Google
 

松尾伴内

松尾 伴内(まつお ばんない、本名:松尾 憲造(まつお けんぞう)、1963年5月3日 - )は、日本のタレント、レポーター。長崎県大村市生まれ、東京目黒育ち。血液型A型。オフィス北野所属。東京都立桜町高等学校卒業。

たけし軍団加入当初は本名で活動をしていた。名付けの宴席で、映画『多羅尾伴内』から、松尾本人が『いびつな頭を持つ男』と言う事で芸名が決定。実際は“いびつ米びつ”との二者択一で選ばされた。主に明石家さんまから「松ちゃん」「ばんうち(伴内の読み違い)」などと呼ばれている。

妻は女優の栗林知美。2005年に双子の男の子が誕生。2人とも本人にそっくりらしい(舞台のフリートークより)。


【略歴・人物】
そもそも芸能界入りへの意志が強く、各種オーディションに積極的に応募するが軒並み不合格であった。そのオーディションのひとつに「西城秀樹の妹コンテスト」があり、松尾は「弟」も募集していると勘違いして応募している。

そして漫才ブームで人気芸人となったビートたけしに着目し、弟子入りするためにニッポン放送の通用口付近でいわゆる“出待ち”をした。しかし、人見知りである松尾は声を掛けるきっかけが掴めず、『ビートたけしのオールナイトニッポン』収録後のたけしをただ見送ることが続いた。松尾の存在に気付いた高田文夫は、たけしに「タケちゃん、あいつヤバイよ」と警告していたという。そしてある週に、松尾が切迫した表情でたけしに近づき(たけしは刺されると思ったらしい)、弟子入りを志願した。

近年は、ビートたけしよりも明石家さんまや小堺一機との仕事が多い。一時期、外部修行としてさんまの付き人を務めていたこともあり、さんまとはプライベートでも非常に親しい間柄である(ラッシャー板前、グレート義太夫などもさんまに付いたことがあり、たけし曰く「俺以外の人にも付いて勉強しろ」ということらしい)。

もう40代のベテランであるにも関わらず、なぜか「まだ若手ですから」と言う。リアクション芸は芸能界でも1、2を争い、特に熱湯風呂のリアクションは絶妙。私生活でもリアクションが大きく、いちいち色んな事に驚くらしい。

有名なのは新幹線の売り子さんの「○○円になります」の言葉に驚いたという話。さんま絡みの仕事では、「あいうえおの、お」→「おーっ!!」などの掛け合いがお馴染みであるが、これは『痛快!明石家電視台』(毎日放送)から生まれたものである。また、明石家電視台出演時には、さんまと同じ新幹線に隣同士で乗って移動しているが、延々互いに喋り続けるので他の客が迷惑していると宮迫博之らから突っ込まれている。ちなみに、さんまと伴内が好んで食べる駅弁と言えば八角弁当である。揚げ物がなくさっぱりしているため、他の芸能人にも好評らしい。しかし既に夜であるため売り切れていることもある。このときさんまは「おばちゃん!あんたが全部食べたんとちゃうか!」と、笑わせるらしい。

また、他の番組では普通の服装をしているが、『痛快!明石家電視台』ではなぜか乙女チックなシースルー系の衣装でよく登場する(さんまによると同番組に限ってはスタイリストがいない)。明らかに肩幅などは合っていない女性物なのだが、明石家さんまが「女物でしょ?」と聞くと必ず「男女兼用です」と答える。ファッションハウスやマジシャンショップ、フラワーショップなどで購入しており、「お求め易いお値段」だそうだ。ちなみに、1回番組で着用された服はもう着ないことになっている。その為、自宅クローゼットには「兼用」の派手な衣装が数多く押し込められており、番組内でクローゼットの写真を公開した。オーサカキングでその衣装でファッションショーをしたことがある。しかしある時、お店でスカートを勧められた。伴内がタレントだとは知らず“女装好きな男性”と勘違いされてしまっていたらしい。プライベートでもさんまとは親しく、飲み会でもコンビネーション芸を披露しているようである。

妻の栗林とは、『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』での共演(栗林はイメージガールとして出演していた)で知り合い、伴内が散々栗林にアタックをし続けていた。結婚は、伴内が栗林とデートの約束をしていたが栗林は忘れており、何と伴内が10時間近く同じ場所で待ち続け、それを知った栗林が結婚を申し入れたと言われている。たけし曰く、「よく松尾なんかと結婚する気になったなあ、あいつは家に最初に彼女を連れてきて都はるみのビデオをいっしょに見せられるんだぜ。結婚なんて一生できないとおもってたよ」(週刊ポスト「21世紀毒談」より)。

くりぃむしちゅーの上田晋也に似ているのをネタにしており、逆に上田も伴内に似ていることをネタにしている(上田が自身の番組で伴内の真似をすることもある)。『明石家電視台』のエンディングコーナーでは、上田が伴内になりきり、伴内本人とともに「ダブル伴内」として登場したことがある。そして二人同時に「どちらも男女兼用です。お求め易いお値段です」と言っていた。


【エピソード】
■『11PM』の1分間のお色気コーナーを必死で毎回録画し、60分テープ分にした。

■さんまのラジオ番組『G1グルーパー』(TOKYO FM)において、局部にシリコン球を注入しようとしていることを告白。2個注入がいいらしいと聞き1つをさんま、もう1つをたけしにお願いするらしい。

■だいたひかるの住居のリフォームをレポートした際、のらくろの弁当箱を発見。テレビ東京系の「開運!なんでも鑑定団」への出品を勧めた。その後だいたは番組出演に際しその弁当箱を持参。15000円の高値がつき、松尾の眼力に評価が高まった。

(出典:Wikipedia)

[PR]

視力回復手術「レーシック」を検討するなら「視力回復レーシックコム」 話題の視力回復手術レーシックに関する情報が満載!参加医療機関の特色を知るため、まずはラクラク資料請求!

松嶋尚美(オセロ)

松嶋 尚美(まつしま なほみ、1971年12月2日 - )は、日本のお笑い芸人で、ある。

大阪府東大阪市出身。血液型A型。身長158cm、体重46.3kg。所属事務所は松竹芸能。漫才コンビ「オセロ」のメンバーで、「オセロの白い方」。またロックバンドKILLERSのボーカル担当。


【略歴】
樟蔭中学校・高等学校を経て樟蔭女子短期大学(現在の大阪樟蔭女子大学短期大学部)卒業。 松竹芸能タレント養成所に入り、テレビリポーターを目指す。 1993年4月29日に中島知子と「オセロ」を結成してお笑いに転向。1995年にオセロとして『第16回・ABCお笑い新人グランプリ』新人賞を受賞。 2006年8月16日、ロックバンド「KILLERS」のボーカルとして大阪城ホールでイベントデビュー。バンド内での名前はNAHOMI☆KILLERでそのバンドのプロフィール内では芸能活動を「裏家業」と言っている。


