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ヒップアップ

ヒップアップは、島崎俊郎、川上泰生、小林進の3人からなるお笑いユニット。


【概要】
元々はそれぞれ、小野ヤスシらの付き人を務めた後、トリオを結成。漫才ブーム後半にあたる1981年頃からフジテレビ「THE MANZAI」にギター伴奏による青春コントで登場。同じく横澤彪 が手がけた「オレたちひょうきん族」にレギュラー出演し、コント赤信号らと共に知名度を上げた。 「ものまね王座決定戦」の淡谷のり子の物まねで「なんてったってアイドル」の最初の部分を連呼する演目は一世を風靡した。

ネタ考案は、殆どが川上の担当。後に島崎の代表的ネタとなる「アダモステ」や、ヒップアップの代表ネタである「それでは お別れしましょう」などのネタは、川上が考案している。

現在は自然消滅状態で活動休止状態。島崎はタレントとして、小林は俳優として、川上は福岡に活躍の場を移し、めんたいワイドなどに出演している。だが、川上が活躍の場としている福岡の番組では、時折再結成などがされている。

(出典:Wikipedia)

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肥後克広(ダチョウ倶楽部)

肥後 克広(ひご かつひろ、1963年3月15日 - )は日本のお笑いトリオ·ダチョウ倶楽部のリーダー。沖縄県那覇市出身。血液型はAB型。愛称は「肥後ちゃん」又は「リーダー」。 所属事務所は太田プロダクション。沖縄県立那覇工業高等学校卒業。


【来歴】
那覇市に三人兄弟の末子(上は姉2人)として出生。肥後自身はお笑いタレントとしての立場上多くは語らないが生家は経済的に苦しかった上、肥後の実父が病気で早世するなど少年時代は母と二人の姉ともども苦労が多かった。子供の頃にセミを取って焼いて食べたエピソードは有名。

商業デザイナー(インダストリアルデザイナー)として就職・活動するもお笑い修行のため辞職、ダチョウ倶楽部結成以前からコント赤信号の活動に参加したり、映画にチョイ役で出演していた。南部虎弾の脱退でメンバー最年少にもかかわらずリーダーとなったが、ネタやものまねを最終的にまとめるのは彼の役目であり、彼らのギャグのように「背の高さだけでリーダーをやっている」わけではない。

DREAMS COME TRUEの中村正人に容姿が似ており、肥後と中村はお互いこれをネタにしている。DREAMS COME TRUEの原案・主演映画「アマレット」(主人公は「容姿が吉田と中村にそっくりなフォークコンビ」で、吉田と中村が演じている)では肥後が「ドリカムの中村正人」を演じているが、これは中村の希望によるものだった。

私生活では元コメディアンだった夫人と「ダチョウ〜」ブレイク前に結婚、上島竜兵の婚約直前に妻と一男一女(当時。その後もう一人女児を授かり今に至る)があることを発表し話題となった。また沖縄で健在の実母(一般人)もたびたびバラエティー番組に登場し話題をまいた。


【逸話】
■「所印の車はえらい」という番組でアメ車ビュイックパークアベニューを150万円で購入するが、TBS「ツカミはOK!」初回にて本人が知らない間に唐草模様のオープンカーに改造された挙句スタントカーに突っ込まれ爆破されてしまった。その後カマロ、ステップワゴンを購入。

■母親には可愛がられており、学生服の背中を当時いじめられていた生徒にタバコの火で焦がされた時も優しく諭した。しかし、高校の進路相談で自動車学校への進学を薦め教師を呆れさせたこともある(上京後は、心配をかけさせないためTVに出演するようになるまであまり連絡を取っていなかった)。

■娘がアンジャッシュのファンで「いつも計算されたコントに感心しています。それに比べてうちの父は同じコメディアンなのに、熱いお風呂にはいったりしてばかりで情けないです。」とファンレターを送り、名字が「肥後」だったことから「娘さんですか?」と確認され、「俺はいつも計算されたリアクションをやってるんだ」と娘を諭す(『とんねるずのみなさんのおかげでした』内食わず嫌い王決定戦内で語る)。

■自衛隊パブが出店し始めた頃から、よく店に出入りしていた事をメンバーの上島と寺門にバラエティー番組で暴露され、苦りきった肥後の表情が画面に写し出された。

■実は天然ボケで、数々の迷言を残している。

■ノーベル賞をノーベル大賞。

■朝青龍の出身地「モンゴル」を「何ゴル人だっけ?」など

■温厚そうな外見とは裏腹に意外と短気な部分があるようである。
その怒り方は土田晃之曰く「インテリヤクザのキレ方」で、相手の目をじっと見つめ声のトーンを落とし怒るというもので、相方である上島を幾度となく泣かせている。


【ものまねレパートリー】
■森本レオ(CMで共演、中学時代からの持ちネタ)

■名古屋章(本人死去で封印)

■久米宏
決め台詞は「すいません、真中瞳が気になって何も聞いてませんでした。ヒッヒッヒッヒッ」
2001年にはニュースステーションに久米宏の物まねで出演し、本人との共演を果たしたこともある。

■高田明(ジャパネットたかた代表取締役社長)
ソニーから発売されているテレビ「ベガ」の紹介の真似。

■ジャンボ鶴田(本人死去で封印)

■福井敏雄(本人死去で封印)

■具志堅用高

■中村正人
など。

(出典:Wikipedia)

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ビビる大木

ビビる 大木(ビビる おおき、本名:大木 淳 - おおき じゅん、1974年9月29日 - )はお笑いタレント。埼玉県春日部市出身。ワタナベエンターテインメント所属。元ビビるの一人。血液型はO型。 春日部市立谷原中学校−西武台千葉高等学校卒業。


【プロフィール】
■元々は大内登とお笑いコンビ「ビビる」を結成していた。担当は大木がボケ、大内がツッコミ。デビュー当時はテツandトモよりいち早くジャージを着用して活動。その後「はじめまして、こんばんみ!!」「わっしょい!」のギャグがブレイクするなどし、バラエティ・コントなどに活動の場を広げていった。

■しかし、相方の大内が突然芸能界からの引退を表明し、大木はピン芸人に。その際コンビ名「ビビる」の名残りを残して現在の芸名に改名。

■解散後は表舞台で2人が顔を合わせることはないが、舞台裏で顔を合わせたときなどは「元気か?」などと言い合っている。また、大内が製作に携わる番組には、大木が出演することが多いらしい。

