Google
 

藤崎マーケット

藤崎マーケット(ふじさきマーケット)は、吉本興業大阪本社に所属するお笑いコンビ。baseよしもとで活躍中。NSC26期生。

キャッチフレーズ:遊び心の棚卸し


【メンバー】
■田崎 佑一(たさき ゆういち、1981年1月29日 - )ボケ担当 - 兵庫県神戸市出身。過去にお笑いコンビ「エージェント」として活動、解散後はピン芸人「田崎ソムリエ佑一」と名乗っていた。細かすぎて伝わらないモノマネに一般参加枠で出演していた。ツッコミ担当。星座はみずがめ座。

■藤原 時(ふじわら とき、1984年12月6日 - )ボケ担当 - 大阪府寝屋川市出身。過去にピン芸人「藤原トキ」として活動していた。ボケ担当。星座はいて座。


【概要】
■「ラララライ♪ラララライ♪」「○○でエクササーイズ♪ワン、ツー、スリー!」と言う掛け声で、いろんな場面においてのエクササイズをする「ラララライ体操」などの体育会系コントが多く、Wボケスタイル。

■baseよしもとではラララライ体操以外のコントや漫才も披露する。その時は普通の服で出演する。


【芸歴】
■2005年10月にコンビ名を「チーム有酸素倶楽部」から「藤崎マーケット」に改名。

■2006年9月10日には笑いの金メダルの「笑金スター誕生!」に出演し惜しくも若井おさむに敗れるも、10月22日には一週勝ち抜く。

■M-1グランプリ2006では準決勝まで進出。

■NHK上方漫才コンテスト第37回大会決勝進出。

■2007年3月18日放送の爆笑レッドカーペットでレッドカーペット賞に選出。

■2007年4月20日放送の爆笑オンエアバトル初出場で初オンエア達成。

■2007年6月にbaseよしもとのサライブメンバー組からガンガンLIVE組への昇格が決定。

■2007年6月17日放送の爆笑ピンクカーペットでMVPに選出。


【逸話】
■「ラララライ体操」の衣装(タンクトップにスパッツ)が部屋に置いてあった事で下着泥棒の聞き込み捜査に来た警官に疑われたことがある。

■サバンナ高橋によると現在のライバルは芸人ではなく、ビリー・ブランクスの「ビリーズブートキャンプ」らしい。(07年6月5日、よしもとサンサンTVより)

(出典:Wikipedia)

[PR]

ゴルフを楽しむ専門ギア情報のサイト。最新の商品情報、豊富なプレゼント、クラブ相談やゴルフ関連企業への就職情報も満載。知りたい情報を一発検索、ゴルフ関連企業を業種ごとに分類したリンク集も便利。

福田充徳(チュートリアル)

福田 充徳(ふくだ みつのり、1975年8月11日 - )は、日本のお笑い芸人。所属事務所は吉本興業。コンビ・チュートリアルのツッコミを担当している。相方は徳井義実。身長174cm。血液型O型。


【略歴】
京都府京都市左京区出身。1998年、高校の同級生でNSC13期生であった徳井義実を誘ってチュートリアルを結成。2006年、M-1グランプリにチュートリアルとして出場し、優勝。NSC卒業生でない吉本興業所属芸人の中で、M-1グランプリで優勝したのは彼が初めてである。この活躍により、2007年7月、卒業した京都府立北稜高等学校より徳井と共に名誉卒業生として表彰された。


【特徴】
デビュー当初は、脂性であることを特徴としていた。JUNONの脂性ランキングで1位に輝いたこともある。 また、「チュートリアル油とりがみ」というグッズが「マンスリーよしもと」の定期購読の特典として作られた。現在はダイエットによってかなり改善している。

歯並びが悪いことを漫才のツカミとして使うこともあったが、2006年12月に前歯などを含めた上下6本ずつを差し歯にかえた。以来、仮歯のままの生活が続いている。

チュートリアルの「地味な方」とよくいじられるが、彼のツッコミの切れ味や安定感は評価されている。


【人物】
趣味はツーリング、サイクリング、料理、ひとり酒。学生時代はサーフィンもしていた。一人で酒を飲むことが好きで、自宅で晩酌をする様子がDVD「チュートリアリズム」に特典映像として収録された。

また、趣味の料理をテレビ番組などで披露することがある。

(出典:Wikipedia)

[PR]
M−1グランプリ 2006完全版 史上初!新たな伝説の誕生〜完全優勝への道〜

M−1グランプリ 2006完全版 史上初!新たな伝説の誕生〜完全優勝への道〜
【お笑い・演芸】 今や年末の定番となりつつある漫才日本一の称号をかけた、お笑いガチンコバトル「M−1グランプリ 2006」がDVDで登場!日本中が注目するお笑いバトルの全てを収録。

フットボールアワー

フットボールアワーは吉本興業所属のお笑いコンビである。2003年M-1グランプリ王者。


【メンバー】
■岩尾望(いわお のぞむ、1975年12月19日 - )
ボケ担当。立ち位置左。大阪府大阪市東住吉区出身。愛称は「のんちゃん」。

■後藤輝基(ごとう てるもと、1974年6月18日 - )
ツッコミ担当。立ち位置右。大阪府大阪市東淀川区出身。


【概要】
■共に大阪NSC14期生。岩尾はドレス、後藤は後藤・天満(その後エレキグラムと改名)というコンビを経て、1999年4月「後藤・岩尾」としてコンビ結成。同年5月、当時のうめだ花月シアター(現在のうめだ花月)で初舞台を踏み、同年7月「フットボールアワー」となる。コンビ名の由来は岩尾が読んでいた外国の小説の「月曜日のフットボールアワーに間に合わないよ」という科白から。

■結成翌年のABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を皮切りに、若手漫才師に与えられる数々の賞を総ナメにした。新人賞五冠を達成しているのはこれまでに彼らだけである。

■2003年8月、当時の主要メンバーと共にbaseよしもとを卒業。同年同月うめだ花月に移動した。だが、近年はうめだ花月に名義はあるものの、ルミネtheよしもとへの出演が多い。その中で2007年1月23日、約1年半ぶりにうめだスタンダードに出演した。