【人物】
■「オセロの白い方」でボケ担当。

■かなりの天然ボケで有名。(#松嶋の発言を参照)

■しかし本人はそこそこ賢いと思い込んでいるふしがある。

■漢字に案外詳しく、ジャポニカロゴスでの活躍はタモリも感心するものである。

■芸能人の中でも特に霊感が強い事で知られている。心霊スポットなどに連れて行かれると「いる、気持ち悪い、もうこれ以上近付けない」と本当に体調も精神状態も弱ってしまう。

■30歳を超えても若く見せるために、夏季を中心にミニスカート姿の場合が多い。何でも着こなしてしまう点、女性からの支持が高い。

■永久脱毛をしたり、Iライン脱毛にもチャレンジするなど、美容分野への関心も高い。

■身長については2006年7月28日放送の『きらきらアフロ』では158cmと言っていた。

■若い頃の今いくよに似ていると言われる。(今いくよ自身が認めている)

■風呂に入ると必ずストレッチをやる。そのため相方の中島は見たくない物を見せられた経験がある。(中島曰く『熱帯雨林』とのこと)

■記念館が実家の近くにあるというきっかけで司馬遼太郎を愛読。時代小説マニアの兆しが最近窺える。特に幕末の作品に強く、時に歴史や漢字の知識において博学ぶりを発揮しはじめている。(ただし歴史知識はすべて司馬遼太郎の作品からだといっているため、必ずしもその知識が正確であるとはいえない)

■実家ではドッグブリーダーとして何匹もの犬を育てている。

■愛車はトヨタ・タコマ。

■近年、エレキギターを1年間習ったが、現在ではCコードしか覚えていない。

■かなりの愛煙家で、喫煙によるビタミン不足で手が震える。ちなみに相方の中島はタバコを吸わない。そのため、タバコの件ではしょっちゅう中島に突っ込まれている。(以前知っとこ!の中で「JR東日本の新幹線と特急列車が全部禁煙化」という話題が出た時、中島は「分かりましたか、尚美ちゃん。」と冷ややかに突っ込んでいた。これに対し松嶋は「いやや〜、そんなの!」と絶叫していた。)

■名前は“なおみ”ではなく、“なほみ”であるが、相方の中島はそれを知っていながら未だに「なおみちゃん」と呼んでいる(NTTドコモのCMではなほみちゃんと呼称)。

■女優・タレントの原千晶およびジョン・ムウェテ・ムルアカと大の親友関係である。

■従兄の松嶋晃は東大阪市の市議会議員。

■芸能界に入った理由は、ジャニーズ事務所のアイドルであった忍者の正木慎也に会いたかったため。

■映画の取材でジョニー・デップに会って以来、好きなタイプの男性を聞かれるとジョニー・デップだといつも答える。

■松嶋が好きになるタレントやスポーツ選手は、松嶋が「好き」と公言した後、突然の死去や大怪我、活動休止を迎えることが多く(尾崎豊、X JAPANのhide、サッカー選手のベッカム、ORANGE RANGE、阪神の濱中治等)、業界人からは「オセロのホワイトデビル」と恐れられている。この「ホワイトデビル」という名称は、大阪のラジオ番組『サイキック青年団』で北野誠、竹内義和によって広められた。

■九品仏駅の二重の踏み切りにおいて、踏み切りと、踏み切りの間に挟まれた「安全地帯」で電車通過を待っているつもりが、横に並んでいた通行人のおじいちゃんと共に、踏み切りの内側で待っていたため、危うく電車に轢かれかけた。その後警察に事情聴取された。その一部始終を中井貴一に目撃されていた(2003年12月18日OA『ナインティナインのオールナイトニッポン』にて、ゲストで出演した笑福亭鶴瓶による)。


【松嶋の発言】
■西暦は地球が誕生してからの年数だと思っていた。

■ザラメを知らない。

■ハリウッドスターのニコラス・ケイジを本物の刑事さんだと思っていた。(島田紳助も同じ勘違いをしていた)

■ニコール・キッドマンを男だと思っていた。

■同様にハリウッド女優のメグ・ライアンを競馬の競走馬の名前だと思っていた(メジロライアンと混同していた模様)。

■チンパンジーは猿の英語版だと思っていた(チンパンジーとサルとは約3000万年前に進化過程が分化している)。

■マサチューセッツ工科大学は大阪府摂津市にあると思っていた。

■「阪大」とは、大阪大学ではなく「阪急大学」であると思っていた。

■トリノオリンピック開会式をテレビで見たにも関わらず、聖火を聖歌と勘違いし「聖火を見ていない」と力説(2006年2月10日OA『きらきらアフロ』にて)

■フィギュアスケートには有名な「スグリ」と言う名前の外国人選手がいると思っていたが、最近になって村主選手と同一人物と知った(2006年3月11日OA『きらきらアフロ』にて)。

■スイカが地中に実ると発言し、小学5年生に同情された(33才の時)。

■『花嫁は厄年ッ!』にて志村彰プロデューサーを「清水さん」と呼び、ナインティナインの矢部浩之(安土一郎役)に「プロデューサーの名前くらい覚えろや!」と突っ込まれた。

■目黒で自転車に乗っていたところ、頭の上にカラスが止まった。しばらくカラスだと気づかず、そのまま自転車を走らせていた(2006年5月27日OA『きらきらアフロ』にて)

■北朝鮮の金正日の肩書きは「総書記」または「国防委員長」であるが、それは言わずもがな、北朝鮮の政治体制によるものである。にもかかわらず、その肩書きを、学校における学級委員会で言うところの、「書記委員」と勘違いしていた。笑福亭鶴瓶からは、「書記じゃなく、風紀委員の方いませんか」などと突っ込まれる結果となった。(『きらきらアフロ』にて)

■パスポートに有効期限があることを知らず、期限切れを理由に空港で出国を拒否された。この時の目的はドラマのロケ撮影だったため、脚本家が大急ぎで書き直さなければならなかった。(『踊る!さんま御殿!!』にて)

■NAHOMI☆KILLERでライブした時あまりの盛り上がりと一体感に、500mlのペットボトル半分ほど失禁をした(『食わず嫌い王』、『ナインティナインのオールナイトニッポン』、『新堂本兄弟』にて本人談)。

■『ナインティナインのオールナイトニッポン』に出演している(2006年11月30日OA)のに、ナインティナインをいきなり、「コントでもしとったの?ダウンタウンは!」と平然と言ってしまった。岡村は「誰がダウンタウンや!」とつっこみ、矢部は「お前、ホンマにすごいな」と呆れていた。