■大内は現在、某番組制作会社のプロデューサーである。


【芸風】
■昨今の若手芸人の中では地味な感は否めないがアドリブのセンスの良さやフリートークのおもしろさに定評があり『ビビる大木のオールナイトニッポン』では一部のリスナー(野球・プロレスファンなど)には人気を集めた。

■バーター芸人と呼ばれることが多いが、若手芸人の大半は少なからずバーター(業界用語で束を逆に読んだものであり、セットを意味する)で出演していることが多い。


【噂】
『WORLD DOWNTOWN』のジル・ベッソンや『CHIMPAN NEWS CHANNEL』のゴメス・チェンバリンの吹き替えをしていたという噂がある。真相は不明だが以下のようなやり取りから大木である可能性が高い。そのアドリブ力は目を見張るものがありなかなかの評判であった。

■2006年10月26日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』の1コーナー『トークダービー』にビビる大木が出演した際、石橋貴明がビビる大木にたいして『チンパンニュース』と突っ込んだ時、「いやいやあれは、俺じゃないです!」と否定していた。このコーナー中、石橋貴明は2回突っ込みを入れていたが、2回とも否定していた。

■2007年1月30日放送の『踊る!さんま御殿!!』では、明石家さんまの声がもし出なくなったらという話題で、「喋る振りだけしてもらい自分がサブから声をあてます」という木村祐一の発言を受けたさんまが「ああ、ビビるのやつみたいにな」と返す、というやりとりがあった。

■2007年1月31日放送の『笑っていいとも!』にて、ビビる大木がタモリからチンパンジーの吹替えをやっていることを何度もつっこまれる。それに対してビビる大木は、番組の設定上口止めされている事を匂わせながら否定する。が、タモリがしつこく追及すると、「明らかにすると上の者に怒られる」と答えた。

■2007年2月17日放送の『水曜どうでしょう』にて、大泉洋が「ビビる大木さんのモノマネをします」と称して、「ミスター大泉!!!」とゴメス口調で連呼した。

■ちなみに小鹿を助ける日産自動車のCMのナレーターは本人である。

■上記の番組のおかげか、最近ナレーターの仕事が増えている。


【人物】
■事務所の先輩である中山秀征を尊敬している。中山には大木がテレビに出演していない時代に先輩にお世話になったことに倣って事務所の若手芸人に面倒を見るなど、よき兄貴分的存在となっている。

■野球と相撲、そして格闘技(プロレスなど)が大好き。『ビビる大木のオールナイトニッポン』では序盤のフリートークで必ず話していた(『プロ野球しだるま情報!』と称し、もはやコーナー化していた)。

■『3年B組金八先生』の大ファンで、前述の『オールナイトニッポンで同じ金八ファンのリスナーを集めマニアックなクイズをしたり、金八役の武田鉄矢をゲストとして招いたりしていた。

■SMAPの草g剛とは小学校時代の同級生であり、同じ野球チームに所属していたが、草g曰く「あんまり覚えてない」とのこと。しかしこの発言は笑いを取る目的で、大木のために言っている可能性がある。

■テレビ朝日アナウンサーの大木優紀と「はとこ」の関係。(大木アナの父親とビビる大木の父親が従兄弟)。優紀のことは「はとこちゃん」と呼んでいる。また、「大木一族」をネタにしてバラエティ番組での共演も増えている。

■国仲涼子の大ファンである。深夜番組だった頃の『ネプリーグ』に国仲が出演した際、共演したい一心で臨時のナレーター役を務めたこともある。ラジオで共演したきっかけで、メールアドレスを交換したのだが、やり取りは一度も無い。

■酒は飲めない。肝臓が悪く、医者から止められているが、下北沢にある「スナック母恋」という行きつけのスナックがあり、店ではウーロン茶を飲む。

■『芸能プロフィール刑事』で共演をしていた眞鍋かをりにテレビ東京の番組『中山道』の中で告白をしたが「共演者としてしか思えません」とふられてしまったことがある。

■『トリビアの泉』で共演していたMEGUMIから「兄貴」と呼ばれている。

■浜田省吾、渡辺美里、徳永英明、CHAGE and ASKA、陣内大蔵の熱狂的ファンであり、レッド・ツェッペリンなどハード・ロックファンでもある。

■実母のテレビ露出も増えている。番組で若い頃の写真が公開された時、芸人仲間から容姿について「美人だ」と多少評判になった。ちなみに顔は息子そっくり。

■モテないことを気にしている様であり、『リンカーン』(TBS系列)で女性の口説き文句を教えて欲しいと言ったことがある。

■『トリビアの泉』では常に高へぇを連発していて、品評会会長であるタモリに、『祝1周年記念SP』で、へぇボタンの押し過ぎで怒られた事がある。

■歴史好き(特に幕末時代)でたびたびテレビやラジオなどで幕末のことに関して熱く語る。

■ストレスにめっぽう弱く(一時期入院するなど内臓系の不調が多いのも、突き詰めればストレスが原因だと思われる)、ニッポン放送のイベント『そんなのアリーナ!?アマゾン』では、自分を始めとした芸人組があまりに酷いスベり方をした事にショックを受け、打ち上げで血を吐いた事がある。


《コンビ時代》
■『マチャミの全部いただきっ!!』のスキー場でのロケで、二人はソリに乗って登場したが、事前に操縦の練習をさせてもらえず、しかも「顔が隠れる」という理由でヘルメットを装着させてもらえなかった。 案の定大きくコースを外れ、レストハウスのコンクリート壁に激突。壁にあったゴミ袋と雪がクッションの役目をしたため命に別状はなかったが、大木は第十二胸椎圧迫骨折(つまりは背骨骨折)の重傷を負った(幸運にも半身不随は免れたが、紙一重だった)、ちなみに相方の大内登は頭蓋骨骨折と脳挫傷(3箇所)の重傷を負い、一時意識不明に陥り、生命も危ぶまれるほどの重態になったものの、奇跡的に無事生還。大木曰く「激突の瞬間、司会者席から笑い声がしたので(大事故には見えなかったため)オチをつけようと立ち上がろうとしたが、全身に力が入らず全く動けなかった。大内を見ると、鼻血を出してぐったりしていた」という。さまざまな事情があってか、その後なんの説明もなしに一時期レギュラー番組から姿を消し、痛々しい車椅子姿で復帰した。また、番組側はこの事故の事を半年も隠蔽していた。今でも、まだ古傷が痛む事がある。

