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箕輪はるか(ハリセンボン)

箕輪 はるか(みのわ はるか、1980年1月1日 - )は日本の女性お笑い芸人。お笑いコンビ「ハリセンボン」のボケ担当。相方は近藤春菜。東京都北区出身。身長160cm、体重45kg。星座は山羊座。血液型はA型。

以前は生年月日が1980年9月27日であった。

【人物】
■最終学歴は早稲田大学第二文学部卒業。ちなみに2006年8月23日放送の『ワンナイR&R』にて、奨学金と自分で稼いだアルバイト代のみで卒業したことが明らかになった。

■高校時代、バドミントンで都大会ベスト16になったことがある。

■趣味はサッカーと剣玉とミニカー(トミカ)集め。

■けん玉1級。図書館司書の資格を持つ。

■あだ名は死神。歯が特徴で、前歯のうち1本の神経が死んでいて黒ずんでいる(小学生の頃に道に転がってた鉄パイプに乗って転がして遊んでたら、顔面から転んで前歯の神経が死んだとのこと)。ただ、別に検査したわけでもなく、自分でそう思っているだけなので、本当に歯の神経が死んでいるのかは不明。


【エピソード】
■通称「はるか」。天才てれびくんMAXでは視聴者公募で決まったニックネームで「みのぽー」と呼ばれている。相方の春菜には「しゃれこうべ」などと呼ばれることがある。なお、『Goro's Bar』の企画で、整形外科医に「とんでもない原石」とコメントされた。なお、アンガールズの山根良顕に似ていて、テレビに出演し始めた頃は女版山根良顕と言われていた。

■水道メーターの検針員のアルバイト経験があり、作業中に不審者と間違えられたことがある。

■初キスは2006年5月15日放送『アメトーク』のイケメンディレクターと。

■大学時代に友達が一人も出来なかったので、性格を明るくするために芸人を志した。

■前歯だけでなく奥歯も虫歯による欠損が多く、唐揚げを一個食べるのに1時間を要すほど咀嚼に時間がかかる。その口元を隠すと堀北真希に似ていると言われることもあるが、相方の春菜と「テレビでは化粧をしない」と誓いを立てていた。ところが、ロンドンハーツの企画「格付けし合う女たち」に化粧をして出演したことがあり、司会の田村淳に「化粧したら思ったよりイケるじゃん」と高評される。ちなみに、相方の春菜は、はるかが勝手に化粧してテレビ出演したことが気に食わないらしい。

■また、スレンダーでスタイルが良く、2006年8月3日放送『うたばん』では倖田來未のメイク指南により美人に変身した。その時の本人の発言→「女って綺麗じゃなきゃ意味無いし」

■エジプトの壁画の女性のものまねをする。フィフィにも似ている。

■大喜利系に強く、『ダイナマイト関西』では女性初の決勝進出者となった。女性初の優勝も期待されている。

■2007年1月2日放送の『芸能人格付けチェックこれぞ真の一流品だ!!'07お正月スペシャル!』内、本職の映画監督と素人が製作した作品を見極めるという主旨の問題で、素人側として短編作品を製作。本職の方は阪本順治が監督したものだったが、多くの出演者がはるかの作品を選び、彼女のクリエイターとしての才能を窺わせる結果となった。

■母は看護師、幼少時代から母の仕事の都合上一人で過ごすことが多く剣玉をやっていた結果、とても上達したという。今でも剣玉はよくやるとのこと。


【入国審査トラブル】
■番組の企画でアメリカに行った時、春菜やスタッフは通過できたがはるかが入国審査に引っかかり、取り調べを受けた。空港側には「日本人に見えない」「職業は何だ」と疑われていた。

・春菜が近づいてみると、空港側が「Are you Mexican?(あなたはメキシコ人ですか?)」とはるかに聞いていた。はるかはそれに対し「私は日本人です」と言うつもりで「I'm Japan!(=私は日本だ!)」と言ってしまった。さらに職業を聞かれ「Picture (写真です)」(これは本人曰く「人に見られる仕事だということを言いたかった」)。しかし当然のごとく理解されず、それどころか取調室へ連行されてしまった。