■鶴瓶が自らが「腸閉塞」にかかった話をしてるにもかかわらず、「偏平足」の話と思い込んで聞いていた(『きらきらアフロ』にて)。

■2007年3月3日OAの『めちゃ×2イケてるッ!』では加藤浩次の名前を加藤トキヤと呼んだ。更に山本の不祥事後のスッキリ!!の真似をした。

■ぴったんこカン・カンで、「このひき肉、ミンチにしてください」と言って、肉屋さんを凍りつかせた。

■肉屋で豚肉を買おうとしたとき分量を訊かれて「このくらい」と手で大きさを示して注文した。(『きらきらアフロ』にて)。

■ジョニー・デップにインタビューするはずなのに、スイッチを入れ忘れた海賊ゲームをして、「壊れた」と言いながら、はしゃいでいた。

■きらきらアフロで、体重計に片足だけ乗せて、もう片方の足を浮かせて体重計の外に出せば、体重計の表示が軽くなると言い張っていた。(笑福亭鶴瓶と口論になり、結局コーナーの最後に実際に体重計が持ち出される事態に)

■メトロノームをメトロノーズと発言。(2007年5月30日OA『きになるオセロ』にて)

■「千代大海が優勝した」と聞いて、「千代大会誰が優勝したん」と周りのスタッフに聞きまくった。

■「西遊記」の猪八戒をイノシシだと思っていた。今田耕司は「こんな知らん人珍しいわ。」と言っていた。

■関西の有名大学「関関同立 産近甲龍」を「関関同立 参勤交代」だと思っていた。

■女優の室井滋を「室井滋子」と発言。

■焼香を「しょうのう」だと勘違いし発言。

■四階をヨンガイと言う。

■太陽と月は同じだと思っていた。

■母親の誕生日に自動販売機をプレゼントしたことがある(『きらきらアフロ』にて)。

■東大阪に住んでいたころ、ベランダでハトが一生を終えた。

(出典:Wikipedia)

[PR]
きらきらアフロ 2005

きらきらアフロ 2005
【お笑い・演芸】 笑福亭鶴瓶とオセロの松嶋尚美がトークを繰り広げる人気TV番組「きらきらアフロ」の2005年放送分をダイジェストで収録した作品。取材風景、また番組では放送されていないプレミアム特典映像収録の2枚組。

まちゃまちゃ

まちゃまちゃ(女性、1976年5月7日 - )とは、吉本興業に所属する女性お笑いタレント(ピン芸人)、漫談家である。本名:菅崎 雅美(かんざき まさみ)。千葉県君津市出身、千葉県立姉崎高等学校卒業。身長158cm、血液型B型。テレビ番組の『エンタの神様』では摩邪(まじゃ)という名前で出演している。


【人物・エピソード】
■オーディションを経て、1996年にデビュー。2000年頃には『極すれすれガレッジセール』などの番組にウルフ神崎として出演した。東京吉本の女性芸人のリーダー的存在であり、姐御肌で男性芸人からも慕われている。(バッドボーイズの佐田正樹には「まちゃ姉」と呼ばれ、慕われている)また、テレビでは毒舌を売りにし、言葉遣いもかなり悪いが、舞台裏では非常に礼儀正しくちゃんと敬語も話せると様々な芸人にトーク番組で暴露されている。

■ペナルティのワッキーにプリンスメロンを持参して弟子入り志願したことがある。そのこともあってか、ペナルティの単独ライブにはサポートとして毎回出演。

■1998年、『進ぬ!電波少年』の人気コーナーなすび懸賞日記の企画オーディション(内容は抽選会)にて、なぜか出演している(なすび懸賞日記ビデオ第1巻目に収録されている)。

■キャラクターを買われて『英会話のジオス』のCM、B'zのシングル『BANZAI』のプロモーションビデオ(23秒間)、先輩のペナルティの単独ライブ、映画『下妻物語』等に出演したことがある。『氣志團』の綾小路セロニアス翔は中学の同級生で現在まで交流があり、氣志團のプロモーションビデオ(2秒間)やCDで共演している。それまで実年齢を公表しなかった綾小路だが、彼女によって間接的に実年齢を知られてしまった事になる。DJ OZMAとはアカの他人である事を主張している。又、現役女子プロレスラーのさくらえみは、小学校時代の同級生。

■モヒカンの過激なヘアスタイルや迫力あるメークはパンク・ロックに影響されたものだが、その外見から子供が泣いてしまったこともあるという。ちなみに、髪の色(緑と橙)は、Dr.コパの助言によるものらしいが、まちゃまちゃ本人がテレビ番組で否定していたことがあり、定かではない。モヒカン以外の髪型は資生堂の男性化粧品シリーズ『uno』のテレビCMで見ることが出来る。因みに、実家は美容室を経営している。

■B-RAP HIGH SCHOOL(2002年4月〜2004年8月) 学校へ行こう!内の1コーナーにて、歌DA道子の母親兼ドライバー「藤子」として出演。

■自身の髪型は朝になると自分で剃って作っている。

■素になると「おいねえ(いけない、だめだ)」といった出身地の方言・房州弁が出ることがある。一時期、のどを痛めてしまったことがある。

■『元祖!でぶや』にゲスト出演した際、好きな男性のタイプを聞かれ九州男児と答えた。しかし、リサーチした結果、熊本の男は駄作であると分かったので除外とのこと。

■文字を書くときは、顔、ルックスに似合わず、高校生が多用する文字を書く(初期の方)。

■愛用している携帯電話はソフトバンクモバイルのV401D(サイバーグリーン)。緑系のカラーが好きということでこの機種、このカラーを選択。誤って水没させてしまった経験があり、もう一度同機種に機種変更しようとしたところ、シルバーしか在庫がなく、泣く泣く高い修理費用を出して修理することになってしまったというエピソードがある。

■大の「はだしのゲン」フリーク。単独ライブにも同作のオマージュと言えるタイトルを付けるなど、相当のファンであることが分かる。

■料理の腕前は、「愛のエプロン」参戦当初は、そこそこの実力というレベルだった様子だが、同番組に出演を重ねた影響か、めきめきと腕を上げ、「黄金伝説」の「節約生活」で料理を披露したり、「愛のエプロン」でも、見た目は淋しいながらもしっかりした寿司飯を作っていた。また、2007年2月14日放送の同番組(バレンタイン特集)で、見事なフルーツタルトを作り、100点満点(同番組史上初)を獲得した。中華料理店でバイトしていた経験がある。

■俳優・岩城滉一のファンである。2007年2月14日の『愛のエプロン』でゲストで出演していた岩城に、ファンであることを告白。作ったケーキを岩城が大絶賛すると、顔を赤らめて喜んでいた。この時作ったフルーツタルトは、番組史上初の100点満点を記録。因みに、彼女の後(最後)に試食のソニンも100点満点を記録。

■愛のエプロンの特番で、青木さやか・RIKACO・杉本彩よりも美味しい料理を作り上げ、新愛エプ四天王になった。

■「ズバリ言うわよ!」で細木数子に「あんたみたいなキャラは、すぐに飽きられるのよ」と言われた。さらに、「ドラマに出たければ、そのふざけた頭をどうにかしなさい」とも言われた。さらにくりぃむしちゅーに髪の毛を黒くさせられた。しかし、番組終了後染め直したため今は橙と緑色に戻っている。 