■両者ともに2ヶ月の入院の後、さらに2ヶ月の自宅療養を医師に命じられたが、当時参加していた『雷波少年』のT部長に無理矢理に日本テレビの番組対抗クイズ番組特番に参加を強いられた(車椅子にジャージというあからさまに病み上がりな姿だったため、司会の島田紳助も気をつかってくれた)。大木は後にラジオ番組で「T部長もナベプロも俺を殺すつもりだ、と思った」と語った。

■事故の後は生命をネタにするようなブラックジョークも嫌いになった。

■二人での最後の仕事であったラジオ最終回の打ち上げ後、大木は大内に「俺の一番のファンでいてくれ」という言葉を残した。

(出典:Wikipedia)

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ヒロシ

ヒロシ(ひろし 1972年2月14日 - )、熊本県荒尾市出身(福岡県大牟田市生まれ)はお笑いタレント、漫談師。所属事務所はサンミュージック。荒尾高等学校、九州産業大学商学部卒業。身長173.0cm、(現在は172cm)体重60kg、O型。趣味は熱帯魚飼育。本名は斉藤 健一(さいとう けんいち)。


【来歴・芸風】
デビュー時は吉本興業福岡事務所に3年間所属。その後上京し、一時はワタナベエンターテインメント(旧渡辺プロダクション。通称「ナベプロ」)に所属していた。当時は「ベイビーズ」というコンビを組んでいた。コンビ時代はキレ芸だった。コンビ解散後、東京都三鷹市で3年間ホストをしていた。ホストをしていたときの源氏名は「冴神 剣(さえがみ けん)」。ちなみに殺し文句は「あなたの心を一刺し」。当時の最高月収は8万円ほどだったという。

「ヒロシ」という芸名はフリーアナウンサーの生島ヒロシに由来する(たまたま雑誌の表紙に生島ヒロシが写っていたのがきっかけとのこと)。なお、上方=関西において芸人としての「ひろし」といえば、特に年配層にとっては漫才師「横山たかし・ひろし」の横山ひろしを示す場合が多いため、ヒロシが大阪へ営業を行っても知名度に欠けることが少なくない。

サンミュージックに所属したときにすでにHIROSHIという同名のミュージシャンがいて、短い期間だがカズヤという芸名で活動してたことが自らパーソナリティをしているサタデーホットリクエストで明らかになった。

同時代の漫談師である長井秀和や波田陽区が著名人を対象とするネタを主体とするのに対し、自身の日常や失敗談を題材とする、いわゆる自虐ネタを得意とする。基本的なスタイルは、ポケットに手を突っ込み上目使いで「ヒロシです」と名乗ってから、俯きつつ九州弁(詳しく言えば、肥筑方言の「〜とです。」)で愚痴を一言言って笑いをとる、というもの。この時、ラテン音楽のスローナンバーやブルースがBGMとして流れる(主にペピーノ・ガリアルディの『ガラスの部屋(Che Vuole Questa Musica Stasera)』が使われる)。「ヒロシです」が3回以上繰り返される事でネタは終了する。テレビでネタを放送するときには、必ず、音楽番組におけるソロ・アーティストのようなディゾルブを多用したカメラワークを用いられるが、これは2003年秋から、ほぼ毎月ライブ出演していた「お笑いCDTV」(TBS、〜04秋)のカメラマンが開発したもので、それ以降、各局で用いられるようになった。ちなみに、「お笑いCDTV」は、ヒロシがテレビで初めてネタを披露した番組でもある。

「笑いの金メダル」(テレビ朝日系)では、「投稿あなたもヒロシ」というコーナーを持っている。そのスペシャル版「出張ヒロシ」でイタリアへ行った際、『ガラスの部屋』を歌うペピーノ・ガリアルディと対面を果たしている。

ドラマは「タイガー&ドラゴン」(TBS系)が初出演。役柄は、元ミュージシャン「デス・キヨシ」。2005年1月に放送されたスペシャル版と、連続ドラマ版の第7話に登場。その後、同年の「FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!」(フジテレビ系)枠内で放映された「THE WAVE!」に編成部員・谷口真治役で出演している。ちなみにこのドラマで主役を演じた明石家さんまは、いつものネタの時のヒロシとキャラクターが同じなので、笑いを堪えて演技しなければならないのが困る、と述べた。

「ちょっと言ってみたかったとです…」シリーズのネタの1つだった、「ヒロシのオールナイトニッポンR」が2005年12月16日(17日未明3:00-5:00 JST)実際に生放送。

映画「ウォーターズ」のテレビコマーシャルでナレーションを行った。

ネプチューンの原田泰造に並ぶ、眞鍋かをりのファンのひとり。2004年には眞鍋と交際を始め、そのことが芸能リポーターの梨元勝から報じられていた。

2006年、「青春★ENERGY」で連続ドラマ初出演。

2007年に公開される映画「22才の別れ Lycoris葉見ず花見ず物語」(大林宣彦監督)に、本名の斉藤健一で出演、映画俳優デビューを果たす。彼のファンである大林が出演を依頼したのだと言う。また、この役を演じるにあたり、上京して以来ずっと金髪だった髪を実に8年ぶりに黒くした(しかし後に元に戻した)。

いつもここからの山田一成、今泉稔、世界のうめざわと「ハートせつなく」というバンドを組んでいる。バンド名は「いつもここから」のコンビ名が決まる前に、候補に上がっていた名前が由来。原由子の楽曲に同名のものがある。

美輪明宏、やしきたかじん、デヴィ夫人が、彼を高く評価している。


【エピソード】
■2004年12月24日に放送された「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」(フジテレビ)では、3度に渡って電話出演してようやく鐘を鳴らしたものの、景品抽選でハズレを引いてしまったという何とも残念な結果に終わった。

■「ズバリ言うわよ!」(TBS系)にゲスト出演したとき、細木数子から「(ネタをやる時に)ポケットに手を突っ込むのは失礼だからやめたほうがいい」と叱られる。しかし本人は、ネタをやる時は手を後ろには回さず、いつも通りのスタイルを貫き、名乗りでは堂々と「細木ヒロシです」と言ってのけた。

■2005年の「R-1ぐらんぷり」では、前回に引き続き2回目の決勝進出を果たした。決勝戦では、2005年1月の単独ライブで披露した「どうすれば、どうすればモテますか」という思い切って新ネタで挑んだが、完成度が低く結果は6位だった。この際、審査員の伊東四朗に「売りになっている芸風や持ちネタと違うことはやらないほうがよい」とダメ出しを受ける。実際にけっこう咬んでいた。

