大阪のうめだ花月などに出演している。

地元・愛媛県には、彼女の後援会がある。ちなみに「友近」という姓はこの愛媛県(特に松山市などの中予)に多い。

コントで演じたキャラクター ディラン&キャサリン のキャサリン役が、ハマり役となり、ケロロ軍曹 の第7弾OPとしてCDも出した。


【ものまね】
ひとりコントのほか、ものまね(しゃべりまね、歌まね、擬音)も得意とし、フジテレビの「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」などで披露している。ひとりコントの中でものまねを織り交ぜる事もある。

『主なレパートリー』
■桜田淳子
「リップスティック」の歌マネで「似ている!!」と大絶賛された。歌マネでは清水ミチコや中島マリのようにデフォルメした形態模写や歌詞をふざけたものに変える等のネタはせず正統派一本槍である。
■外国映画の吹き替え(キャサリン)
■中森明菜
中森本人から「自分と区別がつかない」と言われた。やたら声が小さい。妹の明穂をよく話題に出す。「車庫入れを語る中森」が十八番。
■黒柳徹子
■幸田シャーミン
■竹井みどり
映画『ミナミの帝王』で矢吹麻子の会話
■十朱幸代
「いってらっしゃい」のみ
■浜木綿子
■矢井田瞳
■KEIKO(globe)
■渡辺美里
■加藤みどり
『大改造!!劇的ビフォーアフター』のナレーション
■『平成教育委員会』、並びに『熱血!平成教育学院』の勉強小僧(「○○君の答え」などのまね)
■ニワトリ
■山口百恵
■ドアが閉まって発車するバス
■ユンソナ
大笑いする時のまね
■中山美穂
『毎度おさわがせします』での「トオル、オレの部屋でレコードでも聞かないかっ?」というセリフ
■小柳ルミ子
記者会見時、大澄賢也の事に触れられた時の「その質問、聞こえませ〜ん」という発言
■工藤静香
■ラジオのDJ『チャーチャ』
■都はるみ
■南野陽子
■倖田來未
主にしゃべりのまね。しばしば「なー」と言う。
■松田聖子
■柏原芳恵


【略歴】
少女時代、歌手を夢見て地元の数々のカラオケ大会に出場。14歳の時、MBS「全日本ジュニア歌謡選抜」全国大会準優勝の経験もある。渡辺美里の「Long Night」を歌った。

大学時代から『とにかく愛媛5:00』(テレビ愛媛)のレポーター、『特盛鴻上丼』(あいテレビ)のアシスタントなどとして活躍。一時期は多くのレギュラー番組やCMを抱える「愛媛のスター」となるが、お笑い好きの血が騒いだのか、VTRでお笑い演出に走りすぎたため、やがて地元の視聴者やテレビ局スタッフから「不真面目だ」と総スカンを食らい、レポーターの仕事を降ろされてしまう。大学卒業の前後には、地元の愛媛県内で、実際に旅館の仲居さんをしていた事もある。

地元でのレポーターの座を追われてしまったが、芸能界の夢を捨てきれず2000年8月に大阪に移り、吉本興業の若手タレント養成所・NSCに入学(23期生)する。この頃、通天閣のエレベーターガールのアルバイトをしながら大阪のおばちゃん達の生態を徹底研究。

2001年3月、NSC卒業。以後baseよしもとを中心に活動するが、女子中高生が中心の客層の中爆発的な人気を得るには至らず、また格上クラスのタレプロ組が当時ほぼ固定されていたこともあり、2003年9月のうめだ花月移籍による卒業まで、レギュラー落ちの可能性のあるガブンチョ組扱いであった。しかしその秀逸な芸がFUJIWARA、バッファロー吾郎を初めとする先輩芸人に注目され、深夜番組などに頻繁に抜擢される内に、コアなお笑いファンの間で人気を得るようになる。 テレビ大阪「吉本超合金F」では自室をガサ入れされ私服のセンスがない事をバラされる。これを見たFUJIWARA原西孝幸は「うわっ、オレのオカンと同じセンスや!」「彼女がデートに着てきたらビリー破るで!」などと酷評。又、「イカせてSEX中毒素人娘」なる秘蔵AVを発見・その場で再生され、藤本敏史に「友近、お前いきなり3Pやないか!」とつっこまれる(30秒後、実は4Pだったことが発覚し「友近、お前3Pや思たら4Pやないか!」と更につっこまれる)。

2002年、ピン芸人NO.1を決める「R-1ぐらんぷり2002」でファイナル進出。2003年、第33回NHK上方漫才コンテストで優秀賞、NHK新人演芸大賞で大賞をそれぞれ受賞。徐々に世間に認知され始め全国区タレントへ。

「爆笑問題のバク天!」(TBS)に出演。主に「恐怖のバク天芸人」「パラパラ日本昔ばなし」などのコーナーを担当。2006年1月21日の放送では「完全メイド宣言」に一日メンバーとして入団した。

2004年1月、第25回ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞受賞。同年7月、ラジオ「ゴーゴーモンキーズ」(毎日放送)の企画としてビキニ水着やレースクィーン、チアガールなどのコスプレ写真撮影会が実施された。

2006年11月19日、MBSゴチャ・まぜっ!の企画による第2回友近ビキニ撮影会が開催された。

2006年12月20日、なるトモ!で、かねてから噂のあったなだぎ武(ザ・プラン9)との交際を認める。これを逆手に取り、なだぎと友近は2人で「ディラン&キャサリン」(ビバリーヒルズ高校白書のパロディー)としてTV出演・舞台公演を行っている。ただしキャサリンという人物はビバリーヒルズ高校白書シリーズには登場しておらず、アメリカドラマに登場するステレオタイプな女性を演じているに過ぎない。 2007年2月28日、なるトモ!で「抱かれたい芸人ランキング」でなだぎが一位なのに対し「誰にも抱かせませ〜ん」という発言をしている。