・取調室では日本語を少し話せる女性職員が出てきて「本当の事言わないとあなた二度と日本に帰れないよ!」と空港中に響き渡るほどの声で凄まれたという。挙句の果てに、女性職員がいたにも拘らず男性職員がはるかをボディチェックし始め、日本人女性であるのに(検査終了後も)メキシコ人男性と思われていたことが発覚。あげくの果てに「お前はもっと女らしい格好をしろ」と説教まで受けたという。本人は「もう二度とアメリカに行きたくない」と言っていた。

■『ダウンタウンDX』や『ライオンのごきげんよう』などでこのことについて語っていた。「ごきげんよう」では一月の月間MVPに選ばれている。


(出典:Wikipedia)

Mr.オクレ

Mr.オクレ(みすたーオクレ、本名:岡田 信行)は、 吉本興業に所属するお笑い芸人であり、ベーシスト。


【来歴・人物】
兵庫県明石市出身。兵庫県立明石南高等学校卒業。父親は明石市内で中学校の教師をしていた。容姿が老けているため、小学校の頃先生と間違えられた話もある。メガネを外した顔が、小野田寛郎に似ているため、明石家さんまに「おかえりなさい。小野田さん」と突っ込まれる事もある。

生年月日は1953年4月30日と1957年4月30日の二説あるが、もし後者が正しければ馴染みである明石家さんまや村上ショージより年下になり、2005年の時点で芸能生活が33年になるので14〜15歳で芸能界入りしたことになる。しかし、さんまが「オクレ兄さん」とテレビで言っており、前者の方が正しいとの見方が大勢であるものの、吉本興業の公式ホームページには後者の生年月日が記載されている。さんま氏が「兄さん」と呼ぶのは芸歴がさんま氏より長いから(彼は高校卒業後に活動開始なので2005年時点で芸歴31年である。)と思われる。

2007年4月30日放送の「なるトモ!」での誕生日と年齢紹介でも50歳と紹介され、司会のなるみたちに「ほんまに50歳!?さんまさんは『兄さん』って呼んではんのに」「違うとしたらどこにサバ読む必要があるんでしょうね」などと突っ込まれていた。

所属の吉本興業でさえ、普段何をしているかわからないというほど私生活は謎である。自宅にいても居留守ばかりで、電話が鳴っても取らない。だが、留守電に切り替わってメッセージ録音になったときに電話機から「おらへんのかぁ…鍋でも誘おうと思たのに」という声が聞こえれば、すぐ受話器を上げるという。


【名前の由来と芸風】
「オクレ」という名前は、物乞いの「おくれ」ではなく「トロい(遅れる)」から来ている。コミックバンド(ザ・パンチャーズ)時代、他のメンバーからワンテンポ遅れてズッこけ「遅い遅い!」と突っ込まれるのが唯一の芸であった。それは、あくまでも芸で成立する物で、本来のベースの腕前は大した物である。1980年代後半、テレビ番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)に、村上ショージや前田政二と共にお笑いトリオ『何人トリオ(当初は「難民トリオ」)』の一員としてレギュラー出演して人気が出る。


《主なギャグ》
■「こんにちは〜」(無気力な言い方なので共演者はコケる)

■(去り際、主に吉田ヒロに対し)「あほ〜。」

■「ひょうきん族の時の蓄え(ギャラ)で楽してるねん。」(若手芸人から「最近ビンボー?」と突っ込まれる時にかます)


【出演】
《レギュラー》
■なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!(朝日放送、スカイ・Aほか)
山田花子が水晶で呼び出す「水晶の精霊」の役。
花子がイスの上の水晶に手をかざし、「水晶の精よ〜、○○を我に教えたまえ〜…。えい!!」と叫ぶと照明が暗くなり、アラビアンな音楽(オフスプリングのCome out and Play?)と共に釣り下げられて舞台左袖から出てくる。定着して意外と人気があるようで、声援がよく聞こえてくる。出てくると季節やニュースなどを題材とした漫談的な話から始まることが多い。主役の一人の陣内智則が水晶の精に頼んだ内容の返事を言うようにいうと、よくつっかかるような感じで言う。「これが出来たら占う。」などと言いミニゲーム的なことなどをさせ、面白い結果や、ミニゲームの成功を阻止し芸人らが怒っているのを笑いながら、またアラビアンな音楽と共に左にはけていく。たまに物を持ってくることがあり、陣内智則に投げつけることもある。コントロールがいい。
なお、最近は、陣内智則らに「もう一度呼べよ」と迫られた山田花子により、再び呼び出されるが、この時も、まともな回答はせずに宙吊り状態で去っていく。もしくは、本人が不在で、ひもだけ登場する。この後、大抵は、「もうええやろガール」役のののかちゃん(子役)による「もう、ええやろ」に繋がることが多い。概ね2007年頃からは、占い結果も後のストーリーを案ずるような回答をするようになってきている。