■2002年にルミネtheよしもとで行われた若手芸人育成イベント、「PIPA『5じ6じカップ』」でチャイルドマシーンに負けてしまい、あまりの口惜しさに上着を脱いでブラジャー姿で退場して観客と司会のペナルティを驚かせた。その後なぜか上半身裸のハローバイバイの関暁夫と肩を組んで登場した。

■かなりの臆病者。過去に「クイズプレゼンバラエティーQさま!!」で挑戦したチキンレース企画「10m高飛び込み」では41分もかかり、「ビビリ橋」では15mの橋を渡るのに、1時間18分を費やした(ビビリ橋の歴代最長記録)。さらに、「絶叫カラオケ選手権」では絶叫マシンの恐怖で出だしの部分しか歌うことができなかった。

■おぎやはぎの小木博明に森山奈歩を紹介した。そのため矢作兼と共に、小木と森山の婚姻届の証人となった。

■マネージャーがナインティナインの岡村隆史と同じマネージャーであるため、岡村曰く、海外ロケ中に電話でまちゃまちゃのスケジュールの調整をしていたらしい。

■小学生の頃、犬のフンを手掴みで食べる事もあった。

■「わらいのじかん」の芸人100人の名前を覚える企画に出場(覚えられる側)した際は、「まちゃまちゃです。Bカップです。」と手持ちのプラカードで胸を持ち上げながら自己紹介していた。(「あげんな」と浜田に突っ込まれていた。)しかし実際はBカップ以上あるといわれている。

■実は甘党だったことが『東京Vシュラン2』にて発覚。

■理想のタイプはバナナマンの日村勇紀。マスコミの取材でその質問で笑われたことことがある(「エンタの神様」でネタとして告白)。

■元モーニング娘。の小川麻琴と仲が良く、『ハロー!モーニング。』に出演したときも小川と絡む事が多く卒業SPにもサプライズ出演した。卒業後翌年の新春SPに出演したときは小川の存在を気に掛けていた。

■昔は今のような「ロックなキャラ」じゃなかったらしい、と同期の品川祐(品川庄司)にめちゃイケで言われた。因みに品川祐とは不仲である。(同期さんいらっしゃいの第三回より)※ただし番組後半では和解の演出が見られた

■2007年1月10日に放送された『アドレな!ガレッジ』で、まちゃまちゃはアニメ『ゼロの使い魔』のヒロイン、ルイズの声優に挑戦したが、『お前もバカだよ』と突っ込まれる始末となった。

■黒柳徹子に「キョンシーみたい。」と何度も言われたことがある。


【摩邪(マジャ・コング)】
『エンタの神様』ではプロレスラー「マジャ・コング」のキャラ設定(アジャ・コングの名前だけ真似ている)のもと、「怒りの熱血プロレスラー」というキャッチコピーで2005年1月に初出演し同年2月からほぼ毎回出演している。

「まちゃまちゃ」としての持ちネタは一人コントだが、「摩邪(マジャ・コング)」としての持ちネタは、いわゆるマイクパフォーマンス風な、毒舌漫談である。「続いて、マジャ・コング選手の入場です!」というアナウンスのあと舞台に立ち、自分に関するトーク(当初は自身の風貌に観客が引いていることなどをネタにしたものが多かった)を経て「やっぞ! ハッ! やっぞ!」(2006年5月6日以降は、「言(ゆ)っぞ! ハッ! 言(ゆ)っぞ!」)と吼えた後、「おい、世の中のチャラチャラした奴ら!(当初はチャラチャラした「女」限定だった)今日もお前らに言いたいことがある。よ〜く聞け!」(2006年5月6日以降は省略されている)と始めるのがパターンとなっている(「やっぞ! ハッ! やっぞ!」までは省略されたこともあった)。「ひと〜つ! ○○○○って言う××! (○○○○の部分では、別のキャラクターになりきることも多く、一人コント芸人としての片鱗が垣間見える)」→「○○○○? ハァ?(最近では、「ハァ?」ではなく毎回コメントが変わっている。)」→「……△△△なんだよコノヤロー!!(と叫びながら手に持っているマイクを床に叩きつけ、最後に色々なポーズをする。相撲のポーズやプロレスラーの長州力(長州小力)のアクションや武藤敬司のプロレスLOVEポーズのアクション(鼻から両手をキツネの形で放す動き。ボボボーボ・ボーボボの鼻毛真拳ぽいという説も)をしたりする)」という流れである。しかし、賛否両論の声も相次いでいる。ネタのつなぎで、床に叩きつけたマイクをいそいそと拾いに行く様子も、またチャーミング(?)である。また、最近では最後に「がっかりだよ!コノヤロー!!」「豆知識だよ!コノヤロー!!」など、桜塚やっくんのパロディをすることもある。

『エンタの神様』出演2回目でネタを披露し、マイクを床に叩きつけた際、マイクを壊したことがある。

ギター侍・波田陽区に斬られたことがあるが、逆に斬り返したこともある。

2005年9月まで、テレビの地上波では『エンタの神様』以外の番組に出演できない独占契約を結んでいた(2004年の波田陽区と同様)。『エンタの神様』でブレイクしたため、本来の芸名である「まちゃまちゃ」よりもエンタで名乗る「摩邪」が有名になり、ネタ本も「摩邪」の名で出版した。10月以降はトーク番組等で活躍するようになり、「まちゃまちゃ」の名前が認知されつつある。摩邪本人は『エンタの神様』のネタ冒頭トークで「エンタの神様以外にでているのは、まちゃまちゃだ。摩邪はエンタの神様でしか見られない」「"魔邪"と書く奴が多いが、マジャのマは悪魔の魔ではなく彦摩呂の摩だ」と述べている。このキャラを機にまちゃまちゃとしても、キレキャラで行う事も。一部の雑誌では「悪女キャラ」と書かれることもある。そのせいか、『日経エンタテインメント!』にて、「嫌いなお笑い芸人」に入られてしまった。

又、「まちゃまちゃ」として、ブレイク後、「あたいに似た人が出ているが、あれはまちゃまちゃだ」と、発言していた。

しかしながら「まちゃまちゃ」として舞台に立つことがあった。ウタワラの「まちゃまちゃが再び番組で歌うためのチャレンジ」という企画で広瀬香美のコンサートに出演してAIの「Story」を歌った後コンサートの観客の前で「まちゃまちゃ」のまま「摩邪」のネタを披露した、ちなみに広瀬香美のコンサートがハッピーバレンタインコンサートだったのでネタはもちろんバレンタインだった。

2007年1月20日の放送で、「あたいはオランダのクオーターだ!」と発言したことがある。 しかしオチで「本当は純粋な千葉県民だ!」と言っている。4月以降の同番組にはでていない。

(出典:Wikipedia)

[PR]

有機・低農薬野菜と無添加食品や環境に配慮した日用品などの会員制宅配サービスを行っています。おいしくて安全な食材をご自宅まで宅配致します。らでぃっしゅぼーやの宅配サービスを是非ご利用ください。