2007年6月21日付の東京中日スポーツに、なだぎとの関係が破局したとの記事が掲載された。しかし友近は27日放送のバラエティ「明石家さんちゃんねる」内のトークコーナーで報道を否定、今も熱愛中であるとコメントした。

2007年9月3日放映のTBS「東京フレンドパークII」には、なだぎと共にゲスト出演。番組冒頭でディラン&キャサリンとして登場したが、ウォールクラッシュからは「なだぎ・友近」としてアトラクションに挑戦。結果はストッパーキューブリッジを除く四つのアトラクションで金貨を獲得。友近は前回出場時、屈辱の「逆グランドスラム(金貨無獲得)」に終わったが、今回はなだぎとの息の合ったプレイで雪辱を果たした。


【エピソード】
東大阪にある高校の学園祭への営業の最中、近くのビデオ屋で及川奈央がサイン会をやっていることを聞いたケンドーコバヤシは、ネタ15分のところを5分で切り上げ、同じ営業グループだったサバンナにも5分で切り上げるよう無理強いして、残りの40分を友近に任した。この時、同行していた吉本社員も怒るどころか一緒にサイン会へ駆けつけたため、友近はひとり学園祭会場に残された。

また、ケンドーコバヤシは「及川奈央の電話番号を聞き出すように」と友近へ指示。友近は及川から電話番号を聞いたものの、「他人のプライバシーを勝手に教えることはできない」、と拒否したため、コバヤシの怒りを買った。

友近の母(友近千鶴)は地元愛媛でアートコーディネータ・占い師・不登校の小学生の支援活動などを行っていて、最近は地元の南海放送でラジオのパーソナリティー(ママ友近)としても活躍している。また、2007年9月に松山市南堀端町に喫茶店「CAFE GALLERY」を開いた。会社員に大人気であり、友近の母は、友近が言うに「おっさんの観察が趣味」であるらしい。

爆笑問題太田光は友近を「美人」として見ており、「友近ちゃん」と呼んでいる。

近藤真彦の大ファンである。

仕事で和服を着るときには、「和服を着慣れた人しか着ない渋好みの服」(美輪明宏談)を選んで着る。

関西テレビのロケ弁当がまずいとクレームをつけた事が未だにゴチャまぜのネタにされている。

母親は松山市南堀端町に「CAFE GALLERY」という喫茶店を開いている。


(出典:Wikipedia)

トータルテンボス

トータルテンボスは吉本興業・東京本部所属のお笑いコンビである。

【メンバー】
■大村朋宏(おおむら ともひろ、1975年4月3日 - )
・ボケ担当。静岡県御殿場市出身。身長177cm。血液型O型。
・静岡県立沼津東高等学校卒業、明治大学中退。高校時代はハンドボールをしていた。
・2006年4月に誕生日が同じ女性と入籍。相方と同時発表した。11月に第1子誕生。
・甘口カレーとプッチンプリンが好物。
・実家は菖蒲苑と言う雀荘で、トークライブの名前になっている。
・藤田をはじめさまざまな人にいたずらを仕掛けており、その様子は本人のブログで見られる。
・1つ下の妹と10歳違いの弟がいる。

■藤田憲右(ふじた けんすけ、1975年12月30日 - )
・ツッコミ担当。静岡県御殿場市出身。身長181cm。血液型A型。
・静岡県立小山高等学校卒業、中央学院大学中退。高校時代は野球部のエースだった。
・2006年4月に相方と同時に結婚を発表し、11月に第1子が誕生。
・アフロが特徴。ネタやトークなどでよく似ていると言われるスキマスイッチの常田真太郎にプライベートでも間違えられたことがある。
・大食いである。いきなり!黄金伝説。のオーディションでは牛丼を9杯食べ、番組内でパッション屋良、クワバタオハラ小原と共に大食いメニューベスト10の料理を食べつくした。しかし、このコーナーでジャンボ海鮮丼が出たとたん、明太子が苦手で「最初に食べればよかった」と言うが最後の1個で進まず、気合を入れてやっと娘のために挑戦し、食べることができた。


【概要】
■1997年4月コンビ結成。東京NSC3期生。大村が大学時代にロンドンブーツ1号2号の深夜番組を見て芸人を志し、小学生からの同級生であった藤田を誘ったことがコンビ結成のきっかけとなった。
■主に漫才を行っている。2006年10月1日から「ニッポン全国漫才ツアー47」を開催。2006年に12都市で開催し、2007年に残りの全都道府県でも順次開催した。
■M-1グランプリには2002年度より参加して3度決勝に進出(2002~2003及び2005年大会は準決勝敗退)。2004年大会で7位、2006年大会で5位と順位を上げ、コンビ結成10年目の2007年大会は優勝候補の一角として出場。優勝はならなかったものの、2位の好成績を残した。
■主にルミネtheよしもとでの活動を行う傍ら、2007年2月まで宗田義久・元チャイルドマシーンの樅野太紀と共にSausage Butterfly Pasta Festaというバンドを組み、音楽活動も行っていた。


【略歴】
■1997年4月、コンビ結成。
■2004年12月、M-1グランプリ2004で決勝7位。
■2005年3月、第7回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会出場。ファイナル10位。
■2006年3月、第8回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会出場。ファイナル10位。
■2006年8月、オロナミンCCMバトルにて優勝、賞金100万円を獲得しCMにも出演。
■2006年12月、M-1グランプリ2006で決勝5位。
■2007年3月、第9回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会出場。ファイナル7位。また、この大会でゴールドバトラーに認定された(ゴールドバトラーについての詳細は爆笑オンエアバトルを参照のこと)。
■2007年12月 M-1グランプリ2007で決勝2位。