《不定期》
■吉本新喜劇(よしもと新喜劇)
主に警官(交番の巡査ではなく署長や警部といった比較的偉い役)、ヤクザの組長、飛行機の操縦士などキャラクターと正反対の役で客演(初回はキャラクターそのままに貧乏神の役であった)。ストーリーラインに絡む役を演じることもある。前述のように「横丁へよ〜こちょ」で人気を博しているためか、登場時は拍手をもって迎えられる。新喜劇での演技面の特徴としては声が通らない、無気力、無表情な演技であるが、それでいて笑いの取れる不思議な人物である。

■探偵ナイトスクープ
依頼のVTR放映の際に、チョイ役(リングの貞子役・幽霊役・ヘタレの空手家役)出演する事がある。


【エピソード】
■子供の頃の生活は貧しく、過度の空腹により金魚に手を出したり、真冬に隙間風だらけの家で遭難しかけたりしたなどという逸話も残っている。更に近年の生活もやはり貧しく、3〜4週間何も食べていなくて死に掛けていた時、ベランダの窓を開けると、自分がエサを与えていた鳩が巣を作って卵を産んでいたので、たまらずその卵を食べて餓死から逃れた(「横丁」での本人の発言や、「ナンバ壱番館」の貧乏芸人特集より)。

■先輩が後輩におごってもらうことは、本来であれば恥ずべき行為である。しかしオクレは、村上ショージなど後輩に対しても容赦なくたかる。

■深さ約30cmしかない川で、溺れかけたことがある。

■一時期、南海電鉄高野線の車掌をしていると言う噂があった。

■私服でのテレビ出演は本人の中ではNGで「ごきげん!ブランニュ」出演時もロケの出演時間が数分しかないのに衣装をスタッフに用意させた。

(出典:Wikipedia)

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宮川大輔

宮川 大輔(みやがわ だいすけ、1972年9月16日 - )は、吉本興業所属のお笑いタレント、俳優。京都府京都市出身。吉本興業所属。身長169cm(「channel a」の番組内での測定より)、血液型B型。京都西高等学校(現・京都外大西高等学校)卒業。既婚。


【略歴】
■1991年3月に星田英利(現・ほっしゃん。)とチュパチャップスを結成。同年より吉本興業の若手6組によるグループ「吉本印天然素材」に参加。

■25歳で結婚。

■1999年にコンビ解散。解散後も元相方・ほっしゃん。とは舞台やテレビで共演をしている。

■大阪NSC9期生でナインティナインとは同期である。

■現在はルミネtheよしもとの吉本新喜劇など舞台に出演している。

■『やりすぎコージー・土曜婦人』のルミネの楽屋隠し撮りコーナーで、後輩芸人をハンガーで吊るし、プロレス技をかけまくるという相当なSぶりを隠し撮られている。

■父親が桑原征平(元関西テレビアナウンサー)の同級生。父親は喫茶店を経営していた。『人志松本のすべらない話』シリーズでは、得意の擬音やアクションを巧みに利用し父親の話など多数すべらない話を披露している。

■事務所の先輩である宮川大助・花子の宮川大助とは同音異字である。しかし、『爆笑問題の検索ちゃん』に出演した際には、太田光に「宮川大助・花子さん」と呼ばれる。

■母校が甲子園に出た際応援団だった彼は、NHKのアナウンサーにインタビューされ、お名前はと聞かれて「宮川大輔です」と真面目に答えたら、「ふざけないで下さい」と突っ込まれた経験あり。