マイケル

マイケル(本名:立花 秀樹(たちばな ひでき)、1972年5月12日 - )は、元お笑いタレント(ピン芸人)・ダンサー。大阪府阪南市出身。元ワタナベエンターテインメント所属。血液型はAB型。身長172cm。


【プロフィール】
1990年、ミュージカル『スターライトエクスプレス』でイタリアの機関車「ペンデリーノ」役として出演(当時18歳)。その後『スターライトエクスプレス』で共演した若手3人により吉本興業初の男性アイドルグループ「MAM(マム)」のメンバーとしてデビュー。デビュー曲は『Take a Chance』。光GENJI全盛期の頃で、彼らもローラースケートを履いていたという。MAMは関西では一定層の人気を博したものの、全国区でのブレイクには至らず、1992年に解散。解散後は吉本新喜劇やCM、主にavex系アーティストのバックダンサー、インストラクター(振り付け)などを中心に活動を展開していた。

その後2000年、エンターテイメント集団「TOKYO JAM COMPANY」のメンバーとなる。2001年4月から2年間、NHK教育『うたっておどろんぱ』に「ひでき」役でレギュラー出演。この間、芸名を現在の「マイケル」に改名。由来は「ダンスが"まぁイケる"」から。2002年6月9日に行われた吉本が主催する初のダンスコンテスト「よしもとダンスコレクションVol.1」に出場し、クラシックバレエをモチーフにしたパフォーマンスで他を圧倒、優勝を飾った。この頃から芸人としても活動を始める。

2000年に行われたASAYAN20世紀最後男性ボーカルオーディションの予選に出場していた。

実家は大阪府内で畳屋を営んでいる。芸人転向直後、給料はダンサー時代から大幅に減り、都内の築40年の家賃2.8万円のアパートで生活していたが、当時の自室は物凄く長い部屋であった。その自室の壁には事務所の先輩で、自身を見出したネプチューン・名倉潤(マイケル自身「名倉師匠」と呼んで崇めている)の写真を貼り付けて、毎朝拝んでいたとのこと。その名倉潤の『爆笑問題のバク天!』での後押しもあってブレイク。芸人としてようやく軌道に乗った2005年春、家賃月8万円のマンションに引っ越した。

なお、ダンスのインストラクターだったKABA.ちゃんに告白されたことがあるが、ゲイには興味がなかったのでやんわりと断った。ところが、その直後からKABA.ちゃんはマイケルに対し、スパルタ路線を敷くようになった。この一件でダンサーとしての将来に不安を感じ、芸人に転じるきっかけとなったという。

2006年11月15日、母の看病をすることを理由に10月末で芸能活動休止していたことが報じられた。

それとは別にマイケルの度重なる女性トラブルが表面化し、事務所からの再三の警告にもかかわらず遂には度の過ぎた行為があった為に解雇されたという報道が新聞各紙で報じられてもいる。これに関して事務所側は「契約は切れているので、コメントする必要がない。」と発言をしており、公式HPのプロフィールからマイケルの名前がなくなっている。


【持ちネタ】
マイケルの主な持ちネタは小咄系で、オチは全て「マイケル♪」。

まず、ツカミでは「♪やーっほやっほやっほ♪やーっほやっほやっほ♪やーっほやっほやっほ♪ マイケル♪」とスキップしながら登場。あらかじめ登場している場合は、普通の服装だったのが「♪マイケルマイケルマイケルマイケル……」と踊りながら早脱ぎして、いつものダンス時の服(黄色のラメ入り袖無しジャケット&短パン)になるのが定番。

そしてネタに入るが、「1枚、2枚、3まいケル♪」とマイなどにかけた「〜マイケル♪」で終わるパターンが多い(パッション屋良の「ん゙〜!ん゙〜!」と若干似たようなところがある)。例えすべってもポーズを作って「マイケル♪」と強引にオチに持っていくのがパターン。更に「マイケル マイケル お笑い 勉強不足♪」「マイケル マイケル 空気が読めないプン♪」と、自身を自虐してみたりもする。また、卓越したダンスのテクニックを活かし、ネタの合間に「踊らせて♪」と言ってダンスを披露。しかし実は「マイケル マイケル ダンスは時間稼ぎ♪ 便利♪」なのである。また、追い込まれていっぱいいっぱいになると、「きりきりまいケル♪」と言う。そしてシメは「おしまいケル♪」。

しかし、『ズバリ言うわよ!』で、細木数子に「『マイケル♪』は止めなさい」と言われたが、「舞台とかライブとかでやっている」(出演当時持ちネタ歴3年半)と反論。


《例》
■「マイケル、この間Tシャツ買ったの! 何枚買ったんだっけ? 1枚、2枚、3まいケル♪」

■「マイケル、今朝ピザ食べてきたの! 何枚食べたんだっけ? 1枚、2枚、3まいケル♪」

■「マイケル、この間北海道に行ってきたの! 行ってきたのはとまこまいケル♪」

■「マイケル、この間上戸彩ちゃんに会ったの! あまりにも可愛くて、めまいケル♪」

■「マイケル、痴漢撃退法知ってるの。横から来たら、裏籠手。後ろから来たら、肘。前から来たら…まえケル!」

この他、複数の芸人と競演する際に「マイケルさんって、ダンサーなんですよね?」と振られると、思いっ切りオーバーアクション(一式ダンスする)を取った上で「誰がダンサーやねん!!」と絶叫する、という一発芸を持つ。

(出典:Wikipedia)

[PR]

製薬メーカーが原料からこだわった、生活習慣の改善、ダイエットに期待の成分【DNJ】を含む桑の葉青汁を中心としたサプリメントショップ。【身体の中から美しく】をコンセプトに美しさと健康をお届けします。

増田英彦(ますだおかだ)

増田 英彦(ますだ ひでひこ、1970年2月9日 - )は大阪府守口市出身の男性漫才師である。ますだおかだのボケ担当だが、相方がまともにつっこまなくなり、自らツッコミをやる事もある。相方は岡田圭右。松竹芸能所属。大阪電気通信大学高等学校・関西外国語大学短期大学部穂谷学舎卒業後、関西外国語大学外国語学部に編入学。 身長:161cm


【経歴】
■1993年岡田が説得に応じコンビ結成。同期にはオセロがいる。

■芸人になる前は広告代理店大広に勤務していた(阪神のカレンダーのローマ字確認をやっていた)。その時に一緒に働いていたのは俳優の佐々木蔵之介。

■1997年に大学時代の後輩の一般女性と結婚。しかしこの事実は2003年2月に行われた単独ライブまで事務所には知らせず、相方の岡田にすらライブの開催一週間前まで知らせていなかった。


【特徴・性格】
■漫才師になる際、ずっと岡田を相方にと3年間口説き続けた。(正確には3年間に2回。2回目にやっと相方となった)岡田以外には誰も誘うことはしなかった。かなり岡田に拘っていたらしく、就職先の上司が岡田に見えたと言う。