■2005年3月1日のカスペ!「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」で優勝し、賞金200万と高級車を獲得。本人は本当に優勝出来るとは思ってなかったらしく、「生きていればいい事ってあるんですね」と感想を述べていた。ちなみに決勝の相手だった山崎邦正は、まさかの敗北に倒れるほどヘコんでいた。その後、この番組の第2弾で景品である高級車が到着したときの模様が放送されたが、収録日からかなり経ってから到着したそうで収録後すぐ駐車場を契約し、しばらくの間利用していない駐車料金を払う羽目になっていたらしい(また、その第2弾でも出演していたが2回戦で先輩のカンニング竹山に負ける)。

■ネタのスタイルがシンプルなだけに真似をする同業者・タレントは多く、長井秀和(関口宏、久米宏、猫ひろしのネタのときに使用)、波田陽区の他、舘ひろし、Gackt、郷ひろみ、はなわ、石川梨華(美勇伝)、草野仁、DRAGONGATEプロレスのストーカー市川、竹山隆範にも真似されている。その際にも、BGMに『ガラスの部屋』を用いている。タレントだけでなく、作曲家の青島広志も自ら登場時のネタにしている。

■またテレビアニメのキャラクターにおいても、『クレヨンしんちゃん』のしんのすけの父・野原ひろし(名前が同じ)や『ふしぎ星の☆ふたご姫』のシェイドが作品の中でこのネタを使ったこともある。

■2006年5月10日の「ためしてガッテン」では、ヒロシ本人に続いてひじきの人形がヒロシの真似をして、料理に生かされない不遇を嘆いていた。

■2006年8月26日放送のサタデーホットリクエストで、ゲストの平野綾に一目惚れしてしまい、普段あまり喋らないヒロシがこの日はかなり発言が多かった。平野に変わった様子はなかったが、共演者の杏子とAKINAは若干引き気味だった。

■以前準レギュラーであったTNC(テレビ西日本)の番組「ピィース!」の中に、ヒロシに彼女を作ろうというコーナーがあった。アシスタントである林沙弥香が街で女性に声をかけ、その女性についてのクイズにヒロシが正解出来たら、その女性の電話番号かメールアドレスをゲットできる、といった内容。ちなみにそのコーナーでヒロシは林に散々弄られていた。

■ココリコミラクルタイプに出演した際小西真奈美に交際を申し込み、「無理ですよ」と言われ、落ち込んでいた。

■「ちょっと」が口癖で、相当な頻度で口にしている。

(出典:Wikipedia)

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平畠啓史

平畠 啓史(ひらはた けいじ、1968年8月14日 - )は、大阪府高槻市出身のお笑いタレント、放送作家。お笑いコンビ「DonDokoDon」のツッコミ担当。相方は山口智充。関西大学経済学部卒業。血液型はA型。


【エピソード】
■ニックネームについては、「平ちゃん」が一般的であるが、「ヒゲ」「ひらはな」(主によゐこが使用)「野良はた」など色々。

■実家は毛糸屋。母親のことを「お嬢」と呼ぶ。

■同じ職場(宝塚ファミリーランド)で相方の山口と出会い、コンビを結成する。

■相方に比べ地味な印象が強いが、それも彼の持ち味のひとつである。多芸な山口にオファーが殺到するのと比例してコンビとしての活動は少なくなっているが、平畠も単独で複数のレギュラー番組に出演している。

■「アメトーーク 」に出演した際に進行役の宮迫博之にその影の薄さをネタにされた。

■現在MCとして出演している地上波テレビのレギュラーは、テレビ静岡(フジテレビ系列)の「くさデカ」(静岡県内のグルメ情報番組)のみだが、このテレビによって、静岡県内の平畠の知名度は他地域に比べ、かなり高い。

■全国ネット水10ワンナイR&R(フジテレビ系)でもチョイ役が多く、特に芸能レポーター役が多かった。(レポーター役はしっかりした演技であると一部では好評)。出番は少ないが、深夜時代のキャラクターである「病人」の人気はゴールデンになってからも健在だった。「1年間全く出演が無く本来平畠の役割であったレポーターも他の出演者が演じているため実はもう降板しているのではないか。」と思われていたが、2006年9月20日放送の同番組のスペシャルに久々に出演。ゲストである明石家さんまを殺害する役を好演した。また、そのコントの中で「スケジュールで『ワンナイ(仮)』ってなってるけど、フジテレビの警備員に止められてしまい、全然収録に参加していない!!」という裏事情を暴露していた。

■しかし、地味な彼の人気は決して無い訳ではない。その証拠に、ダジャレやノリツッコミ、きっちりした間合いといった、芸人の基礎体力ともいえる技を兼ね備えたトークには定評がある。

■特技はサッカーで、大阪府立阿武野高等学校在学中にサッカー部の主将としてチームを全国大会に導くという輝かしい過去を持っているが、決してそれを広く吹聴していない(近畿の一部ではそのブンデスリーガー級の実力で「浪速のマラドーナ」と呼ばれていたらしい[要出典])。Jリーグのテレビ中継で実況(解説?)をしたこともある。また、リフティングテクニックは芸能界No.1の噂がある[要出典]。

■海外サッカーにも造詣が深く、「Foot!」(J SPORTS)にゲスト出演した際、初回放送はできる限り自宅で見る、番組のTシャツをインターネットで購入したことなどを告白。現在、同局で「バルサTV "Historia"」(FCバルセロナの過去の試合を紹介する番組)でコメンテーター(解説者との対談)を務めている。

■また、出演番組の関係で静岡のテレビ局のサッカー中継で実況・解説することが多々ある。また、全国ネットの番組によればJ2とレッズにはかなり詳しいらしい。さらに、まちゃまちゃ、森三中などの女性芸人率いるフットサルチーム「よしもとマラティニーコ」の監督(当初はペナルティのヒデ)も務めている。

■パチンコ、パチスロも趣味としており、遠征も頻繁に行っている。またその豊富な知識を生かし、ラジオ番組「ゴリラのつぼ」(RFラジオ日本)メインパーソナリティを務めた。また、某パチンコ雑誌には彼をモデルにした漫画が本人の承諾なしで勝手に連載されているとか。

■近くにほっしゃん。が住んでいるので、2005年から正月に一緒に初詣に行っている。年々お祈りの時間が長くなっているらしい。

■後輩芸人の小笠原まさやに「(非合法)ギャンブルは破滅への片道切符」「演者から転職をした方がいい」と言われる。ちなみに向いている職業は「女性を束ねて使う職業」とのこと。また、芸人以外に転職すれば一代で財産を使い切れない程の大富豪になる可能性があり、将来的には結婚するらしい。

