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ハイキングウォーキング

ハイキングウォーキングは、吉本興業東京本社(東京吉本)所属のお笑いコンビ。2001年6月に結成。


【メンバー】
■松田 洋昌(まつだ ひろあき、1976年10月21日 - ) - ツッコミ担当が多い
・富山県富山市出身 / AB型 / 173cm / 60kg / B92cm / W77cm / H95cm
・趣味:料理、高校野球観戦、買物、公園を散歩、読書(雑誌)、服集め / 特技:スポーツ全般
・芸人になる前はパティシエとして洋菓子店で働いていた。
・前に組んでいたコンビのコンビ名は「ハックルベリー」。
・「マンスリーよしもと」が実施している吉本男前ランキングで、2006年度17位、2007年度16位。
・実家の犬は、少し肥満気味で、毛がカールしている。
・実家は美容院。
・初めてもらったラブレターを、母親に夕食時家族の前で読み上げられた。
・ほとんどのネタを書いている。
・愛称は「松兄」。
・コンバースはオールスターのハイカット黒を愛用。
・鈴木と比較してしっかり者だと思われているが、意外と天然なところがある。
・真面目な性格は自他共に認めている。

■鈴木 Q太郎(すずききゅーたろう 本名:鈴木 正志、1974年8月14日 - ) - ボケ担当が多い
・新潟県南魚沼市出身 / A型 / 173cm / 64kg / B95cm / W81cm / H98cm / F27cm
・趣味:読書、ビデオ鑑賞/特技:肉の味見、肉を切る(牛、豚、鶏)
・学生の頃、下校途中に屁をずっと鳴らしながら帰ったという伝説がある。今は全身のどこででもオナラの音を出すことができる。
・保育所の頃に馬の顎で頭を割られ、出血した過去を持つ。
・長髪で、自分自身のことをキモイと言っている。長い髪を耳の所で上に折り返した髪型(角髪)は邪馬台国の人にそっくりらしい。ディズニーのファン。
・「マンスリーよしもと」が実施している吉本ブサイクランキングで、2007年度13位。
・前に組んでいたコンビのコンビ名は「サーロイン」。
・33歳の誕生日に彼女に振られた。
・声が(非ダビ声時の)中尾隆聖に似ている。
・愛称は「Qちゃん」。


【ネタ】
■ネタは主にコント。鈴木のキモキャラを売りにしている。元々、何となく髪を伸ばしていたらキモいと言われ始めたことからキャラが定着した。ちなみに、ネタ中によく着ているディズニーキャラクターのマリーの服はプライベートでも着ている。

■ネタ中では鈴木が主体だが、スーパーイリュージョンをはじめとするほとんどのネタを松田が作っている。


《ブス田キモ子》
■『エンタの神様』で披露しているネタ。鈴木が扮するブサイクでキモい女・ブス田キモ子の自意識過剰な発言に対し、松田扮するバーの店員がメニューでキモ子を殴りツッコミを入れるというもの。ちなみに最初の出演時は金属のトレーで殴っていた。

■キモ子が自意識過剰な発言をする前に、「エマニエル夫人」の主題歌の一部が流れる。

■苦情が多かったらしく徐々に放送されなくなり、約1年ぶりの出演となった2008年1月19日の出演では普段と同じコントを行った。


《Mr.スズキックスのスーパーイリュージョン》
■短時間でできるネタとして主にTVで披露しているネタ。鈴木扮するキャラクターMr.スズキックスが様々なスーパーイリュージョン(実際には飲み会の出し物レベル)を行うが、ほぼ失敗し松田にツッコまれる。

■コーラ(番組のスポンサーによってはサイダー・ジンジャーエールの場合もあり)を飲み(だが一気飲みできずに途中で止めて松田に突っ込まれる)「徳川15代将軍の名前」や「山手線・新幹線の駅名」、「ラジオ体操第一」をゲップをせずに言い切る(やり切る)。

■しかし『ウチくる!?』で披露した際、ゲスト出演していた伊達公子夫妻から「(ゲップ芸は)国際的に失礼」と言われ、判定では×をつけられた。

■ヘリウムガスを吸い声を変えずに歌う

■風船を息継ぎなしで膨らませる

■飴の味を変える

■ハンドクリームを塗りたくった手でビンの蓋を開ける

■接着されていないダンボールを潰さずに10秒乗る

■飛ばした風船を瞬時に片手で掴み取る

■ブーブークッションの音を鳴らさずに座る

■手を全く使わずにズボンを履く(唯一、成功するが「くだらない」とツッコまれる)


《髪芸百選》
■鈴木の髪を使ったモノマネシリーズ。
■テンションの上がった海女さん
■邪馬台国が滅び行く時
■オイルショックの女
■女学生
■ブーケを奪い合う女
■パチンコで食う女
■ラーメン
■昭和20年代の女


【逸話】
■松田は富山県立富山商業高等学校在学時、野球部に所属しており甲子園出場を果たすも、レギュラーではなくスタンドでの応援だった。

■鈴木の方が年上だが松田の方が芸歴が1年長いため(松田は東京NSC2期と同期、鈴木は東京NSC3期と同期)、普段はお互い敬語で話しているらしい。しかし、鈴木は小道具を面倒くさいと持ってこなかったり居酒屋に自分から後輩を誘って閉店時間まで寝ていたりとだらしないため、松田が主導権を握っている。

■プライベートでは仲が良くバイクで二人乗りなどもしているが、鈴木が長髪のため後姿でたまにカップルに間違えられる。

■2005年(収録は2004年12月)、松田の地元で行われた『爆笑オンエアバトル』の富山大会で初挑戦にして509KBを獲得しトップでオンエア。
2005年度には平均KB6位通過でチャンピオン大会セミファイナルに進出するが惜しくも6位敗退であった。また、2006年度は5戦3勝とチャンピオン大会の出場条件である年間4勝が達成できず出場していない。

■2006年ごろから、松田の出身地である富山県の富山テレビの番組にも出演しており、富山県のローカルお笑いタレントとは一線を画す仕事ぶりを見せている。

■ラ・ゴリスターズに所属であり、1番先輩のコンビである。その事からかメンバーから慕われている(特に松田)。

■『爆笑レッドカーペット』には毎回出演しており、2007年9月11日に放送された第4弾では、くまだまさしとともに「ビックリイリュージョンショー」と評したコラボネタを披露し(いつも成功するくまだのネタ時と異なり失敗している)、レッドカーペット賞にも選ばれている。同年12月17日放送でもくまだと組み、2人の格好から「ブルマパーティー」というユニット名で参加した。

■鈴木の髪は、乳首から指3本と決まっており、毎回松田が切っている。

■鈴木は、イベントに出演した際のギャラとして、芸で使ったホルモンを現物支給された経験がある。ちなみに、そのホルモンを入れて作った味噌煮込みうどんの味は絶品だったらしい。


ハイキングウォーキングのぶろぐ


(出典:Wikipedia)

博多大吉

博多 大吉(はかた だいきち、本名 吉岡 廣憲(よしおか ひろのり)、1971年3月10日 - ) は日本のお笑い芸人で博多華丸・大吉のツッコミ、ネタ作り担当。


【人物】
■福岡県立光陵高等学校卒業、推薦入学で福岡大学経済学部へ(後に中退)。尚、在籍していた落語研究会での高座名は「福々亭こまんど」である。旧名・亀屋 大吉(かめや だいきち)。2007年11月18日、12年来お付き合いをしていた宮崎県出身の女性と結婚。

■プロレスが好きで『DRAGON GATE〜龍の扉〜』の司会者もつとめている。プロレスラーのハヤブサは親友であるほか、三沢光晴とは飲み友達であり、このことが松下笑一の改名のきっかけにもなった(本人項目参照)。

■趣味は他に、「アニメキャラクターの年齢を調べるのが好きだ」と、未来創造堂の中で披露していた。そのため、年齢を言えばその年齢のアニメキャラクターを次々と言い出す癖がある。

■長身で細身。長身を生かして学生時代はバスケットボール部に所属していたが、天性の虚弱体質と運動音痴で、若手時代は「もやしっ子」などとも言われていた。

■東京進出後は、福岡吉本時代の後輩であるバッドボーイズの清人を自宅に居候させている。また、今田耕司に可愛がられており、今田主催の飲み会「コージー's ナイト」の常連。

■2006年2月に華丸がR-1ぐらんぷりで優勝したが、これは華丸に内緒で大吉とマネージャーが勝手にエントリーしたところから始まっている。児玉清のあいうえお作文ネタも、大吉が考えたものである。

■父親はロサンゼルス五輪以降から無職であると、『ヨシモト∞』で明かした。ちなみに母親は看護師のお手伝いさんで、姉も同じ仕事をしているらしい。

■元々前面に出て行くタイプではないらしく、最近は華丸一人が目立って自分は目立たない存在になっているが「こういう形が理想」と華丸が前面に出る芸風こそが自分たちの本来の姿と発言している。それゆえ、華丸のR-1優勝を誰よりも喜んだのも、彼であった。ただし仕切りやトークの実力は平均以上の腕は持っていて、福岡での福岡吉本番組の司会はほとんど大吉が務めていた。

■しかし、2007年1月25日に放送された雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!では越中詩郎大好き芸人としてケンドーコバヤシ,バッファロー吾郎と共に全国放送では珍しくピンで出演していた。

■華丸が優勝した翌年・2007年のR-1ぐらんぷりには、華丸に代わって出場。準決勝まで勝ち上がった。出場は今度は華丸が大吉を勝手にエントリーしたため。また、華丸から「もし1・2回戦で負けたらコンビを解散するかも」とも言われたそうだ。

■いつも蛙のぬいぐるみを持ち歩いている。本人はそのぬいぐるみを「かえるたん」と呼んでいるらしい。ぬいぐるみには話しかけられるが、子供と話すのは苦手。

■実は天然キャラでもあり、2007年2月17日に放送されためちゃ×2イケてるッ!のシンクロナイズドテイスティングのコーナーでは、『(華丸が発言後)うまいでしょ?うちの相方』と相方を立てたりするなどの天然ぶりをみせた。


(出典:Wikipedia)

博多華丸

博多 華丸(はかた はなまる、1970年4月8日 - )は、日本のお笑い芸人で博多華丸・大吉のボケ担当。福岡市早良区出身。本名は岡崎 光輝(おかざき みつてる)。


【人物】
■福岡市立高宮中学校・福岡大学附属大濠高等学校卒業、推薦入学で福岡大学工学部へ(後に中退)。尚、在籍していた落語研究会での高座名は「福々亭さろん」である。旧名・鶴屋 華丸(つるや はなまる)、妻子持ちである。

■福岡ソフトバンクホークスの大ファンであり、長渕剛信者。長渕に関しては熱狂的なファンであり、どんぴしゃの赤峯康一と二人でかつて路上ライブをしたこともある。

■大きな目がトレードマーク。水戸黄門の印籠を出すしぐさをして「よかろうもん!」というギャグをやる(今井雄太郎の「全員三振」を参考にしたものと思われる)。ちなみに元ソフトバンクホークス(2007年より千葉ロッテマリーンズ)のフリオ・ズレータのホームラン後のパフォーマンス「パナマウンガー」の後によかろうもんと付ける様になったのは、彼がこの言葉を教えてパフォーマンスの時にやってくれと頼んだのがきっかけである。

■1997年頃には、CROSS FMで『SHAKE HIP GROOVIN'』というレギュラー番組(平日午後のワイド番組、博多駅のサテライトスタジオからの生放送であった)のメインナビゲーターを務めていた。この番組で後にターニングポイントとなる児玉清のものまねを始める。

■2001年頃から一時期、単独で吉本新喜劇に在籍していたことがある。

■一生のライバルは、同期で兄貴分のコンバット満だと語っている。コンバット本人は「もう東京に進出してしまっているし、彼のほうが全然上なのに、ずっとこう言い続けてくれるのが嬉しい」と話している。

■ジャッジ 〜島の裁判官奮闘記〜で親権を争う父親役を好演した。


【ものまね】
■ばってん荒川
・特にばってんは十八番の物真似であり、一時は「ばってん室見川」というキャラクターを演じていた。その為、福岡ではどちらかというと児玉よりばってんの物真似のほうが浸透している。
・地元福岡ではスベリ知らずの鉄板ネタであるが、リンカーンで雨上がり決死隊に披露した時は福岡での鉄板ぶりを知らない雨上がりの二人は微妙な顔になった。「カメラ止めてもらっていいですか」「初めてスベリました」と二人はうろたえていた。

■川平慈英
・サッカー日本代表のスターティングメンバーを発表していくうちに「高原!中田!松中!ズレータ!」といつの間にかホークスの選手になってしまう。
・スポーツニュースサッカーコーナーで感情が入りすぎて結果がわかってしまうVTRフリ。
・顔も似ているため、ニュースステーションで川平慈英が出演しているのを見て父親が華丸が出てると勘違いしたエピソードもある。

■手嶋準一(気象予報士)
・手嶋自体は出演しているテレビ西日本の放送エリア外ではほとんど知名度がなく、これもまたばってん同様「地方限定ネタ」の一つとなっている。

■福岡ソフトバンクホークス監督の王貞治
・フジテレビ系列『とんねるずのみなさんのおかげでした』内のコーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権8」ほか(これもまた福岡ではよく知られたネタのひとつ)。

■トーカ堂社長の北義則(同上)

■横峯良郎(同上)