■2002年に「M-1グランプリ」で見事優勝し、1000万円を獲得し、感極まって涙を流した。その後、バラエティ番組にも多数出演しブレイクする。

■優勝直後のシャンパンファイトでコメントを求められ、「テレビに出てるだけが面白い芸人じゃありません。ライブにはいっぱいおもろい芸人がいます!TVだけでなく、皆さんライブを見に来てください!」という熱い名言を残す。

■2001年のM-1グランプリ で優勝を逃して漫才をやめようかと本気で思い、北野誠やハイヒールリンゴに相談したことがある。

■相方の岡田をアホキャラといじることも多いが、実際にはクイズ番組などでは岡田の方が成績は良く、ラジオなどでも漢字が読めないのを岡田にフォローしてもらうことが多い。

■師匠の酒井くにお・とおるに漫才のネタを書いたことがある。

■童顔で小柄。この姿が転じてめちゃイケの女装でゴシックロリータを披露した所、一部のロリータファンに大きく評価された。あるファンは「男性でこんなにロリータが似合う人は初めて見た。」との事。ちなみに服のサイズは小学5〜6年生のサイズも難なく着れる。

■ラーメンが大好きでロケなどで地方に行くと必ずラーメン屋へ行くらしい。

■酒・タバコが大の苦手。コンパに誘われても一切参加しないらしい。

■アクセサリー系が苦手で、結婚指輪も普段していないという。

■最近の悩みは相方の岡田圭右が漫才でまともにつっこまなくなり笑いを取ろうとしていることである。

■乳首が弱点。衣装が触れただけでも気持ち悪いので、常にニップレスを着用している。また、洋服が邪魔と思い、ライブなどで脱ぐことがたまにあるが、最近は30代後半に入り胸がたれてきたことにショックを受けライブのDVDの編集作業でスタッフに「脱いだシーンにモザイクを入れてくれ」と頼んだが「金がかかる」と言う理由で断られてしまった。

■初体験は19歳ということが明らかになった。相手は当時バイトをしていたコンビニ、サンチェーン(現 ローソン)で知り合った女の子だという。

■相方の岡田はかなりの「ルパン三世」マニアに対し、彼は「ルパン三世」を一度も見たことが無いという珍しい人物である。

■漫画・アニメには、幼少期から興味を持ったことがない。

■増田は熱烈な「北の国から」マニアであり、内容や台詞を事細かく覚えていることはもちろんこと、ドラマの中に出てくる細かい部分や音楽、ロケ地にまつわる情報まで知っている。しかし、北海道の名産物であるウニ・イクラ・牛乳・チーズは苦手と告白。(ニッポン旅×旅ショーより)

■ロケ地巡りが趣味で写真にも収めており、どこの場面で登場したものかもすぐに説明が出来る。北海道だけではなく東京都内のロケ地巡りも行っており、堂本兄弟出演時には電柱の写真もわざわざ撮りに行きその場に2時間いたと発言した(同じく北の国からのファンである勝俣州和にはその電柱の場所を教えてくれと頼まれたらしい)。

■韓流ドラマに精通しており、冬のソナタが大ブームを巻き起こす一年前から、ラジオ番組で一押ししていた。また、チェ・ジウの大ファンで、彼女主演のドラマ「天国の階段」DVDでは、NG場面の吹き替えも行っている。

■男気ある性格とは裏腹に、ポエムが趣味で、2004年7月には詩集まで出している。

■高校時代には小柄ながら柔道をやっていた(柔道初段)。

■新日本プロレス、アントニオ猪木の熱狂的ファンで、リングアナを目指していたという噂もある。大阪府立体育館で、相手の技をモロに受け続ける木村健吾に「健吾! あやまれ」と野次を飛ばし、笑いをとっていたらしい。ウケ狙いの野次が得意であった。

■阪神タイガースの熱狂的ファンで、選手の何人かとメル友らしい。しかし「笑いの金メダル」では北海道日本ハムファイターズのレプリカユニフォームを着て出演したことがある(これは元阪神の坪井智哉選手からもらったもの)。最近ではロッテについて熱く語る場面も放送されており、一体どこのファンなのか分からなくなりつつある。野球に関する知識は阪神のみに止まらず評論家並のものがありラジオ番組等でも度々ネタにしている。

■松竹芸能草野球チームで、エースピッチャー兼監督を務める。

■オセロの中島とは同期で「ミッチョン」と呼ぶほど仲が良い。オセロが大阪にいた頃はほとんど増田が漫才のネタを書いていた。

■ゆずの北川悠仁と友達でよく食事に行っている(ますおかのらくがきより)

■朝日放送の女性局アナ、加藤明子のファンである。しかし最近は加藤が小池徹平に好意を抱いていることもあってか、増田本人が小池徹平とフジテレビ「HEY!HEY!HEY!」で共演した際は少し嫉妬心を燃やしたらしい。

■浜田省吾のファンで、ファンクラブにも入っている。

■携帯電話の留守番電話に浜田省吾からメッセージが入り、ずっと消去せずに保存している。

■競艇学校に合格したが辞退した。

■相方について「ツッコミなのにボケたがる」 「パァ!なんてウケない」と思っていたが、笑いの金メダルの替え歌大賞で岡田のパァ!の使用を許した。

■一児の父。娘の名前は「ほのか」。

■昔、山口もえの大ファンだったが、ある番組で共演した際に、持っていた写真を見せて「気持ち悪い」と言われショックを受けた。そして、本番中に写真を破り本人にぶつけようとしたが、コントロールが狂い隣のデヴィ夫人に当ててしまった。その後、仲直りしたらしくラジオでもえについていろいろエピソードを語っている。

■まぐろやウニ、帆立、牛乳、チーズ、トマトジュースなどが苦手。

■「ますだおかだ角パァ!」でスクイズバントを2度失敗し、「野球がびっくりするほど下手」のレッテルを貼られてしまった。

■日本の地理にあまり詳しくないようである。笑いの金メダルの都道府県クイズにて富山県を指して「え?ここあった?」と言い出し、更に富山県と石川県の間の県境を指して「ここで分かれてたっけ?」と、その後石川県を指して「ここが富山?」などと発言していた。

■ハロー!モーニング。でモーニング娘。の高橋愛のファンということを明かした。

■テレビ番組のテロップ等で平仮名で「ますだ」とされるのを嫌っている。本人曰く、「『ダウン』と『タウン』でダウンタウンじゃないからね。」のこと。

■映画に出演した際、テロップで本名が出されることに納得行っていないらしい。「『ますだおかだ増田』で出してほしい。」と語っている。また、それがきっかけで芸名をつけようとしている。

■歌がうまい。お笑い芸人のカラオケバトルの番組で優勝経験がある。その後相方にも内緒で歌の単独ライブを開催していた。(その頃岡田は家族と富士サファリパークに行ってたらしい)

(出典:Wikipedia)

[PR]

敏間肌だけど美白したい!そんな悩みをお持ちのアナタ、諦めないでください!優しいだけじゃなく、美白効果もキチンと実感できる!ぜひミラクルホワイトお試しキャンペーンであなたの望みを叶えてください♪