【芸風】
■「ハンパねぇ」などをはじめとする言葉遣いから渋谷系と呼ばれることがある。ちなみに「ハンパねぇ」を使うのは主に藤田で、大村は「おやおや、穏やかじゃないね〜」と言うギャグを使う。それを逆手にとってわざと古い言葉(浮世離れ、致し方ない等)を使うこともある。
■また最近では、大村が「俺○○やってみたいんだけどご存知」とネタの設定となる職業を発表し、藤田がそれに対し「存知ねえよ」と突っ込み、その職業に合わせる役柄を演じようとすると、大村「忍びねぇな」、藤田「構わんよ」と掛け合ってネタに入ることが多い。
■漫才では最後に「今日のネタのハイライト」と称して漫才の一番の見せ場をもう一度スロー演技で再演する。(ただし、時間制限のあるオンエアバトルなどではやらない場合もある)最近はやらないことのほうが多い。やらない理由に『自分達が面白いと思ったところと客が面白いと感じたところの認識が若干、ズレていることが多くなったから』だそう。
■藤田の髪型からスキマスイッチの常田真太郎やパパイヤ鈴木、サイババ ボボボーボ・ボーボボに似ているとよくネタにする。
■ケンカのシーンで大村が藤田の股を殴るくだりがあり、『なぜ内股だぁ〜〜〜!!相場は肩だろう〜!』というのが一種のお決まりのネタになっている。
■アフロモンキーズというお笑い芸人の軟式野球チームを結成。ダイノジ率いる俺軍とよく対戦している。メンバーには、オリエンタルラジオの藤森慎吾やアームストロングの栗山直人、POISON GIRL BANDの吉田大吾、ピン芸人の大西ライオンなどがいる。


「トータルテンボスの底知れねぇ伝説」(本人によるブログ)
トータルテンボスののっぴきならナイト(番組HP)


(出典:Wikipedia)

徳井義実(チュートリアル)

徳井義実(とくい よしみ、1975年4月16日 - )は、日本のお笑い芸人。所属事務所は吉本興業。コンビ・チュートリアルのボケ、ネタ作りを担当している。相方は福田充徳。身長178cm。


【略歴】
京都府京都市左京区出身。河合塾を経て、花園大学仏教学科中退。大学在学中に大阪NSC13期生として入学。NSC卒業とともに高校時代の同級生と組んでいたコンビ「チューイング」を解散し、芸人をやめ職を転々とする。1998年、幼稚園から予備校まですべて同じ学校に通っていた友人・福田充徳を誘い、お笑いコンビ「チュートリアル」を結成。4年ブランクがあるため、その間にデビューした他の芸人との先輩後輩関係は曖昧である。2006年のM-1グランプリにチュートリアルとして出場し優勝した。2007年にはR-1ぐらんぷりに徳井義実として出場し準優勝している。この活躍により、2007年7月卒業した京都府立北稜高等学校より福田と共に名誉卒業生として表彰された。


【人物】
高校時代は同級生と「赤とんぼ」というコンビを結成しティーアップのネタをそのままコピーして学園祭等で披露していた。(その後「チューイング」というコンビを組みNSCへ入る)

エロスという用語を番組出演時に用いることがある。エロ三羽烏(徳井、ランディーズ・中川貴志、すっちー)のひとり。「スタイリスト(=コスプレ)徳井」の異名を持つ。

小学3年の頃より広島東洋カープのファンである。

2003年から2005年まで吉本興業が刊行する情報誌「マンスリーよしもと」の吉本男前ランキングで3年連続1位を獲得し、殿堂入りしている。

2007年7月現在、東京での仕事が増えたため、大阪本部に所属したまま東京に住んでいる。


【ヨギータ】
ヨギータ・ラガシャマナン・ジャワディーカは、徳井がコントなどで演じる架空の人物で、南アジア系の外国人。片言の日本語で「ショート落語」を披露する。師匠は山椒亭小粒(さんしょうていこつぶ)。R-1ぐらんぷりにはこのヨギータのネタで2年続けて出場し、2005年は準決勝進出。2006年は準優勝に輝いた。もとはコント中の一役であったが、R-1ぐらんぷりの他、単独ライブや「笑いの金メダル」「なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ! 」などにも登場する。

出身と職業はコントごとに変化し、設定は決まっていないが、実家は農村で貧しいと設定されていることが多い。

相手の名前や日本語を上手く発音することができないという設定になっている。日本語の「シ」という音が英語のC[si:]に近い発音になってしまうことや、「形容詞/動詞 + だから/だけど」などの文法的におかしい話し方が特徴である。

(出典:Wikipedia)

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ドランクドラゴン

ドランクドラゴン(DRUNK DRAGON)は人力舎所属のお笑いコンビ。スクールJCAの5期生。専攻はコント。略称は「ドランク」または「ドラドラ」。

塚地武雅と鈴木拓が人力舎の養成所であるスクールJCAで出会い、結成されたコンビ。

「新しい波8」(フジテレビ)に出演し、この番組の出演者であるキングコング・ロバート・北陽・インパルスとともに「はねるのトびら」のレギュラーに抜擢される。


【メンバー】
■鈴木拓(すずき たく、1975年12月7日 - 、五厘狩りの方、ツッコミ担当が多い)
神奈川県綾瀬市生まれ、A型。身長165cm、体重58kg。グレイシー柔術の使い手だが、骨が弱く度々骨折するなどひ弱な一面もある。神奈川県立綾瀬西高等学校卒業。趣味は釣り。さかなクンとは中学・高校の同級生でもある。干支はうさぎ。踊る!さんま御殿!!では「フヘ」と呼ばれる。ヘルニアを患っていた時期があった。