■2001年のM-1グランプリでは結成2年目にして決勝進出するも6位、2002年には2位(決勝では1位通過、後に審査員の松本人志は自身のラジオで「フットボールアワーが優勝しないとおかしい」と発言し、審査委員長の島田紳助も「1年でこんなに変わったコンビは見たことがない」と褒めた)、本命と言われた2003年大会で悲願の優勝を果たした。2006年にはV2を賭けて再び参戦したが、2位に終わっている。


【芸風・エピソード】
■岩尾のボケは基本的にシュールなものだが、後藤の分かりやすいツッコミにより、全体として正統派漫才としてのスタイルをとる。岩尾の飄々とした立ち振る舞いとユーモラスな外見もさることながら、後藤の簡潔かつ的確なツッコミにも定評がある。

■漫才の掴みとして、後藤が「ごめんなさいねーこんなブサイク連れて来て」「まだ何も言うてないのに笑ってる人がいますけど…」と相方をいじり、それに岩尾が「今日たまたまです」などとボケることがある。

■後藤が岩尾を「ブサイク」「ハゲ」などと形容することがあるが、元々は同期の友達同士で組んだコンビであり、誕生日にはプレゼントを渡しあうなど仲が良い。

■ネタ作りは二人で行う。

■2人ともボケ出身であったため、岩尾はコンビ結成当初ツッコミをやるつもりだったという。そして初めてのネタ作りの際、「ツッコミどっちがやる?」と聞いてきた岩尾に、後藤は「なんでやねん!」と一発目のツッコミを入れた。なお、後藤はエレキグラムと名乗る前の「天満・後藤」時代、同コンビのツッコミを担当していた。

■2人揃って長渕剛の大ファンであり、出演する「ナニワ音楽ショウ」(毎日放送ラジオ)でよく話題にのぼることが多い。

■baseよしもと時代の単独ライブには麒麟・レギュラー・シュガーライフ(解散、現在安達はカナリアとして活動)が出演することが多く、現在も親交が深い。また、次長課長のbaseでの単独ライブ23回全てに出演していた。

■出囃子は「BOOZ」/LOSALIOS。

(出典:Wikipedia)

[PR]

洋画・邦画・アニメから教養コンテンツまでDVDの種類が豊富、迅速なお届け。DVD専門ネットショップ、企画やキャンペーンも豊富。会員登録で500ポイントプレゼント

藤本敏史(FUJIWARA)

藤本 敏史(ふじもと としふみ、1970年12月18日 - )は、大阪府寝屋川市出身のお笑い芸人。血液型はAB型。NSC8期生。お笑いコンビ・FUJIWARAのツッコミ担当で、相方は高校時代の同級生の原西孝幸。愛称はフジモン。大阪府立東寝屋川高等学校卒業。


【来歴・人物】
■高校の同級生である原西孝幸とともにNSCに入るが、当時は原西とコンビを組むつもりは無く、ビジュアルの良い相方を探していたらしい。お笑いの賞レースの本番前日にネタ合わせをしようと原西に電話したところ、原西がやる気のない態度をとったためショックを受け号泣したこともある。

■高校時代のあだ名はおとち。吉本超合金やフジワラリゾートでもたびたび使われた。

■吉本印天然素材時代、メンバー内で人気のあった宮迫博之・宮川大輔にくっついて一緒にファンの声援を浴びていた。そういう態度を矢部浩之にたしなめられたり、また藤本は普段から騒がしいため、「お前うるさいねん」とキレられたりして泣いたことがある。また当時、ナインティナインにボケのつもりで暴言を吐き、岡村隆史が藤本を相当嫌っていた時期がある。現在は「めちゃイケ」に度々ゲスト出演するなど関係も修復され、岡村の方から買い物に誘うなどプライベートでの仲も良いようである。

■大阪ローカルの看板番組(吉本超合金・大阪フジワラリゾートなど)では、本来ボケ担当の原西を凌駕するほどキレ味の良いボケ発言をし、おいしい所を残らず持っていくほどのパワーを有している。しかし、東京の番組ではなぜか本来の力量を発揮できておらず、共演者からは「寒い」「スベる」キャラ扱いされている。これについては本来の彼の力量を知るファンもやるせない気持ちでいっぱいである。

■「離れツッコミ」というツッコミ方がある。原西がボケる時に離れながらツッこむ。漫才やコントで多用されており、定番となっている。

■母・勝子(かつこ)はリンカーンに出演した際、感想文を書くつもりが、あらすじを書いていた。

■根は裏表がなく“気のいい兄さん”で、後輩からも慕われている。

■キングコングの梶原雄太が休業した際、何度も梶原の携帯に電話し、家に呼び寄せた。「誰もいませんか?」と念を押す梶原を、「大丈夫やから」となだめ、泣き出した彼の悩みを聞いてやった。この当時のことは、キングコングが復活した際の「ナンバ壱番館」で藤本自身も話している。

■ディズニーが大好き。東京ディズニーランドへ数え切れないほど行き、グッズも山ほど所有している。(レアグッズもあり)

■プチ整形(鼻横の黒子を除去や眉毛部分に墨を入れる等、最近は鼻筋を通らせるために鼻にヒアルロン酸を注入している)を繰り返す程、美に対する執着心が人一倍強い。時に自分の顔を岩に例え「こんな岩みたいな顔して〜…って誰が岩だか言ってみなさいよ!」と一人ボケツッコミをすることもある。

■ちなみにこのプチ整形には60万円以上費やしているらしい(本人談)。

■KABA.ちゃんに本気で告白されたことがある。関西系テレビ番組の中でKABA.ちゃん自らが告白している。

■携帯電話はブルーのSH700iSを所持している(リンカーンで発覚)。

■爆笑問題の検索ちゃんで「検索ちゃんぴおん」になったゲストの1人。

■芸人のブログを細かくチェックしている。品川庄司の品川祐からはブログ内でそのことを度々いじられている。

■お決まりのギャグに、原西の母親に対する「お前ハゲとるやないか!」と、「このスタジオなんか狭くない?」と振られてから「俺の顔がデカイからや!」がある。

■「ガキの使い」の「七変化」に参戦し、実母と原西の母や、ダウンタウンが昔お世話になった中井秀範を使ったりするなど、少し卑怯な手を使いつつ、最後はモーニング娘。の「恋愛レボリューション21」の振り付けでお尻が腫れている芸をして爆笑を誘った(おそらくは1つ前のガンダムネタで外人にお尻を叩かれた時のフリだと思われる)。結果は35000円とまずまずだった。