■女の子にモテると居心地が悪そうになる。


【その他仕事】
■フジテレビで2004年12月28日に放送されたrun for money 逃走中では、「芸能人としてのオーラの無さ(もしくは一切出さない)」という、番組内でのナレーターの言葉が見事に作用して60万円を獲得した。この時、金子貴俊や、ゴルゴ松本(TIM)、共に獲得した岡田義徳を除くゲストに逃げ切れたことを忘れられていた。

■ラジオ番組「松本人志・高須光聖の放送室」の「カプリチョーザ杯」という企画(芸人に電話をかけて、あらかじめ伝えておいた「乗り物」「国名」などのジャンルのお題をダジャレで盛り込みつつフリートークをし、一番を決める)では、第三回チャンピオン(平畠の指定したジャンルは「国名」)になり、4回のチャンプが戦った「グランドチャンピオン大会」でも見事優勝する。わりと、期待されてない芸人が意外な健闘をすることが多い大会であるが、平畠もまたイメージを大きく覆す実力を見せ、松本たちを驚かせた。

■2004年の大河ドラマ「新選組!」では、山口と共演を果たす。役所が葛山武八郎の為、切腹してすぐに消えてしまうが、ストーリー上は一つの契機となるエピソードであり、彼独特の地味な雰囲気を生かした印象的な演技を見せた。ちなみに切腹後に偶然テレビ番組から数日ほど登場しなくなったために、本当に切腹したのかと言われてしまうことになる。

■2006年1月18日に発売された声優水樹奈々のプロモーションビデオ「NANA CLIPS 3」に収録される「ミラクル☆フライト」のPVに、インターネットラジオおしゃべりやってまーす<おしゃ火>の繋がりから特別出演をしている。

(出典:Wikipedia)

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130R

130R(ひゃくさんじゅうあーる)は、吉本興業(東京)所属のお笑いコンビ。


【メンバー】
ボケ:板尾創路(いたお いつじ、1963年7月18日 - ) 大阪府富田林市出身。

ツッコミ:ほんこん(本名:蔵野孝洋(くらの たかひろ)、1963年6月16日 - ) 大阪市平野区出身。

ともに吉本総合芸能学院(NSC)の4期生で、同期には今田耕司がいる。


【概要】
1986年(昭和61年)6月コンビ結成。

そもそも「130R」は、鈴鹿サーキットにあるコーナーの名称。それを島田紳助が個人事務所の名前に使用していたのを板尾が気に入り了承を得て、それをコンビ名にした。

デビュー間もない頃、大御所の横山やすしと対面し、コンビ名の説明をしたところ、「130Rぅ!?緩やかなカーブやないかい!!」「わからん!ホンダとヤマハにせぇ!!!」と怒鳴られた。

ダウンタウンを慕って東京進出し、1991年より「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ系)にレギュラー出演。以降、全国に名を知られるようになる。

1997年の「ごっつええ感じ」終了後、テレビでは個人の活動が多くなっているが、ルミネtheよしもとなどの舞台の場ではコンビで漫才を行なっているほか、新喜劇にも出演している。


【結成まで】
ほんこんは今田耕司と共にダブルホルモンズというコンビでデビュー。しかし時間にルーズな今田にほんこんが腹を立て解散。同時期板尾はホンコン・マカオというコンビを組んでおり初代ホンコンだったが解散。「ホンコン・マカオ」の解散後ホンコンという名を気に入ったほんこんが板尾に譲ってもらいホンコンとして2代目「ホンコン・マカオ」を結成する。 2代目「ホンコン・マカオ」解散後、板尾がほんこんの家に遊びに行った際に、同じ布団に入りながら「相方おれへんやろ、一緒にコンビ組もうや」と言ったのがきっかけで130Rが結成された。なお、ネーミングが似ている日本のロックバンド175R(いなごらいだー)とは無関係であるが以前はこのことを130R側やタモリ等にネタにされたことがあった。

(出典:Wikipedia)

東野 幸治

東野 幸治(ひがしの こうじ、1967年8月8日 - )は、兵庫県宝塚市出身のお笑いタレントである。血液型O型。所属事務所は吉本興業。身長178cm。あだ名はひがしのり(髪の毛が濡れた時に頭に海苔がのっているようだったから)、チリ毛(天然パーマから)、白い悪魔(色白で人の不幸をよく嘲う事から)。


【来歴】
高校生の時に吉本興業の新人オーディションを受け合格し、そのまま芸人となる。なお、同じオーディションをリットン調査団も受けていた。一時期、大学に通う友人に乗せられ、大学受験を決意し芸人を休業するが、受験に失敗し、その後は芸人に本腰を入れる。

若手時代は心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動、ダウンタウンが司会を務める公開生番組「4時ですよーだ」などに出演していた。番組開始当初は素人参加コーナー「ダウンタウンの欲望」の募集の告知を呼びかける「欲望の男」だけの役であったが、次第に頭角を現し、最後の半年は今田耕司・石田靖らとともに司会を任されることとなる。また「4時ですよ〜だ」が放送されていた頃、今田耕司とのコンビで2丁目劇場の超若手が出演するライブイベント「2丁目jrたんけんたい」(上部組織にダウンタウンがメイン司会を務める「2丁目探検隊」というライブがあった)の司会進行を担当していた。

また、同時期に夕方の帯番組として放送されていた圭・修司会の番組素敵!KEI-SHU5では、白いランニングにトレパン姿の「セニョール東野」というキャラクターで各地をリポートするVTR企画も担当(このセニョールのキャラは、当時の舞台上でのネタで演じられていたものだった)。

「4時ですよ〜だ」の完了後、今田耕司等と共に、当時立て直しが急務となっていた吉本新喜劇の補強メンバーとして出向を命じられる。当初は吉本新喜劇行きをどうしても受け入れる事ができず、吉本興業を退社し植木屋に転職する事を考えていた。しかし、今田耕司等の熱心な説得により芸人引退を思い止まり、吉本新喜劇入りも受け入れる事になる。その吉本新喜劇では主に主役として出演する。その後、今田耕司同様、ダウンタウンを慕い、彼らが上京した1年後に東京都へ進出する。ちなみに今田耕司は数ヶ月先輩にあたる。NSC出身ではないため、4期生の今田耕司などには後輩として敬語を使い、数ヶ月東野の方が先輩であるが、ほぼ同時期に芸能界デビューした木村祐一とは同期として接し、5期生の辻本茂雄には先輩として振舞っている。同い年には山崎邦正(1年数ヶ月後輩)や雨上がり決死隊の蛍原徹(2年数ヶ月後輩)などがいる。