■塚地武雅(つかじ むが、1971年11月25日 - 、眉毛なし、丸坊主の方、ボケ担当が多い)
大阪府阪南市生まれ、A型。身長166cm。体重は実際には120kg台だが、プロフィールを95kgとしている。大阪府立佐野高等学校・桃山学院大学経済学部卒業(一浪している)。 干支はいのしし。


【略歴】
人力舎の養成所であるスクールJCAの同期生として出会い、1996年に結成。その当時、鈴木は常にスーツを着ていた。初舞台は同年8月7日渋谷公園通り劇場、披露したネタは「相撲喫茶」。コンビ名はカンフー映画「ドランクモンキー 酔拳」、「燃えよドラゴン」を組み合わせたもの。

当初は痩せていた塚地が30kg近く太ったことでキャラがついてネタが受けるようになり、現在のスタイルを確立した。

2000年に「新しい波8」(フジテレビ)に出演したことから、翌年「はねるのトびら」のレギュラーに抜擢される。また、それ以前から「爆笑オンエアバトル」(NHK)にも出演して好成績を挙げている。

はねるのトびらでの人気上昇を受け、塚地が2003年1〜3月に月9ドラマ「いつもふたりで」に出演。また同年から「エンタの神様」でコントを披露するようになり、ブレークを果たす。

2005年1月24日、人力舎所属芸人によるユニット「ビジトジ」でCDデビュー。


【概要】
コントでは塚地が演じる様々なキャラクターに定評がある。代表的な作品として「アイドルおたく」「家庭教師」「未散(みちる)」(未散は塚地がMr.Children(ミスチル)好きであることからつけられた。)などがある。塚地は一発ギャグも得意とし、様々なボケを繰り出す。 一方で、「日本遊戯研究部」「下町の馬鹿親父」など、「ネタのクオリティが小学生並み」と酷評されるネタも決して少なくない。

一方の鈴木は、コントでは塚地に対してツッコミ役を担当することが多いが、お笑いに対して全くやる気がなく、少ないセリフを覚えることもままならないという。鈴木にツッコミを覚えさせるのが塚地の役割でもある。このためドランクドラゴンのネタにはアドリブ性が少ないが、鈴木のミスからとんでもない方向に展開するという天然のアドリブは頻繁に見受けられる。しかもその天然度はすさまじく現在の芸人の中でもトップクラスだが塚地曰く、「鈴木の行動を見て笑えるのは最初の一年だけ、その後は腹が立ってくる」らしい。

またコント中に鈴木が度々素で笑いコントを中断するなど、前代未聞のコンビである。

コントとは対照的に、トーク番組では鈴木が主役になることが多い。彼の要領を得ないトークと天然ボケは共演者を唖然とさせる。しかし空気を読まない毒舌などは計算されたキャラでもある。塚地はほぼツッコミに回り、トークではコンビの役割が逆転している。

そして最近では、コントでも、トーク番組などで見せる素顔に近い設定で、鈴木の天然ボケに対し塚地がツッコミを入れるネタが作られるようになった(「男だろ」「紙芝居」など)。

鈴木は2002年に「はねるのトびら」で彼女に強制的にプロポーズさせられたことに始まり、両親が経営する居酒屋など私生活ネタが番組で紹介されることが非常に多かった。しかし本人は嫌がっており、2003年の挙式や2004年に長男が産まれたことは番組スタッフはおろか塚地やマネージャーにも話していなかった。

また、SMAPの木村拓哉は、鈴木と友達らしい(ラジオで鈴木が大親友だと発言していた。木村が主演をした2006年7月3日のHERO特別篇に、鈴木は死体を発見する警官役で出演した)。

2006年9月14日終了した「どっちの料理ショー」(よみうりテレビ製作)では、初登場から未勝利で4連敗(過去に、この記録は、堀内孝雄、ほんこんが記録)という「史上最悪の記録」を作ってしまった。

2007年5月9日放送のはねるのトびらでは裸の大将放浪記の2代目山下清役に抜擢された塚地が丸坊主姿を披露。相方の鈴木は塚地の丸坊主に対抗して五厘狩りのヘアスタイルに変更。それに対抗して塚地はさらに眉毛を剃った。

(出典:Wikipedia)

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所ジョージ

所 ジョージ(ところ ジョージ、英語表記:Tokoro George、本名:芳賀 隆之(はが たかゆき)、旧姓:角田、1955年1月26日 - )は、日本のマルチタレント。ティヴィクラブ所属。身長174cm。血液型はO型。


【概要】
埼玉県所沢市出身。市内のこひつじ幼稚園、南小学校、南陵中学校、小平市の錦城高等学校を経て拓殖大学政経学部に進むが、学費納入の手続きを忘れ、学費未納として除籍される。「シンガーアンドソングコメディアン」を自称し、ミュージシャン・コメディアンとして芸能界デビュー。その後、日本を代表するタレントとして複数の冠番組を持つ。その他、俳優・声優・司会者・ラジオパーソナリティ・ディスクジョッキー・作家・コピーライター・ゲームクリエイター・発明家、また少年ビッグコミックにおける漫画家としての連載など、様々な活動を行っている。

芸名の「所ジョージ」の由来は、出身地の所沢市と柳ジョージをモチーフに宇崎竜童によって「所沢の柳ジョージ」という意味で命名された。「所さん」の愛称で親しまれており、これはデビュー当初から本人自らが自分のことを「所ジョージさん」と言っていたものと、出版物や冠番組で「所さんの」が多用された事から、それが一般に定着したものと思われる。坂崎幸之助やビートたけし、タモリからは「所」、明石家さんまは「所ジョージ」とフルネームで呼ぶこともある。


【芸能活動】
《ミュージシャン・音楽面》
芸能界入りのきっかけはダウンタウンブギウギバンドのボーヤとしてであり、ライブの前座を務めていた。その後、タモリに見出される。1977年に『ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景』で、シンガーソングライターとしてデビュー。