■2002年1月1日に放送されたドラマ『救命病棟24時 新春スペシャル』に、記者の一人として出演している。

■2006年の年明けにテレビ東京系で放送された『2006年最も売れる吉本NO.1伝説』にて、占い芸人小笠原まさやによる占いで「2006年最も売れる芸人1位」に選ばれた。

■最近はメガネをかけることが多い。

■黒縁セルフレームでレンズが大きく、若干ゴーグルのような形をしている。これはレーシックで近眼治療をした千原ジュニアの愛用眼鏡を貰ったもの。ちなみに、なんでんかんでんフーズの川原ひろし社長も同型の眼鏡をプライベートで愛用している。

■2006年秋、『けっこう仮面ロワイヤル』の悪役・桑江手蕪朗(くわえてかぶろう)のオファーが来た際、一度は承諾したものの、周囲から猛烈に反対された為、断った。


【人物】
■自他共に認めるドSで、元ナメリカの安住をよく殴っている。また、ゲイではないが、男性の体を衝動的に触りたくなる時があるらしく、元相方のほっしゃん。とネタ作りをしてきた時に、ほっしゃん。の家に泊まることになり一緒に寝ていたところ、寝ているほっしゃん。の顔を見て「こいつ、がんばっとんなぁ」と思い、ほっしゃん。にキスをした。また、憧れの先輩だった宮迫(雨上がり決死隊)と吉本印天然素材で一緒に活動することになり、仲良くなって家に誘われ、初めて宮迫の家に泊まったときに、隣で寝ている宮迫を見て「これが、宮迫さんかぁ」と思い、たまらなくなり局部を触ってしまった事がある(その時宮迫はまだ起きていて、気づいていたらしい)。宮迫の影響を強く受けており、後輩を殴ったり激しく罵倒したりとその手の話題には事欠かない。また、後輩とお風呂に行き、後輩の肛門に激しく指を突っ込み、その臭いをかがせるという事もする。2007年5月3日に放送された『アメトーーク』では、その加減の知らない暴力を暴露され、挙句果てには「バイオレンス芸人」とまで言われた。ダウンタウンの松本人志は、「自分が誰かの後輩として生まれて来ても上手くやってると思うが"大輔の後輩にだけはならんで良かった"」と言っている。

■元ボーイスカウトでアメトーークではその経験を生かし、ボーイスカウト芸人を企画。また、無類のパチンコ狂で、ケンドーコバヤシによれば仙台に営業に行った際、繁華街でかつて自分のお気に入りだった台の、のぼりをたてたパチンコ屋を見て、まだあったのかと絶句した事があるらしい。


【擬音師匠】
■あるエピソードに「擬音」をつけて話すのが宮川の特徴だが、その擬音の当て方と発音、しゃべり方の独特のセンスでいつしか「擬音師匠」と呼ばれるようになり、宮川の展開する話は「擬音話(ぎおんばなし)」と言われている。

■「やりすぎコージー」にて「擬音師匠」として数々のシチュエーションにて秀逸な擬音を当てることを披露した。

■千原兄弟のトークイベント「チハラトーク」ではワンコーナー設けられた。

■発せられた擬音の例は以下の通り。

■「バグ〜ン」→バッファロー吾郎の竹若元博がガードレールの柱にぶつかった時の音

■「バイクから降りようとしてバランス崩した竹若さんがガードレールの柱に”バグ〜ン”ってぶつかって…」

■「ジュッシュウ〜」→小学生のとき、友達が木から滑り降りる時に枝に引っ掛けてしまった腕が傷つく音。

■「(木の上から)シュルシュルシュルシュル〜と下りてきたときに、手を“ジュッシュウ〜”切りよったんです」

■松本人志が2006年に発表したコント「Zassā(読み方はザッサー。彼の発する擬音のひとつである)」にも出演。擬音をあてる「SE」として参加している。

(出典:Wikipedia)

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三村マサカズ

三村 マサカズ(みむら まさかず、本名:三村 勝和(読み同じ)、1967年6月8日 - )は、日本のお笑い芸人である。お笑いコンビ「さまぁ〜ず」のツッコミを担当。ホリプロ所属。身長167cm。