■みのもんた
・テレビ東京『ぶちぬき』木曜・極楽とんぼの「鬼のツボ合戦」で2005年に披露。

■『アタック25』司会者・児玉清
・2005年11月には、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内のコーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権6」に出場。児玉清のモノマネで見事優勝した。12月29日に放送された「全国大会」でも児玉清のモノマネで再度優勝。賞金100万円を手にした。
・2006年はR-1ぐらんぷりに出場し児玉清のモノマネ(あいうえお作文「あ行」から「た行」)で優勝、トロフィーと賞金500万円を獲得した。
・2006年7月31日の『豪華77組新ネタライブ笑う夏休み最強スペシャル』(テレビ朝日)のモノマネコーナー「六本木ゼミナール夏期講習」で、児玉清(あいうえお作文の「あ行」・「は行」・「ま行」)や川平慈英のモノマネを披露した。
・2006年9月3日放送の「アタック25芸能人大会」で児玉と初共演。博多華丸・大吉ペアとして青の解答者となり、出場した。優勝こそ出来なかったが、本家とのWアタックチャンスが実現し、他の出場者・観客から拍手と爆笑が溢れた。また解答者の紹介の時、今の気持ちをあいうえお作文の「あ行」で表現するため、児玉清から合いの手を入れてもらい、ネタを披露した。最後の問題ではペアで答えた後、華丸自身で「ラストコール」をした。
・児玉の物まねとして、2007年8月25日に行われた日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)1部・川崎フロンターレ対ガンバ大阪戦で川崎が行った集客PRキャンペーン「アタック!25日」に登場した。福岡市にもJリーグクラブ・アビスパ福岡があり、その応援もしている華丸は川崎からの依頼にためらったものの、この年は福岡が2部にいて、川崎とは直接対戦しないので出演を決めたと自らのブログで説明した。
・児玉にはかなりの敬意を抱いているようで、福岡放送のナイトシャッフルの2007年5月27日放送分(スペシャル)においての大吉の発言によると、「ホリくんがやる『えなりかずきが絶対に言わない事』見たいな事を(児玉清で)やればいいのにという話が出ても、本人は『児玉さんに失礼だから』と断固やらない」という。


(出典:Wikipedia)

博多華丸・大吉

博多華丸・大吉(はかたはなまる・だいきち)は吉本興業東京本社(東京吉本)に所属する日本の漫才コンビ。1990年5月にコンビ結成し、吉本興業福岡事務所(福岡吉本)からデビュー。福岡で活動した後、2005年に上京し、吉本興業東京本社の所属となる。博多弁漫才を全国展開し活躍している。略称は華大(はなだい)。


【メンバー】
■博多華丸(はかた はなまる、本名 岡崎 光輝(おかざき みつてる))
1970年4月8日生まれ。福岡市早良区出身。ボケ担当。

■博多大吉(はかた だいきち、本名 吉岡 廣憲(よしおか ひろのり))
1971年3月10日生まれ。福岡県糟屋郡古賀町(現・古賀市)出身。ツッコミ、ネタ作り担当。


【来歴】
福岡大学在学中には2人とも落語研究会に所属し、そこで知り合いコンビを結成する。吉本興業福岡事務所の1期生のオーディションに合格し「鶴屋華丸・亀屋大吉」(つるやはなまる・かめやだいきち)としてデビューする(後に2人とも大学を中退)。福岡県をはじめとする九州・山口地方ではトップクラスの人気があり、全国デビューする前の1995年にフジテレビ『めちゃ²モテたいッ!」』(『めちゃ²イケてるッ!』の前身番組)で「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。また、本格的な全国デビュー前も『爆笑オンエアバトル』に出演しており、他地域でもお笑いファンには一定の知名度があった。

福岡吉本1期生であることから芸歴は長く、NSC9期生の面々 ナインティナイン、 ほっしゃん。、宮川大輔、矢野・兵動ら)が同期生にあたる。

2001年の第1回「M-1グランプリ」では惜しくも11位となり決勝進出とはならなかった。ちなみに、当時は敗者復活枠が無くこの時点で結成10年を超えていた為、次年度以降は出場出来ず、これが最初で最後の出場となった。

2002年頃から東京進出が噂になり始め、当時吉本興業社長だった林裕章から直々に「ぼちぼち福岡からも目玉を出さなあかんな。もちろん君らからや」と言葉を投げかけられるものの、直後に林社長が病に倒れ会長職に退いたことや、福岡吉本も一枚看板「華大」がいなければ巡業などの仕事も減る為、この話は一度立ち消えとなった(テレビ西日本「ふとっぱら」より)。

2004年4月、「名前を変えればM-1に出られる」という単純な理由(実際は改名後1回もM-1グランプリに出場していない。)と、元祖爆笑王に「福岡吉本らしい屋号にしたら?」と勧められ屋号を博多に変更した現在の芸名となり、2005年4月に3年越しの念願であった東京本社へ移籍。移籍後はルミネtheよしもとでの舞台などが主な活動の場となっている。また、月に数回は福岡での仕事も出張として行っている。しかし、テレビ局や制作会社には新人とみなされたため、東京進出直後はテレビ出演一本あたりのギャランティは福岡時代より断然減っていて、出演数をこなしているのでそれなりの生活が出来ている状態であった。また、上京直後に初めて笑いの金メダルのオーディションを受験した際、担当ディレクターが福岡出身で尚且つ学生時代から華丸・大吉のファンであったことから「お願いですから(たった1分の出演のために)こんなオーディション受けないで下さい」と言われたことがあり、エンタの神様のオーディションにも落選している。芸歴が長く場慣れしているため、この手のお笑い番組が求める新鮮さとは合わず、当時はなかなか仕事がもらえなかった(2007年・ナイトシャッフルでの発言より)。

2005年10月、とんねるずのみなさんのおかげでした内のコーナー、博士と助手 〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜の第6回大会に華丸が出場、児玉清のモノマネで優勝し、注目を浴びる。(その後、第7回大会も優勝し、連覇する。)

2006年2月、『R-1ぐらんぷり』の決勝に進出。児玉清のモノマネのネタで、華丸が優勝。なお、この大会で披露したネタを作ったのは相方の大吉であり、裏方に回って華丸を支えていた。ちなみに2005年時の優勝者のほっしゃん。とは吉本の同期にあたる。

2006年5月19日にはなかやまきんに君からの紹介で『笑っていいとも!』のテレフォンショッキング出演を果たす(1週間前の同コーナーには偶然にも児玉清が出演していた)。

2006年に、親交があるつんくが福岡で活躍していたタレントの出光加奈子と結婚したが、紹介したのが華丸・大吉であった。華丸は「いつワイドショーが取材に来るか分からないから」と髪を整えてずっと待っていたが、一切取材が無く終わってしまった。

長らく福岡で活躍していたため、東京進出まであまり視聴者には知名度が無かったものの、福岡に仕事でやってくる芸能人・業界人とは親交が深い。華丸は藤井フミヤと飲み友達であり、前述のつんくを始め、三沢光晴や下柳剛など各界に友人知人がいる。

2006年9月3日にはついに『パネルクイズ アタック25・芸能人大会』に出演。ジャガー横田・木下博勝夫妻、山口もえ・魚住りえ、三遊亭好楽・林家木久蔵(現・木久扇)らと共演し、二人の勢いが芳しくないのにもかかわらず特別に児玉清と「アタックチャンス」を披露。さらに最後の問題に華丸が正解したため、児玉の粋なはからいにより、華丸が児玉の物まねで自ら「ラストコール」を行うなど、かねてから憧れていた舞台で憧れのネタを披露出来た。


【エピソード】
■地元福岡では未だに彼らのことを改名前の「鶴屋華丸・亀屋大吉」と言う人が多く、現在の芸名がなかなか浸透していないのが現実であり、「博多華丸・大吉」と名乗る彼らを「博多大丸」(福岡の有名デパート)と勘違いする人も多い。

■R-1優勝者の発表の直後、華丸は「博多のみんな、やったばい!!」とガッツポーズ。続けて「児玉さんに何てお礼を言ったらいいか…」と児玉清に感謝の意を述べた。

■優勝後の会見で、「児玉さんがこんなに浸透しているなんて。皆さんのおかげです」と再び児玉に感謝の弁。司会の宮迫博之に「優勝賞金500万円のうち450万円くらいは児玉さんにあげなあかん」と言われると、うなずきながらも「賞金はネタを一緒に考えてくれた相方と分けます。残りは中洲でボンバーします!!」と発言。相方の大吉は「嬉しい。けれど、賞金はもらえない」、2人で「次はコンビで上方お笑い大賞を狙います」と大きな夢を語る。後日別の番組で華丸が「2人で半額に分ける事を提案したが大吉から却下され、『(華丸の)嫁にあげればいい』と言われた」と語った。尚、同番組で大吉は、華丸が賞金をもらえないのはかわいそうなのでこの250万円は相方のために使うと語っていた。

■「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で優勝し感想を聞かれた時は、児玉のモノマネで「大変結構でございます」と答えた。

■2006年2月、東京MXテレビ『談志・陳平の言いたい放だい』で漫才を披露し、立川談志にその芸を誉められる。

■2006年4月、コンビでTBS系『アッコにおまかせ』に出演した際、オープニングで和田アキ子に「何かネタやって」と言われた時、華丸はすかさず児玉のものまねをしたが、和田アキ子には理解されず「これ本当に似とんの?」と言われ、疑われてしまった。

■2006年4月16日放送の『あっぱれ!!さんま大教授(第59話)』(フジテレビ)にブラックマヨネーズと共にコンビで出演した際、華丸の「児玉清さん御本人が自分のネタの事をどう思っているか気になる」という話から番組スタッフが児玉の元へ取材に行き、華丸が演じる自身のモノマネ芸のVTRを見せて感想を求めるという企画を放映した。この時の取材が、児玉自身が華丸の芸を初めて目にする機会でもあった。VTRで華丸のネタを視聴した児玉は少し戸惑いながらも「モノマネをしてくれてありがとう」と礼を言い、「でも僕は絶対左手では“アタックチャンス”はやりません、必ず右手です」と華丸の芸の間違いを指摘した(尚、これは間違いではなく、「本物である児玉さんが右手でやっているのに、真似をしている自分が右手でやるのは恐れ多い」という気持ちから行っていることである)。

■2006年5月7日放送の『R-1・2006リターンズ』(関西テレビ、全国ネット)で児玉から華丸あてのビデオメッセージが披露された。児玉曰く「僕は正直似ているとは思っていないんだけれども、まわりは似ていると言ってくれている。これは僕が素晴らしいのではなく華丸さんの芸が素晴らしいのであって、感嘆しております」と最大級の賛辞を贈り、最後に「博多華丸さんに、アタックチャンス!」と特別なアタックチャンスを披露した。

■2006年7月5日TBS「はなまるマーケット」に出演した時点で、それまで華丸は児玉と直接会っていなかったが、9月3日放送の朝日放送パネルクイズアタック25「芸能人大会」で華丸・大吉のペアでクイズに挑戦した。

■東京に渡り、知名度・人気共急上昇した現在もなお福岡ローカル番組への出演を続けており、毎週必ず生放送や収録のため福岡に戻っているが、現在は3ヶ月分貯め撮りする事もあるとか。しかしさすがに時間が取れないのか、大吉が自身が司会であるTNCのDRAGON GATE龍の扉に出演する程度で、福岡ローカル番組への出演が減って来ており、TNCのピィース!の人気コーナーである『華大東京化計画』や『サラリーマン華太郎の中洲ぶらぶらでよかろうもん』は2006年9月以降放送されていなかった(『サラリーマン華太郎の〜』は2006年12月から不定期ながら放送されている)。

■前述の通り、華丸は福岡ソフトバンクホークスの大ファンなのであるが、2006年は何故か彼が球場で試合を観戦すると負けてしまうというありがたくないジンクスが出来てしまった。「惨敗の王子」と称号までついている。これはあくまでも2006年に限ったことであり、以前TVQスーパースタジアムの副音声に出演していた頃は勝率が良かった。

■レギュラー番組であるTNCのピィース!のコーナー『華大東京化計画』において、コンビ結成秘話を語りつつ当時よく通った店などを巡るという企画を行い、当時大吉が住んでいたアパートの近くにケン坊田中が住んでおり、よく大吉のところに遊びに来ていたらしく(当時ケン坊は実家で暮らしており、大吉の部屋にちょっとした家出的な形で遊びに来ていたという)福岡吉本のオーディションを知ったのも、ケン坊に聞いて知ったと告白している。実際現在も福岡吉本の1期生の面々はかなり仲がいいと言われている。

■(『華大東京化計画』でのエピソード)「東京で活躍している福岡出身の芸能人が出迎えてくれる」と聞いた華丸・大吉。それも「トップ中のトップ」が待っているらしい。二人は「サングラスが来たらどうする?」などと、タモリに迎えられることを期待してしまった。が、実際に待っていたのは福岡吉本の同期でもある竹山隆範(カンニング)であった。華丸・大吉は最初、「竹山は認めんぞ」と逃げようとしたが結局、3人で東京都内を回ることになった。「TNCの番組にタモリさんが出るわけないだろ!TNCの局にタモリさんが来たとき、スタッフの目つきが変わったこと、お前らも知ってるだろ!」と、竹山。

■華丸は爆笑問題の検索ちゃんで「検索ちゃんぴおん」になったゲストの1人。

■ビートたけしに対する憧れが強く、本当は吉本興業よりむしろオフィス北野に入りたかった。しかし福岡吉本ができたために、吉本入りすることにした。ちなみにビートたけしとは、「たけしの誰でもピカソ(テレビ東京系)」で初共演した。

■爆笑オンエアバトルでゴールドバトラーを獲得した芸人で唯一、チャンピオン大会に出場したことがない。

■福岡吉本出身の華丸・大吉は、札幌吉本出身のタカアンドトシと何かにつけ比較される。
1.両者共、吉本興業の地方事務所の1期生であり、看板タレントであった。タカアンドトシは吉本興業札幌事務所開設時のオーディションを経て、94年に1期生としてデビューし、やがて札幌吉本を担う主力芸人となった。華丸・大吉も、吉本興業福岡事務所開設時のオーディションにより、90年に1期生としてデビューし、瞬く間に福岡吉本を代表する売れっ子芸人となった。因みに両者共、吉本入りする際には、1回目のオーディションでは落とされている。