1998年、テレビ番組『MUSIC HAMMER』の企画としてシングルCD『「ミュージック・ハンマー」オリジナルサウンドトラック“トンカチ”』をリリース。このCDでは同番組で所と共に司会を務めた坂崎幸之助、篠原ともえも参加している。

1999年には明石家さんまの人生を描いた曲『明石家さんまさんに聞いてみないとネ』をリリース。この企画はさんまが司会を務めるさんまのまんまに所が出演したことをきっかけに生まれた。この曲にはさんま本人とゲストとしてたまたま通りがかった工藤静香も参加している。プロモーション・ビデオは多忙なさんまと所の2人のスケジュールが取れないため、レコーディング風景の映像をそのまま使っている。記者会見では「ライバルはGLAY」「目標は売り上げ5000万枚」「NHK紅白歌合戦出場を狙う」などと言っていた。なおアルバム『洗濯脱水』には『明石家さんまさんに聞いてみてもネ』という曲も入っている。

2002年7月には、女性フォークデュオ「素一(すっぴん)」のシングル「白い月」で初めて他のアーティストのプロデュースを行った。シングル「白い月」は2002年7月24日に発売され、収録されている「白い月」「治療」「ガンバレ」 の3曲の作詞・作曲も所が担当している。

2004年9月、男性フォークデュオ「コブクロ」とともに「トコブクロ」を結成。所がイメージキャラクターとして出演した缶コーヒー「ワンダ モーニングショット」(アサヒ飲料)のテレビCMのイメージソングを制作した。2004年9月29日には、マキシシングルCD『毎朝、ボクの横にいて。』として発売。

そのほかにも、NHKみんなのうたでは、1989年には「背中でツイスト」、1999年には「歩いてみっか!」を歌っている。なおこれらの曲について、前者ではアニメキャラクター、後者はCGキャラクターとして、映像に登場している。

2006年には、エイベックスより、アルバムを1枚リリースしたり、山本譲二との「譲二さんと所さん」名義でコラボレーションシングルをリリース。山本との競演に関しては、「この異色ユニットでNHK紅白歌合戦に出たい。」と望んでいたが、取り下げられてしまった。


《楽曲の特徴》
自らのレコード・CDは遠慮のない表現やパロディ等のため、すぐ廃盤になったり、発売されなかったりする事が多い。オリコン等のヒットチャートにランクインすることは滅多にない。かつてシングル『まったくやる気がございません』のイントロでも「滅多に売れた事のないと言う(以降省略)」と言っており、20周年記念アルバム『カニバーサミー』を出演番組で宣伝した際も「(自分の歌は)どうかしてる。売れないわけだ」とコメントした。しかし、デビューアルバム『現金に手を出せ!!』はオリコン最高位33位、オリコン調べで2.2万枚を売り上げ、シングル『寿司屋』はザ・ベストテンで、20位より下のかなり低い順位ではあるがランクインしたこともある。一部の根強いファンに支えられ、2006年現在も音楽活動を続けている。業界の中では宇崎竜童や奥田民生などから高い評価を受けており、レコーディングに大物ミュージシャンや森高千里などの意外なゲストが参加することが多い。

レコーディングされたもっとも短い楽曲は、『スブタ』という曲。歌詞も12文字だけでわずか5秒の作品。よくバラエティー番組で披露されることが多い。『どっちの料理ショー』で紹介されたこともある。


《その他》
ギターで3カポを多用するため、3フレット分ネックをカットしたギターをオーダーメイドした。後に井上陽水にこのギターをプレゼントした際、陽水はネックの短さに驚いた。この経緯については『LIVE 絶滅の危機』に、所本人が語っている様子が収録されている。

アルフィーの坂崎幸之助と親交が厚く、所は坂崎のことを「こうちゃん」と呼んでいる。これに対して坂崎は「トコロ」と呼び捨てにすることが多い。アルフィーの売れない時代に自らの曲を自室で坂崎と二人でアレンジ・レコーディングしたり、オールナイトニッポンにレギュラーコーナーを持たせたり、映画「下落合焼とりムービー」では二人で共演などし、挙句の果てには所がアルフィー入りを懇願したりしている。近年、音楽のライブ活動をしようとしない所に対し坂崎は「俺が会場やスタッフや楽器の段取りするから。お前は来て歌うだけでいい」とまで言っている。

宝くじ・ミスタードーナツのCMやいくつかの看板番組では出演するとともに、テーマソングを作詞・作曲し歌っている。世界まる見え!テレビ特捜部におけるラサール石井の証言によれば、出演料だけでなく、別途作詞・作曲料も請求している。この件に関して、所本人は否定せず苦笑していた。


《タレント・俳優業》
1983年から1990年まで「森田一義アワー 笑っていいとも!」のレギュラーを務めていた。1996年から2006年春まで宝くじのCMのイメージキャラクターを務めている。肩の力を抜いた、いい意味での「いい加減さ」が人気であり、司会、レギュラーを務める番組は多数で、長寿番組も多い。また、理想の父親、上司ランキングでよく上位にランクインする。そのリラックスした司会ぶりは、島田紳助に羨ましがられている。

俳優業では、1980年代にTBS系ドラマ『うちの子にかぎって』などで脇役として好演、1993年に黒澤明監督作品『まあだだよ』に出演し、日本アカデミー助演男優賞ノミネート、ブルーリボン助演男優賞を受賞。スペシャルテレビドラマ『私は貝になりたい』にも主演し、当時は役者転向かとも言われた。しかし2007年現在もタレント、ミュージシャン業をメインにしている。

タレントとしての芸風は「いい加減」さを売りにしているが、1980年代まではテレビでは登場時に縦横無尽に暴れまわる芸風であり、番組スタッフと内容を巡って次のような軋轢をおこしている。そのため、80年代には日本テレビ系からフジテレビ系へ、そして90年代には再度日本テレビ系へと活動の中心を移している。2000年代においてはスタッフとの軋轢も表面化していないようなので、かつてのような揉め事はないものと思われる。