【来歴・人物】
東京都墨田区出身、血液型A型。東海大学付属高輪台高等学校卒業。

1987年には二十歳にして原宿でファッション系の店にてアルバイトから店長まで登り詰めた。

1988年に高校の同級生である大竹一樹とコンビ結成。翌年の1989年コンビ名「バカルディ」として活動を始める。デビュー後程なくして関東お笑い界期待のホープとして脚光を浴びるもその後低迷。しばらく不遇の時期を過ごす。

1997年、本名から芸名「三村マサカズ」に改名。この頃、ナインティナインの岡村隆史に「関東一のツッコミ」と評され、一部で注目を集めるようになる。一般視聴者に広く知られる前から若手芸人の仲間内では評判が高かったようで、キャイ〜ンのツッコミ・天野ひろゆきは某番組の中で「三村さんは東京の若手芸人のお手本だった」と語っている。

2000年、バラエティ番組『新ウンナンの気分は上々。』(TBS系)の企画で海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)と対決し敗北。罰ゲームとしてコンビ名を「さまぁ〜ず」に改名させられる。しかし改名後、「〜かよ!」という独特のツッコミが各方面でフィーチャーされブレイク。現在に至る。

2004年3月、『内村プロデュース』収録中に、無茶なボケが原因で左膝前十字靭帯を断裂。6月には同じく『内P』におけるドッジボールの試合で右膝も負傷。それでも無茶な動きで笑わせようと頑張るあたりに、お笑い芸人の根性と哀しい性が垣間見える。

2005年1月に放送された特別番組『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ'05』(TBS系)では、田中直樹(ココリコ)とのコンビで優勝し賞金500万円を獲得。

2006年1月、内村光良(ウッチャンナンチャン)監督の映画『ピーナッツ』に出演。同作品の影の主役と言われ、内村監督からは「劇中で成長する珍しい役者」と評された。

2007年1月に放送された特別番組『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ'07』(TBS系)では、志村けん(ザ・ドリフターズ)とのコンビで優勝。今回が3回目の放送であるが三村はこれで2度目の優勝となった。


【エピソード】
■面倒くさがり屋で、ネタの立ち稽古が嫌い。稽古を怠けたせいで舞台で大失敗をし、大竹と大喧嘩になったことがある。

■以前は「番組の司会進行ができない」(本人談)ことが悩みだったが、レギュラー番組が増えるにつれて経験を積み、自信をつけつつある。しかし『笑っていいとも!』(フジテレビ系)や『リンカーン』(TBS系)等における司会ぶりは相変わらずぎこちない。

■現在2児の父親で、「子供の入学式でその成長ぶりに号泣した」(本人談)ほどの子煩悩。だがその一方、大の下ネタ好きで、そのあまりの酷さに奥さんが出演番組のビデオ録画をやめたり、実家から時々クレームが来たりするという。「内村プロデュース」においては、アイデアが出なくなって苦し紛れに「セ○クス!」と口走り、顰蹙を買うシーンがしばしばあった。

■かつて大竹と同室に宿泊した際、天井に張り付いていた虫を丸めた雑誌で思い切り叩いたところ、潔癖症である大竹の枕の上にその死骸が落ちてしまい、大喧嘩になった。それ以来2人はほとんど喧嘩をしていないとか。

■高校卒業後に東京渋谷109内の洋服店にアルバイトで入り、そのまま店長まで上り詰めた経験がある。この時にファッションセンスが鍛えられたと自ら語る。赤い服を好み番組でも衣装としてよく着ているが、タモリに「お前は赤が似合わない」と再三イジられている。ちなみに愛用している携帯電話も赤(NTTドコモSH903)。

■特技はクイズ・暗算と頭を使うものが得意。オールスター感謝祭で優勝したこともある。しかし年を重ねるにつれ、ものの名前が出てこなくなることが多くなり、「アレ」という言葉を多用しては周囲にバカにされている。後輩に「お茶取って」と言おうとして「ソファー取って」と口走るなど、まれに不可解な間違え方をすることもある。