2.両者共、同期や後輩が先に東京進出を果たす中、近年満を期して上京し、2006年前後から全国区でブレークした。タカアンドトシは、後輩のBコース、アップダウンらが次々と東京に進出する中、2001年にようやく活躍の場を東京に移し、2006年前後から「欧米か!」のツッコミで、全国区でブレークした。華丸・大吉も東京進出では同期のカンニング竹山や後輩のヒロシに先を越されたが、2005年にようやく上京し、とりわけ華丸が児玉清のモノマネを武器に、2005年にとんねるずのみなさんのおかげでした内のコーナー、博士と助手 〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜で優勝したことや、2006年の『R-1ぐらんぷり』で優勝したことにより、コンビ揃ってテレビに出る機会も爆発的に増え、一躍全国区の人気者となった。

3.両者共、ツッコミ役に交際歴の長い彼女が存在する。タカアンドトシのトシには2007年2月現在で交際歴13年の彼女がおり、写真誌でも熱愛ぶりが報じられた。華丸・大吉の大吉も、交際して11年の彼女がいることを2007年1月のテレビ番組出演時に明らかにした。両者共、結婚間近とも言われている。

■2人ともかなりの男前で吉本男前ランキングの上位を常にキープしている。

■2007年の東京吉本の学園祭キング。タカアンドトシやチュートリアル、麒麟が多忙で学園祭に出られなかった分の仕事が回ってきた「棚ぼたのようなもの」らしい。(11月18日の「ナイトシャッフル」での発言より)

■華丸は大濠高校時代に軟式野球部所属であったが、初の全国大会出場を決めた2年生の夏、控えの1塁手だった華丸は練習中に先輩2塁手へ体当たりし、全治1ヶ月の骨折を負わせてしまった。その先輩は残念ながら全国大会に出場出来ずに、華丸も退部することとなってしまった。ちなみに高校時代のあだ名は「ニクボウ」である。


吉本興業 公式プロフィール

博多華丸・大吉私心電信(本人らによるブログ)


(出典:Wikipedia)

春一番

春一番(はるいちばん、1966年8月13日 - )は、神奈川県生まれ、岡山県浅口郡鴨方町(現:浅口市)出身のお笑いタレント。本名は春花直樹(はるはな なおき)。

【来歴】
サラリーマン生活(「甘栗太郎」の社員)を経て、1985年に芸人を志し片岡鶴太郎に弟子入り。1988年NHKテレビのドラマ「翼をください」で芸能界デビュー。アントニオ猪木の物真似(猪木自身が公認している)一本で勝負するスタイルで、春一番自身、猪木信者でもある。酒が大好きで、よく体を壊していた。あまりにも飲みすぎる春一番を見かねて、ビートたけしが自炊するようにと炊飯器をプレゼントしたが、その炊飯器のなかにウイスキーを入れて飲んでいたという。春一番の営業は「1、2、3、ダァー」のかけ声だけでギャラがとれる、最もコスト・パフォーマンスの高い営業だと水道橋博士にギャグにされている。

それまでの猪木のモノマネの定番であった(アゴを突き出し)「何だコノヤロー!」を初めてやらず(要請されれば仕方なくやる事もあるが)、純粋に猪木のトーク(主にマイクアピール)のモノマネを行ったタレントでもある。披露した当初は若い女性の客に全くウケなかったが、裏では控えの芸人仲間やスタッフが大爆笑していたという。

あまり知られていないが、猪木だけでなく長州力や山本小鉄のモノマネも出来る。かつて長州は春に会うと「お!会長!」と声を掛けたと言う。

2000年頃、猪木の活動がプロレスファンや総合格闘技ファンの間で注目を集めるようになると、春一番自身のオファーも増えるようになり、この頃猪木のモノマネでCMに出演した事がある。猪木とのコラボだけでなく、春一番単品のグッズ(フィギュアなど)も発売されている。

2005年8月8日から12月にかけて、腎不全(病名は肺膿傷)で入院し、手術を受けた。集中治療室に入っていた際、猪木本人の見舞いを受け、「病院で会うのはつまんねぇ。元気になったら飲みに行こうよ」などと激励されたという。一時は命も危ぶまれたが、この猪木の見舞いを受けてから奇跡的な回復を遂げた。実際、猪木には回復後頻繁に会っており、飲みの場に同席しているとのこと。

2006年12月31日、フジテレビの「最強運2006ランキング大検証SP」に出演。仕事が出来るまで回復した事を示す。

アントニオ小猪木に地位を奪われかけている。しかし、猪木モノマネの第一人者であることに変わりはなく、他の芸人が猪木のモノマネをすると「春一番さんのモノマネですか?」と言われることも多い。ただし小猪木の場合は試合中の猪木の動きのモノマネが多く、一方春一番の場合は猪木の話し方のまねが多いという、差別化された特徴がある。


HARUICHIBAN.COM公式サイト

(出典:Wikipedia)

ハリセンボン

ハリセンボンは、吉本興業東京本社所属の女性お笑いコンビ。東京NSC9期生。2003年結成。略称「ハリセン」。

実年齢とはかけ離れているおばちゃん顔が2人の特徴。

【メンバー】
■箕輪はるか(みのわ はるか、1980年1月1日 - )東京都北区出身。身長160cm、体重45kg、星座やぎ座。ボケ担当。早稲田大学卒

■近藤春菜(こんどう はるな、1983年2月23日 - )東京都葛飾区出身。身長155cm、体重74.1kg、星座うお座。ツッコミ担当。


【略歴】
■コンビ名の由来は「ハリセンボン(魚の方)は顔はかわいいが、鋭いとげがあり近づくと危険」という考えからつけられた。

■吉本興業所属の若手芸人ユニット「劇団ガッツ」を犬の心が結成し、この劇団のメンバーに選ばれた。メンバーはハリセンボンの2人の他にミルククラウン・グランジ・もう中学生。

■2005年、TBSテレビの芸人オーディション番組「ゲンセキ」にて、1年後輩のオリエンタルラジオらと共にコント番組「10カラット」のメンバーに選抜される。

■「10カラット」や、ドラマ「ライオン丸G」をきっかけに2006年からブレークし、様々なテレビ番組に出演。週刊誌「フラッシュ」[1]では『久々に現れた大型女性コンビ』と評されるなど、森三中ら女性芸人を脅かす存在となった。近頃はレギュラー番組も増えてきて、いわゆる「売れっ子」の仲間入りを果たした。

■2007年3月7日にシングル「ともだちのうた」を発売しR and CからCDデビュー。「吉本のPUFFY」を目指している。オリコン最高195位。発売3週間の売上がわずか400枚であることが「オールスター感謝祭」(2007年3月31日放送)で出題されたことで明らかになった。また11月29日の天才てれびくんMAX内で公表した時にはてれび戦士に「CD出してたの?!」と素で言われてしまった。

■2007年10月に放送されたTBS系お笑い番組「リンカーン」にて、ハリセンボン担当マネージャーの田中杏奈が登場した。田中マネージャーは、箕輪はるかや近藤春菜とは異なり、いわゆる美人キャラであった。

■2007年に行われたM-1グランプリでは、決勝に進出したが敗者復活したサンドウィッチマンに敗れ、4位に終わった。因みにキャッチフレーズは「(デブ+ヤセ)×ブサイク=爆笑」。


【顔ネタ】
■はるか
・死神
・エジプトの壁画の女性
・山根良顕(アンガールズ)
・堀北真希(口を隠すと似ているため)

■春菜
・角野卓造
「角野卓造さん?」と聞かれ「角野卓造じゃねえよ!」か、「角野卓造じゃねーし!」と返すのがお決まりになっている。アタック25に出演した際も、司会の児玉清に同様の質問をされ、同じように返した。
・仲本工事
・カンニング竹山
竹山自身も春菜の顔を見て「他人とは思えない」と言うほど似ている。ちなみに二人はメガネの度も一緒だそうである。
・山口隆(サンボマスター)
・マイケル・ムーア
・吉村作治
・古田敦也(東京ヤクルトスワローズ)
・亀井静香


(出典:Wikipedia)

原西孝幸(FUJIWARA)

原西 孝幸(はらにし たかゆき、1971年3月5日 - )は大阪府寝屋川市出身のお笑い芸人。身長174cm、血液型A型。大阪府立東寝屋川高等学校卒業、奈良大学文学部地理学科中退。NSC8期生。FUJIWARAのボケ担当、相方は藤本敏史。愛称は「ラリーゴ」「はらにっちゃん」。


【概要】
■クイズプレゼンバラエティー Qさま!!の「10m高飛び込み」では相方・藤本のあまりの不甲斐なさに「自分ならすぐに飛べる」と急遽参戦、言葉通り1位の柴田英嗣を凌ぐ0.96秒で飛んだ(しかし、これは公式記録扱いにされていない)。

■なかやまきんに君の名付け親である。

■母・尚子(なおこ)はその強烈且つ陽気なキャラクターで「吉本超合金」など数々のバラエティ番組に出演。2006年、「ロンドンハーツ」で全国デビューを果たした。リンカーンに出演した際にはさまぁ〜ず・大竹一樹とデートしたり、水着姿やブルマ姿を披露し水中で49秒間息を止めたりした。リアクションやカメラ割りを意識したりと若手芸人を凌駕するプロ根性の持ち主。ダウンタウン松本は原西の母のことを「プロ(の芸人)」と呼んでいる。相方の藤本曰く、本気で売れたいと思っているらしい。

■最近頭髪が薄くなりかけており、「ハゲてる」といわれても、「ハゲかけているのであって、断じてハゲではない」と主張している。そして、「ハゲカケタール・オブ・ザ・イヤー」を受賞した(もちろん、そんな賞はない)、「ハゲカケタール配合や」、「ハゲカケタール・5ヘクタール」、「ハゲカケタール・ドット・コムを参照せい」、「ハゲタールは完了形で、ハゲカケタールは進行形や」などと語っている。
ちなみに母・尚子もハゲかけており、相方の藤本からよく「お前ハゲとるやないかい!」とのセリフを食らっている。

■既婚者である。仕事では明るく振舞っているが、普段は家が好きで遊び歩いたりせず、無口で暗いらしい。猫好きで2匹の猫を飼っている。

■しかし、プライベートでも全力でギャグをする(しかも男だけのときでも)といった他の芸人とは違った一面もある。

■結婚前は女性と接するのが極度に苦手だったため、芸人仲間からは「チェリーボーイ」と呼ばれていた。このことがネタになり吉本超合金では全裸の女性をモデルに絵画をするという男なら誰もが喜びそうな企画が行われるも終始困惑した表情で挙動不審な様子だった。

■短気なところがあり、仕事が終わるとさっさと帰宅してしまうので、宮迫博之などにネタにされている。

■「ギャグを1兆個持っている」と豪語したことで知られる。

■とんねるずのみなさんのおかげでしたでは石橋貴明からめちゃイケと同じように「ハラニシさん!」と呼ばれた時に間違えて「オカム」と一瞬言いかけたが、すぐに「イシバシさん!」と返している。

■大の金八ファン。出歩く際にドラマの音声のみをiPodに入れて聴いているほど。

■おぎやはぎの小木博明と一緒にゴルフに行くことがあるらしいが、プレイ中は一切会話をしないらしい。ちなみに現地集合・現地解散である。

■相方曰く、「根が真面目」。

■桂きん枝の顔や髪をニセ番組の企画でいじり、それを中田ボタンにこっ酷く怒られると言うドッキリをかけられたことがある。ボタンに対し土下座をして、ピンマイクやカメラを見せて「番組です」というが中々理解してもらえず、最後にドッキリだと分かった瞬間涙目になった。

■「ガキの使い」の「七変化」で相方の藤本同様、実母を使ったりした(3回も)。また、一休さんに扮したときに途中で噛んでしまい、ミスで爆笑を誘った部分もあった。その他得意の一発ギャグなどをし、結果は45000円と好成績を出した(現在3位)。


【主なギャグ】
■最初はグー!(ギー)

■よっとあらよっとよっとあらよっとハッピーかい!?

■ポクチン(一休さんのように「ポクポクポク、チ〜ン!」を段々早口にしながら繰り返し、最終的に「チンポチンポチンポチンポチン〜!」「ポクチン〜!ポクチン〜!ポクチンポクチンポクチン〜!」とリズミカルに歌いながら踊る。芸人が一緒に出演すると伝染するギャグである)

■○○祭りでワッショイワッショイ(祭りじゃダンス)
めちゃ²イケてるッ!のシンクロナイズドテイスティングにて岡村隆史とのコンビで目を瞑ったままキレのある動きを披露。コーナーの目玉となっており、FUJIWARAのライブでも一番の盛り上がりを見せる。

■俺はとてもおもろい〜とてもとてもおもろい

■ちゃんがちゃんが♪ちゃんがちゃんが♪ちゃんがちゃんが♪ちゃんがちゃんが♪ちゃんがちゃんが♪ちゃんがちゃんが♪ちっくび〜の席替え〜♪

■なるほどな、なるほどなるほどなるほどな!

■ハト胸ネコ背は〜…、ハト胸の勝ち! ※100%でハト胸が勝つが、本人曰く5分5分らしい

■まいど、押切もえです!

■ホンマにホンマにすんませ〜ん

■体の背骨を引っこ抜いたら立ってられへん

■みんな俺やで!

■ウンコとチ○コ、1文字違い〜、お尻とメガネ〜は…3文字違い
ヘンデルの「見よ、勇者は帰る」のメロディーに乗せて歌われる。また、「鼻毛と輪投げは1文字違い」など別バージョンの歌詞もある。

■(織田信長ギャグ)こんなぁなるんやったら、本能寺行かんかったら良かった

■東・西・南・僕!原西です。

■ライライラライライライラライライライライラライライライラライライ(足を屈めて、手を交差しながら)

■鳥だ!飛行機だ!スーパーマンだ! いや…鳥だ

■手手手手。手手手。テーテー!(サスペンス番組のメロディー風に)

■笑ってるけど出て行け〜♪笑ってるけど出て行け〜♪(ややウケややすべりの芸人に対して)

■1、2・・・ぜんた〜い、なまれ!イツ、ヌィ

■頭隠して尻確実に見て!!!

■(相方:藤本に「死ね!」と言われ)生きる!

■テヘッ!テヘラン!