日本テレビ系においては、「11PM」の水曜日の司会を長年続けた愛川欽也の勇退を受けて、1986年4月より水曜の司会に起用された。これは同じ日本テレビ系のTV海賊チャンネルでの功績を認められての抜擢だった。しかし、「TV海賊チャンネル」時代には所ワールドと言ってもいいくらい自由だったのに対し、長寿番組「11PM」では制約が多く、スタッフ等との意見衝突もあって、半年で降板した。

フジテレビにおいては、出演していた「笑っていいとも!」で、所がやりたがっていた企画と、スタッフが所に出した企画の内容の違いが浮き彫りになった。次第に「いいとも」が当初のマニア受けの番組から万人受けする番組に変化する中、所の存在や出演コーナーは番組全体から浮くようになった。スタッフに抵抗するかのように、1989年年末の笑っていいとも!特大号では他の出演者がものまね紅白歌合戦企画で女装する中、所は一人女装せずに助走した。スタッフとの考えの違いは埋めきれないまま、所は1990年3月に「いいとも」を降板する。これを契機に一時期フジテレビに対して不信感を抱き、次第にフジでの仕事を減らし、「ものまね王座決定戦」の司会、「やまだかつてないテレビ」の準レギュラー、「所さんのただものではない!」の司会を1991年9月までにすべて降板した。1991年10月から1995年3月までの期間は、特番などには出演するものの、レギュラー番組への出演はない。その時期の出演番組は、特番の「世界の超豪華珍品料理」、「芸能界ぶったまげリクエストそこまでやる!?」や、ビートたけし繋がりの「たけし・逸見の平成教育委員会」や「平成教育テレビ」、「平成夏休みバラエティー」「北野ファンクラブ(たけし代理。題名も「所ファンクラブ」になっていた)」だけである。この頃、フジの番組からデビューしたおニャン子クラブをも徹底的に嫌っており、週刊誌などのインタビューでは度々過激な苦言を述べていたこともある。彼女らと共演する関根勤らも苦言の対象となっていた。

こうした経緯によって、90年代においては再度日本テレビでの仕事が多くなった。同局の看板クイズ番組だった「マジカル頭脳パワー!!」では、かなりの正解率を誇り、VTR問題はVTRが出た瞬間に正解するなどものすごい頭の回転力を見せつけ、ほぼ毎回トップ頭脳賞を獲得していた。また、同番組において、スタッフのクイズ・ゲームを重視する主張と、所の「クイズも大事だが出演者同士のやりとりも大事」とする主張の対立により途中降板している。

2006年現在は、日テレ、フジ両局ともに関係は改善しつつあり、日テレにおいてはいまだ多数のレギュラー番組が存在する。フジテレビにおいても、1994年と1997年、1998年、2006年に所が「いいとも」のコーナーテレフォンショッキングに出演し、また1本のレギュラー番組を持っている。


【生活・思想】
■妻:芳賀文子:ティヴィクラブ社長

■長女:芳賀さやか

■次女:芳賀遼子:所ジョージとCM共演

妻はもともと行きつけのスナックのママであり、現在は「ブンブーンクッキング」の著者、また所の事務所であるティヴィクラブ社長でもある芳賀文子。ビートたけしから、「かみさんは福島出身だから、おにぎりのことを『おぬぐる』と言うんだろ」と冷やかされていた。結婚披露宴では赤塚不二夫が自らビデオカメラを持ってきて撮影し、仲人はタモリが務め、披露宴では所の経歴を「拓殖大学を優秀な成績で除籍」と紹介され、本人も喜んでいる。この時以来、「仲人といえば」「親も同然」が、タモリと所の間の合言葉になっている。披露宴には当時パーソナリティーを務めていたオールナイトニッポンのリスナーを招待した。

ライフスタイルは徹底したアメリカンスタイル。社会制度についても「弱いものは助けず、金を稼いだものが尊敬され優遇される社会に転換すべき」とアメリカ型社会や小泉構造改革路線を支持する発言をたびたび行なっている。但し、これらの発言は所流のいい加減な発言(ギャグ)であるという解釈もできる。トレードマークは「おでこメガネ」「額グラサン」とも呼ばれる、額にめがねやサングラスをかけた姿である。オールナイトニッポンに出演していた20代の頃から、何度もカツラメーカーからCMのオファーがあるも、断っていた。

「ダ埼玉」と揶揄されていた1980年代前半、埼玉県庁発行の埼玉県民だよりに「ダサいと言われてカッカする方が余程ダサいと思う。埼玉らしい良さを自覚し誇りに思うべきだ」「住むにはとてもいい所だ」等、冷静なコメントを寄せている。

1984年、第1回新語・流行語大賞で「す・ご・い・で・す・ネッ」が流行語部門大衆賞を受賞するなど、流行の先駆者でもある。上述の「おでこメガネ」(帽子の上に掛けるものも含む)は2004年頃から巷でよく見かけるようになったが、このスタイルを21世紀に復活させたのは所だと言われている。以前女子高生などの間で流行した「ゲロゲロ」「〜かもしんない」なども、所が発端と思われる。「ルーズソックス」の先駆けも自分であると、所本人は言っている。

クールでドライな一面もあるためか、人前で涙や悲しみを絶対に見せないが、明石家さんま曰く、「オールナイトニッポン」の最終回で号泣した。また、「笑ってコラえて」「奇跡体験!アンビリバボー」などの番組で感動的なVTRが流れた後、スタジオで共演者が涙を見せる中で絶対に涙を流さない。また、お葬式にも報道陣の前ではあまり姿を見せず、黒澤明の通夜で取材に応じたぐらいである。