■子どもの頃のあだ名は「エース」(バレーボールの授業で大活躍したため)。クラスの人気者で、当時から周囲を笑わせることに全身全霊を傾けていた。デビュー当時は華奢な風貌で、三上博史似(自称)の男前風であったが、中年太りした現在は大竹曰く「ハンプティ・ダンプティのような体型」になってしまっている。必然的に身体のキレも悪くなり、番組のスポーツ企画などで様々な珍プレーを披露している。

■ピーナッツが大好物。上記のように太ってしまった一因でもあり、「内村プロデュース」ではピーナッツのような輪郭になってしまった事から『ピーナッツおじさん』と呼ばれてしまっていた(映画『ピーナッツ』に掛けているとも考えられる)。三村曰く「ピーナッツの味がするのは芽の部分で、それを取ったらただのカリカリしたもの」らしい。。2007年6月13日のはねるのトびらの回転SUSHIに『まるまるちびまる子ちゃん』の番宣で出演した際も千葉県産の高級ピーナッツをすしネタ(?)にしてもらっている。

■カラオケの十八番は桑田佳祐の「祭りのあと」。しかし、歌ってる途中2番のBメロ(野暮でイナたい人生を〜)でいつも泣き出してしまうらしい。

■熱狂的な読売ジャイアンツファンであり、野球について語りだすと止まらなくなる。

■愛煙しているタバコはマイルドセブン。マイルドセブンを吸っている理由の1つは本人曰く、「代表的な銘柄のため、日本中どこに行っても売っているから」である。

■内村プロデュースの健康診断企画にて、痛風の気があることが発覚した。だが、特に生活サイクルを改善することもせず、後に同番組で本当に病気になってしまったことをカミングアウトしている。「とりあえず、痛風用の薬を飲んだらすぐに治まった→痛風と認識」とのこと。


【番組でのエピソード】
■実はボケ役志望で、持ちネタ以外の場では大竹と立場が逆転している事が多い。『内村プロデュース』(テレビ朝日系、以下『内P』)では「俺はボケたいんだ!」「ツッコミとかメンドクセェんだよ!」と発言したこともある。ちなみに、同番組内の心理テスト企画では「ボケ型だが、大竹が更に上をいくボケなのでツッコミをしている」との診断を受けた。

■以前バラエティ番組『グータン』(フジテレビ系)において、「2番手の地位で実力を発揮するタイプ」という精神分析結果を受ける。当時『内P』でMCの内村光良に次ぐポジションで活躍していた三村は、その結果に驚くとともに妙に嬉しそうにしていた。

■2005年1月1日の『内P』元日スペシャルのコーナー「露天風呂だるまさんが転んだ」(全員が全裸で参加する)では、ゴールしそうなふかわりょうらの背後へいつのまにか回り込んでいて、動きを止められている隙に「玉」を揉みしだき次々とゴールを阻止。最早妨害行為自体が目的化していた(最終的には自分が優勝)。その際に「職人の顔」をしていたことから『玉職人』の称号を与えられる。元日にしか登場することのないキャラという設定が、このキャラの希少価値を高め伝説化した。この玉職人は、三村も参加するユニット・NO PLANのアルバム『SUMMER PLAN』に楽曲として収録されている。また、翌年の元日スペシャルでは「露天風呂だるまさんが転んだ」が中止になったため、『玉職人』は2005年の初登場以来約2年間、披露する機会がなかったことも伝説に拍車をかけた。その後、『玉職人』は2007年1月放送の『内P』新春スペシャルで2年ぶりに復活。途中有吉弘行から掟破りの玉揉み返し(逆玉)を受けるも、「露天風呂だるまさんが転んだ」3度目の優勝を果たし、職人芸健在を見せ付けた。

■2005年10月23日に特別番組『内村プロジェクト』内で放送された「マイカーで教習所対決」で、ふかわりょうの愛車「黄色いワーゲン」のフロントグリルを破壊。そのダメージの大きさに本人も罪悪感を感じてしまい、思わず「見んな見んな」とふかわの目を覆っていた。ちなみに本人の愛車はゼネラルモーターズ社製のGMC Envoy。所ジョージに見立ててもらったもの。

■『内P』のドッキリ企画「リアル性格王」において、ほぼ100%の確率で騙されている。「朝、後輩の運転で仕事場へ → 大竹を迎えに行く → 途中コンビニに寄る」という一連の行動は同コーナーのお約束になっている。(対照的に大竹は、警戒心が強い性格のため、ほとんどひっかかったことがない。)