■上半身下半身。下半身上半身。繋がってるんだね♪

■私の〜♪おしりの前で、お米炊かないでください〜♪(「千の風になって」の替え歌)

■ななな〜なな〜なな♪ななな〜なな。なに?(封印したギャグ)

■雨が降ったら!ワイがパーしてワイパー〜♪

■プレゼント フォー 肩幅

■ウィ〜ンじゃんけん

など(相方・藤本曰く原西のギャグは、1億個あるという)

(出典:Wikipedia)

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間寛平

間 寛平(はざま かんぺい、男性、1949年7月20日 - )は日本の俳優、お笑いタレント。歌手。血液型はAB型、身長164cm、体重60kg。吉本興業東京本社所属。レゲエシンガー活動名義および本名は間 重美(はざま しげみ)。


【来歴】
高知県宿毛市出身。私立柏原高校卒業。既婚者。1男1女の父。ミュージシャンの間慎太郎は長男である。娘は既に結婚し、子供がいる。奥さんの光代さんは元吉本新喜劇の団員。

師匠は花紀京。吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を得た。「かい〜の」などのギャグで有名。

弟子にシベリア文太、本田みずほなどがいる。2005年、この2人をも従えて石田靖や山田花子たちと『よしもと大爆笑劇場〜寛平劇団&バラエティー全国巡業中!!』で全国巡業した。


【プロフィール】
■12歳の時に大阪市住之江区に引越した。

■1968年 - 高校卒業後、石原裕次郎に憧れて上京。歌手を目指すが、挫折して大阪に戻る。

■1970年 - 喫茶店のアルバイトしていた時に、その店主の紹介により吉本興業に入り、吉本新喜劇の研究生になる。

■1974年 - 木村進とのコンビで入団から4年、24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格。

■1975年 - 『ひらけ!チューリップ』で念願の(?)歌手デビュー。100万枚のセールスを記録。

■1978年 - 同じ新喜劇の団員だった光代夫人と結婚。当時の週刊誌の見出しが大きく取り上げられ話題を呼ぶ。

■1986年 - アメマバッジを10万個作成し6千万円の借金。

■1989年 - 吉本新喜劇を退団し東京進出(但し家は宝塚)。バラエティー番組からテレビドラマまでこなす。

■1990年から放送を開始した日本テレビのクイズ番組「マジカル頭脳パワー!!」のレギュラー解答者として1991年3月から最終回まで出演し、成績はあまりよくなかったが、珍答を繰り広げた。


【エピソード】
■人柄が良く、芸人仲間や後輩からも信頼される。明石家さんま、島田紳助、ダウンタウン、ナインティナインも今もって若手の頃に良くしてもらったことを感謝している(芸人ではないが「マジカル頭脳パワー!!」で共演した所ジョージなどからも信頼されている)。その反面、お人好しと無知が災いして次々と他人の借金の連帯保証人になる他、アメマバッジの失敗により多額の借金を背負うが、奥さんの光代さんが必死の借金返済で当時0歳だった長女を連れて、金融業者の前で長女をつねって泣かせて、金融業者を同情させる作戦で、借金の利子を免除してもらったと言う逸話がある(「いつみても波乱万丈」で光代さんがゲスト出演した時に明らかになった。)。普通の人間なら、利子を免除してもらえないのだが、当時、寛平も売れ出し始めた事もあり、寛平自身が家族を養う事が厳しかった事から光代さんが必死に訴えた努力の甲斐が実り、利子を免除する事が出来た(現在は完済)。

■アメマバッジの件では、バッジを製作した会社から費用の不払いのため訴えられて裁判沙汰となる。(通称「アメマ裁判」)この口頭尋問で、裁判官から「『アメマ』とは何ですか?」と訊かれ「『ア〜メマァ〜・・・』です」と答えたら、再び「ですから、『アメマ』とは何ですか?」と訊かれたため、再度「『ア〜メマァ〜・・・』です」と答えた。このやり取りが尋問中何回も繰り返された。なおアメマバッジは、「いつみても平平凡凡」に出演したゲストにプレゼントされ、「痛快!明石家電視台」で会場の観客にもプレゼントされていた。
※「アメマ〜」とは、本人いわく幼児が母親に対して言う「あ〜ママぁ・・・」が転じたもの、とのことである。

■TV進出のきっかけは、当時の出演番組がABCラジオのポップ対歌謡曲(週1本のレギュラー)しかなく、明石家さんまとの会話で、「兄さん、そのギャラじゃアメマの借金返せまへんやろー!」と言われたことがきっかけで、さんまが出演しているTV番組に共演するようになった。

■ハゲ頭のカツラを被ったおじいちゃん役(通称:最強ジジイ)での出演は非常に多く、吉本新喜劇での名物キャラの一人であった。膝をカクカクさせながら杖を振り回し、最後に「がんばっとるか〜」と言う姿は多くの観客の笑いを誘ったが、調子に乗ってあまりにも膝をカクカクさせすぎて、本当に膝を痛めたことがある。また、多額の借金を抱えていたとき、その姿を見た妻から「アンタは杖の先にハンコつけて(判をつきながら)歩き回っているのか!」と言われたことがある。

■野球は筋金入りの福岡ソフトバンクホークスファン(南海時代から)で、現在でも年に数回福岡Yahoo!JAPANドームまで観戦に足を伸ばす。映画「ファンキー・モンキー・ティーチャー」シリーズで主人公(戸沢康平)の役を演じた時には、毎回福岡ダイエーホークスのウインドブレーカーを着て登場していた。

■「笑っていいとも!」に出演の際、タモリと必ずサルの喧嘩の真似を行う。

■趣味としてマラソンをしており、ギリシャの鉄人マラソン「スパルタスロン」では246qを8度も完走、24時間テレビの24時間マラソンでも200km(1995年は神戸-東京間、約600kmを7日間で完走)を完走するほどの健脚の持ち主でもある。この年の24時間テレビは阪神・淡路大震災に対するチャリティー色が濃かった。

■彼自身もこの震災で、宝塚市に建てたばかりのマイホームを失ってしまった。また、寛平がアメマバッジの作成や連帯保証人として長年にわたって請け負った全ての負債を完済したのも阪神大震災のほんの数日前で、そのほっとした矢先での被災であり、また地震保険にも加入していなかったため家の再建費用などでその後もまた予期せぬ形で債務を負うことになってしまった(。

■もともと寛平がマラソンを始めた理由は、心臓疾患の治療のためであったが、マラソンを続けているうちに心臓疾患を克服したばかりか、心臓の強さが陸上選手並みになったという。

■「オールスター感謝祭」のマラソン競技でも、50代半ばにして一般男子以上のハンデがある。

■芸風からは想像も付かないが音感にも優れ、昔から歌唱力には定評がある。かつて「ひらけ!チューリップ」がヒットしたこともある。2000年には、間寛平withアメマーズとして、フジロックフェスティバルに出演している。「痛快!明石家電視台」ではアドリブで作詞作曲した唄を歌い出すこともしばしば。

■忌野清志郎と↑THE HIGH-LOWS↓の真島昌利からアルバム「ジャングル野郎」の楽曲提供を受けた関係で2001年6月6日、SHIBUYA-AXにて行われた↑THE HIGH-LOWS↓のライブのアンコールでスペシャルゲストとして登場。短い時間で様々なギャグを披露し会場を沸かせたあと、↑THE HIGH-LOWS↓の演奏でヒロトと一緒に「天国野郎ナンバーワン」(↑THE HIGH-LOWS↓と間寛平のバージョンがあるが、「天国野郎」を提供した↑THE HIGH-LOWS↓側がわけあってセルフカバーした際に「天国野郎ナンバーワン」と改題した)を熱唱した。この日のライブでは普段は入場時に配られるフライヤーが配られず、退場時に「ジャングル野郎」の広告と一緒に配られたことから、寛平の登場はシークレット扱いだったと思われる。この模様は後に日本テレビ系列の深夜番組で放送された。

■また、「ジャングル野郎」に収められている真島昌利提供の曲は、リリースの際、寛平の所属事務所側に一部歌詞を変更されてしまった。変更前の歌詞は、↑THE HIGH-LOWS↓バージョンを聴くことで知ることが出来る。また、寛平バージョンは寛平ならではの台詞が入っている。

■寛平は「さんまのまんま」に忌野清志郎と出演した際、「ハイロウズが曲を提供してくれたんですよ。」と、とても嬉しそうに話していた。

■2006年2月24日に長女が初孫を出産。間寛平、56歳にして名実共におじいちゃんとなった。「ついにおじいちゃんになりましたが、いくつになっても甘えまくります!」とのコメントを発した。

■「マジカル頭脳パワー!!」内にあった「マジカルアート」で毎回他のメンバーが解答できないほどの絵を描いて(動物には鳥の足しか使わないなど)、それが原因で絵の勉強のためにフランスに留学した。しかし復帰第1回でシロクマを指示されたものの、今までの癖は直っていなかった(当然解答できずパスとなり不正解)。現在も「痛快!明石家電視台」の中の素人参加のクイズコーナーでお絵描き問題が出る時には意味不明の絵を描いて解答者を混乱させ、明石家さんまをあきれさせている。

■脳内出血に倒れ、今もリハビリを続けているかつての同僚・木村進とその家族への様々な支援を行っている。

■近年は、志村けんと同じくコメンテーターとしての活動が多い。これには、チャリティーマラソンなど、彼の素が出ている場面がよくテレビで流れているためという見方もある。

■年齢に似合わず、非常に髪型がかっこいい。「妻夫木カット」とごきげんようで自称した。

■東京で頑張りたいと独立を考えた(本人曰く、家の畳が「東京行け、東京行け」とささやいたからとのこと)時に、当時、吉本の社員だった木村政雄に懸命に説得され、慰留が決まり、吉本興業東京本社(当時は東京事務所)に所属する事になった。同時に吉本新喜劇を退団する。

■東京進出の理由として、実はアメマバッジの件も関わっていたとの話もある(「いつみても波瀾万丈」より)。東京では萩本欽一に師事し、干されても3年はがんばると約束していた。

■2006年の24時間テレビ内では十種競技にも挑戦。改めて鉄人振りをまざまざと見せ付けた。

■波田陽区を非常に可愛がっており、家族ぐるみで親交がある。

■2007年の2月27日に芸能活動を3年間休止して世界一周マラソンに挑戦する意向を表明。本人はその理由を「目立ちたいから」だと語っている。


【主な持ちネタ・ギャグ】
■「おっさ〜ん、おっさんアホか、アホかおっさん、おっさん、アホかぁ。」

■「こら、犬どけ! コン キャンキャンキャン…」

■「誰が付けたかインベーダー ビッビビッビ」

■「かい〜の」(大道具の角・自分の持っている杖などに尻の割れ目をこすりつけて上下運動)

■「アヘアヘアヘアヘ・・・」(快感を表すときなど用例多数)マネージャーの妻から5000円で購入

■「なめなめくじくじなめくじくじ」(なめくじ運動で地面を這う)→「塩かけないでね、粗塩はいやよ」と付け加える。

■「ア〜〜〜〜メマ!!」(困ったとき・追いつめられたときに咄嗟に放つ一言)

■「血ぃ吸うたろか」息子(間慎太郎)から奪ったギャグ

■「止まると死ぬんじゃ」(おじいちゃん役の時)

■「だ〜れ〜が〜じゃ」「ど〜〜してじゃ」「な〜ぜじゃ」(おじいちゃん役の時)

■「お礼のプ〜」

■「いくつになっても、甘えん坊〜」

■「脳みそパ〜ン!」

■猿のマネをしながら、池乃めだかの猫の形態模写との掛け合い。めだか猫と一緒にボールにじゃれついたりするが、そのうちにらみ合い、大喧嘩を始める。しかしいつの間にか寛平猿がめだか猫を押さえ込み、交尾を始めてしまう。

■暴れているうちにめだか猫と向き合う形となり、2人ともビックリして腰を抜かすパターンもある。

■(池乃)「えもんかけ(ハンガー)取って」(寛平)「誰がエテ公やねん!」

■(池乃)「本気で言うてるんですか?」(寛平)「誰がモンキーやねん!」

■(池乃)「またそんな得手勝手言うて・・・」(寛平)「誰がエテ公飼ってるねん!」

■(池乃)「折り入って相談がありまして・・・」(寛平)「誰が檻に入って相談せなあかんねん!」

■「月は雲間に隠れたし、雨戸も閉めたしガキも寝た」→「おまいさん今夜もかい?」→「あったぼうよ!」(以上、一人芝居)

■「かかかか堪忍な〜」

■「チャッチャマンボ チャチャマンボ ヘイ パキューン・パキューン・パキュンパキュンパキュン」(パキューンに合わせて腰を前後運動)

■「しっかりできたらフラフラするか!」(後輩芸人などから「しっかりして下さいよ〜」と言われた時)

■井上竜夫も時々「しっかりできたらうっかりせんわい!」というギャグを使う。

■アメママン(アメマバッジのモデル)

■先っちょマン

■ホレホレレンジャー「ホーレホレ掘れ」「おったまげったんよー」

■引きずり女

■十二単姿、白塗りで額に「引」の文字、帯にいろんな物をヒモで結びつけて引きずっている姫。「引きずり女は福を呼ぶ」と書かれた扇子を常に持っている。娘の結婚式の余興で、娘の友人(素人)が引きずり女をやろうと用意していたのだが、寛平は本家本元の引きずり女を娘の友人より先にやってしまい、娘の友人の出し物は台無しに。

■「まいど〜!」(鼻声で)

■「フェー」(鼻声)

■「ふひは!」(鼻声)

■「ちょっとしたミスさ」

■(突然怒り出した後に)「きつく言ってごめんね」

■「○○って言った」「○○って言った、言った」→「結構言うのね」

■「じいさん、ばあさん、山のぼろ〜」

■「うんばらばー」

■「イカルスピークサンシン」(呪文のように唐突に唱える。一瞬で空気を変える力を持つ、不思議なギャグ。大阪ほんわかテレビで登場)