【趣味】
その他、ゴルフ、お茶等、趣味は数え切れず、スニーカー、ライター、スカジャン、ガスガンなど多数持っており、芸能界では寺門ジモンと並ぶコレクターとして知られる。自らの多趣味を組み合わせて楽しむ事が得意であり、ラジコンに可動関節フィギュアを載せて走らせたり、フィギュアに小道具と共にポーズを取らせて撮影した写真集を出版したりしている。ゴルフについては、「東西お笑い芸人ゴルフコンペ(非公開のプライベートコンペ、「東西お笑い名人会」とも)」では度々優勝している。練習熱心で、「飛ばし屋」である。そのスウィングは個性的だが、持ち前の運動神経と体力、鋭い感性、巧みなメンタルコントロールが強さの秘密であろう。ゴルフ理論にもこだわりがある。それが嵩じて2006年、革新的なゴルフクラブ・TxTパラレルハンマーアイアンをプロデュースし、大評判となっている。テリー伊藤と並ぶ無類の車好き、特にアメ車好きとしても有名で、ホンダ・オデッセイをシェルビー・コブラ風に改造してしまう等独創的なカスタムが多い。またバイクにも造詣が深く、それまでオッサンバイクのイメージが強かったビッグスクーターのボディをイエローにペイントし、カスタムパーツを取り付けるなど若者向けに改造し、現在のビッグスクーターブームの火付け役的存在にもなった。


【他の人物との関係】
漫画家秋本治と交友があり、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』単行本の巻末にコメントを寄せている。植木等を尊敬し、「無責任男」のキャラクターと植木本人の人格に惚れ込んでおり、所は植木等のことを「お父さん」と呼んでいる。ドラマで父子役を演じたこともある。しばしばコージー冨田にものまねをされる。1985年頃のラジオで本人が語ったところによれば、蛭子能収が大嫌いである。おまけに野々村真も嫌っており、番組で頻繁に弄っていた(共演した番組での海外ロケでは、クイズの答えが「イルカに乗った少年」のところ、「マネージャーに乗った野々村」と回答していた→共演タレントのマネージャーと海外ロケ中にセックスしたということ暴露している)。以前はおニャン子クラブも徹底して嫌っていたが、現在は元おニャン子クラブメンバーとの交流もある。ビートたけしは以前オールナイトニッポンでさんざん所ジョージの悪口を言っていたが、今考えればライバル視していた証拠であろう。バイク事故の際、傍目から見ても所ジョージにビートたけしは一生頭が上がらないほどの恩の受けた。所はたけしのことを「北野さん」や「おじさん」などと呼んでおり、ゴルフ仲間でもある。

(出典:Wikipedia)

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トシ(タカアンドトシ)

トシ(本名:三浦敏和 - みうらとしかず、1976年7月17日 - )はお笑い芸人でタカアンドトシの坊主頭の方でツッコミ担当。相方はタカ。血液型はA型。


【人物】
■北海道旭川市出身。北海道札幌南陵高等学校卒業。

■「欧米か!」「真面目か!」などと繰り返しつっこむのが特徴。また、エンタの神様に出演する際には、コントをやるため、「漫才か!」とつっこむ。

■坊主頭。よくそれをネタにされる事があり「タコ」や、「ボール(時々砂のついたボール)」など言われたりする。また、タカに「訳分かんねえよ!」とつっこむと、「お前分け目分かんねえじゃねえか」と返される。

■現在は坊主頭だが,北海道時代はマッシュルームカットだった。坊主頭にしたきっかけは、ラジオ番組で吉川ひなのとIZAMが結婚したとき、離婚するか否かをかけて負けたために罰ゲームであり、また罰ゲームで1ヶ月だけ金髪にしたこともあった。

■タカと違い、細めのパンツにジャケットというシックな服装が好みである。

■視力が悪いため、コンタクトレンズを着用している。

■容姿に関してはよくネタにされる。彼女に「口が鼻より出ている」と言われたり、ネタで「進化の途中」と言われたり、島田紳助に「しょぼい日本兵」と言われたりする。また、阪神タイガースの赤星憲広に似ているという指摘もある。

■高校生のときに、タカとのネタ合わせを優先させて初めての彼女とのデートを断ったことがある。そのときまだコンビは結成しておらず、発表の場もないのに毎週ネタをつくってビデオでとって遊んでいたらしい。

■岡田圭右の「岡田会」のメンバーの1人。

■ツッコミの時の叩きが痛いらしい。

■父親は松山千春の元マネージャーであり、アマチュアゴルファー(ハンデ0)としても活躍している。

■長渕剛とミッシェル・ガン・エレファントのファンである。

■ハリガネロックのユウキロックを中心とした仲のいい芸人の集まり、ロックファミリーの一員である。他にはダイノジのおおちや、ニブンノゴ!のリーダーなどがいる。

■実家が貧乏。1997年、テレビ静岡主催の漫才コンクールで優勝した百万円を駅のトイレでタカとわけ、自分の分はほとんど家に入れた。2006年はブレイクしたので、実の兄と父親からお金の無心をされた。

■吉本新喜劇の島田珠代にかっこいいと言われ好かれている。また、しつこくアピールされている。

■子供のときガキ大将だった。子供の頃のケンカの必殺技は、髪の毛をつかんで引きずり回すというもの。

■高校2年時に初めてお付き合いをした女性と現在も交際している。トシの母曰く当時の高校でNo.1といっていいほど綺麗らしい。ちなみに告白したのはトシではなく彼女。

■2007年1月4日放送の「ザ・ドリームマッチ07」ではダウンタウンの松本人志とコンビを組み、漫才を披露。惜しくも優勝は逃したが客のウケは上々で、松本からは「トシの落ち着きはすごい」「緊張してた俺の方がむしろリードされてた」と、トシの的確なツッコミ術を絶賛していた。また浜田雅功も「よくやってましたよ。」と褒めていた。