■相方の原西の嫁に嫌われている。原西は、当然藤本を結婚式に呼ぼうとしていたが、嫁に『呼ばないで』と言われ呼ばなかった。これに関して藤本はかなりショックを受けていた。

■痛快!明石家電視台のコーナー、アベッククイズ(現:パァペア)に彼女が最近出演した。

(出典:Wikipedia)

[PR]

「edita」に登録すると
1ブログが一つ増える
2ブログコミュニティが持てる
3ブログ読者が増える
4ブログ読者の顔が見える
5ブログの写真を全てアルバム化するブログパーツが持てる

FUJIWARA(ふじわら)

FUJIWARA(ふじわら)は吉本興業所属のお笑いコンビ。1989年4月結成。吉本総合芸能学院(NSC)8期生。同期には千原兄弟・バッファロー吾郎・大山英雄などがいる。

コンビ名の由来は読んで名の通り「藤本」と「原西」を合わせたものだが、コンビを組んだ当初は漢字表記で「藤原」だったらしい。


【メンバー】
■原西孝幸(はらにし たかゆき 1971年3月5日 - )大阪府寝屋川市出身。A型。NSC8期生。ボケ担当。通称「ラリーゴ」「はらにっちゃん」「ハゲニシ」など。

■藤本敏史(ふじもと としふみ 1970年12月18日 - )大阪府寝屋川市出身。AB型。NSC8期生。ツッコミ担当。通称「フジモン」 「おとち」など。

(ネタをやる上でのボケ・ツッコミの役割分担は上記の通りだが、フリートークなどにおいては2人共ボケもツッコミもこなせる、両刀使いのコンビである)


【略歴】
■1991年9月、ナインティナインや雨上がり決死隊などが所属していた若手ユニット「吉本印天然素材」に結成とともに参加。

■1994年にはつんく♂が初めてプロデュースした曲「明日が来る前に」でCDデビューも果たしている。

■天素メンバーとして最初の東京進出を果たすものの、天然素材の活動停止後は仕事は低迷していた。

■しかし1997年関西ローカルのバラエティ番組「吉本超合金」(テレビ大阪)にレギュラー出演し関西を中心にブレイク。

■当初は出戻り組であるため肩身の狭い思いをしていたが、1999年以降のbaseよしもと時代は陣内智則・ケンドーコバヤシとともに若手のまとめ役に成長した。

■2002年から再度東京を中心に活動。関西テレビのローカル番組「すぽーつアミーゴ!」の企画で、ホノルルマラソンを一定時間内に走りきれなかった罰として2002年12月30日〜2003年3月7日までの限定で「NISHIMOTO(にしもと)」というコンビ名で活動した(他局にも同コンビ名で出演)。

■2005年1月6日にはニッポン放送系の深夜番組『オールナイトニッポン』のパーソナリティに初挑戦。

■2007年3月には、初めてのDVDを発売。その発売記念番組『DVD発売記念特別番組〜FUJIWARA〜』が2007年3月7日にヨシモトファンダンゴTVで放送された。

■現在は、うめだ花月、ルミネtheよしもとを中心に活動中。

■FUJIWARAの思い出のソングは、「ものすごBABY」らしい(UMEKA12に出演した時)。


【FUJIWARAの歴史】
■1989年 - NSC8期生として入学。4月に結成。

■1991年9月 - 吉本印天然素材結成。

■1994年 - 吉本印天然素材としてCDデビュー。
■1994年 - 初レギュラー番組「ピッカピカ天然素材!」がスタート。
■1994年 - 関西テレビ「うっ血!万華鏡」でドラマデビュー。

■1995年 - 「電動くるくる大作戦」でレギュラー出演。

■1996年10月 - 映画「岸和田少年愚連隊」で映画初出演。
■1996年10月 - 天然劇場 秋'96「歳月…俺たちの門出」を開催。原西がほっしゃん。と共に主役に。
■1996年10月 - FUJIWARA初トークライブ「ガミ」を開催。

■1997年4月 - 天然劇場 春'97「黄金色の空の向こうに」を開催。
■1997年7月 - FUJIWARA初単独ライブ「でてきた!」をNGKで開催。
■1997年10月 - 天然劇場 秋'97「ちんぴら」を開催。
■1997年 - 「吉本超合金」でレギュラー出演。この番組でまた大阪を中心に人気が上がる。

■1999年3月 - FUJIWARAが活動していた心斎橋筋2丁目劇場が閉鎖。その後baseよしもとへ活動を移す。
■1999年6月 - 「爆笑オンエアバトル」で初出場、初オンエアされる。このときのネタは人形劇。
■1999年7月 - 爆笑オンエアバトルで2連続オンエア。
■1999年11月 - 爆笑オンエアバトルで3連続オンエア。

■2000年 - 「べぇえす!」にレギュラー出演。
■2000年 - 2丁拳銃が東京に進出したため、吉本超合金Fとして再スタート。FUJIWARA初メインの番組。
■2000年4月 - 「おもしろレンタルビデオ スピルバーガー」が放送スタート。
■2000年6月 - 爆笑オンエアバトルで4連続オンエア。
■2000年8月 - 爆笑オンエアバトルで5連続オンエア。その後オンエアバトルへの出場はなし。
■2000年8月 - 「なんやモー目茶苦茶屋」にレギュラー出演。
■2000年9月 - CD「明日がくる前に/ものすごBaby」を発売。音源は、1994年に発売した吉本印天然素材のCDのものと全く同一。
■2000年12月25日 - 吉本超合金Fの企画で、「超合金Fラーメン」発売。

■2001年3月 - マンスリーよしもと男前ランキングに原西が13位にランクイン。ついでに藤本は、ブサイクランキング8位。
■2001年7月 - 吉本超合金F、50回達成。
■2001年9月 - オセロケッツと共にCD「もしかして君だけが苦しいって思ってないかい?」を発売。
■2001年10月 - オセロケッツのライブにゲスト出演。
■2001年11月4日 - 吉本超合金Fの企画で、「吉本超合金F弁当」発売。
■2001年12月 - 「オールザッツ漫才」の司会者を担当。