■(ギャグではないが、痛快!明石家電視台での発言より)「私は今、耳クソが不足している」「うめだ花月から宝塚の自宅まで車で帰ったが、その間ブレーキを一度も踏まなかった」「私は県庁所在地について語れる」、など。いずれの発言も明石家さんまからツッコミが入り(特に耳クソでは大説教された)、エンディングコーナーの投げ手・すくい手に採用された。

(出典:Wikipedia)

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はなわ

はなわ(本名:塙尚輝(はなわ なおき)、1976年7月20日 - )は、日本のお笑い芸人(漫談家・ものまねタレント)、歌手、ベーシスト。佐賀県立佐賀東高等学校、専門学校東京アナウンス学院卒業。血液型O型。新興宗教団体「創価学会」信者。


【プロフィール】
■1976年7月20日、埼玉県春日部市生まれ。小2まで千葉県我孫子市、その後佐賀県佐賀市で育った(自他ともに佐賀県出身としているが、実はそうではない。両親もはなわデビュー後千葉県に引っ越している)。

■高校卒業後、上京。小さい頃から、夢は「お笑い芸人」だったが、両親の反対を恐れて言い出せず、専門学校に入るためと言って、「むりやりのように」(本人談)上京。

■専門学校卒業後、お笑いタレントとしてデビュー。最初は、コンビを組んでいた。

■その後、芸能事務所ケイダッシュステージに所属し、「タモリのボキャブラ天国」(フジテレビ系)や数々のバラエティ番組などで、出身地の「佐賀県」を題材にしたベース弾き語り漫談で話題となる。

■1999年、NHKの「爆笑オンエアバトル」に第1回から出演し、全国にその名が知られるようになる。この頃からツノのように髪の一部を細長く立たせたヘアスタイルがトレードマークとなる。

■2001年、野球のバットを持って、スウィングを行い、「んー、はい」と甲高い声で言い放つ、プロ野球選手・松井秀喜の物真似(名前:松丼)で人気が急上昇する。

■2002年、自らの漫談『佐賀県』で注目され、内村プロデュースではオープニングで使われる題字の依頼をされた。

《2003年》
■1月、俳優として初めて出演した映画「アカルイミライ」(黒沢清監督)が公開される。

■5月、『佐賀県』をCDシングルとして発売する。当初は2002年11月発売予定であったが、歌詞に含まれる女優2名の許可がなかなか降りず、結局、半年遅れでの発売となった。30万枚のスマッシュ・ヒットとなった。PV(プロモーションビデオ)には、佐賀県知事や原口あきまさも出演。地域を誇張的に中傷して売名に利用した点は、当然佐賀県関係者より非難を浴びた。

■初のCCCDアルバム『HANAWA ROCK』もリリース。この中には、はなわが真面目に歌った曲も収録されている。

■12月31日、「NHK紅白歌合戦」ではテツandトモとの合同で「なんでだろう佐賀県ヴァージョン」を歌う(視聴者より事前抗議を受け、フルでは歌わせてもらえなかった)。

《2004年》
■第41回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞受賞。

■4月から日本テレビの深夜音楽番組「AX MUSIC-TV 01 はなわまおー」の司会を宮地真緒とともに務める。同年9月終了。

■6月、「エンタの神様」(日本テレビ系)で披露された持ちネタ「ガッツ石松伝説」をCD化、『伝説の男〜ビバ!ガッツ!!』をリリース。その後、ガッツさん本人が自ら出した本が売れたり2人で雑誌の対談やテレビ出演などを受けたりいわゆる「ガッツブーム」が一時期起きた。嘉門達夫の作品に酷似しており盗作疑惑が浮上したが、意図的な盗作ではなく嘉門本人とも和解した。後ににはなわが問題を出しその中からおかしな回答のVTRを毎回放送するパターンとなった。この際「今日もLIVEでガッツ石松の伝説を教えよう」という歌いだしに変わっているが、本来LIVEとは生中継のことであり、はなわはそのことについて誤解していた思われる。この「ガッツ伝説は」2004年秋の2時間スペシャルで完結し、その後はムツゴロウ、松島トモ子をはじめ、さまざまな芸能人に対してガッツ伝説後半と同じようなネタを披露し、歌詞も変更されている。

■「脳内エステ IQサプリ」で都道府県名を当てるなぞなぞを歌にした「IQ都道府県」を歌う。9月からレギュラー。答えがわからなかったパネラーから腹いせに「モヤッとボール」を投げつけられる。

■11月、所属レコード会社「インペリアルレコード」の担当スタッフが音楽バラエティ番組「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」に出演していた縁で、司会の青木さやかの独断により、はなわの新曲プランが決められる。妻へ贈るラブソング「あのね、」を完成させ、結婚式でライブを行う企画が2005年3月現在も進行中。

■年末に『1億3000万人が選ぶ!ベストアーティスト』に出演。観客席からステージに上がる演出で、多数の観客にもみくちゃにされ結局ほとんど歌えなかった。

《2005年》
■はなわの実弟の塙宣行が銭形金太郎に貧乏芸人として出演する。実弟が「はなわの曲、特に『佐賀県』は全部自分が作った」と言い放ったために「嘘をつくな!」とキレてロケ中に登場する(弟は兄のはなわが登場することは知らされていなかった)。その実弟だが兄のはなわが稼いで親に渡しているお金をこっそり親に頼んで貰っていて、そのお金で最新のパソコンなどを買ったりしていて、その話を聞いたはなわが激怒していた。その弟も芸能界を目指して「ナイツ」というコンビを組み修行中(とんねるずのみなさんのおかげでした「博士と助手」コーナーの企画『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』に、内海桂子師匠の物真似で出場経験がある)。『佐賀県』は、どうやら弟との合作ではない様子で、弟も余興で一曲歌を作って歌っていたが兄のような才能はなさそうな感じであった。

■エンタの神様放送98回目には、カンニングのオンエア時間が長引いてしまったため、結局、はなわはオンエアできずに終わってしまった。

■バラエティ番組の企画で徳島インディゴソックスの応援歌も作っている。

■NHK教育テレビの野球アニメ「MAJOR(1stシーズン)」で強打者・上河内役で声優出演している。

《2006年》
■同じくNHK教育テレビの野球アニメ「MAJOR(2ndシーズン)」で上河内役で声優出演する。

■雪国もやし(株式会社雪国まいたけ)のテレビCMに出演し「高い」、「買うな」などと弾き語っている。曲の候補は自らいくつも作ったが、全てボツにされ、ヤケになって作った曲が採用されてしまった(本人談)。

■日本テレビのミラクル☆シェイプに出演。77.0kgの体重を69.4kgまで落とすことに成功した。

■劇場版アニメ「デジモンセイバーズ THE MOVIE 究極パワー!バーストモード発動!!」にて極悪のデジモン・アルゴモン役で声優を務める。

《2007年》
■フジテレビのミニ番組、「体操の時間。」に自ら作曲した「お仕事体操」が披露される回に出演している。


【豆知識】
■松井秀喜、武蔵丸、美空ひばり、東国原英夫(宮崎県知事)など物真似のネタをいくつか持っている。しかし、ホリに真似されるのは快く思っていない。

■原口あきまさは、専門学校、芸能事務所の先輩で、個人的にも親しい。原口と「原口・はなわ」というコンビを組み、演芸番組等で物真似を交えたコントを披露することがある。

■「佐賀県」をリリースした頃、福山雅治がラジオ番組で取り上げた事がきっかけで親交が深い。単独ライブ時にシークレットでギターとして参加したこともあり、ライブの途中ではなわが招待を明かした直後にほとんどの客がはなわではなく福山を見ていた。

■バックバンドに俳優・妻夫木聡の実兄である妻夫木晋也がいる。

■父親は商社マンである。かなりガリガリだが、原口あきまさの父親(元自衛官)と相撲を取り、勝った。

■既に妻子持ちである。子供はかなり太っている。その子供が、はなわのベースを担ぎ「パパ、パパ、「残念!!」やって!「残念!!」やって!!」(波田陽区のネタ)とせがまれたことがある。また、これと同様に「「自由だ〜!!」ってやって!」(犬井ヒロシのネタ)とせがまれた事もある。

■1999年6月15日に放送された人気テレビドラマ・「古畑任三郎」「最も危険なゲーム(最後の事件)前編」にストリートミュージシャン役として一瞬出ていた。

■2003年2月8日放送の爆笑オンエアバトルで、ネタ披露中にセリフが飛んでしまい、その場はアドリブでやり過ごしたがその後の計量を辞退(ネタ後の審査は行われ、同じく収録でネタを披露したますだおかだの増田の提案で計量したところ401KBでその週のオンエア圏内であったが、この計量シーンは未放送)。後に特別編の放送でこのことが伝えられた。

■2003年の紅白出場決定の際、NHK佐賀放送局のローカルニュースでトップで伝えられた。

■47都道府県すべての歌を作ったと言っているが本当に全部作ってあるかどうかは不明である。実際に大分県の歌を歌って欲しいと言われたのだが、「すいません作っていないので」と言う理由で大分県の歌は歌わなかった。しかし、7月23日の「IQサプリ」では歌っている(ただし、普段から同番組で披露している県名をかけたクイズ形式の歌であってネタで歌っている曲とは違う)。

■雑誌「ファミ通キューブ+アドバンス」で、「はにわ」と間違って表記されていた。ちなみに、地元のイベント出演時も名前を間違えられた事がある。

■佐藤弘道をライバル視している。理由は妻が惹かれているから。女性自身10月4日号で佐藤弘道と育児対談。佐藤は、はなわより8歳年上だが、ともに男児2人の父親という共通点がある。

■「伝説の男〜ビバ・ガッツ〜」の使い回しで、「解説の男〜福本豊伝説〜」という歌を歌ったことがある。ちなみに曲中の福本役の台詞はますだおかだの増田が担当していた。

■ネタとなっている曲「佐賀県」ではあるが2種類存在しており、CD化された「佐賀県」と爆笑オンエアバトルで公開された「佐賀県」がある。後者には歌詞に「佐賀県で気球フェスティバルが開催される理由」が含まれている。

(出典:Wikipedia)

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波田陽区

波田 陽区(はた ようく 本名:波田 晃 - はた あきら、1975年6月5日 - )は、山口県下関市出身の日本のお笑いタレント。ワタナベエンターテインメント所属。双子座、血液型はO型。山口県立豊浦高等学校、熊本学園大学卒。代表的な持ちネタの一つであるギター侍(ギターざむらい)と呼ばれることも多い。


【プロフィール】
■1998年デビュー。当初は「波田ニューヨーク」という芸名だったが売れず、何年か経った後「もうニュー(新しい)ではない」と、芸名から「ニュー」を消し「ヨーク」を「陽区」に変更し現在の「波田陽区」とした。
レディオヘッドのトム・ヨークに因んでこの芸名を名乗ったという都市伝説もある。
出演しているサントリー「ビタミンウォーター」のCMでは、「波田NEW陽区」としてかつての芸名が使われることになった。なお、「波田NEW陽区」は波田本人がメイクした姿で別人ではない。

■2004年になって「エンタの神様」で「ギター侍」のネタを披露し、ブレイク。(2004年末〜2005年正月にはテレビ出演が非常に多く、ネタ本・CDなどの発売等大活躍を見せた。)

■「エンタの神様」でブレイクする前には、「お笑いCDTV」(TBS、2003.10〜2004.9)でライブの前説に起用され、テレビでギター侍を披露する日を狙っていた。後に、「エンタの神様」でブレイクしてからは、他局番組でのネタ披露禁止を言い渡され、「エンタの神様」以外で「ギター侍」ネタを見せることは一切なかった。(その後、2004年秋ごろ解禁に。)

■2005年以降はギター侍を封じ、普段着でのテレビ出演も多かったが明確な新路線が打ち出せず、「一発屋」の印象を持たせてしまった。しかし、レギュラー(若しくは準レギュラー)番組をいくつか持っており、「一発屋」の印象の割にはかなり健闘していて、バラエティタレントの転身には事実上成功と言っていいだろう。

■2005年4月からはJRN系ラジオ番組『JUNK2 波田陽区の中までテキーラ!』にて初のメインパーソナリティに挑戦。毎回かなり下ネタを連発し、1週間に届くメールが700〜800通、JUNK2内の番組で1番の投稿数を誇っていた。番組は2006年9月で終了するものの、インターネット放送局あっ!とおどろく放送局で『波田陽区の奥までテキーラ!』として復活、現在も続く。

■2006年7月7日には、TBSテレビ系列『新キッズ・ウォー2』(CBC、毎週月〜金 13:30〜14:00)にて俳優デビューを果たす。

■2007年3月18日放送の爆笑レッドカーペット(フジテレビ系列)でギター侍以外のネタを初披露した。その内容は欧米人の傭兵に扮し、有名人を「YES」と「NO」に分けるというもので、御馴染みの有名人を斬り捨てるスタイルは健在。(例:「自分の歌に勝手に継ぎ足されたのを怒るのはYES・・・これ以上継ぎ足しようの無いその耳毛はNO!」(「おふくろさん」の作曲者である川内康範のこと)など)しかし本人はネタ中に「スベった…」と後悔するコメントを発し、「このネタでイケると思った俺は、NO!」と、ギター侍でいう「切腹」をしていた。

■現在、スタジオ「中野twl」にて『波田陽区トークライブ 波田頭区』を随時開催している。また、彼の事務所のサイトであるワタナベサイトにて、毎週月曜更新の『波田陽区コラム 波田頭区』も更新中である。

■2007年5月7日、大学時代に知り合った2歳年上の元保育士の女性との結婚を発表(同年6月5日入籍)。


【エピソード】
■男3人兄弟の末っ子。すぐ上の兄は地元下関の市立しものせき水族館 海響館内のレストラン「デルフィーノ」に勤めており、旅番組などで海響館が紹介される際に「波田陽区の兄」として登場する機会も少なくない。

■中学時代バドミントンで全国ベスト16まで進んだことがある。

■高校時代、陸上部だったこともあり(「下関の韋駄天」と呼ばれていた)、100m11秒9の実績を買われて『神様の宿題』(中国放送ローカル)番組内で『かけっこ侍』のコーナーをやっていた(既にコーナーは終了)。