■その騙されやすい性格とオーバーなリアクションゆえか、2005年4月〜2006年6月にかけて、計6回というハイペースでドッキリを仕掛けられている。流石に本人も警戒するようになり、最近では「リンカーン」のドッキリを見破り、カメラを見つけ出したこともある。

■2006年夏頃に念願のマイホームを手に入れたが、完成直後にテレビ番組のロケーションで2度に渡って室内を荒らされたため、今後一切撮影では使わせないつもりだという。(内村プロデュースと所萬遊記である。ちなみにどちらも深夜の放送であった)

■2007年、40歳の誕生日に『リンカーン』の企画で1日だけAKB48のメンバーとしてライブに出演。衣装がスカートだったためパンツの残尿を気にしており、登場直後は客の反応も微妙で怯えていたが、最後はメンバーと観客に大歓声で誕生日を祝ってもらえた。余談ではあるが別室で模様を見ていた芸人達も三村の置かれた状況に耐えられず、松本人志が「非常ベルを押そうと思った」と発言するほどであった。

(出典:Wikipedia)

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宮迫 博之

宮迫 博之(みやさこ ひろゆき、1970年3月31日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。お笑いコンビ・雨上がり決死隊のボケ担当であり、相方は蛍原徹。大阪府大阪市西淀川区出身。私立金光第一高等学校(現・金光大阪高等学校)卒業。[1]NSC7期生であり、吉本興業所属。現在はお笑いタレントだけでなく、俳優活動やDonDokoDon山口智充とのユニット「くず」としての音楽活動も行っている。

血液型B型。


【人物】
■高校卒業後、NSCに入る。一度コンビを組んだが解散。1989年、蛍原徹とお笑いコンビ「雨上がり決死隊」を結成。

■テレビ等では、常にテンション高くキレることが多いキャラクターで見られているが、実際のところ普段はかなり大人しく、時に「根暗」とまで表現される程であることが、相方の蛍原徹や先輩の松本人志、島田紳助等多数の口から語られている。

■自己紹介では自分の頬を叩き、両人差し指を前に突き出し「宮迫〜です!」と言う。この一連の動きでは頬を叩くのは2回と勘違いしている人が多いが、実際には1回しか叩いていない。これは元々、自分の頬を叩く「俺はアホかっ」(もしくは「俺のアホっ」)という自虐ギャグが派生したものであり、これに「太極拳の型を加えた(本人談)」ものである。

■コンビとしては宮迫一人が目立つことが多いが、「相方は俺のために身を引いてくれている」と発言したり、ある番組のプロデューサーの「蛍原さんはいつもの様に目立たない感じで」という指示にマジギレする等、相方思いの一面を持つ。その理由としては、かつて自分独りの才能でやっていると主張し独断専行を続けていた宮迫に対し、見かねた先輩芸人の西川のりおが「蛍原を疎かにしていては先は無い」ときつく注意したことが原因であるといわれる(西川のりお談)。

■最近頭髪が薄くなって来ていることを気にしており、ヘアメイクに相当時間をかけている。ちなみに父、祖父も頭髪が薄く、見事にその遺伝子を受け継いでしまったようだ。トーク番組において松本人志から「プールから上がると50歳のオッサンに変わってた」とまで言われた。「水に濡れると別人になる」「髪が濡れるともずくみたいになる」「水に潜ると俺がいなくなっちゃう」(本人談)。

■ナルシストで、先輩や後輩と飲みに行くと必ず自分の話になるように話を進め、自慢話をする。後輩や女性とカラオケに行った際、後輩にくずの歌をかけさせて、さも周りに歌わされたかのように仕組む。

■松本が東京進出後、大阪に帰省した際ふらりと二丁目劇場を訪れ、若手の舞台を見て「こいつは絶対売れる」と確信した男が当時無名だった宮迫であった。しかし、人となりを良く知った今となっては、その話をするとナルシストの本人が調子に乗るのであまり言いたくないらしい。