■2002年 - なんやモー目茶苦茶屋が放送終了。その後の番組、特ダネ野郎えぇチームにレギュラー出演。
■2002年10月 - 「妖怪ブッサイくん」が放送開始。
■2002年10月 - 「1、2、駐在さんダァ〜!!」が放送開始。
■2002年7月 - 吉本超合金F、100回達成。100回記念ロケで韓国へ。
■2002年7月 - baseよしもとイベントBase SUMMER SMILE2001を開催。「SUMMER SMILE」を会場限定でCD発売。
■2002年 - 再び東京で活動開始。
■2002年9月 - 吉本超合金F放送終了。
■2002年10月 - 「藤原敏幸ショー」を開催。
■2002年11月11日 - 初baseよしもとでの単独「藤原敏幸ショー」を開催。
■2002年12月 - FUJIWARA初レギュラーラジオ番組「嵐の金曜カウントダウン」が放送スタート。
■2002年12月 - ホノルルマラソンを一定時間内に走りきれなかったためコンビ名を一時期の間「NISHIMOTO」に。
■2002年12月 - NISHIMOTOとしてオールザッツ漫才の司会者に。

■2003年1月19日 - baseよしもとで「西本敏幸ショー」を開催。
■2003年 - 映画「浪商のヤマモトじゃ!」に出演。
■2003年3月 - 罰ゲームが終わり名前を「NISHIMOTO」から「FUJIWARA」へ戻す。
■2003年4月 - 吉本超合金F以来のロケ番組「大阪フジワラリゾート」がスタート。
■2003年5月 - 勝吉本酔虎隊としてCD「阪神タイガース酒飲み音頭2003」を発売。
■2003年6月29日 - baseよしもとで最後の単独ライブ「ネコとポテトと 私」を開催。
■2003年 - baseよしもとイベントBase SUMMER SMILE2003を開催。これで、baseよしもとを卒業。
■2003年8月 - うめだ花月での活動を開始。
■2003年12月 - うめだ花月初単独ライブ「オギクボパークス」を開催。ゲストに友近が登場。

■2004年4月 - 「オールスター感謝祭」に初登場。結果は、原西は82位、藤本は104位。
■2004年7月 - 「笑いの金メダル」で優勝。第14回チャンピオンに。
■2004年10月 - 「フジケン」が放送開始。
■2004年10月 - ドラマ「夫婦。」に藤本のみ第9話に出演。
■2004年10月 - オールスター感謝祭に2度目の登場。しかし結果は、原西は85位、藤本は134位と前より下がる。

■2005年4月 - オールスター感謝祭に3度目の登場。結果は、原西は126位、藤本は46位。
■2005年4月 - 久しぶりの冠番組「〜本人発信バラエティ〜 てっぺん!」がスタート。
■2005年10月 - 「リンカーン」が放送スタート。後に準レギュラーに。
■2005年10月 - ドラマ「危険なアネキ」に原西のみレギュラー出演。
■2005年11月 - ヨシモトファンダンゴTVで、「ヨシモト∞」が放送スタート。1部の一番最初のゲストにFUJIWARAが。

■2006年2月 - 「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」に出演。2回戦敗退。
■2006年3月 - ドラマ「よろず刑事」の10話にゲスト出演。
■2006年5月 - 「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに大山英雄の紹介で登場。ストラップはもらえず。
■2006年9月 - リンカーンで新コーナー「おかんダービー」にFUJIWARA二人の親子が登場。
■2006年9月 - テレビ大阪開局25周年記念「よしもと!お笑い秋の大感謝祭〜3時間一挙生放送!〜」に出演。
■2006年9月 - ほっしゃん。の代理でヨシモト∞2部の司会を担当。
■2006年10月 - 第6回吉本陸上競技会のMYP(もっとも吉本的なプレーヤー)に選ばれる。

■2007年2月 - リンカーンのコーナーの「世界ウルリン滞在記」で藤本がゲイのマーチングバンドに出会う。この時「どんだけ〜」人気に火をつける。
■2007年2月 - 2丁拳銃のCD「コムロきどり」の「いつまでも青春」を歌う。
■2007年2月 - お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャルに2度目の出演。1回戦敗退。
■2007年3月7日 - 初単独DVD「FUJIWARA」を発売。
■2007年3月8日 - DVD発売記念イベントをタワーレコード難波店で開催。
■2007年4月19日 - 「フジヤマ☆スタア」が放送開始。
■2007年4月29日、30日 - 「LIVE STAND 07」に出演。

(出典:Wikipedia)

[PR]

ライブドアのインターネットショッピング。お買得商品満載!欲しい商品がスグ探せ、スグ申し込める。livedoor ポイントでの買い物可!オススメ商品たくさんあります。

ふかわりょう

ふかわ りょう(本名:府川 亮(読み同じ)、1974年8月19日 - )は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)、DJ、ミュージシャン。神奈川県横浜市港北区出身。 國學院高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。 所属事務所はワタナベエンターテインメント。 血液型・O型。 左利き。 男3人兄弟の末っ子。 従兄に漫画家の原哲夫がいる。


【来歴】
高校時代から芸人を志望しており、慶應義塾大学在学中の1994年にデビュー。当初は長髪に白いヘアーバンドという風貌の高学歴芸人として「小心者克服講座」「アルトリコーダーの組み立て方」「ピーターパンの血豆占い」等に見られるシュールな一言ネタ、自己否定的な笑いで「シュールの貴公子」の異名も頂戴した。「小心者−」ではBGM (DONNA McGHEE『MR.BLINDMAN』) にのせて、腰に手を当てて横揺れしながら「お前ん家の階段、急だな!!」「お前ん家天井低くない?」等、相手にちょっとしたダメージを与える一言を発する、というスタイルで人気を博した。これは、1997年前後に起こったお笑いブームにおける1つのスタイル、「あるあるネタ」の元祖とも言われている。

しかし、ヘアーバンドを卒業してから次第に(本人の当初の願望とは裏腹に)いわゆる「リアクション系」「いじられ系」のキャラクターが色濃くなっていき、「貴公子」というキャッチフレーズも、いつの間にか「ポスト出川哲朗」という、有難いのか迷惑なのか分からない異名へと変貌してしまった。現在ではすべり芸を定番とする。髪型も、額と耳を覆い隠すマッシュルームカットとなり、共演者からしばしば「ヘルメットを取れ」と弄られる。『内村プロデュース』(テレビ朝日系、以下『内P』)収録後の打ち上げの飲み会で「かまくら一番」と命名されてからは、「かまくらカット」として定着していった。ちなみにカット代は「何だかんだで、7000円」。近年は同じくマッシュルームカットがトレードマークである南海キャンディーズの山ちゃんを意識している様子で、タモリに番組収録の合間に「山ちゃんとキャラがかぶってるんですが」と相談していたという。持ちギャグに「ティン!!」「カチーン」「シュワシュワ」「ニー」「ター!」等がある。