■かつて大学時代に「テンポイント」というコンビを組んでいて、芸人とミュージシャンを兼業していた。大学を卒業するときに大物になるとサークルの友達に話していた(サークル名・青活、ニックネームはチャッピー)。

■売れなかった時代にコンビニエンスストア(ファミリーマート大久保店、東京都新宿区)で長年アルバイトをしていた経歴を持つ。副店長まで上り詰めたという(ちなみに同じ事務所所属のRAG FAIR・土屋礼央もファミリーマートで8年半バイトしていた)。

■大好物は、ハーゲンダッツのバニラと鶏肉。

■『波田陽区の中までテキーラ!』によれば、双方のマネージャーと同席ながらも加藤あいと食事に行く等、芸能界での交際範囲も意外に広い。

■2006年5月19日の『たけしの誰でもピカソ』お笑い居酒屋では、New 波田陽区として、アニマル柄の衣装に変えて登場。

■間寛平に可愛がられており、家族ぐるみで親交がある。

■2006年夏ごろに放送されたサントリーのビタミンウォーターのCMで速水もこみちの寝起き時の変な顔(通称「速水 いまいち」)が偶然にも似ていた(スタッフは波田陽区の顔をイメージしたつもりはなかった)為、波田の顔を使用したとも言われていた。この影響か、第2弾のCMでは先輩のネプチューンの名倉潤とともに共演しCM内で目がパッチリした別人の顔に変わった。

■ヘキサゴンUクイズパレードのクイズで波田のいとこが出演したことがある(波田の父親が彼女の母親の兄)。


【ギター侍】
ギター侍は、波田の持ちネタのひとつ。他には恋を語るネタ、全身を真っ赤に塗って明太子の気持ちを語るネタ、番犬をつれて軍歌を歌うネタ等を持つというが、本人はテレビでは披露できないという。


《流れ》
ギター侍は、着流し姿でギターを構え「拙者、ギター侍じゃ…」と、ギターを弾き始める。但しエンタの神様ではあまりこの台詞は言わない(その代わり「〜テレビっ子でございます」で始まるが、最近はいきなりネタから入ることが多いので、OAではカットされることもある)。

そしてギターの節に合わせ(リズムに合わせるだけで、歌うわけではない)、「私(僕は、俺は、俺達、オラは)○○○○(姓と名は語呂合わせしている)、 △△△△△…って、言うじゃな〜い?」と、芸能人や著名人のネタに入る。

それに対するツッコミとして「でもアンタ(こっちが○○してんのは、一番○○なのは)、××××ですから!(ましたから!、ませんから!) 残念!! ★★★★斬り!!」と、毒舌をもってバッサバッサと斬り捨てる。

「斬る」相手の前でネタを披露する時は、「斬った」後にその人をしばらく睨み付ける。(目が半開きなので見ているとしか思えないが)

こうして数人「斬った」後、ラストに自虐ネタを「拙者、◇◇◇◇ですから(ましたから!、ませんから!)…!」とカミングアウト。その直後、「切腹!!」と絶叫する。


《ギター侍でのエピソード》
■テレビでは「エンタの神様」(日本テレビ系)で活躍。当初、同番組のみに出演し、ギター侍のネタは数回の披露で終了する予定であったが、同番組のメイン視聴者である、若者を中心とした層に人気が出たことをきっかけに、メディアに注目されるようになってしまった為、半ば強制的に誰かを斬り続けなければならない状況となった(最初に斬られたのは、元モーニング娘。の保田圭)。彼は「ターゲットとなる有名人が好きで斬り続けている」と語っている。2004年秋からは「エンタ」に留まらず、各局のバラエティ番組にも進出を果たしたが、『エンタ』内で「おしゃれカンケイ」をネタにしたため、「おしゃれ〜」のスポンサーが同番組のスポンサーを降板したことでトラブルとなり、その後同番組に出演できなくなってしまった。

■エンタ時代、このネタを面白いと思った明石家さんまが自らの番組内で「○○ですから、残念!」を連発。このことからエンタを見ない世代にも知名度が上がった。また、波田が『踊る!さんま御殿』初出演時、さんまから「斬ってくれ」と言われ、本人の目の前で斬ったところ、非常に喜ばれた。また、やしきたかじんも、彼のネタを気に入っている。

■『エンタの神様』で摩邪がネタ中に波田陽区のことを出し、「『って言うじゃな〜い』って本当にそう言っていたのか。『って言うじゃな〜い』じゃなく『って言いそうじゃないですか』に変えろ」と言った際、波田が舞台端に登場した。ネタ終了後に波田は「お前痛いとこつくじゃねえか、バカヤロー」といって去った。その後、(2005年8月6日放送分において)波田が摩邪のことをネタにした際、摩邪が舞台端から登場。波田と摩邪とのマイクパフォーマンス合戦となったが、あげく摩邪の「チクショー覚えてろよコノヤロー」という台詞で一応は波田の勝利に終わった。

■波田と同じくワタナベエンターテイメント所属の青木さやかとともに出演した2004年NHK紅白歌合戦では、北島三郎の前座を担当し「残念!!」ではなく、「バンザ〜イ!!」というネタを披露した。「バンザ〜イ!!」で締めるネタは、自身の結婚発表の記者会見でも披露している。

■芸能人・著名人を揶揄するというネタの性質の為、ネタを披露する度に斬られた対象の芸能人・著名人のファンから苦情の手紙・メールが殺到する(ファンレターの95%は苦情だという)。また、一部の過激なファンが、波田に殺人をほのめかす内容の脅迫のメッセージを送りつけたこともある。例えば、『エンタの神様』でのW(ダブルユー)に対する「デブルユー」発言等である。

■2004年にリリースされたCD『ギター侍の歌』で、氣志團を「30超えてますから!!残念!!」「あやのこ オジン」と斬ったが、少なくとも綾小路翔は実際、わずか1歳の差ではあるが波田より年下であり、更に同曲がリリースされた当時はまだ30歳になっていなかった。(綾小路翔と中学時代の同級だったまちゃまちゃが自らの正式な生年月日を公表したことにより綾小路の実年齢も間接的に判明)

■小沢真珠に、当時放映されていた「牡丹と薔薇」のパロディで「アンタなんて侍じゃなくてブタよ!アンタなんて、ギターが無かったらプーよ!!」と斬られたことがある。しかし、「アンタのそのキャラ、青木さやかとカブってますから!!」と、見事に仕返しを果たしている。

■彼が日本テレビの番組『おしゃれカンケイ』(資生堂単独スポンサー)を『汚れカンケイ』と揶揄したのが仇となり、資生堂が『エンタの神様』のスポンサーを降板するというトラブルも起きた(現在はHONDAが筆頭スポンサーになった)。またペ・ヨンジュンをネタに「ヨン様と結婚したいってゆうじゃない…でもヨン様と結婚したら苗字“ペ”ですから〜!残念!!」と斬ったところ「韓国で“ぺ”は日本の“鈴木”の様に多い苗字。だから韓国を侮辱したも同じ」「韓国では結婚しても夫婦別姓なのはよく知られている。こいつはそんなことも知らないのか」と抗議が殺到し国際問題になりかけた。ただし、日本人が国際結婚をする場合、婚姻届を出しただけでは氏(苗字)は変わらないが、本人による届け出をすれば外国人の配偶者の氏に変えることもできるので、苗字が“ぺ”になるというのは間違いとは言い切れない。

■ネタでは威勢がいいものの、普段は律儀で礼儀正しい。またネタにする前もしくはした後には、出来る限り本人に挨拶なり謝罪なりをするようにしている等、真面目で義理堅い面も。ただ、伊東四朗を斬った時本人に詫びを入れにいったところ「毒舌を売りにしている芸人がそんなことをするもんじゃない」とアドバイスを受けた。

■『エンタの神様』出身と思われがちだが、実はTBSで金曜深夜に放送されていた「U-CDTV」という番組の中のワンコーナーである「O-CDTV」の前座を務めていたことがある。その時のネタの口調は今よりもやわらかく、あっさりしていた。更に斬るターゲットも芸能人・著名人等ではなく一般人であった。

■2004年5月にルミネtheよしもとのステージに出演し、ナベプロ所属の波田にとってはアウェーとなる舞台の観客を爆笑させようといつも以上に「残念!!!!」と絶叫してギターを振り下ろしたところ、肋骨が「パキッ!!」と折れてしまった。ステージ終了後すぐ病院へ直行、医者の書いた診断書には「亀裂骨折(『ざんねん』による)」と書かれていた。

■2004年11月には、ギター侍のネタを収録したCDをリリースするに至る。オリコンシングルチャートでは初登場5位、最高4位を記録した。このCDを武器に音楽番組へと活動の幅を広げる。

■「…って言うじゃない …残念!! ○○斬り!!」の3語がセットで、2004年の流行語大賞トップテンに選ばれた(そのときの1位はアテネ五輪で金メダルを取った北島康介の「チョー気持ちいい」だった。1位を逃した波田は流行語大賞の会場で「チョー気持ち悪い斬り!」と言って残念がった)。

■品川駅の出口で、高校生にギターを盗まれたことがある。追いかけていったところ駅前にギターが放置してあり「残念!」と貼り紙がしてあった。

■2004年12月、めちゃ×2イケてるッ!の1コーナー、フジTV警察24時に出演した際、島田紳助を斬った直後に「売れっ子で寝る暇がないって言うじゃな〜い? もうすぐゆっくり寝れますから!残念!!」と斬り返され、絶叫して走って逃げていった。また、フジテレビのスタッフを次々と斬る中、バラエティ制作センター部長の吉田正樹チーフプロデューサーに対してだけは、吉田の妻が波田が所属するワタナベエンターテイメントの副社長である関係から唯一斬ることができなかった。

■2005年2月、アルバム発売記念イベントで「エレキギター侍」やボサノババージョン・英語バージョン等を披露。フランス語も勉強中。

■関西ローカル番組の初出演が毎日放送のテレビ番組、『痛快!明石家電視台』のゲストトークコーナー『なにをきくねん』(2005年2月21日放送分)。明石家さんまを斬ったり(CDに入ってるネタではなく『電視台』用に作った別バージョン)、失礼な客に波田の本名を笑われたり、「結婚したがっているウチのお姉ちゃんはどうですか?」と売り込んでくる客がいたりで盛り上がった。

■2005年1月1日、「初詣!爆笑ヒットパレード」でチャンバラトリオの南方英二に見立ててもらった着流しを着て登場。以後、この着流しは礼服に。但し、3月8日に行われた第42回ゴールデン・アロー賞授賞式(新人賞を受賞)では何故かタキシードを着用。前年、芸能新人賞を受賞したはなわは赤い半袖開襟シャツに革パンという通常の衣装で授賞式に出席していたので、礼服の着流しなら決して授賞式にふさわしくない服装ではないと思われるが、同賞の権威を重じ正装、そして侍とタキシードのミスマッチさ、両方を狙ったものと思われる。

■2005年3月9日、『笑っていいとも!』の『テレフォンショッキング』にギター侍の格好でなく私服姿(素肌にチョッキと短パン)で登場。これはタモリが以前に「ミュージックステーション」で今度タモリが出演する番組に私服で来てと言われたという事からだったが、タモリ本人はすっかり忘れていたようである。波田本人は「この格好は今年絶対流行る」と意気込んでいた。因みに2005年3月21日にも素肌にチョッキと短パンの格好で登場。このほかにも、2005年3月ごろからは様々なTV・雑誌で私服姿を公開している(そのときの私服は普通にジーパン姿である)。

■2005年4月16日公開のアニメ映画『クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶブリブリ 3分ポッキリ大進撃』に声優初挑戦。本人は「ギター侍怪獣」役で映画初出演。4月10日の同映画の試写会での舞台挨拶では前人未到の1000人斬りを達成(斬られたのは映画を観に来た観衆)。

■2005年5月19日に放送された『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系)で、最後に芸能人を斬るとき、オチを忘れてしまい、仕方なく、「切腹!!」と言った。

■愛用しているギターのメーカーはMorrisであり、1本6万円前後だという。

■『笑点』に出演した際、波田は自分の家族のネタも披露した。「これが最初で最後の出演」と語っていた。

■『エンタの神様』でベッキーを斬った際、ベッキーが激怒し、恐ろしい思いをした。ベッキーは波田に斬られたことに大変落ち込んだという。しかし、後日明石家さんまに、「斬られたということは、それだけメジャーになったということ」と励まされ、今では斬られたことに感謝しているらしい(『波田陽区の中までテキーラ!』より)

■『痛快!明石家電視台』の恋愛侍 波田(なみた)さんは勿論波田陽区をモデルとした着ぐるみキャラ。毎週、会場にいる女性客の中から好みの女性をチョイスするという趣旨である。

■『エンタの神様にてくまのプーさんを「森の露出狂」と斬った為、オリエンタルランドから抗議を受け、東京ディズニーリゾートに出入り禁止となった』という都市伝説があったが実際のところ東京ディズニーリゾートに出入り禁止は存在しない。(エンタの神様でそのようなネタがあったのは事実)

■ちなみに知名度がピークに達していた頃は「服は絶対に(普段の浴衣姿から)変えない」と断言していたが、2005年半ば頃からはネタ披露時以外は私服でバラエティに出演することが多くなった。デニムの服が多い。

■主な活動が、路上ライブからテレビ番組へと移行した経緯があるが、その間、テレビで毒舌のギター侍をやってもいいのか、番組制作者側に前もって心配で尋ねたことがある。

■2005年に放送されたアニメ『ふしぎ星の☆ふたご姫』のキャラクター、ティオがギター侍の台詞をもじった台詞を発したことがある。

(出典:Wikipedia)

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馬場 裕之(ロバート)

馬場 裕之(ばば ひろゆき、1979年3月22日 - )は、お笑い芸人である。吉本興業所属。福岡県北九州市門司区出身。血液型A型。門司北高校卒業。通称、「馬場ちゃん」。