■2007年1月3日のはねるのトびらスペシャルで、サンプラザ中野の格好で珍しくボケ倒した。しかし、黄金伝説でタカが松山千春でトシがサンプラザ中野のモノマネをしたが、モノマネをしたときの姿が松山千春とサンプラザ中野の特徴は黒いサングラスとまったく同じなため、結局タカがボケでトシがツッコミになった。また、クイズ!ヘキサゴンII2007年4月25日放送分でも、1人で自分の頭を叩きながら「欧米か!」と半ばボケ、芸能人雑学王No.1決定戦では東海林のり子のモノマネをしてボケてていた。品川祐(品川庄司)は「トシって正統派のツッコミじゃなかったのか」と呆れていた。

■好物はアイスクリーム、イチゴ大福、エクレア、ウナギ、チンジャオロース。嫌いな食べ物はレバー、チーズ、シナモン。

■タカはトシの体調が限界に来たとトシより先に気付き、スタッフと「トシさん会議」なるものを開いた。それは、タカ曰くトシはタカよりリセットするのに時間がかかる為。その結果、一日の休み(営業を休んでつくった日)を貰ってトシを休ませた。

■タカと同様に歌の素質はあるが、タカに比べると声量が弱く、練習不足のためかいざ歌を披露すると下手な時と上手い時とがある。ただしファルセットに関してはタカより得意としており、カラオケ企画の森山直太郎の「さくら」で100点を記録したこともある。

■幼少期のニックネームは「トコちゃん」。高校時代のニックネームは「チャッキー」。

■父親からの電話は大体お金の無心である。また、その催促が度々な為、ほぼ毎月仕送りをしており、実質的には実家の大黒柱となっている。しかしトシ本人はあまりその事を嫌がっておらず「あげられる位稼げるようになったんだからその位は何でもない、自分の親だから」と語っている。

■昔タカがダイエット中に「食べ物を摂りたくないが、歯ごたえと味わいだけでも楽しみたい」との理由から楽屋の弁当のご飯を飲まないように噛み砕き、その噛んだご飯を分からないよう綺麗に弁当箱に戻しておいた為、何も知らないトシは危うくその弁当を食べそうになった事がある。

■志村けんのバカ殿様にゲスト出演した際に、志村けんの頭を引っ叩いた武勇伝がある。

■トレードマークともいえる丸刈り(相方のタカや芸人仲間からは「禿げ」・「坊主」と言われる事が多い)は実は自分で刈っており、プロ用バリカンを使う程のこだわりぶりである。その出来栄えはプロがやっていると思われる程で「自分で刈っている」と話すと驚かれることが多くロンブーの田村淳からも「綺麗に出来ている」と言われた。又、ヘアメイクさんから「モグラみたい」と訳の分からない褒め方をされた。

■どちらかと言えばタカよりクイズが得意なようである。「東京フレンドパーク」のクイズ!ボディ&ブレインの正答率や、「クイズ!ヘキサゴンII」の予選ペーパーテストの成績が相方よりも高いことが多いのがそれを物語っている。

■2007年6月13日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした」の対決コーナーにて、父親が歌手松山千春の元マネージャーである事を告白している。

■2007年8月18日8月19日放送予定日本テレビの24時間テレビではタカアンドトシとして番組パーソナリティーを務める。

(出典:Wikipedia)

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DonDokoDon

DonDokoDon(ドンドコドン)は、山口智充と平畠啓史の2人からなるお笑いコンビである。吉本興業所属。略称「ドンドコ」。


【メンバー】
■平畠啓史(1968年8月14日生まれ、血液型A型) - ツッコミ担当

■山口智充(1969年3月14日生まれ、血液型O型) - ボケ担当

山口智充はものまねタレントとして、平畠啓史はおおよそ芸能人とは思えない地味なキャラクターで知られる。コンビで行なう漫才の形式も、山口のモノマネを活かしたネタが特徴。


【来歴】
1994年にコンビ結成。2人は吉本興業所属となる前からの知り合いであり、かつては共に宝塚ファミリーランドに勤めていた。ここで山口はイベントの司会業を、平畠はイベントの音響を担当していた。

25〜6歳で吉本興業に入ったため、雨上がり決死隊の宮迫博之・ナインティナイン・ココリコ・陣内智則など年下の先輩が多い。同期には、ロンドンブーツ1号2号・ペナルティなどがいる。

主な賞歴としては、NHK『爆笑オンエアバトル』の初代チャンピオン。また2001年の第1回「M-1グランプリ」ファイナリストでもある。


【現在の活動】
長らくコンビでの活動を行っていない。「リンカーン」や「史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ」など、他の出演者がコンビで出演する番組でも、山口のみが単独で出演している。また、TVガイドの2007年度タレント名鑑や、ライブイベント「LIVE STAND 07」では、コンビとしてではなく別々に表記されている。それぞれが単独で出演する際には、平畠は「DonDokoDon平畠」とコンビ名を併記して紹介されることが多い。

コンビ活動休止の理由は不明。平畠が「ますだおかだのオールナイトニッポン」に出演した際には、平畠側からの働きかけによるものと語った事がある。またナインティナインは「ナインティナインのオールナイトニッポン」において、「仲の良くないコンビ」という個人的な見解を示している。

長年レギュラーを務めた「ワンナイ」の打ち上げパーティーでは、数年振りに二人が並んで挨拶する場面があったが、山口は素で立ち位置を間違えてしまい、雨上がり決死隊などに突っ込まれてしまう。(ラジオ「雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!」より)珍しいツーショットに、出演者やスタッフが一斉に記念の写メールを撮ったという。

(出典:Wikipedia)

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