【音楽活動】
幼少期から習っていたピアノはお笑い芸人屈指の腕前。演奏難度の高い曲もこなし、時折バラエティ番組の企画で披露している。その一方で、歌唱力の方はかなり難がある。1998年に小西康陽(元ピチカート・ファイヴ)とユニット「ロケットマン」を結成。2000年からはソロで、「ロケットマン」や「もやしっ子」といった名義でDJとして活動している。ロケットマン名義でテレビゲーム『beatmania』に楽曲を提供する他、最近では自身が出演した映画『ピーナッツ』の音楽を制作。芸人活動の傍ら、「ロケットマン」等の名義でDJや作曲活動も行っている。映画『ピーナッツ』に関しては、監督である内村光良(ウッチャンナンチャン)の「映画音楽出来るか?」の何気ない一言から音楽を担当することになったという。これらの曲の評価も上々(内村から「そっち(音楽)の道へ進みなさい」と言われた)で、サウンドトラックとしてCD化されている。

2006年4月からはFMラジオJ-WAVEでロケットマン名義でのレギュラー番組を手がける。また、さまぁ〜ずがレギュラーを務めるローカル番組『げりらっパ』のテーマソングの作曲も行った。DJに関しては熱烈なファンもついており、またDJとしてリリースしたCDは2倍近くのプレミアが付く程で、芸人活動とは一線を画している。2006年5月放送のフジテレビ系ドラマ『ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語』では、ピアノが得意ということから若き日の中村八大役を演じた。


【人物】
■ネタは基本的に理詰めで考えていくタイプで、一言ネタにも笑いに対する彼なりのこだわりがあるようである。一方アドリブには滅法弱く、「コラー!!」「ちょっと待って下さいよ〜!!」と、逆ギレ的なリアクションを取ることもしばしば。しかも逆ギレした勢いで前に出て来ても、途中で何も言うことがなくなってしまい、徐々にトーンダウンしてしまうことが多い。

■一方、ラジオでは物事をはっきりと言うことが多い。

■自身のブログでは、世相や最近起きた事件等のコメントを主に書いており、お笑いの部分は殆ど見せていない。

■かなり裕福な家庭で育ったらしく、子供の頃は脚が速く(中学・高校で陸上部に所属)、クラスの人気者であった。更に学業も優秀で、ピアノも上手に弾ける、まさに何でも出来る人間で、いじられキャラである今のふかわからは想像も出来ない天才少年だったようだ。

■両親も(男3人兄弟の)末っ子であるふかわを「亮ちゃん」と呼び、とても可愛がっている。尚、ふかわの両親は共にテレビ出演には好意的。2人の温厚で少しとぼけたキャラクターがウケ、息子の出演する
『内P』や『いきなり!黄金伝説』(テレビ朝日系)等の番組に幾度か出演している。更に映画『ピーナッツ』では、ふかわ扮する役の両親役として出演を果たした。

■非常に涙脆く、先輩芸人や番組スタッフに泣かされてしまうこともしばしば。レギュラー出演していた『内P』のレギュラー放送最終回では、内村光良が「…お前あっての『内村プロデュース』だった!」という一言で泣かせようと思ったが、既に号泣していた。

■『内P』では、さまぁ〜ず等に比べ笑いを取ることは少なく、ほぼ毎週番組内でポイントが最下位に甘んじていたが、ある日「事前に問題を知っていれば爆笑が取れる」と強気に発言。これに伴い、ふかわにのみ番組収録前に大喜利コーナーの問題を伝えて実力を見る企画が行われた(2004年10月25日放送「ふかわりょうの夢をプロデュース」)。その結果見事3位という成績を収めた事から一応の証明にはなったものの、内村からは「中途半端なんだよ」とツッコミを入れられてしまった。

■『爆笑問題のバク天!』にて爆笑問題が「爆笑問題とウッチャンナンチャンのどっちを取る?」と尋ねた所、迷わず「ウッチャンナンチャン」と答えた(理由は「大事にしてくれてるから」だが、爆笑問題から「(俺達だって)大事にしてるじゃねぇか!!」と責められた。ちなみに爆笑問題には「壁を感じる」らしい。)一方、内村も親友と呼べる友達としてふかわの名前を挙げ、「心が通じ合う」と発言。しかし、南原清隆に「扱いやすい人を親友にしている」と突っ込まれている。

■軟弱な印象とは裏腹に、恋愛に対して積極的で、以前『爆笑問題のバク天!』(TBSテレビ)の中で、女性ADを2度も口説こうとしたことを暴露された。

■しっかり人生設計を立てているらしく、本人曰く「30歳でようやくスタートライン」とのこと。しかし、その詳しい中身は「聞いたら多分僕のことを嫌いになると思います」とも語っており、かなり強かに芸能生活を送っているようである。

■慶應義塾大学内の調査で「最も恥と思うOB」NO.1に選ばれた。

■愛車は通称「黄色いワーゲン」。「内村プロデュース」の企画でバンパーを破損された。

■関西ローカルの番組には疑問を感じることが多く、『おはよう朝日です』(朝日放送)のマスコットキャラクターである「朝おき太君」について「喋らないでそこにいるだけって、意味あるんですかね?」と『たかじん胸いっぱい』(関西テレビ)にゲスト出演した際に発言し、司会のやしきたかじんから「関西人全員を敵に回した」と言われた。また同番組に出演した際に、たかじんや桂ざこばから相当のダメ出しを受け、「今日、8割が説教でしたよ!」と嘆いていた。

(出典:Wikipedia)

[PR]

「edita」に登録すると
1ブログが一つ増える
2ブログコミュニティが持てる
3ブログ読者が増える
4ブログ読者の顔が見える
5ブログの写真を全てアルバム化するブログパーツが持てる

藤原一裕

藤原 一裕(ふじわら かずひろ、1977年9月20日 - )は、奈良県生駒市出身のお笑い芸人である。1996年結成の「ザ・ちゃらんぽらん(旧・ライセンス)」のボケ担当。相方は奈良県立上牧高等学校(現:奈良県立西和清陵高等学校)の同級生である井本貴史。吉本興業所属。身長181cm、体重69kg。血液型はO型。