かつてテレビ番組「いろもん」で桂三枝から「バッテリー幸治」の芸名を与えられる。「明石家マンション物語」の番組内のみこの芸名を使用。当時、好感度ランキングベスト300に入らなかった事による。

最近は「行列のできる法律相談所」に出演。司会の島田紳助にチリ毛・チリチリなどと言われている。そこから発展して「チリチリドリル」と称して頭を女性ゲストの腕などにぐりぐりと押しつけるという一歩間違えればセクハラとして訴えられかねないような行動をするようになった。このように、ヒール(悪役)的なポジションに敢えて身を置く事によって、その本来の魅力を発揮する傾向にあるといえる。吉本きってのダーティーヒーローとの呼び声も高い。その一方で、島田紳助が謹慎中で番組をしばらく離れた折には、東野が代役を務め、番組最大の危機を見事に乗り切った。


【人物】
・今田と共に"Wコウジ"と呼ばれているが、ピン芸人である。

・中心にいるよりも少し離れた位置にいた方が実力を発揮するタイプであり、「ちょっと待って下さいよ」と話に割り込んでくる姿は他のお笑い芸人たちに多くものまねされている。

・今田耕司と共に「ひな壇芸人」のお手本的存在と言われている。

・細身で「かた焼きそば」「チリチリ」と表現される天然パーマ頭がトレードマーク。

・かつては視力が悪かったため、ハードコンタクトレンズを使用していた(ただし、明日があるさではメガネをかけていた)が、2004年にレーシック手術を受け視力回復に成功した。

・手堅い今田に対して破滅的な芸風の東野というコントラストで、よくコンビを組むことが多い。芸風としては、先輩芸人である笑福亭鶴瓶の「(困ったら)笑ろとったらええねん」というのを座右の銘としているようで、たびたび自分でもそのセリフを言っている。

・「ちょっと待って下さいよ」、「やらしい話」、「正直」、「頭おかしい」が主な口癖である。

・学生時代はかなりのスポーツ少年だったらしく、水泳のジュニアオリンピック候補に選ばれた事もある。
・1つ年長の兄とともに「宝塚のスポーツ兄弟」と呼ばれ、その評判は関西全域に轟いていたらしい。阪急沿線では十三駅近くに隣接しており有名な履正スイミングクラブ十三に通っていたという。
・そのせいか裸に自信があるようで、テレビ番組でよく全裸姿になる。本人いわく、抱かれた女は東野の裸を見て「まるでギリシャ彫刻みたーい」と驚くらしい。しかし最近は乳首が下がってきたことを気にして全裸になることに抵抗がでてきた。

・一時期、南北朝時代の武将である楠木正成の子孫を自称していたことがあった。

・ダウンタウンが最もイジリやすい(絡みやすい)と感じている芸人のひとりであり、そのためいくつもの番組で何回もドッキリにかけられた。東野の芸風を汲み、松本が「おまえなんか絶対売れへんねん!」と貶め、東野が「ちょっと待って下さいよ!」と反論する事で笑いが生まれるというスタイルが確立されていた。

・『ダウンタウンのごっつええ感じ』にはレギュラー放送化前の特番には出演していたものの、レギュラー放送開始しばらくは、「東野は協調性がない」との判断で参加が見送られていた。そのため、所謂他のダウンタウン・ファミリーの面々よりは全国区進出が遅れるかたちとなっていた。だが、板尾創路の一時的な番組出演休止の際にピンチヒッターとして1994年10月よりメンバーに加わり、満を持して本格的な全国区進出を果たす。数々の傑作コントに出演し、板尾復帰後も不動のメンバーとして定着した。

・大阪時代はダウンタウンと同じく、東野も今田耕司と共に関西ローカルの伝統的ラジオ番組『MBSヤングタウン』(通称『ヤンタン』)のパーソナリティを担当。もともと今田がサブで出演していたダウンタウン担当の木曜日から卒業独立し、新たに東野を迎えて金曜日を担当した。ダウンタウンの『ヤンタン』木曜日は岩石のように荒々しいハードな内容が特徴であったが、金曜日もその傾向を継いでおり、レギュラー出演していた加藤たか子(当時はアイドルグループLip'sのメンバーだった)は耐えられず、大阪府に向かう新幹線の中で血を吐いたことがある。

・仕事以外では芸人仲間とは殆ど遊ばないらしく、たまに千原靖史などの後輩を誘って食事に行っても、ずっと漫画や雑誌を読んで全く喋らないという。

・千原靖史とは「やりすぎコージー」の収録後に二人きりで食事に行くほど親密な後輩であるものの、靖史は東野に対し終始タメ口で、アダ名の「ひがしのり」呼ばわりである。だが、東野はそれに抗う素振りは見せない。番組中の企画「仁義なき派閥抗争」には東野をリーダーとする芸人派閥として『Teamヒガシノリ』が参戦。その構成員には靖史とライセンス(現在のザ・ちゃらんぽらん)の藤原が名を連ねた。胸に東野の故郷である「宝塚」と書かれたTシャツがトレードマークである。

・最近健康のためゴルフを始めたらしく、ナインティナインの岡村隆史をゴルフに誘ったが、岡村を担当していたキャディさんはコース上でゴルフクラブを放り投げるなど非常識な東野のことを嫌っていた。が、現在は蛍原徹や大山英雄も参加し、「東野ゴルフクラブ」を設立した。このクラブの教科書的存在が、いわゆるBIG3である。
・東野ゴルフクラブの主要メンバーは以下の通りである。
・出川哲朗
・蛍原徹
・原西孝幸
・大山英雄
・岡村隆史
・堀内健
・ゴルゴ松本
・堤下敦

・プライベートにおける東野は寝癖などをセットしない為、ゴルフ場に現れる彼の頭髪は岡村いわく「ホビーブラウンのような状態」になっているという(ナインティナインのオールナイトニッポンより)。また、岡村に偽物のローレックスをつかまされたことがある。

・「やりにげコージー」では箱庭を使った深層心理テストに挑戦。中央に広く空間がぽっかりと開き、構成要素や人物が誰も交わる事の無い東野の箱庭に、カウンセラーを含め一同は戦慄した。

・編集で自分の活躍がカットされる事が悔しく傷つく為、基本的に自分の出た番組のオンエアチェックは行わず、自分の脳内で自分が大活躍しているオリジナル編集版を製作し、それで満足しているという。