【人物】
■1998年ロバート結成。ボケを担当。

■秋山竜次とは幼稚園から高校までの同級生である。

■特徴は緑色の髪の毛と両耳にあけているピアスである。髪は青緑色・赤色・紫色の時もあった。

■本人はお笑いに全く興味がなく、先に上京した秋山に強引に吉本総合芸能学院(NSC)に入れられた。

■ロバートのネタでは台詞が一番少ない傾向がある。

■本番中の舞台で寝たことがあるという。

■2006年単独ライブの準備会議は馬場だけが呼ばれず不参加だったが、本人もそのことに対し何の疑問も持たなかった。

■キングコングの西野亮廣は親友であり、同じマンションの上下階に住んでいる。

■家族構成は、父、母、姉、妹。家族全員、目が細く頭や顔が大きいが、妹だけは例外で目が大きく可愛いという。秋山曰く「正統派な感じ」山本曰く「ヒロスエ似」とのこと。(山本は妹に一目惚れした。)

■ラジオ番組で、普段はかなりエグイ下ネタを言っているということを秋山や山本に公表された。

■山本と共に出演した吉本制作のショートフィルム『走ラズニイラレナイ』では、熱演を見せている。

■『はねトび』の演出・プロデューサー近藤真広による評価は、「不協和音を奏でる名バイプレーヤー。人間の顔色をうかがわせたら天下一品。人間関係とかを表現するのがすごく上手で、ロバートのネタの微妙な部分には欠かせないキャラクター」。

■ドダイトスがお気に入り。映画でこの役をやると決まったときは「すげぇ!」と大喜びしたが、すぐその後に「荷が重すぎるよ」と言った。


《クイズプレゼンバラエティー Qさま!!でのエピソード》
■レギュラー出演中の「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」(テレビ朝日系)では相当なチキン(弱虫)ぶりを見せている。「10m高飛び込み」では初リタイヤ者であり、周囲からは「大口を叩くくせに何も出来ない」と言われる。同コーナーで2人目のリタイヤ者でもあるスピードワゴン小沢一敬とは、チキンキャラ同士、話が合うと番組内で発言している。そのせいもあってか、同番組のチキンレースにロバートが参加する場合、ほとんどが秋山VS山本になり馬場は進行役となっている。その後、スペシャルで、18分台で飛び込んだ。

■しかし「全員で鬼ごっこ」では、中々の俊足と、脅威の粘りを見せて他メンバーの体力を温存させたことがある。ちなみに50m走タイムは7秒62とQさまメンバー3位の実力。

■デカ盛りスゴロクで、大食い能力を開花させた。

■「プレッシャーSTUDY」ではなかなかの物知りぶりを発揮するものの、地理には意外と弱いようである。九州(福岡県は番号が打たれていなかった)と四国の中でどこが何県かを当てる問題が出た際、馬場自身は福岡(つまり九州)出身であるが、その福岡の隣県のはずの熊本県を選択して「長崎県」「佐賀県」と解答したりするなど、地元である九州の県の位置関係すら把握できていなかった。そしてクイズ終了後に他の解答者から「九州出身なのに熊本を知らないってどういう事?」とブーイングを浴びた。


《ポケモン☆サンデーでのエピソード》
■レギュラー出演中の『ポケモン☆サンデー』で小学生とWi-Fiでポケモンバトルをしたとき、前半は余裕の表情だったが、相性が悪かったことが原因で逆転負けし、Lv.50のドダイトスを取られた。本人曰く「ドダイトスは寝る間も惜しんで育てた子供みたいなポケモン」だったそうで、「今日は泣いちゃうぞ」と言っていた。本当にドダイトスが好きらしく、その後、新たに育て直していたことが「ポケモンバトルレボリューション」の体験中に発覚した。

■レギュラー陣のなかでもバトルは強い方。ポケモンについての基礎知識も一通り把握しているようである。

■2007年4月15日放送分では「わらしべポケモン」という企画でテレビ東京や株式会社ポケモンを訪問し、ポケモン交換をした。最後にはGTSも使いこなし、見事パルキアを手に入れた。しかし、最終的には秋山のゲンガーに敗北してしまった。

(出典:Wikipedia)

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浜田 雅功

浜田 雅功(はまだ まさとし、1963年5月11日 - )は、日本のお笑い芸人、俳優、歌手である。戸籍上の表記はM田 雅功(「浜」の字が異体字)。愛称は浜ちゃん。身長165cm。体重50kg(公称)。

大阪市浪速区生まれ、兵庫県尼崎市出身。吉本興業所属。日本を代表するお笑いコンビ・ダウンタウンの一人であり、ツッコミを担当。相方は「松ちゃん」こと松本人志。血液型はA型。趣味はゴルフ。

妻はタレントの小川菜摘で、これまでに1991年と1994年に2男をもうける。


【人物】
・出版物や声優などタレント活動以外では「浜田」ではなく、戸籍上の表記である「M田」でクレジットされる。

・お尻の調子があまり良くなく(痔ろう)、常時青い座布団を敷いている。これは、テレビ番組やロケ時など、椅子などに座るシーンで確認できる。それが原因かは不明だが、番組中おならをすることが多くよく相方の松本人志から突っ込まれる(しかし松本も負けず劣らず、よくおならをする。おそらく芸能界一おならをするコンビで、「芸能界のワンツーヘニッシュ」や「工業団地・尼崎の公害被害が原因」などとネタにしている)。また浜田の屁の臭いは激烈で、松本に「最初鼻にウンコ付いてんのかと思った」「嗅ぐと記憶が消える(『浜田の屁を嗅ぐ度に思い出が1つずつ消えていく』)」「家に帰ると浜田が屁をした時間で時計が止まってた」「生まれてから一度も日本語を喋ったことのない外国人が『クサッ』と言った」「毛穴からニューっと入ってニューっと入って、中でボッボッとなる」等ギャグにされる程である。またダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!にて「無人島になにか1つだけ持っていけるとしたら」の質問に「青い座布団」と答えた(痔になる前の若いころの同じ質問には「舎弟」と回答している)。

・ジョージアのCM出演経験があるにもかかわらずコーヒー嫌いでも有名で、子供っぽい食べ物が大好きなため(ハンバーグ、からあげ、メンチカツ、焼きそば、ミルクティーなど。中でも焼きそばが一番好きらしい)、松本から「味覚バカ」「味覚が中学生」「ハンバーグに目玉焼きがのっていればテンション上がる」などと揶揄されている。ちなみに最近食べて感動した物はメガマック。トマトが苦手。

・絵が下手で、よく松本から「目がおかしい」と言われ、笑いのネタとして描いた絵を使われる機会が多い。しかし、松本は浜田の絵をバカ画伯と笑う一方で「浜田は絵は下手やけど、人の話を聞いた時に頭の中にちゃんと絵がかけてる」と賞賛している。

・目が回らないことも有名で、回転椅子に乗って百回椅子を回された時には、口では目が回るとは言いつつも、その直後の走行においてはまったくそれを感じさせないような直進をみせた(自律神経が壊れているという疑惑がある)。

・松本からは「サルの子」「チンパンジーみたいな顔」「子ゴリラ」「くちびるオバケ」「くちびるゴリラ」などと揶揄される事がある。また、素で不機嫌そうな顔は「ビーフジャーキーの天狗みたいな顔」とも揶揄された。

・本人曰く、妻(小川菜摘)からは家で「マーちゃん」と呼ばれている。新婚当時は「ピーちゃん」(ヒヨコをつぶしたような顔をしているから)と呼ばれていた。

・先輩でも容赦なく平気でドツいたり、タメ口をきいたり、呼び捨てにしたりして突っ込みを入れることから、志村けんに「俺でもいかりやさんの頭を叩くのに何十年もかかった」と言われた事がある。 ただし勿論収録外では礼儀正しい対応を尽くしている。

・ふくらはぎが非常に発達しており、松本に「ガンダム」「焼きタラバ」「石鹸が入ってる」といわれたことがある。

・口や鼻、喉の感覚が鋭敏らしく、臭いものを嗅いだ時などはもちろん、鼻こよりや口に異物を入れるなど、ちょっとした事でよくえづく。ガキの使いの罰ゲームとして、このえづきで音階を収録して編集し、気持ち悪いカエルの歌などを作ったことがある。ちなみに、今までの人生で一度も痰を吐いたことがないらしい。

・本人はイメージと違い酒が飲めないらしい。しかしビールやブランデーのCMに出演したことがある。

・駅のトイレで小便をしていて、隣にいたまったく知らないおっさんが屁をした際に職業病のせいか「おい!!」と言ってしまったことがあるらしい。

・テレビっ子だったらしく、昔のテレビ番組や芸能人に詳しい。水前寺清子が「チータ」と呼ばれる由縁を松本に教え、「お前は何でそんな事を知ってるんや…」と松本を驚かせた。

・モノマネで得意なもの萩本欽一で、『欽ちゃんの仮装大賞』では欽ちゃんのモノマネを披露し、欽ちゃんに叩かれた。

・自身が司会を務めるジャンクSPORTSを通じて数々のスポーツ選手との親交があるが、かつて「ガキの使いやあらへんで!!」のフリートークにおいて何度も「ブサイク」「妖怪タンコロリン」と発言した谷亮子(田村亮子)は一切の番組で共演した事がない。またアスリートたちが感動的な話をするとジョークとして、「ごめんなさい。この番組ではいい話をするとカットなんですよ」と必ず言う(実際カットされたことは少ない模様)。

・浜田個人としては「ADブギ」(TBS系)などのドラマにも出演し、俳優業もこなす。これについては島田紳助に「自分は相方のように笑いだけでやっていくつもりはないんです。」と語っていた事がある。また、俳優を本業としている人間に迷惑を掛けてはいけないと、NGは非常に少ないらしい。だが、脚本を勝手に関西弁に変えてしまうなど、アドリブも多く、共演者は笑いをこらえるのに必死だったとか。「パパとなっちゃん」で共演した田村正和は、浜田の演技は面白いと絶賛していたらしい。

・ダウンタウンとしては後輩であるナインティナインとの絡みは皆無に等しく、不仲説が囁かれているが、どちらも冠番組を抱えるギャラ単価の高いタレントであり、同じ番組で共演するメリットが事務所的・業界的にも無いというだけのことであろうと思われる。浜田個人は「めちゃ²イケてるッ!」の「やべっち寿司」のコーナーに何度か飛び入りで出演したことがある。「フジTV警察24時」のコーナーにも出演し、「ヤクザっぽい」という理由で勝手に容疑者扱いを受け逮捕(容疑は暴対法違反)された際には、岡村にタバコを投げつけるなどやりたい放題だった(勿論ネタ)。これまで共演が少なかったのは、初めてのからみ(1994年の正月番組)で岡村をシバキまくり、ナイナイにトラウマを与えた事や、松本が自身の著書「松本」で「ナイナイはダウンタウンのチンカス」などとナイナイを酷評したことなどが要因とも言われている。浜田が岡村をシバいたのは「靴下飛ばしゲーム」で力みすぎて中途半端な結果を出した岡村に対する救済処置だったのだが、いかんせん加減が出来ない浜田に岡村は本気でビビってしまったようだ。一方松本はというと、後に「あれ(チンカス発言)はゴーストライターが書いた」とネタにするなど、彼ら以外の後輩への扱いと別段態度を変えているわけではない。2003年にナイナイがラジオ内で語った、数年ぶりにスタジオでダウンタウンに会ったときのエピソードによると、松本は挨拶に「うぃーっす」と普通に返し、浜田は「今日は何?」と聞いてくれたものの、岡村は極度のビビリのために「何もないです!」とうそをついてしまったそうである。他に質問してもビビッてまともに答えられない岡村に、浜田は「俺、普通に聞いてるだけやん」と突っ込んでいたとのこと。このときのナイナイのトークは、ダウンタウンを嫌がっているというよりも、2人揃ったダウンタウンに会ったのが久々で感動したという内容であった。

・恋愛に関する話題が苦手である節がある。過去に恋愛関係の番組をほとんどやっておらず、自身の番組でも恋愛のトークはあまり参加しない傾向が強い。「ダウンタウンDX」でも、杉本彩や梨花などの過激な恋愛論にさすがの浜田もツッコミが冴えず、ただ笑って聞いているだけしかなかった。金子賢にも「浜田さんは人の話を引き出すのは上手いけど肝心の自分の話はちっともしない」と突っ込まれたことがあるように、自ら本心を語る場面も極めて少ない。

・1995年よりH Jungle with tで音楽活動を行ったり、その翌年にはドラマ「竜馬におまかせ!」の役作りの為に長髪にしたりするなど、次第にその容姿にも注目が集まるようになり、30代でありながらラフな格好をすることからファッションリーダーとしてファッション誌でも取り上げられるようになった。浜田のファッションを真似る人達は「ハマダー」と呼ばれていた(当時、アムラーやシノラーなど、ファッションリーダーを真似る一般人はその手本となる人物をもじった愛称が付けられていた。相方の松本も対抗し、ネクタイの先をズボンに入れる格好を「ヒトシー」と呼んでいたが、全く定着しなかった)。

・芸人よりもタレント、俳優、スポーツ選手といった、別の業種に浜田を慕っている人物が多い。俳優の内藤剛志や袴田吉彦は番組での共演から親交が深い(内藤に至っては年上にも関わらず弟子入りし、浜田を「師匠」と呼んでいる)。この2人とは番組企画でCDを発売している。俳優の細川茂樹、金子賢、加藤晴彦は「浜田ファミリー」と呼ばれており、自宅にもよく遊びに来る。遠藤久美子も「『人気者で行こう!』では非常に面倒を見てもらった」と読売テレビ番組「土曜ドカンッ!」で話している。

・毎年正月には家族でハワイ旅行に出かける。親交のある星野伸之夫妻、ハイヒール・モモコ夫妻、遠藤章造・千秋夫妻も同行している。

・ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!の罰ゲーム中に通行人のおばさんに「あんたウッチャンナンチャンの小さい方(内村光良)でしょ」と言われた。