■自他共に認めるドS。特に大阪時代は後輩のTシャツを会う度に引き裂いたり、同じくドSの宮川大輔と共に後輩のたむらけんじの寝込みを襲い、肛門に豚肉を突っ込むなどの傍若無人ぶりで(もちろん全てギャグとしてだが)、ケンドーコバヤシに「訴えたら勝てる」、「懲役にしたら240年ぐらい」と非難された。東京進出後は大人しくなったものの、酔っ払ってカラんできた後輩FUJIWARA原西の首をおしぼりで絞めて黙らせるなど大阪時代の片鱗を見せることがある(アメトーークより)。

■そんな傍若無人ぶりとは裏腹にかなりの恐妻家で、妻には頭が上がらない。

■かなりの漫画・アニメ好きとしても有名で、未だに殆どの漫画雑誌を講読又は立ち読みしている。漫画の種類としては『北斗の拳』の様に、主人公が圧倒的に強いモノが特に好みで、その中でも『月刊少年チャンピオン』に連載されていた『クローズ』は連載第一回から自分好みの漫画として愛読しており、未だに自分の中で最も面白い漫画であると言っている。また、アニメに関してもかなりオタク的で(本人はアニメソング好きと言っているが)、こちらは『機動戦士ガンダム』や『超時空要塞マクロス』等が好きで、劇中の台詞を全て覚えている。実際『マクロス』に関しては、自身がパーソナリティーを務めていた、MBSラジオ『オレたちやってま〜す』木曜日内で何度も熱弁を振るった結果、偶然それを聞いた関係者から実際に『マクロス』のDVD商品のCM出演オファーをもらった程である。本人曰く、初恋の相手は、ミンキーモモ。

■虫が大嫌い。(テレビ番組「有言実行決死隊」より)

■「あんかけ」系の食べ物を好む。また自宅近くの餃子の王将のメニューも好物(この店内から雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!!を放送したこともある)。

■家庭的で、子供の弁当を毎朝作っており、出し巻玉子にはかなりの自信を持っている(リンカーンより)。

(出典:Wikipedia)

水野透

水野 透(みずの とおる、1960年9月18日 - )は、大阪府出身のお笑い芸人。藤原光博とお笑いコンビ・リットン調査団を組む。

桃山学院大学に入学後、自らプロレス同好会を立ち上げる。部員勧誘ポスターをアントニオ猪木やジャイアント馬場ではなく、ボブ・バックランドという外人レスラーを用いて作ったところ、それを食入るように見ている男(藤原光博)が現れる。そこで水野が藤原に声をかけ、ともにプロレス同好会で学生時代を過ごすこととなる。

大学卒業後、お笑い芸人になるべく東京へ旅立ち、ビートたけしに履歴書を渡しに行くが、返事をもらう前にホームシックになり帰阪する。帰阪後、大阪のお笑い集団に入り、4人組のユニットを組まされるが、半年で解散。その後、吉本興業の新人オーディション開催を知り、そのときに藤原とコンビを組み、芸能界に入る事となる。なお、同じオーディションを東野幸治も受けていた。NSC出身組の今田耕司や130Rとほぼ同期にあたる。

2005年の元旦に番組の生放送中、金タライを吊るしたひもを顔に落ちる手前のどこで止めることができるか競うゲーム(止めるのが遅いと顔に落ちる)で、金タライをおもいきり顔面にあて出血し、スタジオから退出した。(約1時間後に鼻の上にばんそうこうをつけ復帰したが、その時スタジオにいた人たちは騒然だった。)その出来事で、次の回(2006年元旦)でそのゲームに「ハイパーミズノゴロシ」という名前が付いた。さらにその回で山崎邦正が顔面をケガした。

最近アルバイトをリストラされた。

2007年2月7日(関西地域)放送のダウンタウンのガキの使いやあらへんでの 山-1グランプリという、ネタ見せ企画に,永遠の若手として相方と共に登場。しかし、2人共放送できるネタではなかった ため、あえなくカット。(水野は、トリだったにもかかわらずカットされるという前代未聞の伝説をつくる。理由は過剰な下ネタ)

2006年10月3日より初の冠番組「水野キングダム」(東京MXテレビ)がスタートした。

(出典:Wikipedia)

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