ますだおかだ

ますだおかだは岡田圭右と増田英彦からなる松竹芸能所属の漫才・お笑いコンビである。略称は「ますおか」。2002年M-1グランプリ王者。


【メンバー】
■増田英彦(ますだ ひでひこ 1970年2月9日 - )大阪府守口市出身。血液型O型。

■岡田圭右(おかだ けいすけ 1968年11月17日 - )大阪府大阪市中央区出身。血液型O型。


【ネタの傾向】
コントもこなすが、正統漫才。練りこんだネタがある一方で、その当時の事象を巧みに織り込む柔軟性も持ち合わせる。増田が毒舌の強いボケをするところに岡田がオーバーアクション気味に突っ込む、というパターンが多い。


【来歴】
■1988年大阪府枚方市にある関西外国語大学短期大学部穂谷学舎で同じクラスになり、出会う。
二人が2回生の時、増田が岡田を「芸能界」に誘うが、岡田が嫌がり、卒業後、増田は関西外国語大学に3年編入学、岡田は専門学校へとバラバラになる。
増田は4回生で学園祭実行委員となり、イベントの司会などをしているところを、松竹芸能のマネージャーの目に止まり、スカウトされる。再び岡田を芸能界に誘い、なんとか2人で松竹芸能タレント養成所に通うが、3ヶ月後、岡田がやはり嫌がり、増田は広告代理店「大広」、岡田は文具メーカー「クツワ」へと、内定していた就職先に就職し、再び2人はバラバラになる。
就職して4ヶ月たったある日、短大時代の友人の結婚パーティーで久しぶりに2人は再会。「サラリーマンの仕事がおもしろくない」ともらした岡田を増田が遂に口説き落とした。

■1993年1月、2人は脱サラして、正式に松竹芸能タレント養成所に入所し、コンビを組む。

■1994年1月、第15回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞。

■1994年2月、第24回NHK上方新人コンテスト最優秀新人賞。
(松竹芸能の芸人初の最優秀新人賞獲得。)

■1994年8月、GAHAHAキング(テレビ朝日)で10週勝ち抜き、第3代チャンピオンの座に輝く。グランドチャンピオン大会では爆笑問題と同点優勝し、「(関)西の爆笑問題」と呼ばれたことがある。

■1994年4月8日、超若手の時代に特別番組としてオールナイトニッポンの2部(25:00〜27:00)を担当し、当番組のプロデューサーに「いいね!ますだおかだ!秋から2部のレギュラーパーソナリティをやろうか!」と言われ、それが初の東京でのレギュラー番組の仕事となるはずであった。ところが、プロデューサーが人事異動となり、オールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティを逃している。さらに、1998年ごろにも特番として担当した際にもプロデューサーから「4月からやろうか」と言われたが、またもプロデューサーの人事異動によりレギュラーを逃しており、2006年4月にようやく念願のオールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティーを務めることになった。

■1996年、「ボキャブラブーム」や「吉本2丁目芸人ブーム」に挟まれ、東京移転や吉本興業移籍さえ真剣に考え始めた頃、スタートした爆笑オンエアバトル(NHK)に参戦し、正統派漫才を武器に連勝を重ね、1999年には史上初となるパーフェクト(545キロバトル)を達成。その後も高得点を連発し、17戦全勝の記録を樹立した(後にタカアンドトシが18戦全勝の記録を樹立)。

■2001年、M-1グランプリ準決勝で、松竹芸能所属芸人として初めてなんばグランド花月の舞台に立つ。

■2002年、本命と言われた第2回M-1グランプリの最終決戦でフットボールアワーを破り(決勝ではフットボールアワーに次いで2位通過だった)優勝。デビュー後10年以内の制限(現在は10年目までだが、当時のルールでは事実上9年目までだった)があり、これが最後のチャンスだった。優勝直後のシャンパンファイトでコメントを求められた増田は、「テレビに出てるだけが面白い芸人じゃありません。ライブにはいっぱいおもろい芸人がいます! テレビだけでなく、皆さんライブを見に来てください!」という熱い名言を残す。同年本格的に東京進出。

■2007年2月27日放送の第7回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャルで、決勝で神奈月を破り、悲願の初優勝を果たす。


【エピソード】
■漫才の冒頭で「吉本興業のますだおかだです」とボケたり、「松竹芸能のますだおかだです」と皮肉っぽく自己紹介することがある。2001年、2002年M-1グランプリでもこれを連発し、審査員からは逆に好評だった。これは松竹芸能と吉本興業のライバル関係を意識したものであり、それだけに、吉本興業が主催するM-1で彼らが優勝したことは、松竹芸能にとっては記念碑的な出来事ともいえる。

■2002年のM-1で、この年、覚せい剤所持で逮捕されたドリカムの西川隆宏(当時)を風刺したギャグで、増田が「ドリカム西川の未来予想図(U)は拘置所やからねー」とボケたことがある。しかし、優勝後のインタビューで「関係者の方々にご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。」と、謝罪している。

■安田大サーカスの名付け親でもある。結成当時の3人を見た岡田の「サーカスが来た」との発言がきっかけ。

■餃子の王将堺浜寺店・若江岩田店に、彼ら考案の「ますおか丼」がある。

■増田が浜田省吾の大ファンであり、浜田本人とも交流がある。浜田はますだおかだの漫才を「トラッドでラディカル」と評している。

■バラエティー番組で島田紳助と共演すると「こいつら松竹やで」等と所属事務所が松竹芸能であることをよくネタにされる。

■globeのKEIKOがますおかのファンで交友関係があり、小室哲哉との結婚披露宴に呼ばれ2人は出席したこともある。

■aikoは昔、ますおかの出待ちをしたこともあるくらいファンだった。

■2007年に放送されたドッキリ番組で、増田(仕掛け人)が捕まってしまい殺されそうになった時、岡田(ターゲット)はビビりまくりながらも「自分の命が危険に晒される覚悟で、増田を助ける」と言い、助けるまではいかなかったが無線で必死に助けを求めた。番組中に岡田の想いを知った増田は感涙した。

■増田は元フォークダンスDE成子坂の桶田と仲がよく、自分たちのライブの構成作家に彼を抜擢した。これは増田本人が日記にて記述。

■芸人であるのにも関わらず近年はクイズ番組等でボケない場合が多い。笑っていいとも!ではいきなり正解を答えてしまい観客からブーイングを浴びた事がある他、ヘキサゴンでも殆どボケない。

■ラジオ番組で寺田有希に対しカルピス原液を飲んで咽た経験があるが、「お父さん君の体見てビンビンになったんちゃう。」等のテレビでは考えられないようなセクハラ下ネタ発言を吐いたことがある。

(出典:Wikipedia)

[PR]

☆ANA,JALの格安航空券ございます☆国内航空券、格安ツアー、豊富な品揃え!
リピーター割引、ビジネス割引でさらに安く空の旅を!出張、国内利旅行の航空券予約はスカイチケットで☆