・愛用携帯電話はP902i

・「運転免許の試験に3回落ちた」と松本がラジオで話していた。2001年、新宿区霞岳町国立競技場千駄ヶ谷門前の交差点で、赤信号で停止している車に愛車のベンツで玉突き衝突する事故を起こし書類送検される。長者番付の常連であったが、新車を買った事がないらしい(W140ベンツも中古車)。

・動物嫌いで有名だったが(若手時代、吉本所属のマジシャン、マジック中島・ひろみと楽屋が一緒だった際、マジックに使う鳩の鳴き声にキレ、マジックに使う短剣で籠をガンガン叩いたという)、近年犬を飼い始め、溺愛している。その事実を知った松本はショックを受けていた。


【性格】
・相方の松本曰く、浜田は努力家だという。現在の縦横無尽なツッコミも努力の賜物である。

・短気であり、非常識なファンには激昂することが多くある(ファンに激怒したエピソードの数々をテレビ番組でネタにされる事もある)。グアム旅行に行った際にファンに無断撮影されたことに対して激怒し、喧嘩になりかけたところをたまたま同じ飛行機にのっていた田代まさしに「怒っちゃだめだよ」と止められたこともある。

・息子と2人でTSUTAYAでゲームソフトを買いに行った時に、息子がどれを買うか迷っていたため「なにしとんじゃワリャ! はよ決めんか!」と怒鳴っていたと、リンカーン内の企画「芸人大走査線」で、キャイーンの天野がどっきりの際、内山信二が証言していた。

・そのくせ意外にもなかなかのビビリ(小心者)。松本が内緒でウンコをしている浜田のトイレのドアを思い切り蹴ったら、中から「ええ〜…?」というか細い声が出たという。

・松本曰く、あがり症であるという。1989年4月にダウンタウンが「笑っていいとも!」にレギュラーとして初登場した際、浜田は生放送中にも関わらず緊張のあまり「オエッ!」えずいてしまい、「まだちょっと緊張感あるのかな、一義!」とタモリを本名で呼んで笑いを取りつつ誤魔化していた。また、1995年の紅白歌合戦に出た時は目が泳ぐほどあがっていた。2006年のトリノオリンピックではメインキャスター(フジテレビ)に選ばれたが、多くの記者が集まったその記者会見における表情等でも浜田のナーバスな表情が確認できる。ちなみに、傍目にはわからないが、浜田が大舞台であがっている時はツッコミが異常に痛いらしい。

・思った事は包み隠さず口に出すタイプで、ある番組で素人の女性がVTRに映った時、「うわ!ブサイクやな!コイツ」と叫び、松本に制止された。また、深夜の時間帯ではあるが、森三中に対して明らかなセクシャルハラスメント行為をしたことがある。「ダウンタウンDX」でも、有名人の昔の写真を見て、「うわぁ!パンチ効いとるなあ!」などとよく言い、松本にツッコまれている。ゲストに対し「死ねばいいのに」などの強烈な言葉を発することもよくある。勿論これらは全てジョークの範疇に含まれるが、大御所俳優などにもこのようなストレートな発言をぶつけて笑いを取る才能は、松本や島田紳助などから「自分にはない」として高く評価されている。

・非常に攻撃的で破天荒であり、「芸能界一の超ドS男」の名をほしいままにするように、TVではふてぶてしい態度を見せるが、実際の彼は気配り上手であり、聞き上手で礼儀正しく、後輩への面倒見も非常によい。また、コンビ単位でも個人単位でも司会をする機会が増えており、初対面のゲストでも自然と親しい者同士のような雰囲気でトークを進めたりする技術力は彼独特のもの。こうした人柄や芸風から、「島田紳助の後継者」という呼び声もある。

・子煩悩で教育熱心としても有名。「浜田刑務所」と呼ばれるほど躾に厳しいが、世田谷界隈で、よく家族連れで遊んでいるのが目撃されている。休日には子供にせがまれるでもなく、自ら率先して遊びに連れて行っているようである。また、子供との会話は関西弁が移らないように基本的に標準語で喋っている。その反面、大のアダルトビデオ好きで、自室でヌキ所を編集するのが趣味らしく、妻の小川菜摘も黙認している。

・テレビ番組で妻ととある岬(錠前に二人の名前を書き柵につける場所がある)に行った際、錠前に自分の名前と妻の本名を書き、一緒に来ていたハイヒール・モモコ一家らに(妻の名前を芸名ではなく本名で書いた事を)「自分本気やー!」とからかわれた。ちなみに、Wコウジなど浜田と親しい後輩達は後日その事を知り、その惚気っぷりに「こんなん俺らの知ってる兄さんやない!」と嘆いたという。

・一度AV女優との浮気が発覚した事があるが基本的に愛妻家で、「リンカーン」では電話で楽しそうに話す様子が放送された。その光景を見た芸人達から「絶対愛人かと思った」と言われてしまう。 

・中学校時代には石野真子をおかずにしていたと本人が番組で発言。

・尊敬する人物は田中角栄。

・映画「仁義なき戦い」の大ファンであり、またヤクザを特集した雑誌なども好んで読んでおり、ガキ使のトークでは「芸能人はいつ狙われるか分からないから銃の所持を認めてほしい」と発言したこともある。こうしたことに加え「楽屋では拳銃の手入れをしている」と松本がネタにしたり、本人も「若い衆」「側近」といった極道用語を普段から使っていることなども、前述の「ヤクザっぽい」キャラクターが浸透した一因であると見られる。ヤクザ映画の主演を務めた事もあり、また「ダウンタウンDX」の第一回でヤクザ映画のパロディーを菅原文太・山城新伍、川谷拓三と行った時は、三人から「素晴らしい演技だった」と大絶賛された。


【略歴】
■芸人になる前
大阪市でペンキ屋(大阪万博にて太陽の塔のペンキ塗りをしたペンキ屋)に勤めていた父・憲五郎、母・信子の間に生まれ、小学5年に父が独立、尼崎市でペンキ屋を開く。父とヒロミの父とは、鹿児島時代の同級生(2人とも就職の為に出身地の鹿児島を離れた)である。妹は通称カーコ(本名不詳)。浜田は両親が留守の間、妹に「マー坊ライス」を作ってあげたり面倒をよく見たらしいが、濡れタオルでしばいたり、髪の毛をつかんで引きずり回したりと手荒く扱ったりもしたらしい。親友でもある松本人志や高須光聖曰く、実家はひどく貧乏だったらしく、よほど親しい友達でないと家に上げてもらえなかったという。住んでいたアパートはかなり老朽化しており、浜田が幼少時、浜田の家の上の階の床が抜け、上に住んでいた韓国人のおばちゃんが浜田を抱いていた母親の肩をかすめて落ちてきたことがある。しかし、本人は貧乏であったことは認めるが、生まれたときから貧乏ではなかった、という主張をよくする。本人いわく、「大阪万博までは羽振りが良かった。それからや、ヤクザの取立てが家に来るようになったんは。」と語る。父親は知り合いの借金の連帯保証を背負わされてヤクザに拉致監禁されたことがある。

高校は三重県にある全寮制の日生学園第二高等学校(入学は日生学園第一高等学校。2年次に移動)を卒業。在学時はあまりに厳しい環境のため何度も寮を脱走したとか(本人談)。浜田が一年生の頃、学校の便器を素手で掃除するというしきたりがあったほどである(『徹子の部屋』に出演したときに述べていた)。脱走した際、お金がなく困っていたため松本に電話し助けてもらったらしい。同校の後輩として今田耕司がいる(今田は同校中退)。

高校卒業後の目標は特になかった為、父親の提案で競艇選手の試験を受けたが落ちている。

■吉本入り
1982年、小学校から中学校時代の同級生である松本人志を誘って吉本興業入り。同社の若手タレント養成所「吉本総合芸能学院(NSC)」第1期生となる。当初は「松本・浜田」というコンビ名であったが、その後改名により「ひとしまさし」「てるお・はるお」「ライト兄弟」を経て、現在のコンビ名「ダウンタウン」になった。松本人志が松竹芸能に入りたかったらしいが猛反対した。

デビュー当時はそのふてぶてしい態度から先輩達から忌み嫌われる存在であったものの、「4時ですよーだ」(毎日放送)で関西地区での人気を不動のものにする。程なくして上京、「夢で逢えたら」(フジテレビ)などで人気を博し、全国区タレントとして広く名を知られるようになる。1990年前後にはウッチャンナンチャン・とんねるず・B21スペシャルらと共に「お笑い第三世代」として一大ブームを巻き起こした(とんねるずは第三世代にくくられないが)。

東京進出直後、「スーパークイズスペシャル」に出演。「目立たなければいけない」と、全く親交が無く「近くにいた」加山雄三に「おい雄三、コラァ」と喧嘩を売ったことが東京のテレビ関係者にウケた。もちろん加山が芸能界のドンであることは承知の上での行動だったろうが、番組終了後には平謝りだったという。また同じ関西出身で司会を担当していた逸見政孝とのやりとりも見ものであり、逸見の「お前らしっかりせえや!」「何でお前らおんねん!」との言葉に対し「いつみ〜!」「いつみのオッサンだけは! あのガキは!」「逸見、後で裏来い」といった暴言をよく吐いていた。しかし楽屋では非常に仲が良く、逸見が逝去した際は「逸見さんはダウンタウンが売れるきっかけを与えてくれた人です。本当に感謝しています」と涙ながらに話していた。


【芸風】
突っ込みのパターンは頭をはたく、デコピン、ゲンコツ、回し蹴り、かかと落とし、頭突き、ビンタ、ほっぺに噛み付き、鼻に指を突っ込む、前肩と後頭部を同時に叩く(松本曰くとても痛いらしい)など、様々なバリエーションに富み、突っ込む相手もどんな大物であろうが手段を選ばない。火のついたタバコを投げつける事もあり、素人の女の子に突っ込んで泣かした事もある。特に初期の頃は、相手を分析して突っ込まなかったので、もともと気を使う性格の浜田は、番組内もしくは番組終了後に謝る事が多かった。ただし、明らかに調子に乗っている素人や芸能人には何のフォローもしていない。

「ごっつ〜」「ガキの使い〜」内でのドッキリ企画では迫真の怒りの演技を見せる。ドッキリの為の演技とはいえ、浜田のとてつもない怒りぶりを見てYOUや篠原涼子やココリコ田中直樹らがこのドッキリに引っかかり泣いてしまったことがある。 逆に、浜田自身は「ごっつええ感じ」の「野生の王国」というコントで「ほんこんだと思ってしばいていた着ぐるみの中の人物が、実は坂本龍一だった」というドッキリを仕掛けられたことがあり、坂本だと分かった時にはただただ平謝りだった。 また同じく「ごっつ〜」内の企画で、高校時代に最も恐れていた恩師が「オウ!浜田!」と突然登場した事もあり、本気でビビる姿を見せた事もある。

一時期はハリセンが定番のアイテムであった。今では素人だろうが芸能人だろうが浜田に突っ込まれることがありがたいことになってきているが、これはHEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPでまだ売れる前だったシャ乱Qのつんくにどついたところ、その後売れっ子になったことをつんくが提唱したからである。俗に言う「浜田にどつかれるとミュージシャンは売れるジンクス」である。しかし、加賀まりこや泉ピン子など毒舌を得意とする大御所クラスの女性芸能人の前では、さすがの浜田もツッコミが弱くなってしまうことが多い。もちろん、頭をはたくなどのツッコミは絶対にせず、笑いながら言葉でツッコミを入れるのが精一杯である。また、言葉ではトークの当事者にツッコミながら傍らにいる松本の頭を叩く事もある。しかし「ガキの使い」の企画では加賀にゴミ袋を被せるなど(ある意味)体を張って笑いを取りに行くこともある。

大阪時代から東京に進出した後の1992年頃までは、松本・ゲスト・観客に対してキレキャラで接し、どつくことを基本にしていた。しかし、一般に受け入れられるようになり始めた1993年頃から、意識的によく笑うことを新しい芸風にした。この転換は大成功で、その後のダウンタウンのイメージアップに貢献した。

ツッコミのスタイルとしては、中田ボタンをはじめとする多くの先輩芸人から影響を受けている。一般的にツッコミというポジションは「努力と技術がものをいう」と言われており、浜田もかつてコンビを組んだ当初は突っ込みの概念を掴みあぐね、中田ボタンを参考にしたという(三世代漫才トークより)。 また、後輩のナインティナインらが出演しているフジテレビ系の「めちゃ×2イケてるッ!」では「やべっち寿司」のコーナーにちょくちょくひやかしに訪れるため、「ヤクザ」とテロップが表示される。

たまに、後輩の千原兄弟と共演するときは千原靖史(せいじ)のことをわざと「やすし」と呼ぶ。当然、千原靖史は「せいじや!!」とツッコむ。


【スポーツ】
・スポーツ好きで、2005年6月25日に代々木のバレーの試合を生観戦した。そして試合前にコメントしたが早くも「凄いすね!この雰囲気」と絶叫。同年12月25日にはフィギュアの試合も観戦。その華麗な美の競演に言葉を失った。

・ゴルフ好きとしても有名で、過去にゴルフビデオを何本もリリースしたり、ゴルフウエアブランドを立ち上げたりしている。だが、腕前はいまいち。全英オープンゴルフの特別番組では司会も務めたが、青木功に高飛車な態度で応じたことから強烈な嫌味を言われた。

・2000年4月の第1回の放送より、ジャンクSPORTSのメイン司会に起用され、更に2006年2月に開催されるトリノオリンピックではフジテレビ系列の五輪メーンキャスターに抜擢された。金メダルが荒川静香選手の一個のみという戦果に終わった大会だったが、「浜田さんが一番"金"を稼いだ」と松本にからかわれた。

・阪神の本拠地・甲子園球場がある西宮市の隣の尼崎市という出身にもかかわらず、大の巨人ファンであったが、2007年4月30日のヤクルト対巨人戦での副音声では「今年から東京ヤクルトスワローズファンになりました。」と言っていた。

・スポーツ新聞はスポーツ報知を愛読している。

(出典:Wikipedia)

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