【概要】
■低音が特徴。

■2歳の頃から喘息持ち。上京後、症状が出ることはまずないようだが、携帯用吸入器(メプチンエアー)を常備している。

■空手は初段で、全国大会に出場したこともある。瓦割りが得意。格闘技全般が好きだが、相方井本の好きなサッカーは大嫌いらしい。

■小学生の頃は野球をしていた。

■体格が良いため、一見「怖い人」と勘違いされてしまうが、人一倍ハートが弱い性格らしい(不眠症らしい)。自称「優し過ぎる男」。弟の結婚披露宴で号泣した優しい心の持ち主。逆に、井本はかわいらしい顔をしているものの、彼こそが「怖い人」であるらしく、藤原は井本のことをブログ上で頻繁に「あのヤクザ」と表現する。

■飛行機が大の苦手で、乗っている間はずっと落語を聴いている。井本曰く、「(隣に座っている時)何の悪気もなく肘掛の上で手を掴んでくる」。

■暇な時、家に引きこもってパズルをしていることがある。

■弟がいる。弟は井本を怖がっている。

■中学生の頃、新潟県に住んでいた。(小学校3つ、中学校2つと多くの転校を繰り返したらしい。)

■高校時代、彼女とデートした後に、ネタ合わせのため井本の家へ行こうとしたら、彼女に「私とお笑いどっちが大切なの?」と凄まれ、自転車の籠を曲げられたらしい。

■恋愛センスはあまり無く、爆笑問題のバク天!内「バク天!ラブ検」で4回出演中、2回最下位になり、「ラブ検定ダメ級」となった。2005年9月10日放送分では「彼女とケンカをした時、男が考える仲直りの仕方」→もっと怒らせ「どうでもいいけど俺は怒ったお前を好きになった訳じゃない」と言う(最下位)、9月17日放送分では「彼女と初めてのデート、男が考える最高のデートプランは?」→好きなDVDを5位から順に見せ、酒飲んで寝た後、彼女が料理を作る(最下位)、11月12日放送分では「女友達を恋人に変える一言」→「長いこと友達やけど、お前、俺の事わかってへんなぁ。いっぺん付き合おうたろか?」(1位)、12月3日放送分では「長年付き合った彼女にプロポーズする時の言葉」→「俺の彼女やって何年?明日から俺の嫁はんやれ!」と答えている。常に上から物を言う回答になっている。

■「藤原会議」という単独ライブを行なっていた。また、2005年・2006年・2007年と3年連続でR-1ぐらんぷりに出場し、準決勝進出。

■相方井本と比べるとファッションセンスは無い、ということになっている。藤原本人もファッションにはさほど興味が無いと話しており、いつも同じジャージまたはウィンドブレーカーのような服を着ている。

■大食いな為、前説を務めるダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!内では「バキューム藤原」と呼ばれている。「お菓子でご飯を食べ尽くせ!!」(2006年11月2日放送)でご飯を9杯平らげたことでこの名がついたが、「力を合わせてギャル曽根を倒せ!!ガチンコ大食い対決!!」(2007年6月17日放送)ではフードファイターのギャル曽根に対する切り札として大いに期待されたが、ふたを開けてみれば全く彼女に太刀打ちできず、バキュームの名を取り上げられた。

■高校時代に学校にきたALTにとても好かれ、遠くの廊下にいても叫びながら近寄って来られていた。

■好きな女の子のタイプはケンカして泣いているのに「泣いてない」と言う子。

(出典:Wikipedia)

[PR]
野菜や有機野菜の宅配サービス 「らでぃっしゅぼーや」

有機・低農薬野菜と無添加食品や環境に配慮した日用品などの会員制宅配サービスを行っています。おいしくて安全な食材をご自宅まで宅配致します。らでぃっしゅぼーやの宅配サービスを是非ご利用ください。

藤井隆

藤井 隆(ふじい たかし、1972年3月10日 - )は、大阪府豊中市出身のお笑いタレント、俳優、歌手。吉本興業所属。血液型はA型。身長 173.8p 。妻はタレントの乙葉。


【略歴】
豊中市立南丘小学校、豊中市立第九中学校(女性シンガーソングライターの矢井田瞳も同校の出身)、大阪市立西商業高等学校(現・大阪市立西高等学校)卒業。高校在学中に阪神百貨店の「学生禁止」のアルバイトにあえて応募、接客テストで学生でない他の応募者より優秀だったのと、「顔が学生的ではない」という特別理由で採用された。

高校卒業後の数年間は化学薬品会社の経理課に勤務していた。1992年、サラリーマンを続けながらYSP(吉本新喜劇プロジェクト)へ。同年、毎日放送の「テレビのツボ」でテレビデビューを果たし、これを機に仕事を吉本興業に一本化。吉本興業の同期にはココリコ・中川家・陣内智則・たむらけんじらがいる。

新喜劇の全国展開が活発になってきた頃、中堅クラスの多くが遠征で不在で座長と二線級以下のYSPメンバーばかりで演じなければならない時期があった。この期間、ある病院で内場勝則の同室の病人が全員オカマというシナリオで、それまでゲジゲジ眉毛しかギャグがなかった藤井がオカマキャラを見事に演じ、出演メンバーの層の薄さに急激に冷め始めていた客席を異常に沸かせることに成功。そのままオカマの藤井として一気にブレイクし、わずか一ヶ月ほどの間に中條健一らと番組の冒頭で番組紹介をするほどになる。

一時オランダを放浪していたが、1997年、全国放送となった超!よしもと新喜劇番組内で演じたオカマキャラでブレイクした。同番組ではダウンタウンがゲスト出演した際に、松本人志の仕掛けにはまって浜田雅功とキスをするはめになった。これがきっかけでブレイクして以来、ダウンタウンの番組にも多数ゲスト出演。2001年には4年ぶりに復活した「ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル」に元々のレギュラー達と並んで出演している。

毎日放送ラジオの人気番組「オレたちやってま〜す」でも活躍し、藤井は、林原めぐみと水曜日を担当。アシスタントには初代に原史奈を迎え、以後周防玲子・藤本綾・加藤明日美と順に交代している。この時に林原と親交を深め、後年、林原が雑誌『NEWTYPE』に連載していた対談コーナーの最終回に藤井が迎えられ、また藤井の結婚式にも林原が出席した逸話もある。