・格闘家のなかではジャンボ鶴田をイチオシ。今田も引くほどである。

・風俗が大好きで、時間帯は昼夜問わず舞台の合間(1時間)にも行くほど。ちなみに店に予約を入れるときの偽名(通称「風俗ネーム」)は「東田」である(「ノブナガ」で公言)。普段は街中でも変装する事はないが、このときはレイバンのミラーサングラスを着用する。

・「風俗で働く女性は背が低い」という自説「風俗嬢リトルガール説」を掲げており、それを証明すべく「やりすぎコージー」で東名阪の風俗店各10店舗の協力の下、検証を行った。その結果、風俗で働く女性の身長は、厚生労働省が公表する同年代の女性より、約1cm低いということが明らかになった。

・自身のファンであった女性と結婚、2人の娘がいる。知り合ったきっかけは、当時出演していた名古屋のローカル番組『正解るんです』に送られてきた一通のファンレターから。同封されていた写真を見て(毛皮を着ている写真。ちなみに、その毛皮は新婚当時住んでいたマンションの雨漏りが原因で、ダメになった。)即、連絡。ちなみに元奥さんとの初Hの時、東野に了承を得て今田が部屋に忍び込み、一部始終を覗いていた。そして、なんだかんだで結婚するものの、一度離婚。離婚の際の生活は悲惨だったらしく貸倉庫に住んでいたことを明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショーで暴露した。その後復縁したものの、再入籍はしていない。娘達はインターナショナルスクールに通っており、英語はペラペラ。長女からは「ダディ」と呼ばれ、次女からは「ダディちゃん」と呼ばれている。ちなみに元奥さんから別れを切り出された時の言葉は「気持ち悪い」だった。これは東野の好きなアニメ新世紀エヴァンゲリオンのキャラクターのアスカ・ラングレーのセリフからとったものと思われる。
・ダウンタウンDXで関根勤を「理想の父親像」に挙げている。ちなみに関根の娘である関根麻里もインターナショナルスクールに通っていた。
・離婚は東野家が一軒家を購入してから三ヵ月後のある日に突如嫁の側から切り出された。「離婚は以前から考えていたが、家を買って何とかなると思ったけど結局ダメだった」、「お父さん(東野)は本当に人なんか好きになった事ないんだよ」とは嫁の弁。
・離婚してもなお同居しているのは、娘の教育のためということになっているが、娘が母親に「お母さん、私のために無理してあの人(東野のこと。娘にとっては実の父親)と一緒に暮らさなくてもいいよ」と言っているのを東野が聞いてしまうなど、予断を許さない状況である。東野曰く今の状況を「ガラスの家族」と呼んでいる。
・妻はすこし変わり者であるらしく、東野のファンサイトの掲示板に妻と名乗り『降臨』してみたり、「霊が見える」などと発言したりするエピソードがある。
・長女には実の父であるにもかかわらず「東野さん」と呼ばれているらしい。(やりすぎコージー2006年12月16日放送より)
・ちなみに長女はかわいいらしく、街を歩いていると芸能プロからのスカウトによく会うらしい。一方、父である東野はタレントなどではなく地道な職についてほしいと考えているという。
・嫁は司法試験合格を目指し目下独学中であるという。
・ドラマ「花より男子2」の最終回のワンシーンには東野が救助隊員役で唐突に登場。これは次女が前作よりドラマの熱心な視聴者だったという話が運良く関係者の耳にとまり実現した特別出演である。撮影の際には家族全員で駆けつけたという。ちなみに、東野が発した台詞は三つだった。
・娘が通っていたインターナショナルスクールにはデビュー前の宇多田ヒカルも通学しており、参観日に学校に来た東野にサインを求めたら無視されたとデビュー直後、録音で出演したファンキーリップスで暴露していた。

・冷めやすい性格からか、今田や松本人志、島田紳助らから「愛情がない」「冷酷」「他人の心にスタッドレスタイヤを履いて踏み込む」「本気で人のことを好きになったことが無い」「人の話に興味がない」「家では換気扇の絵ばかり描いている」などとネタにされ、それを実証するようなエピソードもいくつか語られている。
・例えば亀の死骸をゴミ箱に捨てた。という噂が流れていたが、病気になった亀を病院に連れて行くことに不満を感じつつも、「娘の教育のことを考えて」(本人談)、病院につれていったというのが真相だ。
・千原ジュニアが交通事故を起こし入院していた当時、東野は見舞いに訪れた際に「美味しんぼ」の単行本を土産に差し入れた。だが、未だ重体だったジュニアは摂食が困難であり、点滴や流動食から栄養を摂っていた状態だった為、まったく笑えないジョークとなってしまった事がある。

・やりすぎコージーのM(みうち)-1グランプリにて、出場芸人の父親のダメぶりを見て、「ウチなんかもっとひどかったよ」とコメント。難波花月にホステスを連れて来場するなど、家庭を顧みない破天荒な父親だったことが、現在の性格に影響を与えていると思われる。

・2000年には小説『泥の家族』で作家デビューを果たしている。内容に関しては「七割が作り話で三割が実話」とコメントしている。

・性格を示すエピソードの一つに、芸人になってからつきあい始めた女性との初デートで漫画喫茶に行き、3時間無言で漫画を読み続け、「芸人やったらちょっとはしゃべってよ!」とキレられたという話がある。
・その漫画好きは有名で、過去に「Matthew's Best Hit」でもその片鱗を垣間見せた。現在は「月刊ホビージャパン」にて「東野幸治のまんが大学」というコラムを連載中。東野が愛読する漫画を思い入れと共に紹介する内容である。ちなみに、嫁も一時期は「王家の紋章」にハマり、家中がエジプトに関連するモノだらけで溢れかえった事があるという。
・また、主に芸能界にまつわるゴシップ情報の収集も趣味の1つである。これらの点では今田耕司も概ね共通しており、お互いの情報交換は欠かせないという。今田耕司とともに「ゴシップ兄さん」とよばれることも。

・意外なところでは日本のロックシーンにも関心を持ち、「ROCKIN'ON JAPAN」や「snoozer」を愛読する。くるりの岸田繁の発言がお気に入りらしい。

・一般的に想像できないかもしれないが、山崎邦正、森三中の黒沢、アンガールズなど、多くの後輩や若手の芸人にリスペクトされる存在である。

・内村光良からは若手時代から妙に気にいられており、何度か共演している。しかしウンナンの番組で東野が出たコーナーはどれも短命で、「俺もウリナリファミリーやのに」と愚痴っていたことも。「ウリナリ」における内村・東野コンビのコーナーで最も長寿コーナーとなった「シャドウマン」は子供たちに全身で様々な影絵を見せるというコーナーだったが、子供たちからは「帰れ!」「死ね!」と野次を飛ばされたり、子供たちから影絵のリクエストを聞くと「ウンコ」と無理難題をリクエストされたりと散々な目に遭っていた。怒りが頂点に達した東野は子供たちに制裁を加えようとして内村に止められたこともあった。