松本 人志

松本 人志(まつもと ひとし、男性、1963年9月8日 - )は、日本のお笑い芸人、映画監督。

通称は「松ちゃん」。兵庫県尼崎市出身。血液型B型。左利き。逆子だった。現在、独身であり未婚。身長172.8cm。

お笑いコンビ・ダウンタウンのボケ担当。相方は「浜ちゃん」こと浜田雅功で、1982年にコンビ結成。吉本興業(東京本社)所属で、吉本総合芸能学院(NSC)の第1期生。


【概要】
1990年代以降のお笑い界で絶大な人気を得ているお笑い芸人。そのためミュージシャンや俳優、作家などにも多くのファンを持つ。

「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」でのフリートークにおける即興的な笑いのスタイルに特徴を持つ。

また、コントでの役になりきる自らのスタイルを「憑依芸人」と名づけている。

「寒い(サブい)」「ブルーになる」「逆ギレ」「へこむ」等の新語の創作者としても知られる。また、性癖に限らず人をSとMに分ける考え方を広めた。松本自身は芸能界を代表するドMである。

自身のレギュラー番組や舞台などには出演者としてだけでなく、制作にも積極的に関わる。

漫才師として、自身、または浜田が裏番組に出ない限り、連年、M-1グランプリ決勝の審査員を務める。


【略歴】
・1982年に兵庫県立尼崎工業高等学校を卒業後、中学時代からの友人であった浜田雅功と共に吉本総合芸能学院(NSC)に入学(同校の1期生)。入学当初から浜田とコンビを結成。

・ダウンタウンとして様々なテレビ番組にレギュラー出演。「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」(日本テレビ系列)「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ系列)等では出演のほか番組の企画・構成も担当した。

・1994年から1995年にかけて、松本が週刊朝日に連載していたエッセイを単行本化した「遺書」「松本」がベストセラーになる(「遺書」は250万部、「松本」は200万部)。また、1994年度の高額納税者番付でタレント部門の1位になる。

・1990年代後半より、「一人ごっつ」シリーズ(フジテレビ系)、入場料1万円のコントライブ「寸止め海峡(仮)」、料金後払い制ライブ「松風'95」、コントビデオ「松本人志VISUALBUM」など、個人での活動も行うようになる。

・1997年10月、「ダウンタウンのごっつええ感じ」スペシャルが、松本への事前連絡無しにプロ野球の優勝決定試合に差し替えられたこと等を理由に、同番組の打ち切りを決定する。(本人はそれ以外の理由があったと話している。)その後のフジテレビとの関係が心配されたが、この打ち切りは日曜20時枠とコント番組に対しての撤退に限定したもので、その他のレギュラーの降板は無かった。

・1998年、「ガキの使い」内のトークコーナーにおいて「髪を坊主にしたい」と発言し、その後に実際に坊主にし、現在に至る。又、雑誌「コマネチ」で因縁深いビートたけしとの初対談が掲載された。

・1999年、松本に密着したドキュメンタリー番組『松本人志の本当』(NHKBS)放送。

・2000年、自身の原案で『伝説の教師』(日本テレビ系、SMAPの中居正広と共演)に主演。

・2000年、尊敬する島田紳助とのトーク番組『松本紳助』放送開始。

・2001年、構成作家の高須光聖とラジオ番組「放送室」(TOKYO FM)を開始。

・2001年10月12日、復活スペシャルとして「ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル」が放送される。視聴率は9.0%。期待していたものより高くなかったのと、フジテレビの編成や制作のまずさを指摘、「本当に面白い事はテレビではもう出来ない」と発言。そしてダウンタウンとしてはテレビ向けコントを制作しないことを宣言する。

・2006年、第2日本テレビの中でVODにて新作コント「Zassa(ザッサー)」を配信。

・2006年、レンタルビデオ店のアダルトコーナーにいる姿の写真を雑誌FLASHに無断で掲載され、その写真が防犯カメラの記録ビデオから転載したものであったため発行元の光文社らを訴え、勝訴した。これにより、「防犯カメラのビデオ映像からの写真転用は訴えられるほどの悪事である」という主張が認められた。

・2007年、本人が企画、脚本、監督、出演の四役を務めた映画「大日本人」を発表。日本での公開に先立ってカンヌ国際映画祭の「監督週間」に招待されたが、新人監督賞にあたるカメラ・ドールの受賞には至らなかった。6月1日放送の「さんまのまんま」で明石家さんまと10年ぶりに共演を果たした。その他「笑っていいとも」等にも出演しているが、宣伝を名目に色んな番組に出て見たかったとの事。


【人物】
・少年時代に漫画「天才バカボン」(赤塚不二夫作)等に影響を受け、漫画家を目指すが、赤塚不二夫著の漫画家教本に「漫画家は算数(九九)が出来なければならない」と書いてあり、九九が苦手だったことから漫画家への道を断念したと語っている。

・父親の仕事の関係上、様々な公演チケットがよく手に入る環境にあり、吉本新喜劇などの舞台をよく観に行っていた。テレビのバラエティ番組も好きで、ザ・ドリフターズなどの番組もよく観ていたほか、笑福亭仁鶴らの落語も好んで聴いていた。また小学校時代、友人と漫才コンビを組んで実際に人前で演じるなどしていた。

・裕福な家庭ではなかったため、限られたものを使って自分で遊びを発明するなど創意工夫の中で発想力や想像力が鍛えられたと語っている。

・特技は自動車の運転。趣味はビリヤード、ゲーム。

・フィンセント・ファン・ゴッホ、アンネ・フランク、黒田官兵衛を好み、NHK BSの番組『松本人志の本当』でアムステルダムにあるゴッホ美術館とアンネの隠れ家を訪れている。

・5人家族の末っ子。家族構成は父、母、兄、姉。家族の話を番組ですることが多く、番組に出演させることもある。

・実兄はヒューマックスの取締役であり、2007年に歌手デビューをした松本隆博。

・影響された芸人と公言しているのは藤山寛美、島田紳助、志村けん等。

・アダルトビデオ、風俗好きを公言している。

・AV女優・松本コンチータの名付け親である。

・毛じらみをうつされた経験があり、一時期自身の番組などで何度もネタにしており、「毛じらみ」が代名詞になったほど。

・プロ野球をはじめ、スポーツ嫌いで有名だが、友人に辰吉丈一郎がいるように、ボクシングなど、一部格闘技は好む。ボクシングには自身も挑戦したことがあり、その習得する様子を番組にしたこともある。

・番組ではスーツを着用することが多く、ネクタイの先をズボンに入れている。

・ヘビースモーカーだったが、2003年から禁煙をしている。

・ザ・クロマニヨンズ(元THE HIGH-LOWS・THE BLUE HEARTS)の甲本ヒロトと親交があり、番組での共演や、ハイロウズのアルバムジャケットのデザインや、CM出演などをしている。

(出典:Wikipedia)

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。