2000年、浅倉大介のプロデュースによるシングル「ナンダカンダ」で歌手デビューし、同年「紅白歌合戦」(NHK)に初出場。この時ほかの出演者から「お前の歌なんて誰も聞かねえよ。」と言われビビっていたとか。翌年もRe:Japanのメンバーとして2年連続出場(ウルフルズとコラボレーション)し、「明日があるさ」を熱唱した。歌手としては2004年上海、ロサンゼルスでワールドツアーをおこなった。

2001年に放送がスタートし、一時はゴールデンタイムに進出した『BEST HIT TV』シリーズ(2006年終了)でマシュー南というキャラクターとして司会を務め人気を集めた(後述)。

2004年、劇場版アニメ「マインド・ゲーム」で初声優を務める。

2005年4月2日から、関西テレビ制作のフジテレビ系列で毎週土曜日の朝8:30からの情報系番組「ベリーベリーサタデー!」(『いつでも笑みを!』の後番組)の司会を鈴木杏樹とともに務めていた。(2007年3月で終了)

2005年5月7日に、乙葉との婚約を発表。同9日に会見を開いた。

2005年7月29日に入籍、翌7月30日に都内のホテルで挙式・披露宴を行った。

2006年6月2日、映画『カーテンコール』(2005年11月公開)の演技で、第15回日本映画批評家大賞新人賞(南俊子賞)を受賞。


【人物】
■原則的に、ハイテンションで高慢で、ややオカマっぽい口調のキャラクターを常に演じている芸風。実際の性格は全く正反対で、とてもおとなしく礼儀正しい。テレビ出演初期は、その素の部分との落差を先輩に指摘されるというのもネタのひとつとしてあり、ブレイクのきっかけにもなった。ブレイクとともに芸風をスライドさせていったため、現在ハイテンションになることはめったにない。

■左の生え際にある直径1センチほどのホクロが特徴。

■趣味は音楽鑑賞・プラモデル作り・移動などの待ち時間の読書。特に氷点シリーズを愛してやまない。好きな写真集にちんかめシリーズがある。

■持ちギャグはや「フォ――!!」など。2001年ごろまではテレビでの登場の際、ほぼすべての出演番組で「HOT!HOT!」といいながら出演することが多かったが、最近は売れてきたためかあまり言わなくなった(最近では2007年に出演した「恋のから騒ぎ・・・ご卒業SP」「雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!」にて披露)。

■「オレたちXXXやってま〜す」初回、藤井隆が中心になる初めての番組という事で心配したよゐこが隠れゲストとしてゲリラ参加した際、よゐことしては、「必要ない!!」とツッコんでほしかったそうだが、藤井は感激のあまり放送中泣き出してしまい、結果その回は最後までよゐこが仕切り、藤井は聞き役に回った。また、この後のスペシャルウィークでは、再びゲストとして登場したよゐこに対し「一人でやって行けることを証明する」と宣言、張り切りすぎた結果、聴いているリスナーにとってはそれが“藤井一人の勝手な暴走”と映ってしまい、ラジオ中から次の週にかけて大量の苦情、批判がよせられ、翌週放送上で謝罪、それでも気がすまないとハガキを送ってきたリスナーに対しては自ら謝罪文を書いて返信するという事態になった。

■2005年10月22日にテレビ朝日系列で放送されたプロ野球日本シリーズ第1戦「千葉ロッテマリーンズvs阪神タイガース」の始球式を「マシュー南」として務めた。しかし、野球、ロッテとは何の関連もない番宣目的での始球式であること、これから試合が行われるマウンドに落書きをしたことなどが一部の野球ファンなどから顰蹙を買った。

■病的なまでに人見知りで、プライベートではスイッチが切れたように大人しくなる。結婚するまでは、仲のいい友人はココリコ田中直樹、ロンブー田村亮、YOU、 吉村由美、西川貴教程度であった。

■また、非常に几帳面な性格でも知られる。きれい好きで有名な今田耕司からも「家政婦みたいや」と絶賛されるほどである。

■母親が阪神タイガースの大ファンであり、藤井の阪神情報は全て「ベリサタ」で共演していた金村義明からではなく母親伝いで入ってくる。

■礼儀正しく、腰が低いことでも有名である。取材でも記者との待ち合わせ時間に遅刻することはまずなく、相手の記者がたとえ5分でも早く来ていたときは「お待たせして申し訳ありませんでした」というらしい。そのため、同僚からもマスコミやスタッフの評判も非常に良い。吉本新喜劇の共演者からも「藤井くんはみんなに好かれているから、いいフリがたくさん来るんや」と評されていた。

■最近は司会の仕事が多いが、彼が司会を務める番組は全て視聴率が今ひとつで、「藤井隆は司会者には向いていない」などと言われる事が多く司会者としての評価は低い。かつて「笑っていいとも!」のレギュラーの時にタモリにはあまり評価はされておらず、それが当たってしまった形になっている。最近は「藤井は俳優に転向させた方が良いのでは」という声が多い。

■誰に対しても人当たりの良い人柄ではあるが、「HEY!HEY!HEY!」の企画でkiroroの玉城千春と何も知らされずお見合いさせられた時は乗り気ではないリアクションを連発し、最終的には「こっちにだって断る権利はあるのよ!」とややおカマ口調で言い放ち、交換した電話番号のメモを破り捨てるというギャグをかまし玉城を泣かせてしまった。ダウンタウンにも「それはあかん!」と頭をはたかれまくられ、本人もやりすぎた事を自覚し平謝りしていた。また、再度出演した際に、今度はこれまたファンだという花*花と一緒になったが、こじまいづみに対してまたもや乗り気ではないリアクションを見せてしまい、こじまに「もういやや」と散々言われた挙句「(電話番号のメモを)破って捨てるんでしょ?」と突っ込まれていた。

■デビュー曲「ナンダカンダ」の衣装をきた藤井のフィギュアが海洋堂で作られることになったのだが、「サイズ通りのバランスで作ると頭が大きくて倒れてしまうのでサイズを修正してよいか」と言われてショックを受けたらしい。藤井はこのことについて番組で「隆はこれで生きているんです!」と絶叫した。

■オカマキャラは彼の代表作だが、「テレビのツボ」では普通の好青年だった。さらに、このキャラは後の夫人となる乙葉が嫌っていたらしく、一定の人気を得たことと共に徐々にこのキャラ色を消していくことになる。