・1995年の「FNSの日・1億2500万人の超夢列島〜そのうちなんとか…23時間」の料理コーナーにて、同時中継されていたマラソンでトミーズ雅が完走しスタジオ内が感動で包まれているところ、東野が突如、炊飯器を開けごはんを食べだした。それを見た笑福亭鶴瓶が激怒したが、鶴瓶に対して、「わしかて飯食うわ!!」、「どうでもええんじゃ!!」と逆ギレした。

・一方、1997年に放送されたテレビ朝日の特番「27時間チャレンジテレビ」では鶴瓶、今田、そしてビートたけしと共にブリーフパンツ一丁のスペシャルユニット「ブリーフ4」を結成。このとき居酒屋トークで酒を飲みすぎ、生放送中にも関わらず完全に泥酔した鶴瓶は、その後に訪れた深夜の故・丹波哲郎邸で暴走。我を失ったままブリーフを脱ぎだし風呂場や庭で脱糞を試みようとするが、東野らの厳しいツッコミで最悪の事態は避けられた。この「ブリーフ4」にまつわる一部始終は、今もなおコアなお笑いファンにとって伝説として語り継がれている。

・大御所を大御所として扱わず接する傾向は鶴瓶だけにとどまらず、萩本欽一との共演時も遠慮なく激しいツッコミを繰り返した事もあった。だが、逆にこれは萩本にとって好印象で、芸人としての東野を高く評価しているという。だが、「ひがしの」という名前は覚えてもらえず、誤って「とうの」と呼ばれている。

・2006年3月30日の「新どっちの料理ショー・ラーメン巌流島外伝・三国志」(よみうりテレビ)では前身の新テンベストSHOWを通じても初となる3キッチン制を採用して開催された(関口宏→レッドキッチン・麺屋武蔵、三宅裕司→イエローキッチン・柳麺ちゃぶ屋、東野→オレンジキッチン・なんつっ亭)。ただし、東野がこの番組を私物化状態にしたことにより、視聴率がジリ貧状態となり、同番組の打ち切り状態となってしまった。詳しくはラーメン巌流島を参照のこと。

・井上公造から「東野さんの仕事の量と日本の景気は連動している」との説を言われたことがある。理由はテレビ局側の立場に立つと、大御所芸人は景気が悪いからといって降板させることはできなく、また若手芸人はギャラが安いので景気が悪くても使えるため、東野のような中堅芸人が景気が悪い時に一番切りやすいからである。実際2001年頃のデフレ不況の時、東野はレギュラーが8本がなくなった事があり、本人もこの説を支持している。ちなみに景気が回復した現在、東野の仕事は順調である。

・アイドルなど、チヤホヤされることが最初から決まっている立場の人間に極めて厳しい態度を取る。特に不思議系アイドルには厳しく、鈴木蘭々と共演したときは「なんで?自分、おしゃれ情報発信基地やん!」というセリフを何度も繰り返し、追い込もうとした。雛形あきこがまだバラエティー慣れしてないころに共演したときは「いや、わからないじゃなくて何かしゃべってくださいよ」と何度も繰り返して追い込んだ。今田はこの「東野が同じセリフを繰り返してるとき」はキレてるときと言っている。ただし、これらはあくまで他のパーソナリティーからのツッコミによって番組は進行することが前提での話であり、番組を破綻させるような行為はしない。また、「ごっつええ感じ」での「キャリー東野のアイドル虎の穴」のような肉体的にアイドルを痛めつける企画は東野が適任であった。

・だが、近年にはポッキーのCMでの新垣結衣のあまりの可愛さにベタ惚れした。自身がメインを務める番組「お笑いワイドショー マルコポロリ!」ではその権限を行使し単独インタビューを行った。自分の娘ほどの年齢の新垣に自分を事を「お兄ちゃん」と呼ばせ、「こんな仕事やっとったらダウンタウンさんにしばかれるわ!」と漏らしつつも、かつてどの番組でも見せた事の無いほどのデレデレぶりを披露していた。


【芝居】
・コントの経験は豊富なものの、シリアスな芝居をさせると途端に大根役者になる。
・「ダウンタウンのごっつええ感じ」では彼の演技力を鍛えるためのコーナー(コーナー名は「龍としのぶ 俳優養成テレビ小説」)まで作られた。この企画では東野がセリフを言うシーンにだけ、台本に書かれている本当のセリフを字幕スーパーにして、画面下部に表示していた。これにより、ストーリーだけを見ればギャグの無いシリアスな筋書きのドラマなのであるが、本人が劇中で発するセリフが台本のそれとは全然違うことがマルバレとなり、視聴者の笑い(失笑?)を誘発するという仕掛けが施されていた。
・その後2001年に「明日があるさ」で久々のドラマ出演を果たしたが、演技力は全く成長しておらず、終いには彼の演技のあまりの酷さに他の共演者のNGを誘発する始末となった(ちなみに撮影初日のシーンで出したNGは8回)。そのため、本来ならNG同然の箇所も見受けられるが「これ以上の演技力は求められない」として放送されている部分もある。ガチガチの動きは浜田曰く「東野だけ時代劇だった」とのこと。浜田がアドリブで東野に振った際には驚愕して固まってしまったそうである。
・若手の頃Vシネマに出演し、ベッドシーンで騎乗位を行ったが、ガチガチで「高い高い」のようになっていた。

・2004年に子供向け特撮ドラマ「戦隊シリーズ」の司令官役での出演オファーが来ていた事を自身の番組内で公表していたが、これは東映制作のスーパー戦隊では無く、以前司会をしていた「イカリングの面積」の制作局のテレビ愛知と松竹制作の「魔弾戦記リュウケンドー」であった模様。後にこの役は諸処の事情から同じ吉本興業所属の清水圭が演じる事となった。

・そして其れから3年後の2007年に医学番組にアシスタント役として登場している福井未菜が子供向け特撮ドラマ「スーパー戦隊シリーズ」の第31弾・獣拳戦隊ゲキレンジャーのゲキイエロー・宇崎ラン役として出演する事が決定し本人も驚いていると言う。

・しかし吉本新喜劇などコメディの舞台では独特の存在感を発揮する、不思議な人物である。

・ちなみに、尊敬する役者は萬屋錦之介である。

(出典:Wikipedia)

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