■オカマキャラだが、なぜか一人称は「わたし」ではなく「僕」。但し、オカマキャラを演じるとき、自分のことを「隆」と呼ぶこともある。

■非常に髭が濃く、朝に剃っても夕方には青くなっている。

■即興でやったにもかかわらず、コロッケのものまねがかなり似ている。


【主な持ちギャグ】
現在はタレント活動が主でギャグを見られる機会は少ない。

■「フォーーーッ!!」
共演者が藤井の胸を触り「アッ、アッ、アッアッアワワワワワワッ・・・」と喘ぎながら手が股間に達した時に叫ぶ。ただし、最後に口を押さえられることがあり、その時は他の共演者が「フォーーーッ!!」と叫ぶことになっている。

■HOT!HOT!ダンス→「○○に出会えてよかった、うれしはずかしオーマイハート、○○に出会えてうれしい僕の体の一部がHOT!HOT!」(共演者に突っ込まれるまで「HOT!HOT!」を繰り返し続ける)。
前振りとして「この喜びを踊りで表現したいと思います!」と言い、ダンスが始まる。
パターンは「○○探して歩いた、右へ左へレフトandライト〜」など複数ある。
トーク番組などで意味を聞かれると、「単に股間が勃起した様子を言ってるだけなんですけどね・・・。」と気恥ずかしそうに答えている。

■「フレーッシュ!」

■(共演者)「お前オカマやろ?」(藤井)「僕はオカマじゃありません、ホモです!」
逆のパターンも存在する。

■退場する時に誰かを紹介するように手を前方に差し出して「誰紹介してんねん」とツッコまれる。

■ヤクザなどに蹴られまくった際に尻を突き出して「も、もっと〜〜!」

■「藤井さん、ハーフなんだって?」(藤井)「ええ、そうなんです。男と女の。」

■「時間が経つごとに髭が濃くなり始める」と言われると口元を隠しながら「12時までのシンデレラ!」


【マシュー南】
マシュー南とは、テレビ朝日系列のバラエティ番組「BEST HIT TV」シリーズ(「BEST HIT TV」→「Matthew's Best Hit TV」→「Matthew's Best Hit TV+」→「Matthew's Best Hit UV」)で藤井が演じたキャラクター。

チェリストである日本人の父と、元伯爵家令嬢であるイギリス人の母との間にイギリスで生まれ、フルネーム「Matthew・G(弦也)・南」。イギリス出身であるにもかかわらず日本の歌謡曲や芸人、80年代アイドルなどに精通しており、特にWinkの振り付けにおいては右に出るものがいない。これは10代を京都に住む父方の祖母のもとで過ごしたためだという。自身が司会する「Matthew's Best Hit TV+」は現在世界28か国で放送されていると主張する。

番組内ではマシュー南と藤井隆が同一人物ではないということになっている(松浦ゴリエと同様)。その為、ゲストもマシュー南と藤井隆が同一人物であるような発言をしないように気を付けなければならない。CGによりマシューと藤井がトークしている映像も収録された。なお、モーニング娘。の高橋愛は、マシュー南がピンで初出演した際「藤井さん」と言ってしまい、マシュー南に「言っちゃだめ」と注意された。マシューのキャラクターぶりでは、やしきたかじん、所ジョージ、ネプチューン、くりぃむしちゅーなどからは、批判を述べることが多い。

要潤を「キャナメ」、上戸彩を「ウェッティ」(当初は「ウェット」)、釈由美子を「シャックス」と呼ぶなど、ゲストを奇妙なあだ名で呼ぶことも多い。

また清涼飲料水、自転車、絵本、文房具などマシュー関連のグッズを何種類か出している。

以下に、マシュー南としての活動を挙げる。

■2004年の米アカデミー賞脚本賞を受賞した映画『ロスト・イン・トランスレーション』に、マシュー南として出演した。

■2004年秋、童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン生誕200周年を記念した「2005アンデルセン親善大使」の一人にマシュー南として任命される。

■2005年4月6日に放映された「徹子の部屋」にマシュー南として出演した。

■2005年5月11日に「Matthew's Best Hit TV+婚約会見スペシャル」では、ゲストとして招かれた藤井隆がマシュー南と共演。マシュー南が藤井隆に乙葉との婚約について質問した。

■2005年10月22日には、テレビ朝日系列で放送されたプロ野球日本シリーズ第1戦「千葉ロッテマリーンズ vs 阪神タイガース」の始球式をマシュー南として務めた。しかし、野球、ロッテとは何の関連もないキャラクター名義での始球式であること、これから試合が行われるマウンドに落書きをしたことなどが一部の野球ファンなどから顰蹙を買った。特に星野仙一は「あんなピエロみたいな奴に投げさせるとは何事か」と自分のサイト内で苦言を呈した。

■2005年10月28日放送のクレヨンしんちゃんの終盤で、Matthew's Best Hit TV+のゴールデン進出を記念しマシュー南として出演した。

(出典:Wikipedia)

藤原 光博

藤原 光博(ふじわら みつひろ、1962年6月8日 - )は、吉本興業に所属するお笑いコンビ・リットン調査団の1人である。

桃山学院大学に在学中、学生プロレスの活動がきっかけとなり、後の相方となる水野透と出会う。先に卒業していた水野にお笑いの世界に誘われ、コンビ結成。

小学生時代の趣味が板の木目をじっと見つめて寸評する事、ウィンナーソーセージの分け方で嫁に逃げられたり(「一杯の掛け蕎麦」ならぬ「六本のソーセージ」という感動秘話)、バイト先ではあまりの働きの良さにシャッターの鍵を任され、社内報にまで載ってしまう、重役会議に呼ばれるなど、さまざまな逸話を持つ。

東京スケベ協会というユニットを組み、イベントも開催している。藤原は会長であり、シャンプーハットの小出水が関西支部長である。

2007年2月7日放送のガキの使いやあらへんでの若手ネタ見せ企画、 山-1グランプリにおいて、相方の水野透と共に登場。貴乃花の相撲名場面を一人で再現しようとするが、あえなくカットされた。その際松本人志から、「実際のVTRあるから無理して一人でやらんでもええよ」と言われてしまった。

「プロの半笑い」(ヨシモトファンダンゴTV)の1コーナー「エロギリ」に出演した際は、出演者から「キング」と呼ばれた。

(出典:Wikipedia)

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。